新聞記者なる職業が、下品で下賤で下世話で下劣で下等で低俗で低脳で底辺で不潔で不徳で不憫で不幸で不摂生で不衛生で不感症であることは、わざわざ説明するまでもないだろう。
それは現実世界においても幻想郷においても同じであり、およそ新聞記者であれば例外無く下品で下賤で下世話で下劣で下等で低俗で低脳で底辺で不潔で不徳で不憫で不幸で不摂生で不衛生で不感症である。
もちろん射命丸文も同じで、上記の罵り文句を聞いたなら「あやや、それは私のことですね」と言えるほどの神経を持っていることは言うまでもない。
とはいえ記者になる前の文の目は澄んでいた。
毎日見ていた山の眺望を単純に美しいと思える感性を持っていたし、川のせせらぎに聞き入ることだってできたのだ。
なので、大天狗の気まぐれで「お前、明日から新聞記者に配属だから」と言われた時には大いに嘆いたものである。
「何故私があんなピリピリしてネチネチしてイライラしてキリキリしてベトベトしてヌルヌルしてゲロゲロしてる新聞記者なんぞにならなくはならんのですか」と、泣きながら半狂乱で抗議したのだが「それがフランクだから」という団塊世代のよく分からない言い回しで結局、新聞記者に身を落とすことになってしまった。
「もうダメだ、私の未来は断たれた」そんな絶望に打ちのめされ深い霧の山奥を彷徨い、もういっそ明日にならなければ新聞記者なんぞという懲役刑をどうにか免れることができるのではないかと永遠亭の活躍を期待したのであったが、こういう時に限って異変は起こらず、滞りなく朝日は昇った。
もはや自暴自棄の呆然自失、自傷、自決、自涜、自殺の心持で出社したのであったが、そこで文は衝撃的な光景を目にする。
「先輩社員いないじゃないですか!」その通りであり、すべて一から企画し勝手にやれという大天狗の無茶ぶりであったのだ。
およそこの手の業界は体育会系を履き違えた下衆と外道と悪魔と悪鬼と羅刹と魑魅魍魎の類で構成されているので、理不尽な精神論が未だに罷り通り、飲み会では当然の如くセクハラが横行し、一気呑みが習慣として行われており、そんな腐った風土から生える芽など害悪に他ならないのであるが、つまりのところ、こうした冗談じみた常識外れの出来事が本気で起こりうるのが出版という苛烈な暴力にも似た世界なのである。
「あやや、何すればいいんでしょう、あやや」混乱と困惑と混迷に見舞われながらも、とりあえず誰かこの手の企画を立てた経験のある者からノウハウのひとつでも教わらなければ仕事にならず、「あやや、あやや、あやや」と貧血に目を回していると廊下から大天狗がにゅっと顔を出し「君、その口癖ハイセンス」などと言い立ち去って行ったものだから、文は生まれて初めて殺意の意味を知ったのであった。
何の機材も器具も道具も無い、先程まで空き部屋同然だったような部屋のドアにはいつの間にか新聞部門というプレートが無神経にも掲げられており、組織が組織の体を成していないこの愚劣で愚昧で蒙昧な者どもの集合体に部門もへったくれもあるものかと腹を立てたが、もはや、やるしかない。
もう発注も何もどこから手を付けていいのか分からない状況下に陥ると不思議と笑いが込み上げてくるもので、しばらく狂人のごとき笑いを上げた文だが、何やら1カ月以内に一部でも発刊しないと首を切られてしまうらしいという話を耳に挟み、次は邪悪という言葉の意味を知ったのであった。
もはや体当たりでぶつかる他ないだろうと、注文もくそもあるかと羽を広げて文房具店に駆け込み幼い頃に使って以来の原稿用紙をがっさと買い求め、トンボの鉛筆やMONOの消しゴム等々、おそらく文章を書くには必要なものを掻き集めたのだが、無知のヴェールを強制的に被せられた文が、このように小学生のお使いのごとき低脳丸出しな行動を取ってしまったことを誰が責められるだろうか。
帰り道で文はなぜだか「インキンタムシ」という言葉を急に面白く思ってしまいしばらく呟いて、河童どもにまこと不審人物のような目で見られた一幕もあったが、ともあれ何かを書く準備はできたぞと勢いだけを抱えて新聞部門の部屋に飛び込むと、どう気が狂ったのか大天狗が一人でお茶を飲んでおり、「次、外に出た時はスイカバー」などと言うものだからコンパスの先端で自らの目玉を抉る妄想がくっきり脳裏に浮かび上がったのであった。
