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孤独の妖怪と孤高の人間
台風がもたらしたもの
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新築祝いに買った酒を手土産に里を抜けて、竹林の入口近くにある妹紅の家にやって来た。家にお邪魔する前に立ち止り外観を眺めると、積雪を被るかやぶき屋根の白と木柱の漆黒が目に飛び込んでくる。何の変哲もない家であるが、感慨深い想いを感じていた。
世渡り下手で誰にも頼らない妹紅の生き方は、傍から見ると人を遠ざけているように見え里の人々は妹紅との付き合いに悩んでいた。妹紅が始めた永遠亭に案内する奉仕活動に対して人々がお礼をしたいと嘆願しても、「人の役に立てばそれで十分」と言い妹紅はお礼を受け取ろうとはしなかった。欲の無い奴だなと感心しながらも、交流のきっかけを潰し勿体ないと歯痒い思いで私は妹紅を見ていた。
しかし奉仕活動で知り合ったご老人や無邪気な子供達と接していくうちに、妹紅は皆の好意を迎い入れるようになり多くの人と親交が生まれた。この家は里の人々と妹紅が協力して建てた物で、私の親友が里の一員として受け入れられた証なのである。
私は戸を軽く叩き家主に呼び掛けた。
「妹紅。新築祝いを持ってきたぞ」
「空いてるから入ってくれ」
返事を聞いてから戸を開けて中に入った。広い土間の端に二基のかまどと食器棚が設置され、居間の中央に完備されている囲炉裏で妹紅が料理をしていた。私は靴を脱いで居間に上がり妹紅の側に腰を下ろした。
「新築祝いの酒だ。酒屋で一番高い物を選んできた」
「さっそく一杯やろうじゃないか」
妹紅は嬉しそうに立ち上がり土間に下りて食器棚からお椀を二つ持って元の位置は戻った。私は酒瓶を開けてお椀に酒を並々と注ぎ二人で乾杯をした。まろやかな味で癖が無く体に染み込むように喉を通り抜けた。これは体が許す限り何杯でもいけそうだ。
「くうぅ!! うまいっ!」
妹紅は一気に飲み干し屈託の無い笑顔で声をあげた。こんな風に笑えるのかと驚いたがこの調子で飲み過ぎては体に良くない。
「あまり飲み過ぎるなよ」
「うまいっ!!」
妹紅は膝を叩いて叫んだ。喜んでいる様子を見ていると注意するのは少々気が引ける。今夜は祝いの席だ。口酸っぱく注意せず大いに楽しもうではないか。
「ところで何を作っているんだ?」
「すき焼きだ」
妹紅が鍋の蓋を開けると美味しい香りの湯気が鼻をかすめ、色鮮やかな食材が鍋の中で踊っていた。今までご馳走してくれた妹紅の手料理の中では最も豪華な料理である。
「永遠亭に案内するとみんなが食材をくれるんだ。お蔭で食い物にはしばらく困らないだろうし、慧音が来るから奮発したよ」
妹紅は鍋の蓋を脇に置いて立ち上がり土間に下りるとかまどを抱えて定位置に戻った。かまどを開けると炊き立てのご飯が眩しく輝いている。妹紅はご飯をよそい私に差し出した。
「みけ!! ごはんだぞ!!」
妹紅は隣の部屋に向かって怒鳴った。みけとは妹紅が飼っているメスの三毛猫で不器用な妹紅が育てたとは思えないほど、人懐っこく甘え上手な賢い猫である。
しばらくするとわずかに開いた襖からみけが入って来た。妹紅は用意しておいた餌をみけの前に差し出すと、「にゃー」と行儀よく挨拶をして餌を食べ始めた。それから私達も少し遅めの晩酌を始める。いつもなら私が話し役で妹紅が聞き役に回るが、今晩は珍しく妹紅が良く喋った。お酒で気を良くしたのだろう。話題は妹紅と仲の良いご老人や子供達のちょっとした愚痴であったが、内容と反してとても楽しそうな表情をしていた。その表情を見て妹紅は里に馴染んだと確信すると目もとが熱くなる。しかし気付かれると恥ずかしいので、目にゴミが入ったと言って誤魔化した。
妹紅が気を悪くしない様に適度に相槌を返す。そして日付が変わる頃に彼女は喋り疲れ私は好機到来と配役の強制交代を企てる。今度は私の愚痴を大いに聞いてもらう番だ。覚悟はいいな、妹紅。と腕まくりをする前に妹紅に話があったのを思い出した。
「ところで妹紅。今度永遠亭の方々を招待して親睦会を開こうと思っている。もちろん妹紅も来るだろ?」
「私はいかない」
永遠亭の言葉に反応して途端に顔を曇らせた。妹紅は永遠亭の人達と腐れ縁だと言っていたのを思い出した。その表情は何を意味しているのだろうか?
「なぜだ?」
「きっと輝夜も来るだろう。私はあいつが大嫌いだ!」
妹紅の反応をみると冗談ではなさそうである。輝夜さんとは何度かお会いしたが月の姫らしく高貴な気品に満ち溢れており、一見近寄りがたい雰囲気を持つが話してみると愛嬌があり親しみやすく、話し上手で和やかな方である。里の評判も上々で清楚な美貌で殿方の人気が高い。妹紅が嫌う理由が思い浮かばない。
「どうしてだ? 輝夜さんは…」
「あいつの話はやめろ!!」
妹紅は眉間にしわを寄せながら強い口調で私の言葉を遮り、腹の底から込み上がる怒りを酒で一気に押し流す。気まずい空気が流れた。私が戸惑っていると妹紅の隣で寝ていたみけが助け船を出してくれた。彼女は妹紅に向かって一鳴きして前足で叩いてなだめると、妹紅はバツが悪そうに「す…すまん……」とみけの頭を撫でた。みけは安心して体を丸くして再び眠り始めた。ひとまず妹紅は落ち着いたようだ。思わず安堵の息を漏らし、みけを見つめながら感謝の念を送った。こんなに激しく怒る妹紅を始めて見た。お酒が入っているせいだと思いたい…。
それにしてもなぜこんなにも激しく怒ったのだろうか? 輝夜さんと過去に何かあったのだろうか? 性格の不一致だけでは無いような気がする。どんなに思い返しても答えらしきものが浮かばない。妹紅の親友と自負しているのに情けない話である。
妹紅の過去は謎に満ちている。妹紅と深い親交にある私でさえ、彼女の過去は知らない。妹紅から過去についての話を持ち出さず、こちらがどんなにしつこく尋ねても「忘れた」と表情を崩さず決まり文句を返しそれ以降口を閉ざすばかり。不老不死の妹紅は生きる辛さを沢山経験し思い出したくない過去もあるだろう。
何があったかは知らないが、これ以上輝夜さんの話題を持ち出すのは避けるべきである。せっかくの祝いの席が台無しになってしまう。
「親睦会について強要はしない。しかし、永遠亭の方々と親密になるのは里の利益につながる。どんなにか細い繋がりでも、繋がりは力になる。それは十分に分かって欲しい」
私は妹紅を見ながら言うと妹紅は睨み返して言った。
「人脈は力か?」
妹紅の目力は私の信念を食い殺すような力を持っていた。まるで蛙を睨む蛇である。だが蛙にも意地があるだろうし、窮鼠猫を噛むと言うことわざもある。私は呑まれない様に負けじと睨み返した。
「そうだ」
私がゆっくりと頷きながら力強く答えると、妹紅は諦めて目を逸らし後ろに倒れ寝ころんだ。
「今日の昼に永遠亭に案内してもらう。いいな、妹紅」
「……」
「返事は!?」
「ああ。分かったよ」
ふて腐れた妹紅は私に背を向けた。こんな状況では愚痴は聞いてもらえないだろう。そう思うと急に酔いが醒めた。
「それじゃあ、今夜はお開きにして私は帰るぞ」
「もう遅いし泊まっていけよ」
妹紅は起き上がって言った。
「しかしだな…」
躊躇するには理由がある。私はかつて妹紅と肉体関係を持っていた時期があった。ひどく弱った私を妹紅は何も聞かず優しく抱いてくれた。しかしその関係が長続きするはずは無く、妹紅から関係を止めたいと言ってきた。妖怪と人間。そして女同士。妹紅は私の関係に大いに悩んだだろう。私の為に無理をさせてしまい申し訳ないと後ろめたさがある。
「予備の布団もあるし問題ないだろ」
「あの事は気にしてないのか…?」
祈るような気持ちで恐る恐る妹紅の表情を伺う。
「あの事…?」
「いや……。その……。あれだ……以前の私達の関係だ……」
「ああ。別に気にしてない。終わった事だしな」
妹紅はあっけらかんとした顔で膝を叩いた。その様子だと本当に気にしてないようである。過ぎ去った出来事を気にしない大らかさは妹紅らしいが、もう少しは気に留めて欲しかったと少しだけ寂しさが募った。
少しだけ…だ。
◆◆◆
翌朝、起きてみけに餌をやり昨晩の片づけを終えて居間で寝ている妹紅を起こした。ひどい寝癖で妹紅の体から酒の臭いがする。
「…頭…痛い…」
「大丈夫か?」
私は土間に下りて食器棚からお椀を取り出し、手押しポンプで水を汲んで妹紅に差し出すと一気に飲み干した。
「今日は止めにするか?」
「いや、案内はする。約束したからな。でももう少しだけ休ませてくれ…」
「分かった。食事を用意するまで休んでおけ」
「すまん。材料は適当に使っていい」
妹紅は頭を押さえながら再び横になった。私は一度自宅に戻りお風呂に入り二日酔いに聞く薬を持って再び妹紅の家を尋ねた。起こさない様に忍び足で家に入り食事を用意する。材料と妹紅の体調を考慮した結果、野菜たっぷりのうどんが最適だと判断した。乾麺を使用したのですぐにうどんが出来上がった。
「食事ができたぞ」
「…すまん」
妹紅は体をゆっくりと起こした。さっきよりは顔色が良いが、声の調子からまだまだ本調子ではなさそうだ。
「調子はどうだ?」
「…さっきよりはいい」
「うどんを食べて薬を飲めば少しは楽になるだろう」
重そうな体に鞭を打ち布団から出て妹紅は囲炉裏の前に座った。私がうどんを差し出しとゆっくりと箸を進めた。
「美味いな」
「ゆっくり落ち着いて食べろよ」
妹紅は無言でうどんをすすり、あっという間に汁まで完食した。それから薬を飲んで仕度をしている間に、私は洗い物を手際よくすませた。
「それじゃあ、行くか」
私の仕度が終える頃には妹紅の体はすっかり軽くなり声にハリが出てきた。やはり八意先生の薬はよく効く。
「ああ。よろしく頼む」
私が土間に下りるとみけが私の足に顔を摺り寄せ甘えてきた。遊んでほしいのだろうか? しゃがみ込んでみけを優しく抱き寄せた。
「すまないが、遊べないよ。大人しくお留守番してくれ」
優しく言うとみけは「にゃー」と返事を返した。みけの頭を撫でて居間に静かに下ろすと、再び土間に下りて私の足に甘えてきた。困ったもんだ。
「こいつも行きたいんだよ。気にしなくていい」
妹紅はそう言って戸を開けて外に出てゆくと、妹紅の言う通りみけは後を追って外に出て行った。一緒に住んでいるだけあってお互いを良く理解している。長く連れ添った老夫婦のようだ。二人の後ろ姿から主従関係を超えた絆が見えた。なんだがそんな気がした。
◆◆◆
天を覆い隠す竹林の中で異彩を放つ一軒の日本家屋が建っている。この屋敷へ迷いなく辿り着けるのは屋敷の住人と妹紅だけであり、皆はこの屋敷を永遠亭と呼んでいる。
「ここで待っている」
永遠亭に着くと妹紅は門に寄り掛かり言った。
「わかった。すぐにすませてくる」
みけと一緒に立派な門をくぐり住人へ呼び掛け、応答が返るまでしばらく待った。待てないみけは私を置いてトコトコと庭へ回っていた。そして鈴仙さんが応対に顔を出し、要件を伝えると客間へ通してくれた。それから「少々お待ちください」と鈴仙さんは頭を下げて客間をあとにした。
