やっかい。
一晩のうちにそれは出現していた。
博麗神社のちょうど向かい側、結界の境目にもう一つ神社が建っていた。ぽつんと、さびれて、人間の気配が露と感じられない様は、たしかに博麗神社と瓜二つだった。
いや、事実、見た目に大差はなかった。そっくりそのまま、元からあった博麗神社をそこへ置いたとでも言うような加減。
これはいったい。
と、はじめに気づいたのは魔理沙である。
だいたい、博麗神社を後にして、ぶらぶら空中遊泳をしていた魔理沙は、その真逆の方角にはさらさら行く気がなかった。ただ、ふっと、箒をついそちらへ片向けたくなっただけなのだ。霊夢風に言うならば、勘が働いたとでも言おうか。
結界まじかの森林に開けた場所があり、そこからにょきっと突き出ている赤い板を見つけたとき、魔理沙オッと期待を胸にわかせた。
こんな辺鄙な場所に建物があるなんて知らなかったから、そこで、魔理沙の蒐集癖が少しくすぐられた。面白いモノはないかしら、と。
魔理沙は赤板めざして着陸をこころみる。
いったん通り過ぎ地面に足をつけてから改めてそれを見上げてみた。
赤板は鳥居だった。朱塗りがはがれて、みすぼらしい姿をしているが、それでもごく僅かな幽玄がある。魔理沙は身震いすると鳥居をくぐり整っていない石畳の上を進んでいった。これでは魔理沙の履き古した革靴がますます擦り切れていってしまう。魔理沙本人はまったくおかまいない。
そうして、魔理沙の目前にようやくお出ましたのが神社である。さっきも書いたとおり、印象はまさしく博麗神社そのものだ。
だから神社の全貌が目にとびこんできたとき、魔理沙は思わずあたりを見回した。ここは博麗神社だったか、と確認するために。
きょろ、きょろ、と一通り首を回し終えた魔理沙は、次に横へかたむけた。
あたりの景色はやっぱり別物で、ここが博麗神社あるいはその周辺でないことは明らかだった。
ははあこれはいよいよ奇妙だなあ、と魔理沙は薄ら笑いを浮かべて神社へ踏みこもうとした。踏みこもうとしたのだが、魔理沙は肌にぴりりとした感触を覚え急離陸したところ、さっきまで魔理沙が踏んでいた足元に五枚のお札が突き刺さった。それを察して避けれたのは、普段からの魔理沙の行いがゆえである。
「危ないな。客を見つけるなり札投げつけるなんて。お客様は神様であって妖怪じゃないぜ」
相手に聞こえるていど張り上げた声でそう言った。
しかし肝心の相手が見あたらない。
とにかく魔理沙は臨戦態勢になろうと八卦炉を取り出し、小さなオプション二つに火をいれようとした。
その時に魔理沙の視線は下を向いており、だから自分より大きな影が自分の影を覆い尽くしていることをすぐに知った。頭上を仰いだ魔理沙は、巨大な玉が自分めがけて、今まさに脳天直撃しようかという様をはっきりと見た。
魔理沙の箒の柄を握る腕がぐっと筋張った。魔理沙がくだした魔法は自身を加速させ、いきおいよく叩かれた風が耳にぼうぼうっと囁く。過剰につかわれた魔力はフレアとして吐き出され一瞬のうちに花が咲き、散った。
落ちる玉の端っこが箒とかすれたかな。とも思えるわずかな衝撃がありはしたが、魔理沙はそこまで頭が回らなかった。
ようやく、魔理沙の口からスペルカードの詠唱がされはじめた。
後方では玉が地面との激しい対面を終えて地鳴りが聞こえた。
そしてスペルカ発動までこぎつけた矢先に、再び魔理沙めがけて飛んでくるお札の数枚が、魔理沙のうごきを一段さきおくりにさせる。
たいして華麗でもない空中アクロバットをさせられる本人は舌を噛まないよう歯をくいしばっている。
そこで何かがこと切れたようだった。
「きょ、きょうは分が悪いぜっ」
スペルカードは手早くしまいこまれ、通常弾幕をどこにともなくばらまきながら、魔理沙は神社から後退した。
追撃とおもわれるお札が魔理沙の背中をいくらかかすめる。それらも届かなくなったところまでたどり着いた魔理沙は、うめきとも溜息ともつかない声と息を吐きだしながら振り返った。
神社の庭に大きな玉がころがっている。黒と白の勾玉模様がより合わさった模様から、陰陽玉だと判断できる。陰陽玉により揺り起こされた土煙はそろそろ落ち着きはじめている。
魔理沙は相手をちらとでも確認したかったが、その姿があらわれることはなかった。
翌日の博麗神社に、新調した革靴を光らせる魔理沙がいた。
――霊夢。あたらしい分社はずいぶん手荒だったぜ。まるでお前みたいだな。いつのまに弟子を作ってたんだ。それとも双子の妹かい。
――あー。何の話よ。
――分社だよ。ああ、そうか、弟子も妹もいなくて、全部お前の自演ってわけかい。
――だから何の話かって聞いてるのよ。分社ってなんのこと。
――向こうにあるぜ。ずっと向こうの方にポツンと。すばらしい再現度だ。幻想郷にいる大工も捨てたもんじゃないな。
――腕のいい大工の知り合いはいないわねえ。ついでにいうと弟子も妹も記憶にないわ。
――人付き合いが疎遠なやつめ。
――あんたに言われたくないわ疎遠。で、分社ってのはどこにあるのよ。どいつか知らないけど、私に許可なく建立するとはいい度胸じゃない。お金とってやろうかしら。
――で、どうするんだ。殴りこむか。
――いいわ、パス。
――どうして?
――私の勘が別にどうってことないって言ってるわ。ということは、どうってことのない分社ってわけ。いや、この呼び方は気持ち悪いわね。神社ってわけ。ああもうっ、すがりついてこないでよ。行くならあんた一人でいきなさい。
――お前とは疎遠けっていだ。
魔理沙が離れると、霊夢は魔理沙のせいでくたっとなった服を正し湯のみのお茶をひといきに片付けてしまった。
魔理沙は何とかして霊夢の気をひこうと、お札が飛んできたことや陰陽玉に潰されかけたことを話した。気をひくのが魂胆なものだから、内容は大げさに、展開はいいかげんに、とにかく派手な脚色が甚だしかった。
魔理沙のそういったあつくるしさをほんのちょっとでも感じ取ったか、霊夢は耳をかたむける様子がなく、まぶたを重たそうに半分だけ開けていた。
ひとしきり喋り終えた魔理沙は喉の奥がきりきりと痛んだので霊夢にお茶を催促し、しぶしぶ差し出された湯のみをもらうと口をあてた。決してぬるくなかったが、魔理沙はほとんどを水を飲んでいる心地になった。
しょうがないと決めつけると、魔理沙は立ち上がって縁側から外へ飛び上がっていった。
魔理沙はあの神社へもう一度向かうつもりである。お札や陰陽玉をつかう何者かの正体を、例えつまさきだけでも明かしてやりたかった。
八卦炉はすでに手元に落ち着かせてあり、オプションはいつでも動かせるようになっていた。
ところで、魔理沙は文といれ違いになっていた。
魔理沙は目の片隅で博麗神社へ近づいていく文を見て、どうせ新聞の配達だろうことは分かりきっていたので気にとめず、飛行速度をちょっと上げた。風が袖から入り身体にそって駆け抜けていく涼しさはこれでしか味わえない。服が入りこむ空気に押し上げられて、風船のようになってしまわないよう裾は自由にしているが、おかげでしょっちゅう服がめくれ上がりそうになる。
魔理沙は自分のお腹が披露されるハメになるたび、これの解決を頭にめぐらせるようにしており、最近は前の裾だけ固定するようにしておけばいいと考えていた。もっと早く気づくべきだったと後悔もしていた。
そうしていると、とたんにがくんと箒が揺れ、速度もかなり落ちてしまった。
「タクシーって知ってます。安い運賃で人を運ぶ仕事だそうですよ。あなた、やってみたらどうですか」
魔理沙は後ろを振り向けない。正確に言うと、真後ろを振り向くには首を曲げるだけでは足らず身体にも無理をさせないといけないので、振り向きたくなかった。
ただ真後ろの箒のブラシのところに文が座っていることは声で分かったし、ちょっとした圧迫感が背中をさすってきだしてもいた。もちろん文が箒にまたがっているのか、そうじゃなく腰をかけているだけなのかまでは確認できない。
「もう、霊夢に用は済んだのか」
「用も何も、新聞とどけにいっただけですし」
はあ、と、魔理沙はわざとらしく溜息をついた。
「勧誘が断られるからって、とうとう新聞を無理に読ませるようになったか」
「いやあ違います。今日のは号外だから、人を選ばず配って回りました」
もしかすると、霧雨亭にも新聞が届いているかもしれず、魔理沙は心から絞り出された溜息をついた。
会話はここで途絶えた。
魔理沙は落とし気味だった速度をもう一度速めると、後ろの文はバランスを崩したのか妙なうめき声をもらして魔理沙の服へしがみついてきた。そして加速するなら言ってくれだのと耳元で騒いだ。そのとき魔理沙の帽子が風にさらわれそうになったが、文が手でおさえて、魔理沙は頭を叩かれたような目にあった。
空は曇りぎみ。たったいま人間の里の上を通過した。二人乗りの箒はあんがい重心をとらえるのが難しく、魔理沙は人知れず悪戦苦闘していた。
「……文、ちょっと尻を右にずらしてくれ」
こうですか。と文は素直に従ってくれたが、魔理沙が想定していたより少し右にゆきすぎたようだった。だから次は左へと言うと、しつこいと返された。
「なあ、お前どうして私の箒に乗ってるんだ」
「これは今更な。だって神社に向かっているのでしょう」
「たしかにそうだが」
「行き先が一緒だからですよ。昨日の夜中にあの神社を見つけたんですがね、追い払われてしまいましたよ。遠慮もなにもあったものじゃない。いやだいやだ。その時一枚だけ、私に襲いかかってきた神社の主らしき人物を撮影したんですけど」
「ほお」
「今日の号外も、それの記事を一面にのせています。ちょっと不服な出来上がりになりましたけど」
文が後ろで動き出すものだから魔理沙は気が気ではない。そして急に何かが腋を這いずってきたものだから、声が飛び出そうになるが、どうにかこらえた。腋を通ってきたのは文の腕で、腕は魔理沙の正面で写真をたてた。
写真に写されているのは大方、弾幕の名残とも言うべき派手な爆風だ。文は夜中と言っていたが写真からそれは判別できそうにない。なにせ、そこかしこで明滅している。
よおく目を凝らしてみると写真の左斜め下あたりに人間が写っているように見えるが、あたりの散々な発光具合によって白っぽい服を着ていることしか分からず、見る人によってはそれの存在を疑ってかかるような、証拠写真としてはまるで価値がないものだった。
「本当ならボツ。とっくにゴミ箱いきの写真ですよ。そういう意味では貴重な写真なんですからじっくり見ておいた方がいいんじゃないのかな」
文はそのことを理解した上で写真を提示してきていた。
「ああ、いや、そもそもお前の写真自体を貴重ともなんとも思ってないから」
文が手を引っこめてくれた。風に誤魔化されぎみだが、後ろからチャックの開く音が聞こえているので写真をカバンか何かに収めているのだろう。
「ああ、あの緑髪の幽霊は誰なんでしょうか」
文からそう、出し抜けに尋ねられた魔理沙は何も思いつかず、ただマヌケに返答しただけだった。えっ、と。
「私が知らない方が幻想郷にいるとは思いませんでした。はて、さいきん表から入ってきなすったのかしら」
「りょくはつ? 誰のことだよ」
「偉そうでおっかない人でしたね。なにより強そうでした。しかも自分の実力を分かっているうえで顎を高くしているような。ああっ、やだやだ」
魔理沙は述べ立てられたキーワードを自分なりにまとめて緑髪の何者かを想起しようと試みた。しかし緑髪の蛍や閻魔さまやつるべ落とし等々が頭によぎってくるもんで、そのうち魔理沙はまとめて振り払ってしまうと飛行に集中することにした。
……。
やがて足元に広がるみどり豊潤の木々たちの間から、立ち上がった人工物を見つけた。魔理沙は狙いをつけると緩やかに下降していき、鳥居の上を通過してそのまま神社まで進む。先に降りろと文に言って、文が降りたところで魔理沙も着地に入った。黒光りする革靴でジャリをしっかり踏みつけると箒からおり、スカートを整え、最後に帽子の角度をなおした。
今回はすぐさま襲ってこなかったな、と魔理沙は思い、文に目配せをしてみるとうなづかれて、文もそう感じているようだった。
周囲のほの暗さに裏打ちされた不気味な静けさが神社全体にまとわりついて、神社がさびれている事実をよく際立たせている。そういったところが、博麗神社とは明らかに違った気配で、今更ながら分社と呼ぶべきではなかったと魔理沙は思った。
ここからどうしようか、魔理沙はそんなことで立ち止まっていた。
「中、はいってみるか」
魔理沙は文のほうを向いてはっきりと言った。文はあまり感情のこもっていない声で応答した。
魔理沙が歩きだすと遅れて文もついてくる、一方は八卦炉を握り締めて、一方はいつでも撮影できるようにカメラを構え気味でいた。
神社の正面から行こうとしたが魔理沙は立ち止まる、ここは博麗神社と瓜二つである、もし構造もそうであったなら裏口や縁側なども同じ形で出迎えてくれるかもしれない。わざわざ正面をつかうよりも別の道から侵入したほうが、魔理沙の悪戯心をくすぐってくれるというものだ。
白服の誰かはどこにいるのだろうか。二人の侵入者に気付いていないはずがない。たった今、魔理沙が手をかけようとしていた正面玄関の戸口、そのすぐ裏にそいつが待ち構えていないと言い切れるだろうか。
魔理沙は粗い木目の戸口からそっと離れると、文に手招きしながら神社を回りこんだ。二人は息をしずめたまま庭先まで向かい、庭の地面の乾燥具合まで博麗神社に似ていたため、息も忘れて顔を見合わせた。
縁側を覗いてみたが誰の気配もなかった。
ここから入るのかと文が聞いたところ、魔理沙はうなづいた。
縁側から見れる八畳間には、部屋の中央にまだ片付けられていないこたつがある。こたつの上には皿にのった煎餅がある。左に小振りなたんすが構えており、たしか右の襖を開けるとさらに八畳間があって霊夢はそこに布団を敷いて、一日のはじまりとおわりを迎えていたはずだ。
魔理沙はそんなことを、ぼんやり考えていた。やはり似ているなんて程度じゃない。
博麗神社そのものがこの場所に緻密に映し出された神社である。外観ばかりでなく内部までそっくりな様子は、柱による骨組みや土台までもそっくりなのではと想像させた。
八雲紫の仕業か。
ふっと頭によぎった紫の薄気味悪い笑顔は、魔理沙にとって鮮明な意味をおびていた。魔理沙はほんのちょっと顔をしかめると、紫による手のこんだ悪戯という説にたいして――一瞬で浮かんできた発想にも関わらず――ほとんど確信だと思いだした。