賽の河原に棲むとされる鬼の如き腕力で積み上げた気力をガリガリメリメリバキバキとぶち壊す大天狗をどうにか宥めて追い出したものの、さあネタがない。
入社の際に行動力には自信がありますと言ったのがアダとなったのか今では知る由も無いのだが、ともあれ気の遠くなるこの白い原稿用紙を何か意味のある文字で埋め尽くさなくてはならない。あの大天狗を呪う文字であれば10,000字も20,000字も書けそうであったが、そうはいかないだろう。
この山を宣伝できる何かという一定の縛りがあり、しかし、そんな身内自慢のくそったれたお下劣なものを書いて誰が喜ぶのだろうか。
こうなるとペンを持つ気がまるで失せて、ひたすら消しゴムを齧っては吐き出し齧っては吐き出し、やあこれは神経症になってしまうと気付いたあたりで、ようやくのたうち回るミミズの絵を書いたのであった。これが文の精神状態を的確に現した表現物であることは疑いようがなく、これをもってして山の実情だと呵々大笑とすることも出来なくもなかったが、未だに残る僅かな良心がそれを許さず慌てて消しゴムで消した。
あれやこれや考えあぐねた挙句、そうだレイアウトから先にやってしまおうかと思い付き、安っぽい藁半紙を他の部署から借りてきて、意味の無い長方形や正方形を並べるとなにやら一度は具体案のようなものが見えそうにもなったが、やがてそれが幻想だと気付くのであった。
何を書こうとしているのかも分からずレイアウトばかり進めようとするのは順序も知らぬ阿呆のすることであり、ともあれ取材に飛ぶしかないなと思い立つも、そもそも何の取材を行うのかも分からないままではどうせ路上を彷徨う不審者と間違われるのがオチであると気付き、自身の創造力の無さを呪ったが、この殺人的な呪いのエネルギーの大半は、弾丸ライナーに近いファールボールの勢いで大天狗の額に向けられていた。
そうだ、川のほうで河城にとりが何やら面白そうなことをやっていたぞと思い出し、いったいあそこは山の傘下だったっけとも思ったが突撃あるのみである。
上が調整を誤ると文のような地獄の激務に陥る者が現れる一方で、にとりのような閑職が生まれてしまうといった理不尽極まりない状況が発生し、それで同じ月給をもらっているのだと思うと衝動的ににとりのことを縊り殺したくなる衝動に駆られることもあるのだが、それを実行しない自分はなんと立派なのだという、自己完結的な自尊心が生まれるのであった。河をずっと下って飛んでいくと眼下に作業中のにとりが映り、「にとりさんにとりさん」と声をかけたものの、「あっ、にとりさんなんで逃げるんですにとりさん」どうやらにとりは新聞記者などという陰気で陰険で陰鬱で陰惨なオーラが感染するのを嫌がり、慌てて逃げ出したのであったが、ここは文の機動力が勝り、刑事ドラマさながらの取り物劇を演じた挙句ようやく話のひとつでも聞くことができたのだった。
「ドカタ寸前のエンジニア風情に新聞記者様が何の用だよ」と、すっかり邪険に扱われたものの掌の生命線が途絶えるかどうかの瀬戸際の文はごり押しで「面白い話のひとつでもお願いしますよ」と頼み込んでみたが「奴隷寸前のエンジニア風情に面白い話ができるとでも思ってるんだ、へぇ」などと言われ、この嫌味には文もいよいよにとりを縊り殺す画がくっきりと浮かび上がったが、ここは同じ奴隷身分の優劣で争っていてもラチがあかず、いずれ共に大天狗に向けて盛大なクーデターを起こそうではないかと、お互いに決起する姿を妄想して必死にこらえながら話を続けた。
「製造現場の美学っていうんですか、そういうものをお願いしたのですが」これが意外と好感触であり、にとりは待ってましたとばかりに話をしたのだが、現場で従事する者の哲学から次第に話は逸れ、なぜだか腕力自慢に移行しやがて身の上話を延々とされてしまい、これはいよいよダルい職業だと気付くと、ふと精神的肉体的疲労によりうつらうつらとしてしまうものだから必死に堪えたものの、やがて血液がみぞれ状になって逆流するような事実が発覚する。
