宴会が終わった後の博麗神社はとても静かだ。風がなびいて葉が触れ合う音だけが辺りに響いている。宴会に参加しているもの達は殆ど家に帰ってしまい、いるのは爆睡している霧雨魔理沙と後片付けをしている東風谷早苗、そして博麗霊夢だけだった。
寝息を立てている魔理沙に毛布を掛けてやってから、早苗は周りに転がっている酒瓶やらお猪口などを拾い集め、盆の上に載せる。
「霊夢さん、これで全部終わりましたよ」
「あら、もうやっちゃったの。早いわねぇ」
「霊夢さんが遅すぎるんですよ」
賽銭箱の近くに転がっている盃を適当に放り投げて眠そうに目を擦りながら霊夢は早苗から盆を受け取った。思った以上にそれが重くて、霊夢は思わず前につんのめりそうになる。慌てて早苗がそれを支える事によって、難を逃れた。
「もう、しっかりしてください」
「悪かったわよ」
霊夢はばつの悪そうな顔をして今度はしっかりと盆を支え、ゆっくりと家の中に持っていった。一仕事終えた早苗は霊夢がさきほどいた位置に座り込んで、綺麗になった境内を見つめる。先程の喧騒がまるで夢だったかのように何もなかった。あるとすれば猫のように丸くなっている魔理沙くらいか。
ふと、頬に温かい感触がして早苗は身を強張らせた。何かと思って振り返ってみると霊夢が湯気を放っている湯飲みを差し出している。
「冷えたでしょ」
「ありがとう」
湯飲みを受け取って茶を一啜りすると、温かい液体が喉から体の奥へと流れていくのを感じた。
「相変わらず渋いお茶ですね」
「私はこれくらいが丁度いい」
言った後に霊夢も茶を啜った。二人は一息ついてから、空を見上げる。もうすでに月は山の方面に傾き始めており、反対側の空は白み始めていた。その時、霊夢が思い出したように早苗に尋ねる。
「そういえば、貴女は帰らなくていいの?」
「神奈子様にはもしかしたら泊まるかもしれない、って言っておきましたし」
「泊まる前提で来たの?」
「だって、霊夢さんものぐさなんですもの。後始末とかやらなそうですし」
否定できなくて、霊夢は口をつぐんだ。早苗が幻想郷に来る前は後片付けなどまったくやる気がせず、結局二日酔いに頭を悩ませながら次の日にようやく実行するのだ。魔理沙や他の者達も面倒くさがって協力してくれるわけもない。
「……なんか貴女ってお姉さんみたいね」
「そうですか?」
「世話焼きな感じとか、そう見える。実際の姉ってのを知らないけどね。さて、夜も明けてきたことだし、寝ますか。布団用意しないとね。一緒に寝る?」
「別々の布団でお願いします」
「別にとって食ったりしないわよ……あら?」
霊夢が立ち上がろうとしたとき、力を加えていた足が膝からかくんと曲がり、体勢を崩す。そのまま目の前に転びそうになったところを、間一髪で早苗が抱きとめた。早苗に体重を預けるようにして、霊夢は徐々に力を抜いていく。
「体が……」
「酔いが回ってきたんでしょう、そのまま眠って大丈夫ですよ。私が運んでおきます」
「……う、さな……え」
早苗の肩に顎を乗せていた霊夢の頭は胸元にまで下がっていた。まるで子供のようだと、早苗は苦笑する。頭を撫でてやり、一旦霊夢をその場に寝かせて、境内で眠っている魔理沙を引っ張って部屋の中に放り込み、再び毛布をかけてやる。風が入り込まないように戸を閉めてから霊夢を抱きかかえ、彼女の寝室へと向かった。
次の日。
霊夢は布団の中で目を覚ました。服装は昨日のままで、汗の所為か若干べとついている。風呂にも入っていないので、髪の毛はいつも以上にぼさぼさだった。
起き上がろうとして体を起こすと、お腹の辺りに重い物を感じる。見下ろすと早苗が寝息を立てていた。恐らく霊夢を運んだ時点で力尽きたのだろう。霊夢は彼女の背中を揺する。
「早苗、起きて頂戴。私が動けないわ」
「ん……」
何度も瞬きをして、早苗は起き上がる。眠気が残る目を擦り、体を反るようにして伸びをする。その時、彼女の服のはだけた部分が見えて、霊夢は思わず目をそらす。
「……どうかしました?」
「えっ、いや、なんでもない!」
