『夜な夜な妖怪と会っている子供が居る』
何やら奇妙な噂が里の方で立っていた。
事実の確認のため博麗霊夢が足を走らせると、確かに村民の中にそう云う話をするものが居た。幻想郷を守る博麗の巫女として、これは見過ごせない事態であった。
その日の夜、早速霊夢は里の周辺を見回って、噂の真偽を確かめることにした。
秋が深まり、空の色が薄い日には、息が白く凍ることさえあった。博麗霊夢はいつもの紅白装束に、厚手のマフラーと黒っぽい外套をつけて、夜闇に沈んだ里を空から見下ろした。常夜灯としての灯籠塔は里の入り口と龍神像周辺にしか無く、田畑や街道は月明かりで僅かに照らされるだけだ。
子供が妖怪と会うのならば、必ずどちらかが、人妖の境界線である里の敷居を跨ぐはずだ。霊夢は目撃証言の多かった街道沿いの雑木林の枝の上に舞い降りた。里の外周は、大きな光こそ無いものの、乾いた枯れ葉が落ち積もり、足音で誰が来ているかすぐさま知れるだろう。手掛かりは音と光。
少しでも気を抜くと、遠くで聞こえる天狗倒しや草の根連中の馬鹿騒ぎ、奥で灯った妖精やら虫やら鬼火の光と間違えて、肝心のものを見逃してしまう。霊夢は獲物を狩る肉食動物のように息を潜めて集中し、動くものを警戒した。
暫くすると、比較的簡単にそれは見つかった。それは人間であるようだが、手に明かりを持たず、月光だけを頼りに命蓮寺方面の街道へと侵入しようとしていた。影から目測できる身長は、おおよそ産まれより十を数えるかどうかと云う程度だ。
子供を迎える影もあった。歪な形の影。人間の四肢に、巨大な、キノコのような頭をしているように見える。妖怪は、子供と手を繋ぐと、何をするまでもなく街道の道端の木陰に座り、会話を始めたようだった。
耳をそばだてようと霊夢が近づくと、それは突如としてライトアップされた。頭だと思っていたものは茄子色をした化け傘で、スペルカードの光線を出す要領で、自分達の場所だけ明るくしているようだった。傘を持つのは多々良小傘。唐傘お化けの妖怪だ。
どうやら世間話のようだった。里に出ての悪巧みや、人妖への誘惑と云うような取り返しのつかないものではない。だが、油断はできなかった。妖怪と人間はもとより相容れぬもの。そもそも、仲良くするのは双方の倫理に反している。
妖怪は、“恐怖”なのだ。霊夢達退魔師や、生に異常な執着を持つ変人以外が触れていいものではない。ましてや物心つかぬ子供が“それ”に憧れたり、育てられては…………
もし、妖怪が人間の前に姿を現すのなら、それは“恐怖”を体現するときか、もしくは正体を隠して騙そうとするときだけだ。一部の、霊夢に協力するもの達を除けば、そう云った“人間の敵”になる事は、あらゆる妖怪達の暗黙の了解であった。
多々良小傘。彼女はどうだろう?
霊夢の知る小傘は、真夜中の街道を急ぐ村人を脅かしたり、命蓮寺裏の墓地で誰かを驚かすために待ちぼうけを食ったり――――人間を食い殺し誑かす妖魔がうようよ居る幻想郷の中では、比較的無害な種類であった。
だからと云って、日頃の行いだけで判断するほど博麗の巫女は優しくはない。何しろ、人間の命に関わることなのだ。今すぐ子供の目の前に立ち塞がり、妖怪を抹殺してもいいくらいだ。しかし、妖怪としてでなく、人間の村娘として小傘が接している可能性もある。まずは様子を見て、その後の対応を考える事にした。
「これ作ったの」
子供が何かを小傘に渡していた。霊夢は目を据えてそれが何であるか探ると、何の変哲もない、折り紙の贈り物だった。
話を盗み聞きすると、子供は、里の一家の中で愚鈍と言われて疎んじられているらしかった。里での生活に耐えかねた少女が、衝動的に家出をしようと真夜中に飛び出したとき、運良く、小傘に驚かされて思い留まったようだ。それ以来、友達として通い詰めるようになった、とな。
幸運なのか、不幸なのか。
手際の悪い少女が唯一得意なのが、その折り紙だそうだ。子供は、つかの間の幸せを満喫していた。小傘の方は……、よく表情が見えない。
ともかく、このままにしては置けなかった。他人の家庭の事情は、この際どうでも良い。少女が妖怪と仲良くしたり、少女が妖怪に喰われる事さえなければ、家出の衝動など、時間が解決してくれる簡単な問題に過ぎないのだ。
霊夢は、夜が深まり、少女と小傘が別れるのを待った。やがて、あくびの多くなった子供を連れ、化け傘小傘はゆっくりと里の方へと手を繋いで引き返していった。
暫くすると彼女は無事、子供を家に帰し、里内で騒動のひとつも起こさずに踵を返したようだった。ちょうど、先程まで小傘と少女が話していた街道まで到達したところで、霊夢は姿を現した。
「ねぇ。あなたに聞きたいことがあるんだけど」
小傘は、かの妖怪バスターである博麗の巫女の登場にヒッ、と小さく息を呑んで肩を跳ねさせた。無理はない。霊夢が自ら妖怪を探しに来るという事は、“そう”であるのだ。
