Coolier - 新生・東方創想話

雪と黒猫

2016/02/28 22:15:57
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 母が息を引き取った。
 雪が静かに降る人里の朝。その外れの小さな木の小屋で、私は母の右手を握る。薄い布団に横になっている母の顔は青白く、痩せこけている。つい先ほどまで病にひどくうなされていたのだから無理はない。父親が妖怪に襲われ母と幼い私を残してこの世を去った後、女手ひとつで一人娘である私を育ててきた母。決して繁盛していたとは言えないが、人里の大通りで簡素な露店を構え手作りの織物を売っていた母。貧しい生活だったが、なけなしの金で服と本、算盤、習字道具一式を揃え私を寺子屋に通わせた母。そんな母がたった今私の目の前で天に旅立ったにも関わらず、私は涙を流さなかった。
 仕方がない。私はそう思っただけであった。
 病を治す薬を買う余裕などあるはずもなく、高熱と激しい咳、そして寒気に苦しむ母をただ見守ることしか出来なかった私の心の片隅にはすでに諦観があったのかもしれない。不自然な程に落ち着いている自分が不気味だった。
 母の体を背負い、玄関を出て家の裏に行く。母の体は想像以上に軽く、母がどれほどひどく病に蝕まれたかを物語る。白い雪に小さな足跡が残る。歩みの音は白銀の地に掻き消され、白化粧をした木々が静かに私を見守っている。
 家の裏に立てかけてある鍬を手に取り、雪と土を掘る。鍬の冷たい柄が私の手を鈍らせるが、私は休むことなく掘り続けた。やっと作った穴に母を優しく入れ、土と雪を被せてその上に作りかけだった織物の切れ端を巻き付けた木の棒を突き刺した。これ以上私に出来ることはない。私は墓に向かって手を合わせ、家に戻る。
 玄関で頭と肩に積もった雪を落とし草鞋を脱いで部屋一つと厠しかない家の真ん中に座りなんとなく辺りを見回す。粗末な火桶、先程まで母が寝ていた薄い布団、小さな背の低いちゃぶ台、織物を作るための手織り機、これから売り物になっていくはずだった色とりどりの糸、服と売り物が入った古びた箪笥、まとめて置かれた寺子屋用具が順番に目に留まる。いつもと変わらぬ風景だ、独りであっても。

「寺子屋行かなきゃ」

自分に言い聞かせるように独り言を言いつつ、昨日の夕食の残りのご飯と漬物を食べ、用具を準備して玄関を出るとまだ降り続いている雪と白に染まった道が私の視界を覆った。寺子屋までの道中、時折吹き付ける風が肌を突き抜け体の芯まで冷やし、私は身を縮めなければならなかった。私は足早に人里を進む。
 しばらく歩くと寺子屋に着いた。体に付いた雪を落として上がるとすでに慧音先生が教室にいた。ワーハクタクである先生は、人間も妖怪も妖精も分け隔てなく接し人里でも評判のよい先生で私の家の事情も知っているのでたまに相談に乗ってくれる。美人で優しい先生は、頭突きはすれど、私の目標とする理想の女性像でもあった。

「おはよう。さあ、席に座るんだ。授業を始めるぞ」

そう言いながら私に向かって振り返る先生。いつもの袖が白の青い服に変わった形の青い帽子を着て、長い銀髪が振り返るときに大きくなびく。

「はい」

三行五列の椅子には人間と妖怪と妖精がそれぞれの机に道具を広げて座っている。私の席は最前列の廊下側端から二番目で、私の右隣は普通の人間の男の子、左隣はみんなから大ちゃんと呼ばれている女の子の容姿の妖精、後ろには稗田阿求という由緒正しい家の娘さんがいる。私は席に座り、慧音先生お手製の教科書を開く。今日の最初の授業は、歴史的観点から分析する商いの変遷とそれに伴う交易品の種類の多様化だそうだ。お店のやり方といろいろな売り物の歴史でいいような気もするがつっこまない。
 授業は良くも悪くも淡々と進んでいく。母の商売を何度も見てきた私は慧音先生の問題に何度か的確に答えることが出来た。特に生地や織物に関する問題には自信をもって解答し、慧音先生も褒めてくれた。時々授業中に寝ているルーミアという妖怪の女の子や宿題を忘れて雪合戦していたチルノ、ミスティア、リグルという妖精、妖怪の女の子たちに先生自慢の頭突きが放たれたことを除けば授業は無事に終わった。
 お昼休み。みんながお昼ご飯を食べたり遊んだりしている間に私は慧音先生のいる部屋を訪れた。

「先生、また相談事があって・・・・・・」

今回は話す内容が一段と重苦しいため、私は慧音先生に話すかどうか直前になってためらった。

「なんだ?」

私の素振りを見た先生の目線は真っ直ぐに私の目を捉える。その目は優しさと全てを見通すような鋭さがあり、気持ちの整理がつかない私はうつむくしかなかった。

「それが・・・・・・」

少し間を置いた後、私は母が数日間病に伏せていたこと、そして今朝息を引き取ったことを話した。私が話す間先生は一瞬たりとも私の目から視線を外さなかった。私が話し終えると先生は深くため息をついた。

「それは大変だったな。これからのことを話す前に昼食にしよう。その様子だと何も食べるものを持っていないだろう?」

先生は自分の昼食のおにぎりを二つ私に分け与えお茶を入れてくれた。昆布とおかかの簡単なおにぎりだったが、お茶の温かさと相まって私は十分に満足することが出来た。私が食べ終えるのを見計らい、先生は口を開いた。

「さて、これからのことだが、誰か身寄りのある者はいるか?」

「いいえ」

本当はいるかもしれないが、私は知らない。昔に母親か父親の親族は来ていたかもしれないが幼少の頃の私の記憶は朧で信用出来なかった。母と二人で貧しい生活を営んでいた時に私の家を訪れた者は一人もいなかった。

「そうか。まず生活資金をどうするかだな。うちに泊まってもいいと言いたいところだが、一人許すと二人、三人と同じ待遇を求める人々が現れてしまう。すまないな。昼食くらいなら用意出来るから寺子屋に来た時はここに食べにおいで」

「はい・・・・・・ありがとうございます。お金は、母が作った布織物がまだ少し残っているのでそれを売ります。家にほんの少しだけお金が残っているので明日までは大丈夫だと思います」

母の遺品を使い切った後のことは全く考えていない。今日を凌ぐことで頭がいっぱいだった。窓の外では雪が静かに降っている。先生は腕を組みしばらく考えた後、話を切り出した。

