しんしんと微かな、それでいて確かに感じられる音が、静寂が満ちる部屋の中に響いてくる。雪の積もる音だ。
部屋の中には灯りが無く、夜の帳が下りた暗さだった。だが、外の積もる雪が月の明かりを照り返して、暗澹とした気分にはさせない。きっと外は、綺麗な月夜にやわらかな雪が静かに降り積もる、まさに幻想的と呼べる光景が広がっているのだろう。だから、むしろ部屋の灯りはいらないのだ。灯りの無い方が、部屋の一面を張る障子の引き戸より差し込んでくる光から、容易にその光景を想像しうると云うものであろう。
ただその光景を楽しむには、あまりにも外は冷たすぎた。その光景が作り出す美しさとは裏腹に、冬の寒さは一部の人妖を除いて、生きとし生けるものに対して辛く厳しい。その冷たさは部屋の中にも容赦なく入り込んで、部屋の空気のみならず、部屋の主である少女の身体の熱をも奪っていたのだ。部屋には暖房器具が形ばかりの炬燵しかなく、少女の手元にある湯呑みのお茶は冷え切ってしまって久しい。実質、彼女を寒さから守っているものといえば、彼女の着ている衣服以外にはその肩に羽織った一枚の毛布だけだった。
美しくも過酷な冬。そんな状況に在りながら、部屋の主の少女、博麗霊夢は凛とした表情と姿勢を崩していなかった。
身体は寒さで僅かに震え、静かに吐くその息は白い。だがその精神は全く揺らぐことなく、静謐な重厚さを以って、霊夢の中にどっしりと構えていた。そうさせるだけの想いが、霊夢の中にはあった。
霊夢はただ、ひたすらに待っているのだ。彼女が心中焦がれて止まない少女の来訪を。
「来た……!」
すぅっと薄目を開けて、霊夢は初めて外を見た。
障子の明かりの中に、ひときわ明るい部分が現れていた。その光は次第に大きくなり、やがて人の形をとって、神社の離れであるこの部屋の外の庭に舞い降りたようなのだ。さくり、と雪を踏む音が聞こえる。自然に頬の温かみが増していくのを、霊夢は自覚していた。
そして、ついに障子が開かれた。
「よぉ、霊夢。待たせたな!」
きらきらと魔法の残滓を纏わせて、輝く恋の魔法使い、霧雨魔理沙が霊夢に向かって笑い掛けていた。
霊夢の口元にも、笑みが浮かぶ。
「待っていたわ。魔理沙」
一年の終わり。寒さを増す幻想郷の、とある冷たい日のことであった。
別にドラマチックなことだとか、そういう事じゃない。何月の何日がどういう日で、それが特別な気持ちにさせるという事はもちろんあることだ。だが今日という日は単に、いつものように霊夢に会うために博麗神社に来た、ただそれだけのことなのだ。まぁ強いて言うなれば、今日は昨日と比べて少し空気が冷たくなったとは思う。冬ってやつは、空を箒で飛ぶのがつらい季節なのだ。
そんな率直な感じ方をしつつも照れ隠しをするのが魔理沙という少女なのだから、離れの部屋の様子を見て思ったことが、自然と口をついて出てくるのも必然なことであった。
「おぉ、今日はまた一段と寒いぜ。そして寒い部屋だぜ。なんでこの部屋は灯りが無いんだ?」
「炬燵が壊れたみたいなのよ。電気が点かなくて」
「だからこんなに暗いのか」
「けど、外が綺麗に見えるのよ。明るいから」
振り返って魔理沙は、あぁなるほど、と納得した。雪が降っているのに、今日は綺麗な月夜なのだ。この明るさが部屋まで届くのなら、それは風情があるだろうと魔理沙は理解する。それならば、電気の点かないことくらいは些細なことでしかないのかもしれない。
帽子や衣服の窪みに溜まった雪を払い落とす。びしょびしょになった帽子を炬燵の脇に置いて、魔理沙は部屋に上がった。
「炬燵は……」
「こっち。魔理沙が座る場所はここよ」
霊夢は片手を上げてふわりふわりと手招くと、自分の隣をぽんぽんと叩いて示した。霊夢の隣には、もう一人くらいは座れそうな空間が空けられている。そこで初めて魔理沙は、ふぅむ?と僅かに首を傾げた。今日の霊夢は、いつも以上に何かしらふわふわとしているように感じたのだ。
炬燵に入って、魔理沙は音が出んばかりにぶるりと震えた。炬燵は本当に冷たかったのである。
「うぉっ、なんだこれは。おい、霊夢」
「だから言ったでしょう。炬燵が壊れたって」
「あ……うん」
「寒いの?」
「寒いぜ」
魔理沙は空を飛んで来た時よりも身体をぶるぶると震わせていた。霊夢はそんな魔理沙の肩を抱き寄せると、自分の毛布の中に招き入れた。
「これでどう?」
「うん……いいな」
霊夢の行動に、魔理沙は顔を赤らめていた。恋人同士なら普通にすることなのだと自覚すると、尚更嬉しさやら恥ずかしさやらが立って仕方なかった。
そっと霊夢の手に自分の手を伸ばす。握りしめた霊夢の手は驚くほど冷たかった。
「これは……霊夢は、平気なのか?」
「何が」
「寒くないのかって」
「ン……」
霊夢はしばし口ごもると、魔理沙を見て言った。
「魔理沙がいるから、平気よ」
どことなく、甘えてくる猫の様に見える目だった。
ますます魔理沙は、今日の霊夢は奇妙だと感じるようになっていた。いつもの霊夢は、孤高で気高く、しかもつかみどころの無い様な性格をしていたが、少なくとも人間を感じさせるような熱はあったのだ。しかし今の霊夢にはそれがない。抱きしめる身体の実感はあるのだが、気品さが漂うばかりで存在が希薄に感じられるのだ。
霊夢を感じるにつれ、手先ばかりでなく身体全体が冷え切っているのが分かった。どれほど長い間こんな寒い部屋に居れば、ここまでになるものなのかと、魔理沙は思う。
「ずっと、待ってたのか?」
魔理沙の問い掛けに、霊夢は頷く。
「そう。ずっと」
「まさか、一週間とか……」
「そんなわけ無いでしょう」
けらけらと霊夢は笑う。
「流石に凍えるわよ」
「ン。まぁな……」
常識的に考えれば、そりゃそうか、と納得はする。だが霊夢の冷たさは、魔理沙の心に強く印象づけるほどのものだった。それは心のしこりとなって、どうしようもなく魔理沙を不安にさせていった。
ここまで冷えてしまっているなんて、どんな想いで霊夢は居たのだろう―――
