※注意
まずは百円玉を入れて下さい。
固唾を呑んでカプセルに指をかける。互いに睦み合う上下の半球を、固く閉ざすそれを、少し捻りながら開けるのがコツだ。夢の扉をさぁ、開けよう。ここまでまさかの三連続フランドール――その運勢を変えるべく、夜の王は自らの能力に恃み運命に挑み掛かった。我に操れぬ運命などあるものか、王の顔は憤怒に歪んでいる。神か悪魔か知らないが、これ以上の狼藉を赦すつもりは毛頭無い。四枚目の百円玉と引き替えにレミリアが回したハンドルで、世界の創造主は新たなる卵をまた一つ、この世に産みたもうた。
がちゃがちゃっ、ぽん。
高鳴る胸を押さえきれぬ。息も継がずに開けた、緑色半透明の四つ目のカプセルからは――
「……きーきー。おねーさまー!!」
「ま、またフランんんんんぅぅぅー!?」
四人目の豆フラン人形――豆ふらんドールの産声。レミリアの理性は完全に崩壊した。もう四百円である。完全に切れてしまった。四枚まで至ったら五枚目も六枚目も一緒だった。財布に入っていたありったけの百円玉をその場にひっくり返す。桜花を背負った銀貨が滝壺に落ちる水のように次々と消える、ハンドルをインド人のように右に回し続けぽんぽこぽこぽこぽん、カプセルはまるで底なしレジスタンスの兵士のように転がり出る――だがそのいずれからも豆ふらんドールばかりが現れてもうどうしようもない。レミリアは恐怖に泣きじゃくった。泣くしかなかった、堪えきれなかった。そして生憎、レミリアの小さな蝦蟇口に百円玉は僅か四百九十五枚しか入っていなかったのだ!
時既に、四百九十四枚。
それは世界が迎えた夕暮れ――黄昏の美ではなく暗渠に浸す夜闇の亢進。絶望の黒とふらんドールの紅一色で未来を塗り込めようとする、スタンダールな運命の世紀末だった。
レミリアは窮地に追い込まれた。
紅魔館には既に、所狭しと押し寄せる四百九十四体の豆ふらんドール!
そして、遂に最後の矢をレミリアは番える。そう、四百九十五枚目の百円玉――最後の一矢ががちゃっ、ぽんと産んだ、それが最後の卵。
運命の、紅いカプセル。
豆ふらんドールのけたたましき産声が轟き止まぬ世界の中心で、レミリア・スカーレットは白き細指のその先に、世界の命運を天照に届けよと高々突き上げた。
さぁ、がちゃぽんよ。
最後の一個ですぞーっ。
ちがうそれはムックだ。
運命とは、操られるものではないがしかし操るものでもない。運命を操るのではなく、未来を未来と信じる者には運命が微笑む――ただそれだけなのだ。俗言に伝わるは戯れ言、あれは原因と結果が逆である。運命がいつか開けると弛まず信じ続けていれば、いつか必ず運命の一体に巡り会える。ダブり、トリプルどんと来い。艱難辛苦の旅路の果てにお望みの一体を引き当てたらばその時、惨憺の嵐が吹き荒れる世界も一瞬で賛嘆の嵐に変わるだろう。黎明は運命。混迷は未明。透明な使命にめいめい感銘。なんてすてきだ! そうだ、世界を救う選ばれし勇者は、この世界のどこか(のカプセルの中)に必ず居るのだ!
「四百九十五人目の勇士よ――さぁ、いざ今こそ……」
カプセルに指をかけた、雄麗なヴァンパイア。
「栄光の剣を我に授きゃあぁぁああああああっ!?」
ああっ
レミリアくん、ふっとばされたーっ!
――夜王の指を離れ、宙を舞う最後のカプセル。
「いやあぁぁあああああああああッッッ!!」
為す術もない。四百九十四体の豆ふらんドールの恐るべき洪水と爆ぜ返る細かい四散に、弾き飛ばされた最後の一カプセルを取りに戻ることなんて出来るはずがなかった。どころか、怒濤の奔流にレミリアは完膚無きまでに押し流された。幼女ほどの矮小な体躯を叩く運命の土石流に悲鳴が共鳴、大量のフランまじきめぇ。気付けば屋敷を遥か遠く眺め、文字の如く背水の陣――なんと屋敷を囲う湖の汀寸前まで押し流されていた。玄関がどこだったかすら気付かなかった。湖に叩き込まれそこに大量の豆ふらんが押し寄せれば、凪いだ水面も揺動を覚える。眠りし水が目を覚ます。水の中を何かが動けば、要するにそこに流れが出来るっつうのは科学の掟。
やばい。
一大事である。世界の命運の前に自分の命運がおじゃんじゃんである。流れ水に叩き込まれれば私は……ダメっ、私はッ!
「大変!! お嬢様!!」
さぁ。
夜の王の窮地。よもや、無論黙っているはずもない紅魔館の三銃士が勝ち鬨に立ち上がる。
先鋒は門番、ここで紅美鈴の登場だ!
豆ふらに溺れるレミリアが、その藁みたいな門番の腕を掴む!
