日が暮れていく。博麗神社から見える幻想郷の世界が、オレンジに染まっていった。
その頃に、博麗霊夢、上白沢慧音、八雲藍の三人は解散をすることにした。
揃って、まだ心の整理が終わっていない。だから、明日また集まることを約束し、それぞれの家へと帰っていった。
神社に突如現れた紫の書は、藍が預かることに決定した。藍は神社に置いておけと主張したが、霊夢が読んで明日の相談をまとめろと押し切りそういう決定に至った。
面倒だから押し付けた。それも勿論本音である。けれど、紫の遺したものを少しでも藍に与えたいという思いもあってのことであった。
「……まったく。今日は気の休まらない日だったわね」
二人を見送ってから、霊夢は大の字に寝そべった。
そろそろ夕餉の支度をしなくてはいけないというのに、食欲が湧かない。
はぁ、と、溜め息がこぼれる。一人になったからだろうか、やたらと気が重い。
「何も食べずに、このまま寝ちゃおうかなぁ」
目を塞ぐように腕を顔に乗せる。光が消えると、なんだかこのまま眠ってしまいそうに思えた。
けれど、それにしたってせめて着替えないといけない。
霊夢は、自分の顔から腕を退かした。
「何にも食べないのは体に毒よ」
「うわぁ!?」
思わず絶叫。
目を開けたら、寝そべっている自分の顔を覗き込んでいる人物がいた。それに驚いた霊夢は、バクバクと早まる心臓を押さえつつ、その相手から距離を取るように飛び起きる。
その俊敏な行動に驚いた様子もなく、侵入者はそんな霊夢を平然と眺めていた。
「おはよう、霊夢」
「あ、アリス?」
冷静になって相手の顔を見てみれば、それは見覚えのある相手であった。
顔を上から覗き込んでいたのは、魔法の森に住む魔法使い、アリス=マーガトロイド。いや、七色の人形遣いと紹介した方が適切だろうか。
「こんばんは。でも、珍しく不用心じゃない」
片手を小さく挙げ、親しみを込めた挨拶を送る。
玄関に鍵をしないことも、戸締まりをろくにしないのも霊夢にとっては既に日常となっている。けれど、目の前まで誰かが近付いているのに気付かなかったのは、果たしていつ以来だろうか。
しかし、どうしてこんな時間にアリスが来たのか、と思い訊ねようとするが、それよりも早くアリスが口を開く。
「あれ? 魔理沙はまだ来てないの?」
不思議そうな顔で辺りを見渡しながら、そう訊ねてきた。訊ねられたので気配を探ってみるが、少なくとも神社に魔理沙がいそうな感じはしない。
そもそも、何故ここに魔理沙がいるというのか。特に約束はしていないはずだ。と、気配を探ってから気になった。
「なんで魔理沙?」
「さっき魔理沙とお茶を飲んでいたんだけど、そしたら何か突然、宇宙の電波でも受信したみたいに立ち上がって、鍋を囲みたいって言い出したの。それで、二人で鍋を?って訊いたら、あの鬼娘を呼んで神社で食べたい、って」
よく見れば、アリスは袋を両手で抱えている。恐らくその中に鍋の具材が入っているのだろう。
よくも会場主と相談もなしでそこまで決定できるものだと、いつものことながら頭を掻きつつ呆れる。勝手知ったる人の神社、とでもいうところだろうか。
「それで、当人は? まだ来てないわよ」
「おかしいわね。先に行くって言って、私より随分早くこっちに向かったみたいだったのに」
迷った、とは思えない。何か良からぬ物を調達しているのか。あるいは鬼の娘、伊吹萃香を誘うのに苦労をしているのか。後者は良いが、前者ならどうしてくれよう。そんなことを、霊夢とアリスはほぼ同時に考えていた。
「それで、何の鍋?」
「はい、これ」