そんな風に思えるほどに、魔理沙は霊夢のことが心配になっていた。気を抜けば、ここに霊夢は確かにいるのに、そのままいなくなってしまいそうな儚さを感じるほどに……
「霊夢……」
「ここ数日、幻想郷はどことなく賑やかだったわ」
声を掛けようとした魔理沙と霊夢が話し出すのはほぼ同時で、雰囲気に呑まれた魔理沙は口を噤むしかなかった。
「今日は静かね」
「里は……師走だからな。なんだかんだで忙しくて、それで楽しく騒ぐことも多くて。妖魔の連中だって、何かの区切りには敏感に反応するんだろうな…… 年の瀬ってのは皆、そんな風に浮かれるものなんだよな」
「外が、すごく綺麗なのね?」
「あぁ。こういう日は静かな方が良いって、みんな知ってる」
「魔理沙は? どうしてたの」
「……魔法の実験で手が込んでて、それでずっと家に詰めてた。ようやくキリのいい感じになったから、今日は久しぶりに出かけられたんだ」
「そう」
霊夢は頷くと、それきり口を閉ざして静かになった。夜の明るさのせいで、霊夢の横顔はとても美しいものになっていた。そんな霊夢の様子が、ますます魔理沙を感傷的にさせるのだ。その切なさに堪えきれず、魔理沙はせっかく飲み込みかけていた言葉を吐き出してしまっていた。
「……寂しかったんじゃないのか」
「え?」
「霊夢がそんな風に物事を気にするって、あまり無かったことだぜ。今日の霊夢がそんなだから、私は……」
「あぁ。魔理沙、魔理沙」
霊夢が魔理沙の手をぎゅっと握り返す。意外なほどに強い力だった。それで魔理沙は、自分が寒さ以外の理由で震えていたことに気付いたのだった。
「私は大丈夫よ。魔理沙のせいでとても寂しいと思ったり、怒りを感じたりなんてしてない。魔理沙が心配しているようなことは何もないわ」
「そんな……! 私に気遣いなんて」
「優しくて、直情的で、私のことをとても想ってくれる魔理沙。そんな魔理沙だから、私は貴女のことが好きなの」
そしてまだ何か言い続けようとする魔理沙を遮るように、霊夢はその口元に指を当てて言った。
「ねぇ、聞いて? 魔理沙」
「……うん」
魔理沙は霊夢を見た。月明かりに映るその表情は、とても穏やかだった。
「私、今ね、とても幸せな気分なの。それは今、魔理沙が傍にいてくれてるから。でもね、魔理沙がいない時でも、私はそこまで寂しさを感じてなかった。それは、私の心の中にも魔理沙がいてくれてるような気がしてたから。
普通に朝起きて、神社の奉仕をして、そうやって普通の日常を過ごしてるとね、ふと魔理沙のことが浮かぶの。私の想いの中に、突然だけど、自然に入り込んでくるような優しさで、魔理沙が現れるの。前は―――魔理沙のことを好きって意識し出した頃は、それだけで何もかもが手につかなくなって、ぼーっと縁側でお茶を飲むしかなくなったりとか、逆に色々と変なことをしてしまったりとかしてた。魔理沙にも色々としちゃって、迷惑かけたり、ドン引かれたりもしたっけ。それで、そういうのに慣れると、今度は魔理沙が現れないことにすごく寂しさを感じるようになった。魔理沙が来ない時だけじゃなく、魔理沙が心の中に現れてくれないことにも、とても切ない感じがしてた。
でも、今はね……中間くらい? 適度、って言うのかな。私がのんびりしてる時に、ぽんっと現れると、あぁ今日は来てくれたのね、って温かい気持ちになるの。そしてすぅっといなくなっても、また来てくれるって感じるから、落ち着いた気分のままでいられるようになった。むしろ来てくれた後の方が、すごく清々しい気持ちになれる感じがして。きっと魔理沙が、私の雑念とかを払ってくれるような魔法をかけてくれたのかしらね。
幻想郷に流れる空気を感じると、とても不安定になったりすることがあるの。魔理沙には想像できないかもしれないけど、私でも情緒不安定になったりすることはあるのよ。でもそんなときに魔理沙の想いを感じると、とても安心するの。それでこの数日間、幻想郷の空気がとてもざわめいていても、私は落ち着いていられた。だから、私を好いてくれる魔理沙には、とても感謝しているわ。
あぁ、でも、どうなんだろうこの気持ち。やっぱり、普通じゃない感じがするわよね? こういうのって、恋煩い、っていうのかな……」
そこまで言って、霊夢は一旦言葉を切った。俯き加減の霊夢がどこか寂しげに見えるのが、魔理沙には悲しかった。そんなことはないんだ、と霊夢の告白に魔理沙は一切否定する気が無かったからだ。
「ごめんなさい、魔理沙。魔理沙は他人を思いやれる優しさがあるから、私のことを気遣って傷ついてしまったかもしれない。私、魔理沙のおかげで、自分のことが少しずつ分かるようになってきた。それで自分が、想いを表すのが上手くないのにも気づいてる。魔理沙、私ね、今日貴女が来てくれて本当に嬉しく思ってるわ。この感情も、さっき言った気持ちも、とても難しくて、上手く魔理沙に伝えられているかは自信がないけど……
それでも、一番分かってて、とても伝えたいのは、魔理沙が好きって思ってること。それは本当で、だから……」
突然、霊夢の言葉が止まった。しばらく月が雲に隠れていて、久々に明かりで照らし出された霊夢の表情には困惑が浮かんでいた。
どうして話すのを止めるんだ? 私は真面目に聞いてるぜ。ちっとも霊夢は、変じゃないって思ってるんだから。そう言おうとしても、魔理沙は声が出なかった。
霊夢が恐る恐る口を開いた。
「どうして…………どうして、魔理沙は泣いてるの……?」
「……ふぇっ?」
声が出た。と思ったら、鼻に抜けるような声だったことに、魔理沙は恥ずかしさを覚えた。
「私の話、そんなに変なことだった……?」
「あっひっ、いや、違、そんなことは絶対無いぜ」
まともに声を出そうとして尚更変な言い方になったことに、さらに魔理沙は赤面した。それを打ち消すように、大仰に両手を振ってみせる。そんな魔理沙の素振りが場の雰囲気に似つかわしくない可笑しさがあって、思わず霊夢も困惑した表情にふっと笑みを浮かべていた。
―――泣いているだって? 私が?
