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「良い天気ね、霊夢」
無表情で、無感動的な仮面。それは素顔なのかもしれないし、やっぱり仮面なのかもしれない、もしかしたらそのどれでもないのかもしれない。どの道私の前に居るアリスは二つの顔を持っている。
◆
起きた時には、すでにアリスは姿を消していた。静謐な朝と同時に起きた私の布団には一人しか入っていないし、この小さな空間は元々一人しか許容できない。私が一人でいる事は決して偶然ではない、このまま朝を一人で過ごすことになるのは必然的な事。
だけど、私は布団の片隅に寄ったまま眠っていたし、私の背後にぽっかりと空いた空間には先ほどまで誰かが入っていた、その空間を誰かが埋めていた事を何よりも雄弁に語っていた。暖かさは無い、アリスには人ほどの体温は無いし寧ろそれを奪う側なのだ、これが恨めしいから私はいつだって彼女を布団に入れたくない。
だけども押しが弱い私はいつだって彼女の頼みを断ることは出来ないし、その結果として布団の体温は奪われていくし、それと引き換えに私は本日のおやつと話し相手を得ることになるのだ。別にそんな事をしなくてもアリスは相変わらず来るし、その際にはきちんとお土産も持ってくるのだが。
アリスの居た空間を撫でると、僅かにそこだけがひやりとしている気がした。暖かい空気の充満した布団の中だからこそわかるその感覚、気のせいかもしれないしそうでないかもしれない、どちらにせよその空間にはアリスが居た。
「しっかし、相変わらず早いわね……あいつ」
いつもの事だ、私はいつだって太陽とほぼ同時に起きる。障子の外から太陽が昇っていくのを見て、完全に上るのと同時に行動を開始する。ルーチンワークの様なそれは私にとっては今日を始める為に必要な儀式であって、欠かす事のない一日の始まりだから。
魔理沙や早苗曰く「お前は早い」らしい。咲夜は知らん、あいつがいつ寝ているかなんて誰も知らない。妖夢は主人よりも早く寝て早く起きるらしいが幽々子が如何せん普通の生活を送っているので本人も別に支障なく業務を送っている様だ。
それでもアリスは早い、私が起きた時にはもうどこにも居ないのだから。いつ起きたか、どんな顔をして起きるのかは見た事が無い。ただ魔女というのは睡眠をとらなくても平気らしいので問題はないのだろう。
しかしそうなるとなぜ私の元にくるのだろうか、お前は寝なくても大丈夫だろうとか言うとまたごり押してきそうだから言わないが。どうも彼女の泣き落としには弱い気がする、それとも私はああいった事に弱いのだろうか、今のところはアリスのしか見た事が無い。
段々と太陽が地平線から顔を出し、光が部屋に入ってくる。次第に思考に張り付いた霜が温め溶かされると同時に体の自由が利く様になる。大きく伸びをすれば天井は遠く、天はもっと遠くにある、まだあの生意気暴虐天人は寝ているに違いない、良い暮らししやがって。
今度会ったら理由なくぼこぼこにしておこうと誓い、勢いよく立ち上がる。うんと大きく伸びをすれば凍り付いていた体中からべきべきと音が鳴る様で、それが聞こえなくなるぐらいまで伸びた後には体が自由に動く様になっていた。
この感覚は好きだ、段々と現世に精神が戻っていく感覚……って言ったらおかしいかな、とにかく気持ちが良い、上手く鳴らせたときなんて多分その日一日は良い事があるんじゃないかなんて思ってしまうほどには。
だけど、私にとっての一日なんて限られた時間と、光景と、存在で構成されているから。代わり映えのしない神社、同じルーチンワークでしか動けない私、そしていつの間にかそこに居るアリス、多分私を構成しているのはそれぐらいなんだろう。アリスが組み込まれている事には不本意さを感じるけどそれが事実なのだ、不本意だが。
