ガタガタ ガラガラ
暖炉にくべる薪を割る様に、少女は火に投げ込むべく人を運ぶ。
この運ばれている人間達の末路は、一人二人と身を宙に投げ出され、抵抗出来ないままでの灼熱の業火の中心。
もしも投げ込まれた人間が最後に声を発する事が出来たならば、地獄行きを約束されたそれは断末魔の叫びとなるだろうか。
それも、既に死んでいる者に考えても意味の無い事なのだが。
「ふぅ……これで20、後残りは…」
死体を探し運ぶ、まともな人間なら精神を蝕みかねない仕事を日々繰り返し続け、それを役割として生きている少女、火焔猫燐。
彼女を知る者からは『お燐』と呼ばれ親しまれている、地獄に住む火車である。
燐は、この日運んで来た死体の数を数え直し、深く息を吐いた。
「それにしても、最近は随分と数が多いねぇ」
運べど運べど、新たな死体が山の様に現れてくる。
それも、地獄に落とされ地底を彷徨う末路を辿るべき人間が。
「随分と荒れてるんだね、今の地上は」
猫車の中に力無く横たわる、緑色を帯びた肌を持つ男の死体に向かって話しかける。
死体や霊と会話をする事が出来る燐の能力をもってしても、この死体の放つ言葉の意味を全て理解するには至れなかった。
ただ、燐がこの死体について分かった事が一つ。
地獄に落ちる死体だらけの現状を見る限り、この死体に限らないかもしれないが―――決して生有る時に犯罪に手を染めたわけではないのだ。
「でもね、いくら人の世に希望を持てなかったとしても、それだけはやっちゃいけないんだよ、お兄さん」
考え過ぎた愚者。 そう言い表したのは、何処の死神か。
灼熱地獄近くのとある一室にいくつも並べられた似た様な死体を前に、もう一つ同じ様な死体を抱えて立つ燐。
「どうせこっちに来るなら、もっと派手な事してくれば良いのに」
三途の川の渡しが閻魔の裁きを受ける幽霊の話し相手ならば、地獄の火車は怨霊となる者の話し相手である。
地獄に落ちる程の罪を犯した者は相応にエキサイティングな生前を過ごしていた者も多く、その悪党人生を聞くのは燐の楽しみの一つである。
しかし、ここ暫くそういった気骨の有る罪人は居らず、大抵が今ここに並べられている様な者ばかりである。
死体の言葉が分かる燐でも、死体の心までは、死体の記憶までは分からない。
だから、燐は手の中に在る者の罪の理由なんて、分かるはずも無い。
「もう勢いに任せ過ぎちゃダメだよ、勿体無い」
ぽい、と抱えていた死体を山に向かって放り投げ、燐は部屋を後にした。
そうして猫車を押す事数十往復、山ほど有った死体は綺麗にストックに収まった。
これだけ有れば、暫くの間灼熱地獄の燃料には困らないだろう。
それもお構い無しに、燃料は供給されてくるのだが。
「ふう……おしまいおしまいっと」
死体有る限り酷使し続けていた脚を思いっきり投げ出して、燐は地べたに座り込んだ。
いくら妖怪と言えど体力に限度は有る、死体を乗せた重い猫車を押していれば尚更の事である。
「にゃー、疲れたぁ……」
ぱたりと、背中も地面にくっつけて思いっきり身体を伸ばす。
そのままぐぐっと背中をそり返してみれば、腰から痛みと気持ち良さと倦怠感の混ざった波が体中に広がっていく。
「ふは………」
身を反らすために浮かせていた腰を地に着けると、背中にじわりと残る倦怠感。
それに身を任せれば、全身の力が抜けて体が地面に沈み込んでしまう様な錯覚を覚える。
スポンジから水が染み出すように身体から疲労が流れ出て行く、その心地良さは眠気も誘われるほど甘美なものだった。
「んー、どうしよっかな…」
