夜の闇に包まれた神社の中で一室だけが明るい。
「あら霊夢、こんな時間まで絵を描いてるの?私の言いつけをきちんと守ってるのね、えらいわ。でも健康を害するのはやりすぎよ」
「深夜にまで出歯亀してるんじゃないわよ、紫」
今日私はようやく集中した仕事を片付け終わった。早速霊夢に会いに行こうかと思ったがあいにくの深夜だ。日を改めるべきだったのだが、もう霊夢には3日も会えておらずこらえきれなかった。せめて寝顔でも眺めようと神社に訪れると、予想に反し明かりが灯っていたことに驚く。霊夢は自分の習慣を決して崩そうとしない人間であり、こんな時間まで起きていたことはこれまでなかったはずだ。
一体が何があったのかと霊夢の顔を覗き込むも、一瞥されただけで相手にされない。いつもは多少は受け答えする姿勢もあるのだが、今日は完全に相手にする気がないようだ。
「せっかくあなたのために私も頑張っているのにそんな扱いはないんじゃないかしら?」
「失せなさい」
刺々しい口調が胸に刺さる。しかし涙をこらえ意に介さない。彼女は冷たくてもきちんと他人を見ている。紫は強い子なのだ。
私はしばらく後ろ向きにいじけたあと気を取り直して霊夢の手元を眺める。そこには一枚の絵があり、その人物を見てようやく得心がいった。
(この子を描いてるから、霊夢もここまで真剣に取り組んでいるのね……)
私は思わず微笑み、そして教えたかいがあったと思うのだった。
------------------------------
とある秋の昼のこと。
「なんだか無性にやるせなくなってなんにも手がつかなくなることってないか?」
わたしはちゃぶ台に半身を投げ出す魔理沙のつぶやきを聞く。せっかく出したお茶にも手を付けていない。これではわたしが身銭を切った素敵な茶葉が無駄になってしまうではないか。 やはり鼻を赤くして飛び込んできたこのバカに情けをかけたわたしがバカだったか。
「なにそれ」
「上手く行かないと気分が落ち込んでくるんだ、特に就寝時間が遅れて来た時とかな」
「いいかげん真人間にならないと早死にするわよ」
突然押しかけて来て意味不明なうめき声を上げはじめたので、てっきり無職からアンデットにジョブチェンジしたのかと思った。そうなったらますます手間がかかるので止めてほしい。
「あいにく夜はいつも寝てるし、食事も朝の散歩も欠かさないからよくわからないわね。年中わけのわからないキノコを食べてるからそうなるんじゃないの」
とりあえずこの不摂生には昨日のレタスの残りを押し付けることにした。さぞ五臓六腑に染みわたるだろう。
「魔理沙さんが体で覚えた特選の品を舐めてもらったら困るぜ?」
魔理沙は顔を上げて反論する。寒さで耳まで真っ赤だった顔もだいぶ落ち着いてきたようだ。
「しかしお気楽なものだな、人生に悩みとかないのか? いや、愚問か」
「なにか馬鹿にされてないかしら」
「気のせいだぜ」
ようやく憎まれ口と一緒に手を動かしだしたのでお茶を入れ直しておく。元の方はわたしが飲んでおいた。
それからしばらくは二人でレタスをかじり続ける。こたつは強い重力場を発生している。コタツに包まりながらレタスを食べる気分は、さしずめ青虫になったかのようだ。一生そのへんの草でも食べて生きていけたら楽だと考えたが、最強の巫女を自負するわたしでもそれはできない。このレタスは裏の畑で採ったものだ。神社の敷地を勝手に畑にしているが気にしない。昨日収穫したばかりのそれは、日をまたいでも歯ごたえを失わない。
そのまま芋虫になったら魔理沙に世話をしてもらおうか、今までさんざん世話をしてあげたから返してもらってもいい、などととりとめのない想像を続ける。こたつの重力はますます強まり、こればかりはわたしの空を飛ぶ程度の能力でも逃げ切れそうにない。
そのままどんどん落ちていき腹がかすり胸もかすりあわや墜落するかと思われたその時、魔理沙が突然お茶を飲み干しわたしの手を取り立ち上がった。そのままこたつ場からも引き上げられる。
「あー霊夢、気分転換がしたくなった。朝の散歩は欠かさないと言ったな、ついでに食後の分も追加だ」
断定口調で戸まで開けている。と言うか風が寒い!