「君は母親と同じように布織物を作る気はないか?」

前にも考えたことがあるが、困難な状況にある今の私に選択肢はあってないようなものだった。

「はい。母の仕事はずっと傍で見てきたし、手伝ったこともあるのである程度は出来ると思います。たぶん。」

「君一人では大変だろう。なんとかしなければならないな。何か策を考えておくよ。それから、君みたいな境遇の子によくあることなのだが・・・・・・」

先生の表情に陰りが見えたその時、玄関の方で扉が荒々しく開けられた音が聞こえてきた。

「慧音、いる?」

なかなか大きな声だ。先生は何か思い出したように立ち上がり、

「すまない。今日はこれまでだ。午後の授業の準備をして教室で待っていてくれ」

そう言って先生は慌てて玄関に向かう。部屋から顔を覗かせた私は、玄関で先生と話す紅白の服を着た巫女さんを見た。人里でも有名な博麗神社の巫女である博麗霊夢は私も知っていた。頭のリボンには雪が付き、それをうっとうしそうに払いながら巫女は先生にお札を何枚か渡していた。先生は人里を守ってもいることは聞いたことがある。私の父親が妖怪に殺された後くらいから人里の妖怪に対する守りは強くなった。といっても妖怪を追い出すわけではなく、変化の術などで容姿を変えて人間に近づく妖怪に対してその術を無効化し同時に弱体化させることで悪意ある妖怪が人間を襲うのを未然に防ぐというものだ。里を守る先生に渡しているということは、あのお札は妖術除けの札かなにかかな?人里のどこかに貼ってあるのだろうか?交換する時期なのかな?考えがいろいろ浮かんではきたが、とりあえず授業の準備をしよう。
 午後は漢字と算術の授業だった。私は漢字が苦手だ。隣の席の大ちゃんは漢字を自然や生き物の形に見立てて覚えているようで、聞いたところによると身近なもので覚えるのが一番いいのだとか。参考にしよう。算術は商いの手伝いで算盤を使ったことがあったため好調だった。演算はお手の物で、ミスティアと計算の速さで勝負している。ミスティアはすでに自分の店を持っていて、夜に商いをしているらしい。私も負けていられない。母の織物屋を継げるように頑張らなくちゃ。
 そんなこんなで午後も頭突き二発が飛んだことを除いて無事に終わった。

「せんせーさよーならー」

チルノが手を振って友達の妖精、妖怪と共に寺子屋を後にするのを見つつ私も帰り支度をしていた。先生は忙しそうに自室から道具箱と昼に見たお札数枚を持って、

「みんな気を付けて帰るんだぞ。雪合戦はしてもいいが、雪玉を民家に当てないように注意すること!宿題もちゃんとやってくること!分かったな?先生は今から出掛けるから忘れ物のないようにな」

と言った後寺子屋を出て行った。私も帰ろう。
 夕方の人里。雪は止んでいたが、帰りは積もった雪に足をとられながら歩くことになった。雪景色となった人里の通りは人が少なく、里の外れに向かう私はどんどん人気のない方に進むことになる。自分の家に近付くにつれて人はいなくなり、ただ雪を踏みしめる私の足音のみが聞こえる。そんな真っ白な景色の中を進む私は前方に一つの黒い塊を見た。黒い塊はすぐに黒猫だと分かった。足を速め、黒猫に駆け寄るがその黒猫は逃げようとせず、尻尾を踏まれないよう体の下に隠し丸まってじっと私を見ていた。警戒心の強い動物である猫は人間である私を見たらすぐさま隠れたりするはずだ。不審に思った私は屈み込み黒猫を見つめる。

「猫ちゃん、どうしたの?怪我してるの?」

私の呼びかけが通じたかは分からないが、動けなさそうに見えた。黒猫は鳴き声すら上げず私を見つめるばかり。白い雪とは対照的な黒く艶やかな毛並みは私の瞳にきれいに映る。黒猫の周りに血は見当たらず、怪我をしているわけではなさそうだ。

「歩ける?私の家においでよ。なんにもないけど火桶で温まるくらいなら出来るよ。ほら、おいで」

この黒猫を私の家に招こうとした具体的な理由はない。独りである私は一匹で困る黒猫に親近感が湧いたのかもしれない。黒猫は静かに私を見つめるばかりであった。

「仕方ない。抱っこしてあげるね」

家で話し相手が欲しかった私はこの黒猫をどうしても連れて帰りたいのだと今やっと自覚した。黒猫は抱きかかえられても暴れず、素直に私の腕の中に収まった。そんな黒猫を撫でつつ雪道を歩いて行った。
 家に戻ってきた。とりあえず黒猫を居間の畳に上げようとした途端、黒猫は私の腕を飛び出した。不思議なことに黒猫は元気で、先程までの憔悴ぶりが嘘のようだ。箪笥に飛び乗り、布団を横切り、火桶の傍で丸まった。

「今温かくするから待っててね」

小さな炭を火桶に入れて火を付ける。全て灰になって冷めるまで長持ちするはずだ。身を震わす寒さに晒された後にあたる火桶の熱には得も言われぬ快さがある。黒猫は心地よさそうに欠伸をした。あまりの可愛さに私は黒猫を膝の上に乗せて畳に座り見つめながら語りかけた。

「猫ちゃん、眠いの?子守唄歌ってあげるね」

私が怖い夢を見た時、眠れない時、悲しいことがあった時、その晩に母は私に子守唄を歌っていた。何度も聴くうちに歌詞を覚えてしまった。まさか自分が歌うことになるとは思っていなかったが、目の前で欠伸する黒猫を見ると歌いたくなってしまう。この黒猫が子守唄を理解しているのかは分からないが安心して眠ってくれたなら私はそれでよかった。歌声に自信があるわけではないが黒猫が呆れないように精一杯きれいな声を出して歌った。黒猫はやがて瞳を閉じ、微かに聞こえる寝息を立て始めた。母の死から今まで私の気持ちはざわざわと落ち着かなかったが、やっと安息を得た気がする。眠り込む黒猫を火桶の傍に置き、最低限の食料を手に入れようと買い出しの準備を始めた私はふと黒猫に目をやった。それと同時に絶句した。丸めた体から伸びる尻尾が二本あるように見える。抱いていた時や膝の上に乗せた時は全く気が付かなかったが、見間違いだろうか・・・・・・?

