Coolier - 新生・東方創想話

春色ロマンチシズム

2011/05/15 21:23:44
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 釣瓶を頭上で引っくり返せば井戸の真水が全身を打ち、地面に盛大な飛沫を立てる。額にはりついた前髪を乱雑にかきあげ、肌に吸い付いた白無垢の寝巻きをはためかせると、春色小町の甘やかな吐息が濡れた体を優しく撫でていった。頭に居座る眠気が吹き飛ばされ、澄み渡る青空の如く思考が晴れたところで。

「くぁーっ! たまらんっ!」
 
 釣瓶をドンと地面に置き、村紗水蜜は今日一日の産声を上げた。
 陽が昇って間もない朝の頃である。命蓮寺の面々がちらほらと目覚めはじめるより少し前、水蜜は寺の裏手にある井戸で行水を行っていた。
 と、書けば寺に属する者らしく聞こえるが、実を言うとその理由は命蓮寺の決まり事、最後に起きた者が寺の掃除をする役目から逃れるためだったりする。雑巾がけランキング二位の称号を得た水蜜としては、これ以上朝っぱらから雑巾がけなどやりたくないというのが本音だ。
 その現状を打破すべく試みた目論見は、今日初めて明確な成果を上げた。

「聖と一輪には悪いけど……ふふふ、これで優雅な朝を迎えられるなら、ちょっと位の早起きも耐えられるってもんよ」

 汚れないように敷いた茣蓙の上で胡坐をかき一人ほくそ笑む。必ず最初に起きて禅をするナズーリンはまだしも、ランキング一位の聖と、低血圧のせいで早く起きてもなかなか布団から抜け出せない三位の一輪はまだ夢の世界を楽しんでいるはずだと。
 長く続いた不毛なトップ争いに終止符を打てると思うと、なおさら今日の朝は素晴らしいと思える。
 表参道に出れば梅の花が咲き誇り、もう数日も待てば桜もそれに続いて見応えのある景色となるだろう。
 昼間となるとぬえのおかげでうるさい場所も、この時間ならば一人占めも可能だ。
 
 「んぁー……三文でも足りないねこりゃ、うん早起きは素晴ら……し?」

 ぐっと背伸びをして空を仰いだ水蜜の動きが止まる。空の中を泳ぐ白い雲に紛れて、巨大な桃色が見えたのだ。

「雲山じゃん、珍しい」

 常に一輪にくっついている雲山が単独でいるとは。
 朝などはよく雑巾を持ちふらふらと歩く一輪を心配そうに支えるところをみかけるのだが。

「すわ覗き!?」

 とっさに片手で胸元を隠し、もう片方で釣瓶を投げる構えを取る。
 雲でも男。ハーレム状態の生活で賢者の様な性格のあいつもとうとう魔がさしたか。
 錨をやすやすと持ち上げる細腕がググッと伸び、ダメージがあるかわからないがお約束的な意味で投擲しようとした、が。
 
 「……んんん?」

 よくよく見てみると、雲山の顔の部分は水蜜ではなく別の所へと向いていた。
 彼の位置ならここも丸見えのはず。何時からいたかはわからないが、少なくともこちらの存在には気がついているはずである。とすればアウトオブ眼中。それはそれで失礼だなと構わず投げようとするも、またしても雲山の表情がいつものむっすりとした表情ではなく、驚きの色を浮かべている事に気がついた。
 眼を見開き、口をあんぐりと開けている。わかりやすい位にわかりやすい。これまた珍しいというよりも、出会ってから初めてみる表情だ。あの雲山をここまで驚かせる出来事とは一体なにか、怒るより気になり、水蜜は投げようとしていた手を下ろした。
 視線を追って場所を探る。どうやら裏口から外に出る戸の方で何かが起きているらしい。
 茣蓙の横に置いていた草鞋を履き、気が付かれないように抜き足差し足忍び足で近づいていく。場所が場所なら完全に船幽霊と誇っていい見てくれだが、地面の上でお天道様の下だと濡れ鼠でそろそろと歩く変人にしか見えなかった。
 