「えー、一人で行ったら?」
ここまでしておいて何故なやる気がなさそうな魔理沙に言う。
「いいだろ……。鬼巫女が出かけると誰かが洗濯のついでに賽銭を入れるかも知らんぞ?」
天気を口実に断ろうとすると、なんと魔理沙に同調するように、先ほどが嘘のように空が晴れだした。何だこの幻想郷は。魔理沙の味方なのか? 二度と逆らえないように100万回ぶっ飛ばして二度とわたしに逆らえないようにしてやる。
「誰か鬼巫女よ……はぁ、じゃあ天気も良くなってきたし、付き合おうかしらね」
「そうこなくちゃ」
------------------------------
外に出かけると先までの風は止んでいた。雲が晴れほのぼのとした日光がやさしく照りだし、まるで春のような天気だ。空気には穏やかさが満ちている。私は目ざとく自然の変化を捉え、霊夢の手を引きながら進んでいく。
「カルガモがたくさんいるなぁ。色々種類がいて面白い。あ、セグロセキレイも」
境内から階段を降り、川沿いの道を歩く。私は繋いでいない方の手であちこち指しながら、賑やかして進んでいく。せっかくの天気だ、陰気な気分は投げ捨てるに限る。霊夢はヒヨドリが騒がしく飛び回る声やトビのどこか呑気な鳴き声を聞いて、なんだかぼんやりとしているように見えた。
今日は神社に来た時から、いつもの打てば響くようなリズムがない。私は不安になってきた。
「おい霊夢、体調が悪いのか?」
「……いや、寝不足なだけよ」
「さっき夜はいつも寝ていると言ってたじゃないか」
「例外のない規則はないってね」
私の記憶では、霊夢はどんなものにも分け隔てなく接し例外は作らないはずだ。霊夢らしくない答えで私の不安はますます大きくなる。ただ霊夢は決して嘘をつかないから、霊夢が良いと言っているのであればとりあえず気にしないで良いのだろう。
私と霊夢はそのまま、ただひたすらに歩いてゆく。
「イチョウも、もう散っちゃったなあ。境内の掃除が大変だぜ。」
「いつものことよ……」
半刻も過ぎて川を過ぎたら丁度いい木があった。霊夢が歩くのにもふらついてきたので流石に休憩をとることにした。
霊夢が座り私もその隣に座ると、霊夢が私の帽子を取ってかぶった。日を避けるつもりらしい。
「おいおい私も入れてくれよ」
霊夢は少し目が覚めたようなので、私は霊夢の肩に頭を乗せて話しを続ける。次は少し前に始めた新しい修行の事だ。
「なあ霊夢、紫に言われた絵を描く修行、まだしてるのか?」
「ぼちぼちね。あいつも霊力の安定化とかお札づくりとか言ってたけど、ほんとに意味があるのか怪しいところよ」
「さっき部屋に数枚あったよな。ちょっと前に始めたばかりなのにもうあれか」
神社に飛び込んだ時に偶然目に入った。霊夢の描く絵は構図の自由度や、筋肉や骨格などの人体の精度が凄まじい。私も魔女として人体についての造詣はそれなりに深いつもりであるが、すでに私ではまったく敵わない。
「初めからパースが描けるような霊夢には、行き詰まりなんてないんだろうな」
霊夢はいつもそうだ。紫が話を持ってきた時に偶然私も居たので知っている。初めて絵を描くよう求められたとき、霊夢はなんの苦もなく紫も古びた8畳間も正確に描き取ったのだ。そしてそのあと豪華な料理を描き足していた。あいつ満漢全席が食べたいのか……
そう、霊夢はなんてでもできる、できないことなどないのだ。私はそれを知っている、いつもいっしょにいるから。それに比べて私は……
霊夢が答えた。
「わたしだって行き詰まることはあるわよ。できなくても、できるまでするだけだけど」
「霊夢にできないことなんてあるのか?」
驚いて霊夢に振り返る。その答えはあまりに私の常識から外れていた。思わず霊夢の顔を見ようとするが、霊夢は向こうを向いており、その表情を伺うことはできない。霊夢はそのまま答えた。
「……まあ、ないことはないわよ」
曖昧な答えが帰ってくる。僅かに答えを濁したようにも感じたが、ただ眠いだけかもしれない。
「……魔法の実験、上手く行きそうなの」
霊夢が突然話題を変える。私は答えた。
「えっと、あんまりだぜ。今回はいままでの中でも一番調子が悪くてダメダメだ」