本当に、あいつは思い返せばいつだって私の傍に居るのだ。どんな些細な思い出にも、どんなすぐ忘れてしそうな記憶の中にもあいつは居る、若干嫌になる程頻繁に登場するアリスだが本人は超がつくほど消極的行動が多いのだから笑える。
だって買い物に行くのにも面倒くさがって人形を寄越すぐらいだし、料理洗濯問わず家事全般も面倒くさそうに人形に任せているのだから羨ましい、そこまで調教する方が大変そうだが本人曰く「楽をするための苦労なら大丈夫」だそうで、面倒くさい奴だと思う。
唯一行動力を見せるのは私関係か、この間みたいに突発的に神社に来るし、異変の際には真っ先に駆けつけてくるのが自称幻想郷最速の魔理沙じゃなくてあいつだ。いや、駆けつけるというよりは何かあった瞬間にもう居るのがアリスだ、どうなってる。
「……っと、そろそろ掃除でもしようかしら」
このまま考えていたらきりがなさそうな気がする、掃除でも始めるとしようか。敷地が広いといい感じに潰れるから時間の使い道に悩まなくていいと思う、魔理沙は本当に、心底嫌な顔をしていたが。
◆
「あ」
「ん?」
「霊夢さん!」
階段を掃除していたら案の定と言うか、アリスが来た。予想外なのは隣に緑色の巫女――まあ本人曰く風祝だが、とにかく早苗がアリスの隣でこちらに向けてぶんぶんと手を振っている事だろうか、相変わらず元気のいい奴だと思う。
私の姿を確認した途端にだかだかと近寄ってくる早苗、アリスはと言えばそんな早苗を全く見ていない様にどこを見ているのかさっぱり分からないけだるげな眼でゆっくりと近寄ってきた、手には良い匂いのするバスケットを持っている事が少し近寄っただけで分かる。
「こんにちは」
「はいはい、早苗ってアリスと知り合いだったのね」
「偶然よ」
「アリスさんとはここに来る道で合流しました」
最初は知り合いかと思ったがそうか、違うのか。遠回しな否定をするアリスはやっぱり読めない表情をしている。こいつは友人とか居なさそうだからな、ああいうのをなんて言うんだっけ、ぼっち?
ぼっちのアリス、否定できない。
しかしまあ、そうなると面倒だ。アリスが来たことじゃない、早苗が来たことでもない。アリスが、誰とも付き合いのないこいつが誰かと一緒に私の所に来たのが面倒なのだ、それも相当に。
「そう言えば、アリスさんはどんな用事で霊夢さんの所に?」
「さあ、上納金を収めに?」
ひくっと早苗の表情筋が引き攣ったのを生憎私は見逃すことが出来なかった、どうやら冗談か否かを見極めかねているらしい。いや、そこは冗談だと気付けよとか言いそうになるが確かに博麗の巫女の恐れられようを見る限り冗談と思いきれない部分があるのかもしれない。
巷では針巫女だの鬼巫女だの言われているのは知っている、ついでにその理由も知っている。強すぎるからとか容赦なさすぎるからとか可愛いからとか言われてるいがそんなの知るか、それが博麗の巫女の仕事だ。
三人で階段を登りながらふと横を見る、早苗はいつもの様に笑顔で、何がそんなに楽しいのか分からないがこちらに最近あった事等を一方的に話しかけてくる。それをはいはいと半分受け流しながらアリスの方を見るとまあ予想通りの無表情で素っ気ないアリスが居た。
案の定アリスは機嫌が悪いらしい、なぜだか大抵の人妖には気づかれないらしいがアリスのあの表情は間違いなく不機嫌な無表情だ。分かりやすいのになぜだか誰も気付かず平然と地雷を踏んでいく、丁度今勇猛果敢に「話しかけるな」オーラを出してるアリスに話しかけている早苗のように。