 「さぁて何があるのかなっと」

 寺の壁にぴったり背をつけ曲がり角までカニ歩きで移動する。そろりそろりと顔の半分だけを出し某家政婦よろしく覗き見た瞬間。水蜜の目が見開き、口があんぐりと開いて塞がらなくなった。

 「うっそ……!!」

 前代未聞、いやこの世の終わりを目の当たりにしたかの如く衝撃が水蜜を襲う。開け放たれた戸の前には二人の人物が立っていたのだが、その一人が寅丸星であり、もう一人が見知らぬ若い男だったのだ。
 参拝客にしては時間が早い。そもそも参拝が目的なら普通は表から来るはずである。それに星はどこか周りを意識しているような素振り。あからさまにみなくても怪しげな雰囲気が感じられる。
 男が何かを言ったが、こちらまで聞こえない。星が頷き、いそいそと外に出て行った。水蜜の脳裏にある単語が飛び出しぐるぐると頭を駆け回り始る。まさか、信じられない。しかしあれはどう見ても。

「あ、逢引……」

 パタンと戸がしまる。だが残された水蜜は、しばらくその場から動けなかった。



「ご主人が朝からでかけた?」
「そうなの、何か聞いてない?」

 星の動向を探るため、水蜜が禅を終えて部屋に戻ったナズーリンにそう聞くと、ナズーリンは小首を傾げて眉をひそめた。直属の部下なら理由を知っているだろうと思っていたが、どうやら知らないらしい。

「散歩にでも出かけるんじゃないのか? 暖かくなってきたし……ふぁ、私も眠気に負けそうになるよ。で、どうして君がそんな事を気にするんだい?」
「えっと、ほら今までそんなこと無かったからさ、気になって」

 まさか男と居たなんて言えず水蜜が慌てて首を横に振った。もし本当に星があの男と逢引をしているとしたら、喋ってしまうと確実に面倒になる。なによりナズーリンがそれを知ったら黙っているはずがない。
 ナズーリンがふむ、と呟き手を数度叩くと、どこからかネズミが一匹現れ二人の間に入ってきた。

「君、ご主人の事で変わった事は無かったかい?」

 主人の問い掛けに眷属がチュウ、と答える。当たり前だか水蜜にはネズミの言葉はわからない。二匹はチュウふむと言葉を交わしているのを見ていたが、どうやらすぐに終わったらしくネズミが駆け出して押入れの方へ向かっていった。

「何もないってさ。ただの散歩だよ」
「あー、そうかぁ。ありがとうナズーリン」
「いいや、ご主人が隠し事をするなんて私は嫌だし、一応の事をしたまでだよ」
「……ちなみに、あのネズミは?」
「ん? あれはご主人の監視用だ。里にでかける時に同行させている」
「そ、そう」

 それは同行ではなくて尾行なんじゃないかと思ったが、とりあえずは知りたいことを聞けたので水蜜は礼を言ってナズーリンの部屋を出た。

「やっぱり逢引? いやまさか」

 ナズーリンとネズミがどういう会話をしたのかはわからないが、男について何も言わなかったところを見ると星は上手く隠しているらしい。となると、やはり逢引としか考えられない。元々は獣と言っても姿は女のそれと変わらない。もしや里の男に言い寄られてついふらっとなびいたのか。強く言い寄られて断れないのか。

「うがーっ! 気になるっ!」

 真意どうあれ、親しい者が見知らぬ男と連れ添っているのを見てしまった以上、どうしてそうなったかが気になって仕方がなかった。遠い昔は人間の女の子をやっていたのだ。色恋沙汰の気配には春の気配よりも敏感である。

