人の少ない僻地の神社。
参道にはどこからか飛ばされてきた落ち葉が散乱し、お世辞にも綺麗とは言い難い有様になっている。
そこで箒をかき鳴らし、少女はざっざかざっざかと境内を清めているのだった。
「あふ……」
隠す事なく欠伸をしながら。
ただそれだって仕方がない。昨夜はごうごうと騒ぐ風により、快適な寝付きが得られなかった。
その上どこから沸いて出たのか、曙近くに春告精が散々喚いて通っていき、流石の巫女でもそれを無視する事は出来なかったのだ。
なお、このリリーは後に巫女がきっかり撃ち落としている。今頃復活して野山を飛び回っている頃だろう。
そんな切っ掛けで早起きを強制されたものだから機嫌は最悪。今も苛立たしげに歯軋りなんかをして雲ばかりが浮かぶ空を威嚇するぐらいである。
一通り済ませたら昼まで寝よう。そう心に誓い巫女はより忙しなく手を動かしていく。
昨日の風で散らかったとはいえ元より枯葉や塵の少ない季節。一人しかいない働き手に対して広い境内なのを考慮しても、長引こうが日が昇るまでには終わるだろう。
頭の中で日が昇りきるまでの予定を組み立てながら着々と作業を進める彼女の眼に、あるものが映り込んでこなかったら。
「……へぇ」
それを見てしまったから、ただ惰眠を貪るのは勿体無いように思えてきたのだ。
◇ ◇ ◇
「お早うございます。霊夢さん、起きてますかー?」
「起きてるから上がってもいいわよ。お茶は出せないけど」
「あれ、珍しいですね。返事が来るとは思いませんでしたが」
「……私を夜行性の動物かなんかと間違えてるんじゃないの。人間は朝起きて夜寝る生物よ」
「霊夢さんは人って言うより巫女って形容した方がしっくりくる気がしますよ」
朝の静謐な空気の中をはきはきとした声が神社に良く通っていく。それは少しだけ反響して、山彦のような響きを持った。
時刻で言えば辰の刻を少し回った辺り。もしここが里の一角でもあれば文句の二つや三つも飛んだであろうがそこはこれ、住む人の口が増えない限り怒号は一つしかあり得ない。
尤も、家主自体がそんな事で声を張り上げる性格でもないのだが。むしろ口で言うくらいなら牙を剥く、を地で行くような人である。
それをどうどうといなし、かわせるようになったのは彼女の成長の証でもあった。動物扱いする事で怒りを煽っている気がしなくもないが。
「分社の世話をしに来たんですが、ちゃんと掃除はしてますか?」
「ちょいちょいやってるわよ。というか世話って、生き物じゃないんだから」
「いやいや、物だってしっかり面倒を見てあげればいずれ魂が宿るのです」
「早苗はその優しさを九十九神のアレにも見せてやったらいいのにね」
「いやだなぁ、妖怪は退治されるのが仕事でしょう」
「……うっわー」
きょとんとした声で空恐ろしい事を話す早苗に、ついげんなりとした声を返してしまうのはある意味当然の事だと言えるだろう。
いくら博麗の巫女でもそれはない。
心の内で気の弱いお化けに合掌と冥福を送っていると、いつの間にかその加害者は障子を開け居間に現れていた。
そして愕然としていた。まるでそこにあるべきものが無い、というような表情を浮かべて。
「う、霊夢さんはもう炬燵はしまっちゃったんですかね」
「ああそりゃね。もう暖かいし、大体あれ炭入ってないから」
気休め程度にしかならないのよ、と続ける赤貧巫女の姿を早苗は直視する事が出来なかった。朝霧が濃くて、目を拭わざるを得なかったからである。
豆炭すら買えない経済事情とはこれ如何に。今度来る時は何か手土産を持って来よう。
人知れず決意を固める少女にも気付かず、巫女は自分の冬の暮らしを滔々と語っていた。
霧散してこの話を聞いていた小鬼が後日、涙ながらに米俵を担いでくるのはまた別の話である。
「そ、そうそう。分社にこんなのが引っかかってましたよ」
「ん?」
強引な話題転換に眉をひそめる事もなく、巫女は差し出されたそれを両手で受け取る。
ぱらぱらと手の器に散ったのは薄い桃色をしたはなびら──桜だった。
地面には落ちていなかったのだろう。淡い色合いのそれは、巫女の手の中でぼんやりと光っているようでもある。
「もう、そんな時期なんですね」
「あんたんとこはまだなの?」
「私達の神社は何分山の頂上にありますから。桜はあってもまだまだ蕾ですよ」
「ふぅん」
それから暫く少女の言う外の世界の理屈というのを延々聞かされたのだが、巫女が睡魔に襲われるような事はなかった。それは身内に似たような喋り方をする者が居たからであり、言い直せば聞き流すのが得意になっていたとも言える。
はいはいと、適当な所で相打ちを打ちながらのお喋り(些か一方的でもあるが)は少女の喉が乾いてつっかえるまでは続いたのだった。
「えー、ごほん。あの、すいませんがお茶を頂けませんかね」
「だから出せないって」
「そんなぁ」
照れ隠しか、少々頬を赤くしながら上ずった声で催促をするも巫女の答えはにべもない。
俄かに沸いた問題に少女が頭を抱えた時、救いの手は意外な方向から差し伸べられた。
「こらこら、早苗にあんま意地悪するなよ。お茶ならいつもそれなりのを揃えてるだろ?」