魔理沙に失望が混じったなんともやるせない表情で振り向かれたとき、文はどんな反応をとればいいか迷わされたことだろう。
そうして魔理沙は、さっき思いついた内容を文に喋りだそうとした。
と、その途中で目の前に浮遊している奇妙な物体に目を奪われて、奇妙? 見覚えはあるだろう、誰だって一度は見たことがあるはずだ。もちろん、そんなものが浮遊しているなんてありえない、そういう部分において奇妙とするのは適切だった。
いかなる力場に身をまかせているのか、または、その横長い扇にも似た四肢をばたつかせて浮かんでいるのか。もしやぬえまで絡んできており、いつかハタ迷惑な目にあわされた正体不明の種がそう魔理沙に幻視させているのかも。
亀が飛んでいるなんて。
しかも亀は神輿くらい大きな体躯で、なまいきにも白ひげをたくさん蓄え、尻からも白毛の尾っぽが伸びて漂っていた。長寿の証である。
亀は青い瞳で二人を見下ろしてきていた。
「お、おおおお」
魔理沙は感嘆ともとれる叫びをあげながら文を捕まえると亀から距離をとった。文のほうは、そこでようやく亀の存在に気づいたようで、魔理沙の視線を追いかけた文は口をまるくして感心した表情になった。
ずりり、ずりり、と後ずさっていき、縁側まで退避しきった二人に声が降りかかってくる。
「またあんたたちっ! グルだったのね。あんたたちはすすんで退治してもらいたい人種なのかしら」
声は亀から発せられたように聞こえたが、まさかこんな張りのある明らかな女声を喋るはずがない。それもそのはずだ、亀の甲羅の上から女性の頭が飛び出てきた。
ああ、声もそうだった、まさか顔までそっくりだったとは、さすがに魔理沙の予想を超えていた。
「れ、霊夢?」
「あら、どうして私の名前を知ってるのよ」
甲羅に仁王立ち、右手に大幣を持ち、魔理沙が熟知している霊夢より、随分しっかりした巫女服を着た女性は、毅然とした態度でいる。そういったところまで霊夢であった。
「たしかに私の名前は博麗靈夢だけど。あんたには教えた覚えがないし、そもそも初対面よ」
自分を靈夢と言い張るその女は腕組をして、より強きそうにしてきた。
「でもレイムなんだろ」
「魔理沙さん。漢字が違うんですよ。ほら、右を見てください」
「ああ、ほんとだ」
すると二人の会話を遮って靈夢はお札を投げつけてきた。左腕を右から左へしならせ三枚、広げた手のひらより一回り大きなお札が二人へと飛来した。
文はほぼ靈夢と同期したかのように、瞬時に魔理沙の腰へ腕をまわしながら土煙を巻き上げ上昇した。一気に霊夢と亀を飛び越し、神社の屋根より高みに位置ついた。その間、魔理沙は情けない声を出まかせにしながら文のなすがままだった。
魔理沙は腕を離せと、手足をじたばたさせたが、文が叱りぎみに制してきたので栓をされたように黙りこくった。文はこそっと囁いてくる。あの巫女を取材したいから魔理沙が弾幕ごっこに参加してくるのは困ると言った。
どうやら魔理沙は文の気が済むまでの間はお荷物として扱われるらしく、文のホールドから抜けだそうにも天狗の力が思った以上に強く、かなうことはなかった。無茶な体勢だ。魔理沙はお腹を締め付けられて苦しかった。
曲芸めいた行動をとる二人に靈夢はあきれた表情を浮かべて、袖から取り出した束のお札をまとめて放り投げた。
お札は空中でばらけると各々が減速することなく明らかに放物的でない動きを見せる。きれいな正方形を基本に展開しさらに小さい四角が正方形の中を行き交う、お札が赤いせいもあり、曇り空にひどく目立つ。それが一斉に二人に襲いかかった。
文は魔理沙をだきかかえた状態にありながらも軽やかにお札とお札の隙間に潜っていった。
このとき、二人がほのかに感じた疑問は共通していた。
靈夢はスペカ宣言をしていない。
唐突に――もちろん場の空気から来るであろう予感はついていたが――弾幕は放たれた。わざと、かと思われたが、さらに靈夢からの弾幕は二度三度と続けられ、すべて一言もなかった。文がそれに対して不信がり、不意の流れ弾に注意しつつ靈夢から距離をとりはじめると、靈夢は亀に指図して追いかけてきた。亀と言うが、空中をわたるに関しては素早い。
一連の文の行動を見つめながら魔理沙は、ああじれったい、とやきもきしていた。文が片手に持ったカメラを構えたり下ろしたり、なお警戒する姿勢は変えず。その姿は優柔不断に映った。
だいたい魔理沙は取材に付きあうつもりは一寸もなく、ただ単純にきのう撃退させられた借りを返しにきただけだ。
そうだ、おとなしく手提げカバンに成り果てているのはらしくない。
魔理沙は身体をのけぞらせた。文はその反動をもろに受けると飛行の軌道をあやまって弾幕の一角に身を晒しそうになる。その挙動を確認した魔理沙はこれだと決めてさらに背の角度を、自分でも痛いほど思い切りキツくした。またも傾き腕を弾幕にかすめると文の身体全体がきゅっと引きつった。その緊張を魔理沙は感じとると追い打ちと言わんばかりに文を突き飛ばした。拘束はあっけなく解かれると魔理沙は空中へ飛び出された。
既に温めておいた魔法を発動させるやいなや重力に逆らって弾幕間を滑りこんでいき、文と靈夢にたいしてちょうどよい位置で身体を安定させた。
魔理沙は久しぶりに箒にまたがらずに空を飛んだ。箒は文に捕まったとき落としてしまった。乗らないと妙な不自然さでむずがゆいが、いまさら拾いにいくのもおっくうだ。
魔理沙は改めて、スカートを叩いてオプションを起動させた。
起動したオプションがスカートから出てくる際、丈が持ち上げられた。
靈夢は相手二人の不可解な行動に目をそばめて、ひとまず攻撃の手をゆるめた。おかげで文もあたりに残る弾幕の余波をくぐりきったと見るなり空中に静止して、困った顔で魔理沙を見やった。
「おいおい、私を見てるヒマなんてないぜ」
それは分かりづらくいいかげんな警告だった。
既に手元に用意されていた魔符を掲げて、スターダストレヴァリエと高らかに宣言されると、符は緑色のあやしい炎に包まれて瞬きする間に消滅し、かわりにあふれんばかりの光が好き勝手に飛び出すと、星の形でもって文と靈夢へつっこんでいくなり、煌々と爆散した。
魔理沙は連続して煌めくフラッシュの中で、文と靈夢がレヴァリエから離れていく姿を見た。いきなりレヴァリエを放った目的は、さきほど靈夢がばらまいた弾幕の処理だったので、別に二人が何をしようが問題じゃなかった。巻きこまれてくれれば尚よかったのだが、そう簡単にはいかないようだ。
文が遠くから大声でこう言ってきた。
「危ないですね。何のつもり! 取材できなくなるじゃないですか!」
「ああー、よく聞こえないぜ」
魔理沙の声のほうがよっぽど聞こえづらい。
「もういいですよ。魔理沙さんは離れてて。私の取材に割りこまないでください」
「いや。元はと言えばお前が私についてきたんじゃないか」
「目的地が同じだっただけのことです。よくあるでしょう?」
「お前はお隣さんかよ」
「それよりも、ちゃんと聞こえているじゃない」
下らない言い争いに発展するのはいつものこと。だが蚊帳の外にされている靈夢が不満げな顔でその争いを眺めていた。
「ああもうっ、やかましいわね! あんたら味方なのか敵なのかはっきりしなさいよ。ねえ爺さん」
「御主人さま。……急にふられても困ります」
亀がしゃべった。魔理沙は少し驚いて、文はふうむと唸った。
「おや、喋る亀ですか。あまり珍しいとは言えませんが記事のつなぎには役立ちそうですね」
「うっさいわね。あんたら散りなさい。散れ、散れ!」
靈夢が再び束になったお札を取り出してくる。しかも二、三束と次々に、手に持っては投げつけて、また一束取り出して。お札はそれぞれ、四方八方に拡散していき魔理沙と文の行動範囲を確実に狭めさせた。
箒がないぶん普段より身軽な思いをしている魔理沙は飛び跳ねるように弾幕間を移動し、靈夢との距離を縮めながらオプションにイリュージョンレーザーを吐き出させた。
もともと牽制用と割りきって撃ち出したつもりだ、魔理沙に当てる気はなかったが靈夢は避けようとしない。まさかとほのかな期待が灯ったが、なあに、レーザーは靈夢に当たる直前で、岩にぶつかった水がしぶく如くとなった。何らかの力場を作っているらしい。用意がいい。
靈夢は接近する魔理沙にむかい、さらにお札を投入してくる。
さすがに周りの弾幕が濃くなりはじめたので、魔理沙は減速しながら直進を諦めた。
そうしていると、いつの間にか文まで近づいてきていて、何をするつもりか同じみ紅葉をかたどった扇を振りかぶってきた。横目に感じ取っていた魔理沙は何が迫るのかあらかた分かったので、大事な帽子をしっかり押さえこんだ。そして扇が力強く振り下ろされた時、付近の空気は見えない津波と化した。風速の微細を測れはせずともひどい風が巻き起こったことは明白だ。魔理沙の判断は正しかった。
弾幕とは言えしょせん紙にすぎないお札は圧倒的自然には勝てず、一塊の風によって一瞬にして洗い流された。とばっちりを受けたのは魔理沙と靈夢で、準備していた魔理沙でさえ身体を押されそうに、もはや無力となったお札が張り付いてきて目障りだった。
憤然とした文は扇をしまうと付き合ってられないと言い飛び去っていった。
さっきの暴風がいかなる意思表示なのかはともかく、敵対する者が減ったのは都合がいい。これで魔理沙も集中して靈夢に弾幕ごっこを挑めるというものだ。その靈夢は足元の亀を叱りつけながら体勢を立て直していた。
魔理沙は加速する。
魔理沙が神社をあとにした頃合い、博麗神社にふたりめの訪問者がきていたのは既に書いた。大きめのショルダーバッグに刷り立ての新聞紙を詰めこんだ文は、神社の庭先に近づくと、号外、と大きく一言打ちだしてから庭へ新聞を投げこんでいった。
号外の声と、ばさっと乾いた音は霊夢も聞き取ったが、すぐに回収しない。座布団を枕、ふかぶか顔をうずめて、んんんんと唸っていた。おっくうなのだ。外に出たくないし、直射日光をあびるなんてとんでもない。猫のように畳の上でくつろいで、頭のなかを空へとばすつもりで何も考えることなく、たまにあくびすることが霊夢の何よりな幸福だった。
もうちょっとゆっくりしてから新聞を取りにいこう。
と油断しきっていた霊夢はふと、ある記憶が急速に浮上してきたのでそれにせきたてられ飛び起きた。
本堂の掃除をしようと昨日から決めていたはずだったのに、霊夢は今の今まですっかり忘れていたのだ。
袖をなびかせて障子を開け放った、廊下を突っ切ると玄関へ向かい箒とちりとりを手に入れた。本堂へゆく、いやバケツと雑巾もほしい、物置小屋へ方向転換した。見つからない。あった。ホコリだらけだ。雑巾はバケツのなかで干からびている。
バケツの取っ手を指先でつまみ上げると、霊夢は井戸まで走っていった。薄い取っ手部分にさえほこりが積もりしゃりしゃりとした感触がきもちわるく、霊夢は走っている間じゅう顔をしかめっぱなしでいた。庭の一角までゆくと井戸があった。その側へ乱雑にバケツを放り投げた。雑巾は大きくバケツから離れると大きく羽ばたいた。井戸の蓋を開いてやはりそれも放った。二つ井戸底まで垂れた縄の片方を、出来る限り上をもつと力をこめて引っぱりながら、限界まで引っぱりあげたところを注意深く足でおさえると、手はもう一度縄の上へかけた。さらに腰を下げていく。
これを繰り返していきようやく、水がはちきれ右へ左へこぼれ落ちるつるべを手元まで引き寄せた。つるべはなかなか重たい。
霊夢はそれを両手で支えバケツめがけてかたむけると、冷たい水が一斉に流れていき、一時ちいさな滝を見せた。バケツに到着した水は逞しくはじける。半分以上はあたりの土へと還っていった。
水がうつされたバケツは水面にホコリが浮き立つ。少し灰色に濁った水は、かき混ぜればさらに汚れた色合いになりそうだ。だが、霊夢は腕まくりをして雑巾を拾い上げると、そこへ躊躇なく腕を沈めた。
大きな気泡がひとつ、ごぼっと鳴る。
水がより一層灰色を増した。霊夢はバケツの裏面を雑巾で磨いているようである。しばらくするとバケツの水をすべて流した。井戸へ近寄り、前述と同じだ。新たな水をバケツへ流しこむと、また同じ。
さらに繰り返して、三度目の時はバケツの表面にも手を伸ばしていた。
バケツは毛深かった当初の姿を払拭させて、もとの、使いこまれてすっかり古びているバケツを現した。
ここまで下準備である。霊夢はそんなこと考えもしていない。ただ前方に横たわる目的を果たすのに一所懸命であった。
片手に持ちできるだけ小さく波立たせながら本堂まで歩いていき、別の手は箒とちりとりを握りしめていた。
本堂へ入るためのふすまには白毛をたくわえた亀が悠々として雲と戯れている絵が描かれている。霊夢はこれに片足の親指をかけて器用に開いた。
「あ」
霊夢はひとまずバケツ、箒ちりとりを下ろした。
陽の光がわずかしかさしておらず薄暗い本堂の中はこげ茶色な合板の床、奥には巨大な仏さまが鎮座しており立ち入った者へ静かな圧力をあたえる。霊夢は何週間ぶりに仏さまを見たが、それが霊夢をきょとんとさせた原因ではない。本堂の中央にぽつんと人が正座しており、その姿が第一に目に飛びこんできたので、霊夢の頭から掃除の件を追いやった。
霊夢にとってその人はとても意外だった。霊夢は目を見開いて、次に訝しげにその人を見つめながら近づいていった。その人が床に手をついて深々と腰をおったのはなにか冗談にも思えて、霊夢は冗談はよせと言ってやった。その人は冗談に決まっていると豪快に笑いだした。
八端判で水玉模様の座布団を二枚もってきた。本堂の床はまだみがかれておらず少々ほこりが敷かれているため、座布団でもないとやってられない。おぼんに急須と湯のみをふたつのせて運んできもした。
こうして霊夢と魅魔はしっかりした形で対面した。
暗く静かな本堂でふたりの顔には濃い陰影が浮かんでおり、ふたりともその陰影を見つめ合ってた。
魅魔がぽつぽつ喋りだすと、まず霊夢は身の回りの些事について聞かれた。なんてことない。魔理沙のことを聞かれた。新しい知り合いはどうだと聞かれた。どれについても霊夢は一言二言しか答えず、あまりに素っ気なかった。
霊夢にはわかっている。魅魔がムリに、そんな世間話をしむけているのは明白だった。
「最近はおもしろい?」