ようやく余裕が戻ってきた魔理沙は、霊夢の言ったことを振り返って驚きを覚えていた。自分の手を頬に持っていくと、ぬるりとした感触が伝わってくる。魔理沙も肌が冷え切り過ぎて、自分の身の上に起こっていることを感じていなかったのだ。
「あ、霊夢。これ私、凄いことになってないか?」
「うん。凄いわ、魔理沙の顔。とても笑えるわね。鼻まで垂れて」
「あぁ、イヤだ。とっても恥ずかしい……」
魔理沙は袖口で顔を拭こうとして、霊夢に止められた。霊夢が手拭を差し出して魔理沙に言う。
「これで拭きなさい。服が汚れたらみっともないわ」
魔理沙は手拭を受け取ると、それで顔を覆った。魔理沙が予想していた以上に、顔中がベタベタになっていた。霊夢の匂いが、顔中に拡がっていく。その香りが、魔理沙にはとても心地良かった。
「……ねぇ。どうして泣いてたの?」
しばらく間をおいて掛けられた霊夢の問いに、魔理沙は、さて?と首を傾げ、ずびりと鼻をすすった。
「なんでだろうな? 少なくとも、霊夢が変な事をしゃべったから、という訳じゃないけど」
「分からないの?」
「ん。あ、いや、待てよ」
冷静になった頭が、ある一つの可能性を気付かせた。そしてその理由は、確かに尤もらしいと思えるものだった。
「多分だけどな。霊夢がさ、自分のことを話してくれたからだぜ。きっと」
「私が話したから?」
「そう。霊夢に限った事じゃないんだけど、人って、話さないと分からないことってあるんだぜ。人の想いとか、気持ちとかは、特にそう。ただでさえ不安定で、不確定で、分かりにくいもので……言ってる本人ですら、難しいもんなんだ。でもそれを何とかして伝えて、ちゃんと伝わったならば、これほど嬉しいことはないんだ。自分にも、相手にもね。
霊夢はさ、一生懸命に私に伝えようとしてくれただろう? 自分の分かりにくさを自覚しつつも、自分の想いを話してくれた。私は、嬉しかったんだ。伝えようとした内容も、伝えようとしてくれたこと自体も……」
「私の想いは、魔理沙に伝わった?」
「伝わったぜ。私は霊夢のことが好きだからな!」
それは自分でも胸を張って、自信を持って言えることだった。霊夢が何をどう思っていたのか、そして自分のことをどう想ってくれていたのか、それを霊夢自身の口から聞くことが出来て、魔理沙はとても嬉しかったのだ。そして霊夢に対する不安が、測りきれない霊夢の想いを自分が誤解していたことから来ていたのだとも理解したのだった。
好き、という言葉一つ伝えるのに、なんと遠回りをすることか。だがこんな風に理解しあえる瞬間があるからこそ、恋ってやつは本当に面白いのだ。
魔理沙の言葉を聞いた霊夢は、そう、とだけ静かに呟いた。そして、微かに笑ったのだった。
その目には、薄く涙が溜まっていた。
「良かった。私も、魔理沙が好き……」
霊夢はゆっくりと、魔理沙の肩に頭を預けた。魔理沙もそれに応える様に、霊夢の肩に手を伸ばす。霊夢の震えが増しているようで、魔理沙は霊夢の身体をより強く抱きしめた。
相変わらず、霊夢の身体は冷たいままだ。部屋は来た時よりもさらに冷え込んで、二人が息つく度に真っ白な空気が立ち昇る。月の夜明かりはさらに明るさを増して、照らされた霊夢はさらに青白く見えていた。
何故だろうか。
このまま締めるには、魔理沙はあまりにも惜しいような気がしてならなかった。二人の心は通い合い、とても充足した時が流れている。なのに、とても物足りない何かがあるように思えてならないのだ。それが自分たちにとって、とても大事な何かな様な気がして……
―――何故、こんなに互いの熱を感じられないんだ?
