誰もがその別れを悲しんだ。きっと一番悲しかったのは、お姉さまだ。
× × ×
十六夜咲夜は、お姉さまのトクベツで、館のみんなから頼りにされていたメイド長だ。けれどそんな咲夜も、もういない。死んでしまったのだ。
「咲夜」
咲夜がいない紅魔館は、時間が止まったみたいだよ。廊下を歩きながらそんなことを考えていた。
しばらく歩いていると廊下じゅうの窓に遮光カーテンが引かれていることに気がついた。
「お姉さま……」
入るよ、と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。
ドアを開け部屋をぐるりと見渡すと、そこにお姉さまはいた。ベットメイキングもされていない(する者はいなくなってしまった)ベットで、膝を抱えて嗚咽を漏らしていた。
「お姉さま、紅茶淹れてきたよ。アップルパイもあるから食べよ」
お姉さまは咲夜が死んでからというもの食事を摂ろうとしない。吸血鬼の私たちは数ヶ月食事をしなくても平気だけれど、何も食べなければ体の脂肪は削げる。お姉さまの今の体は骨と皮のようなものだ。少しでも気が晴れたらいいなぁと思って、私は毎日お姉さまの部屋に紅茶を持って訪れる。
「お姉さま、つらいね」
そう心に思ったことを、初めて声に出した。
「フラン……」
それは数ヶ月ぶりに聞いたお姉さまの声だった。しゃがれていて、聞きやすい音ではなかったけれど、それでもお姉さまだった。
「つらい」
お姉さまは、ぽろぽろと涙を零しながらとつとつと堰を切ったように話し出した。
咲夜と初めて会った夜のこと、一緒に時を止めた空を飛んだこと、星の海を渡る列車に乗ったこと、毎日咲夜が淹れてくれた紅茶を飲んでいたこと、よく咲夜はチョウセンアサガオを煎じたお茶を淹れてくれたこと、紅霧異変を共に起こしたこと、月に一緒に行ったこと、みんなでパーティーをしたこと、それら全ては咲夜がいなければ出来なかったということ。
そして咲夜は自分を置いて死んでしまったということ。
「つらいよ……」
そう言って、お姉さまは涙を溢れさせていた。
私はゆっくり相槌を打ち、その夜じゅうお姉さまの紡ぐ言葉を聞こうと思った。
× × ×
お姉さまはあの夜から少しずつ元気になっていった。一緒に紅茶を飲むことも叶った。最初のころは夜になるとひどく不安定になって自分の体を掻き毟ってしまい血だらけになっていたけれど、それも私がそばについて、ずっと抱きしめていると落着いてきた。
「治りかけが一番危ないの」
そうパチェは言う。
「気をつけて」
パチェはお姉さまのことを心配している。パチェだけじゃない。美鈴も、小悪魔も、私も、みんながお姉さまのことを気にかけている。
「うん」
その時、そう頷いたけれど、私は本当の意味でそれを分かっていなかったことに、私はまだ気づいていなかった。
「お姉さま、入るよ」
そう声をかけてドアノブを握る。おかしいと気づくのに時間はかからなかった。部屋にはいちめん咲夜の写真が落ちていて。
ベットの横にお姉さまが座っていた。
「お姉さま? なにしてるの?」
なんだか嫌な予感がして、ベットに回り込んだ。
「っ!!!!」
死んだ心地がするというのはこういうことを指すのだろうか。
「お姉さまぁ!!!!!」
お姉さまはベットの縁の木でできた手すりに紐を括り、自らの首を吊っていた。私は急いでお姉さまの首を絞めている荒縄を千切った。
「お姉さま、お姉さまぁっ」
死んでしまう、お姉さまが死んでしまう。なんて馬鹿なことをするのだろう。お姉さま、お姉さま。
「フラン……」
するとお姉さまのか細い声が聞こえた。紅い瞳は揺らいでいる。
「私を殺してくれないか」
私はかぁっと頭に血が上った。お姉さまをこんなにも苦しめる咲夜が憎い。憎くてたまらない。
「お姉さまの、馬鹿っ!!!!」
お姉さまは何も悪くないのに、咲夜だって悪くないのに、理不尽な怒りが私を支配する。私は勢いに任せて部屋を飛び出した。お姉さまを、一人残して。