「アリスさん、そのバスケットの中に入ってるのはお菓子ですか?」
「ええ、気まぐれで」
「いいなぁ……ちょっと食べて良いですか?」
「ごめんなさいね、それはちょっと」
丁寧な、それでいて明確な拒絶の壁をなんとなく感じ取ったのか早苗はそれきりアリスの方を向かなかった、だからボッチって言われるのよあんたは。でもここで私が手を貸したら余計酷い事になるのは目に見えているのでやらない、知らんふりだ。
階段を登り切っても早苗のおしゃべりは続く、本当によく喋るしよくもまああれ程口が回るものだ、割かし口下手なので羨ましいと思っている。コミュニケーションの重要性はあまり感じた事はないが意思疎通が上手ければあの金髪ボッチ人形遣いとも何等か有用な事を聞き出せるかもしれない。
「そういえばアリスさんって、そのお菓子霊夢さんに渡すんじゃないんですか?」
「なんでそんな事しなきゃならないのよ」
相変わらず地雷を踏み抜いていく早苗は馬鹿なのか、それともこれが彼女の力なのか、奇跡なのかしら? ぼっちと話せる奇跡、うわぁ要らない。それならお金が振ってくる奇跡とかいいんじゃないかしら、多分ありえないけど。
ふとそんなアリスの方を見ると明らか様こちらを避けてるし、早苗より体7個分ぐらい後ろに居るし。そんなことやってるからぼっちとか言われるのよ、主に萃香が。ふと「あいつ絶対友達居ないよな」とか酷い事言ってたのを思い出す、もしかしなくても嫌いなんだろうか。
ともかくこれではいけない気がする、もう手遅れだと思うけど何か私が手を差し伸べてやらねばならない気がする、多分もう手遅れだけど。個々は博麗の巫女として一肌脱いでやろう、何様博麗霊夢様だ。
「アリス、そんなところに居ないでこっちに来たらどうなのよ」
「なんであんたの近くに行かなきゃならないのよ」
駄目だった、手遅れを通り越していた。私達の距離感はプラスゼロどころかマイナスだ、更にじりじりと距離感を置いたアリスを見た早苗がこっそりとこちらに視線を送る、言うな、言いたい事は分かるが言うな。
「アリスさんって、霊夢さんと仲悪いんですか?」
「さあね」
「でも、あんなに警戒されてますし……何やったんですか霊夢さん」
知るか、早苗は何でこっちが何かやった前提で考えてるんだ。そりゃ里では品行方正で通ってるし誰の目からも完璧な性格のアリスと鬼巫女針巫女だの呼ばれてる私と比べればどっちがやったかなんて聞くまでも無いんだろうけど、それにしてもひどい。
いつもの事だから気にしないで――そう早苗に弁明しようとしたが、やめる。なんでかってそう言ってしまえば更に面倒くさい事になるのは火を見るよりも明らかで、その方が私にとっては避けるべき事態だからだ。
私とアリスは一方的に警戒される仲、そう勝手に理解された方が面倒は少ないのだ、多分。私の勘がそう言っているから間違いないだろう、それに経験上アリスに関わるとまあ間違いなく事態が余計に複雑怪奇で面倒くさくなる。
「ま、アリスは何考えてるか分からないから」
「それもそうですよね」
「あんたって平然と酷い事言うわよね」
「大丈夫ですよ、こっそり言ってますから」
早苗は知らないのだろう、アリスの耳が驚くほど鋭敏な事を。こちらがどれだけ小さくぼそりと呟いた事でも平然とした顔で全部聞いている事を、どれぐらい鋭いかって私が一人で「そう言えば羊羹が食べたいわ」とか言ったら次の日には何食わぬ顔をして持ってきたし。
いや言ったけど、言ったけど記憶の限りではそこにアリス居なかったし。でも店で買ってくるんじゃなくて自分で作ってくるから本当に面倒くさい奴だと思う、当然美味しかったから残さず頂いた。ともかくアリスはそれほど耳が良い、現に相当不機嫌な目で早苗を見ている。
