Coolier - 新生・東方創想話

朧談

2013/04/28 16:06:57
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 私は魔道に堕ちたので御座います。あの夜、経文の書き写しの一切、悉くを魔道に廻向して、そうして願ったのです、夢幻の狭間でも構わない、一目、一目で良いから、あの方にもう一度会いたい――と。


 * * *


   春昼
   入相
   花海棠
   朧談
   紫雲


 * * *


   春昼


「ちょいと、お邪魔するぜ」

 前栽の躑躅が花開くような、少し汗ばむくらいの陽気なので、聖白蓮が一人、庵室の障子を開け放して、経の書き写しをしていると、その専心ぶりが凄まじい、先刻から縁側に立って、手持ち無沙汰にしている霧雨魔理沙の方には全く気付かず、その(お邪魔するぜ)という不躾な声に、漸うはっとして其方を向いた。

「――これは珍しい。いや、失礼、全く気が付きませんで。今日はどういったご用件でしょう」
「魔界まで、ちょいと船を出してもらおうと思ってな。船長はいるかい」
「ムラサなら一輪と一緒に里まで買い出しに出ていますが……」
「ありゃ、参ったな。直に帰って来るかい」
「どうでしょう、あの二人が連れ立って行くと、何処で寄り道するやら、大概遅くなりますから」
「ふん、まあ、いいさ。別に急いじゃいないし、此処で待ていても良いかい」
「ええ、どうぞ。いま、お茶を出しますから」
「いやいや、どうぞ、お構いなく――と言いたいところだが、どんどん構ってくれ。なんせこの陽気だ。外の世界じゃ夏日間近だとか言うらしいが、漸く桜が散った時分だというのに随分と暑いから、咽喉が渇いて仕様が無い。厚かましいようだが、ひとつ頼む」

 と言いペロっと舌を出して笑う。聖も釣られて打ち笑いつつ、

「それなら、緑茶は新茶の上がり花、うちで一番上等なのを差し上げましょう――ちょっとお待ちを」

 と言って、座を離れた。文机には書きかけの経、その傍らに、瓶に活けた海棠の一枝、唯それだけが残るばかり。
 はて、妙な、普通の坊主や尼なら、経を写しても何も不思議はないが、聖が読むのは魔法で出来たエア巻物、わざわざ紙だ樹皮だに写す必要は無いものを――と思ううちにお茶が来た。

「うちの者が皆、出払っていて、大したお構いも出来ませんが……」

 そう言われて、お茶が出ると、魔理沙は文机から視線を逸らして、前栽の方へ目を向ける。春には風が光る、躑躅の紅が色深く、枸橘の香りは甘い。

「――良い陽気だ。ムラサ達じゃあないが、こう気持ちが良いと、何となく、じっとしていられない、読経だの、禅だの打棄って何処か遊びに行きたいような、そんな気になるのも無理はないだろう」
「そんな事を言っては困ります。務めですから――全く、ムラサも一輪も後で叱っておかないと」

 そう言って、少し困ったような顔しながら微笑んだ。村紗と一輪が二人連れで出掛ける時は、大抵の場合、聖に言う用件とは別の目的があり、帰りも遅くなるのが常であったし、聖も二人の素行について薄々感付いていたが、偶のことだし、息抜きも要るだろうと、敢えて咎めるような事はしていなかった。

「堅いなあ。あまり部屋に閉じ籠ってばかり居るのも毒だぜ。今も何か書き物をしていたみたいだが、何か大事な経なのか」

 そう言って先の文机に再び目を向ける、開け放した障子に春の暖かな風が入り込んで、開いたままの経がハタハタと靡く。

「いえ、経そのものは大した物じゃないんです。ただ、これを書き写すのが供養になるかと思って」
「供養……というと」
「人に話すような事でも無いのですが」
「いや、何となく気になっただけだ――強いてまで訊こうとは思わないから、気を悪くしないでくれ」

 そう言うと、二人の間に暫らく沈黙が落ちる。寂とした空気に耐えかねて、魔理沙が口を開こうとすると、それを制する様に「……丁度良い機会です、これも懺悔だと思って、洗い浚い話してしまいましょうか」
と聖が言い出した。