「どうかしましたか、水蜜」

 と、後ろから声をかけられ、水蜜が振り向くと噂をすれば影がさしたのか、その星が怪訝な顔をして立っていた。こころなしか息を弾ませている様子であり、頬がうっすらと朱に染まっている。

「う、ううん何でもない、おかえり星」
「え゛」

 星が喉から絞るような声を出し、その額に汗を浮かばせた。外に出たことを誰にも知られなかったと思っていたのだろうか。やはり逢引をしていたに違いない。この反応で確信をし。

「ヤダナァ、ワタシハズットヘヤニイマシタヨ?」
「いやぁ、私と雲山が裏口から出てるのばっちし見てますしぃ」

 カタコトで喋る星の胸をにやにやと笑みを浮かべて小突くと、星が大きく息を吐いてうなだれた。

「…………バレていましたか、見られたくなかったのに」
「まぁまぁ恥ずかしいもんねー、うんうん。で、あの男の人、誰?」
「あれは、里でよくお世話になっている家の息子さんで・・・・・・」
「へぇぇ、じゃあお世話になっちゃってるうちにって事かな~?」 
「何を言いたいのかわかりません! からかわないでください!」

 詰め寄る水蜜に星が叫ぶと、突き放すようにして肩を押し歩き出してしまった。言い過ぎたかと後を追おうとするが。

「他の人には内密に頼みますよ、こうやって言われたくないからこっそりしていたのに!」

 そう厳しく言われてしまっては、追求のしようがなかった。
 しかしこれで男と星の関係がはっきりとした。星が廊下の角を曲がって姿が見えなくなっても、水蜜の顔はにやけたまま。

「なるほどねぇ……ふふふ、ふふふふ」

 あの星が、人里でどんなロマンスを繰り広げていたのか。そして今も繰り広げているのか、新しい興味が出てきたからである。
 そしてそれは水蜜の好奇心を大いに刺激するものだった。
 ああ、星はあの男とどんな言葉を交わしているのだろう。大胆なのか、ひっそりなのか、頭の中でうごうごと雲山色の想像が広がり、それは二人の姿となる。一人は星であり、一人は男の顔を見ていないので自分である。

「ふむ……悪くない、かな」

 こうして頭の中で並べて恋仲という役割を与えると案外しっくりくるものがあった。星は黙っていれば男前の部類に入る顔立ちなのだ。失せ物が激しかったりする面を除けば絵面としては文句は無い。
 後は――


 『ありがとうございました』

 閉じられた戸に礼をし、星は食材が入った托鉢を眺め顔をほころばせる。今日はこれといって悩み事や相談事はなかったが、それでも日頃の礼と快く分けてもらえるのはありがたいものである。今日の夕食はきっと慎ましくも豪華なものとなるだろう。
 聖が喜ぶ顔を浮かべながら星は村を歩く。と、しばらくして後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとこちらに向かって駆けてくる水蜜の姿。星の表情がぱっと明るくなるが、すぐに周囲を伺い近くの家の影へと身を隠す。

『星! 会いに来たよ』
『こんな陽のある時に来ないでください、もし聖達に知られることになったら大変ですよ』

 二人の関係は里のごく少数が知っているだけだが、命蓮寺の者は誰も知らない。うっかり聖やナズーリンの耳に入りでもしたら言葉通りに大変な事になる。かたや毘沙門天の代理、かたや人間。誰の目から見ても釣り合わない関係なのだ。