「そう……だから今日はあんなのだったの……」
霊夢がやっとこちらをむいた。その顔はまぶたの重みと格闘しているようだった。昨日は米俵もぶん投げて始末した豪腕も、睡魔には勝てなかったらしい。やはり今日変なのも眠くて頭が回っていないだけか。その代わり腕は回している。
「ふぁ……。魔理沙、わたし、少し寝るわ……。まわり、おねがい……。」
霊夢は手を降ろし、私の手に重ねてつぶやいた。
「そ、そうか。了解だぜ」
私は霊夢の手を握り返す。
「研究、がんばってね……」
ついに目を完全に閉じて、穏やかな息をつきはじめる。この雰囲気では睡魔は当分立ち去りそうにない。
(さっきの霊夢は変だったな……いや、やっぱり眠かっただけか)
幻想郷中を震え上がらせる修羅巫女も寝顔はあどけないものだ。こいつが妙なのは今に始まったことではない。昨日はなぜかただの四角いの枠を持ち、あちこち歩き回って屈んだり寝転がったりブリッチをしたりしていた。本当にあれは何がしたかったんだ。
私はそんな軽く混乱した思考のまま、空いた手を所在なくさまよわせる。霊夢の寝顔を眺め、そして周りを見渡す。午後の光に照らされ、全てが鮮明だ。しかし、ここには誰の気配も感じられない。
……私はいま世界には霊夢と私の二人きりしかいない気がして、この時がずっと終わらなければいいのに、と思った。
------------------------------
その後ようやく目を覚ました霊夢を神社に連れて帰り、そのままグダグダした。さらに飯まで食べさせてもらった。霊夢はなんだかんだ言っても色々と振る舞ってくれるのだ。ただ私も流石にタダ飯は申し訳ないので今日は神社の掃除と片付けを手伝う。
片付けが済んだあと霊夢は奥へ下がると、一枚の紙を持ってきた。
「これ、あげるわよ」
私はそれを見て固まる。私を描いた絵だった。緻密かつ豪快に描き込まれ、全体の配分に霊夢のセンスが遺憾無くほどばしっている。目も喉も釘付けになる。そしてだいぶ時間が空いたあと、ようやく喉が霊夢の母屋の戸のように開いた。
「こんなの、いつの間に」
「思い出しながら描いたのよ」
「そうだったな……」
霊夢の記憶力を思い出して苦笑いする。こいつは何でも覚えているのだ。私と霊夢の弾幕ごっこの勝敗は全部覚えてるし、聞けばどんな勝負だったのかも細かく教えてくれるだろう。今まで私達がどんなことを話したさえ。私だって忘れていない。霊夢との記憶は日記に書いている。そして霊夢が言った。
「忘れられないわよ、あんたの事は」
思わず顔を上げる。
「それは」
「性懲りもせずにここに入り浸るからでしょ。毎度まいど居座って。あんまりひどいと弾幕ごっこで追い出すわよ」
「……ふっ、そのとおりだな。ぼちぼちにさせてもらおう」
もう一度絵を覗き込む。その顔は笑顔だった。私の姿を霊夢はこんなふうに覚えていてくれていたのか。私は霊夢の心にこんなに綺麗に写っていたのか。私の本当の心は……。
「あー……なんだかちょっとすっきりした気がする。今なら実験も上手くかもな。ありがとう霊夢!」
私は霊夢と肩を組み、虚空に向かって二人でポーズをとる。全く意味はないが、こういう時は霊夢もノリが良いのだ。
「はいはい……どういたしまして」
霊夢は笑った。そのまま戯れもほどほどに、私は境内に飛び出し箒にまたがる。
「今日は気分の良いうちにお暇しようかな。じゃあ、さらばだ!」
「さようなら」
後ろでは霊夢が手を降っていた。私は目の熱さに気づかれる前に星空に向かって飛び立つ。私の心は相変わらずだが、この絵を見ている間だけはきっと、いつもよりはましになれるだろう。
(本当にありがとう、霊夢)
これは部屋に飾っておこう。明日から生活を想像し、私は自然と笑顔になったのだった。
<終>
紫「ふふふ……この紫ちゃん、機を逃さず写真を撮ってあげたわよ。嬉しいでしょ?」
霊夢「……写真はありがとう。じゃあ消えろ」
紫「絵、喜んでもらえてよかったわね~うりうりうり」
霊夢「冗談はその顔だけにしておきなさいよ……。おいこら触るなぶっ飛ばすぞ」
紫「およよ……。魔理沙には何も言わないのに……」
霊夢「………」