「う、魔理沙さん。お早うございます」
「理由もなしにそうは言わないわよ。あんたみたいに性格捻じ切れてるわけじゃないんだから」
「ん、お早う。にしても早苗はこんなに素直なのに、霊夢は挨拶の一つも寄越さないなんて酷い話だぜ」
開け放たれた縁側に立っていたのは和式な建物に似合わない洋風の出で立ちをした少女である。
快活そうな目は今は細く伸び、溢れた笑い声を喉の奥で鈴のように鳴らしている。
軽口の応酬が楽しくて仕方ないといった彼女の姿は、少々尖った巫女の気持ちをいくらか落ち着かせる効果があったようだ。
二人の間で気を揉んでいた早苗も、その心配が杞憂で終わりほっと一息といった様子。
「あの、お茶でなくても水でも結構ですし、汲んできますね」
「それなら台所に水差しと表に水瓶があるから、そっから持ってくると良いわよ」
「ちなみに湯飲みは流しの近くだ、ついでだから三人分頼む」
まさに勝手知ったる人の家。鼻歌なんぞを奏でながら台所へ消えていく早苗を見ても、霊夢自信に兎や角咎める気は更々ない。
一々止めるのは面倒臭いのがまず一つ、自分も水が欲しかったのが二つ目で、最後の理由はやっぱり面倒臭いから。
自分で動かずとも他人が代わってくれるというならそれを止めさす馬鹿もいるまい。
さも当然のように卓の下で大の字に寝転ぶ親友を見て、魔理沙はちょっとだけ複雑そうな顔だった。
「こたつ、しまっちゃったのか」
霧雨の、お前もか。
机に掛けられた一枚の煎餅布団もどき、それがどのようにして同年代の少女らの心を掴むのか霊夢には図りかねない事だったが、そういった難しい考えはどこかのパッパラパーな大賢者にでも丸投げすればよかろう。
霊夢は魔理沙の言葉に眉を動かす事もなく、視線を外に向けたまま戻さない。
しかしそれを許してしまってはお祭女の名が廃る。例えそれが誰に呼ばれた事が無くとも。
木々を眺めながらも、うつらうつらと夢の船を漕ぎ始める親友のほっぺを摘んで伸ばし、早苗が帰ってくるまでの時間を稼ぐ。
強引にでも話題を作ればそれを無視して寝るような性格ではないと、付き合いの長さから彼女は知っていたのだ。
果たしてその時は暫時も待たずに訪れる。
右腋に水差しを抱え、左手に盆と三人分の湯飲みを載せた緑巫女がやけに姿勢良く現れたのは、霊夢がそろそろ口裂け女になろうかという頃合いだった。
「はいっと、霊夢さんたら寝ちゃったんですか?」
「気の毒な事にまだだろうな。こんな大口開けて寝るのは男か婆と相場が決まってる」
その瞬間、どこかのマヨイガで眠っているしょうじょがくしゃみと共に目を覚ましたという噂があるが、事実の程は確かではない。
例えそうだとしてもこの三人には関わりの無い話であろう。
閑話休題。
とんとんとん、と盆の上の物を机の上に並べていく様子を見る事なく悲愴な声で魔理沙は言ったのだが、そのせいで早苗が難儀そうな表情をしたのには気付かなかった。
可哀想に、魔理沙はまだ霊夢の額にありありと浮いた青筋に気付いていない。だからといってそれを伝える事もないのだが。
幻想郷では面白そうな事、もしくは面白くなりそうな事を止めるのは、やってはいけないタブーだと早苗は近頃思い始めていた。
なので神様が鬼と呑み比べをしてぐでんぐでんの前後不覚になった時も「まだ呑める、いやイケる」と傍らで只管に囃し立てて上げたのだ。
当然の如く次の日、神は二日酔いでぶっ倒れ蛇のようにぐでぐとぐだを巻いていた。
それを見、早苗は叫んだのだった。『神は死んだ!』と。
語弊の無いよう表すなら頭を抱えてうわごとを呟き、げぇげぇと喚くモノを神だというなら一応生きていた事にはなる。
ただ早苗の世界観ではそれは神とは言えなかった。それだけの事である。
と、回想に耽りつつ水差しから湯飲みに順繰りと水を注いでいたところ、卓の向こうでは魔理沙が霊夢に組み敷かれ、頬とは言わず体のあちこちを抓られたり揉まれたり伸ばされたりしていた。
諸行無常と表せば聞こえはいいが、それにしては少々眼福過ぎる。まさか琵琶法師も自分の唄をキャットファイトなんぞに引用されたくはないだろう。諸手を上げて喜びそうな顔をしているとはいえ。
早苗が水差しを縁側の辺りにまで持っていく間に、二人の諍いは激しさを増していた。もはやどちらが上かも分からない程の乱闘模様である。
暫くは静観していた早苗だが、ついに霊夢がジャーマンスープレックスを決めた所で自分の行動が正しくないと知った。
「ああっ!」
魔理沙の頭がごきっという音と共に畳を突き破り軒下にまでめり込んだから──ではなく、その衝撃で湯飲みが倒れかけたからである。
せっかく黄金比の割合になるよう奇跡を使って注いだのだ、台無しにされてはたまらない。注いだのは水だけれども。
慌てて湯飲みを卓から浮かすも時既に遅し、跳ねた液体は宙を舞い他の湯飲みに飛び込んで行ってしまった。
あの神奈子にすら『ビール注がせて内の早苗の右に出るものは居ない』と言わしめた己の技術の結晶は、脆くもジャーマンスープレックスの前に崩れ去ってしまったのだ。