『ごめん、でも会えると思ったら足が勝手に動いてたんだ』

 星の肩に手を置き、水蜜が恥ずかしげに笑う。息を整えようと肩を上下させる水蜜に、星の頬に朱の色がさす。

『悪い足ですね』
『今日は見逃しておくれよ、星』
『もう、仕方のない人』

 そういってふいと顔を背けるも、自然と口元は緩んでしまう。水蜜の手が星の頬に触れ、二人が見つめあう。

『すぐに帰るから、一度だけ』
『……はい』

 小さく頷く星。水蜜が手を頭の後ろへ回し、お互いに顔を――



「うわー! いい! 忍ぶ恋、いい!」

 帽子ごしに頭をかきむしり水蜜は悶絶する。縁側でふよふよと漂っていたぬえが可哀相な人を見る目で水蜜の横を通り過ぎていった。

「んー、でもちょっと私のイメージと違うな。やっぱり星にはちゃんとした男が似合うだろうし、うん。例えば海の男とか、荒々しくて頼りになるのが一番だしね」

 星に似合うというよりも自分の好みも入っているような気がしないでもないが、そんじょそこらのもやし野郎よりも筋骨隆々とした方が頼りになる。そう考えもう一度もやもやと想像を巡らせる。星と、今度は筋肉質の自分の姿を。口髭もたくわえ、錨を担ぐ。完璧だ――


 『星、決心してくれたか。俺と添い遂げてくれるってよ』
 『いけません、私は毘沙門天に仕える身。人間と添い遂げるなどとは』

 水蜜の言葉に星が顔を背けて悲しげに言う。どこからともなく水飛沫があがり、托鉢の中で魚がビチビチと跳ねた。マグロを抱えて真剣な表情をした水蜜がそんな星に迫る。

『俺ぁもう我慢できねぇんだ、少ししか二人きりでいられないなんて、こんな隠れて会うだなんてよ、だからもう堂々と愛しあおう』
 そのためにマグロも用意したんだ、と花のリボンで縛られたマグロが星に差し出される。じゅるりと涎が垂れたが、慌てて口を拭って首を振った。

『駄目です、そうしたら私は命蓮時に居られなくなってしまいます』
『俺の所に来ればいい!』
『私もそうしたいのです水蜜! あなたのたくましい腕で一本釣りされた私の心はもう』
『かかった針はそう簡単に自分じゃ外せねぇし、外させねぇ、星。俺と……』

 盛大な波が二人の後ろであがる。水蜜はマグロを放り出し星を抱きしめ、その大きな手で自分へと引き寄せる。
 あ、と声が漏れ。顔を赤らめた星が離れようと悶えるが水蜜は離そうとはしない。ここが一番の競りどころなのだ。

『星、俺についてこい』
『……はい、どこまでも』
 力強い言葉に、星が目を潤ませて頷き、そして静かに目を閉じた。
 水蜜もまた目を閉じ、そして――



「いいなこれ、んふふ、うん悪くない。ふふ、ふふふふふふふふふ」
「何が悪くないのですか?」 
「うぉぅあ!?」

 思わず頬を緩ませかけた時、突然後ろから声をかけられ水蜜は飛び上がった。雑巾をかけたバケツを持った聖が額に汗を浮かべ不思議そうに微笑んでいる。どうやら今日は聖が最後に起きたらしい。近づかれているのにまったく気がつかなかった。

「お、おはようございます聖、ナンデモナイデスヨ?」
「……? おはようございます。もう朝食の準備が整ったみたいですよ、皆集まってますからあなたも行きなさい」
「あ、はい。すぐ行きます」
「私もすぐに行くので待っててくださいね」
「はーい」

 何とか平静ぶって答えてやりすごす。聖の姿が見えなくなるのを待ち、跳ね上がった鼓動を落ち着けるために盛大に息を吐く。危ないところだった。考えてみれば廊下で妄想など危険極まりない。少しでも突っ込まれていたらつい漏らしてしまっていただろう。

「あんまり野暮な事してると、馬に蹴られるかなぁ……」

 一人乾いた笑いを浮かべ肩をすくめる。同じ釜の飯を食う仲である星でやましい妄想など、寺に従事する者として不謹慎だ。
 それにあまり勝手に突っ走っては星にまた怒られてしまうかもしれない。そう考え、パシパシと頬を叩いて煩悩を振り払う。さあこれから朝食だ、それが終わったら命蓮時の一日がはじまる。