「な、何ですか霊夢さん。私まだ何も悪い事してませんよ?」
「まだ、ね。つまり近い内に何かを企んでいるのかしら?」
相手が付喪神程度の力しかない弱い妖怪ならば、恫喝で充分だろう。霊夢は、声に凄みを利かせて必要以上に距離を縮めた。
「こっ言葉の綾です! だって、私がやろうとしてるのは、霊夢さんの後ろにあるアレを見れば、分かるじゃないですか」
と、気迫に気圧されながらも、小傘は含みを持たせて答えてきた。後ろ。確か、小傘と少女が座っていた小さな木の幹があったな、と思い出し、霊夢は振り返る。暗がりだ。常夜灯は遠く、月明かりでは、その妖怪の計画の全貌は見通せなかった。何もない。はぁ、と溜め息を吐き、もう一度聞き直そうと霊夢が向き直ると、
「うらめしやー!」
無駄に響く声で、小傘がおどけてきた。
「……」
霊夢は顔に反応すら見せず、ただただ黙りこくりながら、手に持った大幣で妖怪の額を、ベンッ、と叩いた。
「やられたー!」
そういえば、この妖怪、人間の恐怖を食って生きているのだっけ。霊夢は思い返していた。習性ならば仕方ないが、雑すぎだった。
「で、満足した?」 半眼で、妖怪の勢いを殺すような渋い声色を使い、霊夢は話を進める事にした。
「あっ、はい」 途端、彼女はしおらしくなる。
「それでさ。単刀直入に言うけど、アンタ、里の子供と会って、どうしたいの?」
いきなり核心を突く。もし、望むような答えがなければ、すぐさま退治するつもりであった。
「どう、……って言われても。何か仲良くなっちゃったから」
「惰性で続けてるって云うのね。妖怪と人間が夜に出会う、って意味、アンタが一番わかってるでしょ? アンタ、まさか自分が妖怪だって相手に教えたんじゃないでしょうね」
「そ、それは無いよ。何も教えてないさ」
その様子を見て、霊夢はピンときた。この妖怪、きっと、何も考えてない。恐らく明日の飯のレシピすら、頭にないだろう。
「あー……。教えてない、ね。人間だとも言ってないわねアンタ」
「うぐぐ……」
「でさ。お願いがあるんだけど。いい?」
それは嘆願や要請の類でなく、言葉裏で縛り付ける脅迫であった。霊夢は顔を近づけ、いつでも相手を叩けるよう大幣を胸にぐい、と押し付けながら、こう、言い放った。
「近い内に、あの子のそばから姿を消しなさい。里で噂が立ってるわ。『妖怪が夜な夜な子供と会ってる』ってね。妖怪の摂理とか、私の手を煩わせるとかはこの際どうでも良いの。考えなさい。このまま、噂が真実とされて、広まってしまった時どうなるかを」
ただでさえ、少女は愚鈍の子として疎んじられている。それが、もし、妖怪と繋がりがあると判ったら……――――
言われ、口を噤んでしまった小傘を傍目に、霊夢は、これで懲りたろうと胸中で反芻して、ゆっくりとその場から飛び立った。
あとは彼女達が決めるだろう。どういう方法であれ、結論の如何によっては対処せざるを得まい。――一度、宝船が幻想郷を襲ったときに、彼女を退治しかけているから博麗の巫女の恐ろしさは身に沁みているだろう。
願わくば、それが妖怪の境界を越えないように……。
◯
野暮用はあっという間に済んだ。行商を襲い殺したロクデナシ妖怪達を殲滅するという、簡単な巫女の仕事だった。責務を終えた霊夢は、さっさと博麗神社に戻ってコタツを出した居間で横になっていた。
あれから暫くの時が流れた。霧の湖を薄い氷が覆い、木々たちは紅葉を終えて殺風景な空を映すようになる。博麗神社を囲む鎮守の森には霜が降り、防寒具が欠かせなくなった。落ち葉を使って行われた焚き火の跡が、境内の前で黒く燻っていた。
里に流れていた噂は消沈したように思えた。数日に一回は、夜中里を哨戒し、妖怪の動向を見極めようとしたが、あれ以来、ほとんど小傘の姿を見掛けなくなった。里周りでは脅かせないと知るや、行動範囲を変えたのだろうか。
何はともあれ、これでよかった、と霊夢は胸を撫で下ろした。
――――はずだった。これでまた、夜ゆっくり床に就く事が出来るだろうと安心した矢先、彼女の耳に喧騒が入り込んできた。
それは噂ではない。今まさに進行中の、妖怪に関わる厄介事であった。神社に飛び込んできた村の者に叩き起こされ、緩慢な流れを阻止された霊夢は、高台にある神社の鳥居越しに、一望される里の全景を鋭くキッと目で睨んだ。
何が起きたのか? 村人曰く、真っ昼間に妖怪が一匹、果敢にも里に乗り込んで暴れているというのだ。博麗の巫女は神社の石段から飛び降りるようにふわり飛び立つと、凄まじいスピードでその災禍の中心へと向かった。冬の寒気が霧のよう頬にまとわりつき、霊夢の意識を研ぎ澄ましていった。
噂と関係があるだろうか。小傘とは別に、何らかの妖怪の干渉があったのか? もしそれが、警告を無視した異変ならば、……対処するしかないだろう。妖魔を調伏する者として、幻想郷を守る博麗の巫女として、敵に、例外はない。
