Coolier - 新生・東方創想話

幽香と東方緋想天

2008/07/25 21:14:40
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相変わらず、太陽は地上を見守り続けていた。











じりじりと、肌を刺す強烈な夏の日差し。

植物にとって日差しはなくてはならないものだが、

ありすぎるのもまた、困りものだった。

日傘を片手に、如雨露でささやかな雨を降らす。

それでも、この広大な向日葵畑にはすずめの涙。

雨が降らないことには、この立派な向日葵畑もすぐに夏バテしてしまうだろう。

日傘をわずかに傾けて天を睨むと、

陰険な太陽は目を刺すような日差しで返してくれた。

「ふぅ、困ったわね。」

口調とは裏腹に、それほど困ってなさそうな顔で、

この向日葵畑の主、風見 幽香は嘆息した。

ここのところ『太陽が出っぱなし』なのだ。

雨どころか曇りすらなく、

延々とカンカン照りが続いている。

明らかに、この天候は異常だった。

博麗の巫女風に言えば、異変。

きっとどこかで異変が起きているに違いなかった。

普段ならば、幽香は異変が起ころうが気にしない。

ほうっておいても巫女が解決するだろうし、

直接的な被害がこちらに及ぶこともなかった。

しかし、今度はどうだ。

現に目の前で、私の向日葵畑は力なく頭を垂れている。

もう太陽なんか見飽きた、と訴えているかのよう。

同意だ。私も太陽なんか見飽きた。

ところが、待てども待てども太陽は執拗なまでに出張り続け、

ちくちくと、私や向日葵達を刺し続けるのだ。

「おまけに、足元からなんか漏れてるし。」

緋色の煙のようなものが、幽香の足元から漏れ出している。

妖気、とは少し違うようだが。

それが空に向かってゆらゆら上がっていっている。

この奇妙な現象も、どうにもこの異常気象と無関係とは思えない。

これは少し、巫女の尻を叩いてやる必要がありそうか。

幽香はお気に入りの日傘をクルクル回しながら、向日葵畑を飛び立った。



                     * * *



ほどなくして、幽香は博麗神社に到着した。

・・・いや、言い直そう。

博麗神社『跡地』に到着した、と。

まるで局地的大地震にでもあったかのように、

見事なまでに倒壊した神社の社の隙間。

日差しを避けるように、わずかな屋根の下、博麗 霊夢は寝そべっていた。

寝そべっていたというか、不貞寝していた。

霊夢は来客を一瞥すると、これでもかというほど嫌そうに顔をしかめた。

そんな霊夢のあんまりな歓迎にも、幽香はやわらかく微笑んで応える。

「あら、リフォーム? 素敵ね。」

「蹴っ飛ばすわよ。」

会心の嫌味だった。

霊夢はもう、限界をさらに二・三歩踏み越えたくらいのしかめっ面で、

「美しく残酷にこの神社から住ね!」

と吐き捨てる。

それに幽香はさらに嬉しそうに微笑み、

「神社って、どれのこと? 見えないわ。」

「がーッ! もうこいつマジぶっとばしてぇぇぇえええ!!!」

「もうちょっとここをこうして・・・。

 ほら、オープンテラス。」

―ぐしゃぁ...

「もうホント殴らせてお願いします!!

 土下座しますから一発殴らせてください!!」

数少ない、日よけ雨避けの役目をしていた屋根が崩れて、

神社跡は残り少ない住居の役割をさらに縮めた。

真剣に土下座体勢に入ろうとする霊夢を見て、幽香は満足げに頷く。

直後、何事もなかったかのように霊夢は姿勢を正し、

「で、満足した?」

「した。」

幽香も笑みを引っ込めて応える。

それはなにより、と霊夢は肩をすくめた。

「で、霊夢。気付いてるんでしょう?」

「この天候のこと? それとも地震のこと? もしくは緋色の雲のこと?」

「全部よ。」

幽香は呆れた様子で、半眼で霊夢を見据えた。

といっても幽香自身、出発時に気付いていたのは天候のことだけで、

緋色の雲はここに向かう途中に、そして地震はここに着いてから気付いたのだが。

ともかく、これはどう見ても異変だった。

そして同じ考えに、霊夢も行き着いているはずなのだ。

それに気付いているならなぜ動かないのか、と幽香は責めるような視線を向ける。

霊夢は口をへの字に曲げて、拗ねたように答えた。

「やる気でない。」

「呆れた。」

「あんたもご自慢の向日葵畑が地震でめちゃくちゃにされたら、

 きっと同じ考えに行き着くわよ。」

幽香は口を噤んだ。

その可能性はある。

この博麗神社をあっさり倒壊させるほどの大地震が向日葵畑を襲えば、

きっと彼女の大事な大事な向日葵畑は台無しになってしまうだろう。

それはもう、見るも無残に。めちゃくちゃに。

それだけは、許せない。

許せないのはなにに対して?

決まっている。

この異変を起こした主犯に対してだ。

神社を倒壊させるほどの大地震が発生したにも関わらず、

周囲一帯はまったくといっていいほど影響を受けていない。

いや、地震が起こったことにすら気付かない。

明らかに、これは人為的に起こされた現象だ。

犯人が必ずいる。

そしてその犯人が、



きっとおそらく、私の向日葵達を苦しめているのだ。



幽香の表情が変わった。

怒りを露にした冷たい美貌から、

悪魔のように凄絶な笑みに。

その変貌に、霊夢ですら息を呑んだ。

「くっくっく、上等じゃない。

 人様に迷惑をかける悪い子には、きついおしおきが必要ね。」

お気に入りの日傘を、まるで剣で露払いをするかのように振るい、

幽香は境内の出口へと振り返った。

「で、どこに向かうつもり?」

「天候と地震と緋色の雲がすべて一つの異変なら、緋色の雲を目指せばいいでしょう?」

日差しを避けるように手をかざし、幽香は彼方の空を見上げた。

緋色の雲。

それは、妖怪の山の方角に浮いている。

ならば行き先は妖怪の山だろう。

ばさりと日傘を広げると、幽香は再び空を舞った。

それを霊夢は、対して興味もなさそうな半眼で見送る。

今度の相手は天候を捻じ曲げ、大地を揺るがすほどの力を持った何者か。

しかし霊夢は、ちっとも心配していなかった。

そう、



自分勝手に地震を起こして、人の神社を崩壊させた輩に心配してやる義理など、霊夢にはない。



                     * * *



数分後、博麗神社に別の来客が訪れた。

「よう、霊夢。相変わらずのスウィートホームだな。」

「殴らせろ。」

拳を握り締める霊夢を、霧雨 魔理沙は「どうどう。」と言って諌める。

ふんっ、と霊夢は拗ねたように鼻を鳴らし、

―さらさら

霧雨が降り始めた。

以前魔理沙が神社にやってきた時もそうだった。

いままでの日照りが嘘のように、緩やかな雨が境内を満たす。

真っ黒な蝙蝠傘を片手に、魔理沙は境内の石畳を眺める。

「乾いてるな。さっきまで晴れてたのか。」

「ええ、カンカン照りだったわ。」

「やれやれ、ついてないな。この雨雲、私について周ってるんじゃないだろうな。」

憎々しげに空を見上げる魔理沙。

それは、きっとおそらく正解だ。

魔理沙の周辺では雨が降り、霊夢の周辺では日照りが続く。

おそらくは、魔理沙の足元から漏れ出している、

緋色の霊気のようなものが関係しているのだろうが。

勘はYesと言っているが、根拠はない。

なら別に、言わなくてもいいだろう。

どうせ、もうじき解決するだろうから。

と、霊夢は先ほど発射された弾道ミサイルを思い出して、

(そういえば、天気・・・。)

心に引っかかるものを感じた。

幽香の足元からも、同じように緋色の気が漏れていた。

ならば、このように天候に影響を与えるはずなのだが。

いや、ひょっとして。

幽香も私と同じように、周囲を晴れさせてしまうということだろうか。

それならば、たしかに天気が変わらなかったのも納得はできるが。

「なあ、霊夢。考え事してるところ悪いんだが。」

難しい顔をしている霊夢に、魔理沙は遠慮がちに声を掛ける。

「傘、貸そうか?」

「・・・うん。」

大人しく魔理沙の差す傘に一緒に入ると、すっかり濡れてしまった髪を絞り、

霊夢は先ほどできたばかりの『おーぷんてらす』を憎々しげに睨み付けるのだった。



                     * * *



妖怪の山。

天狗や河童など、古来より住まう歴史の長い妖怪たちが住まい、

己のテリトリーとして、あらゆる侵入者を拒んできた自然の要塞。

幻想郷の中でも最強と謳われるほどの種族である天狗が守護する、絶対不可侵の聖域。

いかなる人妖とて、その地を踏みしめることは容易ではない。

そこを、なんの気負いもないハイキング気分で登る人影。

もちろん風見 幽香である。

一向に引っ込む気配のない太陽のおかげで、

お気に入りの日傘はかつてないほどに存分に活躍していた。

「・・・あら?」

幽香は日傘をわずかに傾けると、前方の空を注視した。

なにかが、物凄い勢いでこちらに突っ込んでくる。

空に打たれた黒い一点だったそれは、

瞬く間に大きさを増して接近してきている。

幽香はゆったりとした動作で日傘を閉じると、

それを突っ込んでくる何者かにまっすぐ向けて、

「って、危なァ!?」

突っ込んできた何者かは、日傘の先っちょに突き刺さる前に、

きりもみしながら地面に転がった。

ギリギリセーフ。

むくりと体を起こすと、ぱんぱんと軽く服をはたいて埃を落とし、

不平を訴えるように口を尖らせた。

「危ないじゃないですか。刺さったらどうするんです。」

「私にぶつかるような軌道じゃなければ刺さらなかったわ。」

悪びれもなく肩をすくめる幽香。

当然だ。

全面的にこいつが悪い。

「じゃあ、おあいこですね。」

一人納得したように、鴉天狗の射命丸 文はうんうん頷いた。

おあいこ、・・・か?

どう考えても、人のことを轢くために突っ込んできたこの天狗のほうが悪いだろうに。

その剣呑な視線から主張を読み取ったのか、

文は「とんでもない。」とぶんぶん手を振って否定した。



「不法侵入者は轢かれて然るべきです。」



すっ、と場の温度が下がる。

文の表情から、ふざけた雰囲気がすっぱりと消え失せていた。

「で、なんの用ですか?