「……よし!」

 気合一発かけ声を出し、水蜜は駆け出した。



「星さん! これ持ってってよ! 家の自慢の野菜だよ!」
「わぁ、ありがとうございます。聖達も喜びますよ」
「あんたには世話になってるからね、遠慮はいらんよ」
「おっと、星さん、こっちもどうだい、野菜と合わせてもう一品」
「あらお豆腐ですか、じゃあ頂きます」
「星さん星さん、煙草屋のトメさんが――」
「はーい、すぐ行きます」

 星が道を歩けば店の主が声をかけ、相談事のために人が駆け寄る。里に来る頻度が高いせいもあってかなかなか人気の様子である。

「むぅ、やっぱこの時間は会わないのかな?」

 しかし、家の角に隠れてその様子を眺めている水蜜は一向にロマンスの気配が無い事に眉をひそめていた。せめて男の顔でも見てやろうと無理やり用事を作って後を追ってきたのだが、これでは徒労に終わりそうだ。星の托鉢にはあれよあれよと食物が入れられ一通りの目的は果たしている。後は適当に相談事を片付けたり世間話の相手をして帰るだけだ。
 妄想通りにはいかないか、と心なし落胆する。煙草屋から出てきた星が今度は目の前の飯屋の店主に声をかけられている。これでは逢引相手と会っている暇も無さげだ。
 
「ちぇ、ぬえに無理やり仕事押し付けたけど損したな」

 今日は寺の掃除をする予定だったが、とらやの羊羹を取引材料にぬえに代わってもらっている。このまま何事もなければ小遣いの無駄遣いをするだけの結果になってしまうが、起こらないものは仕方がない。
 さっさと作った用事を済ませて羊羹を買って先に帰ろうか。と、そう思った時である。飯屋の店主と話を終えた星が、ふと何かに気がついたような素振りをし、家と家の間、人気の無い裏の方へ入っていった。
それも周囲の目を気にするように。水蜜は思わず立ち上がり、星が居た所まで駆ける。この反応はもしかしたらもしかしてもしかしなくとも。

「びんごっ!」

 そのまま後を追うと気配で察せられるため、地を蹴って屋根へと上がり裏の様子をこっそりと伺うと案の定。朝に星と外へ出た男がそこに居た。星が軽く礼をして挨拶し、男も片手を上げて返している。

「どうかしましたか?」
「はい。唐突ですが今から頼めませんか?」

 前と違って今回はしっかりと会話も聞こえる。星がえっ、と驚きの声をあげ、困ったように視線を横に巡らせる。

「そんな、困ります……私は寺の役目の途中ですし」
「すぐに終わりますから……今日は近くです」

 断ろうとする星に男が詰め寄る。水蜜の心臓がまた跳ね、自然と顔を突き出しそうになる。ロマンスが今まさに目の前で繰り広げられようとしているのだ。近く、ということはここから場所を移動して改めて、という事なのだろう。さらに人気の無い所で一体何をしようとしているのか。

「わかりました、それなら行きましょう」
「ありがとうございます」

 仕方なくといった感じで星が頷くと、男が深く頭を下げてから笑みを浮かべて星の手を取った。移動するのか。水蜜が腰を浮かせた時である。少し離れた場所から複数の足音が聞こえてきた。それはすぐに星と男の居る場所で止まる。覗きなおすと五・六人の年齢様々な男が星の回りを囲むようにして立っていた。

「ん? んん? どういうこったい?」

 逢引じゃなかったのかと水蜜が怪訝な顔をしていると、取り囲んだうちの一人、腹の出た中年が口を開く。

「星さんがいてくれるおかげで私達は本当に助かってますよ。本当にありがたい」
「あ、いえ……」
「ささ、早く行こうぜ、待ちかねてたんだよ……それに女房に怪しまれたらお互い困るしな」
「おうおう、急かすなよ、皆同じなんだから大丈夫だって、ちゃんと全員の分はある。なぁ星さん」
「え? あ、はい……多分」