「え、猫ちゃん!?」

思わず私は声を上げてしまった。その声で黒猫は目を覚まし、頭を上げて私を見つめる。体を起こし、しならせるように立った尻尾は・・・・・・一本。普通の黒猫がそこにいた。やっぱり見間違い?いや、でも確かに二本の尻尾が見えた気がしたはずだけど、おかしいなあ。動揺する私を後目に黒猫は玄関に向かう。

「どこ行くの?夕飯一緒に食べようよ」

猫すら満足させられるか分からないくらいの金しかなかったが、独りで食べるより独りと一匹で食べた方がいいのは明らかで私は厳しい冬を共に生きる友人として黒猫に強く残るように求めた。黒猫は体を玄関に向けたまま顔をこちらに向けた姿勢を崩さずに、

にゃーん

と一度だけ鳴いて、薄暗くなった通りへと出て行った。
 再び一人となった私だが、やることは変わらない。お金と風呂敷を持って人里の商店街へと向かった。日は落ち、暗くなった道にはやはりまだ雪が解けずに積もったままで、日の温かさが失われた今は吹き抜ける風がより一層冷たく感じる。所々に行燈の光が見え、十分に先が見通せない暗い道と明るい行燈が幻想的な趣を醸し出す。それと同時に私が歩くこの人気のない静かな道がなんとなく死者の旅路を彷彿とさせ、私は根拠のない恐怖を感じた。
 そんな道でも里の中心に近付けば近付くほど活気と人の温かさが甦る。行燈の光は次第に多くなり、人々の声も光とともにますます大きくなっていく。いつもは寺子屋に行くために真っ直ぐ進む三叉路も今回は右に曲がり、商店街を目指す。何を買うかは未定だが、行けば自ずと決まるだろう。空腹を凌げるものならなんでもいい。
 夜であるにも関わらず商店街は賑わっていた。どの建物からも光が零れ、八百屋、肉屋、居酒屋など数々の店が客引きに精を出していた。何度か母と来た時と寺子屋の放課後遊びに来た時くらいしか商店街に訪れたことがないため常に変化する商店街ではどこに何があるのかさっぱり分からない。ただ、母の織物がよく売れた時、母と一度だけ訪れたおむすび屋ははっきりと覚えている。安価で大きなおむすびは竈も作れず釜も買えず粟や稗を食べていた私と母にとってはごちそうだった。今となっては粟や稗を分けてもらうあてすらないため、このおむすび屋で今晩を凌ぐことにした。潰れていないならの話だが。そんな一抹の不安も炊かれる米の匂いで吹き飛んだ。自然と足が速まる。露店形式のおむすびやの正面には数人が列を作っている。その最後尾に並ぶとすぐ目の前に見覚えのある長い銀髪があった。

「慧音先生!」

「お、来ていたのか。私もここのおむすびは好きでよく買っているんだ」

先生は振り返り、笑顔で私に言う。私も笑顔を返す。
 おむすび屋は要領よく客におむすびを売っていく。すぐに慧音先生に順番が回ってきた。

「おう、慧音さん!いつもご苦労さん!今日は何にするんだい?」

店主は景気よく声を張る。私はちゃんと自分で注文出来るか不安になってきた。先生は笑顔で店主に言った。

「塩むすび二つと山菜むすび二つ。あと干し飯を三食分頼む」

ずいぶんと量が多い。先生は意外と大食いなのだろうか?ピンクの悪魔の話は聞いたことあるけど、先生はどちらかというと銀の悪魔だ。青の悪魔かな?どちらにしろ先生はピンクの悪魔ではないと思うが・・・・・・。そんなことを思っていると注文したものを受け取った先生がいきなり私の手を引き、列を離れる。思いがけない突然の出来事だったため私は転びそうになった。何事かと先生を見上げると、先生は私の目線までしゃがんでおむすび二つと三食分の干し飯が入った笹の包みを私に渡した。

「え、いいんですか?」

先生は喜びと困惑で目を見開く私の手を取り温かい包みを上に乗せた。

「ここで会ったのも何かの縁だ。持っていきなさい」

私に優しく微笑みかける先生は仏様にさえ見えた。何とお礼を言おうか迷う私に向かって先生は続ける。

「明日の放課後先生の部屋で待ってなさい。君に紹介したい者がいるんだ。私はもう行くから気を付けて帰るんだぞ。あ、そうそう、君の母が残した織物を全て持ってくるように。また明日」

「はい、先生。また明日」

結局お礼を言いそびれてしまったが、大収穫なことは火を見るよりも明らかだ。家に帰った私は早速塩むすびを食べた。塩だけのはずなのにとてもおいしく、私は大いに満足した。そして、明日紹介されるのは誰なのだろうと心を踊らせながら眠りについた。
 
 翌朝、鳥の鳴く声で目が覚めた私は昨日もらったもう一つのおむすびである山菜むすびを食べ、いつもよりも軽やかな足取りで寺子屋に向かった。曇り空だが雪は降っておらず、昨日よりも薄くなった雪の層を元気に踏んで凍えるような風が吹く人里を通る。
 午前中は古典の授業。独特のまわりくどい恋愛の表現はどうしても理解できない。もっと直接気持ちを伝えればいい気がする。後ろの席の阿求ちゃんはこの分野にめっぽう強い。同じくらいの歳なのに語彙の豊富さは圧倒的でまるで千年生きた仙人のような表現を使う。羨ましい。
 お昼休み。慧音先生の部屋で私は得体のしれない汁物の入ったお椀と対峙している。もこ汁と先生は言っていた。先生の友人が気まぐれで深夜に遊びに来た時、頭突きと一緒に出す栄養満点の具だくさんの味噌汁だそうだ。見た目は野菜たっぷりの味噌汁にご飯を入れたようなものだが食べてみると案外おいしい。なにはともあれ、食べられること自体がありがたい。
 午後は通常だと二種類の授業を受けるのだが、今回は特別講義で人間以外の種族と彼らが使う術についての授業があった。前にも何度かあったが、今回は魔法使いについての話だ。彼らは寿命を捨てたが体は弱く活発に外で動き回ることはないそうだ。魔法は星の数ほど種類があり、ここによって魔法の個性があって得意なことと苦手なことがそれぞれ違うらしい。食事や睡眠は不要だが、好んでその真似をする魔法使いもいるらしい。人間を襲うことは極めて稀で彼らを刺激しなければ普通の人間のように接することが出来るらしい。授業の内容はこんな感じだった。
 放課後。言われた通り先生の部屋で椅子に座って待っている私のもとに慧音先生が一人の女性を連れて入ってきた。色白で金髪のすらりとした細身の容姿はまるで人形のようで私は目を奪われた。

「今日から君の織物の先生となるアリス・マーガトロイドだ」

「よろしく」

口々に告げられる。私は、はっと我に返り椅子から立ち上がって会釈する。

「よろしくお願いします、アリスさん」

「アリスさんか・・・・・・。なんかくすぐったいわね」

「アリスお姉ちゃんでいいと思うぞ」

顔を赤らめるアリスさんに慧音先生は面白そうに言った。

「な、お姉ちゃんなんて、そんな・・・・・・ちょっといいかも」

納得されたようだ。あまり表情のない顔からはわかりづらいが本当は優しいのかな?