「美鈴!!」
「大丈夫ですお嬢様! いや待って腕痛い! 握りすぎ! 強すぎ!」
「きゃあああこの際美鈴でも良いから何とかしてぇぇぇぇえええ!!」
助けを希いてはあまりに失礼な夜王の言葉にも、度量に溢れる勇壮な笑顔で頷き返した紅美鈴。
慣れっこというやつである。
「ふん、中国四千年ちょっとの歴史の沽券に賭けても、お嬢様への狼藉は赦しませぬ――喰らえ豆ふら、いただけ『彩雨』!」
世界を光が覆い尽くす。太陽の光とは根本的に異質の、七色の紙縒を思わせる光彩陸離の光の束。
その鮮やかなるスペルカード――紅美鈴を虹の雲が包み込み、転瞬風無き風に珠が舞い、虹色の弾丸に姿を変えて天地を問わず降り注いだ!
風雨を舞う、木の葉のように。細かく。弧を描きながら。
豆ふらんドールはしかし、あろうことかその合間合間をもっと小さな木の葉のように逃げ惑ったのだ。体躯が小さいために、これがなかなか当たらない。ついでにめいめいが逃げ惑うものだから規則性も秩序も原形を留めぬほどに崩壊し、きいきいと鳴き喚く四百九十四体その中に、一人の門番と一ヴァンパイア。取り残されて、収拾の付かない阿鼻叫喚の逝き地獄に陥った。レミリアは七色の雨と赤い雨、合計八色のゲリラ豪雨をただひたすら避けまくる羽目になる。目の前を驟雨と飛び交えば、ぶんぶと言ひて昼も眠れぬ。
「んきゃあああああああああああああ!! ばかばか美鈴! 考えてから撃ちなさいよ!?」
「すみませんお嬢様! 私じゃちょっと手が出せませんので、ご自分でお避けください!」
「はああぁああ!?」
清々しいまでに中国の歴史を放棄した門番、いつしか豆ふらんの奔流に為す術もなく飲み込まれて世界四大文明の一つとなってしまった。
今はもう影形もない。
「……ほほぅ、ならば私の出番かしらね、レミィ」
美鈴以外の勇ましい声が、その時聞こえたのは頭上からだった。振り向けば夜空に三日月。きらり髪飾り、ワンピースひらり、嗚呼、これは大賢者パチュリーであった。
心強い味方が現れたものだ。
だが――
「御願い――早く来て――ッ!」
そう。
悲劇のお姫様レミリアが求めるは、もう一つ――たった一つだけだった。それ以外はたぶん、縋っても所詮は藁なのだ。
悲劇のお姫様には、勇壮な勇者が似合う。
レミリアは、ひたすらにそれを待っている。
「グーテンナハト豆ふら御歴々、日符『サイレントセレナぁ!』」
「いやだからなんでみんなしてそんな細かいのばっかり撃つのよ!?」
阿鼻叫喚がルナティックに化ける。ソドムとゴモラの炎上に色がついたら多分こんな感じであろう。筆舌に尽くしがたい九色十色、十重二十重と折り重なる地獄の一丁目九十九折の巌道の只中でレミリア・スカーレットは、そう、究極的にはやはりうらなり門番も貧弱賢者も誰一人として信じては居なかった。
ただ一人を信じるのみ。
レミリアが求めるのは――「飛びっきり」だけだ。
「お姫様。お呼びですか?」
「…………きたあああああああ!!」
そして勇者は……殺戮の場に、ついに降臨する。
正しく天佑神助。純白のスーツを身に纏い、蒼い月を夜空に背負い、銀の刃をその光に照り返し。
白きシルクハットに隠れた面影。頭上、光射した蒼い瞳は正しく、姫を救いに来た勇なる剣士だった。
「助けに上がりましたよ、お姫様」
「さ……さくやああああぁぁぁぁあああ!!」
レミリアは、突き動かされるように走った……逆巻く豆ふらんドールの凶手を蹴散らし、馬鹿が撃った彩雨と阿呆が撃ったサイレントセレナの残り香を縫って走った!
手を伸ばす。レミリアはいつの間にか、純白のドレスと白いヴェールを身に纏っている。昭和のアイドルでもやらない早着替えとわざとらしい衣裳を達成したレミリアのつぶらな双眸に、今や映るのは一翳りも隈も無き白満月のような、まさしく無垢の、壮麗な銀髪の手に光る退魔禁呪の短剣だけ。
何百何千という白いカードが、その時天空から降り注いで道を作る。歓喜へ続くヴァージンロード。勇者十六夜咲夜の雅号を背負いし代名詞たるトランプは、まるで手品のようにそれぞれが意思を持って宙を舞い、やがて白く輝く天空への螺旋階段を象る。勇者への、架け橋だった。レミリアは無心で走り抜けた。勇者咲夜への架け橋を走った!
「さくや! がちゃがちゃが! がちゃがちゃがふらんふらんでうわあああん!!」
「大丈夫、私めが参りましたからにはもう」
睦み合う双方の熱い視線。愛と富、正義と幸福。ハートとダイヤ、スペードとクローバー、二色四種のカードが象るスタンダールな花道の上で今にも二人は、永遠を誓わんばかりだ!
