――墓参る
「あいつがおっ死んでから一年か。てっきり百年ぐらいは経ったのかと思ってたぜ」
幻想郷の果てに位置する博麗神社が、東へ東へと影を伸ばす。
白黒の衣装を纏い、縁側に腰掛けた魔法使いは、緩慢に暮れてゆく太陽を見上げていた。ふと思い付いたかのような呟きに、淡々とした応(いら)えが返ってくる。
「おかげでこの一年平和だったじゃないの。面倒の機会も随分と減ったわ」
紅白の巫女装束を着込んだ少女が、人ひとりの間隔を空けて縁側に並んでいた。その無感情な視線は、ただ手元の湯呑み茶碗に注がれている。白黒の少女がとんがり帽子を目深に被り直し、沈黙を埋めるべく言葉を紡いだ。
「そろそろ日が暮れてやがるな。まだ出掛けないのか?」
「ん……、このお茶を飲み終わったらね」
「逆だぜ」
「何が?」
「茶碗が逆だ」
「緑茶に、前も後ろもあるのかしら」
「天地が引っ繰り返ってるのさ」
巫女は、口と底とが反転していた湯呑みをそっと持ち直した。当然、そこに飲み物は入っていない。
「あ~、私もこれを飲んだら行こうかなぁ。食前酒でぐでんぐでんになっちゃったらしょうもないしね」
二人の背後から聞こえたのは、酔っぱらいにしては幼すぎる声だ。二本の立派な角をふらりと揺らす小鬼の少女は、盃を傾け傾けしながら部屋に居座り続けていた。あえて振り返らないままに、魔法使いが答える。
「何だ、お前まだ居たのか」
「何だとは何だ! 私の場合、既に到着しているも同然よ」
「それなら好きな所に行けばいいじゃないの。よくも昼間っから神社でお酒ばかり飲んでられるわね」
「むむー、そんな言い方はないよ。あんた達一杯も付き合ってくれないからさぁ。独りで飲んでもつまらない。寂しさを紛らわすために、酒精の力を頼ってるの~。赤いは酒の咎ってね」
「他所でやりなさい、鬼め。どこか違うところで飲んだくれてなさい」
「飲酒運転は事故の元だぜ。うん――?」
足音一つ立てず、縁側に近付いてくる人影があった。そもそも立つ足を必要としない霊体、博麗神社の祟り神は、白黒の少女の正面で足を止める。
「おや、あんたらまだこんな寂れた場所に居たのかい?」
「魅魔様……。えっと、何の用?」
「やれやれ、用も無しに戻ってきちゃいけないってことかしら。ま、忘れ物を取りに来ただけなんだけどね」
恐縮する少女の脇を通り過ぎ、悪霊は屋内へ上がりこんだ。
「とびのちりめんに包んでおいたやつ。どこに置いてたっけ」
「台所にあった、美味しいお酒のこと~?」
「鬼っ子、まさか全部飲んじまったんじゃあないだろうね」
「ちょっと味見しただけだよ。そう目くじら立てなさんな」
「むきになってるのは、果たして私かあんたか……」
肩を竦(すく)めて奥へと消えるゴーストを見送り、酒杯の残りを一息に呷った鬼は、さも大儀そうに立ち上がりながら酒臭い息を吐き出した。
「やれやれ、追い出されないうちに出て行くとしますかぁ」
「おう、また会場でな」
魔法使いにへらへらと手を振り、皮肉っぽい唇の形を残して、小鬼の姿は霞んで見えなくなった。入れ替わりに戻ってきた悪霊が、茶褐色の包みを提げていない方の手で碧緑の頭を掻く。
「しょぼくれてんのも無理はないか……。私よりよっぽど縁が深かっただろうしねぇ」
「ん? 心配ないんじゃないか? あいつの酒が進んでるのは毎日毎度のことだ」
「私が言ってるのは、そこの巫女さんのこと」
背中を曲げた巫女の横顔から、彼女達の他には人っ子一人いない境内へと、普通の魔法使いは視線を移した。特に宴会が開かれているのでもない限り、この静けさは別段珍しくもない。
そして、普段通りに閑古鳥が鳴いていようとも、永久にこの世界から去った者が、ひょっこり姿を現すはずもないのだ。
「私は先に行ってるよ。あんたらが来ないと始まるものも始まらないんだから、ぼちぼち出掛けるんだね」
遠ざかる師の後ろ姿から、縁側に立て掛けてある愛用の箒に目を遣る。何と無く、隣合う友人の表情を盗み見るのは気が引けたのだ。
そのまま幾許かの時が過ぎる。二人の影は、ゆっくりとその長さを向きを変えてゆく。
何か熱いものが飲み干される気配に、魔法使いは顔を上げた。決然とした色取りの巫女が、不意に立ち上がっているところだった。
「さて、いきましょうか。ここに居たって、何にも無い」
「おう。だがな――」
歪な影絵を視界の端に捉えて、白黒の少女は軽く呻吟(しんぎん)した。
「――背中の賽銭箱は置いてけ。さっきから色々と台無しだぜ」
墓参る
「私は……」
こじんまりとした部屋の、唯一つ据えられた椅子に、姫は座っていた。世のありとあらゆる美しい色を溶かし込んだような艶やかな長髪が、冷たく張られた床へ流れ落ちている。
「私達はこれから、一体何度この道行きを辿ることになるのかしら」
少女の背後に膝をついた、揺らぐ水銀を髪色に持つ人物が、硝子細工を扱うような丁寧な手付きで主の黒髪に櫛を通す。
「答えて欲しいの? 輝夜」
「まさか」
床が振動していたが、少女の忍び笑いに釣られているわけではない。部屋そのものが移動し、道の細かい凹凸に跳ねているのだ。四方の壁となっている簾(すだれ)から、傾斜のきつい日光が細切れに差し込んでいた。
「まさかついでに、もう一つ答えてもらうわ。……いつの日か、私達もこの地に骨を埋める時が来るのだと思う?」
「国破れて、山河も廃れ、星辰が廻ることに飽きる頃になら、或いは」
梳き終えた櫛を仕舞う従者を振り返って、姫は問う。
「それじゃあ、私が物言わぬお墓になってしまったら、永琳はその世話をしてくれるの?」
「まさか」
悪戯っぽい瞳の影を交わし、二人は笑った。
「地獄までお供するに決まっているでしょう。……ちょっと、ウドンゲ、うどんげー」
「はーい、何でしょうか」
簾の外側から、疲れきった声が返ってくる。質素な風合ながら、どの角度から見ても上品さを失わない古風な造りの牛車。今、牛の代わりに重い車を牽(ひ)いているのは、長い耳を頭頂から生やした少女であった。
「段々とペースが落ちてるじゃないの。このままじゃ到底辿り着かないわ」
「無茶言わないでください。結構重労働なんですよ、これ」
「不可能を可能に変えるのが私達の職業でしょ。若いんだから、知恵が足りない部分は根性で埋め合わせなさい」
「天才って、時々理不尽だ……。そもそも薬師の本分は肉体労働だったっけ」
元からしわしわの耳を一層萎れさせ、強張った筋肉を宥め賺(すか)せつつ少女はぼやく。そのぐったりとした項(うなじ)に、からかい混じりの応援がかかった。
「ほらほら、足を休めない。ウサギとカメじゃないんだから、気合い入れて引っ張りな」
「て~ゐ~、なんであんたらは手伝わないのよ……」
恨めしげな赤い眼差しの先、嫌味にならない程度に贅が凝らされた屋根の上に、小柄な黒髪の少女が座り込んでいた。
「何故って、自分一人でやりたいって泣きながら土下座してきたのはそっちじゃん」
「土下座はしてない。元はと言えば、あんたの悪戯のせいでお師匠様に睨まれたんじゃないの」
「絶望的に立ち回りが下手ね。ここがどれだけ恵まれた環境か分かってるのかな」
月の兎をおちょくるかのように、てゐと呼ばれた少女は寝転んでみせる。のろのろと進む牛車の周りには、荷物を抱えた妖怪兎達が思い思いに行進していた。和やかに談笑する者がおれば、焦れて勝手に先へと飛び跳ねて行く者もおり、統率が取れているとはお世辞にも言えない。
「私は一生懸命やってるつもりなんだけどなぁ」
「だからみんな分かってるってば。真面目なだけ弄りたくなるの」
「余計に性質が悪いわ!」
「何にも分かってないわね。あんたは幸せ者なのよ?」
広くはない屋根に器用に肩肘をついて、兎の少女は呟いた。
「何か飲む? 喉(のど)乾いたでしょ」
「確かにありがたいんだけどー。あんたが真っ当な親切心を発揮したことなんてないじゃない。今度は何を企んでるの?」
「なーいしょです」
胡乱な表情の月兎に舌を出し、荷物持ちの一匹を手招きする地上の兎に、簾の内側から呼ぶ声が掛かった。
「てゐ、これを鈴仙に渡してやって。理不尽筆頭からの差し入れよ」
「ん。ほい、了解っと」
逆さ吊りで覗き込んできた少女に一杯の容器を渡す薬師、その袖を引くようにして、月の姫は質問を重ねる。
「ねえ、永琳。今のは何を?」
「可愛い弟子が鬱屈しているようなので、元気が出るお薬をね」
「ふぅむ?」
小さく首を傾げる姫に、銀髪の従者は質問を返した。
「さっきのお話だけど、輝夜。仮定の話よ。もし私の方が先に果てたら、貴方は残りの永遠をどうするつもりなのかしら」
「私は……、そうねぇ」
「――ささ、ぐいっといっちゃおう!」
「――いやいや、国士無双の薬ナイトメアタイプってどんな悪夢よ。既に怪しさ爆発だわ」
「――私達なんかには計り知れない、深いお考えがあるに違いないよ」
外から聞こえてくる微笑ましい(本人にとっては死活問題の)会話を聞くともなしに聞き流しながら、竹林の姫は据えられた椅子に居住まいを正した。
「その時は、私が貴方の墓碑銘になってあげるわ。まだ内容は思い付かないけど」
「それはそれは光栄の至り。考え直す時間は、まだまだ十分にあるけれど」
「精進しなきゃいけないわね。看板が箸より重かった場合困らないように」
おどけた会話を交わしながら、従者が床下から帯状の物体を取り出し始める。興味深々な少女が、のたうつ謎の器具を眺めて待った。
「あら、永琳。今日はどういう趣向なの?」
「お気に召すといいんだけど。シートベルトというものだそうよ。これで体を固定することができるから、牛車の外に放り出される危険はないわ」
「でも、一人分しか無いみたい」
「あらら、困ったわね。……我ながら、つくづく底知れぬ自分の才能に恐ろしくなるわ」
月の頭脳がほくそ笑んだその時、丁度弟子は己の限界を一足飛びに超越している最中だった。兎の首領が不穏な未来を察知するも、時既に遅し。今や牛車に繋がれているのは、世にも晴れ晴れとした笑みを浮かべた鼻息荒い月兎。神の愛を説く修道女の如く曇りない瞳の輝き、いつにもまして常軌を逸した不気味な気配に、周囲の兎達はどん引きである。
「全身に力が漲ってくる……! ああ、解りましたお師匠様、これが愛の力なんですね! 愛は惜しみなくアターック・チャンス。飛べない鈴は小豚のように、ただの血の詰まった坊やだからさ――」
「あーあ、また変な電波を受信してるし。あたしゃ宇宙人の愛情表現はさっぱりだわ」
「ラビットのイットは標的のイット! いざ約束の地へハネムーン! わはははははー!」
「え、ちょ、ちょっと、どうして筋骨隆々になってるのよぉ。ひ、きゃあっ――」
短い悲鳴と、呆然とした妖怪兎達を残して、特急牛車は地平線の彼方へと舵を取った。見る見るうちに遠ざかる車体。やっと我に返った兎の一匹が、傍らの同僚に話しかける。
「どうする? リーダーまで行っちまったんだが……」
「どうするもこうするも、いつも通りの展開じゃないの。放っときゃ元の鞘に収まってるわよ。考察するだけ時間の無駄」
それもそっか、と呟いたきり、兎達はぴょこぴょこと行軍を再開した。
墓参る
「お嬢様、おやつは三百円までですわ」
「咲夜はおやつに入るのかしら」
「強いて言えば、夜食に分類されるかと」
「そう、それは重畳だね」
紅い悪魔のおめかしには、今日も気合が入っていた。この日のために新しく誂(あつら)えたドレスは魔性の魅力を一層際立たせ、つま先から羽の先まで寸毫(すんごう)の隙もない完璧な出で立ちである。
そんな晴れ姿の立役者である使用人頭は、相も変らぬメイド服に身を包んで日傘を携え、悠然と進む主に足取りを合わせている。ずらり隊列を組んで荷物を運ぶメイド妖精達が後ろに続く。
「こんな日ぐらい、シックに決めようとは思わないのかしら、レミィ」
真紅の双眸が振り向けられた先、吸血鬼の親友が眠そうな――実際に眠いわけではないのだろうが――目元を擦(こす)っていた。夜着を思わせる普段着の代わりに、黒を基調とした喪服を着込んでいる。
「祥月命日はただ一度しかない重要な日、派手に着飾るのは控えたほうがいいと思うんだけれど」
「何をいまさら。私達もあいつらも、細かい作法を気にする手合いじゃないでしょうよ。それに、夜闇よりこの私に映える外套があると思う?」
「そう言うと思ったから、敢えて注意しなかった。あんまりはしゃいでると、子供っぽく見えますよ」
「子供っぽいって……。ご冗談を。大人の色気を演出するよう、メイドに言い付けておいたもの。ほら、この背中なんて大胆でしょう?」
「問題なのは中身ね。一遍(いっぺん)鏡で――、あ、映らないか」
「さ、咲夜ぁ」
「問題ありません。大変かわいらしくていらっしゃいますわ」
「カリスマはー?」
「針が測定可能域を振り切っております」
「あの、お嬢様」
遠慮がちに掛けられた声は、中華風の衣装がよく似合う娘のものだった。紅魔館の主によく似た顔立ちの少女を背負い、片手で日傘を翳(かざ)している。
「私も付いてきて宜(よろ)しかったんでしょうか? その、門番のお仕事は……」
「何? フランのお守りは退屈だって?」
「滅相もありません! さっきから寝言で『ぎゅっとしてどかーん』を繰り返してて……。えーと、スリル抜群です……」
すよすよと天使のような寝顔を見せる悪魔の妹、その両腕が首に回っていることに戦々恐々としつつ、紅魔館の門番は苦笑を漏らす。魔女の傍らに控えた赤毛の悪魔が、楽しげに喉を鳴らして話題を継いだ。
「昨日は大立ち回りでしたからね。私も連れてってくれなきゃやだーって。お疲れなのではないでしょうか」
「お陰様で図書館は半壊。蔵書が無事だったのは僥倖だけど、まあ、とても盗みに入れる状況じゃないわ」
「こんな日に鼠が出るとは考えにくいですし、警備は居残り組に任せておいて問題ありませんわ。しかし、本当に寝顔がそっくり……」
「眠り込んでしまった奴なんて、どの道大した差はないよ。問題は埋まってる場所」
「今のうちに埋立地を探しておかなくては。私は本の山があるからいいとして、レミィはどうするつもり?」
「鑑賞用、保存用、布教用と三個所は必要ね」
「縁起でもありません。早急に手配しておきましょう」
「墓碑銘はいらないよ。レミリア・スカーレットの名前さえあれば事足りる。私の偉業を書き連ねていたら、エアーズロックでも石面が足りなくなってしまうでしょうから」
「痛い痛いあいつつつつつ!? ぐ、苦ちい……」
「パチュリー様ぁー、美鈴さんが窒息しそうなんですが」
「レミィ、咲夜に墓石をもう一つ追加させておいて」
「残念ながら経費が」
「むう、そこを何とか得意の節約殺法で」
「咲夜、フランの分も忘れてやしないでしょうね。愛玩用も含めて四つは欲しいわ」
「レミリア様、どれか一つを当たり付きにするって案はどうでしょうかー?」
「当たりが出たらフランもういっちょとな?」
「むにゃにぅ……、あなたがこんてぃにゅーできないのさぁ……」
「……ぶはっ! 死ぬかと思ったわ。妹様、実は目が覚めてません?」
「実は美鈴さんが眠ってたりして」
「差し出がましいようですが、お嬢様。本当に妹様をお連れして大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫じゃないに決まってる。ねえ、パチェ?」
「私の予想によれば、ただで済まない確率は百五十パーセント。ぐふっ、で計算すると七十八ぐふっ、かな」
「それを聞いて安心いたしました。美鈴、頼まれてくれるかしら」
「子守ならどんとこいですよ。紅美鈴を舐めてもらっては困ります。紅魔の核シェルターといえば私のことで痛たたたたたたた妹様それ鼻なななななな」
「流石は紅魔館の看板娘、リアクションならピカ一ね。でも、ぐふって何の単位だったかしら」
瀟洒な従者が首を傾げたその時、地平線の彼方に地鳴りを響かせ、異形の姿が現れた。何事かと吸血鬼御一行が目を向ければ、段々と大きくなるシルエットは咆哮を上げて突撃の風情。
「ふぉぉおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉらびいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっつ」
爽やかな笑顔で爆走する月の兎、跳ね回る牛車の巨体、そして蒼白な顔で屋根にしがみついている妖怪兎が瞬く間に通り過ぎた後、辺りは濛々(もうもう)とした土煙に覆われた。魔女の呼び出した風の助けがなければ、メイド長力作のおべべは台無しになっていたことだろう。ぷるぷると細い肩を震わせ、紅い少女は牛車の去って行った方向を睨みつけた。
「咲夜!」
「はい、如何(いかが)致しましょうか」
「馬車を用意なさい」
「……あー、羨ましかったんですね」
「はぁやぁくー!」
「合点承知です。しかしながら、資材なら十分に備えておりますが、肝心の馬が……」