早苗は慌てる霊夢を不思議に思いながらも乱れた服を直した。早苗は居間に向かい、霊夢は朝食を作ると言って台所に向かう。居間ではまだ魔理沙が眠っており、子供のような寝顔で毛布に包まっている。早苗は起こそうとはせず、霊夢が持ってくる朝食を待った。
数分経って霊夢が3人分の食事を持ってきた。食卓に料理を置いた後、眠っている魔理沙の背中を軽く蹴る。当然ものすごく不快そうな顔で魔理沙は起床した。
「おはよ」
「うー、頭がガンガンするぜ……」
「いいから飯食ってとっとと家帰りなさい」
「うーい」
三人で食卓を囲み、手を合わせてから一礼する。後は談笑しながらの楽しい朝食となった。
食事を終えて魔理沙は家に帰り、残った二人で食器を洗いに川へ向かう。冬の川は近づくだけでもくしゃみがでるほど寒く、外の世界に慣れすぎた早苗にとっては震えが止まらないほどだった。それでもカスタネットのように鳴る歯を噛み締め、汚れた皿を川の中に突っ込む。自然と手も水に触れて、ぷるぷると震え出した。
「ちょっと、大丈夫?」
「だ、だだ、大丈夫、です」
大丈夫には見えないほどに早苗は震えていた。そもそも脇と腹が丸見えになるような服装で冬に出歩くのが間違いである。霊夢は例外だが。
「ほら、手出して」
「? は、はい」
早苗が両手を霊夢に向かって差し出す。それを、霊夢の両手が包み込んだ。彼女はまだ皿を洗っていなかったために、とても温かい。早苗の震えも徐々に止まっていく。
霊夢は想像以上の手の冷たさに驚いていた。こんなに震えてしまうのは無理もないと、握った手に少しだけ力を込める。
「あの、霊夢さん。もう大丈夫ですので」
「あ、そう。ごめん」
「いえ、ありがとうございます」
にっこりと笑って感謝する早苗に霊夢は思わずどきりと心臓が高鳴った。顔が熱を持ち始めたのを感じて、思わずまた顔をそらした。その顔を見られたくなくて、無理矢理話題を振る。
「あ、あとは私がやるから」
「いえいえ、私はもう大丈夫ですから……うわ、顔真っ赤じゃないですか、熱でもあるんじゃ――」
「いいから私がやるってば!」
霊夢が汚れた茶碗を掴もうとすると、早苗がその腕を掴んで首を振る。
「駄目です! 熱があるかもしれないのにこんな寒いところにいたら拗れますよ!」
「う、あっ……」
早苗に手を捕まれた事で余計頭の中がパニックになる。その後数分間私がやる私がやると二人で言い合った末、結局。
「見ていていいですから大人しくしていてください」
「……うん」
これで落ち着いた。
皿洗いの作業をしている早苗の後姿を見ながら、霊夢は自分の肩ほどまでの幅のある気に寄りかかって座り込む。自分の腕にはまだ早苗の手の感触が残っていた。触れられた部分をじっと見つめていると、その下にあった影が大きくなる。見上げれば早苗が洗い終わった食器を重ねて持っていた。
「終わりましたよ」
「あ、ありがとう」
霊夢は立ち上がって、早苗が持っていた食器の半分を受け取って神社まで運んだ。全ての食器を台所に運んでから、霊夢は居間に寝転ぶ。台所では早苗がお茶を作っていた。客人にそこまでやらせるつもりは無いと断ったのだが、早苗は自分がやるといって聞きやしない。頑固な奴だ、と霊夢は思った。
「楽しそうねぇ」
ふと霊夢の頭の方面から楽しげな声がかかる。霊夢はそちらを見ずに返した。
「いつからいたの?」
「今日の朝から。おもしろそうだったのでずっと見ていましたわ」
「覗きとは悪趣味ね」
「覗きではなくて観察です」
「なおさら酷いわ……よっこいしょ」
霊夢は起き上がり、乱れた髪を直しながら振り返る。そこにはぱっくりと開いた壁から上半身だけを出している八雲紫が笑みを浮かべながら霊夢を見つめている。
丁度その時お茶が出来て戻ってきた早苗は紫を見るなり素っ頓狂な声をあげて危うく茶を載せたお盆を落としそうになった。
「嫌ねぇ、人を化け物みたいに」
「少なくとも妖怪でしょ」
「す、すみません吃驚したもので」
早苗はお盆を一旦卓に置いて、再び台所に戻る。紫は持っていた扇子を広げて霊夢に耳打ちする。
「中々可愛い娘じゃない? 妖怪を見つけたら攻撃しかけようとするのもなくなったし」
「今のあの子は安全よ。前は下手すりゃ私にも攻撃しかねなかったもの」