手持ち無沙汰で庭に目をやる。こぢんまりとして隅々まで手入れが行き届いている。こんな辺鄙な場所に庭師が訪れるのだろうか? それとも住人の中に庭の手入れができる方がいるのだろうか? 余計な事を考えていると「こんにちは、上白沢さん」と話しかけられた。入って来たのは家主の輝夜さんと抱きかかえられたみけだった。私は立ち上がり「急に押し掛けて申し訳ありません」と頭を下げた。
「構いません。それに固い挨拶を無しに致しましょう」
笑顔で輝夜さんは答え私の向かいに座った。
「八意先生は?」
「申し訳ございません。八意は新薬の開発に勤しんでおり、一度開発を始めると部屋に籠り出てきません。お話しなら私が承ります。それとも八意も同席された方が宜しいですか?」
「いえ、それでしたら構いません」
やはり分からない。妹紅が輝夜さんを嫌う理由が。どこが嫌なのだろうか? 清楚でとても感じの良い女性ではないか。とりあえず胸に秘めた疑問をひとまず置いて本題に入る。
「実はお世話なっている永遠亭の皆さんを招待して、里で親睦会を開きたいと考えております。開催日は一週間後を予定しておりますが、そちらのご都合はいかがでしょうか?」
「まあ、そのような催し物を開いて頂けるのですか? うれしいですわ。私どもは一週間後で問題ありません」
輝夜さんは声を張り上げ笑顔で答えた。それに合わせてみけも一鳴きすると輝夜さんは優しくみけの頭を撫でた。喜んで頂けたようで安心した。そしてお茶を運んできた鈴仙さんにも「鈴仙! 今度私達の為に里で親睦会を開いてくださるそうよ」興奮気味に話した。
「そうですか。それは楽しみですね」
鈴仙さんはそう言いながら私の前にお茶を差し出した。
「ご苦労様。下がっていいわよ」
「はい」
鈴仙さんは頭を下げて退席し、私は冷えた体を温めようとお茶を口に運ぶ。
「ところでその親睦会に妹紅は参加されますか?」
輝夜さんからの質問に思わずむせて咳き込んでしまった。いきなり妹紅の単語が出て動揺してしまった。しかも輝夜さんの口から単刀直入に出るとは思わなかった。
私はハンカチを取り出し口と机を拭きながら考えた。どのように答えるべきか? まさか「輝夜さんが嫌いなので妹紅は欠席します」とは口が裂けても言えない。とりあえずお茶を濁しておこう。
「妹紅はその日に予定があり欠席するそうです」
「それでしたら、妹紅が都合の良い日に開催致しましょう。私も久しぶりに妹紅と酒が飲みたいですから」
これは参った。妹紅の都合は知らないと答えるべきだったかもしれない。どうするべきか? あの様子では妹紅は絶対に参加しないだろう。かといって輝夜さんを抜きにして親睦会を開く事は出来ない。ここは嘘を吐くべきだろうか? 妹紅も参加すると言い、後から急遽参加できないと言うべきだろうか? いや、それでは主役に失礼だ。それでは誰の為の親睦会なのか分からなくなる。
自責の念に駆られ次の一手を模索している私を見て輝夜さんは静かに口を開いた。
「私が出席するから妹紅は嫌がって出ない。そうですね。上白沢さん」
こちらの真意を見透かされて言葉に詰まった。その間は肯定を意味している。
「そうですか…。確かにあのような事がなければ…」
輝夜さんは残念そうに俯いた。
「あの、妹紅と何があったのですか?」
「妹紅からお話を伺いませんでしたか?」
「いいえ。妹紅は忘れたと言って話してくれません…」
「分かりました。お話しする前に条件がございます」
扇子を取り出して口元を隠しながら輝夜さんは声を潜めた。
◆◆◆
「やせ我慢せず部屋に上がったらどうですか?」
鈴仙はおぼんに乗せたままお茶を差し出した。
「輝夜の顔を見るなら、寒さに耐える方がマシだ」
お茶を受け取り白い息を吹きかけてゆっくりと口元へ運ぶ。鈴仙は妹紅の様子を見てため息をついた。
「ところで、今度親睦会を開くそうですね」
「ああ。私は参加しないけどな」
妹紅の態度は吹きつける北風より冷たい。鈴仙は「相変わらずですね」と呟き周りを気にしながら妹紅に近づいて耳元で囁いた。
「あの…。実は姫が最近退屈だと仰っていたので、もしかしたら何かやるかもしれません」
「今度は何をやらかすつもりだ?」
妹紅も鈴仙に合わせて小声で話す。
「ごめんなさい。そこまでは…。もしかしたら親睦会で何かするかもしれません」
「そうか…。わざわざすまんな」
「いいえ。薬売りを手伝ったお礼です」
笑顔で答える鈴仙に妹紅も笑顔で返した。
◆◆◆
遅い…。遅すぎる…。親睦会の説明をするだけなのに、どうしてこんなに遅いのか? 陽は落ちて辺りはすっかり暗くなり寒くなってきた。私は火の玉を出して制御し照明代わりにしながら体を温めた。腹が減ったし、慧音はもう置いて帰ろう。これ以上は待てない。などと考えているとようやく慧音が出てきた。
「すまない。待たせたな」
「遅いぞ。慧音」
文句を言ってやろうと顔を上げると輝夜も一緒に立っていた。輝夜の顔を見てだけでも不愉だが、みけをわが子のように抱いている姿がさらに不愉快にさせる。
「そんなに怒っては駄目よ。妹紅」
「待たされるこっちの身にもなってくれ」
「怒った顔も可愛いわね。妹紅ちゃん」
輝夜の熱視線に身震いがする。これ以上茶化されると不愉快が加速して大爆発を起こし、竹林は未曽有の大火災に見舞われるだろう。そうなる前に退散しよう。腹も減ったし。
「気持ち悪い目で見るな。みけ、帰るぞ」
「にゃー」
みけは輝夜から飛び降りた。
「また来てね。みけ、妹紅ちゃん」
「にゃー」
輝夜は笑顔で手を振りみけも答える。私は怒りを抑えながら無言で背を向けた。それからすぐに怒りを鎮め鈴仙の忠告について考える。輝夜の様子はいつもと変わらないが、油断をしてはいけない。それは表情や仕草からは輝夜の心中は読み取れないからだ。輝夜は人との駆け引きが得意で人心掌握術に長けており、美貌と舌先三寸で多くの人を騙してきた。まさか今回の犠牲者は慧音か?! 心配だ。
「慧音、行くぞ」
「わかった。輝夜さん、長居して申し訳ありませんでした。これで失礼します」
「いいえ。とても楽しい時間でした。またのお越しをお待ちしております」
慧音の一礼に輝夜も一礼で答え永遠亭を後にした。火の玉を追いかけながら真っ暗な竹林を無言のまま進む。空気が少し重い。
「なあ、慧音。随分と時間をくっていたが、あいつと何を話していたんだ?」
「主にご老人達の話だ。輝夜さんは泊まりこみで治療を受ける人とよく話すそうだが、その後の容態や近況について聞かれた。あとは里の様子とかだな」
慧音は少し俯きながら言った。それに心なしか、いつもより声が小さく自信なさげに聞こえた。怪しい…。胸が騒ぐ。
いつもの慧音は話す相手の顔を見て、相手がしっかりと聞き取れるようにはっきりした口調で話す。それは教師の努めとして生徒達の手本とならなければならない。真夏の太陽よりも熱く、以前慧音が語っていた。
だが、今の慧音はいつもの慧音では無い。何かを隠しているのは確かだ。しかしまだまだ確信に至る証拠が無いし、私の早とちりの可能性だってある。ここはひとまず様子を見ておこうとこれ以上は何も聞かなかった。そう考えているうちに我が家に着いた。
「じゃあ、気をつけてな」
「ああ、今日は助かった…」
なぜか慧音がモジモジしているように見えたが気にせず、戸を開けて中に入ろうとすると呼び止められた。
「なあ、妹紅。親睦会の事だが…。もう一度考え直してくれないか?」
やはり親睦会に何かある。疑惑は確信へと変わった。
「わかった。出席するよ」
「そうかっ! そうかっ! すまないな! 無理を言って!」
慧音が急に明るい声で私の肩を叩いた。何かから解放された喜びようだ。全く、慧音は隠し事が下手だな。
◆◆◆
親睦会を四日前に控え、特にやる事が無いので慧音の様子を見に寺子屋へやって来た。今の時間は昼食休憩を取っているはずなので邪魔にはならないだろう。寺子屋に着き庭へ廻ると慧音は生徒達と昼食を取っていた。縁側に腰を掛けて慧音を呼ぶと、慧音は箸を止めて私の元へやって来た。
「ちょうど良かった。今夜にそっちに行こうと思っていた所だ」
慧音の様子はどこかよそよそしく感じられた。やはり輝夜に会ってから慧音の様子がおかしい。まあ、今夜話を聞けばいいか。
「そうか。それならご馳走を用意して待っているよ」
「ああ。頼むよ」
慧音に挨拶をしてその場を立ち去り、材料を調達しようと市場へ足を向けた。さて、献立はどうしようか? 今何が食べたいか? と自分に問いかける。やはり寒いので暖かい物が食べたいと思いながら大根、手羽先、油揚げを見て閃いた。おでんだ。おでんは下ごしらえに準備が掛かるので、今からやれば慧音が来る頃にできるはずだ。特に出汁が染みた大根が食べたい。
そう思うと迷い無く食材を買い揃える。主役の大根はもちろん、手羽先、卵、白滝、こんにゃくとお餅、それからちくわも買っておこう。おっと、油揚げを忘れてはいけない。
たくさんの材料を抱えて意気揚々と家に帰って来た。久しぶりのおでんに気合が入る。普段は手間を惜しんで適当に作り適当な味の料理しか作らない、そんな面倒臭がり屋の私だがおでんは違う。以前世話になった人からおでんの極意を学び、おでんには並々ならぬこだわりと自信がある。私のおでんを食えば、皆そのうまさにひれ伏せてしまうだろう。
慧音の驚く顔を想像しながらおでんダネの下ごしらえを始める。時折、みけが遊んでくれと足に擦り寄り邪魔をするが、軽く蹴っ飛ばし黙々と作業を行う。そしていつしかみけは諦めて居間で昼寝をしていた。
おでんの下ごしらえを終えて囲炉裏鍋で温めていると戸を叩く音が聞こえた。日も暮れているしそろそろ慧音がやってくる時間だ。
「空いてるぞ」
私はおでんの様子を見ながら応え、開いた戸の音に反応して目をやる。
「来ちゃったぁ」
輝夜が笑顔で立っていた。
「はぁ?!!」
何故だ?!! 何故輝夜ここにいる?! 私の身体は現状を把握しようと、全ての行動を止めて頭に全神経を注ぎ込んでいる。まさか、慧音が呼んだのか? しかしそれなら一言あっても良い筈だ。分からない…。
「なかなか綺麗なおうちね。新築かしら? でも、もうちょっと飾り付けした方がいいわね」
輝夜は部屋を見回し品評を始める。
「何? 何作ってるの? ちょうどお腹空いていたの」
家主の許可も取らずに勝手に居間に上がり込み鍋を覗き込む。やりたい放題だ。
「おでん!! 美味しそう!!」
「勝手に上がるな!! 何しに来た?!」
「えっ? 妹紅に逢いにきたのよ。どうして怒るの?」
平然と言ってのける。私達の関係を考えれば『逢いに来た』とは、『殺しに来た』と同義であるが、輝夜の態度は本当に『逢いに来た』だけのようだ。真っすぐな思いに怒りを通り越して呆れてきた。
「いや! とにかく帰れよ!」
「そんな冷たくしないで!」
輝夜は私に抱きつこうと詰め寄り、壁まで追い詰められ逃げ場を失うと勢いよく胸に飛び込んで来た。私が必死に引き離そうとしても輝夜は抵抗して離れず、隣に座るみけに目で助けを求めても飼い主の危機にも動じず優雅に毛づくろいをしている。我、関与せず。女を怒らせると怖いと改めて思った。
私達が騒いでいると「妹紅? どうした?」と慧音の声が聞こえた。マズイ!! この状態で見つかるとあらぬ誤解を招くのは自明の理だ。
「待て!! 慧音!! 今はマズイ!!」
必死で慧音を止めようとしたが、後から思えばそんな事を言われたら誰だって気になり開けるだろう。だが私は心の中で神様に祈った。戸が開かないという奇跡を起こしてくれ!
