「よし、準備完了」
前後輪のブレーキ、問題なし。変速機、問題なし。タイヤの空気圧、問題なし。
ハンドルとサドルを掴んで、地面から10cmほど浮かせてから、落とす。異音がしない事を確認した後、次々と備品を取り付けていく。
リアサイドバッグには衣食住の品々、サドルバッグにはパンク時の為の修理キット。フロントバッグには走行中の食料や小物。
フロントサイドバッグは空のまま。ここには行く先々の思い出を詰め込む。
「出発進行!」
ひらりとサドルに跨ったなら、
――ふわりと少女は夏の風――
青く何処までも広がる空に、風に吹かれてさらりと波打つ緑の幼穂と景観作物。
緑薫る葉月は里近く、灌漑用水路脇の畦道を一人の少女が駆け抜けていく。
後ろに流れる青めく髪はまるで空へと溶け込むようで、その身を包む白い衣は風に吹かれてふわりと踊り、空に漂う雲のよう。
愛用の黒い帽子はお休み。大きな麦藁帽子をかぶり、ちょっとダサいけど顎紐で留める。
少女と共に旅に臨むは一台の赤い旅行自転車。現在人気のヒーローカラー、真紅の車体は正義の証、ゆえに彼女は正義の味方。
人里で流行るヒーローキネマ、その主人公の愛車の外観。それをそっくり真似た自転車はおろしたばかりのピッカピカ。
チーッと小気味良いチェーンの音を青い世界に響かせながら、少女は道を突き進んでいく。
彼女の目的は一切不明だ。何せ彼女は天人であり、走るより速く大空を舞う。
肉体の酷使に意味など無いし、汗水垂らす行いからは開放されて幾年月。
では何故彼女は走っているのか。
多分、それは彼女が未だ少女で。
なによりも今が夏だからだろう。
少女はペダルを黙々と廻す。語る相手もいないのだから他にやることがあるわけじゃないし、ただ走るだけが楽しくもある。
今日も天気は変わらぬ快晴。トップチューブに括り付けている緋想の剣を使うまでもない。
もっとも少女は一人きりなので、極光以外は操れないから剣の出番はしばらくお預け。
「……少し位なら曇っていいのに」
陽射しも眩しいお天道様を憎々しげに見やった後に、左右の景色に目線を移す。
気づけば周囲に水田は見えず、道の左右は小川と野草。人の手届かぬその環境は、危険に満ちた妖怪の世界。
されどそれゆえ野花も多く、移り行く色は見ていて飽きない。
「野に咲く花とて美しい、いわんや己の美を知る花をや……」
それは最近彼女が学び得た事。狭く退屈な実家を飛び出し興味の向くまま地上へ赴き、改めて得た認識の一つ。
彼女らが描く大輪の花は物騒にして無駄に絢爛。されど一つ一つが魂の発露。
消え行く花火に思いを込める、空飛ぶ少女の存在主張。
花火の季節ももう終わりかな、なんて物思いながら走ること一刻。
気付けば少女の前に道はなく、ただ左右にのみ世界は開ける。分岐に備えられた看板に見知った名前を見つけた天子は車輪を止めてそれとにらめっこ。
※腕に自信のない方は引き返してください ←魔法の森 迷いの竹林→ マスク用意 案内役用意 上白沢 慧音 |
左右に伸びる分かれ道の前。立て札を睨み黙する少女は果たしてどちらの道を選ぶのか。
「体が資本の天人なんだし、マスクが無くとも大丈夫よね」
案内無き身は魔法の森かと小さく天子は独りごちるが、されど再び思案に浸る。
バッグの中から時計を取り出し、パチリと蓋を開いてみれば、針が示すは十三時半。
このくそ熱い熱気の中では、はたしてどちらを進んだほうが快適な旅になるのだろうか?
もとより目的などない旅ゆえ、どっちに進むも大差がないなら快適な道を進みたいものだ。
バッグから小さな餡ぱんを一つ、取り出してひょいと口にくわえると天子は道行く道を定める。
「ひひゅひんひょひょふはふふひいへひょふへ」(竹林の方が涼しいでしょうね)
ひとたび定めた車輪を返し、くるりと回ってUターン。
「こっちを選んだ我が選択は、はたして正しい道だったのか、それとも大間違いだったのか」
踏み分け道から竹藪の中へ血気盛んに進んだ天子は、一人呟いて周囲を見回す。
そこは『迷い』を名前に冠するだけあり、道らしきものは入り口そばだけ。
地面を打ち抜き伸びる筍に注意しながら進んだ天子は、気づけば己の位置すら分からず。
燃え盛る午後の眩しい日差しは高くそびえる竹葉に阻まれ、吹きぬける風と囁く葉ずれが天子の心を労わるものの、ここが何処だか分からぬのではありがたみも薄れるというもの。
「それでこれからどうする背後の? このまま一緒に遭難しようか?」
「気づいていたとはちょっと驚き」
「ペダルが重くなったってーのに、気づかないほうが馬鹿だと思う」
いつしか背後に少女が一人。斯くして天子の同道は増える。濃緑に映える赤い自転車と、空気に揺蕩う不思議な少女が今の天子の旅の道連れ。
「どう進むのが正しい道か、知ってるんなら教えてもらえる?」
「揺蕩うだけが私の全て。正しい道など知りません。正しい道を知っているなら私は瞳を閉ざしませんので」
「電波な会話はお呼びでないわ。重荷になるしか能がないならこの場であんたは捨てていくけど」
酷い人ねと笑う少女は、天子を何処へ誘うつもりか。
背後からの手がゆび指す方へと天子は再びペダルを踏み込む。二輪が再びくるりと回れば、並ぶ二人は竹林の風。
「一つ問うてもよろしいかしら?」
少女の指すまま走るは一刻。背後で揺れてるだけの少女は何を語るでもなくそこに居る。
「一体何を望んであんたはわたしの背後に現れたのよ?」
座り心地が良いとは言えないリアキャリア上で黙するだけの、ふわふわ少女の行動原理は天人といえど理解が及ばず。
「夏の日差しには夏の雨雲、夏の雨には夏の虹。そして夏の風には夏の大空」
「来たるべくして来ただけであると、つまりあんたはそう言いたいのか」
「あいやお見事大正解。夏めく風を導くことこそ空たる私の使命かなって」
「……」
「それに貴方の無意識は今、意識と混ざって溶け合っている。貴方と一緒にいると私も一緒に蕩けて気持ちがいいの」
「気持ち悪い事言う奴は帰れ」
そう毒づいた天子の眼前、気づけば現る巨大な屋敷。深き竹林の奥に佇む、永々し者の住まう聖域。
「着いたわ……
よっとブレーキをかけて両足立って振り返っても、キャリアの上はもぬけの殻で人の気配などありはしない。
「帰れはちょっと言いすぎだった?」
天子はちょっと寂しげに洩らすも、今となっては後の祭りだ。
ありがとうとだけ虚空に残して再びサドルに跨ったなら、これより天子は不法侵入者。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「やっほー!」
「……永琳」
「……流石の私もちょっと言葉に困ってしまうわね」
物静かな空気に沈む屋敷の中、畳の上で制動をかけ停止する赤い旅行自転車を目の当たりにして、屋敷の主とその後見人は言葉に詰まる。
実に良い笑顔だ、輝いている。どう考えても土足で、いや車で畳の上に踏み込んできたとは思えぬほどに。
「ごめんなさい、ちょっと伺いたいのだけど貴女は一体何しにここへ来たのかしら?」
「遊びましょ、って誘いに来たの。それ以外の目的はないわね」
「……ここまで斬新な御招待は初めてね。むしろ押し入り強盗じゃない」
「貴族達は賢しすぎたのよ。姫を連れ出したいのであれば、力ずくで奪っていけば良いだけのことじゃない?」
なんともその言は太古の求婚者達を揶揄したものか、それともヒーローが姫を取り戻すという、今人里で流行の王道キネマに則したものか。
嗚呼、だから自転車で侵入か、と守矢神社発案である自転車販促用ヒーローキネマの作成に協力した映像立体化担当の月兎が小さく笑みを洩らす。
「それでどうする永遠の姫? 後ろに乗れば貴女もわたしと同じ馬鹿。つける薬など有る筈無いから一生馬鹿から抜け出せないけど」
「……地上には馬鹿しか居ないのだから、選民気取りに意味は無いわよね」
輝く姫はそう呟くと、闖入者と同じ微笑を浮かべて荷台の上へと腰を下ろし、するりと細い腕をワンピース姿の腰に回す。
「何処へ連れてってくれるのかしら。由無し事には飽き飽きよ?」
既に時刻は午後三時を超え、そろそろ斜陽も近いこの時に今から出来る遊戯は何だろう?
天井を投擲する狂姫といえど、輝ける月の姫は文民。釣りも蹴鞠も興味が無いだろう。
「任せときなさい。ちゃんとしっかり考えてあるわ」
走る道すがら考えれば良し、と闖入者は一つ頷き、車輪を返して出口へ向かう。
流れる様に嘘を吐く、不良天人此処に極まれり。
「それじゃ永琳、竹林の案内よろしく」
「……困った人ね、ついてらっしゃい」
「? 師匠、案内だけならばこの私が」
「これは人間だけの秘め事。妖怪兎はお呼びじゃないわ」
主が不在の間くらいゆっくり休みなさいと、闖入者は従者の随伴を拒絶する。
が、天人は知らないのだ。かの月兎は結局の所、地上の兎が共にある限り安息など得られないのだということを。
溜息一つの月兎を残し、常人ならぬ二人は屋外へと繰り出す。
賢者もまた自転車を倉より持ち出して待機済みだ。
守矢神社に売りつけられ、されど使用する機会などあるまいと思われていたママチャリの思わぬ出動に、月の賢者は苦笑を隠せない。
さあ、先行く賢者の後に続いて再びペダルに力を込めれば、比那名居天子は誘拐犯だ。
◆ ◆ ◆
「「御馳走様」」
「お粗末様」
ものの一刻と経たずに竹林を抜けた少女達は、一路霧の湖へと注ぎ込む川を目指して車を進めた。
周囲に食欲をそそるカレーの芳香を撒き散らしながら、少女達は日が沈む前に川縁での夕食と後片付けを終える。
「それで之からどうするのかしら? まさか食事をして終わりではないでしょう?」
「日が沈むまで、待って頂戴」
まだー? と急かす姫を宥めて、天子はのんびりと日没を待つ。傍らに佇む賢者は既に、納得の面持ちで静かに笑っている。
夏の夜に楽しむはただ三つの明かりのみ。
一つは天に輝く上弦の月。いと高き空に在る夢の都。
一つは天に咲く大輪の花。一瞬だけ咲き誇る刹那の芸術。
「あ……」
一つは地上に漂う寂光。美しき清水の傍で揺蕩い、儚く揺れる命の灯火。
「それじゃあ夏の風物詩、蛍狩りと洒落込みましょうか」
気づけば少女らの視界の中には数え切れないほどの明滅光。闇夜を照らす光ではなく、闇夜に溶け込む様な存在。
決して天高く舞う事のない地上を彷徨う儚き光は、天を発端とする彼女らには如何様なものと映るのだろう?