幻想郷に初めてやって来た頃の早苗は単に神社を守るために戦っていた。そして次にであったときには挨拶を学んだと言って弾幕ごっこをし、その次は妖怪退治の楽しさに目覚めて手当たり次第に妖怪を退治していた。結局紫の強さにも気がつかず喧嘩を吹っかけてぼろぼろにされたところで彼女は妖怪退治を自重するようになったらしい。
「まぁ、異変が起きれば昔の通りにはなるんでしょうけどね」
「――おまたせしました」
声がして顔を上げると早苗が湯飲みを一つ持ってきて紫の前に差し出す。彼女は隙間から抜け出して畳の上に正座した。急須を何度か回した後、各々の湯飲みにお茶を注いでいく。霊夢は一口飲んだ後、不満そうに言った。
「薄くない?」
「そうですか? 私としては結構渋めなんですけど」
「霊夢は本当に渋いお茶が好きねぇ……あ、薄い」
横目で二人のやり取りを見ていた紫も、お茶を飲んでからそう漏らした。早苗は首をかしげて急須の茶葉を覗き込む。外の世界にいたときは早苗が入れた茶を客人は喜んで飲んでいたはずだった。しかし、二人からは不評を受けて、早苗は少し落ち込んだように肩を落とす。
「まぁ次回に期待しているわ。もうちょっと濃い目にね」
霊夢がすかさずフォローするが、早苗は茶葉と急須を交互にずっと見続けていた。
「さて、お茶も飲めたし私は帰るわ」
「貴女が何もしないで帰るなんて槍が降ってくるんじゃないかしら」
「あら、遊びに来てはいけません?」
「普段の行いによるわ」
すると紫は妖しげな笑いながら霊夢と鼻がくっつくくらいまで顔を接近させ、顎を指で抑える。早苗はギョッとしながらその光景を見守る。
「そうよねぇ、普段あーんな事やこーんな事をしてしまっては私の信用も下がってしまうのは無理もありませんわ」
「や、やめてよ、顔が近い……」
紫の吐息が霊夢の唇にかかってむずむずする。霊夢は体をよじって逃れようとするが腕を捕まれて動けなくなってしまう。そのまま押し倒されて、紫は霊夢の上にまたがった。
「ほーらほら、今日はどうしてくれましょうか」
「や、やめてくださいっ!」
ついに我慢の限界を迎えた早苗が卓を思い切り叩いて立ち上がる。叩いた反動で3つの湯飲みと1つの急須が数ミリ空を飛んだ。顔を真っ赤にさせ体を震わせた早苗は、二人に向かって怒鳴りつける。
「破廉恥な事を人前でしないでください!」
「あら、人前でなければいいのかしら?」
「そういうことを言っているのでは……!」
早苗はそこまで言ってから口を閉じる。次になんと言えばいいのか、頭が回らない。ただ、霊夢に急接近している紫に対して、不快嫌悪感を抱いていたのは確かだった。一瞬きょとんとした表情で早苗を見ていた紫は、口を抑えて笑いを堪えながら立ち上がる。
「貴女って本当に面白いですわね」
卓の脇を抜けて早苗の隣にやってくる。臨戦態勢を取ろうとする早苗の腕を掴んで引っ張り抱き寄せて、耳元で小さく呟く。
「あの子人気高いから、早めに手を打っておかないと誰かに取られちゃうわよ?」
言った途端、早苗の脇を通り抜ける。
「――え?」
早苗が振り返ったときには、開いたスキマが口を閉じて、元の空間に戻っていく様子だけがあった。
起き上がって霊夢は頭を掻く。紫にからかわれたせいで、なんとなく居心地が悪い。早苗とも、どんな会話をすればいいのかわからず、ただ畳を見つめる。
一方の早苗の方も、立ち上がったまま呆然と紫が消えた場所をずっと見続ける。数秒経ってから座布団の上に座り、お茶を手に取る。
「……なんだか嵐のような人でしたね」
「そっ、そうね」
いきなり早苗が呟いた所為で霊夢は驚いてその場で飛び上がる。ばくばくと心臓の音が高鳴っているのがわかった。慌ててお茶を手にとって、一気に飲み干す。紫がやってきてから結構な時間が立っていたらしく、お茶は冷えてしまっていた。
なんとか重い空気から脱しようと、霊夢は無理矢理思いついたことを口にする。
「そういえば、早苗って結構ああいうの苦手?」
「へ? ああいうのって……」
「紫が私にしようとしたことよ、まぁ彼女は本気でやろうとは思ってなかったでしょうけど」