「無理に話すことは無いぜ」
「いえ、ずっと前から誰かに話してしまいたかったのです。ただ、こういう話は弟子達には出来ませんから、あの経が魔理沙さんの目に留まったのも何かの縁なのでしょう、僧がこんなことを言うのも可笑しいかもしれませんが、ひとつ人助けだと思って聴いてもらえないでしょうか」
「そうまで言われちゃ、無下にも出来んが……。しかし、口振りからして大事そうな話、聴くのが私なんかで良いのか」
「魔理沙さんだからこそ、というのもあります。最後まで聴けば分かると思いますが、貴女にも多少は関係のあることですから。――とはいえ、そんなに肩肘張らなくてもいいですよ。出家の言う事だからといって、教えだの、戒めばかりではありません。あくまで、私自身に起きたこと。ひとつ昔話を聴くような気持ちで結構ですので」

 そう言いつつ聖もまた前栽の景色に目を向ける。春昼のうっとりとするような暖かさ。



   入相



「むかし、むかし、あるところに、白蓮というお婆さんがいました」
「おいおい」
「おや、こういう口上はお嫌いですか」
「真面目にやれ。大体、何だ、自分の事を婆さんだのと」
「お婆さんだったのですよ、その時はね。いや、失礼、懺悔だの何だのと言って、話が重苦しくなっても嫌かと思って」
「変な気を使うな、普通で良いよ、普通で」

 と聖の少し戯れる様な調子に、横槍を入れて、魔理沙が不満そうに頬を膨らますと、聖も改まりつつ、再び語り始めた。

「では、お言葉に甘えて――あれは延喜帝の御代でしたから、今より千年以上前になるでしょうか、思う所があって菩提の信貴山を離れ諸国を行脚していた折、丁度今くらいの季節でした――野を行けば雲雀が啼く、新草は瑞々しく匂うばかりに、野薊の紅や紫の鮮やかさ、道すがら出会う景色の見事なのに心惹かれて、気の向くまま歩いていると、知らぬ土地だというのに、何時の間にやら街道筋を離れて、もと来た道も判らない、恥ずかしい話が道に迷ってしまいまして、そのうちに日も暮れてくると、雲水の身に草枕も間々ある事と、野宿する覚悟を決めていたのですが、ふと小さな人里が目に入って、これはありがたい、今晩はここで一宿頼もうと決めてしまいました。
 ――で、里の中でも一番栄えてそうな家を選んで、

(もし、どなたか御座いませんか、私は旅の僧ですが、不躾ながら一夜の宿をお頼み申したく参りました、どなたか御座いませんか)

 と門を叩くと、丁度田畑から帰ってきた男達が、夕闇に佇む私を見て、何と思ったか、

(鬼だ、鬼が下りてきたぞ)

 などと言います、その様子が全く冗談ではない、天秤棒だ竿だの持ち出して、私を打とうとする、南無三、と思ううち、男達の中の一人――後に分かったのですが、この方が此処の主人だという、その人が私の恰好――墨染の襤褸を纏った姿を見て、

(待て待て、これは鬼ではない、旅の僧だ。よく観ろ、僧衣を着た婆様だ)

 と言って制したので、私も人心地ついて、

(私は白蓮という旅の僧でございます。一夜の宿をお頼みしたく、此処でこうして、どなたか出て来るのを待っていたのですが、随分と御用心した様子、こんなに怪しまれるとは思いませんでしたのに、一体こんなお婆さんに何が出来ると言うのでしょう、とにかく、そう怪しまないでください)

 と言うと、主人も手を打って笑いつつ、

(いや、手前どもの料簡違いで随分と驚かせてしまったようで、誠に済みません。その償いに、というばかりではありませんが、一宿のもてなしをさせて頂きましょう――どうぞ中へ)

 と仰る。その晩は、この家の厄介になる事になりました」

「そのうち、夕食の膳が済むと、主人が口を開いて、

(先程、手前どもが貴女を恐れたのには、相応の訳がありまして)

 と話し始めました。

(何やら鬼が出るとか)
(ええ、不思議な話ですが、まあ、聞いてください。この里の上の山に寂れた寺があるのですが、住職も無く、詣でる者もいない、疾うに廃寺となっていた所を、おそらく他国から流れてきたのでしょう、何時の間にやら住みついた者がある、これが時々、宵を過ぎた頃に里へ下りて来ては人を驚かす、いや、それだけならまだいいが、墓を暴いて屍肉を貪る、旅人を襲っては、衣を剥いで肉を喰らうというから、形は人間の様でも、とてもそうは思われない、鬼か、でなければ山姥に違いありません。幸い未だ里人に被害はありませんが、国中に噂が流れて、近頃では人の往来も無くなる始末、本当に困り果てていた所で)
(山姥と仰いましたが、すると女なのですか)
(痩婆ですよ、丁度、貴女のような)

