* * *
「おねえちゃーん! あーいしーてるーっ!!」
向こうから愛の言葉を叫びながら妹が走ってきたので、さとりは慌てた。
「こっ!? こ、こここここいし!? あなた突然何を言ってっ!? あ、いや、別にあなたからあふれ出る愛の弾幕を受け止めるのは吝かではないのだけれど、物事には順序というものがあって、ちゃんとした手順を踏んでそう言う関係にならないといけなくてっ……それにほらっ、ペットたちだって見てるしっ! ああ、でもどうしてもっていうのなら仕方が無いから私たちの愛の巣(サブタレイニアン・ベッドルーム)へ……へぶっ!?」
さとりが言い終わらないうちに、こいしが全力で投擲した白くて丸い物体が、べちゃりと音を立ててさとりの顔面に直撃していた。
どきっ! 少女だらけのパイ投げ大会 ~ポロリもあるよ~
「昼ドラみたいなどろどろの爛れた三角関係に巻き込まれてみてぇ」
ポロリ。
博麗神社の縁側で茶を啜っていた魔理沙の口から、つい本音が漏れてしまった。
小春日和の幻想郷。厳しい寒さも一段落し、積もった雪も柔らかな日の光に包まれて大分溶けてきていた。
まだまだ寒さは続くのだろうが、それでも今日という穏やかな日は、幻想郷にだんだんと忍び寄る春の気配を確かに感じさせる。
そんな頭まで春になりそうな穏やかな日なのだ。魔理沙の胸に秘めたる願望が、ぽろりと零れてしまってもそれは仕方のないことと言える。
「何か言った?」
お茶請けを探しに中に引っ込んでいた霊夢が、煎餅をのせた皿と新たに淹れたのであろうお茶の入った湯呑を手に戻ってくる。
「い、いや何でもない」
霊夢に訊かれでもしたのだろうかと、内心ひやひやしながら魔理沙は自分の隣に置かれたお茶請けに手を伸ばした。
霊夢はお茶請けの皿を挟んだ隣に腰掛けると、淹れたての茶を、ずずっと啜った。そして呆けたようなため息を一つ。
魔理沙はその横顔を、ちらちらと窺う。
何とも平和そうな顔である。ほへえ、と穏やかに緩んだ顔は、こちらの脳まで融解してくれそうなほどに暖かい。しかしそれでいて、どこか力強さを失わぬきりりと黒く引かれた柳眉。くりりと丸い、可愛らしい目。柔らかそうな頬。その可愛らしさと美しさを併せ持つ顔立ちは、あたかも春の日に雪の中からようやく顔を覗かせた、一輪の花のような――
「なにこっちをじろじろ見てんのよ」
――そんな妄想をしているうちに、気付けば霊夢はこちらを訝しげに睨んでいた。
魔理沙は慌てる。
「あ、いや、何でもない」
顔を紅く上気させ、あたふたと狼狽する。なおも怪しいものを見る目つきでこちらに視線を投げかける霊夢。魔理沙は何でもない風を装うように、とりあえず湯呑を口の中に放り込み、それを煎餅で流し込んだ。
「がふっ、げほっ、げふっ!」
逆だった。
何だか魔理沙の様子がおかしい。霊夢は思う。
さきほどの挙動不審もそうであるが、それ以外にもなんだか全体的におかしい。
具体的には、彼女の周りに発せられる、恋する乙女オーラ。普段さばさばしているくせに、今日に限って何故だかやたらとしおらしいのだ。正直キモい。もちろんそう思っても、口には出さずに言葉をお茶で流し込む霊夢である。友達思いの優しい子なのだ。親しき仲にも礼儀あり。
「あ、あの、さ……」
魔理沙がもごもごと呟く。霊夢は魔理沙を見やる。
そこには、顔に淡く紅葉を散らし、体をくねらせて上目づかいでこちらを見る魔理沙がいた。
「キモい」
言ってしまった。ついつい。
あれだ、気の置けない仲というやつだ。友達だからこそ、歯に衣着せずに言ってやる優しさ。霊夢は友達思いの優しい子なのだ。
「なんで!?」
魔理沙ちょっと涙目。
いや、だって、ねえ。いつものあいつが、前かがみになって、両手を股のあたりで結んで、体をくねくねさせて懇願するようないたいけな目で見てきたら、そりゃねえ。お前は紅魔郷の立ち絵の魔理沙かと。いや、魔理沙だけれども。
本格的に魔理沙がぐずり始めてきたので、霊夢はとりあえず話の先を促すことにする。
「で、何よ」
「ああ、うん。そのな……」
未だに変なオーラの抜けきらない魔理沙はとりあえず気にしないことにした。
「今日が何の日か、霊夢、知ってるか?」
「おん?」
突然何を言い出すかと思えば。霊夢は今朝見たはずの日めくりを思い出しながら考える。確か今日は2月の14日。はて、何か特別な行事があっただろうか。
「節分」
「……はこないだやったな。萃香泣かしたやつ」
「先勝?」
「いや、そういうんじゃなくて」
「煮干しの日?」
「それでもなくて……ってそんな日があるかっ!」
いや、あるよ。
「そうじゃなくてさ、今日は――」
魔理沙はそこで言葉を飲み込み、深呼吸する。胸に手を置いて不安そうな顔をする。もじもじする。
いや、お前は妖々夢体験版でボツになった立ち絵の魔理沙かと。いや、魔理沙だけれども。
数瞬の後、決心したように魔理沙の目つきが鋭くなる。
そして、ゆっくりと口が開かれる――
「今日は、バレンタイン――」
「あ、バレンタイン今年中止になったんで」
どかーん!