「馬車馬のように働く使用人に心当たりがあるはずだよ」
「なんで皆さん私の方を見るんですか!?」
全員の視線が集中して、色取り取りの門番はたじろぐ。
「そりゃあ私は馬車馬のように勤勉ですけど!」
「お嬢様、様式はどのように?」
「なんで皆さん私から目を逸らすんですか……?」
哀れっぽく落ち込む少女を無視して、七曜の魔女が嘆息を漏らした。
「仕方がないわね。咲夜、カボチャっぽいものが余ってやしないかしら」
「パチェ、仮装大賞なら間に合ってるよ?」
「私を誰だと思ってるの。被るつもりはありません。後は、鼠が用意できれば丁度いいんだけど」
「ああ! お伽噺に登場するやたらしわくちゃな――ふぎゃ」
魔道書二千頁の一撃が、赤毛の悪魔を黙らせた。主の頷きを得て、瀟洒なメイドは日傘から手を離す。――と、次の瞬間には握り直されている。もう片方の腕には、南瓜に似た謎の野菜が抱えられていた。
「残念ながら、鼠の子の一匹も見つけることができませんでしたわ。代わりと言っては何ですが、紅茶をご用意しておきました」
「どこに?」
「私の墓の上に。時間を止めておきましたから、お好きな時に召し上がってください」
「――気が利いてるね。うん、貴方は本当によくやってくれているわ」
ねぎらいの言葉と共に、吸血鬼は腹心の従者を見上げた。難解な専門用語を並べ立て始めた親友を、涙目でこくこくと頷く赤毛の少女を見た。夢うつつに両腕を締め上げる妹と、日傘を離さないよう歯を食いしばって堪えている門番を見た。
そして、闇夜の眷族にはまだまだ眩しい空を振り仰ぎ、紅い瞳を細める。
「全く――、よくもやってくれたものね」
墓参る
山上の湖は、立ち並ぶ柱が落とす直線的な影の群れに区画され、いや増しに幻想的な調子を帯びていた。そんな情景に異質な都会めいた黒い制服を身に纏う少女が、さざ波の煌めく水面に大声を張り上げる。
「八坂様ー。ご支度は整われましたかー?」
「うーん、早苗、これ見てどう思う? ちょっと地味過ぎやしないかな?」
湖の中央に出現した少女は、やはり黒っぽいスーツに、自分の背丈ほどもある環状の注連縄を背負っていた。念入りに検分を終えた風祝が胸の前で手を合わせる。
「そんなことはありません。よくお似合いですよ。注連縄も新調なさったんですね」
「分かる? やっぱり新品は光沢が違うのよ。ところで、諏訪子が何処で油を売ってるのかしら。早苗は知らない?」
「本殿にはいらっしゃらなかったので、八坂様と一緒だと思ったのですが……。あ、あんなところに」
湖から立ち上がる一本の柱の上に、土着神の少女は座り込んでいた。大きな二つの目玉があしらわれた帽子の下から、水面に浮かぶ二人に戸惑いの視線を向けている。
「あんたらさぁ、どうしてそんな恰好をしようと思ったの?」
「え? 何か変でしょうか。確かに、少しサイズが小さくなっているかもしれませんが……」
「そうじゃなくって」
「だってお墓参りに行くんだから、礼服は当然でしょ?」
「風祝の衣装も立派な礼服じゃない。まあ、早苗の制服は可愛いからいいとして、スーツに注連縄ってどんなプレイよ」
ひょいと二人の傍に降り立ち、祟神は辛辣な意見を述べる。
「むしろいい年こいてスーツって時点で恥ずかしい」
「分かってないわねぇ。日頃のイメージの積み重ねが、後々集まってくる信仰を左右するのよ」
「神奈子は何系の信仰を集める気なの……」
「それより、あんたも早く着替えなさい。折角神輿を新調したんだから、時間には余裕を持たせておきたいわ」
「馬鹿、あんなひらひらしたドレス着て人前に出られますか。客寄せパンダじゃあるまいし」
唇をへの字にしてそっぽを向いた一柱に、制服の少女が寂しそうに俯いた。
「申し訳ありません。やはり事前に好みを伺っておくべきでしたよね。私が我儘を言ったせいで、諏訪子様にはご迷惑をお掛けして――」
「くっ、この流れは……」
「いいのいいの。こいつが偏屈だからいけないのよ。折角早苗が悩み抜いて選んだっていうのにねぇ。いい年こいて薄情な神様だこと」
「いいえ、諏訪子様のお気持ちをちゃんと考えられなかった私の落ち度なんです。やはり、例のワイルドさを前面に押し出した衣装のほうが――」
「あーもう、分かった、分かりましたよ! 四十秒だけ待ってなさい!」
ぷりぷりした態度はそのまま、肩をいからせて去ってゆく後姿を、風祝は当惑の、もう一柱はしてやったりの表情で見送る。
「ところで、頼んでおいた物は用意できた?」
「あ……、はい、河童の職人さん方が、突貫作業で間に合わせて下さいました。確認なさいますか?」
「うん、そうだね。今日も結局は酒盛りになるんだろうけど、早苗は大丈夫かい」
「限界は弁えていますから、ご心配なさらずとも」
「無理やり飲まされそうになったら、ガツンとやっちゃっていいからね。お、早かったじゃないか」
「……何よ、文句あるの?」
風祝に文句は無いようだった。今にも頬擦りせんばかりの勢いで、深窓の令嬢のようにふんだんなフリルで飾られた土着神に詰め寄る。鍔広の淑やかな帽子に、巨大な目玉が致命的にそぐわない。
「やはり! とてもよくお似合いですよ!」
「私の時は“とても”が無かったなぁ」
「へん、羨ましいかい?」
「馬子にも衣装と言っておくわ」
「何をー」
嬉々として頬を緩ませる子孫に、ご先祖様も満更ではない様子だった。少しだけむくれ顔の神様が、仲睦まじい二人の間に割って入る。
「ほらほら、もう時間だって。浮かれるのもこの辺にしときましょう」
「はっ、そうでした。厳粛な態度で臨まねばなりませんね」
「ほどほどにしとかないと持たないよ。どうせ最後には宴会だろうし」
「すぐに神輿をお持ちしますっ」
慌ててその場を去った生真面目な少女を、守矢の神々は並んで見送った。
「どう思う?」
「その注連縄のこと? ダサさここに極まれり」
「あの子がどんな顔をすると思うか、よ」
「ん、そうね。故人が望んだ振る舞いをする程度には、強いんじゃないかしら」
「あんたの血を引いてるくせに?」
「あんたの顔を見て育ったくせに?」
「さあ、どうだか」
「どうだかねぇ」
二柱はお互いに顔を見合わせる。予想通りの表情が、そこにあった。
「お待たせしました! 出でよ――!」
その時、掛け声とともに無数の気泡がおどろおどろしく湖面に弾け、最後に一際大きな水柱が上がる。湖底から浮かび上がってきたのは、大小様々な御柱と鉄の輪が組み合わせられたような未来的なフォルム。その名も――
「《ミラクル☆もりや号》。遂に完成したのね」
そのやっちゃった感あふれるストイックな命名を聞いた天狗達は、誰しも感動の落涙を留めることができなかったという。河童の遊び心が遺憾なく発揮された結果、意味不明のギミックが随所に搭載され、奇跡の出力は従来の神輿の三倍、自爆スイッチの数は十六倍に増加している。水陸空汎用高機動強襲布教神輿《ミラクル☆もりや号》。明らかに突っ込み所も満載だったが、搭乗した守矢の風祝は自慢げな顔だ。
「時代はSF的乗り物です。これさえあれば、幻想郷の信仰は御二柱の手に落ちたも同然ですね!」
「信仰点も鰻登りに違いないわ。麓の紅白なんてものの数じゃない」
「いや、確かに制服姿の早苗も可愛いけどさ、今度じっくり神社の方針について話し合うべきだと思わない?」
意気軒昂たる様子で機体に乗り込む相方を眺めながら、祟神は慣れぬ感触の帽子を押さえた。
「……まあ、羽目を外すことも肝心と言えば肝心かな。祖霊を祀り、気分は祭り。楽しむことに関しては、まだまだ若いもんには負けませんて」
「諏訪子やーい。何をにまにましてるのよ。出発できないでしょうが」
「あ、神奈子様そこのレバー気を付けて下さい。変形しちゃいますよ」
「神輿が変形するんかい。……はは、遊び倒せるかしら?」
「現代っ子には鼻唄ものですよ。――って、つい私ったら。浮かれすぎるのもよくありませんね」
「なに、しんみりするだけが供養じゃないさ。私達らしくしていれば、それでいい」
次世代型神輿が飛び立った湖は、森閑として誰の息遣いもない。水面を渡る風だけが、そそり立つ柱の影を波打たせ、葉擦れを鳴らし、世界がまだ止まっていないことを知らせている。
今宵ばかりは、妖怪の山に煙も立たない。
墓参る
「幽々子様、お茶がご用意できました」
「いただきました~」
剣豪の居合抜きを思わせる、目にも留まらぬ早業だった。空になった皿としどけなく微笑む主とを交互に見比べて、警護役は唖然たる面持ちである。
「そんな、私の分まで……」
「妖夢はまだ準備が終わってないんでしょう? 待たせたら悪いと思って」
「またそんな屁理屈を。大体誰のせいで土壇場の大慌てをしているのか分かってらっしゃるんですか」
「うふふふ、その口で言っちゃうのかしら。誰のせいか言っちゃうのかしら~」
「……言いませんよ。ええ、言いませんとも」
ぶつくさと独り言をこぼしながら、大小を佩いた少女は食器を下げようとする。その白髪を抱え込むようにして、桜色の娘は耳へと息を吹きかけた。
「ふゃみ! な、何をなさるんですか!?」
「よ、う、む」
「ヨウムですか、少々お待ちくださいそのうちお連れしますので」
「ああん、お待ちなさいな」
すげなく退室しようとした半人半霊を、亡霊が幼子のような仕草で引き留める。庭師の表情は、呆れとうろたえの中間を彷徨(さまよ)っていた。
「お戯れは程々になさって下さい。私にどうしろと仰るのですか」
「貴方は私の指示通りに動いていればいいのよ」
「だって、幽々子様はとんちんかんなことばかり――」
「一人ではとんちんかんと響かないの。至極当然の道理を、妖夢が勉強していないだけ」
「……未熟者は百も承知。でも、もうちょっと判りやすくったって」
「呆れた。この期に及んで、私が本当のことを言ってるとでも?」
「無意味に意味不明なことを仰っているのではないと信じていますから。そうでもないとやってられませんし」
「本当のことなのよ~」
いよいよ困りきってしまった従者を救ったのは、彼女と同じく白玉楼に仕える霊の一名だった。一人でくすくすと口元に手を当てている主に後ろ髪を引かれながら廊下へ出てみると、来客との報告が伝えられる。取る物も取り敢えず二百由旬の庭を走って門へと到着すれば、馴染みのある人物が待っていた。
「お久しぶりです、藍さん」
「ええ、確かに久しぶりね。ほら、橙もちゃんと挨拶をするんだ」
九尾の妖狐に促され、その式が行儀よく頭を下げた。
「はーい。こんにちは、妖夢さん」
「こんにちは。幽々子様にご用事ですか?」
「いや、ここに寄るよう言い付けられていたのでね。何か手伝うことはないかしら。少しやつれたように見えるけど」
「実は、猫の手も借りたい状況だったのです。わざわざのお越し痛み入ります」
「私もお手伝いするねっ、藍様」
広い庭に嬉しそうな化猫を先頭にして、三人は連れ立って母屋に向かう。
「幽々子様はお達者かい? ここのところお顔を拝見する機会がなかったものだから」
「相変わらず、霊体の割には欲が旺盛でいらっしゃいます。それに最近は、以前にも輪をかけて奇妙奇天烈というか、情緒不安定というか」
口を尖らせて主への不満を並べる庭師に、九尾の狐は理解と同情の相槌を打ってみせた。
「――先日なんて突然、『妖夢の踊り食いよ~』とか言い出して。踊るか食べるかどちらかにして欲しいものです」
「はは。しかし、あからさまにからかわれているうちが花かもね。私もまだまだ人のことは言えないけど」
「……あ、すみません。主への愚痴なんて、人に零すべきじゃないのに」
「妖夢はもう少しどっしり構えておいてもいいんじゃないかい。案外、主人の方も振り回されているものよ」
「藍様ー。こっちですよ、早くー」
いつの間にか大きく距離を空けていた自分の式に相好を崩す狐の隣で、剣士の少女は俯いてしまう。偶然目に入った灌木に手入れの行き届いていない枝を発見し、思わず大きな溜息をついた。
「やはり、そそっかしいと思われているのでしょうね……」
「自覚があるのは大いに結構だけど、本当に大変なのは、自分の問題点を飲み込む作業。まあ、焦らず足元から一歩づつ固めていくことね。あんまり急に立派になられてもこっちが困る」
「日々是精進か。――どうぞ、上がってください。お嬢様ー、お客様がお見えです」
だが、居間に主の姿はなかった。障子に濾された淡い影が、壁際の生け花や掛け軸、畳の上に取り残されたお盆に張り付いているばかり。
「あれ、おかしいわね。さっきまでここに居たはずなのに。もしかして、また撮(つま)み食いをしにいったんじゃ……」
厨房では、白玉楼の使用人達が忙しく働いていた。その内の一匹に話を聞いてみれば、華胥の亡霊は立ち寄っていないとのこと。
「うーん。どこに行ってしまわれたのやら。他所行きに着替えていらっしゃるのかな」
「妖夢はまだ支度があるのだろう? 私達は料理を手伝っていよう」
「それには及びません。お弁当作りは粗方(あらかた)終わっているそうですから」
よくよく見てみれば、霊達の大半は調理器具の後片付けに追われているところだった。厨房の片隅に、蒔絵の重箱が山と重ねられている。
「お嬢様が、『お墓参りには、幻想郷一のおべんとを持って行くことにしましょう』なんて言い出すから、みんな大童(おおわらわ)でした。質は勿論ですが、量もかなりのものになってしまって」
「わあ、沢山ありますねぇ。食べきれるのかな」
「皆で分け合って楽しもうというご配慮だろう。確かに、この量を一人で持ち運ぶのは大変そうだな。我々で分担すればなんとかなる……か?」
「ああ、これは一部です。屋内には入りきらなかったので、残りは裏手に」
ひょいと裏口から外を見た九尾は、目に飛び込んできた光景に絶句した。そして狼狽し、戦慄し、歯を食い縛って戦闘態勢に入った。その式は、床に爪を立てて威嚇の唸り声を上げている。
「これ程までとは……! 恐るべし、西行寺の娘!」
「幾ら藍様でも無謀です! 一旦退いて態勢を立て直した方が――」
「駄目だ。ここで怖気づいてしまっては、八雲の姓が廃るというもの」
「でも、あの富士山大盛りをどうやって攻略しましょう?」
「十二神将の力を借りれば、或いは……。いや、この方法では日が暮れてしまう!」
「あのですね、全部持って行くのは非現実的だろうと薄々気付いていたので、無理をなさらなくても。半分は、私共が悪乗りしてしまったせいですし」
度重なる鶴の一声に、とうとう使用人達が吹っ切れてしまったのが事の始まり。そう仰るならとことんやってやろう、今度こそはあのふわふわピンクにお腹一杯よと唸らせて見せるぜ! そう自暴自棄気味に全精力を注ぎ込んだ一大プロジェクトの結果が、この黒光りする重箱ピラミッドである。ただ今ギネスに申請中。
だが、半ば投げ遣りな従者の感慨は、鼻息荒く突っ返されてしまった。
「私を誰だと思っているの? この程度の難問で尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかないのよ」
「私だって頑張ります! 猫の手だからって舐めないでよね!」
「はあ、さいですか。こうして不毛な凝り性の連鎖が続いていくんですね」
刺激されたのは知的好奇心か、はたまた策士としてのプライドか。俄然盛り上がる二人を残して、警護役はお嬢様を探しに出る。
「……」
二度とは咲かぬ桜の大木。果たして、その袂に亡霊は居た。こちらに背中を向けているせいで、桜色の髪に縁どられた表情は窺えない。枝影の複雑な模様が敷く手前に片膝をつき、庭師は無言で主の言葉を待った。
芽吹くものも散るものも絶えた光景である。
「――妖夢」
「はい」
「お腹が空いたわ」
冥界に、小さな虫の音が鳴り響く。朴直な少女が胸の内で折り合いをつけるのに数秒を要した。
「ま、そんな落ちだろうとは思ってましたけど」
「お腹空いた~。ねぇ、藍とその式が来ていなかった?」
「ええ、お弁当を運ぶのを手伝っていただけるようで……」
「じゃあ、取り敢えず一緒に晩御飯にしましょうよ」
「駄目です。お願いですから、向こうに着くまで我慢してください」
「いけずねぇ。私のお願い、聞いてくれないの?」
天に冷たく枝を差し伸べる桜を背景に、主がたおやかに微笑んでいる。剣士は、そのままの姿勢で表情を引き締めた。
「ご命じとあらば、なんなりと」
「私が斬れと命じれば、何であろうと断ち切ってくれるのかしら」
「比翼連理の絆であろうと、愛別離苦の未練であろうと」
「私が斬れと命じない限り、何も斬らないと約束することができて?」
「……『指切った』なんて落ちは、無しですよ」
「浮き世には、斬るより斬らぬが難しい場合こそ多いのよ。足りないわ妖夢、実に足りないわぁ~」
くるっと袖を舞わせ、しらばっくれてまなじりを下げるだけの主に歩み寄り、半人半霊の少女は言った。
「さあ、そろそろご更衣なさいませんと。他に用向きが無ければ、私も厨房を片付けておくことにします」