 ――これには弱りました、他に言い方もあるでしょうに、わざわざ目の前の客人を引き合いに出すとは。困ったように笑っていますと、主人も心付いて、

(これはとんだご無礼を)
(いえ、構いません。しかし、先に見たところでは随分男手もある様子、何とかならないものでしょうか)
(手前どもも、どうにかしたいとは思いつつ、相手は屍肉を喰らう化け物なれば、容易に手が出せないという有様――いや、その、痩婆とは言いましたがね、物に憑かれたか、狂ったか、垢黒く汚れた顔に、眼だけが血走って、ギラギラと輝きます。これが、長い髪を振り乱して、執念く人を追い回すから、実に恐ろしい。情けない話ですが、我こそは、と立ち上がる者がいないのです)

 そう言って主人は視線を落としますので、私も少し思案して、

(国司に申し入れて、何とかして貰えないでしょうか)

 と訊くと、

(使いを出したことはありますが、貧しい里のことで、まるで相手になりません)

 と言う事、それなら――と、

(……ならば私が何とかしましょう)

 と言いますと、あまりにも出し抜けだった所為か、

(はあ、あの、御僧が……)

 と間の抜けたような返事をします、それからようやく合点して、

(いえ、御僧のお心は誠にありがたいですが、あまりにも危険でございます)

 と言いますので、

(何を危険なことがありましょうか。昔から姦しき心の故に、人が蛇や鬼になるという話は尽きませんが、また、それを調伏する仙道や、教化する法師の話も数多とあります。御仏の正しい教えに導いて、生まれ付いた善き性を取り戻せば、人を襲って肉を喰らうなどという事はしなくなるでしょう。そうなれば、この里にとっても、その方にとっても良きことであり、私も何とか一宿の恩に報いることが出来るというもの。一つ任せてみる気にはなりませんか)
(しかし……)
(なに、心配は御無用、まだまだ未熟な身ではありますが、こうした事には心得がありますので)

 と言いますと、主人もまだ不安そうではありましたが、

(それならばお頼み申します)

 と頭を下げましたので、そうと決まって後は、旅の事など他愛のない話を続けるうち、山間の小さな里のこと、入相を告げる鐘の音も無く、ただ、戸から洩れる月明かりに夜の更けたことを知ると、

(もう、休みましょう)

 と言って互いに閨に入ってしまいました」

 そう言ってから、聖は少し間を置いて、仔細らしく、

「その晩、不思議な夢を見ました。一面、靄が掛かって、白く霞む中に、一人佇む者がある、それが忘れる筈もない、命蓮の後姿。夢は、夢と気付かない内は醒めないのでしょう。私は嬉しくなって、分別も無く声を掛けますと、体はむこう向きのまま、首だけで振り返りますから、こう、頤を肩に付ける様に、少し俯き加減で此方を見ます、その面、その面が――顔の無いのっぺらぼう」

 その時、魔理沙はゴクリと唾を飲むのを覚えた。

「その、のっぺらぼうが先の俯き加減で此方を見ますから、顔が無いのに何処か悄然とする様な、寂しい様な、悲しい様な、そんな風に見えます。これは――と思ううちに目が醒めました。陽はしらしら明けどころでは無い、だいぶ高くなっておりました」



   花海棠


「昼過ぎになって漸く支度が出来ますと、主人には重ね重ね礼を述べてから、里を出て、件の鬼が住むという山に登りますと、夜露に濡れたか、海棠の薄紅の花がキラキラと輝く、山際に棚引く雲が、空の蒼を透かすように紫掛かって鮮やかに、これが鬼の出る山の景色かと思ううち、漸うそれらしい寺が見えてきたのは、もう山の端に陽の傾きかけた頃のこと。

(御免なさいまし、どなたかいらっしゃいますか)

 と手にした錫杖を鳴らしながら乞うと、暫らくは何の返事もなかったのですが、そのうちにゴソゴソと物音がして、出てきたのは、年若の婦人――道すがら見た海棠の薄紅が雨に濡れたる、というような艶めかしさ、黒髪豊かに、患い付いたか少し頬の痩けた、その代わりに、これもまた病身によくある白い絹の肌、丈短な小袖の先からヌイと出た華奢な手の指の先まで真っ白い――どんな化け物が出るかと構えていただけに、全く意表を突かれた心持で。

(どなた)

 と婦人が問うので、

(拙僧は白蓮という諸国遍歴の僧でございます。麓の里に通り掛かった折に見えた山の景色が素晴らしく、心惹かれて図らずも此処まで参ったのですが、既に日も暮れつつあり、今から里に下りるのも、道が遠く大変なことかと存じます、一夜の宿をお借り申し上げたいのですが)