「どう思う?」
問うて天人は土手へと腰を下ろす。
「何がかしら?」
問い返した月の姫もまたその横に座す。
賢者は二人の背後に佇み、二人の会話に耳をそばだてる。
「蛍」
「奇麗じゃない?」
「嘘」
何故、と問うて姫は闇に浮かぶ天人の横顔を眺めるが、天人は川と蛍より視線を外さず、
「之は消え行く命の灯火、穢身が放つ穢れた光、そうでしょう?」
「そんな風に思っているの?」
「月人はそんな風に思っているんじゃないかって思ってる」
姫は背後を振り返り賢者と顔を見合わせ、ふっと鏡合わせの様に同じ笑顔を浮かべた後、揃って唯
「「奇麗じゃない」」
と。
共に座す姫達が己と同じ世界の住人であることに安堵し、天人はそうか、と短く吐息を洩らす。
「友達にならない?」
「なるなる。宜しくー」
唐突な提案に対し、間髪入れず戻される返事に天人は一瞬言葉に窮し、沈黙する。
「……いいの?」
「何が?」
「わたしの親父なんだけど」
「御父上? 」
「まあ、未だ健在でさ。ただ地上に対する意見の相違で、私は家を出て一人暮らしすることにしたんだけど」
「うん」
「でも、家を出る私に有難い忠告をしてくれやがってね。「地上人と関わるべきじゃない。不良天人は繰り返される離別の苦しみに耐えられないから」って」
「それで?」
「あんた達からすれば、あくまで有限の寿命であるわたしなんてわたしから見た地上人も同じじゃない」
―命だに 心にかなふ ものならば なにか別れの かなしからまし―
己が今も心に抱えている難題を、永遠の姫へと提示する。
だけど姫はけぶる様な微笑みを浮かべるだけで、
「それが今を人と過ごさない理由になるのかしら?」
―しるしなき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし―
たった一言で斬って捨てた。それは悩んだ末に彼女が出した答えと全く同じで在るがゆえに……
「どうやらあんたとは美味い酒が呑めそうね」
天人は笑う。
「お酒を持ってこなかったのは失敗ね」
姫は笑う。
「春ね」
賢者は笑う。
「よし」
晴れ晴れとした笑みを浮かべた天人はやおら立ち上がると、己の愛車に括り付けられた愛剣を手に取る。
「何するの?」
「ん、今ここは光を放つことが己の存在を証明する世界じゃない? ならばわたしも光ってないとおかしいじゃない?」
およそ蛍狩りに来たとは思えぬ発言と同時に、天に掛かるは上弦の月を覆うかの如き極みの光。
私も馬鹿の仲間入りしたのよね、と一言呟いた姫もまた輝く枝を取り出す。絢爛豪華な枝が放つは、この世に在らざる浄土の光。
儚き蛍の光を奪って微笑み交わす少女らを見やり、月の賢者は一人静かに処方箋無しね、と肩をすくめた。
◆ ◆ ◆
ふと、天子の目の前に明滅する寂光が飛び込んでくる。
それはこの川岸の本来の支配者。幽玄なる光によって現在過去未来を問わず、多くの文人歌人凡人を魅了する儚き蟲だ。
「どうしたの? 群からはぐれた?」
そっと漂うその蛍火は、否とばかりに天子の周りをくるりと回る。
問いを連ねようとした天子は辺りに漂う妖気に気がついて、
「やあ、こんばんわ。いい夜だね」
川縁に並び立つ三者が天を仰げば、天より来るは蟲の王たる幼き妖怪。
黒い外套を翻して大地に降り立つと、その外套の端をそっと摘んで小さく優雅に一礼する。
「いいところに来た、通訳してよ。こいつ、どうしたの?」
己の傍を周回する蛍を指して、天子は蟲の王へと問いかける。
「天の光に惚れたから残り少ない余生を供に過ごしたいって。罪な人だね」
「あれがわたしの光だって、解るんだ」
「無論。魂の光は我らの領分、解らない筈がないでしょう?」
「あらあら、輝く姫の立場が無いわね」
「全くね。天人様万歳だわ」
肩を竦めて最古の姫はたおやかに笑う。
対する天人の笑みはばつの悪さと困惑の斑模様だ。なにせ、
「……蟲に惚れられてもねぇ。そいつがわたしに惚れるのは構わないけど、わたしはそいつに惚れないわよ」
「構わないって。中にはそんな馬鹿も居てもいいじゃないか、って言ってるよ」
「全てを受け入れるのが幻想郷か」
天人は呆れ溜息をつく。
月人らは可笑しげに笑みを転がす。
蟲の王は喜ばしげに笑みを象る。
「不良蛍。あんた、名前は?」
「無いよ。言語を持たぬ蛍は輝きこそが己の証。呼びたいのなら貴女がつけてあげるといい」
王は言葉を持たぬ配下、いや既に天人の供と成って王より離れた傾奇者の為に代弁する。
天人はすとんと川縁に腰を下ろしてそのまま寝そべり、はてこの蛍は白星か赤星かと天を見上げるが、夏の夜空に武星は居らず、視線の先には蠍の心臓が輝くのみで。
そのまま射手、鷲、白鳥等と視線をつらつらと移していけども、相応しき名は思い浮かばない。
「リゲル、はあんたと被るわね。ああ、もういいや。お前の名前はルシファーで」
「随分と安直な名前ね」「あら、なんか格好良い響きね」
薬師と横文字に疎い姫はそれぞれ思うが儘を口にした後、互いの言が理解できないとばかりに顔を見合わせて疑問符を浮かべた。
そんな二人を意にも留めず、輝ける者はその名を気に入ったとばかりに天子の上を周遊し、天子の伸ばした指の先へと静かに降り立つ。
そんな寂光をしばし見つめていた天子がふっと視線を左右に廻らすと、新たな友人達の姿は見えず。
背後で生じた物音に慌てて振り返ってみれば、既に賢者と姫は並んで自転車の上の人。
「なに、もう帰るの?」
「ええ、逢瀬の邪魔して馬に蹴られるのは趣味じゃないわ」
「私達の生は永遠、蛍の生は須臾。どちらを優先するべきかは言うまでも無いでしょう?」
成る程、今日得た友も今日得た供も。
どちらも等しく尊いならば、逡巡している暇など無い。その間に須臾は十回も過ぎ去ってしまう。
「……そっか、また! 」
「ええ! 」
「では、また」
「また」。それ以上に言葉を発する事も無いまま、黙って月人達は竹林目指して走り去っていく。
賢者の背後で大きく手を振る姫の姿が、点と消えるまで手を振っていた天子もまた、供を連れて愛車へと近づいた。
「貴女達も行ってしまうのかな。闇夜の舞踏はまだこれからだよ?」
「既に相方を得た身である故、もう社交界には興味が無いの。こんなに月が明るいのだから、夜の疾走も悪くはない」
「合わせてくれるんだ、優しいね。彼も有難うって言ってるよ。惚れて間違いなかったってね」
それが茶化す様な口調であれば天人は照れ隠しの一撃を放てたであろうに。
蟲の王から向けられる感謝の念に、天人は月光でも分かるほどに頬を赤く染めてふん、と彼方を向く。
かくして彼女の同道は増える。真紅に燃える正義のレッドと、小さく輝く平家蛍が今の天子の旅の道連れ。
胸元に一つ寂光を灯して、少女は再び二輪に跨る。
「行くわよ、ルシファー!」
応える様に、明滅一つ。
星の海原に漕ぎ出したなら、少女と蛍は夜の風。
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此処は魔法の森の外周。里外に用がある一部の物達のために用意された田舎道からちょっと外れた位置にある木陰。
風に揺れる木漏れ日が少女の上に一瞬の陽だまりを作り、その眩しい夏の陽射しによって天子の意識は夢から引きずり出される。
「あっつう……」
少女は憎々しげな声を一つ上げて目を覚まし、天を見上げて愛車へと歩み寄る。
お天道様は南中付近。念のために鞄から時計を取り出して、ぱちりと蓋を開いてみれば、針が示すは一時ぴったりだ。
「お昼時か……ルシファー、起きてる? 起きてるんなら『きしゃー』ってやってよ、きしゃーって。昼間だと光っても見えないし」
胸元に目をやってみれば相方は戸惑ったかのように、されど天子の言に答えて上翅と下翅を大きく広げている。きしゃー?
「ん、おはよう。ちょっと体操するから離れてて」
今ので合ってたのか? と言わんばかりに不可思議な軌道で宙を舞う蛍に頷いてから天子はんーっ、と身体を伸ばして深呼吸をする。
相方に当たらぬ様に注意しながら準備運動をしていると、ゆっくりとこちらに近づいてくる荷馬車が目に映った。
「おーい!」
「あーい?」
荷馬車を操る初老の男に声を掛けられた天子は、返答とも疑問ともつかない声を返す。
ややあって、荷馬車は道を外れ天子の傍へと近づいてきた。
恐らくは里外への配達を労働の主とする里人なのであろう。その荷馬車には博麗神社謹製の魔よけの札がしかと貼り付けてある。
「お嬢さん、これから出発かね?」
「ん? いや、これからお昼だけど」
「それは結構。ならば袖触れ合うも他生の縁。昼食を一緒にどうかね?」
「いーわよ。当然何か恵んでくれるんでしょう、お爺様?」
「ハハハ。可愛らしいお嬢さんにそう言われては致し方あるまいな。ほれ」
男は荷台に手を突っ込むと、手にした赤くて丸い物体を少女へと放る。
「トマトか。……まぁ悪くないわ」
一言呟いて齧りつけば、目覚めたばかりで乾ききった天子の口腔に、甘く滴る果肉の味がしっとりと広がっていく。
ごつごつとした黒い樹肌を持つ木々の陰に荷馬車を止めると、男もまた天子と同様に取り出したトマトを平らげ、続いて竹の皮包みを開いて握り飯を取り出した。
「食べるかね?」
「頂くわ」
再び胸元に舞い戻ってきた相方と共に荷馬車に腰を下ろす。握り飯を一つ手にとって齧ると、塩味の効いた鮭が顔を覗かせた。
少ししょっぱいな、とも思ったが寝ている間に大分汗もかいた筈だし、若干塩分が多くても問題あるまい。要は水分もしっかり取れば良いだけの事。
たちまち天子は握り飯を一つ完食し、ついでに己の愛車に取り付けてあるフロントバッグから取り出した餡ぱんをも平らげる。
「一人かね?」
「二人旅。ああ、相方は水しか飲まないから結構よ。ほら」
きしゃー。
「蛍か。ずいぶんと変わったご友人をお持ちのようだ」
「まーね。で、あんたは何処へ行くの?」
「霧の湖へ。悪魔の館から注文があったのでな、のんびり1日かけて配達、その往路じゃわい」
「さっきの速度じゃそれ位かかるか……この荷馬車は湖を越えられるの?」
「まさか。湖の傍に悪魔の館専用の無人集荷場が在るのさ。そこに荷を置いて、報酬を回収するだけだ」
「無人集荷場って……盗まれたらどうするのよ?」
「悪魔から荷を盗む奴などおらんよ。死にたくないからな」
当たり前だろう、とばかりに初老の男は天子に呆れ顔を向ける。
ああ、それが一般的な人の思考であったな、と天子は今更ながらに首をすくめた。
どうやら人と呼ぶのもおこがましい変人集団と付き合っていたせいで思考がおかしくなってしまっていた様だ、と思わず苦笑する。
しかし、紅魔館か……
「紅魔館って湖のどこらへんにあるんだっけ?」
「さて、湖畔にあることもあるし、孤島にあることもあるという。湖の広さも水位も定まらんし、わしらには良く分からんなぁ」
そのための無人集荷場だしな、と微笑む老人に一つ頷くと、天子はすくっと立ち上がる。
「よし!」
「もう行くのかね?」
「ええ、ご馳走様」
「雲行きが若干怪しい、入道が鎌首を擡げ始めているようだ。にわか雨には気をつけてな」
「大丈夫、あんたの気質は「薄曇」。今日はもうあんたは絶対に雨には降られないわよ」
「? なにを言っているのか分からんが、達者でな」
「そっちこそ」
天子は荷馬車から立ち上がる。
己が愛車に近づいてフロントバッグから河童印の魔法瓶を取り出し、一気に中身を飲み干して空にすると天子は己の愛車に跨る。
「自転車か。孫達に買ってとせがまれて困っておるのだが、今回の悪魔との商いで得た稼ぎを足してもまだ届くまいな……守矢神社とやらは、うまい商売をするものだ」
「あはは、ほんとよね。販促のために映画まで作るっていう商魂にはちょっと感心させられたわ!」
人里で流行るヒーローキネマ、その主人公の愛車の外観。天子が今まさに跨る自転車はそれをそっくり真似た代物。
天人ですらこの様である。いわんや里の子供らの憧れをや、だ。
「御馳走様! 元気でね!」
「うむ、達者でな」
相方を帽子のつばの裏に貼り付けて、再び麦藁帽子を被り直す。
ペダルを廻す足に力を込め、前へ前へと突き進んだなら、走る少女は一陣の風。
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「ねえねえ道行くそこの天人、そんなのに乗って何やってるの?」