空から見下ろすと、里の中心にある龍神像の前に、丸い人集りが出来ていた。武装した村民か、と思いきやそうではない。単なる野次馬のようだ。霊夢は違和感を覚えた。
妖怪の姿がない。それに、人間に危害を加える化物に対して、この人の輪は変だ。相手は妖怪のはずだ。下手を打てば殺されかねない。眉根を寄せつつも、陰陽玉を懐に抱え、退魔針を指先に掴む。件の現場に降り立つと、その異常の理由が知れた。
「何よこれ……」 霊夢はひとり呟いた。
なんと、すでに妖怪は退治され、逃げ帰っていたのだった。そして、それを倒したものが輪の中央で持て囃されていた。何処かで見た顔……それは、小傘と一緒に居た、あの少女であった。
地面には、一羽の折り鶴が落ちている。
霊夢は心中で、しまった、と後悔した。何やら面倒なことに巻き込まれたのを直感で察した。妖怪が大量の餌を目の前に、子供に負けて容易く逃げ帰るなんて有り得ない。大抵は逃げる行動そのものに意味があったり、すでに里に何かを仕掛けて目的を達成してしまっているはずだ。それを裏付けるかのように、件の子供に触れても、神通力の類を感じる事ができなかった。
遅かった。警戒を緩めるべきではなかった。
「なあなあ霊夢さん」 と、名も知らぬ村民が話し掛けてくる。
彼ら野次馬は何も気付いていない。村民達は、子供が折り鶴を使って、“化け傘妖怪”を退治する様子を懇切丁寧に教えてくれた。霊夢は営業用の笑顔を作りながら、苦々しく唇を噛んだ。今ここで博麗の巫女が、妖怪の本当の思惑の有無を伝える事は可能だが、それでは里を混乱に陥れ、皆を不安にさせてしまう。
人間が恐怖に顔を曇らせるほどに、妖怪は増長する。
これを見越したのか? 否。アレは頭が良くない。すると、別に化け傘が存在するのだろうか。
新しい守り神の登場で湧き立つ観衆に加えて、その子供の親まで出てきてしまった。愚鈍の子、と蔑んで、冷たく当たっているはずの親が、これ以上ない笑顔と甘い声で少女を迎えるのだから、収集がつかない。
小傘の話は嘘ではない。霊夢は、あれから丸一日掛けて、実際に子供を調べてその実情を探っている。聞いた通りの冷遇ぶりであったが、食事が別になる事や、着るものさえ無いような迫害ではない。単に、口煩く指摘され、他の兄弟と比べられるだけの、もっと怖ろしい害悪と闘い続けている霊夢にとっては他愛のない事柄だった。
だが、この時ばかりは人間が化け狸に思えてしまった。
その親は、子供に神通力があると知るや否や、態度を真逆に変えきって、しかも、博麗の巫女である自分に、きっと役立つから子供を弟子入りさせてやってくれ、と体の良い押し付けをしてきたのだ。農作業には足手まといだからか、それとも要領の悪い子供の将来を案じての英才教育か。どちらにしろ碌でもない。
これでは家出もやむなしか。断る理由もなく、かと言っていつまでも預かる訳にはいかない。霊夢は自他の折衷案として、一ヶ月だけその子供の面倒を見ることにし、神社に置いたせいで子に危険が迫るようなら返す、と聴衆と鬼親に約束してみせた。
この歳で親元から離れて過ごすのはどんな気持ちだろうか。霊夢は博麗の巫女としての孤独な自分の過去を思い出し、そしてすぐにも記憶の奥に封印した。自分の可能性に素直に喜びを見出だせないでいる子供の顔を見て、次に里の人間達の喧騒を眺めた。
ひとつ、気付かれないよう喉の奥で溜め息を吐いた。彼らは悪人ではない。むしろ善人だからこそ、少女を送り出すのだ。
これが幻想郷を平定し続ける博麗の巫女の業か。一方的な流れのまま子供を引き取り、それと手を繋いで歩き出す。
しかし、霊夢もタダでは転ばない。
「けれど、条件がひとつあるわ。神社の稼ぎではこの子供の服と食糧は賄えない。だから、ある程度出して欲しいのよ。お賽銭でも構わないわ。……何なら、野次馬の中から未来への投資を立候補してもいいのよ」
と、一言付け加えて、自らの威厳を最大限利用するのであった。
◯
一度、少女の両親の家に立ち寄り、奉公の準備をさせた。荷物は少なく、衣服と折り紙、その場で書かれた証書によく使う食器ぐらいであった。腹違いなのか、仲が悪いのか、兄妹からはあまり反応が得られなかったし、何よりもその家が、“当たり前なほどに普通”だった事に霊夢は苛立ちを覚えた。
これで貧乏極まっていたり、片親にでもなっていたら子供の境遇も納得出るのだが。人間とは、妖怪よりも複雑である。
霊夢は、少女の手を引いて博麗神社へと帰っていく。気候はこれから更に寒く、乾いていきそうだった。空は白く濁り、ときおり強い北風が吹いては、夜が予想以上に冷え込む日々が始まるだろう。息を呑み、大きく吐き出すと白く凍り、それは冬の訪れを彷彿とさせた。