 と応えますと、

(それはさぞお困りでしょう、ここは見ての通り、すっかり寂れた破寺で、斎食もままならない、ただ起き臥しするだけの場所ですが、それでも構わなければ、御泊めしましょう)

 と言った後で、

(――実を申せば、私も最近他国から流れて来た者で、この寺は一時の間、住まわせてもらっているに過ぎません。御泊めするといっても、自分の家の事でも無いですし、全くお持て成しという事も出来ませんが)

 と付け加えるように言うので、私がそれでも構わないと言うと、

(それでは案内しましょう)

 と言って奥へ行きます、その歩き様、小袖の褄に乱れなく、何処となく気品のあるような、それがまた、蜘蛛の巣の張った本堂や、燕か何かの糞が彼方此方に積もった廊房とは、まるで似付かないから、美しいよりは恐ろしいようで」

「(他国から流れて来たと伺いましたが)

 ――と、深山の破寺のことで明かりとなる様な物も無く、陽が落ちてしまえば、閨に入るより他に仕様が無いのですが、そうかといって、宵までは少し時間がありますから、庵室で二人差し向って色々と話すうちに、折を見て先の事を問うと、婦人は少し俯き加減に、

(尼でもない女の一人旅との事で、御不審に思うのも無理はないでしょう)

 と応えます。

(いえ、そういう訳では)
(いいのです、それもこれも故あっての事、もともとは都に住んでいたのですが、先の……その、故があって――その故をお話し出来ないのがもどかしい、御僧にお聞かせ出来る様な話ではないのです)

 とそう言って、もどかしさ故か、春宵の肌寒さ故か、身悶えして、白い腕を掻い込むようにしながら、

(とにかく都を離れなければならなくなって、頼りも無く、これからどうしようかとさ迷い歩くうち、旅の途中患い付いたのが、この山に入ってからいよいよ悪しくなって、何処か雨露を凌ぐ場所を、と探すうちにこの山寺に辿り着くと、幸い近くを流れる小川の水は清く、菜も採れますので飢えもせず、病が癒えるまでの一時のつもりが、こうして今日まで留まる事になりまして)

 と言ってから、

(御僧は何故こんな所へ)

 と尋ねますので、

(陽気に誘われたと言いましょうか。雪が溶けて暖かくなりますと、眠くなるか、血が湧くかするものですが、私なんぞは血が湧く方で、旅の途中に、年甲斐も無く歩き廻って、こんな所まで迷い込んでしまいました、いや、お恥ずかしい)

 そう答えると、婦人は少し眼を落して、

(私は――寂しくなります)

 と言います、その様が、いかにも婀娜で、柳の枝垂れた様な妖しさ、私が男ならトロけていたでしょう。

(寂しく……)
(春になると、空が霞むでしょう、風が光ります、夜露に濡れた新草が、昼には微熱を含んで火照ります、長閑で、トロトロとして、眠い様な、物憂い様な、そんなだから昼日中でも眼を瞑ると昔の夢を見ます)

 私は胸を打ちました。婦人の知る由の無い事ですが、昨夜の夢を思い出しましたので。

(その夢が懐かしくて、優しいから、却って心苦しくなるんですもの)
(……)
(あの、どうなさいました)
(――いえ、少し疲れているのでしょう。歳も考えずに山登りなどするものですから)
(おや、これは気が利きませんでした。いえ――な、私もこんな暮らしで寂しいものですから、ついつい長話をしてしまいました。もう、お休みになられたが良いでしょう)

 気が付くと、辺りも暗くなってきたので、これを潮に話を切り上げて、それぞれの閨に入ってしまいました」

「その夜の事です。昨夜とは打って変わって、棚引く雲が月を覆うと、辺りは一寸先も見えない様な真っ暗闇、その中を、何やらゴソゴソと這う者がある、と丁度私が寝ていた辺りを嗅ぎ回って誰も居ない事を知ると、

(あの糞尼め、何処へ消えた)
(逃げた筈が無い、気付かれた筈が無い)

 などと言っては、悶える、のた打つ、仕舞いにはバタバタと寺中を駆け回って、それでも私を見つけられずにいると、前栽に出て躍り狂う、雲間から僅かに射した月明かりに、黒髪棘に乱れ、眼は落ち窪んで、頬は更に痩けて、白い腕の乾涸びた様が映る、先の婦人とは見違える様な老婆が、疲れたか、嗚咽を上げて倒れ伏すと、そのまま動きもしなかったのが、夜の白むうち、夢から醒めた様に起き上がって、辺りを見回すと、開け放した閨に私が変わらず座っているのを認めて、