ああ、そうじゃないでしょう。と霊夢は思ったが口には出さず。
「変なヤツは増えたかい」
違うでしょう。あなたが話したいことはもっと別にあるんでしょう。
「お前さんのいれるお茶は相変わ――」
「いったい何の話があって今頃出てきたのよ」
話を遮ってまで問うた霊夢に、魅魔はふふっと薄ら笑いで胸中はきっと舌なめずりしている。どうしても自分からは進んで話したがらないようだ。
「ほお。と、言いますと」
魅魔が腰を浮かせ霊夢へなすりついていく様子は、猫が人に甘える図を彷彿とさせた。腰を浮かせると書いたが、じっさい腰はところてんにも見える大蛇の格好で、古典的「足がない幽霊」のそれであり、浮きっぱなしである。
「だってアンタ……魅魔、ずうっと顔も出さなかったじゃない。正直いまのいままで忘れていたわ」
「それは怖い、危なかったよ。危うく私もすっかりきちっと忘れさられて幻想入りさせられるところだった」
霊夢はまじまじと魅魔の顔に焦点を合わせた。ほのかに得意げを漂わせているえくぼが嫌みったらしい。
「どういうことよ。あなたが? 幻想入り? だってあなたはここの住人でしょう。幻想郷にいるモノが幻想入りだなんて」
「あるのさこれが。着物正して入り直しとでも言やあいいのか、たまにこんな現象に苛まれる妖怪、幽霊、その他もろもろ。哀れだねえ。夢まぼろしの中ですら相手にされなくなるっていうのは」
私はそんな話を知らないわよ。と霊夢は言おうとしたところ、魅魔がこれそれと例えを挙げだしたのはいいが、並べ立てられた事例の切っ先すらも霊夢を納得させるものはなく、半信半疑をより強めるばかりとなった。思いきや、ふいにある名前が踊り出てきた。
「えっ、アリスがそうなの」
「そうさ。彼女も幻想入りの一人なんだよ。幻想郷より、幻想郷ゆきの幻想入り少女さ」
はあ。
霊夢は関心からか呆れからか、言葉になりそこねた空気を吐いた。
そうして押しのけられた魅魔は名残惜しそうに離れ、元の座布団の上に帰っていった。霊夢はもう一度さっきと同じ質問を、どんな用事で現れたのかを聞いた。魅魔が視線をからめてくる。
「さて、霊夢は私と、なにをしてたんだっけ」
ずいぶん抽象的な質問をされた霊夢はあーと口をあけて思い出そうとし、その質問のうらも探ってみようとした。
霊夢の記憶の断片はふらついている、過ぎた日はもう色あせている。ああ、でも、こんなに覚えていないものかと霊夢は自分を悔やんでみた。魅魔の質問に答えられないようなので、その問いの真相も分かるわけがなかった。しかも、そうして奮闘している霊夢を魅魔は言いようのない表情で見守っているばかりだった。
耐えかねて、きっぱり覚えていないと言うと、魅魔ははやり例え難い表情で(笑っているように見えなくもない)そうかいと言った。
「記憶が曖昧なのかい」
「ええ、そうよ。何か悪いの」
「神社のことは既に耳にしてる?」
「神社。……そういや魔理沙が、分社がどうだとか言ってたわね」
分社と聞いた魅魔はまたかんらかんらと笑いだした。何がつぼを付いたのか、しばらく腹をかかえていた。
「何がおかしいのよっ」
霊夢は、まるで自分がおかしな発言をしてしまったかのように感じそう言った。
「いやあ、魔理沙はいいところを付いていると思ってね。なるほど分社かあ」
いったん仕切りなおした魅魔は身を整えて、じっと霊夢を見やった。
「その分社、いやさ、神社は早めに拝んどいたほうがいい。特に霊夢は」
いや、でも、と霊夢は、自分の勘が何一つピンときていない事実を魅魔へ伝えようとしたのだが、それは喉までくると引っこんだ。勘は絶対であるつもりだったが、今回ばかりは自信がもてなくなったのだ。
外、庭の方で雀が鳴いている。
雀の声をじっと聞き入ってみると少しは落ち着くだろうかと霊夢は考えた。この場合落ち着くのは自分の勘に対してである。
そうやって浅く瞑想する霊夢に、魅魔は変わらぬ調子で言った。
「どうだ。ひとつ、例の神社を見にいかないか」
「ええ、うん。明日ね、明日」
明日までにハッキリさせておこうと霊夢は決めていた。
「ハッキリしないねえ。どうした」
魅魔のからかっているような笑みが一さじ含まれた表情に、霊夢は勘がいまいちな事をすっかり見透かされているような気にさせられた。霊夢はほとんど手付かずだったおぼんを自分側へ引き寄せると、魅魔が身体を起こしでもしないと触れない位置へと運んでやった。
それで見せつけるように湯のみを持ってズズズと音を立てるのだ。
魅魔の表情はようやく、不信の感じられない純粋な苦笑いを見せたので、霊夢もつられて口角を上げた。
結果だけ書くと、魔理沙は苦杯をなめた。
靈夢という名は伊達ではないらしく、魔理沙は苦しい戦いを強いられた末に敗退させられた。帰り路は汗ばんだ服をきらい、しかめっ面をあらわにしていた。
そういえばあの靈夢はお札ばかりしか繰り出してこなかった。陰陽玉を今回の勝負では一切見かけなかった。ああ、もしかして靈夢は手加減をしていたのだろうかと思えなくもなく、そう頭によぎったとき魔理沙は鬱々とした。
日と場所は変わって、翌日の早朝の博麗神社である。
魔理沙はいつものように縁側から入りこんだ。八畳間では霊夢が朝食を静々味わっている最中であり、だいたい魔理沙の狙いどおりだった。
ところが、魔理沙をちょっと驚かせたのは、霊夢が出かけるときの服を着ていることだった。どこに行くのかと聞くと、
「昨日あんたが言った神社に案内しなさい」
と。
漬物を咀嚼しながらだったので聞き取りづらかった。
魔理沙は生返事をしながら霊夢の向かいに座り、沢庵をつまんで口に放りこんだ。弾力のあるそれを噛みながら霊夢の顔を見つめていると、靈夢のほうをどうしても思い出さずにはいられなかった。目鼻立ちに頬のライン、身につけているものは違えど何から何まで同じだ。特にじとっとした目つきはイヤになるほど。
「私の顔に何かついてる?」
霊夢はそのジト目で言ってきた。
「別に」
魔理沙はちゃんと沢庵を飲みこんでから言葉を返し、また一切れつまんだ。
すると別の部屋から聞き慣れない声が届いてきた。
「ああ、魔理沙が来たのなら、神社の話をじっくりたずねてやろうじゃないか」
魔理沙は部屋を隔てている障子へ顔を向けたところ、障子はぴくりとも動かずにいきなり人の顔が浮き出てきたので沢庵を吹きそうになった。
まず笑っていて、そうして何の抵抗もなく浮遊したからだは障子を抜け出した。魔理沙はそれの全身を見つめて、ようやく彼女が魅魔であると理解した。
長らく出会っていなかった親しい人の姿は懐かしき記憶の大海からこぼれ落ちた夢だった。魔理沙の胸に熱いものがこみあげてきて、一滴の涙くらいは許しそうになった。
「魅魔さま!」
「そう。あたしゃ魅魔だよ。久しぶりだね」
魅魔は畳すれすれのところを、半透明で一本の幽霊然とした下半身を浮かせていた。魔理沙はその姿をぼんやり見つめた。
「はやく食べなさい。霊夢」
「うるさいわね。朝食くらいゆっくり食べさせてよ」
魅魔は沢庵へ手をのばした。
魔理沙も三つ目の沢庵をいただくことにした。
「ちょっと! どうしてあんたらは沢庵ばっかりとっていくのよ。見なさい、もう五切れしかないじゃない」
魔理沙も魅魔も、何も答えずぼりぼり鳴らしていた。よく歯ごたえが伝わってくる二重奏が霊夢のしゃくにさわったらしい。手に持っていた茶碗をテーブルへ乱暴に置いた。
「やめなさい!」
すると、汁をすする音が食卓に響きだした。何事かと驚いて霊夢と魔理沙が音の発信源を見やったならば、魅魔が漆のお椀をかたむけている。
味噌汁を飲み終わると魅魔は艶のある吐息を漏らして、すこし味が薄いと言い出した。
霊夢が恐ろしいほど強くテーブルを叩き、それに魅魔が目を丸くさせた瞬間にお椀をひったくっていく。手癖が悪い魅魔と魔理沙をじっくりと睨めつけながら再び箸を進めだした。
……。
霊夢は朝食を済ませると皿を台所まで持っていき水にひたした。だいたいの用事が片付いたところに魅魔が本堂にゆこうと言ってきた。魔理沙は腰をあげた。
陽が注ぎはじめて間もない地上は、まだ夜の肌寒さが残っている。ただでさえ陽のあたりづらい本堂内はとくにそうで、霊夢なんかは空きだらけの巫女服で寒くないのだろうか。少なくとも本人に寒気をうらむような素振りはなかった。
本堂は霊夢によってあらかた掃除され終えていた。
また、本堂の中央には座布団が四枚、それぞれが四角形の角の位置に置かれている。魅魔が夜中のうちに用意したらしかった。
なぜ四枚なのだろうと、霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。すぐに分かるからとにかく座れと魅魔は言った。
仏さまが見下ろす中で三人が座りおえる。ちょうどその時、三人の真ん前に一筋の線があらわれた。スウ――っと線は伸びていくと口を開けるように広がって穴になる。
スキマだ。
スキマからは案の定、紫が顔をのぞかせて、からだも這い出してきた。
「ごきげんよう。何もこんな朝早くに話あわなくてもいいのに」
「紫。登場のしかたが魅魔さまとかぶってるぜ」
紫は魔理沙を一瞥したが、そのとき眉がほんのちょっと釣り上がっていた。顔を合わせた魔理沙ですら見つけられぬほど一瞬だった。
這い出てきた紫は起き上がると、そのまま座布団の上に居座った。これで四人そろったことになるようで、魅魔はよしとうなづくと魔理沙へこう言った。
「さあて、例の神社はどうだった。情報を制する者は戦いを制するってね」
「ああっ、それなら私が教えてあげるわ」
紫は割りこんでくるなりまた毒々しい彩色のスキマを現すと、そこから何枚かの写真と、ところどころ黒ずみシワのよった原稿用紙を取り出してきた。紫は楽し気な微笑をうかべながらそれらを三人の前に用意した。
これは。と霊夢が質問したところ紫の返答はすばやかった。返答も用意済みだったのだろう。
「烏天狗からいただいたものよ。それは昨日の弾幕ごっこの写真で、そっちは書きかけの原稿。もちろん新聞のための」
「うばったの?」
霊夢が聞いた。
「ええー。そんな低俗な真似はしないわよ。私はすごく丁寧に、ちょうだいって頼んだのよ。……そんなことより、せっかく用意したんだから、ちゃっちゃと見なさい」
扇を振り回して言うもんだから、紫いがいの三人はしぶしぶ床に散らばる資料を見下ろした。紫と距離が近い魔理沙は、肩に紫の扇が当たりそうで煩わしく思った。
写真群は言わずもがな。靈夢、魔理沙、文の三叉戦を撮影したものだった。正確には弾幕を含めつつ写真にくっきり靈夢を収めたものが大半で、二枚ばかり、魔理沙と靈夢の小競り合いの様子が写っている。ただし魔理沙が映った写真は全体に比べると少ない。
魔理沙はそこに居合わせていて、見知った光景が収められているのだから妙な気分だ。当日はかっかしていた文だったが、仕事はちゃんとこなしていたようだ。静止画の靈夢を目に焼きつけたあと、目の前でつまらなさそうに写真を見つめる靈夢へ投影させてみると、やっぱり、とてもよく似ていた。魔理沙は、同じだと思った。
「誰よこれ。新しい巫女? 早苗の次はこんなヤツが、へえ、なんだか地味ね」
霊夢がそう言っているのが奇妙に感じられた。こうもそっくりなのに、本人はまるで気に留めていない。気にしているけど、あえて話題から外しているのだろうか。
そう魔理沙が疑問していると、霊夢はおもむろに顔を上げてきて魔理沙と目があった。
「なによ」
魔理沙はちょっとためらってから、霊夢と靈夢の近似について話すことにした。
「いや、だってさあ。似てるぜ。ほら」
魔理沙はとりわけ靈夢がよく撮れている写真を持ち上げて霊夢の前に突きつけると、お前とそっくりじゃないか、とはっきり言った。
それでも霊夢はきょとんとして、言葉の意味が分からないとでも言いたげであった。
むしろ、魔理沙を案ずるような、哀れんでいる風ですらあった。
癪に障った魔理沙はもっと熱心に話そうと息を吸いこんだが、そこで背中に魅魔の手がおかれる、無言のうちにやめろと伝えてきた。理由は分からなかったが、ともかく魔理沙はひっこんだ。
紫が言う。
「この巫女さんなんだけど。どうやら自分の身体に結界を張っているらしいわね。そうでしょ、魔理沙」
「えっ、ああ」
「まあそれは重要なことじゃないのよ」
「おい」
「もっと重要なのは、この神社周辺に小規模だけど力がこもった結界が張られていることよ」
霊夢が身体を前へ乗り上げてきた。結界だとか何だとかいう話題には敏感である。
「それがどうかしたの」
「この結界がくせものでねえ、どうやら私の力が効いてくれないみたい」
へえ、と魅魔がつぶやいた。
「私ね。神社がひょっこりここに出現したときに、めんどうくさそうだからスキマで一気に消しちゃおうと思ったのよ。ところが力を行使してみても、うんともすんとも反応がなかったわ。で、調べてみたら案の定」
調べ方だが。文に密かに式神をとりつけて観測におよんだのだと。藍や橙よりもずっと低級な式神をつかわせたんだと。
魔理沙は聞いた。
「文を取材に駆り立てたのは紫がやったのか」
「いいえ。文は完全に、自分で思いついて決断して取材にむかったわ」
そうでしょうと言いながら紫が向いた方向には魅魔がいた。魅魔はきまりが悪そうにかたい笑顔をつくり、それに対して紫が問い詰め出した。
「文に会ったんでしょう。あの天狗を捕まえて、妙なこと頼んだんでしょう」
「さあ。……なんのことかしら」
「とぼけるのがヘタクソね」
じりっと紫がにじり寄れば魅魔の表情はさらに余裕を失い、それに便乗するように霊夢と魔理沙も不審の目を指しにくる。
なおも笑みを顔面に貼り付けたままの魅魔はもったいぶるように居住まいを改めながら、さすが妖怪の賢者の炯眼には敵わん敵わんと言い出した。
「炯眼もなにも、文がそう言っていたわ」
「あはあ、そうだったかい」
どこか間の抜けた会話に耳を傾けていた魔理沙は、きのう文からタクシー事業を薦められていた時のことを思い出していた。文は緑髪の人に出くわしたといい、振る舞いのいけすかなさを好き勝手に喋っていた。曰く、おっかなくて強そうで偉そうで、ははあ挙げられてみれば間違っていないこともないようだ。さすがに者を見定める目は鍛えられて、一つ二つ的を得るのは容易いのかもしれない。と、魅魔の言動を見つめていると思えてきたわけだ。
「おかげで神社の存在に気づくことができたわ。調べさせたのも正解だった」