悪魔の館が佇む湖、そこへと至る道の途中で。
廻る二輪を止めることなくチラリと声のするほうを向けば、そこに佇むは一人の妖精。
夏でも煌めく氷をまとった純真無垢で愛すべき馬鹿。
「見て分からないと仰るならばちょーっと修行が足らないんじゃない?」
「最強のあたいが知らないことなど幻想郷にあるはずが無い! ずばりてんこは走ってるんだ!!」
「はいはいお見事大正解。それであんたはわたしに何の用?」
「あたいのシマに入ったお馬鹿をぶりょくせーさいするために来たのよ!」
猛々しい言葉とは裏腹にうずうずとした氷精の視線は、真紅に燃える自転車に釘付け。
興味津々と見つめる瞳に思わず天子は苦笑を洩らす。
「最強妖精の制裁とあらば、この自転車も壊れちゃうかしら?」
「そ、それがいやならそいつを置いて、今すぐここから逃げ出しなさい!」
予想を微塵も裏切る事無き最強妖精のリアクションに、天子はもはや限界とばかりに笑い声を周囲に響かせる。
「いいわよ、せっかくだから貸してあげるわ。此処に座って手を伸ばしなさい」
ブレーキをかけて急停止すると天子はひらりと大地に降り立ち、サドルを叩いて手招きをする。
ぱっと笑顔を輝かせた後チルノはサドルへと腰掛けるが、天子にあわせた自転車ゆえに足がペダルに全く届かず。
たちまち赤くなるチルノの憤怒を含み笑いで堪能した後、天子はサドルを限界まで下げ、ペダルに要石でかさ上げする。
「やった、届いた! 動いた! 走った!」
喜びと共に走り出す二輪に駆け寄りひょいと荷台に腰掛け、氷精の腰に手を回してから天子は揺れる背中に問いかける。
「紅魔館に行きたいんだけれど、送ってってはくれないかしら?」
「ふふん! いつもなら断るところだけれど、今日のあたいは機嫌がいいから何処へだろうと連れてったげるわ!」
青い短髪と青い長髪、勝気な目線と優しい目線。並んで自転車に跨る様は、年の離れた姉妹の様。
いざ! と叫んでペダルを廻す。冷気を孕んで突き進んで行く、二人の少女は夏のブリザード。
「ねえチルノ?」「何よ?」「楽しい?」「楽しい!」
ちょっと見回せば辺りは降雪。最初はまばらだった粉雪も今では数多の六花の結晶。
それはチルノの機嫌と同期するように夏の世界を侵食していく。
「何を楽しいと感じているのか、言葉に出来るなら教えてもらえる?」
「大地と、一体化してるからかな! 自然に溶け込んでるみたいな感覚!」
チルノが抱いたその感想に天子は目を瞬かせた後、小さな頭をくしゃりと撫でる。
「そうね、あんたはとても賢いわ。大地は何処までも広く続いていって、何処でも誰かを支えているから」
だから私は地に足をつけた今の生活が気に入ってるのか。チルノに蒙を啓かれた天子は再びチルノの髪をくしけずる。
タイヤから伝わる地面の感覚が、霜を踏み潰すそれへと変わる。
笑みを浮かべる氷精に応え、凍てつく地面が光をねじ曲げ世界は不思議な光彩に染まる。
「てんこは」「何よ?」「楽しい?」「楽しいわ」
さながらそこは氷の砂浜。足元照らす白い輝きは夏の風景の中に作られた、とても不思議な幻想の世界。
氷塵踏み分け進む二輪は気づけば霧の湖の畔。猛る冷気はとどまることなく湖の上を走っていって、揺れる水面を湖氷へ変える。
「このまま水上を突っ走るわよ!」
え? と天子が慌てた時には車輪が湖氷の上で横滑っていて二者は氷上に投げ出されている。
両者はそのまま氷上を滑り、果てにはボチャリと水中の人。
ざばりと浮かび上がった天子は慌てたように周囲を見回す。
未だ氷上に横たわったまま空回りする車輪を眼にして、ほっと小さく吐息を洩らした。
次いで天子の前に舞い降りた羽ばたく小さな影を目にして、吐息は安堵の笑みへと変わる。
「ルシファー、貴様一人で逃げたな。女を見捨ててトンズラこくとは男の腐ったような輩だ」
謝罪するように宙を舞った後、蛍は天子の帽子へ降り立つ。
天子もまた湖氷へ這い上がり倒れた愛車の元へ戻れば、頬を膨らませたチルノと眼が合う。
「なんでさ? 何でいきなり転ぶの? 今までちゃんと走っていたのに!」
「滑れば転ぶに決まってるじゃない。それに自転車は転ぶ乗り物、だからこそ逆に楽しいんでしょ?」
「そうなの?」「そうなの」「そっか、そうだよね!」
季節外れの氷橋の上で、二人の少女は微笑みを交わす。
ライダーを志すなら誰しも一度は派手に転げるものだ。気を取り直して自転車を起こし、サドルと荷台に腰掛け直す。
「それじゃ滑らないための一工夫をば」
名居たる天子が力を振るえば石畳が天より降り注いで氷橋を堅な石橋へ変える。
石畳の上を回る車輪は適度に石の凹凸に食い付き、再び二輪は前へと漕ぎ出す。
「あれ? もしかして氷はいらない?」
「石は水には浮かばないからね。あんたがいないと橋にならないわ」
「そ、そうよね! やっぱりあたいがいなきゃ駄目よね!」
濡れた着衣も気にすることない。吹き抜ける風ですぐにでも乾く。
うおお! と叫んで高ケイデンス。夏に青めくチルノと天子は常識を超えた夏の御神渡り。
「怪しい奴らめ! ここは通さん!」
「ならば我らはそこは通らん!」
脳内麻薬に導かれるまま、二人は悪魔の館へと迫る。
気勢を上げる門番をよそに、緋想の剣を大地に突き刺す。天子の力を受けた大地はあれよあれよと隆起していき、形を成すは緩やかなスロープ。
シフトダウンしてケイデンスを維持。一気に坂を駆け上った先、外壁も越えて空へと飛び立つ。
「「いやっほーーーーーぉう!」」
宙舞う二人が落下する先は赤い悪魔の三時のお茶会。二階の窓の先に位置する月当たりのよいルーフバルコニー。
空飛ぶ霊力の制動を受けて、赤い自転車はふわりと優雅に悪魔の館の中へと降り立つ。
「十点!」「九点ですね」「九点だな」「9天」「じゅうまんてん!」 きしゃー
――十万三十七点。現在のトップです。
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「……で、あんた達は一体何しに来たんだ?」
「遊びましょ、って誘いに来たの。それ以上の理由なんてないわね」
「それ以上の理由なんてないわね!!」
真紅のランドナーから降りて胸を張る二人にパチュリーとのお茶会を邪魔された吸血鬼は、されど含むような目線を天子へと向ける。
レミリア・スカーレットが最も好むものの一つは、退屈な生活をくるっと丸めて賽銭箱へ投げ込んでくれるような存在だ。
目の前の天人と氷精は言わずもがなである。
「それは結構。それでお前達はどんな刺激を私に与えてくれるのだろうね? 弾幕ごっこなんて生ぬるい「あたいおなかすいた!」
「じゃ、バーベキューにしましょ。新しい野菜が届く前に古い食材を処分ってのは?」
「何故貴方がそれを知っているのかはさておいて、悪くないわね。パチュリー様」
「はいはい鉄板その他ね。庭に作り出しておくわ」
「……私泣いちゃうぞ。正確には私のカリスマが泣く」
カリスマはブレイクされるもの。世界の常識に負けた紅い悪魔は一人膝を抱えてうずくまる。
そんなレミリアをひょいと抱えると、天子はテラスを後にして館の中へと進み行く。
「おい、貴様一体何のつもりだ!?」
「決まってるでしょ? あんたの妹に声かけに行くのよ」
「……正気か?」
「正気かって……バーベキューって言うのは家族みんなで楽しむものでしょ?」
息を呑むレミリアにウィンク一つ。
気づけば咲夜が天子の麦藁帽子を両手に持って微笑を浮かべている。
「それじゃこちらの方にはご遠慮願いましょうか。女の子の自室は男子禁制ですので」
「よくそいつがオスだって分かったわね咲夜……それじゃルシファー、ちょっと待ってなさい。咲夜、そいつに甘い水出しといて」
「お? お! なんだ? あたいも行くよ!」
「駄目。チルノは私と一緒に肉や野菜の下準備ね」
きしゃーな蛍とチルノに手を振った天子はレミリアと共にロビーへと進む。
だが白大理石の柱を避けて、高級そうな絨毯に足を踏み出した所で天子はヒタリと足を止めた。
「で、あんたの妹って何処にいるの?」
「無論地下だが……もしかしてお前何も知らないのか?」
「あー、あんたにちょっとおかしな妹がいるってことぐらいしか魔理沙達からは聞いてないわね」
見たことないしちょっと会ってみようかなぁって、と語る天子にレミリアはもはや空いた口が塞がらない。
「だからほらちゃんと案内してよ。どうせあんたと同じで好戦的なんでしょ? 弾幕ごっこをしているうちに肉食われた、なんてわたしは御免だわ」
「ああもう、どうなっても私は知らんぞ!」
「そのためにあんたがいるんじゃない」
「……あいつは、私の言うことなんて聞かないわよ」
そう語りながらもレミリアはロビーを照らしているランプの一つへと近づいて、その支柱をぐいと引き下げる。
歯車がきしむような鈍い音と共にスライドした壁の後ろから現れたのは、地の底を彷彿とさせる暗い暗い石階段だ。
闇の中の闇としか称しえないその階段を二人は一歩、また一歩と下っていって、終点に佇む扉をガチャリと開け放った。
◆ ◆ ◆
「てんこー! 食べないと肉なくなっちゃうよ!?」
程よく焼き上がった骨付きラム肉に噛り付きながら、チルノが怪訝そうな視線を向けてくるが。
「……食べないのか、肉。食いたかったんだろう?」
「…………食欲がないわ」
「……だろうな」
今は肉よりも水と酸素が欲しい、と天子は肩で息をしている。天人でなかったら5回は死んでいただろう。
隣のレミリアも似たようなものだ。不老不死、そして姉妹でなければ2回は死んでいただろう。
今の二人は汗まみれで息も絶え絶え、といった状態で紅魔館の中庭に寝っ転がりながら天を見上げていた。
そんな醜態をさらしているのはたった二人だけ。
なぜなら今宵の紅魔館は楽しい楽しい謝肉祭の最中だからだ。
妖精メイド達の調子のいい笑い声は時折焼き上がった肉の争奪戦を囃す歓声へと変わり、それらの間を縫うようにチルノやフランドールが肉や野菜を掻っ攫っていく。
鉄板のすみで本格中華焼き米麺を炒めている美鈴の周囲には門板隊が群がっており、その喧騒を避けるようにちょっと離れた場所に小卓と椅子を用意したパチュリーは、小悪魔とワインについて喧々諤々と議論を続けていた。
「にしても……始まったばかり? 四時間くらいは暴れてた筈だけど」
「丁度良い機会でしたので準備を全て妖精メイドに任せたのですわ、お嬢様。準備に時間がかかったのはその為です。4対2ですし、お嬢様がすぐにお戻りになられるとも思えませんでしたので」
幾ばくかの食材食器がお釈迦に成ってしまったのは御容赦を、とパーフェクトメイドが頭を下げる。
「咲夜らしくない無駄な出費じゃないの」
「少しずつ妖精メイド達に仕事を仕込んでいかねばなりませんし、これは必要経費ですわ」
「咲夜が全部完璧にやれるんだから問題ないじゃない」
「五十年後、百年後を見据えればそうも言ってられません。相手は精神的に幼い妖精、今からでも遅いくらいです」
「咲夜が死ななければ問題ない」
「お嬢様」
その時の咲夜とレミリアの面持ちをどう表現すれば良いか、天子には分からなかった。多分、天子自身も似たような表情を浮かべている筈だろうに。
「人は、死ぬ生き物ですわ」
時に響きわたる拍手と弾幕、調子っぱずれの歌を歌い始める者に応えて足を踏み鳴らす妖精メイドの楽しげな表情。
それらを恨めしげに眺めやった後、レミリアは不貞腐れたように天を睨む。
紅魔館の敷地には霧がかからないために、天を見上げれば満天の星空とわずかに欠けたる葉月の十六夜。
そしてそれらを薄く彩るヴェールのような夜空の羽衣。
「あのオーロラはお前の仕業か? 疲弊しているだろうに何であんなものを出しているんだ」
「男を惚れさせた以上、いつでも輝いていなきゃ女の名折れというものよ」
「……licurici(蛍)。 人に恋して花火と散った天使の残骸か」
「なにそれ?ロマンチックね」
「故郷の言い伝えだよ。そう言えばゆっくりホタルを観賞したことなんてなかったな」
来客を無視して続ける話でもないと思ったのか、レミリアはいきなり話題を変えた。心中を慮って、天子もその流れに乗る。
彼もまた流れに乗ったのだろうか? 輝ける者は二人の上をくるりと回ると、天子の傍で小さく揺れてる草花の葉へと舞い降りた。
きしゃー。
「ねえ、そいつはなあに?」
「蛍よ。あんたは見たことないの?」