(――嗚呼)

 と声を漏らした切り、黙って立ち尽くしていました」



   朧談



「(全くお恥ずかしい限りで)

 夜の白むにつれ、老婆は段々と元の婦人の姿に戻ると、昨夜の事など無かったかの様に落ち着いて、もはや害意の無い事を知らせると、私を庵室に案内して、そう切り出しました。

(御仏の光明が衆生を遍く照らすとはいえ、私の様な理に昏く、愛欲邪念の業障に惹かれて鬼となる様な、盲同然の者には見えない道理、であれば、御僧の様な高徳の方の姿が、この眼に映らないのもまた道理、真に御僧は活き仏に他なりません――最初から全て見透かしておいででしょうか)
(いえ、里人の噂に聴いたものですから)
(では、私を討ちなさる)
(いえ)
(討つのではない。では、何の為にこんな処へ、まさか、私を教え諭そうとでも言うのでしょうか、今日まで神を、仏を、恨んで生きてきた私を教化しようと――)

 と言って眼を伏せますので、

(話だけでも聴かせてもらえないでしょうか、その――都を離れることになったという、その経緯が何か関係あるのでしょうか……)

 と問いましてから、暫らく沈黙が続きました。深山の森閑とした朝の空気、緑の木の間から洩れる光淋しく、聞こえるのは細流のせせらぎ、百千鳥の啼く声ばかり、ややあって、漸う婦人が口を開きますと、

(良いでしょう、あのように御僧の前に醜い本性を晒して尚、何を隠す必要がありましょう)

 と言う、これより先が本当に不思議な話になりますので」

「(今でこそ、この様な身形をしていますが、生まれは中流とはいえ貴族の娘、玉よ、宝よと大事にされて、髪上げまで、これと言った病もせずに育ちますと、他の婦人方の例に洩れず、同じ中流貴族の家庭から婿を取ることになりましたのが、その殿方というのが、私なんぞには勿体ない様な、眉目麗しく、気立ての優しい方で、幸いのこと、彼方でも私の事を気に入ってくれましたので、無事に露顕の儀まで済ませてしまいますと、それより後は、唯あの方に逢う日が待ち遠しい、日ごと奥に籠って、書見や歌に耽るより、あの方と語らうとき、共寝するときの方がどんなに嬉しかったろう、私に生涯であれ程に愉しかった時はありませんでした)

 と言う、婦人の頬を涙が伝って小袖を色深く染め上げる様。

(そうするうち、暫らくあの方が姿を見せない日々が続きました。伝え聞くところに拠れば、病に伏しているとの事、何とかあの方の力になりたいと、そう思いつつも、女の身に出来る事など無く、唯身悶えるばかり、何か、何か、と思案するうちに思い付きましたのが、経文の書写――その功徳をあの方の療治に廻向したならばと――御僧の前でこんな事を申すのも憚りながら、全く世間知らずの、馬鹿な事を考えましたもので)
(――では、その方は)
(不可ませんで)
(そう……ですか)
(その報せを聞いた時の失意の程はどんなにか、御僧に想像出来るでしょうか、出来ますまい。寝殿の奥に籠って一日中泣いておりますと、父や母、仕えの者達までもが不憫だ、憐れだ、と言ってくれたのが、幾日も続くうちに、段々と癇に障ってきたのか、何時までそうして泣いているのか、いい加減に諦めたらどうかと、惨いことを言います、その悔しさ、いっそ死のうかとも思いましたが、出来ませんので、唯あの方を想い、人を、神を、仏を、恨んで過ごすうち、ふと目に留まったのがあの書き写した経文でした――貴女)

 ふと声色が変わったかと思いますと、暗い庵室の戸から春の陽が差して、白く、妖しく、艶な面だけを映す様、その眼が憑かれたように輝きます――と、

(私は魔道に堕ちたので御座います。あの夜、経文の書き写しの一切、悉くを魔道に廻向して、そうして願ったのです、夢幻の狭間でも構わない、一目、一目で良いから、あの方にもう一度会いたい――と。ねえ、貴女、信じられますか、そんな事が本当に起こるだろうかと、……私は信じたのです、信じて、指を破り、血で願文を書いたのです、そして見たのです、月明かりが朧朧と雲間を縫って、寝殿中に靄が立ち込めたかと思うと、御簾の向こうに蠢く者がある、二つの影が重なり合う、一つは見紛うことは無い、あの方の影で、もう一つは――もう一つは他ならない、私自身の影で御座います。夢幻のうちで、私とあの方が重なり合う、睦び合う――嗚呼、私は狂ったのだ、と思ううちに目が醒めました、あの夢の名残は何処にも無い、唯月だけが変わらず朧に私を照らします)
(……)
(本当なら、私はその時死ぬべきだったのでしょう、おお、死ぬのが何も、怖くはない、恐ろしくはないが、唯、ねえ、貴女……)