燐の思考の中では、二つの選択肢が押し合いへし合い燐を誘惑していた。
一つは、このまま一眠りするという事。
昼夜の無い地獄では今の時間を知る術は無く、燐が何時間火車の仕事をしていたのかは分からない。
それでも妖怪が動けなくなるほど疲れる程度には働いているのだから、相当なものだろう。
本能に任せてこの場で睡眠を取る、それが一番楽で手っ取り早い選択肢。
もう一つは、地霊殿に帰って休むという事。
休む為の最高のセットの有る地霊殿に帰れば、少し硬さの有る地面よりよっぽど心地良い睡眠が取れるだろう。
それに、限界まで体力を消耗してからの休憩は、何物にも替え難い至福の心地良さを得られるのだ。
脳の命令に従うか、身体に鞭打って飴を拾いに行くか、どちらにしろ休む事には変わりは無いのではあるが。
どちらを取るか迷う間にも、眠気という毒が体中に回り始めてきている。
「あれ、お燐?」
迷いながら睡魔に負けかけている燐の隣に、漆黒の羽を持ち右手と右足に物々しい装備を付けた少女が立っていた。
「んにゃ、お空?」
「うん。 こんな所で何やってるの?」
お空と呼ばれた少女、霊烏路空は、燐とは旧知の仲である地獄鴉である。
彼女も燐と共に働いているので、つい先程まで燐と同じ様に労働に勤しんでいたのだろう。
燐程の肉体労働ではないからか、そこまで疲れてはいない様だ。
「いやぁ…さっきまで働き詰めだったからちょっとね…」
燐はうーんと伸びながら上半身を起こし、屈み込んだ空に顔を向き合わせる。
重力に逆らった背中が軽く悲鳴を上げ、燐は顔をしかめた。
「それじゃあお燐、これあげる。 元気になるよ」
ともすれば眠り込んでしまいそうな燐に、空はポケットから黒い小さな塊を取り出し、燐に差し出した。
「何これ?」
「ウラン238」
「うん、気持ちだけ受け取っておくよ」
水素と同じ程度の扱いを受けた事にちょっぴり悲しみつつ、燐はもう一度横になる。
眠気が気力を上回り、身体を動かす事が億劫になってきていた。
「あれ、寝るの?」
「うん。 あたいは此処でちょっと一休みしてから戻るから、先に地霊殿に帰ってて」
結局、燐はこの場で一眠りする事に決めた。
身体はもう地面に張り付いたように動かなかったし、動かしたくもならなかったからだ。
「そうだ。 お燐、せっかく寝るんだったらもっと良い所に行かない?」
眠りかけている燐の隣に座っていた空は、燐に提案を持ちかける。
ここよりも良い所、といっても何も無い洞窟の壁沿いに比べれば何処も良い所になってしまうのだが。
空が良い所だと覚えている所ならば、間違いは無いのだろう。
「んん…何処さ、遠いなら遠慮しておくよ」
落ちかけた意識を引きずり戻して、燐は目を開ける。
寝るのには丁度良いくらいの大して明るくも無い所だったが、空の笑顔は燐にはっきりと見えていた。
「それじゃあ私がおんぶしてあげるから、一緒に行こうよ」
「にゃやっ!?」
ぐいっと燐の身体が持ち上げられたかと思えば、すぐにすとんと空の背中に収まってしまった。
呆気に取られている燐を尻目に、空は大きな翼を羽ばたかせ、地面を蹴る。
「ちょっと、お空!?」
「うにゅ? おんぶじゃなくて抱えていった方が良かった?」
「いや、どっちでも良いし第一そういう訳じゃないけど…」
お姫様抱っこである。
猫の姿の時によくしてもらっているからか、特に抵抗は無いのだが。
「あれ、こっちの道って……地上?」
「うん」
お空の言う『良い所』とは、地上の事らしい。
気が付けば、空気が少しずつ乾き始め、冷たい風が二人の髪を揺らしている。