先程の光景を思い出して、早苗は赤面した。実際のところ、なぜあそこまで怒ったのかは自分でもわからなかった。ただ、なんとなく紫が霊夢に近づいた事に対して嫌悪感を抱いていた。
「いえ、その、人前でああいうことをするのは、良くないと思います。好き合ってもいないわけですし、いたずらに行為に及ぶのは嫌いです」
「なら……例えば、私と貴女が付き合っていたとして、合意の上ならいいの?」
「それは互いに女性って事でですか?」
霊夢は頷いて返すと、早苗は俯いて顎に指を当てて考え込む。その様子を見て、霊夢は体が熱くなるのを感じる。鼓動が早まって、胸を突き破って心臓が飛び出してしまうのではないかと思えてくる。ようやく、早苗は口を開いた。
「もし、私が霊夢さんと好き合っていたのなら、性別なんて気にしてないでしょうし、そういう事をするかもしれません。もちろん合意の上で。でも、どうしてそんな事聞くんです?」
その問いに、霊夢は俯いてしまう。言ってしまったら、早苗はどんな顔をするのだろう。霊夢はこんな気分になったことなど生まれてから一度もなかった。だから、言うのが怖い。何が起きるか分からないものに手を突っ込むほど、霊夢は強くない。
「私は……」
爪が刺さって血が出てしまうのではないかというくらいに、拳を握り締める。自分の事を相手に伝えたくても伝えられないのが、こんなにもどかしいものだとは思いもしなかった。
でも、自分の気持ちを、自分が早苗をどう思っているかを、伝えなければならない。
「私は……早苗としばらくあってて、ずっと一緒にご飯たべたり、飲んだり、戦ったりしていた。そして、私はいつの間にか、貴女に普段とは違う感情を、抱いていた。それは、たぶん、貴女の事が好きだって、事かもしれない」
曖昧な告白。霊夢は震える声で伝える。早苗は驚いた顔でそれを聞いていた。
「胸が、どきどきするのよ。貴女といると、体が熱くなって、その……」
「霊夢さん……」
早苗は立ち上がって、霊夢の目の前に座り、両手を伸ばす。怯えるようにして目を閉じた霊夢は、次の瞬間暖かい感触に包まれた。
「霊夢さんの気持ちは、よく分かりました」
見上げてみると、優しく微笑んだ早苗がいる。
「ただ、私は貴女が思うような関係にはなれないと思います。それでも、いいのならずっとずっと一緒にいましょう」
「さなえ……!」
霊夢は顔をぐしゃぐしゃにして、早苗の胸に顔をうずめて思い切り抱きしめる。胸元に冷たい水気を感じながら、落ち着くまで早苗は彼女を抱き返していた。
「すんごい恥ずかしいことをしたわ」
「あはは……いいじゃないですか、可愛かったですよ」
「うぐ、ま、まぁ気持ちに整理がついたって事にしておくわ」
博麗神社の縁側で、二人は寄り添う。
「あ、そうだ早苗。一個だけお願いしてもいいかしら」
「はい、なんでしょう?」
「付き合うという関係までいかないとはいえ、キスの一回くらいは大丈夫?」
「うぇ!? あー、まぁ、霊夢さんとなら……」
互いに見詰め合い、手を重ね合わせる。二人とも顔が真っ赤になっており、体も若干震えていた。ゆっくりと、唇を近づけて、目を瞑る。そして――
「やっほー」
「!?」
「きゃあっ!」
突然割って入ってきた声に二人は飛び上がった。振り返れば隙間から逆さまに頭だけを出している紫がいた。寿命が縮まったと、霊夢は荒い息を吐きながら胸を抑える。早苗の方はその場で硬直してしまっている。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「狙ったでしょ、狙ったわよね? 覚悟はいい?」
霊夢は御幣を取り出して紫に迫る。しかし紫はすぐに顔を引っ込めてしまった。すると今度は庭先に、紫が姿を現す。開いた扇子を口にあてて、挑発するように笑みを浮かべた。
「うふふ、やっぱり人間というのはからかうとおもしろいですわね」
「からかうのも大概にしないと」
「お仕置きしますよ?」
二人はお札を取り出して、紫に投げつける。彼女はそれを傘で払った。
「やっぱり、貴女たちって本当におもしろい」
そう笑って、紫は光弾の雨を、彼女達に向かって降らせた。