 言いかけて、乞う様に見つめますと、

(後生というのは本当にあるものでしょうか、もしあるなら、あの方が其処にいるなら、地獄だろうと極楽だろうと構わない、さっさと死んでしまうものを、もし無かったら――死んでそれっきりになる位なら、どんなに醜くても良い、浅ましくとも、生きて、生きて、あの方を想い続ける方がどんなに増しだろう――と、ねえ、そういう風に思うのは可笑しいでしょうか)
(……)

 私には何をか言い倦ねて、唯黙っている事しか出来ませんでした。婦人はややあってから、

(それが、もう何十年も昔のことになります。あの時から私は何も変わらない、老いる事も無く、あの方への思いが尽きる事も無い、呪われたのでしょう、昼はこうして思い悩んで、夜はあのように醜い姿を晒しますので)
と言い、そこで言葉を切りますと、これ以上話すことは無い、という様に俯きますので、私は、何故でしょう、何か言い淀んで、それでも、袖を引くような、そんな心持がしましたので、唯、
(可笑しくはありません)

 そう一言、やっとの思いで絞り出しますと、不意であったか、

(――えっ)

 と面を上げます。

(何も可笑しくはありません……私も同じですから)
(……)

 それ以上交わす言葉はなく、唯無言のうちに相感応して、互いの境遇に、悲哀とも、喜悦とも付かない感情を抱きながら、春愁の物憂い空も、千鳥の声も、里人の事も忘れ果てて、沈黙のうちに、時は過ぎてゆきました」

「里へ下りたのは、午の刻を過ぎようかという頃、話が前後しますが、実を言えば、無言の内に語り合った、あの時より後の事は、朧影の様、はっきりとしません。唯、夢でなかった証に、手には婦人が書写したという件の経文がありました」

 と言って、聖は文机の経文に、ちらと目を配る。

(魔道に廻向したとはいえ、この経文には私の心魂が宿っております。迷惑でなければ、これを御僧に受け取って頂きたいのですが)

 と言って、山寺を出るときに渡された物ですが、今にして思えば、あの時、気が付くべきでした――少々、惨い話になります。

 寺を出まして少し下りますと、来たときには気付きませんでしたが、木の間が絶えて開けた場所から、切り立った深い渓が見えますのが、丁度あの寺の裏辺り、何かに呼び止められた様な気がして、其方を見ますと、其処に何やら揺らめく物がある、それが、あの婦人でして、私を見て、ひとつ頭を下げたかと思うと、莞爾と笑い掛けて、あの褄の乱れぬ歩き様、優雅に一歩、二歩と前へ出て、そのまま――渓に身を投げましたので」

 聖がそう言った時、魔理沙はその顔をはっきりと見た。婦人の面影を映したか、白く、妖しく、唯、感情の無い眼を前栽の方へと向けていた。



   紫雲



「渓は底深く、蛇の顎に飲まれる如く、婦人の姿が見えなくなりますと、私は呆然と立ち尽くしていましたが、やがて正気付いて、最早出来る事は無いのだと悟ると、踵を返して、一足に山を下りました」

 聖は再び経文の方へ眼を向けて、

「私と、その婦人と、無言の内に語り合った、その名残は唯あの経ばかり、以来、あの婦人の祥月命日が近くなりますと、供養にならんかと、あの経の書写を致します」

 そう言って、大きく息を吐くと、

「あの婦人と経に纏わる話はそれだけです。しかし、私は今の話に注を加えねばなりません。大概料簡なさるでしょうが、他ならぬ私自身の事をです」

 聖が屹と此方を見つめると、魔理沙は少し決まりの悪い様な心持がして、鍔広を指で弄り、弄り、

「そりゃ、命蓮と関わる事か」

 対する聖は、この問いを想定していたのだろう、

「ええ、そうです」

 と澄まして言う。

「命蓮を失った悲しみに耐え切れず、あの子の面影が残る信貴山を離れた折、幽明の境に出会ったあの婦人は、私自身の影であったか――、そういう風に、婦人と、自身の境遇を重ねるうちに、ふと心付きました、もし私が魔道に廻向したならば――と。私にはあの婦人が浅ましいとは思えませんでした。あの、夢のうちに逢瀬を叶えたという話や、歳を重ねることなく、想いを募らせて生きてきたという話を聴くにつれ、私は何と思ったでしょう、羨ましいと、そう考えたのです。全く迷いに他なりませんので。その後の事は申すまでも無いでしょう」
「じゃあ、命蓮には逢えたのか」
「残念ながら――しかし、もう一方の願いは叶いました。月夜に気が触れて、人を襲うという事もありません。その辺りは心得たもので、上手く遣って退けました。もっとも、やはりと言いましょうか、人間には嫌われましたが」