 たいした用でもないのなら、このままお引き取り願いたいところですね。

 あなたからは厄介ごとの匂いしかしませんから。」

警戒、というよりもはっきりと拒絶の意思を顔に浮かべて、

文は幽香を睨め付ける。

文という人物が、これほどまでにはっきりと敵意を露にするのは珍しいことだった。

丁寧なのは口調だけだ。

いや、口調が丁寧だからこそ、より距離を遠くに保っているのか。

「上をご覧なさいな。緋色の雲が―――」

「たいした用ではないですね。お引き取りを。」

にべもない。

端から話を聞くつもりなど皆無。

幽香を山に侵入させるつもりなど、1ナノグラムもない。

ありありと浮かぶ敵意に、幽香は困り顔で眉を下げる。

「人の話は最後まで聞きなさいな。」

「あなたは人ではないでしょう。人でなしですね。」

「そこまで嫌わなくてもいいのに。悲しいわ。」

演技臭く、幽香は目じりを擦った。

文は口をへの字に曲げて、

「まったく、最近はただでさえ暴風雨続きで厄介だというのに・・・。」

「暴風雨?」

今度は演技でもなんでもなく、幽香が首を傾けた。

文は心外そうに目を見張る。

「ここ最近ずっとそうじゃないですか。

 ほら、現に今も―――」

―カラッ

と、効果音をつけても違和感がないほどに、突き抜けるような快晴だった。

「あややや。しばらくぶりのお天道様です。

 最後に拝んだのは、霊夢さんの倒壊した神社をネタにしに行ったときですね。」

「人が悪い。」

「あいにくと人ではないので。」

「人でなしね。」

それはどうも、と悪びれた様子もなく頷く文。

「しかしなるほど。妙な天気ですね。」

ぱらぱらと、文は自分のネタ帳を捲りだす。

「魔理沙さんに会ったときは雨風が緩み、

 咲夜さんに会いに行ったときは雨が止みました。

 霊夢さんに会ったときは雲ごと晴れて快晴。

 そして幽々子さんに会ったときは雪が降ってました。」

「ちょっと。真夏に雪とか、どう考えても異常でしょう?」

「春に雪が降ったことはあります。その延長かと。」

「春に雪が降ったのは異変だったでしょうが・・・。」

文はぱちくりと、せわしなく瞬き。

本気で気付いてなかったらしい。

「ではこれは異変だと?」

「まず間違いないでしょうね。霊夢の勘もそう言ってる。」

「なるほど。異変と考えて間違いなさそうですね。」

納得したように、うんうん頷く。

霊夢の勘は、不思議なほど説得力のある理由だった。

霊夢の勘は異常なほどよく当たる。

未来予知、と言ってもいいほどのレベルで。

未来とは、現実の事象が複雑に絡み合って紡がれるものである。

実のところ霊夢の勘とは、彼女の人並み外れた情報分析能力の産物でしかない。

現在の自分の周囲の状況を広く把握し、そこから勝手に思考が答えをはじき出してしまうのだ。

本人ですら無意識のため、本人はそれを勘だと言って疑わないが、

実際は恐ろしく高速で精密な情報分析の結果なのである。

異常なほど霊夢の勘が的中するのは、本当は不思議でもなんでもないのだった。

ともかく、『霊夢の勘』がそう告げているなら、それは絶対と言っていいほどのレベルで正しい。

「足元から漏れる緋色の気。そして、山に浮かぶ緋色の雲。」

「そうですね。それを考えれば、異変の中心点はこの山のてっぺんなんでしょう。

 で、それを解決しようと、幽香さんはこの山を登っていたんですね?」

「そういうこと。わかったらここを通してもらうわよ。」

文は朗らかな、人当たりのいい笑顔で大きく頷いて、



「お断りです。」



あっさりそれを跳ねつけた。

「情報提供ありがとうございました。もう結構ですよ、お帰りください。

 あとは我々、天狗が調査いたしますのでご心配なく。」

流石の幽香も、つまらなそうな半眼で文を睨む。

文は動じず、涼しげな顔のまま視線を受け流す。

「どうしても、納得してもらえないわけ?」

「どうしてもです。あなたがここを通ることは、未来永劫ありえません。」

「ちょっとくらい、いいじゃない。解決したらすぐ帰るわ。」

「駄目です。あなたはここを通すには、少々危険すぎます。」

文も情報収集のスペシャリストだ。

幽香の危険性は言われるまでもなく知っている。

だからこそ文は止めるのだ。

幽香は山に侵入させるには危険すぎる。

それに、文が勝てないほどの相手ではない。

そう、文は幽香を評価づけていた。

「残念だわ。」

幽香は本当に残念そうに肩をすくめる。

いや、本当に残念だった。

このまま文があっさり退いてくれていたら、



「あっさり退いてくれていたら、後ろから一発ブチ込んでやったのに。」



にぃ、と悪魔のような微笑を浮かべて。

そんな言葉にも、文に意に介した様子はなく。

「だと思いました。

 先ほどから殺気駄々漏れですもん。

 そこらの雑魚妖怪なら泡を食って逃げ出しますよ。」

「ご冗談。そこらの雑魚妖怪なら射竦められて動けなくなりますわ。」

それは、誇張表現ではないだろう。

幽香は尋常ではないほどの殺気を、抑える様子もなく垂れ流している。

殺る気マンマン、というわけか。

文は困り顔を浮かべて、額に手を当てた。

「やれやれ、仕方ないですね。

 親切な私が、懇切丁寧にアポイントメントの何たるかを教えて差し上げます。

 逃げることも耳を塞ぐこともできないよう、指一本動かせないようにしてからね。」

瞬間、文が持っていた扇を一閃した。

圧縮された空気弾が、目にも止まらぬスピードで幽香に肉薄する。

それに幽香は慌てた様子もなく、日傘を閉じると、それを刀を扱うかのように振り抜いた。

―パァン

空気弾があっさりと爆ぜる。

自分が放った空気弾をあっさりと叩き潰した幽香に、文は目をぱちくりさせて、

その後、拗ねたように口を尖らせた。

「せめてグレイズしてくれませんかね。」

それに幽香は、からかうような笑みで応える。

「あら、まさか私と弾幕ごっこがしたかったの?」

一瞬、意味を図りかねたように文は呆け、

すぐに、その間抜けな表情を鷹の様な鋭い笑みで塗り潰した。

「それもそうですね。」

そう。

これからやるのは、弾幕ごっこではない。

刹那、文の姿が霞み

―ミシィッ!!

次の瞬間には、文の放った蹴りが幽香の日傘に突き立っていた。

いや、逆だ。

文の神速の蹴りを、幽香が日傘で防いだのだ。

文の目が、意外そうに見開かれる。

「ありゃ? まさかいまの見えたんですか?

 50%くらい本気で蹴ったんですけど・・・。」

「見えるわよ、この程度なら。」

にやりと、余裕の笑みで幽香は返す。

「あやや、予想外です。これでもまだ見えます?」

―シュパッ

もはや音しか聞こえなかった。

文の振り抜く脚が、まったく見えない。

細身のカモシカのような脚が、無理矢理風を切り裂く音しか聞こえない。

その音は、もはや回し蹴りの音ではない。

流麗な日本刀を振り抜く居合いの音だ。

しかし幽香は、それすらも防いだ。

傘ではなく、左腕で。

長さがあり、小回りの利かない傘ではガードが間に合わない。

幽香の左腕に、文の回し蹴りが食い込んだ。

「ッ!?」

蹴りを受けた幽香が、体ごと宙に浮き上がる。

予想を遥かに越えた破壊力を持った蹴り。

当たり前だ。

文の持つ異名は、『幻想郷最速の足』。

ならば、その最速の足から放たれる蹴りも、

当然最速であり、また同時に、最強でもある。

並みの妖怪なら、今の回し蹴りだけで腕が粉砕されている。

それだけの蹴りを持つ文も流石なら、それを受ける幽香もまた、流石だ。

しかし、幽香の体は浮き上がった。

例え自由に空を飛べるとて、地に足がついている時ほど自由には動けない。

それに、踏ん張りもまったく利かない。

この体が浮き上がったほんの一瞬、幽香は完全に無防備だった。

そして文は、その一瞬があれば3発は蹴りを叩き込める。

即座に、逆側の回し蹴りが牙を剥いた。

横方向に跳ね上がった幽香に、逆側から挟み込む様な一撃。

初撃の蹴りで幽香の体に付いた慣性のせいで、さらに蹴りの破壊力は倍加される。

それが、無防備になった幽香の脇腹にもろに突き刺さった。

―ズドンッ!!

大砲をぶっ放したかのような重低音が轟き、大気が震えた。

まるで強固な城壁を破壊するために作られた、巨大な破城槌のような一撃。

その無骨なまでに実直な、ただの回し蹴りは、

彼女が弾幕ごっこで使ういなかるスペルカードよりも格段に破壊力があった。

いや、これは破壊力というよりも、殺傷力というべきだろう。

死んでもおかしくない。普通こんなのをもらえば確実に死に至る。

それほどまでの蹴り。

幽香はそれを、人体でも指折りに脆い脇腹にもろに喰らい、



それでもなお、悪魔のように嗤った。



「えっ? うそっ? まさか効いてな―――」

驚愕に満ちた文の言葉を最後まで聞かず、

よいしょ、と間の抜けた掛け声をかけつつ、

触れたままの文の脚を、抱え込むように腕で挟む。

「せーのっ。」

そのまま、アキレス腱固めようなの姿勢のまま、幽香は倒れこむように後ろに跳んだ。

やばい、折られるッ!?

とっさに、空いているほうの脚で幽香の顔面を蹴り砕かんと突き出す。

間一髪のところで、幽香は文の脚を離して距離を取った。

その一瞬のやり取りに、文は顎まで伝った冷や汗を拭った。

幽香はおどけた様子で訴える。

「ちょっと、顔はやめてよね。顔は女の命なんだから。」

「お互い様です。脚はジャーナリストの命なんですよ。」

それは知らなかったわ、と幽香は微笑んだ。

弱点見つけたり、というしたり顔で。

ああ、もう。本当にこいつは最悪だ。

性格が悪い上に、実力もあって、それ以上に性格が物凄く悪かった。

やはりこいつは、山に入れるべきではない。

仕方ないですね、と文は諦めたように嘆息する。

「80%で行きます。それなりにお覚悟を。」

「あら、まだ手加減してくれるのね。優しいわ。」

幽香は余裕を持った笑みで返し、

直後、戦慄に顔を強張らせた。

距離なんてものをまるで無視して、文が眼前に迫っていた。

見えない。

脚だけではない。

もはや体ごと、目で追いつける速度を完全に越えていた。

別に距離を無視してテレポートしたわけではない。

文が踏み込んだと思しき、異常に深く抉れた足あとが点々と残っている。

こいつは、ただ単純に、走って間合いを詰めただけなのだ。

ちっ、と小さく舌打ちして、幽香はとっさに顔面を庇った。

もはやどこに攻撃が飛んでくるかわからない。

これは、ただの勘だ。

直感だけで顔面をガードした。

その直感は的中する。

顔面に飛んできた文の蹴りは防ぐことができた。

顔面に向かって飛んできた蹴りだけは。

しかし文が放った蹴りは一発だけではなかったのだ。

眉間、喉、鳩尾を同時に狙った、神速の三段蹴り。

そのうちの、顔面を狙ってきた一発だけを防げたにすぎない。

残りの二発は、ガードも出来ずにもろに直撃した。

「がっ!?」

脇腹に蹴りを受けてもまったく平気だった幽香の口から、

初めて苦痛の混じったうめきが漏れる。

予想外の荒業を受け、幽香の体がよろめいた。

隙だらけ。

さらには、今の神業とも呼べるコンビネーションも、

文にとっては次の技に繋げるための、ただの繋ぎでしかなかった。

また文の姿が消えた。

そう幽香が認識した次の瞬間、

肩に、とん、となにかが乗った。

文だ。

幽香の両肩に両膝を乗せ、変則的な肩車のような姿勢で、

文は幽香の上に膝立ちのような姿勢で乗っていた。

きゅ、と文の両膝が幽香の頭を挟み込む。

この間、三段蹴りからまだ2秒と経過していない。

「ちなみにこの技、まともに受けると首が折れます。

 それなりに対処してくださいね。」

そう言って、文はにこりと笑うと、



可能な限りの勢いをつけて腰を捻った。



当然、頭を両膝で固定されている幽香の首は、

それにあわせて捻られるわけで。

それなりに対処って・・・、

(合わせて回らなきゃ折れるじゃない・・・ッ!!)