気づけば未だ余力を残して愉しげに笑う少女が、寝っ転がる天子の側で珍しげに輝ける者を眺めている。
「ないなぁ。初めて見たものは壊して理解することにしてるんだけど、あれ壊してみてもいいかしら?」
「いいけど、壊したらわたしはあんたの姉に報復するわよ?」
嗜虐的に笑う少女の笑みが、ピシリと凍って天子を睨む。
「こいつについてどうこう言うつもりはないけど、吸血鬼の命が虫一匹と同等だなんて馬鹿にしてるの?」
「別に。あんたにとって大切なものがわたしにとって大切とは限らない。逆もまた然り。命の価値はプライスレス。価値は、人が勝手につけるものだから」
実姉を指差してこいつと宣うフランドールを正面から見据える。
「私にとって今の相方の時価は、少なくとも吸血鬼に喧嘩売るくらいはあるの」
「なんで私じゃなくてこいつに喧嘩売るのよ?」
「あんたが私の相方の生死を、相方じゃなくてわたしに尋ねたからでしょう?」
「……ふん、にしてもあんた如きが私達に傷を負わせられるとでも?」
「できるわよ」
憎々しさを低い声に込めて威丈高に語る少女の敵意を天子はあっさりと受け流す。
「酷い話よね。あんたのお姉さんはあんたが高々一匹の虫をすりつぶしたが為に誰からも好かれなくなるのよ。訳が分からないって? つまりこういうことよ。あんたが面白半分に蛍を殺した事実をわたしが蟲の王に告げると蟲の王は報復として大量のカメムシをこの紅魔館に送りつけてくるのよ。わかる? カメムシ。潰すとくっさい臭いがするカメムシよ。そのカメムシは脇目も振らずにあんたのお姉さんに群がっていくの。貴方が地下室から出て「おはようお姉さま」って挨拶するのはカメムシの群れ。すると緑色の人方をしたカメムシ群体が「おはようフラン、今日も良い夜ね」ってお返事するの。あんたが怒ってそのカメムシを吹っ飛ばす度にあんたのお姉さんはカメムシの出す異臭にまみれていくのよ。でもあんたが何もしなくたってカメムシ群体がどこかに腰掛けたり触れたりするたびにカメムシが潰れていくから自然とカメムシ群体は異臭の塊へと変貌していくわね。どれだけ殺しても殺してもカメムシはやってくるからついには紅魔館中がカメムシによる異臭まみれになっていく。かくて紅魔館はカメムシ館と名前を変えて、霊夢や魔理沙も寄り付かなくなる。カメムシの異臭は毒でもあるから魔女や咲夜達はカメムシ館に残ることが出来なくなってここから去っていくわ。然るに、館に残るはあんたとカメムシ群体だけ。カメェェェッー!」
「……うん、もういいです。すみませんでした私の負けでいいですゴメンナサイ」
「覚えときなさい。下手に生き物を殺すと思いもかけないところで人生転落しちゃうかもしれないのよ」
傍らの蛍すらおぞましく思えてきたのか、フランドールは長い睫毛を伏せて口を押さえ、天子へと背を向けるとパチュリー達のほうへと去っていった。
ほっとしたような表情で、しかし同様におぞましさに肩を震わせたレミリアは小さくため息をつく。
恐れるもの無き夜の王とて淑女には違いない。異臭悪臭や生理的嫌悪感と手に手をとってダンスなど御免なのだ。
「もうちょっとましな諌め方はなかったの?」
「十分まともな諌め方だったと思うわよ? 暴力に訴えずに説き伏せたんだから……良かったわね、あんた。妹に愛されてるじゃない」
「今のはそうとって良いのか?ちょっと違うような……」
「行ってきなさいよ。蛍狩り、姉妹で。あんたの口から私の相方の、蛍の美しさをあの子に教えてあげて」
これが、命の輝きであるのだと。十六夜咲夜が死ぬ前に。
「……考えておく」
小さな声でレミリアは天子に背を向ける。
ぐっと天子は相方にVサイン。私いい仕事したぞ! 答えるようにきしゃー。
よっ、と立ち上がった天子の肩口からワイングラスが差し出された。
背後から伸びるメイドの腕からそのワイングラスを受け取ると、天子は微笑を浮かべているパーフェクトメイドへと振り向いてグラスを掲げ、
「「スカーレットデビルと蛍に乾杯」」
「うるさいよ」
きしゃー。
「あ、夜は明滅のほうが分かりやすいわ、応答」
……きしゃー。
◆ ◆ ◆
歌が途切れ、酒と料理が途切れ、鉄板が片付けられる。
夢からさめたような中庭のバーベキュー跡を美鈴の陣頭指揮の元、妖精メイドたちがせっせと手早く片付け始める。
そんな中庭の様相を背後に、シャワーを借りて汗を流し終えた天子は紅魔館門前にて自転車の整備を行っていた。
昼間の転倒による損傷は無し。スポークや各ワイヤの張りも問題ない。前後輪の歪みもないし、チェーン位置の微調整も終了した。
食料や水筒の中身も先ほど咲夜の好意で補充することが出来たから今しばらくの旅が可能だろう。
「もう行くのか?」
「相棒が夜行性だからね。それに夜の移動のほうが涼しくていいし」
景色を楽しむには向かないけどね、と天子は夜の王に対し小さく肩をすくめてみせる。
胸元ですまなそうに明滅する蛍に気にすんな、と一言呟くと天子は各部のチェックを終了して立ち上がる。
「鞄に余裕があるなら土産を持たせよう。咲夜」
「はい、お嬢様」
一瞬のうちに姿を消して、一瞬のうちに姿を現した瀟洒なメイドが天子に手渡すは古ぼけたラベルのワインが一本。
それを受け取りしげしげと眺めた後、天子は若干顔をしかめる。
「不満か? それとも荷がかさばるのが嫌か?」
「不満って言うかさ、これ超高級品でしょ? 天人の舌は腐っているし、多分味なんて判んないからもったいないわよ」
「だからこそ、だ。そいつを基準に舌を鍛えておけ。ワインの味を語る相手が毎回パチェ達だけではつまらん」
遠まわしにまた遊びに来いと告げる吸血鬼に、されど天子は苦笑して遠慮する。
「だったらもっと安い奴から入りたいわね。三本でこれと同等の価格になるくらいの奴で十分よ」
「全く……文句の多い奴だ。咲夜」
「はい、お嬢様」
ワインを受け取り一瞬のうちに姿を消して、一瞬のうちに姿を現した瀟洒なメイドがあらためて天子に手渡すは古ぼけたラベルのワインが3本。
それを受け取りしげしげと眺めた後、天子ははっきりと顔をしかめる。三分の一にしろと言ったのに、
「どうして三倍になるかなぁ」
「いいから黙って受け取れ天人。気に入らなかったらそこらに捨て置けばよいだろう」
「捨て置かないけど……一本は恩人にあげてもいいかな?」
「それも良かろう。恩義が巡るのは良いことであろうな」
申し訳なさげに問いかける天子にそれも良し、と腕を組む吸血鬼を天子は上から見上げる。
ふと、もっと早くに言うべき言葉を口にしていなかった事に気がついた。思わず己の迂闊さに頭をかく。
別れ際に言う台詞ではないだろうに。
「友達になんない?」
「……ええ、そうね。よろしく。妹とも気が向いたら友人になってやって」
「そうする。あんたもたまには天界に遊びに来なさいな」
受け取った酒瓶をフロントサイドバッグに詰めて、天子はんーっと腰を伸ばすと、現在は孤島に位置している紅魔館から最も近い対岸は何処かと視線を這わす。
もっとも、その名の由来たる霧に阻まれて何処へ向かえば最短かなど全く分からないのではあるのだけれど。
「最後までそいつで移動するの? チルノは未だ館内で睡眠中だけど」
「問題ないわよ。わたしの力は大地と要石を操る力。底が無い水溜りが存在しない以上、わたし達の行く手を遮る物なんて無いわ」
集荷場ってどっちか分かる? と尋ねる天子に応えて咲夜が指差した方向に向き直る。
そのまま緋想の剣を大地に突き立てると、たちまち湖底が隆起して天子の為に一本の道が作られた。
そこまでは天子の目論見どおりだったのだが、ふいに彼女達の前に赤い魔方陣が浮かび上がる。
いぶかしむ天子をよそに赤い魔方陣から巨大な火球が迸り、それは天子が作り出した道の上をなぞる様に突き抜けて霧の向こうへと消えていった。
「お礼言いたいんだけど、あの紫っ子は何処にいるの?」
「私から言っておくわ。パチュリー様は照れ屋なのよ、気を悪くしないで頂戴」
「そっか、じゃあよろしく」
いくらマッドガードがあるとは言え、泥道を走ればやはり撥ねは飛ぶ。
さっきの火球は天子が作り出した一本道を乾かすために放たれたものだろう。
自転車に乗ったことが無いために火球の意味が理解できないレミリアだけが一人首をひねっている。
「ああ、あとチルノには飛んで帰ったって伝えてくれる?」
「私からそう伝えておきましょう」
「何から何まですまないわね、咲夜……さあ、出発するわよ! ライト良し、リフレクター良し! 行くぞ、ルシファー!」
応えるようにチカチカと光る。相棒と共に足取りは軽く天子はペダルをぐいと踏み込む。
「またね!」
「ええ、ではまた」
「気を付けて」
門番無き門を後にし霧の湖へ漕ぎ出したなら、進む少女は霧裂く旋風。
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「……だからさ、神社が壊れて紫が怒ったのってあれはこう、郷の運営云々とかじゃなくて一種の独占欲だと思うのよ……しかし、あっつう……」
憎々しげな声一つと共に、天を見上げて時刻を確認。
お天道様は南中より西。鞄を開いて時計を取り出し、ぱちりと蓋を開いてみれば、針が示すは十二時半だ。
「丁度お昼時か……ルシファー、ちゃんと聞いてた?」
胸元に目を這わせてみれば、きしゃーと羽を広げる相方。
「あんたの気質は「時雨」かぁ。ツーリングには向いてないわね……ああ、こっちの話だ気にすんな」
天子が今ひた走るそこは人里へと続く田舎道だ。
昨日天子が仮眠を取った、広大な山の裾野に広がる原生林の間を抜けた先。
どうしようもない程に炎天下な中、天子は人里目指して走る。
あっちに見える入道雲に太陽なんぞ隠れてしまえ、と天子は詮無き呪詛を撒き散らす。
さて、時刻からすればそろそろの筈と人里へと続く道を走る少女は、目的の後姿を目に留め、大声を飛ばして腕を振る。
「おーい!」
「うーん?」
荷馬車を操る初老の男は問いかけるような返事を返す。昨日と全く逆の状況に思わず天子は苦笑する。
どうどうと馬に停止を指示してゆっくり止まった荷馬車の横に、再整備された旅行自転車派が天子に応えてぴたりと止まる。
走るのを止めたためにどっと汗が噴出してくるのが鬱陶しい。
「おお、お嬢さんか。どうしたね? 残念ながらもう譲ってやれるものは何も無いが」
「馬鹿言いなさんな、今度はわたしがお礼する番よ。はい、どうぞ」
天子は軽く額の汗を拭った後にフロントサイドバッグを開くと、そこから一本の酒瓶をつかみ出して荷車の上の老人に押し付けた。
「ほう? 洋酒かね。貰っても良いのかな? 握り飯の礼としては些か過分にすぎる気がするが」
「贈り物ってのは心持でしょ? いいじゃない別に」
「違いないな。じゃあ早速……」
早速封を切ってその味を確かめようとする老人を慌てて天子は止める。
酒は飲む物であろうがこの場合は飲まれてしまっては意味がなくなってしまう。
……もっとも、老人はコルクを抜く方法はおろか、キャップシールの剥がし方すら知らなかったためにさほど慌てなくても良かったのだが。
「ちょい待ち。悪いことは言わないからそいつは飲まないで酒屋に売り払いなさい。悪魔の館から譲られた、問い合わせても構わんって言えば真面目な顔で計算を始めるはず。あんたがワインの事をよく知らないだろう事を酒屋は見抜くだろうから、おおよその価値の半額以下をつけてくるでしょうね」
「はぁ……」
「だから示された価格の最低でも倍額を叩きつけて、それを拒否するようならあっさりと引き下がりなさい。きっとあんたの言い値で買い上げてくれるから。わかった?」
「分かったが……酒を売ったところでたいした小遣いにもならんだろうに」
純朴そうな老人にとって酒とは買って飲むものであり、少なくとも取引の道具には成り得ない様だった。
そしてそれは、幻想郷の人里における一般常識でもある。
酒とはみんなで楽しむものだ。が、
「それでも、よ。少なくとも二束三文にはなる筈よ。孫に自転車買ってやりたいんでしょう?」
「そうじゃな。どうせ洋酒の味など分からんし、そうしよう。ありがとう、お嬢さん」
「じゃ、息災でね。いい? 絶対に倍額以上を出させんのよ?」
「分かった分かった」
未だ首をひねる老人にピッと二本指を振って見せると、天子は再びペダルを踏み込む。
さて、これで礼は返せた訳だし、残る二本のワインはどうする?