「ふ、ふふ」
これに怒らずに何に怒れと言うのだろう。
『人を憎まず罪を憎まず、関係なくても妖怪憎し』を地で行く早苗であっても、ここまでの所業を黙殺できるはずがなかった。
「二人とも、そこに直りなさい!」
「あぁン?」
「…………」
怒りのオーラが膨れ上がり、色になって見えそうになる早苗を前にしながらも、二人は不遜の態度を崩す事はない。
霊夢は半切れといった様子で早苗にガンを飛ばしているし、魔理沙に至っては尻を向けたまま返事の一つも寄越さなかった。その前に罪の意識があるのかすら怪しいが。
だがその程度で怯む早苗ではない。最早幻想郷に来た頃の少女少女した自分とは決別したのだから。
早苗は強い子、一人でできるもん。
「他人の心遣いを無碍にする人なんて、絶対許しませんよ!」
その言葉を皮切りに、ぺかーっと赤黄のレーザーを全方位に放っていく。
なんて事はない。乱闘の人数が二人から三人に増えただけの話である。
◇ ◇ ◇
「いたたたたた……」
「あんな無茶するから。いくらあんたが人より丈夫でもフライングクロスチョップは自殺行為よ」
「ノーガードなら当たると思ったんですけどねぇ。見切られるとは完全に予想外でした」
「その前に私の心配はなしか、おい」
ほのぼのとした陽気が三人を包み、縁側に流れる空気を穏やかなものに変えていく。
あの後、早苗の撒き散らかしたレーザーやら霊夢のお札やら魔理沙の破けたドレスやらで居間は壊滅的な被害を受け、とてもじゃないが人の居座れる場所ではなくなってしまった。
そのため苦肉の策として縁側で盆に菓子を並べ、三人でわいわいと談笑しているのである。付け加えるなら全員が巫女服という事くらいか。
「あーくそ、こんな姿知り合いに見られたら何て言やあいいんだか」
「ここに知り合いが居るわけですが、私からは似合ってますよと言っておきます」
「じゃあ私は可愛いかしら。あんたって本当に少女趣味が似合うわよね」
「はいはいそうかよありがとうよ! 畜生め、茶くらい出せっての」
煎餅を遠慮もせずに奪っていく魔理沙に霊夢は僅かばかり眼を細めるも、早苗の取り成しでどうにか矛を収めた。
魔理沙もそれは分かっているのか、それっきり盆に手を伸ばさなくなる。単に喉が乾いただけかもしれないが。
子供っぽいその所作を見て早苗はくすくすと控えめに笑い、霊夢は隠しもせず溜息を吐くのだった。
「だからお茶の葉がないんだってば、暫くすれば届くけどさ」
「ふん、すぐそこにそれっぽいのが居るじゃないか。それを抽出すりゃ良いんだ」
「あ、それは酷いですよ。これは地毛ですから色落ちなんてしませんってば」
背を向け拗ねてしまった魔理沙の背中で、二人は顔を見合わせ困ったように苦笑する。
むっつり顔のこの少女をさてどう笑わすかと考えながら。
しかし結論から言えば、それも杞憂で終わるのだった。
「あ!」
突然、今居る場所から飛び出す勢いで中空をはっしと掴んだ魔理沙に巫女二人は眼を丸くする。
それも一瞬。魔理沙の背中を見ていた二人は彼女が捉えようとした物の形もちゃんと見えていたのだから。
ついでに言えばそれは朝から彼女達が見つけてきた物でもあった。
「桜だ……」
「もう、そんな季節ですからねぇ」
「さっきと言ってることが大して変わらないわよ」
「ありゃそうですか。うーん、もっと辞書と睨めっこするべきでしょうか」
「一応言っとくけど、語彙はそうやって増やすもんじゃないから」
二人がそんな戯けた会話をする間、魔理沙はぼうっとその桜の花びらを見つめていた。
脳裏に浮かんでいるのは雪の異変か無々色の花か。
それとも、桜に舞う巫女の姿か。
「なぁ」
「なに?」
「はい?」
「お前らはさ、桜だったらどれくらいが一番好きなんだ?」
唐突と言えば唐突な魔理沙の言葉に、二人の巫女はハテと首を傾げる。
ただそれを訝しむ事もなく、特に考えない様子で各々の答えを口にした。
「私は満開かしら。ほら、それが一番桜って感じがするし、なんか目出度いわよね」
「私は葉桜ですねぇ。桃に薄っすら緑が混じるのって綺麗だと思うんですよ」
別段特別な答えを期待していたようではなさそうだけれど、その答えを聞いて魔理沙は大きく頷いていた。
ともすれば頭が春なんて揶揄される霊夢はその盛りであろう満開が似合うだろうし、早苗の言う葉桜なんてのも有終の美を感じさせて感慨深い。
「そういうあんたは?」
「えっ? つ、蕾だけど」
「へぇ、どうしてですか?」
聞き返されると思わなかったのか、ここにきて魔理沙はちょっと狼狽した。
それは質問の答えが無いからではなく、知り合いに言うには少し恥ずかしいものだったからだ。
『冬の厳しい寒さにも耐え、春の初め、ゆっくり蕾を膨らませていく姿が可愛らしいから』なんて誰が言えるというのか。
だが二人がそんな葛藤に気付くはずもなく、興味津々といった様子で魔理沙に迫ってくる。
すわ絶体絶命かと思った矢先、魔理沙に天啓が下りてきた。
「理由はあるけど……その前に賭けをしないか?」
「はぁ?」
「賭け、ですか」