紫は最後に、この天狗の資料はあなたたちにあげるから好きなだけ習しておけと言ってきた。
そうして一息つくと、まだ口を閉じようとはしなかった。
「この唐突にあらわれた神社を幻想郷からなくしたいんだけど、さっきもいった通り結界のせいで手が出せないの。だから、あなたたちが神社にいる巫女を叩いて、弱らせなさい。そうすれば私もやっと力を発揮できるってものよ」
その話に耳をかたむけながら、霊夢はどこか、釈然としていない様子である。
「そんなにすごい結界なの」
「すごいと言うより、私のスキマを不能することだけに特化されている。無策でも入りこめるし、周りで弾幕まき散らしても反応はないけど、スキマだけは完全に無効みたいね。えへん。えーつまり、現代的な言葉を借りるなら、空間操作に対する対策は堅牢の構えで、閉鎖空間の発行はもとより許可無い次元航空にワームホールの開拓も並行世界の結合も、10次元だろうが26次元だろうが、空に間に世界をいじくる何らかを、我が敷地内ではその一切を禁ずる。という具合ね」
「……?」
紫以外の三人が一様に首をかしげる様子はとても愉快だった。
そんな紫の頼みごとは霊夢も魔理沙も断らなかった。もとより神社には殴りこもうと決まっており、巫女を痛めつけるという目的は変わらない。
それより魅魔はいつの間に紫と通じていたのだろうか。座布団を紫のぶんも用意していたし、話を聞いているときも初耳らしい素振りはみせなかった(さっきのおかしな自称現代的な話を除いては)。
たまに、ほんの刹那だけ、紫と魅魔が視線を交じらすときがあった。紫の蠱惑的な色味を帯びた瞳と、魅魔の、腹を探りかねる光を秘めた瞳が、何度かそっとぶつかった。それは本人たち以外には判別できない衝突だった。
紫が言うには辰の正刻になり、つまり九時になったのだと。そろそろ頭上の火の玉が積極的に活動しだすころである。その兆候はかすかに落としこまれた光が、きらりと射して、魔理沙の目を細めさせることから伺いしれた。今日は晴天である。
霊夢からすれば予定より遅れた出発になったようだが、魔理沙は別に気にしていない。紫は時期がくればまた現れると言い残してスキマに消えていき、魅魔は神社でじっとしていると言い、出発の間際に手を振ってくれた。
霊夢と魔理沙は並んで飛んでいき、そっけない会話をかわし合った。並んでいるが案内は魔理沙が行っている。
神社は博麗神社ととても似ているから見物だぞ。魔理沙はしつこく霊夢に言い聞かせて期待感を煽ったが、霊夢はただただ眠たそうにしていた。
そのうちに、魔理沙には三度目となる神社へ近づいてきた。
「見ろよ。うん。ここからじゃ遠くて分かりづらいかな。まあ、見ろよ」
魔理沙が、生い茂る木々に隠れ気味の神社の屋根を指さしてそう言った。霊夢は目を凝らしてくれたがすぐ見えないと返してきた。やがて神社のもう間際まできたとなると、魔理沙はもう一度似ているだろと問いかけたが、しつこいと一刀両断された。
ほぼ、神社敷地内の上空までたどり着いた。
「で、これが例の神社なのね。そんなに似ているかしら」
「ああ、そっくりだぜ。もう何度そっくりと言ったか。数えてないがたくさん言ったぜ。実際に降りて見まわって見たら――」
と、まだ魔理沙が喋り終わらぬときに二人の周辺で何かがきらきらと点滅しだした。二人はとっさに身構え、そこでちょうど点滅が止んだと思えばその場所から、白一色でこぶし大の弾がいくつも列をなして飛んできた。それは二人を確実に狙ってきた弾幕であり、一時にはきれいな横一列になってみせたが、魔理沙は左に、霊夢は右に大きく回避運動をとったため、以降に射出された弾は二人を追いかけようとし列を乱した。
息つく間もなくふたたび点滅が発生する。次は上空にきらり、横側からきらり。先程と同じ弾幕が二人めがけた。なので次は下降しながら避けていく。
図られたか。二人はすでに神社の屋根すれすれに誘導された形となった。
弾幕がすべて流れていったあと二人は周囲をすばやく、かつ念入りに見回した。見落としていた弾があるやも知れずそれに注意し、また攻撃をおこなった何者かを探すためだった。その何者か、は、すぐ二人の前に登場した。颯爽と空を泳いできた亀の甲羅に立ち構えた靈夢は凛々しい。右手にはお札を何枚か指に挟んでおり、左手には大幣をはためかせている。その立ち姿は魔理沙の横で顔を険しくさせている霊夢の実に生き写しであり、はじえて出会った者なら彼女らを姉妹と誤解するかもしれない。もしや本当に血が繋がっているのではと、魔理沙でさえふいに思ったほどである。
靈夢は二人を眺め回すと口を開いた。
「またあんたね。よく分からない巫女まで連れてきて、同業者と戦わせようとは何の冗談かしら。手加減しないわよ」
「はあ、同業者ねえ。私は亀には乗らないわよ」
「このおいぼれは関係ないわ」
その辛辣な文句があっさり言われ、老年の亀がハタから見ても分かるほど深い溜息をついた。
「まあ。とにかく、こう何度も侵入されてはたまったもんじゃないわ。追い返す。二度と近づきたくなくなるように」
霊夢はふんと鼻を高くした。
「やってみなさいよ」
靈夢もくいっと顔を上げて見下ろすような形をとった。実際、浮遊している高度は靈夢のほうが高めである。
さて。
霊夢がスペカ片手に構えをとったので、魔理沙も続いた。霊夢はちいさな陰陽玉のオプションを、魔理沙は五芒星が彫り込まれたオプションを遊ばせた。
魔理沙は相手が生半可な腕ではないことを知っているので気合もひとしお、霊夢に小声で気をつけろと忠告もしておいた。それでも、何を考えてか霊夢は一言もなく先陣をきって突っこんでいった。
座布団にも見える正方形のお札を撒き散らして、早々に夢想封印を唱えだしながら、靈夢を追い詰めるつもりでいた。
座布団は回転しつつ放物線を描いて中空を切りながら、靈夢へ意思をもっているかのように襲いかかりにいくと、靈夢はおろか亀の少し手前でちぎれ飛んだ。もちろん霊夢はこのことは道中をゆく間に魔理沙から教えてもらっていたので、だから夢想封印をぶつける準備をしていたのだろう。
魔理沙はアッ気づいて、遅れながらも霊夢の意図を汲み取った。急いで魔法一発のもとに駆け出すと、オプションに霊夢の援護射撃をさせた。
陽光にも負けぬつよい主張の光芒が真っ直ぐ霊夢と各々お札を横切って靈夢のそばで同じように四散する。そうやって結界に荷重をかけていき耐えきれなくさせて、夢想封印で完全に突破させるつもりだった。なるほどこれはいけるかもしれない、と魔理沙は顔を綻ばせた。
思わずして一気に激しくなった攻撃に、むこうの靈夢は苦い顔で口をへの字にする。そして何をするかと思えば袖から丸いモノを取り出し振りかぶってみせると、勢いよく投げつけてきた。靈夢の投法で大きく動く身体が最善のバランスをとれるよう亀は四苦八苦の様子だ。
しょせん少女の投法、ひゅるひゅると情けない軌道で風にでも持ってかれそうな丸いモノを、霊夢と魔理沙は秒ともかからぬ間に見守った。唐突な投擲だったために異質に見えたそれだったが、緩慢な動きは拍子抜けでもあった。と、気を許せたのはつかの間であり、丸いモノはなんの予告も見せず急激に巨大化して二人の目を白黒させた。おかげでその正体が陰陽玉であることが分かった。大きくなった割に速度はつまらないままで、しかしたかだか球体ごときが、入道雲のような威圧感を備え出したことは間違いなかった。そうして遅い遅いと思っていた球体がいつの間にか魔理沙と霊夢の真ん前まで迫っていた。二人は連れ立って陰陽玉の下をくぐり抜けていき、玉の背面にたどり着いた頃には玉はすっかり地面に激突し、あらぬバウンドをしてみせた。魔理沙はちょっと振り返り玉が浮かび上がる姿を見たので、不安を覚える。またこれ、今まで不動だった靈夢と亀は思い出したかのように動き出すと、なぜか魔理沙たちを無視して思い切りに横切っていき、牽制のお札を湯水のように飛ばしつつ陰陽玉へ向かっていった。魔理沙の中に滲んだ不安は実に予感であり、それは的中していたのである。靈夢は陰陽玉の影に入りこんでいく、すぐに陰陽玉が震えて軌道を歪ませ、またもや二人を押しつぶす標的に定めたらしかった。しかもさっきより、は、や、い。ついに二人はバラバラに避けあって離れてしまう。魔理沙は周囲のめざわりな弾幕に気をつけながら霊夢を見やり、霊夢も同じ目にあっている事態を知りほっとしたやら、より不安したやら。さっきまで自分たちがいた地点に鮮やかな光が浮き上がっていることを魔理沙は発見し、夢想封印が発動したのだと思った。まもなく霊夢からの怒号ぎみの叫びで、マスタースパークを使えと聞こえた。魔理沙は、ずっと手にもって汗が染み付いた八卦炉を構えようとするも、射線上に靈夢を捕まえづらくすぐには使えない、その旨を大声で告げ、ついであいつを誘導しろという文句も載せる。霊夢がお札から封魔針に攻撃手段をきりかえたことは明瞭である。灰色の霧にも似た何かが霊夢から次々と飛びしているのは、全て針である。密度がたかいためにそう見えているのだ。
霊夢は靈夢にグングンと近づいていくと、そのままドッグファイトへ連れこむ。トンボ返り、大回転、ねじれて、まっすぐ、たがいに尻を奪いあい、撃ちあって、また回転して。
……魔理沙は白熱する二人のレイ夢を凝視したまま、八卦炉を構え続けて指をぎりぎり硬くさせていた。靈夢が射程に入ってくれて、なおかつ霊夢がマスパにさらされない一瞬を息をつまらせて待つ。
そのときは、来た。
魔理沙がそう感じた間際には、八卦炉は熱風を止めどなく、無尽蔵に輝きをまき散らす。二人のレイ夢が黒くちっぽけに見えだす。八卦炉の中央から魔力を熱と光に変換したエネルギーがはちきれて、急速に広がりながら肥え太った光線が射線上を焦がしに向かうその壮観さ。
ブウウウウウンン――と独特の音が砲撃手である魔理沙の耳をぎんぎん貫く。
あくまで魔法なので、激しい見た目と違って魔理沙自身に反動はほとんどない、だから砲身の向きを変えることは容易いが、今回はそうする必要はない。
光が強すぎる。
魔理沙はしばらく目を閉じた。
ぎゅっと閉じて、耳鳴りに支配された聴覚にばかり、集中した。
でかしたわ魔理沙。さすがの靈夢もマスパが直撃には堪えたようね。
紫の鼓膜をじかに撫でてくるような声が聞こえ、魔理沙は思わず目を開いた。するとあたりの様子がおかしい。今まで晴天のもとに発色が豊かだった風景が、ことごとく淡いムラサキに染め上がっており、その幻想的なようすに目を奪われる。
紫が巨大なスキマを神社にまるまる被せていた。
つまり、魔理沙のマスパが靈夢を守る結界を破り、さらにはうんと疲労させて神社の結界すら不能に陥らせたのだ。
「な、なによこれっ。ちょっとあんたたち何したのよ!」
向こうで靈夢がつばを飛ばしている。マスパに焼かれた服がぼろぼろに乱れている。
スキマとはこんなものだったっけ。
美しい光景だが、魔理沙はそう思うと、背筋を水に濡れた手が這い回るような冷たさが、だから再び目を閉じることに決めた。
博麗神社の本堂は、暗くて薄ら寒かった。そこで胡散臭い妖怪と、胡散臭い悪霊が対面していた。
――さて、全て話してもらいましょうか。
――なんのことだい。
――まさか昔の記憶をもってくるとは思わなかったわ。しかもあなたのような力のある者がするなんて。
――力はあるけど、私はあんたほど聡明じゃないからね。あんたがバカらしく感じるものでも私には面白く思えるんだろうねえ。
――霊夢がぼんやりしていたのは昔の記憶をすっぱり取られたからでしょう。
――アハハハ。そこまで知ってるなら私が言わなくてもいいじゃない。
――あなたの口から答えなさい。
――ん。……霊夢に限ったことじゃない。幻想郷にあった昔の記憶ごと幻想入りさせた。魔理沙だってあの靈夢を見て、あれが昔の霊夢だとは一切思っていなかった。誰が見たってそうだったハズだ。あんたはどうだか知らないけれど。
――記憶を幻想入りさせたなら、どうしてあなただけが覚えられていたのかしら。あなたも最近は顔すら見せず、過去の人になっていたでしょう。
――あんたは、その質問はわざとだね。わざと私をからかっているのね。
――いいから答えなさい。
――あんたの言うとおり、私は過去の人と成り果てていた。さて、どうしたものか。どうやって顔を出そうか。ただ朝のたけのこみたくにょきっと出てきただけじゃつまらない。
――それで、昔の記憶。とくに靈夢の部分にこだわって幻想入りさせた。彼女によって何らかの催しを期待した、と。タチが悪いわね。
――霊夢は昔の記憶がなくなっていたので、ぼんやりしていた。自分の記憶が異変の中心になっていたもんだから勘も働かなかったんだよ。私はそうして、意識のふわふわしている霊夢へそっと助言をしてあげる役回りをもらったわけだ。
――座布団の用意もできたし。さぞ満足したでしょうね。
――ああ。霊夢は昔より料理がうまくなっていたよ。味噌汁の味付けが昔よりマシになった。魔理沙に会うのも久しぶりだった。あいつまるで、何十年もはぐれていた親にやっと出会えたと言わんばかりな顔をして。
――もう気は済んだの。
――ああ。済んだから、記憶は今晩中にそっくり元に戻しておく。私はまたひっそり、神社の隅っこで身体を小さくさせておくとしよう。
――私は、文から神社のことを聞いたわ。文にそうさせたのもあなたね。
――あの新聞をもってきた天狗かい。霊夢が本堂の掃除に取り掛かる前にやってきたヤツだね。引っ捕まえてあんたに神社のことを話しておけと言ったら、いけすかない笑顔でいいですよって。あいつ、したてに出るのが御上手みたいだ。
――私にあの神社の消去をまるごとさせるために、そうしたのね。私を利用するとはいい度胸ね。しかも後片付けのためだけに。
――まあまあ、さすがは幻想郷一の妖怪さんだ。恐ろしい力の一端とはいえとくと拝ませていただいたよ。
――それは本気かしら。それとも、からかっているの。
――さあ。どっちだか。
……。
仏さまがのしかかるように二人を睨みつけている。二人はその後も言葉を交わし続けて、感情のゆらぎは多少あったかもしれない。流れてくる言葉に、感情が含まれている感じは注意すれば聞き取れた。
しかし、感情の振れ幅は決して大きく揺れることはなく、永久に冷たいまま何もない会話だった。
仏さまがのしかかるように二人を見つめていた。
一晩のうちにそれは出現していた。
