Coolier - 新生・東方創想話

百年物のスカイ・ブルー

2010/09/28 18:39:39
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 上と地底を結ぶ小さな橋。私はそこで道中の安全を祈る、なんてことをやっている。一日中橋の近くにいればいいなんて楽な仕事だねえ、と旧都の鬼にからかわれた事もあるが別段に楽でもなんでもない。言ってみれば橋の管理人のようなものなのだから。
 湿気やガスの多い地底の気候は木製の橋には最悪で、放っておいてはすぐに腐ってしまう。びっしりと生えてしまったコケをこそぎ落としたり、すぐに錆びてしまう留め具を磨いたり、いろいろと忙しい。
 橋のたもとで道中安全のまじないを唱えるよりも、掃除婦や大工の真似事をやっている時間のほうが長いのだ。
 だがここいらに住む連中は殆どが空を飛び回る術を持っていて、私が愛情を込めている橋が使われることはまずない。人の努力を足蹴にするのがそんなに楽しいのかしら。まったく持って嫉ましい。
「いや、この場合は踏んでほしいのよね」
 自分で突っ込むのにも慣れてしまった。使われない橋の主なんてやっていると独り言が増える。訪ねてきてくれる知り合いはいない。付き合いの悪い私を誘ってくれる友人も殆どいない。
 一度鬼の宴会をぶち壊しにしてしまった私が悪いのだが、嫉妬狂いなんだから仕方がないじゃない。
 愚痴っぽくなってしまった私に、鐘の音が聞こえた。かん、かん、と一定のリズムで時を告げられる。もうお昼時のようだ。私は手にしていたハケを置き、息を漏らす。カビ止めの薬は殆ど塗り終わっていた。最後の仕上げをして切り上げるとしよう。

 ※ ※ 

 地底にも昼はある。地上のそれと比べれば非常に短く、薄ぼんやりとしたものだが、私はこの時間を大切にしている。
 私の橋はだいぶ地上寄りにある。そのため一日のうちのほん少しの間、昼過ぎのちょっとだけ、上に開いた大穴から太陽が顔を覗かせるのだ。土蜘蛛達が出す瘴気や生暖かいガスにその殆どは殺されてしまうため、橋を照らすのはわずかな明るさでしかないのだけれど。
 橋のすぐ近くにある小さな空き地に寝椅子を引っ張り出し、その上に転がっている。上に目を凝らしても、見えるものは灰色のもやばかり。ちらちらと黒い影がもやの中を動いている。巣を張っている土蜘蛛達か。
 ずっと見つめていても何も変わりやしない。何も起きやしない。私は青い空を見ることは出来ない。輝く太陽の下に行くことは出来ない。虹を見ることもないだろう。
 それでも私はこの無意味な日光浴を毎日続けている。手の届かない光を浴び続け、地上への思いを募らせることが嫉妬狂いとしての生き方だと思うから。
 頭上のもやの中にまた黒い影が見えた。ああ、今日の土蜘蛛達は働き者だなあ、とのんきに考えていると黒い影がどんどん大きくなった。なにやら叫び声のようなものまで聞こえる。
 そして黒い影は私のすぐ近くに落っこちてきた。あまりのことにとっさに身体が動かなかった。ぽかんと眺めている私の前に、ぼきっといやな音と立てて着地する。地面の上にうずくまる何かは人の形をしていた。まさか、人が落ちてきた? 最近は地上の人間が観光と称してやってくることもある。不注意な誰かが足を滑らせたのだろうか。
 あわてて駆け寄るとはたして本当に人間のようだった。水色と白の布地の服を来た女の子が倒れている。体をえびのように丸めて唐傘のようなものを抱きかかえていた。ようなもの、と言いたくなるくらい不恰好な紫色の傘だ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「い、いだい、いたいよぅ」
 口は聞けるみたいだ。私の声が聞こえているのかいないのか、ぶつぶつ呟きながら起き上がろうとしている。
「痛い、痛い、痛いよう。なんで、なんで私、ばかり……くぅ」
「あ、こら動かないの!」
 起き上がろうとした少女が崩れ落ちる。体を支えていた両の腕は変な方向に曲がり、ぷらぷらゆれている。落ちてくるときに切れたのか、むき出しの脚は大きくえぐれたようになっており白っぽい液体が零れ落ちる。ああ、この子は人ではない。白い血を持つ人間など聞いたことがない。何かの妖怪なのか。大事そうに握り締めている紫の傘は依り代か何かなのかもしれない。
 地上の妖怪が地底に入り込むのは歓迎できない。地上との契約は今となっては緩くなったといえ、まだ生きている。さっさとお帰りいただくのが良いんだけど。
「うぐ……痛い、たすけて、たす、けて、だれか、だれか……」
「もう! いいわよ。助けてあげるわよ!」
 少女を抱きかかえる。びっくりするほど軽い体だった。背丈は私と変わらないのに片手で足りるほどだ。胸元に抱きかかえて、余った左手で傘を握る。傘の妖怪は私の胸に顔をうずめて、安心しような声を出す。
「あぁ、お、おとうさん、ありがと」
 誰がお父さんだ。勝手に男にしないでくれ。
 寝息が聞こえ出した。不規則で、決して穏やかな寝息とはいえない。傷が痛むのだろう、苦しそうな顔をしている。それでもさっきまでよりはずっと穏やかな顔をしている。夢の中で父親にでも会っているのかもしれない。傘が依り代の妖怪の父親がどんなものなのかまったく想像できないけど。
 私は抱きかかえたまま家に帰ることにした。橋の上じゃ治療なんてできっこない。カビ止めの薬なんて塗りこんだら死んでしまう。
 別に、助けたいわけじゃない。私は無条件に人助けをするほどお人よしではない。私は橋姫で、橋のそばで誰かに死なれたら寝覚めが悪いだけだ。管理不行き届き、ということで地霊殿から文句を言われても困る。ただ、それだけのこと。
 この子の髪の毛が青空のように綺麗な水色だったのは何の関係もない。恋焦がれた地上の匂いがする少女に嫉ましさを感じたのでもない。胸元の水色を視界にいれないように、家のほうだけを見つめ続けて歩いた。