それはまるで二人を祝福するように――。
「んなわけあるかあああああああああああああ!!!」
寝息を立てている魔理沙に毛布を掛けてやってから、早苗は周りに転がっている酒瓶やらお猪口などを拾い集め、盆の上に載せる。
「霊夢さん、これで全部終わりましたよ」
「あら、もうやっちゃったの。早いわねぇ」
「霊夢さんが遅すぎるんですよ」
賽銭箱の近くに転がっている盃を適当に放り投げて眠そうに目を擦りながら霊夢は早苗から盆を受け取った。思った以上にそれが重くて、霊夢は思わず前につんのめりそうになる。慌てて早苗がそれを支える事によって、難を逃れた。
「もう、しっかりしてください」
「悪かったわよ」
霊夢はばつの悪そうな顔をして今度はしっかりと盆を支え、ゆっくりと家の中に持っていった。一仕事終えた早苗は霊夢がさきほどいた位置に座り込んで、綺麗になった境内を見つめる。先程の喧騒がまるで夢だったかのように何もなかった。あるとすれば猫のように丸くなっている魔理沙くらいか。
ふと、頬に温かい感触がして早苗は身を強張らせた。何かと思って振り返ってみると霊夢が湯気を放っている湯飲みを差し出している。
「冷えたでしょ」
「ありがとう」
湯飲みを受け取って茶を一啜りすると、温かい液体が喉から体の奥へと流れていくのを感じた。
「相変わらず渋いお茶ですね」
「私はこれくらいが丁度いい」
言った後に霊夢も茶を啜った。二人は一息ついてから、空を見上げる。もうすでに月は山の方面に傾き始めており、反対側の空は白み始めていた。その時、霊夢が思い出したように早苗に尋ねる。
「そういえば、貴女は帰らなくていいの?」
「神奈子様にはもしかしたら泊まるかもしれない、って言っておきましたし」
「泊まる前提で来たの?」
「だって、霊夢さんものぐさなんですもの。後始末とかやらなそうですし」
否定できなくて、霊夢は口をつぐんだ。早苗が幻想郷に来る前は後片付けなどまったくやる気がせず、結局二日酔いに頭を悩ませながら次の日にようやく実行するのだ。魔理沙や他の者達も面倒くさがって協力してくれるわけもない。
「……なんか貴女ってお姉さんみたいね」
「そうですか?」
「世話焼きな感じとか、そう見える。実際の姉ってのを知らないけどね。さて、夜も明けてきたことだし、寝ますか。布団用意しないとね。一緒に寝る?」
「別々の布団でお願いします」
「別にとって食ったりしないわよ……あら?」
霊夢が立ち上がろうとしたとき、力を加えていた足が膝からかくんと曲がり、体勢を崩す。そのまま目の前に転びそうになったところを、間一髪で早苗が抱きとめた。早苗に体重を預けるようにして、霊夢は徐々に力を抜いていく。
「体が……」
「酔いが回ってきたんでしょう、そのまま眠って大丈夫ですよ。私が運んでおきます」
「……う、さな……え」
早苗の肩に顎を乗せていた霊夢の頭は胸元にまで下がっていた。まるで子供のようだと、早苗は苦笑する。頭を撫でてやり、一旦霊夢をその場に寝かせて、境内で眠っている魔理沙を引っ張って部屋の中に放り込み、再び毛布をかけてやる。風が入り込まないように戸を閉めてから霊夢を抱きかかえ、彼女の寝室へと向かった。
次の日。
霊夢は布団の中で目を覚ました。服装は昨日のままで、汗の所為か若干べとついている。風呂にも入っていないので、髪の毛はいつも以上にぼさぼさだった。
起き上がろうとして体を起こすと、お腹の辺りに重い物を感じる。見下ろすと早苗が寝息を立てていた。恐らく霊夢を運んだ時点で力尽きたのだろう。霊夢は彼女の背中を揺する。
「早苗、起きて頂戴。私が動けないわ」
「ん……」
何度も瞬きをして、早苗は起き上がる。眠気が残る目を擦り、体を反るようにして伸びをする。その時、彼女の服のはだけた部分が見えて、霊夢は思わず目をそらす。
「……どうかしました?」
「えっ、いや、なんでもない!」
早苗は慌てる霊夢を不思議に思いながらも乱れた服を直した。早苗は居間に向かい、霊夢は朝食を作ると言って台所に向かう。居間ではまだ魔理沙が眠っており、子供のような寝顔で毛布に包まっている。早苗は起こそうとはせず、霊夢が持ってくる朝食を待った。