「何が不味いんだ。入るぞ」
戸が開いて慧音と目が合った。慧音の表情がゆっくりと変化してゆく。それはとても鮮明に映った。
「すっ! すまん!!」
真っ赤な顔で慌てた慧音は戸を閉めて走り去っていった。神様に祈ったのは久しぶりだ。日頃から信仰しないとご利益が無いのは分かっている。十分に分かっているとも…。
「あれ? 今、上白沢さんが来てた?」
「どうするんだよ。誤解を招いた責任を取ってもらうぞ…」
「気にしないで続けましょう」
しょせん他人事だと言う態度に怒りの炎が舞い上がった。炎を鎮めるには輝夜の血を必要とし、平穏な生活には輝夜の死が不可欠だと悟った。
「そうだな…。続きは表でやろうか…」
輝夜を抱きかかえて裸足のまま表に出て輝夜を下ろした。それから体を炎で包み戦闘態勢に移行させる。
「やっぱり、決着を付けないといけないようだな」
「何? 勝ったらおでんをご馳走してくれるの?」
呑気に誤解をしているようだが、もはや訂正する気は無い。とにかく輝夜を殺す。それだけだ。
「探しましたよ。姫」
声が聞こえた後ろを振り返る。そこには永琳、鈴仙、てゐの三人が立っていた。三人は私を無視して輝夜に近寄り永琳は説教を始める。
「無断で外に出られては困ります。姫」
「いいじゃない。それに無断では無いわ。ちゃんとてゐに出かけると言付けしたわ」
「でも場所までは告げなかったでしょう。心配しましたよ」
なんだが力が抜けて体を纏う炎を消した。怒っている私がバカのように思えてくる。小言を終えた永琳は私に近づいてきた。
「ごめんなさいね。姫のお守は大変だったでしょう?」
「ああ、もう一足遅ければ姫を殺害するところだった」
「間に合って良かったわ。それじゃあ帰るわ」
永琳は安堵の息を漏らして私に背を向け輝夜の元へ戻った。
「ところで、夕食の準備は出来ているの? 永琳」
「姫を探していましたから、帰ってから作ります」
「それなら…」
私を見る輝夜の目は物乞いの目だ。
「やらんぞ!! 早く帰れ!!」
力いっぱい叫ぶ。あれは慧音の為に用意したんだ。死んでも輝夜に食べさせない。私の反応を見て輝夜は永琳となにやら相談し、永琳が再びこっちにやって来た。
「ねえ、妹紅。この前あげた布団のお礼としておでんをご馳走してほしいわ」
「待てよ。お礼はいらないって言っただろ?」
「そんな事言わないで。お願い、妹紅。これから帰って夕食の仕度するのは面倒だし…」
図々しい頼みだが永琳に頼まれると断りづらい。今まで永琳のおかげで助かった場面は数え切れないほどある。正直に言えば永琳に返す恩はおでんをご馳走したくらいでは足りないくらいだ。輝夜め…。永琳に頭が上がらないのを利用しやがって…。無念ではあるが仕方ない。大きくため息を吐く。
「分かった! 分かりましたよ! 勝手に食って行け!!」
「ありがとう。助かったわ」
「さすが! 妹紅!」
遠目から輝夜は声をあげて言った。輝夜に言われると自分のお人好しかげんに腹が立つ。本望ではないが四人を家に招き入れて、それぞれ囲炉裏を囲んで座る。
「すごく美味しそうですね!」と鈴仙が鍋を覗いて言うと「でしょう! これは味見しなければ損よ」輝夜は頷きながら言った。
「もう出来ているから好きなだけ食べていい。それからみけにも餌をあげておいてくれ」
私は居間で靴を履き立ち上がった。
「何処へ行くの? 妹紅も一緒に食べましょう」
「酒を切らしたから買ってくる。さっきに食え」
輝夜に話しかけられてもすでに怒る気力は残されていない。それよりも今から向かう先を思えば気持ちは沈んでしまうばかりだ。
◆◆◆
戸を前にして一つ深呼吸をして慧音を呼んだ。まるで待っていたかのようにすぐに戸が開いた。
「よおっ…」
「ああ…」
慧音の表情が硬くぎこちない。たぶん私の表情も硬いのだろう。
「あれだ…。さっきの間違いだ…」
気が動転してしまい何を話しているか自分でも分からない。言葉にした後から思ったが『間違い』と言われても色々な解釈ができる訳で、『慧音の解釈が間違い』と捉える事も『私の出来心』とも捉える事が出来る。これ以上誤解を招かぬように何も無かったと声を大に叫ぼう。まずはそれが先決だ。
「私が言いたいのは輝夜とは何も無い!! それを言いに来たんだ!!」
「ああ…。そうか…。と、と…とにかく上がってくれ」
慧音の作り笑いに胸の奥から湧いてくる罪悪感。私は悪い事はしていないのに…。
「今、そばを作っていたところだ。妹紅も食べるだろ?」
「ああ。食べるよ」
「居間で待っていてくれ。すぐに用意するから」
慧音は逃げる様に台所へ消えて行き、私は居間に上がり簡潔に説明できるように頭を整理してゆく。整理した内容を繰り返しなぞる。きちんと伝えなければ新たな誤解を招く可能性がある。後はいつものように落ちついて話せば問題は無いはず。考えてみればやましい事はひとつも無いのだから、もっと胸を張って良いのだ。
「待たせたな」
慧音がざるそばとお茶を持ってやって来た。忘れていたが夕食は永遠亭の方々に献上し、私はまだ何も食べていなかった。そばを見て腹の虫が活動を再開するが、食べる前に話を始めてしまおう。
「さっきの事だが、あれは輝夜の悪戯だ。輝夜は私を茶化すのが好きで、嫌がるとああやって寄り添ってくる。言っておくが、それ以上の関係になった事はない」
「そうか…」
慧音の表情が少し柔らかくなり安心した。これでざるそばを安心して食べられる。ざるそばを食べながら、今回と似たような事例があった事を話す。最初は疑心暗鬼だった慧音も誤解が解けて安堵するとざるそばに手を付け始めた。
「ところで、慧音。この前輝夜と何を話していたんだ?」
「この前と言うと親睦会の時か?」
「ああ」
「だから、ご老人達の話や里の近況だ」
どうやらシラを切るつもりらしい。このまま聞かない方がいいのだろうか? 私は迷ったが慧音に隠し事をされるのはどうも納得がいかなかった。
「なあ、慧音。私が定住を決めたのは慧音がいたからだ。暖かい人達に迎えられ幸せな日々を送れているのも慧音のお蔭だ。一番は決められない。でも慧音が特別なのは確かだ」
「も、も…。妹紅! それはこ…告白か?」
赤面する慧音。何か勘違いしているようだが私は言葉を続けた。
「愛の告白とかじゃない。慧音には全幅の信頼を置いているって話だ。私は慧音に隠し事はしないと誓う。だから慧音も私に隠し事はしないでほしい。それでだ…」
箸をおいて慧音を見つめる。
「輝夜からは特別な話は聞いていない。それでいいな?」
慧音は静かに箸を置いて重そうに口を開いた。
「…実は妹紅が傷つくからと輝夜さんに口止めされていた話がある」
◆◆◆
――私が始めて妹紅と逢ったのは桜が咲く季節だったと思います。父親に手をひかれ我が家にやって来た彼女は、幼さを残した顔をほんのり赤く染め小さな声で「妹紅…です」と自己紹介した時の事を良く覚えています。妹紅は人見知りの激しい子でしたから、一人で遊ぶ事が多くご両親が心配されたのでしょう。ご近所と言うご縁から私は妹紅の遊び相手になり、彼女も私をお姉さんと慕ってくれました。
それから四年の月日が流れた頃だったと思います。小さく愛くるしかった彼女は私の背丈を追い越し中性的な魅力を持つようになり、私は恋心にも似た感情を妹紅に抱くようになりました。それから毎日のように逢い、数え切れないほど語り合いました。将来の夢や両親や友人の話。そして他愛のない話で笑い、現実に起きた悲しい出来事に涙したり…。一緒にいればそれだけで幸せでした。
ところがある日、私を捕らえようと月から使者達がやって来ました。世間様には知られておりませんでしたが、私は月の者でありそして罪人なのです。出来心から不老不死を授ける禁断の秘薬『蓬莱の薬』を服用する愚行を犯してしまったのです。私はどんな罰も受ける覚悟でしたが、不死になってしまった為自らの命で罪を償う事が出来ませんでした。そのため私は月から追放されたのです。
私は逃げも隠れもせず、使者達に全てを委ねるつもりでした。しかし妹紅が私の手を取り逃げようと言ってくれたのです。切実な想いに感極まり涙を流しました。それから一緒に逃亡を試みますが、使者を束ねていたのは月の頭脳と呼ばれる永琳です。人間の妹紅ではどうにもならず、私はすぐに捕らえられてしまいました。
しかし、妹紅は諦めませんでした。私を守ろうと傷ついた体で何度も永琳に立ち向かうのです。月の民で永琳の力を知らぬ者などおりません。永琳の実力は折り紙付け…いえ、最強と言っても良いでしょう。妹紅に勝ち目は万に一つもございません。私はこれ以上傷つく妹紅を見たくありませんでしたから、永琳にこの地を離れる様に切願しました。
私が消えれば妹紅は諦めてくれると思いました。それで妹紅が傷つかずに済むのなら、私など消えてしまった方が良いのです。しかし、それでも妹紅は諦めませんでした。私は運命を、全てを呪い絶望しました。ですが妹紅の強い気持が奇跡を起こしたのです。永琳は妹紅に蓬莱の薬を渡し言いました。
「この薬を飲めば彼女を守る力が得られる。だが薬を飲めばお前も罪人として月の使者に追われ、平穏な生活には戻れなくなる。全てを投げ捨てる覚悟はあるか?」
妹紅は躊躇わず薬を飲み干しました。そして永琳は他の使者達を裏切り、私達と共に長い長い逃亡生活を余儀なくされたのです。
何百年と逃亡生活を送ってきたある日、妹紅が月の使者に捕まってしまいました。私と永琳を逃がす為に、自ら囮となり捕まってしまったのです。皮肉なことに使者が妹紅を連れて月へ戻ると私達の長い逃亡生活は終わりを告げました。
それから何十年もの月日が流れ、妹紅が私達の前に姿を現しました。その時の事ははっきりとこの目に焼き付いております。少し痩せておりましたが、私には妹紅だとすぐに分かりました。妹紅が捕まったあの日からずっと彼女の事を考えていましたから…。月に連行されてどのような扱いを受けているのか? そう思うと気が狂いそうになりました。助ける術が無く、私は妹紅の無事を切に祈る事しかできませんでしたから…。永琳がいなければ私は取り返しのつかない過ちを犯していたでしょう。