「そう、単純なもんだ。お前らで私が蕾を好きだって言う理由を当てる、当てられたら私は秘蔵の酒を持ってこよう。駄目だったらその逆」
その答えは本当の理由とはまた違う。恥ずかしさを面白さに変えられる、さっきの天啓で下りてきたものだ。
にんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべる魔理沙に対し、霊夢と早苗は怪訝そうな顔をする。
それを意に介することもなく、滔々とその続きを述べる彼女は実に楽しそうだ。
「一応言っておくけど、その理由は筋が通ってるしもうヒントも出したぜ。最初から諦めるってんなら答えを教えてやってもいいが、まあそんな事あるはずないよな?」
「……いいわよ、やってやろうじゃない」
「ふふん、これでもクイズなら得意なんですよ」
ここまであからさまに挑発されて「はい諦めます」と言うような神経を持つ者はそう居ないだろう。
勿論この二人もその数少ない例外ではなく、めらめらと闘志を燃やすのだった。
──ただ、それが知恵比べでプラスになるかはまた別の話である。
◇ ◇ ◇
「うー、うーん……」
「……そろそろ諦めたら?」
「まぁまぁ、やるだけやらせてやるさ」
暫く経ったそこにあったのは、頭を抱える緑の巫女と考えるのを止めた紅の巫女、そして不敵に笑う魔法使いの姿だった。
最初こそ二人は元気良く答えを挙げていたのだが、それが悉く外れる内にまず飽きっぽい霊夢が脱落。未だに早苗は健闘しているものの、ギブアップまでそうかからないだろう。
「蕾、つぼみ、ツボミ、アナグラムでもないでしょうし……つぼみがすき、魚にツボミなんて居ましたっけねぇ」
「とりあえずそっち方面の考え方じゃないってだけ言っておくぜ。というかその発想はないな」
「うぐぅ……悔しいですけど、ちょっともう浮かびません」
降参です、と縁側に倒れ伏す早苗を見て魔理沙は満面の笑顔である。
なんせ早苗はこんな状態だし、霊夢だって表面こそ冷静だが心の内では悔しがっているに違いない。
まさかちょっとした閃きがここまで二人を悩ませるとは、閃いた本人すら思ってもいなかっただろう。
「で、答えは何なのよ。言っとくけど下らなかったらこの賭けはナシだからね」
「そうカリカリするなよ。そんな勿体ぶるようなもんでもないし、すぐ言うぜ」
「むー、そう言う割にはそうやって引き伸ばしてるじゃないですか」
早苗の突っ込みに、そりゃ勝者の特権だからな、と魔理沙は心中で苦笑した。
そうでなくとも霊夢には久し振りの白星なのだ。勝利の美酒を楽しむのは長ければ長いほどいい。
ただあまりやり過ぎても二人の視線が怖いから適当に切り上げなければならないが。
「私が蕾が好きな理由は、その後に待ってるものを考えればすぐ分かると思うぜ」
「それならさっき答えましたよ。花とか実とか、色々言ったじゃないですか」
「ふふん、だから分からないんだよ。大事なのは『過程』だからな」
その一言に、霊夢の眉がぴくりと動く。勘の良い彼女の事だからもう気付いたのだろう。
魔理沙の謎掛けは単なる言葉遊びだったという事に。
「はぁ、アホらし。何で分からなかったのかしら」
「えっ! 霊夢さん分かったんですか?」
「考えてもみなさい、蕾ってのはその後には咲くでしょ。で、私達は普通それを望んでる。酒でもやりながらね」
「……そうですね?」
「あんたも大概鈍いわね……」
きょとんと首を傾げる早苗に、霊夢はやれやれといった表情で首を振った。
誠実なのは美徳だが生真面目も過ぎると考え物である。
そう思いはするものの、お陰で極上の酒を楽しめるのだから魔理沙自信はそれを悪いとは言わないが。
「つまりね早苗。私たちは桜を見ながらこう思うわけ。『さけ、さけ、もっと』って」
「……あぁ! そういう事ですか」
「んで、みんながそう思ってるわけだから、いくら酒をねだっても怒られやしない。これがさっきの答えだぜ」
得意満面。それこそ花が咲いたような笑顔を見せる魔理沙に対し、早苗は少し不満顔だ。
だとしても納得はいったのか答えに文句を付ける事はない。それは霊夢も同様で、がしがしと頭を掻きながらもどこかさっぱりとした表情をしている。
「下らないけど一応筋は通ってるし、まあしてやられたわね」
「一杯喰わされたって所でしょうか」
「酒だけにってか。という訳で賭けは私の勝ちだ、今日の宴会には二人ともイイのを持ってきてくれよなっ」
言って、魔理沙は笑いながら縁側を飛び出す。
なんせ晩には宴会なのだ。人間どうし三人だけ、というのも乙だがやはり人は多いほど良い。
その為には今から各所を回って参加者を募るのが一番賢い方法だろう。どうせここに住むのは暇人ばかりなのだから、声をかければすぐ集まるはずだ。
「はいはい、じゃあ今から肴を仕込まないとね」
「あ、手伝いますよ。一人じゃ大変でしょうし」
「二人とも、桜と月と酒に合うツマミを頼むぜ」
春はもうすぐそこまで来ているのだから、まだ蕾と言えども花見をしない方が勿体無い。
これから連日連夜開かれる宴会の事を夢想して、魔理沙は一人ほくそ笑むのだった。
「さぁ、楽しい楽しい花見の始まりだ!」