とっさに、幽香の足が地面を蹴った。

わずかに跳躍し、思いっきり勢いをつけて、

フィギュアスケートのごとく空中で横回転した。

横方向に全力で力を加えた両者が、空中で独楽のように高速で回転する。

折られるどころではなかった。

そのまま棒立ちしていたら、今頃首をねじ切られていただろう。

幽香の対応は、とっさとは思えないほどに的確だった。

しかしそれだけの反応を見せた幽香にも、

文はなんの感慨も浮かばない、冷え切った視線を向けるだけだった。

文が独自に開発した投げ技で、技名は特にない。つけるつもりもない。

文はこの技を滅多に使わない。

正直、文はこの技が嫌いだった。

使うのは、よほど強力な力を持った妖怪が、山に強引に侵入しようとしたときくらいだ。

この技を仕掛けられた妖怪の4割は、状況が理解できずに棒立ちのまま首を折られる。

さらに4割は、幽香と同じように文に合わせて回転するが、文の速度に追いつけず首を折られる。

そして残りの2割は、

高速で回転したまま地面に叩きつけられて、首を折られる。

これは、そういう技だった。

文が相手の頭を捕らえた時点で、完全に詰んでいるのだ。

幽香は優秀だった。

文の技にとっさに反応し、文の高速回転に追いつけるだけの身体能力もあった。

だから、この後勢いよく地面に衝突して首を折られる。

警告も威圧も通用せず、手加減して痛めつけることも出来ない、

半端に強い妖怪を処断するための技。

だから文は、この技が嫌いだった。

この技を使わなければいけないときは、

相手が救いようのない馬鹿で、

それに手加減してやれるほど、自分の力が及ばない時だけ。

地面が迫ってきた。

このまま幽香の体が地面に叩きつけられれば、それでお終い。

文の表情に、一瞬だけ憐憫のような色が混じり、



そして、幽香の体が高速回転したまま地面に叩きつけられた。



ずずん、とまるで巨人が膝を突いたような地響き。

天を突き上げるかのごとく、高い地柱が突き立った。

その地柱の中から、壁を突き破るように文が姿を現した。

黙祷を捧げるかのような静寂。

やがて、地柱が風に流されて晴れていき、

「いったぁーーーい!!」

そんな、緊張感のまったくない悲鳴が木霊した。

声の主は薄れゆく地柱の中でむくりと体を起こすと、

したたかに打ち付けた腰をさすった。

「もう、いまのは流石に死んだかと思ったわよ。」

頬を膨らませてぷりぷり怒りながら、幽香は何事のなかったかのように立ち上がった。

ダメージはまったくなし。

あったのなら、こんなに演技がかった悲鳴を上げている余裕もないだろう。

技が完璧に決まったのなら、幽香とて無事では済まなかったはずだ。

かつ、幽香には自力であの技を防ぎ切るする術がなかった。

それでも幽香が無傷で済んだのは、文がギリギリで技を解除したからである。

幽香を殺すことを躊躇って技を解除したのではない。

解除せざるを得なかったのだ。

あとゼロコンマ、技が解除されるのが遅れていたら、

おそらく幽香はこうして立ってはいないだろう。

だがそれと同時に、

文の左目も潰れていた。

「地面に叩きつけられて、今まさに首が折られるとかいうタイミングで、

 まさか受身もせずに、私の目に傘の先端を突きこもうとするなんて。

 あなた頭おかしいんじゃないですか?」

文の責めるような口調は、動転しきった心の裏返しだ。

こいつはとんでもない化物だ。

次の瞬間には殺されるであろうその刹那すら、

防御のことなどまるで考えずに攻撃を仕掛けてきたのである。

「いいじゃない。結局助かったんだから。」

今しがたの狂襲を、悪びれもせずに服についた土埃をはたく。

よくない。

よくなんてあるものか。

文が左目を失う覚悟で技を続けていれば、幽香の首は折れていた。

どう考えたって、幽香のほうが被害が大きいだろう。

ならば、文は幽香に胆の座り具合で負けたということなのだ。

文は苦虫を噛み潰したようなしかめっ面で幽香を睨みつける。

いや、そもそも、

本当に今の技で、こいつの首をへし折ることなんてできたのか?

それ以前に、この化物は、

首が折れたくらいで死んでくれるんだろうか?

そう文に思わせるほど、幽香は底が知れない。

技を解除して正解だった、と文は思い直す。

同時に、やはりこの化物は危険すぎると再認識した。

はぁー、と深呼吸と同じくらいの深いため息をついた。

「わかりました。99%の力でお相手させていただきます。」

「あら、残りの1%は?」

「プライドです。」

ずどん、という地響きを残して、文の姿が視界から掻き消えた。

残像すら残らない速度で、周囲を高速移動しているのがわかる。

文の『幻想郷最速の足』。

それが今、出力全開でお披露目されているのだ。

『幻想風靡』

文のよく使う、お気に入りのスペルカード。

ただし、今回のは弾幕ごっこ用のお遊びではない。

当たれば爆ぜ、かすれば山の上まで吹き飛べる、

手加減なしの体当たりである。

幽香が何気ない動作で後ろに跳躍すると、

直後に幽香の立っていた地面が、地雷が踏まれたかのように爆裂した。

まあ要するに、現状はそんな感じなのだ。

目には見えないほど高速で飛行する地雷が、幽香目指して飛んでくるようなもの。

とととん、と華麗にステップを踏むと、

それに忠実に従うかのように地面が爆裂する。

さてどうするか、と幽香は頭を巡らせ始め、

現状が、半端じゃなくシビアなことにようやく気付いた。

いや、体当たりの破壊力は、この際どうだっていい。

どうだっていいことはないのだが、目の前の問題に比べればほんの些事だ。

目に見えない速度で突っ込んでくるのも、それを勘で避けるしかないということも、

とりあえずは脇っちょに置いておく。

現状で最大の問題点は、



こちらから攻撃を仕掛けようがないことである。



なにしろ、見えないのだ。

どうやって当てろというのだろう。

つまりこの、飛来する地雷を勘で避けるしかないというジョークみたいな現実を、

幽香が倒れるまでエンドレスに続けなければならないということだ。

まったくもって、傑作だった。

あまりに出来が良すぎて、笑えてくる。

「はっ、ははっ。」

気が付いたら、いつの間にか笑い声が漏れてた。

いやまったく。

最高にスリリングで、最低にクレイジーなダンスパーティーだ。

なんて絶望感。最高だッ!

なら、このナンセンスな禿山を相応しくデコレーションしなければ。

「それっ。」

幽香が踊るようにステップを踏むと、

すでに穴だらけになっていた地面を覆うように、

一瞬で一面に亀裂が走った。

そこから、

―べこっ

という無骨な音を立てて、黄色と緑の柱が突き出した。

向日葵。

向日葵が、一斉に地殻を砕いて戦場を埋め尽くした。

黄色と緑に彩られた絨毯のよう。

のっぺらぼうのように無機質な禿山を、瞬く間に目の痛くなるような原色が塗り潰した。

文は眉を潜めた。

だからなんだと?

たしかに、あれだけの植物を一瞬にして生やせるなど、

並大抵の妖力では実現不可能だろう。

だから?

あれが壁になるとでも?

文は生えてきた向日葵をなぎ倒しながら、幽香の周りを旋回する。

やはり障害足りえない。

高速移動する文の体には、空気で出来た鎧が纏われている。

風の抵抗を相殺し、ぶつかるものすべてを粉砕する風の鎧が。

樹木ですら微塵に粉砕できるこの鎧の前には、

向日葵ごとき障子紙ほどの障害にもなりはしない。

今度こそ、これで終わりだ。

文は十分すぎるほどにフェイントを仕掛けた後、

幽香の左斜め後ろから突進した。

どうせ見えてはいないだろうからどこから攻めようと構わないのだが、

正面や真後ろからではヤマを張られる可能性もあると考慮してのこの角度。

確実に、これで終わり。



そのはずだった。



ありえないことに、幽香はドンピシャリの角度で振り向くと、

文の体当たりを、両腕をクロスして受け止めたのだ。

衝撃で、10メートル近くもがりがりと地面を削った。

しかし幽香はしっかりとその一撃を受け止め、防ぎ切っていた。

まさか、見えていた?

馬鹿な。

三段蹴りでさえ見えていない幽香に、今の突進が見えるはずがない。

第一、文は後ろ側から突撃を仕掛けたのだ。

後ろに目が付いているわけがない。

なら、一体なぜ・・・!?

それに幽香は、微笑を浮かべて答える。

「花は、私の目であり耳であり鼻であり、そして手足でもある。

 この向日葵で埋め尽くされた戦場は、いわば私そのもの。

 あなたは釈迦の手の平の上で踊っていたにすぎないわけ。」

文は愕然とした。

この『花を操る程度の能力』とは、そんなことまで可能なのか!?

文は向日葵をなぎ倒しながら突進した。

ゆえに幽香には、何メートルも先から文の動きを捉えられていたことになる。

それはこれ以降、文のスピードが幽香に対して通用しないことを示唆していた。

そして、

「チェックメイトよ、小鳥さん。」

立ち尽くす文に向けて、ぴたりと日傘の先端を向ける。

そこに、周囲の景色が歪むほどの勢いで妖力が集中していく。

まずい。

これはマスタースパーククラスの大技だ。

食らえば文とてただでは済まない。

文はとっさに飛び立とうとして、

―ぎちィ

しかし、飛び立てない。

いつの間にか文の足を、バラの花がグルグル巻きにして拘束していた。

これはちょっと、だいぶ、かなり、本格的に、絶対絶命だった。

文はちらりと一瞬、自分の後ろを振り返って、

「YesかNoかで答えなさい。気が変わった?」

にこりと、虫も殺さぬような善人の笑顔で、幽香は日傘をさらに数センチ突き込んだ。

って、刺さる刺さる!!