「よろしくお願いします、アリスお姉ちゃん」

言い直してみる。アリスお姉ちゃんには会心の一撃だったようで、下を向いてしまった。
なんとなく打ち解けた雰囲気を感じた慧音先生は話し出した。

「目標は、アリスの手ほどきによる君の織物製作に対する知識の会得と技術の向上だ。それから明後日に開催される工芸品市への出店による生活資金の確保と君の面識を広げることも視野に入れている。明日は市の準備で寺子屋は休みだし、今日の夕方までと明日でなんとか出来ればいけるはずだ」

アリスお姉ちゃんは慌てたように口をはさむ。

「ちょっと待って。手ほどきの話は承諾したけど、市への出店は聞いてないわ。今日と明日で市に出せるほどの質の織物がこの子に出来るとは思えない」

確かにもっともな意見だ。それに対する答えも慧音先生は考えていたようだ。

「彼女の母が残した売り物があるはずだ。彼女がちゃんと持って来たはずだ?今まで織物だけで金を得ていたのだから、ひどいものではないだろう。彼女がアリスに教えられながらそれらを見本にして作ってみたらどうだ?別に一獲千金を狙うわけではない。ひとまず食事がまともにとれるくらいの金が集まればいいのだ。その後も少しずつ腕を上げていって売り上げが安定するまで、長い目で見ていけばいいと思っている」

そこまで考えてくれていたとは知らなかった。私は現状考えられる策の中でも最高のものだと思った。しかし、アリスお姉ちゃんはまだ納得していないようだった。

「私はそんなに長くこの子を指導するつもりはないわ。そもそも都合よく上達するとは限らないし、賭けは嫌いよ」

「文々。新聞出版、魔理沙の大人向け盗撮写真百選を報酬としよう」

「全身全霊で任務を遂行するわ」

目の前で怪しい取引が行われた気がするが、今は黙認しておこう。そんなことを思っていた私に慧音先生はいつもの優しい微笑みを浮かべて私を見つめた。

「さあ、早速始めていこうか。アリス、頼むぞ」

「分かったわ」

そしてアリスお姉ちゃんと私の共同作戦が始まった。
 アリスお姉ちゃんの指導は厳しくも丁寧で、糸の選び方、色と模様の合わせ方、織るときの諸注意などの基本を教わった。その後、持って来た布織物を見せて改善点を教えてもらい、よりよい布織物を作るための手掛かりを得た。

「本格的な制作は明日一気にやるわ。集中力が必要だから今日は早く寝ること。慧音がこの部屋を貸してくれるそうだから、朝起きたら必要なものを準備してここにきなさい」

「はい。今日はありがとうございました、アリスさ・・・・・・アリスお姉ちゃん」
そう言った私は落ち着いた笑顔のアリスお姉ちゃんに手を振り寺子屋を後にした。
  薄い雲の向こうの夕日は見ても眩しくない。まだまだ解け切らない雪が道を覆い、変わらない寒さが私の足を止めようとするが私の足は力強く雪を踏む。未来への希望のためか、慧音先生やアリスお姉ちゃんのいる温かさのためか私は前を向いて家を目指す。

にゃーん

前しか見ていなかったため、通りの脇にいる黒猫に気付かなかった。鳴き声のする方に目を向けると昨日会った黒猫が昨日と同じ場所にいて、こちらに歩き出していた。

「あ、猫ちゃん。今日もひとりぼっちなの?」

その呼びかけを合図にして猫は私の胸に飛び込んできた。私はそれをなんとか受け止め、抱きかかえる。

「仕方ないなあ、おうちに帰って温まろうね」

私はそう言って黒猫と一緒に家に戻る。帰るや否や黒猫は火桶の傍で丸まった。火桶に炭を入れて火を付けると、黒猫は大きな欠伸を一つ。そんな黒猫を見つめながら、私は自然と子守唄を歌い始める。歌い終えるころには黒猫は目を閉じており、私は微笑しながら黒猫を撫でた。慧音先生にもらった干し飯がちょうど傍にあったため、それを口に含みながら黒猫に向かって私は呟いた。

「猫ちゃんって家族とかいるの?私はいないよ。正確には、もういない。猫ちゃんがどこかで養ってもらっているなら羨ましいなあ。干し飯だけじゃなくてお魚とかも食べたいよ。猫ちゃんもお魚好きでしょ?頑張ってお金を貯めたら一緒にお魚食べようね」

そんな独り言はただ火桶から聞こえるぱちぱちという音と共に消えていき、静かに時が流れる。どれくらい経っただろうか。いつの間にかうとうとしていた私は黒猫が畳に座った私の膝の上から立ち去ると同時に目が覚めた。

「もう行くの?」

私の声に黒猫は、

にゃーん

と一言返事をし、黒い体は暗い夜道に溶け込んでいった。しばらく家の外の虚空を眺めていた私は早く寝ろというアリスお姉ちゃんの言葉を思い出し、布団に潜り込み意識を手放した。
 次の日、私はいつもより早く起きてしまった。まだ外は薄暗い。今日のアリスお姉ちゃんとの活動の成果が私の今後を左右することを思って体がせっかちになってしまったのだろうか。干し飯を齧り、近くの井戸で汲んだ水をゆっくりと口から流し込む。空気と水の二重の冷たさが私を襲うが、前向きな希望を持った今の私にとっては取るに足らないものだった。寺子屋での制作のための荷造りをしつつ昨日教わったことを頭の中で復習して時間を潰した。
 相変わらず曇り空が広がる人里の通りには朝早いにも関わらず大勢の人が行きかっていた。まだしつこく雪が残る道の上を各々が小道具や立て札のようなものを持ち歩いている。きっと明日の工芸品市の準備なのだろう。そんな賑やかな通りを歩き、寺子屋に向かった。
  寺子屋にはすでにアリスお姉ちゃんがいた。私は一瞬幻覚を見ているのかと思った。部屋の中にいるアリスお姉ちゃんの周辺には無数の人形が忙しなく床や空中を動き回っており、その中心で椅子に座ったアリスお姉ちゃんは驚異的な速さで編み物をしていた。一体の人形が私に気付き、私の服の袖を引っ張ってアリスお姉ちゃんの向かいにある椅子まで導いた。