このままではまずい、早いところ早苗を帰さないとまた面倒な事になる。具体的には早苗を帰してアリスの機嫌を取らないとだが。
「早苗、あんたの用事は」
「へっ? あ……すみません、忘れました」
忘れた、忘れていたではなく忘れた。それは神奈子からの言伝だと「うっかりしてました」とばかりに頭をこつんとやった早苗は言った。それでいいのか軍神、恐らくだがいいんだろう、あいつらは娘に対して過保護すぎる。
それならさっさと帰れとばかりに手を振ると若干ショックを受けたように「霊夢さんに嫌われました!」とかおどけて言うがそれが本心でないことぐらいはっきりと分かる、こいつが一番の蛇なんじゃなかろうかと薄々勘がそう囁き始めたが、頭をぶんぶんと振って空へと消えていく早苗を眺めていた。
さて、今度はアリスの相手をしなければならないので本当に面倒くさい。早苗とどちらが面倒くさいかと言えばアリスの方が格段に面倒くさい、比べるまでも無くだ。しかし先程までアリスが居た神社の隅にその姿は無く、ではどこに居るのかと言えばしっかりと私の隣に立っていた。
「お菓子、霊夢に持ってきたわよ」
「……アリスってさ、色々露骨よね」
「なにそれ」
早苗が居なくなった途端これである。先程までの不機嫌さはどこに行ったと言いたくなるような満面の笑顔を無表情で浮かべながらいい匂いのするバスケットをずいとこちらに押し付けてくる、持つと程よい重さが腕に伝わってきた。
いや、美味しいのだろう、アリスの腕前は十分知っているのだから。だが先程までまるで「これはあなたに向けて持ってきたんじゃない」と言っていたのを得意げに渡してくるのはどうなのだろうと思う。
アリス・マーガトロイドは二つの顔を持っている。
私と二人きりの時と、それ以外の時。時々人里で人形劇をやったりしてるけどどこか掴めなくて、そんな完璧で冷静沈着だと思われているアリス・マーガトロイド。そしてどこからどう見ても生まれた時に頭のねじがおかしくなってしまったらしいアリス・マーガトロイド、その差はいつ見ても驚く。
今現在その本人は私に頭を差し出している、いや頭蓋骨を渡しているとかじゃなくて前かがみになっているだけなのだが。それはつまり「撫でろ」と言っているのだ、お前は猫か、主人に命令する猫が居るかと文句を垂れたくなるが反射と言うのは恐ろしいものでそうされたら素直に撫でてやるのが最早私の脊髄に記憶されてしまっているらしい。
こうされたら最早私には撫でる以外の選択肢は無く、わしゃわしゃと柔らかな草原に手を埋めてしまう自分が嫌になりながらもふわふわとした感触を堪能するしか出来ないのだ。
しかしこいつの頭を撫でるのは本当に気持ちが良い。畜生アリスめ、畜生アリスめと思いながら思わず顔を埋めて匂いを嗅ぎたくなるのを理性で押さえる。ちなみに彼女の使っているシャンプーも皆ハンドメイドらしい、恐るべき多才さ、無駄に多才と言うべきか。
バスケットからも良い匂いがするし、もうなんだかどうでもよくなってきた。だがこのままだと癪なので取り敢えずお菓子は全部食べてやる、アリスになんか渡すものか。本当にもふもふ、なんで私の髪はこんなんじゃないんだろう。こいつは「霊夢の髪が一番好きよ」と言ってるけどそんなのは聞いていない。私はこの髪が羨ましいのだ、どうにもこいつは私が欲しい物ばかりを持っている気がしてそれが憎たらしい、もふもふして恨みを晴らす事にする。
「ねえ霊夢」
「なによ」
「気持ちいいわ、それ」
嫌がらせしてるのに心底嬉しそうな顔をするこいつは、きっと頭のねじが緩んでいるんだ。
「良い天気ね、霊夢」