魔理沙は吹っ飛んだ。
そのまま空中で錐揉み回転をしながら綺麗なアーチを描き、林の茂みの中へと墜落した。
翌日の文々。新聞の中で、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋!」という文句でこの記事が語られ、後の天狗内で行われたコンテストにて名実況賞という名誉ある賞を受賞したのだが、それは割とどうでもいい話である。
「あやややや、どうしたんですか魔理沙さん」
とにもかくにも、文である。
魔理沙の隣に降り立ち、死の宣告とも言うべき言葉をなげうった張本人である天狗のブン屋、射命丸文が、新聞片手にきょとんとしていた。
魔理沙はのっそりと立ち上がり、とりあえず縁側の元の位置へと戻った。枝や木の葉が至るとろにへばりついて見るも無残な姿になっているが、とりあえず無傷である。
「で、バレンタインが、なんで中止なんだよ」
どっかと腰をおろして足を組み、不満顔の魔理沙である。
それもそのはず、魔理沙が今日ここに来たのは、何を隠そう、霊夢からチョコを貰ったりしてキャッキャウフフと乳繰り合うためなのだ。それがこんなことになっては魔理沙の立腹も詮のないことである。
苛立たしげな魔理沙の視線を飄々とかわして、文は言う。
「いやあ、ちょっと色々あってですね――あ、これ号外です。とりあえず見てくださいよ」
営業スマイルを振りまいて、腋に抱えていた新聞を一部、霊夢に手渡す。
あまり新聞に興味はなかったが、話の流れ的に読まざるを得なくなり、霊夢はしぶしぶ開いた。
そこにはでかでかと大きな記事が一面に張られていた。
「なになに――」
魔理沙も霊夢の傍から覗きこむ。そこにある記事には。
「『バレンタインデー中止!? 乙女の阿鼻叫喚』……」
とりあえず見出しのセンスのなさには目をつむることにしよう。
「そうなんですよ」
頷いて、文がその記事のあらましを述べる。
ぶっちゃけて言えば、偏にチョコレートの生産が追いつかなくなったのだそうだ。
そもそもにして幻想郷において、洋菓子――それも加加阿(カカオ)を原料とするチョコレートは、稀少品もいいところだ。気候的に幻想郷で加加阿の木を栽培するのは困難であり、且つ外の世界から流れてくることも少なく、市場に出回らない。
それでも、一部の農家では大掛かりな設備を用いて、毎年のバレンタインで用いられるくらいの量の加加阿豆は生産できていたのだが、その設備のキモとなる気温調整役の藤原妹紅が「飽きた」と言って現場放棄したことが原因で、ついに加加阿収穫量が0になった。
ちなみに代役に地獄鴉である霊烏路空を起用する案も挙がったが、何故か一日働いて次の日から来なくなった。やはり気温を調節するだけという単調な仕事は、飽きが来やすいのだろう。とにもかくにも人や妖怪向けで無いのだ。ちなみにある消息筋は、空は飽きたのではなくただ単に仕事を忘れているだけだと言う情報を提示したが、それも未確認で不確かな情報である。
とにかく、幻想郷に今、チョコレートがないのである。
「そんな……私のハーレム計画は……」
魔理沙が歯噛みする。
ちなみに霊夢はというと、完全に蚊帳の外でお茶を啜っていた。馬簾多院って何だろう、新しい上皇かしら。煎餅を摘まむ。
「せっかく今年は幻想郷中の女子(おなご)からチョコを集めてウッハウハになる予定だったのに」
「そんなにチョコを貰える当てがあるんですか」
「あん? だって私人気者だし」
「え? あなた嫌われ者でしょう?」
「えっ」
「えっ」
何を言ってるんだこいつは。お互いをお互いに睨みあう。
「まあ、そんなあなたに朗報です」
文はそんな空気を仕切りなおすように、話題を切り替える。
「今年は好きな人にチョコを渡す代わりに――パイをぶつけることになりました」
「は?」
なったらしい。
「いやいや待て待て、どういう論理の飛躍だ!?」
「どういうもこういうも、言った通りなのですが。まあ、ぶっちゃけクリームパイの方がチョコよりも安価だと言うだけです。食用にしないので、クリームパイに見立ててさえいれば、ホイップクリームの代わりに何のクリームを使ってもOKですし」
確かにそれは、チョコよりも調達が楽そうだ。
少し不安が残りながらも、一理あると思いつつ、魔理沙は腕を組んで次を促す。
「しかも、意中の人を人目につかない場所まで呼び出して、チョコを渡すという、あのまどろっこしい方式も無視できるので画期的です。普段口には出せない感情も、パイと共に相手の顔面に押し付けるだけ。引っ込み思案の人も、あれこれ考えずに想いを伝えることが出来てお勧めです」
「ほう」
「いやあ、私が適当に酒の席で言ってみたら、上司にバカウケでしてねえ。天魔天狗さまが「いいねえ文ちゃん、それ採用(笑)」と即座に手回しを」
お前が発祥なのか。しかも適当なのか。
しかし――。
なるほどなかなかどうして理にかなっている。
そもそも幻想郷の住人に、バレンタインなどと言う、つつましく恭しくチョコをやりとりするなんていう図式は似合わないのだ。もっとお祭りじみていて、もっと派手な、アクティブに攻めるこのやり方こそ、幻想郷的なのではないか。
魔理沙はいつしか、文の提案するそのやり方に心を奪われていた。
魔理沙は勢い込んで立ち上がって二、三歩前に出て、そこでくるりと霊夢に向かって向き直った。
「霊夢、こい! お前のハートを受け止めてやる!」
ばっ、と両手を大きく広げて仁王立ち。
さながら敵を何ぴとたりとも通すまいとする、弁慶の立ち姿である。美鈴に見習ってほしいと、紅い悪魔のため息が聞こえた気がした。
「――は、え、何?」
まさかいきなり自分の名前を呼ばれると思ってなかった霊夢である。慌てて持っていた湯呑を落としそうになるがなんとか堪えた。
馬簾多院ってやっぱり寺の名前か何かかしら――そんな空想から目を覚まして見れば、にやにやと笑う文と何か決心した形相で立ち往生する魔理沙。全くどういう状況だかわからない。
とりあえず魔理沙を見る。
まるで何かを期待している目。何かを待っているようである。
「ええと……」
よくわからないのでとりあえず持っていた湯呑の中身を、彼女に向かってぶちまけてみた。
よくわからないが魔理沙は泣いていた。
◇ ◇ ◇
「そもそも、霊夢にパイを用意する暇なんてなかった」
魔理沙は箒にまたがって空を飛びながら、反省した。
あれは照れ隠しだな、うん。ツンデレというやつだ。そう自分を納得させる。
とにかく、今日はバレンタインデーである。幻想郷中の女子(おなご)を虜にしたと人々に言わしめたこの自分が活躍できる場の一つと言って過言ではない。こんな日を楽しまずにどうしろというのだ。
魔理沙は俄然、わくわくする気持ちが湧いてくるのを感じた。
魔法の森の上空、吹き抜ける風は冷たいけれども、興奮して上気した魔理沙の頬にひんやりと気持ちいい。