質問には直接答えず、持ってきた手提げをズイッと差し出した。受け取って確認してみると、それほど中身は入っていない。
「ほうれん草と豚肉……常夜鍋?」
「に、なるわよね。一応豆腐も持って来たんだけど、何せ準備する時間がなかったからこれしか揃えられなかったのよ」
常夜鍋とは、簡単に言うと豚肉とほうれん草だけ、あるいはそれをメインとした鍋である。鍋で言うのなら、湯豆腐に通じるご家庭の手抜……もとい、簡単料理だ。
霊夢は少し考える。この季節感を感じさせないほぼ無季節鍋から見て、本当に単純に、何でも良いから鍋が食べたくなったのだろう。
……今日は鍋に縁のある日だなぁ。
ふとそんなことを思いつつ、何か魔理沙の勝手な思いつきに従うのがほんの少しだけ悔しくも思えた。
とはいえ、何も食べる気がなかった霊夢には、仕方なくではあるがとりあえず夕飯の献立が決定し、更に食べなければならない雰囲気も作られる。そう考えれば、そう悪くない。
「仕方ないわね。それじゃ、四人分くらいご飯炊いてくるわ」
「お願い。あ、鍋ってどこにある?」
「ちょっと待ってて。持ってくる」
台所へ向かうと、しばらくしてから水を入れた土鍋を持ってきた。既に、中に昆布と酒は入っている。
「……なんだか随分お酒が香るけど、どのくらい入れたの?」
「水と酒を均等に」
「多くない!?」
「あー……良く考えると多いわね。あ、うちで飯を食う奴って酒に強いの多いから、いつの間にか調理の酒量が増えてっちゃったのかも」
「……まぁいいけど。でも、その内に全部酒の鍋になったりはしないでね」
「ありそうじゃない?」
「でも、私は嫌」
その土鍋を机に置くと、霊夢はご飯の用意を始める為に台所へ向かう。
米をとぎながら、霊夢は大声を上げてアリスに声を掛けた。
「そういえば、コンロは魔理沙から借りてる?」
「まさか。魔理沙があれを貸してくれるわけないでしょ」
コンロ=ミニ八卦炉。
「ってことは、煮て待つことはできないわね」
「来たらすぐに準備させるわ」
「ところで、なんで魔理沙とお茶なんか飲んでたの?」
「本持ってこうとするから、お茶淹れるから家で読んでいけって言ったのよ」
「なるほど」
「家出娘の監視くらいやったら。巫女さん」
「自立の精神的な支援なら慧音辺りに任せるわ。近くには霖之助さんもいるし」
「道楽商売の道具屋の方は、あんまり当てにならない気がするなぁ……あ、来たみたい」
空を飛ぶ白と黒の魔女。急いでいる様子はなく、まだ欠けている月の夜をぼんやりと漂っていた。
それを、縁側に立ってアリスが急かすと、魔理沙は少しばかり速度を上げて庭に着地した。魔理沙が玄関から神社の中に入ってきたのは、霊夢が米をとぎ終わるだった。
アリスと魔理沙が何か話している声が聞こえてくる。
といだ米をザルに取って水を切りながら、二人の声を聞いていた。けれど何故だろう。二人の声が今日に限って、やたらと遠く聞こえた。
「……そうか」
それが、自分が結界と知ったからだと気付く。
人間だとか、妖怪だとか、それほど霊夢は気にしたことがなかった。けれど、魔理沙やアリスは実在して、自分は幻。そう思うと、何か知らぬ間に境界線を引かれてしまったような、陰鬱な気分になった。
「話し相手が欲しいのかなぁ? そんな顔で炊かれたら、お米が萎んじゃうよ」
突然、霊夢の横に一人の少女が現れる。
けれど、彼女が来ることをアリスから聞いていたので驚きはしない。
「そうね。ちょっと暇だったから丁度良いわ」
「あははは。驚くこと期待したけど無理か。もっと油断してる時じゃないとねぇ」