溜め込んだ妖力をぶっ放すまでもなく、日傘で物理的に刺し殺しそうな勢い。

文は両手を上げて、降参した。

「はい、変わりました変わりました!! どうぞお通りくださいな!!」

その答えに、幽香は満足げに頷いた。

ほっと、文が胸を撫で下ろして、

「はい駄目~。YesかNoかって言ったでしょー?」

日傘がさらに数センチ、

「YesですYes!! オフコースでウェルカムですよッ!! あーゆーおぅけぃ!?」

にたりと幽香は意地悪く笑い、ようやく日傘を下ろした。

はぁー、と疲れを吐き出すようなため息。

本当にこの化物は、性格が悪い。

文の疲れきった様子に、幽香は満面の笑みで頷いた。

そして、見事に完全勝利を納めた幽香は、

文のことはほったらかしで、山登りを再開しようと、

「あのー。この足に絡まった花、外してもらえませんかねぇ?」

文が申し訳なさそうに声を掛けてきて、

幽香はもちろん、人の良さそうな笑顔で答える。

「嫌。」

やっぱり、と予想通りの答えに、文は肩を落とす。

まあ、その答えは確かに予想通りだったのだが。

文は打って変わって、真面目な顔で続けた。

「で、私のことはこのまま放置ですか?」

「だから、嫌だって言ってるじゃない。」

「いえ、そういう意味ではなくてですねぇ。」

ぽりぽりと、気まずそうに頬を掻いて、



「とどめを刺さないんですか? っていうことです。」



そう、幽香は拘束した文をそのままにして、山を登ろうとしていた。

文を解放することもせず。

文にとどめを刺すこともせず。

そのまま放置で。

「あら、刺して欲しかったの? ごめんなさい、察しが悪くて。」

「ご冗談を。私のことなど気にせず、このまま先をお急ぎくださいな。」

このように軽口は叩くが、気は変わらないようだった。

文には純粋に不思議だった。

幽香は、相手に情けをかけるような甘っちょろい性格はしていない。

ましてや、文は幽香を殺そうとしたのだ。

事実、殺す寸前まではいった。・・・多分。

なら、後顧の憂いを断つために、当然ここで仕留めておくべきだ。

少なくとも、文ならばそうする。

不思議そうな顔で、しかしわずかに警戒の色の混ざったような文に、

幽香はまるで嫌味のない、本当に屈託のない笑顔で微笑んだ。

「楽しかったわ。またやりましょう。」

そう言い残して、幽香は急造の向日葵畑を去っていった。



                     * * *



さて。

幽香が完全に去ったのを見送り、文はほっと一息。

足元に絡みついたバラの花を、鎌鼬を発生させて『あっさりと切り裂いた』。

そう。この程度の拘束なら、文はいつでも解除できた。

数センチ先に突きつけられた日傘からの一撃を、文は簡単に回避することができたのだ。

実のところ先の状況は、文個人にとってはピンチでもなんでもなかった。

ではなぜ文は降参したのか。

文はもう一度、自分の後ろを振り向く。

自分の後ろに聳え立つ、妖怪の山を。

原因はつまるところ、これだった。

文が幽香の攻撃をかわせば、あの馬鹿みたいに出力の高い砲撃は山を直撃していただろう。

多分、山の形が変わってしまうほどの火力だったのではないだろうか。

それは非常にまずい。

何のために幽香を止めに行ったのだと、お偉方から大目玉だ。

元も子もなくなってしまうわけである。

だから文は降参した。

自身の身ではなく、妖怪の山を守るために。

結果的に幽香は山に進入してしまったわけだが、それは勘弁してもらおう。

被害確率100%と99%の間には、途方もなく大きな壁があるのだから。

最後のやり取りで少しだけ、ほんの少しだけ、

あの化物にも理性的な一面があることもわかったし。

そうそう、99%といえばだが。

100%と99%の間に途方もない壁があるというのは、まさに真実だ。

戦場がここではなく、幽香のテリトリーであったなら、

おそらく勝利していたのは文のほうだっただろう。

なぜか?

ここ以外の場所ならば、文は100%の力を出し切ることができるからである。

地形が変わるほど暴れまわっても、被害を被るのは文ではないからだ。

この場所では、そんな真似はできない。

また、幽香自身のテリトリーであったなら、

今度は幽香のほうが100%の力を出し切ることができなくなっていたであろう。

ゆえに、戦場が幽香のテリトリーであったなら、勝負はおそらく文の勝ちだ。

では仮に、ここではなく、幽香のテリトリーでもない場所が戦場であったなら、

勝者はどちらであっただろうか。

お互いに100%の力を出してぶつかり合ったなら、

最後に戦場に立っているのは誰だっただろうか。

文は先ほどまでの幽香の戦いぶりをなるべく客観的に計算し、結論を出した。

その結論に、文は苦笑する。

きっと最後に戦場に立っているのは、



今回の異変を人任せにしやがった、あの怠け者だっただろうな、と。



                     * * *



永江 衣玖は驚きに目を見開いた。

先ほどまで自分を覆っていたはずの雷雲は、いつの間にやら形を潜め、

陰険な太陽が、ようやく姿を見せた衣玖にしつこく陽光を突き刺してくる。

そんな馬鹿な。

だって今はもう―――

「御機嫌よう。」

優雅な雰囲気を纏った挨拶。

衣玖がのんびりとした動作で振り向くと、

そこには日傘を差した女性が一人、一輪の華の様にこちらに向かって微笑んでいた。

こんな場所まで、一体誰が・・・。

衣玖はその疑問を口にしようとして、

しかしすぐにそれを取りやめた。

自分から名乗るのが礼儀だろう、と思い直したのである。

「永江 衣玖と申します。雷雲をたゆたい、前兆と警告を伝える者。

 あなたは、なぜこのようなところまで?」

「風見 幽香。ちょっとそこまで、異変を解決しに。」

異変?

衣玖は首を傾げる。

「じき起こる大地震のことでしょうか。

 異変などという大層なものではなく、自然現象ですが。」

それに幽香は眉を潜めた。

やはり大地震は来るのか。

来て正解だった、と。

「緋色の雲は大地震の前兆です。私はそれを伝えるために泳ぐのです。」

「その緋色の雲が人工物だったとしても?」

ぴくり、と衣玖の整った眉が跳ねた。

気付いていなかったのか。

呆れると同時に、こいつは黒幕ではないと判断する。

ならば無視しても構わないか、と幽香は登山を再開しようとし、

「気質? そう、この雲は人々の気質で出来ている。

 なるほど、この異常な天候はあなたの気質なのですね。

 しかし、これほど奇抜な気質も珍しい。2人と居ないでしょうね。」

幽香は足を止めた。

気質?

聞いたことのない単語だ。

そしてこの天候は、私の気質を現しているという。

ということは、私の気質はこの『快晴』なのだろうか。

霊夢も同じく快晴。

魔理沙は雨、咲夜は曇り、幽々子は雪、文は暴風雨、といったところか。

ともあれ、こいつは私の知らないことを知っている。

「ということは、この一件はあの方の仕業なのですね。

 ふぅ、本当に困ったものです。」

予定変更。

幽香は再び衣玖に向き直った。

こいつは黒幕ではない。

しかし、黒幕が誰かを知っている。

「じゃあ、その人の下まで案内してもらいましょう。」

「この先は天界です。妖怪の踏み入っていい地ではありません。」

「あらあらどうぞお気になさらずに。どの道あなたの答えなど聞いていませんから。」

幽香は日傘を閉じると、自身の妖気を開放した。

どろりと、足元に絡みつくような濃密な殺気だ。

力の弱い妖怪なら、それだけでも卒倒しかねない。

無理矢理居場所を吐いてもらう、と口に出さずとも示している。

それだけの殺気を当てられているにも関わらず、

衣玖は余裕のある笑みを崩さない。

「残念ですが、あなたを天界にご招待するわけには参りません。

 あなたの傍若無人っぷりは、少々あの方の教育上よろしくありませんので。

 申し訳ありません。どうかお引き取りくださいな。」

「こちらこそ申し訳ありませんわ。人の嫌がることが趣味ですので。」

しれっと、悪びれもせずに言ってのける。

本当に残念です、と対して残念そうな顔もせずに衣玖は続けた。

「大人げないですが、少々本気で止めさせていただきます。」

微笑みを不敵なものに変えて、衣玖は天を指差した。

あの姿勢から、どう攻撃を仕掛けるつもりだ?

弾幕はもちろん、拳や蹴りにも適さない構え。

まるで本当にただ天を指差しているだけのような―――

―パリッ

衣玖の周囲の空気を、一瞬だけなにかが駆け回った。

青白い、閃光のようななにか。

ぞわりと全身が総毛立ち、首筋がチリチリした。

なにか言いようもなく、危険な気配がする。

幽香の培ってきた勘が全力で警鐘を鳴らしている。

あの姿勢から一体なにが出来るというのか。

しかし、

『跳べッ!!』

勘が絶叫を上げた。

その瞬間には、もう幽香の体は無意識に後方へと跳躍していた。

直後、



激しい閃光と轟音が、幽香の視覚と聴覚をズダズダに蹂躙した。



「・・・・・・は?」

思わず、幽香は間抜けな声を上げた。

雷。

そう、今のは落雷だった。

神速で振り下ろされた神の剣が、幽香目掛けてその鋭利な切っ先を突き刺したのだ。

地面は抉れ飛び、周囲に焦げたような嫌な臭いを漂わせる。

驚いたのは幽香だけではなかった。

衣玖が、まるで信じられないものを見たように口を開いていた。

「まさか、落雷を跳んで避けるなんて。

 あなた化物ですか?」

聞くな。

なんで避けられたかなんて、私にだってわからない。

あんな馬鹿げたもの、避けられるはずがない。

今の落雷をこいつが起こしたものだとすれば、とんでもない。

こいつはとてもじゃないが敵う相手ではない。

あんなものをまともに食らえば、流石の幽香もひとたまりもないだろう。

「まあ、次が避けられるとも思えませんが。」

再び、衣玖が天を指す。

まずい。

それは非常にまずい。

幽香自身も衣玖の意見に同意だった。

次からはもう、そんな奇跡は起こらない。

ならもう撃たせない。

幽香は自慢の日傘を、細剣のように突き出した。

そのあまりのスピードに、衣玖は目を剥いて、

「あら、遅い。」

くるりと絡めとられ、日傘は突きの軌道を逸らされた。

衣だ。

衣玖の纏った天女の衣。

それがまるで生き物のように蠢き、幽香の攻撃を無力化した。

それだけではない。

反対側から、ストールのような羽衣が平手打ちをするように伸びてくる。

とっさに、幽香は地面スレスレまで屈みこんでそれを潜る。

目標を失った羽衣は幽香の背後にあった岩壁を打ちつけ、

―ガゴォンッ

粉砕する。

その余りの破壊力に幽香の顔が引き攣った。

いや、正直ちょっとはたかれて痛いくらいかなー、と甘く見ていたのだが。

かわして大正解だった。

っていうか、さっきの落雷といい、この破壊力はちょっと反則だろう。

屈んだ反動を利用して拳を突き上げると、

ふわりと跳ぶような動作で衣玖は後ろに跳躍した。

「なるほど。なかなかお強い。」

感心したように、衣玖は頷いた。

お世辞ではなく、衣玖は本当に幽香のことを強いと感じた。

地上の妖怪にしては、だが。

なめられてるなぁ、と思いつつ、

しかし幽香は慎重に勝機の糸口を探る。

それほどの相手だった。

たったこれだけの戦いでも、相手がどれほど危険なのかを判断するには十分。

はっきりいって、これまで幽香が戦ったことのある相手の中でも、

指折りに危険な相手だった。

Aを三つくらいつけて、さらに+を追加してもいい。

かといって、このままぼーっと突っ立ってれば落雷の餌食だ。

「まあいいわ。攻めながら考えましょ。」

衣玖の戦闘スタイルは、まるで二刀流の剣士のようだ。

両腕から長くストールのように伸びた羽衣が、

相手の攻撃を受け流し、そしてもう片方で打つ。

攻防一体の戦術で、後の先を取る。

絶え間なく苛烈に攻めることを心情とする幽香にとっては嫌な相手だ。

が、こちらのやり方を変えるつもりはない。

ただ攻めるのみ!!

日傘を構え、一気に間合いを詰める。

衣玖はそれを自然体で待ち構える。

右手に持った日傘を一直線に突き出すと、

衣玖はまるで読んでいたかのような速度で反応する。

やはり単純なスピードだけでは、コイツの裏はかけない。

衣玖の羽衣が幽香の日傘を絡め取ろうと伸びてきて、

「そんなことくらい百も承知!」

幽香は日傘を放った。

衣玖の目が驚きに見開かれる。

羽衣は標的を失って空を切り、

逆に幽香の右手に掴まれる。

「なっ!?」

まだ終わりじゃない。

宙に放った日傘を空いている左手で掴み取ると、

今度は左手でそれを突き出した。

しかし衣玖の反応も早い。

日傘が衣玖に届くよりもはるか前に、日傘は羽衣に完全に拘束される。

それでいい。

これで厄介な羽衣は両方封じた。

幽香はにやりと笑うと、両の手を思いっきり引っ張った。

自然、衣玖の体は幽香に引き寄せられて、

前蹴り。

喧嘩屋のように、まるで魅せる要素もない無愛想な前蹴りだ。

それが衣玖の鳩尾に、まるで吸い込まれるように、



―バチィン



一瞬、視界がホワイトアウトした。

続いて、焼け付くような痛みが全身に走る。

なんだ?