「あ」
その瞬間、魔理沙の中に閃きが走った。
「分かった。分かったぜ、霊夢!」
「何が分かったって言うのよ」
「恋が始まるラストピースさ!」
困惑の表情を浮かべる霊夢に、魔理沙は興奮気味に言った。自分の閃きは恐らく間違ってはいないだろう、と魔理沙は確信していた。それを確かめるために、魔理沙は霊夢に問い掛けた。
「なぁ、霊夢。ここ数日間、霊夢は何をしてたんだ?」
「えぇ? ここ数日のこと?」
突然の問いに驚きつつも、霊夢はそれに答えようとして―――キョトンとした表情を浮かべていた。
「あれ、不思議だわ。何をしてたのかしら」
「あぁ、やっぱり」
思った通り、いや思った以上だと、魔理沙は確信した。
霊夢は一途だった。それは魔理沙にも予想外に思うほどだった。恋煩いに惑わされて、霊夢は自分が疎かになっていたのだ。だから放っておくといけないような危うさがあった。この様子では、きっと碌な生活をしていなかったのだろう。それこそ寒さを感じなくなるほどに。
だが、霊夢は一人ではない。魔理沙という、良き理解者がいる。互いに支え合い、補い合うことで恋は成り立つ。魔理沙は恋をそう考えていた。霊夢の欠けているところが分かった今、そこを満たすために恋人の自分が全力を注ぐべき時なのだと、魔理沙は自覚したのだ。
「霊夢はさ、精神面に偏り過ぎだったんだ。それじゃ想いは満たされても、身体が不健康になってしまう。だから私のすべきことはただ一つ。霊夢を暖めることだぜ!」
「でもどうやって?」
「コイツを使うのさ!」
魔理沙は立ち上がると、スカートのポケットをごそごそとさせて何かを取り出した。彼女愛用の八卦炉だ。
左手に持った八卦炉を右手でこつんと小突いた途端、八卦炉から炎が噴き出した。赤色だけではない、様々な色に変化していく虹色の炎だ。その美しさに、霊夢が感嘆の声を上げた。
「あぁ、なんてきれい……」
「魔法の炎だぜ」
「どうしてこんなに綺麗なの?」
「こいつは普通の化学的な炎とは全く違う。魔法は、使用者自身の想いも反映するんだ」
「魔理沙の恋心ね?」
「霊夢への想いだぜ。そう、最初からこうしてりゃ良かったんだ」
「それで、この部屋でも燃やしちゃう?」
「暖めるって言っただろ!」
魔理沙は愉快に言い放つと、八卦炉の炎を右手で根元から掬い取った。魔理沙の右手の上で、炎は消えることなく、むしろ煌きを増して燃え続けていた。
そして魔理沙は声高らかに宣言したのだ。
「これが恋魔法のパワーだぜ!」
魔理沙は右手の炎を握りしめると、それを一気に炬燵の上に振り撒いた。魔理沙の手から放たれた光の帯は炬燵の上に拡がると、流れ落ちる水のように周囲に広がっていった。それに触れた霊夢は、何とも言えない心地良さと温かさを感じていた。これが魔理沙の暖かさなのだ、と霊夢は分かったのだ。
恋魔法はやがて部屋の隅々まで行き渡り、部屋全体を明るく照らし出していた。明るいだけではない。魔理沙の魔法は、暗さで潜んでいた色をも取り戻したのだ。そして暖かさも。部屋の壁や家具の色が変わったわけではない、しかし色鮮やかとしか表現しようのない部屋に、霊夢の部屋はなっていた。部屋を支配していた冬の寒さは、魔理沙の魔法によって欠片も残さず消え去っていた。
部屋全体が、魔理沙の恋によって満たされたのだ。
「我ながら素晴らしいもんだぜ。なぁ、霊夢……」
自画自賛しつつ、どんな顔で驚いているだろうかと期待して霊夢を見た魔理沙は、あっ、と小さく声を上げた。存在が希薄に思えた博麗の巫女は、凛としてそこに座っていたのだ。
魔法によって色と暖かさを取り戻したことで、魔理沙は求めていた少女が最初からそこに居たことに、ようやく気付くことが出来たのだ。
「すごい……とても凄いわ、魔理沙」
「凄いのはこれだけじゃないぜ。ほら」
魔理沙の指差す先に、霊夢の視線が移る。そこには霊夢の実感を取り戻すものが揃っていた。火に掛けられて沸騰する土鍋、ザルに乗せられた白菜を主とする多種の野菜、脂が適度にのった豚の薄肉、煮物といった種々の惣菜、そして二つの熱燗。
魔理沙が熱燗の徳利をおちょこに注いで、霊夢に渡して言った。
「霊夢。心と身体が揃って、初めて恋は始まるんだぜ」
鍋の香りが鼻腔をくすぐる。身体が食事を求めているのだ。魔理沙の言うことは本当に正しいと、霊夢も思ったのだった。
きゅるる、と腹の虫が鳴る。恥ずかしげにはにかみつつ、霊夢は魔理沙に言った。
「ありがとう。魔理沙」
コチンと音が響く。それは二人の心が触れ合った音だった。
部屋の中には灯りが無く、夜の帳が下りた暗さだった。だが、外の積もる雪が月の明かりを照り返して、暗澹とした気分にはさせない。きっと外は、綺麗な月夜にやわらかな雪が静かに降り積もる、まさに幻想的と呼べる光景が広がっているのだろう。だから、むしろ部屋の灯りはいらないのだ。灯りの無い方が、部屋の一面を張る障子の引き戸より差し込んでくる光から、容易にその光景を想像しうると云うものであろう。
ただその光景を楽しむには、あまりにも外は冷たすぎた。その光景が作り出す美しさとは裏腹に、冬の寒さは一部の人妖を除いて、生きとし生けるものに対して辛く厳しい。その冷たさは部屋の中にも容赦なく入り込んで、部屋の空気のみならず、部屋の主である少女の身体の熱をも奪っていたのだ。部屋には暖房器具が形ばかりの炬燵しかなく、少女の手元にある湯呑みのお茶は冷え切ってしまって久しい。実質、彼女を寒さから守っているものといえば、彼女の着ている衣服以外にはその肩に羽織った一枚の毛布だけだった。
美しくも過酷な冬。そんな状況に在りながら、部屋の主の少女、博麗霊夢は凛とした表情と姿勢を崩していなかった。
身体は寒さで僅かに震え、静かに吐くその息は白い。だがその精神は全く揺らぐことなく、静謐な重厚さを以って、霊夢の中にどっしりと構えていた。そうさせるだけの想いが、霊夢の中にはあった。
霊夢はただ、ひたすらに待っているのだ。彼女が心中焦がれて止まない少女の来訪を。
「来た……!」
すぅっと薄目を開けて、霊夢は初めて外を見た。
障子の明かりの中に、ひときわ明るい部分が現れていた。その光は次第に大きくなり、やがて人の形をとって、神社の離れであるこの部屋の外の庭に舞い降りたようなのだ。さくり、と雪を踏む音が聞こえる。自然に頬の温かみが増していくのを、霊夢は自覚していた。
そして、ついに障子が開かれた。
「よぉ、霊夢。待たせたな!」
きらきらと魔法の残滓を纏わせて、輝く恋の魔法使い、霧雨魔理沙が霊夢に向かって笑い掛けていた。
霊夢の口元にも、笑みが浮かぶ。
「待っていたわ。魔理沙」
一年の終わり。寒さを増す幻想郷の、とある冷たい日のことであった。