「おはよう」

アリスお姉ちゃんは手元から目を離さずに言った。

「え、あ、おはようございます。えっと、これは一体・・・・・・」

未だに私は周りの状況が理解出来ないでいた。

「言ってなかったかしら?私は魔法使いよ」

「そうだったんですか・・・・・・」

二体の人形が私とアリスお姉ちゃんにティーポットとティーカップを持って来た。そのポットとカップには綺麗な模様が描かれており、人形が紅茶を注ぐとほのかないい香りが漂ってきた。アリスお姉ちゃんが魔法使いであることは周りの状況を考えると納得がいく。慧音先生は私が魔法使いのアリスお姉ちゃんに対して不信感を抱かないようにあらかじめ魔法使いについての特別授業を行ったのだろうか。慧音先生には頭が下がる。アリスお姉ちゃんにはいろいろ尋ねたいことが出てきたが、今は我慢して私の仕事に集中しよう。

「えっと、何から始めればいいでしょうか・・・・・・?」

アリスお姉ちゃんはやりかけの編み物を傍にいた人形に任せ、私に向き直った。

「まずは糸を選んで」

その言葉を皮切りに、私の織物製作が始まった。糸を選び、模様を考え、アリスお姉ちゃん手作りの特製手織り機を使って一つ一つ丁寧に作っていった。種々の雑用は全て人形がやってくれたので私は作業に集中することが出来た。人形の持って来たサンドイッチと紅茶を昼食とし、アリスお姉ちゃんの指導のもとで作業は午後も続いた。その結果、作業効率はいいとは言えないものの自分でも信じられないくらいにきれいな織物が何種類か出来た。

「なかなか筋がいいわね。その調子よ」

アリスお姉ちゃんがそう言ってくれたため作業により一層身が入った。そして、ついに糸が無くなった。完全に無くなったわけではないが、これ以上織物を作れないくらいには減ったということだ。アリスお姉ちゃんはかつてない達成感と喜びに包まれる私を見守りつつ言った。

「余った材料で手拭いでも作ろうかしら」

アリスお姉ちゃんは私に好きな動物や植物、風景などを尋ねてきた。いくつか答えると、アリスお姉ちゃんは瞬く間に手拭いをいくつか完成させ、近くの籠に入れた。今更だがアリスお姉ちゃんは手芸の達人だと思った。これらの手拭いは明日の市で織物と一緒に売っていいそうだ。私の作った織物より上質な気もするが消極的なことは頭から排除した。
 売り物の準備は整った。次は、露店の準備だ。人形たちを寺子屋に残してアリスお姉ちゃんと一緒に母の使っていた露店へと向かう。通りでは多くの人がそれぞれ簡易露店を建てており、指示を出す男の人の太い声があちこちから聞こえてきた。慧音先生もどこかにいるのだろうか。いや、今はそんなことより自分の店の準備に集中せねば。幸い母の露店は市が行われる範囲の中にあったため、新しく建てる必要はない。しかし、市に使うには貧相で、これでは客が寄ってきそうにない。積もった雪や蜘蛛の巣を払い、どうすればよいか思案しているとアリスお姉ちゃんが後ろから私に声をかけた。

「改築する時間もお金も無いし、これで見た目だけでも整えるしかないわ」

そう言ってアリスお姉ちゃんは私に大きな布を二種類渡した。一枚は赤を基調とした派手な模様の布で、その一辺に複数の小さな球が一本の糸で一直線に繋がれた装飾が規則正しく並んでいる。これらを店の屋根から垂らすようにして、この布を屋根にかけるのだそうだ。もう一枚は白を基調とした無地の布で、これを使って店の売り台を覆い、余りを台の周辺に垂らすことで貧相な木を隠すのだそうだ。言われた通りに布をかけてみると、確かにまともな見た目にはなった。これなら見劣りすることはないだろう。
 寺子屋に戻ると、人形たちが私の荷物をまとめて出迎えてくれた。

「今日やれる精一杯のことをしたわ。私は行けないけど、明日は頑張りなさい」

アリスお姉ちゃんはそう言って私の頭を撫でた。少し照れくさい。時間は夕方にさしかかった頃。もうちょっとだけアリスお姉ちゃんと一緒にいたいけど、迷惑がかかるし帰ろう。
 アリスお姉ちゃんとその横に整列した人形たちにお礼を言って、私は寺子屋を後にした。作った織物ともらった手拭いを落とさないよう大事に抱え、人里の通りを歩く。道の両端には完成した露店が立ち並び、すでに人はいなかった。明日の市に対する不安と緊張のせいか、吹き付ける風が冷たく感じる。そんな中、とある場所に近付くにつれて私の目線は下に向いていった。白い雪の中で黒い体はとても目立っており、見つけるのは容易だ。

「猫ちゃん!またここで会ったね」

黒猫はまだ同じ場所で毛づくろいをしており、私に気付くと今回は抱っこを求めずにそのまま私の家の方に歩き始めた。私の荷物が多いことを考えての行動だろうか。だとしたら家に帰ったら昨日の二倍撫でてやらなければならない。
 家に到着し私が玄関に入った時には黒猫はすでに火桶の横で丸まって欠伸をしていた。私は荷物をちゃぶ台の上に置き、火桶に炭と火を入れると、昨日と同じように座って黒猫を膝の上に乗せた。まるで習慣であるかのように私は子守唄を歌いだす。黒猫は気持ちよさそうにしているが、目は閉じておらず開けたままだ。

「今日は眠くないの?」

黒猫は私が歌い終えても起きていた。いつもより音痴だったかな?火桶の温もりを感じつつ、黒猫を撫でる。黒猫は黙してそれを受ける。静かだが私にとってはこんなひとときでさえ幸せな時間だった。

「猫ちゃん、私ね、明日お店を出すんだよ。来てくれると嬉しいな」

来てくれるなんて全く思っていなかったが言ってみた。黒猫は沈黙を守る。にゃあとかにゃーとか言ってくれればいいのに。あらかじめ火桶の近くに置いておいた最後の一食分の干し飯を口に入れ私は黒猫の肉球を触ってみた。黒猫は抵抗しなかったため存分に肉球をぷにぷにした。その後はまた黒猫を撫で続けた。おとなしくしていた黒猫もさすがに飽きたのか、私の膝から下りて玄関に向かった。