目当ての地点の上空まで辿り着くと、急下降して地面に降り立つ。
鬱蒼と茂った森の奥まったところに、こじゃれた一軒家があった。魔理沙と同じ魔法の森に住む魔法使い、アリスの家である。
歩みを進め、その玄関の前に立つ。軽く深呼吸。
よし。心を決めて、いざノック。
しようとしたけれど鍵があいていたので、やっぱり勝手に侵入することにする。魔理沙にとって不法侵入はお手の物。アリスの家の魔道書やらマジックアイテムやらを狙って、空き巣まがいの訪問をしたことも一度や二度ではない。
勝手知ったる他人の家。入りこむとづかづかと歩を進めて、アリスがいそうな居間あたりまで行く。
「あれ、居ないや」
留守なのだろうか。もしかしたら、魔理沙の家にまでパイを持って押し掛けているのだろうか。だったら悪いことをしたなあ。
そんなことを考えていると、魔理沙の鼻孔を、ふいに甘い香りがくすぐった。生クリームの甘ったるい匂い。
(お、今私の為に作ってくれているのか)
にやにや。魔理沙は想像して、緩む頬を抑えることが出来ないでいた。
ひとしきり妄想していると、魔理沙が入ってきたのとは違うもう一つのドア――確かそっちは台所だ――の向こうから、パタパタ足音が聞こえてきた。
魔理沙は慌てて、顔を引き締める。
「うわっ、なに勝手に人の家に上がり込んでるのよ」
ドアを開いてやってきたのはアリスだった。当たり前だが。
身につけたエプロンで手を拭いながら、訝しげな視線を魔理沙に送る。
改めて顔を合わせるとなんだか落ち着かず、そわそわしてしまう。同時に顔がにやけて来た。
「な、何でもないぜ」
「勝手に上がり込んでその台詞はどうなの」
あとキモい、と言おうとしてアリスはぐっと堪えて飲み込む。下手に余計なひと言を加えて波風を立てるのも面倒くさかったのだ。都会の女の処世術である。
「ところで、お前もブン屋の新聞、見たか?」
魔理沙がやや唐突に話題を切り出す。
「ああ、バレンタインがどうとか?」
「そうそう。それでお前、パイを作ってたんだろ?」
魔理沙は期待を秘めた瞳で台所の方を見やった。依然として甘い香りが流れてきている。
――何だかんだ言って、同じ魔法の森に住む魔法使い同士なのだ。お互い切磋琢磨する良きライバルなのだ。
普段はつれない態度をとるアリスだって、今日という特別な日には、ちょっと素直になって、私に好意という名のクリームパイを力いっぱい打ちつけてくるのだ。そうに違いない。
魔理沙のにやにやは今や最高潮に達していた。
「いや悪いなあ。私の為にわざわざパイなんて準備してくれたなんて」
「えっ」
「えっ」
あれ。
「いや、なんであんたの為にパイを作らなきゃならないのよ」
え、違うの? 魔理沙は愕然とした。
「シャンハーイ」
「あら、持ってきてくれたのね。ありがとう上海」
上海人形が、その身の丈の倍はあろうかという、クリームがたっぷり塗られたパイを、えっちらおっちら運んできた。よろよろしていて今にもぶちまけそうである。
「じゃ、じゃあそのパイは……」
「ああ、これ? いや、ある消息筋によると、無名の丘の鈴蘭畑に一人歩きする人形が出現するそうじゃない? 自立人形の手がかりになりそうだから接触しようとしてるんだけど、手ぶらで行っても追い返されそうじゃない、人間に敵意持ってるらしいし。それで菓子折りでも持って行こうかなって――魔理沙?」
「あ、ああ、うん」
何ということでしょう。この人、別にパイをぶつけるつもりなんて微塵もなかったのです。
それはクリームパイに対する冒涜だ。パイをいったい何だと思ってるんだ。
言ってやりたかったが、魔理沙の口は上手く言葉を紡いでくれなかった。
アリスは魔理沙を変な物でも見るような目で見やり、「急ぐから。じゃあね」とそのまま魔理沙を残して出ていった。
何だ、この寂莫感は。何だ、この荒涼とした気分は。
今にも木枯らしが吹き荒れそうなくらい寒かった。室内だけど。
ああ、泣きそう。
ぽん。
魔理沙の肩にやさしく手が置かれる。伏せていた顔を上げてそちらを見る。
「シャンハーイ」
「しゃ、上海人形……!」
なんて心優しい人形なんだろう。こいつが心を持たないなんて嘘だ。魔理沙は人形の瞳の奥に慈愛の精神を見た気がした。
そして、上海人形は優しいまなざしを魔理沙に向けて、ふるふると首を振って――
「バカジャネーノ」
魔理沙は泣いた。
◇ ◇ ◇
一人の女に振られたくらいでへこたれてはいられないのである。
そんな簡単にハーレムエンドを諦めていたら、幻想郷のプレイガールの名がすたると言うもの。
今度こそパイをしたたかに打ちつけられたい、そんな聞く人が聞けば、まぞひずむな性癖を持つ人と勘違いされそうな願望を抱き、魔理沙は滑空していた。
湖を越えて見えてくるのは紅の館。魔理沙はいつものようにさぼっている門番を華麗にスルーすると、開いていた窓から館の中へ侵入する。
ちなみに、今日の門番は氷精や宵闇の妖怪やらを集めて、泥で作ったパイを投げあいっこしていた。そこらの妖怪には人気者らしい。
紅魔館内に入ると、綺麗に着地してすたすたと歩き始めた。
何やら妖精メイドが慌ただしく右へ左へと飛びまわっていたが、侵入者である魔理沙に対して攻撃してくる風でもなかったので気にしないことにした。目が痛くなりそうなくらい紅い館の廊下をのんびり歩く。
その廊下の隅の方。
「うー」
なんか居た。
いや、なんかというか、あれは多分紅魔館のトップ、レミリアじゃないか。
何やらうずくまって頭を必死に庇い、身を守るようにして震えていた。小動物みたいだった。
「何やってんだお前」
「きゃうっ!」
びくんっと跳ね上がって、小動物が顔を上げた。涙目だった。
「あ、――」
魔理沙と目が合う。
レミリアはゆっくり立ち上がると、服をぱんぱんとはたき、埃を払う。ついでにずれかけていた帽子をくいくいと直す。
こほん、と咳払いを一つ。きりっと目を釣り上げた。
「何だ、白黒じゃないか」
「今気付いたみたく言うな」
何だその仕切り直しは。仕切り直せてないし。涙目のままだし。
「私の城に何か用か」
侵入者の前でも取り乱さずに、不敵に微笑んで見せる。
口元に手の甲を当て、口元を釣り上げるさまは、幼い容姿であるにもかかわらず、妖艶な雰囲気を醸し出し――
「6番隊! お嬢様は見つかった!?」
「いえ、それがどこにも……」
どたばたどたばた。
「――くっ! いい!? 2番隊、3番隊、4番隊は引き続き東館を探しなさい! それ以外の部隊は私と一緒に西館へ! 何としてもレミリアお嬢様を見つけ出し、紅魔館メイド部隊の誇りを懸けて、お嬢様をねちょねちょのパイまみれにするのよ!」
「サー、イエッサー!」
どたばたどたばた。
紅魔館の廊下を、慌ただしくメイド長と部下メイド達が駆けていった。え、何あれ軍隊?
