※本作品は前作「薬師同行」の続編となります。
前作をお読みなっておられない場合、話の展開についていけないので、
大変恐縮では御座いますが、先に前作を読了されてからお読みになることを強くオススメ致します。
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「ごめん下さぁい」
立て付けが微妙に悪くて開き難い戸をガタガタと開けようとする手。
良くないものを全部何処かに置き忘れてきたような、限りなく完璧に近い白い肌が土埃や垢で汚れた戸を触っている。とんだ陵辱だとも思うし、例えそんなことをしようともその手が触れたところは何であれたちどころに浄化されてしまうのだとも思う。
初めて触れたときは全く感じなかったことではあるが、今考えるとちょっぴり罪深さというか、軽く犯したような愉悦というか、変な気持ちになって悶々と過ごす時間が数分増えたような気がする。
最近それなりに見るようになった赤と青で身体の中心を縦に二分したようなド派手な服と太股まで伸びた月光の長髪が戸の奥へ消えるのを確認して、平屋のはずなのに瓦葺きという、屋根だけ豪華な家のその瓦に静かに胡坐を掻いた。音を立てると下にいる人間が不審がるからと、初めて付き添ったときに彼女に言われたことを忠実に守る、人間に恐れられてなんぼの妖怪がここに一匹いるのだった。
「あっ、おはよう御座いますぅ先生。さぁさ、お上がり下さい。家の宿六がろくろ首みたく待ってますよぅ。今お茶をお持ちしますので」
「おはよう御座いますお勢さん。いつもご馳走して頂いてありがとう御座います」
「いやですよう。いっつもいっつもお世話になってるのはこっちなんですからぁ。寧ろこぉんなみすぼらしい御持て成ししかできなくて申し訳ないって思ってるぐらいですよぅ」
「いえいえ、そのお気持ちだけで十分に喉を潤せますよ」
「んもう先生ったらお上手なんですからぁ。ったく、家の宿六ときたらしょっちゅう病気こさえるんですよぉ? お仕事熱心な先生の爪の垢を煎じずに飲ませてやりたいぐらいですよぅ」
遣り取りを盗み聞きながら硬い瓦に寝転んで空を見上げる。
まあ今の服装からして見上げてみても大部分が真っ暗というか、隙間からしか空なんて見えやしない。なんたって紋付羽織に袴を着込んでその上迷いの竹林特製の深編み笠を被ってるのだ。時代遅れの男装でいる理由は正体を隠すため。人里にいる間はいつ何時私が土蜘蛛であり、病気を操る能力を有しているのがバレるか分からず、バレれば確実に排除対象になるからだ。いつも適当にリボンで纏めているそこそこな長髪は今白布でぐるぐる巻きにされ、どこぞの二刀流のお侍さんみたいになってる。鬱陶しいと思ってたのはいつまでだったか――もう慣れた。
現在真下で〝先生〟と呼ばれた不死身のお医者さんの御付きで
こと病気に対してなら最高最強の特効薬で
お医者さんの趣味に付き合わされる玩具参號であるところの
私こと黒谷ヤマメは、
暢気な青空の下、永琳さんの趣味――〝仮装遊び〟の一環の剣客装束。
御付きの剣客だからと本物の長刀と脇差と懐刀まで帯刀させられてる、実に堂の入った仮装っぷりでのんびり仕事に励んでる。
薬師の処方する〝薬〟として、誰にも見られることなく病状が悪化しないように抑制し、できるなら患者に負担を掛けないように病原体を除去するのが私の仕事だ。
「フフフッ、私の仕事を増やすつもりですか、お勢さん? 爪の垢なんて飲んだらお腹を壊しますよ?」
「あらまぁいやだわ。一本取られちゃいましたよぅ」
「それじゃあ宿六さんの診察を始めますね?」
「適当でいいですよぅ。どうせ人生適当に生きてるような人ですから」
……いいねぇ。
楽しそうな会話には無性に混ざりたくなってきてしまう。
でも薬がモノを言うのは患者の身体の中だけだから、せいぜい今晩の肴程度にしよう。
下に長閑な喧騒を敷き、夜雀やいつか見た魔法使いの飛んでいるだろう空を仰ぐ。
地上は地底よりも際限なく薄暗い。昔はどんなだっただろうか? もう憶えてないあの日の空を想像しようとして、できずに諦める。
感慨に浸るなんて妖怪らしくもない。
「おい、お前! 先生にいらんこと吹き込んでんじゃねぇよ。……いやあ先生、家内がとんだ失礼を致しました。ここに座って下せえ」
「患者は患者らしく寝てたらどうだいっ!? そりゃあお客さんが来たんだから座布団ぐらいは出さなきゃいけないけどさ。活き活きと布団から起き上がって座布団用意する病弱患者が何処にいるってんだいっ!」
「ここにいるってんだバカヤロウ! それにしても先生はいっつ見ても別嬪さんだなぁ。どうだい先生、家のバカ息子でも婿にもらってくれやしませんか?」
「その息子の稼ぎで先生に来てもらってるアホ親父は何処にいるのかねぇ? 一人前に働けるようになってから言いなよぅっ!」
「興奮し過ぎると治るものも治りませんよ? さぁ宿六さん、採血しますので腕を出して下さい」
「先生ぇ、宿六なんてあんまりでしょうや。いつものように八助って呼んで下せえ」
「なに先生口説いてるんだか……。ほぉらあんた、そんなにピンピンしてるんならちゃぶ台ぐらい出しんさい!」
「病人遣いの荒い嫁もいたもんだぜ。あ~あ、こんなことなら利発な先生の婿にでもなっておくんだった」
「クスクス、お世辞を言ったって何も出ませんよ八助さん? 仕事上血と代金は頂きますけどね?」
その代金の中に私の給金は含まれていない。助手が一人増えたからって料金を高くすればいいってものでもない。特に商売というものはそういうものだ。
と言ってもさすがに原価タダでも万能薬がボランティアになるわけもなく、晩飯を報酬として弁当箱に詰め込んで、仲の良い妖怪を少数家に呼んで宴会をする時の素晴らしい肴にしてる。冗談みたいに上品な味付けや盛り付けが地底にしてみればミスマッチだからこそ貴重で、地底にいる妖怪達には頗る評判が良かった。
今回の報酬も晩飯だ。
今日のおかずはなんだろうか?
「そういうツレねぇ態度もグッとクるねえ!」
「力まないで下さいね? 針が抜けませんから」
「おっといけね」
「……はい、お疲れ様でした。この布で傷口を覆って軽く押さえておいて下さいね」
「ほいほいっと」
バチン!