長い逡巡の後、西行寺の娘は静かに首を振る。
「着替えるのを手伝いなさいな。貴方は本当に未熟者の半人前ねぇ、妖夢。一人に広く、二人に狭く、とかくこの世は住み辛いもの。――ああ、お腹が空いた。味無き土を一掬い、空の器に盛るとしましょう」
呟きは、既に従者が立ち去っていた庭に薄れ、消えた。優雅に広げられた扇が、華胥の少女の口元を覆い隠す。薄墨に絡み合う模様の下、しばし亡霊は地に足を着け、ただ立ち尽くしていた。
墓参る
燃え立つような赤い髪の娘の、居眠りを決め込んでいる上に影が落ちた。ここは無縁塚。空渡る鳥でさえ滅多に上空を横切らない場所柄であり、お天道様の移り行きが原因でないとすれば、自ずと影の持ち主は限られてくる。
頭の後ろに組んだ腕を枕にしている死神の寝顔を覗き込むのは、新緑の髪を僅かに靡かせる人物。杓を頤(おとがい)に添えた少女が二言三言囁くと、赤い髪ががばりと跳ね起きた。
反射的に滔々(とうとう)と言い訳をまくしたて始めたサボりの常習犯に、閻魔は苦笑して得物を仕舞い、自分の服装を指し示した。普段の儀礼ばった制服ではなく、多少輪郭の柔らかい(それでも十二分に禁欲的な)礼服である。釣られて自分の服を確かめ、船頭は頭を掻いた。
一瞬、風の音が大きく聞こえる間がある。
何となく視線を空へ逃がした部下に、上司は指を一本立て、立て板に水と喋り始めた。その話をぼんやり聞き流しながら、彼岸の渡しは大振りの鎌を引き寄せる。段々と興に乗ってきたのか、閻魔の講釈はのべつ幕無しに話題を乗り換えていった。段々うんざりしてきた死神がぽつりと軽口を叩けば、耳聡くも眉間に皺が寄せられる。
再び杓が引き抜かれるのを見て、講釈が説教に変わろうとしているのを知った部下は、素早く彼我の距離を詰め、上司の体を抱き上げた。さっと頭部に血を逆上(のぼ)せた少女が何か抗議をするより早く、二人の姿は掻き消えている。
無縁塚には、取り落とされた二つの仕事道具と、静寂が陰影を横たえているのみだった。
墓参る
「レイセン! 他の皆はもう揃っているわよ」
「ご、ごめんなさい。遅刻しましたっ」
広間に整然と並んだ一群の空きへ、遅れてやってきた玉兎が滑り込んだ。やっと完成した隊列の正面、レイセンと呼ばれた兎に喝を飛ばしたポニーテールの少女が、傍らの姉へと話しかける。
「これで部隊全員ね。お姉様、準備はよろしいですか?」
「これで揃っていない者は居ないわね。依姫、準備はいいかしら」
「対地上の装備のことなら、万全が期されているはずです。レイセン、ちょっと」
「は、ひゃい」
名指しで呼び出された少女が、おっかなびっくり前へと進み出た。衣装が左右対称の姉妹を交互に見比べ、最終的に姉姫のアルカイックスマイルから目を逸らす。目尻を上げ、しかつめらしい面持ちの妹姫は、愛玩の兎に万歳の姿勢をとらせて説明を始めた。
「――と、このように、穢れへの対策は勿論、気候の差から日焼け対策まで、あらゆる問題に一挙に対応できるのです」
「ふむふむ、すんごいのねぇ」
「ふむふむって、お姉様、実は分かっていないでしょ。まあ、使える機能の種類が多過ぎて、私も全て把握しているわけではないのですが」
「貴方が覚えていないということは、下らない機能の数々なんでしょう。要はこの機会に技術力の差を見せ付けたいってことね」
「あの、豊姫様。私はもう戻ってもいいですよね?」
「だーめ。遅刻の罰として、私達のお立ち台になってなさい」
「えーっ……」
縋るような目付きを向けられて、綿月の妹姫は一応の取り成しを試みる。
「台なら、あそこにちゃんと用意されているのですけれど」
「私はレイセンに四つん這いになって欲しいのよ。よっちゃんなら解るでしょう?」
「だーれがよっちゃんですか。誤解を招く行為は控えて下さい。まるで私が日頃からペットを虐待しているようではないですか」
「李下に冠を正さず。なんて説得力の無いお言葉かしら。そうそう、私のことは、とっつぁんとお呼びなさい」
「一体私は何様三世よ」
「よっちゃんは大変なものを盗んでいきました。それは、私のおやつです」
「妹を勝手にいやしんぼにしないでください!」
「あら、私がいやしんぼだって言いたいの?」
「私の羊羹食べたの、お姉様だったんですか。楽しみに取っておいたのに……。あ、レイセン、昨日は思い違いをしてしまってごめんなさいね」
「いいなあ、私だってレイセンを踏みたいのに!」
「踏んでません! そもそもどうして人前でペットを踏み台にする月の民がいますか!」
「人前じゃなかったらいいのね?」
「そうじゃなくって!」
「え……? 依姫は私を床に這わせたいっていうのかしら」
「どん引きしたいのはこっちよ……」
場を弁えない姉のおとぼけに、妹はげんなりとした表情だった。その足元では、兎の少女が耳を真っ赤にして四つん這いになっている。
「ど、どうぞ乗ってください。私は構いませんから……」
「何故乗り気。レイセン、これ以上話をこじらせないで頂戴」
「ほら、依姫もこの子の健気さを見習わなきゃ。具体的に言うと四つん這いで――」
「踏むとか乗るとか這い蹲(つくば)るとかそういう趣向にこだわるな!」
「流石は依姫様だ。あの豊姫様と互角に漫才を繰り広げている……っ!」
「ああ、かつて月の頭脳と謳われた永琳様直々の薫陶を受けただけあって、凄絶な切れ味の突っ込みだぜ……」
「豊姫様も八意様のお弟子だってば。天然に見せかけてはいるが、きっと何か深いお考えがあるに違いない」
ざわざわと集中力の無い兎達に、大きな咳(しわぶき)が響き渡った。水を打ったようになる広間を眼光鋭く睥睨した妹姫は、仕切り直しが成功することを祈る。誇り高い月の民として、この場を喜劇で終わらせる訳にはいかないのだ。目下最大の障害である姉姫は、莞爾(かんじ)としたままペットの背に飛び乗った。
「えー、作戦の決行に先立ちまして、お姉様から激励のお言葉があります。皆、心して聞くように」
帽子の角度を直し、凛とした表情を作る姉を見て、やっと妹は胸を撫で下ろした。これでシリアスな流れに復帰できるに違いない。そんな安堵は、呆気なく打ち崩されることになったが。
「あー、ごほん……。諸君、私はお祭りが好きだ。諸君、私はお祭りが大好きだ――(中略)――」
「人参! 人参! 人参!」
「よろしい。ならばお祭りだ。我々は渾身の力をこめて今まさに吹き鳴らされんとする祭囃子だ――(後略)」
「うおおおおおおおおおお!」
「うおおおおおおおおおお!」
「あ、あれほど真面目にやって下さいって言ったじゃないですか! どうしてこう極端な方向に走るんですか?」
「あら、この演説の形式は由緒正しく確立されたもので、古くは月夜見様の――」
「半ば本気で言っていそうなところが憎らしいですわ。もし八意様がここにいらっしゃったら――意外と付き合いがよさそうですね。兎も角、安易な人真似を窘(たしな)めなさることでしょう。私の力が及ばなかったことも確かですが」
渾身の大演説に沸く広場で、ただ一人だけが不満げに頬を膨らませた。尊敬する師が駆け落ち先で愛姫とのスキンシップに励んでいるとは露知らず落ち込む妹姫を、演説を終えた姉姫が気遣う素振りを見せる。
「ごめんなさい。やり過ぎちゃったかしら。ほら、私達はまだまだ迂闊な行動が取れないし、先人の知恵を借りることで、少しでも印象を親しみ易くしておこうと思ったのよ」
「売れない芸人ではないのですから。幻想郷くんだりまで行って、姉妹漫才で天下を取るおつもりですか。……もう嫌です。昨日頑張って格好いい台詞を練習してたのが馬鹿みたい」
「大丈夫。依姫が刀を振り回してる立ち姿だけで、ご飯三杯はいけるわ。次は注意事項の予定でしょう。はい、ちゃんとしなきゃ」
「お姉様……。そうですね、私がしっかりしないともう色々と駄目ですね」
袖を絞って立ち上がった少女は、反面教師に代わってペットの背に飛び乗った。
「――まず、おやつは各自三百円までです。五分前行動を心掛けること。兎鍋にされたくなかったら、知らない地上人に付いていかない。……この辺は割愛しましょう。詳細は作戦の栞(しおり)に書いてある通り。我々の目的はお墓参りであって、戦争や宴会、ましてや漫才など二の次であることを忘れてはならないわ。建前上は示威部隊だけどね。玄妙たる月の代表として、各自軽率な行動は慎むこと。つまみ食いしたり、他人の名前を略したり、ペットを欲望のままに弄らないこと。さあ、お姉様。ちゃっちゃと地上に繋いでください」
「私が適当主義の脳天気みたいな言い草ねぇ。急いては回れ、急がば事を仕損ずる。今回は秘密兵器を用意してあるのよ」
姉姫が大きく両手を広げると、辺りの風景が不自然に歪み、一行は瞬時にして別の場所に移動していた。海と山を繋ぐ月の姫が能力の発露である。静かな海の波打ち際に、小さなお屋敷ほどもある船体が浮かんでいた。
「これぞ、月の技術と暇の粋を集めた、最古にして最新の箱舟。穢れに塗(まみ)れた地上の民は、畏怖のあまり直視することすら叶わないでしょう。名付けて、《よっちゃん無双三号》」
「異議あり。まるで私が自己顕示欲丸出しみたいな船名ですね」
「文句があるなら月夜見様に直接」
「ネーミングセンスないなぁとは前々から思っていました」
「さあ、早速乗り込んで、踏みつけに行きましょう! 忘れ物を思い出さないうちにね」
意気揚々と拳を振り上げる姉に、しかし冷静な妹が待ったをかけた。
「え? 用を足すのなら、中にお手洗いが完備してあるわ」
「いや、果たしてこれで時間に間に合うのですか?」
「吸血鬼のロケットと一緒にしちゃ駄目よ。神霊の力を原動力にしたこの船は、半日で地上と月を往復することができる」
「やっぱりそこは私任せなのね……。それは置いといて、集合の時刻はもう間も無くですよ」
「うい? つまりは――」
「幾ら速さを誇ったとしても、出発の時点で周回遅れです」
「……てへっ」
「やっぱり考えていなかったのですか。仕様がありません。次善の策として、乗り込んだ船ごと送り込むことにしましょう」
「その手があったか。流石は八意様の弟子ね」
「お姉様も、その位思い付いていたでしょうに」
「うふふ、忘れていたのよ。地上の移り変わりの忙(せわ)しなさを」
「私達が覚えておかずにどうするのです」
神霊が依り憑く少女の神妙な言葉は、すぐに嘆息へ取って代わった。
「結局、見せ場らしき見せ場は無かったですね」
「逆転の発想よ。地上の連中向けにネタを温存していたということにしておくの。この際一暴れも二暴れもしなくっちゃ」
「ダイエットにもなるし一石二鳥ですね、って言うと思いましたかこの桃色脳細胞。一体誰が元凶だと――」
「そんな大胆な! いけないわ依姫。皆が見てるのにぃ」
「友睦確かのはいいんですが、私はいつまでこうしていればいいんでしょうか?」
その夜、海千山千の人妖達と丁々発止の攻防を繰り広げた姉妹の武勇伝は、後々まで月の民の語り種となった。だが大変残念なことに、それはまた別のお話である。
――墓参る
「あと、右の風呂敷には傷みやすい果物が入っているから、ぶつけないように注意してくれ」
「……」
「思ったより色んな連中とすれ違うね。人間も妖怪も、今日ばかりは目的を同じくするか。私の知る限り、示し合わせていたわけでもないのに」
「……」
「ねぇ、妹紅。もしかしてわざと聞こえない振りをしているのですか?」
「……」
「何度も貴方に言ったことがあると思いますが、私が一番悲しいのは、自分の話が聞き流されてしまうことなのよ」
「……ん? ああ、悪いね。ちょっと考え事をしてたんだ」
獣道より多少ましといった程度の小径を、二つの人影が並んで歩いていた。一人は、燃え尽きた灰のような、仄青い白髪に呪符を結んだ少女。片や、角ばった厳つい帽子を危なげなく被った少女。それぞれ両手には重たい包みを提げ、背中にも荷物を担いでいる。
白髪の少女が機嫌を窺うようにして連れの顔を覗き込むも、ついと視線を逸らされてしまう。いつまで経っても気難しさが抜けない獣人に、少女はやれやれと梢を仰ぐ。
「それにしても大した荷物だね。夜逃げでもしているような風体だ」
「まだ日没までは間があります」
「それじゃ引っ越しかな?」
「諸般の事情で自ら出向けない里人の分を、こうして預かっているのだから……、その、感謝していますよ」
本人も大人げないと気付いたのか、半人半獣の声にはきまりの悪そうな響きが込められていた。自身に数倍する重量にえっちらおっちら道行く姿を、見るに見かねられての同道である。
「貴方には重くありませんか? 半分も持っていただいて」
「何のこれしき。へいちゃらさ。箸より重いものを持ったことがないお姫様じゃないんだから」
そう言ってずり下がってきた荷物を背負い直す少女に半歩遅れ、獣人の少女が話題を振った。
「ええと、先程は、何を考えていたのですか?」
「うん? 別段話すようなことじゃないよ。桂男はどうして家まで付いてくるんだろうって、そんな感じさ。知ったところでどうしようもないわ」
「私の話もその程度と? ちなみに月が空を移動しているように見えるのは――」
「あー、慧音の講義は堅苦しくっていけないなぁ。……はは、冗談冗談。そう拗ねなさんな。ただ、私はあと何回この道を通ることになるのか、数えていたの」
「むう。……年忌法要に関して言えば、来年の三回忌に、七回忌、十三回忌……。五十回忌まで含めるとなると、全部で七回ですね。無論、他の命日やお盆、春と秋の彼岸会を考慮すれば、もっと多くなるでしょう。そもそも、時節に合わせて墓に参ることも大切ですが、それ以外に機会を設けてはいけない決まりはありません。だからといって数をこなせばいいというものでもない。重要なのは――」
「がーっ。そうじゃない、違うんだよ。上手く言えないが」
どう言葉を継いでいいのか分からず、蓬莱人は自分の影に目を落とした。歴史喰いが幾らか足を速めて追い越すも、その細かな表情は逆光で窺い知れない。
「妹紅、確かに私は、無責任に約束することをよしとしないが――」
「深く考えているわけじゃない。気にすることはないよ。それこそ桂男だ」
「貴方にとっては、重そうに見えるが」
茶化そうとする少女の歩みを、真摯な言葉が遮った。
「いいか。妹紅がそう望むなら、誰かしら道連れは出来るものだ。荷物を分担して、世間話をしながら歩くような相手が。難しい話じゃないはずだ」
「――本当かしら」
「保障できるのは、あまり長い期間ではないけどね。私がそう望んでいたことは、どうか忘れないでいてほしい。なんなら誓約書を作ってもいいぞ」
「そう……ね。行こうか。夜逃げしないで済む内に」
「ああ、もう一つ」
夕暮れにはまだ早く、故に面を伏せたまま歩き出そうとする少女を、その数少ない理解者は呼び止めた。
「妹紅の場合、もう少し付き合いを広げておくべきだと思うんだ。竹林の方々や、すぐに弾幕を持ち出そうとする連中意外にもね。そうすれば、私が特別物好きなわけじゃないと理解できるだろう。今日がいい機会よ。きっと現場はごった返しているでしょうから」
「……へー、そんなこと言うんだねぇ」
「っと。お、おい! そう急がなくてもいいだろう? そんなに楽しみなのか――?」
「絶対理解してないな、慧音の奴」
すたすたと歩み去る蓬莱人に、半人半獣の少女が何とか追い縋ろうとする。その形ばかりの諍いの横を、小さな二組の羽根が追い抜いてゆく。
墓参る
「あはっ! みんな遅い遅い! あたいったらごぼうむきね!」
「チルノちゃんっ。それを言うなら牛蒡抜きだってば! あと、あの人達も駆けっこをしてるつもりじゃないと思うよ?」
半透明の羽影が地面を滑る。鋭い氷の羽根を生やした少女が満面の笑みを浮かべて走ってゆく後ろに、薄い水面を背負った若草色の妖精が忙しく声色を変えていた。
「だって、あの兎とか門番とかはすごく楽しそうだったよ?」
「それはね、えっと、えうう……。きっと青春してたんだよ」
「青春?」
「高い理想と、思うようにならない現実との狭間で行き場をなくした若いエネルギーが、彼女達をがむしゃらに突き動かしているのです。……見当違いの方向に飛んで行ったけど、大丈夫かなぁ」
「いいなあ、あたいも青春したい!」
「走り回って満足なら、止めないけど。転ばないように注意してね」
「躓(つまず)いても止まらなきゃいいの! ――あ、レティだ! おーい!」
道も地も無く駆けてゆく氷精。木々の合間を縫うようにして抜けた先に、見慣れた妖怪の姿があった。背後で上がる歓声に気付いたのか、白銀を侍らせた少女が振り向き、両手を開いて突撃してくる妖精の笑顔を認め――ひらりと身を躱した。勢い余って足を縺(もつ)れさせた妖精は、存分に地面と抱擁を交わすことになる。
「あいたた……。うー、ひりひりするよぅ」
「何者かと思ったら、どこぞの氷精か」