 言いつつ聖は膝の辺りを指でなぞって、

「いえ、何も、懺悔と言ったって、妖怪になった事を後悔している訳じゃない、そうじゃないんです。あの僧は成仏できないだろうと他人に言われても、そんな事は気にも掛けません。唯あの婦人の事を想うと、不憫でならないのです。彼女を見殺しにして、自分はのうのうと生きている、悔しい様な、情けない様な、申し訳がない様な、そんな気がしてならないのです。だから――」
「いや、そうじゃない」

 あまりに出し抜けだったか、聖は面食らった様に、魔理沙の方をまじまじと見た。

「その、渓へ飛び降りたという、その最後に、何で笑い掛けたんだろうな」
「何故と言いましても」
「これは、まあ、私はこう思う――というだけに過ぎんが、まあ、一応聞けよ。人間も妖怪も関係ない、その、想いというものがあるだろう、魂がある、名がある、縁がある、それだから、生きていると言うんだ。そうでなきゃ人間なんてものは、唯、皮と、骨と、血と、肉と、五臓六腑を束ねあげて服を着せたに過ぎんじゃ無いか。恋に煩う、愛に迷う、大いに結構だ。想いがあるから、悩む、努力する、不安になったり、安心したり――信仰と同じだ、魂の在処が分からないから、迷う、悟る、寄る辺を求めて、手を差し伸べて、それの何が可笑しい。
幻にでも神仏の姿を拝みたい。夢にでも恋人と逢瀬を叶えたい。
其処に一体どれだけの違いがあると言うんだ。それを小賢しくも生悟りに悟った様な連中が、恋仲の男女を捉まえて、不純だ、不潔だのと言う、大切な人と死に別れた人間を捉まえて、愛別離苦だと、澄まし顔で言う糞坊主だ、そんな経文の字面だけ諳んずるような連中に、情けや慈悲の、何が分かるって言うんだ。なあ、たとえ、迷いが元であろうと、話をじっと聴いてくれた、何も可笑しくはないと言ってくれた、それが真心からだと分かったから、それで、その婦人にとっては十分だったんじゃないか、救われたんじゃないのか、そうでなきゃ――あまりにも惨いじゃないか」

 そう言ってから、ようやっと落ち着いて、

「……少し喋りすぎた。生意気なこと言ってすまんな」

 と、帽子の鍔を固く握るようにして黙り込んだ。

「いや、ははは……」

 と、聖が打ち笑いつつ、

「いやいや、言いました。言うに、言いました。これは面白い。信仰と恋心を一緒にするとは。(恋の魔法は魔理沙におまかせ)などと言うだけの事はあります」
「言ってない。やめろ、恥ずかしい」
「いえいえ、これは案外、本当かも知れません。古い説話の中にも、こんな話があります。長年、ある僧を世話してきた老婆が、ある時、僧の下に美女を遣しますと、その僧は美女を無下に扱う、これを見た老婆は怒って、その僧を追い出してしまった、と言う話です。欲を離れて人を愛するのは難しいでしょう、そうかと言って、情を忘れて仏心に帰ることは出来ません。身を焦がすような想いに駆られて、それを乗り越えたなら――言うほど簡単ではないでしょう、でも、もしかしたら、あの婦人は――」
「魂の遍歴の果てに、聖と出会って、信仰を取り戻したか――まあ、今となっては分からない事だがな」

 空を仰ぐと、日も既に傾いた、春の夕暮は暖かくも物寂しい、浅葱の若葉が微かに陽を返すから。そんな風に思ううち、何処かではしゃぐ女達の声が、

「ムラサ達が帰ってきたようですね」
「ふん、もういい時間だ。船はまた今度にしよう」

 と箒を手に立ち上がると、聖の方へ向き直って、

「勿体無いお話、有難う御座いました」

 と言って、頭を下げた。聖もそれに応えつつ、

「いえ、私の方こそ、貴女に話して良かった」

 そう言って、莞爾と笑い掛けた。

 魔理沙は鍔広を深く被って、箒に跨ると、空へと一気に駆け上がる。夕日に飲まれていく後姿を見送ってから、聖は立ち上がって、本堂へ続く石段を昇り始めた。山の中腹にある本堂からは、麓の景色が一望出来る。葉桜、楓の萌黄、松の梢が風に揺れて、緑に波打つ、その波間に、僧坊、鐘楼、御堂が、波に呑まれんと屹立する。本尊の毘沙門天は恰もそれを見守るが如く。