 詰め寄った二人の青年に星が小さく頷く。同じ? 全員分? 予想外の展開と耳にした単語に、逢引の影など吹っ飛んでしまい水蜜は困惑した。
 この男達と星はなんなんだ? 怪しまれる? 見れば男は皆、星を待ちわびていた様子で肩や背に馴れ馴れしく手を回している。どう見てもただごとでは無い雰囲気だ。嫌な予感がよぎる。もしやこれは――


 ――人気の無い小屋の扉が閉じられる音に、星の肩が微かに震える。にやけ面を浮かべた男達が窓を背に立つと、中は薄暗く、外から覗いても様子がうかがい知れなくなる。
 
『それじゃあ、信仰のために今日も一つ頑張ってもらいましょうかね』
『一番は俺だ』
『焦るなよ……へへ、どうせ全員楽しめるんだ』

 中年の男が星の手を取り体を寄せる。一瞬逃げようと戸惑った星だが、すぐに大人しく寄り添うと、他の男も同様に星に詰め寄り――



「いやいやいやいやないないないないない……っとやば!」

 頭に浮かんだ男と女のずいずいずっころばし的映像を吹き飛ばしたが、つい声を出してしまった。知られたか、慌てて身を深く潜めるが星達の声は無い。
 見ると星達の姿はすでになかった、運が良かったというべきか。しかし水蜜に胸を撫で下ろす余裕は無い。ここにあったのはロマンスではなく背徳の香りがする怪しげなものであり、ただわかるのは星の一大事という事だけだ。助けなければならない。
 しかし、いくら人間が相手であっても多勢に無勢。星を人質に取られてしまったらこちらの身も危うい。だが命蓮寺に戻って助けを求めている暇もなく、早くしなければ手遅れになってしまうのは想像に難くない。

「どうするかなぁ……お?」

 動くに動けず歯噛みしていると不意に足にむず痒さを感じ、視線を下げると一匹のネズミがカリカリと爪を立てていた。ナズーリンが星の監視のために使っている奴だとすぐにピンと来る。

「お前、すぐに命蓮寺に行ってナズーリン達を呼んできて。星が大変なのよ」

 口早に告げると、ネズミがチュウと鳴いて駆け出す。さすがナズーリンの眷属だけあって物分りが良い。絶妙なタイミングだ。これで窮地に立つことになっても助けが来る。
 水蜜はぐるりとあたりを見回し、そらから勢いよく屋根を蹴って空へ飛んだ。



 里の裏手にある雑木林に星達は移動していた。人里で使われる薪を集める場所だが、普段は人気の無い場所である。水蜜は姿を隠しつつその後を追う。ナズーリン達はまだ来ない。飛び出せと心が逸るがまだそうする訳にはいかない。直前を叩かなければ意味がないのだ。
 しばらく一行は歩き続け、だいぶ奥へ入ったところでようやく足を止めた。星が男達を見回す。二人が離れてさらに奥へと入っていった。見張りのつもりだろうか。ならばここで。

「さ、星さんよ、出番だぜ」

 男の手が星の背を叩く。水蜜は手に錨を握り締めると同時に飛び出した。男達がすぐに気がついて驚愕の声を上げる。星も遅れて気がつき水蜜の名を呼んだ。一度ついた勢いで錨を振り上げ、男達の前に立つ。

「そこまでよあんたら! 星に手ぇ出すんじゃあない!」
「み、命蓮寺の船長さんじゃねぇか!?」
「何でここにいるんだ!」

 混乱した声、この反応は間違いなく。もはや容赦をする必要は無いと判断。振り上げた錨を威嚇として地面に叩きつけると轟音におののいた数人が尻餅をつく。

「星! こっち来て」
「水蜜、ちょっと」

 その隙に星の手を取り自分の背後に隠す、これで人質を取られる心配もなくなった。存分に暴れられるというものだ。水蜜はこの男共に今度こそ制裁を加えようと再び錨を振り上げたが。