地上の光まで、そう遠くはない様だ。
「どうしてわざわざ地上まで行くの、」
「だってお燐、今の地上の事よく知らないでしょ。 だから連れて行ってあげようかなって」
「そりゃまあ、まだ地上に出る様になってからそんなに経ってないしねぇ」
時は第124季の始め、空飛ぶ船が盗人をホイホイしていたのも記憶に新しい新緑芽吹く春。
もちろん地底で殆どを過ごしていたお燐達にとって、季節の移り変わりは身に慣れない事ではある。
「この前行ってみたけど、凄く綺麗で居心地が良かったんだよ」
「地上って、地底より雪が一杯で寒かったっていう印象しか無かったけどね」
「だから、もっとお燐に見せてあげようって」
地上へと繋がる洞窟に、外の光が満ちる。
目と鼻の先に有る頭上の光の穴に、迷う事無く飛び込んでみれば、
見渡す限りの、春の海。
「ふわぁ―――!」
視界を埋め尽くす桜の花に呆気に取られて、燐が声を漏らす。
空は燐の反応を口元を緩ませ、桜吹雪の中へ燐ごと飛び込んで行った。
淡い桃色の粒が風に舞い、空の身体を撫ぜて遥か後方へと消え去る。
圧倒的な感動が、燐の些細な考え事も、陥落寸前だった睡魔も、いとも簡単に吹き飛ばしていく。
「ねっ、綺麗でしょ」
空は楽しそうに、お燐を背負い木々の隙間を縫う様に飛び続ける。
桜の花びらが空の翼に桃色の斑点を作り、重なり広がっては翼の一仰ぎでばさっと離れ、桜の濃い空間を生み出した。
高く昇った日の下、淡く柔らかな雨の中を鴉と猫は飛翔する。
やがて、二人は少し拓けた草原に着地する。
草の背丈は踝程と低く、時折吹く風に揺れ波を生んでいる様にも見える。
空の背中から離れた燐が仰向けに寝てみれば、視界に映る青い天蓋と、湿気の少ない爽やかな風が一陣。
露出している太腿や首元を風に靡いた草が擽り、むず痒くも心地良い。
空が良い所だと絶賛する理由が、燐にもよく分かった。
「うーん……んにゃ」
濃緑色のベッドに身を任せると、先程まで散々追いやっていた睡魔が再び襲い掛かる。
地底の地面より柔らかい草原は燐の背中に合わせて形を変え、綺麗にフィットしている。
少々ひんやりとしているが、そのおかげで日の光の暖かをより有り難く感じられた。
「んー…」
ごろり、と身体を転がし、うつ伏せになる燐。
かなり寝難いのか、時折小さく呻いては体位を変え、また呻いては身体を捩じらせる。
「どうしたの、お燐?」
「いや、ちょっと背中がね……」
猫だから猫背、という訳でもなく、単純に背中や腰を酷使し過ぎたのだろう、妙な違和感が燐の安眠を妨げる。
いくら妖怪の力を持とうとも、人の体重を持ち上げるにはそれなりに力を使うし、猫車を押すにも下半身に大きな負担をかける。
そんな事を長い時間続けてしまえば、筋肉や関節を痛めてしまうのも無理は無い。
「背中痛いなら、マッサージしてあげようか?」
「あ…うん、お願い」
「わかった。 さとり様もこれやったら喜んでくれるんだよ」
燐をうつ伏せにさせて、空は燐の背中をぐりぐりと押す。
空にマッサージの知識等は全く無いが、適当にやるだけでもそれなりに効果は出るものなのだ。
「うぁぁ……にゃぁ……」
押し出されるように、燐が猫の様な声を漏らす。 猫なのだが。
肩甲骨の傍、腰の少し上、脇腹の近く。
背中が凹みそうなくらいに強く時々弱く、押しているものは硬過ぎず柔らか過ぎず、怪我の心配も無い程度の圧迫が、実に心地良い。
押された点からジーンと甘い痺れが広がり、燐の背中の違和感を綺麗さっぱり洗い流していった。
「いいねぇ……ありがとう、お空」