博麗神社のちょうど向かい側、結界の境目にもう一つ神社が建っていた。ぽつんと、さびれて、人間の気配が露と感じられない様は、たしかに博麗神社と瓜二つだった。
いや、事実、見た目に大差はなかった。そっくりそのまま、元からあった博麗神社をそこへ置いたとでも言うような加減。
これはいったい。
と、はじめに気づいたのは魔理沙である。
だいたい、博麗神社を後にして、ぶらぶら空中遊泳をしていた魔理沙は、その真逆の方角にはさらさら行く気がなかった。ただ、ふっと、箒をついそちらへ片向けたくなっただけなのだ。霊夢風に言うならば、勘が働いたとでも言おうか。
結界まじかの森林に開けた場所があり、そこからにょきっと突き出ている赤い板を見つけたとき、魔理沙オッと期待を胸にわかせた。
こんな辺鄙な場所に建物があるなんて知らなかったから、そこで、魔理沙の蒐集癖が少しくすぐられた。面白いモノはないかしら、と。
魔理沙は赤板めざして着陸をこころみる。
いったん通り過ぎ地面に足をつけてから改めてそれを見上げてみた。
赤板は鳥居だった。朱塗りがはがれて、みすぼらしい姿をしているが、それでもごく僅かな幽玄がある。魔理沙は身震いすると鳥居をくぐり整っていない石畳の上を進んでいった。これでは魔理沙の履き古した革靴がますます擦り切れていってしまう。魔理沙本人はまったくおかまいない。
そうして、魔理沙の目前にようやくお出ましたのが神社である。さっきも書いたとおり、印象はまさしく博麗神社そのものだ。
だから神社の全貌が目にとびこんできたとき、魔理沙は思わずあたりを見回した。ここは博麗神社だったか、と確認するために。
きょろ、きょろ、と一通り首を回し終えた魔理沙は、次に横へかたむけた。
あたりの景色はやっぱり別物で、ここが博麗神社あるいはその周辺でないことは明らかだった。
ははあこれはいよいよ奇妙だなあ、と魔理沙は薄ら笑いを浮かべて神社へ踏みこもうとした。踏みこもうとしたのだが、魔理沙は肌にぴりりとした感触を覚え急離陸したところ、さっきまで魔理沙が踏んでいた足元に五枚のお札が突き刺さった。それを察して避けれたのは、普段からの魔理沙の行いがゆえである。
「危ないな。客を見つけるなり札投げつけるなんて。お客様は神様であって妖怪じゃないぜ」
相手に聞こえるていど張り上げた声でそう言った。
しかし肝心の相手が見あたらない。
とにかく魔理沙は臨戦態勢になろうと八卦炉を取り出し、小さなオプション二つに火をいれようとした。
その時に魔理沙の視線は下を向いており、だから自分より大きな影が自分の影を覆い尽くしていることをすぐに知った。頭上を仰いだ魔理沙は、巨大な玉が自分めがけて、今まさに脳天直撃しようかという様をはっきりと見た。
魔理沙の箒の柄を握る腕がぐっと筋張った。魔理沙がくだした魔法は自身を加速させ、いきおいよく叩かれた風が耳にぼうぼうっと囁く。過剰につかわれた魔力はフレアとして吐き出され一瞬のうちに花が咲き、散った。
落ちる玉の端っこが箒とかすれたかな。とも思えるわずかな衝撃がありはしたが、魔理沙はそこまで頭が回らなかった。
ようやく、魔理沙の口からスペルカードの詠唱がされはじめた。
後方では玉が地面との激しい対面を終えて地鳴りが聞こえた。
そしてスペルカ発動までこぎつけた矢先に、再び魔理沙めがけて飛んでくるお札の数枚が、魔理沙のうごきを一段さきおくりにさせる。
たいして華麗でもない空中アクロバットをさせられる本人は舌を噛まないよう歯をくいしばっている。
そこで何かがこと切れたようだった。
「きょ、きょうは分が悪いぜっ」
スペルカードは手早くしまいこまれ、通常弾幕をどこにともなくばらまきながら、魔理沙は神社から後退した。
追撃とおもわれるお札が魔理沙の背中をいくらかかすめる。それらも届かなくなったところまでたどり着いた魔理沙は、うめきとも溜息ともつかない声と息を吐きだしながら振り返った。
神社の庭に大きな玉がころがっている。黒と白の勾玉模様がより合わさった模様から、陰陽玉だと判断できる。陰陽玉により揺り起こされた土煙はそろそろ落ち着きはじめている。
魔理沙は相手をちらとでも確認したかったが、その姿があらわれることはなかった。
翌日の博麗神社に、新調した革靴を光らせる魔理沙がいた。
――霊夢。あたらしい分社はずいぶん手荒だったぜ。まるでお前みたいだな。いつのまに弟子を作ってたんだ。それとも双子の妹かい。
――あー。何の話よ。
――分社だよ。ああ、そうか、弟子も妹もいなくて、全部お前の自演ってわけかい。
――だから何の話かって聞いてるのよ。分社ってなんのこと。
――向こうにあるぜ。ずっと向こうの方にポツンと。すばらしい再現度だ。幻想郷にいる大工も捨てたもんじゃないな。
――腕のいい大工の知り合いはいないわねえ。ついでにいうと弟子も妹も記憶にないわ。
――人付き合いが疎遠なやつめ。
――あんたに言われたくないわ疎遠。で、分社ってのはどこにあるのよ。どいつか知らないけど、私に許可なく建立するとはいい度胸じゃない。お金とってやろうかしら。
――で、どうするんだ。殴りこむか。
――いいわ、パス。
――どうして?
――私の勘が別にどうってことないって言ってるわ。ということは、どうってことのない分社ってわけ。いや、この呼び方は気持ち悪いわね。神社ってわけ。ああもうっ、すがりついてこないでよ。行くならあんた一人でいきなさい。
――お前とは疎遠けっていだ。
魔理沙が離れると、霊夢は魔理沙のせいでくたっとなった服を正し湯のみのお茶をひといきに片付けてしまった。
魔理沙は何とかして霊夢の気をひこうと、お札が飛んできたことや陰陽玉に潰されかけたことを話した。気をひくのが魂胆なものだから、内容は大げさに、展開はいいかげんに、とにかく派手な脚色が甚だしかった。
魔理沙のそういったあつくるしさをほんのちょっとでも感じ取ったか、霊夢は耳をかたむける様子がなく、まぶたを重たそうに半分だけ開けていた。
ひとしきり喋り終えた魔理沙は喉の奥がきりきりと痛んだので霊夢にお茶を催促し、しぶしぶ差し出された湯のみをもらうと口をあてた。決してぬるくなかったが、魔理沙はほとんどを水を飲んでいる心地になった。
しょうがないと決めつけると、魔理沙は立ち上がって縁側から外へ飛び上がっていった。
魔理沙はあの神社へもう一度向かうつもりである。お札や陰陽玉をつかう何者かの正体を、例えつまさきだけでも明かしてやりたかった。
八卦炉はすでに手元に落ち着かせてあり、オプションはいつでも動かせるようになっていた。
ところで、魔理沙は文といれ違いになっていた。
魔理沙は目の片隅で博麗神社へ近づいていく文を見て、どうせ新聞の配達だろうことは分かりきっていたので気にとめず、飛行速度をちょっと上げた。風が袖から入り身体にそって駆け抜けていく涼しさはこれでしか味わえない。服が入りこむ空気に押し上げられて、風船のようになってしまわないよう裾は自由にしているが、おかげでしょっちゅう服がめくれ上がりそうになる。
魔理沙は自分のお腹が披露されるハメになるたび、これの解決を頭にめぐらせるようにしており、最近は前の裾だけ固定するようにしておけばいいと考えていた。もっと早く気づくべきだったと後悔もしていた。
そうしていると、とたんにがくんと箒が揺れ、速度もかなり落ちてしまった。
「タクシーって知ってます。安い運賃で人を運ぶ仕事だそうですよ。あなた、やってみたらどうですか」
魔理沙は後ろを振り向けない。正確に言うと、真後ろを振り向くには首を曲げるだけでは足らず身体にも無理をさせないといけないので、振り向きたくなかった。
ただ真後ろの箒のブラシのところに文が座っていることは声で分かったし、ちょっとした圧迫感が背中をさすってきだしてもいた。もちろん文が箒にまたがっているのか、そうじゃなく腰をかけているだけなのかまでは確認できない。
「もう、霊夢に用は済んだのか」
「用も何も、新聞とどけにいっただけですし」
はあ、と、魔理沙はわざとらしく溜息をついた。
「勧誘が断られるからって、とうとう新聞を無理に読ませるようになったか」
「いやあ違います。今日のは号外だから、人を選ばず配って回りました」
もしかすると、霧雨亭にも新聞が届いているかもしれず、魔理沙は心から絞り出された溜息をついた。
会話はここで途絶えた。
魔理沙は落とし気味だった速度をもう一度速めると、後ろの文はバランスを崩したのか妙なうめき声をもらして魔理沙の服へしがみついてきた。そして加速するなら言ってくれだのと耳元で騒いだ。そのとき魔理沙の帽子が風にさらわれそうになったが、文が手でおさえて、魔理沙は頭を叩かれたような目にあった。
空は曇りぎみ。たったいま人間の里の上を通過した。二人乗りの箒はあんがい重心をとらえるのが難しく、魔理沙は人知れず悪戦苦闘していた。
「……文、ちょっと尻を右にずらしてくれ」
こうですか。と文は素直に従ってくれたが、魔理沙が想定していたより少し右にゆきすぎたようだった。だから次は左へと言うと、しつこいと返された。
「なあ、お前どうして私の箒に乗ってるんだ」
「これは今更な。だって神社に向かっているのでしょう」
「たしかにそうだが」
「行き先が一緒だからですよ。昨日の夜中にあの神社を見つけたんですがね、追い払われてしまいましたよ。遠慮もなにもあったものじゃない。いやだいやだ。その時一枚だけ、私に襲いかかってきた神社の主らしき人物を撮影したんですけど」
「ほお」
「今日の号外も、それの記事を一面にのせています。ちょっと不服な出来上がりになりましたけど」
文が後ろで動き出すものだから魔理沙は気が気ではない。そして急に何かが腋を這いずってきたものだから、声が飛び出そうになるが、どうにかこらえた。腋を通ってきたのは文の腕で、腕は魔理沙の正面で写真をたてた。
写真に写されているのは大方、弾幕の名残とも言うべき派手な爆風だ。文は夜中と言っていたが写真からそれは判別できそうにない。なにせ、そこかしこで明滅している。
よおく目を凝らしてみると写真の左斜め下あたりに人間が写っているように見えるが、あたりの散々な発光具合によって白っぽい服を着ていることしか分からず、見る人によってはそれの存在を疑ってかかるような、証拠写真としてはまるで価値がないものだった。
「本当ならボツ。とっくにゴミ箱いきの写真ですよ。そういう意味では貴重な写真なんですからじっくり見ておいた方がいいんじゃないのかな」
文はそのことを理解した上で写真を提示してきていた。
「ああ、いや、そもそもお前の写真自体を貴重ともなんとも思ってないから」
文が手を引っこめてくれた。風に誤魔化されぎみだが、後ろからチャックの開く音が聞こえているので写真をカバンか何かに収めているのだろう。
「ああ、あの緑髪の幽霊は誰なんでしょうか」
文からそう、出し抜けに尋ねられた魔理沙は何も思いつかず、ただマヌケに返答しただけだった。えっ、と。
「私が知らない方が幻想郷にいるとは思いませんでした。はて、さいきん表から入ってきなすったのかしら」
「りょくはつ? 誰のことだよ」
「偉そうでおっかない人でしたね。なにより強そうでした。しかも自分の実力を分かっているうえで顎を高くしているような。ああっ、やだやだ」
魔理沙は述べ立てられたキーワードを自分なりにまとめて緑髪の何者かを想起しようと試みた。しかし緑髪の蛍や閻魔さまやつるべ落とし等々が頭によぎってくるもんで、そのうち魔理沙はまとめて振り払ってしまうと飛行に集中することにした。
……。
やがて足元に広がるみどり豊潤の木々たちの間から、立ち上がった人工物を見つけた。魔理沙は狙いをつけると緩やかに下降していき、鳥居の上を通過してそのまま神社まで進む。先に降りろと文に言って、文が降りたところで魔理沙も着地に入った。黒光りする革靴でジャリをしっかり踏みつけると箒からおり、スカートを整え、最後に帽子の角度をなおした。
今回はすぐさま襲ってこなかったな、と魔理沙は思い、文に目配せをしてみるとうなづかれて、文もそう感じているようだった。
周囲のほの暗さに裏打ちされた不気味な静けさが神社全体にまとわりついて、神社がさびれている事実をよく際立たせている。そういったところが、博麗神社とは明らかに違った気配で、今更ながら分社と呼ぶべきではなかったと魔理沙は思った。
ここからどうしようか、魔理沙はそんなことで立ち止まっていた。
「中、はいってみるか」
魔理沙は文のほうを向いてはっきりと言った。文はあまり感情のこもっていない声で応答した。
魔理沙が歩きだすと遅れて文もついてくる、一方は八卦炉を握り締めて、一方はいつでも撮影できるようにカメラを構え気味でいた。
神社の正面から行こうとしたが魔理沙は立ち止まる、ここは博麗神社と瓜二つである、もし構造もそうであったなら裏口や縁側なども同じ形で出迎えてくれるかもしれない。わざわざ正面をつかうよりも別の道から侵入したほうが、魔理沙の悪戯心をくすぐってくれるというものだ。
白服の誰かはどこにいるのだろうか。二人の侵入者に気付いていないはずがない。たった今、魔理沙が手をかけようとしていた正面玄関の戸口、そのすぐ裏にそいつが待ち構えていないと言い切れるだろうか。
魔理沙は粗い木目の戸口からそっと離れると、文に手招きしながら神社を回りこんだ。二人は息をしずめたまま庭先まで向かい、庭の地面の乾燥具合まで博麗神社に似ていたため、息も忘れて顔を見合わせた。
縁側を覗いてみたが誰の気配もなかった。
ここから入るのかと文が聞いたところ、魔理沙はうなづいた。
縁側から見れる八畳間には、部屋の中央にまだ片付けられていないこたつがある。こたつの上には皿にのった煎餅がある。左に小振りなたんすが構えており、たしか右の襖を開けるとさらに八畳間があって霊夢はそこに布団を敷いて、一日のはじまりとおわりを迎えていたはずだ。
魔理沙はそんなことを、ぼんやり考えていた。やはり似ているなんて程度じゃない。
博麗神社そのものがこの場所に緻密に映し出された神社である。外観ばかりでなく内部までそっくりな様子は、柱による骨組みや土台までもそっくりなのではと想像させた。
八雲紫の仕業か。
ふっと頭によぎった紫の薄気味悪い笑顔は、魔理沙にとって鮮明な意味をおびていた。魔理沙はほんのちょっと顔をしかめると、紫による手のこんだ悪戯という説にたいして――一瞬で浮かんできた発想にも関わらず――ほとんど確信だと思いだした。