「酷いよレティ。避けるだなんて。そんなに冷たい奴だなんて知らなかったわ」
「非道なのはそっちよ。どうして降りかかる火の粉を払わずにいられますか」
呆れ顔ながら、冬の妖異は立ち上がる少女に手を貸し、服の汚れを払ってやった。軽口を叩き合う二人の横に、黄色いリボンを結んだ妖精が転移してくる。
「えっと。こんにちは、黒幕さん」
「こんにちは、湖の。ちゃんと手綱は握っておかなきゃね」
「彼女とは健全なお付き合いです。間違っても保護者じゃありませんよ。チルノちゃん、怪我はない?」
「痛い痛い、心が痛いわ」
妖怪のふくよかな曲線に恨めしげな目付きを送る氷精を、その友達は可笑しげに見守っていた。黒幕といえば、明後日の空に涼しげな色の瞳を凝らしている。視線の先には、こちらに向かって飛来する、白と黒の対になった少女達がいた。
「一匹見つけたら四十匹、よくもまあ妖精はうじゃうじゃ湧いてくるわね」
「この角度は直撃コースです……」
「げげ、リリーじゃないのさ!? 何で?」
「――春ですか~!!」
春告精の墜落地点と思しき現在位置から、湖の妖精は矮躯を風に掻き消し、妖怪は残り一名の襟首を掴んで飛び退いた。少女達がいた場所に突風が叩きつけられ砂塵が舞う。躊躇なく地面へ特攻しようとしていた白い方は、黒い方に羽交い絞めにされてぎりぎり事無きを得ていた。
「出たわね。春のお届け物部隊」
「春なのでしょうか~?」
「あたいに聞かれても。って、こいつらをレティと同じ頃に見かけるのは珍しいね」
「私に振られても。呆け気味の亡霊がまた何かしでかしたか……。それとも、頭が春っぽい奴らが増えているのか」
「わかった! 青春してるんでしょう!」
我が意を得たりと言いたげに勝ち誇る氷精に指差され、黒い方の妖精がむっとして睨み返した。
「別に、私は春を知らしめに飛んでただけよ。何が悲しくてあんたと出くわさなくちゃいけないのか、こっちこそ教えてほしいわ。冬の……残り物?」
「冬の忘れ物。まぁ、深くこだわらないでもいいんじゃないかしら。今日ばかりは、四方の将軍様も休憩中みたいね。その辺探せば、芋臭い神様も転がっていらっしゃるわ」
「芋ですか~。ほくほくがいいなぁ。ぎゅーっ」
羽交い絞めにされていた白いのが、お返しとばかりに黒いのを抱き竦める。仲好し小好しの白黒の隣に、避難していた妖精が姿を現した。
「良いですね。きっと賑やかな方が楽しいですよ」
「賑やかって、一体何が?」
「はっ、そんな事も知らずにここまで来たの? 春祭りに決まってるじゃない。ぎゅー」
「リリーちゃん。それを言うなら墓参りです。レティさんも参加なさるんですよね?」
「皆集まっているようだから、顔ぐらいは見せとこうと思って」
「袴炒りぃ? よくそんなけったいなものを食べに集まるね」
「チルノちゃん。以下略、よ」
「故人を偲ぶために、お墓にお参りすることよ。本来なら、一斉に行く必要は無いのだけれども」
「お墓のある所って、辛気臭くて嫌だな」
「それじゃ来なきゃいいじゃない。――貴方には、何をどう説明したところで無駄でしょうからね」
「な、馬鹿にしないでよ!」
向きになった氷精が、背筋を伸ばした冬の妖怪を見上げて口走る。見下ろす少女は、眉をからかいの形にして言った。
「それじゃあ、お墓が何のために建てられるか知ってるかしら?」
「は~い。墓ですよ~」
「問題外ね。次」
「そりゃあ、後で掘り返すための目印に決まってる」
「間違ってはいない。次」
「ええと、誰がどこに埋まっているか忘れないようにでしょうか」
「惜しいわね。言うまでもなく、お墓は死者以上に、生者のために建てられる。冬が死を意味する季節であるように」
「ぎゅうぅー。継いだ春は誕生を意味し、夏は成長を、秋は成果と衰退を意味します~」
歌うような調子の春告精に頷いて、銀粧の少女は言葉を紡いだ。
「そして、死へと戻ってくる。灰色に重い空は、消えてゆく命の墓標。冷たく覆う六花は、旅立ってゆく魂への餞(はなむけ)」
「でも、白く輝く絨毯は、単なるお布団ではなく揺り籠でもあるのです。小さな温みを、次の誕生へ受け渡すための」
辺り一面に疑問符を撒き散らす友人の隣で、水面を羽根にした妖精は小さな唇を綻ばせた。
「そういうことですね?」
「そういうことなの」
「どういうことなのよ……。さっぱりわからんちんだわ」
「ほら無駄だった。さて、この面子が一緒に行動していては、紛らわしいことこの上ない。お別れと致しましょう」
淡々とした妖怪の口調がそうさせたのか、氷精の問い掛けには不安そうな影があった。
「行っちゃうの? レティ」
「そんな顔しない。また向こうで会えるわよ」
「それでは~。私達も行こう」
「私達も行こうか。それじゃあまたね」
手を繋いだ白と黒の番(つがい)が遠ざかるのとは反対方向に、白銀の少女は後姿を溶け込ませた。名残惜しそうにその方向を眺めていた氷精は、思案げに瞼(まぶた)を閉じる。
「私は、死んじゃった奴のことなんて考えたくないもの……」
「躓いているの? チルノちゃん」
「そんなこと、ないよ」
「それを言うなら……」
若草色の少女は、言葉を切って睫毛(まつげ)を伏せると、目の前の青い髪を軽く撫で、そしてくるりと背を向けた。
「それなら、私は手を貸しません。先に行って待ってるからね」
突き放すような物言いと共に、妖精は風の中へ消える。ただ一人取り残された少女は、虚空を睨み、頬を膨らませて呟いた。
「何よ。私ばっかり莫迦にして……。見てなさい!」
両手で頬をぴしゃりと叩いて活を入れると、再び道なき道を進むべく、氷の羽根は全速力で駆け出していった。
墓参る
「へっくしょん! おいも」
「……穣子、風邪なの?」
「ううん、誰かが私のことを噂してげふっえふっえふっ」
突然咳き込み始めた妹神の背を、姉神の手は優しく摩(さす)った。二人の前を歩く少女が、精巧に形作られた美貌を振り向ける。
「病気は私の管轄外。期待されても困ってしまう」
「貴方のせいだなんて誰も言ってないわ、鍵山の。禊(みそぎ)は済ませてきたって言ってたじゃない。今夜ぐらい仕事を休みなさいよ」
「それでも、万が一という可能性があるわ。この手を解(ほど)いてくれるといいんだけど」
皮肉っぽく笑っていても、厄神の顔立ちは均整がとれていた。その緑髪を飾るのと同じリボンが持主の両の手に結ばれ、端はそれぞれ姉妹神に握られている。
「勘違いしないでね。縛られるのは嫌いじゃないの」
「何を抜け抜けと。私達だって、好きで貴方の自由を奪っているわけじゃあない」
少々ご立腹の様子で、実りの彩りを頭に散らした妹がリボンを引く。しかし、揺れたのは厄神の右手だけだった。同様に、紅葉の美しさで髪を染めた姉の手からは、左手に繋がる帯だけが伸びている。
「こうでもしなきゃ、鍵山のは何かと理由を付けて逃げ出してしまうでしょ」
「だって、皆が集まる場って苦手だし。たとえ実害が無かったとしても、私に近寄って欲しくない人は多いでしょう。遠くから眺めているだけで十分なのに」
「そりゃあんたはいいだろうけどね。木陰からじーっと見詰められるこっちの身にもなってみてよ。景気が悪いったらありゃしないわ。でしょ、姉さん」
妹神の明朗さに反比例し、姉神は掠れたような声で合いの手を打った。
「……これだけ人出があれば、雛ちゃんも目立たないと思う」
「八百万を名に負うだけあって、大混雑ね。その一柱が言うのもなんだけど、ピンキリにも程がある」
「縛り上げた私を晒し者にしようって魂胆? 楽しみだこと」
「楽天的なのか悲観的なのかどっちかになさい。あんたが役割に熱心なのは誰でも知ってるんだから、自分勝手に距離を取れるなんて思い上がらないことね」
「お気遣い痛み入るわ。ありがたくってこのまま流されてしまいそうよ。ねえ、私、泣いていやしないかしら?」
窃笑する流し雛から不気味そうに視線を剥がすと、豊穣神は自分達を取り囲む膨大な数の人影を見渡した。囲むといっても、三柱が特別注目を集めている訳ではない。枝葉からこぼれる光粒のように、雑然と行進する神々の群集。彼女達もその一部に過ぎなかった。
やはり黒っぽい服装が目立つ中から見知らぬ神を見出して、妹神は首を捻る。
「うーん。あのとんがり帽子、どっかで見覚えがあるような」
「え、どなたのこと?」
「あの下半身がゆやよんとしてる神。山の連中じゃないわね。午前の集会にも居なかったわ」
「……穣子、顔だけは広いもの。外部の方かしら」
「あの感じは、麓の神社の祟り神だと思う。何となく親近感があって覚えてる」
「博麗の? 噂には聞いてたけど、また一風変わった方ね」
そんな会話が聞こえたのか聞こえなかったのか定かではないが、悪霊はつかつかとこちらに歩み寄って気さくに手を上げた。
「やあやあお三方。その節は、うちの人間っぽいのが世話になったね」
「神を神とも思わぬあの所業。千秋過ぎても許してあげない」
「人の子とは思えぬあの所業。水に流すには惜しい縁よ」
「そいつは何より。あの子も根っからのお尋ね者なんで、また会ったら構ってやってくれ。ところで、何故にそう結ばれてるんだね? 人形回しの興行かい?」
「聞いてよ。この鍵山が流し雛、己を不幸の種と気に病んで、回覧板も回さない無精者。そこで私達がかくかくしかじか」
「……奥山に、紅葉踏みわけ、鳴く鹿の」
「撃ちたくもあり、撃ちたくもなし。他人を不幸にする程度、気に病み過ぎと言えばそれまでさ。この人類根絶やし系の大悪霊、魅魔様まで大手を振って娑婆(しゃば)を歩けているんだから」
「あんたはもうちょい自重しろ」
「悪かった。けれども、本当にそう思い悩む必要は無さそうよ。さっきなんて、封じられたはずの地底の連中まで見掛けたからね」
「最早何でもありかい。そう言う貴方は、八百万の仲間入りをしに来たの?」
「こんなにうじゃうじゃされちゃ、どうしたって突き当る。それに、私以外にも混ざってる奴が居るみたいよ」
悪霊が軽く指を鳴らすと、誰も居ないはずの空間に色が付き、次第に染み広がってゆく。正確に言えば、透明になっていたものが元に戻っているのだ。あたふたと光学迷彩装置を確認しながら、工具袋を担いだ少女が悲鳴を上げる。
「やだ! 壊れちゃったのかい? あれれー? バッテリーの残量は残ってるしー」
「おやおや、どこの誰かと思えば、河城の河童娘じゃないの。河神に昇格していたとは知らなんだわ」
「これはこれは豊穣神様。滅相もありませんよ。連れとはぐれて、迷っちゃって。この集団に付いていっても構いませんよね。目的地は一緒だし」
「姿を隠す必要はあったの? 河童さん」
「流石に恥ずかしかったのよ、厄神さん。どっちを向いても他人他人で。やっと顔見知りを発見して、一安心してたんだ」
「……知り合い?」
「お互い、流されるのも楽じゃない仲なの」
「ねー」
にっこりと笑みを交わす二人を見て、姉妹神が同時に手を打った。
「都合がいいね。あんたにこれを託そう」
「……託します」
「え? 何々?」
「私達は、他の引っ込み思案達に声をかけてくるよ。また向こうで落ち合いましょ」
強引にリボンを握らされた河童は、雑踏に紛れてゆく二柱をきょとんと見送った。繋がれた先の厄神は、呆れに眉を顰(しか)めて嘆息する。
「何ぞや? この紐は。どんな儀式の最中かな」
「もう……いいわ。好きに縛りなさい」
「唐突に縛れとか言われてもー」
「あら、縛られる方が好みだったかしら」
「案外、雛は自分中心に回ってるよね……。しかしなんだ、よくもまあこれだけ大勢が出張ってきたもんだ」
「この分だと、墓地は満杯になりそうさね」
「うえ、あんた誰……?」
人見知りを発揮して身を退く河童に、流し雛の少女がすっ惚けた紹介をする。
「今流行の、ちょい悪系神様」
「魅魔様だ。よきにはからえ」
「ど、どうも……。えと、えとえと運動会は大盛況ですね?」
「ああ、それだけあいつの影響力は強かったってことさ」
「でも、飲み会目的の方も多そうね」
「そうそう。面白半分の奴が半分、機会に便乗する奴が半分、何も考えてない奴が半分かな」
「魅魔さんや、増えちょる増えちょる。零れちゃったらどうしようも無いじゃん」
「胸は大火事、枕は大水。にとり、今年はどのくらいの涙が流れると思う?」
しめやかな風(ふう)を露ほども感じさせない、からりとした眼差しで問われて、河童の少女はリボンを指に絡めた。
「さあね。塩辛い水は管轄外、淡白な味が好みかな。話しのつまには事欠かない。友よ、今夜は存分に酌み交わそうじゃないか」
墓参る
縛られているのは、何も厄神だけではなかった。十字架ならぬハート架――刳(く)り抜かれたハート形の下端から棒が突き出た、巨大な代物――にYの字で縛り付けられているのは、紫に煙る髪を揺らめかせた少女である。
「『さとり様、一人だけ高いところでずるいなぁ』、ですか。代わってもいいのですよ、空(うつほ)」
「え、いいの? やったぁ!」
「駄目だよおくう。お姉ちゃんには、地霊殿代表に恥じない悪目立ちをしてもらわなきゃいけないんだから」
「うにぅ、残念ですわ」
「空……、ご主人様が誰なのか忘れたの?」
「えーとねぇ、ご主人様は、ご主人様ー」
某聖人のごとく中空に掲げられた覚(さとり)の少女は、落胆に頭(こうべ)を垂れた。ハート架の基端を脇に抱え、もう片腕には重厚な筒を取り付けた地獄鴉がうにゅうにゅと首を傾げる横、覚の妹は無邪気な表情で姉を見上げる。
「お姉ちゃんが悪いのよ。土壇場で出席を取り止めるなんて。私が今日を楽しみにしていたことぐらい、知ってたでしょう?」
「それは、お参りの規模が想像以上だと後で気付いたから……。てっきり、入れ替わりに故人を偲ぶものだと思っていましたから。いいですか、放蕩娘な貴方ならともかく、私はこれでも地霊殿の主。地上の者と軽々しく縁を持つのは、双方にとって好ましくありません。接触は最小限にしておかないと」
「まま、この目出度(めでた)い日に固いこと言っちゃ野暮ってものよ、さとり様。折角のお亡くなり一周年記念パーティーなんだからさぁ。無礼講で!」
赤いお下げの火車が陽気に言った。機嫌良く押される猫車の上には、白い布に包まれたお供え物がうず高く積まれている。援護を受けた無意識の少女が、にこやかに姉へ語りかけた。
「心配ないわ。もしお姉ちゃんに文句を吹っかけてくる方がいたら、私が皆殺しの三枚下ろしにして差し上げますから」
「それじゃ私は、文句を付けられる前に焼き尽くしておくわ」
「いいねいいね。お祭り騒ぎの血祭り沙汰さ! あたいも腕が鳴るよ」
「せめて、半殺しにしておいてあげなさい。特に空には念を押しておくけど、地上で暴れるような真似はしないように。ぺんぺん草も生えない焼け野原どころでは済みませんよ」
主の持つ第三の目に射竦められて、神の力を得た鴉はすごすごと翼を萎れさせた。それでも未練がましく嘴(くちばし)を尖らせ、右腕の筒を矯めつ眇めつする。
「ちぇーっ。今日のために、一生懸命第三の足磨いといたのに~。見てこれお燐、ぴっかぴかですよ?」
「あたいは猫車を新調したよ。ほら、まだ血糊の一つもついてやしない」
「『今夜は何人持ち帰れるかなぁ。楽しみだ』。……あのお墓を掘り返したりしてはいけません」
「おくう達は嬉しそうよ。ね、お姉ちゃんも嬉しまなきゃ」
「死者を悼む気持ちを説いても無駄そうね。貴方達にそれを咎めるつもりもないし。大いに浮かれるがいいでしょう。けど、私を引きずり出す必要はあったのかしら」
「私はお姉ちゃんと一緒が良かったの。嬉しいかもしれないと思ったのよ」
いつになく頑固に言い張る妹の様子に、地霊殿の主は瞳を細めた。
「いつも、地上の話を楽しいって聞いてくれるじゃない。実際に遭ってみれば、もっと面白いに違いないわ。思いもよらなかった形、思ってもみなかった色、残酷なくらい言葉にできないモノが、沢山居るの。お姉ちゃんと一緒なら、私、もっと残酷にできる気がするわ」
「たまには読んでも読んでも読み切れないって体験も新鮮さ。一人の死体は祝うべき悲劇だけど、一千人の死体は数字に過ぎないってねぇ。意識も大勢集まれば無意識と変わりない」
「お腹空いてきちゃったわ。御馳走たんまりあるといいなぁ。熱々の焼き肉なんて堪りません。冷え固まっていても私には全然問題ないですが」
玩具を心待ちにする子供のようにうっとりとした眼差しの妹。火車が、同じくうっとりと思いを馳せて空気を読まない親友を睨む。
「……貴方達の主張は分かりました。私も、見聞を広げるに吝(やぶさ)かではありませんし……」
「パーティーに加わってくれる?」
「いいえを選んでもきりが無いんですよね」
「うふふ、やったぁ」
閉ざされた瞳を反らしてはしゃぐ少女と、鴉に頭突きを食らわせている猫を眺め、覚は頬を緩ませかけた。しかしすぐに、ハート架に縛り付けられている現状を再確認して遠い彼方を見やる。
「気付いたらこの状況でしたが……、こいし、貴方の仕業ですね? お燐も空も身に覚えが無いと考えていますから」