参道にはどこからか飛ばされてきた落ち葉が散乱し、お世辞にも綺麗とは言い難い有様になっている。
そこで箒をかき鳴らし、少女はざっざかざっざかと境内を清めているのだった。
「あふ……」
隠す事なく欠伸をしながら。
ただそれだって仕方がない。昨夜はごうごうと騒ぐ風により、快適な寝付きが得られなかった。
その上どこから沸いて出たのか、曙近くに春告精が散々喚いて通っていき、流石の巫女でもそれを無視する事は出来なかったのだ。
なお、このリリーは後に巫女がきっかり撃ち落としている。今頃復活して野山を飛び回っている頃だろう。
そんな切っ掛けで早起きを強制されたものだから機嫌は最悪。今も苛立たしげに歯軋りなんかをして雲ばかりが浮かぶ空を威嚇するぐらいである。
一通り済ませたら昼まで寝よう。そう心に誓い巫女はより忙しなく手を動かしていく。
昨日の風で散らかったとはいえ元より枯葉や塵の少ない季節。一人しかいない働き手に対して広い境内なのを考慮しても、長引こうが日が昇るまでには終わるだろう。
頭の中で日が昇りきるまでの予定を組み立てながら着々と作業を進める彼女の眼に、あるものが映り込んでこなかったら。
「……へぇ」
それを見てしまったから、ただ惰眠を貪るのは勿体無いように思えてきたのだ。
◇ ◇ ◇
「お早うございます。霊夢さん、起きてますかー?」
「起きてるから上がってもいいわよ。お茶は出せないけど」
「あれ、珍しいですね。返事が来るとは思いませんでしたが」
「……私を夜行性の動物かなんかと間違えてるんじゃないの。人間は朝起きて夜寝る生物よ」
「霊夢さんは人って言うより巫女って形容した方がしっくりくる気がしますよ」
朝の静謐な空気の中をはきはきとした声が神社に良く通っていく。それは少しだけ反響して、山彦のような響きを持った。
時刻で言えば辰の刻を少し回った辺り。もしここが里の一角でもあれば文句の二つや三つも飛んだであろうがそこはこれ、住む人の口が増えない限り怒号は一つしかあり得ない。
尤も、家主自体がそんな事で声を張り上げる性格でもないのだが。むしろ口で言うくらいなら牙を剥く、を地で行くような人である。
それをどうどうといなし、かわせるようになったのは彼女の成長の証でもあった。動物扱いする事で怒りを煽っている気がしなくもないが。
「分社の世話をしに来たんですが、ちゃんと掃除はしてますか?」
「ちょいちょいやってるわよ。というか世話って、生き物じゃないんだから」
「いやいや、物だってしっかり面倒を見てあげればいずれ魂が宿るのです」
「早苗はその優しさを九十九神のアレにも見せてやったらいいのにね」
「いやだなぁ、妖怪は退治されるのが仕事でしょう」
「……うっわー」
きょとんとした声で空恐ろしい事を話す早苗に、ついげんなりとした声を返してしまうのはある意味当然の事だと言えるだろう。
いくら博麗の巫女でもそれはない。
心の内で気の弱いお化けに合掌と冥福を送っていると、いつの間にかその加害者は障子を開け居間に現れていた。
そして愕然としていた。まるでそこにあるべきものが無い、というような表情を浮かべて。
「う、霊夢さんはもう炬燵はしまっちゃったんですかね」
「ああそりゃね。もう暖かいし、大体あれ炭入ってないから」
気休め程度にしかならないのよ、と続ける赤貧巫女の姿を早苗は直視する事が出来なかった。朝霧が濃くて、目を拭わざるを得なかったからである。
豆炭すら買えない経済事情とはこれ如何に。今度来る時は何か手土産を持って来よう。
人知れず決意を固める少女にも気付かず、巫女は自分の冬の暮らしを滔々と語っていた。
霧散してこの話を聞いていた小鬼が後日、涙ながらに米俵を担いでくるのはまた別の話である。
「そ、そうそう。分社にこんなのが引っかかってましたよ」
「ん?」
強引な話題転換に眉をひそめる事もなく、巫女は差し出されたそれを両手で受け取る。
ぱらぱらと手の器に散ったのは薄い桃色をしたはなびら──桜だった。
地面には落ちていなかったのだろう。淡い色合いのそれは、巫女の手の中でぼんやりと光っているようでもある。
「もう、そんな時期なんですね」
「あんたんとこはまだなの?」
「私達の神社は何分山の頂上にありますから。桜はあってもまだまだ蕾ですよ」
「ふぅん」
それから暫く少女の言う外の世界の理屈というのを延々聞かされたのだが、巫女が睡魔に襲われるような事はなかった。それは身内に似たような喋り方をする者が居たからであり、言い直せば聞き流すのが得意になっていたとも言える。
はいはいと、適当な所で相打ちを打ちながらのお喋り(些か一方的でもあるが)は少女の喉が乾いてつっかえるまでは続いたのだった。
「えー、ごほん。あの、すいませんがお茶を頂けませんかね」
「だから出せないって」
「そんなぁ」
照れ隠しか、少々頬を赤くしながら上ずった声で催促をするも巫女の答えはにべもない。
俄かに沸いた問題に少女が頭を抱えた時、救いの手は意外な方向から差し伸べられた。
「こらこら、早苗にあんま意地悪するなよ。お茶ならいつもそれなりのを揃えてるだろ?」