別にドラマチックなことだとか、そういう事じゃない。何月の何日がどういう日で、それが特別な気持ちにさせるという事はもちろんあることだ。だが今日という日は単に、いつものように霊夢に会うために博麗神社に来た、ただそれだけのことなのだ。まぁ強いて言うなれば、今日は昨日と比べて少し空気が冷たくなったとは思う。冬ってやつは、空を箒で飛ぶのがつらい季節なのだ。
そんな率直な感じ方をしつつも照れ隠しをするのが魔理沙という少女なのだから、離れの部屋の様子を見て思ったことが、自然と口をついて出てくるのも必然なことであった。
「おぉ、今日はまた一段と寒いぜ。そして寒い部屋だぜ。なんでこの部屋は灯りが無いんだ?」
「炬燵が壊れたみたいなのよ。電気が点かなくて」
「だからこんなに暗いのか」
「けど、外が綺麗に見えるのよ。明るいから」
振り返って魔理沙は、あぁなるほど、と納得した。雪が降っているのに、今日は綺麗な月夜なのだ。この明るさが部屋まで届くのなら、それは風情があるだろうと魔理沙は理解する。それならば、電気の点かないことくらいは些細なことでしかないのかもしれない。
帽子や衣服の窪みに溜まった雪を払い落とす。びしょびしょになった帽子を炬燵の脇に置いて、魔理沙は部屋に上がった。
「炬燵は……」
「こっち。魔理沙が座る場所はここよ」
霊夢は片手を上げてふわりふわりと手招くと、自分の隣をぽんぽんと叩いて示した。霊夢の隣には、もう一人くらいは座れそうな空間が空けられている。そこで初めて魔理沙は、ふぅむ?と僅かに首を傾げた。今日の霊夢は、いつも以上に何かしらふわふわとしているように感じたのだ。
炬燵に入って、魔理沙は音が出んばかりにぶるりと震えた。炬燵は本当に冷たかったのである。
「うぉっ、なんだこれは。おい、霊夢」
「だから言ったでしょう。炬燵が壊れたって」
「あ……うん」
「寒いの?」
「寒いぜ」
魔理沙は空を飛んで来た時よりも身体をぶるぶると震わせていた。霊夢はそんな魔理沙の肩を抱き寄せると、自分の毛布の中に招き入れた。
「これでどう?」
「うん……いいな」
霊夢の行動に、魔理沙は顔を赤らめていた。恋人同士なら普通にすることなのだと自覚すると、尚更嬉しさやら恥ずかしさやらが立って仕方なかった。
そっと霊夢の手に自分の手を伸ばす。握りしめた霊夢の手は驚くほど冷たかった。
「これは……霊夢は、平気なのか?」
「何が」
「寒くないのかって」
「ン……」
霊夢はしばし口ごもると、魔理沙を見て言った。
「魔理沙がいるから、平気よ」
どことなく、甘えてくる猫の様に見える目だった。
ますます魔理沙は、今日の霊夢は奇妙だと感じるようになっていた。いつもの霊夢は、孤高で気高く、しかもつかみどころの無い様な性格をしていたが、少なくとも人間を感じさせるような熱はあったのだ。しかし今の霊夢にはそれがない。抱きしめる身体の実感はあるのだが、気品さが漂うばかりで存在が希薄に感じられるのだ。
霊夢を感じるにつれ、手先ばかりでなく身体全体が冷え切っているのが分かった。どれほど長い間こんな寒い部屋に居れば、ここまでになるものなのかと、魔理沙は思う。
「ずっと、待ってたのか?」
魔理沙の問い掛けに、霊夢は頷く。
「そう。ずっと」
「まさか、一週間とか……」
「そんなわけ無いでしょう」
けらけらと霊夢は笑う。
「流石に凍えるわよ」
「ン。まぁな……」
常識的に考えれば、そりゃそうか、と納得はする。だが霊夢の冷たさは、魔理沙の心に強く印象づけるほどのものだった。それは心のしこりとなって、どうしようもなく魔理沙を不安にさせていった。
ここまで冷えてしまっているなんて、どんな想いで霊夢は居たのだろう―――
そんな風に思えるほどに、魔理沙は霊夢のことが心配になっていた。気を抜けば、ここに霊夢は確かにいるのに、そのままいなくなってしまいそうな儚さを感じるほどに……
「霊夢……」
「ここ数日、幻想郷はどことなく賑やかだったわ」
声を掛けようとした魔理沙と霊夢が話し出すのはほぼ同時で、雰囲気に呑まれた魔理沙は口を噤むしかなかった。
「今日は静かね」
「里は……師走だからな。なんだかんだで忙しくて、それで楽しく騒ぐことも多くて。妖魔の連中だって、何かの区切りには敏感に反応するんだろうな…… 年の瀬ってのは皆、そんな風に浮かれるものなんだよな」
「外が、すごく綺麗なのね?」
「あぁ。こういう日は静かな方が良いって、みんな知ってる」
「魔理沙は? どうしてたの」
「……魔法の実験で手が込んでて、それでずっと家に詰めてた。ようやくキリのいい感じになったから、今日は久しぶりに出かけられたんだ」
「そう」
霊夢は頷くと、それきり口を閉ざして静かになった。夜の明るさのせいで、霊夢の横顔はとても美しいものになっていた。そんな霊夢の様子が、ますます魔理沙を感傷的にさせるのだ。その切なさに堪えきれず、魔理沙はせっかく飲み込みかけていた言葉を吐き出してしまっていた。
「……寂しかったんじゃないのか」
「え?」
「霊夢がそんな風に物事を気にするって、あまり無かったことだぜ。今日の霊夢がそんなだから、私は……」
「あぁ。魔理沙、魔理沙」
霊夢が魔理沙の手をぎゅっと握り返す。意外なほどに強い力だった。それで魔理沙は、自分が寒さ以外の理由で震えていたことに気付いたのだった。
「私は大丈夫よ。魔理沙のせいでとても寂しいと思ったり、怒りを感じたりなんてしてない。魔理沙が心配しているようなことは何もないわ」
「そんな……! 私に気遣いなんて」
「優しくて、直情的で、私のことをとても想ってくれる魔理沙。そんな魔理沙だから、私は貴女のことが好きなの」
そしてまだ何か言い続けようとする魔理沙を遮るように、霊夢はその口元に指を当てて言った。
「ねぇ、聞いて? 魔理沙」
「……うん」
魔理沙は霊夢を見た。月明かりに映るその表情は、とても穏やかだった。
「私、今ね、とても幸せな気分なの。それは今、魔理沙が傍にいてくれてるから。でもね、魔理沙がいない時でも、私はそこまで寂しさを感じてなかった。それは、私の心の中にも魔理沙がいてくれてるような気がしてたから。
普通に朝起きて、神社の奉仕をして、そうやって普通の日常を過ごしてるとね、ふと魔理沙のことが浮かぶの。私の想いの中に、突然だけど、自然に入り込んでくるような優しさで、魔理沙が現れるの。前は―――魔理沙のことを好きって意識し出した頃は、それだけで何もかもが手につかなくなって、ぼーっと縁側でお茶を飲むしかなくなったりとか、逆に色々と変なことをしてしまったりとかしてた。魔理沙にも色々としちゃって、迷惑かけたり、ドン引かれたりもしたっけ。それで、そういうのに慣れると、今度は魔理沙が現れないことにすごく寂しさを感じるようになった。魔理沙が来ない時だけじゃなく、魔理沙が心の中に現れてくれないことにも、とても切ない感じがしてた。