「うん。紅茶に睡眠毒を混ぜておいた。台も私一人で作ったのよ」
「端的に聞きます。何故?」
「地霊殿の旗印。ハート型は恋と心臓、くり抜かれた跡は底無しの深み、中心のお姉ちゃんは、恐怖と畏懦(いだ)、そしてお姉ちゃんを表しているのです」
「目のマークで代用できたのでは?」
「お姉ちゃん以上の適任がいるはずもないわ。縛られて無抵抗になったお姉ちゃんを見ていると、私までぞくぞくして、胸が一杯になってしまうのよ」
「本命ど真ん中ってやつかい? くーっ、見てよこの麗しき姉妹愛! 互いを思い遣る故に擦れ違う心。王道だねぇ。サスペンスだねぇ」
「しかも! 付属のイルミネーションを点灯させれば、夜闇に浮かぶサトリーハート。誰よりも目立つこと請け合いなの」
「こいし様。私いいこと思い付きましたわ。いっそ派手に火を付けて、燃え上がる恋の炎なんてどうでしょう?」
「素敵ねぇ。ロマンティックだわ」
「うーつーほー。どこに主人を火葬にするペットがいますか」
当人を差し置いて盛り上がる者達に、地霊殿の主は忌まわしき第三の目を剥いた。急にしどろもどろになった地獄鴉は弁解しようとしたが、読心の力を持つ相手に通用するはずもない。
「そ、そんな、さとり様を燃やすだなんて、勿体無いこと――」
「『ちょっとやってみたいかも。焦げ目くらいなら誤差の範囲内』ですって? 霊烏路空、私の言いたいことが分かりますか?」
「うにゅー? うにゅむにゅにぃ、にゅうににゅー。うにゅい?」
「そうですねぇ。一週間の餌抜きにしましょうか」
「がーん。そんな……、そんなぁ……」
がっくりと項垂(うなだ)れる親友に軽口を叩こうと、火車が上半身を低くした。だが、その身も世もない嘆き顔を覗き見て、言葉を喉に詰まらせたような表情になる。恐る恐る見上げた先には、じっとりと半眼のご主人様。
「『がーん。がーん。がーん』――褒められた飼い主でない自覚はありますが、ペットに食い物にされるほど腐ってはいませんよ。空、貴方はもう一度躾直す必要がありそうね」
「……さとり様、一つ提案があるんだけど」
「何でしょうか。ロマンティックな案ならこいしにどうぞ」
「もしあたいがその縄を解いたら、浮いた食費を回してくれるかい? 余計な死体も運ばないからさぁ」
「お燐ずるいわ。私のごはん……」
「こいしはどう思うかしら?」
「んん、私は餌はいらない。お姉ちゃんを取り外すのには反対」
めそめそしている飼い妖怪達を黙って観察していた覚の少女は、つと三つの目を和らげた。
「この格好で脅しても、大した効果はありませんね。大体、貴方達は自分勝手に食事を摂っているじゃないの。私が禁止したところで、高が知れています」
「そういう問題じゃないのよぉ。……え? 食べてもいいの?」
「今回は、お燐に免じて許しましょう。また調子に乗るようでしたら――。私に手を下させないでね、二匹とも」
「わーい。お燐、焼肉食べ放題ですって! ばんざーい!」
「誰もそんなことは――。ああ、読心が追い付かない。何という短絡的思考でしょう。これが八咫烏の力……」
「元からじゃないかしら。あ、おくう! 手を離しちゃ駄目っ」
地獄から極楽への落差に感極まった地獄鴉が万歳をした拍子に、その脇からハート架がすっぽ抜けた。棒の下端が地面に突き刺さり、土を抉りながら傾いてゆく。猫車から手を離せない化猫が慌てて口を出した。
「おくう違う押してるよ。逆、逆だってば!」
「え? あれ? 掴めない?」
「そっちは第三の足だって。いやいや、外してる場合じゃないしー!」
「お姉ちゃん、今誰かが無意識に助けるよ!」
「ふふ、いいのですよ、こいし。私には読めました。今回の落ちは――」
少女の悟りきった面持ちが水平になる瞬間、鈍い打撲音がその台詞に重なった。この幻想郷にはたとえ読めたとしてもままならぬことが幾らでもあると、身を以て示したのだった。
墓参る
鬱蒼とした森を貫く細い道の途上、急に坂道へ転じている場所で、立ち往生している一台の屋台があった。赤提灯が灯されるにはまだ日が高い時刻。大量の物資が満載された車体を斜面に進めようと奮闘しているのは、夜闇を狩場とする三匹の少女達である。
「――旅のそらぁ、草まくら~、はらから歌う、虫の音ぇ。……うぐぐ、リグルやーい、ちゃんと押してるー?」
足腰に力を入れて突っ張るたびに、夜雀の禍々しい翼がぴんと伸ばされる。額に汗して移動店舗を引っ張る少女は、同じく後方で踏ん張っているだろう知己に口遊(くちずさ)みを向けた。
「おっ、押してるけど……っ。あー無理無理。どだい荷物を積み過ぎだってばー。因幡の物置も驚きです。一体何を載せてるの?」
すっかり諦観してしまった妖蛍が、マントを払って荷台の背後から飛び退いた。途端、中途半端に急斜面へ乗り上げていた車輪が転がり落ち、明らかに超過しているだろう積載量に木組みを軋ませる。
「何って、食材に決まってる。この度の夜会は、焼き八目鰻屋の顧客を拡大するまたと無い好機なのよ。焼鳥屋撲滅を推進すると同時に、私の歌を大勢の人に効かせてあげるの。あんただって、蟲の地位向上を目指してるんでしょー?」
「そりゃ、日夜カサカサ活動してますよ」
百蟲を統べるには些(いささ)か威厳の足りない蛍は、屋台の裏に張り付けられた《蟲の知らせサービス》の広告を眺め、腕を組む。色褪せたチラシの下には、幼げな金髪の少女が闇色のスカートで尻餅をついていた。
「お腹減ったなぁー。ねぇ、ここらでご飯にしようよ。荷は軽くなるし、胃袋は膨れるしの一石二鳥」
「駄目駄目。鳥に石を投げたりしたら、自分のおでこに落ちてくるってもんよ。――瀬をはやみぃ、恋のやみ~、止まずかなでずに、雨音ぉ」
「――鳴かぬ一夜の、火垂水に~。でも、このままじゃ会場に着く前に日が暮れちゃうわ」
「――月がしぶいて、まぶし餅ぃ。この坂さえ超えてしまえれば、何とか。ルーミア、もうちょっと頑張って! 向こうでたらふく御馳走してあげるから!」
「えー。お日様が眩しくて頭が痛い。夜になってから移動すれば良かった」
「のんびりしてたら、宴会が始まっちゃうの」
「そのころには、私も餓死してる……。あ、見て! 『聖者は十字架に磔られました』だよ!」
「まさか、そうそうミスター肯定さんが自分ルールを全開に……。って、ぬわー!?」
残念ながら、前方に浮かぶシルエットは、十字でなくハート型だった。細部までははっきりしないが、ハートの中央には誰かが据え縛られているらしい。
「――見てお燐! 今の私ってすごくらぶりーよ(はあと)」
「――……おくうがそう思ってるなら、もうあたいは何も言わないよ」
「――全く反省の色が見えない。何だか、色々悩んでいる自分が馬鹿らしくなってきました」
「――地獄烏もなかなか様になってるね。あと、お姉ちゃん、これ結構重いよ……」
「あの鳥美味しそう! ちょっと齧ってくる!」
「あれ? ルーミアったらどこ行くのよ。待ってて、すぐ連れ戻してくるから!」
体を闇で包みながら見当違いの方角へ飛んでゆく宵闇の少女を、妖蟲の長が追い掛けていった。一人では尚更動きようがないと判断した夜雀は、鼻唄を歌いながら屋台の屋根(の上の積み荷の上)に攀(よ)じ登る。
と、突然彼女ごと屋台が勝手に持ち上がり、ぐらぐら揺れながら坂道を登り始めた。目を白黒させて飛び立った雀を余所に、あれよあれよと言う間に坂の上へ到着し、重々しい音を立てて着地する。唐突な荒技をやってのけたのは、額に一本角を生やした少女であった。
「こいつはお前の屋台かい? 難儀してたみたいだから、勝手に助けちゃったけど。通行の邪魔だったしね」
「むむ、何者かしら」
不敵な笑みを浮かべた人物は、右手に酒がたっぷりと注がれた大きな盃を抱えていた。人外三人娘が苦労させられる重量を、片手で軽々と支えてしまったことになる。
「私は山の四天王の一人、力の勇儀。暴れることと騒ぐことが生き甲斐の鬼さんよ」
「鬼だって!? あの大酒飲みの?」
「先にその印象が出てくるとは……。萃香の奴は何をやっているんだかね。ま、大酒飲みなのは否定しないよ」
腰に片手を当てて眉宇を顰める相手の正体については深く考えず、夜雀の少女は感謝の言葉を述べた。
「ふうん。――そうだ、助けてくれてありがと。力持ちなのねぇ、鬼って。後で私の店に寄ってってよ。お礼にたんとサービスしますから。赤提灯が目印です」
「赤提灯たぁ粋だね。今夜の酒盛りに欠かせないわ。風姿からして、焼き鳥屋かな?」
「焼き鳥なんて! うちの自慢は新鮮な八目鰻料理の数々。美味しいのは勿論、鳥目にだって効果あり!」
翼を広げてえっへんと胸を張る屋台の主に、四天王の一角は面白半分で冗談を投げる。
「焼き鳥がございませんって、あんたの出番がないじゃないの。その長い爪で串の役かい?」
「私は夜を歌います。客引きから酒の肴まで、この声一つにお任せあれ! むしろこっちが本職なんだけど」
「ほう、歌声屋台か。大して骨はないようだが、騒ぎ方は心得ていそうだね。どれ、一曲喉比べと行きましょうか――」
のろのろと前進を再開した屋台の後ろからやや離れて、喪服の良く似合う少女達が歩みを並べていた。黒い面紗の奥にある緑の双眸が、のんきにお喋りを始めた妖怪達をじっと見詰める。
「もうあんなに仲良くなって……。その社交性が妬ましい。気さくな笑顔が妬ましいわ」
「姫さんは今日も絶好調だねぇ。私も折角眩しい地上まで来たんだから、気の病の一つでも患ってみようかしらん」
豊艶に藤の衣を着こなした妖怪蜘蛛が、快活なこなしで呟いた。両腕で抱えた桶からは、小柄な少女が手と顎を縁(へり)にかけ、辺りの様子を窺っている。つぶらな瞳には好奇と猜疑の色が綯(な)い交ぜになり、時折木立の向こうから聞こえてくる鳥や獣の鳴き声に一々小動物の如く反応していた。
「しっかし、思っていたより辛気臭くは無いわね。拍子抜けだわ。もっとどろどろして陰気なのかと期待していたのに……」
「生きていることは、それだけで熱病に魘(うな)されているようなもの。死んじまった奴の分まで盛り上がらにゃ釣り合わないってことよ。ところで姫さん、橋の方は大丈夫なのかい?」
「どうせ旧都の皆は出払っちゃってるし……。“この橋渡るべからず”の看板を立てておいたから」
「とんちかな?」
「で、橋の真ん中にはありったけの罠を設置しておいたわ。小利口者が自分の浅はかさを呪いながら息絶えてゆく様を想像すると、痛ましいやら、悩ましいやら」
「傑作だねぇ。普段から健康で鳴らしてる愛しい人ほど、病気になったらころっと逝っちまうものね。逆に、病弱で今にも召されてしまいそうな奴が、なかなかどうして必死にこの世にしがみつく。ん? どうしたい、桶っ子さんや」
くいくい襟を引っ張られた土蜘蛛が見れば、童女はしきりに森の奥を指差している。
「何だろ? こっちに向かって――」
「へえ。まだ地上にあんな禍モノが残っていようとはね」
側方の木々の合間から、突然闇の塊が飛び出す。冷静に上体を傾ける橋姫を掠めた黒い球体は、道の反対側の木に激突して停止した。きゅう、と中から呻き声が漏れて徐々に闇が解け、倒れ伏す金髪の少女が姿を現す。まだ事態を把握できていない蜘蛛は、背後から掛けられた声に二度吃驚(びっくり)した。
「あーあ、だから止めようとしたのに……。おや? 貴方、黒谷の土蜘蛛か! 懐かしいわね」
「私を懐かしいって……? あぁ! もしかしてお嬢かい!? いやぁ久し振り! 病気してた?」
「はは、元気にしてるよ。あんたこそちっとも変わってないのね」
「お陰様で、地上がすっかり変わって見える。あとこいつはキスメ。桶に突っ込まれてるのは仕様だよ。引っ込み思案なもんで、はぐはぐは勘弁してあげて」
「あい了解。よろしく、キスメ」
瞳から下を桶の中に隠した少女は、差し出された手に指を一本だけ握らせて、消え入りそうな声で応えた。
「……しく」
「へぇ、貴方が地上の蛍嬢殿下ね。ヤマメから話は聞いてる。それで、この女の子は放っておいていいの?」
再開を喜ぶ二人を面白くなさそうに眺めていた緑眼が、目を回している少女を引っ張り起こす。打ち所が悪かったのか、前後不覚に陥っているその様子に妖怪蛍は苦笑いした。
「彼女はルーミア。これでも一級の妖異だから心配ないわ。抜けた所が無いこともないけど、ま、闇夜を誇る者のよしみってことで、お手伝いさん。えーと――」
「私は水橋のパルスィ。地殻に深く嫉妬深い緑の目よ。ああ、古き縁が疎ましい。途切れぬ因果が忌々しいわ」
「あはは……。ヤマメの友人らしいや」
「この七股女郎と友達なんて! ただのやもめ仲間よ」
「こらこら、適当言いなさんな」
土蜘蛛はあくまでも陽気に肩を抜く。面紗越しに睨(ね)め付けてくる緑の眼光にやや怯みながら、蛍は射干玉(ぬばたま)の妖怪に肩を貸した。
「うーん。きゃう、眩しい……。あれ? 磔の聖者は?」
「まだそこに掲げてあるよ。でも、何でハート型なんだろう? そもそも磔の意味が分からないし」
「あれは地霊殿の面々ね。全く世も末だわ、忌み嫌われた妖怪達の筆頭、古明地の当主が地上に顔を出すとは。本当に救世主を引っ立ててこなければならないかも」
「いいじゃない。八方塞がりよりは、末広がりの方が。お嬢、折角だから同道しましょうよ」
「ええ。紹介するわ、あそこで肩組んで歌ってる連中が――。うん? あんな人いたっけ?」
日光を嫌って屋台の影に逃げ込んだ宵闇の少女を、夜の歌姫の旋律が迎えた。負けじと声を朗々張り上げる鬼を先導しつつ、ますます調子付いた歌声が響き渡る。律動に合わせて、桶の中の少女が二つ縛った髪を揺らし始めた。
「おっ、星熊の旦那、乗り乗りねぇ。私も負けてらんないわ。お嬢も一緒に歌いましょう!」
「一夏限りと鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。でも、まだまだ切羽詰まるには早いもの。九秋の合唱隊を集めましょうか」
「ふ、妬ましいわね。恨みつらみを訴わせたら、私の右に出る者はいないのよ」
「――あはは、みんな全然合ってないじゃないの!」
両腕を指揮棒のように振り回しながら、金髪の闇色が笑う。虫の鳴き声やら朗らかな恨み節やらを加え、混沌の度合いを増した一行の向こうには、謎のハートマークが赤々と喉を鳴らしていた。
かくして、十人寄れば十国の道行きは、着々と彼の地へ収束してゆく。
――墓参る
満天の星空の下の、寂れたバス停。目前を走るアスファルトはひび割れて捲(めく)れあがり、僅かばかりの人工物を取り囲む自然に侵食されるのは時間の問題に見えた。一台きりのベンチは褪色しきって白く、蛍光灯の光に幽霊の如く浮かび上がり、雨漏りの跡も露わな朽ちかけた日覆いが、植物に絡まれるままに放置されている。狐狸の類が化けて出てもおかしくない頽廃的な情景には、しかしただ一人の少女が佇んでいるのみだった。
湿気にぼやけた時刻表を苦労して読み取ろうとしている、金とも青ともつかない色調の瞳。一見暗がりでも光を放ちそうな輝きを湛えながら、その実、見る者の魂を引き摺り込む妖しい翳りを潤ませている。彫りの深い顔立ちや金色の髪からも、明らかにこの国の者ではないことが窺えた。
腕時計を確かめる表情が僅かに曇ったその時、帽子を片手で押えた少女が、小走りでバス停に駆け寄ってくる。
「ごめん、メリー。ちょっと寄り道してて」
「遅いわよ、蓮子。約束の時刻は五分も前に過ぎました」
「でも、バスが来るまでにはまだ、四分と十二……、十一秒の余裕があるわ」
夜空を見上げる少女の瞳は、映した宇宙そのままに深く、爛々としたエネルギーを秘めていた。生半可な陰影では、その旺盛な好奇心と知性の煌めきを覆うどころか、逆に照らし透かされてしまうだろう。こちらは、純日本風に端正なかんばせである。
彼女達は秘封倶楽部。京の冥い都で活動する霊能サークルの二人組だ。主な活動内容は、常人には関知できない境界のほつれを探し出し、その秘密を暴くこと。
「この路線は発着時刻が安定しないからって、蓮子が集合時間を早めたんでしょう。――ほら、言わんこっちゃない」
これから廃車場へ直行しますと言い出してもおかしくない古めかしい自動バスが、それでもヘッドライトをギラギラと点灯させながらバス停に横付けした。乗客は他に誰もいない。早速乗り込み、隣合う席に座った二人だったが、異国の少女はやや不満げな口振りである。
「危ないところだったわ。これを逃したら、次の便は一時間後よ」
「間に合ったんだから気にしない。ほら、これを買いに行っていたのよ」
帽子の少女が持っていたビニール袋には、雑多な和菓子類が詰め込まれていた。その重量に相方が目を瞠(みは)る
「落雁なんて一体どうするつもり? 水と食料はあらかじめ準備しておいたでしょうに」
「だってメリー、お墓参りにはお供え物が必要じゃないの」