一ヶ月の共同生活。運用費は気前のいい村人が募って出してくれるようであった。“いつもお世話になってばかりだから”とは、村人の弁だ。子供が一人前の退魔師に成長して、仕事を手伝ってくれたら負担も減るだろう、と言いたいようだった。
正直、余計なお世話だった。確かに生活の元手は欲しいのだが、異変解決はもう間に合っている。腐れ縁の魔法遣い、霧雨魔理沙や、山の上のもう一人の巫女、東風谷早苗が、言わずとも勝手に付いてくるのだ。むしろ欲しいのは里を警戒する護衛であって、霊夢の見立てでは、少女がそれになるのは至難の業に思えた。
長い長い石段を昇り、ついに目的地に辿り着いた。一ヶ月。何をすればいいのか。とりあえず家事の具合や覚えの早さを見て、お守りの編み方でも教えてやろうか。
まず施設の案内だけして、今後の方針が決まるまでは軒先で座っててもらおう。まだ妖怪の意図を探る必要があるし、博麗神社に子供を置いたからと云って安心できない。事件の全容は未だ闇の中だ。とりあえず子供自身に妖怪の仕掛けが組み込まれていたり、妖怪そのものであるような可能性は無さそうだった。
「よっ」
縁側に回ると、そこには霧雨魔理沙が座っていた。暇潰しに来たのだろう、白黒の服に魔女の帽子と箒、いつもと変わらない様子だった。
「霊夢が子育てとは珍しいな。誰との子だ?」
どうやら里の騒動を知らないようだ。戯けるように魔理沙は茶化してくるが、霊夢にとってこれはまたと無いチャンスだった。子供の手を離すと、すぐにも彼女の質問に答えてやった。
「あなたとの子よ。魔理沙パパ。私はちょっと確かめたい事があるからこの子の事、よろしくね」
「えっ……え!?」
藪から棒の珍事に、魔理沙は目を白黒させて、こちらを静止しようと縁側から立ち上がるが、間髪入れず霊夢は神社を飛び立った。事情を知らない魔理沙に少女を任せるのは心許ないが、逆に知らない同士で仲良くやれるかもしれない。霊夢はその魔法遣いを心の底から信頼している。今は、何よりも優先すべき事がある。
この騒動が異変の前兆かどうか、確かめなくては。霊夢が遅れて里に着いた時点で、すでに手遅れだったのだ。先程まで妖怪が暴れていたのだから、行動は早いほど核心に近づけるだろう。里に変化はないか、噂は増えていないか、そして、逃げ帰った妖怪は何者なのか。
魔理沙と少女には悪いが、今日一日は我慢して貰おう。里が襲われた後では、博麗の巫女に意味はない。幻想郷の平穏は容易く崩れ去るものだ。これまで何度もあったように。
風に大きな乱れはなく、空気はしっとりと落ち着いていた。幻想郷の里は、上空から見下ろすと先程までの騒ぎがまるで白昼夢であったかのよう、何事も滞りなく進むようになっていた。人は流れ、商い、耕し、運び、妖怪の異質なシルエットなど、何処にも見当たらなかった。
龍神像のある広場に降り立つ。目視できる範囲にある長屋の玄関先で、青い風車が揺れていた。子供達が霊夢の脇を楽しそうに通り抜けていく。妖気の気配はない。妖怪がもし、何かを仕掛けるのならば、姿のない念や幽霊を配置するよりも、魔術的な意味合いのある物品を優先するだろうか。
暫く情報収集に費やすことにした。いつもと変わった様子はないか、見知らぬ人間を見ていないか、突然幸運が舞い込んできていないか……生業を持つ村人達の反応は、ただただ霊夢に日々の平穏を知らせるのであった。
あまりにも情報が乏しい。霊夢は仕方なく、里の中で唯一、常に妖怪と繋がりうる可能性のある場所を訪ねてみる事にした。
鈴奈庵。妖魔本が集まるという怪奇の古書店である。中は壮絶なほど埃臭く、いつも薄暗い。足を踏み入れると、店番の少女、本居小鈴が奥の机で暇そうに肘をついているのが見えた。
正直、此処は怪しすぎて、今回の事件とはまるで関係がないように思える。霊夢は手短に済ませようと店内中ほどまで来ると、そのまま小鈴に声を掛けた。
「ねぇ小鈴、最近変わったことない?」
その様子から、小鈴は瞬時に異変の気配を察したようだった。一般人ならば、嫌がる素振りのひとつくらい見せる場面だが、彼女は逆に目を輝かせて、自ら墓を掘りに行くように質問を返してきた。
「それって、何か変わった事があったって事ですよね?」
「何も変わってないから聞いているのよ」
「……?」
好き好んで妖魔本を集める人種だ。事の顛末を話してしまえば、勝手に首を突っ込んで周りに余計な迷惑を掛けてしまうだろう。霊夢は彼女の表情から答えを察知すると、すぐにも踵を返して店をあとにした。
小鈴は異質な古本屋だが、人間だ。そういう好事家は、妖怪の山に準備無く踏み込めば天狗に拉致されるだろうし、空も飛べないから玄武の沢に落っこちて死ぬことさえあるだろう。幾ら妖魔と触れ合う機会のある珍しい里人とはいえ、異変に巻き込むのは許されない。
しかし判らない。里に、何も変わりはないのだ。霊夢が気付きもしないような、とんでもなく巧妙な罠があるのか、それとももしや、妖怪だと見られていた襲撃者自体を疑うべきなのか?