少女の名は伊吹萃香。左右に飛び出した巨大な角が、日本の童話で有名な鬼であるとおうことをこれでもかと主張している。そんな角を見て、霊夢は少し考える。
角といえば鬼。しかし、その角も立派すぎる為、一歩間違うと鹿にも通じる。この少女の小動物じみた見た目の雰囲気からだと、どっちかといえば子鹿の印象もないでもない。ただ、そうするとこの個体は雄ということになってしまうが。
と、まったく意味のない思考をしてから、何の脈絡もなく霊夢はあることに思い当たった。
「もしかして魔理沙やアリスを萃めたのって、萃香の仕業?」
「そだよ」
霊夢の発言はあくまで思いつきであり、確信なんてなかった。しかし、それに素直に萃香は答える。
「鬼って正直者で便利ね」
これほど黒幕に向かない種族もないな、などと思ったりした。
「便利って言われると何か嬉しくないなぁ」
「あら、正直者は良いことよ。どこかの閻魔が喜ぶわ」
「だとしたらもう少し耳触りの良い言葉で褒めて欲しいね」
まだ少し早いけどまぁいいかと思いながら、米を釜に移して水を入れ、蓋をしてから火に掛ける。
霊夢は火の加減を見てから、萃香の方に向き直った。
「ところで、何で二人を?」
「正直な鬼は訊かれれば答えるけど、私が答えるまでもないことなんじゃないかな」
「……それもそうね」
言われるまでもなく、今回の件で沈んでいるであろう霊夢を元気付ける為に他ならない。そしてそれを自覚できてしまうほど、霊夢はまだショックを受けていたのだ。
ふと、今になって霊夢は、紫の挙げた結界の名前の中に萃香の名前が入っていたことを思い出す。
「そういえば、萃香もそうなんだっけ」
「あ、忘れてたな」
気付いているものだと思っていたようで、不満そうな表情を作る。
白菜を取り出して、まな板の上に置く。鍋の具があまりに寂しそうなので、せめて白菜くらいは入れようと思ったのだ。
「おーい霊夢。ちょっとこっち来てくれよ」
と、包丁を霊夢が握るより先に魔理沙の声が響く。
「何? ご飯はまだよ?」
「そうじゃなくて、いいから来てくれって」
霊夢と萃香は顔を見合わせてから、魔理沙たちの待つ部屋へと仕方なく向かっていった。
部屋では、魔理沙がミニ八卦炉を鍋の下敷きにしていた。そして、中に入っている昆布から出汁を取り始める。
「お? なんだ、萃香はもう来てたのか」
「あら本当」
魔理沙とアリスは揃って萃香に視線を向けた。その視線に、霊夢の後ろに立っていた鬼は意味もなくピースサインを返す。
「で、何? まだご飯炊いてる途中よ」
「見ろよ、これこれ」
魔理沙は自分の横にあった巨大な袋を、自分の目の前に持ってきて二人に見せつける。袋は随分と丈夫そうなもので、中身は少しも判らない。
気になったので、霊夢はアリスに訊ねてみる。
「何あれ?」
「判らないわ。魔理沙が、霊夢が来たら見せてやるって勿体つけるから、私もまだ見てないの」
ふぅと溜め息を吐きながらアリスは続ける。
「でも、アレじゃないかな」
「あー……なるほど」
納得する霊夢とアリス。
そんな会話に興味はないようで、ゴソゴソと袋を開けると、魔理沙はその中身を床に散らばせた。散らばったものは、霊夢とアリスの予想通り、キノコであった。
「ほら、食用のキノコだぜ。やっぱ鍋にしちゃ具材が寂しいと思って、家から取ってきたんだ」
魔理沙は自慢げに語る。だが、その目の前のキノコの山が、本当に食用なのか怪しく思う二人は、かなりそのキノコに抵抗があった。
「これ、本当に食用?」
「見た目にも毒々しいのがいくつかあるわね」
「失礼な奴らだな。これでもじっくり見て選別したんだぜ」