「ぬへあぁっ!? おっおまっ! キズ、き、キぃずたたた叩くんじゃねえよ!! イタタタタタ」
「フン! このヘタレ! 浮気者!」
「痴話喧嘩は私の見てないところでやって下さいね?」
「こんなの痴話喧嘩じゃあないですよぅ。このドヘタレがぜんっっぶ悪いんですから!」
「へぇへ、悪うござんしたね。ど~せ病弱ドヘタレ亭主ですようだ!」
ああ面白い面白い。
今晩妖怪の酒宴の肴にされるとは露知らず、頑固夫婦はお客の目の前で痴話喧嘩を続けてる。
――とりあえず胃の方は除去完了。
まだ完全に癒着する前だったから比較的楽だった。転移元の肝臓は進行を止めただけで、日を改めて除いてく必要がある。今日一息にやってしまうと人体への負担が大きくなって逆に危険だ。永琳さんの試薬も前回と違う結果を叩き出してることだろう。
「あら! すごいですねぇ。前回の診察から進行していないどころか快方に向かってますよ。これならまた様子見で済みそうですよ」
「いやあ、何か今日先生が来てからすっげぇ調子が良いんでさぁ! これも毎日先生を拝み倒してる成果ってヤツですかねぇ!」
「へぇぇ~、こりゃあ魂消た。前回は『腹切り』がどうとか大騒ぎだったのに……。これはもう先生のおかげですよぅ! ほんっとうにありがとう御座います!」
「いえいえ、私は特に何もしていませんよ。八助さんの身体が思った以上に強かったということですよ」
「へっへっへ、どうだい? 何処の誰がドヘタレだって?」
「ドヘタレじゃなけりゃあ間抜けだよぅ」
「まだ言うか!?」
「……ふう。お勢さん、お茶ご馳走様でした」
「お粗末様でした。お茶ぐらいならいつでもご用意しますんで、用事がなくても来て下さいな」
「ありがとう御座います。でも、夫婦の痴話喧嘩を聞きに来れる程暇になるかは分かりませんので、期待はしないで下さいね?」
「それは安心して下せえ。毎日喧嘩してますんで」
「アホなことお言いでないよ! あっ、先生本当にありがとう御座いますぅ。これ、お納め下さいな」
さあって、終わった終わった。
今日はここが終われば回診はなく、後は戻ってすれ違いに永遠亭に来てるかもしれない患者を診るだけだ。
上半身を起こして深編み笠を被り直す。どうやらこれには私の姿を曖昧にさせる何かが掛かってるようで、屋根の上で寝転んでる野侍を、往来を歩いてる人間は認識し難いらしい。無用な混乱も避けられて良い。
「はい、確かに。……まだ完治したわけではないので十分気を付けて下さいね? 一週間後ぐらいにまた参ります。回復しているからってはしゃぎ回らないで下さいよ?」
「分かってますって。まあそれでも歩くぐらいは許してもらえませんかねぇ。身体が鈍ってちゃあすぐに働けねぇんで」
「寧ろ寝たきりになってもらっては困ります」
「大丈夫ですよぅ。怠けてたら尻に火ぃ点けてでも運動させますんで」
「ひでぇこと言いやがるぜ」
「程々にしてあげて下さいね。それではお身体に気を付けて」
「ありがとうごぜぇます。道中お気を付けて」
「お忙しいでしょうけど、たまには仕事忘れて羽ぇ伸ばして下さいな」
一礼した永琳さんは人里の出口に向かって歩き出した。
私はというと、その背中を追って屋根から屋根へ音もなく飛び移ってく。動かなければ人間には何も見えないが、動いてるとおぼろげながら人間の眼にも映ってしまう。外見上幽霊みたいに見えるらしいけど、昼間から幽霊が人里に浮いてたところで、ここ幻想郷ではありふれてるのか驚いたりする奴はまずいない。
小さな村だったからすぐに二人とも森の中。昼間とはいえ森は妖怪のテリトリーだ。迂闊に人間は自分より高い木々の間を歩かない。
人目がなくなったのを見計らって枝を蹴り、永琳さんのすぐ後ろに着地して共に帰路を踏み締めてく。
「ご苦労様。結構危ない患者だったんだけど、これなら手術や抗癌剤の投与をしなくても済みそうよ。本当にありがとう」
「お疲れ様。〝薬〟にお礼を言うお医者さんも珍しいねぇ。良いって良いって。私ゃ〝薬〟として当然のことをしたまでよ」
「悪いわね。……八助さん、実際に見てどうだった?」
「ああ、さっきの人間かい? 確かに結構ヤバかったねぇ。肝臓に在ったものが胃の方に転移しかかってたよ。まあそっちは全部除いて、肝臓は転移を禁止しておいた。飽くまで転移を止めただけだから肝臓自体の悪化は避けられないけど、全部禁止してその場で暴れられても困るからさぁ。一週間後はちょっとした大捕り物になるから、さすがにあの距離から取り除くのは難しいって思ってる」
「ということは、あなたが彼に接触できる機会を整えないといけないわけね?」
深編み笠を脱いで両手で抱え持つ。
「それは頭の良い永琳さんに考えてもらうとするわ。さすがに私だけで考えると半ば襲う形になっちゃうし」
「了解。それぐらいお安い御用よ」
回診の手伝いを始めてまだ数回だけど、私がいるだけで大抵の病気は凶暴な妖怪に行き会った人間みたいにすたこら逃げてく。というか私が追い出してる。そのおかげでもう朝から夕暮れまで回診に掛かりっきりということはなく、今日なぞ昼前に全て終えてしまってた。
永遠亭が置き薬の形態を採ってるからといって、それで人間の病気を悉く駆逐できるわけがない。今は永琳さんの直接的な診察を必要としてる者の内、そういった置き薬だけで対処し辛く、その上無闇に永遠亭まで搬送するにはリスクが大き過ぎる患者に限ってるけど、その点を考えると私がいたところで今後も回診は必要なのだ。だが早さは前に言った通り段違いで、持ち歩く薬の量も結構減った。
また、私にゃ思いもよらなかったことが起きてる。
噂だ。
曰く、『竹林の先生に診察された者は独りでに病が治っていく』
受診する人間が増えたのも頷ける。私が原因なんだから頷くのも変な話だけど。
でも巷では永琳さんが持ってる神憑った能力とか奇跡の御業とかに格上げされ、大袈裟に口で伝えられ、耳に響き、脳を揺さ振り洗脳する。
噂って奴は社会に蔓延る伝染病の類かもしれない。多分空気感染。
――まあ何というか……
診るだけで滅多な事では病人を治療しない医者兼薬師って、世間一般からするとどうなんだろうねぇ。一般の医者なんて会ったことないけど……
ぼんやり考え事をしながら永遠亭までの道程を歩いてると、前方から人間の気配がした。
反射的に木の上に退避しそうになったが、永琳さんに手で制されて立ち止まるだけにしておいた。
どうやら気配はこっちに真っ直ぐ向かって来てる。近付いてくるにつれて妖怪の匂いが濃くなってく。妖怪に一過性で襲われた程度でこの濃さはあり得ない。つまり妖怪と日常的に関わりを持ってる人間ということになる。それなら身を隠す必要もないだろう。
すぐに容姿全体が見えてきた。
「ああよかった。すれ違いになりそうで心配だったけど、見つけられて良かったわ。……まあ強いて探さなくても良かったのだけれど」
面倒臭さを隠して無表情を装ってるが、無意識に失敗してるのかほんの少し仏頂面になってるという奇妙な表情で話しかけてきたその少女は、永琳さんより少し濃い色の銀髪で、……何て言ったかなぁ……、ああ確か給仕服って言うんだったような、そんなのを着込んだ永琳さんとは違った形で目立つ人間だった。
難しい顔をしてるにも関わらず眼光鋭く、洗練された身体付きをしてる。
第一印象は、満月を見上げて咆える銀狼といったところか。
月光に吸い寄せられたってところかな?
私ゃ初対面だが永琳さんはよく知ってるらしく、
「悪魔のメイドに呼び止められるなんて珍しい日もあるものね。何か御用?」
親しげなのか投げ遣りなのか分からない笑顔で返した。
「ええ。あなたの家に仕事を置いてきたから一応伝えておこうと思ってね」
「急患ってことね? まさか紅魔館の妖怪が患者ってことはないだろうから、関係のある誰か――まあ予想はもう付いてるけど……。図書館の主じゃないことは確かね」
私も大体見当が付いた。
このメイドさんは妖怪館の住民で、他の住民が患者ではないと言ってる。だとしたら妖怪相手に成り行きで深く関わってそうな奴が患者で、そいつ等は九割九分九厘……
「紅白か黒白が患者ってことかい?」
メイドさんに向かって確認をしてみたが、代わりに答えてくれたのは永琳さんだった。
「おそらく両方ね。症状は結構進んでると見えるわ」
どうもメイドさんは私のことを警戒してるようだ。初対面だから仕方ないにしても、仏頂面を少し険しくして無視するっていうのはどっかの人間二人の反応とよく似てる。
だったら私もメイドさんが〝何者であるか〟は無視しよう。
「ああやっぱり。そんなことだろうと思ったよぅ」
永琳さんはメイドさんの態度で察したようだが、私は似てるようで少し違う。
私が永琳さんのほうに顔を向けると、永琳さんもこっちに顔を向けて片目を瞬かせた。
意思疎通がそれで済むぐらいには互いにまあまあ歩み寄ったと思う。
「何示し合わせてるのか知らないけど、私はもう戻るから」
「確保~ッ♪」
「それじゃ――ッ!!?」
永琳さんの掛け声と共に、立ち去るからと警戒を緩めて後ろを向いたメイドさん目掛けて待ってましたとばかりに抱えてた深編み笠を放り捨て、突撃して抱き付いた。ものすごい既視感あるなぁ。
「ちょっと放しなさい! 何なのよいったいっ!」
悪魔とか呼ばれてる妖怪とつるんでるぐらいだから相当強いんだろうけど、腕を塞いでしまえばこっちのもんだ。捕食されると勘違いしてジタバタもがいたところで私が放すわけがない。
「何って……、あんたがこれから何するのか知ったことじゃないけどねぇ。私ゃ増えた仕事をほったらかしにする程頭良くないんだよぅ♪」
「無事に捕まえたし、帰りましょうか」
永琳さんはメイドさんに諦めろという意味の笑顔を向けながら、私に帰宅を促してきた。
メイドさんは素直に諦めて大人しくなる。プライド高そうだから自分で歩くかと思ったがそんなことはなかった。まあ歩く気力もないだろうけどさ。そんな人間を小脇に抱え直して、ちょいとばかり家路を急いだ。
……
とてつもなく古い家の様式をしてるはずなのに、一回門を潜ればその異様さには気付くだろう。そして二回三回と訪れることで、そこがどんな異様さに包まれてるのかわかる。
古の建築を古の建材で古の技法によって大昔に建てられたことが明白なのに、どうしようもなく一、二年前にでも建てられたかのような新しさが存在するのだ。
まあ不老不死が住んでる程だから彼女等の家に時が殆ど感じられないとしても不思議はないのかもしれない。改めて無駄なことを考えられるくらいには軽症だ。
削り立ての木の匂い香る年季の入った新しい戸を開ける。永遠亭本亭に入る戸ではなく、離れに別途設えられた戸で、そこにはもう一つ受診者用の戸もある。
こここそが不死身の医者の城であり本拠地であり要塞であり工房であり研究所でもある仕事場――新進気鋭の古株にして難攻不落の八意診療所だ。
これだけ装飾しておけばもう説明する必要はないだろう。
面倒臭いんで従業員用の入り口から直接メイドさんを搬入した。
靴を脱いで最初の襖を開けると更衣室があり、永琳さんは手早く室内用の白衣を身に纏う。
私の服もこの部屋にあるのだが、人間一人抱えて着替えるのは気が滅入るのでそのままお邪魔することにした。
診療所のくせに衛生面が成ってないと突っ込むのもいるかもしれないけど、永琳さんはそもそも細菌やウィルスの付くような身体でもないし服装もしてない。そういう風にできてる。私ゃあ私で殺菌抗菌は得意じゃないができないわけではなく、除菌は大の得意だ。故に元から害を与えるようなものの付着を許してない。医者の手伝いをする以上、最低限度の嗜みとして気を付けてる。例外もあるけど。
どれだけ待っても抵抗のての字も見せてくれないメイドさんを寝台のある部屋まで直行して仰向けに置いた。もちろん丁寧に。
しかしまあ自分の家に帰ることを優先するあまり、病気に罹ってるくせして根性で平静のふりを装って帰りついでに私等に会いに来るとは、何と馬鹿なことだろうか。帰宅時間は大幅延長だ。
他の二人も寝台に寝かされてるが、どうも思ってた以上に大人しい。
「ああ戻りましたか。とりあえずそちらのお二人は薬で大人しくしてもらってます。御師匠様は?」
草臥れた兎耳をよれよれ揺らしながら、薬師見習い兼看護婦の鈴仙ちゃんがスタスタ歩いてきた。キレのある歩みは耳のだらしなさとは正反対だ。
もう何度か会ってるおかげか、今では極普通にお付き合いしてる。
「もうすぐ来るよ。しっかし何でこんなことになってるのかねぇ? このメイドさん見たときちょいと驚いたよぅ。私ゃ見たことないよ、この病気」
生まれてこの方見たことがなかった。
頭の中で似たような病気は幾つか見つけたが、所詮似てるだけだ。進化か何かか?