「気を付けてね。また来てね」

そう言って私は黒猫を見送った。今日はいろいろあって疲れた。もう寝よう。私は布団に潜り込み目を閉じた。眠り込むまでにそれほど時間はかからなかった。
  工芸品市当日の朝、起きた私は水を飲み、売り物を持って自分の露店に向かうべく外に出た。雪が降っている。曇天から舞い降りる白い落し物は道の上に厚めの層を作り、私の頭の上にも領地を広げようとしている。市は開催されるのかどうかが何よりも重要だと思った私は急ぎ足で人里の中心部へと向かった。
 私の心配とは裏腹に、市の会場では露店に売り物を並べる人や立て札を道に立てている人で賑わっていた。私は安堵し、自分の持ち場で売り物を並べた。周辺の店に目をやると、彫刻、焼物、塗物、染物など様々な品物が整然と並んでいるのが見えた。品数は私の物と比べると圧倒的に多い。大丈夫、アリスお姉ちゃんと一緒に作った織物ならやっていけるはずだと自分に言い聞かせながら開催の時間を待つ。そんな中、露店の裏から、

にゃーん

と鳴き声がする。振り返ると、期待通り、そこには黒猫がいた。

「あ、猫ちゃん、来てくれたのね!」

黒猫はゆっくりとこちらに歩いてきて私の露店の売り台に飛び乗ると、私から見て台の右端に陣取って座った。

「一緒にいてくれるの?今日は招き猫さんだね」

思わぬ援軍に浮かれていると、市の開催を告げる鐘が鳴った。降りしきる雪の中、露店が立ち並ぶ通りの左右遠くから人の声が聞こえてくる。それは次第に大きくなり、市に訪れた客の波が目視できるまで近付いてきた。周りの露店にいる男の人たちが客引きの声を張り上げる。

「いらっしゃい、いらっしゃい!見て行っとくれよ!!」
「そこの別嬪さん、この染物はあんたにぴったりさ。あんたが使うと映えるんだろうなあ」
「この焼物なんてどうだい?その辺のものと一緒にしないでくれよ。なんてったってうちのは――」

売り文句なんて考えていなかった私は焦った。声を張り上げたこともなく、どうすればいいか分からない。そんな焦る私の前に一人の大柄な男性が立ち止まった。

「お?織物か。手拭いもあるじゃねえか。お嬢ちゃん、見てもいいかい?」

人生初接客。値段は一律でそんなに高くない。気に入ってもらえば買っていってくれるはずだ。私は冷静さを取り戻し、応対する。

「どうぞどうぞ。よろしければ手に取ってみてください」

男は織物よりも手拭いに興味を持ったようだ。体つきからして大工だろうか。

「お、これはおもしれえなあ」

そう言って男が手に取った手拭いは、白い生地の中央に



と黒い大きな文字のある手拭いだ。私が考案したもので、その斬新さからアリスお姉ちゃんも苦笑しつつ採用した。

「これ一つくれよ。いくらだ?」

お代を言うと、男は財布から代金を取り出して売り台に置いて、手拭いを嬉しそうに首に巻いて歩いていった。初めてお客さんに商品を買ってもらった嬉しさが私の胸を満たす。黒猫はそんな私を見て、

にゃーん

と一声。

「そうだね。まだ始まったばかりだもんね。しっかりしなきゃ」

気合を入れなおし、

「いらっしゃーい」

と出来るだけ声を出して客を呼ぶ。
 次に足を止めたのは、右手で杖をつき、左手で小さな籠を持ったお婆さんだった。

「お嬢ちゃん一人で切り盛りかい?偉いねえ」

そんなお婆さんの横で黒猫が

にゃあ

と鳴く。

「おやおや、この黒猫は置物じゃなかったんだねえ」

私はくすくすと笑いながら、

「織物はどうですか?」

と誘う。お婆さんは近寄ってきて、

「そうだねえ。見ていこうかねえ」

と言って織物を順番に見ていく。

「ほう。これはよさそうじゃのう」

そう言って手に取ったのは梅の花と小川を表現した淡い緑と薄い橙色を基調とした織物で、これはアリスお姉ちゃんが考えた母の織物の改善案を参考にして作った自信作だ。

「これをいただこうかねえ」

そういうとお婆さんは代金を置いて、買った織物を丁寧に籠に入れて去っていった。
  それからも客足は衰えなかった。織物を買う者、手拭いを買う者、見るだけだった者、全員が品物を買っていったわけではないが関心を持ってもらえることが私にとって喜びだった。黒猫も飽きずにそのかわいさで客引きの手伝いをしてくれた。
 正午頃。お客さんは休憩所やお食事処で昼食をとっており、通りは閑散としていた。客がいつ来るか分からないため、私は店を離れず残った品物を並べ直していた。そんな中、見覚えのある人が近付いてくるのが見えた。

「あ、慧音先生」

先生は笑顔で店の前まで来た。

「なかなか様になっているじゃないか。ほら、これを食べるといい」

そう言って差し出された包みはあのおむすび屋のものだった。開けてみるとおむすびが一つ。

「ありがとうございます」

ほおばってみると、中には梅干しが入っていた。雪はまだ降り続いており厳しい寒さだが、このおむすびが私に更なる活力を与えた。私がおむすびに力をもらっている間に慧音先生は織物を見ていた。

「先生も織物はいかがですか?」

私がそう言った時、慧音先生は一枚の織物を手に取った。

「これは・・・・・・」

先生はじっとその織物を眺める。それは、夜空に輝く不死鳥を題材にした売り物の中でも一番派手なものだ。不死鳥の大きな翼から舞う火の粉が空に散っていく様子が大胆に描かれている。私は固唾を呑んで慧音先生を見つめた。

「どうですか?」

恐る恐る声をかけてみる。客を急かすのはご法度だが、私はつい言ってしまった。先生は私の声が聞こえていないかのように静かに品物を見続けている。そして、ゆっくりと私の方を見て、

「すまないな。君の声は聞こえているんだが、この織物と友人を重ねていたんだ。とても綺麗な織物だ」

「え、あ、ありがとうございます」

先生に認めてもらえたのは嬉しいが、それ以上に先生の友人が気になった。不死鳥と重ねるような友人はどんな人なのだろうか。不死鳥が友人なのだろうか。いや、そんなわけない。くだらないこと考えるより、商売を優先することにした。