私は妹紅に思わず駆け寄り抱きつくとそこで記憶を失いました。後から聞いた話ですが、抱きついた瞬間に妹紅と私は炎に包まれて私は骨になっていたそうです。それから妹紅は人が変わったように乱暴になり私の命を狙う様になりました。
永琳の推測では妹紅の記憶を改ざんし私への憎悪を植え付け、私を殺す様に仕向けたのではないか。愛する人から殺され続ける。それが私に対する罰なのではないか…。その推測は鈴仙の証言によって立証されました。月で起こった戦争から逃亡した鈴仙を私達は匿い、その見返りとして妹紅について証言させました。内容は口に出す事も躊躇うほど残忍で冷酷なものと記憶しております。そして妹紅はもう二度と戻る事は無いと言われました。
その話を聞いてから私は妹紅に抵抗するのを止めました。災いの元凶はこの私。どんな罰でも受け入れると覚悟をしておりましたから、この罰も受け入れるべきだと思いました。私は懺悔のつもりで妹紅に何万回と殺され続けましたが、それでも妹紅は変わるのではないかと希望を持ち続けました。いえ、私が彼女を変えて見せるのです。かつて妹紅が私に見せた『諦めない心』を今度は私が見せる番だと思い、来る日も来る日も耐え続けてまいりました。そしてついに妹紅が私にこう告げたのです。
「輝夜…。今まですまなかった…」
私は妹紅の言葉に救われました。それから妹紅は私を襲うのを止めました。かつての関係までには至りませんが、今こうして妹紅と逢い話しができる事に私は大きな喜びを感じております――
◆◆◆
全てを話し終えた慧音はお茶に手を伸ばし一気に飲み干した。飲み終えた表情はとても清々しい。胸のつかえが取れてすっきりしたに違いない。私もそうだ。しかし新たな感情が沸いたのも事実だ
「なあ、慧音。今の話は…殆ど輝夜の作り話だ…」
慧音は目を大きく見開き言葉に詰まった。いわゆる絶句と言う表情だ。
「ど…ど、どこまでが本当の話だ!」
「輝夜の関係は全部ウソだ…。永琳が月の使者なのは事実だが、蓬莱の薬を投げられて『全てを投げ捨てる覚悟はあるか?』なんて言われて無い」
「いや! 妹紅! 記憶が改ざんされただろ?! だから覚えてな…」
「百歩譲って記憶が改ざんされたとしても、私も輝夜に何万回も殺されているし、襲った事について謝ってないぞ」
慧音は言葉を失っていた。無理もないだろう。嘘だと信じられないくらい良くできた話だ。相変わらず口先で人を騙すのが得意な奴だ。
「私が輝夜を嫌うのは、父親が輝夜に大恥をかかされたからだ。そして輝夜に復讐するために蓬莱の薬を飲み不老不死になった。それから数え切れないほど殺し合いを続けてきたが互いに不老不死だ。何度やってもキリが無い。悠久の時を重ねて復讐心が風化し、今は停戦状態になっているだけだ」
「それで間違いないのか?」
「ああ。それが事実だ」
慧音はまだ動揺していた。状況を整理するのに時間がかかるだろう。それは仕方ないがこれからすぐにできる事がある。もちろん輝夜殺害だ。
「無関係の慧音を騙すとは許せない! きっちり落とし前をつけてもらおう!」
「ま、待ってくれ! 何か事情があっての事では無いか?」
この期に及んで輝夜を弁護するとは、慧音はどれだけお人好しなんだ。あいつを買い被りすぎだ。輝夜の恐ろしいところは今の慧音のように、洗脳されてしまうところだ。一度輝夜の毒牙にかかると正常な判断が出来なくなる。
「そんな事はない。あいつは楽しんでいるだけだ。私を怒らせる為に慧音をダシに使ったんだ。」
「それなら妹紅が怒鳴り込んでは輝夜さんの思うつぼだろ? それに親睦会が控えている。事を荒立てたくはない」
確かに慧音の言う通りだ。騒ぎを起こして里に迷惑をかけるのは気が引ける。
「私が明日事情を聞いてみる」
「なら、私も同席しよう」
「駄目だ。妹紅が同席すると永遠亭が火事になってしまう。ここは私に任せてくれないか?」
そこまで言われると慧音に任せるしかない。しかし輝夜と二人きりにしてしまうと、また騙されないか? それだけが不安だ。
◆◆◆
翌日の夕方に永遠亭にやって来た。もちろん輝夜さんに真意を確かめる為だ。私は客間に通されて、先日と同様に輝夜さんは笑顔で迎い入れてくれた。
「昨日妹紅から輝夜さんのお話しは嘘だと言われました。にわかに信じがたいですが、なぜそのような嘘を吐かれたのですか?」
輝夜さんは一つ間を置いてから口を開いた。
「妹紅から真実は伺いましたか?」
「はい。全て妹紅から聞きました。輝夜さんを嫌う理由や蓬莱の薬を飲んだ経緯などを…」
「そうですか…。」
輝夜さんは改めて足を直して正座をするとゆっくりと話しはじめた。
「初めに嘘を吐いた事について謝罪致します。ですがこれは全て妹紅の為なのです」
「どういう事ですか?」
「妹紅と親しい上白沢さんでしたらご存じでしょうが、不老不死の妹紅は孤独に苛まれておりました。見た目の変わらない不老不死は化け物と同じで、人間達は怖がって近寄って来ません。私には永琳や鈴仙がついておりますが、妹紅は常に孤独との戦いを強いられているのです。私はそんな妹紅がとても心配でした。しかし上白沢さんが妹紅と親しいと聞いた時、強固な信頼関係を築ければ上白沢さんが妹紅を救ってくださるだろうと確信しておりました。ですが妹紅は多くを語らず人を頼ろうしない為、上白沢さんとより親密になるのは難しいかと考えました。そこでおこがましいとは存じましたが、妹紅に真実を語ってもらおうとこのような嘘を吐きました」
輝夜は座布団から下りて両手を綺麗に揃えて深く頭下げながら言った。
「許されないのは承知しております。どのような罰でもお受け致します。その代りこれからも妹紅をよろしくお願いします」
私はそれ以上何も言えなかった。
◆◆◆
心配だ。非常に心配だ。永遠亭の門に体を預け慧音を待っているが、正常を保てず自然と貧乏ゆすりをしていた。一晩が経過しているが、輝夜の毒は抜けたのだろうか? 抜けていなければ、さらに状況は悪化する恐れがあるからだ。
「妹紅さん。昨日のおでん、すごく美味しかったです!」
「ああ。そうか」
鈴仙の話は右から左へ通り抜けてゆく。
「今度作り方を教えてください」
「ああ。そうだな」
適当に返事をしながら横目で屋敷を覗く。もちろん慧音の姿は見えるはずはないのだが、覗かずにはいられない。覗いたところで何か変わる訳が無いのも分かっている。やはり今からでも突撃した方が良いか? と様々な考えが巡っていると意外に早く慧音が出てきた。
「どうだった?」
すぐに尋ねると目を赤くした慧音は一言「頼みがある」とだけ告げられた。
◆◆◆
なぜだろう? 大根の山を目の前にして思った。これから夜までに沢山のおでんダネをこしらえないといけない。永遠亭の皆様へおもてなしの一品として私のおでんが選ばれた。永遠亭御一行様の熱烈な希望だと言う。
「妹紅! 手を休めるな。間に合わなくなるぞ」
慧音が包丁の刃を私に向けて言った。
「なんでだよ。なんでこうなった…?」
「光栄じゃないか。客人直々の指名だぞ。それに私も食べてみたい」
そう言いながら慧音は私に大根を投げつけた。受け取った大根を見て思った。やはり不安は的中したと……。
孤独の妖怪と孤高の人間
台風がもたらしたもの
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新築祝いに買った酒を手土産に里を抜けて、竹林の入口近くにある妹紅の家にやって来た。家にお邪魔する前に立ち止り外観を眺めると、積雪を被るかやぶき屋根の白と木柱の漆黒が目に飛び込んでくる。何の変哲もない家であるが、感慨深い想いを感じていた。
世渡り下手で誰にも頼らない妹紅の生き方は、傍から見ると人を遠ざけているように見え里の人々は妹紅との付き合いに悩んでいた。妹紅が始めた永遠亭に案内する奉仕活動に対して人々がお礼をしたいと嘆願しても、「人の役に立てばそれで十分」と言い妹紅はお礼を受け取ろうとはしなかった。欲の無い奴だなと感心しながらも、交流のきっかけを潰し勿体ないと歯痒い思いで私は妹紅を見ていた。
しかし奉仕活動で知り合ったご老人や無邪気な子供達と接していくうちに、妹紅は皆の好意を迎い入れるようになり多くの人と親交が生まれた。この家は里の人々と妹紅が協力して建てた物で、私の親友が里の一員として受け入れられた証なのである。
私は戸を軽く叩き家主に呼び掛けた。
「妹紅。新築祝いを持ってきたぞ」
「空いてるから入ってくれ」
返事を聞いてから戸を開けて中に入った。広い土間の端に二基のかまどと食器棚が設置され、居間の中央に完備されている囲炉裏で妹紅が料理をしていた。私は靴を脱いで居間に上がり妹紅の側に腰を下ろした。
「新築祝いの酒だ。酒屋で一番高い物を選んできた」
「さっそく一杯やろうじゃないか」
妹紅は嬉しそうに立ち上がり土間に下りて食器棚からお椀を二つ持って元の位置は戻った。私は酒瓶を開けてお椀に酒を並々と注ぎ二人で乾杯をした。まろやかな味で癖が無く体に染み込むように喉を通り抜けた。これは体が許す限り何杯でもいけそうだ。
「くうぅ!! うまいっ!」
妹紅は一気に飲み干し屈託の無い笑顔で声をあげた。こんな風に笑えるのかと驚いたがこの調子で飲み過ぎては体に良くない。
「あまり飲み過ぎるなよ」
「うまいっ!!」
妹紅は膝を叩いて叫んだ。喜んでいる様子を見ていると注意するのは少々気が引ける。今夜は祝いの席だ。口酸っぱく注意せず大いに楽しもうではないか。
「ところで何を作っているんだ?」
「すき焼きだ」
妹紅が鍋の蓋を開けると美味しい香りの湯気が鼻をかすめ、色鮮やかな食材が鍋の中で踊っていた。今までご馳走してくれた妹紅の手料理の中では最も豪華な料理である。
「永遠亭に案内するとみんなが食材をくれるんだ。お蔭で食い物にはしばらく困らないだろうし、慧音が来るから奮発したよ」