「お墓? 私には、石碑に見えたんだけどなぁ……。周りも墓場っぽくなかったし」
「きっとお墓よ。もし外れだとしても、二人で食べちゃえばいいわ」
「エンゲル係数はともかく、カロリーの計算は出来ていて? 蓮子」
「……の、脳味噌で消費すればいいじゃないの」
「ハイキングでもね。あら、お酒は買ってこなかったのかしら?」
「肝心な時に二人して酔っ払ってた日には目も当てられないわ。酒精は、現代人にまだ克服されていない数少ない魔性の一つよね」
鞄から取り出された一枚の写真を、二人は額を寄せ合って覗き込む。星空とただっ広い野原を背景に、人工物らしい角ばった形の石が写り込んでいた。念写という胡散臭い技術を用いて撮影されたためか、全体的に色がくすんでいるものの、星の配置は鮮明に判別できる。そして、異郷からやって来た少女の異能の瞳には、くすんだ星空に浮かぶ、菫(すみれ)色の境界の裂け目が映り込んでいた。
「私の目利きが正しければ、これは今夜――これから展開される光景なの。昼間確かめに行った時は、メリー、裂け目が視えなかったんでしょう?」
「つまり、この写真の時刻、この場所で待っていれば、境界の向こう側に行けるかもしれないってことね。はあ、またあの距離を歩くんだ。しかも今度の山道は夜。もう足が棒になっちゃうわよ」
「でも、今夜を逃したら――」
「分かってる、秘封倶楽部は二人で一対。だから、おんぶしてくれたらありがたいわ」
「冗談。疲れてるのは私も同じだって」
不貞腐れた親友の重みを肩に感じながら、帽子の少女は写真に目を凝らした。
「確かにお墓にしては、殺風景なところに建ってるけど……。寂しい感じね。取り残されているのか、一人だけ先に行っているのか」
「あら、その方が都合がいいこともありますわ」
背後から、妖しい声が聞こえてきた。自分達以外に乗客はいなかったはずと、恐る恐る振り返った帽子の少女だったが、声の主は影も形もない。
「メリー……、何か言った?」
「んん? いいえ、何も言っていないわ」
「今、誰かが後ろから話しかけてきたんだけどさ――」
「私には聞こえなかったわね。後ろだって……? あ、何かある」
背凭(もた)れから身を乗り出した異国の少女が、一つ後ろの席に放置されていたビニールの袋を掴み上げた。相方は怪訝な面持ちである。
「これ、誰かの忘れ物かしら」
「私達がここに座った時は、何もなかったように見えたけど」
「中身は……、あら、瓶詰ですわ。液体の粘度とラベルの表記からして、内容物がアルコールであるとの仮説が立てられるわね」
「検証するまでもなく怪しい。研究室に持ち帰ったら、未知の薬物とか検出されそう」
不審感を露わにする帽子の少女だったが、もう一方はほくほくとした顔である。
「ねぇ蓮子。丁度良かったじゃない。これもお供え物にしましょうよ」
「うーん、お供えならいいか……? 先に言っておくけど、未成年の飲酒はばれたら退学ものよ」
「はいはい、分かってますわー」
「分かってるって、メリーは出自とか気にならないの? さっき、確かに誰かの気配がしたのよ」
「誰かが居るはずもないじゃない、狐か狸の仕業でもない限り。蓮子ったら、夢でも見てたんじゃない?」
「寝惚けちゃいないわ。声が聞こえなかったんでしょう? 居眠りしてたのは、貴方の方じゃ――」
言葉は途中で途切れた。いそいそと瓶詰を仕舞い込もうとしていた手も止まる。色の違う二組の瞳が、至近距離で交錯した。
「抜け駆けは無しよ、メリー」
「……ふふ、蓮子こそ、遅刻しないでね」
秘封倶楽部を乗せた自動バスは、誰も居ない夜の山道に茫漠と分け入ってゆく。ヘッドライトが樹木の合間に何を照らし出そうとも、今の二人は気付かない。
墓参る
「総領娘様、まだこちらにいらっしゃったのですね。……あらら、萃香様まで?」
「おお、誰かと思えば、追加のお酒じゃないの。お邪魔してるよー」
「永江の、おつまみ持ってきてくれた? ってあら、酒ばっかりじゃない。」
ぐるりを地平線に途切れなく囲まれた、日差しを遮るものの無いただっ広い空間。突き出した岩の上で二人の少女が盃を交わしているそこへ、数本の酒瓶を抱えた緋色の衣が姿を現した。
「もう随分になるわよ。小腹が空いたから何か持ってきなさいって言い付けておいたじゃないの」
「それはそれは……。失念していました。けれども、私は小間使いではなく、竜宮の使いですから――」
「それがどうしたの?」
「空気は読めても、食う気までは読めません」
天人がその場でずっこけ、岩の下に転がり落ちて鈍い音を立てた。
「……震度5弱」
「そんなに重くないわよ! 私をつまんない駄洒落の出汁(だし)にしないで」
「場を和ませようと思いまして。総領娘様が寂しそうにしていらっしゃいましたから」
「なっ、誰が寂しそうですって!? 何故私がそんな顔しなきゃならないのですか!」
したたかに打ちつけた臀部をさすりながら、天人は上気した顔で言った。その反論を涼しい表情で受け流しつつ、竜宮の使いは渋山吹の鬼へと言葉を向ける。
「それで、どうして貴方がここに? 領地を拡大したのですか?」
「ん~。天子(てんし)が寂しがり屋さんだからねぇ。構ってあげようかなぁと」
「先ずは、私の名前に振り仮名が必要だと思った経緯をじっくりと訊かせてもらおうかしら」
「徳利なんてけちけちしないで、樽を単位に付き合おうじゃないか。して、そこに抱えている愛(う)いお酒、相当格が高い代物だね」
「駄目ですよ。竜神様からお預かりしている大事なお供え物なんですから。物欲しそうに見ないで下さい」
「竜神、大きな名前が出たもんだ」
身をよじって大切な供物を隠そうとする知己の妖怪に、既に相当な量を干したのか、頬を赤く染めたままの総領娘が疑問を弄する。
「あら、永江のはもう出発するつもり? 天界からなら、落っこちればすぐじゃないの。一献干していきなさいよ」
「私の場合は見ての通り、総領娘様のようにすとーんと落ちるわけにはいかないので」
「失敬な、誰の空気抵抗が少ないって? 一体どこのどいつが天子クリフなんて無責任なこと言い出したのかしら!」
「ええと、そんな意味じゃ……」
「あはは、長く生きてる割には、あんた懐が浅そうだからねー」
「萃香にだけは言われたくなかったわ。お前に比べりゃ私も凹凸がある方よ」
「洗濯板、まな板を笑う。ですか」
「おのれ魚類~。この伊吹がどれだけ苦労してきたか知っての物言いか! くぅ~、牛乳だの揉まれるだの、所詮迷信だったのよ」
「ええ? あれって嘘だったの!?」
「むしろ実践していたことに驚きを禁じ得ません」
「どうして大きい奴ばっかりちやほやされるんだ? 勇儀め、納得いかん!」
「もうこうなったら偽装工作しか――?」
「手抜き工事は耐震強度に疑問が残ります。最近は、奥床しいデザインにも注目が集まっているという話ですし、気になされなくてもよいのでは?」
「五月蠅いなぁ。ぱっつんぱっつんに私達の気持ちがわかってたまるか!」
「そうよ! 読み間違えようがないはしたない名前だからって調子に乗らないで!」
突如として連帯を深めた二人にお魚さんは処置なしと両肩を縮ませ、妙麗な緋の羽衣を翻(ひるがえ)した。
「そろそろ私はお暇します。ご両人とも、お墓参りにはいらっしゃるのですよね」
「私の見てきた限り、墓参りって緊張感じゃないけどね。あの萃まりようはしゃぎよう」
「大半は最初っからお祭り騒ぎ目当てでしょうに。ま、湿っぽいより賑々しい方が気楽でいいわ」
「おや、やっぱり人恋しいのかい?」
「そんなこと言って、本当は萃香こそ寂しくってここに来たんじゃないの?」
にやにやと口の端を曲げ、童顔に暁を散らす鬼は天人の問いをはぐらかすだけである。
「塩の水より米の水、さ。私の目には」
「……そう。一年前にも思ったんだけど、中々あいつが死んだって実感が湧かないわね。そのうちひょっこり顔を出しそうです」
「無い無い。あいつは抜け目なくくたばっちまったよ。鬼が嘘偽りを言うもんか」
「仰いで天に愧じず、と言える正統かしら。鬼にしては、あんたのやることなすこと情が強(こわ)い」
半ば拗ねたように柳眉を下げ、天人の少女はスカートを握る。憎まれ口の内容に似合わないしんみりとした雰囲気に、空気の読める少女が一旦酒瓶を足元に置き、ぽんと手を打った。
「蒸し返すようですが、ここで謎掛けと参りましょう」
「何よ。藪から棒に」
「てんで出世できない海の魚とかけまして、思いがけず名を変えることとなった天人と解きます」
「ほう、その心は?」
鬼の楽しげな合いの手に、竜宮の使いは淡々と総領娘様を抱き締めた。
「……うーん、どう頑張っても平鯛でしょう」
「ぐぅ、ぐぐぐぐぐぐぐ~」
再び真っ赤にむくれながらも切り返せずにいる天人から視線を上げて、相伴の相手は小さく独白する。苦笑とも諧謔ともとれない色みの頬が、蒼穹の無辺を仰いで緩んだ。
「さて、酒の肴も切れそうだ。私もぼちぼち到着することにしますか。――墓地墓地。ふん、下らない洒落っ気。おあとがよろしいようで、なーんて、舞台から降りる奴の台詞よね」
墓参る
無機質に透き通った人形の瞳が、小径を歩く操り手の姿を映す。いかにもアンティーク然とした洋装の少女は、その容貌までもが造り物めいて整っていた。周囲に侍る人形達も、それぞれ主とお揃いに黒くひらめくドレスを着込んでいる。道沿いの木々が引き延ばされた影絵を投げ掛けるものの、普段人形達が暮らしている魔法の森に比べれば、格段に光豊かな道のり。金の髪に陽光を織り込んで輝かせながら、少女は唇を開いた。
「それじゃあ、皆は後で合流するのね?」
「ええ。何でも、式典の途中で主催者が居なくなっちゃったらしいのよ。それで予定が遅れているんだって。無責任な話よね」
「ドウカンガエタッテテメーノセイジャネーカヨ。コノスットコゴッド」
「神綺様……。どれだけ夢子の心労を増やせば気が済むの?」
相槌を打ったのは、銀朱のローブに身を包んだ人物である。重厚な服装から連想される性格を、のほほんとした笑顔とえも言われぬ髪型が裏切っていた。自分の体長以上のバスケットを提げた人形に半眼で突っ込まれても、その大らかさは小揺るぎもしない。
「大丈夫。あの子はしっかり者だもの。引率も恙無(つつがな)くこなしてくれるでしょう」
「テメーガヤルヨキャマシダローナ」
「誰のせいでしっかり者になったんだか。まあ、家出娘が口出しできることじゃありませんけど」
「飼い主の手を噛む犬、寄り付けど懐かぬ猫、そして親不孝な子供ほど、可愛さが手に余る存在は居ませんわ」
「お節介な神様ほど鬱陶(うっとう)しい存在は無いもんね……」
「まあ、創造主に向かってなんたる言い草! 思わず頬ずりしたくなっちゃうわ~」
「ええい、寄るな触るな抱きつくなー!」
突慳貪(つっけんどん)な応対とは裏腹に、人形遣いの口調には親愛の情が込められていた。外見年齢相応の稚気のある仕草は、彼女がこの母親同然の存在以外には滅多に見せないものである。常日頃の冷静な少女を遠目に知る者であれば、戯(じゃ)れ歩く二人の様子に目を疑うだろう。
「アリスちゃん。人形の研究は順調なのかしら。早く孫の顔を見てみたいものだわ」
「衣裳は揃ってきたんだけど、肝心要の中身が全然ね。まあ、全く光明が無いわけじゃないから、千里の道も一歩より」
「したり顔の凱旋を期待しているわ。泣き付いてきたりしたら追い返すわよ」
「お尻を叩いて、かしら? 手紙を読んだわ。何度やってもケーキが黒焦げになるって、夢子に涙目で縋ったらしいけど」
「それは、その、ええと、たまには夢子ちゃんにも甘えさせてあげたくてね?」
途端にしどろもどろで弁解しようとする魔界神に、無表情な人形が追い打ちをかける。
「ハヤクジョウタツシテクレヨ。イッチマッタユキトマイノタメニモナ……」
「ちゃんと息を吹き返したもん。撮み食いした二人が悪いのよ」
「自分で処理しようとしなかったのは賢明ね。親の死に目に立ち会えないのは勘弁願いたいわ」
「うふふ。貴方が私の散り様を目に焼き付けないなんて、有り得ない仮定ね。――アリス、止まりなさい。これはまた、懐かしいお目通りだこと」
一転して威厳を滲ませる声に足を止めた人形遣いは、いつの間にか行く手に現れた人物を確かめて再び息を呑んだ。一際大きな緑樹の幹に、見覚えのある大妖が背中を寄りかからせている。
「風見幽香……。よりによって一番遭いたくない奴がお出ましね」
「懐かしいわねぇ。うちの庭を荒らし回ってくれたのが昨日のことのようだわ」
前者の気圧されて、後者の悠々と口をついて出た言葉に対して、繚乱の妖怪は何の反応も示さなかった。枝葉と日傘、前髪の落とす三重の影が、少女のかんばせを暗く沈めている。沈黙はしかし雄弁にその貫録を語り、青林の梢が慄(おのの)くかのようにざわめいた。
人形達に臨戦態勢を取らせようとする少女を、神は片手を上げて制止する。そのまま徐
(おもむろ)に大妖へと歩み寄り、尚無言の相手の脇腹に人差し指を突き入れた。
「えい」
「ひゃあん! やあっ、な、何? 何なのよ!? ――人が気持ちよく眠っていたっていうのに、取り敢えずただじゃ置かないわ!」
「ネテタノカヨー!」
「紛らわしいわ!」
人形と少女の(当たり前だが)息の合った突っ込み。転げ落ちた日傘をわたわたと拾う旧知の妖怪に、魔界神はにこやかな笑みを向ける。
「お久し振り、幽香ちゃん。元気そうで何よりね」
「……久し振り? 生憎と、踏み潰してきた雑魚の名前まで一々覚えてられないのよ」
「踏み潰された相手のことは忘れるの? 都合のいい脳味噌をお持ちなのね」
「ああ、お前のことは覚えているわ。私を楽しませてくれる相手なんて、数えるほどしか居ないもの。ええと――、アントニオ神崎?」
「元気があればー何でもできる。ってちっがーう! どこからアントニオが湧いて出た!」
「髪……、いや何でもないわ。もうチョベラッパ大魔神とかそこら辺でいいでしょう」
「投げ槍過ぎる! アリスちゃん、こいつに何か言ってやってよ」
「今日は絶好の散歩日和ね~。お日様が気持ちいいったら」
「あからさまに他人の振りをされた……」
「あらあら、主従揃って根性無しなのは相変わらず――ぐえぇ」
あっけなく優位を取り戻しかけた妖怪の背に、小柄な人影が体当たりした。無邪気な顔で組み付くのは、毒々しい色合いに着飾った少女人形である。魔界の二人が当惑する中、少女は親しげに大妖怪へ話しかけた。
「幽香ったら、こんなところに居たのね? 突然どこか行っちゃうんだから。探したのよ」
「あーもー鬱陶しい。耳元で怒鳴るな。さっさと離れなさい」
「知らなかったわぁ。幽香ちゃんにこんな大きな隠し子が居たなんて」
「隠し子じゃない! 桜前線を追いかける死体ジャンキーよ、こいつは。上手く撒いたと思ったのに――」
「スーさんが教えてくれたの。幽香っていい匂いがするもの」
「犬? まあ要するに、見当外れに懐かれてるのね」
「ああ、お前は森の人形遣い! 人形を粗末にしたら許さないよ! 一万歩譲って操るのはよし! 心の広い妖怪を目指してるの」
「アリスちゃん、知りあい?」
「毒を吸って妖怪化した人形――付喪神の同類よ。私の研究とは若干方向性が違うけど、これはこれで興味深い事例ね」
「人形の話を聞きなよー。んん? こいつも幽香の友達?」
「……煩い。この餓鬼、暫く預かっといてもらうわよ」
裏表のない幼げな妖怪に毒気を抜かれたのか、花の大妖は若干白けたような表情だった。片手で毒人形を引っぺがし、遠巻きに眺めていた人形遣いへと放り投げる。バスケットを提げていない傀儡で少女を受け止めながら、七色の魔法使いは腕を組んだ。
「一応聞くけど、あんたもお墓には参っていくんでしょう? 古い付き合いみたいだし」
「お墓、ね。花を供えるような義理もないけど、嫌味の一つや二つは備えがあるわ」
毒人形と人形師の傀儡が、両手を繋いでコンパロコンパロと戯れている。その光景を見下ろしながら、孤高の妖怪は淡白に言い放ち、そしてくるりと背を向けた。
「あら、幽香ちゃん。折角だから一緒に行きましょうよ」
「勘弁してよ。馴れ合うような柄じゃない。特にお前とはね」
「それは残念。で、貴方はどうする気かしら?」
魔界の神はしゃがみ込み、人形の頭をよしよしと撫でている花毒の妖怪に話しかける。目の高さを合わせられ、少女は少し考える素振りで、歩み去ってゆく背中を見遣った。
「私も行くわ。……あのね、コの付く毒は怖いのよ。スーさんだって御免蒙(こうむ)るって言うんだから」
「そう。悪くない考えね」
歩み去ってゆく二つの人影を流し見ながら、創造神は両手の指先を合わせて空間を作った。手ずからの籠の中には、一輪の白い花が閉じ込められている。
「あーあ、この子、ちょっぴり染化されちゃってるわ。後で解毒しなくっちゃ。――神綺様、どうかしたの?」
「うん。今度はお花でも育ててみようかと思ってね」