「う、魔理沙さん。お早うございます」
「理由もなしにそうは言わないわよ。あんたみたいに性格捻じ切れてるわけじゃないんだから」
「ん、お早う。にしても早苗はこんなに素直なのに、霊夢は挨拶の一つも寄越さないなんて酷い話だぜ」
開け放たれた縁側に立っていたのは和式な建物に似合わない洋風の出で立ちをした少女である。
快活そうな目は今は細く伸び、溢れた笑い声を喉の奥で鈴のように鳴らしている。
軽口の応酬が楽しくて仕方ないといった彼女の姿は、少々尖った巫女の気持ちをいくらか落ち着かせる効果があったようだ。
二人の間で気を揉んでいた早苗も、その心配が杞憂で終わりほっと一息といった様子。
「あの、お茶でなくても水でも結構ですし、汲んできますね」
「それなら台所に水差しと表に水瓶があるから、そっから持ってくると良いわよ」
「ちなみに湯飲みは流しの近くだ、ついでだから三人分頼む」
まさに勝手知ったる人の家。鼻歌なんぞを奏でながら台所へ消えていく早苗を見ても、霊夢自信に兎や角咎める気は更々ない。
一々止めるのは面倒臭いのがまず一つ、自分も水が欲しかったのが二つ目で、最後の理由はやっぱり面倒臭いから。
自分で動かずとも他人が代わってくれるというならそれを止めさす馬鹿もいるまい。
さも当然のように卓の下で大の字に寝転ぶ親友を見て、魔理沙はちょっとだけ複雑そうな顔だった。
「こたつ、しまっちゃったのか」
霧雨の、お前もか。
机に掛けられた一枚の煎餅布団もどき、それがどのようにして同年代の少女らの心を掴むのか霊夢には図りかねない事だったが、そういった難しい考えはどこかのパッパラパーな大賢者にでも丸投げすればよかろう。
霊夢は魔理沙の言葉に眉を動かす事もなく、視線を外に向けたまま戻さない。
しかしそれを許してしまってはお祭女の名が廃る。例えそれが誰に呼ばれた事が無くとも。
木々を眺めながらも、うつらうつらと夢の船を漕ぎ始める親友のほっぺを摘んで伸ばし、早苗が帰ってくるまでの時間を稼ぐ。
強引にでも話題を作ればそれを無視して寝るような性格ではないと、付き合いの長さから彼女は知っていたのだ。
果たしてその時は暫時も待たずに訪れる。
右腋に水差しを抱え、左手に盆と三人分の湯飲みを載せた緑巫女がやけに姿勢良く現れたのは、霊夢がそろそろ口裂け女になろうかという頃合いだった。
「はいっと、霊夢さんたら寝ちゃったんですか?」
「気の毒な事にまだだろうな。こんな大口開けて寝るのは男か婆と相場が決まってる」
その瞬間、どこかのマヨイガで眠っているしょうじょがくしゃみと共に目を覚ましたという噂があるが、事実の程は確かではない。
例えそうだとしてもこの三人には関わりの無い話であろう。
閑話休題。
とんとんとん、と盆の上の物を机の上に並べていく様子を見る事なく悲愴な声で魔理沙は言ったのだが、そのせいで早苗が難儀そうな表情をしたのには気付かなかった。
可哀想に、魔理沙はまだ霊夢の額にありありと浮いた青筋に気付いていない。だからといってそれを伝える事もないのだが。
幻想郷では面白そうな事、もしくは面白くなりそうな事を止めるのは、やってはいけないタブーだと早苗は近頃思い始めていた。
なので神様が鬼と呑み比べをしてぐでんぐでんの前後不覚になった時も「まだ呑める、いやイケる」と傍らで只管に囃し立てて上げたのだ。
当然の如く次の日、神は二日酔いでぶっ倒れ蛇のようにぐでぐとぐだを巻いていた。
それを見、早苗は叫んだのだった。『神は死んだ!』と。
語弊の無いよう表すなら頭を抱えてうわごとを呟き、げぇげぇと喚くモノを神だというなら一応生きていた事にはなる。
ただ早苗の世界観ではそれは神とは言えなかった。それだけの事である。
と、回想に耽りつつ水差しから湯飲みに順繰りと水を注いでいたところ、卓の向こうでは魔理沙が霊夢に組み敷かれ、頬とは言わず体のあちこちを抓られたり揉まれたり伸ばされたりしていた。
諸行無常と表せば聞こえはいいが、それにしては少々眼福過ぎる。まさか琵琶法師も自分の唄をキャットファイトなんぞに引用されたくはないだろう。諸手を上げて喜びそうな顔をしているとはいえ。
早苗が水差しを縁側の辺りにまで持っていく間に、二人の諍いは激しさを増していた。もはやどちらが上かも分からない程の乱闘模様である。
暫くは静観していた早苗だが、ついに霊夢がジャーマンスープレックスを決めた所で自分の行動が正しくないと知った。
「ああっ!」
魔理沙の頭がごきっという音と共に畳を突き破り軒下にまでめり込んだから──ではなく、その衝撃で湯飲みが倒れかけたからである。
せっかく黄金比の割合になるよう奇跡を使って注いだのだ、台無しにされてはたまらない。注いだのは水だけれども。
慌てて湯飲みを卓から浮かすも時既に遅し、跳ねた液体は宙を舞い他の湯飲みに飛び込んで行ってしまった。
あの神奈子にすら『ビール注がせて内の早苗の右に出るものは居ない』と言わしめた己の技術の結晶は、脆くもジャーマンスープレックスの前に崩れ去ってしまったのだ。
「ふ、ふふ」
これに怒らずに何に怒れと言うのだろう。