レミリアはというと、魔理沙の影に隠れるようにしてまたうずくまっている。まるでアルマジロかダンゴムシのようである。
「うー」
ほっとこう。
魔理沙は、お目当ての場所、紅魔館地下の図書館へ向かうことにする。
図書館は、いつもよりも一層静寂に包まれていた。
図書館なのだからもちろんいつも静かな場所なのだが、今日は一段と静謐な雰囲気をたたえている。
何故だろう、と魔理沙は考えるが、よく見たら、いつも図書整理と称して慌ただしく走り回る小悪魔の姿がどこにも見えなかった。
パチュリーはいつものように長机について、紅茶を片手に読書に勤しんでいた。
「よう」
魔理沙はその向かい側の椅子を引いて、どっかと乱暴に腰掛ける。
その粗暴な来客に気付いて、伏せていた顔を上げるパチュリー。来客を認め、嫌そうな表情をすると、すぐに本に目を落とした。
「何の用」
本に目を這わせながら、そっけなく聞く。魔理沙は、そわそわしながら「別に」と答える。
魔理沙は、無表情で字面を追う少女を見つめる。
きっとパチュリーなら。
そんなことを考えて、思わずどきどきわくわくするような感情を抑えられなくなる。
魔理沙はどうやって話を切り出そうか考える。頬にほのかに朱を散らして、もじもじしながらこれからの行動をシュミレーション。そのさまはまるで恋に恋する恋乙女そのままである。
「キモい」
パチュリーは、目の端で彼女の奇行をとらえてそう表現した。生粋の魔女に容赦は無用なのである。ただ幸い、声が小さかったせいもあり、魔理沙には聞こえなかった。
「な、なあパチュリー。今日は何の日か知ってるか?」
魔理沙は、そう切り出した。
パチュリーは本から少し目を外して黙考する。カップを傾け、紅茶を喉に流し込む。左から右へ、視線が泳ぐ。
「日曜日」
「いや、曜日じゃなくて」
「立春?」
「それはこないだ過ぎたな」
「植木枝盛の誕生日」
「それでもなくて……って、違うだろっ!」
違くないよ。
ばん! 魔理沙は勢いよく机をたたく。静寂な空間に、音が響く。
「そうじゃなくて、さ……ほら、あるだろ? こう、好きな人に思いを伝える、神聖な――」
「パチュリー様、出来ましたよー!」
魔理沙の言葉を遮って、どたばたと登場するのは小悪魔である。その右手には、ちょうど魔理沙の顔と同等の大きさの――クリームパイ。
パチュリーは迷惑そうに眉をひそめる。魔理沙は色めき立つ。
「何だ、パチュリーも解ってたんじゃないか」
嬉しそうに笑いながら、魔理沙はバンバンとパチュリーの背中を叩いた。パチュリーは咽せた。
パチュリーは軽く三途の川で死神と談笑を交わしてから帰ってきて、息を整える。
「私はバレンタインなんかどうでもいいのだけれど。チョコだってパイだって、どうでも。なのに小悪魔が」
「もー、駄目ですよパチュリー様! こういうときにちゃんと好意を形にして伝えないと」
ぷりぷり怒りながら、小悪魔は言う。
腰に手を当て、ぴっ、と人差し指を立てている。
その様子にパチュリーは少しだけ相好を崩す。
「ま、たまにくらいならいいけれどね。どうせパイをぶつけるだけだし。色々と世話になってないこともないし」
「あ、ああそうだな」
面と向かって感謝されることのあまりない魔理沙は、思わずうろたえてしまう。
パチュリーは、まるで思い出を回想するかのように静かに目を伏せて語る。
「普段は粗野でぶっきらぼうで」
「ああ、そうだな」
魔理沙は顔のにやつきを必死にこらえる。
「横暴で乱暴で、我がままな奴だけど」
「い、いやちょっと言いすぎじゃないか?」
ちょっと心が痛い魔理沙である。
「いえ、いいのよ。この程度の雑言で傷つくような悪魔じゃないんだから」
「悪魔とはひどいな。これでも人間だぜ」
「えっ」
「えっ」
「……」
「……」
「こあ?」
「――それに見た目も言動もガキっぽいし」
仕切り直し。
「まあ、往年の魔女にしてみたら子供のようなもんだろうな」
「いえ、私と年齢は私と同年代だけど」
「えっ」
「えっ」
「私そんなに年食ってない」
「あんたの年なんて聞いてない」
「えっ」
「えっ」
「……」
「……」
「こあー?」
「――まあ、とにかく憎まれ口をたたき合いながらも、親友には変わりないということね」
「そうか。面と向かって言われると照れるぜ」
「そうね。今日くらいは憎まれ口の代わりに、パイを思いっきり叩きつけても面白いかもね」
がたり、とついに魔女は重い腰を上げる。
――来た!
ついに来た。待ちに待ったそのセリフを、魔理沙は確かに聞いたのである。
パチュリーは小悪魔から、パイを受け取る。
――落ち着け、魔理沙!
目を静かにつむって精神統一する。深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
そしてぐっと手を固く握りしめて覚悟を決めると――
「さあ来い!」
気合一閃。
目を見開いて、来るべき瞬間を見据ようと――
「あのパチュリー様なら出ていかれましたよ」
そのまま凍った。
あれ。どういうことなの。
状況を俄に理解することが出来ず、仁王立ちのまま固まる。今度こそ木枯らしが吹いた気がした。
小悪魔は、気まずそうにきょろきょろする。
「こあー!」
とりあえずこのまま帰すのもかわいそうなので、パイの代わりとばかりに、パチュリーの飲みかけのカップを掴むと、中身の紅茶を魔理沙にぶちまけた。
魔理沙は泣いた。
魔理沙は肩を大げさに落として、紅い廊下を歩く。
その途中。
「うー」
レミリアはまだうずくまっていた。どうやらまだ誰にも見つかっていないらしい。その服はパイで汚されておらず、最初に見た時のままであった。
「頑張れよ」
魔理沙はその頭を軽く叩く。
ぐちょ。
変な感触。よく見たら、帽子の代わりにパイが頭に打ちつけられていた。帽子と似ていたので気付かなかった。パチュリーの仕業らしい。
◇ ◇ ◇
魔理沙はあてどもなく遊弋し、考える。
自分に足りないものは積極性ではないかと。それとなく遠まわしにパイを要求したって、パイは得られないのだ。
さっきまではアクティブさが足りなかったのだ。もっとガンガン攻めていく姿勢が大事なのだ。恋愛だってパワーなのだ。
と言うわけで、たまたま通りかかった命蓮寺に、ガンガン攻め入っていくことにした。
ちょうど寺の境内では、白蓮が掃除をしている。
「貴様のパイを寄こせええええええええええ!!」
「へ、変態さんっ!?」
何故か変態扱いされた。
しかもどこから出てきたのか、虎とネズミと入道使いと船幽霊にボコボコにされた。
魔理沙は泣いた。
◇ ◇ ◇
「で、惨憺たる結果だったと」
博麗神社の縁側で、呆れたように霊夢が言う。
相も変わらず湯呑を持って、煎餅をかじる。
「いいんだ。いいんだ。私なんか」
いじいじ。
魔理沙はすっかり意気消沈し、境内にうずくまってのの字を書いていた。それを尻目に霊夢はずずっと茶をすすった。
神社に戻ってきて、かれこれ20分はこうしている。正直うっとおしい。
「どうせ嫌われ者なのさ。どうせ……」
「ああもう、うざったいわねえ!」
さすがに目の前でいじけられるのに耐えられなくなったのか、霊夢は湯呑を乱暴に置くと、そのまま奥に引っ込んでいってしまった。
ついに霊夢にまで嫌われてしまった。
魔理沙はさらに落ち込みながら、さらにのの字の面積を広げていく。
と、その視界に影が落ちた。誰かが魔理沙の隣に立っている。
魔理沙は、顔を上げてそちらを見る。
そこには、さっき神社の中へと引っ込んでいったはずの霊夢が立っていた。
「あれ、霊夢? お前、私に愛想尽かしたんじゃ――」
「この――」
右手に――大きな大きなパイを持って。
「いつまでもウジウジしてるんじゃない、バカ魔理沙!」
ずべしゃあっ!