仁王立ちで腰に手を当て、慎ましやかな胸を堂々と張って魔理沙は威張る。
その横で、萃香が何かをしていた。キノコの山に手招きをしている。すると、萃香の方に五つのキノコが転がっていく。それに、手招きした本人が驚き、すぐに唖然とした顔を作る。そして気を取り直したのか、もう一度手招きを始める。すると、二つのキノコが萃香の足下へ転がってきた。
そんな奇行を、三人は無言で眺めていた。
「何してるの?」
その霊夢の質問には答えず、萃香は魔理沙に向き直り、自分の方に転がってきた七つのキノコを指差して口を開く。
「これ毒だよ」
聞き違えようがないほどハッキリと断言する。
「何ぃ!? そんなはずないぜ、さっき必死になって選別したんだから!」
「なんでそれが毒だって判るの?」
「人に対しての毒と妖怪に対しての毒とを萃めたら、あの七つが転がってきたから。鬼に対しての毒はないみたいだね」
「ふぅん」
ジットリとした二人の視線が魔理沙に突き刺さる。
「待て、キノコ博士の魔理沙様の発言より、キノコに関してはド素人の鬼娘の言葉を信じるって言うのか!」
「「「じゃああのキノコ食べる?」」」
「……えっと、ごめんなさい」
自分を信じ切れないキノコ博士であった。
自分のキノコに対する自信を少し失ってメソメソとしている魔理沙を置いて、霊夢は台所へと戻っていく。すると、何故か萃香も霊夢に続いて台所に戻ってきた。
「あれ? 向こうで待ってていいわよ」
「んー。見てる」
そう言うと、手頃な場所に腰を下ろし、釜と霊夢を眺め始める。
しばらくしてから、霊夢は火を消して釜をどかした。
「お? できた?」
「まだ。これから蒸らすのよ。でも、一応おひつ取って」
「はいはーい」
おひつを釜の横に置くと、萃香は待ち遠しそうにちょこまかちょこまかと釜の周囲を歩き回る。
そんな萃香を鬱陶しそうにしながら、霊夢は用意した白菜を切り始めた。
「萃香は、結界について知っているのよね」
白菜をザクリザクリと切りながら、何気なく訊ねる。
「そんなに詳しくないけど、ある程度は紫から聞いた。多分、紫が慧音に会いに行く前だったと思う」
「そう」
紫の名を聞くと、相変わらず胸が痛く思えた。
「その時に紫に頼まれたんだ。藍や慧音は、長い時間を必死に生きてきたから強い。でも、霊夢はまだ若いから、守ってやってくれって」
「……なんか、知らないところでやたらと気を遣われてるわね。私」
「霊夢のことが可愛かったんでしょ。駄目な子ほど、って言うしさ」
一瞬包丁が手から滑りそうになった。まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
「あんたもなかなか言うじゃない」
「さっきの仕返しも兼ねてるからね」
「まったく」
話が終わると、霊夢は切った白菜をザルに乗せて萃香に渡し、持って行くように言う。萃香が台所からいなくなると、霊夢は釜の蓋を開け、中身をおひつへと移していった。
鍋を囲み待つ三人の元へ、おひつを抱えた霊夢がようやく姿を見せた。
「待ちくたびれたぜ!」
「待ちくたびれた!」
欠食児童二名が元気だった。
「付けダレは私が持ってきてるぜ!」
「酒は私だ!」
腹が減りすぎたのか、やたらとテンションが高い。
「はいはい、今ご飯よそうわよ」
「「大盛り!」」
そんな二人に、漫画の様な盛りのご飯を手渡す。
「アリスは?」
「私はいいわ」
ご飯を断ったアリスは、既に豆腐を付けダレに浸し、酒を飲みながら摘んでいた。
霊夢は自分のご飯をよそうと、手を合わせてから夕食を開始する。