鈴仙ちゃんも永琳さんが戻るまでに採血やら何やらを済ませて分析の途中だったようだ。
流石は助手だ。やるべきことはやってる。
「私もですよ。外から流れてきたものではないかと思っていますが、どこから来たかは何とも……。それにしてもどうして咲夜さんの方を治さなかったんです? あなたなら簡単でしょうに」
外の世界から人間が迷い来たり、物が落ち着いたりしてる幻想郷。
当然人や物に限ったことではなく、例えば――
外の病気だって迷い来る。
今目の前で寝てる三人が良い例だ。
外にあったのか新種かはわからないけど、私が地底に篭った後に出てきた病気なんて私が知るわけがない。故にこのままでは扱えない。扱えるようになるためには当たり前のように一手間掛けなければならない。
「あれぇ、言ってなかったかねぇ? 知らない病気扱えるようにするにゃまず〝保菌〟しなきゃいけないんだよ、私の中にね。活きのいいやつが要るから病人の血を直接吸うのが手っ取り早いんだよねぇ」
結構険しい表情で寝込んでる三人を尻目に危機感の欠片もなく笑いながら、自身の能力の使用条件を語る。
「初耳ですよ。それならその場でメイドの血でも吸っちゃえば良かったじゃないですか?」
「医者の手伝いしてるのに患者殺しちゃまずいでしょ」
「ああ……」
そりゃあ妖怪ですもの。
人間一口でも口にすれば下手すると骨も残らない。抑えが利くとは思えない。私の膂力は鬼並だから、永琳さんだけでは患者から素早く私を引き剥がせるとはとても思えなかったのだ。
「猫の手ならぬ兎の手をご所望と……、そういうことですか」
「いやあぁ、お恥ずかしながら」
「ああでも、別に御師匠様一人でも止められると思いますけど? 薬一発で」
「多分薬が回る前に人間が三途の川渡り切るねぇ。自信はないけど私が保証する。それに注射なんてやられた日にゃあ私が先端恐怖症になるよぅ。これには絶対の自信があるねぇ」
「それには同感しますよ。微笑みながらノーモーションで静脈狙われたことなんて千や二千程度じゃありませんからね」
「……私ゃあんたみたいにモルモットにはなりたかないよ」
二人して平和な世間話をしてると鈴仙ちゃんの御師匠様が入ってきた。顔は世界の滅亡を企む得体の知れない悪魔のような笑みを浮かべ、その手の指の間には器用に二本ずつ虹のように色鮮やかで冷や汗を出さずにはいられない液体が詰まった注射器をこれ見よがしに誇示してる。
鴉捕まえた時より鳥肌が立ってるよ。
「ええっと……、分かってはいるんだけど、何するつもり?」
二人して呆れて半笑いしながら訊ねた。
「何って、ちょうど臨床実験がまだの薬があるから、この際全部試そうと思って」
永琳さんは早く患者の皮膚やら筋肉やら血管なんかに針をメリ込ませたくてウズウズしてる。
いやまあ、冗談だって分かってるけどさ。
ここは止めとくべきだよね?
「まず病気が全治してからにして下さい、御師匠様。下手すると死にますんで」
「そうだよう。症状に関係ない薬は治ってから試せばいいよ」
「……あのさぁ……、実験動物にすること前提で話進めないでくれる?」
二人してツッコミを入れたら、それをさらに患者にツッコまれた。
機嫌の悪さと気分の悪さを滲ませた顔でこっちを見てるのはさっきまで大人しかった紅白の巫女だ。薬で眠ってるのかと思ったら起きてたみたい。
「ああ、起きていたんですか? 安静にしてないと身体に障りますよ?」
鈴仙ちゃんが尤もな事を言ったけど、紅白は返事もせずにこちらを見回して、
唐突に私に熱っぽい視線を向けてきた。悩ましく眉根を寄せてる。
不機嫌な目なんだろうけど、頬が紅潮している上に上目伝いで、おまけに一般的に不機嫌らしい表情が病気のせいか不完全。
何か箱の中で自分を飼ってくれそうなご主人を寒さに震えながら待ってる小動物みたい。
おおう、ヤバイよぉ。
ちょ~っと食べたくなってきたよぉ。
これで口元を掛け布団で隠してくれたら我慢できないくらい完璧だ。
「……どうしてあなたがいるのよ?」
「そこまでいったらもう一押し欲しかったなぁ」
「「「?」」」
〝やさしくして?〟って言ってくれたら喜んで頭から齧り付いてたものを、そう言いそうな表情の第一声がそれだと萎えちゃうよぅ。
勝手な妄想と現実との差異に悔しそうな顔をした私を見て、起きてない二人と私を除いた三人が首を傾げた。一瞬後には悟った永琳さんが笑顔で握手を求めてきたから意気揚々と握り返したけど。
「「??」」
鈴仙ちゃんと巫女を未だに分かりかねるといった表情をしてたけど、そのうち素の(病人)顔に戻った巫女が、
「……どうでもいいけど、さっさと治しなさいよ」
と以前に会ったときとは似ても似つかぬキレの無さで急かされた。
急かされた……ようには聞こえなかったけどさ。
どうやら最初の質問は無視してもいいようだし、わざわざ言うのも面倒だから早速本題にでも入ろうか。
「薬はすぐ作れそうかい?」
血液から分かったことを書き連ねた調査書を見ていた永琳さんに尋ねてみると、師弟共々少し難しい顔をした。
「私の記憶にもないわね。突然変異なのか外から来たのか分からないけど、ウィルス性の熱病であることは分かるわ。でも今すぐ薬を作るにはもう少し調べてみないことには……」
「そうですね」
「じゃあ私に任せてみてよ。こう見えても伝染する熱病は得意分野だからね」
私の弾幕には『原因不明の熱病』というのがあるぐらいだから、最も扱いやすい部類だ。だからって知らない病気が扱えるわけじゃあないけど、少なくとも理解はしやすいはず。そうやって一度理解してしまえば、次に同じ病気が起きたとしても簡単に対処できる。
師弟は何も言わないからおそらく黙認。
つまり、やって良し。
「それじゃあ援護よろしく!」
私を患者から引っぺがす役目を押し付けて半歩前へ出る。
標的には一番近いってことで巫女を採用。
ああそうそう、お初にお目にかかった直後に無視されて撃ち落されたときの仕返しも多分に絡んでるよ。
新品の状態で時が止まってしまったかのようなシミも汚れも埃もほつれもない高級絹織物に包まれた、患者を寝させることが罰当たりにしかなり得ない真っ白過ぎる診察台。巫女が絶賛闘病中のその上へ、正に当にツチグモの如き俊敏さと獰猛さでもって飛び掛った。
正直飛び掛ってばかりいるよなぁここ最近。
風邪程度の病気じゃないから飛び掛られたほうは当然抵抗なんてできるはずなく、素直に馬乗りされるよりない。
男装してるだけだけど、お侍さんが情欲に駆られて巫女を襲う構図はこうして完成した。
巫女は極限に警戒してるはずなんだろうけど、やっぱり悩ましい顔にしかなりゃしない。私ゃまあ、これからちょいとしたお食事に舌なめずりして興奮気味。
「ホントに喰いかねない勢いですね!?」
鈴仙ちゃんは少し青ざめ気味の困り顔だ。同じ兎相手にも〝喰われる〟側によく回るって聞いてるし、結構他人事じゃあないと思ってるのかも。
「これは……。浮世絵師って里にいたかしら?」
「え……」
永琳さんは下唇の下辺りに人差し指を当ててちょこっとにやけ顔……のはず。視界にゃ入ってないから想像するよりないけど、大方そんな仕草をしてるに違いない。
巫女の弱みでも作ろうとしてるんだろうか? それともただの趣味か?