それにしても、折り紙少女と同じくらいの歳なのに、小鈴はやんちゃが過ぎる。将来は魔理沙のような蒐集家だろうか。占星術や仙術ならば人間が身につけても問題ないが、そのものが人妖となってしまったら……――――残念ながら退治させて貰うしかない。
強い憎悪の念によって怨霊と化したり、修行を積んで仙人に昇華したり、秘術によって転生したり、信仰を集めて神と崇められたり、死を克服した人間の末路はひとつではない。
しかし、人間が自ら望んで妖怪と成ることは許されない。
何故なら“そのさきは破滅”であるからだ。神や仙人、幽霊と、人妖の決定的な違い。それは“ひとりでも可能なほどその道が容易であり、かつ強靭な肉体を手に入れられるズル技”である事だ。
要は、人間を堕落さしめるほど、卑怯で、便利なのだ。それに、妖怪や神という概念自体、ただの人間が居るからこそ存在できる空想の産物なのだ。この薄氷のバランスが崩れてしまえば、外来動物が入り込んだ孤島のよう、環境は激変し、原生生物――人間は駆逐され尽くしてしまうだろう。
人間は、必ずとも進歩せずとも良い。
妖怪も人間も少し馬鹿な方がいい。霊夢は里の居住区を囲む広大な田園風景を見下ろしつつ、思った。信仰は根付き、人々は平穏を過ごしている。命蓮寺や博麗神社へ繋がる山道では道祖神が旅人を見守っており、里外れにある守矢神社の分社には今も参拝客が手を合わせに訪れている。賢くなくとも、貧しくても、いつか死んでしまう運命でも、我々はやっていける。
人間と妖怪は明確に違う。恐れるものと、脅かすもの。たった六十年ほどを多彩に過ごすものと、永遠の中でただ一日を遊ぶもの。
嫌な予感が霊夢の脳裏によぎった。
もし、子供や妖精のような、無邪気さや、悪意のない優しさが、この小さな異変を作っていたら?
――――そしてその予感は当たるのだった。
「アンタが原因だったのね」
太陽が一番高く昇る頃、丁度、里に極近い山道で足を休めているその妖怪を、霊夢は見咎めた。発見された途端、慌てて逃げようとしたそれを封魔陣で拘束して尋問すると、すぐにも自分が龍神像の前で騒ぎを起こした妖怪だと白状した。大きな妖怪傘、赤青オッドアイの眼。
彼女は、多々良小傘だった。
「なんでこんな事したの?」
今にも退魔針を打ち込まんとする勢いで霊夢は聞いた。里を騒がしくした罪ではなく、もっと、未来を見据えての言葉だった。
「……それは、………………妖怪の恐怖が忘れ去られないよう、昼間に」
「嘘ね」 霊夢は、目を逸らして答えようとする小傘を遮って答えた。大幣を首に突きつけ、喉を圧迫するように力を込めて問い詰める。
「アンタはそこまで莫迦じゃない。けど、アンタは莫迦な事をした。あの子よね? 知らないだろうけど、私の神社に居るのよ。今」
内心乗り気ではなかったが、霊夢は恫喝するようにカマをかけてみる事にした。博麗の巫女の見立てでは、小傘はきっと子供と深い繋がりを持っている――いや、持とうとしているはずだ。
「どの子? 私は知らないなー」
化け傘はあくまで惚けるつもりのようだった。はあ、と見て判るようにわざと溜め息を吐いた霊夢は、とりあえず彼女に云えるだけの警告をする事に決めた。
「多分アンタの事でしょうから、子供の立場を変えたくてマッチポンプをしたつもりなんだろうけど、はっきり云って迷惑だわ。妖怪のくせに人間のフリしないで」
容赦ない一言だった。霊夢は言うのだ。二度と関わるな、と。
「……あのさ、例えばだけどさ、」
すると、先程まで顔を伏せてばかりだった小傘が、真っ直ぐ霊夢の眼を見て、恨めしむよう語気を強めて言ってきた。
「例えば、人間の子供ってさ、簡単に凍死するのよね。もしさ、ここ百年で一番すごい大寒波が来たとして、お布団が毛布一枚しかなかったら……寒くて死んじゃうよね」
「ねぇ小傘。……それがアンタに何の関係があるの?」
「ないよ。――私みたいな妖怪には“関係”が無い。だから、あなたに、そう訊いたんじゃない! 霊夢!」
言葉を荒げて、今すぐにでも霊夢が力を込めれば退治が完了するにも関わらず、小傘は博麗の巫女に訴えかけた。妖怪が人間を助けようとする話など――――吐き捨てるほどある。
問題は、その結果、どうなるかだ。