妹紅は鍋の蓋を脇に置いて立ち上がり土間に下りるとかまどを抱えて定位置に戻った。かまどを開けると炊き立てのご飯が眩しく輝いている。妹紅はご飯をよそい私に差し出した。
「みけ!! ごはんだぞ!!」
妹紅は隣の部屋に向かって怒鳴った。みけとは妹紅が飼っているメスの三毛猫で不器用な妹紅が育てたとは思えないほど、人懐っこく甘え上手な賢い猫である。
しばらくするとわずかに開いた襖からみけが入って来た。妹紅は用意しておいた餌をみけの前に差し出すと、「にゃー」と行儀よく挨拶をして餌を食べ始めた。それから私達も少し遅めの晩酌を始める。いつもなら私が話し役で妹紅が聞き役に回るが、今晩は珍しく妹紅が良く喋った。お酒で気を良くしたのだろう。話題は妹紅と仲の良いご老人や子供達のちょっとした愚痴であったが、内容と反してとても楽しそうな表情をしていた。その表情を見て妹紅は里に馴染んだと確信すると目もとが熱くなる。しかし気付かれると恥ずかしいので、目にゴミが入ったと言って誤魔化した。
妹紅が気を悪くしない様に適度に相槌を返す。そして日付が変わる頃に彼女は喋り疲れ私は好機到来と配役の強制交代を企てる。今度は私の愚痴を大いに聞いてもらう番だ。覚悟はいいな、妹紅。と腕まくりをする前に妹紅に話があったのを思い出した。
「ところで妹紅。今度永遠亭の方々を招待して親睦会を開こうと思っている。もちろん妹紅も来るだろ?」
「私はいかない」
永遠亭の言葉に反応して途端に顔を曇らせた。妹紅は永遠亭の人達と腐れ縁だと言っていたのを思い出した。その表情は何を意味しているのだろうか?
「なぜだ?」
「きっと輝夜も来るだろう。私はあいつが大嫌いだ!」
妹紅の反応をみると冗談ではなさそうである。輝夜さんとは何度かお会いしたが月の姫らしく高貴な気品に満ち溢れており、一見近寄りがたい雰囲気を持つが話してみると愛嬌があり親しみやすく、話し上手で和やかな方である。里の評判も上々で清楚な美貌で殿方の人気が高い。妹紅が嫌う理由が思い浮かばない。
「どうしてだ? 輝夜さんは…」
「あいつの話はやめろ!!」
妹紅は眉間にしわを寄せながら強い口調で私の言葉を遮り、腹の底から込み上がる怒りを酒で一気に押し流す。気まずい空気が流れた。私が戸惑っていると妹紅の隣で寝ていたみけが助け船を出してくれた。彼女は妹紅に向かって一鳴きして前足で叩いてなだめると、妹紅はバツが悪そうに「す…すまん……」とみけの頭を撫でた。みけは安心して体を丸くして再び眠り始めた。ひとまず妹紅は落ち着いたようだ。思わず安堵の息を漏らし、みけを見つめながら感謝の念を送った。こんなに激しく怒る妹紅を始めて見た。お酒が入っているせいだと思いたい…。
それにしてもなぜこんなにも激しく怒ったのだろうか? 輝夜さんと過去に何かあったのだろうか? 性格の不一致だけでは無いような気がする。どんなに思い返しても答えらしきものが浮かばない。妹紅の親友と自負しているのに情けない話である。
妹紅の過去は謎に満ちている。妹紅と深い親交にある私でさえ、彼女の過去は知らない。妹紅から過去についての話を持ち出さず、こちらがどんなにしつこく尋ねても「忘れた」と表情を崩さず決まり文句を返しそれ以降口を閉ざすばかり。不老不死の妹紅は生きる辛さを沢山経験し思い出したくない過去もあるだろう。
何があったかは知らないが、これ以上輝夜さんの話題を持ち出すのは避けるべきである。せっかくの祝いの席が台無しになってしまう。
「親睦会について強要はしない。しかし、永遠亭の方々と親密になるのは里の利益につながる。どんなにか細い繋がりでも、繋がりは力になる。それは十分に分かって欲しい」
私は妹紅を見ながら言うと妹紅は睨み返して言った。
「人脈は力か?」
妹紅の目力は私の信念を食い殺すような力を持っていた。まるで蛙を睨む蛇である。だが蛙にも意地があるだろうし、窮鼠猫を噛むと言うことわざもある。私は呑まれない様に負けじと睨み返した。
「そうだ」
私がゆっくりと頷きながら力強く答えると、妹紅は諦めて目を逸らし後ろに倒れ寝ころんだ。
「今日の昼に永遠亭に案内してもらう。いいな、妹紅」
「……」
「返事は!?」
「ああ。分かったよ」
ふて腐れた妹紅は私に背を向けた。こんな状況では愚痴は聞いてもらえないだろう。そう思うと急に酔いが醒めた。
「それじゃあ、今夜はお開きにして私は帰るぞ」
「もう遅いし泊まっていけよ」
妹紅は起き上がって言った。
「しかしだな…」
躊躇するには理由がある。私はかつて妹紅と肉体関係を持っていた時期があった。ひどく弱った私を妹紅は何も聞かず優しく抱いてくれた。しかしその関係が長続きするはずは無く、妹紅から関係を止めたいと言ってきた。妖怪と人間。そして女同士。妹紅は私の関係に大いに悩んだだろう。私の為に無理をさせてしまい申し訳ないと後ろめたさがある。
「予備の布団もあるし問題ないだろ」
「あの事は気にしてないのか…?」
祈るような気持ちで恐る恐る妹紅の表情を伺う。
「あの事…?」
「いや……。その……。あれだ……以前の私達の関係だ……」
「ああ。別に気にしてない。終わった事だしな」
妹紅はあっけらかんとした顔で膝を叩いた。その様子だと本当に気にしてないようである。過ぎ去った出来事を気にしない大らかさは妹紅らしいが、もう少しは気に留めて欲しかったと少しだけ寂しさが募った。
少しだけ…だ。
◆◆◆
翌朝、起きてみけに餌をやり昨晩の片づけを終えて居間で寝ている妹紅を起こした。ひどい寝癖で妹紅の体から酒の臭いがする。
「…頭…痛い…」
「大丈夫か?」
私は土間に下りて食器棚からお椀を取り出し、手押しポンプで水を汲んで妹紅に差し出すと一気に飲み干した。
「今日は止めにするか?」
「いや、案内はする。約束したからな。でももう少しだけ休ませてくれ…」
「分かった。食事を用意するまで休んでおけ」
「すまん。材料は適当に使っていい」
妹紅は頭を押さえながら再び横になった。私は一度自宅に戻りお風呂に入り二日酔いに聞く薬を持って再び妹紅の家を尋ねた。起こさない様に忍び足で家に入り食事を用意する。材料と妹紅の体調を考慮した結果、野菜たっぷりのうどんが最適だと判断した。乾麺を使用したのですぐにうどんが出来上がった。
「食事ができたぞ」
「…すまん」
妹紅は体をゆっくりと起こした。さっきよりは顔色が良いが、声の調子からまだまだ本調子ではなさそうだ。
「調子はどうだ?」
「…さっきよりはいい」
「うどんを食べて薬を飲めば少しは楽になるだろう」
重そうな体に鞭を打ち布団から出て妹紅は囲炉裏の前に座った。私がうどんを差し出しとゆっくりと箸を進めた。
「美味いな」
「ゆっくり落ち着いて食べろよ」
妹紅は無言でうどんをすすり、あっという間に汁まで完食した。それから薬を飲んで仕度をしている間に、私は洗い物を手際よくすませた。
「それじゃあ、行くか」
私の仕度が終える頃には妹紅の体はすっかり軽くなり声にハリが出てきた。やはり八意先生の薬はよく効く。
「ああ。よろしく頼む」
私が土間に下りるとみけが私の足に顔を摺り寄せ甘えてきた。遊んでほしいのだろうか? しゃがみ込んでみけを優しく抱き寄せた。
「すまないが、遊べないよ。大人しくお留守番してくれ」
優しく言うとみけは「にゃー」と返事を返した。みけの頭を撫でて居間に静かに下ろすと、再び土間に下りて私の足に甘えてきた。困ったもんだ。
「こいつも行きたいんだよ。気にしなくていい」
妹紅はそう言って戸を開けて外に出てゆくと、妹紅の言う通りみけは後を追って外に出て行った。一緒に住んでいるだけあってお互いを良く理解している。長く連れ添った老夫婦のようだ。二人の後ろ姿から主従関係を超えた絆が見えた。なんだがそんな気がした。
◆◆◆
天を覆い隠す竹林の中で異彩を放つ一軒の日本家屋が建っている。この屋敷へ迷いなく辿り着けるのは屋敷の住人と妹紅だけであり、皆はこの屋敷を永遠亭と呼んでいる。
「ここで待っている」
永遠亭に着くと妹紅は門に寄り掛かり言った。
「わかった。すぐにすませてくる」
みけと一緒に立派な門をくぐり住人へ呼び掛け、応答が返るまでしばらく待った。待てないみけは私を置いてトコトコと庭へ回っていた。そして鈴仙さんが応対に顔を出し、要件を伝えると客間へ通してくれた。それから「少々お待ちください」と鈴仙さんは頭を下げて客間をあとにした。
手持ち無沙汰で庭に目をやる。こぢんまりとして隅々まで手入れが行き届いている。こんな辺鄙な場所に庭師が訪れるのだろうか? それとも住人の中に庭の手入れができる方がいるのだろうか? 余計な事を考えていると「こんにちは、上白沢さん」と話しかけられた。入って来たのは家主の輝夜さんと抱きかかえられたみけだった。私は立ち上がり「急に押し掛けて申し訳ありません」と頭を下げた。
「構いません。それに固い挨拶を無しに致しましょう」
笑顔で輝夜さんは答え私の向かいに座った。
「八意先生は?」
「申し訳ございません。八意は新薬の開発に勤しんでおり、一度開発を始めると部屋に籠り出てきません。お話しなら私が承ります。それとも八意も同席された方が宜しいですか?」
「いえ、それでしたら構いません」
やはり分からない。妹紅が輝夜さんを嫌う理由が。どこが嫌なのだろうか? 清楚でとても感じの良い女性ではないか。とりあえず胸に秘めた疑問をひとまず置いて本題に入る。
「実はお世話なっている永遠亭の皆さんを招待して、里で親睦会を開きたいと考えております。開催日は一週間後を予定しておりますが、そちらのご都合はいかがでしょうか?」
「まあ、そのような催し物を開いて頂けるのですか? うれしいですわ。私どもは一週間後で問題ありません」
輝夜さんは声を張り上げ笑顔で答えた。それに合わせてみけも一鳴きすると輝夜さんは優しくみけの頭を撫でた。喜んで頂けたようで安心した。そしてお茶を運んできた鈴仙さんにも「鈴仙! 今度私達の為に里で親睦会を開いてくださるそうよ」興奮気味に話した。