「あら霊夢、こんな時間まで絵を描いてるの?私の言いつけをきちんと守ってるのね、えらいわ。でも健康を害するのはやりすぎよ」
「深夜にまで出歯亀してるんじゃないわよ、紫」
今日私はようやく集中した仕事を片付け終わった。早速霊夢に会いに行こうかと思ったがあいにくの深夜だ。日を改めるべきだったのだが、もう霊夢には3日も会えておらずこらえきれなかった。せめて寝顔でも眺めようと神社に訪れると、予想に反し明かりが灯っていたことに驚く。霊夢は自分の習慣を決して崩そうとしない人間であり、こんな時間まで起きていたことはこれまでなかったはずだ。
一体が何があったのかと霊夢の顔を覗き込むも、一瞥されただけで相手にされない。いつもは多少は受け答えする姿勢もあるのだが、今日は完全に相手にする気がないようだ。
「せっかくあなたのために私も頑張っているのにそんな扱いはないんじゃないかしら?」
「失せなさい」
刺々しい口調が胸に刺さる。しかし涙をこらえ意に介さない。彼女は冷たくてもきちんと他人を見ている。紫は強い子なのだ。
私はしばらく後ろ向きにいじけたあと気を取り直して霊夢の手元を眺める。そこには一枚の絵があり、その人物を見てようやく得心がいった。
(この子を描いてるから、霊夢もここまで真剣に取り組んでいるのね……)
私は思わず微笑み、そして教えたかいがあったと思うのだった。
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とある秋の昼のこと。
「なんだか無性にやるせなくなってなんにも手がつかなくなることってないか?」
わたしはちゃぶ台に半身を投げ出す魔理沙のつぶやきを聞く。せっかく出したお茶にも手を付けていない。これではわたしが身銭を切った素敵な茶葉が無駄になってしまうではないか。 やはり鼻を赤くして飛び込んできたこのバカに情けをかけたわたしがバカだったか。
「なにそれ」
「上手く行かないと気分が落ち込んでくるんだ、特に就寝時間が遅れて来た時とかな」
「いいかげん真人間にならないと早死にするわよ」
突然押しかけて来て意味不明なうめき声を上げはじめたので、てっきり無職からアンデットにジョブチェンジしたのかと思った。そうなったらますます手間がかかるので止めてほしい。
「あいにく夜はいつも寝てるし、食事も朝の散歩も欠かさないからよくわからないわね。年中わけのわからないキノコを食べてるからそうなるんじゃないの」
とりあえずこの不摂生には昨日のレタスの残りを押し付けることにした。さぞ五臓六腑に染みわたるだろう。
「魔理沙さんが体で覚えた特選の品を舐めてもらったら困るぜ?」
魔理沙は顔を上げて反論する。寒さで耳まで真っ赤だった顔もだいぶ落ち着いてきたようだ。
「しかしお気楽なものだな、人生に悩みとかないのか? いや、愚問か」
「なにか馬鹿にされてないかしら」
「気のせいだぜ」
ようやく憎まれ口と一緒に手を動かしだしたのでお茶を入れ直しておく。元の方はわたしが飲んでおいた。
それからしばらくは二人でレタスをかじり続ける。こたつは強い重力場を発生している。コタツに包まりながらレタスを食べる気分は、さしずめ青虫になったかのようだ。一生そのへんの草でも食べて生きていけたら楽だと考えたが、最強の巫女を自負するわたしでもそれはできない。このレタスは裏の畑で採ったものだ。神社の敷地を勝手に畑にしているが気にしない。昨日収穫したばかりのそれは、日をまたいでも歯ごたえを失わない。
そのまま芋虫になったら魔理沙に世話をしてもらおうか、今までさんざん世話をしてあげたから返してもらってもいい、などととりとめのない想像を続ける。こたつの重力はますます強まり、こればかりはわたしの空を飛ぶ程度の能力でも逃げ切れそうにない。
そのままどんどん落ちていき腹がかすり胸もかすりあわや墜落するかと思われたその時、魔理沙が突然お茶を飲み干しわたしの手を取り立ち上がった。そのままこたつ場からも引き上げられる。
「あー霊夢、気分転換がしたくなった。朝の散歩は欠かさないと言ったな、ついでに食後の分も追加だ」
断定口調で戸まで開けている。と言うか風が寒い!