数分経って霊夢が3人分の食事を持ってきた。食卓に料理を置いた後、眠っている魔理沙の背中を軽く蹴る。当然ものすごく不快そうな顔で魔理沙は起床した。
「おはよ」
「うー、頭がガンガンするぜ……」
「いいから飯食ってとっとと家帰りなさい」
「うーい」
三人で食卓を囲み、手を合わせてから一礼する。後は談笑しながらの楽しい朝食となった。
食事を終えて魔理沙は家に帰り、残った二人で食器を洗いに川へ向かう。冬の川は近づくだけでもくしゃみがでるほど寒く、外の世界に慣れすぎた早苗にとっては震えが止まらないほどだった。それでもカスタネットのように鳴る歯を噛み締め、汚れた皿を川の中に突っ込む。自然と手も水に触れて、ぷるぷると震え出した。
「ちょっと、大丈夫?」
「だ、だだ、大丈夫、です」
大丈夫には見えないほどに早苗は震えていた。そもそも脇と腹が丸見えになるような服装で冬に出歩くのが間違いである。霊夢は例外だが。
「ほら、手出して」
「? は、はい」
早苗が両手を霊夢に向かって差し出す。それを、霊夢の両手が包み込んだ。彼女はまだ皿を洗っていなかったために、とても温かい。早苗の震えも徐々に止まっていく。
霊夢は想像以上の手の冷たさに驚いていた。こんなに震えてしまうのは無理もないと、握った手に少しだけ力を込める。
「あの、霊夢さん。もう大丈夫ですので」
「あ、そう。ごめん」
「いえ、ありがとうございます」
にっこりと笑って感謝する早苗に霊夢は思わずどきりと心臓が高鳴った。顔が熱を持ち始めたのを感じて、思わずまた顔をそらした。その顔を見られたくなくて、無理矢理話題を振る。
「あ、あとは私がやるから」
「いえいえ、私はもう大丈夫ですから……うわ、顔真っ赤じゃないですか、熱でもあるんじゃ――」
「いいから私がやるってば!」
霊夢が汚れた茶碗を掴もうとすると、早苗がその腕を掴んで首を振る。
「駄目です! 熱があるかもしれないのにこんな寒いところにいたら拗れますよ!」
「う、あっ……」
早苗に手を捕まれた事で余計頭の中がパニックになる。その後数分間私がやる私がやると二人で言い合った末、結局。
「見ていていいですから大人しくしていてください」
「……うん」
これで落ち着いた。
皿洗いの作業をしている早苗の後姿を見ながら、霊夢は自分の肩ほどまでの幅のある気に寄りかかって座り込む。自分の腕にはまだ早苗の手の感触が残っていた。触れられた部分をじっと見つめていると、その下にあった影が大きくなる。見上げれば早苗が洗い終わった食器を重ねて持っていた。
「終わりましたよ」
「あ、ありがとう」
霊夢は立ち上がって、早苗が持っていた食器の半分を受け取って神社まで運んだ。全ての食器を台所に運んでから、霊夢は居間に寝転ぶ。台所では早苗がお茶を作っていた。客人にそこまでやらせるつもりは無いと断ったのだが、早苗は自分がやるといって聞きやしない。頑固な奴だ、と霊夢は思った。
「楽しそうねぇ」
ふと霊夢の頭の方面から楽しげな声がかかる。霊夢はそちらを見ずに返した。
「いつからいたの?」
「今日の朝から。おもしろそうだったのでずっと見ていましたわ」
「覗きとは悪趣味ね」
「覗きではなくて観察です」
「なおさら酷いわ……よっこいしょ」
霊夢は起き上がり、乱れた髪を直しながら振り返る。そこにはぱっくりと開いた壁から上半身だけを出している八雲紫が笑みを浮かべながら霊夢を見つめている。
丁度その時お茶が出来て戻ってきた早苗は紫を見るなり素っ頓狂な声をあげて危うく茶を載せたお盆を落としそうになった。
「嫌ねぇ、人を化け物みたいに」
「少なくとも妖怪でしょ」
「す、すみません吃驚したもので」
早苗はお盆を一旦卓に置いて、再び台所に戻る。紫は持っていた扇子を広げて霊夢に耳打ちする。
「中々可愛い娘じゃない? 妖怪を見つけたら攻撃しかけようとするのもなくなったし」
「今のあの子は安全よ。前は下手すりゃ私にも攻撃しかねなかったもの」