 ――あの手弱女は魂の在処を見付けたのだろうか。

 丹塗りの欄干に凭れながら、見下ろす景色と、手にした海棠を交互に眺めて、ぼんやりと、そんな風に考えた。
 入相の空に焼け残った雲が、散り散りに咲き乱れる。やがては木々の波も、麓の伽藍も、宵闇に呑まれていくのだろう、だが、それは今の事では無い、だから――。瞳に映るのは、花の薄紅、波の緑、紫雲。



   了
はじめまして、護摩の灰と申します。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
不快に思った方、ごめんなさい。
思った以上に人を選ぶ内容になってしまいました。

初めて書いたSSという事もあり、改めて読み返すと
至らない点が多い様に思います。
SSは難しいですね。

とはいえ、一作品を最後まで書き上げる事が
出来たのは、自分の中では大きな進歩だと思っています。

また何か書く日が来るかもしれません。
その時はよろしくお願いします。

2013 5/12 本文修正しました
護摩の灰
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コメント



0.400点簡易評価
3.70点名前が無い程度の能力 削除
初めまして、ようこそ。携帯からですがコメントさせて頂きます。

この作品の一番惜しい所は「聞き手がマリサ(ヘンカンデキナイ)である必要性に欠ける」です。本文の絡みだけでは接点が弱く、他のキャラに入れ替えても話が成立してしまいます。もう少し尺を取って、マリサ側の恋愛話を入れれば白蓮との違いを出せたでしょう。

創作は試行錯誤の連続です。「何故今この展開なのか」を常に考えながら進めてきださい。次回に期待します。
4.70点名前が無い程度の能力 削除
わお明治みたいな文章。よく練られた小説で、すばらしいです。
物語の聞き手が魔理沙なのは、彼女がそもそも、周囲で起きる事件や怪異に対して受け手、聞き手にまわり、一般人の立場、すなわちプレイヤーの立場を代表してプレイヤーが感情移入しやすいようにする、という役割を(原作で)担う「極めて普通のマジシャン」だからでしょうね。そういう登場人物が名作と呼ばれる多くの映画にもしばしば見られます。同時に彼女は恋の魔法使いでもあって、恋愛の機微をいかにも理解し、なおかつ持論がありそうなキャラクターでもあります。
人を選ぶ内容だから不快になったらごめんなさい、ということですが、まず私はこの手の物語が好きですし、そしてタグに「悲恋」とでもつければ十分な警告になるでしょう。
5.80点名前が無い程度の能力 削除
魔理沙は主人公ではなく誰かの支えであったり、誰かの理解者という立場でよく物語に登場するのを読みます。それは彼女が「普通の魔法使い」だからなのではないのでしょうか。
とてもおもしろかったです。
10.90点名前が無い程度の能力 削除
聖の人間だった頃の生々しい感情をきちんと表現した良作でした。
人間を止めて、寿命だけでなく周囲の生き物への感情や感覚にもずれが
生じそうなものですが、そういった”前後”の聖の感想がもう少し見えたら
良かったなと個人的には思ったりします。あくまでも個人的感想ですが。
ぜひぜひまたの投稿をお待ちしております
11.100点名前が無い程度の能力 削除
こういうのもいいですね
12.100点名前が無い程度の能力 削除
いや、殆んど文句無しなんですけども。
むしろ魔理沙に言わせたからこそ物語も綺麗な集束を見せたのではないかと。
知らない語句が結構あって調べながら読ませて頂きました。
16.100点名前が無い程度の能力 削除
最後の聖の迷いに対する魔理沙の言葉は、魔理沙だからこそ、説得力があるのだなと思いました。

地の文章がとても綺麗で魅了されました。
17.100点Admiral 削除
お美事。
良きお話でした。
18.80点奇声を発する程度の能力 削除
こういうのも良く面白かったです
19.90点3 削除
テーマを上手く消化出来ていると思います。
縦書なので読みやすいですね。
21.100点名前が無い程度の能力 削除
題名通りに、春の不確かで朧げなような感じが匂い立つようでした。
良かったです。