「そうですか。それは楽しみですね」
鈴仙さんはそう言いながら私の前にお茶を差し出した。
「ご苦労様。下がっていいわよ」
「はい」
鈴仙さんは頭を下げて退席し、私は冷えた体を温めようとお茶を口に運ぶ。
「ところでその親睦会に妹紅は参加されますか?」
輝夜さんからの質問に思わずむせて咳き込んでしまった。いきなり妹紅の単語が出て動揺してしまった。しかも輝夜さんの口から単刀直入に出るとは思わなかった。
私はハンカチを取り出し口と机を拭きながら考えた。どのように答えるべきか? まさか「輝夜さんが嫌いなので妹紅は欠席します」とは口が裂けても言えない。とりあえずお茶を濁しておこう。
「妹紅はその日に予定があり欠席するそうです」
「それでしたら、妹紅が都合の良い日に開催致しましょう。私も久しぶりに妹紅と酒が飲みたいですから」
これは参った。妹紅の都合は知らないと答えるべきだったかもしれない。どうするべきか? あの様子では妹紅は絶対に参加しないだろう。かといって輝夜さんを抜きにして親睦会を開く事は出来ない。ここは嘘を吐くべきだろうか? 妹紅も参加すると言い、後から急遽参加できないと言うべきだろうか? いや、それでは主役に失礼だ。それでは誰の為の親睦会なのか分からなくなる。
自責の念に駆られ次の一手を模索している私を見て輝夜さんは静かに口を開いた。
「私が出席するから妹紅は嫌がって出ない。そうですね。上白沢さん」
こちらの真意を見透かされて言葉に詰まった。その間は肯定を意味している。
「そうですか…。確かにあのような事がなければ…」
輝夜さんは残念そうに俯いた。
「あの、妹紅と何があったのですか?」
「妹紅からお話を伺いませんでしたか?」
「いいえ。妹紅は忘れたと言って話してくれません…」
「分かりました。お話しする前に条件がございます」
扇子を取り出して口元を隠しながら輝夜さんは声を潜めた。
◆◆◆
「やせ我慢せず部屋に上がったらどうですか?」
鈴仙はおぼんに乗せたままお茶を差し出した。
「輝夜の顔を見るなら、寒さに耐える方がマシだ」
お茶を受け取り白い息を吹きかけてゆっくりと口元へ運ぶ。鈴仙は妹紅の様子を見てため息をついた。
「ところで、今度親睦会を開くそうですね」
「ああ。私は参加しないけどな」
妹紅の態度は吹きつける北風より冷たい。鈴仙は「相変わらずですね」と呟き周りを気にしながら妹紅に近づいて耳元で囁いた。
「あの…。実は姫が最近退屈だと仰っていたので、もしかしたら何かやるかもしれません」
「今度は何をやらかすつもりだ?」
妹紅も鈴仙に合わせて小声で話す。
「ごめんなさい。そこまでは…。もしかしたら親睦会で何かするかもしれません」
「そうか…。わざわざすまんな」
「いいえ。薬売りを手伝ったお礼です」
笑顔で答える鈴仙に妹紅も笑顔で返した。
◆◆◆
遅い…。遅すぎる…。親睦会の説明をするだけなのに、どうしてこんなに遅いのか? 陽は落ちて辺りはすっかり暗くなり寒くなってきた。私は火の玉を出して制御し照明代わりにしながら体を温めた。腹が減ったし、慧音はもう置いて帰ろう。これ以上は待てない。などと考えているとようやく慧音が出てきた。
「すまない。待たせたな」
「遅いぞ。慧音」
文句を言ってやろうと顔を上げると輝夜も一緒に立っていた。輝夜の顔を見てだけでも不愉だが、みけをわが子のように抱いている姿がさらに不愉快にさせる。
「そんなに怒っては駄目よ。妹紅」
「待たされるこっちの身にもなってくれ」
「怒った顔も可愛いわね。妹紅ちゃん」
輝夜の熱視線に身震いがする。これ以上茶化されると不愉快が加速して大爆発を起こし、竹林は未曽有の大火災に見舞われるだろう。そうなる前に退散しよう。腹も減ったし。
「気持ち悪い目で見るな。みけ、帰るぞ」
「にゃー」
みけは輝夜から飛び降りた。
「また来てね。みけ、妹紅ちゃん」
「にゃー」
輝夜は笑顔で手を振りみけも答える。私は怒りを抑えながら無言で背を向けた。それからすぐに怒りを鎮め鈴仙の忠告について考える。輝夜の様子はいつもと変わらないが、油断をしてはいけない。それは表情や仕草からは輝夜の心中は読み取れないからだ。輝夜は人との駆け引きが得意で人心掌握術に長けており、美貌と舌先三寸で多くの人を騙してきた。まさか今回の犠牲者は慧音か?! 心配だ。
「慧音、行くぞ」
「わかった。輝夜さん、長居して申し訳ありませんでした。これで失礼します」
「いいえ。とても楽しい時間でした。またのお越しをお待ちしております」
慧音の一礼に輝夜も一礼で答え永遠亭を後にした。火の玉を追いかけながら真っ暗な竹林を無言のまま進む。空気が少し重い。
「なあ、慧音。随分と時間をくっていたが、あいつと何を話していたんだ?」
「主にご老人達の話だ。輝夜さんは泊まりこみで治療を受ける人とよく話すそうだが、その後の容態や近況について聞かれた。あとは里の様子とかだな」
慧音は少し俯きながら言った。それに心なしか、いつもより声が小さく自信なさげに聞こえた。怪しい…。胸が騒ぐ。
いつもの慧音は話す相手の顔を見て、相手がしっかりと聞き取れるようにはっきりした口調で話す。それは教師の努めとして生徒達の手本とならなければならない。真夏の太陽よりも熱く、以前慧音が語っていた。
だが、今の慧音はいつもの慧音では無い。何かを隠しているのは確かだ。しかしまだまだ確信に至る証拠が無いし、私の早とちりの可能性だってある。ここはひとまず様子を見ておこうとこれ以上は何も聞かなかった。そう考えているうちに我が家に着いた。
「じゃあ、気をつけてな」
「ああ、今日は助かった…」
なぜか慧音がモジモジしているように見えたが気にせず、戸を開けて中に入ろうとすると呼び止められた。
「なあ、妹紅。親睦会の事だが…。もう一度考え直してくれないか?」
やはり親睦会に何かある。疑惑は確信へと変わった。
「わかった。出席するよ」
「そうかっ! そうかっ! すまないな! 無理を言って!」
慧音が急に明るい声で私の肩を叩いた。何かから解放された喜びようだ。全く、慧音は隠し事が下手だな。
◆◆◆
親睦会を四日前に控え、特にやる事が無いので慧音の様子を見に寺子屋へやって来た。今の時間は昼食休憩を取っているはずなので邪魔にはならないだろう。寺子屋に着き庭へ廻ると慧音は生徒達と昼食を取っていた。縁側に腰を掛けて慧音を呼ぶと、慧音は箸を止めて私の元へやって来た。
「ちょうど良かった。今夜にそっちに行こうと思っていた所だ」
慧音の様子はどこかよそよそしく感じられた。やはり輝夜に会ってから慧音の様子がおかしい。まあ、今夜話を聞けばいいか。
「そうか。それならご馳走を用意して待っているよ」
「ああ。頼むよ」
慧音に挨拶をしてその場を立ち去り、材料を調達しようと市場へ足を向けた。さて、献立はどうしようか? 今何が食べたいか? と自分に問いかける。やはり寒いので暖かい物が食べたいと思いながら大根、手羽先、油揚げを見て閃いた。おでんだ。おでんは下ごしらえに準備が掛かるので、今からやれば慧音が来る頃にできるはずだ。特に出汁が染みた大根が食べたい。
そう思うと迷い無く食材を買い揃える。主役の大根はもちろん、手羽先、卵、白滝、こんにゃくとお餅、それからちくわも買っておこう。おっと、油揚げを忘れてはいけない。
たくさんの材料を抱えて意気揚々と家に帰って来た。久しぶりのおでんに気合が入る。普段は手間を惜しんで適当に作り適当な味の料理しか作らない、そんな面倒臭がり屋の私だがおでんは違う。以前世話になった人からおでんの極意を学び、おでんには並々ならぬこだわりと自信がある。私のおでんを食えば、皆そのうまさにひれ伏せてしまうだろう。
慧音の驚く顔を想像しながらおでんダネの下ごしらえを始める。時折、みけが遊んでくれと足に擦り寄り邪魔をするが、軽く蹴っ飛ばし黙々と作業を行う。そしていつしかみけは諦めて居間で昼寝をしていた。
おでんの下ごしらえを終えて囲炉裏鍋で温めていると戸を叩く音が聞こえた。日も暮れているしそろそろ慧音がやってくる時間だ。
「空いてるぞ」
私はおでんの様子を見ながら応え、開いた戸の音に反応して目をやる。
「来ちゃったぁ」
輝夜が笑顔で立っていた。
「はぁ?!!」
何故だ?!! 何故輝夜ここにいる?! 私の身体は現状を把握しようと、全ての行動を止めて頭に全神経を注ぎ込んでいる。まさか、慧音が呼んだのか? しかしそれなら一言あっても良い筈だ。分からない…。
「なかなか綺麗なおうちね。新築かしら? でも、もうちょっと飾り付けした方がいいわね」
輝夜は部屋を見回し品評を始める。
「何? 何作ってるの? ちょうどお腹空いていたの」
家主の許可も取らずに勝手に居間に上がり込み鍋を覗き込む。やりたい放題だ。
「おでん!! 美味しそう!!」
「勝手に上がるな!! 何しに来た?!」
「えっ? 妹紅に逢いにきたのよ。どうして怒るの?」
平然と言ってのける。私達の関係を考えれば『逢いに来た』とは、『殺しに来た』と同義であるが、輝夜の態度は本当に『逢いに来た』だけのようだ。真っすぐな思いに怒りを通り越して呆れてきた。
「いや! とにかく帰れよ!」
「そんな冷たくしないで!」
輝夜は私に抱きつこうと詰め寄り、壁まで追い詰められ逃げ場を失うと勢いよく胸に飛び込んで来た。私が必死に引き離そうとしても輝夜は抵抗して離れず、隣に座るみけに目で助けを求めても飼い主の危機にも動じず優雅に毛づくろいをしている。我、関与せず。女を怒らせると怖いと改めて思った。
私達が騒いでいると「妹紅? どうした?」と慧音の声が聞こえた。マズイ!! この状態で見つかるとあらぬ誤解を招くのは自明の理だ。
「待て!! 慧音!! 今はマズイ!!」
必死で慧音を止めようとしたが、後から思えばそんな事を言われたら誰だって気になり開けるだろう。だが私は心の中で神様に祈った。戸が開かないという奇跡を起こしてくれ!