なにが起こった?

なぜ、蹴ろうとした私のほうが膝を突いている!?

「おや、意識がありますか。」

理解した。

羽衣を通して電流を流されたのだ。

くそっ、コイツが操れるのは落雷だけじゃなかったのか!!

足が痙攣して動かない。

「まあ、いくらあなたが頑丈でも、流石にこれでおしまいでしょう。」

言って、衣玖が腕を天に向ける。

落雷かッ!?

いや、違う。

突き上げられた衣玖の腕に、羽衣が螺旋状に絡み付いていき、

それを幽香に向けて突き出した。

まるでドリルだ。

食らえば多分きっと相当にまずいことになる。

「くっ!!」

幽香の体が横に弾かれた。

直後、

―ガガガガガガガガッ!!

けたたましい騒音を上げて、衣玖の羽衣が岩盤に突き立った。

まさしくドリルのように、破片を飛ばしながらガリガリと固い岩盤を削り穿つ。

まるで冗談のように、たやすく大穴をこじ開けられた岩盤。

あんなものを食らったら、いや、考えたくもない。

「植物、ですか? 植物の蔓で、無理矢理自分の体を弾き飛ばしたんですね。」

痛かったけどね、と幽香は冗談めかして笑うが。

内心は冷や汗ものだ。

足が動かないという状況であのドリル。

とっさの機転が利かなければ、風穴が開いていたのは自身の腹だ。

生憎と、風通しは口と鼻だけで間に合っている。

余計な押し売りは遠慮していただきたい。

「ぼーっとしている暇はありませんよ。また植物に小突かれますか?」

「冗談。」

衣玖が天を指す。

落雷だ。

今度はもう、跳んでよけるなどという神頼みには頼れない。

生憎と、幽香は無神論者なのだ。

無神論者を助けるほど、懐の広い神様も居るまいな。

苦笑して、弾けるように突進した。

足の痺れはとっくに回復している。

「間に合いませんよ。」

―パリッ

空気が張り詰める気配。

落雷が来る。

幽香は空間をなぎ払うように傘を振るった。

そして能力を発動。

固い岩盤をこじ開けて、幽香の周囲に背の高い向日葵が立ち上がった。

幽香は姿勢をぐっと低く下げて衣玖に向かって一直線に駆ける。

そして、落雷。

ずどん、という太鼓を打ち鳴らしたような轟音。

落雷は、まるで吸い込まれるようにしてひまわりを貫く。

今ので仕留められると思っていた衣玖は、

予想を裏切られたという様子で目を見開いた。

「避雷針!?」

そう、幽香は向日葵を周囲に生やすことにより、

それを即席の避雷針としたのだ。

これで姿勢をぐっと下げているかぎり、落雷が幽香を直撃することはない。

・・・多分!!

今の一発が避けられればそれで十分だったのだ。

衣玖が慌てて腕に羽衣を巻きつける。

あの岩盤をやすやすと抉り取るドリルの一撃。

だが、それはさっき一度見た。

突き出されるドリル。

それの、さらに下を潜る。

幽香は衣玖の攻撃を立て続けにかわし、再び衣玖の眼前に躍り出た。

この超至近距離なら、お得意の羽衣は振るえまい。

そしてこっちは殴り放題だ。

傘の柄を持ったままの右フックが衣玖のこめかみを狙う。

衣玖がとっさに顔を逸らして回避しようとするが、

遅い。

さっきの羽衣の反応速度とは比べるべくもない。

こいつは接近戦が苦手なのだ。

ならばこの間合いに入った時点で、幽香の勝ちだ。

幽香の右フックが衣玖のこめかみに突き刺さ―――



―――らない!?



幽香の拳は衣玖を捕らえることなく、盛大に空振りした。

衣玖が避けたのではない。

衣玖の回避は間に合わなかったはずだ。

この距離で、幽香が打撃を外すわけが・・・。

動揺を隠してでの、左のコンビネーションアッパー。

今度は顎。

しかしそれもまた、外れる。

違う。

外されている。

衣玖の纏う強烈な気流のような大気の流れが、

幽香の打撃を巧みに誘導し、逸らす。

「流石に今のはひやりとしましたよ。ですが、それだけです。」

渾身の力を込めた拳を平然と受け流され、

隙だらけになった幽香に衣玖の手が伸びる。

とん、と。

軽く中指で幽香の額を小突いた。

まるで子供に甘い母親が、我が子を軽く嗜めるときのように。

本当に軽く。

そうとしか見えなかった。

それだけで、



幽香の意識は一瞬だけ、完全にシャットダウンした。



まただ。

また強烈な電流を流された。

しかも今度は頭に直接だ。

幽香が意識を失ったのは、ほんの一瞬。

そのほんの一瞬で、

戦況は落ちるところまで転がり落ちた。

完全に無防備になった幽香の顔を覆うように、

衣玖の伸ばした羽衣がしゅるしゅると巻き付いた。

なんとか外そうと幽香がもがくが、

羽衣はがっちりと幽香の頭を捕らえて放さない。

移動を封じられた今の幽香は、衣玖にとってはただの的だ。

そして衣玖の攻撃は、当たれば必殺の威力を持つ。

完全に、詰みだった。

「これで終わりです。あなたは強かったですよ、お世辞ではなく。」

―バチッ

衣玖の周囲の空気が帯電し始める。

先ほどまでの落雷なんぞマッサージに感じられるほど、

比べ物にならない量の電気が溜め込まれていく。

食らえば、幽香は確実に戦闘不能に陥るだろう。

死ぬかもしれない。

そして、もうそれを避ける術は残されていないのだ。

幽香は観念したようにもがくのをやめると、

渾身の妖力を一点に集めだした。

衣玖を、一撃で倒せるだけの力を。

確かに、それが集まりきれば、衣玖とてひとたまりもないだろう。

それほどのポテンシャルを、幽香は有している。

しかし、それが集まりきることはない。

衣玖が落雷を落とすほうが、遥かに早い。

衣玖の表情が、哀愁に染まった。

「悲しいことです。なまじ強い力を持つが故、退き際がわからない。

 自分が敵わないほどの相手に出会ったことがないから。」

この妖怪は、いまだ自分の勝利を信じて疑わないのだろう。

確かに彼女は強かった。

だが、強いのは力だけだ。

強い者に必要なものが、何一つ備わっていない。

自分には敵わないと感じた時、背を向けて逃げること。

プライドなんてかなぐり捨てて、必死に生を求めあがくこと。

それもまた、強さだというのに。

「さようなら。せめて一瞬で終わりにします。

 次は、あなたがもっと力の弱い妖怪に生まれられることを願います。」

そして、天が割れた。



雷符『エレキテルの龍宮』



轟音と閃光が、感覚のすべてを塗り潰し、

瞬く間に世界を埋め尽くす。

それも一瞬。

世界はまるで何事もなかったかのように平然と身なりを正し、

神の振るった剣は焦げ臭い異臭を残して消失した。

幽香は、まるで彫像のように佇んでいる。

今の落雷を受けて、無事で済むはずがない。

黒こげにならずに形を保っているのが不思議なくらいだった。

ふっと、衣玖はそれから視線を外す。

さて、天界に戻ってあの方を問い詰めなければ。

衣玖は幽香に対して完全に興味を失い、

天界に戻ろうと歩み始める。

と、

衣玖が足を止めた。

ぎりぎりと、油の切れたブリキ人形のように、

ぎこちなく振り返る。

なぜ、後方から妖気を感じるんだ?