「えー、一人で行ったら?」
ここまでしておいて何故なやる気がなさそうな魔理沙に言う。
「いいだろ……。鬼巫女が出かけると誰かが洗濯のついでに賽銭を入れるかも知らんぞ?」
天気を口実に断ろうとすると、なんと魔理沙に同調するように、先ほどが嘘のように空が晴れだした。何だこの幻想郷は。魔理沙の味方なのか? 二度と逆らえないように100万回ぶっ飛ばして二度とわたしに逆らえないようにしてやる。
「誰か鬼巫女よ……はぁ、じゃあ天気も良くなってきたし、付き合おうかしらね」
「そうこなくちゃ」
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外に出かけると先までの風は止んでいた。雲が晴れほのぼのとした日光がやさしく照りだし、まるで春のような天気だ。空気には穏やかさが満ちている。私は目ざとく自然の変化を捉え、霊夢の手を引きながら進んでいく。
「カルガモがたくさんいるなぁ。色々種類がいて面白い。あ、セグロセキレイも」
境内から階段を降り、川沿いの道を歩く。私は繋いでいない方の手であちこち指しながら、賑やかして進んでいく。せっかくの天気だ、陰気な気分は投げ捨てるに限る。霊夢はヒヨドリが騒がしく飛び回る声やトビのどこか呑気な鳴き声を聞いて、なんだかぼんやりとしているように見えた。
今日は神社に来た時から、いつもの打てば響くようなリズムがない。私は不安になってきた。
「おい霊夢、体調が悪いのか?」
「……いや、寝不足なだけよ」
「さっき夜はいつも寝ていると言ってたじゃないか」
「例外のない規則はないってね」
私の記憶では、霊夢はどんなものにも分け隔てなく接し例外は作らないはずだ。霊夢らしくない答えで私の不安はますます大きくなる。ただ霊夢は決して嘘をつかないから、霊夢が良いと言っているのであればとりあえず気にしないで良いのだろう。
私と霊夢はそのまま、ただひたすらに歩いてゆく。
「イチョウも、もう散っちゃったなあ。境内の掃除が大変だぜ。」
「いつものことよ……」
半刻も過ぎて川を過ぎたら丁度いい木があった。霊夢が歩くのにもふらついてきたので流石に休憩をとることにした。
霊夢が座り私もその隣に座ると、霊夢が私の帽子を取ってかぶった。日を避けるつもりらしい。
「おいおい私も入れてくれよ」
霊夢は少し目が覚めたようなので、私は霊夢の肩に頭を乗せて話しを続ける。次は少し前に始めた新しい修行の事だ。
「なあ霊夢、紫に言われた絵を描く修行、まだしてるのか?」
「ぼちぼちね。あいつも霊力の安定化とかお札づくりとか言ってたけど、ほんとに意味があるのか怪しいところよ」
「さっき部屋に数枚あったよな。ちょっと前に始めたばかりなのにもうあれか」
神社に飛び込んだ時に偶然目に入った。霊夢の描く絵は構図の自由度や、筋肉や骨格などの人体の精度が凄まじい。私も魔女として人体についての造詣はそれなりに深いつもりであるが、すでに私ではまったく敵わない。
「初めからパースが描けるような霊夢には、行き詰まりなんてないんだろうな」
霊夢はいつもそうだ。紫が話を持ってきた時に偶然私も居たので知っている。初めて絵を描くよう求められたとき、霊夢はなんの苦もなく紫も古びた8畳間も正確に描き取ったのだ。そしてそのあと豪華な料理を描き足していた。あいつ満漢全席が食べたいのか……
そう、霊夢はなんてでもできる、できないことなどないのだ。私はそれを知っている、いつもいっしょにいるから。それに比べて私は……
霊夢が答えた。
「わたしだって行き詰まることはあるわよ。できなくても、できるまでするだけだけど」
「霊夢にできないことなんてあるのか?」
驚いて霊夢に振り返る。その答えはあまりに私の常識から外れていた。思わず霊夢の顔を見ようとするが、霊夢は向こうを向いており、その表情を伺うことはできない。霊夢はそのまま答えた。
「……まあ、ないことはないわよ」
曖昧な答えが帰ってくる。僅かに答えを濁したようにも感じたが、ただ眠いだけかもしれない。
「……魔法の実験、上手く行きそうなの」
霊夢が突然話題を変える。私は答えた。
「えっと、あんまりだぜ。今回はいままでの中でも一番調子が悪くてダメダメだ」