でも、今はね……中間くらい? 適度、って言うのかな。私がのんびりしてる時に、ぽんっと現れると、あぁ今日は来てくれたのね、って温かい気持ちになるの。そしてすぅっといなくなっても、また来てくれるって感じるから、落ち着いた気分のままでいられるようになった。むしろ来てくれた後の方が、すごく清々しい気持ちになれる感じがして。きっと魔理沙が、私の雑念とかを払ってくれるような魔法をかけてくれたのかしらね。
幻想郷に流れる空気を感じると、とても不安定になったりすることがあるの。魔理沙には想像できないかもしれないけど、私でも情緒不安定になったりすることはあるのよ。でもそんなときに魔理沙の想いを感じると、とても安心するの。それでこの数日間、幻想郷の空気がとてもざわめいていても、私は落ち着いていられた。だから、私を好いてくれる魔理沙には、とても感謝しているわ。
あぁ、でも、どうなんだろうこの気持ち。やっぱり、普通じゃない感じがするわよね? こういうのって、恋煩い、っていうのかな……」
そこまで言って、霊夢は一旦言葉を切った。俯き加減の霊夢がどこか寂しげに見えるのが、魔理沙には悲しかった。そんなことはないんだ、と霊夢の告白に魔理沙は一切否定する気が無かったからだ。
「ごめんなさい、魔理沙。魔理沙は他人を思いやれる優しさがあるから、私のことを気遣って傷ついてしまったかもしれない。私、魔理沙のおかげで、自分のことが少しずつ分かるようになってきた。それで自分が、想いを表すのが上手くないのにも気づいてる。魔理沙、私ね、今日貴女が来てくれて本当に嬉しく思ってるわ。この感情も、さっき言った気持ちも、とても難しくて、上手く魔理沙に伝えられているかは自信がないけど……
それでも、一番分かってて、とても伝えたいのは、魔理沙が好きって思ってること。それは本当で、だから……」
突然、霊夢の言葉が止まった。しばらく月が雲に隠れていて、久々に明かりで照らし出された霊夢の表情には困惑が浮かんでいた。
どうして話すのを止めるんだ? 私は真面目に聞いてるぜ。ちっとも霊夢は、変じゃないって思ってるんだから。そう言おうとしても、魔理沙は声が出なかった。
霊夢が恐る恐る口を開いた。
「どうして…………どうして、魔理沙は泣いてるの……?」
「……ふぇっ?」
声が出た。と思ったら、鼻に抜けるような声だったことに、魔理沙は恥ずかしさを覚えた。
「私の話、そんなに変なことだった……?」
「あっひっ、いや、違、そんなことは絶対無いぜ」
まともに声を出そうとして尚更変な言い方になったことに、さらに魔理沙は赤面した。それを打ち消すように、大仰に両手を振ってみせる。そんな魔理沙の素振りが場の雰囲気に似つかわしくない可笑しさがあって、思わず霊夢も困惑した表情にふっと笑みを浮かべていた。
―――泣いているだって? 私が?
ようやく余裕が戻ってきた魔理沙は、霊夢の言ったことを振り返って驚きを覚えていた。自分の手を頬に持っていくと、ぬるりとした感触が伝わってくる。魔理沙も肌が冷え切り過ぎて、自分の身の上に起こっていることを感じていなかったのだ。
「あ、霊夢。これ私、凄いことになってないか?」
「うん。凄いわ、魔理沙の顔。とても笑えるわね。鼻まで垂れて」
「あぁ、イヤだ。とっても恥ずかしい……」
魔理沙は袖口で顔を拭こうとして、霊夢に止められた。霊夢が手拭を差し出して魔理沙に言う。
「これで拭きなさい。服が汚れたらみっともないわ」
魔理沙は手拭を受け取ると、それで顔を覆った。魔理沙が予想していた以上に、顔中がベタベタになっていた。霊夢の匂いが、顔中に拡がっていく。その香りが、魔理沙にはとても心地良かった。
「……ねぇ。どうして泣いてたの?」
しばらく間をおいて掛けられた霊夢の問いに、魔理沙は、さて?と首を傾げ、ずびりと鼻をすすった。
「なんでだろうな? 少なくとも、霊夢が変な事をしゃべったから、という訳じゃないけど」
「分からないの?」
「ん。あ、いや、待てよ」
冷静になった頭が、ある一つの可能性を気付かせた。そしてその理由は、確かに尤もらしいと思えるものだった。
「多分だけどな。霊夢がさ、自分のことを話してくれたからだぜ。きっと」
「私が話したから?」
「そう。霊夢に限った事じゃないんだけど、人って、話さないと分からないことってあるんだぜ。人の想いとか、気持ちとかは、特にそう。ただでさえ不安定で、不確定で、分かりにくいもので……言ってる本人ですら、難しいもんなんだ。でもそれを何とかして伝えて、ちゃんと伝わったならば、これほど嬉しいことはないんだ。自分にも、相手にもね。
霊夢はさ、一生懸命に私に伝えようとしてくれただろう? 自分の分かりにくさを自覚しつつも、自分の想いを話してくれた。私は、嬉しかったんだ。伝えようとした内容も、伝えようとしてくれたこと自体も……」
「私の想いは、魔理沙に伝わった?」
「伝わったぜ。私は霊夢のことが好きだからな!」
それは自分でも胸を張って、自信を持って言えることだった。霊夢が何をどう思っていたのか、そして自分のことをどう想ってくれていたのか、それを霊夢自身の口から聞くことが出来て、魔理沙はとても嬉しかったのだ。そして霊夢に対する不安が、測りきれない霊夢の想いを自分が誤解していたことから来ていたのだとも理解したのだった。
好き、という言葉一つ伝えるのに、なんと遠回りをすることか。だがこんな風に理解しあえる瞬間があるからこそ、恋ってやつは本当に面白いのだ。
魔理沙の言葉を聞いた霊夢は、そう、とだけ静かに呟いた。そして、微かに笑ったのだった。
その目には、薄く涙が溜まっていた。
「良かった。私も、魔理沙が好き……」
霊夢はゆっくりと、魔理沙の肩に頭を預けた。魔理沙もそれに応える様に、霊夢の肩に手を伸ばす。霊夢の震えが増しているようで、魔理沙は霊夢の身体をより強く抱きしめた。
相変わらず、霊夢の身体は冷たいままだ。部屋は来た時よりもさらに冷え込んで、二人が息つく度に真っ白な空気が立ち昇る。月の夜明かりはさらに明るさを増して、照らされた霊夢はさらに青白く見えていた。
何故だろうか。
このまま締めるには、魔理沙はあまりにも惜しいような気がしてならなかった。二人の心は通い合い、とても充足した時が流れている。なのに、とても物足りない何かがあるように思えてならないのだ。それが自分たちにとって、とても大事な何かな様な気がして……
―――何故、こんなに互いの熱を感じられないんだ?