しかもこんな、

馬鹿みたいに集められた強大な妖気を。

振り返り、ぱくぱくと金魚のように口を開閉し、

ようやく、言葉が口から漏れ出した。

「えっと、なんで無事なんですか?」

「ひ・み・つ♪」

幽香はお茶目にウィンクして、



そして、幽香の右手が極彩色の閃光を解き放った。



                     * * *



きゅう、とわざとらしい呻きを上げて、衣玖は地面を転がった。

幽香は盛大にため息をつくと、日傘を杖のように地面に突き立てる。

とりあえず、勝った。

最後の一撃は本当にやばかった。

まともにもらっていたら、今ごろは三途の河だ。

いや、魂ごとこんがり焼かれていたかも知れない。

流石にまだ手足の痺れは強烈に残っているが、

命に別状があるレベルの負傷ではない。

すぐに回復するだろう。

そんな元気そうな幽香を、衣玖は地面に伏しながら恨めしそうに見上げた。

幽香はその熱烈な視線に応えるように、

「よいしょっ。」

と右足を上げた。

ぼこっ、と地面がその足の裏に付いてくる。

反対側もだ。

参った、という表情で、衣玖はがっくりと首を折った。

なるほど、そんな手があったのか。

幽香は落雷の直前、地中に向かって根を伸ばしたのだ。

地中深くまで潜り込んだ根は、

幽香の体中を駆けめぐり、神経を焼き尽くすはずだった電流を、

あっさりと地面に流しこんでしまった。

つまり、『アース』である。

それにより、幽香は落雷のダメージを最小限に抑え込んだのだ。

いくら最小限とはいえ、こんなにピンピンしているはずがないのだが。

やはり、こいつはとんでもない化物だったなぁ、と衣玖は嘆息する。

「さて、それじゃあ私は先に行かせてもらうわね。」

「案内させるんじゃなかったんですか?」

「会う人全部張り倒して進んだほうが楽しいことに気付いたのよ。」

幽香は上機嫌そうに傘を開くと、

ハイキングを再開するように歩き出した。



                     * * *



ようやく体を起こして、衣玖は岩肌に背中を預ける。

幽香がこの岩場を立ち去ると、

空に輝いていた太陽は、まるで墜落するような勢いで瞬く間に落ちていった。

そして、何事もなかったかのように『夜の静寂が戻った』。

幽香が花畑を出発したのは、昼を過ぎたくらいの時間だった。

幽香はのんびりと歩いていたので、ここに到着するまでに既に8時間は経過している。

そう、今はとっくに夜中だった。

おかしな妖怪だった、と衣玖は改めて感じる。

なにせ、彼女が現れると同時に雷雲が散っていき、



地平線から太陽がぐいぐい昇っていったのだ。



そして彼女が去ると、それを追いかけるようにして太陽は落ちていった。

まったくもって、おかしな気質の持ち主だった。



                     * * *



しばらく山を登っていると、急に視界が開けた。

前方には見事な雲海が広がり、まるで本当の海のように太陽光で煌きうねる。

天界。

天に登りし人が住まう真実の桃源郷。

幽香はその一人で眺めるには壮大すぎるパノラマに、

皮肉の篭った笑みを広げる。

「ここが天界、ね。なんにもないじゃない。」

ここにはなにもない。

誰もが見惚れるこの光景を眺め、幽香はそれを瞬時に理解した。

なんて退屈な場所だろう。

歌い、踊り、飲み食い騒ぎ。

誰からも脅かされることのない、まさに天国と言っても過言ではない場所。

ここには幽香の心を振るわせるスリルが、欠片も存在しない。

こんなところにずっと居ようものなら、退屈過ぎて暴れだしてしまうだろう。

ああ、そうか。

今回の異変の主犯も、きっと同じことを考えたのだろうな。

まあ、同情はしないけど。

幽香は皮肉の色をさらに強めて、天を仰いだ。

それに応じるように、天から声が堕ちた。

「天にして大地を制し。」

声と同時、はるか上空に一点の黒い影。

「地にして要を除き。」

それは高速で大地を目指し、

激突するような勢いで地面に着地した。



「人の緋色の心を映し出せ!」



巻き上がる粉塵の中、蒼天よりも青い髪が奇妙なほど映える。

それ自体がまるで発光しているかのような錯覚さえ受ける。

他のありとあらゆる存在が掠れ滲むほど、圧倒的な存在感がそこにあった。

「待っていたわ。」

自信に満ちた顔でにやりと笑う様は、もはや輝いているようにすら見える。

只者ではない、ということがなにもしなくても叩きつけられるようだ。

「私は比那名居 天子。天を覆い、地を揺るがす比那名居の娘。

 あなた、一段と珍妙な気質をしているわね。初めて見たわ、そんな気質。」

気質。

また気質だ。

地上ではそんな単語は聞いたこともなかったというのに、

天界では当たり前のように使われる単語なのだろうか。

「異変を解決しにきたんでしょう? まったく、来るのが遅いわ。」

「へぇ、というと?」

「そうよ。私が今回の異変を起こしたの。」

天子は悪びれるどころか、自慢げに胸をそらせて言い張った。

別に偉ぶられても、ねぇ。

幽香は悪戯を見つかった子供に対するように、柔らかい口調で問う。

「それで、なんでこんなことをしちゃったのかしら?」

「退屈だったからよ。」

即答。

すっぱりと清々しいくらいの即答。

「やっぱり天界って退屈なのね。思ったとおりだわ。」

「退屈も退屈よ。毎日毎日歌って踊って、そればっかり。

 そうしたら、地上の人妖達が楽しそうに異変ごっこをしてるじゃない。

 だから私も起こしたのよ。異変ごっこ。

 それもまだ途中。これからこの人の気質を集める緋想の剣を使って、

 幻想郷全土を揺るがす大地震を起こすわ。

 さあ、地上から来た妖怪。私を止めてみせなさい!」

携えていた一振りの剣を一振りして、その切っ先をぴたりと幽香に向ける。

幽香はそれに、やれやれと肩をすくめる。

「要するに、友達がいないのね。かわいそうに。」

「なっ、なんですって!?」

人を小馬鹿にしたような物言いに、天子は顔を真っ赤に染めた。

しかしすぐに、それを懸命に引っ込める。

まるで一生懸命背伸びをしている子供だな、と幽香は思う。

「ち、違うわ。理由は退屈だったからよ。友達うんぬんは関係ないわ。」

「そう。まあ、理由なんてどうでもいいわ。」

その通りだ。

理由なんてどうでもいい。

どの道やることなんて変わらない。

「天候を無断で弄繰り回したのは目を瞑るわ。

 博麗神社を地震で潰したのはむしろよくやった。

 でもね―――」

試合開始の合図をするように、向けられた剣に日傘を打ち合わせる。



「―――私の向日葵畑を脅かす者は許さない。おしおきよ、お嬢ちゃん。」



お嬢ちゃん、と呼ばれたのが気に障ったのか、

天子の顔が一瞬引き攣る。

「すぐにそんな呼び方できなくなるわよ。」

その顔を再び自信に溢れた笑みに戻すと、

天子はおもむろに自身の持つ緋想の剣を大地に突き立てた。

そんな天子の奇行に、幽香は訝しげな表情を向け、

その幽香の顔面を叩き潰さんという勢いで大地が槍を突き出した。

「っと!?」

反射的に顔を逸らしてそれをかわし、軽快なステップを踏むように距離を空ける。

なんだいまのは・・・?

天子が剣を引き抜いて、もう一度それを突き刺す。

痛みに耐えかねた大地がのた打ち回るかのように、幽香の足元が激しく跳ね上がった。

地震!?

突然の揺れに足が止まった幽香に向かって、鋭くとがった岩石が砲弾のように跳んでくる。

「へえ。なかなかやるじゃない、お嬢ちゃん。」

それを、幽香は日傘で粉砕する。

流石の天子もそれには瞠目した。

だって、ただの日傘だぞ。

それで岩石が砕けるなんて、一体どういう日傘なんだあれは。

いや、ぼーっとしている余裕はない。

幽香が既に特攻を始めている。

さらに二発、天子は岩石を討ち出して、

幽香の日傘にあっさりと粉砕される。

「ッ、この!」

天子が振り下ろすように腕を振るった。

直後、先ほどまでとは比べ物にならないほどに巨大な大岩が落下してきた。

天子と幽香のちょうど間。

盾のように佇むその大岩を、

「邪魔。」

―バガンッ

まるで冗談のように叩き割って幽香は突進を継続。

「ちょ、嘘でしょ!?」

慌てて地面に剣を突き立てる。

大地が天子を守るように、

いや、天子を脅かすものすべてを攻撃するかのように、

デタラメに隆起する。

ちっ、と幽香は小さく舌打ちして、大きく跳躍した。

天子の頭上を軽々と飛び越えて反対側へ。

「へ、へえ。思ったよりやるじゃない、おばさん。」

平静を取り繕うように、天子は空々しく言った。

幽香の顔が、にこーっと満面の笑みに変わる。

見た者全てに、怖気が立つほどの絶対零度の微笑み。

「それじゃあサービスタイムは終了ということで。」

ぱちん、と合図をするように指を鳴らす。

天子の周囲、めちゃくちゃに荒らされた大地から、

陽光を待ちわびたかのように緑と黄色の塔が立つ。

目が痛くなるような、鮮烈な向日葵達。

小規模な畑ほどの数の向日葵が、一斉に微笑んだ。

なにをするつもりだ・・・?

予測もつかない天子は、ただじっと警戒したように動かない。

「それじゃあ、手加減あんまりしないから、頑張って生き残ってね。」

幽香がそういうと同時、周囲の景色がわずかに歪み始めた。

まるで、猛暑に揺らめく陽炎のように歪む。

それが、向日葵達が周囲の光を少しずつ吸収しているからだと気付き、

「この子達の火力はわかりやすい単位で例えると、そうねぇ・・・。」

『馬』力、とはちょっとちがうなぁ。

幽香は首を捻り、



「・・・48『魔理沙』力?」



向日葵が閃光を吐き出した。

「はぁ!?」

半ギレになったような声を上げて、天子は慌てて地面を転がる。

そのすぐ隣を、破壊の閃光が抉り取っていった。

まるでスコップで掬われたかのような、大地の傷跡。

なんで向日葵からこんなものが・・・!?

天子の顔から血の気がすとーん、と引いた。

まさか・・・、これ全部・・・!?

2本目。

「わっ!!」

3本目。

4本目。

「わわっ!!」

一斉に、向日葵達が砲撃を始めた。

「うそーッ!?!?」

まるで子供がクレヨンを走らせるかのように、

乱暴にキャンパスに直線を書き殴っていく。

一発一発の破壊力が尋常ではない。

一発でももらえば、死にはしないにしろ、足は止まるだろう。

そして足が止まれば、残り47本のクレヨンが一斉に天子を塗り潰そうとする。

これは、マジでやばい。

そうしている間にも、無秩序に破壊の嵐は吹き荒れる。

「ッ、このぉ!!」

天子は自分に向かってきた2本のレーザーの隙間を縫うようにして地面を転がると、

握り締めた緋想の剣を地面に突き立てた。

直後、刺された地面が痙攣するように跳ね上がった。

理不尽な暴挙に不平を訴えるかのように、地面がデタラメに隆起する。

幽香はその惨状に口を曲げた。

向日葵畑がめちゃくちゃだった。

たとえ急造の向日葵畑だとしても、それを踏みにじられていい気分はしない。

向日葵を殲滅した天子が、ここぞとばかりに突進する。

幽香は牽制のために弾幕を張り、

天子はそれを体当たりでブチ破ってくる。

「ちょ、ちょっと!? 痛くないわけ!?」

「すっごい痛い!!」

涙目になりながら、天子は幽香を間合いに捕らえる。

そして、緋想の剣が閃いた。

幽香も応戦するように日傘を振るう。

―ギィンッ!!

剣と傘がかち合った。

「その日傘、一体なにで出来てるわけ!?」

天人の秘宝の剣にも、互角に鍔迫り合いを展開する幽香の日傘。

そのまま、両者一歩も引かずに己の得物を振るい合った。

何度も、何度も、早送りで映像を見ているようなスピードで打ち合わされる。

どちらも剣に関してはド素人だ。

天子は剣は地面に突き刺すものだと思っていたし、

幽香においてはただの日よけだ。

技術も経験もない、力任せの剣劇。

もはや斬り合いと呼ぶのすらおこがましい。

チャンバラのように幼稚な『ひっぱたき合い』は、

しかしどちらも互角の力を見せていた。

稚拙。しかし、苛烈。

両者の間に、鮮烈な火花が咲き乱れる。

完全に互角。

ならば、先に当てたほうが勝つ。

両者の動きが、力よりも速度を重視した攻撃に推移していく。

鳳仙花のような火花が、咲いては散り、散っては咲き誇る。

もはや視認できないほどのスピードで、両者の得物がせめぎ合う。

「こ・・・のぉッ!!」

天子の剣がさらにスピードを上げた。

拮抗していた打ち合いが、わずかに天子のほうへ傾き始め、

幽香は笑った。

口の端を吊り上げて、日傘を思いっきり後ろに引く。

突きだ。

渾身の力を込めた突きを放つつもりだ。

天子は目を疑った。

馬鹿か、こいつは。

このスピード勝負の中、速度を捨てて思いっきり力を溜めた攻撃だなんて。

たとえ幽香が渾身の突きを放とうと、

天子は先に幽香を斬りつけ、さらにその突きをかわすことだってできる。

もちろん、それに乗らない手はない。

天子は威力を捨てて、最速で剣を振り下ろした。

やはり遅い。

幽香は先に攻撃を放つどころか、その剣を避けることすらできない。

これで、終わりだ。



鮮血が舞った。



緋想の剣は幽香を捕らえ、ざっくりと深く幽香の肉を切り裂いた。

驚愕した。

そんな馬鹿な。

呆気にとられた様子の天子を、幽香は悪魔のような笑顔で嘲笑う。

幽香は、天人の宝剣を、素手で受け止めたのだ。

さらにあろうことか、己の手が傷つくことも構わず、緋想の剣を握り込む。

大地を揺るがす緋想の剣を、素手で。

ありえない。

こいつはイカレてるッ!!

幽香の日傘が空を裂く。

幽香の渾身の力を込めた突きが、ようやく天子に牙を剥いた。

ぐっと緋想の剣を抜こうとして、

しかしがっちりと握りこまれて動かない。

天子が剣士であったなら、

抜こうとするより幽香の手を斬りおとしたほうが早いことに気付いただろう。

あるいは、とっさに剣を手放して回避に専念しただろう。

だが天子は剣士ではなかった。

幽香の手を斬りおとすこともできず、

緋想の剣を手放すこともできず、

間接的に幽香に拘束されていた。

そして、衝撃が天子の腹を貫いた。

幽香の日傘の先端が、精密に天子の鳩尾に突き立ったのだ。

天子の体が軽々と宙を舞い、何メートルも突き飛ばされた。

「げほっ!! ぐっ、がぁあ!!」

激痛に頭が真っ白に塗り潰され、

体裁もなにもなく腹を押さえてのた打ち回る。

痛い。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!!

なんで!?

なんなのコイツ!?

理解できない、といった様子の天子を、幽香は嘲笑するように見下す。

「人のことは平気で傷つけるくせに、自分が傷つくのが怖いのかしら?

 ちゃんちゃら可笑しいわね。

 人のことを傷つけるなら、自分も同じくらい傷つくことを覚悟しなさい。

 勉強になったかしら、お嬢ちゃん?」

刃を握りこんだままの緋想の剣を、幽香は無造作に放り投げた。

天子の顔のすぐ脇に、まるで狙ったように突き立つ。

屈辱だった。

こうして無様に地べたを転げまわらされているという現実が。

私は天人だぞ!?