魔理沙に失望が混じったなんともやるせない表情で振り向かれたとき、文はどんな反応をとればいいか迷わされたことだろう。
そうして魔理沙は、さっき思いついた内容を文に喋りだそうとした。
と、その途中で目の前に浮遊している奇妙な物体に目を奪われて、奇妙? 見覚えはあるだろう、誰だって一度は見たことがあるはずだ。もちろん、そんなものが浮遊しているなんてありえない、そういう部分において奇妙とするのは適切だった。
いかなる力場に身をまかせているのか、または、その横長い扇にも似た四肢をばたつかせて浮かんでいるのか。もしやぬえまで絡んできており、いつかハタ迷惑な目にあわされた正体不明の種がそう魔理沙に幻視させているのかも。
亀が飛んでいるなんて。
しかも亀は神輿くらい大きな体躯で、なまいきにも白ひげをたくさん蓄え、尻からも白毛の尾っぽが伸びて漂っていた。長寿の証である。
亀は青い瞳で二人を見下ろしてきていた。
「お、おおおお」
魔理沙は感嘆ともとれる叫びをあげながら文を捕まえると亀から距離をとった。文のほうは、そこでようやく亀の存在に気づいたようで、魔理沙の視線を追いかけた文は口をまるくして感心した表情になった。
ずりり、ずりり、と後ずさっていき、縁側まで退避しきった二人に声が降りかかってくる。
「またあんたたちっ! グルだったのね。あんたたちはすすんで退治してもらいたい人種なのかしら」
声は亀から発せられたように聞こえたが、まさかこんな張りのある明らかな女声を喋るはずがない。それもそのはずだ、亀の甲羅の上から女性の頭が飛び出てきた。
ああ、声もそうだった、まさか顔までそっくりだったとは、さすがに魔理沙の予想を超えていた。
「れ、霊夢?」
「あら、どうして私の名前を知ってるのよ」
甲羅に仁王立ち、右手に大幣を持ち、魔理沙が熟知している霊夢より、随分しっかりした巫女服を着た女性は、毅然とした態度でいる。そういったところまで霊夢であった。
「たしかに私の名前は博麗靈夢だけど。あんたには教えた覚えがないし、そもそも初対面よ」
自分を靈夢と言い張るその女は腕組をして、より強きそうにしてきた。
「でもレイムなんだろ」
「魔理沙さん。漢字が違うんですよ。ほら、右を見てください」
「ああ、ほんとだ」
すると二人の会話を遮って靈夢はお札を投げつけてきた。左腕を右から左へしならせ三枚、広げた手のひらより一回り大きなお札が二人へと飛来した。
文はほぼ靈夢と同期したかのように、瞬時に魔理沙の腰へ腕をまわしながら土煙を巻き上げ上昇した。一気に霊夢と亀を飛び越し、神社の屋根より高みに位置ついた。その間、魔理沙は情けない声を出まかせにしながら文のなすがままだった。
魔理沙は腕を離せと、手足をじたばたさせたが、文が叱りぎみに制してきたので栓をされたように黙りこくった。文はこそっと囁いてくる。あの巫女を取材したいから魔理沙が弾幕ごっこに参加してくるのは困ると言った。
どうやら魔理沙は文の気が済むまでの間はお荷物として扱われるらしく、文のホールドから抜けだそうにも天狗の力が思った以上に強く、かなうことはなかった。無茶な体勢だ。魔理沙はお腹を締め付けられて苦しかった。
曲芸めいた行動をとる二人に靈夢はあきれた表情を浮かべて、袖から取り出した束のお札をまとめて放り投げた。
お札は空中でばらけると各々が減速することなく明らかに放物的でない動きを見せる。きれいな正方形を基本に展開しさらに小さい四角が正方形の中を行き交う、お札が赤いせいもあり、曇り空にひどく目立つ。それが一斉に二人に襲いかかった。
文は魔理沙をだきかかえた状態にありながらも軽やかにお札とお札の隙間に潜っていった。
このとき、二人がほのかに感じた疑問は共通していた。
靈夢はスペカ宣言をしていない。
唐突に――もちろん場の空気から来るであろう予感はついていたが――弾幕は放たれた。わざと、かと思われたが、さらに靈夢からの弾幕は二度三度と続けられ、すべて一言もなかった。文がそれに対して不信がり、不意の流れ弾に注意しつつ靈夢から距離をとりはじめると、靈夢は亀に指図して追いかけてきた。亀と言うが、空中をわたるに関しては素早い。
一連の文の行動を見つめながら魔理沙は、ああじれったい、とやきもきしていた。文が片手に持ったカメラを構えたり下ろしたり、なお警戒する姿勢は変えず。その姿は優柔不断に映った。
だいたい魔理沙は取材に付きあうつもりは一寸もなく、ただ単純にきのう撃退させられた借りを返しにきただけだ。
そうだ、おとなしく手提げカバンに成り果てているのはらしくない。
魔理沙は身体をのけぞらせた。文はその反動をもろに受けると飛行の軌道をあやまって弾幕の一角に身を晒しそうになる。その挙動を確認した魔理沙はこれだと決めてさらに背の角度を、自分でも痛いほど思い切りキツくした。またも傾き腕を弾幕にかすめると文の身体全体がきゅっと引きつった。その緊張を魔理沙は感じとると追い打ちと言わんばかりに文を突き飛ばした。拘束はあっけなく解かれると魔理沙は空中へ飛び出された。
既に温めておいた魔法を発動させるやいなや重力に逆らって弾幕間を滑りこんでいき、文と靈夢にたいしてちょうどよい位置で身体を安定させた。
魔理沙は久しぶりに箒にまたがらずに空を飛んだ。箒は文に捕まったとき落としてしまった。乗らないと妙な不自然さでむずがゆいが、いまさら拾いにいくのもおっくうだ。
魔理沙は改めて、スカートを叩いてオプションを起動させた。
起動したオプションがスカートから出てくる際、丈が持ち上げられた。
靈夢は相手二人の不可解な行動に目をそばめて、ひとまず攻撃の手をゆるめた。おかげで文もあたりに残る弾幕の余波をくぐりきったと見るなり空中に静止して、困った顔で魔理沙を見やった。
「おいおい、私を見てるヒマなんてないぜ」
それは分かりづらくいいかげんな警告だった。
既に手元に用意されていた魔符を掲げて、スターダストレヴァリエと高らかに宣言されると、符は緑色のあやしい炎に包まれて瞬きする間に消滅し、かわりにあふれんばかりの光が好き勝手に飛び出すと、星の形でもって文と靈夢へつっこんでいくなり、煌々と爆散した。
魔理沙は連続して煌めくフラッシュの中で、文と靈夢がレヴァリエから離れていく姿を見た。いきなりレヴァリエを放った目的は、さきほど靈夢がばらまいた弾幕の処理だったので、別に二人が何をしようが問題じゃなかった。巻きこまれてくれれば尚よかったのだが、そう簡単にはいかないようだ。
文が遠くから大声でこう言ってきた。
「危ないですね。何のつもり! 取材できなくなるじゃないですか!」
「ああー、よく聞こえないぜ」
魔理沙の声のほうがよっぽど聞こえづらい。
「もういいですよ。魔理沙さんは離れてて。私の取材に割りこまないでください」
「いや。元はと言えばお前が私についてきたんじゃないか」
「目的地が同じだっただけのことです。よくあるでしょう?」
「お前はお隣さんかよ」
「それよりも、ちゃんと聞こえているじゃない」
下らない言い争いに発展するのはいつものこと。だが蚊帳の外にされている靈夢が不満げな顔でその争いを眺めていた。
「ああもうっ、やかましいわね! あんたら味方なのか敵なのかはっきりしなさいよ。ねえ爺さん」
「御主人さま。……急にふられても困ります」
亀がしゃべった。魔理沙は少し驚いて、文はふうむと唸った。
「おや、喋る亀ですか。あまり珍しいとは言えませんが記事のつなぎには役立ちそうですね」
「うっさいわね。あんたら散りなさい。散れ、散れ!」
靈夢が再び束になったお札を取り出してくる。しかも二、三束と次々に、手に持っては投げつけて、また一束取り出して。お札はそれぞれ、四方八方に拡散していき魔理沙と文の行動範囲を確実に狭めさせた。
箒がないぶん普段より身軽な思いをしている魔理沙は飛び跳ねるように弾幕間を移動し、靈夢との距離を縮めながらオプションにイリュージョンレーザーを吐き出させた。
もともと牽制用と割りきって撃ち出したつもりだ、魔理沙に当てる気はなかったが靈夢は避けようとしない。まさかとほのかな期待が灯ったが、なあに、レーザーは靈夢に当たる直前で、岩にぶつかった水がしぶく如くとなった。何らかの力場を作っているらしい。用意がいい。
靈夢は接近する魔理沙にむかい、さらにお札を投入してくる。
さすがに周りの弾幕が濃くなりはじめたので、魔理沙は減速しながら直進を諦めた。
そうしていると、いつの間にか文まで近づいてきていて、何をするつもりか同じみ紅葉をかたどった扇を振りかぶってきた。横目に感じ取っていた魔理沙は何が迫るのかあらかた分かったので、大事な帽子をしっかり押さえこんだ。そして扇が力強く振り下ろされた時、付近の空気は見えない津波と化した。風速の微細を測れはせずともひどい風が巻き起こったことは明白だ。魔理沙の判断は正しかった。
弾幕とは言えしょせん紙にすぎないお札は圧倒的自然には勝てず、一塊の風によって一瞬にして洗い流された。とばっちりを受けたのは魔理沙と靈夢で、準備していた魔理沙でさえ身体を押されそうに、もはや無力となったお札が張り付いてきて目障りだった。
憤然とした文は扇をしまうと付き合ってられないと言い飛び去っていった。
さっきの暴風がいかなる意思表示なのかはともかく、敵対する者が減ったのは都合がいい。これで魔理沙も集中して靈夢に弾幕ごっこを挑めるというものだ。その靈夢は足元の亀を叱りつけながら体勢を立て直していた。
魔理沙は加速する。
魔理沙が神社をあとにした頃合い、博麗神社にふたりめの訪問者がきていたのは既に書いた。大きめのショルダーバッグに刷り立ての新聞紙を詰めこんだ文は、神社の庭先に近づくと、号外、と大きく一言打ちだしてから庭へ新聞を投げこんでいった。
号外の声と、ばさっと乾いた音は霊夢も聞き取ったが、すぐに回収しない。座布団を枕、ふかぶか顔をうずめて、んんんんと唸っていた。おっくうなのだ。外に出たくないし、直射日光をあびるなんてとんでもない。猫のように畳の上でくつろいで、頭のなかを空へとばすつもりで何も考えることなく、たまにあくびすることが霊夢の何よりな幸福だった。
もうちょっとゆっくりしてから新聞を取りにいこう。
と油断しきっていた霊夢はふと、ある記憶が急速に浮上してきたのでそれにせきたてられ飛び起きた。
本堂の掃除をしようと昨日から決めていたはずだったのに、霊夢は今の今まですっかり忘れていたのだ。
袖をなびかせて障子を開け放った、廊下を突っ切ると玄関へ向かい箒とちりとりを手に入れた。本堂へゆく、いやバケツと雑巾もほしい、物置小屋へ方向転換した。見つからない。あった。ホコリだらけだ。雑巾はバケツのなかで干からびている。
バケツの取っ手を指先でつまみ上げると、霊夢は井戸まで走っていった。薄い取っ手部分にさえほこりが積もりしゃりしゃりとした感触がきもちわるく、霊夢は走っている間じゅう顔をしかめっぱなしでいた。庭の一角までゆくと井戸があった。その側へ乱雑にバケツを放り投げた。雑巾は大きくバケツから離れると大きく羽ばたいた。井戸の蓋を開いてやはりそれも放った。二つ井戸底まで垂れた縄の片方を、出来る限り上をもつと力をこめて引っぱりながら、限界まで引っぱりあげたところを注意深く足でおさえると、手はもう一度縄の上へかけた。さらに腰を下げていく。
これを繰り返していきようやく、水がはちきれ右へ左へこぼれ落ちるつるべを手元まで引き寄せた。つるべはなかなか重たい。
霊夢はそれを両手で支えバケツめがけてかたむけると、冷たい水が一斉に流れていき、一時ちいさな滝を見せた。バケツに到着した水は逞しくはじける。半分以上はあたりの土へと還っていった。
水がうつされたバケツは水面にホコリが浮き立つ。少し灰色に濁った水は、かき混ぜればさらに汚れた色合いになりそうだ。だが、霊夢は腕まくりをして雑巾を拾い上げると、そこへ躊躇なく腕を沈めた。
大きな気泡がひとつ、ごぼっと鳴る。
水がより一層灰色を増した。霊夢はバケツの裏面を雑巾で磨いているようである。しばらくするとバケツの水をすべて流した。井戸へ近寄り、前述と同じだ。新たな水をバケツへ流しこむと、また同じ。
さらに繰り返して、三度目の時はバケツの表面にも手を伸ばしていた。
バケツは毛深かった当初の姿を払拭させて、もとの、使いこまれてすっかり古びているバケツを現した。
ここまで下準備である。霊夢はそんなこと考えもしていない。ただ前方に横たわる目的を果たすのに一所懸命であった。
片手に持ちできるだけ小さく波立たせながら本堂まで歩いていき、別の手は箒とちりとりを握りしめていた。
本堂へ入るためのふすまには白毛をたくわえた亀が悠々として雲と戯れている絵が描かれている。霊夢はこれに片足の親指をかけて器用に開いた。
「あ」
霊夢はひとまずバケツ、箒ちりとりを下ろした。
陽の光がわずかしかさしておらず薄暗い本堂の中はこげ茶色な合板の床、奥には巨大な仏さまが鎮座しており立ち入った者へ静かな圧力をあたえる。霊夢は何週間ぶりに仏さまを見たが、それが霊夢をきょとんとさせた原因ではない。本堂の中央にぽつんと人が正座しており、その姿が第一に目に飛びこんできたので、霊夢の頭から掃除の件を追いやった。
霊夢にとってその人はとても意外だった。霊夢は目を見開いて、次に訝しげにその人を見つめながら近づいていった。その人が床に手をついて深々と腰をおったのはなにか冗談にも思えて、霊夢は冗談はよせと言ってやった。その人は冗談に決まっていると豪快に笑いだした。
八端判で水玉模様の座布団を二枚もってきた。本堂の床はまだみがかれておらず少々ほこりが敷かれているため、座布団でもないとやってられない。おぼんに急須と湯のみをふたつのせて運んできもした。
こうして霊夢と魅魔はしっかりした形で対面した。
暗く静かな本堂でふたりの顔には濃い陰影が浮かんでおり、ふたりともその陰影を見つめ合ってた。
魅魔がぽつぽつ喋りだすと、まず霊夢は身の回りの些事について聞かれた。なんてことない。魔理沙のことを聞かれた。新しい知り合いはどうだと聞かれた。どれについても霊夢は一言二言しか答えず、あまりに素っ気なかった。
霊夢にはわかっている。魅魔がムリに、そんな世間話をしむけているのは明白だった。
「最近はおもしろい?」
ああ、そうじゃないでしょう。と霊夢は思ったが口には出さず。
「変なヤツは増えたかい」
違うでしょう。あなたが話したいことはもっと別にあるんでしょう。