「あ」
その瞬間、魔理沙の中に閃きが走った。
「分かった。分かったぜ、霊夢!」
「何が分かったって言うのよ」
「恋が始まるラストピースさ!」
困惑の表情を浮かべる霊夢に、魔理沙は興奮気味に言った。自分の閃きは恐らく間違ってはいないだろう、と魔理沙は確信していた。それを確かめるために、魔理沙は霊夢に問い掛けた。
「なぁ、霊夢。ここ数日間、霊夢は何をしてたんだ?」
「えぇ? ここ数日のこと?」
突然の問いに驚きつつも、霊夢はそれに答えようとして―――キョトンとした表情を浮かべていた。
「あれ、不思議だわ。何をしてたのかしら」
「あぁ、やっぱり」
思った通り、いや思った以上だと、魔理沙は確信した。
霊夢は一途だった。それは魔理沙にも予想外に思うほどだった。恋煩いに惑わされて、霊夢は自分が疎かになっていたのだ。だから放っておくといけないような危うさがあった。この様子では、きっと碌な生活をしていなかったのだろう。それこそ寒さを感じなくなるほどに。
だが、霊夢は一人ではない。魔理沙という、良き理解者がいる。互いに支え合い、補い合うことで恋は成り立つ。魔理沙は恋をそう考えていた。霊夢の欠けているところが分かった今、そこを満たすために恋人の自分が全力を注ぐべき時なのだと、魔理沙は自覚したのだ。
「霊夢はさ、精神面に偏り過ぎだったんだ。それじゃ想いは満たされても、身体が不健康になってしまう。だから私のすべきことはただ一つ。霊夢を暖めることだぜ!」
「でもどうやって?」
「コイツを使うのさ!」
魔理沙は立ち上がると、スカートのポケットをごそごそとさせて何かを取り出した。彼女愛用の八卦炉だ。
左手に持った八卦炉を右手でこつんと小突いた途端、八卦炉から炎が噴き出した。赤色だけではない、様々な色に変化していく虹色の炎だ。その美しさに、霊夢が感嘆の声を上げた。
「あぁ、なんてきれい……」
「魔法の炎だぜ」
「どうしてこんなに綺麗なの?」
「こいつは普通の化学的な炎とは全く違う。魔法は、使用者自身の想いも反映するんだ」
「魔理沙の恋心ね?」
「霊夢への想いだぜ。そう、最初からこうしてりゃ良かったんだ」
「それで、この部屋でも燃やしちゃう?」
「暖めるって言っただろ!」
魔理沙は愉快に言い放つと、八卦炉の炎を右手で根元から掬い取った。魔理沙の右手の上で、炎は消えることなく、むしろ煌きを増して燃え続けていた。
そして魔理沙は声高らかに宣言したのだ。
「これが恋魔法のパワーだぜ!」
魔理沙は右手の炎を握りしめると、それを一気に炬燵の上に振り撒いた。魔理沙の手から放たれた光の帯は炬燵の上に拡がると、流れ落ちる水のように周囲に広がっていった。それに触れた霊夢は、何とも言えない心地良さと温かさを感じていた。これが魔理沙の暖かさなのだ、と霊夢は分かったのだ。
恋魔法はやがて部屋の隅々まで行き渡り、部屋全体を明るく照らし出していた。明るいだけではない。魔理沙の魔法は、暗さで潜んでいた色をも取り戻したのだ。そして暖かさも。部屋の壁や家具の色が変わったわけではない、しかし色鮮やかとしか表現しようのない部屋に、霊夢の部屋はなっていた。部屋を支配していた冬の寒さは、魔理沙の魔法によって欠片も残さず消え去っていた。
部屋全体が、魔理沙の恋によって満たされたのだ。
「我ながら素晴らしいもんだぜ。なぁ、霊夢……」
自画自賛しつつ、どんな顔で驚いているだろうかと期待して霊夢を見た魔理沙は、あっ、と小さく声を上げた。存在が希薄に思えた博麗の巫女は、凛としてそこに座っていたのだ。
魔法によって色と暖かさを取り戻したことで、魔理沙は求めていた少女が最初からそこに居たことに、ようやく気付くことが出来たのだ。
「すごい……とても凄いわ、魔理沙」
「凄いのはこれだけじゃないぜ。ほら」
魔理沙の指差す先に、霊夢の視線が移る。そこには霊夢の実感を取り戻すものが揃っていた。火に掛けられて沸騰する土鍋、ザルに乗せられた白菜を主とする多種の野菜、脂が適度にのった豚の薄肉、煮物といった種々の惣菜、そして二つの熱燗。
魔理沙が熱燗の徳利をおちょこに注いで、霊夢に渡して言った。
「霊夢。心と身体が揃って、初めて恋は始まるんだぜ」
鍋の香りが鼻腔をくすぐる。身体が食事を求めているのだ。魔理沙の言うことは本当に正しいと、霊夢も思ったのだった。
きゅるる、と腹の虫が鳴る。恥ずかしげにはにかみつつ、霊夢は魔理沙に言った。
「ありがとう。魔理沙」
コチンと音が響く。それは二人の心が触れ合った音だった。
レイマリは結婚すべし。今年はいい年になりそうです。
しかし鍋を召喚できるのは凄い便利ですねぇ…霊夢がお腹空かしてる時限定っぽいけど。
*冬の夜の、雪明りの静寂という雰囲気を丁寧に作ろうという作者の姿勢がうかがえる。
*序盤、
「夜の暗さ」だが、「雪と月で明るい」だが、「冷たい・寒い」だが、「凛とした表情と姿勢」だが、「僅かに震え」だが「精神は揺らぐことなく」……といった感じで、逆接が連なって少々混乱する。
第三者の視点か、霊夢の視点か中途で判別しにくかった。
「明るい夜だった。天には円形の月が、地には一面の雪が、それぞれの白さを引き立てあっていた。しんとした冷たさが満ちている。霊夢の身体をむしばむ冷気である。しかし、炬燵の中で震えながらも、彼女の目は静かな熱を帯びていた」などとまとめるのも手か。