 ◆ ◆ ◆ 




 体中に包帯を巻いた少女が私の布団で寝ている。すぅすぅと先ほどから規則正しい寝息が聞こえる。
 治療らしい治療はしてやれなかった。あの子の体は普通の妖怪や人間の物とはかけ離れていた。細い竹の棒や和紙、そしてどろどろした白い液体。そんなものが詰まった張り子の人形か何かのような体だった。ご丁寧に服まで和紙でできている。耐水性があるようだけど、冗談みたいな服装だ。
 脚に開いた穴を塞ぎ、折れてしまった両手に接木を当てただけ。あとは買い置きの薬を飲ませた。効いてくれるか分からない。私は医者じゃないから。医者でもこんな体の患者はお手上げかもしれない。
 枕もとに転がった古い唐傘に目をやる。泥だらけになっていたからこいつも拭いてやった。中の仕掛けが外れてしまっているが私にそこまでは分からない。とりあえず汚れを落としただけだ。
 この子は妖怪というよりも化け道具、付喪神の類なんだろう。付喪神は素になった道具に近い体をとるという。唐傘が化けたのなら竹や紙で出来た体も納得できる。
 こんこんと眠り続けている少女を眺めながら、私も眠ることにする。治療だなんだで結構疲れてしまった。ひとつしかない布団が占領されているので近くの床に寝転がる。寝椅子を取ってくるのも億劫だ。
 座布団を枕にして、私は意識を手放した。

 ※ ※ 

 だいぶ早くに目が覚めてしまった。手足の節々が痛む。出来るだけ古くて柔らかくなった畳に寝たつもりだったけど、床は床か。
 ひとつ伸びをして私は台所に向かう。あの子が目を覚ますか分からないが何か作っておいてあげよう。お粥でいいのかな。ご飯は糊になるから傘の妖怪でも食べられるかもしれない。
 土鍋をかき回すあたりで我に返る。いやいや、ここまでしなくてもいいだろうに。見ず知らずの妖怪に甲斐甲斐しく世話を焼く必要なんてあるの?
 いいか。これくらいは。乗りかかった船なんだからこれくらい追加しても大して変わらない。お代が貰える訳ではないが、目が覚めたあの子に気が済むまで嫌味を言ってやろう。
 お盆に土鍋を載せて戻ってくると、あの子が目を開けていた。ぼんやりと天井を見つめている。
「起きたみたいね」
 声をかけると弾かれた様にこっちを向いた。満面の笑みを浮かべていたが私の顔を見るととたんに不安げな表情になる。
「おとうさんは?」
「いないわよ」
「嘘。だっておとうさんが落っこちた私を」
「だからいないの。あんたを助けたのは私」
 布団を跳ね上げて少女が飛び上がった。周りを見渡し、自分の傘を見つけて飛びつく。私を睨み付けながら戦いの準備をはじめだした。
 傘を握り締めて私のほうに向けようとしている。でも上手く行かないようだ。そりゃそうだろう。両手ともぽっきり折れてしまって私が接木を当てただけなんだから。手に力なんて入りゃしないだろうに。
「あっ、あぁっ。ふぁ、ふぁああ……」
 どうにもならないと悟ったのか、ペタンと腰を下ろして泣き始めた。あっという間に目から涙がこぼれだす。
「ふぁああぁぁ、ふぅ、ひっ、死にたく、死にたくないよぅ……うぇ、ああ」
「別に死ぬほどの怪我じゃないわ」
「うぇ、ぁ、あああ……。やだ、やだぁぁ。た、たべ、うぅぅ、食べないでぇ……」
 お前なんか食べるものか。人間ならともかく傘の妖怪なんて食べたって美味しいわけないだろう。そんな竹と紙で出来た体をしているくせに。
「食べないって。あんたなんか食べてどうするのよ」
「う、うぞだ、嘘だぁ! 地底の、妖怪は怖いって、わぁぁ、ひぐっ、うぅぅ……おとぅ、さん、おとうさぁん」
「食べないわよ! 地底をなんだと思ってるの。びいびい泣いてみっともない。あのさ、あんたを助けて色々してやったのは私なのよ? そこ分かってるの?」
「うぇ、っあ、うぇぇ……え?」
「食べるならいくらでも時間があったの。んな事しないで布団で寝かせてやったんだからさあ、そこのところ少しは考えなさいよ」
「うぅ……。で、でも、食べるなら捕まえて、太らせて……」
 童話だ、それは。肥えるのを待つほど私は気が長くない。それに肥えるほどの食事を自分で食べたほうが楽だ。
 私の言葉が伝わったのか、少女がおとなしくなった。涙でべちゃべちゃになっていた顔をこっちに向けている。表情は少し柔らかくなったが、まだおびえが残る。
「ほら、顔拭いてあげるから」
「ひくっ、うぅ、うん」
 手ぬぐいで顔を拭いてやる。涙にしては少しべたついていて、これも糊が含まれているみたいだ。両手を動かせない少女は私のされるがままになっている。
「はい、これを食べて」
 お粥をレンゲに掬い、顔の前につき付ける。時間がたって少しさめてしまった。食べるにはちょうど良い温度かもしれない。
「……んー?」
「お粥よお粥。何か食べないと治りが悪いでしょ」
 不思議そうな顔をして私の顔を見つめてくる。どうしたんだ。いくらなんでも食事の仕方くらい分かるだろう。
「お姉さん」
「パルスィよ」
「……パルスィお姉さんは私をいじめないの?」
「理由がないわ。地底の妖怪だからってそんな目で見ないでよ」
 ぼんやりと私を見ていた少女の瞳がにじむ。みるみるうちに涙の粒が出来て頬に零れていった。
「う、うぅぅ。ううう、ぅ、う……。うわああぁぁ」
 大声を上げてまた泣き出してしまった。大きく口を上げて声を振り絞っている。生まれたての赤ん坊か、お前は。
 私はこの少女の事はなにも分からない。名前は知らない。なぜ落ちてきたのかも知らない。涙もろい理由も知らない。まったく分からない。
 ただ、なんとなく分かった。この子は空っぽなんだ。片手で持ち上がるくらいに軽い身体。中空の張り子の身体。そして、心の中も空っぽなんだと思う。父親を呼んで、泣くことしか出来ない哀れな子供。
 何も持っていない。私が嫉妬したくなるようなものは何も持っていない。ちっとも嫉ましくなんかない。
 いつのまにかお粥は冷たくなっていた。