「お前さんのいれるお茶は相変わ――」
「いったい何の話があって今頃出てきたのよ」
話を遮ってまで問うた霊夢に、魅魔はふふっと薄ら笑いで胸中はきっと舌なめずりしている。どうしても自分からは進んで話したがらないようだ。
「ほお。と、言いますと」
魅魔が腰を浮かせ霊夢へなすりついていく様子は、猫が人に甘える図を彷彿とさせた。腰を浮かせると書いたが、じっさい腰はところてんにも見える大蛇の格好で、古典的「足がない幽霊」のそれであり、浮きっぱなしである。
「だってアンタ……魅魔、ずうっと顔も出さなかったじゃない。正直いまのいままで忘れていたわ」
「それは怖い、危なかったよ。危うく私もすっかりきちっと忘れさられて幻想入りさせられるところだった」
霊夢はまじまじと魅魔の顔に焦点を合わせた。ほのかに得意げを漂わせているえくぼが嫌みったらしい。
「どういうことよ。あなたが? 幻想入り? だってあなたはここの住人でしょう。幻想郷にいるモノが幻想入りだなんて」
「あるのさこれが。着物正して入り直しとでも言やあいいのか、たまにこんな現象に苛まれる妖怪、幽霊、その他もろもろ。哀れだねえ。夢まぼろしの中ですら相手にされなくなるっていうのは」
私はそんな話を知らないわよ。と霊夢は言おうとしたところ、魅魔がこれそれと例えを挙げだしたのはいいが、並べ立てられた事例の切っ先すらも霊夢を納得させるものはなく、半信半疑をより強めるばかりとなった。思いきや、ふいにある名前が踊り出てきた。
「えっ、アリスがそうなの」
「そうさ。彼女も幻想入りの一人なんだよ。幻想郷より、幻想郷ゆきの幻想入り少女さ」
はあ。
霊夢は関心からか呆れからか、言葉になりそこねた空気を吐いた。
そうして押しのけられた魅魔は名残惜しそうに離れ、元の座布団の上に帰っていった。霊夢はもう一度さっきと同じ質問を、どんな用事で現れたのかを聞いた。魅魔が視線をからめてくる。
「さて、霊夢は私と、なにをしてたんだっけ」
ずいぶん抽象的な質問をされた霊夢はあーと口をあけて思い出そうとし、その質問のうらも探ってみようとした。
霊夢の記憶の断片はふらついている、過ぎた日はもう色あせている。ああ、でも、こんなに覚えていないものかと霊夢は自分を悔やんでみた。魅魔の質問に答えられないようなので、その問いの真相も分かるわけがなかった。しかも、そうして奮闘している霊夢を魅魔は言いようのない表情で見守っているばかりだった。
耐えかねて、きっぱり覚えていないと言うと、魅魔ははやり例え難い表情で(笑っているように見えなくもない)そうかいと言った。
「記憶が曖昧なのかい」
「ええ、そうよ。何か悪いの」
「神社のことは既に耳にしてる?」
「神社。……そういや魔理沙が、分社がどうだとか言ってたわね」
分社と聞いた魅魔はまたかんらかんらと笑いだした。何がつぼを付いたのか、しばらく腹をかかえていた。
「何がおかしいのよっ」
霊夢は、まるで自分がおかしな発言をしてしまったかのように感じそう言った。
「いやあ、魔理沙はいいところを付いていると思ってね。なるほど分社かあ」
いったん仕切りなおした魅魔は身を整えて、じっと霊夢を見やった。
「その分社、いやさ、神社は早めに拝んどいたほうがいい。特に霊夢は」
いや、でも、と霊夢は、自分の勘が何一つピンときていない事実を魅魔へ伝えようとしたのだが、それは喉までくると引っこんだ。勘は絶対であるつもりだったが、今回ばかりは自信がもてなくなったのだ。
外、庭の方で雀が鳴いている。
雀の声をじっと聞き入ってみると少しは落ち着くだろうかと霊夢は考えた。この場合落ち着くのは自分の勘に対してである。
そうやって浅く瞑想する霊夢に、魅魔は変わらぬ調子で言った。
「どうだ。ひとつ、例の神社を見にいかないか」
「ええ、うん。明日ね、明日」
明日までにハッキリさせておこうと霊夢は決めていた。
「ハッキリしないねえ。どうした」
魅魔のからかっているような笑みが一さじ含まれた表情に、霊夢は勘がいまいちな事をすっかり見透かされているような気にさせられた。霊夢はほとんど手付かずだったおぼんを自分側へ引き寄せると、魅魔が身体を起こしでもしないと触れない位置へと運んでやった。
それで見せつけるように湯のみを持ってズズズと音を立てるのだ。
魅魔の表情はようやく、不信の感じられない純粋な苦笑いを見せたので、霊夢もつられて口角を上げた。
結果だけ書くと、魔理沙は苦杯をなめた。
靈夢という名は伊達ではないらしく、魔理沙は苦しい戦いを強いられた末に敗退させられた。帰り路は汗ばんだ服をきらい、しかめっ面をあらわにしていた。
そういえばあの靈夢はお札ばかりしか繰り出してこなかった。陰陽玉を今回の勝負では一切見かけなかった。ああ、もしかして靈夢は手加減をしていたのだろうかと思えなくもなく、そう頭によぎったとき魔理沙は鬱々とした。
日と場所は変わって、翌日の早朝の博麗神社である。
魔理沙はいつものように縁側から入りこんだ。八畳間では霊夢が朝食を静々味わっている最中であり、だいたい魔理沙の狙いどおりだった。
ところが、魔理沙をちょっと驚かせたのは、霊夢が出かけるときの服を着ていることだった。どこに行くのかと聞くと、
「昨日あんたが言った神社に案内しなさい」
と。
漬物を咀嚼しながらだったので聞き取りづらかった。
魔理沙は生返事をしながら霊夢の向かいに座り、沢庵をつまんで口に放りこんだ。弾力のあるそれを噛みながら霊夢の顔を見つめていると、靈夢のほうをどうしても思い出さずにはいられなかった。目鼻立ちに頬のライン、身につけているものは違えど何から何まで同じだ。特にじとっとした目つきはイヤになるほど。
「私の顔に何かついてる?」
霊夢はそのジト目で言ってきた。
「別に」
魔理沙はちゃんと沢庵を飲みこんでから言葉を返し、また一切れつまんだ。
すると別の部屋から聞き慣れない声が届いてきた。
「ああ、魔理沙が来たのなら、神社の話をじっくりたずねてやろうじゃないか」
魔理沙は部屋を隔てている障子へ顔を向けたところ、障子はぴくりとも動かずにいきなり人の顔が浮き出てきたので沢庵を吹きそうになった。
まず笑っていて、そうして何の抵抗もなく浮遊したからだは障子を抜け出した。魔理沙はそれの全身を見つめて、ようやく彼女が魅魔であると理解した。
長らく出会っていなかった親しい人の姿は懐かしき記憶の大海からこぼれ落ちた夢だった。魔理沙の胸に熱いものがこみあげてきて、一滴の涙くらいは許しそうになった。
「魅魔さま!」
「そう。あたしゃ魅魔だよ。久しぶりだね」
魅魔は畳すれすれのところを、半透明で一本の幽霊然とした下半身を浮かせていた。魔理沙はその姿をぼんやり見つめた。
「はやく食べなさい。霊夢」
「うるさいわね。朝食くらいゆっくり食べさせてよ」
魅魔は沢庵へ手をのばした。
魔理沙も三つ目の沢庵をいただくことにした。
「ちょっと! どうしてあんたらは沢庵ばっかりとっていくのよ。見なさい、もう五切れしかないじゃない」
魔理沙も魅魔も、何も答えずぼりぼり鳴らしていた。よく歯ごたえが伝わってくる二重奏が霊夢のしゃくにさわったらしい。手に持っていた茶碗をテーブルへ乱暴に置いた。
「やめなさい!」
すると、汁をすする音が食卓に響きだした。何事かと驚いて霊夢と魔理沙が音の発信源を見やったならば、魅魔が漆のお椀をかたむけている。
味噌汁を飲み終わると魅魔は艶のある吐息を漏らして、すこし味が薄いと言い出した。
霊夢が恐ろしいほど強くテーブルを叩き、それに魅魔が目を丸くさせた瞬間にお椀をひったくっていく。手癖が悪い魅魔と魔理沙をじっくりと睨めつけながら再び箸を進めだした。
……。
霊夢は朝食を済ませると皿を台所まで持っていき水にひたした。だいたいの用事が片付いたところに魅魔が本堂にゆこうと言ってきた。魔理沙は腰をあげた。
陽が注ぎはじめて間もない地上は、まだ夜の肌寒さが残っている。ただでさえ陽のあたりづらい本堂内はとくにそうで、霊夢なんかは空きだらけの巫女服で寒くないのだろうか。少なくとも本人に寒気をうらむような素振りはなかった。
本堂は霊夢によってあらかた掃除され終えていた。
また、本堂の中央には座布団が四枚、それぞれが四角形の角の位置に置かれている。魅魔が夜中のうちに用意したらしかった。
なぜ四枚なのだろうと、霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。すぐに分かるからとにかく座れと魅魔は言った。
仏さまが見下ろす中で三人が座りおえる。ちょうどその時、三人の真ん前に一筋の線があらわれた。スウ――っと線は伸びていくと口を開けるように広がって穴になる。
スキマだ。
スキマからは案の定、紫が顔をのぞかせて、からだも這い出してきた。
「ごきげんよう。何もこんな朝早くに話あわなくてもいいのに」
「紫。登場のしかたが魅魔さまとかぶってるぜ」
紫は魔理沙を一瞥したが、そのとき眉がほんのちょっと釣り上がっていた。顔を合わせた魔理沙ですら見つけられぬほど一瞬だった。
這い出てきた紫は起き上がると、そのまま座布団の上に居座った。これで四人そろったことになるようで、魅魔はよしとうなづくと魔理沙へこう言った。
「さあて、例の神社はどうだった。情報を制する者は戦いを制するってね」
「ああっ、それなら私が教えてあげるわ」
紫は割りこんでくるなりまた毒々しい彩色のスキマを現すと、そこから何枚かの写真と、ところどころ黒ずみシワのよった原稿用紙を取り出してきた。紫は楽し気な微笑をうかべながらそれらを三人の前に用意した。
これは。と霊夢が質問したところ紫の返答はすばやかった。返答も用意済みだったのだろう。
「烏天狗からいただいたものよ。それは昨日の弾幕ごっこの写真で、そっちは書きかけの原稿。もちろん新聞のための」
「うばったの?」
霊夢が聞いた。
「ええー。そんな低俗な真似はしないわよ。私はすごく丁寧に、ちょうだいって頼んだのよ。……そんなことより、せっかく用意したんだから、ちゃっちゃと見なさい」
扇を振り回して言うもんだから、紫いがいの三人はしぶしぶ床に散らばる資料を見下ろした。紫と距離が近い魔理沙は、肩に紫の扇が当たりそうで煩わしく思った。
写真群は言わずもがな。靈夢、魔理沙、文の三叉戦を撮影したものだった。正確には弾幕を含めつつ写真にくっきり靈夢を収めたものが大半で、二枚ばかり、魔理沙と靈夢の小競り合いの様子が写っている。ただし魔理沙が映った写真は全体に比べると少ない。
魔理沙はそこに居合わせていて、見知った光景が収められているのだから妙な気分だ。当日はかっかしていた文だったが、仕事はちゃんとこなしていたようだ。静止画の靈夢を目に焼きつけたあと、目の前でつまらなさそうに写真を見つめる靈夢へ投影させてみると、やっぱり、とてもよく似ていた。魔理沙は、同じだと思った。
「誰よこれ。新しい巫女? 早苗の次はこんなヤツが、へえ、なんだか地味ね」
霊夢がそう言っているのが奇妙に感じられた。こうもそっくりなのに、本人はまるで気に留めていない。気にしているけど、あえて話題から外しているのだろうか。
そう魔理沙が疑問していると、霊夢はおもむろに顔を上げてきて魔理沙と目があった。
「なによ」
魔理沙はちょっとためらってから、霊夢と靈夢の近似について話すことにした。
「いや、だってさあ。似てるぜ。ほら」
魔理沙はとりわけ靈夢がよく撮れている写真を持ち上げて霊夢の前に突きつけると、お前とそっくりじゃないか、とはっきり言った。
それでも霊夢はきょとんとして、言葉の意味が分からないとでも言いたげであった。
むしろ、魔理沙を案ずるような、哀れんでいる風ですらあった。
癪に障った魔理沙はもっと熱心に話そうと息を吸いこんだが、そこで背中に魅魔の手がおかれる、無言のうちにやめろと伝えてきた。理由は分からなかったが、ともかく魔理沙はひっこんだ。
紫が言う。
「この巫女さんなんだけど。どうやら自分の身体に結界を張っているらしいわね。そうでしょ、魔理沙」
「えっ、ああ」
「まあそれは重要なことじゃないのよ」
「おい」
「もっと重要なのは、この神社周辺に小規模だけど力がこもった結界が張られていることよ」
霊夢が身体を前へ乗り上げてきた。結界だとか何だとかいう話題には敏感である。
「それがどうかしたの」
「この結界がくせものでねえ、どうやら私の力が効いてくれないみたい」
へえ、と魅魔がつぶやいた。
「私ね。神社がひょっこりここに出現したときに、めんどうくさそうだからスキマで一気に消しちゃおうと思ったのよ。ところが力を行使してみても、うんともすんとも反応がなかったわ。で、調べてみたら案の定」
調べ方だが。文に密かに式神をとりつけて観測におよんだのだと。藍や橙よりもずっと低級な式神をつかわせたんだと。
魔理沙は聞いた。
「文を取材に駆り立てたのは紫がやったのか」
「いいえ。文は完全に、自分で思いついて決断して取材にむかったわ」
そうでしょうと言いながら紫が向いた方向には魅魔がいた。魅魔はきまりが悪そうにかたい笑顔をつくり、それに対して紫が問い詰め出した。
「文に会ったんでしょう。あの天狗を捕まえて、妙なこと頼んだんでしょう」
「さあ。……なんのことかしら」
「とぼけるのがヘタクソね」
じりっと紫がにじり寄れば魅魔の表情はさらに余裕を失い、それに便乗するように霊夢と魔理沙も不審の目を指しにくる。
なおも笑みを顔面に貼り付けたままの魅魔はもったいぶるように居住まいを改めながら、さすが妖怪の賢者の炯眼には敵わん敵わんと言い出した。
「炯眼もなにも、文がそう言っていたわ」
「あはあ、そうだったかい」
どこか間の抜けた会話に耳を傾けていた魔理沙は、きのう文からタクシー事業を薦められていた時のことを思い出していた。文は緑髪の人に出くわしたといい、振る舞いのいけすかなさを好き勝手に喋っていた。曰く、おっかなくて強そうで偉そうで、ははあ挙げられてみれば間違っていないこともないようだ。さすがに者を見定める目は鍛えられて、一つ二つ的を得るのは容易いのかもしれない。と、魅魔の言動を見つめていると思えてきたわけだ。
「おかげで神社の存在に気づくことができたわ。調べさせたのも正解だった」
紫は最後に、この天狗の資料はあなたたちにあげるから好きなだけ習しておけと言ってきた。
そうして一息つくと、まだ口を閉じようとはしなかった。