*個人的には久々にストレートど真ん中な百合を読んだ。
*盛り上げどころを一つに限定しておいて、そこまで溜めて溜めて、という流れが良かったか、あるいは、テーマを一貫しておいて、重ねて重ねる流れにした方が良かったか、それともその両方か。
そう思ってしまうのは、やや散漫な印象を読了した後に感じたから。
恐らく作者がやりたかったのは、「心と身体が揃って『恋』」というテーマにして、象徴及びクライマックスに「八卦炉の炎」を持ってくるというものではなかったかと推測するが、より良いものにできる余地がまだある。
たとえば、魔理沙を精神的なものとして愛おしさを感じていたのを、匂いや触感を含めた五感で愛するように変化する描写を強調するなど。
また、たとえば、魔理沙の想いを反映した八卦炉の炎を、部屋を暖めることに使わず、魔理沙自身を暖めることに使い、想いの熱を帯びた魔理沙がその身体で霊夢を暖めるとか。
*次回作にも期待します。
感想、及びご指摘ありがとうございます。
作者にとってこのように丁寧な指摘はとても有難いものであり、拝して耳を傾けなければならないものと理解しております。
主語述語の食い違いは、これは文法のミスですので修正しておきます。
序盤の描写は、陰でありながら陽であると矛盾しつつも、それをそういう風に如何に自然に表すかに苦心しました。何故そんな表現をしようとしたかと言いますと、一番最後の魔理沙が霊夢を認識する場面に繋がるヒントとなり得る様に、と考えたからです。
魔理沙の目からは存在感が薄く感じられる霊夢ですが、その代わりに人一倍その想いは強い。それを最初に示し、強調しようとしたのがこの描写なのです。「夜の暗さ」だが「雪と月で明るい」であり、「冷たい・寒い」だが「凛とした表情と姿勢」であり、「僅かに震え」だが「精神は揺らぐことなく」なのです。外の情景は雰囲気であり、その後の霊夢の描写は彼女の一途さを強調することを意図したのです。
霊夢にとって、魔理沙への想いは彼女の全てであり実体でした。ですから想いを実体化する魔理沙の恋魔法によって、霊夢が実は『最初から』そこに居たことに気付く……というのが、読み手に解釈させる私の意図の一つだったのです。
その一番最初の段階で読み手を困惑させるような表現の違和感があったということは、非常に拙いことだと認識しています。ご指摘のような表現で手堅くまとめるのも、一手であったかもしれません。
序盤の描写は霊夢主体の第三者視点です。霊夢周りを重点的に描写しつつ、第三者的に周辺を描写しようと心がけました。ですが判別に困るという指摘が出るという事は、まだまだ表現の未熟さを痛感いたします。
魔理沙の来訪後は魔理沙視点で描かれていきますが、最後の部分だけ都合上霊夢視点になっています。ここも出来れば魔理沙視点のまま物語の展開をしたかった部分ではあります。
散漫な印象を受けたストーリー展開ですが、これは私の悩み込んだ末のベストでした。やはりテーマは外したくないと思い、霊夢の告白の後に解決策で魔理沙の恋魔法という展開に決めたのです。しかし指摘を見る限りでは、ヤマ場が二つ出来たことによるその間の冗長感が避けられなかったかと、惜念するばかりであります。
クライマックスの描写の指摘ですが、まさにおっしゃる通りです。心身揃っての恋、という在り方に対する答えとして、私は八卦炉の炎を象徴としたのですが、その解答を恋魔法に頼り過ぎたきらいは確かにあったように思われます。
五感で愛するように変化するという提案には、おぉ、と感心します。確かにそのように描写すれば、より一層霊夢の変化が分かりやすく出るだろうと思われます。惜しむべくは、何故その発想が創作中に出なかったのか、という事ですね……!
本当に御丁寧な指摘の数々、重ねて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
次作が完成しましたら、またその時はよろしくお願いします。(拝)
*以下の逆説が並列されるならば問題は無い。
①「夜の暗さ」←→「雪と月で明るい」
②「冷たい・寒い」←→「凛とした表情と姿勢」
③「僅かに震え」←→「精神は揺らぐことなく」
霊夢が雪と月の明るさを備えているような印象を持てさえする。
しかし、ここからさらに「①←→②←→③」でつなげると難しい。
逆説は「前者と後者の性質が反対」という以外に、「前者より後者の方が重要」という意味を含んでいる。
ゆえに、「①←→②←→③」になってしまうと、読者としてはどこに力点があるのかをとらえにくくなる。
加えて、その流れのまま、第三者的視点から霊夢視点に変化しているので、より混乱を招きやすい。逆説が並列されたままなら引っかかるところではなかったかもしれない。
作者の狙いを否定するものではない。
*「心に偏った恋」を「心身揃っての恋」にするには、「身体」を足す必要があるわけで、そうなると「八卦炉の炎=魔理沙の心」を足すのは、もっと上手いやり方があったのではないかな、と思った次第。
*乱文にて失礼。
詳しくコメつけてる人も感心します。なるほどと。
確かに恋の魔法はもう一声ほしいと感じました。
稚拙な日本語力を発揮するなら、冬の空気が好きです。(アレー?)
こういう綺麗な恋愛モノに憧れます。
・・・。ただ霊夢の台詞が少し読み辛かったなというのがありました。