『人を憎まず罪を憎まず、関係なくても妖怪憎し』を地で行く早苗であっても、ここまでの所業を黙殺できるはずがなかった。
「二人とも、そこに直りなさい!」
「あぁン?」
「…………」
怒りのオーラが膨れ上がり、色になって見えそうになる早苗を前にしながらも、二人は不遜の態度を崩す事はない。
霊夢は半切れといった様子で早苗にガンを飛ばしているし、魔理沙に至っては尻を向けたまま返事の一つも寄越さなかった。その前に罪の意識があるのかすら怪しいが。
だがその程度で怯む早苗ではない。最早幻想郷に来た頃の少女少女した自分とは決別したのだから。
早苗は強い子、一人でできるもん。
「他人の心遣いを無碍にする人なんて、絶対許しませんよ!」
その言葉を皮切りに、ぺかーっと赤黄のレーザーを全方位に放っていく。
なんて事はない。乱闘の人数が二人から三人に増えただけの話である。
◇ ◇ ◇
「いたたたたた……」
「あんな無茶するから。いくらあんたが人より丈夫でもフライングクロスチョップは自殺行為よ」
「ノーガードなら当たると思ったんですけどねぇ。見切られるとは完全に予想外でした」
「その前に私の心配はなしか、おい」
ほのぼのとした陽気が三人を包み、縁側に流れる空気を穏やかなものに変えていく。
あの後、早苗の撒き散らかしたレーザーやら霊夢のお札やら魔理沙の破けたドレスやらで居間は壊滅的な被害を受け、とてもじゃないが人の居座れる場所ではなくなってしまった。
そのため苦肉の策として縁側で盆に菓子を並べ、三人でわいわいと談笑しているのである。付け加えるなら全員が巫女服という事くらいか。
「あーくそ、こんな姿知り合いに見られたら何て言やあいいんだか」
「ここに知り合いが居るわけですが、私からは似合ってますよと言っておきます」
「じゃあ私は可愛いかしら。あんたって本当に少女趣味が似合うわよね」
「はいはいそうかよありがとうよ! 畜生め、茶くらい出せっての」
煎餅を遠慮もせずに奪っていく魔理沙に霊夢は僅かばかり眼を細めるも、早苗の取り成しでどうにか矛を収めた。
魔理沙もそれは分かっているのか、それっきり盆に手を伸ばさなくなる。単に喉が乾いただけかもしれないが。
子供っぽいその所作を見て早苗はくすくすと控えめに笑い、霊夢は隠しもせず溜息を吐くのだった。
「だからお茶の葉がないんだってば、暫くすれば届くけどさ」
「ふん、すぐそこにそれっぽいのが居るじゃないか。それを抽出すりゃ良いんだ」
「あ、それは酷いですよ。これは地毛ですから色落ちなんてしませんってば」
背を向け拗ねてしまった魔理沙の背中で、二人は顔を見合わせ困ったように苦笑する。
むっつり顔のこの少女をさてどう笑わすかと考えながら。
しかし結論から言えば、それも杞憂で終わるのだった。
「あ!」
突然、今居る場所から飛び出す勢いで中空をはっしと掴んだ魔理沙に巫女二人は眼を丸くする。
それも一瞬。魔理沙の背中を見ていた二人は彼女が捉えようとした物の形もちゃんと見えていたのだから。
ついでに言えばそれは朝から彼女達が見つけてきた物でもあった。
「桜だ……」
「もう、そんな季節ですからねぇ」
「さっきと言ってることが大して変わらないわよ」
「ありゃそうですか。うーん、もっと辞書と睨めっこするべきでしょうか」
「一応言っとくけど、語彙はそうやって増やすもんじゃないから」
二人がそんな戯けた会話をする間、魔理沙はぼうっとその桜の花びらを見つめていた。
脳裏に浮かんでいるのは雪の異変か無々色の花か。
それとも、桜に舞う巫女の姿か。
「なぁ」
「なに?」
「はい?」
「お前らはさ、桜だったらどれくらいが一番好きなんだ?」
唐突と言えば唐突な魔理沙の言葉に、二人の巫女はハテと首を傾げる。
ただそれを訝しむ事もなく、特に考えない様子で各々の答えを口にした。
「私は満開かしら。ほら、それが一番桜って感じがするし、なんか目出度いわよね」
「私は葉桜ですねぇ。桃に薄っすら緑が混じるのって綺麗だと思うんですよ」
別段特別な答えを期待していたようではなさそうだけれど、その答えを聞いて魔理沙は大きく頷いていた。
ともすれば頭が春なんて揶揄される霊夢はその盛りであろう満開が似合うだろうし、早苗の言う葉桜なんてのも有終の美を感じさせて感慨深い。
「そういうあんたは?」
「えっ? つ、蕾だけど」
「へぇ、どうしてですか?」
聞き返されると思わなかったのか、ここにきて魔理沙はちょっと狼狽した。
それは質問の答えが無いからではなく、知り合いに言うには少し恥ずかしいものだったからだ。
『冬の厳しい寒さにも耐え、春の初め、ゆっくり蕾を膨らませていく姿が可愛らしいから』なんて誰が言えるというのか。
だが二人がそんな葛藤に気付くはずもなく、興味津々といった様子で魔理沙に迫ってくる。
すわ絶体絶命かと思った矢先、魔理沙に天啓が下りてきた。
「理由はあるけど……その前に賭けをしないか?」
「はぁ?」
「賭け、ですか」
「そう、単純なもんだ。お前らで私が蕾を好きだって言う理由を当てる、当てられたら私は秘蔵の酒を持ってこよう。駄目だったらその逆」