「何が不味いんだ。入るぞ」
戸が開いて慧音と目が合った。慧音の表情がゆっくりと変化してゆく。それはとても鮮明に映った。
「すっ! すまん!!」
真っ赤な顔で慌てた慧音は戸を閉めて走り去っていった。神様に祈ったのは久しぶりだ。日頃から信仰しないとご利益が無いのは分かっている。十分に分かっているとも…。
「あれ? 今、上白沢さんが来てた?」
「どうするんだよ。誤解を招いた責任を取ってもらうぞ…」
「気にしないで続けましょう」
しょせん他人事だと言う態度に怒りの炎が舞い上がった。炎を鎮めるには輝夜の血を必要とし、平穏な生活には輝夜の死が不可欠だと悟った。
「そうだな…。続きは表でやろうか…」
輝夜を抱きかかえて裸足のまま表に出て輝夜を下ろした。それから体を炎で包み戦闘態勢に移行させる。
「やっぱり、決着を付けないといけないようだな」
「何? 勝ったらおでんをご馳走してくれるの?」
呑気に誤解をしているようだが、もはや訂正する気は無い。とにかく輝夜を殺す。それだけだ。
「探しましたよ。姫」
声が聞こえた後ろを振り返る。そこには永琳、鈴仙、てゐの三人が立っていた。三人は私を無視して輝夜に近寄り永琳は説教を始める。
「無断で外に出られては困ります。姫」
「いいじゃない。それに無断では無いわ。ちゃんとてゐに出かけると言付けしたわ」
「でも場所までは告げなかったでしょう。心配しましたよ」
なんだが力が抜けて体を纏う炎を消した。怒っている私がバカのように思えてくる。小言を終えた永琳は私に近づいてきた。
「ごめんなさいね。姫のお守は大変だったでしょう?」
「ああ、もう一足遅ければ姫を殺害するところだった」
「間に合って良かったわ。それじゃあ帰るわ」
永琳は安堵の息を漏らして私に背を向け輝夜の元へ戻った。
「ところで、夕食の準備は出来ているの? 永琳」
「姫を探していましたから、帰ってから作ります」
「それなら…」
私を見る輝夜の目は物乞いの目だ。
「やらんぞ!! 早く帰れ!!」
力いっぱい叫ぶ。あれは慧音の為に用意したんだ。死んでも輝夜に食べさせない。私の反応を見て輝夜は永琳となにやら相談し、永琳が再びこっちにやって来た。
「ねえ、妹紅。この前あげた布団のお礼としておでんをご馳走してほしいわ」
「待てよ。お礼はいらないって言っただろ?」
「そんな事言わないで。お願い、妹紅。これから帰って夕食の仕度するのは面倒だし…」
図々しい頼みだが永琳に頼まれると断りづらい。今まで永琳のおかげで助かった場面は数え切れないほどある。正直に言えば永琳に返す恩はおでんをご馳走したくらいでは足りないくらいだ。輝夜め…。永琳に頭が上がらないのを利用しやがって…。無念ではあるが仕方ない。大きくため息を吐く。
「分かった! 分かりましたよ! 勝手に食って行け!!」
「ありがとう。助かったわ」
「さすが! 妹紅!」
遠目から輝夜は声をあげて言った。輝夜に言われると自分のお人好しかげんに腹が立つ。本望ではないが四人を家に招き入れて、それぞれ囲炉裏を囲んで座る。
「すごく美味しそうですね!」と鈴仙が鍋を覗いて言うと「でしょう! これは味見しなければ損よ」輝夜は頷きながら言った。
「もう出来ているから好きなだけ食べていい。それからみけにも餌をあげておいてくれ」
私は居間で靴を履き立ち上がった。
「何処へ行くの? 妹紅も一緒に食べましょう」
「酒を切らしたから買ってくる。さっきに食え」
輝夜に話しかけられてもすでに怒る気力は残されていない。それよりも今から向かう先を思えば気持ちは沈んでしまうばかりだ。
◆◆◆
戸を前にして一つ深呼吸をして慧音を呼んだ。まるで待っていたかのようにすぐに戸が開いた。
「よおっ…」
「ああ…」
慧音の表情が硬くぎこちない。たぶん私の表情も硬いのだろう。
「あれだ…。さっきの間違いだ…」
気が動転してしまい何を話しているか自分でも分からない。言葉にした後から思ったが『間違い』と言われても色々な解釈ができる訳で、『慧音の解釈が間違い』と捉える事も『私の出来心』とも捉える事が出来る。これ以上誤解を招かぬように何も無かったと声を大に叫ぼう。まずはそれが先決だ。
「私が言いたいのは輝夜とは何も無い!! それを言いに来たんだ!!」
「ああ…。そうか…。と、と…とにかく上がってくれ」
慧音の作り笑いに胸の奥から湧いてくる罪悪感。私は悪い事はしていないのに…。
「今、そばを作っていたところだ。妹紅も食べるだろ?」
「ああ。食べるよ」
「居間で待っていてくれ。すぐに用意するから」
慧音は逃げる様に台所へ消えて行き、私は居間に上がり簡潔に説明できるように頭を整理してゆく。整理した内容を繰り返しなぞる。きちんと伝えなければ新たな誤解を招く可能性がある。後はいつものように落ちついて話せば問題は無いはず。考えてみればやましい事はひとつも無いのだから、もっと胸を張って良いのだ。
「待たせたな」
慧音がざるそばとお茶を持ってやって来た。忘れていたが夕食は永遠亭の方々に献上し、私はまだ何も食べていなかった。そばを見て腹の虫が活動を再開するが、食べる前に話を始めてしまおう。
「さっきの事だが、あれは輝夜の悪戯だ。輝夜は私を茶化すのが好きで、嫌がるとああやって寄り添ってくる。言っておくが、それ以上の関係になった事はない」
「そうか…」
慧音の表情が少し柔らかくなり安心した。これでざるそばを安心して食べられる。ざるそばを食べながら、今回と似たような事例があった事を話す。最初は疑心暗鬼だった慧音も誤解が解けて安堵するとざるそばに手を付け始めた。
「ところで、慧音。この前輝夜と何を話していたんだ?」
「この前と言うと親睦会の時か?」
「ああ」
「だから、ご老人達の話や里の近況だ」
どうやらシラを切るつもりらしい。このまま聞かない方がいいのだろうか? 私は迷ったが慧音に隠し事をされるのはどうも納得がいかなかった。
「なあ、慧音。私が定住を決めたのは慧音がいたからだ。暖かい人達に迎えられ幸せな日々を送れているのも慧音のお蔭だ。一番は決められない。でも慧音が特別なのは確かだ」
「も、も…。妹紅! それはこ…告白か?」
赤面する慧音。何か勘違いしているようだが私は言葉を続けた。
「愛の告白とかじゃない。慧音には全幅の信頼を置いているって話だ。私は慧音に隠し事はしないと誓う。だから慧音も私に隠し事はしないでほしい。それでだ…」
箸をおいて慧音を見つめる。
「輝夜からは特別な話は聞いていない。それでいいな?」
慧音は静かに箸を置いて重そうに口を開いた。
「…実は妹紅が傷つくからと輝夜さんに口止めされていた話がある」
◆◆◆
――私が始めて妹紅と逢ったのは桜が咲く季節だったと思います。父親に手をひかれ我が家にやって来た彼女は、幼さを残した顔をほんのり赤く染め小さな声で「妹紅…です」と自己紹介した時の事を良く覚えています。妹紅は人見知りの激しい子でしたから、一人で遊ぶ事が多くご両親が心配されたのでしょう。ご近所と言うご縁から私は妹紅の遊び相手になり、彼女も私をお姉さんと慕ってくれました。
それから四年の月日が流れた頃だったと思います。小さく愛くるしかった彼女は私の背丈を追い越し中性的な魅力を持つようになり、私は恋心にも似た感情を妹紅に抱くようになりました。それから毎日のように逢い、数え切れないほど語り合いました。将来の夢や両親や友人の話。そして他愛のない話で笑い、現実に起きた悲しい出来事に涙したり…。一緒にいればそれだけで幸せでした。
ところがある日、私を捕らえようと月から使者達がやって来ました。世間様には知られておりませんでしたが、私は月の者でありそして罪人なのです。出来心から不老不死を授ける禁断の秘薬『蓬莱の薬』を服用する愚行を犯してしまったのです。私はどんな罰も受ける覚悟でしたが、不死になってしまった為自らの命で罪を償う事が出来ませんでした。そのため私は月から追放されたのです。
私は逃げも隠れもせず、使者達に全てを委ねるつもりでした。しかし妹紅が私の手を取り逃げようと言ってくれたのです。切実な想いに感極まり涙を流しました。それから一緒に逃亡を試みますが、使者を束ねていたのは月の頭脳と呼ばれる永琳です。人間の妹紅ではどうにもならず、私はすぐに捕らえられてしまいました。
しかし、妹紅は諦めませんでした。私を守ろうと傷ついた体で何度も永琳に立ち向かうのです。月の民で永琳の力を知らぬ者などおりません。永琳の実力は折り紙付け…いえ、最強と言っても良いでしょう。妹紅に勝ち目は万に一つもございません。私はこれ以上傷つく妹紅を見たくありませんでしたから、永琳にこの地を離れる様に切願しました。