「そう……だから今日はあんなのだったの……」
霊夢がやっとこちらをむいた。その顔はまぶたの重みと格闘しているようだった。昨日は米俵もぶん投げて始末した豪腕も、睡魔には勝てなかったらしい。やはり今日変なのも眠くて頭が回っていないだけか。その代わり腕は回している。
「ふぁ……。魔理沙、わたし、少し寝るわ……。まわり、おねがい……。」
霊夢は手を降ろし、私の手に重ねてつぶやいた。
「そ、そうか。了解だぜ」
私は霊夢の手を握り返す。
「研究、がんばってね……」
ついに目を完全に閉じて、穏やかな息をつきはじめる。この雰囲気では睡魔は当分立ち去りそうにない。
(さっきの霊夢は変だったな……いや、やっぱり眠かっただけか)
幻想郷中を震え上がらせる修羅巫女も寝顔はあどけないものだ。こいつが妙なのは今に始まったことではない。昨日はなぜかただの四角いの枠を持ち、あちこち歩き回って屈んだり寝転がったりブリッチをしたりしていた。本当にあれは何がしたかったんだ。
私はそんな軽く混乱した思考のまま、空いた手を所在なくさまよわせる。霊夢の寝顔を眺め、そして周りを見渡す。午後の光に照らされ、全てが鮮明だ。しかし、ここには誰の気配も感じられない。
……私はいま世界には霊夢と私の二人きりしかいない気がして、この時がずっと終わらなければいいのに、と思った。
------------------------------
その後ようやく目を覚ました霊夢を神社に連れて帰り、そのままグダグダした。さらに飯まで食べさせてもらった。霊夢はなんだかんだ言っても色々と振る舞ってくれるのだ。ただ私も流石にタダ飯は申し訳ないので今日は神社の掃除と片付けを手伝う。
片付けが済んだあと霊夢は奥へ下がると、一枚の紙を持ってきた。
「これ、あげるわよ」
私はそれを見て固まる。私を描いた絵だった。緻密かつ豪快に描き込まれ、全体の配分に霊夢のセンスが遺憾無くほどばしっている。目も喉も釘付けになる。そしてだいぶ時間が空いたあと、ようやく喉が霊夢の母屋の戸のように開いた。
「こんなの、いつの間に」
「思い出しながら描いたのよ」
「そうだったな……」
霊夢の記憶力を思い出して苦笑いする。こいつは何でも覚えているのだ。私と霊夢の弾幕ごっこの勝敗は全部覚えてるし、聞けばどんな勝負だったのかも細かく教えてくれるだろう。今まで私達がどんなことを話したさえ。私だって忘れていない。霊夢との記憶は日記に書いている。そして霊夢が言った。
「忘れられないわよ、あんたの事は」
思わず顔を上げる。
「それは」
「性懲りもせずにここに入り浸るからでしょ。毎度まいど居座って。あんまりひどいと弾幕ごっこで追い出すわよ」
「……ふっ、そのとおりだな。ぼちぼちにさせてもらおう」
もう一度絵を覗き込む。その顔は笑顔だった。私の姿を霊夢はこんなふうに覚えていてくれていたのか。私は霊夢の心にこんなに綺麗に写っていたのか。私の本当の心は……。
「あー……なんだかちょっとすっきりした気がする。今なら実験も上手くかもな。ありがとう霊夢!」
私は霊夢と肩を組み、虚空に向かって二人でポーズをとる。全く意味はないが、こういう時は霊夢もノリが良いのだ。
「はいはい……どういたしまして」
霊夢は笑った。そのまま戯れもほどほどに、私は境内に飛び出し箒にまたがる。
「今日は気分の良いうちにお暇しようかな。じゃあ、さらばだ!」
「さようなら」
後ろでは霊夢が手を降っていた。私は目の熱さに気づかれる前に星空に向かって飛び立つ。私の心は相変わらずだが、この絵を見ている間だけはきっと、いつもよりはましになれるだろう。
(本当にありがとう、霊夢)
これは部屋に飾っておこう。明日から生活を想像し、私は自然と笑顔になったのだった。
<終>
紫「ふふふ……この紫ちゃん、機を逃さず写真を撮ってあげたわよ。嬉しいでしょ?」
霊夢「……写真はありがとう。じゃあ消えろ」
紫「絵、喜んでもらえてよかったわね~うりうりうり」
霊夢「冗談はその顔だけにしておきなさいよ……。おいこら触るなぶっ飛ばすぞ」
紫「およよ……。魔理沙には何も言わないのに……」
霊夢「………」
頑張っている、魔理沙と霊夢が良かったです。
胸の暖かくなるいいレイマリでした