「買っていこう」

そう言った先生に私はおむすび代を差し引いた代金を伝えると、先生は笑顔で本当の額を払ってくれた。どうして分かったのか聞いたところ、織物を買っていったお客さんの一人に先生の知り合いがいたらしくその人から値段と店の場所を教えてもらったらしい。先生はやっぱり一枚上手だった。

「午後も頑張るんだ。応援しているぞ」

そう言って先生は去っていった。

「やったね、猫ちゃん!慧音先生に褒められたよ!!・・・・・・あれ?」

私は喜びを分かち合おうとしたが、台の上で座っているはずの黒猫はいつの間にかいなくなっていた。飽きたのかな?
 午後は午前よりも人が多く行きかっていた。依然として雪が降っているが、人々はそんなことはお構いなしに露店に並ぶ商品を見て回る。もちろん私の店にも何人か来たが、売れ行きはあまり芳しくない。残った織物と手拭いはいまいちお客さんの心を掴めず、寂しそうに台の上で油を売っている。招き猫のいなくなった織物店に空虚な時間が流れる。もうあと少しで完売なのだが、そのあと少しを売り切ることが非常に難しい。そして時間が過ぎてゆく。最初は多かった人の数も段々と減ってきており、夕方までに勝負をかけなければならない。だが、お客さんが来なければ勝負のかけようもなく、私はもどかしく感じた。目には横に通り過ぎていく人と静かに降る雪が映る。
 もう夕方だ。周りに目をやると、店じまいを始めたところが散見された。私ももう帰ろうか。そう思った矢先、私に声をかけてくる人がいた。

「あら、確かによさげな織物ね」

寺子屋での昼休みで見た巫女さんの博麗霊夢であった。

「あ、巫女さん。いらっしゃいませ。えっと、少ししかないですがどうぞ見ていってください」

そう言ってお辞儀をする私を見て、巫女さんは微笑し織物を眺める。そして、その中の一枚を手に取った。池に咲き誇る蓮の花を描いたもので、繊細な色使いが特徴だ。巫女さんはしばらくこれを眺め、

「これにするわ」

と言って代金を置いて去っていった。お友達にはなりにくそうだが、安定感があり信用出来そうな人だと感じた。矢継ぎ早に次の来客があった。

「お、やっと見つけたぜ」

そう言って現れたのは、白黒ドレスにとんがり帽子の金髪魔法使い。霧雨魔理沙さんだ。巫女さんと一緒に異変解決をしていることで有名だ。

「実験材料を見つけに来たぜ」

私の織物や手拭いが実験材料になり得るかは不明だが、興味を持ってくれたことは素直に喜ぼう。面白そうに売り物を見つめる魔理沙さんの目はおもちゃを選ぶ子供のように輝いている。

「これと、これをいただくぜ。あ、もちろん今回は借りていくんじゃないぜ」

織物と手拭いを一枚ずつ買って満足げに去っていった。買っていったのは、広大な草原を思い出させるような簡素な模様の織物と白黒の縞模様の手拭いだ。どちらも単純な模様なので派手さや華やかさには欠けるが、気に入ってもらえたようで安心した。どんな使い方をされるのかは知らないが。
 その後すぐに現れたのは怪しい二人組だった。一人はとても大柄の女性で、最初に来た大男よりも大きい。胸の膨らみから女性だと分かるが、全身を何枚かの黒い着物で覆っており、頭に大きな菅笠を被っているためいるため顔も分からない。ただ一つだけ言えることは、菅笠から小さな棘のようなものが内側から外側に向かって突き出ているということだ。それが何なのかは知らない。もう一人は全身を白い包帯でぐるぐる巻きにされていて、まるでお化けだ。しかも、背中から大きな翼が生えており、それも包帯で巻かれているが全く意味を成していない。とりあえず人間ではないことは分かった。

「・・・・・・。いらっしゃいませ」

とりあえず言ってみる。

「ああ、ここだね。あいつが言っていた織物屋は」

「うにゅ。そうみたい」

二人組はそう言うと、大柄な方は織物を、翼のある方は手拭いを眺め始めた。二人はそれぞれ気に入った物を手に取った。大柄の方は、紺を基調とした様々な花が描かれた織物が気に入ったようだ。派手さと落ち着きを兼ね備えたもので、着物とかに使えたらもっとよかったかもしれない。翼のある方は、タンポポの周りでひらひらと遊ぶ蝶が描かれた手拭いが気に入ったようだ。これは子供向けに作ったものだ。

「この織物とこいつの持ってる手拭いを買おう。ほら代金だ」

そう言うとお金の入った巾着を売り台の上に置く。

「ありがとうございます」

私は頭を下げた。

「いいってことよ。今度会ったら力比べでもしようじゃないか」

「またねー」

二人は口々に言って、歩き去った。結局誰だったんだろう?
  残った売り物は織物と手拭いがそれぞれ一枚だけだったが、これは誰の手にも渡ることはなかった。だが、最終結果は大成功の一言だった。これほど売れるとは思っていなかったし、何より自分の商品がたくさんの人に見てもらえて嬉しかった。お金も十分に貯まり、三日くらいは誰にも頼らずに三食しっかり食べることが出来そうだ。それまでにまた商品を作って売ればよい。明日すぐに慧音先生に結果を報告しよう。きっと驚いてくれる。アリスお姉ちゃんにも改めてお礼を言わないといけない。猫ちゃんはどうしてるんだろう?まあ、いいや。次に来た時はお魚を御馳走してあげよう。一緒に食べるお魚はきっと格別だろう。それから、少しずつお金を貯めて服や家具を買おう。それから、店をどんどん有名にして大きくしよう。それから、美味しいものを買えるように売り上げを伸ばして有名になって一人前の織物職人としてちゃんとした店を構えよう。それから、慧音先生やアリスお姉ちゃんに恩返しをしよう。それから、それから・・・・・・・・・・・・
 私の中に渦巻く溢れんばかりの喜びと希望は、降り続く雪の寒さも一日中露店を切り盛りした疲れも気力を削ぐ空腹も全て忘れさせてくれた。明日からの楽しく充実した毎日のことを思うと現状の憂いも全然気にならない。私の成功談を聞いた先生はどんな顔をするだろうか。気前よくお魚を丸ごと一匹目の前に出された猫ちゃんは驚くだろうか。今日織物や手拭いを買った人たちは大事に使ってくれるだろうか。また私が作った織物を見に来てくれるだろうか。そんな考えが私の頭の中を巡り、守護霊のように私の心に巣食うあらゆる悩みを消し去ってくれた。いつも歩く通りも今は幸せに続く一本道に見える。暗くなり、人里の外れに向かうにつれて少なくなる行燈に点々と灯る光でさえも私を祝福しているように思える。はっきり言える、私は幸せだ。
  私の家に着き、売り上げで得たお金を大事に箪笥にしまって布団に入る。夕食も食べておらず、いつもよりもかなり早い就寝だが、明日がとにかく待ち遠しい私は空腹も寒さも忘れて目を閉じた。