幻想郷に初めてやって来た頃の早苗は単に神社を守るために戦っていた。そして次にであったときには挨拶を学んだと言って弾幕ごっこをし、その次は妖怪退治の楽しさに目覚めて手当たり次第に妖怪を退治していた。結局紫の強さにも気がつかず喧嘩を吹っかけてぼろぼろにされたところで彼女は妖怪退治を自重するようになったらしい。
「まぁ、異変が起きれば昔の通りにはなるんでしょうけどね」
「――おまたせしました」
声がして顔を上げると早苗が湯飲みを一つ持ってきて紫の前に差し出す。彼女は隙間から抜け出して畳の上に正座した。急須を何度か回した後、各々の湯飲みにお茶を注いでいく。霊夢は一口飲んだ後、不満そうに言った。
「薄くない?」
「そうですか? 私としては結構渋めなんですけど」
「霊夢は本当に渋いお茶が好きねぇ……あ、薄い」
横目で二人のやり取りを見ていた紫も、お茶を飲んでからそう漏らした。早苗は首をかしげて急須の茶葉を覗き込む。外の世界にいたときは早苗が入れた茶を客人は喜んで飲んでいたはずだった。しかし、二人からは不評を受けて、早苗は少し落ち込んだように肩を落とす。
「まぁ次回に期待しているわ。もうちょっと濃い目にね」
霊夢がすかさずフォローするが、早苗は茶葉と急須を交互にずっと見続けていた。
「さて、お茶も飲めたし私は帰るわ」
「貴女が何もしないで帰るなんて槍が降ってくるんじゃないかしら」
「あら、遊びに来てはいけません?」
「普段の行いによるわ」
すると紫は妖しげな笑いながら霊夢と鼻がくっつくくらいまで顔を接近させ、顎を指で抑える。早苗はギョッとしながらその光景を見守る。
「そうよねぇ、普段あーんな事やこーんな事をしてしまっては私の信用も下がってしまうのは無理もありませんわ」
「や、やめてよ、顔が近い……」
紫の吐息が霊夢の唇にかかってむずむずする。霊夢は体をよじって逃れようとするが腕を捕まれて動けなくなってしまう。そのまま押し倒されて、紫は霊夢の上にまたがった。
「ほーらほら、今日はどうしてくれましょうか」
「や、やめてくださいっ!」
ついに我慢の限界を迎えた早苗が卓を思い切り叩いて立ち上がる。叩いた反動で3つの湯飲みと1つの急須が数ミリ空を飛んだ。顔を真っ赤にさせ体を震わせた早苗は、二人に向かって怒鳴りつける。
「破廉恥な事を人前でしないでください!」
「あら、人前でなければいいのかしら?」
「そういうことを言っているのでは……!」
早苗はそこまで言ってから口を閉じる。次になんと言えばいいのか、頭が回らない。ただ、霊夢に急接近している紫に対して、不快嫌悪感を抱いていたのは確かだった。一瞬きょとんとした表情で早苗を見ていた紫は、口を抑えて笑いを堪えながら立ち上がる。
「貴女って本当に面白いですわね」
卓の脇を抜けて早苗の隣にやってくる。臨戦態勢を取ろうとする早苗の腕を掴んで引っ張り抱き寄せて、耳元で小さく呟く。
「あの子人気高いから、早めに手を打っておかないと誰かに取られちゃうわよ?」
言った途端、早苗の脇を通り抜ける。
「――え?」
早苗が振り返ったときには、開いたスキマが口を閉じて、元の空間に戻っていく様子だけがあった。
起き上がって霊夢は頭を掻く。紫にからかわれたせいで、なんとなく居心地が悪い。早苗とも、どんな会話をすればいいのかわからず、ただ畳を見つめる。
一方の早苗の方も、立ち上がったまま呆然と紫が消えた場所をずっと見続ける。数秒経ってから座布団の上に座り、お茶を手に取る。
「……なんだか嵐のような人でしたね」
「そっ、そうね」
いきなり早苗が呟いた所為で霊夢は驚いてその場で飛び上がる。ばくばくと心臓の音が高鳴っているのがわかった。慌ててお茶を手にとって、一気に飲み干す。紫がやってきてから結構な時間が立っていたらしく、お茶は冷えてしまっていた。
なんとか重い空気から脱しようと、霊夢は無理矢理思いついたことを口にする。
「そういえば、早苗って結構ああいうの苦手?」
「へ? ああいうのって……」
「紫が私にしようとしたことよ、まぁ彼女は本気でやろうとは思ってなかったでしょうけど」
先程の光景を思い出して、早苗は赤面した。実際のところ、なぜあそこまで怒ったのかは自分でもわからなかった。ただ、なんとなく紫が霊夢に近づいた事に対して嫌悪感を抱いていた。