無表情で、無感動的な仮面。それは素顔なのかもしれないし、やっぱり仮面なのかもしれない、もしかしたらそのどれでもないのかもしれない。どの道私の前に居るアリスは二つの顔を持っている。
◆
起きた時には、すでにアリスは姿を消していた。静謐な朝と同時に起きた私の布団には一人しか入っていないし、この小さな空間は元々一人しか許容できない。私が一人でいる事は決して偶然ではない、このまま朝を一人で過ごすことになるのは必然的な事。
だけど、私は布団の片隅に寄ったまま眠っていたし、私の背後にぽっかりと空いた空間には先ほどまで誰かが入っていた、その空間を誰かが埋めていた事を何よりも雄弁に語っていた。暖かさは無い、アリスには人ほどの体温は無いし寧ろそれを奪う側なのだ、これが恨めしいから私はいつだって彼女を布団に入れたくない。
だけども押しが弱い私はいつだって彼女の頼みを断ることは出来ないし、その結果として布団の体温は奪われていくし、それと引き換えに私は本日のおやつと話し相手を得ることになるのだ。別にそんな事をしなくてもアリスは相変わらず来るし、その際にはきちんとお土産も持ってくるのだが。
アリスの居た空間を撫でると、僅かにそこだけがひやりとしている気がした。暖かい空気の充満した布団の中だからこそわかるその感覚、気のせいかもしれないしそうでないかもしれない、どちらにせよその空間にはアリスが居た。
「しっかし、相変わらず早いわね……あいつ」
いつもの事だ、私はいつだって太陽とほぼ同時に起きる。障子の外から太陽が昇っていくのを見て、完全に上るのと同時に行動を開始する。ルーチンワークの様なそれは私にとっては今日を始める為に必要な儀式であって、欠かす事のない一日の始まりだから。
魔理沙や早苗曰く「お前は早い」らしい。咲夜は知らん、あいつがいつ寝ているかなんて誰も知らない。妖夢は主人よりも早く寝て早く起きるらしいが幽々子が如何せん普通の生活を送っているので本人も別に支障なく業務を送っている様だ。
それでもアリスは早い、私が起きた時にはもうどこにも居ないのだから。いつ起きたか、どんな顔をして起きるのかは見た事が無い。ただ魔女というのは睡眠をとらなくても平気らしいので問題はないのだろう。
しかしそうなるとなぜ私の元にくるのだろうか、お前は寝なくても大丈夫だろうとか言うとまたごり押してきそうだから言わないが。どうも彼女の泣き落としには弱い気がする、それとも私はああいった事に弱いのだろうか、今のところはアリスのしか見た事が無い。
段々と太陽が地平線から顔を出し、光が部屋に入ってくる。次第に思考に張り付いた霜が温め溶かされると同時に体の自由が利く様になる。大きく伸びをすれば天井は遠く、天はもっと遠くにある、まだあの生意気暴虐天人は寝ているに違いない、良い暮らししやがって。
今度会ったら理由なくぼこぼこにしておこうと誓い、勢いよく立ち上がる。うんと大きく伸びをすれば凍り付いていた体中からべきべきと音が鳴る様で、それが聞こえなくなるぐらいまで伸びた後には体が自由に動く様になっていた。
この感覚は好きだ、段々と現世に精神が戻っていく感覚……って言ったらおかしいかな、とにかく気持ちが良い、上手く鳴らせたときなんて多分その日一日は良い事があるんじゃないかなんて思ってしまうほどには。
だけど、私にとっての一日なんて限られた時間と、光景と、存在で構成されているから。代わり映えのしない神社、同じルーチンワークでしか動けない私、そしていつの間にかそこに居るアリス、多分私を構成しているのはそれぐらいなんだろう。アリスが組み込まれている事には不本意さを感じるけどそれが事実なのだ、不本意だが。