どっちにしろ質が良い、筋が良い。
何となく気が合うなぁ。
せいぜい絵になるように最低限演出しようか。
ていうか『ウキヨエシ』って何さ?
よく訳の分かんないことを地上の連中は話してるから、今度意味を訊いてみよう。
脱線脱線。
それじゃあ待たせるのもなんだし早速獣のように四つん這いになって嬉々とした表情を湛えながら、そのまんま影から忍び寄る妖怪っぽくゆっくり巫女の顔へ近づく。目標は首筋だけど。
「……う……、……ひっ……!!?」
病気のせいか這い寄る私のせいか、布団から覗く巫女の顔は鳥肌が立ってる。
掛け布団の上から覆い被さってるんだけど、巫女はさっきまで寝込んでたとは思えないほど力を振り絞って私から遠ざかるように布団から抜け出し、上体を起こすも後ろの正面が壁だったことに気付いて小さく舌打ちした。
体重をあまり掛けないように軽くしなだれかかって巫女の顎に左手の指を絡める。
これから甘い甘~いキスの一つでもしそうな体勢で右手は乱暴に肩を肌蹴させた。
「うふふふっ、私にいいように扱われる気分はどう?」
初めから火照ってる顔はさらに赤みを差して、
「……治ったらぶっ飛ばす」
虚勢がかった本気を口にした。
先代譲りの気性なんだかどうだかは知らないけど、まあ似たり寄ったりというべきか?
いや、私が知ってる先代って何世代前だっけ?
いやいやそうじゃなくって、これは巫女とちゃんと遊ぶチャンスだよなぁ。
「いいよいいよぉ♪ 受けて立つよぉ♪」
耳元で囁きかけて、下準備のため首筋に口を近づけた。
あっ、違った。
舌準備。
今から牙を刺すあたりに、……ゆっくり……ゆっくり……舌を這わせてく。
痛まないようにというよりはこれも演出の一環だ。
「はぅ……んっ……ゃ……」
そのリズムに合わせてビクビク震える巫女の身体。
多量に出た汗が舌にべっとりと味を残す。
初めて会った時からかなり無愛想だなぁと思い、実際にそうだったんだけど、何か歯ぁ食い縛っちゃったりして我慢してる姿は年端も行かぬ年相応の少女のものだ。
汗の味も相俟って相乗効果で食欲倍増。
食べちゃ駄目なのが惜しまれる。
でも一応敬意は表するよ?
「それじゃあ、いただきまぁす」
「ふ……んっ……!?」
あんまり痛まないように素早く、伸ばした犬歯を肩口へ刺し入れた。
何の抵抗もなく入る牙が巫女の筋肉のしなやかさと柔らかさを伝える。
ああ、食べたい。
このまま肩口から抉って食べてやりたいよ。
そんなことしたら殺される勢いで殺されるんで必死で堪えて牙を抜き(あれ? 引っぺがされなくてもちゃんと自分で自制できたようだねぇ。すごいぞ私!)、滴り落ちてきた血をす……
……ん……んん? ……んんんんんんんんんんんん!? あれ……?
「みぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!?」
「「!!?」」
何何何何何何何何何何何何これっ!?
「まっっっっっっず~~~~~~ぃっ!!」
いくら何でも酷過ぎる!
繁殖しまくったカビの異臭がこびりついた溶解液を高級な酒と騙されて飲んでしまったような下劣さがまだ妖精並にマシとさえ思える程の超劇物!
耐えられず巫女より先に私が布団から転げ落ちた。
こんなの人間の血なんかじゃないよう!
妖怪以上に化け物っぽい何かよく分からない者の液体っぽい何かだ!
起きてる全員が呆気に取られてるであろうことを尻目に見ることもできず、ただただ寝台の脚にぶつかりながら一頻り転げ回った。
「ヒィーッ、ヒィ~! ミズ……みず~~~!」
しばらく暴れた後何とか落ち着いて水を求めた。
「大丈夫っ!?」
……何でだろう?
何か気持ち悪い。
水に何かが混じってたわけじゃあない。水は水だ、……と信じたい。
じゃあ何だろう。
清い身体のはずの巫女の血が予想以上のというか、時空を軽く超越した不味さだったからか?
それとも、予め用意されていたかのように素早く水が出てきたからか?
何かもう舌が麻痺して浮かんだ疑問もその答えもどうでもよくなった。
「うぇぇぇ~~~~~~……」
粗相をしそうな苦々しさで一息吐くと、もう一杯もらった水を飲み干す。
「ええっと……、何がどうなってるんです? 血が、不味い?」
鈴仙ちゃんが私程じゃあないけど困惑してる。
そりゃあ妖怪は人間を喰らうのが殆どで、私ゃその例に漏れない類だから、人間の血肉は好物なんだけどさ……
「私も、わかんないよぅ……。巫女の血って、妖怪には、毒物なのかなぁ……?」
「そんなことはないと思うけど……」
永琳さんは不思議そうに小首を傾げていたのをすぐ腕組みに戻して、
「それも調べてみる必要がありそうだけど、まずは仕事の方を優先して。操れそう?」
地平線の如き冷静さで私に仕事の続行を促した。
薄情? 仕事熱心? 無関心? それともプロ意識?
……もう、どうでもいいや。
「うぅぅ、うん……。もう、終わった、よ……」
床にへたり込んでる私からでは直接患者の顔を窺い視ることはできやしないけど、鈴仙ちゃんの表情を見る限りではどうやら症状は落ち着いたようだ。
「本当にすごいわね。理解してから操れるようになるまでもう少し時間が掛かると思っていたけど……、ほとんど一瞬で終わってしまうのねぇ」
「いやいや御師匠様、観察してる暇あったらヤマメさん寝かせるの手伝ってくれませんか!?」
んっ? 鈴仙ちゃん何言ってんだろ? 私ゃこの通り元……
おっかしいなぁ~。
ほっぺたに冷たくて硬い……もん、が……
――少女?気絶中――
「……御師匠様……」
二人がかりでヤマメさんを空いている寝台に寝転がして、うんざりというか諦めというか、いろいろ綯い交ぜにした渋面を御師匠様に向ける。
「なぁに、ウドンゲ?」
御師匠様は昏倒したヤマメさんの首筋に指を当てて脈を測っている。
医者としては至極当然な行動のように思うけど、生憎と御師匠様は只の医者――あいや薬師ではない。
「トボけついでに採血する前に確認させて下さい」
カラの注射器を取り出して念入りに空気を抜いている手を一旦止める御師匠様。
「せっかちねぇ。なぁに?」
いつの間にやったんだか……
「ヤマメさんに薬打ちましたね。彼女が絶叫する前に薄々確信してましたけど……」
……
「すごいじゃない。よく気付いたわねぇ」
手際良く腕に注射器を刺したまま手を離して、笑顔で軽く拍手をされた。
されても困るんだけど。
「褒められる筋合いはありませんよ。分かったのは御師匠様の仕業ってことだけで、どんな薬をいつ打ったのかは分かりませんでしたから」
「残念。それじゃあせいぜい弐〇点ってところね」
「満点は幾つですか?」
「ん~、壱〇〇〇点満点?」
「暴君級の配点ですね……」
すでに採血を済ませて注射器を抜き、三つの小瓶に血を振り分けて注射器を屑かごに放り込み終わっていた(各小瓶にラベルを貼ることもとっくに終えている)驚異の御師匠様は、近くにあった椅子に腰掛けてそれだけを観に患者に〝なって〟来る人がいるほどの華麗な足組みを魅せた。
「薬については企業機密だけど、この部屋に入ってヤマメちゃんに近付いた時点で針は肌に刺さっていたわよ?」
サーっと、全身の血が静かの海に音が生まれたが如き異常な速度で引いていくのを感じた。
妖怪に気付かれるより速く一連の注射行為を終えてしまうとか……
無駄過ぎる神速の医療行為だ。
「ええっと、あのう、御師匠?」
「なぁに?」
「今すぐ! 少々! 御暇を頂いてもよろしいでしょうか?」
「だぁめっ♪」
がっちり肩を捕まれた私の背を、
摂氏マイナス二七三度が涼しく感じるほどの寒気が走って澱み、
振り返った私の眼は、
依姫様のとある笑顔を遥かに凌ぐ不気味さを駄々漏れさせた微笑みを捉える。
――引き攣った笑顔さえ返すことができなかった。
――少女?回復後 三時間後――
ここまでで、酷い目に遭ったと、誰だって思うだろ?
でも、煉獄の番人でさえ全裸になって許しを請う状況ってヤツが今まさに目の前にいる。
神並の回復力でいつも以上に全盛絶頂な巫女の
約束通りの『全快御礼お礼参り』
大黒様さえ睨んだだけでブチ殺せそうな双眸に、
私は白目を向いた。
その後のことは、〝また別の話〟ってことにしといてくれないかい?