「いえ、その、人前でああいうことをするのは、良くないと思います。好き合ってもいないわけですし、いたずらに行為に及ぶのは嫌いです」
「なら……例えば、私と貴女が付き合っていたとして、合意の上ならいいの?」
「それは互いに女性って事でですか?」
霊夢は頷いて返すと、早苗は俯いて顎に指を当てて考え込む。その様子を見て、霊夢は体が熱くなるのを感じる。鼓動が早まって、胸を突き破って心臓が飛び出してしまうのではないかと思えてくる。ようやく、早苗は口を開いた。
「もし、私が霊夢さんと好き合っていたのなら、性別なんて気にしてないでしょうし、そういう事をするかもしれません。もちろん合意の上で。でも、どうしてそんな事聞くんです?」
その問いに、霊夢は俯いてしまう。言ってしまったら、早苗はどんな顔をするのだろう。霊夢はこんな気分になったことなど生まれてから一度もなかった。だから、言うのが怖い。何が起きるか分からないものに手を突っ込むほど、霊夢は強くない。
「私は……」
爪が刺さって血が出てしまうのではないかというくらいに、拳を握り締める。自分の事を相手に伝えたくても伝えられないのが、こんなにもどかしいものだとは思いもしなかった。
でも、自分の気持ちを、自分が早苗をどう思っているかを、伝えなければならない。
「私は……早苗としばらくあってて、ずっと一緒にご飯たべたり、飲んだり、戦ったりしていた。そして、私はいつの間にか、貴女に普段とは違う感情を、抱いていた。それは、たぶん、貴女の事が好きだって、事かもしれない」
曖昧な告白。霊夢は震える声で伝える。早苗は驚いた顔でそれを聞いていた。
「胸が、どきどきするのよ。貴女といると、体が熱くなって、その……」
「霊夢さん……」
早苗は立ち上がって、霊夢の目の前に座り、両手を伸ばす。怯えるようにして目を閉じた霊夢は、次の瞬間暖かい感触に包まれた。
「霊夢さんの気持ちは、よく分かりました」
見上げてみると、優しく微笑んだ早苗がいる。
「ただ、私は貴女が思うような関係にはなれないと思います。それでも、いいのならずっとずっと一緒にいましょう」
「さなえ……!」
霊夢は顔をぐしゃぐしゃにして、早苗の胸に顔をうずめて思い切り抱きしめる。胸元に冷たい水気を感じながら、落ち着くまで早苗は彼女を抱き返していた。
「すんごい恥ずかしいことをしたわ」
「あはは……いいじゃないですか、可愛かったですよ」
「うぐ、ま、まぁ気持ちに整理がついたって事にしておくわ」
博麗神社の縁側で、二人は寄り添う。
「あ、そうだ早苗。一個だけお願いしてもいいかしら」
「はい、なんでしょう?」
「付き合うという関係までいかないとはいえ、キスの一回くらいは大丈夫?」
「うぇ!? あー、まぁ、霊夢さんとなら……」
互いに見詰め合い、手を重ね合わせる。二人とも顔が真っ赤になっており、体も若干震えていた。ゆっくりと、唇を近づけて、目を瞑る。そして――
「やっほー」
「!?」
「きゃあっ!」
突然割って入ってきた声に二人は飛び上がった。振り返れば隙間から逆さまに頭だけを出している紫がいた。寿命が縮まったと、霊夢は荒い息を吐きながら胸を抑える。早苗の方はその場で硬直してしまっている。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「狙ったでしょ、狙ったわよね? 覚悟はいい?」
霊夢は御幣を取り出して紫に迫る。しかし紫はすぐに顔を引っ込めてしまった。すると今度は庭先に、紫が姿を現す。開いた扇子を口にあてて、挑発するように笑みを浮かべた。
「うふふ、やっぱり人間というのはからかうとおもしろいですわね」
「からかうのも大概にしないと」
「お仕置きしますよ?」
二人はお札を取り出して、紫に投げつける。彼女はそれを傘で払った。
「やっぱり、貴女たちって本当におもしろい」
そう笑って、紫は光弾の雨を、彼女達に向かって降らせた。
それはまるで二人を祝福するように――。
「んなわけあるかあああああああああああああ!!!」
満身創痍。
あっちの所の人と同一人物?
下半身がおっきしたのはひさしぶりだよ