 ◆ ◆ ◆ 




 傘の妖怪はしばらく泣き続けた。体中の水を全部流し出すように泣き続けた。そして倒れこむようにまた眠ってしまった。
 布団の中に寝かせてやり、私は橋へ向かった。いつものように役目をこなす。予想通り、橋を使うものは誰もいなかった。頭上のもやの中で土蜘蛛達が踊っているのをずっと眺めていた。
 適当なところで切り上げて家に戻ってきた。寝室の扉を開けると、少女が布団の上で体を起こしていた。私のほうを向いて弱々しく笑う。どこか媚を含んだ笑みが私には不快だった。
 土鍋に残っていたお粥を温めなおして食べさせる。何度も火にかけたそれは完全に糊となっていたけど、少女は美味そうに食べていた。ぺたぺたと音を立てて糊を平らげる。
 食事が終わると少女は口の中で礼を言い、ぽつぽつと自分のことを話し始めた。小傘という名前も初めて聞いた。
 人の身の上話を聞くのはあまり好きじゃない。人がたいてい話したがるのは自分の自慢話だ。そんなものを聞いたところで面白がる奇特なやつは少ない。嫉妬狂いの私だったら特に、だ。にやけた顔で自慢話なんかされたらそいつの舌を引き抜いてやりたくなる。
 小傘の話には自慢はほとんど含まれていなかった。生まれてからずっと傘の色の悪さを馬鹿にされていたこと。そんな仕打ちに復讐するために人を驚かせようとしているがぜんぜん上手く行かないこと。だから私に助けてもらってとても嬉しかったこと。こんなに優しくしてもらうなんて久しぶりだ、と小傘は拙い口調で私に伝えてくる。
 かわいそうな子だ。心の中に嫉妬の細波ひとつ立ちやしない。輝く太陽の下で暮らしていたはずなのに、何故。誰からも愛してもらえなかった子供なのか。地底の奥底に住むあいつらだって、理解してくれる人がいるっていうのに。
 俄かには信じられなかった。地上の連中が良いやつばかりでないのは知っている。都合の悪いものを地下に押し込めて平気な顔で生きているやつらだ。明るい場所で生きているからといって心の奥まで明るいとは限らない。
 でも、子供に優しくしてあげる心は持っていたはずだ。
 地上も変わってしまったんだな。
「それで、何故あんたは落っこちてきたの?」
「しばらく地下で反省しなさいって、巫女に言われたの」
「なにそれ」
「ええとね、神社の前の箱を水でいっぱいにしたら巫女が驚くかなぁと思って」
 驚かせるために賽銭箱にいたずらしたのか。それが紅白の逆鱗に触れてぼこぼこにされた、と。だからって地底に蹴り落とさなくてもいいだろうに。不可侵の契約は契約なんだから。地底への穴をゴミ箱か反省部屋のように使われても困る。
「でも、よかった。パルスィお姉さんに会えて」
「えぇ?」
「地底は、怖い妖怪でいっぱいだと聞いてたのに、とっても良い人に会えたんだもん」
「……」
「ありがと、お姉さん」
 そう言うと小傘は笑った。今までよりもずっと良い笑顔だった。地上の妖怪らしい、屈託のない笑顔だ。
「へぇ、私が良い人だなんて何で分かったの?」
「んー?」
「あんたが言ったように肥らせて食うつもりなのかもしれないのに」
「え、え、え?」
「……冗談よ」
 ダメだ。やっぱりこいつは子供だ。世間知らずのガキだ。
 ちょっとした善意でさえ尻尾をふって喜んでしまう捨て犬と同じだ。これだけのことで私を信じきってしまっている。今まで、本当に誰からも相手にしてもらえなかったんだろうな。
 馬鹿で、愚かで、無知で、どうしようもない。どうしようもないけど、人を無邪気に信じられる心が少しだけ嫉ましかった。幼稚で世間知らずなだけかもしれないが、もう私は持っていない物だから。
 まぶしい笑顔の上で小傘の水色の髪の毛がゆれている。はるか昔に見た青空はこんな色をしていただろうか。