「ききーきー!! おねーさまー!!」
豆ふらんドールが、最後の邪魔とばかりに波を打って襲いかかった。いつしか四百九十いくつを遥かに超えた幾千幾万、幾百万の豆ふらんドールが空からも降り注いでくる。トランプの花道が、その圧に屈し脆く耐えきれず上から下から崩れてゆく。螺旋を描き蒼月まで届く、奇跡の階段が紅い雨に音を立てて破裂する。夜闇に四散し、はらはらと舞い落ちてゆく白いカード達。
まるで、雪のような。
刹那の、幻想的な光景――
はらり、ひとひら。
舞い落ちてきた五十三枚目――ジョーカーの悪戯に笑った瞳と、恐怖に溺れたレミリアの視線が交差する。
転瞬。とうとう、ヴァージンロードの足許の一角が崩れ落ちた。宙に浮く、レミリアのか弱き小さな身体。闇に呑まれ、四散するトランプの中に思考の術を失う。光明が暗転する。希望が絶望へ裏返る。天佑神助は百鬼夜行の生き地獄に姿を変えて、今しがたまで手にした力強い光がトランプカードのようにくるり裏側へ反転する。そして最後に、天地が反転した。
哀れお姫様、
豆ふらんドールの海へ転落する……目を瞑った、その瞬間。
別の力に、身体がふわりと浮く感覚。
「――私が、姫を地表へ這い蹲らせるとでもお思いでしたか」
白き繊手が繋ぎ止めた、希望の光。
「さ……さくやぁあああああああああああ……!!」
レミリアの瞳に涙が弾ける。今時紙芝居でもやらないようなしょっぱい展開が感涙を呼んでいる。潤みに潤んだ瞳はもう抑えきれない。
崩れ落ちたトランプが、豆ふらんの嵐を切り裂き悪を諫めてゆく。多すぎるトランプにぺしぺしとはたかれ、屈服のふらんが地へと降ってゆく。勇者と姫に遠く高く及ばぬ地面に或いは叩頭き、或いは傅く。絶望の辺淵から最後にぐいと、咲夜の膂力がレミリアをその胸に抱き留めた頃に幻想郷の、レミリア・スカーレットにとっての、長い長い夜が明けようとしていた。
黎明の光に包まれる。
仄暗き曙に喝采を浴びながら、宙に浮き見つめ合う二人。
「が……がちゃがちゃきゅーっと、ふぃぎゅ@メイド……」
二人は、互いを強く強く抱き締めた。
それ以上の言葉なんて、もう要らなかった。
見つめ合う瞳が、次第に距離を失ってゆく。舞い散るトランプが、一から十三のライスシャワーとなり輝いて、煌めいて、ひらりひとひらクイーンの微笑み。二人手と手を交わした、鮮やかなる運命を照らし出す。ヴェールのような朝陽が射す。
曇り積もった空がやがて晴れてゆくように、
滅びぬ悪は無いさと語りかけるように、
やがて温かな吐息が掛かる。二つの鼻先が、触れ合う。
薄紙を剥ぐような少しずつの克己でも、レジスタンスの剣が独裁者の王冠を貫いた時、固く閉ざされた獄には必ず一条の希望が兆すのだ。姫は――王女レミリアスカーレットは、きっとこの勇者となら、将来を誓えると確信したのだろう。一粒の、清らかな涙をぽろりと零した。
勇者と王女、向かい合う。
そっと、その唇を、自ら相手の唇に近づけてゆき――
「……ぅぷ」
レミリアの小さな唇とファーストを交わし、十五秒ほどの後。
全てを忘れていた十六夜咲夜、はっと、我に返る。
幸い誰にも見られていない――と思いつつ我に返って十五秒、何とか……何とかかんとか、目の前のレミリアを咲夜は引き離した。僅かに残った理性を奮い立たせ、ずっとこうしていたいという貪婪な欲望に必死で抗って。
潤んだ瞳を擦る。これは現実かと確認する。
恐らくは、完璧に寝ぼけていたのだと思う。思うのだが――。
続けて、手の甲で唇を拭った。こほんと咳払い一つ置き、あたかもそこに永遠の愛を誓い立てるべき神でも居るかのように、特に何も無い空中をじっと見つめ入る。
呆然と、
恍惚と、
そして、真横にただ転がるれみりゃ様へと朧な視線を転じた。
溜息。見入ってしまうほどに、愛らしいれみりゃ様。
掌サイズのよう。
瞼一つさえ、ぴくりとも動かす事は無いれみりゃ様。
そっと立ち上がり、咲夜は襟を直した。
今日のことは、絶対に誰にもバレてはならない。バレた時は潔くそいつを殺そう。そう思うレベルである。
赤らんだ頬を手で押さえ、震える声でおずおずと呟く。
「がちゃがちゃ、チューッとれみりゃっと……」
嗚呼、何ということだろう。
お姫様と交わした初めてのキスの味は、シークレット込みで全五百種。
間違いなく、この世の快楽のフルコンプリートだった。
一本取られたので80点