「で? 情に訴えて、自分の行為を正当化したいの? アンタが出しゃばったおかげで、どうなると思う? あの子、霊能力があるって勘違いされて、私に弟子入りさせられたのよ。寝床が暖かくなって良かったって、馬鹿みたいに喜ぶのかしら」
「私なら喜ぶよ。……霊夢! あなたがあの子を人質みたいに扱わなければね! 私は巫女の事情なんて知らないけどさ、どうせ子供をただの足手纏いくらいにしか考えてないんでしょ? 便利じゃなかったら雑に扱う。力があるやつは皆そう! 勝手に引き裂き、勝手に捨てるの! 可哀想な子供に手を差し伸べるのは、本当だったら人間の仕事でしょ!?」
彼女が少女に移入しきってしまっている事は明確だった。子供の境遇と自分を重ね合わせたのだろうか。妖怪は激高して拘束を破ろうともがくが、霊夢の力は小傘のそれより何百、何千も上手だ。自分の浅慮にしがみ付く彼女を声で殺すよう、博麗の巫女は、冷酷に言い放った。
「あなたは、チンケな雑魚にすぎないわ」
わざと視線を受け止めるように、顔の位置を並行させて、かの化け傘に説明してみせる。もし、杜撰な計画のまま、妖怪が、人間に善意を向けるとどうなるかを。
「現実の話をしましょう。――――今回、あれだけの観衆を集めたのだから、あの子への期待は必然的に高まるでしょう。それは何か、分かる? 彼女に何の重荷が課せられるか?」
多々良小傘は妖怪だ。やろうと思えば、人間の人生ひとつくらい腕っ節で変えられるはずだ。だがそれは霊夢が許さない。
あるひとつの人生は、人間のものであって妖怪のものでは無いからだ。その意味は、これから“死ぬまで”博麗の巫女であり続けなければならない霊夢が一番良く解っている。
いつまで経っても答えようとしない小傘に業を煮やし、巫女はこう言葉を続ける。
「妖怪退治よ。あの子は、遅かれ早かれそれに駆り出されるでしょう。……力なんてまるで無いのに」
だが、まだ妖怪は霊夢の言いたい事が判っていないようだった。そんな些細な事、とでも云いたそうに嘲りつつ返す。
「それが、どうしたの。あなたの言葉ひとつで、あの子は行かずとも済むじゃない」
「あのね、」 霊夢は嘆息し、それを丁寧に解説してやった。
「行かなければ霊能力なぞない事がすぐにバレるわ。そうなれば、彼女への風当たりは今までよりもずっと辛くなる。だって、誰しもが疑念を持つじゃない……どうしてあの時、妖怪を退治できたか。いつか必ず、誰かがあの噂に辿り着く。『子供と仲良くしている妖怪』。アンタは、最悪の一手を打ったのよ」
「――――嘘」
小傘はようやく事態の重さに気付いたようだった。起こした行動が何もかも裏目に出て、もはや妖怪の腕だけでは修正不可能な状態になっていた。更に追い打ちを掛けるよう、霊夢は罵声を浴びせかける。
「本当よ。アンタが莫迦なせいでこうなったの。警告に従って大人しく身を引いてさえいれば良かったの。アンタが自分の役割について、何も考えてないから……」
チラ、とその妖怪の顔を覗き見る。人間を脅かすのが得意な癖に、涙を浮かべて体を震わせていて、まるで恐怖に怯える子供のようだ。これで今度こそは凝りただろう、と霊夢は思った。妖怪にとって、その言葉が助け舟になるとは限らないが、台詞を付け加えてやる。
「まあ、あの子供は心配要らないわ。私が何とかするもの。――……けど、アンタはヤバイかもね。当分“化け傘妖怪”なんて名前を出しながら人様の前に姿を現せないわよ。退治されたはずの妖怪が変装もせず人里に現れるようになったら、一度倒したあの子に注目が集まるだろうし、何より二度目となれば、私がアンタを退治する事になるでしょうから」
霊夢にとっては最大の譲歩であった。小傘の善意を汲み取って出来るこの措置は、一見、温情のように見えるが、その実、妖怪を死に至らしめる可能性のある刑罰であった。
つまり、人を驚かせるなら、正体を隠せ、と謂うのだ。
妖怪は“恐怖”である。その怪奇や災禍を安定させるために、人間が作り出した幻想に過ぎない。
化け傘の彼女は、人間の驚きを喰べて生きている。脅かしを続けていれば、餓死はしないだろう。だが、何者か知られずに居続ければ、やがて忘れ去られ、その存在は希薄になる。
付喪神はおもにモノの祟りや執着によって出現する。多々良小傘は“元の持ち主”への感情を持ち合わせているのだろうか。唐傘お化けと成ったあと、どうやって自分を保ってきたのか。別の信仰と混ざりあった全く新しい妖怪なのか。霊夢は小傘をなにひとつ知らないが、ともかく名前を奪われた妖怪は、力を減衰させるだろう。