 ※ ※ 

 台所に土鍋を持っていき、タライの水に浸けこんだ。
 水瓶から湯飲みに水を汲む。お盆を用意して湯飲みと薬の袋を乗せた。
 寝室に戻ってくると、小傘が布団の上に座り込んでいた。胸元に傘を抱え込んで、熱心になめ回している。
「うわ、傘なんてなめたら汚いでしょ」
「私はばっちくないもん!」
「あんたじゃなくてさ、傘だって」
「だから私は、直さなきゃ治んないの」
 意味がよく分からない。
 しばらく話を聞く。色々と常識が違っていた小傘の話を纏めると、自分の傘を修理していたらしい。破れてしまった和紙の部分を唾液に含まれた糊で張り合わせるのだそうだ。そして傘を直してしまわないと自分の怪我も治らないのだとか。あくまでも付喪神であり、本体は傘だということなのだろう。
 だとすると薬を飲ませたり手当てしてやったりしたのは無駄だったのか。早く教えなさいよ。
「ふーん。道具の妖怪って面倒くさいのね」
「そ、そんなことないよ」
 あらら、また泣きそうになってる。面倒くさいやつだ。
 小傘の表情はくるくるとすぐに変わる。ほら、泣き顔が消えてもう笑った。えへへ、と照れ隠しの声を出してまた傘の補修を始めた。
 私の視線が気になるのか、遠慮がちに舌を出して紫色の傘をなめている。
 ぺたぺたと破れた部分をなめては、手で伸ばして張り合わせる。ぎこちない手の動き。細かい指の動きはまだ出来ないみたいだ。身体ごと動かすようにして糊付けされた和紙を伸ばしている。
 待てよ。この子の手は傘を直さなければ治らない。だけどこんな手じゃ中の仕掛けを直せるはずがない。堂々巡りで終わらないじゃない。
 やっぱり傘の妖怪って面倒くさいじゃないか。私にやれって言うんだろう。本当に面倒くさいやつだ。
 包帯だらけの手から唐傘をひったくるように奪う。広げてひっくり返し小傘のほうを向いた。
「ここが壊れているから、あんたの手が動かないんでしょ?」
「え、あぁ、うん。そうだよ」
「で、どうやって?」
「えぇ?」
「だから、あんたの手が動かないからやってあげるって言ってるの!」
 ぽかんと馬鹿みたいな顔をして小傘が固まった。唐傘お化けの長い舌が閉め忘れた口から垂れる。
 おいおい、また泣き出すんじゃないだろうな。どれだけ愛情に飢えていたんだ。どれだけ地上で残念な扱いを受けていたんだ。
 幸いなことに今回は泣かなかった。ほほを少しだけ赤くしてはにかむ。そしてやり方を教えてくれた。橋の修理用の工具を使えば私にも何とかできそうだ。
 ハサミや玄翁を握り、私は作業に没頭した。一歩間違えば折れてしまう細い竹の骨を相手に汗を流す。小さな穴に糸を通し、一本一本丁寧に結んでいく。外れてしまった骨を一箇所にまとめて強く縛る。
 何でこんなことをやっているのか、とはもう考えないことにした。私にとって得か損か。そんなことは地上の金の亡者どもに考えさせればいい。私には私のやり方がある。今回はそれが傘の修理だっただけ。汗水垂らしてただ働きになっても、それでいいじゃない。傘の修理だって楽しいもの。毎日無骨な橋と向き合っていては疲れてしまう。
 夜遅くまでかかりやっと傘が直った。小傘に唐傘を押し付けると私は床に倒れこむ。目の奥や指先がしびれている。肩や腕は重く、汗や糊がこびり付いてべたべたする。
 やりきった。そんな満足感だけが私を包んでいた。
 横で何か言っている。今になっては鬱陶しいだけだ。耳もとでがなりたてないでくれ。私は眠りたいんだ。虫みたいにブンブンうるさく飛び回るな。
 乱暴に振り払い、枕代わりの座布団に突っ伏す。あっという間に意識が薄れていく。
 意識を手放すほんの少し前。満足感以外の何か暖かいものが、私を包んだように感じた。




 ◆ ◆ ◆ 




 次の日に目を覚ますと小傘の傷はすっかり癒えていた。あれだけボロクズのようになって、腕なんかちぎれかけていたというのに。ぺろりと皮をめくってしまった様に脚のえぐれた痕もなくなっていた。
 紫の唐傘からはいつの間にか目玉と舌が生えていた。本調子に戻ったから傘のほうも化けたらしい。
 たった一晩で見違えてしまった小傘は元気よく家の中を動き回る。朝ご飯に土鍋二杯分の糊を平らげた。
 本当は人間の驚いた気持ちが食べたいそうだ。地底にそんな都合のいい人間はいないと言うと、笑われた。元気になった自分を見て驚いてくれたからそれで十分らしい。なんだそれは。せっかく直してやったのにその上食い物にまでするのか。
 助けてもらった代わりに何かお返しがしたいと言うので、橋の補修を手伝ってもらうことにする。
 やり方を説明するとふんふん真面目そうな顔をして頷いている。本当に大丈夫なのか。傘のこと以外が分かるのだろうか。
 どっちにしろ任せたのは簡単なお遊びみたいな物で、私の作業の邪魔をしてくれなければどうでもよかった。
「ねえ、見て見て! 終わったよ」
「え、もう終わったの? あんた意外と器用なのね」
「当たり前じゃない。私はおとうさんの娘なんだから」
「あんた傘でしょ。傘の父親って何? 真竹?」
「違う違う。私を作ってくれたおとうさん!」
 あっという間に仕事をこなして私のもとに飛んできた。
 何度も聞いた小傘の“おとうさん”とは傘職人のことだったか。そりゃ職人は器用だろうね、手先を使う仕事なんだから。だからといって作られた傘まで器用になる道理はないと思うが。
 父親のことが話題になったのがうれしいのか、小傘はにこにこしながら思い出話を始めた。おとうさんはね、おとうさんはね、と言葉が続く。とても優しかったこと。力強く、温かい手だったこと。いつも笑いながら自分を組み立ててくれたこと。いつも子供のような口調だが、父親のことを話すときにはさらにあどけない話し方になっている。
 その父親のセンスが悪いせいでお前はナスみたいな色になったんだろう。とはとても言えなかった。捨てられて、今まで寂しい暮らしを続けた原因の大部分はその色のせいだ。しかし小傘はそんなことは考えていないようだった。
「誰かのために働くのが大切だっておとうさんが教えてくれたから」
 小傘の父親自慢に、私はあいまいな相槌を返す事しかできなかった。