「枯らしちゃ駄目よ。水と肥料は絶やさず余さず。人の形とは訳が違う」
白い花は徐々に赤く染まり、赤から青、青から黄へと、その色彩を移り変えてゆく。同時に葉や茎も目まぐるしく形を変化させ、やがて複雑に絡み合って紋様にしか見えなくなり、いつしか小さなケーキの形を取っていた。混ぜ捏ねられた洋菓子は万華鏡のように複数の恒星へと姿を変え、寄り集まって銀河を生成し、限りない闇に鏤(ちりば)められた星々の輝きは――ぱちんと閉じ合わされた手の平の中へ消えた。
「やーめた。ガーデニングは向いてないわ」
「幾らなんでも早すぎない? 私だって、ちょっとした野菜ぐらい栽培できるわよ」
「あら、意外ね。アリスちゃんは一番私に似ているから」
「不器用と思われるのは心外だわ」
「褒めているのよ。親は子に、主人は従者に、飼い主はペットに、……創造主は被造物に、細(ささ)やかな裏切りを求めているものなの。師匠は弟子に、教師は教え子に、指揮者は式に……」
「よくもまあ身勝手なことを。こっちは期待に応えようと精一杯なのに」
「貴方にもじきに理解できる時が来るわ。さーて、私は少し寄り道してこようかな」
「どこへ? 手伝いは必要かしら?」
「結構。旧交を温めてくるだけだから。まだ眠っている連中も多そうですし」
「そうなの」
不服そうな面持ちの人形を踊らせる少女に、愛しげな眼差しが注がれる。両の手を握り合わせたまま、母の顔をした少女は言った。
「お友達が待っているのでしょう? 早く行ってあげなさい」
「……その仮定は成り立たないわ。懇切丁寧に待っていてくれる連中を、私は友達と呼んだりしない」
「好敵手と書いてアミ~ゴ! と読むのね。羨ましいわ、本当に」
「ナゼニスペインカブレー?」
歩み去る金髪の少女。その背を見送る神の組み合わされた両手から、手品よろしく一羽の小鳥が生まれ出る。飛び立った鳥の形が空の染みと消えるまで、創造主はつくねんと見守り、……渋々ながら自分も歩き出すことにした。
墓参る
「ちょーっとぉ! どうして私が荷物持ちなんかしなくちゃならないのよ!」
「何故って、君が言い出したことじゃないか。お手伝いさせて下さいと」
「私はあの本を返してって言ったんじゃないの! 先ずはあんたが頭を下げるべきじゃない?」
「僕はちゃんと正当な対価を支払ってあれを手に入れたんだ。文句を言われる筋合いは無い」
「知らないとは言わせないわよ。私は平和に本を読んでいただけなのに、あの巫女が突然襲い掛かってきて……。あの本を手に入れるためにどれだけ苦労したと思ってるのよう」
「妖怪退治は彼女の仕事だからね。そして僕の仕事は慈善事業じゃない。尤(もっと)も、幾ら積まれたとしてもあれを売るつもりはないが」
「むかーっ。トサカにくるわ。あんたがタダでは渡せないって言うから、頑張ってお掃除とかしたんじゃないの。荷物運びをさせられるなんて聞いてないわ」
「この位じゃ、君が処分してしまった商品の損失は埋め合わせられないよ」
「けち! あんなガラクタが売り物になるとは到底思えない。……まあ悪かったわ。でも、それでもよ? 努力したって事実は認めてくれてもいいんじゃあないかしら。あんなことまでさせられるなんて。私、初めてだったのに……。絶対釣り合いが取れないわ」
「えー、古道具屋《香霖堂》の店主で、変わり者として知られる森近霖之助氏が、妖怪の少女に如何わしい行為を強要していたことが明らかになった――氏は、他にも複数の少女を脅して関係を持っているとの噂もあり――尚、この件の裏には博麗の巫女が関与している可能性が――」
「こら、そこで人聞きの悪い誤解を書き連ねているのは誰だ?」
「あ、どうも。清く正しく射命丸です。私のことは気にせずどうぞどうぞ」
「あら、天狗の物書きさんなの? 何か本を出してたりする?」
「本の執筆こそしていませんが……。ただ今幻想郷各地で大人気、『文々。新聞』の記者と言えばこの私です。定期購読の契約はお済みですか? 最新最速の知識に触れる機会を逃しているのは、もう貴方だけかもしれませんよ?」
「ああ、あの有名な。嘘八百とデマゴギーとゴシップが三次元クロスワード・パズルみたく並んでいることに定評のある新聞ね」
「そんなことありません~。私は自分の目で確かめたことしか記事にしない主義ですから」
「別に事実が書かれていないなんて言ってないわ。こう見えても私、パズルは得意なの」
「その場を一歩も動かなければ、だがね」
「そうだ! あんた新聞記者なら、あの凶悪な巫女のことを取り上げなさいよ。私らがこつこつ貯めたお金を力尽くで巻き上げていったり、楽しみに取っておいた三時のおやつを突然乱入して咥えていったり、迷惑極まりないわ」
「どうも今更感が強い話題です」
「店のツケを支払ってくれないことも書いておいてくれないか。おや、誰か飛んで来るな――」
「――文様ぁー」
「……。いけない、椛のこと忘れてたわ」
「文様ぁ!」
「ああ、やっと追いついてきたのね。なんてすっとろいんだか。貴方本当に天狗?」
「そんな、先輩が速すぎるんじゃないですか。おまけに風呂敷まで押しつけられて。付いて回れっこありません」
「今夜ばかりは手を抜けないのよ。いい? 次の大会で成績が芳しくなかったら、『文々。新聞』は堂々の逆殿堂入りを果たすことになるわ」
「だからって、今日この日をネタにするのは不謹慎では?」
「会場には、幻想郷のお偉方が一堂に会することになる。一悶着も二悶着も起こらないはずがない。山の座布団組も重い腰を上げ――なさるんでしょう?」
「はい。私も大天狗様から斥候を仰せ付かっているのです。本来ならこうして荷物持ちにかかずらっている暇はないのですが。文様だって、仕事をほっぽらかしている場合じゃないのでは?」
「そこは現場の柔軟な状況判断よ」
「阿漕(あこぎ)にも限度があります」
「荷物持ちで思い出した。そこの性悪店主! どうして私がこんなに重たい鞄を持っていかなきゃならないの?」
「僕は肉体労働が得意じゃなくてね。見たところ元気が有り余っているようだし。ああ、中には精密な部品も入っているから、慎重に扱ってくれたまえ」
「きーっ! 巫女の後ろ盾さえ無きゃ、その眼鏡叩き割っているところ!」
「ちなみに、中身はお酒と時計だよ。時計と言っても、ただの現在時刻を知るだけの時計じゃない。復元に成功すれば、時間ばかりでなく月やその他の天体の状態、位置関係が一目で把握できるという優れもので、精度は従来の品よりぐんと高い。どうせなら持参して欲しいと魔理沙に頼まれてね。この手の専門家がわんさと居るらしい。僕も修理に行き詰っていたところだから、物は試しだ」
「へえ、なんだか凄そうね」
「まあ、あの手の専門家に対退屈決戦兵器に改造されるのが落ちです。私は止めませんけど」
「時計と言えば、人が文明を築き上げる際、時間が重要な役目を果たしていたことは疑いようもない。暦を支配する者こそが、世界を支配する者だ、という言葉があるようにね。君は、世界で最初に発明された時計が何か知っているかな」
「え? う、私ですか?」
「椛、適当に話を合わせておきなさい。私は手帖を纏めておくから。長話は真面目に受け取らないが吉よ。そう、むしろ聞き流して結構」
…………
「あー、はい。……最も原始的な時計なら、日時計のことですよね。暦に関係してくるのであれば」
「そうだ。先駆けて太陽の動きの本質を見抜いた者が、最初の権力者になった」
「でも、月の動きの方がよっぽど重要なんじゃないかしら。妖怪が作ったものに比べれば、人間の月時計は甚(はなは)だ稚拙だけど」
「人は昼夜を問わず活動するから、そのどちらも手放すことが出来なかったんだ。まあ、陰暦と陽暦の優劣は置くとして、日時計と月時計を使用するに当たって、一体どこから性能の差が来ているのだろうか?」
「また私? ええと、単純に考えれば、太陽と月の違いですよね……。使い方の問題なら、月はともかく、太陽は物の影を使って計るしかない」
「直接形や模様を観測できる月に対して、太陽の光は眩しすぎる。だから、物体の落とす影を利用して先人は時間を計った。太陽の傾きを知るためには、影の動きを経由しなければならない。一見遠回りに思えるが、よく考えてみたまえ。我々は月の光のことを、ひいては月明かりに照らされたものの様子を、“月影”、と表現する。その場において、影と光は同質のものだ。これこそが、日時計という概念を成立させている根拠。即ち、影は単に日の当たらない場所ではなく、その輪郭を現していることになる」
「な、なんだか小難しい話になってきましたね……」
「光と闇の境界線こそ、影の本質なんだ。四角い板の落とす黒と、四角い窓から差し込む白を思い浮かべてみてごらん。もし、光と闇の役割が反転している世界を仮定するならば、その住人は僕らと同じような輪郭を持っているだろう」
「ますます分からないわ」
「ああ、それなら理解できそうです。写真のポジとネガの関係ですね」
「その通り。一先ず影の境界性は置いておこう。次に、サッカーボールを並べて将棋倒しをする様を想像してみてくれ」
「……いやいや、それは無理ですって」
「確かに不可能に近い。何故なら、球体は倒れないからだ」
「当たり前のことを偉そうに語らないでよ~」
「当たり前のことにこそ、意外な真理が隠れているものなのさ。球体が倒れないのは、傾かないからだ。傾きを連鎖こそが将棋倒しの肝だ。ボールを坂道の途中に置くようにすれば、段々と勢いをつけて転がっていくことになる。曲面を利用してレールを形作ることで、サッカーボールを次々にぶつけ合わせて将棋倒しにするも理論上可能なんだ。傾きと勢いは同質のものだ。言い換えれば、高い位置にある球体は、低い位置にある球体を傾かせることができる」
「ふむふむ」
「……はて? あれあれ?」
「結論から先に纏めてしまうと、“傾き”こそがこの世界の法則の一面を記述する上で重要な要素なんだ。これは外の魔道書を解析することでヒントを得た考えだが、物質の変化において、ごく小さな規模の傾きが――偏向と換言してもいい――将棋倒しになることで、その変化が達成されるのだと理解できる。倒れた将棋駒は元に戻ることがない。燃え尽きた灰を冷やしても、もとの死体には戻らないように」
「……あのー」
「ちょっとあんたは黙ってて」
「別の角度から見てみよう。このように拳を光線と平行になるように回すと……。影は、バネに吊るされた錘のような挙動を表す。これを時間で引き延ばした図表にすれば、承知の通り、波の形が浮かび上がってくる。万物は波だ。音や光、物質、それらが存在する空間も波だ。円環の軌道を影という境界に投射することで波が現れるということは、円環と同じ方法で波を記述できることを意味する。その単位が規模と傾きだ」
「境界という次元に事物を捨象することで、一般的な属性を抽出することができるのね」
「……先輩ぃ」
「いや、泣かれても」
「しかし、世界は傾きに支配された将棋倒しだ、なんて単純な問題で片付けることはできない。先ほどの燃焼の例は、円環の規模が小さいから成り立つ話でね。何故なら全ての駒が倒れてしまえば、その系は完結してしまうことになる。死に絶えた世界さ。そこでだ。駒が倒れるのではなく、回転できるようにすればよい。駒の一つ一つが軸を持ち、その並びを勢いが伝わってゆく。列を回路として繋げて還流させることができれば、その集合が一つの駒となる。こうやって異なる規模の円環を関連させることができるんだ」
「うんうん」
「……ぐすん」
「おー、よしよし」
「この惑星を昼と夜に分ける境界線は、丁度球体を二等分割する位置にあるはずだ。さっき説明したように、光と陰は同質のもの。それでも昼と夜が同等にならないのは、何故だか解るかい?」
「月の存在でしょう? 月影が両者のバランスを崩すから、昼と夜の差が生まれる。」
「ああ。これが、大きい規模の例だ。万物が波で構成されている以上当然だが、我々の世界は周期に満ちている。日月星の三精、春夏秋冬の四季、火水木金土の五行は代表的なものだね。傾きこそがその状態を指し示す。これは物理の世界だけでなく、心理の世界にも通用するだろう。輪廻転生がそのいい例証さ。特定の思想を否定するつもりはないが、死者が延々と一方通行に溜まっていくような馬鹿馬鹿しい機構よりも、ずっと合理的な仕組みだろう? 他にも世界の周期性――波の性質を表す様々な格言がある。金は天下の回りもの。歴史は繰り返す。禍福は糾える縄の如し――」
…………
「――そして、情けは人の為ならず。何よー、そんなに私を扱(こ)き使いたいの?」
「僕はただ、完璧に釣り合ってしまうことの危険性について話しているんだ。十の労働に対して必ず十の報酬が支払われる。それは死に絶えたも同然な冷たい社会だ。人付き合いは本来不釣り合いであるべきなんだよ。ありとあらゆる方面に公平であろうとすれば、それは世界に干渉しないことと同義なんだ。だから僕は君の働きを過大に評価し、後ほどお茶菓子でも御馳走することを検討しようと思わないこともない」
「そんな結論言うために愚にも付かない口上を延々喋ってた訳ですか!?」
「どうどう。椛、貴方の要領が悪いのよ。相手が何を話しているかだけでなく、何のために話しているのかにも耳を傾けなさい」
「かく言う君は話を聞いていたのかい?」
「聞くまでもありません。真実だけでは世界が回らないというお話ですよね」
「はあ、何とも都合のいい存在ですね、先輩は」
「それじゃ、私はこの辺で。毎朝の話題作りには枕元の『文々。新聞』。『文々。新聞』をこれからも御贔屓(ごひいき)に!」
「あっ! もう、自分の荷物ぐらい自分で持ち運んで下さいよー!」
「行っちゃったわ。――仕様がないから、これは運んであげる。でも、あんたのその場凌ぎの口車に誤魔化されたわけじゃないからね。ドーナツが食べたくなってきちゃった。人間の里に、新しいパン屋さんが開店したのよねぇ」
「あまり高いものを奢るつもりは無いぞ」
「そんなこと言っていーのかしら? あんたがぶち上げた壮語をあの二人に話したらどうなると思う?」
「彼女達が理解できるとは思えないな。僕にもまだ整理がついていない分野だ」
「意図さえ伝わればいいのよ。あいつらがお宅の商品棚を嬉々として丸裸にする口実としては十分じゃない?」
「……これはこれは、墓穴を掘ってしまったかな」
「上手いこと言ったって顔してんじゃないわよ変態店主。あんたは世界のど真ん中に座り込んで、みんながぐるぐる回ってるのを眺めてるつもりなんでしょうけど。周りからしてみれば、埃っぽい店主なんてちっちゃな衛星の一つに過ぎないわ。桂男か星辰か、それとも砲丸投げの小道具か」
「それで形勢逆転のつもりかい。ふん、まあいいだろう。二転三転してこそわざわざ外出した甲斐があるというものだ。ただ、どんでん返しは願い下げだが」
「ふふっ、すぐそこにある読みたいものが読めない、それが本読みの醍醐味なの。私の頭は軽いけど、ねえ、それは舞い上がってしまうようなことが一杯詰まっているからよ!」
墓参る
日傘を差した妖怪と、毒々しいドレスを着た人形の二人連れが、一本の木の下を通り過ぎた。背の高い植物はとんと少なくなり、野原と称すべき地形に目立つ大樹は、均(なら)された広い道路の曲がり角に繁っていることもあって、道行く人々にとって格好の目印となっている。だが注意深い観察者ならば、その木がいつまでたっても近付いてこなかったり、いつの間にか方角を変えていたりすることに気付くだろう。一見誰も居ない枝の上には、元凶たる三者三様の妖精が肩を並べていた。
「サニー、あいつらは迷わせなくて良かったの?」
「私達には気付かなかったみたいだけど……」
「だって、背筋に寒気がひしひしと。もしばれたら、妖精といえど一回休みじゃ済まなくなるような予感がして」
「主に私がね。二人とも、きっと私を置いて逃げ出すんだわ」
「ルナ、これまでにスターが私達を囮にしなかったことがあったっけ」
「あはは、ごめんね、次は最期まで看取ってあげるから」
さらさらと黒髪を靡かせながら、星の光の妖精は悪びれもしなかった。その掴みどころのない微笑を、残りの二匹が疑わしそうに見遣る。
「確かに、そろそろ最後にした方がいいかもしれないわ。もう十分に楽しめたし」
「やけに色んなのが通りかかったこと。御神輿やら人力車やら――」
「――処刑台やら、歌合戦やら。一体どこに向かっているのやら」
「仮装大会でも開かれてるのかな」
「喪服を着ている人が多いわ。きっと墓泥棒よ!」
「墓泥棒って何を盗むの?」
「うーん。墓石かな」
「まさか。ルナ、墓石ならそこら中にごろごろしてるわ」
「それじゃあ、死体かしら」
「まさか。スター、死体ならどこにだって埋もれているわ」
「わかったわ! お供え物だ!」
「それよ。サニー、局所的に冴えてるわね!」
「私は、墓泥棒って前提がおかしいように思えるけど。まあ、いいのかな」