正直……、語りたくない……
前作をお読みなっておられない場合、話の展開についていけないので、
大変恐縮では御座いますが、先に前作を読了されてからお読みになることを強くオススメ致します。
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「ごめん下さぁい」
立て付けが微妙に悪くて開き難い戸をガタガタと開けようとする手。
良くないものを全部何処かに置き忘れてきたような、限りなく完璧に近い白い肌が土埃や垢で汚れた戸を触っている。とんだ陵辱だとも思うし、例えそんなことをしようともその手が触れたところは何であれたちどころに浄化されてしまうのだとも思う。
初めて触れたときは全く感じなかったことではあるが、今考えるとちょっぴり罪深さというか、軽く犯したような愉悦というか、変な気持ちになって悶々と過ごす時間が数分増えたような気がする。
最近それなりに見るようになった赤と青で身体の中心を縦に二分したようなド派手な服と太股まで伸びた月光の長髪が戸の奥へ消えるのを確認して、平屋のはずなのに瓦葺きという、屋根だけ豪華な家のその瓦に静かに胡坐を掻いた。音を立てると下にいる人間が不審がるからと、初めて付き添ったときに彼女に言われたことを忠実に守る、人間に恐れられてなんぼの妖怪がここに一匹いるのだった。
「あっ、おはよう御座いますぅ先生。さぁさ、お上がり下さい。家の宿六がろくろ首みたく待ってますよぅ。今お茶をお持ちしますので」
「おはよう御座いますお勢さん。いつもご馳走して頂いてありがとう御座います」
「いやですよう。いっつもいっつもお世話になってるのはこっちなんですからぁ。寧ろこぉんなみすぼらしい御持て成ししかできなくて申し訳ないって思ってるぐらいですよぅ」
「いえいえ、そのお気持ちだけで十分に喉を潤せますよ」
「んもう先生ったらお上手なんですからぁ。ったく、家の宿六ときたらしょっちゅう病気こさえるんですよぉ? お仕事熱心な先生の爪の垢を煎じずに飲ませてやりたいぐらいですよぅ」
遣り取りを盗み聞きながら硬い瓦に寝転んで空を見上げる。
まあ今の服装からして見上げてみても大部分が真っ暗というか、隙間からしか空なんて見えやしない。なんたって紋付羽織に袴を着込んでその上迷いの竹林特製の深編み笠を被ってるのだ。時代遅れの男装でいる理由は正体を隠すため。人里にいる間はいつ何時私が土蜘蛛であり、病気を操る能力を有しているのがバレるか分からず、バレれば確実に排除対象になるからだ。いつも適当にリボンで纏めているそこそこな長髪は今白布でぐるぐる巻きにされ、どこぞの二刀流のお侍さんみたいになってる。鬱陶しいと思ってたのはいつまでだったか――もう慣れた。
現在真下で〝先生〟と呼ばれた不死身のお医者さんの御付きで
こと病気に対してなら最高最強の特効薬で
お医者さんの趣味に付き合わされる玩具参號であるところの
私こと黒谷ヤマメは、
暢気な青空の下、永琳さんの趣味――〝仮装遊び〟の一環の剣客装束。
御付きの剣客だからと本物の長刀と脇差と懐刀まで帯刀させられてる、実に堂の入った仮装っぷりでのんびり仕事に励んでる。
薬師の処方する〝薬〟として、誰にも見られることなく病状が悪化しないように抑制し、できるなら患者に負担を掛けないように病原体を除去するのが私の仕事だ。
「フフフッ、私の仕事を増やすつもりですか、お勢さん? 爪の垢なんて飲んだらお腹を壊しますよ?」
「あらまぁいやだわ。一本取られちゃいましたよぅ」
「それじゃあ宿六さんの診察を始めますね?」
「適当でいいですよぅ。どうせ人生適当に生きてるような人ですから」
……いいねぇ。
楽しそうな会話には無性に混ざりたくなってきてしまう。
でも薬がモノを言うのは患者の身体の中だけだから、せいぜい今晩の肴程度にしよう。
下に長閑な喧騒を敷き、夜雀やいつか見た魔法使いの飛んでいるだろう空を仰ぐ。
地上は地底よりも際限なく薄暗い。昔はどんなだっただろうか? もう憶えてないあの日の空を想像しようとして、できずに諦める。
感慨に浸るなんて妖怪らしくもない。
「おい、お前! 先生にいらんこと吹き込んでんじゃねぇよ。……いやあ先生、家内がとんだ失礼を致しました。ここに座って下せえ」
「患者は患者らしく寝てたらどうだいっ!? そりゃあお客さんが来たんだから座布団ぐらいは出さなきゃいけないけどさ。活き活きと布団から起き上がって座布団用意する病弱患者が何処にいるってんだいっ!」
「ここにいるってんだバカヤロウ! それにしても先生はいっつ見ても別嬪さんだなぁ。どうだい先生、家のバカ息子でも婿にもらってくれやしませんか?」
「その息子の稼ぎで先生に来てもらってるアホ親父は何処にいるのかねぇ? 一人前に働けるようになってから言いなよぅっ!」
「興奮し過ぎると治るものも治りませんよ? さぁ宿六さん、採血しますので腕を出して下さい」
「先生ぇ、宿六なんてあんまりでしょうや。いつものように八助って呼んで下せえ」
「なに先生口説いてるんだか……。ほぉらあんた、そんなにピンピンしてるんならちゃぶ台ぐらい出しんさい!」
「病人遣いの荒い嫁もいたもんだぜ。あ~あ、こんなことなら利発な先生の婿にでもなっておくんだった」
「クスクス、お世辞を言ったって何も出ませんよ八助さん? 仕事上血と代金は頂きますけどね?」
その代金の中に私の給金は含まれていない。助手が一人増えたからって料金を高くすればいいってものでもない。特に商売というものはそういうものだ。
と言ってもさすがに原価タダでも万能薬がボランティアになるわけもなく、晩飯を報酬として弁当箱に詰め込んで、仲の良い妖怪を少数家に呼んで宴会をする時の素晴らしい肴にしてる。冗談みたいに上品な味付けや盛り付けが地底にしてみればミスマッチだからこそ貴重で、地底にいる妖怪達には頗る評判が良かった。
今回の報酬も晩飯だ。
今日のおかずはなんだろうか?
「そういうツレねぇ態度もグッとクるねえ!」
「力まないで下さいね? 針が抜けませんから」
「おっといけね」
「……はい、お疲れ様でした。この布で傷口を覆って軽く押さえておいて下さいね」
「ほいほいっと」
バチン!
「ぬへあぁっ!? おっおまっ! キズ、き、キぃずたたた叩くんじゃねえよ!! イタタタタタ」
「フン! このヘタレ! 浮気者!」
「痴話喧嘩は私の見てないところでやって下さいね?」
「こんなの痴話喧嘩じゃあないですよぅ。このドヘタレがぜんっっぶ悪いんですから!」
「へぇへ、悪うござんしたね。ど~せ病弱ドヘタレ亭主ですようだ!」
ああ面白い面白い。
今晩妖怪の酒宴の肴にされるとは露知らず、頑固夫婦はお客の目の前で痴話喧嘩を続けてる。
――とりあえず胃の方は除去完了。
まだ完全に癒着する前だったから比較的楽だった。転移元の肝臓は進行を止めただけで、日を改めて除いてく必要がある。今日一息にやってしまうと人体への負担が大きくなって逆に危険だ。永琳さんの試薬も前回と違う結果を叩き出してることだろう。
「あら! すごいですねぇ。前回の診察から進行していないどころか快方に向かってますよ。これならまた様子見で済みそうですよ」
「いやあ、何か今日先生が来てからすっげぇ調子が良いんでさぁ! これも毎日先生を拝み倒してる成果ってヤツですかねぇ!」
「へぇぇ~、こりゃあ魂消た。前回は『腹切り』がどうとか大騒ぎだったのに……。これはもう先生のおかげですよぅ! ほんっとうにありがとう御座います!」
「いえいえ、私は特に何もしていませんよ。八助さんの身体が思った以上に強かったということですよ」
「へっへっへ、どうだい? 何処の誰がドヘタレだって?」
「ドヘタレじゃなけりゃあ間抜けだよぅ」
「まだ言うか!?」
「……ふう。お勢さん、お茶ご馳走様でした」
「お粗末様でした。お茶ぐらいならいつでもご用意しますんで、用事がなくても来て下さいな」
「ありがとう御座います。でも、夫婦の痴話喧嘩を聞きに来れる程暇になるかは分かりませんので、期待はしないで下さいね?」
「それは安心して下せえ。毎日喧嘩してますんで」
「アホなことお言いでないよ! あっ、先生本当にありがとう御座いますぅ。これ、お納め下さいな」
さあって、終わった終わった。
今日はここが終われば回診はなく、後は戻ってすれ違いに永遠亭に来てるかもしれない患者を診るだけだ。
上半身を起こして深編み笠を被り直す。どうやらこれには私の姿を曖昧にさせる何かが掛かってるようで、屋根の上で寝転んでる野侍を、往来を歩いてる人間は認識し難いらしい。無用な混乱も避けられて良い。
「はい、確かに。……まだ完治したわけではないので十分気を付けて下さいね? 一週間後ぐらいにまた参ります。回復しているからってはしゃぎ回らないで下さいよ?」
「分かってますって。まあそれでも歩くぐらいは許してもらえませんかねぇ。身体が鈍ってちゃあすぐに働けねぇんで」
「寧ろ寝たきりになってもらっては困ります」
「大丈夫ですよぅ。怠けてたら尻に火ぃ点けてでも運動させますんで」
「ひでぇこと言いやがるぜ」
「程々にしてあげて下さいね。それではお身体に気を付けて」
「ありがとうごぜぇます。道中お気を付けて」
「お忙しいでしょうけど、たまには仕事忘れて羽ぇ伸ばして下さいな」
一礼した永琳さんは人里の出口に向かって歩き出した。