地べたを這いずる土臭い妖怪ごときが、



「調子に、乗るなぁぁぁあああッ!!!」



天子の手から放たれた緋色の閃光が、

幽香を掠めて地平の彼方へ消えていった。

障害となる全てを消し飛ばしながら。

幽香の笑みが引き攣った。

「これは・・・、ちょっと・・・、まずいかな、流石に。」

天人が本気になると、これほどの力を発揮するものなのか。

流石に洒落にならない。

食らえば塵も残さず消滅できるだろう。

単純火力なら、これに張り合える者は居ない。

正面からの撃ち合いなんて愚の骨頂だ。

緋想の剣を携えた天子が、ふわりと宙に浮く。

そして、

「やばッ!!」

2発目。

隆起した地面と、まばらに散った向日葵畑の残骸を、

スプーンでゼリーを掬うかのごとくすっぱりと抉り取っていく。

冗談じゃない。

溜めている時間が長く、狙いをつけるのもさほど精密ではない。

せわしなく動いていれば、当たることはそうそうないだろう。

それにしたってこの火力は釣りが来る。

ミスした瞬間あの世行きだ。

足を止めないように小刻みに動きながら、

幽香は天子の隙をうかがう。

近づきすぎないよう、大回りに回り込みながら、

天子の背後を取ろうと走り、

「まあ、駄目よねぇ。」

天子はその場で回転して幽香に狙いをつける。

試しに、軽く弾幕を張ってみる。

その弾幕を上から蹴散らすように、天子が閃光を放った。

幽香の弾幕はあっさりとその緋色に塗り潰されて、

天子の攻撃が幽香を掠める。

近づきすぎればかわせない。

離れすぎれば手が出せない。

さてどうするか。

正直、天子の攻撃をかわすのはそれほど難しいことではないのだが。

再び天子の手元に気力が集中し始める。

来るか?

幽香はいつでも動けるように攻撃に備え、

しかし、予想を裏切る意外な物が飛んできた。

緋想の剣。

緋想の剣が、幽香に向かって一直線に飛来してきたのだ。

レーザーが来るものだと思っていた幽香は不意を突かれた。

だがかわす。

不意打ちの一撃を、幽香はすんでのところでかわした。

わずかに幽香のスカートを切り裂いて、緋想の剣は地面に突き立った。

にやり、と天子が笑う。

直後、激震が走った。

「っと!?」

幽香が突然の地震に、思わずバランスを崩す。

そう、最初から剣そのものを当てるつもりなどなかった。

かわされるのも計算の内。

剣を地面に突き立て、一瞬だけ幽香の動きを封じることが目的だったのだ。

そして動きの止まった的に向けて、天子は全力で力を放出した。

「やばッ!!」

回避は間に合わない。

とっさに幽香は妖力を右腕に集中し、レーザー状にそれを放って応戦した。

二色の閃光が激突し、ギリギリとせめぎ合う。

戦況は、天子のほうが圧倒的優勢。

ぐいぐいと幽香の砲撃を押し込んでいく。

当然だ。

苦し紛れに応戦した幽香と、力を溜め込んで放った天子では、

天と地ほどの差が現れる。

幽香は苦笑いを浮かべて、肩をすくめた。

「あー、やっぱり駄目ねぇ。」



左手も使わないと。



―カッ!!

幽香の二本目の腕が火を噴いた。

押し込まれていた幽香の砲撃が、後退を止めた。

「両手を使ってぶっ放すのは久しぶり。自慢してもいいわよ。」

さらに、さらに幽香の火力が跳ね上がる。

押していたはずの緋色の閃光はいつの間にか拮抗し、

あろうことが逆に押し込められ始める。

「くっ!!」

天子の顔に焦りが浮いた。

なんなんだコイツは。

これだけの力を持った相手を、天子は見たことがなかった。

天子に逆らえるものなど、いままで存在しなかったのだ。

ましてや、地上に住まうちっぽけな妖怪ごときに。

「こ・・・のぉ!!!」

天子の火力がさらに増した。

押されていた緋色の閃光が勢いを取り戻す。

今度は幽香が苦い顔を浮かべる。

「冗談でしょ? 両手でも押されるわけ?」

じりじりと、幽香の砲撃が後退を始める。

両手を使っても、まだ敵わない。

「ほら! ほらほらほら!! 私に敵うわけないじゃない!!」

確かに、幽香の火力では天子には敵わない。

このまま押され続けて、やがて緋色の閃光に飲み込まれるだろう。

それも時間の問題だ。

妖力を搾り出しながら、幽香は達観したようなため息をついた。

「やれやれまったく。たいした天人様だこと。」

なお、幽香は押され続ける。

既に押し返していたはずの最前線は、幽香よりの位置にまで下がっている。

さらに、下がり続ける。

「老婆心ながら、一つだけアドバイスを。」

アドバイスだって?

負けているくせに。

幽香は視線だけで、下を見ろ、と合図をしてくる。

天子は力を緩めずに、自分の真下を見下ろした。

そして、凍りついた。

ぐちゃぐちゃに隆起した地面の岩陰から、

ひょっこりと、一輪の向日葵がこちらを見上げていて。

それが気付かれないようにこっそりと、だが確実に、

周囲の光を吸収し続けていて。

幽香は、いたずらっ子のように片目を閉じて笑った。

「奥の手は最後までとっておくものよ、お嬢ちゃん?」



そして、幽香の三本目の腕が火を噴いた。



                     * * *



最後に立っているのは幽香。

天子は地面に倒れ伏していた。

悔しい。

悔しい・・・ッ!!

あまりの悔しさに視界が滲んだ。

自分が馬鹿にしていた地上の妖怪に、

天子は負けたのだ。完敗したのだ。

全力を出した上で、それでも敵わなかった。

わざと負けるのとは、理由が違う。

緋想の剣を、八つ当たりをするように投げ捨てると、

天子はギリギリと奥歯を鳴らした。

悔しさで暴れだしたい気分だったが、暴れるほどの体力も残っていない。

精々怒りに身を震わせるくらいだ。

幽香はそんな天子に向かって、素敵なおもちゃを見つけた子供のように微笑むと、

子猫を摘み上げるよな動作で襟首を掴んで持ち上げた。

そのまま、適当な高さの岩を選んで椅子代わりに腰掛けると、

膝の上に天子をうつ伏せにして乗せる。

天子が幽香の膝に、ぐて~っとだらしなく圧し掛かっているような姿勢。

「なっ、なによ!? なにする気よ!?」

怒りで染まっていた天子の顔に、怯えの色が混じった。

幽香は悪魔のようにサディスティックな笑みを浮かべて、

膝の上の天子を見下ろしていたのだ。

「ん~? さっき言わなかったっけ~?」

にやにやしながら、幽香は天子のスカートを捲り上げる。

羞恥に染まった顔で天子は幽香を睨み上げるが、

幽香は蚊ほども気にしない。

「言ったわよね、確か。お・し・お・き、するって。」

すぅ、っと深呼吸をするように幽香は息を吸い込んで、



突き出された天子の尻に、『一発目の』平手打ちを叩き込んだ。



                     * * *



天界。

時間の流れから忘れ去られてしまったかのように、

ゆったりとした独自の時間が流れる空の国。

そんな地で、にぎやかな宴会が開かれていた。

天子と衣玖と幽香。

それから、何人かの地上の人妖たち。

迷惑をかけたお詫びに、と衣玖が招待した者達だ。

なんだかんだいって、酒には目がない連中で、

天界の宴会に招待するといったら、快く事件を水に流してくれた。

神社を破壊された巫女はいまだにへそを曲げているようだが、

その機嫌も、天人たちが神社を完全に復興させれば直ることだろう。

衣玖は日本酒で満たされた杯を傾ける。

御座を敷いた宴会場で、唯一直立不動を保ち続ける天子が、

周囲の連中にしつこくからかわれていた。

「いい加減座ったらー、天人様?」

「うるさいわね!」

天子が頑として座ろうとしない理由は、すでに会場の全員に知れ渡っている。

今回の、幽香の武勇伝と共に。

結局決着してみれば、幽香を天界に通したのは正解だった。

そう衣玖は思い直していた。

ようやく歩きまわれるほどに回復した衣玖が天界へ様子を見に行くと、

そこにはまるで冗談のような光景が広がっていた。

ボコボコに隆起した地面。

めちゃくちゃに荒らされた向日葵畑。

そしてそんなデタラメな光景の中で、

幽香に『お尻ペンペン』されている天子。

なんだこれは、と愕然としたものである。

だがそれは正解だった。

天子にとって本当に必要だったのは、この幽香のような存在だったのだろう。

天子が傍若無人に振舞っても、天子を叱ることができるものは誰も居ない。

比那名居に仕える天人達は、立場に縛られて天子に意見することなどできない。

地上の人妖達は、そもそも天子に逆らうことが出来るほどの力がない。

その点、幽香は違った。

天人達のように立場に縛られることもなく、

地上の人妖の中では群を抜いて強力な力を持つ。

まさに、うってつけの存在だった。

自分では、こうはいかないだろう。

大体全部お前のせいだ、とヒステリックに喚き散らす天子を、

幽香は涼しい顔で受け流している。

そんな二人を、衣玖は仲の良い親子を見るような目で見つめるのだった。

「ほら、もっと飲めば?」

あっ、と声を上げる間に、幽香がまだ空いていない杯にドポドポ日本酒を継ぎ足す。

いや、飲んでたの違う銘柄の日本酒なんですけどね。

ニヤニヤ笑っているところを見ると、絶対に確信犯だ。

口には出さずに苦笑して、奇妙な感じに混ざってしまった杯の液体を喉に流す。

そうそう、奇妙といえば。

幽香の持つ、奇妙な気質。

これほど珍しい気質の持ち主は見たことがない。

幽香は自身の気質を、巫女と同じ快晴だと最後まで『勘違い』していたようだが。

本当は彼女の気質は快晴ではない。

衣玖が幽香と遭遇したとき、時刻はとっくに夜だった。

ところが、幽香が現れるとそれを追いかけるように、

地平の果てから太陽がぐいぐい昇っていき、

幽香が去っていくと、やはりそれを追いかけるようにして太陽は墜落していった。

違うのだ。

夜だって快晴は快晴だ。

月が輝き、星が瞬くのだって、天気は快晴なのである。

本当に彼女の気質が快晴だったのなら、雷雲が晴れるだけだ。

太陽が昇ったりはしない。

くいっ、と脳に潤滑油を流し込むように、衣玖は杯に口をつける。



幽香の本当の気質は、『白夜』。

南極や北極に近い地方で夏に起こる、一日中太陽が沈まないという珍妙な自然現象である。

きっと彼女の周りではここ数日、『太陽が出っぱなし』だったのであろう。

その気質が表す、彼女の性質。

真昼だろうが真夜中だろうが、強烈な夏の日差しを刺し続ける陰険な太陽。

もしくは、

衣玖はそこまで考えて、一人こっそりと苦笑する。

とびっきり意地悪なジョークが思いついたかのように。









もしくはそう、地上に生きる幼い命が気がかりで夜も眠れない、心配性なお天道様、とか。







 
霖之助は、店内で真ん中に穴の空いたドーナツクッションを真剣に眺める少女を見かけた。
それに霖之助は、「かわいそうに、痔なんだな。」と同情の視線を向け、新聞に目を落とした。