自慢げに胸を張る日の光の妖精へ、他の二匹からかなり等閑(なおざり)な拍手が送られた。それでも溌剌と蜂蜜色のお下げを揺らし、勢い込んで提案する。
「ようし、私達もお供え物争奪戦に参加するわよ!」
「もう迷わせるのにも飽きたしね。図らずも、妨害工作が成立していたんだわ」
「えー、面倒臭いなぁ。第一、そのお供え物って何なのよ」
「美味しいお菓子がいいんじゃない?」
「私はお酒を希望しましょ」
「妖精の活け造りだったりしたらぞっとしないわ。大分日が落ちたし、今日は切り上げようよ」
「日が沈んだら、私の能力は中途半端になるわね。まだ少しなら余裕があるけど」
「月夜ならルナの独壇場。頼りにしてるわよ、このこの」
このこの、と両脇から小突かれて、月の光の妖精はますます口をへの字にした。ふとその瞳が真ん丸に見開かれ、くるくるにカールした髪がぴくりと跳ねる。
「あ、あれは一体全体何事かしら……」
三匹の視線が釘付けになったのも宜(むべ)なるかな。これまでに通り過ぎて(あらぬ方向に)行った個性豊かな練物達と比較しても、その唸りを上げて宙に浮かぶ物体は飛び抜けて荒唐無稽だった。巨大な漆黒の三角形――正確には、数多の黒い箱型で作り上げられた四角錐――が、極彩色の光に縁取られて空の一角を占めている。この威容が蒔絵の重箱で構成されているのだと気付くのは、常識外れの人妖達にとっても至難の技だろう。あんぐりとあいた口を何とか塞ぎ、比較的聡明な日の光が最初に歓声を上げた。
「すごいすごぉい! 二人とも見てる!? あれは宇宙船か何かかしら?」
「内部に幾つか生体反応があるわね。乗り物には違いないわ。それにしても大きいなー」
「何を見当違いなことを言ってるの。あれは金字塔と呼ばれるものよ」
きんじとー? と首を傾げる星の光に、月の光が得意げに指を立てて説明を始めた。
「金字塔っていうのはね、海向こうの砂漠に建てられた古墳の類なの。王様とか、偉い人用のお墓ね。拾った本に写真が載っていたわ。あれにそっくり」
「へー。それがなんでこんな所を飛んでいるのかな?」
「じっとしているのに飽きたから。それじゃあ、中に生きている奴が居るのは?」
「死んだ奴のお世話をするために、一緒に埋葬されたんでしょう。でもどうしよう、お供え物もあの中?」
「侵入は難しそうね」
「呪われても知らないよ。そうだ、サニー、太陽が毎日生まれ変わっているって話を知ってる?」
「月が毎月生まれ変わってるって話は聞いてる」
「そして星は気紛れに死に絶えるのね。――あら、何か聞こえてこない?」
轟々と式を駆動させるピラミッドが上空を通り過ぎると、今度は後方から楽の音が響いてくる。近づいてくる大量の生き物の気配に眉を上げながら、星の光は微笑を深くした。他二様の精も、無意識のうちに拍子を取り始める。
「お次は楽隊のお通りか。騒霊が葬送曲とはこれいかに?」
「レクイエムにしては喧(かまびす)しいわね。でも、みんな楽しそうよ」
パレードの先頭は、言わずと知れたちんどん屋の騒霊姉妹。手に手に己が得道具を操る他、多種多様な楽器を周囲に並べ、大音量を奏でている。そして、これまた種々雑多に混ざり合う魑魅魍魎がハーメルンの笛吹きさながら後に続く。妖精や幽霊は勿論のこと、音楽を解すのか疑わしい鳥獣の類から毛玉まで、膨大な数が入り乱れていた。手足のある者もない者も、演奏に合わせて舞い踊りを披露する。陽気な乱舞に惹かれて合流したのか、浮かれた八百万の神々がどんちゃん騒ぎに行進していた。あちらで妖怪が乱痴気に体をくねらせれば、こちらで人間が足を踏み鳴らす。種の五の言わずと言わんばかりに、名も知らぬ者同士が一時の伴侶と交感を果たす。
喧噪を先導しているのは、次女の奏でるトランペットだった。いやが上にも鼓膜を貫く伸びやかな音が、天まで揺るがさんと高らかに吹き放たれる。追うは長女の透徹なバイオリンの音色。暴走する妹を何とか宥めようときりきり舞し、複雑な文様を描きながら自らも音階を駆け上がった。遥か高みで絡み合った二つの旋律、その響き残した二重螺旋の軌跡を、三女の打鍵がマイペースに穿ち、軽妙な余裕で姉達の様子を見守っている。やがて競い合うようにしていた二人が息切れし、目眩(めくるめ)く音符の海に霧散したならば、洒脱な手並みで舞台の中央に躍り出ようという魂胆だろう。そうはさせじと管弦の器楽が足並みを合わせて挟撃に移り、五線譜の上で縺(もつ)れに縺れることになる。組んず解れつの大乱闘の結果、三者は各々正三角形の頂点に落ち着き、苦笑いしながら安定期に入った。中心に、ぽっかりとした空白を据えたまま。
「ねえ、面白いことを思い付いたわ! って、サニーなら言い出しそう」
「ねえ、面白いことを思い付いたわ!」
案の定、うずうずを小さな体一杯に漲(みなぎ)らせた日の光が瞳を輝かせた。こうなったら止まらないことを知っている月の光は、指に金髪を絡めて溜息をつく。
「主にあんたがね。静かな席が無いなら、私は遠慮しておきたいところ」
「何を言っているの。ほんとはルナも参加したいはずよ。三人揃って私達なんですから」
「スターが言うと説得力が無いわ。でも許したげる。一緒に踊ってくれたらね!」
茶目っ気たっぷりの星の光に、日の光も調子を合わせた。左右の腕を捕まえられた月の光は、笑い顔と憂い顔を半々に浮かべる。改めてパレードの列に加わるまでもない。百鬼夜行は、既に大樹を呑み込んで賑やかだった。
「楽し過ぎるのも困りもの。明けない夜は無いと思うと、時々無性におっかなくなるわ」
「励ましてほしいの?」
「慰めてほしいの?」
「聞き流してほしいの。まだ日は沈んでいないんだから、ね」
その通り、光源は刻々と高度を落とし、影は長さを増してゆく。夜よりも暗い墨色が、幻想郷を覆ってゆく。
墓参る
野原を見渡す小高い丘の上に、一基きりの簡素な墓が建っていた。風雨に晒されてきた石肌は今しがた人の手によって磨かれたばかりで、彫られた文字が打ち水の光沢にくっきりと浮かび上がっている。敷石の上には、季節の彩りが挿された花瓶に、懐紙を間に挟んだ菓子皿。蝋燭立てには風前に揺れる儚い灯。
花飾りを髪に結わえる、蝋燭の炎のように儚げな少女が、一人墓前に佇んでいた。斜光に照らされて白い頬が赤みを帯びる。几帳面な指で線香を翳す両隣りに、それぞれ影が落ちた。
「おっ、先客がいたか。この私が一番風呂を逃すとはな」
「風呂って、漬物石じゃないんだから。魔理沙も糠漬(ぬかづけ)にされたいわけ?」
「霧雨の一粒種に……博麗の。久し振りですね。その様子だと、変りないようで」
箒から地面に降り立った魔法使いと、土を撫でるように空中に留まる巫女。線香を供えた阿礼乙女が、二人と軽い会釈を交わす。
「それにしても人が少ないぜ。妖怪も居ない。この時間だと、もうちょっと集まってきててもいいのにな」
「さあね。妖精の悪戯か何かで道に迷ってるんじゃないかしら。ところで阿求、貴方が一人でここにいるってのも不自然な話だわ。一体何に化かされた?」
「そうだな。てっきり里の護衛を大勢引き連れてくると思ってたぜ。家出したのかい?」
「いいえ。元はそのつもり――皆と一緒に出発する手筈だっんだけど……。攫われてしまって」
「おおん? ドジっ子メイドかえ?」
「いやいや、誘拐の方だって。そこに居るんでしょう。出てきなさいよ」
「え? ああ、そこに居ることは分かってたよ。大魔法使い様には何もかもお見通しってわけだ!」
白黒の少女が威勢よく指差したのとは逆方向の何もない空間に、紫色の線が走った。割れた境界の向こう側には奇々怪々とした世界が垣間見え、そして負けず劣らず胡散臭い少女が上半身を垂らしている。
固まる魔法使いを尻目に、紅白の少女がぶっきらぼうな視線を新手の人物へ送った。軽佻浮薄と深謀遠慮とが紙一重に同居した笑みを張り付けて、間隙に潜む大妖は意に介さない。
「皆様方のお待ち兼ね、八雲紫の登場ですわ。はい拍手~」
「待ってない。拍手しない。帰れ」
「霊夢ったらご挨拶ね。照れなくってもいいでしょうに」
「べーっ、だ。どうして神社に寄ってかなかったのよ」
「へえ、迎えに来てほしかったの?」
「憂さ晴らしの相手に丁度いいと思った」
「ちょっと、一体何処に行っていたんですか? 人を攫うだけ攫っておいて」
「コンビニに用がありましてね」
「こんびに?」
「奮発してお買い物してきたのですわ。何でも揃って、便利になったものよね」
懐からビニール袋を取り出す大妖怪。その皮肉っぽい口調に自嘲の響きを感じ取って、仏頂面の巫女は目蓋を撫でた。気を取り直したらしい魔法使いが、景気の良い声を上げて向き直る。
「霊夢、そいつが誘拐犯だ! であえ、であえ」
「どうして魔理沙はそうテンションが高いの……? ま、こいつを泣かせるのに遠慮はいらない」
「痴話喧嘩は場を改めてやってくれません? 私はか弱い一般人だし。でも、泣き顔はちょっと見てみたいかしら」
「やだやだ、寄ってたかって芳紀の手弱女を苛めますのね。私がどれだけ貴方達のために尽くしてきたことか」
「……知らないもの、そんなこと」
「お前って文字通り苔むしてそうだよなぁ」
「あら、よく聞こえなかったわ。生きながらにして地獄を見たいって? 人間さん」
「もうこりごりだぜ、あんな寿命が縮みそうなとこ」
「私もちょっぴり食傷気味。――あ、ほら、皆さん集まってきましたよ。これまた豪勢な」
三者は周囲を見渡す。阿礼乙女の言った通り、目白押しの人妖が墓を目指して押し寄せていた。夕日に長い影が、十人十色の輪郭を混じり合わせている。宙を飛ぶ者も地を這う者も、遠目には一様にのんびりとした足取り。和気藹々(わきあいあい)と屋台を囲むあやかし達の隣には、不気味な紋章をたどたどしく姉妹が掲げる。頭上を覆う謎のピラミッドのすぐ傍を、三条の閃光が火花を散らして駆け抜けた。牛車と馬車と神輿とが、熾烈なデッドヒートを繰り広げている。
「あいつらは何を張り合っているんだ?」
「そんなこと私に訊かれても」
「青春ですわね」
「青春ですか」
「青春……? ああ、こんなに人が集まるんだったら、やっぱりお賽銭箱持ってくるんだったわ」
「別に金にゃ困ってないだろうに」
「だって、お賽銭布団とかお賽銭風呂とかやってみたいじゃない。浪漫じゃないの!」
「それはフェチというより苦行だぜ……」
「流石、巫女ですわね」
「巫女――ですか?」
やがて、暮色の大群が丘を取り巻いて裾野を埋め尽くした。その後しばし再会の友誼と剣光弾雨の挨拶が交わされていたものの、じりじりと沈む太陽に合わせて喧騒は下火になってゆく。代わって一身に衆目を浴びることになった丘の上の少女達は、互いに目配せをして微笑を拭った。
幻想郷を見守る妖怪が墓石の横に、書き留める人間が反対側に立つ。ビニール袋の中から古めかしい箱が、箱の中から一升瓶が取り出され、賢者の手によって栓が抜かれた。そして瓶は向かいの人間の手に渡り、演出に十分な間を挟んで墓の上に傾けられる。
とくとくと透明な液体が注がれ零れた。酒が墓碑を流れ落ち地面を濡らす様を、人妖達が厳粛な雰囲気――或いは、至極退屈そうな空気――を漂わせて見守っている。
ついに無言のまま酒瓶が空になると、乙女は儀式めいた仕草で容器を捧げ持った。示し合わせたかのように人妖達も一斉に荷を解き、“お供え物”を頭上へ掲げる。似たような一升瓶や瓢箪、竹筒、漆器にボトル、スキットル。樽や大桶を持ち上げている猛者もいる。中身もまた千差万別で、ワインやブランデーといった果実の水から、焼酎や麦酒、泡盛やウイスキー等の穀物酒まで。甘酒ありスピリタスありと、幻想郷中のアルコールが揃い踏みしたような様相である。
一歩下がって出番を待つ魔法使いが、友人の耳元に囁いた。
「これだけ集まれば、あいつも満足だろ」
「さて、どうだかね。私の知ったこっちゃないわよ」
墓の両脇から退いた大妖と阿礼乙女に倣い、名残惜しそうに酒類を仕舞った群衆の注目は、丘の上空に飛び上がった二人の少女へと集まる。箒に跨る好敵手にせっつかれ、巫女がやれやれと声を張り上げた。
「はーい、全員静かにー。こらそこ、お喋り中断しなさい。口笛吹くのも無し! 無理矢理黙らされたいの?」
「逸る気持ちは分かるがな。一発で綺麗に決めりゃ、酒も早速飲めるってもんだ。なけなしの辛抱を掻き集めといてくれ」
「うっし、命中! ……それじゃいくわよ。せーのっ――――」
その瞬間を惜しむかの如く、少女は緩やかに目を閉じた。
二人が手を合わせるのを端緒に、沈黙が波紋の如く広がってゆく。音という音は締め出され、一同は身じろぎ一つしない。風すらもその動きを止めて、彫像のように凍りついた群像の上に横たわった。天蓋を渡りきった日輪が地平線の彼方へ沈む。墓石の影の長さが無限に近付き、そして、次の瞬間には零へと転じていた。
黙祷の終わりを告げる者は、誰も居ない。
にも拘(かかわ)らず、静寂は長くは続かなかった。夜の帳に包まれ、月と星明りの下、どこからともなく聞こえてくるのは、盃に満ちる水音や、乾杯を交わす澄んだ音色。笑い声と嘆息と哀哭とが入り混じったささめきは、これから始まる馬鹿騒ぎを予感させて、不思議な熱を孕んでいる。
天地を揺るがす幻想の宴は、払暁にまで続くだろう。そして、一筋縄では行かない日常もまた、いつ果てるともなく続くのだろう。影が、その形を変えてゆく限り。
――墓参る
深更、かつてない盛り上がりを見せる宴会に耳を馳せ、墓石に背を凭せ掛けながら、酒杯に夜を浮かべる少女がそっと呟いた。
全く、あんたも因果な奴だ、と。
ここは幻想郷
かく儚くも華やかな箱庭にして
あえかに優しい、ゆめうみの墓標である
(了……?)
だとすると微妙に縁起でもないような、でも生前…は縁起が良いのだろうか
しかしオールスター出しただけあって長い
それぞれのシーンが印象的に描かれてるのは良いのだけれども、
長すぎて冗長な気も 構造上仕方ないのかも知れないが
古い表現や言い回しも、幻想郷っぽさを強調していて、私的にとても好きでした。
ただ、結局誰の墓参りだったのか気になるところ。
核心をワザとずらした終わりはとても好きですが、何というか、肩すかしを食らった感が否めません。
八雲さん所の紫さん、か?と思って読み進め、結果見事な大外れ。
よくよく考えれば、人間勢が一人も逝ってないのにあの方が簡単に逝きますかって。
ホント、誰の墓参りなんだか・・・(苦笑)
個人的には永遠亭組と紅魔館組が面白かったです。
面白い会話などもあって良かったと思いますよ。
>「おかげでこの一年平和だったじゃないの。面倒の機会も随分と減ったわ」
>「結局、見せ場らしき見せ場は無かったですね」
>「中身は……、あら、瓶詰ですわ。液体の粘度とラベルの表記からして、内容物がアルコールであるとの仮説が立てられるわね」
確証はないけど、作中登場してる人物以外で霊夢と縁深い、
しかも異変の原因になる人間って。
長いんだもん。
しかし、台詞回しのセンスとキャラクター像を上手く描けている点は素晴らしいと思いました。
しかし誰の……いや、言うまい。
ほとんどを網羅した作品でした。旧作、儚月、香りん堂組なんかまで一気に出したのは珍しいな。
いや、俺の解釈が間違っていたらアレなんだが・・・
さて、今年も彼の新作が出るようですね
彼には真に健勝であり続けることを祈るばかりです
下半身がゆやよんとなって、龍神様と一緒に飲んでそうですが。
細かい所まで丁重に書かれていたように思います。
セリフなどもそれらしかったです。
個人的にはこの話はアリかと……
何でしょうね、全体にかかった日没のような色合いが心地良かった。
誰の墓であれ、このように生者が集い騒げるのなら、とても素敵だと思います。
全作品全キャラ網羅は素直にすごい。まさか香霖堂の名無し妖怪まで出てくるとは。
お供えものがお酒ばかりということで自分も変な邪推しちゃいましたが(笑)
ただ話しの大元となる故人が、誰でもない誰かなのでどうしても画竜点睛を欠く感じでした。
でも、だからこそ作り出せる作品の世界でもあるんですよね。いや面白かった。
でも続けると成り立たないんでしょうねえ
次も期待していますっ
オールスターもいい。
が、特に起伏もなく淡々と進む上にとてつもなく長いので、「墓参る」というフレーズに段々うんざりというかイラついてきます・・・。
故人についても個人的には物足りないというか、納得のいくものではありませんでした。
しかし、ならどうすればいいのか、と聞かれると私は答えることができません。これらの辛評はあくまで私の個人的なものであり、先述したように文章の質そのものはとても良いし、あとがきにもあるようにこれだけの頭数を揃えた作品はそうそうあるもんじゃないですし。
結局は読者の好みというか気質の問題ということになるのでしょうか。。。
私にはちょっと読破するの無理でした^^;