少し前、妖怪の山で縊り殺した名無しのロクデナシ妖怪達のように矮小に知性なく……――――
「最終的にアンタがどうするか。それは任せるわ。なぁに、正体を隠すか、里の噂の及ばない場所に何年か逃げてればいいのよ。考えなさい。今度は誰がどうなるかなんて難しい事は言わないわ。アンタが出来るコトを、考えなさい」
単なる杞憂であって欲しいと霊夢は願った。今、多々良小傘に突きつけている退魔針は、実は彼女がリストアしたものである。妖怪と人間の境界に立つ霊夢は、化け傘を心配している自分に気付き、焼きが回ったな、と封魔陣を解除し、そして踵を返した。
これ以上、それと目を合わせていると、まるで自分が、人間を退治しているような気分になってしまいそうだった。
人間の人生は続く。妖怪の一生も、途方もなく遠くある。博麗の巫女は空に飛び立った。ひとりで、人間の里を遥か眺める。
愚鈍と呼ばれた少女も、いつか自分の役割を見つけるだろう。霊夢は自分の姿を首の上から俯瞰した。紅白の装束。いつから、着ているのだろう。
フン、と自嘲するよう笑みをして、霊夢は博麗神社へと戻っていった。
◯
残された魔理沙と少女は、やはり相性が良かったようで、帰ってきた頃には意気投合して互いに折り紙を作り合っていた。
魔理沙に事情を聞かれると、霊夢は手短に説明して、これからの展望を彼女に話した。一ヶ月間どのように過ごし、この哀れな珍客をどう饗すか。霊夢の提案は理に適ったもののようで、魔理沙は特に反対することもなくそれを受け入れた。冬が近くなった日は短く、あっという間に空が赤く染まっていく。
常夜灯が神社の玄関を照らすようになると、少女と仲良くなった魔法遣いは自宅へと戻っていき、里を一望できる高台には人間が二人残された。夜は妖怪達の時間だ。霊夢は子供を中に招き入れ、簡単にご飯の炊き方と味噌汁の作り方を教えながら夕食を作った。大変な作業のはずなのに、何故だか、霊夢の顔はほころんでいた。普段からひとりでやっている所作を協力してやっているからかもしれない。
食事が終わり、風呂を用意する。博麗神社は湯屋を利用する里の住民達とは違い、標準的な浴槽を家に備えている。少しばかり改造されているひとり用の木桶風呂だが、少し詰めれば二人で入れそうだった。隣接した鋳物釜に薪を並べ火を焚べて、温まるまで気長に待つ。湯船に張った湯が金属筒によって滞留循環し、やがて冬の寒気に湯気を立て始める。
入浴のために嫌がる子供を脱がせると、その二の腕や肋骨の下の柔らかいところに、僅かな痣があった。よくみると、治りかけの傷が手足には無数にあり、思わず閉口した。たった一日で子供の生活を見極めた自分の目は節穴だったのだ。小傘の心配は、これを見越してのことだったろうか。少女をなだめて、沸かされた少し熱いお湯の中に一緒に沈んでいく。
ああ。揺らぐな。
霊夢は自宅湯屋の空いた窓から見える星々を仰いで、ゆっくり目を閉じた。妖怪と人間。目の前で肩まで浸かり、静かに息をする子供は、きちんと体温が通っていて、そして柔らかい。
夜は更けていき、月明かりが雲で隠れてしまった。床の間のある居間に2つ布団を並べて敷いて、寝間着に着替えて光を吹き消す。あとは明日を待つだけだ。夢は……――見ないほうが良いだろう。きっと悪夢だ。
普段眠っている場所とは異なっているせいか、なかなか寝付けないようで少女が声を掛けてきた。それは、明日への不安の吐露だった。自分は上手くやれるだろうか、失敗しないだろうか、家族は心配してないだろうか。その子は、小さく、ごめんなさい、と云った。
きっと、小傘との事件は、二人で考えてやった事なのだろう。
霊夢は真っ暗になって、自分の顔すら幻覚で見えそうな、黒い天井に向かって、こう答えた。
「大丈夫。私“達”は、失敗からやり直せる。良いほうを向いている限り、ね」
それから、当たり前のような時間と、当たり前のような新しい日々が始まった。食事を作り、掃除をして、緩慢な空気の流れる里をパトロールする。草鞋の編み方を教えたり、お守りの結い方を覚えさせたり、逆に折り紙の折り方を教わったり。次第にどうして少女が愚鈍と呼ばれるか、わかるような覚えの悪さが露出してくるが、そんなもの、些細な事だ。