 ※ ※ 

 橋の修理はあっという間に終わってしまった。こいつは私が想像した以上に働き者で、私から仕事を奪うようにこなしていった。仕事中にも笑顔は絶やさず、楽しくて仕方がないみたいだ。
「これで終りね。助かったわ」
「えへへ。私がいてよかったでしょ?」
「まあね。妖怪の癖に働き者なんて珍しい」
「もとが道具だから。誰かの役に立てるって嬉しいんだ」
「ふうん」
「本当は傘として役に立ちたいんだけどな」
「ここじゃめったに雨なんて降らないわ」
「うーん。日傘にもなるよ」
「もっとダメね。ここは地下よ?」
 うーん、と唸りながら小傘が考え出した。本人は必死に考えているつもりらしい。うんうん唸っているようにしか見えないが。本当に頭を働かせているのだろうか。
 ふいに唸るのをやめた。顔をこっちに向けて目を輝かせている。
「パルスィさん。もっとここにいちゃダメ?」
「えぇ? そりゃ、助かるけど。あんたはそれでいいの?」
「うん。ここなら、私も人の役に立てるし。それに」
 それに、と言いかけて小傘は口をつぐんだ。恥ずかしそうに笑って家のほうまで駆けていく。
 あの調子じゃ、私が断るなんてことは考えていないんだろう。たしかに断りはしないが。
 犬にでも懐かれてしまったみたいだ。まっすぐに私に執着されると、どうしても無下にできない。計算しているようには見えないのに、いつの間にか小傘のペースに乗せられてしまっている。世話を焼きたくなってしまうのだ。
 でも悪くなかった。あの笑みを見せられると嫉妬を操る気がなくなってしまう。子供の持っている飴を地面に叩き落とすようで決まりが悪いのだ。
 長い地底暮らしは安定しているが変化もない。あの子が吹かれている風に一緒に乗るのもたまにはいいだろう。どうせただの風なんだから。気がついたときにはどこかに行ってしまっている。それまで一緒に遊ぶのも一興。
 突風に煽られた傘のように、風任せで飛んでみるのも悪くないもの。




 ◆ ◆ ◆ 




 小傘をつれて旧都を歩いている。
 煤けた提灯の明かりが埃っぽい空間を照らし、等間隔に穿たれた路地からはすえた臭いが漂う。風に乗って小さく太鼓の音が聞こえ、道行く人のささやき声と混じり不思議な曲となっている。
 ここは旧都の商店街。つまらないガラクタから生活用品、魔術の道具まで、地底のほとんどの物がここに集まっている。私の家にある家具や食料、橋の修繕道具もここで揃えている。
 地底の住人にとってなくてはならない場所だ。
 隣を歩いている小傘は、どんなものを見てもわーわー歓声を上げて喜んでいる。地上の妖怪にとってここの物は何でも珍しいのかもしれない。


 昨日の昼過ぎ、私は地霊殿を訪ねていた。私の管理する橋は何やらいわれがある大切なものらしく、手入れが行き届いているか定期的に報告する必要があるのだ。
 いつものように腐ったヘドロのような目をして出迎えた地霊殿の主は、私の書いた報告書など読みもせずに机の中にしまいこんだ。書類を纏めるのだって時間がかかるのに、少し位読んでくれたっていいじゃないか。前にそんなことを聞いたら、心を読めば仕事ぶりなど分かりますから、と抜かした。だったらはじめから書かせないでほしい。
「そうは問屋が卸さないのですよ」
 私の心を読んだのか、ポツリと漏らした。こいつが冗談めかした言い方をしてもぜんぜん面白くない。
「私一人が分かったところでどうにもなりません。纏めて、きちんと保存しておく必要があるのですから」
 管理職は辛いのです、と嘆いているのか楽しんでいるのかよく分からない口調で言いながら、私に袋を手渡す。中には橋の管理人としての一月分のお給金が入っている。橋の修繕費もここから捻出しなくてはいけないので手元に残る分はかなり少ない。自分はこんなお屋敷に住んでいるくせに、ケチなやつだ。
「あ、ちょっとお待ちなさい」
 用事が済んだからと出て行こうとする私を後ろから呼び止めた。
「地上の妖怪が一人くらい旧都に紛れ込んでも問題ないと思いますよ? 許可しますから一度くらい誘ってあげたらどうですか。……ええ、別にいいんですよ。私はケチじゃありませんから」
 勝手に心の中を読んで、また冗談めいたことを言ってきた。
 面白くない。いい上司を気取りたいのならまずはそのいけ好かない態度から改めなさいよ。
 ひとつ睨んでやると、あいつは泣きそうな笑顔を浮かべた。その顔に叩きつけるように扉を開け閉めして地霊殿を後にした。