そんなことに首をひねりながら、ハンドルを握りなおして急加速。
気が滅入るような日差しの中を道行くままにひたすら真っ直ぐ、進む少女は夏疾風。
◆ ◆ ◆
「これは珍しい。天人様がこんな所で一体何をやっているんだ?」
「そのくらいなら見れば分かるでしょ? ツーリングって言う外のスポーツよ」
「それぐらいなら見れば分かるさ。そう言う意味の質問じゃなくて、お前そんなこと何故しとるんだとこの魔理沙さんは聞いてるんだが」
茜に染まる大空の下、今日一日の行程を終えてねぐらへと帰る太陽を背に東へと走る夕風少女は、日が沈む前に飛び出してきた一番星と鉢合せをする。
困ったように小首をかしげて握るハンドルに目線を落とす。胸の内にあるこの感情は説明するのは困難である。
「そこに大地があるからでしょうね」
「確かお前は天人だったとこの魔理沙さんは記憶していたが、そいつは私の認識違いか?」
「原点回帰ってやつなんじゃない? たまには下から上を見るのも、悪くないって思わない? 見下ろすだけでは見えないものも、この世界にはいっぱいあるでしょ? 」
「天人の癖に謙虚なんだな」
「自分に自信があるのであれば、態度はおのずと謙虚になるわ……それであんたは何の用なの?」
「なに、暑気払いの一杯って奴さ。お前も東に向かってるんなら神社を目指してたんじゃないのか? 旅は道連れ、一緒に行こうぜ? 一人旅じゃあつまらんだろうが」
「お生憎様、今のわたしは二人旅なの。日没後からが本番なのよ」
「何処に二人目がいるって言うんだ?」
「あんたの目は節穴かなんか? 此処にいるじゃない……って、どうしたのルシファー? 光んないの?」
ふと胸元に視線を這わせるが、相方が明滅する素振りは無い。
既に夜の帳が下り始めたのに沈黙を守る相方の様子に思わずぎゅっとブレーキを握る。
「なんだ? 蛍か? 光らないのか?」
「……分からない。まだ、寝ているだけかも」
天子の表情を目で一撫でして、魔理沙はふわりと高度を上げる。
「悪いが先に神社に行ってる。お前も必ず神社に来いよ!」
「来たけど、なによ?」
「スター、天子の周りに生物はどれだけいる?」
「え? ……魔理沙さん、その、そっちの方以外は何もいませんけど……」
神社の石段を中ほどまで昇ったところにある踊り場にて、魔理沙の質問に降り注ぐ星の光が困ったように二人の顔を交互に見やる。
「ふぅん、そいつ、生物の気配を察知できるんだ」
「……鋭いな。その通りだよ」
「そっか。ルシファー、お前死んだのか」
担いできた自転車をガシャリとおろすと、天子は石段へと腰を下ろす。
「死んだのか。吸血鬼の魔の手から守ってやったってーのに、死ぬの早すぎるんじゃない?」
残り少ない余生、とナイトバグが言っていたのを思い出した天子は小さくため息をついた。
脚がもげないように、そっと胸元から相棒を引き剥がす。
「ちょっとそこの妖精。悪いけど霊夢を呼んできてくれない? わたし達は境内に入れないから」
「え? 何でですか?」
「死体を境内に入れちゃいけないんだよ、すまんが、頼む」
「分かりました」
神社の境内へと進む青い妖精をちらりと見やった後、魔理沙は腰掛ける天子の横に立つ。
「いつから飼ってたんだ?」
「二晩限りのお相手よ、飼ってたんじゃないわ。妖怪化して素敵な殿方になってくれるのを期待してたのに」
「そうか。おまえジジ専だったんだな」
「違……そっか、寿命で死んだんだから、こいつジジイなのか」
「人間の成長を当てはめるならな」
どうにも爺さんとばかり縁がある、と小さく天を仰いだ後。
相方を乗せた麦藁帽子を踊り場の上に置いて立ち上がる。
「ほらよ」
「何であんたこんなもん持ち歩いてんの?」
「キノコの採集とかにあると便利なんだよ。感謝しろ」
魔理沙が帽子から取り出したシャベルを受け取って、踊り場の横の地面に穴を掘る。
ざくり、ざくりと穴を掘る。
一心不乱に穴を掘る。
「…………もういいんじゃないか? 1mは掘っただろう」
「……そうね。ちょっと掘りすぎたかしら」
深く掘った穴の中に、相方の亡骸を、そっと、置く。
どさり、どさりと土をかける。
敬虔な祈りと共に土をかける。
弾幕ごっこで要石を降らせる時のように、天に手を掲げて、振り下ろす。
ドスン、と。
比那名居天子の要石が蛍の上に鎮座する。
「ほう、石灯篭か。ずいぶんと器用に整形できてるじゃないか」
「わたしの要石制御は比那名居一だからね。これ位なら朝飯前よ」
墓石の代わりに石灯篭を。
輝ける者の為に設置する。
「まったく、人ん家の敷地に勝手にお墓を拵えないでよね」
「遅かったな、霊夢。あとご苦労スター……なんだ、残りも来たのか」
「面白いもんじゃないって言ったんだけどね。ほら献饌。なんかもう埋葬されてるし、もう適当にやるわよ」
「……ありがと、霊夢」
天子は差し出された水杯を受け取ると、それを石灯篭の前に置く。
「名前は?」
「ルシファー」
「何で和名をつけないのよ」
「……ちょっと反省してる」
鈍色の衣に同じく鈍色の切袴と言う装いの霊夢が石灯篭の前に立ち、朗々と謳い上げる。
「此の小床に坐せ奉り鎮め奉るルシファー命の御前に慎み敬ひも白さく、今より遷霊の式、厳に仕へ奉りて、此の石灯篭に遷り坐せ奉りぬ。故、今日より此の石灯篭を仮の御座所と定め奉りて、現世に在すが如、玉串奉りて拝奉る状を平らけく安らけく聞こし召して、比那名居の千代の守神と鎮坐して、天子を夜の守に守り恵み幸へ給へと慎み敬ひも白す……」
霊夢の祭詞を耳に頭を垂れた天子の目頭が若干熱を持つ。
たった二日間を共にした相手の死ですら魂を揺さぶると言うのに、目の前の巫女と、隣の魔法使いと別れを告げる時に自分は平静でいられるのだろうか? と。
――「地上人と友人になれば必ず後悔する」か。
結局、父の言うことは正しかった。父は何処までも己を理解していた。完全な天人であれば然りと受け止められる死も、不良天人にはやはり重い。
それがこれから幾度と無く繰り返されていくのだ。
でも、
(離別の悲しみより、触れ合う喜びのほうが大きいから)
天子だって間違っちゃいない。
だから、この悲しみにも、耐えられる筈。
(泣いてるのか?)