「この唐突にあらわれた神社を幻想郷からなくしたいんだけど、さっきもいった通り結界のせいで手が出せないの。だから、あなたたちが神社にいる巫女を叩いて、弱らせなさい。そうすれば私もやっと力を発揮できるってものよ」
その話に耳をかたむけながら、霊夢はどこか、釈然としていない様子である。
「そんなにすごい結界なの」
「すごいと言うより、私のスキマを不能することだけに特化されている。無策でも入りこめるし、周りで弾幕まき散らしても反応はないけど、スキマだけは完全に無効みたいね。えへん。えーつまり、現代的な言葉を借りるなら、空間操作に対する対策は堅牢の構えで、閉鎖空間の発行はもとより許可無い次元航空にワームホールの開拓も並行世界の結合も、10次元だろうが26次元だろうが、空に間に世界をいじくる何らかを、我が敷地内ではその一切を禁ずる。という具合ね」
「……?」
紫以外の三人が一様に首をかしげる様子はとても愉快だった。
そんな紫の頼みごとは霊夢も魔理沙も断らなかった。もとより神社には殴りこもうと決まっており、巫女を痛めつけるという目的は変わらない。
それより魅魔はいつの間に紫と通じていたのだろうか。座布団を紫のぶんも用意していたし、話を聞いているときも初耳らしい素振りはみせなかった(さっきのおかしな自称現代的な話を除いては)。
たまに、ほんの刹那だけ、紫と魅魔が視線を交じらすときがあった。紫の蠱惑的な色味を帯びた瞳と、魅魔の、腹を探りかねる光を秘めた瞳が、何度かそっとぶつかった。それは本人たち以外には判別できない衝突だった。
紫が言うには辰の正刻になり、つまり九時になったのだと。そろそろ頭上の火の玉が積極的に活動しだすころである。その兆候はかすかに落としこまれた光が、きらりと射して、魔理沙の目を細めさせることから伺いしれた。今日は晴天である。
霊夢からすれば予定より遅れた出発になったようだが、魔理沙は別に気にしていない。紫は時期がくればまた現れると言い残してスキマに消えていき、魅魔は神社でじっとしていると言い、出発の間際に手を振ってくれた。
霊夢と魔理沙は並んで飛んでいき、そっけない会話をかわし合った。並んでいるが案内は魔理沙が行っている。
神社は博麗神社ととても似ているから見物だぞ。魔理沙はしつこく霊夢に言い聞かせて期待感を煽ったが、霊夢はただただ眠たそうにしていた。
そのうちに、魔理沙には三度目となる神社へ近づいてきた。
「見ろよ。うん。ここからじゃ遠くて分かりづらいかな。まあ、見ろよ」
魔理沙が、生い茂る木々に隠れ気味の神社の屋根を指さしてそう言った。霊夢は目を凝らしてくれたがすぐ見えないと返してきた。やがて神社のもう間際まできたとなると、魔理沙はもう一度似ているだろと問いかけたが、しつこいと一刀両断された。
ほぼ、神社敷地内の上空までたどり着いた。
「で、これが例の神社なのね。そんなに似ているかしら」
「ああ、そっくりだぜ。もう何度そっくりと言ったか。数えてないがたくさん言ったぜ。実際に降りて見まわって見たら――」
と、まだ魔理沙が喋り終わらぬときに二人の周辺で何かがきらきらと点滅しだした。二人はとっさに身構え、そこでちょうど点滅が止んだと思えばその場所から、白一色でこぶし大の弾がいくつも列をなして飛んできた。それは二人を確実に狙ってきた弾幕であり、一時にはきれいな横一列になってみせたが、魔理沙は左に、霊夢は右に大きく回避運動をとったため、以降に射出された弾は二人を追いかけようとし列を乱した。
息つく間もなくふたたび点滅が発生する。次は上空にきらり、横側からきらり。先程と同じ弾幕が二人めがけた。なので次は下降しながら避けていく。
図られたか。二人はすでに神社の屋根すれすれに誘導された形となった。
弾幕がすべて流れていったあと二人は周囲をすばやく、かつ念入りに見回した。見落としていた弾があるやも知れずそれに注意し、また攻撃をおこなった何者かを探すためだった。その何者か、は、すぐ二人の前に登場した。颯爽と空を泳いできた亀の甲羅に立ち構えた靈夢は凛々しい。右手にはお札を何枚か指に挟んでおり、左手には大幣をはためかせている。その立ち姿は魔理沙の横で顔を険しくさせている霊夢の実に生き写しであり、はじえて出会った者なら彼女らを姉妹と誤解するかもしれない。もしや本当に血が繋がっているのではと、魔理沙でさえふいに思ったほどである。
靈夢は二人を眺め回すと口を開いた。
「またあんたね。よく分からない巫女まで連れてきて、同業者と戦わせようとは何の冗談かしら。手加減しないわよ」
「はあ、同業者ねえ。私は亀には乗らないわよ」
「このおいぼれは関係ないわ」
その辛辣な文句があっさり言われ、老年の亀がハタから見ても分かるほど深い溜息をついた。
「まあ。とにかく、こう何度も侵入されてはたまったもんじゃないわ。追い返す。二度と近づきたくなくなるように」
霊夢はふんと鼻を高くした。
「やってみなさいよ」
靈夢もくいっと顔を上げて見下ろすような形をとった。実際、浮遊している高度は靈夢のほうが高めである。
さて。
霊夢がスペカ片手に構えをとったので、魔理沙も続いた。霊夢はちいさな陰陽玉のオプションを、魔理沙は五芒星が彫り込まれたオプションを遊ばせた。
魔理沙は相手が生半可な腕ではないことを知っているので気合もひとしお、霊夢に小声で気をつけろと忠告もしておいた。それでも、何を考えてか霊夢は一言もなく先陣をきって突っこんでいった。
座布団にも見える正方形のお札を撒き散らして、早々に夢想封印を唱えだしながら、靈夢を追い詰めるつもりでいた。
座布団は回転しつつ放物線を描いて中空を切りながら、靈夢へ意思をもっているかのように襲いかかりにいくと、靈夢はおろか亀の少し手前でちぎれ飛んだ。もちろん霊夢はこのことは道中をゆく間に魔理沙から教えてもらっていたので、だから夢想封印をぶつける準備をしていたのだろう。
魔理沙はアッ気づいて、遅れながらも霊夢の意図を汲み取った。急いで魔法一発のもとに駆け出すと、オプションに霊夢の援護射撃をさせた。
陽光にも負けぬつよい主張の光芒が真っ直ぐ霊夢と各々お札を横切って靈夢のそばで同じように四散する。そうやって結界に荷重をかけていき耐えきれなくさせて、夢想封印で完全に突破させるつもりだった。なるほどこれはいけるかもしれない、と魔理沙は顔を綻ばせた。
思わずして一気に激しくなった攻撃に、むこうの靈夢は苦い顔で口をへの字にする。そして何をするかと思えば袖から丸いモノを取り出し振りかぶってみせると、勢いよく投げつけてきた。靈夢の投法で大きく動く身体が最善のバランスをとれるよう亀は四苦八苦の様子だ。
しょせん少女の投法、ひゅるひゅると情けない軌道で風にでも持ってかれそうな丸いモノを、霊夢と魔理沙は秒ともかからぬ間に見守った。唐突な投擲だったために異質に見えたそれだったが、緩慢な動きは拍子抜けでもあった。と、気を許せたのはつかの間であり、丸いモノはなんの予告も見せず急激に巨大化して二人の目を白黒させた。おかげでその正体が陰陽玉であることが分かった。大きくなった割に速度はつまらないままで、しかしたかだか球体ごときが、入道雲のような威圧感を備え出したことは間違いなかった。そうして遅い遅いと思っていた球体がいつの間にか魔理沙と霊夢の真ん前まで迫っていた。二人は連れ立って陰陽玉の下をくぐり抜けていき、玉の背面にたどり着いた頃には玉はすっかり地面に激突し、あらぬバウンドをしてみせた。魔理沙はちょっと振り返り玉が浮かび上がる姿を見たので、不安を覚える。またこれ、今まで不動だった靈夢と亀は思い出したかのように動き出すと、なぜか魔理沙たちを無視して思い切りに横切っていき、牽制のお札を湯水のように飛ばしつつ陰陽玉へ向かっていった。魔理沙の中に滲んだ不安は実に予感であり、それは的中していたのである。靈夢は陰陽玉の影に入りこんでいく、すぐに陰陽玉が震えて軌道を歪ませ、またもや二人を押しつぶす標的に定めたらしかった。しかもさっきより、は、や、い。ついに二人はバラバラに避けあって離れてしまう。魔理沙は周囲のめざわりな弾幕に気をつけながら霊夢を見やり、霊夢も同じ目にあっている事態を知りほっとしたやら、より不安したやら。さっきまで自分たちがいた地点に鮮やかな光が浮き上がっていることを魔理沙は発見し、夢想封印が発動したのだと思った。まもなく霊夢からの怒号ぎみの叫びで、マスタースパークを使えと聞こえた。魔理沙は、ずっと手にもって汗が染み付いた八卦炉を構えようとするも、射線上に靈夢を捕まえづらくすぐには使えない、その旨を大声で告げ、ついであいつを誘導しろという文句も載せる。霊夢がお札から封魔針に攻撃手段をきりかえたことは明瞭である。灰色の霧にも似た何かが霊夢から次々と飛びしているのは、全て針である。密度がたかいためにそう見えているのだ。
霊夢は靈夢にグングンと近づいていくと、そのままドッグファイトへ連れこむ。トンボ返り、大回転、ねじれて、まっすぐ、たがいに尻を奪いあい、撃ちあって、また回転して。
……魔理沙は白熱する二人のレイ夢を凝視したまま、八卦炉を構え続けて指をぎりぎり硬くさせていた。靈夢が射程に入ってくれて、なおかつ霊夢がマスパにさらされない一瞬を息をつまらせて待つ。
そのときは、来た。
魔理沙がそう感じた間際には、八卦炉は熱風を止めどなく、無尽蔵に輝きをまき散らす。二人のレイ夢が黒くちっぽけに見えだす。八卦炉の中央から魔力を熱と光に変換したエネルギーがはちきれて、急速に広がりながら肥え太った光線が射線上を焦がしに向かうその壮観さ。
ブウウウウウンン――と独特の音が砲撃手である魔理沙の耳をぎんぎん貫く。
あくまで魔法なので、激しい見た目と違って魔理沙自身に反動はほとんどない、だから砲身の向きを変えることは容易いが、今回はそうする必要はない。
光が強すぎる。
魔理沙はしばらく目を閉じた。
ぎゅっと閉じて、耳鳴りに支配された聴覚にばかり、集中した。
でかしたわ魔理沙。さすがの靈夢もマスパが直撃には堪えたようね。
紫の鼓膜をじかに撫でてくるような声が聞こえ、魔理沙は思わず目を開いた。するとあたりの様子がおかしい。今まで晴天のもとに発色が豊かだった風景が、ことごとく淡いムラサキに染め上がっており、その幻想的なようすに目を奪われる。
紫が巨大なスキマを神社にまるまる被せていた。
つまり、魔理沙のマスパが靈夢を守る結界を破り、さらにはうんと疲労させて神社の結界すら不能に陥らせたのだ。
「な、なによこれっ。ちょっとあんたたち何したのよ!」
向こうで靈夢がつばを飛ばしている。マスパに焼かれた服がぼろぼろに乱れている。
スキマとはこんなものだったっけ。
美しい光景だが、魔理沙はそう思うと、背筋を水に濡れた手が這い回るような冷たさが、だから再び目を閉じることに決めた。
博麗神社の本堂は、暗くて薄ら寒かった。そこで胡散臭い妖怪と、胡散臭い悪霊が対面していた。
――さて、全て話してもらいましょうか。
――なんのことだい。
――まさか昔の記憶をもってくるとは思わなかったわ。しかもあなたのような力のある者がするなんて。
――力はあるけど、私はあんたほど聡明じゃないからね。あんたがバカらしく感じるものでも私には面白く思えるんだろうねえ。
――霊夢がぼんやりしていたのは昔の記憶をすっぱり取られたからでしょう。
――アハハハ。そこまで知ってるなら私が言わなくてもいいじゃない。
――あなたの口から答えなさい。
――ん。……霊夢に限ったことじゃない。幻想郷にあった昔の記憶ごと幻想入りさせた。魔理沙だってあの靈夢を見て、あれが昔の霊夢だとは一切思っていなかった。誰が見たってそうだったハズだ。あんたはどうだか知らないけれど。
――記憶を幻想入りさせたなら、どうしてあなただけが覚えられていたのかしら。あなたも最近は顔すら見せず、過去の人になっていたでしょう。
――あんたは、その質問はわざとだね。わざと私をからかっているのね。
――いいから答えなさい。
――あんたの言うとおり、私は過去の人と成り果てていた。さて、どうしたものか。どうやって顔を出そうか。ただ朝のたけのこみたくにょきっと出てきただけじゃつまらない。
――それで、昔の記憶。とくに靈夢の部分にこだわって幻想入りさせた。彼女によって何らかの催しを期待した、と。タチが悪いわね。
――霊夢は昔の記憶がなくなっていたので、ぼんやりしていた。自分の記憶が異変の中心になっていたもんだから勘も働かなかったんだよ。私はそうして、意識のふわふわしている霊夢へそっと助言をしてあげる役回りをもらったわけだ。
――座布団の用意もできたし。さぞ満足したでしょうね。
――ああ。霊夢は昔より料理がうまくなっていたよ。味噌汁の味付けが昔よりマシになった。魔理沙に会うのも久しぶりだった。あいつまるで、何十年もはぐれていた親にやっと出会えたと言わんばかりな顔をして。
――もう気は済んだの。
――ああ。済んだから、記憶は今晩中にそっくり元に戻しておく。私はまたひっそり、神社の隅っこで身体を小さくさせておくとしよう。
――私は、文から神社のことを聞いたわ。文にそうさせたのもあなたね。
――あの新聞をもってきた天狗かい。霊夢が本堂の掃除に取り掛かる前にやってきたヤツだね。引っ捕まえてあんたに神社のことを話しておけと言ったら、いけすかない笑顔でいいですよって。あいつ、したてに出るのが御上手みたいだ。
――私にあの神社の消去をまるごとさせるために、そうしたのね。私を利用するとはいい度胸ね。しかも後片付けのためだけに。
――まあまあ、さすがは幻想郷一の妖怪さんだ。恐ろしい力の一端とはいえとくと拝ませていただいたよ。
――それは本気かしら。それとも、からかっているの。
――さあ。どっちだか。
……。
仏さまがのしかかるように二人を睨みつけている。二人はその後も言葉を交わし続けて、感情のゆらぎは多少あったかもしれない。流れてくる言葉に、感情が含まれている感じは注意すれば聞き取れた。
しかし、感情の振れ幅は決して大きく揺れることはなく、永久に冷たいまま何もない会話だった。
仏さまがのしかかるように二人を見つめていた。
妙な倒置と、字の文で会話表現が多すぎるのも読みにくさの方が際立った。
状況説明はきっかり分けて書いて
メリハリつけた方がいいんじゃなかろうかと思った。
わざとやってるならすいません。