あっメモを用意してないじゃないかと気付いたとき確実に顔面が蒼白になった心地がしたのだったが、覆水盆に返らず、まさか意気揚々と話すにとりを遮り、すいませんメモ取ってなかったんでもう一度と言ったならばもはや無言で殴られシュレッダーにかけられてしまうことは避けられないだろう。
とはいえ話が進めば進むほど傷口が広がり、それでも切りだすタイミングばかりを逸し続けてしまったのだから文は大量失血死の心持を味わった。
膝ががくがくと震えだすとにとりの言葉など耳に入らず、ばね仕掛けの人形の如く首をこくこくさせるといったシュールな行動を続ける他なかったが、こうなるといよいよにとりも何かおかしいぞと気付いたのか、訝しげな目を向けるようになる。
そしてエンジニアの目は的確に文の不審を見抜き「そういやメモ取ってないけど大丈夫なの?」と言い放つものだから、文は自爆装置が欲しくなった。
これには「はい」とも「いいえ」とも答えることができず、脂汗がブラウスをだらだらと濡らし、「アヤヤ、ダイジョウブ」と裏返った声で言うとにとりは呆れかえり、この文のあまりにもひどい有様に最大級の軽蔑と侮蔑と絶交と断絶と処刑の目を向けて「もういいや」と言って立ち去って行き、無力な文はそれを止めることすらできずにただ木偶の坊の如く立ち尽くすのであった。
忘れよう、すべてを忘れよう、先程起こったことは白昼夢であり、すべては無かったことなのだと自分に言い聞かせるがそうはいかずダメージが残り、『夢見る製造現場!溢れるパワー!』という小学生でも思いつくようなお下劣な見出しを作り、うろ覚えの記憶に捏造を混ぜてペンを進めるが、これがもしもにとりの目に入ったらいよいよ私は殺害されてしまうのではないかという後ろめたさに襲われ、ペン先がわなわなと震えた。
当時、新聞の作り方も知らぬ文はとりあえず掻き集めた情報で紙面を埋めることが精いっぱいであり、順序や方法論なんぞ知ったことかと開き直り、適当に掻き集めた情報を綴って、後からこじつけの如く方向性を上に説明すれば大丈夫だろと考えていた。
なので進捗状況を大天狗に問われたときはどぎまぎとしながら、「アヤヤ、コノ山ノデスネ、アヤヤ、潜在的ナ魅力ヲデスネ、アヤヤ、ドウニカデスネ、アヤヤ、顕在化デキルヨウナデスネ、アヤヤ、ソンナ新シイ切リ口ヲ探シ出ソウトシテイルノデアリマス、アヤヤ」などと内実を伴わぬアバウトな説明をし、これには大天狗も首をかしげたがなんとか切り抜けてほっと一安心する場面もあった。
他にも山の住民である秋姉妹に取材に行ったこともあったが、前回アポイントメント無しで会えたことをいいことにまたも突撃取材を敢行してしまい、さすがにこの非常識さには呆れられろくすっぽ話すら聞いてもらえず追い返されるといった失態もあり、これに懲りて鍵山雛に取材した際には、きちんと事前にアポを取りメモを用意して行ったのだが、新聞記者なんぞは所詮社会からまともに相手にされず、すっぽかされることなど当たり前で、
ましてやまだ出回ってすらいない新聞の取材となればいったい誰がまともに応じるだろうか。文はストレスで羽がきれいさっぱり抜け落ちるかとも思った。
記者の中には出世しても取材拒否をされた個人に対し恨みを引きずり続け、口汚い罵詈雑言の類を記事にする者は少なくないが、文にとってはまだ先であろう。
こうなるとそこらの雑多な河童や天狗どもに話を聞き始めるしかなくなるのだが、もはや上司の悪口や部下を罵る言葉しか出てくるのみであり、ああ、にとりはどれだけ立派な存在だったのかと今更ながら文は悔やんだのであった。
ようし、いっそにとりの記事で埋め尽くしてやるぞぉとも意気込んだが、これは流石に文に残された僅かな良心が痛みペンは進まないままであった。
この時間の浪費が焦りを生みだし焦っている自分に焦ってしまい、「精神と時の部屋」が幻想入りしてくれることを切に願うといった不毛な考えに至り、いやいや少しくらい余裕を持ってもいいんじゃないかという甘えに転じたものの、そもそも先の見えない作業であるからには予測もつかないぞと気付くと、急に尻に火がついた心地がして山を飛びまわったりもしたのであったがそのほとんどが徒労に終わってしまうのだからいよいよ嫌になった。