投稿26発目。
はっふう、疲れた。
読んでくれた皆さんも疲れてますよね。お疲れ様でした。
今回はかな~りハードなバトル物です。
実はバトル物って大好物なんですけど、そういえばあんまり書いたことないですね。
ハラハラドキドキゾクゾクしていただけましたでしょうか。
僕としてはとても満足できる作品に仕上がりました。
日々応援してくださる皆さんのおかげです。ありがとうございます。
これからも自分がきっちり満足できるレベルの作品を書き上げていきたいと思いますので、

『ゆっくり応援していってねッ!!』

>2008/07/28追記
5000点越えた・・・。(゚Д゚)
シリアスでこんなに点数伸びることは滅多にないです。うふふ。
それじゃあ、言い訳&解説たいむ。
1魔理沙力はマスタースパーク1本分です。
作中では48本のマスタースパークが同時に火を吹いています。
幽香が文や衣玖に苦戦しているのは、相性が悪かったからです。
正面から叩き潰すタイプの幽香は、変化球でぶつかってくる二人は苦手だろうと。
もちろん、この二人はそもそも弱くありません。アホ強いです。
逆に真っ向勝負の天子は戦いやすかったようです。
さらに天子は他の二人と違い、幽香のことを完全に侮っていますので、
天子の本当の強さは後半、スイッチが入ってからです。
単純火力では天子が断トツに上で、決して他の二人に劣ることはありません。
弱く見えたのは見せ場が極端に少なかったからですね、はい。
以上、言い訳終了。
暇人KZ
http://www.geocities.jp/kz_yamakazu/
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コメント



0.8430簡易評価
13.80名乗ることが出来ない程度の能力削除
これはよい幽香ストーリー。手に汗握る死合いの数々、ごちそうさまでしたw
でも文に勝っておいて衣玖さんに少々苦戦させられてたのがちょっと違和感ががが。

天子wwwwwww
15.90名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんTUEEEEE。
テンポよくサクサク読めました。
でも正直ガチバトルでなくてもいいかな、とちょっと思いました。
19.90名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんの気質が届いたら―― お天道様も恐れおののいて顔を出し―― 浮世をあまねく照らしてくれらァ!
だって、四季のフラワーマスター 風見幽香様は―― 弱いものイジメが大好きなサディスティックモンスターなんだからなァ!
そうだろォ、暇公? 聞こえてンなら返事しろィ、この暇人野郎ォ!
20.100名前が無い程度の能力削除
実にカッコいい幽香様堪能いたしました。

でもお尻叩きすぎですw
22.80名前が無い程度の能力削除
天人が痛いと思うお尻たたきを普通の人間がくらったら、一発目で上半身と下半身が分かれちゃうんだろうな
27.60名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんが少々弱すぎるように感じるかな
少なくとも文や衣玖には苦も無く勝てるぐらいだと思うけど
30.70名前が無い程度の能力削除
個人的に幽香の戦闘スタイルはあえて自分を相手に傷つけさせて血なまぐさい地獄のような戦闘を繰り広げるような戦い方だと思っていたので、全編を通して中々面白く読めました
ただ、衣玖さんが強すぎかなぁ
あと幽香は花を操る程度の能力なので向日葵以外も操れるんですけどね
やろうと思えば鈴蘭畑を作って毒殺も可能
桜の木を作って地面を固定することもできます
能力が弱い弱いといわれる幽香ですが、そこまで弱くはないと思ってる私

何がいいたいかと言うと
ゆうかりんかっこいいよゆうかりん
35.80名前が無い程度の能力削除
天子がんばれw
37.100名前が無い程度の能力削除
おぉぅ、かっこいい。まさにイメージどおりの幽香さん。
避ける、防ぐよりもまずぶちのめす。
どんなときでも正面から圧殺する。
そして何より笑顔と反比例するサディスティック気質。
素敵すぐる。幽香パッチはまだですか。
38.80名前が無い程度の能力削除
こんな 展開を 待っていた
39.80名前が無い程度の能力削除
白夜とはまたすごい気質だなぁ、というか、天気なのかなこれ?
なんていうか、今までイクさんの雷が全く怖くなかったんだけど、よくよく考えるとあんなの普通避けれないよねぇ…
幽香が幽香らしくて何の苦も無く読めました。
まあ、強いて言うなら、幽香はイクさんには余裕で勝てる強さは持ってると思った。

BGM(もちろん緋想天の曲をストーリーに会うように)をかけながら読んでたけど、まるでゲームやってるかのような感じだった。
ああ、幽香使いたいわ~
40.80名前が無い程度の能力削除
萃夢想や緋想天に幽香が出てこない理由なのかもしれない、と読んでて思ってしまったw
しかし冷静に考えれば衣玖さんの雷ってえげつないんでしょうねー。普通だったらガードできるもんじゃないですしw
41.90名前が無い程度の能力削除
これは良いバトル
42.90名前が無い程度の能力削除
痔扱いすんなwww
48.90名前が無い程度の能力削除
ドーナツクッションとにらめっこする天子に色々と持ってかれましたw
今回幽香は何%くらいの力を使ったんでしょうね?
もっともっと圧倒的な幽香を密かに期待していたのですがそれは求めすぎだったのでしょうか^^;
49.100名前が無い程度の能力削除
衣玖さんつええ!!幽香カッコイイ!!
あと霖之助はちょっと話しあるから博麗神社の裏まで来いや。
50.100名前が無い程度の能力削除
幽香が異常なまでにかわいく見える
ゆうかりんかわいいよゆうかりん!
51.90名前が無い程度の能力削除
冷静に考えたら確かに雷は強いよな。本来避けられるものでもないし。
あややの足技を一瞬転蓮華?と思った。どうやら違う技のようですが
53.100名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんだけじゃあなく、射命丸もイクさんも天子(最後以外はw)もかっこいい…素晴らしいバトルものをありがとうございました。
56.80名前が無い程度の能力削除
パーセント表記はあまり受け入れられませんが、最後のドーナッツクッションには好感が持てました。
ありがとうございました。
58.100名前が無い程度の能力削除
痔はきついぜ…
まぁすごいよゆうかりん。
59.60名前が無い程度の能力削除
面白かったけど、みんな強者の余裕が見える中、最後の天子だけ余裕なさすぎだったのが気になったかな
あとコマンド緋想の剣とか見る限り剣の扱いは相応に手馴れてるように思えるなぁ。剣舞とかで
60.80名前が無い程度の能力削除
鉄拳チンミかw
65.70名前が無い程度の能力削除
痔か…ドーナツクッションでもきついんでないのか。養生せえよ。
それにしてもあややの強さのインフレ具合がすげえですな。
66.90名前が無い程度の能力削除
1魔理沙力がどれぐらいかわからない俺…

霊夢のやる気のなさに吹いたwwwww

つまり何が言いたいのかというと、
幽香りんカッコいいよ、幽香りん
71.90イスピン削除
48魔理沙力って絶望的な数字だなぁおいwww
幽香の気質は白夜というよりも「日照り」のような気がする。こっちの方がサドっぽくt(元祖マスタースパーク)

ああ、キャラ追加パッチ出ないかなぁ
81.70名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんは強過ぎるぐらいでちょうどいいな
85.90名前が無い程度の能力削除
楽しく読ませていただきました
戦闘力に関する解釈は人によって違うので問題ないかと思われます
最後の天子戦での他2人のときと違い命の奪い合いの凄惨さが無かったのがグッドでしたb
ドSゆうかりんかわいいよ!
87.90名前が無い程度の能力削除
素晴らしかったです。
89.80名前が無い程度の能力削除
やはり ゆうかりんは ドSだ な

死合に関しては、まあ実際こんな感じなんでしょうね。結構実力は均衡してると思いますし
しかしラスボスなのに一番弱そうなのは天子の宿命なのでしょうかw


ところで新キャラパッチいつー?
91.60名前が無い程度の能力削除
おいィ?
全人類の緋想天がないとかマジかなぐり(ry

「天子自体は地を操る能力以外大して強さはなく、
 緋想の剣によって(レーザー含め)強化されている」
というイメージだったので、天子さんのジツリキそのものが強いというような
今回のお話は意外だった。
やっぱり天子さん凄いなー、憧れちゃうなー。
96.100名前が無い程度の能力削除
さすが幻想郷最強の妖怪ゆうかりんだ、予想通りの暴れっぷりだぜ。
個人的にゆうかりんは花を生やすことが出来る能力があっても実際使うのは自分の妖力だけなパワーファイターっていうイメージがあったり。
個人の認識なのでどうでもいいですけど。
97.100名前が無い程度の能力削除
文もゆうかりんもかっこいい
無念無想の境地やってる天子がかわいい
99.無評価名前が無い程度の能力削除
デッドエンドスクリーマー?
104.100マイマイ削除
巫女じゃないからスペルカードの必要がなかったってことですかね? 怖えー
しかし魔理沙ってw あんた元祖マスタースパークでしょうにwww
単純にあいつより48倍強いわよってことですかねww
108.無評価名前が無い程度の能力削除
幽香りん、あまりの鬼畜っぷり・・・。
だって幽香にとってはマスタースパーク(フラワースパーク)は『通常弾幕』であってスペカじゃないってのに。
遊んでるよ、この人・・・(人じゃないけど)
109.100名前が無い程度の能力削除
↑サーセン、点忘れてた。
115.90名前が無い程度の能力削除
神が平気で闊歩してる世界で無神論者かよ、などとツッコんでいた自分どこ行った。
バトルの連続にぐいぐい引き込まれてしまいました。
こーりんオチには笑った。うつぶせで寝る天子かわいいよ。
116.70名前が無い程度の能力削除
神社をぶち壊された霊夢の拗ね方がいいですね!
弱ったやつに追い討ちかけるのが大好きな幽香さんの餌食になってましたね!
もう幽香さんはああいう不幸を目の前にすると、いじめたくてウズウズしちゃうんでしょうね!
145.100名前が無い程度の能力削除
まあ元祖マスパ(フラワースパークだったか)は実際、画面の6分の5持ってくからなぁ。

あと「キャー」というより「ギャー」な衣玖さんですねww
147.100名前が無い程度の能力削除
白夜か!
それは予想外だった

実に面白い話でした
ゆうかりんまじ外道
150.100名前が無い程度の能力削除
てんこかわいそすwwww
154.100名前が無い程度の能力削除
やっぱ、ゆうかりんは強えぇ……
158.100名前が無い程度の能力削除
新作に⑨が出てるのに幽香が出ないのに絶望した!
159.100名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんはこうでねーと!!
169.100名前が無い程度の能力削除
これはいいジャンプ漫画的ノリ。
176.100名前が無い程度の能力削除
イクさん強っw
184.100名前が無い程度の能力削除
私のマスパは108式まであ(ピチューン
193.100名前が無い程度の能力削除
幽香の能力にはロマンに満ち溢れてると思うんだ。ゴールドなんたらみたいで。
主人公である幽香の最強っぷりはもちろん、相手役の方々も三者三様の活躍を見せていてワクワクしました。
194.100名前が無い程度の能力削除
ゆうかりん最高です。さすが幻想郷随一のドSといわれるだけありますね。
201.100名前が無い程度の能力削除
ゆうかりん強いよゆうかりん
203.100名前が無い程度の能力削除
こーりんで吹いたwww
213.60名前が無い程度の能力削除
あややとのバトルだけ違和感。
手で受けられる衝撃は、感じる痛みは違えど、
体に受けたとしても大した怪我にはならないような
腕と体が別の物質でもないでしょうし

強いゆうかりんは読んでいて楽しかったですが、
この設定ならば、描写以上に楽勝でも良さそうな気がします
215.100名前が無い程度の能力削除
まさにゆうかりん無双