  寒い。熱い。相反する激しい感覚に襲われた私は目が覚めた。外を見ると、暗闇の中に雪が降っているのが見える。まだ真夜中だ。喉が痛い。

「ゲホッ、ゴホッ」

咳と同時に喉の痛みが増す。体が動かない。寒い、なのに熱い。体が震えている。震えを止められない。瞼が重い。指や足の先からは凍ったような冷たい感覚が押し寄せる。頭はぼんやりとし、考えがまとまらない。

そんな感覚は朝日が差し込むまで続き、体の異変は治まるばかりかひどくなる一方だった。

寒い。

「せん・・・・・・せ・・・・・・い。てら・・・・・・こ・・・・・・や・・・・・・」

なんとか体を起こし、足を引き摺るようにして玄関を出る。激しく降る雪が私の視界を覆う。体は震え、歯はガチガチと音を立てる。寺子屋に行けば先生がいる。その一心で私は足を動かすが、なかなか前に進まない。
 どれくらい進んだだろうか。周囲を見渡す余裕もなく、霞む視界を頼りにほぼ無感覚の足を動かす。咳が止まらない。降り続ける雪は無情にも私の足を引っ張る。足は段々と動かなくなり、ついに私は倒れた。
 寒い。頬から伝わる雪の冷たさは私に母を想起させた。母の最期も同じような状態だった。高熱と激しい咳、そして寒気。ああ、なんとなく分かる。私に最後の訪問者が来たのだ。
 あの時と同じだ。私の心に諦観が広がる。もうどうしようもない。
 頬に何かが触れる。雪ではない。目を微かに動かすとそこには黒猫がいた。私を見つめ佇んでいる。最後の訪問者の前に先客がいたようだ。

「あ・・・・・・、ね・・・・・・こ・・・・・・・・・・・・ちゃ・・・・・・」

口から漏れる出来損ないの言葉は雪に吸い込まれる。だが、よかった。私にも最後まで一緒にいてくれる人、いや猫がいた。視界が霞む。ぼんやりと映る黒い猫。こちらに寄り、私の顔の真横で私を見つめる。呼吸が浅くなる。やっと希望が持てたのに。やっと明るい未来を目指せるようになったのに。悔しいな。ごめんね、猫ちゃん。霞んで見える黒猫の尾が一本から二本に変化する。やっぱりあの時は見間違いじゃなかったんだ、でも、どうでもいいや。もう遅い。
 滲んだ世界が一本の線になる。横たわり、朦朧とする意識の中で私は誰かに抱かれている。声が聴こえる。きれいな澄んだ声。誰の声だろうか。聴いたことのある唄が聴こえる。お母さんがよく歌っていた子守唄。母との記憶が一気に頭を駆け巡る。

私を育ててくれた母。手作りの織物を売っていた母。私を寺子屋に通わせてくれた母。苦しい時も私に八つ当たりせず優しくしてくれた母。一緒に商店街へ連れて行ってくれた母。失敗してうつむく私を精一杯励ましてくれた母。いつも私を思ってくれた母。子守唄を歌ってくれた母・・・・・・

あの時流さなかった涙が今、流れる。なぜ、あの時流れなかったんだろう。なぜ、あの時流せなかったんだろう。なんで、今・・・・・・

一本の線が一つの点になる。

「ああ、お・・・・・・かあ・・・・・・さ・・・・・・ん・・・・・・」

そして、その点はゆっくりと消えた。

雪は降る。ただ静かに。
 









  地底の旧地獄。何もない荒野が広がる中で、無数の怨霊が一人の少女の周りに集まっている。怨霊たちの目的はただ一つ。

「お燐、その唄よく歌っているわね」

「あ、さとり様。はい、あたいが子守唄を歌えば荒廃した地獄にいる魂も聞いて安らいでくれると思って」

「廃れた地獄の子守唄ね・・・・・・。いいと思うわよ」

「ありがとうございます、さとり様!」 

そして今日も少女の歌声が響く。
初投稿となります。はじめまして、猫好き男爵と申します。

「廃獄ララバイ」
残機は消えても頭からは消えない名曲だと思います。

オリキャラ少女視点で書いてみましたが、なかなか難しい。オリキャラが独走しないように東方成分を十分に含みつつ書いていくように心がけました。

さて、遅くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しずつスキルアップを目指していきますのでよろしくお願いします(ぺこり)
猫好き男爵
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コメント



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1.80名前が無い程度の能力削除
結局、何故母親が亡くなった際に少女が泣けなかったのかの情報が無いので、推測くらいしか出来ず、ちょっと消化不良に感じられます
しかし、母親が亡くなった後、少女は悲しいことがあったけど、メインキャラの力を借りて、安直にとんとん拍子の人生を送るのかと決め付けて読んでいたのですが、落としたのを上げ、また落とす展開で少し「おおっ」となりました
ただ少女本人も何らかの病にかかっていた、と言う話が急に出て来たので、伏線とか欲しかったです(急性で死に繋がる病気だよとかなら別ですが)
あと「・・・」は「…」が良いかと思われます

廃獄ララバイは印象的な曲やでほんま…灼熱地獄が近いと言うのに、このSSのシーンと同じで、不思議と雪が合う寂寥のある曲ですね
ただ他に印象的な理由として、クラウンピース(鬼畜)と似たような理由も少しありますあります
ノーマルシューターに地5ステージは、安定しなくていや〜キツいっす
2.10名前が無い程度の能力削除
作者が作品しか考えていないので、話の突拍子の無さに全く気付いていない。
オリキャラなら死んでもいいという思考も気持ち悪い。
5.100名前が無い程度の能力削除
おりんが殺し屋だったというわけか
ハッキリわからない自分より遥かに強い存在とは近づかないほうがいいってことですかね
この場合人じゃなくて猫に化け猫が化けてるから余計たちが悪い
慧音が紹介したから会えたアリスと
慧音が紹介したわけでもなく向こうから会いにきたおりんとの対比が印象的
9.100名前が無い程度の能力削除
読みやすくて面白かったです。作品の雰囲気もとても良かったのですが、盗撮写真のギャグだけ浮いていて違和感を感じました。
作者様の他の作品もぜひ読んでみたいです。