そうだ、にとりさんに頭を下げて、もう一度だけお願いしよう。行き詰った文は最終手段とばかりにようやくその結論を出したのだが、これがつらい。
どのツラ下げて行けばいいのかも分からず、ヘラヘラではレンチで撲殺の憂き目に遭うだろうしニコニコでは口にコンクリを流し込まれるだろう。
そんなことを考えていたが結局のところ素直に非を謝罪しどうにか懇願する他ないと思い、誠意というあざとい武器を使おうというあざとい気持ちで再度アポイントを取ったのだがこれは直接ではなく、文とにとり、両者といくらか交友があった河童に間接的に伝えるという卑劣さを発揮した。
川沿いをぴゅーっと飛んでにとりの姿を発見した。ところがさすがに頭上からの挨拶では無礼にもほどがあると思い物陰へこそこそと着地する。
かくして卑屈な顔を全面に押し出して再会したのであったが、意外にもにとりのほうこそ済まなそうな顔をしているのではないか。
「まあ、文も馴れないことで大変だっただろうし、山の仲間としてもう一度協力してあげるよ」と言われたものだから、これには大感謝の大感激であり、何を私は卑怯で卑劣で卑屈で卑猥なことばかりしていたのだろうと恥じるには充分であったし、同時ににとりの人格者っぷりに感服したのであった。
この大破格のチャンスを逃すものかと意気込み、取材メモを取るうちにいくらか新聞の全容が浮かび上がってくるのだからしめたものである。
こうなってくると自分が本当に新聞記者になっているという実感が湧き、誇らしげな気持ちが芽生え、あやや、これは悪くないと思い始め、デスクに戻ってからは『エンジニアとしての美学』と題が打たれたメモ帳の中から使い古された文脈を捨象しているうちに、なかなかキレのある文章が出来上がってきたのだからこれはやったぞと小躍りしたい気持ちでいっぱいになったのであった。
河童エンジニアたちの機械を使えば印刷も内部で行えると知ってからはこれは渡りに船だとぞ喜び、すべては順調に行くかと思えた。
だが、大天狗に概要を説明したときのことであった。
「もっとセンセーショナルに行こうよ」と言われて「はぁ」と生返事をしたのだが、どうも文の見解と大天狗の見解が食い違っているように感じ、その辺りを掘り下げて行ったところ、どうやら大天狗としては外部に対し山を大々的に宣伝できるような新聞を頼むと言っていたようなのだ。
ばかな、そんな内輪ウケの新聞、外部の誰が読むものか。そもそもたいした事件も起こらない山の事情なんぞ誰も知りたくもないだろう。
てっきり山の傘下に向けて小数部刷る程度のものだと考えていた文は、これに驚き、もはやあと二週間だというのに何ができるのだと唖然とした。
そもそも重要な点である読者という存在を身内と仮定していたので、もちろん見た目も文章ばかりのゴリゴリした地味なものであり、たとえ学級新聞程度のものでも許してくれるとタカをくくっていたのだが、これでは売れるわけもないだろうし、扱ってくれる店など見当たりそうもない。
もっとも、たかが一人の力で一カ月で新聞も作り得意先を見つけ出せというのは超人でしかありえないのだが、上のほうでも説明したとおり、こうした理不尽で突発的な暴力装置が作動してしまうことがありえるのだから体育会系の人種は地球上のみならず幻想郷からも滅すべきである。
こうして今度はまったく経験もない新聞作りに加えてまったく経験もない営業を同時に進行させるという過酷で苛烈な拷問にも似た重労働が始まった。
文は久しく寝てないぞと思いながらも翼が広げられる限りは飛び続けようと腹を括り、紅魔館や白玉楼などにアポを取ってみたりもしたのだが、この手の大手が田舎の山の身内自慢というチンケな新聞などとってくれるわけもなく、当時まだ名前すら売れていなかったころの文なんぞゴミ同然であり、
門前払いもいいところであったし、博麗神社ならばと飛び込んでもみたものの未完成の新聞を見せるなり苦笑いをされて追い払われたのであった。