「待ちなさい。危害を加えてはなりません。というより何でここにいるんですかあなたは」
「え? 何でって」

 思わぬところで制止され、ピタリと動きを止める。星が困惑した表情のまま水蜜の手を取り、錨を下げさせた。

「何でって。星がこいつらとこんなところに来るのを見ちゃったから」
「つまり、勝手について来たんですね……はぁ、しょうがないですね本当に、もう」

 と、助けだしたはずの相手に呆れられ、今度は水蜜の方が困惑する番だった。やましい事をするような雰囲気が星からは感じられないし、立ち上がった男達も助けを求めるようにそんな星を見ている。

「やましいことじゃなかったの?」
「やましいことには違いありませんが……ああ実際に見てもらえばわかります。全く何を想像していたのか」
「いや、だってそんな風にしか思えないやりとりとかしてたし!」

 どうも立場が危うくなったぞと星に弁解をしようとした時、奥に入った二人の男がこちらに声をかけながら戻ってきた。

「あったぞ! しかも大量にだ!」
「おお! あったか!」
「あった?」

 見ると二人の男は両腕で抱える程の何かを持っている。他の男達がわっと歓喜の声を上げてそこに群がった。
 水蜜と星も一緒になって二人に近づく。何を持ってきたのか覗いてみると。

「うっわ………………」
「やましいはやましいですが、こういうことです」

 喉から絞り出すような声を上げて後ずさる水蜜に、うっすら頬を染め顔を背けた星が呟くように告げた。
 二人の男が持っていたものを地面に置く。のべ十数冊のソレは、泥にまみれ、水に濡れ、一部が腐敗した――奇妙奇天烈な春画だった。
 絵柄こそ初めて見るものばかりであったが、表紙の女性、中には子供としか思えないようないたいけな娘までみな露出の高い格好をしていたり、挑発的なポーズをとっていたりと。これが春画ではなかったら何であろうか。そんな本の固まりに男達が喜びの声を漏らしながら群がる様は、一種異様な気配すら感じられる。
 開いた口が塞がらないとはこの事だ。コホン、と星が咳払いをする。

「私がこの者達についていったのは、能力を使ってこのし、春画を集めるためです。これも善行の一つだと私は割り切っています」
「はぁ!? これがぁ!?」

 星の言葉にさらに唖然となる。星の能力は『財宝を集める程度』であり、これはどう見ても財宝というよりゴミの塊である。しかし実際に集まっているのだから事実としてはその通りなのだろう。

「このえろ漫画と呼ばれている春画は殿方にとって宝なのです!!!」
「ゴメン何言ってるか全然わかんない!」
「殿方の浪漫、だとか?」

 そういう星も自信が無いのか眉を潜める。つまりこの本は男にとって財宝であったため、星の能力が効いたというのか。全く意味がわからなしいわかりたくもなかった。
 そんな女二人をさて置いて男達は勝手に盛り上がりを見せる。どれも成人しているというのに、その様子はまるで子供のそれと変わらない。

「うぉぉ、おい見ろよ、ハ○ハ○だ!」
「こっちは白○○房と、ゴー○ャ○宝○? 初めて見るな……これ貰うぞ」
「おい二つもか、まぁいい、俺はこの○港○ってのにしとこう」
「田○源○郎もあるのか! これは私が貰おう」

 何を言っているのかまったくわからないが、こうして見ると微笑ましく思えてくるものがある。春画でさえなければ。
 
「善行とは言え、こんな事を知られたら聖達に顔向けできないと最初は嫌がったんですけど、殿方達の情熱に打たれまして……動機や目的が不純でも、こうして喜んでくれるならいいじゃないですか」
「……いいのかな?」