私はというと、その背中を追って屋根から屋根へ音もなく飛び移ってく。動かなければ人間には何も見えないが、動いてるとおぼろげながら人間の眼にも映ってしまう。外見上幽霊みたいに見えるらしいけど、昼間から幽霊が人里に浮いてたところで、ここ幻想郷ではありふれてるのか驚いたりする奴はまずいない。
小さな村だったからすぐに二人とも森の中。昼間とはいえ森は妖怪のテリトリーだ。迂闊に人間は自分より高い木々の間を歩かない。
人目がなくなったのを見計らって枝を蹴り、永琳さんのすぐ後ろに着地して共に帰路を踏み締めてく。
「ご苦労様。結構危ない患者だったんだけど、これなら手術や抗癌剤の投与をしなくても済みそうよ。本当にありがとう」
「お疲れ様。〝薬〟にお礼を言うお医者さんも珍しいねぇ。良いって良いって。私ゃ〝薬〟として当然のことをしたまでよ」
「悪いわね。……八助さん、実際に見てどうだった?」
「ああ、さっきの人間かい? 確かに結構ヤバかったねぇ。肝臓に在ったものが胃の方に転移しかかってたよ。まあそっちは全部除いて、肝臓は転移を禁止しておいた。飽くまで転移を止めただけだから肝臓自体の悪化は避けられないけど、全部禁止してその場で暴れられても困るからさぁ。一週間後はちょっとした大捕り物になるから、さすがにあの距離から取り除くのは難しいって思ってる」
「ということは、あなたが彼に接触できる機会を整えないといけないわけね?」
深編み笠を脱いで両手で抱え持つ。
「それは頭の良い永琳さんに考えてもらうとするわ。さすがに私だけで考えると半ば襲う形になっちゃうし」
「了解。それぐらいお安い御用よ」
回診の手伝いを始めてまだ数回だけど、私がいるだけで大抵の病気は凶暴な妖怪に行き会った人間みたいにすたこら逃げてく。というか私が追い出してる。そのおかげでもう朝から夕暮れまで回診に掛かりっきりということはなく、今日なぞ昼前に全て終えてしまってた。
永遠亭が置き薬の形態を採ってるからといって、それで人間の病気を悉く駆逐できるわけがない。今は永琳さんの直接的な診察を必要としてる者の内、そういった置き薬だけで対処し辛く、その上無闇に永遠亭まで搬送するにはリスクが大き過ぎる患者に限ってるけど、その点を考えると私がいたところで今後も回診は必要なのだ。だが早さは前に言った通り段違いで、持ち歩く薬の量も結構減った。
また、私にゃ思いもよらなかったことが起きてる。
噂だ。
曰く、『竹林の先生に診察された者は独りでに病が治っていく』
受診する人間が増えたのも頷ける。私が原因なんだから頷くのも変な話だけど。
でも巷では永琳さんが持ってる神憑った能力とか奇跡の御業とかに格上げされ、大袈裟に口で伝えられ、耳に響き、脳を揺さ振り洗脳する。
噂って奴は社会に蔓延る伝染病の類かもしれない。多分空気感染。
――まあ何というか……
診るだけで滅多な事では病人を治療しない医者兼薬師って、世間一般からするとどうなんだろうねぇ。一般の医者なんて会ったことないけど……
ぼんやり考え事をしながら永遠亭までの道程を歩いてると、前方から人間の気配がした。
反射的に木の上に退避しそうになったが、永琳さんに手で制されて立ち止まるだけにしておいた。
どうやら気配はこっちに真っ直ぐ向かって来てる。近付いてくるにつれて妖怪の匂いが濃くなってく。妖怪に一過性で襲われた程度でこの濃さはあり得ない。つまり妖怪と日常的に関わりを持ってる人間ということになる。それなら身を隠す必要もないだろう。
すぐに容姿全体が見えてきた。
「ああよかった。すれ違いになりそうで心配だったけど、見つけられて良かったわ。……まあ強いて探さなくても良かったのだけれど」
面倒臭さを隠して無表情を装ってるが、無意識に失敗してるのかほんの少し仏頂面になってるという奇妙な表情で話しかけてきたその少女は、永琳さんより少し濃い色の銀髪で、……何て言ったかなぁ……、ああ確か給仕服って言うんだったような、そんなのを着込んだ永琳さんとは違った形で目立つ人間だった。
難しい顔をしてるにも関わらず眼光鋭く、洗練された身体付きをしてる。
第一印象は、満月を見上げて咆える銀狼といったところか。
月光に吸い寄せられたってところかな?
私ゃ初対面だが永琳さんはよく知ってるらしく、
「悪魔のメイドに呼び止められるなんて珍しい日もあるものね。何か御用?」
親しげなのか投げ遣りなのか分からない笑顔で返した。
「ええ。あなたの家に仕事を置いてきたから一応伝えておこうと思ってね」
「急患ってことね? まさか紅魔館の妖怪が患者ってことはないだろうから、関係のある誰か――まあ予想はもう付いてるけど……。図書館の主じゃないことは確かね」
私も大体見当が付いた。
このメイドさんは妖怪館の住民で、他の住民が患者ではないと言ってる。だとしたら妖怪相手に成り行きで深く関わってそうな奴が患者で、そいつ等は九割九分九厘……
「紅白か黒白が患者ってことかい?」
メイドさんに向かって確認をしてみたが、代わりに答えてくれたのは永琳さんだった。
「おそらく両方ね。症状は結構進んでると見えるわ」
どうもメイドさんは私のことを警戒してるようだ。初対面だから仕方ないにしても、仏頂面を少し険しくして無視するっていうのはどっかの人間二人の反応とよく似てる。
だったら私もメイドさんが〝何者であるか〟は無視しよう。
「ああやっぱり。そんなことだろうと思ったよぅ」
永琳さんはメイドさんの態度で察したようだが、私は似てるようで少し違う。
私が永琳さんのほうに顔を向けると、永琳さんもこっちに顔を向けて片目を瞬かせた。
意思疎通がそれで済むぐらいには互いにまあまあ歩み寄ったと思う。
「何示し合わせてるのか知らないけど、私はもう戻るから」
「確保~ッ♪」
「それじゃ――ッ!!?」
永琳さんの掛け声と共に、立ち去るからと警戒を緩めて後ろを向いたメイドさん目掛けて待ってましたとばかりに抱えてた深編み笠を放り捨て、突撃して抱き付いた。ものすごい既視感あるなぁ。
「ちょっと放しなさい! 何なのよいったいっ!」
悪魔とか呼ばれてる妖怪とつるんでるぐらいだから相当強いんだろうけど、腕を塞いでしまえばこっちのもんだ。捕食されると勘違いしてジタバタもがいたところで私が放すわけがない。
「何って……、あんたがこれから何するのか知ったことじゃないけどねぇ。私ゃ増えた仕事をほったらかしにする程頭良くないんだよぅ♪」
「無事に捕まえたし、帰りましょうか」
永琳さんはメイドさんに諦めろという意味の笑顔を向けながら、私に帰宅を促してきた。
メイドさんは素直に諦めて大人しくなる。プライド高そうだから自分で歩くかと思ったがそんなことはなかった。まあ歩く気力もないだろうけどさ。そんな人間を小脇に抱え直して、ちょいとばかり家路を急いだ。
……
とてつもなく古い家の様式をしてるはずなのに、一回門を潜ればその異様さには気付くだろう。そして二回三回と訪れることで、そこがどんな異様さに包まれてるのかわかる。
古の建築を古の建材で古の技法によって大昔に建てられたことが明白なのに、どうしようもなく一、二年前にでも建てられたかのような新しさが存在するのだ。
まあ不老不死が住んでる程だから彼女等の家に時が殆ど感じられないとしても不思議はないのかもしれない。改めて無駄なことを考えられるくらいには軽症だ。
削り立ての木の匂い香る年季の入った新しい戸を開ける。永遠亭本亭に入る戸ではなく、離れに別途設えられた戸で、そこにはもう一つ受診者用の戸もある。
こここそが不死身の医者の城であり本拠地であり要塞であり工房であり研究所でもある仕事場――新進気鋭の古株にして難攻不落の八意診療所だ。
これだけ装飾しておけばもう説明する必要はないだろう。
面倒臭いんで従業員用の入り口から直接メイドさんを搬入した。
靴を脱いで最初の襖を開けると更衣室があり、永琳さんは手早く室内用の白衣を身に纏う。
私の服もこの部屋にあるのだが、人間一人抱えて着替えるのは気が滅入るのでそのままお邪魔することにした。
診療所のくせに衛生面が成ってないと突っ込むのもいるかもしれないけど、永琳さんはそもそも細菌やウィルスの付くような身体でもないし服装もしてない。そういう風にできてる。私ゃあ私で殺菌抗菌は得意じゃないができないわけではなく、除菌は大の得意だ。故に元から害を与えるようなものの付着を許してない。医者の手伝いをする以上、最低限度の嗜みとして気を付けてる。例外もあるけど。
どれだけ待っても抵抗のての字も見せてくれないメイドさんを寝台のある部屋まで直行して仰向けに置いた。もちろん丁寧に。
しかしまあ自分の家に帰ることを優先するあまり、病気に罹ってるくせして根性で平静のふりを装って帰りついでに私等に会いに来るとは、何と馬鹿なことだろうか。帰宅時間は大幅延長だ。
他の二人も寝台に寝かされてるが、どうも思ってた以上に大人しい。
「ああ戻りましたか。とりあえずそちらのお二人は薬で大人しくしてもらってます。御師匠様は?」
草臥れた兎耳をよれよれ揺らしながら、薬師見習い兼看護婦の鈴仙ちゃんがスタスタ歩いてきた。キレのある歩みは耳のだらしなさとは正反対だ。
もう何度か会ってるおかげか、今では極普通にお付き合いしてる。
「もうすぐ来るよ。しっかし何でこんなことになってるのかねぇ? このメイドさん見たときちょいと驚いたよぅ。私ゃ見たことないよ、この病気」
生まれてこの方見たことがなかった。
頭の中で似たような病気は幾つか見つけたが、所詮似てるだけだ。進化か何かか?