 あっちこっちに目をやって騒いでいた小傘が一軒の店の前で立ち止まった。隣に立って一緒に店を覗きこむと色取り取りの紙の山が見えた。千代紙や耐水性の和紙、作りかけの奴凧などが並んでいる。柿渋の臭いが鼻をついた。
 店番の親爺に目礼を送って中へ入った。
 私の脇を駆け抜けていき、千代紙の束にかぶりついて熱心に眺めだした。ほぅ、と小さく息をつくのが聞こえる。やはり傘、なのか。私にとってはただの色紙でも彼女にはまったく違ったものに見えているのかもしれない。
 水色の髪に隠された彼女の顔。隣の私からは陰になっている。けれど、どんな顔をしているかは想像できた。意識のすべてを目前の紙束に集中させているのだろう。埃をかぶったランプしかない薄暗い店内だが、小傘の瞳は輝いているに決まっている。
「ほしいの?」
「お金、持ってないし」
「心配しなくてもいいわ。買ってあげる」
「え、でも……」
「いいのいいの。懐は暖かいし、橋の修理を手伝ってくれたでしょ」
「私べつに何も」
「いいから! 買ってあげるって言っているんだから少しは甘えなさいよ」
 妙に遠慮深い態度に業を煮やして、千代紙の束が詰まった籠の中から無造作にひとつ掴み取った。それを親爺のところに持っていこうとすると小傘が着物の裾をつかんだ。買ってもらうのならあっちの耐水紙がいいと言う。
「あんなんでいいの? 安いけどさ、遠慮しなくてもいいのに」
「違うの。その、さ、新しい服を、作りたくなって」
 服? そう言えばこの子の服は和紙で出来ていたんだった。頭のてっぺんからつま先までの全て、傘の原料で出来ている。落っこちたときにあちこち擦れてしまっていたんだった。なめて直そうにも上手く直せないみたい。
 私はそういう物を気にしない性質だけど、もしかしたら恥ずかしかったのかもしれない。
「あ、服ね。だったら小さい千代紙じゃダメか。」
「うん。それでさ、これなんかどうかな?」
「水色? 今と変わらないじゃない。別の色にしたら?」
「えぇー。それじゃダメなのに」
「ダメって何が。同じ色じゃ飽きるって」
 散々あーでもない、こーでもない、とやり取りを続け、結局水色の和紙を買った。
 服にするために多めに買ったら、店の親爺がおまけだと顔料の小瓶をくれた。ひどい臭いがする。唐傘の模様を描く塗料らしく、小傘は喜んでいた。

 ※ ※ 

 小傘が机に向かって何かを描いている。家に帰ってからずっとこれだ。服のデザインを決めているのだろうが、私が見ようとすると手で隠してしまう。
 そのくせ私のほうにちらちら目線を送ってきながら考え込んでいる。相談したいのなら聴いてやるのに。
「ねえ、パルスィさん」
「なに? やっと相談する気になったの?」
「青空って好き?」
「……」
 好きに決まっているじゃないか。二度と見れなくなってしまった物達。青い空に浮かぶ雲。駆け抜けるそよ風。かすかに香る草。みんな大好きだった。当たり前じゃないか。私は空の下で生まれたんだ。
 小さな声で、ごめん、とが言われた。気にしないで、と答える私の声はびっくりするくらい硬かった。
 相手は子供なんだから。地底のことだってよく知らない子供なんだから。私が腹を立ててどうするんだ。
「小傘は、どうなの?」
 さっきよりは柔らかい声が出せた。
「うん……好きだよ」
「そう。どこが?」
「傘の私を広げて風を捕まえるの。空の近くまで飛んでいける」
「そう」
「傘は、雨と風の中で生きるものだから。好きだよ」
「そう」
「……ごめんなさい」
「いいの。いいのよ。地底だってそんなに悪くないわ」
 妙な雰囲気にしてしまった。謝ってもらうことなんか何もないはずなのに。
 申し訳なさそうな顔をしてうつむく小傘の頭をなでてやった。絡まった髪の毛の中から懐かしい香りが漂ってくる気がした。ありえないのに、本当に漂ってくる気がした。
 祈るように、願うように、何度も何度もなでてやった。




 ◆ ◆ ◆ 




 次の日の朝早く。私は橋のたもとに立っていた。特にやることはない。手伝ってもらったおかげでしばらくはどこも補修の必要はなさそうだ。通行人が来るまでは待機するしかない。
 小傘はいない。家で服を作るようだ。
 昨日のことを気にしているのかもしれない。朝食のときに真面目くさった顔をしていた。気にしなくてもいいのに。地上の世界を懐かしんで恋焦がれてはいるが、いじめるつもりはない。
「あー、退屈ねえ」
 退屈だ、なんて思うのはずいぶん久しぶりだ。ここ数日はあの子の騒がしさに浸りっきりだったからだろうか。まったく。今までずっと一人で過ごしてきたというのに、たった数日でこれか。
 まあ、たまにはいいか。小さな妹が出来たみたいで楽しい。もう少しすれば地上の巫女の言う反省期間も過ぎて上に帰ってしまうのだろう。それまでなんだから、楽しもうじゃないか。
 はは、妹が、というよりか孫が、みたいだな。ここのところ嫉妬の力を使っていない。遊びに来た孫に骨抜きにされたおばあさんみたいじゃない。まったくもう。地上の妖怪の癖に恐ろしいやつじゃないか。
「あー、本当に退屈。ふわぁ」
 あくびまで飛び出した。もう一つ出てきそうなので噛み殺す。あくびのせいで涙まで出てきた。