そして風見幽香のような独立した個人ならばどうだろうと突撃してみたのだが、これが実に運が悪かった。
何やら熟読を初めたはいいものの、どうやら良い予感はまったくせず、むしろ恐怖心ばかりが募る一方であり、法廷の罪人の如き心地で待っていると「読めた文章じゃないわ」と言われて床にばらばらと捨てられてしまった上に「持って帰りなさいよね、それ」と言い放たれたのだから思わず膝がカクンと落ち、
絶望の意味を知りながら散らばった新聞を掻き集めて屈辱と羞恥と劣等感から逃げるように文は立ち去ったのであった。
そもそもが売れるはずなど無いのだ。もしも逆の立場であったら、こんな稚拙で貧相で猥褻で猥雑な新聞など自分の店先に置きたがるだろうか。
如何に面白くないかは作った本人が一番よく知っているものであり、己がゴミと自覚したものをそれでも売らなければならない時の心境というものは、もはや詐欺師の心境に近いだろう。いっそ本当に詐術や脅迫を用いてしまおうかゲヘヘとも考えたが、どうして自分はそんなことを考えているのだろう、
どうしてこんな苦しい思いをしなければならないのだろうと思うと涙が止まらなくなり、山の眺めや川のせせらぎに純粋に耽っていたころが懐かしく思われた。
そんな負のオーラを抱えている者の新聞など誰が取るだろうか、負のスパイラルへ陥った文はゲラの完成どころか契約のひとつもとれず、四苦八苦しようとも五里霧中の八方塞で七転八倒であった。
ぐにゃぐにゃのへろへろに歪んだ地面をよろりよろりと歩き、なんとかトイレに辿りつき個室にへたり込み、ぼろぼろの翼を休めたのであったが急に人生が走馬灯のように流れ出し、その全てには大きく黒々としたインクで×がついていてこれまで自分が培ってきたものは塵や屑などと同様に思え、どんなに頑張ろうとも所詮はこの程度の存在でしかないのかという自身に対する失望感がひたすら胸を覆い、こんな劣等な存在が生まれてしまったのは幻想郷の失態であるとまで自分を否定したあたりでマイナス方向のエネルギーがふつふつとわいてきた。
頭に乗っかっている六角形の変な帽子は天狗の証であるが、それをトイレの壁に勢いよく投げ付けるともう全てがどうでもよくなったのだった。
そもそも何が新聞記者だというのだ。紙にインクをなすりつけたものを高値で売りつけるだなんてインチキ千万、そんな馬鹿な仕事が罷り通っていいのか。
まだ製造現場の方がクリエイティブだ。物を作ったり加工したり組み立てたりするのが社会の基本であり、そこから逸脱した存在なんて下郎も下郎。
ましてや文章などという曖昧な価値にすがりこねくり回し、それをもってして職業だと言い張る者はそこらのチンピラや半端者と大差がない。
きっと映像業界なども同じようなものであり、「芸能人ニ会エルカラ」などとという勘違いの阿呆女と、「テレビッテ面白イジャナイデスカ」などと、人語を話すミラクルチンパンジーの如きチャラ男ばかりがひっきりなしに入ってきて二週間も経たぬうちに現実に絶望し辞めていくに違いがないだろう。
そのくせわずかに残った者が業界人だ業界人だということばかりを鼻にかけ一般人に対して高圧的な態度に出るのだからいよいよ救い難い存在と言える。
そう、新聞記者なる存在は下品で下賤で下世話で下劣で下等で低俗で低脳で底辺で不徳で不憫で不幸で不摂生で不衛生で不感症と断ずるに不足は無い。
そうだ辞表、辞表を書こう、あの塵紙のような新聞を売るより余程楽な作業だろうと思い立ち、不貞腐れた笑みを浮かべゆらゆらと便所を出る。
そして新聞部門の部屋に戻ったのだが、そこにはあの忌々しい大天狗がおり、何やら待ちわびていたよという顔でいるではないか。
「ワンタッチよ、これ」
手渡されたものは、新品のカメラであった。それは誇らしげに黒々と光り、手に持てば重厚なボリュームを感じた。
「頑張ってるようだし、あと一カ月あげるからこれでセンセーショナルなの作っチャイナ」と言われたときには大天狗様に永遠にお仕えすることを決め、今まで散々脳内で大天狗様を殴りつけダンボール詰めにして網走に発送したことをおおいに恥じ、記者としての道を邁進してゆこうと覚悟したのであった。