(泣いてないわよ)
(汗か、夏だもんな。仕方ない)
そう、これは魂の汗。生きてる以上は流れ落ちるもの。そう天子は己に言い聞かせている間に、滔々と流れていた霊夢の遷霊祭詞が静かに終わりを告げる。
「ほら、玉串」
「ありがと」
天子は玉串を受け取ると霊夢に一礼し、案……が無かったので石灯篭の火袋に葉先を手前にして供える。
「よく分からんが真似するぜ」
天子の動作をそっくりそのまま、魔理沙と三妖精が真似て繰り返す。
「はい、じゃーこれでお終い」
「あれ、直会はいいの?」
「だって、準備なんてしてないでしょう?」
「お酒ならあるわ」
「実はつまみもある。キノコだがな」
「あ、わたしも紅魔館で用意してもらった携行食品があるわ」
「……じゃあまぁ、いただきましょうか。着替えてくるから準備よろしく」
すたすたと石段を登っていく霊夢を尻目に、天子と魔理沙はそれぞれ持ち寄った食品を天子の携行食器の上に移す。
河童印の携帯コンロに鍋を掛けてチリコンカンのレーションを温め、それやコンビーフ缶をクラッカーで挟む。
携行食糧といえど火を通せばそれなりになるものだ。……とても直会の食事とは言えないが。
「「「あの」」」
ふと、どうすればよいのか分からずそわそわしていた三妖精が天子達の前に舞い降りる。
「あんた達はどうする? これは騒ぐ宴じゃなくって、故虫を偲ぶための宴だけど」
「「とりあえず宴会なら「そうですね。では私達はこれで失礼します」
他の二人と異なり生命反応を察知できるスターには何かしら思う所があったのかもしれない。
二人の口を遮るように、スターサファイアがぺこりと頭を下げる。
「そ、あんたには借りができたし、後でなんか奢るわ。奢られる気があるなら明日の朝またここに来なさい」
「「「喜んで!」」」
されど妖精。その天子の一言に沸き返ると、キャイキャイと騒ぎながら神社の方へと消えていく。
入れ替わりに現れたのは最早巫女装束ですらない白い小袖姿の博麗霊夢だ。
「いくら略式とはいえそこまで気を抜く?」
「いいじゃない別に、あの衣装はあっついのよ。第一、飛び入りの葬儀を執り行ってやったんだからガタガタ抜かすな」
「諦めろ天子。この巫女様に物申すだけ無駄って奴だ」
「それもそうね」
「ちょっと! それどういう意味よ」
食って掛かる霊夢を放置して天子は献饌である真水を満たした杯を手にとって1/3程を飲み下す。
続いて魔理沙が、最後に霊夢がそれを口にして空となった杯。
そこに天子はレミリアより譲り受けたワインの一本を取り出して瓶の頭を切り落とし、なみなみとそれを注ぎ入れる。
「献杯」
「「献杯」」
再び三人で回し飲み。
「あら、美味いわね」
「この舌の上を滑るシルクのような……駄目だ、ボキャブラリーが追いつかん」
「これ幾らするんだろう。なんか寒気がしてきたわ」
二杯目からは各自の容器で。
霊夢は引き続き杯を。魔理沙は帽子から引っ張り出したウィスキーグラスに。天子は金属製のマグカップで。
「どれもワインにゃ合わないな」
「いいじゃない別に。容器で酒が美味くなるわけじゃないでしょ?」
「香りの感じ方は変わってくるけどね」
それぞれ魔理沙の持ち込んだキノコ料理やレーションに手を伸ばす。
「霊夢、魔理沙」
「なによ」「なんだ?」
「せいぜい長生きしなさい」
「そんなの約束できないわ。私は死神じゃないから寿命なんて分からないし」 「お前な……いくらなんでも空気読めよ」
「いいわ、霊夢らしいし。魔理沙もありがと」
「おっ、おお。うん、まあ、なんだ」
あまり礼を言われることが無いのだろう。狼狽する魔理沙に生暖かい笑みを向けながら天子と霊夢は器を傾ける。
ちくしょう、と一言呟いた魔理沙は天子のマグカップを奪ってガブリ、とやった。
「で、神葬では御霊は転生するんじゃなくて神霊に還るんだったか?」
「そ、神霊として幽世に還り、そしてまたいつの日にか現世へと舞い降りる。その繰り返しね。もっとも、今は神道仏教いずれにせよ閻魔の裁きを挟むみたいだけど」
「ふーん、行き届いてるんだ。神仏習合」
「虫も閻魔の裁きを受けるのか?」
「さぁ、死んだことないから分からないわ」
「「違いないな」ね」
三人で笑いあい、盃を交わす。
未だ残暑の厳しい季節なれど、その暑けも若い三者の食欲を奪うには至らぬようで、用意された食材はあっさりと底をついた。
さほど時が経たずして天子のワインが一滴残らず飲み干され、魔理沙の持参した安ウィスキーもまた底をつくが、三者は石段の踊り場から動かない。
酔いに任せて石畳に寝っ転がり、三人揃って天に架かっている極光を見上げる。
三晩続いた夏の極光も、送り火となった今日で終わりだ。
「おやすみ、ルシファー」
返事は無い。
◆ ◆ ◆
「へー、あたいの船に虫が来るってのは珍しいね。ああ、基本的に渡し賃を持たない種族ってのは寄り合い船で十把一絡げに送られちゃうからさ」
――~~
「うん、そう。ここでの所持金っていうのは他人がそいつのために使って来たお金の合計なんだ。だからあたいの前に金の概念がない生物が来る場合、大概が人に飼われてて、かつ葬儀を挙げられた者ってことさ」
――~~
「博麗神社で葬られた? あははぁおいおい、嘘言っちゃあいけないよ。あのぐうたら巫女がそんなことするもんかい。あたいにはいいけどさ、四季様の前でそんな事言っちゃ駄目だよ?」
――~~
「ま、好きにしな。それはともかくほら、船賃を出しな? いくら出すかはあんたの自由だ。ま、有り金全部出しておきなとあたいは忠告するがね」
――~~
「はいじゃあ受け取ったよって……うおぉ! 対岸が目の前だ! あたいの出番がないじゃんか! ……うんまぁ、そっちが裁判所だ。逝ってらー」
――きしゃー
:
:
:
「にしても、全財産がワイン一本にレーション……是非曲直庁に収めたら馬鹿扱いされそうだし、飲み食いしたら着服になるし……どうすりゃいいんだこれ?」
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「やった! これが食べたかったんですよ! ご馳走様です天子さん!!」
「「ご馳走様です!!」」
ブラッドベリーマウンテン。
白玉妖怪マウンテン。
デビルズブラウニーマウンテン。
テーブルの上に三山となっているパフェを前に、光の三妖精が目を瞬かせる。
ここは人里午後三時。自家発電機と冷蔵庫を保持する数少ない店舗にして、洋風デザートが評判のパーラー「細雪」。
以前霊夢が山ほどもあるパフェを食べたのなんのと話しているのを神社で耳にして以来ずっと狙っていた三妖精ではあったが、氷菓を出せるという強みのお陰で夏のパーラーは常に満員御礼。
人がごった返していて姿を消そうが音を消そうが、妖精が付け入る隙などありはしないし、客になるには三妖精には金がない。
されど本日は財布がいらっしゃる!
満を持して目の前に現れたクリームとアイスとフルーツとソースの楽園に、三妖精の心は有頂天だ。
「流石に三人前ともなると高くつくわね……円を食われるとは思いもしなかったわ」
対する天子はコーヒー一杯。三人分の巨大パフェとドリンクだけで一円銀貨(一万円相当)が去っていくとあらば、とてもじゃないが無駄遣いなんて出来やしない。
思わずため息をついて店内外を隔てる曇り硝子に目をやった天子は、ピクリと眉を跳ね上げる。
「あんた達、ちょっとわたしは席を外すわね……って、聞いてないか。まぁいいけど」
三妖精はキャイキャイと騒ぎながら互いの器を取り替えっこしたり、銀の匙でアイスの半球を掬ってみたりに夢中で天子の話なんて最早全く耳に入らないようだ。
それなら良しと天子は一人席を立つと、店員にまだ連れがいる旨、親指で背後を示した後に店の外へと歩み出る。
「すっげー!! これ映画のモデルまんまじゃんか!」
「マジだ! 細部まで凝ってるし、サイドバッグまでついてて完全装備じゃんか!!」
「いぃなぁ、母ちゃんに強請ったのに「単なる色違いでしょ?」っつーんだもんな! 分かってねぇよ!」
「なんだよ買ってもらえるだけいいじゃんか。うちなんて金がないから「二本の脚で走れ!」だぜ?」
「じゃあ乗ってちゃおうぜ! こんな所に放置してあるんだからいいよな!? 当然」
「当然、駄目に決まってんでしょうが!!」
『うわぁあああ!!!!!』
店の外に留めてあった、一台の赤い旅行自転車。現在天子と共にある相棒。
人里で流行るヒーローキネマ。守矢神社が自転車を売り込むために作成した、自転車販促のための映画。
想像以上に出来が良かったその映画のお陰か、守矢神社の自転車販売は絶好調。
映画の主題にもなっているランドナー(旅行自転車)と、舗装路がない故の道路事情からマウンテンバイクが主な売れ筋だ。
天子の自転車は主役の愛車をそっくり真似た物だから、子供達にとっては垂涎の一品に違いない。
しかもブレーキやチェーンといったパーツを全てSHINANO(妖怪の山の一流メーカーです!)のSana-Ace(最上位グレードです!!)で統一した天子の自転車はちょっとした走る芸術品なのだ!
それに群がる5,6人の里の子供達を、天子は問答無用で一喝する。
「ふん、何時から里の人間達は駐車を放置と捉える様になったのかしら? モラルの低下が著しいわね……おっと逃げんな!」
天子がドン、と大地を蹴れば、瞬く間に子供達の周囲の地面が隆起してあっさりと逃げ道を塞いでしまう。
「さぁ、頭蓋を凹まされるのと頬骨を砕かれるのと膝の皿割られるの、どれがいい?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ姉ちゃん! ちょっと跨ってみたいって思っただけなんだってば。このモデル乗ってるんだったら理解してくれるだろ!?」
「理解はするけど無断借用はやっぱり犯罪ね。悪人にかける情けはないし、何より殴られずに大人になる奴なんていないわ」
「いやいや! 骨砕くのはやり過ぎだって!」
「んなことないわよ。わたしは親父と要石で殴り合って一人立ちしたし。それにおいたを列車による轢撃で諭されたわたしが言うんだから間違いないわ」
「姉ちゃんどっかおかしいよ!?」
「ふぅん? 盗人猛々しいとはこの事ね。さぁ、苦痛を味わってその罪の重さを知りなさい。その内それが癖になるから」
「いや癖になっちゃ駄目だろ!?」
「さっきから一々やかましいわね! さぁ、己の罪を数えろ! 天地開闢!!」
天子が空へと手をかざすと同時に、空に巨大な要石が現れる。
逃げ道をふさがれた少年達にはそれを回避する術などありはしない。
『一つだけだってばぁ! すいませんでしたぁ!!!!!』
天子の表情に目をやって少年達は理解した。彼女にはやると言ったら確実にやる凄みがあることを。
青ざめた子供らはついには涙を浮かべながらその場に土下座して謝罪し始める。
「ふん、過ちて改めざるをこれ過ちという。下らない言い訳をせずに最初からそうやって謝罪すればいいのよ」
別に土下座までしなくていいのにと若干狼狽しつつ呟くと、天子は生み出した要石を消して、隆起させた大地を再び沈下させる。
それを目にした子供達はホッと胸をなでおろすと、次の瞬間には目を輝かせて天子にまとわりついてきた。
「なぁ姉ちゃん! あれどうやって買ったんだよ? あれ守矢神社の限定生産だろ?」
「買ったんじゃないわ。河童に道具を借りて自分で作ったのよ。おいこら尻にしがみつくな!」
「うっそマジで!? 河童に……って、もしかして姉ちゃん人間じゃないのか?」
「……天人よ」
あまり天子は自分の正体を明かしたくはなかった。不良天人が地上人に歓迎されることがないことを彼女はよく知っていた。
天人の肉体は毒であるが故に妖怪に襲われず、それ故に妖怪溢れる幻想郷において天人は羨望の的。
妖怪に捕食される、と言う恐怖から解放されている天人にはそれに相応しいだけの格を備えていることが求められているのを知っていたから。
だが、
「天人すげー!! これ自分で作れるのかよ!!」
「外見も塗装も全部映画のと違わないじゃん! 巧いなぁ!!」
「なぁ姉ちゃん、天人ならこれで外走ったんだろ!? いいなーすげーなー! どうだった? やっぱ気持ちよかった?」
ガキ共からすれば天子は十分に尊敬されるだけの存在であったようだ。
変わらぬ、いや濃度を増した羨望のまなざしに思わず天子は心中で仰け反った。
「どう、って……あんた達さっきの口ぶりからして自分の自転車持ってるんじゃないの?」
いぶかしむ天子に、子供達は若干臍を曲げたような表情を返してくる。
「そりゃ持ってるけどさ。里の外を走れるわけじゃないし……」
「やっぱさ、里中走ったって楽しくないじゃんか。スピード出すと慧音先生が怒るしさ」
「こう、映画のラストシーンみたく夕日の荒野を走りたい! って気持ち、分かるだろ? ねーちゃん」
「ああ、うん。分かるわ。……そっか、あんた達は里の外を走れないのか……よし! ちょっとガキ共、耳を貸しなさい」
――少女説明中――
「やる?」
『やる!!!! 』
「慧音に怒られるわよ?頭突き痛いわよ?」
『やる!!!! 』
「よし、家族も含めて自転車を持ってない奴は?」
「……うちだけ。うち、貧乏だから……」
少年のうちの一人がうなだれるが、天子は笑ってその少年の肩を叩く。
「じゃ、それはわたしが何とかしてやるわよ」
「ほ、本当?」
「ええ。だから暗い顔しなさんな」
「あ、ありがとう姉ちゃん!!」
まじりっけない感謝の笑みに、天子は人の悪い笑みを返す。
「よし。じゃああんた達、絶対にばれない様に準備を進めなさい。特に食料調達は足がつきやすいから無い知恵捻るように。明日の朝四時に全員で寺子屋の前に集合、いいわね?」
『ヤボール!!!!! 』
「ドイツ語かよ……何であの映画って単語がドイツ語主体なのよ、早苗」
そりゃあ、響きが格好いいからに決まってるじゃないですか!