本当に、あいつは思い返せばいつだって私の傍に居るのだ。どんな些細な思い出にも、どんなすぐ忘れてしそうな記憶の中にもあいつは居る、若干嫌になる程頻繁に登場するアリスだが本人は超がつくほど消極的行動が多いのだから笑える。
だって買い物に行くのにも面倒くさがって人形を寄越すぐらいだし、料理洗濯問わず家事全般も面倒くさそうに人形に任せているのだから羨ましい、そこまで調教する方が大変そうだが本人曰く「楽をするための苦労なら大丈夫」だそうで、面倒くさい奴だと思う。
唯一行動力を見せるのは私関係か、この間みたいに突発的に神社に来るし、異変の際には真っ先に駆けつけてくるのが自称幻想郷最速の魔理沙じゃなくてあいつだ。いや、駆けつけるというよりは何かあった瞬間にもう居るのがアリスだ、どうなってる。
「……っと、そろそろ掃除でもしようかしら」
このまま考えていたらきりがなさそうな気がする、掃除でも始めるとしようか。敷地が広いといい感じに潰れるから時間の使い道に悩まなくていいと思う、魔理沙は本当に、心底嫌な顔をしていたが。
◆
「あ」
「ん?」
「霊夢さん!」
階段を掃除していたら案の定と言うか、アリスが来た。予想外なのは隣に緑色の巫女――まあ本人曰く風祝だが、とにかく早苗がアリスの隣でこちらに向けてぶんぶんと手を振っている事だろうか、相変わらず元気のいい奴だと思う。
私の姿を確認した途端にだかだかと近寄ってくる早苗、アリスはと言えばそんな早苗を全く見ていない様にどこを見ているのかさっぱり分からないけだるげな眼でゆっくりと近寄ってきた、手には良い匂いのするバスケットを持っている事が少し近寄っただけで分かる。
「こんにちは」
「はいはい、早苗ってアリスと知り合いだったのね」
「偶然よ」
「アリスさんとはここに来る道で合流しました」
最初は知り合いかと思ったがそうか、違うのか。遠回しな否定をするアリスはやっぱり読めない表情をしている。こいつは友人とか居なさそうだからな、ああいうのをなんて言うんだっけ、ぼっち?
ぼっちのアリス、否定できない。
しかしまあ、そうなると面倒だ。アリスが来たことじゃない、早苗が来たことでもない。アリスが、誰とも付き合いのないこいつが誰かと一緒に私の所に来たのが面倒なのだ、それも相当に。
「そう言えば、アリスさんはどんな用事で霊夢さんの所に?」
「さあ、上納金を収めに?」
ひくっと早苗の表情筋が引き攣ったのを生憎私は見逃すことが出来なかった、どうやら冗談か否かを見極めかねているらしい。いや、そこは冗談だと気付けよとか言いそうになるが確かに博麗の巫女の恐れられようを見る限り冗談と思いきれない部分があるのかもしれない。
巷では針巫女だの鬼巫女だの言われているのは知っている、ついでにその理由も知っている。強すぎるからとか容赦なさすぎるからとか可愛いからとか言われてるいがそんなの知るか、それが博麗の巫女の仕事だ。
三人で階段を登りながらふと横を見る、早苗はいつもの様に笑顔で、何がそんなに楽しいのか分からないがこちらに最近あった事等を一方的に話しかけてくる。それをはいはいと半分受け流しながらアリスの方を見るとまあ予想通りの無表情で素っ気ないアリスが居た。
案の定アリスは機嫌が悪いらしい、なぜだか大抵の人妖には気づかれないらしいがアリスのあの表情は間違いなく不機嫌な無表情だ。分かりやすいのになぜだか誰も気付かず平然と地雷を踏んでいく、丁度今勇猛果敢に「話しかけるな」オーラを出してるアリスに話しかけている早苗のように。
「アリスさん、そのバスケットの中に入ってるのはお菓子ですか?」
「ええ、気まぐれで」
「いいなぁ……ちょっと食べて良いですか?」
「ごめんなさいね、それはちょっと」