鈴仙ちゃんも永琳さんが戻るまでに採血やら何やらを済ませて分析の途中だったようだ。
流石は助手だ。やるべきことはやってる。
「私もですよ。外から流れてきたものではないかと思っていますが、どこから来たかは何とも……。それにしてもどうして咲夜さんの方を治さなかったんです? あなたなら簡単でしょうに」
外の世界から人間が迷い来たり、物が落ち着いたりしてる幻想郷。
当然人や物に限ったことではなく、例えば――
外の病気だって迷い来る。
今目の前で寝てる三人が良い例だ。
外にあったのか新種かはわからないけど、私が地底に篭った後に出てきた病気なんて私が知るわけがない。故にこのままでは扱えない。扱えるようになるためには当たり前のように一手間掛けなければならない。
「あれぇ、言ってなかったかねぇ? 知らない病気扱えるようにするにゃまず〝保菌〟しなきゃいけないんだよ、私の中にね。活きのいいやつが要るから病人の血を直接吸うのが手っ取り早いんだよねぇ」
結構険しい表情で寝込んでる三人を尻目に危機感の欠片もなく笑いながら、自身の能力の使用条件を語る。
「初耳ですよ。それならその場でメイドの血でも吸っちゃえば良かったじゃないですか?」
「医者の手伝いしてるのに患者殺しちゃまずいでしょ」
「ああ……」
そりゃあ妖怪ですもの。
人間一口でも口にすれば下手すると骨も残らない。抑えが利くとは思えない。私の膂力は鬼並だから、永琳さんだけでは患者から素早く私を引き剥がせるとはとても思えなかったのだ。
「猫の手ならぬ兎の手をご所望と……、そういうことですか」
「いやあぁ、お恥ずかしながら」
「ああでも、別に御師匠様一人でも止められると思いますけど? 薬一発で」
「多分薬が回る前に人間が三途の川渡り切るねぇ。自信はないけど私が保証する。それに注射なんてやられた日にゃあ私が先端恐怖症になるよぅ。これには絶対の自信があるねぇ」
「それには同感しますよ。微笑みながらノーモーションで静脈狙われたことなんて千や二千程度じゃありませんからね」
「……私ゃあんたみたいにモルモットにはなりたかないよ」
二人して平和な世間話をしてると鈴仙ちゃんの御師匠様が入ってきた。顔は世界の滅亡を企む得体の知れない悪魔のような笑みを浮かべ、その手の指の間には器用に二本ずつ虹のように色鮮やかで冷や汗を出さずにはいられない液体が詰まった注射器をこれ見よがしに誇示してる。
鴉捕まえた時より鳥肌が立ってるよ。
「ええっと……、分かってはいるんだけど、何するつもり?」
二人して呆れて半笑いしながら訊ねた。
「何って、ちょうど臨床実験がまだの薬があるから、この際全部試そうと思って」
永琳さんは早く患者の皮膚やら筋肉やら血管なんかに針をメリ込ませたくてウズウズしてる。
いやまあ、冗談だって分かってるけどさ。
ここは止めとくべきだよね?
「まず病気が全治してからにして下さい、御師匠様。下手すると死にますんで」
「そうだよう。症状に関係ない薬は治ってから試せばいいよ」
「……あのさぁ……、実験動物にすること前提で話進めないでくれる?」
二人してツッコミを入れたら、それをさらに患者にツッコまれた。
機嫌の悪さと気分の悪さを滲ませた顔でこっちを見てるのはさっきまで大人しかった紅白の巫女だ。薬で眠ってるのかと思ったら起きてたみたい。
「ああ、起きていたんですか? 安静にしてないと身体に障りますよ?」
鈴仙ちゃんが尤もな事を言ったけど、紅白は返事もせずにこちらを見回して、
唐突に私に熱っぽい視線を向けてきた。悩ましく眉根を寄せてる。
不機嫌な目なんだろうけど、頬が紅潮している上に上目伝いで、おまけに一般的に不機嫌らしい表情が病気のせいか不完全。
何か箱の中で自分を飼ってくれそうなご主人を寒さに震えながら待ってる小動物みたい。
おおう、ヤバイよぉ。
ちょ~っと食べたくなってきたよぉ。
これで口元を掛け布団で隠してくれたら我慢できないくらい完璧だ。
「……どうしてあなたがいるのよ?」
「そこまでいったらもう一押し欲しかったなぁ」
「「「?」」」
〝やさしくして?〟って言ってくれたら喜んで頭から齧り付いてたものを、そう言いそうな表情の第一声がそれだと萎えちゃうよぅ。
勝手な妄想と現実との差異に悔しそうな顔をした私を見て、起きてない二人と私を除いた三人が首を傾げた。一瞬後には悟った永琳さんが笑顔で握手を求めてきたから意気揚々と握り返したけど。
「「??」」
鈴仙ちゃんと巫女を未だに分かりかねるといった表情をしてたけど、そのうち素の(病人)顔に戻った巫女が、
「……どうでもいいけど、さっさと治しなさいよ」
と以前に会ったときとは似ても似つかぬキレの無さで急かされた。
急かされた……ようには聞こえなかったけどさ。
どうやら最初の質問は無視してもいいようだし、わざわざ言うのも面倒だから早速本題にでも入ろうか。
「薬はすぐ作れそうかい?」
血液から分かったことを書き連ねた調査書を見ていた永琳さんに尋ねてみると、師弟共々少し難しい顔をした。
「私の記憶にもないわね。突然変異なのか外から来たのか分からないけど、ウィルス性の熱病であることは分かるわ。でも今すぐ薬を作るにはもう少し調べてみないことには……」
「そうですね」
「じゃあ私に任せてみてよ。こう見えても伝染する熱病は得意分野だからね」
私の弾幕には『原因不明の熱病』というのがあるぐらいだから、最も扱いやすい部類だ。だからって知らない病気が扱えるわけじゃあないけど、少なくとも理解はしやすいはず。そうやって一度理解してしまえば、次に同じ病気が起きたとしても簡単に対処できる。
師弟は何も言わないからおそらく黙認。
つまり、やって良し。
「それじゃあ援護よろしく!」
私を患者から引っぺがす役目を押し付けて半歩前へ出る。
標的には一番近いってことで巫女を採用。
ああそうそう、お初にお目にかかった直後に無視されて撃ち落されたときの仕返しも多分に絡んでるよ。
新品の状態で時が止まってしまったかのようなシミも汚れも埃もほつれもない高級絹織物に包まれた、患者を寝させることが罰当たりにしかなり得ない真っ白過ぎる診察台。巫女が絶賛闘病中のその上へ、正に当にツチグモの如き俊敏さと獰猛さでもって飛び掛った。
正直飛び掛ってばかりいるよなぁここ最近。
風邪程度の病気じゃないから飛び掛られたほうは当然抵抗なんてできるはずなく、素直に馬乗りされるよりない。
男装してるだけだけど、お侍さんが情欲に駆られて巫女を襲う構図はこうして完成した。
巫女は極限に警戒してるはずなんだろうけど、やっぱり悩ましい顔にしかなりゃしない。私ゃまあ、これからちょいとしたお食事に舌なめずりして興奮気味。
「ホントに喰いかねない勢いですね!?」
鈴仙ちゃんは少し青ざめ気味の困り顔だ。同じ兎相手にも〝喰われる〟側によく回るって聞いてるし、結構他人事じゃあないと思ってるのかも。
「これは……。浮世絵師って里にいたかしら?」
「え……」
永琳さんは下唇の下辺りに人差し指を当ててちょこっとにやけ顔……のはず。視界にゃ入ってないから想像するよりないけど、大方そんな仕草をしてるに違いない。
巫女の弱みでも作ろうとしてるんだろうか? それともただの趣味か?