× × ×
「フランお嬢様」
私が泣き疲れてソファーにもたれかかっていると、部屋の扉が叩かれた。美鈴の声だ。
「入っていいよ」
そう声をかけると遠慮がちにドアが開いた。
「あの、フランお嬢様……レミリアお嬢様が、いらっしゃらないんです」
さぁっと血の気が引いた。お姉さまが、いない。
「何かご存知ないでしょうか?」
私のせいだ。私がお姉さまを突き放してしまったから。弾け飛ぶように館を飛び出した。それから気づく。雨が降っている。吸血鬼を殺す酸が降り注いでいた。ぱつんと雫が滴り、服から出ている肌が焼ける。私ですらこんなに痛いのに、弱りきっているお姉さまでは本当に命を落としかねない。
「フランお嬢様!」
雨音の遠くで美鈴の叫ぶ声が聞こえた。
× × ×
がむしゃらに飛び回った。皮膚はまるでヒルにでも吸われたかのように血だらけだ。
湖を越え、魔法の森の上を飛んでいる時だった。木々の隙間からはっきり見えた薄青色の髪の毛。血液と泥で汚れた帽子。弱弱しく畳まれている羽。
「お姉さま!!!」
私はそこに降り立って倒れているお姉さまを抱き寄せた。
「さく、や……?」
目を瞑ったままお姉さまが呟く。私のことを咲夜だと思っているようだ。
「さくや、きてくれたんだね……」
頬に涙が伝う。私はただこの人を抱きしめることしかできない。私はお姉さまをゆっくり抱えて館へ飛んだ。心の痛みも体の痛みも感じないようにして。
美鈴は私たちを探し回っていたらしく雨に濡れていた。玄関に倒れこむように帰ってきた私たちを急いでパチェのところに連れて行ってくれた。そんな私たちに、パチェは薬草を溶いたクリームを体に塗ってくれた。
「レミィ、目も耳も駄目になってる」
小さくパチェが悲しそうに囁いた。目も耳も、駄目になってる。それは、もう私がフランドールとして認知されないということなのだろうか。
「本棚からアルバムを探そうとしているときに私が気づけばよかったのに、治りかけが一番危ないって自分で言ったのに……レミィ、ごめんね、ごめんね……」
パチェは泣いていた。子供のように自分だけを責めて泣いていた。
「私が悪いの……」
枯れたはずの涙がこみ上げてくる。
「今後のことを、考えましょう」
黙っていた美鈴が口を開いた。とても、重い一言だった。小悪魔はパチェの背中を何も言わずにさすっていた。
× × ×
「あくあ」
さくや、そう言いたいのだろう。お姉さまは私のことを咲夜だと思っている。
「うきたよ」
お姉さまはいつもそう言う。好きだよ、って言ってくれる。けれど、それは私に対する言葉じゃない。
美鈴はお姉さまを治すために永遠亭に通って勉強している。パチェは今まで以上に色んな本を読んでお姉さまを元のお姉さまに戻そうとしている。
私は。
私は何も出来ずにただお姉さまの隣にいる。
「お姉さま」
この声は届かない。あまりにもその現実が辛くてお姉さまを抱きしめた。華奢な腕が折れてしまうかというほどに。
「うぅ、う」
お姉さまがうなる。
「ごめんね、痛いね」
そう言って腕を離す。
「う、ぅ。あ、くあ」
そうくぐもった声で"私"を呼ぶお姉さま。涙がこぼれそうになるのを堪えていると、ぽん、と頭に優しい手が置かれた。
「おねえ、さま……?」
お姉さまが私の髪を撫でてくれている。ああ、やっぱりお姉さまはお姉さまなのか。こんなに変わってしまっても、お姉さまなのだ。
咲夜の代わりでもいい。お姉さまのそばにいたい。
ただただ虚しくて、苦しい毎日でも、お姉さまが戻ってくるまで私はこの人の隣にいよう。
「だいすきだよ、お姉さま」
いつかは心の傷だって癒える。お姉さまだって立ち直る。それまで私は"咲夜"でいよう。
続き!はよ!
さて、どうなるか……
でもバットエンドも気になってしまう
ってのは少しワガママですな
いっそのことハッピーとバット両方を書いてみては?