 やがて男達は物色しおえたのか、おのおの本を持ち星の前に並ぶ、これもこれで異様な光景であったが、星は一人一人に笑みを浮かべ、満足気に頷いた。

「ありがとう星さん、あんたが居なかったらこんなお宝には巡り会えなかったよ」
「女房に焼かれたお宝は残念だったけど、これがあればまだ戦える」
「星さんのおかげだ、助かったよ、また頼むぜ!」
「皆さん今生のお願いですから今度は見つからないようにしてください」

 なにはともあれ、星に何かあった訳でもなく、ロマンスは無かったものの良いものが見れた気がし、水蜜もまた自然と笑みが浮かぶ。妖怪のためでもあり人のための命蓮時なのだ。これもまた信仰に繋がる行為だと思えば、色々と目を瞑る事ができる。
 この一件は決して他人に漏らさないようにしよう、そう水蜜は決意した。浪漫を求めて星を頼った男達のために。春画探しに付き合わされた星のために。色々と勘違いして突っ走った自分のために。

「よし! 帰って鑑賞会と行こうぜ!」
「その前に星さんにちゃんとお礼をしようぜ、船長さんを誤解させたお詫びもだ」

 その言葉に男達がどっ、と笑う。釣られて星も笑い、水蜜も笑う。雑木林に和やかな声が響く。
 
――遠くから微かに聞こえるナズーリンの怒号と、聖の緊迫した声と、雲山が拳を振るって空気を切る音と、ぬえの愉快そうな煽り声をかき消して。
子供の頃、よく河原にえっちぃ本を探しにいって皆で回し読みしたものです
今はネットでぽぽぽぽーんと画像で手に入っちゃいましたけど当事は一冊をお宝のように大事にしていた経験とか、ありません?
え、ない?
石動一
https://twitter.com/isurugi_hajime
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コメント



0.700簡易評価
1.80奇声を発する程度の能力削除
ああ、そういえばそんな過去(黒歴史)もあったなぁ…
2.90名前が無い程度の能力削除
私が小学生のころ、学校帰りに公園で湿ったその手の本を見つけては捨てた人に感謝していました。
今では私が供給側。拾うのはもちろん将来性あふれる男子児童。
なぜなら彼らもまた男の子だからです。
4.90桜田ぴよこ削除
水蜜がいい性格してますね、妄想逞しいw話中の情景が苦労せず浮かびました。
ストレスなく最後までするっと読めて、このあと始まる勘違いの阿鼻叫喚と怒られるであろう連中のことを考えると、ぬえじゃなくてもお腹を抱えて笑いたくなってきます。
幻想郷じゃえろ本も貴重品か……リアルに宝探し。エロバカな野郎共はどこにでもいるもので。憎めないし、そういうの嫌いじゃないです。
6.100名前が無い程度の能力削除
なんという才能の無駄遣い…いや、才能の有効活用?
どっちだ?
9.80ネコ輔削除
何が一番良かったかって? 船長を可哀想な人を見るような目で眺めていたぬえだよ!
11.90白木の水夫人形削除
勘違い舟幽霊かわいいね
15.90名前が無い程度の能力削除
里の連中も切羽詰まってんだな……
16.100名前が無い程度の能力削除
口髭+筋肉質な自分の姿て。船長それでいいのか……?
というか男達の中にガチが混ざってますね……たまげたなぁ……
17.80ぺ・四潤削除
あの日あの時、古本の束を夜中にこっそり持ち帰り、未知の世界に足を踏み入れたあの新鮮な気持ち。
今となっては決してお金では買うことはできません。財宝というのはお金の価値で決まるものではないのです。
ところでこの後聖がその本を目撃した後どういう反応をするかが楽しみだ。
18.20名前が無い程度の能力削除
あんまりなオチに開いた口がふさがらなかった。
草刈り代寄越せwwwwww

あ、私の頃には既にネットが
22.80名前が無い程度の能力削除
船長が妄想力たくましすぎるwww
春画にうっすら頬を染める星ちゃん可愛いです!
24.90名前が無い程度の能力削除
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