少年達が敬礼して去った後、天子は再びパーラー内へと戻る。
どうやら天子が子供達と駄弁っている間に三妖精達はそれぞれの巨大パフェを食べ終えたようだ。
近づいてくる天子に気がついたスターが満面の笑みを浮かべて振り返った。うむ、妖精には笑顔が一番である。
「あ、天子さん!」
「「ご馳走様でした!!」」
「美味しかった?」
「「「美味しかったです!!!」」」
「そいつはなにより。悪いけど今日これからと、明日もちょっと付き合ってもらうわよ?」
「「「? ? ?」」」
――少女説明中――
「いい?」
「それくらいでしたらお安い御用です」
「いいですとも!」
「ええ、このままだと私とサニーは只食いですし」
「む、あんた妖精らしくないわね。ま、有難いけど。じゃ、店を出て準備を始めましょうかしらね。まずは自転車の調達か……」
悲しみと共に奥歯をかみ締めながら残り二枚しかない、なけなしの一円銀貨を財布から取り出してレジへと向かう。
やることは、いっぱいあるのだ。天子泣いてなんかいられない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「もう大丈夫か……あんた達、そろそろ散開して良いわよ」
「すげー! マジで里の入り口を素通りできるんだもんな!」
「信じらんねー……あんなに堂々と、しかも会話しながらだったってのに」
「天子隊長すげー! 貴女が神か」
「天人だっつの。散開って言ってもあまり遠くには行かないように。命の保障は無いからね?」
『ヤボール!!!!! 』
里の子供達とよからぬ企てをした次の日。
比那名居天子率いる小童自転車中隊は人里を離れ、霧の湖から流れ出す川原近く目指して進軍していた。
人里近くの田園地帯を抜け、人里から紅魔館までの1/4程度に位置するそこは見晴らしもよく、川に沿って土手の上にある道もそれなりに手入れが行き届いている。
平坦で、なにより開けているから妖怪の接近も察知しやすく、自転車を走らせるには最適だろう。
子供達のペースに合わせて休憩を挟みながらゆっくりと三時間弱の行程の後、天子達小童自転車中隊は目的のその場所にたどり着いた。
「よっしゃ! ここで皆自由行動よ。空に浮いてる岩を見つけたらそれより先に行くな、って合図だから厳守するように! 解散!」
『ヤボール!!!!! 』
昂揚した様子で周囲に散っていく子供達を見回した後、天子は背後に浮かんでいる三妖精に振り返った。
「悪いわねスター。大変だけどガキの監視と妖怪の接近探知よろしく」
「お任せ下さい」
「サニーとルナはわたしとここで待機。妖怪が来たらガキどもがビビる前に音も無く姿無く追い払うわよ」
「「イエッサー!! パフェの分だけ働くであります!!」」
ビシッと敬礼する三妖精に笑顔を一つ返すと、天子は守りの要とファンネルを周囲に展開して土手へと腰を下ろす。
要石自体もレーダーの役目を果たすし、スターの能力とあわせれば100人以上の子供達とて十分監視は可能だろう。
ただまぁ、妖怪が全く出ないなどと勘違いされても困るので、少し位は撃退する様を見せておいた方が良いかもしれないな、という気もする。
「にしても、寺子屋フルメンバーとはねぇ」
ガキ共の好奇心と連絡網というのは馬鹿にならないようで、一日に満たない準備期間にもかかわらず、男女問わず寺子屋の全員が朝四時に寺子屋の前に整列していた。
仕方が無いので黒板に慧音へのメッセージを残しておいたが、今頃慧音は猛り狂っているだろう。
もしかしたらここまで頭突きしに追って来るかもしれない。さてその時はどうしようかと天子が考えていた所、
「何?」
「自転車ありがとうって、その、ちゃんと礼を言っておこうと思って」
天子の前に現れたのは昨日、唯一自転車を持っていないと言っていた子供と、その妹と思われる子供だった。
今は天子が貸した紅白のクロスバイクを支えて嬉しそうに頬をほころばせている。
「別にいいわよ。あ、それ霊夢のチャリだから転ばないようにね?」
「げぇ! これ巫女様のなの? や、やべぇ。傷つけたら殺される」
「なに、霊夢の本性知ってるの?」
「う、うん。前に妖怪と一緒に鬼みたいに強い花の妖怪に挑んでるのを見たことあるんだ。な?」
「うん。凄かった。どっちもかっこよかった」
顔を見合わせる兄妹に天子はへぇ、と呆れたようなため息を返した。
基本的に霊夢は流れ弾による被害を恐れて人里近くで戦闘を行わない。いくらずぼらな霊夢とは言えそれぐらいは心得ている。
その霊夢が――おそらくは怪物、風見幽香と――弾り合っている所を見たというならば、このガキは人里を遠く離れた事があるに違いない。
この兄妹は無鉄砲な要注意マーク対象、と天子は心の中で丸印をつける。
「でさ、聞いてくれよ隊長! 今日には間に合わなかったけどさ、昨日祖父ちゃんがうちに来て、狐につままれたような表情で自転車好きなの買ってやるって!」
「チラシのどれでもいいって言って!」
はしゃぐ女の子が天子に「守矢神社」と印の押されたチラシを突き付けてくる。
「ね、お姉ちゃん。どれがいいかな?」
「んー、じゃあこのクロスバイクね。パーツも六割方カッパニョーロ(妖怪の山の一流メーカーです!)のTorus(ミドルグレードです!)で組まれてるし、超お買い得だわ」
「ん? なんで? 他に高いのいっぱいあるじゃん。せっかく祖父ちゃんが良いって言ってくれてるんだし、こっちとかどうなの?」
少年が上位モデルを指差すが、天子は黙って首を横に振る。
「あんた達どうせまめに手入れなんかしないでしょ? 扱いも荒そうだし最初からシンプルで剛性が高いの買っておいたほうが長持ちするわ」
「手入れ? ちゃんとするってば!」
「しない。ガキの「やる」って空手形ほど信用できないものは無いもの。いいから黙ってこっちにしときなさい」
「うーん……まぁ隊長がそう言うならそうするよ。でも色はやっぱりレッドがいいよな!」
その発言に天子は苦笑して頷いた。やはり正義のレッドが一番人気だ。
「それとね。あんたの祖父さんがあんた達に自転車を買ってやる為に貯めたお金には、あんたの祖父さんが汗水垂らして働いて得たお金が注ぎ込まれているのよ。それだけはきちんと心に留めておきなさい?」
「わ、分かってるよ!」
「うん」
兄妹は若干膨らませた顔を見合わせて頷いて見せたが、どうせ分かってはいまい。
だがそれでいい。子供は愛されて育てばいいのだ。まっとうに育てば、いつか大人になった時に子供にスポーツバイク一台買ってやるのがどれだけ大変か、嫌でも分かるだろう。
その時にはこの子達の祖父はもう他界しているだろうが、それでもそうやって思いやりとか想いはきちんと受け継がれていく筈だから。
――死も、離別も、そこで全て終わりになるわけじゃないんだ。そうだろ?
「まぁいいや。とりあえず今日はそいつで我慢しなさい。……よーし! 競争するか?」
「よっしゃぁああ! 受けるぜ、その勝負! 皆ー!!! レースやろうぜレース!」
『ヤー!!!!! 』
ガキ共と一緒になって土手の上を爆走して。
MTBを持っている連中と一緒に川原と川を爆走してみたり。
タイヤがパンクして泣きべそをかくガキをたしなめながらパンク修理を鮮やかに済ませて喝采を浴びたり。
全員に用意しておくように言っておいた昼食を皆で広げて。
ロードタイプを持ってる連中とスプリントに興じたり。
その合間に三妖精と共に近づく妖怪を撃退したりしてみたり。
そんな事をしていればあっという間に時間は過ぎる。
「さ、帰るわよ?」
「えー? まだ三時だぜ隊長!」「早すぎるよー!」
「馬鹿言わないの。これから4時間かけて帰るんだから。里につく頃にはちょうど夕日が沈む時間になってるわよ。撤収準備!」
『ヤボール』
「じゃあ点呼!」
『隊長?』
「わたしはてんこじゃない! 天子だ! 点呼!!」
「アイン!」「ツヴァイ!」「ドライ!」「四!」「えーと、フェンフ!」………………「百二十四!」
「ん! 全員いるわね! 出発!」
『ヤボール!!』
渋っていた子供達も一刻も経てば疲れを感じて言葉少なになってくる。
そんなガキ共を率いる天子は里を目指して、往路よりもゆっくりと二輪を転がす。
まだ日の入りはそう早くないとは言え晩夏のこの時期だ。そろそろ世界が橙に染まり始める頃。
世界が夕日に染まった途端に元気を取り戻した子供達を優しげな目で見回して、天子は一人考える。
寺子屋総出となった今日、全員が自転車を持っていたわけではない。天子が用意できた自転車は一台だけだ。
だから子供達の約六割がサドルで、四割は荷台。ガキばっかだから自慢したり独占したりとかもあったけど。
天子に叱られて渋々友人に自転車を貸したりとか、やれ貸したらちょっと傷ついたとか、そんな喧嘩もあったけれど。
普段子供達だけでは中々出られない里の外に出て、監視の目を気にせず思う存分に自転車を走らせて。
今日のこの外出は、このガキ共にとって思い出に残る一日になったのだろうか?
なっていれば、いいと思う。ならなくても、いいと思う。
いつか子供達は大人になって。そして、間違いなく天子を憧憬よりも嫉妬の表情で見るようになるだろう。
いつまでも若さと美しさを維持する比那名居天子を。
そこらの妖怪なんか歯牙にも掛けない比那名居天子を。
就労に汗水垂らす事無く遊んで暮らせる比那名居天子を。
天子の行いを、天人達は笑うだろう。天子の中にある天人の側面も、今日の天子の行動は無駄だと判断している。
ただまぁ、天子にとってこの行動が無駄になったとしても。
「友人達と大暴れして、今日は楽しかったって思えるならば、それはそれでアリよね」
呟いた天子の視界にひらりと青い妖精が飛び込んでくる。
「何か言いました?」
「独り言よスター。サニー、ルナもお疲れ様。人里ももう目前だし、そろそろあんた達は家に帰りなさい……つまんない事につき合わせて悪かったわね」
「そんな事ないですよー! 妖怪退治は楽しかったです!いけー、ファンネルって!」
「普段は私達追いかけられる側だもんねー、スターが注意力散漫だから」
「あら? ルナが鈍くさいだけでしょう?」
煌々と輝くサニーの瞳には嘘偽りはないようだし、なんだかんだで残る二人も笑顔だ。それは重畳、と天子は軽く頬を綻ばせる。
「さ、急いでここから離れないとあんた達もグレートホーンの餌食になるわよ」
その言葉を耳にした三妖精は人里の方を見やると、天子に返事もせず慌てたように姿を消して飛び去っていった。
「玄関でお出迎えか。準備のいいことだ」
彼方に見える里の入り口より長く伸びる影。
腕を組んで仁王立つは子供達にとっては鬼より怖い二本角の半獣だ。
「生き残った我が精鋭達よ! これが最後の関門だ、気合を入れて頑張って欲しい! 一人でも多く無傷で家にたどり着け! 行けーっ!」
『ヤボォオールゥ!!!!!!!!』
まぁ今日逃げられたとしても明日には寺子屋でご対面なのだが。
「まずは景気付けに一発!全生徒のぉ!」
『緋想ぉおおう天ぇぇん!!!!!!!!』
あ、効いてない上に火に油注いだっぽい。やっぱ全生徒じゃ出力足りないかぁ。
◆ ◆ ◆
人里のメインストリートにおける入り口付近に店を構える呑み所「阿形」。
店内で四人掛けの卓に一人腰掛けてちびちびと安酒を啜っていた天子の前に突如、ドンと大ジョッキが現れる。
「昼間に子供達を誘拐した天人ってのはあんたかい?」
「そうだけど……なに? 文句でも言いに来た? いくらでも聞いてやるわよ」
目の前に現れた、いかつい面の男へ天子はつっけんどんな返事を返す。
そう、里人から見れば天子の今日の行いは単なる誘拐である。里人は戦慄と不安を覚えたであろうし、誰かが文句を言いに来るであろう事も承知の上。
自分でしでかした事に対しては責任を負わねばなるまい。そう思っているからこそ天子はこのような場所で一人苦情を待つかの様に杯を傾けているのだ。
だが、目の前の男は天子の返事を確認するとニヤリと口の端を吊り上げた。