「気持ち良いでしょ。 評判良いんだよ、私の足」
燐の背中を押していたのは、靴を脱いだ空の足。
適度に体重の掛けられたそれには、手では味わえない力強さが有り非常に具合が良い。
また、指先と踵という二つの異なるパワーのバランスは、絶妙な違いを感じさせ受ける者を飽きさせない。
そこを分かっているのかいないのか、空の足は満遍なく燐の背中を捏ね、燐はその気持ち良さに甘い声を上げていた。
「んん……ひゃっ!?」
「あっ、お燐ごめんっ!」
こりっと腰骨を転がす様に、空の踵が燐の身体を滑った。
刺す様な痛みが燐の腰にズキズキと響く。
「い、いや……今の凄く気持ち良かったから、大丈夫」
毒を持って毒を制す、の言葉の如く、強い痛みは根付いた痛みと混ざり合い、同じ痛みとして残る。
その痛みが引いていってしまえば、根付いていた不快感も一緒に取り除かれ、逆にすっきりとする事が出来るのだ。
「ん~、ありがとうお空、大分楽になったよ」
「そう? 良かった」
背中の違和感が無くなった所で、燐は空の足を止めさせた。
そのままごろりと仰向けに寝転がってみれば、先程までとはうって変わった心地良さが、何者にも邪魔されず背中に纏われる。
そうしてまた伸びを一つ、日の光の暖かさも相俟って、燐はあっという間にまどろみかける。
「お日様、あったかい……これに毛布でも有れば最高なんだけどねぇ」
乾いた風、耳に優しい木々の音、柔らかい草のベッド。
これに後一つ、肌触りの良いものを被れば、それこそ天にも昇れるような気持ちになれるだろう。
「それじゃあ、私のマント使う?」
その横で燐の呟きを聞いていた空が、身に付けていた白いマントを外して燐に手渡す。
ありがとう、と燐は広げたマントを被って、ひょっこりと頭を出した。
「…羽が付いててくすぐったい」
空の羽毛が、何枚か抜けてマントに引っ掛かっていた様だ。
所々に付いた黒い斑点が燐の身体を撫でる様に擽って、時々寝返りを打つ。
「ご、ごめんお燐」
「えへへ、でもあったかいから良いや」
マント越しに空の暖かさを感じて、燐は顔を綻ばせる。
どうやら気に入ってくれた様で、空も笑顔になって燐の隣に寝転んだ。
「ねえ、お燐」
高く広がる空を見上げながら、空が聞く。
「何か考えてたの?」
燐に向かって、忘れかけてた違和感を、思い出して聞いてみている。
「何で分かったの?」
空にしては珍しい指摘に、図星を突かれた燐は少し驚いて、そう返した。
「何となくだけど、お燐疲れてたみたいだったから」
それに気付いたのをさも当然の事の様に、空は言ってのけた。
「…うん、実はちょっとだけ考え事してたんだけどね」
それを聞いた燐は少し苦笑いして、空を見てからまた空を見上げる。
「こんなに気持ち良い空を見てたら、どうでも良くなっちゃった」
ふわり、と風が一陣通り過ぎて、間も無く二人分の寝息が聞こえ始めた。
お空の羽毛にうもれたい
お空の頭を撫でたい
珈琲を飲みつつ読んでいたのですが、おんもの原ッぱで寝たくなってしまいましたw
ぅむむ…わたくしもこのところ足腰がどーもよろしくない…是非とも、このお空に踏んで頂きたいものですな…
きれいな空見てたら、たしかに色々どうでもよくなるし、眠くもなるよね
ああ、読んでたらうとうとしてきた
おくう、踏んでくれ
それはそうと、あとがき3行目自重wwww
ウラン238は分裂起こしにくいから一応安全ではあると思うが渡されても困るよなw
お燐を裸足で踏むお空を想像して興奮しちゃってごめんね
気がしたが後書きみたらいろいろ吹き飛んだ
お空にry