子供は、手先が器用であった。毎日農作業ばかりに従事させていたせいで、向こうの親は気付かなかったのであろう。何をやるにも物怖じをして、良く物事の順序を混同してしまう欠点もある。ただ、共同生活は思ったよりも上手くいった。短所なぞ、幾らでも対処法が見つかるものだ。
霊夢はあえて霊力や信仰に関わる修行をさせなかった。子供も暗にその事に気付いていたようで、特に疑問が上がる訳もなく、たまに訪れる魔理沙に茶化されたりして時間は過ぎていった。
一ヶ月は短かい。初雪から数えて2日。ついに30日目。ついに少女と別れる日がやってきた。子供には、特に土産という土産は何も持たせなかった。代わりに“博麗神社のお墨付き”を与えた。これからは、少女が編んだお守りや折り紙に、退魔の力が付与されるわけだ。
魔理沙は図々しく、「それって詐欺じゃないか?」 と正論ぶって述べたが、霊夢は「妖怪退治じゃなくて、幸運の祈りよ? 云わば信仰のお裾分けよ」 と答えて躱した。
「もしかしたら、神社のお賽銭より儲かるかもな」
龍神像前で子供を引き渡し、その背中を見守る中、魔理沙は霊夢に皮肉を浴びせた。聴くと、博麗の巫女はハハ、と自嘲気味に笑って、
「そうね。……そうなったらあの子に継いでもらおうかしら」
と冗談めいて、空を見上げた。鼻先に、はらりと粉雪が落ちてくる。長屋にある風車は強く回転し、寒い冬がやってくる。
何もかもが元通り、とはいかないだろう。自分だけが日常に戻り、霊夢は、今日も、害為す妖怪達を倒しに飛ぶ。少女の家族は、どう変わるだろうか。そして小傘は、どうして居るだろうか。
――――あれから一ヶ月。
そして、更に幾つか、両手で数えられるほどの月日が過ぎた頃であった。里の長屋の軒先に、十羽の連なった折り鶴が下がっていた。霊夢は里を回る。一時は相当釣り上げられた値段で取引されていた神社グッズも落ち着き、今では子供が駄賃で買えるような値段で各民家へと出回っていた。
くるぶしまで沈むほどの雪。遠目で眺める。あの少女は、どうやら元気そうだ。両親はどうしたのだろうか。お墨付き工作の設定金額が小銭で購入できるくらいに落ち着いたのは、家族間で何かがあったからなのだろうか。ただ、物事が大きく変化を迎えたのは確かなようだ。
暫く龍神像の前で、何とはなしにぼーっとしていると、どこからともなく噂が流れてきた。それは、再び、妖怪の噂であった。
里の郊外で、夜、出歩いていると現れるらしい。その姿はあの退治されたはずの化け傘に似ているそうだが、親戚であって名前も種族も違っているそうだ。
何事かと思い、詳しく里の者に訊くと、あまりの出自に霊夢は笑い出してしまった。ああ、良く知恵を出したな、と彼女は思った。これなら、退治される事もないし、脅かしで腹も膨れるだろう。それに、あの子の両親もこれでは立つ瀬がない。本当に、良く考えたものだ。
霊夢は、そのあまりにも簡単で、そして最良の一策を間近で見るために、夜を待つことにした。常夜灯が雪で霧掛かり、里は薄ぼんやりとその姿を映えさせる。夜はすぐに訪れた。
紅白の巫女服を茶の外套で隠して、その妖怪が自分を脅かしにくるのを待った。寒いが、久々の再会である。これくらいの苦痛、自分がそれに与えたものと比べれば、大した試練にもならない。もし会う事が出来たら、教えてやろう。少女が今、どう過ごしているかを。
やがて雪の音に慣れ、土中で冬を乗り切ろうとしている虫達の気配がするようになると、彼女の肩を後ろから叩く者の手があった。
「恨めしやー!」
それは、雪の積もった大きな茄子色の傘を持ち、冷たい雪に触れないよう、歩きにくい天狗のような高下駄で身長を無理に繕って、青赤のオッドアイをこちらに向けて言ってきた。
「私は荒ぶる神タタラ! 子供を大切にしない親がいるほど私の力は増すのだ! お前は家族を大事にしているか! 無いなら取って喰ろうてやるぞ!」
……ああ、彼女らしい答えだ。脅かしつつ、子供を守り、そして妖怪は“新しい自分”になろうとする。
しんしんと静かに降り積もる雪の中、傘の下に隠れた二人の楽しそうな苦労話が、ぽつぽつと生まれては消えていった。
彼女は忘れ去られる事なく、存在死を免れるだろう。子供と再会できる日は、きっとすぐそこだ。
この少女を助けられるくらいには権限を行使することができるのでしょうか、むつかしいですね。