 ◆ ◆ 



 そろそろ夕飯の支度が必要なころ、私は家へ帰ることにした。今日も通行人はゼロ。頭上のもやの中を妖怪が飛んで横切っていった。使えよ。せっかくの橋なんだから。
 てくてく歩き、家が見えてきた。新しい服は出来ているのだろうか。
 玄関口まで近づくと変な臭いが漂っていた。昨日貰ってきた顔料の臭いだ。小傘は家の中でそのまま使ったのか? あれだけ使うなら換気をしろ、と言ったのに。
 乱暴に玄関を開け中に入る。中は真っ暗だった。明かりがひとつもついていない。こんな暗闇で作業をしていたの? いや、もう終わったから満足して寝てしまったのだろう。しょうがないやつだ。
 手探りでランプを見つけ、火をともす。
 玄関わきの土間に、小傘がいた。小傘が倒れていた。
 いや、本当に、あの子なのか? つやのある水色をしていた髪の毛は枯れ草のように色が消え、肌は張りを失ってひび割れている。うつぶせに土間に倒れたままでピクリとも動かない。
「小傘!? 小傘! どうしたの?」
 助け起こす。両肩を抱いて顔を見た。
 生気が感じられなかった。唇は紫に変色していた。頬はこけて目は閉じられている。
「小傘! 小傘!」
 力いっぱい肩をゆすった。首が人形の物のようにがくがくと前後に動く。とても軽い身体だった。初めて抱えてあげたときよりもずっと軽い。片手だけで握り潰してしまえそうになっている。
「あ、ぁ、あー、パル、シ、パルスィ」
 薄く目を開いた。よかった。生きてる。何があったの? また傘が壊れたの? 直してあげる。直してあげるから。
 ぼんやりと開いた小傘の目が私を見た。とろんとした力のない眼差し。目から輝きが消えて、橋の上に漂うもやが詰め込まれていた。
 ああ、もやの向こうに、私には届かないどこかに行ってしまった。腕の中に抱いているはずなのに、どうしようもない位遠くに行ってしまった。温かな地上の光や、風だけじゃない。この子まで、もやの向こうに行ってしまったんだ。
「どうしたの!? また傘が壊れたの?」
「あー、かさ。傘。パルスィ。傘、見てくれた?」
「見てないわよ。あんた傘がないと死んじゃうんでしょ? どこにやったの!?」
 声にこたえるようにそろそろと寝室のほうへ目を向けた。私もつられてそっちを見る。
 傘があった。苦しくなるくらい綺麗な傘があった。空色の傘が寝室の壁に立てかけてあった。
 空が丸く切り取って貼り付けられてた。穏やかな水色にそよぐ木々と流れる雲が描かれている。見事な青空だった。私が人の姿をしていたころに眺めたどんな空よりも美しかった。
「なにあれ? あんたのは紫色じゃない! どこに、どこに……」
「私、ね、傘、パルスィに、つか、使って、ほしかったの」
 聞き取りにくい不明瞭な声で小傘が話しだした。耳を小傘の唇に近づける。唇から漏れ出た吐息からは、堪え切れないほどの死の臭いがした。
 ぼそぼそと、小傘の声がする。私に会えて楽しかった。良くして貰えて嬉しかった。人の役に立てて誇らしかった。でも、橋の修理じゃなくて、傘として役に立ちたかった。だから私に気に入ってもらえるように、空色の傘に生まれ変わった。新しい道具に作り直してしまったから付喪神は消えてしまうけど、大切に使ってほしい。そんな言葉を、ぶつぶつと呟き続けている。
 小傘の声を私は絶望的な気分で聞いていた。お粥を食べさせながら聞いた小傘の生い立ち。橋の上で聞いた父親自慢。小傘は私にたくさんのことを話してくれた。小傘の事には詳しくなってしまった。会った事もない傘職人の顔も想像出来る。
 なのに、なのに、私は小傘に自分のことを話してあげただろうか。自分が橋姫であることくらいしか小傘は知らないんじゃないだろうか。
 最期まで、小傘は私に話し続ける。そして自分自身まで差し出す。
 ずるい。ずるいよ。私にも何かさせて。あんただけやりきって逃げるなんてずるいじゃないか。私はお返しのひとつすらできないの? あんたは満足かもしれないけどさ、私にだって少しはあんたのために何かさせてよ。
 二人で出かけたのだって一回きりじゃないか。旧都には、もっと面白いところがあるんだよ。もっと見せたいところがあるんだよ。もっと小傘が喜ぶようなところがあるんだよ。
 それに、それに、もっと、もっと……。
 紙屑のようになってしまった小傘の体を抱きしめた。やさしく抱きしめた。力いっぱい抱きしめたらこのまま消えてしまいそうだから。
「百年よね」
「ぇ?」
「道具が付喪神になるまで」
「うん」
「いいわ。百年待ってあげる。百年使い続けてあげる。百年大切にしてあげる。あんたが出てくるまで、ずっと、ずっと、待つから」
「うん」
「その時は私も、あんたに色々な物をあげたい。自分だけ良い所見せるなんて許さない」
「うん。……わかった」
「待ってるから、小傘」
「……うん」
 小傘に残された色がなくなってきた。髪の毛も、瞳も、煤けた白になっていた。体を白が包んでいた。もう付喪神としての実体を保てなくなってしまっている。
 抱きしめる手にこめた力を少しだけ強くした。それでも小傘を捕まえ続ける事はできない。
 楽しみだね、と言いながらかすかに微笑んで、小傘は動かなくなった。手にかかっていたわずかな重みさえも消えていく。風に飲み込まれるようにさらさらと小傘の身体は形を崩す。
 手の中には、小さな竹の棒と紙屑だけが残った。




 ◆ ◆ ◆ 




 いつものように橋のたもとに立っていて、昼過ぎになったので日光浴を始めた。
 寝椅子を日の当たる場所において寝転がる。今日も何もない平和な一日のようだ。
 横になりながらうとうとしていると、頭の後ろのほうから大きな声が聞こえた。顔をそちらへ向けると旧都の鬼が酒瓶を振り回しながら近づいてくる。
「おうおう、仕事中にお昼寝とは良いご身分だね、本当に」
「暇なのはあんたたちのせいでしょう。空を飛ばないで少しは歩きなさいよ」
 確かにそうだ、と大笑いしながら鬼は私の横に腰を下ろした。私も身体を起こす。
「で、何の用?」
「うん、人嫌いのお前さんに良い人ができたって聞いたんでね。お祝いに酒でもどうかと持ってきたのさ」
「あんたが飲みたいだけでしょう」
「あっはっは。ま、いいじゃないか。そんで、お相手はどこにいるのかな? 傘の妖怪だと聞いたが」
「いるでしょ。ここに」
 私は頭上に広がる傘を指差した。水色をした傘が私たちの上で日を遮っている。春の日の青空のような、見ているだけで気持ちよくなりそうな傘だった。
「うん? 確か紫だと耳にしたんだが……。パルスィ、浮気はいかんぞ浮気は」
「違う。この子で間違いないの」
 ふうん、と頷いて鬼は上の傘を見上げている。しばらく傘を見つめていると、なにか得心がいったように唸った。
「恋は待つもの、か」
「……恋じゃないけど、そんなところ」
「どうだか。だったらお邪魔だったかね」
 鬼は立ち上がり、振り返りもせずに去っていった。後ろ手にひらひらと振っている。
 目で鬼を見送る。姿が見えなくなるとまた寝椅子に転がった。
 弱々しい日差しが傘の紙越しに降り注ぐ。傘を横にずらし、直接上を見た。普段よりも、もやが薄くなっているようだった。
 百年もたてば、もやが消えてここからも綺麗な青空が拝めるかもしれない。