「いやぁ、礼を言いに来たのさ。母ちゃんは息子が帰ってくるまでビビってたがよ、子供ってのはたまには弾けなきゃいけねえだろう?なぁ!?」
おおーっ!!と答えてジョッキを掲げる呑み所連中に圧され、天子のほうが一瞬呆気にとられる。
「授業をサボって遊びにいくのはあまり正しい行いとは言えないと思うけど」
「なに、座学だけが勉強じゃねぇだろ? 慧音先生にゃ悪いが、今日のことはいい思い出になっただろうしな。そいつは奢りだ、飲んでみな?」
「……甘い。果実酒?」
「守矢の巫女様曰く、サワーって言うらしい。そいつは檸檬サワーだな。若い客を取り込もうと思って試作したんだが、巫女様は酒は飲めないってんで感想が聞けねぇんだ。どうだい?」
「口当たりが良くて飲み易いわね……ねぇ。お金は払うからもう一杯もらえる?」
「おいおい、飲み終わる前に次の注文か? 気に入った!! 呑み所「阿形」の名前の由来は「大口あけて酒を流し込め」だからな。しゃぁねえ、次も奢りだ!」
男はワハハと嬉しげに笑うと、そのままカウンターの奥へと消えていった。
なるほど、この店の店主だったのか、と今更ながらに天子は頷いた。
「合席してもよろしいかな?」
「いーわよ、混んできたみたいだし。……だが親父、テメーは駄目だ!」
追加の大ジョッキを隣の席に置いたまま一杯目のジョッキを傾けている天子の前に現れたのは他でもない、比那名居天子の父親である。
娘の拒絶をさらりと無視すると、彼はストンと娘の前に腰を下ろして当たり前のように麦酒を注文する。
忌々しげに天子は舌打ちするが、まだ酒を飲み終えてはいないし、他に移れる席もない。ふて腐れた様にジョッキを傾けて実父を睨みつける。
「で、何の用?」
「なに、昼に白澤がお前が里の子を攫って行ったと文句を言いに来たのでな」
「説教兼、処罰しに来たって訳ね」
「建前上な」
彼は運ばれてきた麦酒のジョッキを口に付けると、旨そうにグビリとそれを喉に流し込んだ。
「建前上?」
「既に親の元から離れていった娘に今更説教することもあるまいよ。それにこういう時くらいしかお間の前に姿を現す機会もないしな」
「ふーん。おい親父、おしぼりで顔を拭くな」
おしぼりを広げて顔に近づけていた手がピタリと空中で停止し、そそくさとそれを畳んで卓上に戻す。
「口が悪くなったのは些かあれだが、元気そうで何より……とは言えないな。気枯れているぞ? どうかしたのか?」
「ひと夏のお相手が出来たのよ」
「なんだと!? 何処の唐変木だ私の前につれて来い! つまらぬ男だったら私のカナメインコムで「で、そいつが死んだのよ」
「……」
「……有線かよ、ダッサイわね」
「そうか……」
「そうよ」
怒りの矛先を失って立ち尽くす父親を見上げて、天子は偲ぶようにジョッキを傾ける。
「……冥福を祈る。妖怪にでも襲われたか?」
「寿命よ」
「なあ地子。お前の趣味にあまり口出しするつもりはないんだが、父さんお前は贔屓目抜きでホント可愛いと思うしジジ専はやめてもいいん「ジジ専ちゃうわ! 蛍よ! 馬鹿!」
叫びと共に、右手に顕現させた要石を相手の顎に叩きつける。
脳をグラグラと揺さぶられた男は呆気なくばたりと卓に突っ伏した。
「吐くなよ」
「努力する……しかし、蛍か。更に性癖が悪化しすまんすまんウソウソ。追撃は勘弁してくれ…………泣いたか?」
「泣いてない」
「そうか。後悔はないか?」
「有るけど、無い」
「そうか」
目をつぶり、小さな黙祷を捧げた後に男は上半身を卓から起こすと麦酒のジョッキを手に取った。
それが何の目的故の動作か分かってしまったから、天子も檸檬サワーのジョッキを手に取った。
「非想非非想天の娘の輩となった蛍に献杯」
「……献杯」
二人、まだ六割以上残っていた酒を一気に飲み干してジョッキを卓に叩きつける。
「ジョッキでやるもんじゃないわね」
「違いないな」
苦笑いを交わした後に、日本酒の冷と、いくつかの料理を追加注文する。
「で、気分は晴れたか?」
「まだ落ち込んでるから今日の馬鹿騒ぎよ」
「自転車な……楽しいのか?」
先ほどから二度程入り口側に視線を流している父親を前に、まさか、と天子は首をひねる。
「まぁね……興味あるの?」
「割と」
「不良天人が」
「比那名居だからな、当たり前だ」
平然と答えた父親に天子は危うくお猪口をすべり落としそうになった。躊躇いがちに、問いかける。
「……親父って、割と立派に天人してると思ってたんだけど」
「無論、立派な天人を心掛けてはいるが未だに大地は愛している……あれ、私に貸さんか?」
悟らざるを得なかった。不良天人は何処までも不良天人だ。
彼女の父は彼女と違って天人らしく振舞えてはいるが、やはり根っこでは完全な天人には成りきれていないのであろう。
……その事実が、少しだけ嬉しい。
「霊夢のチャリがあるからそれ貸してあげる」
「酷い娘だ。父親に死ねと言うのか?」
「自慢のカナメインコムはどうした」
「インコム如きで博麗の巫女が落ちるか」
「違いない」
ファンネルで落ちないあの巫女がインコムで落ちる筈がない、と天子は気だるげな巫女の顔を思い出して苦笑する。
釣られたように彼女の父親も柔らかな笑みを浮かべていた。
卓上の料理と酒をあらかた片付け終えた所で、彼はコトン、と机の上に一円銀貨を置いて席を立った。
「もう帰るの?」
「あまり長居をしている時間もないのでな」
「そっか」
一瞬、口を開きかけて天子は何も言わずに口を閉ざした。自分でもなにを言おうとしたのか分からないのだ。
その様子を目にした彼女の父親はすっと目を細める。
「たまには実家にも顔を出せ。使用人達もお前に会いたがっている」
「冗ー談ばっかり。我侭一杯なトラブルの種が消えて喜んでるでしょ?」
「最初はそうだったのだがな。騒動になれた連中ゆえ、だんだんと平和な毎日に物足りなくなってきたようだ。最近はどいつもこいつもつまらなそうな表情をしている」
過去の己の所業と、それに対応する親族使用人達の表情を振り返って、天子は思わず目をつぶるとアルコールの吐息を洩らした。
最初から彼女の実家には色物しか居なかったという事の様だ。いや、色物になってしまっただけかもしれないが。
たまには顔を出してやるか、と小さく笑った天子に背を向けて、彼女の父は静かに店を後にする。
徳利の中は既に空っぽだ。お猪口の中にある酒が最後。
隣の席に置いておいた檸檬サワーも空っぽになっている。
少し侘しそうな表情でお猪口の中の酒を回していた天子は、あることに思い当たってさっと青ざめた。慌てて席を蹴倒し人をかき分けて店の外に出る。
そう、彼女の実家には今現在、色物しか居ないというのは間違いなかったのだ。
頭を掻き毟って地団太を踏んだ天子は霊夢のクロスバイクに跨ると、ぐっと力強くペダルを踏み込んだ。
いい反応だ。柔らかいなりにしっかりとペダルに込めた力が伝わる、霊夢らしい癖のないマイルドな仕上がりだ。
これならば、十分やれる。
加速すると同時に踏み込みを弱め、流れるように親指でシフターを押し込んでトップギアにシフトし、天子は夜の人里を全力で爆走する。
「テメー親父! 娘のチャリ盗んでんじゃないわよ!!!」
◆ ◆ ◆
夜も更けた郷の畦道を走るは、一台の赤い旅行自転車。
人里で流行るヒーローキネマ、その主人公の愛車の外観。それをそっくり真似たそれには細かな傷が刻まれていた。
ジーッと些か重さを増したチェーンの音を響かせながら、少女は道を突き進んでいく。
卑劣で不埒な自転車ドロは完膚なきまでに粉砕された。
フレームに見える幾多の傷は、その時負った名誉の負傷。されど霊夢の自転車もまた、同様に傷を負ってしまった。
謝罪と弁償を父に押し付けその場を去った比那名居天子は実に晴れ晴れとしたいい気分。風を切り裂いて前へと進む。
「それでこれからどうする? 背後の」
「やっぱり貴女は気付いていたのね?」
「ペダルが重くなったってーのに、気づかないほうが馬鹿だと思う。前会った時にそう言わなかった?」
「前に出会った時の事なんて、空たる私は覚えていないわ」
背後のキャリアで揺れてる少女は嘲るでもなく憂うでもなく、小さな嘆きの言葉を呟く。
「そういや言うのを忘れていたわね。竹林内の案内ありがと。せっかくだから友達になんない?」
「私の言った事ちゃんと聞いていた?」
「あんたがわたしを忘れたとしても、ここで一緒に走っているって事実が消え去るわけではないし」
加速を緩めて深呼吸。声が通るよう息を整える。
空っぽと語る少女の内に、少女の心に染み込むようにと歌うが如く言葉を紡ぐ。
「あんたが覚えてられぬと言うならわたしの方が覚えておくし、だから何度でもわたしは言うわ。お嬢さんわたしと友達になりましょ?」
天子の腰に回された少女の腕の圧力がぎゅっと強まる。
「やっぱり貴方と一緒にいると、私はとっても気持ちがいいわ」
「何よ、しっかり覚えてんじゃない」
「……そうね。私も想起できるのね」
ちょっと弾んだような声色で、少女は天子に提案を返す。
「私はサトリの古明地こいし。不良天人比那名居天子、私の家に遊びに来ない? ペットも混ぜた人生ゲームでお姉ちゃんをフルボッコにしましょ?」
「……わたしの知ってる人生ゲームは、そんなゲームじゃない筈だけど」
「人生ゲーム旧地獄版は三万円からよーいどんして互いのお金を奪う遊びよ。『友情は、破壊しろ』がモットーな、地底で最も粋なゲームなの」
「稼ぐんじゃなくて奪ってなんぼか……初心者だからお手柔らかにね」
「もちろん天子をぶっ潰すのは一番最後にしてあげるわよ?」
クスクスと笑う二つの声は重なりあって一つに交じり、夏の夜空に溶け込んでいく。
ひとしきり笑みを溢した後に、地底かぁと呟いた天子は妖怪の山を睨んで惑う。
「灼熱地獄に突っ込んじゃったら、流石にタイヤが溶け落ちるわよね」
「鬼巫女が住まう神社の近くに地底へ下れる入り口があるわ。ホントはそっちが正しいルートよ」
「ならばこれから博麗神社ね。鬼の足止めなんて嫌だからあんたに対処を一任するけど?」
「このこいしちゃんに全てお任せを。空たる我等を掴む事などいかなる者にも出来やしないもの。地霊殿までまっすぐ行けるわ!」
「おっけーそれなら案内よろしく。まずは博麗神社を目指して……」
神社へハンドルを向けた天子は遥か東の方を見やって、微笑みを浮かべ、そして破顔する。
トップチューブに留めてある愛剣。それを引き抜き虚空を斬れば、天を飾るは夏の極光。
「行くわよ」「きしゃー!」
彼方に見える博麗神社、その境内へ続く石段。
中腹辺りにぼんやりと灯る、儚く揺れる光を目指して再びペダルを踏み込んだなら
ふたりの少女は夏の風。
fin.
もう白衣さんの天子はジジ専でいいと思います。
きらきら輝いていて無性にわくわくするあの感じ。
もはや残暑のざの字もない気候ですが夏を感じられてよかったです
てんこちゃんがいい女すぎてぼかぁもう…
不良少女系妹紅と絡ませても面白そう。
やったね、天子ちゃん、ゆかりんより友達できたね!
きしゃー!
地霊殿の人生ゲームがみたいですね。
てんこちゃんのポテンシャルを堪能させて頂きました。GJ!
あとやっぱり親父さん最高です
幻想郷の自然やそこに住む人妖とのふれあいも素晴らしかったです
それと不良天人のケがある比那名居パパもイイ性格をしていらっしゃる
親との絡みもインコムも蛍も紅魔館組も自転車も
前作から広がる世界観もどれをとっても最高でした
こんなに天子を好きになったのは始めてです
でも、飲酒運転はダメ、ゼッタイ!
楽しさ、面白さ、混じる一抹の寂しさまで含めて魅力的でした。
天子と自転車の勢いですぐに不満が吹き飛ばされました。
今夜はルシファーのためにワインを傾けることにして(安酒ですが)。
素晴らしい物語をありがとうございました。
>証明する ?
ルシファぁぁっ・・・!
まさか自転車からここまで話を繋げるとは
とても楽しんで読ませて頂きました。
いいなぁ
チャリも東方も好きだったらこんな俺得に巡り会えた
評価低いってマジ
過去作見てると楽しめる要素がちょっと多かったかな。