私が消えれば妹紅は諦めてくれると思いました。それで妹紅が傷つかずに済むのなら、私など消えてしまった方が良いのです。しかし、それでも妹紅は諦めませんでした。私は運命を、全てを呪い絶望しました。ですが妹紅の強い気持が奇跡を起こしたのです。永琳は妹紅に蓬莱の薬を渡し言いました。
「この薬を飲めば彼女を守る力が得られる。だが薬を飲めばお前も罪人として月の使者に追われ、平穏な生活には戻れなくなる。全てを投げ捨てる覚悟はあるか?」
妹紅は躊躇わず薬を飲み干しました。そして永琳は他の使者達を裏切り、私達と共に長い長い逃亡生活を余儀なくされたのです。
何百年と逃亡生活を送ってきたある日、妹紅が月の使者に捕まってしまいました。私と永琳を逃がす為に、自ら囮となり捕まってしまったのです。皮肉なことに使者が妹紅を連れて月へ戻ると私達の長い逃亡生活は終わりを告げました。
それから何十年もの月日が流れ、妹紅が私達の前に姿を現しました。その時の事ははっきりとこの目に焼き付いております。少し痩せておりましたが、私には妹紅だとすぐに分かりました。妹紅が捕まったあの日からずっと彼女の事を考えていましたから…。月に連行されてどのような扱いを受けているのか? そう思うと気が狂いそうになりました。助ける術が無く、私は妹紅の無事を切に祈る事しかできませんでしたから…。永琳がいなければ私は取り返しのつかない過ちを犯していたでしょう。
私は妹紅に思わず駆け寄り抱きつくとそこで記憶を失いました。後から聞いた話ですが、抱きついた瞬間に妹紅と私は炎に包まれて私は骨になっていたそうです。それから妹紅は人が変わったように乱暴になり私の命を狙う様になりました。
永琳の推測では妹紅の記憶を改ざんし私への憎悪を植え付け、私を殺す様に仕向けたのではないか。愛する人から殺され続ける。それが私に対する罰なのではないか…。その推測は鈴仙の証言によって立証されました。月で起こった戦争から逃亡した鈴仙を私達は匿い、その見返りとして妹紅について証言させました。内容は口に出す事も躊躇うほど残忍で冷酷なものと記憶しております。そして妹紅はもう二度と戻る事は無いと言われました。
その話を聞いてから私は妹紅に抵抗するのを止めました。災いの元凶はこの私。どんな罰でも受け入れると覚悟をしておりましたから、この罰も受け入れるべきだと思いました。私は懺悔のつもりで妹紅に何万回と殺され続けましたが、それでも妹紅は変わるのではないかと希望を持ち続けました。いえ、私が彼女を変えて見せるのです。かつて妹紅が私に見せた『諦めない心』を今度は私が見せる番だと思い、来る日も来る日も耐え続けてまいりました。そしてついに妹紅が私にこう告げたのです。
「輝夜…。今まですまなかった…」
私は妹紅の言葉に救われました。それから妹紅は私を襲うのを止めました。かつての関係までには至りませんが、今こうして妹紅と逢い話しができる事に私は大きな喜びを感じております――
◆◆◆
全てを話し終えた慧音はお茶に手を伸ばし一気に飲み干した。飲み終えた表情はとても清々しい。胸のつかえが取れてすっきりしたに違いない。私もそうだ。しかし新たな感情が沸いたのも事実だ
「なあ、慧音。今の話は…殆ど輝夜の作り話だ…」
慧音は目を大きく見開き言葉に詰まった。いわゆる絶句と言う表情だ。
「ど…ど、どこまでが本当の話だ!」
「輝夜の関係は全部ウソだ…。永琳が月の使者なのは事実だが、蓬莱の薬を投げられて『全てを投げ捨てる覚悟はあるか?』なんて言われて無い」
「いや! 妹紅! 記憶が改ざんされただろ?! だから覚えてな…」
「百歩譲って記憶が改ざんされたとしても、私も輝夜に何万回も殺されているし、襲った事について謝ってないぞ」
慧音は言葉を失っていた。無理もないだろう。嘘だと信じられないくらい良くできた話だ。相変わらず口先で人を騙すのが得意な奴だ。
「私が輝夜を嫌うのは、父親が輝夜に大恥をかかされたからだ。そして輝夜に復讐するために蓬莱の薬を飲み不老不死になった。それから数え切れないほど殺し合いを続けてきたが互いに不老不死だ。何度やってもキリが無い。悠久の時を重ねて復讐心が風化し、今は停戦状態になっているだけだ」
「それで間違いないのか?」
「ああ。それが事実だ」
慧音はまだ動揺していた。状況を整理するのに時間がかかるだろう。それは仕方ないがこれからすぐにできる事がある。もちろん輝夜殺害だ。
「無関係の慧音を騙すとは許せない! きっちり落とし前をつけてもらおう!」
「ま、待ってくれ! 何か事情があっての事では無いか?」
この期に及んで輝夜を弁護するとは、慧音はどれだけお人好しなんだ。あいつを買い被りすぎだ。輝夜の恐ろしいところは今の慧音のように、洗脳されてしまうところだ。一度輝夜の毒牙にかかると正常な判断が出来なくなる。
「そんな事はない。あいつは楽しんでいるだけだ。私を怒らせる為に慧音をダシに使ったんだ。」
「それなら妹紅が怒鳴り込んでは輝夜さんの思うつぼだろ? それに親睦会が控えている。事を荒立てたくはない」
確かに慧音の言う通りだ。騒ぎを起こして里に迷惑をかけるのは気が引ける。
「私が明日事情を聞いてみる」
「なら、私も同席しよう」
「駄目だ。妹紅が同席すると永遠亭が火事になってしまう。ここは私に任せてくれないか?」
そこまで言われると慧音に任せるしかない。しかし輝夜と二人きりにしてしまうと、また騙されないか? それだけが不安だ。
◆◆◆
翌日の夕方に永遠亭にやって来た。もちろん輝夜さんに真意を確かめる為だ。私は客間に通されて、先日と同様に輝夜さんは笑顔で迎い入れてくれた。
「昨日妹紅から輝夜さんのお話しは嘘だと言われました。にわかに信じがたいですが、なぜそのような嘘を吐かれたのですか?」
輝夜さんは一つ間を置いてから口を開いた。
「妹紅から真実は伺いましたか?」
「はい。全て妹紅から聞きました。輝夜さんを嫌う理由や蓬莱の薬を飲んだ経緯などを…」
「そうですか…。」
輝夜さんは改めて足を直して正座をするとゆっくりと話しはじめた。
「初めに嘘を吐いた事について謝罪致します。ですがこれは全て妹紅の為なのです」
「どういう事ですか?」
「妹紅と親しい上白沢さんでしたらご存じでしょうが、不老不死の妹紅は孤独に苛まれておりました。見た目の変わらない不老不死は化け物と同じで、人間達は怖がって近寄って来ません。私には永琳や鈴仙がついておりますが、妹紅は常に孤独との戦いを強いられているのです。私はそんな妹紅がとても心配でした。しかし上白沢さんが妹紅と親しいと聞いた時、強固な信頼関係を築ければ上白沢さんが妹紅を救ってくださるだろうと確信しておりました。ですが妹紅は多くを語らず人を頼ろうしない為、上白沢さんとより親密になるのは難しいかと考えました。そこでおこがましいとは存じましたが、妹紅に真実を語ってもらおうとこのような嘘を吐きました」
輝夜は座布団から下りて両手を綺麗に揃えて深く頭下げながら言った。
「許されないのは承知しております。どのような罰でもお受け致します。その代りこれからも妹紅をよろしくお願いします」
私はそれ以上何も言えなかった。
◆◆◆
心配だ。非常に心配だ。永遠亭の門に体を預け慧音を待っているが、正常を保てず自然と貧乏ゆすりをしていた。一晩が経過しているが、輝夜の毒は抜けたのだろうか? 抜けていなければ、さらに状況は悪化する恐れがあるからだ。
「妹紅さん。昨日のおでん、すごく美味しかったです!」
「ああ。そうか」
鈴仙の話は右から左へ通り抜けてゆく。
「今度作り方を教えてください」
「ああ。そうだな」
適当に返事をしながら横目で屋敷を覗く。もちろん慧音の姿は見えるはずはないのだが、覗かずにはいられない。覗いたところで何か変わる訳が無いのも分かっている。やはり今からでも突撃した方が良いか? と様々な考えが巡っていると意外に早く慧音が出てきた。
「どうだった?」
すぐに尋ねると目を赤くした慧音は一言「頼みがある」とだけ告げられた。
◆◆◆
なぜだろう? 大根の山を目の前にして思った。これから夜までに沢山のおでんダネをこしらえないといけない。永遠亭の皆様へおもてなしの一品として私のおでんが選ばれた。永遠亭御一行様の熱烈な希望だと言う。
「妹紅! 手を休めるな。間に合わなくなるぞ」
慧音が包丁の刃を私に向けて言った。
「なんでだよ。なんでこうなった…?」
「光栄じゃないか。客人直々の指名だぞ。それに私も食べてみたい」
そう言いながら慧音は私に大根を投げつけた。受け取った大根を見て思った。やはり不安は的中したと……。
もう少し冒険しみても良いかも
ドキドキ感は特別無かったかなぁ。