瞬間。
顔面に、どろりとした液体のような固体がはじける感触。
鼻に突き抜ける、甘ったるい香り。
白く染まる視界。
これは。
これはもしや――。
すべてがスローモーションになる。
魔理沙は、霊夢の放り投げたパイが顔面に見事に叩きつけられるのを、全身で感じていた。
後ろに倒れるその時間さえも、ゆっくりに感じる。
そのゆっくりと流れていく時間の中で、魔理沙は霊夢の言葉を聞いた。
「勘違いするんじゃないわよ。さっき紫がきて『あなたもたまにははっちゃけてみなさいな』とか言って、私はいらないのにパイを置いていって、しかもそれ、食べられそうにないクリーム使ってあったから食べるわけにもいかなくて、でも置いておくのももったいないし――。と、とにかく魔理沙の事が特別、すっ、好きだとかそういうのじゃ――」
ポロリ。
パイと一緒に、思わず零れる霊夢の本音を遠くに聞きながら、魔理沙は後ろに倒れ込んだ。
だんだんと薄れゆく意識の中、それでも魔理沙は、どうしようもなく幸せだった。
<完>
「おねえちゃーん! あーいしーてるーっ!!」
向こうから愛の言葉を叫びながら妹が走ってきたので、さとりは慌てた。
「こっ!? こ、こここここいし!? あなた突然何を言ってっ!? あ、いや、別にあなたからあふれ出る愛の弾幕を受け止めるのは吝かではないのだけれど、物事には順序というものがあって、ちゃんとした手順を踏んでそう言う関係にならないといけなくてっ……それにほらっ、ペットたちだって見てるしっ! ああ、でもどうしてもっていうのなら仕方が無いから私たちの愛の巣(サブタレイニアン・ベッドルーム)へ……へぶっ!?」
さとりが言い終わらないうちに、こいしが全力で投擲した白くて丸い物体が、べちゃりと音を立ててさとりの顔面に直撃していた。
どきっ! 少女だらけのパイ投げ大会 ~ポロリもあるよ~
「昼ドラみたいなどろどろの爛れた三角関係に巻き込まれてみてぇ」
ポロリ。
博麗神社の縁側で茶を啜っていた魔理沙の口から、つい本音が漏れてしまった。
小春日和の幻想郷。厳しい寒さも一段落し、積もった雪も柔らかな日の光に包まれて大分溶けてきていた。
まだまだ寒さは続くのだろうが、それでも今日という穏やかな日は、幻想郷にだんだんと忍び寄る春の気配を確かに感じさせる。
そんな頭まで春になりそうな穏やかな日なのだ。魔理沙の胸に秘めたる願望が、ぽろりと零れてしまってもそれは仕方のないことと言える。
「何か言った?」
お茶請けを探しに中に引っ込んでいた霊夢が、煎餅をのせた皿と新たに淹れたのであろうお茶の入った湯呑を手に戻ってくる。
「い、いや何でもない」
霊夢に訊かれでもしたのだろうかと、内心ひやひやしながら魔理沙は自分の隣に置かれたお茶請けに手を伸ばした。
霊夢はお茶請けの皿を挟んだ隣に腰掛けると、淹れたての茶を、ずずっと啜った。そして呆けたようなため息を一つ。
魔理沙はその横顔を、ちらちらと窺う。
何とも平和そうな顔である。ほへえ、と穏やかに緩んだ顔は、こちらの脳まで融解してくれそうなほどに暖かい。しかしそれでいて、どこか力強さを失わぬきりりと黒く引かれた柳眉。くりりと丸い、可愛らしい目。柔らかそうな頬。その可愛らしさと美しさを併せ持つ顔立ちは、あたかも春の日に雪の中からようやく顔を覗かせた、一輪の花のような――
「なにこっちをじろじろ見てんのよ」
――そんな妄想をしているうちに、気付けば霊夢はこちらを訝しげに睨んでいた。
魔理沙は慌てる。
「あ、いや、何でもない」
顔を紅く上気させ、あたふたと狼狽する。なおも怪しいものを見る目つきでこちらに視線を投げかける霊夢。魔理沙は何でもない風を装うように、とりあえず湯呑を口の中に放り込み、それを煎餅で流し込んだ。
「がふっ、げほっ、げふっ!」
逆だった。
何だか魔理沙の様子がおかしい。霊夢は思う。
さきほどの挙動不審もそうであるが、それ以外にもなんだか全体的におかしい。
具体的には、彼女の周りに発せられる、恋する乙女オーラ。普段さばさばしているくせに、今日に限って何故だかやたらとしおらしいのだ。正直キモい。もちろんそう思っても、口には出さずに言葉をお茶で流し込む霊夢である。友達思いの優しい子なのだ。親しき仲にも礼儀あり。
「あ、あの、さ……」
魔理沙がもごもごと呟く。霊夢は魔理沙を見やる。
そこには、顔に淡く紅葉を散らし、体をくねらせて上目づかいでこちらを見る魔理沙がいた。
「キモい」
言ってしまった。ついつい。
あれだ、気の置けない仲というやつだ。友達だからこそ、歯に衣着せずに言ってやる優しさ。霊夢は友達思いの優しい子なのだ。
「なんで!?」
魔理沙ちょっと涙目。
いや、だって、ねえ。いつものあいつが、前かがみになって、両手を股のあたりで結んで、体をくねくねさせて懇願するようないたいけな目で見てきたら、そりゃねえ。お前は紅魔郷の立ち絵の魔理沙かと。いや、魔理沙だけれども。
本格的に魔理沙がぐずり始めてきたので、霊夢はとりあえず話の先を促すことにする。
「で、何よ」
「ああ、うん。そのな……」
未だに変なオーラの抜けきらない魔理沙はとりあえず気にしないことにした。
「今日が何の日か、霊夢、知ってるか?」
「おん?」
突然何を言い出すかと思えば。霊夢は今朝見たはずの日めくりを思い出しながら考える。確か今日は2月の14日。はて、何か特別な行事があっただろうか。
「節分」
「……はこないだやったな。萃香泣かしたやつ」
「先勝?」
「いや、そういうんじゃなくて」
「煮干しの日?」
「それでもなくて……ってそんな日があるかっ!」
いや、あるよ。
「そうじゃなくてさ、今日は――」
魔理沙はそこで言葉を飲み込み、深呼吸する。胸に手を置いて不安そうな顔をする。もじもじする。
いや、お前は妖々夢体験版でボツになった立ち絵の魔理沙かと。いや、魔理沙だけれども。
数瞬の後、決心したように魔理沙の目つきが鋭くなる。
そして、ゆっくりと口が開かれる――
「今日は、バレンタイン――」
「あ、バレンタイン今年中止になったんで」
どかーん!