初投稿になります
お読みいただきありがとうございます

◆ ◆ ◆ 
追記
評価とコメント、本当にありがとうございます。とても嬉しいです
頂いたコメント励みにしてこれからも投稿するのでどうかよろしくお願いします

ジェネリックへも投稿してみました
よろしければそちらもどうぞ

20101016
多少表現の修正をしました
白木の水夫人形
http://twitter.com/jackwhitewood
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コメント



0.3140簡易評価
7.100名前が無い程度の能力削除
小傘ちゃんの父親になって母親のパルスィと三人で暮らしたい
11.100奇声を発する程度の能力削除
とても素晴らしかったです…
パルスィは優しいな
14.100名前が無い程度の能力削除
どうか、100年の後に出会える貴女が、多々良の小傘でありますように……
15.90結城 衛削除
なんて素敵できれいな話なんでしょう。
言葉が見つかりません。
もやの晴れた先に、どうか彼女の笑顔を。
23.100momome削除
初投稿なのですか?流れるような情景や変化の様などスムーズに浮かびとても読みやすかったです。思うところがあって涙がボロボロでました。上手く言えないのですが感動しました。ありがとう。
25.100名前が無い程度の能力削除
百年先に二人の幸せな未来が広がっていると信じて。
…蹴り落とした妖怪が自分が死ぬまで上がってこなくても巫女は気にしないのでしょうかね?
初投稿とは思えないきれいな作品でした。
29.100名前が無い程度の能力削除
とってもよかった。
初投稿とは思えませんでした。橋のたもとの風景が、少しくっきりと見え始めて、
そこにいる人たちの情景が少しばかり見えた時、上を見上げれば少し晴れかかった空が見える…
はずなんですが、少ししか見えません。
でも、僕にも見えましたよ。少しばかりもやが晴れたところに、少し白みがかった青い空が少し。
31.100名前が無い程度の能力削除
こんな可愛い小傘ちゃんにお父さんって呼ばれたいです^ρ^
33.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい物語に出会えました。
38.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。あなたの物語を読みたいと思ってしまった。それだけ。
41.100名前が無い程度の能力削除
読み終えたあとの充足感がとてもよかったです。
42.100愚迂多良童子削除
すごく感動した。
なんか、気の利いたコメントできないけど、100点入れたいから。
43.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかった
どうか百年後、ハッピーエンドでありますように
44.100名前が無い程度の能力削除
上質な短編小説のような読後感
46.100名前が無い程度の能力削除
こんなにも素晴らしい物語を書くことのできるあなたにパルパル。
しかしパルスィも小傘も可愛い。本当に。
48.100名前が無い程度の能力削除
切なくて、優しさが伝わってくる話でした。
百年間、小傘を待つことになるパルスィは希望があるけど、やっぱりどこか切なさを感じます。
最後まで読むと「百年物のスカイ・ブルー」というタイトルが妙に心に残ります。
切ないけど、幸せさも感じさせてくれる読後感が本当によかったです。
55.100名前が無い程度の能力削除
泣いた(ノД`)
60.100名前が無い程度の能力削除
うーん素晴らしい。短編でこれだけちゃんとまとめられるのも素晴らしい。
61.100名前が無い程度の能力削除
一貫した主題に沿ったきれいな物語でした。読み終えたあとにタイトルを見返せば、より一層にじんわりとくる寂寥の想い。 思わず「こがさぁぁぁぁぁぁ!!」と叫びたくなってしまった。百年を越えた先に橋のたもとで空を見上げる二人のすがたを幻視しました。

しかし巫女ェ・・・
64.100名前が無い程度の能力削除
すごくよかったです。
小傘が好きになりました。
65.100Admiral削除
なんて素敵で切ないお話…。
はじめて優しくしてもらった小傘の、パルスィへの想いが伝わってきます。
そしてパルスィの中でも小傘の存在が大きくなっていたのですね。
百年後、二人がまた会える日が待ち遠しくなる作品でした。
良作、ご馳走様でした。
69.100名前が無い程度の能力削除
持って行きな
71.100名前が無い程度の能力削除
スラスラと読めて、読み終わった時に、青空を見上げているかのような清々とした気持ちになりました。
73.100名前が無い程度の能力削除
いやぁ良かった。
嫌味のない文章がすんなりと心に入ってきました。
74.100名前が無い程度の能力削除
パルスィは情の深い妖怪だろうと思うと、やっぱりこういう切なさがよく似合う。
小傘の心からの、文字通り身を捧げてまでパルスィの“空”になりたいという献身に、感動しました。
表題の真意が深い作品だなぁ。
83.100名前が無い程度の能力削除
今まで読んだSSの中で一番好きです。二次で泣いたのは初めてでした。ストーリー、文章の表現どれをとっても最高です初めて読んだのは投稿当初だったんですが、その時は評価もコメントもブラウザ?の関係でつけられなかったので今コメントしている次第です。数年たった今でも何回も繰り返し読んでます素敵な小説を書いてくれてありがとうございます
84.100文章を読む程度の能力削除
切ないけどいいな、自分は好きです