その答えは本当の理由とはまた違う。恥ずかしさを面白さに変えられる、さっきの天啓で下りてきたものだ。
にんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべる魔理沙に対し、霊夢と早苗は怪訝そうな顔をする。
それを意に介することもなく、滔々とその続きを述べる彼女は実に楽しそうだ。
「一応言っておくけど、その理由は筋が通ってるしもうヒントも出したぜ。最初から諦めるってんなら答えを教えてやってもいいが、まあそんな事あるはずないよな?」
「……いいわよ、やってやろうじゃない」
「ふふん、これでもクイズなら得意なんですよ」
ここまであからさまに挑発されて「はい諦めます」と言うような神経を持つ者はそう居ないだろう。
勿論この二人もその数少ない例外ではなく、めらめらと闘志を燃やすのだった。
──ただ、それが知恵比べでプラスになるかはまた別の話である。
◇ ◇ ◇
「うー、うーん……」
「……そろそろ諦めたら?」
「まぁまぁ、やるだけやらせてやるさ」
暫く経ったそこにあったのは、頭を抱える緑の巫女と考えるのを止めた紅の巫女、そして不敵に笑う魔法使いの姿だった。
最初こそ二人は元気良く答えを挙げていたのだが、それが悉く外れる内にまず飽きっぽい霊夢が脱落。未だに早苗は健闘しているものの、ギブアップまでそうかからないだろう。
「蕾、つぼみ、ツボミ、アナグラムでもないでしょうし……つぼみがすき、魚にツボミなんて居ましたっけねぇ」
「とりあえずそっち方面の考え方じゃないってだけ言っておくぜ。というかその発想はないな」
「うぐぅ……悔しいですけど、ちょっともう浮かびません」
降参です、と縁側に倒れ伏す早苗を見て魔理沙は満面の笑顔である。
なんせ早苗はこんな状態だし、霊夢だって表面こそ冷静だが心の内では悔しがっているに違いない。
まさかちょっとした閃きがここまで二人を悩ませるとは、閃いた本人すら思ってもいなかっただろう。
「で、答えは何なのよ。言っとくけど下らなかったらこの賭けはナシだからね」
「そうカリカリするなよ。そんな勿体ぶるようなもんでもないし、すぐ言うぜ」
「むー、そう言う割にはそうやって引き伸ばしてるじゃないですか」
早苗の突っ込みに、そりゃ勝者の特権だからな、と魔理沙は心中で苦笑した。
そうでなくとも霊夢には久し振りの白星なのだ。勝利の美酒を楽しむのは長ければ長いほどいい。
ただあまりやり過ぎても二人の視線が怖いから適当に切り上げなければならないが。
「私が蕾が好きな理由は、その後に待ってるものを考えればすぐ分かると思うぜ」
「それならさっき答えましたよ。花とか実とか、色々言ったじゃないですか」
「ふふん、だから分からないんだよ。大事なのは『過程』だからな」
その一言に、霊夢の眉がぴくりと動く。勘の良い彼女の事だからもう気付いたのだろう。
魔理沙の謎掛けは単なる言葉遊びだったという事に。
「はぁ、アホらし。何で分からなかったのかしら」
「えっ! 霊夢さん分かったんですか?」
「考えてもみなさい、蕾ってのはその後には咲くでしょ。で、私達は普通それを望んでる。酒でもやりながらね」
「……そうですね?」
「あんたも大概鈍いわね……」
きょとんと首を傾げる早苗に、霊夢はやれやれといった表情で首を振った。
誠実なのは美徳だが生真面目も過ぎると考え物である。
そう思いはするものの、お陰で極上の酒を楽しめるのだから魔理沙自信はそれを悪いとは言わないが。
「つまりね早苗。私たちは桜を見ながらこう思うわけ。『さけ、さけ、もっと』って」
「……あぁ! そういう事ですか」
「んで、みんながそう思ってるわけだから、いくら酒をねだっても怒られやしない。これがさっきの答えだぜ」
得意満面。それこそ花が咲いたような笑顔を見せる魔理沙に対し、早苗は少し不満顔だ。
だとしても納得はいったのか答えに文句を付ける事はない。それは霊夢も同様で、がしがしと頭を掻きながらもどこかさっぱりとした表情をしている。
「下らないけど一応筋は通ってるし、まあしてやられたわね」
「一杯喰わされたって所でしょうか」
「酒だけにってか。という訳で賭けは私の勝ちだ、今日の宴会には二人ともイイのを持ってきてくれよなっ」
言って、魔理沙は笑いながら縁側を飛び出す。
なんせ晩には宴会なのだ。人間どうし三人だけ、というのも乙だがやはり人は多いほど良い。
その為には今から各所を回って参加者を募るのが一番賢い方法だろう。どうせここに住むのは暇人ばかりなのだから、声をかければすぐ集まるはずだ。
「はいはい、じゃあ今から肴を仕込まないとね」
「あ、手伝いますよ。一人じゃ大変でしょうし」
「二人とも、桜と月と酒に合うツマミを頼むぜ」
春はもうすぐそこまで来ているのだから、まだ蕾と言えども花見をしない方が勿体無い。
これから連日連夜開かれる宴会の事を夢想して、魔理沙は一人ほくそ笑むのだった。
「さぁ、楽しい楽しい花見の始まりだ!」
うめぇ!さけ、さけ、もっと……うめぇ!