丁寧な、それでいて明確な拒絶の壁をなんとなく感じ取ったのか早苗はそれきりアリスの方を向かなかった、だからボッチって言われるのよあんたは。でもここで私が手を貸したら余計酷い事になるのは目に見えているのでやらない、知らんふりだ。
階段を登り切っても早苗のおしゃべりは続く、本当によく喋るしよくもまああれ程口が回るものだ、割かし口下手なので羨ましいと思っている。コミュニケーションの重要性はあまり感じた事はないが意思疎通が上手ければあの金髪ボッチ人形遣いとも何等か有用な事を聞き出せるかもしれない。
「そういえばアリスさんって、そのお菓子霊夢さんに渡すんじゃないんですか?」
「なんでそんな事しなきゃならないのよ」
相変わらず地雷を踏み抜いていく早苗は馬鹿なのか、それともこれが彼女の力なのか、奇跡なのかしら? ぼっちと話せる奇跡、うわぁ要らない。それならお金が振ってくる奇跡とかいいんじゃないかしら、多分ありえないけど。
ふとそんなアリスの方を見ると明らか様こちらを避けてるし、早苗より体7個分ぐらい後ろに居るし。そんなことやってるからぼっちとか言われるのよ、主に萃香が。ふと「あいつ絶対友達居ないよな」とか酷い事言ってたのを思い出す、もしかしなくても嫌いなんだろうか。
ともかくこれではいけない気がする、もう手遅れだと思うけど何か私が手を差し伸べてやらねばならない気がする、多分もう手遅れだけど。個々は博麗の巫女として一肌脱いでやろう、何様博麗霊夢様だ。
「アリス、そんなところに居ないでこっちに来たらどうなのよ」
「なんであんたの近くに行かなきゃならないのよ」
駄目だった、手遅れを通り越していた。私達の距離感はプラスゼロどころかマイナスだ、更にじりじりと距離感を置いたアリスを見た早苗がこっそりとこちらに視線を送る、言うな、言いたい事は分かるが言うな。
「アリスさんって、霊夢さんと仲悪いんですか?」
「さあね」
「でも、あんなに警戒されてますし……何やったんですか霊夢さん」
知るか、早苗は何でこっちが何かやった前提で考えてるんだ。そりゃ里では品行方正で通ってるし誰の目からも完璧な性格のアリスと鬼巫女針巫女だの呼ばれてる私と比べればどっちがやったかなんて聞くまでも無いんだろうけど、それにしてもひどい。
いつもの事だから気にしないで――そう早苗に弁明しようとしたが、やめる。なんでかってそう言ってしまえば更に面倒くさい事になるのは火を見るよりも明らかで、その方が私にとっては避けるべき事態だからだ。
私とアリスは一方的に警戒される仲、そう勝手に理解された方が面倒は少ないのだ、多分。私の勘がそう言っているから間違いないだろう、それに経験上アリスに関わるとまあ間違いなく事態が余計に複雑怪奇で面倒くさくなる。
「ま、アリスは何考えてるか分からないから」
「それもそうですよね」
「あんたって平然と酷い事言うわよね」
「大丈夫ですよ、こっそり言ってますから」
早苗は知らないのだろう、アリスの耳が驚くほど鋭敏な事を。こちらがどれだけ小さくぼそりと呟いた事でも平然とした顔で全部聞いている事を、どれぐらい鋭いかって私が一人で「そう言えば羊羹が食べたいわ」とか言ったら次の日には何食わぬ顔をして持ってきたし。
いや言ったけど、言ったけど記憶の限りではそこにアリス居なかったし。でも店で買ってくるんじゃなくて自分で作ってくるから本当に面倒くさい奴だと思う、当然美味しかったから残さず頂いた。ともかくアリスはそれほど耳が良い、現に相当不機嫌な目で早苗を見ている。
このままではまずい、早いところ早苗を帰さないとまた面倒な事になる。具体的には早苗を帰してアリスの機嫌を取らないとだが。
「早苗、あんたの用事は」