「という理由なわけだす」
「は、はぁ」
ひととおり自分の過去話を終えた文は、まるでGANTZから生還したかのような口調になっていた。
強制的に聞き手に回されている犬走椛はどうして文が新聞記者としてやっているかをうっかり聞いてしまったことを悔やみ、ハイボールを飲み干した。
「でも文さん、それってどこからどこまでが事実なんですか?」
「さぁ?ともあれ私も駆け出しのころはそれだけ大変だったってことですよ。今思い出しても、おぉ、寒気がしますね」
あの後、どうやら念写は文の性にぴったりと合ったのか、試行錯誤を繰り返す中で真実を真実以上に鮮やかに切り取る術を覚えて、どうやら私は言語的領域よりも非言語的領域のセンスが長けているのだなと自覚し、紙面は写真8の文章2の割合という新聞の掟破りで埋め尽くした。
人間、死ぬ気で作ったものには相応の誇りが持てるものであり、自信満々に企画内容を説明するとこれが魔法がかかったかのようにすんなりと通ってしまったのだ。
大天狗も大満足であり「バッチグー」と言われ、営業においても戯れで契約する者が数か所現れたので一応の成功を収めたと言えるだろう。
「ま、修行時代がつらいのはどこも同じかもしれませんね。でも今ではお遊びもできる余裕がありますし、好き勝手やらせてもらってますよ」
「あの新人新聞記者とやらも今頃は大変なんでしょうか」
「はたてはまだまだ苦労を知りません。所詮は私の切り開いた道を進んでるだけに過ぎないのですが、まぁ、そのうち壁にもぶち当たるでしょうね。その中で頑張り続けることができたら一人前ってところでしょう。それまでは私がさんざシバキ倒してあげますよ」
「体育会系だぁ」
「そういうものですよ」
体育会系とはこうして受け継がれていくものであり、悪しき風習だと言われ続けながらもそれを乗り越えた者はたしかに強い。
踏み付けられてきた苦痛を充分に知った者が今度は踏み続ける側になるという構造は、言うまでもなく我々の世界でも見出せるが、はたして次世代を育む行為として認識され行われているのか、それとも喉を過ぎてしまえば熱さ忘れるという精神なのか、それは分からない。
「それにしても大天狗様がそんなお人だとは知りませんでした。私みたいな哨戒兵は大天狗様にお会いしてもほとんど報告だけですし。それににとりさんって別に大天狗様の支配下というわけではないような気もするのですが、そのあたりどうも疑問が残るなぁ」
「あやや、そのへんは、私お得意の脚色と誇張と捏造だと思って下さい」
「いいんですか、そんなこと言っちゃって」
「ええ、新聞記者なんて生き物は下品で下賤で下世話で下劣で下等で低俗で低脳で底辺で不徳で不憫で不幸で不摂生で不衛生で不感症ですからね」
「そこまで言われちゃ返す言葉もないです」
「それが清く正しい新聞記者の嗜みなのですよ」
文はあややと笑い、角の焼酎をぐいっと飲み干した。
時間も遅くなってきたのか会計の声がちらほら聞こえてきて、そろそろ私たちも出ますかという流れになった。
「椛もどうです?アルバイトとして新聞記者の真似事でもやってみますか?また昔みたいにシバキ倒してあげますよ」
「やめときます、私の精神状態が悪化しそうなので、うむむ、ばりばり、首筋がかゆいぞ、ばりばり、」
外へ出ると冬の風が冷たく、二人はそろって身震いをした。
遠くまで黒々と折り重なった山並みを見詰めるとなぜだか急に心細くなり、
どうして私たちは他の幻想少女のように楽に生きれないのかと思ったりもしたのだが、
「文様、お互いにこの山で頑張りましょうね」という椛の言葉が心の底にじわりと温かかく響いた。
そして「椛もほどほどに頑張って下さいね」と声をかけ、幻想郷の空に漆黒の翼を広げたのであった。
このややこしい山に生まれて、天狗として生きていくには仕方がない。そう呟きながら闇を切り裂き夜空を飛ぶ。
文の胸元には、あのときの念写カメラが今も誇らしげに下げられている。
ツボった。
地の文こねくり回し過ぎて首筋が痒いぞ、ばりばりみたいなことになってますが勢いは感じました。
ただこれ報道関係の人間は読むと青筋浮くよね!