魔理沙は吹っ飛んだ。
そのまま空中で錐揉み回転をしながら綺麗なアーチを描き、林の茂みの中へと墜落した。
翌日の文々。新聞の中で、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋!」という文句でこの記事が語られ、後の天狗内で行われたコンテストにて名実況賞という名誉ある賞を受賞したのだが、それは割とどうでもいい話である。
「あやややや、どうしたんですか魔理沙さん」
とにもかくにも、文である。
魔理沙の隣に降り立ち、死の宣告とも言うべき言葉をなげうった張本人である天狗のブン屋、射命丸文が、新聞片手にきょとんとしていた。
魔理沙はのっそりと立ち上がり、とりあえず縁側の元の位置へと戻った。枝や木の葉が至るとろにへばりついて見るも無残な姿になっているが、とりあえず無傷である。
「で、バレンタインが、なんで中止なんだよ」
どっかと腰をおろして足を組み、不満顔の魔理沙である。
それもそのはず、魔理沙が今日ここに来たのは、何を隠そう、霊夢からチョコを貰ったりしてキャッキャウフフと乳繰り合うためなのだ。それがこんなことになっては魔理沙の立腹も詮のないことである。
苛立たしげな魔理沙の視線を飄々とかわして、文は言う。
「いやあ、ちょっと色々あってですね――あ、これ号外です。とりあえず見てくださいよ」
営業スマイルを振りまいて、腋に抱えていた新聞を一部、霊夢に手渡す。
あまり新聞に興味はなかったが、話の流れ的に読まざるを得なくなり、霊夢はしぶしぶ開いた。
そこにはでかでかと大きな記事が一面に張られていた。
「なになに――」
魔理沙も霊夢の傍から覗きこむ。そこにある記事には。
「『バレンタインデー中止!? 乙女の阿鼻叫喚』……」
とりあえず見出しのセンスのなさには目をつむることにしよう。
「そうなんですよ」
頷いて、文がその記事のあらましを述べる。
ぶっちゃけて言えば、偏にチョコレートの生産が追いつかなくなったのだそうだ。
そもそもにして幻想郷において、洋菓子――それも加加阿(カカオ)を原料とするチョコレートは、稀少品もいいところだ。気候的に幻想郷で加加阿の木を栽培するのは困難であり、且つ外の世界から流れてくることも少なく、市場に出回らない。
それでも、一部の農家では大掛かりな設備を用いて、毎年のバレンタインで用いられるくらいの量の加加阿豆は生産できていたのだが、その設備のキモとなる気温調整役の藤原妹紅が「飽きた」と言って現場放棄したことが原因で、ついに加加阿収穫量が0になった。
ちなみに代役に地獄鴉である霊烏路空を起用する案も挙がったが、何故か一日働いて次の日から来なくなった。やはり気温を調節するだけという単調な仕事は、飽きが来やすいのだろう。とにもかくにも人や妖怪向けで無いのだ。ちなみにある消息筋は、空は飽きたのではなくただ単に仕事を忘れているだけだと言う情報を提示したが、それも未確認で不確かな情報である。
とにかく、幻想郷に今、チョコレートがないのである。
「そんな……私のハーレム計画は……」
魔理沙が歯噛みする。
ちなみに霊夢はというと、完全に蚊帳の外でお茶を啜っていた。馬簾多院って何だろう、新しい上皇かしら。煎餅を摘まむ。
「せっかく今年は幻想郷中の女子(おなご)からチョコを集めてウッハウハになる予定だったのに」
「そんなにチョコを貰える当てがあるんですか」
「あん? だって私人気者だし」
「え? あなた嫌われ者でしょう?」
「えっ」
「えっ」
何を言ってるんだこいつは。お互いをお互いに睨みあう。
「まあ、そんなあなたに朗報です」
文はそんな空気を仕切りなおすように、話題を切り替える。
「今年は好きな人にチョコを渡す代わりに――パイをぶつけることになりました」
「は?」
なったらしい。
「いやいや待て待て、どういう論理の飛躍だ!?」
「どういうもこういうも、言った通りなのですが。まあ、ぶっちゃけクリームパイの方がチョコよりも安価だと言うだけです。食用にしないので、クリームパイに見立ててさえいれば、ホイップクリームの代わりに何のクリームを使ってもOKですし」
確かにそれは、チョコよりも調達が楽そうだ。
少し不安が残りながらも、一理あると思いつつ、魔理沙は腕を組んで次を促す。
「しかも、意中の人を人目につかない場所まで呼び出して、チョコを渡すという、あのまどろっこしい方式も無視できるので画期的です。普段口には出せない感情も、パイと共に相手の顔面に押し付けるだけ。引っ込み思案の人も、あれこれ考えずに想いを伝えることが出来てお勧めです」
「ほう」
「いやあ、私が適当に酒の席で言ってみたら、上司にバカウケでしてねえ。天魔天狗さまが「いいねえ文ちゃん、それ採用(笑)」と即座に手回しを」
お前が発祥なのか。しかも適当なのか。
しかし――。
なるほどなかなかどうして理にかなっている。
そもそも幻想郷の住人に、バレンタインなどと言う、つつましく恭しくチョコをやりとりするなんていう図式は似合わないのだ。もっとお祭りじみていて、もっと派手な、アクティブに攻めるこのやり方こそ、幻想郷的なのではないか。
魔理沙はいつしか、文の提案するそのやり方に心を奪われていた。
魔理沙は勢い込んで立ち上がって二、三歩前に出て、そこでくるりと霊夢に向かって向き直った。
「霊夢、こい! お前のハートを受け止めてやる!」
ばっ、と両手を大きく広げて仁王立ち。
さながら敵を何ぴとたりとも通すまいとする、弁慶の立ち姿である。美鈴に見習ってほしいと、紅い悪魔のため息が聞こえた気がした。
「――は、え、何?」
まさかいきなり自分の名前を呼ばれると思ってなかった霊夢である。慌てて持っていた湯呑を落としそうになるがなんとか堪えた。
馬簾多院ってやっぱり寺の名前か何かかしら――そんな空想から目を覚まして見れば、にやにやと笑う文と何か決心した形相で立ち往生する魔理沙。全くどういう状況だかわからない。
とりあえず魔理沙を見る。
まるで何かを期待している目。何かを待っているようである。
「ええと……」
よくわからないのでとりあえず持っていた湯呑の中身を、彼女に向かってぶちまけてみた。
よくわからないが魔理沙は泣いていた。
◇ ◇ ◇
「そもそも、霊夢にパイを用意する暇なんてなかった」
魔理沙は箒にまたがって空を飛びながら、反省した。
あれは照れ隠しだな、うん。ツンデレというやつだ。そう自分を納得させる。
とにかく、今日はバレンタインデーである。幻想郷中の女子(おなご)を虜にしたと人々に言わしめたこの自分が活躍できる場の一つと言って過言ではない。こんな日を楽しまずにどうしろというのだ。
魔理沙は俄然、わくわくする気持ちが湧いてくるのを感じた。
魔法の森の上空、吹き抜ける風は冷たいけれども、興奮して上気した魔理沙の頬にひんやりと気持ちいい。
目当ての地点の上空まで辿り着くと、急下降して地面に降り立つ。
鬱蒼と茂った森の奥まったところに、こじゃれた一軒家があった。魔理沙と同じ魔法の森に住む魔法使い、アリスの家である。
歩みを進め、その玄関の前に立つ。軽く深呼吸。
よし。心を決めて、いざノック。
しようとしたけれど鍵があいていたので、やっぱり勝手に侵入することにする。魔理沙にとって不法侵入はお手の物。アリスの家の魔道書やらマジックアイテムやらを狙って、空き巣まがいの訪問をしたことも一度や二度ではない。
勝手知ったる他人の家。入りこむとづかづかと歩を進めて、アリスがいそうな居間あたりまで行く。
「あれ、居ないや」
留守なのだろうか。もしかしたら、魔理沙の家にまでパイを持って押し掛けているのだろうか。だったら悪いことをしたなあ。