「へっ? あ……すみません、忘れました」
忘れた、忘れていたではなく忘れた。それは神奈子からの言伝だと「うっかりしてました」とばかりに頭をこつんとやった早苗は言った。それでいいのか軍神、恐らくだがいいんだろう、あいつらは娘に対して過保護すぎる。
それならさっさと帰れとばかりに手を振ると若干ショックを受けたように「霊夢さんに嫌われました!」とかおどけて言うがそれが本心でないことぐらいはっきりと分かる、こいつが一番の蛇なんじゃなかろうかと薄々勘がそう囁き始めたが、頭をぶんぶんと振って空へと消えていく早苗を眺めていた。
さて、今度はアリスの相手をしなければならないので本当に面倒くさい。早苗とどちらが面倒くさいかと言えばアリスの方が格段に面倒くさい、比べるまでも無くだ。しかし先程までアリスが居た神社の隅にその姿は無く、ではどこに居るのかと言えばしっかりと私の隣に立っていた。
「お菓子、霊夢に持ってきたわよ」
「……アリスってさ、色々露骨よね」
「なにそれ」
早苗が居なくなった途端これである。先程までの不機嫌さはどこに行ったと言いたくなるような満面の笑顔を無表情で浮かべながらいい匂いのするバスケットをずいとこちらに押し付けてくる、持つと程よい重さが腕に伝わってきた。
いや、美味しいのだろう、アリスの腕前は十分知っているのだから。だが先程までまるで「これはあなたに向けて持ってきたんじゃない」と言っていたのを得意げに渡してくるのはどうなのだろうと思う。
アリス・マーガトロイドは二つの顔を持っている。
私と二人きりの時と、それ以外の時。時々人里で人形劇をやったりしてるけどどこか掴めなくて、そんな完璧で冷静沈着だと思われているアリス・マーガトロイド。そしてどこからどう見ても生まれた時に頭のねじがおかしくなってしまったらしいアリス・マーガトロイド、その差はいつ見ても驚く。
今現在その本人は私に頭を差し出している、いや頭蓋骨を渡しているとかじゃなくて前かがみになっているだけなのだが。それはつまり「撫でろ」と言っているのだ、お前は猫か、主人に命令する猫が居るかと文句を垂れたくなるが反射と言うのは恐ろしいものでそうされたら素直に撫でてやるのが最早私の脊髄に記憶されてしまっているらしい。
こうされたら最早私には撫でる以外の選択肢は無く、わしゃわしゃと柔らかな草原に手を埋めてしまう自分が嫌になりながらもふわふわとした感触を堪能するしか出来ないのだ。
しかしこいつの頭を撫でるのは本当に気持ちが良い。畜生アリスめ、畜生アリスめと思いながら思わず顔を埋めて匂いを嗅ぎたくなるのを理性で押さえる。ちなみに彼女の使っているシャンプーも皆ハンドメイドらしい、恐るべき多才さ、無駄に多才と言うべきか。
バスケットからも良い匂いがするし、もうなんだかどうでもよくなってきた。だがこのままだと癪なので取り敢えずお菓子は全部食べてやる、アリスになんか渡すものか。本当にもふもふ、なんで私の髪はこんなんじゃないんだろう。こいつは「霊夢の髪が一番好きよ」と言ってるけどそんなのは聞いていない。私はこの髪が羨ましいのだ、どうにもこいつは私が欲しい物ばかりを持っている気がしてそれが憎たらしい、もふもふして恨みを晴らす事にする。
「ねえ霊夢」
「なによ」
「気持ちいいわ、それ」
嫌がらせしてるのに心底嬉しそうな顔をするこいつは、きっと頭のねじが緩んでいるんだ。
世間体と気恥ずかしさってものがありますからね。しかしアリスはツンデレが似合います。
ごちそうさまでした
あからさまな態度ですきすき言ってくるアリスさん可愛いです
誤字? 真ん中辺り「可愛いからとか言われてるいがそんなの知るか~」
勘違いでしたら申し訳ないです