共感と笑いを同時に誘う
ネットスラングとしてはありだけど普通は低能だよ
いや!言わないで!やめてぇえええええ!
>どうして私たちは他の幻想少女のように楽に生きれないのかと思ったりもしたのだが、
>「文様、お互いにこの山で頑張りましょうね」という椛の言葉が心の底にじわりと温かかく響いた。
ほんとねぇ。辛い職場でも仲間にいい人がいると、なんか「ま、いっか」と思ってしまう私はダメな子なのかしらねぇ
僕に文みたいな根性はないなぁ。悲しいことに。あーー、死にたくなってきた
面白かったです。
一言でまとめちゃえば「文が新聞記者に配属されて仕事を暗中模索する様が生々しく描かれているss」ってことなんですけど、そんな一言では語れないくらい地の文章がねちっこい。一部意味の分からない表現もありましたけど(ゲロゲロした新聞記者とかw)そのようなさりげないユーモアを押し出せる才能も素晴らしい。
次も期待してます
さり気ない小ネタもあって、表示されてる容量の三倍くらいの長さに感じましたが、一気に読めて良かったと思います。
面白かったです!
やばいわこれ、なんか癖になる
大天狗が良いキャラしてるっすわ
この小説、ハイセンスだねぇ
>あっメモを用意してないじゃないか
やめて!俺の初めての取材風景!やめて!w
>うろ覚えの記憶に捏造を混ぜて
そのうち「こんなこと言ってたっけ?まあ別にいいか」ってなります(ソース俺)
初めて記事を書いていた時の自分の心情と、かなり重なるところが。
大天狗は無茶振りしてくる顧問の顔で脳内再生余裕でした
内容もくそったれな世界って感じでとても面白かったです。
ただどうしてもこのオチだと社会に対して「そんなもんだよ」と諦観してる大人な私がいます。
みたいな現在のまともな(?)あややの提示にしかなってなくて、それが本作品のすてきな部分だと思うし
(個人的には)前半部分の反抗的な態度と打って変わって、天狗社会に迎合してる彼女がとても残念に感じてしまいました……
人語を話すミラクルチンパンジーというフレーズが、何やら妙にツボにはいってしまいました。
こういうセンス欲しい
初々しかった文がだんだんやさぐれていく様が素敵!
人生とはかくも厳しく、かくも強いものなのですね(笑)
しかしこの独特なくどいほどの文章センスには引き込まれました。
実に高い文章力と独特のセンスが生み出した、とてもすばらしい作品だと思います。
しっかし……こんな大天狗のような上司が欲しいなあ。
社畜同士頑張りましょう
どこからどこまでリアルなのかは判りませんが、怒涛のリアリティを感じました
これも一種の幻想ですね
過去作たまに読み返してるんで消さんといてくんさい
企業はブラックなのに作品はブラックに染まりきっていない……精神的マッチョな文さんがかっこいい。
望んだわけでもないのに道を切り開いていった文ちゃんが素晴らしかったです