そんなことを考えていると、魔理沙の鼻孔を、ふいに甘い香りがくすぐった。生クリームの甘ったるい匂い。
(お、今私の為に作ってくれているのか)
にやにや。魔理沙は想像して、緩む頬を抑えることが出来ないでいた。
ひとしきり妄想していると、魔理沙が入ってきたのとは違うもう一つのドア――確かそっちは台所だ――の向こうから、パタパタ足音が聞こえてきた。
魔理沙は慌てて、顔を引き締める。
「うわっ、なに勝手に人の家に上がり込んでるのよ」
ドアを開いてやってきたのはアリスだった。当たり前だが。
身につけたエプロンで手を拭いながら、訝しげな視線を魔理沙に送る。
改めて顔を合わせるとなんだか落ち着かず、そわそわしてしまう。同時に顔がにやけて来た。
「な、何でもないぜ」
「勝手に上がり込んでその台詞はどうなの」
あとキモい、と言おうとしてアリスはぐっと堪えて飲み込む。下手に余計なひと言を加えて波風を立てるのも面倒くさかったのだ。都会の女の処世術である。
「ところで、お前もブン屋の新聞、見たか?」
魔理沙がやや唐突に話題を切り出す。
「ああ、バレンタインがどうとか?」
「そうそう。それでお前、パイを作ってたんだろ?」
魔理沙は期待を秘めた瞳で台所の方を見やった。依然として甘い香りが流れてきている。
――何だかんだ言って、同じ魔法の森に住む魔法使い同士なのだ。お互い切磋琢磨する良きライバルなのだ。
普段はつれない態度をとるアリスだって、今日という特別な日には、ちょっと素直になって、私に好意という名のクリームパイを力いっぱい打ちつけてくるのだ。そうに違いない。
魔理沙のにやにやは今や最高潮に達していた。
「いや悪いなあ。私の為にわざわざパイなんて準備してくれたなんて」
「えっ」
「えっ」
あれ。
「いや、なんであんたの為にパイを作らなきゃならないのよ」
え、違うの? 魔理沙は愕然とした。
「シャンハーイ」
「あら、持ってきてくれたのね。ありがとう上海」
上海人形が、その身の丈の倍はあろうかという、クリームがたっぷり塗られたパイを、えっちらおっちら運んできた。よろよろしていて今にもぶちまけそうである。
「じゃ、じゃあそのパイは……」
「ああ、これ? いや、ある消息筋によると、無名の丘の鈴蘭畑に一人歩きする人形が出現するそうじゃない? 自立人形の手がかりになりそうだから接触しようとしてるんだけど、手ぶらで行っても追い返されそうじゃない、人間に敵意持ってるらしいし。それで菓子折りでも持って行こうかなって――魔理沙?」
「あ、ああ、うん」
何ということでしょう。この人、別にパイをぶつけるつもりなんて微塵もなかったのです。
それはクリームパイに対する冒涜だ。パイをいったい何だと思ってるんだ。
言ってやりたかったが、魔理沙の口は上手く言葉を紡いでくれなかった。
アリスは魔理沙を変な物でも見るような目で見やり、「急ぐから。じゃあね」とそのまま魔理沙を残して出ていった。
何だ、この寂莫感は。何だ、この荒涼とした気分は。
今にも木枯らしが吹き荒れそうなくらい寒かった。室内だけど。
ああ、泣きそう。
ぽん。
魔理沙の肩にやさしく手が置かれる。伏せていた顔を上げてそちらを見る。
「シャンハーイ」
「しゃ、上海人形……!」
なんて心優しい人形なんだろう。こいつが心を持たないなんて嘘だ。魔理沙は人形の瞳の奥に慈愛の精神を見た気がした。
そして、上海人形は優しいまなざしを魔理沙に向けて、ふるふると首を振って――
「バカジャネーノ」
魔理沙は泣いた。
◇ ◇ ◇
一人の女に振られたくらいでへこたれてはいられないのである。
そんな簡単にハーレムエンドを諦めていたら、幻想郷のプレイガールの名がすたると言うもの。
今度こそパイをしたたかに打ちつけられたい、そんな聞く人が聞けば、まぞひずむな性癖を持つ人と勘違いされそうな願望を抱き、魔理沙は滑空していた。
湖を越えて見えてくるのは紅の館。魔理沙はいつものようにさぼっている門番を華麗にスルーすると、開いていた窓から館の中へ侵入する。
ちなみに、今日の門番は氷精や宵闇の妖怪やらを集めて、泥で作ったパイを投げあいっこしていた。そこらの妖怪には人気者らしい。
紅魔館内に入ると、綺麗に着地してすたすたと歩き始めた。
何やら妖精メイドが慌ただしく右へ左へと飛びまわっていたが、侵入者である魔理沙に対して攻撃してくる風でもなかったので気にしないことにした。目が痛くなりそうなくらい紅い館の廊下をのんびり歩く。
その廊下の隅の方。
「うー」
なんか居た。
いや、なんかというか、あれは多分紅魔館のトップ、レミリアじゃないか。
何やらうずくまって頭を必死に庇い、身を守るようにして震えていた。小動物みたいだった。
「何やってんだお前」
「きゃうっ!」
びくんっと跳ね上がって、小動物が顔を上げた。涙目だった。
「あ、――」
魔理沙と目が合う。
レミリアはゆっくり立ち上がると、服をぱんぱんとはたき、埃を払う。ついでにずれかけていた帽子をくいくいと直す。
こほん、と咳払いを一つ。きりっと目を釣り上げた。
「何だ、白黒じゃないか」
「今気付いたみたく言うな」
何だその仕切り直しは。仕切り直せてないし。涙目のままだし。
「私の城に何か用か」
侵入者の前でも取り乱さずに、不敵に微笑んで見せる。
口元に手の甲を当て、口元を釣り上げるさまは、幼い容姿であるにもかかわらず、妖艶な雰囲気を醸し出し――
「6番隊! お嬢様は見つかった!?」
「いえ、それがどこにも……」
どたばたどたばた。
「――くっ! いい!? 2番隊、3番隊、4番隊は引き続き東館を探しなさい! それ以外の部隊は私と一緒に西館へ! 何としてもレミリアお嬢様を見つけ出し、紅魔館メイド部隊の誇りを懸けて、お嬢様をねちょねちょのパイまみれにするのよ!」
「サー、イエッサー!」
どたばたどたばた。
紅魔館の廊下を、慌ただしくメイド長と部下メイド達が駆けていった。え、何あれ軍隊?
レミリアはというと、魔理沙の影に隠れるようにしてまたうずくまっている。まるでアルマジロかダンゴムシのようである。
「うー」
ほっとこう。
魔理沙は、お目当ての場所、紅魔館地下の図書館へ向かうことにする。
図書館は、いつもよりも一層静寂に包まれていた。
図書館なのだからもちろんいつも静かな場所なのだが、今日は一段と静謐な雰囲気をたたえている。
何故だろう、と魔理沙は考えるが、よく見たら、いつも図書整理と称して慌ただしく走り回る小悪魔の姿がどこにも見えなかった。
パチュリーはいつものように長机について、紅茶を片手に読書に勤しんでいた。
「よう」
魔理沙はその向かい側の椅子を引いて、どっかと乱暴に腰掛ける。
その粗暴な来客に気付いて、伏せていた顔を上げるパチュリー。来客を認め、嫌そうな表情をすると、すぐに本に目を落とした。
「何の用」
本に目を這わせながら、そっけなく聞く。魔理沙は、そわそわしながら「別に」と答える。
魔理沙は、無表情で字面を追う少女を見つめる。
きっとパチュリーなら。
そんなことを考えて、思わずどきどきわくわくするような感情を抑えられなくなる。
魔理沙はどうやって話を切り出そうか考える。頬にほのかに朱を散らして、もじもじしながらこれからの行動をシュミレーション。そのさまはまるで恋に恋する恋乙女そのままである。
「キモい」
パチュリーは、目の端で彼女の奇行をとらえてそう表現した。生粋の魔女に容赦は無用なのである。ただ幸い、声が小さかったせいもあり、魔理沙には聞こえなかった。
「な、なあパチュリー。今日は何の日か知ってるか?」