どっちにしろ質が良い、筋が良い。
何となく気が合うなぁ。
せいぜい絵になるように最低限演出しようか。
ていうか『ウキヨエシ』って何さ?
よく訳の分かんないことを地上の連中は話してるから、今度意味を訊いてみよう。
脱線脱線。
それじゃあ待たせるのもなんだし早速獣のように四つん這いになって嬉々とした表情を湛えながら、そのまんま影から忍び寄る妖怪っぽくゆっくり巫女の顔へ近づく。目標は首筋だけど。
「……う……、……ひっ……!!?」
病気のせいか這い寄る私のせいか、布団から覗く巫女の顔は鳥肌が立ってる。
掛け布団の上から覆い被さってるんだけど、巫女はさっきまで寝込んでたとは思えないほど力を振り絞って私から遠ざかるように布団から抜け出し、上体を起こすも後ろの正面が壁だったことに気付いて小さく舌打ちした。
体重をあまり掛けないように軽くしなだれかかって巫女の顎に左手の指を絡める。
これから甘い甘~いキスの一つでもしそうな体勢で右手は乱暴に肩を肌蹴させた。
「うふふふっ、私にいいように扱われる気分はどう?」
初めから火照ってる顔はさらに赤みを差して、
「……治ったらぶっ飛ばす」
虚勢がかった本気を口にした。
先代譲りの気性なんだかどうだかは知らないけど、まあ似たり寄ったりというべきか?
いや、私が知ってる先代って何世代前だっけ?
いやいやそうじゃなくって、これは巫女とちゃんと遊ぶチャンスだよなぁ。
「いいよいいよぉ♪ 受けて立つよぉ♪」
耳元で囁きかけて、下準備のため首筋に口を近づけた。
あっ、違った。
舌準備。
今から牙を刺すあたりに、……ゆっくり……ゆっくり……舌を這わせてく。
痛まないようにというよりはこれも演出の一環だ。
「はぅ……んっ……ゃ……」
そのリズムに合わせてビクビク震える巫女の身体。
多量に出た汗が舌にべっとりと味を残す。
初めて会った時からかなり無愛想だなぁと思い、実際にそうだったんだけど、何か歯ぁ食い縛っちゃったりして我慢してる姿は年端も行かぬ年相応の少女のものだ。
汗の味も相俟って相乗効果で食欲倍増。
食べちゃ駄目なのが惜しまれる。
でも一応敬意は表するよ?
「それじゃあ、いただきまぁす」
「ふ……んっ……!?」
あんまり痛まないように素早く、伸ばした犬歯を肩口へ刺し入れた。
何の抵抗もなく入る牙が巫女の筋肉のしなやかさと柔らかさを伝える。
ああ、食べたい。
このまま肩口から抉って食べてやりたいよ。
そんなことしたら殺される勢いで殺されるんで必死で堪えて牙を抜き(あれ? 引っぺがされなくてもちゃんと自分で自制できたようだねぇ。すごいぞ私!)、滴り落ちてきた血をす……
……ん……んん? ……んんんんんんんんんんんん!? あれ……?
「みぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!?」
「「!!?」」
何何何何何何何何何何何何これっ!?
「まっっっっっっず~~~~~~ぃっ!!」
いくら何でも酷過ぎる!
繁殖しまくったカビの異臭がこびりついた溶解液を高級な酒と騙されて飲んでしまったような下劣さがまだ妖精並にマシとさえ思える程の超劇物!
耐えられず巫女より先に私が布団から転げ落ちた。
こんなの人間の血なんかじゃないよう!
妖怪以上に化け物っぽい何かよく分からない者の液体っぽい何かだ!
起きてる全員が呆気に取られてるであろうことを尻目に見ることもできず、ただただ寝台の脚にぶつかりながら一頻り転げ回った。
「ヒィーッ、ヒィ~! ミズ……みず~~~!」
しばらく暴れた後何とか落ち着いて水を求めた。
「大丈夫っ!?」
……何でだろう?
何か気持ち悪い。
水に何かが混じってたわけじゃあない。水は水だ、……と信じたい。
じゃあ何だろう。
清い身体のはずの巫女の血が予想以上のというか、時空を軽く超越した不味さだったからか?
それとも、予め用意されていたかのように素早く水が出てきたからか?
何かもう舌が麻痺して浮かんだ疑問もその答えもどうでもよくなった。
「うぇぇぇ~~~~~~……」
粗相をしそうな苦々しさで一息吐くと、もう一杯もらった水を飲み干す。
「ええっと……、何がどうなってるんです? 血が、不味い?」
鈴仙ちゃんが私程じゃあないけど困惑してる。
そりゃあ妖怪は人間を喰らうのが殆どで、私ゃその例に漏れない類だから、人間の血肉は好物なんだけどさ……
「私も、わかんないよぅ……。巫女の血って、妖怪には、毒物なのかなぁ……?」
「そんなことはないと思うけど……」
永琳さんは不思議そうに小首を傾げていたのをすぐ腕組みに戻して、
「それも調べてみる必要がありそうだけど、まずは仕事の方を優先して。操れそう?」
地平線の如き冷静さで私に仕事の続行を促した。
薄情? 仕事熱心? 無関心? それともプロ意識?
……もう、どうでもいいや。
「うぅぅ、うん……。もう、終わった、よ……」
床にへたり込んでる私からでは直接患者の顔を窺い視ることはできやしないけど、鈴仙ちゃんの表情を見る限りではどうやら症状は落ち着いたようだ。
「本当にすごいわね。理解してから操れるようになるまでもう少し時間が掛かると思っていたけど……、ほとんど一瞬で終わってしまうのねぇ」
「いやいや御師匠様、観察してる暇あったらヤマメさん寝かせるの手伝ってくれませんか!?」
んっ? 鈴仙ちゃん何言ってんだろ? 私ゃこの通り元……
おっかしいなぁ~。
ほっぺたに冷たくて硬い……もん、が……
――少女?気絶中――
「……御師匠様……」
二人がかりでヤマメさんを空いている寝台に寝転がして、うんざりというか諦めというか、いろいろ綯い交ぜにした渋面を御師匠様に向ける。
「なぁに、ウドンゲ?」
御師匠様は昏倒したヤマメさんの首筋に指を当てて脈を測っている。
医者としては至極当然な行動のように思うけど、生憎と御師匠様は只の医者――あいや薬師ではない。
「トボけついでに採血する前に確認させて下さい」
カラの注射器を取り出して念入りに空気を抜いている手を一旦止める御師匠様。
「せっかちねぇ。なぁに?」
いつの間にやったんだか……
「ヤマメさんに薬打ちましたね。彼女が絶叫する前に薄々確信してましたけど……」
……
「すごいじゃない。よく気付いたわねぇ」
手際良く腕に注射器を刺したまま手を離して、笑顔で軽く拍手をされた。
されても困るんだけど。
「褒められる筋合いはありませんよ。分かったのは御師匠様の仕業ってことだけで、どんな薬をいつ打ったのかは分かりませんでしたから」
「残念。それじゃあせいぜい弐〇点ってところね」
「満点は幾つですか?」
「ん~、壱〇〇〇点満点?」
「暴君級の配点ですね……」
すでに採血を済ませて注射器を抜き、三つの小瓶に血を振り分けて注射器を屑かごに放り込み終わっていた(各小瓶にラベルを貼ることもとっくに終えている)驚異の御師匠様は、近くにあった椅子に腰掛けてそれだけを観に患者に〝なって〟来る人がいるほどの華麗な足組みを魅せた。
「薬については企業機密だけど、この部屋に入ってヤマメちゃんに近付いた時点で針は肌に刺さっていたわよ?」
サーっと、全身の血が静かの海に音が生まれたが如き異常な速度で引いていくのを感じた。
妖怪に気付かれるより速く一連の注射行為を終えてしまうとか……
無駄過ぎる神速の医療行為だ。
「ええっと、あのう、御師匠?」
「なぁに?」
「今すぐ! 少々! 御暇を頂いてもよろしいでしょうか?」
「だぁめっ♪」
がっちり肩を捕まれた私の背を、
摂氏マイナス二七三度が涼しく感じるほどの寒気が走って澱み、
振り返った私の眼は、
依姫様のとある笑顔を遥かに凌ぐ不気味さを駄々漏れさせた微笑みを捉える。
――引き攣った笑顔さえ返すことができなかった。
――少女?回復後 三時間後――
ここまでで、酷い目に遭ったと、誰だって思うだろ?
でも、煉獄の番人でさえ全裸になって許しを請う状況ってヤツが今まさに目の前にいる。
神並の回復力でいつも以上に全盛絶頂な巫女の
約束通りの『全快御礼お礼参り』
大黒様さえ睨んだだけでブチ殺せそうな双眸に、
私は白目を向いた。
その後のことは、〝また別の話〟ってことにしといてくれないかい?
正直……、語りたくない……
あと小説の執筆手順ですが、結構ユニークな手法で書いておられるのですね!
私は海外ドラマとかそんな辺りのコンテを用いて作成しています。
とまぁ、そんなことはさておいて内容の感想を…
正直、面白くて上にも書いたとおり、スラスラ読めました。