魔理沙は、そう切り出した。
パチュリーは本から少し目を外して黙考する。カップを傾け、紅茶を喉に流し込む。左から右へ、視線が泳ぐ。
「日曜日」
「いや、曜日じゃなくて」
「立春?」
「それはこないだ過ぎたな」
「植木枝盛の誕生日」
「それでもなくて……って、違うだろっ!」
違くないよ。
ばん! 魔理沙は勢いよく机をたたく。静寂な空間に、音が響く。
「そうじゃなくて、さ……ほら、あるだろ? こう、好きな人に思いを伝える、神聖な――」
「パチュリー様、出来ましたよー!」
魔理沙の言葉を遮って、どたばたと登場するのは小悪魔である。その右手には、ちょうど魔理沙の顔と同等の大きさの――クリームパイ。
パチュリーは迷惑そうに眉をひそめる。魔理沙は色めき立つ。
「何だ、パチュリーも解ってたんじゃないか」
嬉しそうに笑いながら、魔理沙はバンバンとパチュリーの背中を叩いた。パチュリーは咽せた。
パチュリーは軽く三途の川で死神と談笑を交わしてから帰ってきて、息を整える。
「私はバレンタインなんかどうでもいいのだけれど。チョコだってパイだって、どうでも。なのに小悪魔が」
「もー、駄目ですよパチュリー様! こういうときにちゃんと好意を形にして伝えないと」
ぷりぷり怒りながら、小悪魔は言う。
腰に手を当て、ぴっ、と人差し指を立てている。
その様子にパチュリーは少しだけ相好を崩す。
「ま、たまにくらいならいいけれどね。どうせパイをぶつけるだけだし。色々と世話になってないこともないし」
「あ、ああそうだな」
面と向かって感謝されることのあまりない魔理沙は、思わずうろたえてしまう。
パチュリーは、まるで思い出を回想するかのように静かに目を伏せて語る。
「普段は粗野でぶっきらぼうで」
「ああ、そうだな」
魔理沙は顔のにやつきを必死にこらえる。
「横暴で乱暴で、我がままな奴だけど」
「い、いやちょっと言いすぎじゃないか?」
ちょっと心が痛い魔理沙である。
「いえ、いいのよ。この程度の雑言で傷つくような悪魔じゃないんだから」
「悪魔とはひどいな。これでも人間だぜ」
「えっ」
「えっ」
「……」
「……」
「こあ?」
「――それに見た目も言動もガキっぽいし」
仕切り直し。
「まあ、往年の魔女にしてみたら子供のようなもんだろうな」
「いえ、私と年齢は私と同年代だけど」
「えっ」
「えっ」
「私そんなに年食ってない」
「あんたの年なんて聞いてない」
「えっ」
「えっ」
「……」
「……」
「こあー?」
「――まあ、とにかく憎まれ口をたたき合いながらも、親友には変わりないということね」
「そうか。面と向かって言われると照れるぜ」
「そうね。今日くらいは憎まれ口の代わりに、パイを思いっきり叩きつけても面白いかもね」
がたり、とついに魔女は重い腰を上げる。
――来た!
ついに来た。待ちに待ったそのセリフを、魔理沙は確かに聞いたのである。
パチュリーは小悪魔から、パイを受け取る。
――落ち着け、魔理沙!
目を静かにつむって精神統一する。深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
そしてぐっと手を固く握りしめて覚悟を決めると――
「さあ来い!」
気合一閃。
目を見開いて、来るべき瞬間を見据ようと――
「あのパチュリー様なら出ていかれましたよ」
そのまま凍った。
あれ。どういうことなの。
状況を俄に理解することが出来ず、仁王立ちのまま固まる。今度こそ木枯らしが吹いた気がした。
小悪魔は、気まずそうにきょろきょろする。
「こあー!」
とりあえずこのまま帰すのもかわいそうなので、パイの代わりとばかりに、パチュリーの飲みかけのカップを掴むと、中身の紅茶を魔理沙にぶちまけた。
魔理沙は泣いた。
魔理沙は肩を大げさに落として、紅い廊下を歩く。
その途中。
「うー」
レミリアはまだうずくまっていた。どうやらまだ誰にも見つかっていないらしい。その服はパイで汚されておらず、最初に見た時のままであった。
「頑張れよ」
魔理沙はその頭を軽く叩く。
ぐちょ。
変な感触。よく見たら、帽子の代わりにパイが頭に打ちつけられていた。帽子と似ていたので気付かなかった。パチュリーの仕業らしい。
◇ ◇ ◇
魔理沙はあてどもなく遊弋し、考える。
自分に足りないものは積極性ではないかと。それとなく遠まわしにパイを要求したって、パイは得られないのだ。
さっきまではアクティブさが足りなかったのだ。もっとガンガン攻めていく姿勢が大事なのだ。恋愛だってパワーなのだ。
と言うわけで、たまたま通りかかった命蓮寺に、ガンガン攻め入っていくことにした。
ちょうど寺の境内では、白蓮が掃除をしている。
「貴様のパイを寄こせええええええええええ!!」
「へ、変態さんっ!?」
何故か変態扱いされた。
しかもどこから出てきたのか、虎とネズミと入道使いと船幽霊にボコボコにされた。
魔理沙は泣いた。
◇ ◇ ◇
「で、惨憺たる結果だったと」
博麗神社の縁側で、呆れたように霊夢が言う。
相も変わらず湯呑を持って、煎餅をかじる。
「いいんだ。いいんだ。私なんか」
いじいじ。
魔理沙はすっかり意気消沈し、境内にうずくまってのの字を書いていた。それを尻目に霊夢はずずっと茶をすすった。
神社に戻ってきて、かれこれ20分はこうしている。正直うっとおしい。
「どうせ嫌われ者なのさ。どうせ……」
「ああもう、うざったいわねえ!」
さすがに目の前でいじけられるのに耐えられなくなったのか、霊夢は湯呑を乱暴に置くと、そのまま奥に引っ込んでいってしまった。
ついに霊夢にまで嫌われてしまった。
魔理沙はさらに落ち込みながら、さらにのの字の面積を広げていく。
と、その視界に影が落ちた。誰かが魔理沙の隣に立っている。
魔理沙は、顔を上げてそちらを見る。
そこには、さっき神社の中へと引っ込んでいったはずの霊夢が立っていた。
「あれ、霊夢? お前、私に愛想尽かしたんじゃ――」
「この――」
右手に――大きな大きなパイを持って。
「いつまでもウジウジしてるんじゃない、バカ魔理沙!」
ずべしゃあっ!
瞬間。
顔面に、どろりとした液体のような固体がはじける感触。
鼻に突き抜ける、甘ったるい香り。
白く染まる視界。
これは。
これはもしや――。
すべてがスローモーションになる。
魔理沙は、霊夢の放り投げたパイが顔面に見事に叩きつけられるのを、全身で感じていた。
後ろに倒れるその時間さえも、ゆっくりに感じる。
そのゆっくりと流れていく時間の中で、魔理沙は霊夢の言葉を聞いた。
「勘違いするんじゃないわよ。さっき紫がきて『あなたもたまにははっちゃけてみなさいな』とか言って、私はいらないのにパイを置いていって、しかもそれ、食べられそうにないクリーム使ってあったから食べるわけにもいかなくて、でも置いておくのももったいないし――。と、とにかく魔理沙の事が特別、すっ、好きだとかそういうのじゃ――」
ポロリ。
パイと一緒に、思わず零れる霊夢の本音を遠くに聞きながら、魔理沙は後ろに倒れ込んだ。
だんだんと薄れゆく意識の中、それでも魔理沙は、どうしようもなく幸せだった。
<完>
「パイをぶつける」がどこかで何か曲がって命蓮寺に伝えられてたら幸せだ。
あと、上海wwwwwwwwwwwwww
今年のバレンタインデーは魔理沙と良い酒が飲めそうだ。
基本魔理沙は貰う側か・・・いや、だからこそ普段のお礼ということでチョコを渡す側に回るんだっ! ってどこかのワーハクタクが言ってた気がする。
あと。
レイマリっていいね。
霊夢にぶつけてもらえてよかったなぁ