鍋の横にはアリスの人形が二体、行儀良く立っていた。何かと思えば、二人の人形はせっせと丁寧にアクを掬い取っている。それを見て、霊夢と魔理沙は便利だと感心してしまった。
食べ方は、休まずに食べ続ける魔理沙と萃香、酒の摘み程度に鍋を突くアリス、それほど急がずに淡々と食べていく霊夢という形になっている。
「この肉美味いぜ。結構高い肉?」
「そうでもないわ。普通のお肉よ」
「そうか、高くないと判れば遠慮はしないぜ」
最初から遠慮してないだろうというのは、アリスと霊夢の思いである。
「ところで魔理沙、急に食べたくなった鍋には満足した?」
「おぉ、勿論だ。やっぱ鍋は美味いぜ。アリスも満足だろ?」
「ま、嫌いじゃないわね」
「鍋は大勢で囲むと美味しい。今度もっと大勢で食べよう」
「お、萃香も良いこと言うじゃないか! そうだ、今度紅魔館の連中でも誘うか!」
「それは他所でやれ。むしろ紅魔館でやれ」
鍋を突きながらの雑談は止まらない。けれど、雑談をしているはずなのだが、魔理沙と萃香の食べる速度も止まらない。
「キノコもなかなかいけるね。最初はどうかと思ってたけど。霊夢おかわり」
「だろ? 私だってだてにキノコを採取しまくってるわけじゃないぜ。私もおかわり」
ちなみに、既に三杯である。
たしかに、キノコはどれも良い出汁が出て、かつ食感の良いものが多かった。ただし、中には苦みの強過ぎるものもあり、持ってきた当人がしばらく悶絶したりした。
「はいはい。でも、最後に雑炊にするんでしょ?」
「「勿論!」」
力強い返事が返ってくる。
それを聞いて、霊夢は少し軽めに二人のをよそう。これは二人の腹を心配しているのではなく、単にそれ以上よそうとご飯がなくなってしまうからである。
この酒の強い鍋を雑炊にするのか……と、酒を飲みつつ思うアリスであった。
それからしばらく鍋を突き、最後に霊夢は残ったご飯を鍋に入れると、上から卵を割り入れた。
雑炊をそれぞれの茶碗によそって、霊夢が渡していく。
「やっぱり締めは雑煮だぜ」
「はいはい」
「私は今度うどんが食べたーい」
「また今度ね」
「どっちでもいいけど、やっぱりこれ酒多いわよ」
「次回はもう少し減らすわね」
全員に渡し終えると、揃って二度目となる食前の挨拶を口にして、雑炊を食べ始めた。見た目が若干食欲を刺激せず最後まで残ってしまったキノコたちは、そのほとんどが、持ってきた人の責任ということで魔理沙の器の中によそわれる。が、そのことに魔理沙は気付いていなかった。
「熱いけど美味しい!」
「ふぅ、ふぅ……やっぱり結構お酒臭いわね」
「アリスはさっきから酒飲みっぱなしだから、それじゃない?」
「そうかもしれないけど……ううん、やっぱりこれお酒っぽすぎるわよ」
そんなことを言いつつも、アリスもしっかりと食べていく。不味くはないようだ。
「肉食べ過ぎた!」
「どうしたの萃香らしくない」
「雑炊の肉が少ない!」
「あぁ、そういうこと」
四人が雑炊を食べていると、随分と魔理沙が静かであった。
「どうしたの、魔理沙?」
「え、いや、何でもないぜ……なんでも……うっ!」
先程の苦すぎるキノコが効いたのだろう、キノコが雑炊の山から顔を出す度に、魔理沙はウッと低い悲鳴を上げる。それがおかしくてアリスと萃香がケラケラと笑うものだから、魔理沙は残すに残せず、意地になって全てのキノコを平らげたのであった。
食べ終わると、行儀悪く魔理沙と萃香は寝そべって大の字になる。
「ふぅ、もう食えないぜ。あんみつ以外はもう食えないぜ」
「あ、私もあんみつ食べたい」
「出ないから。食べたきゃ里に行け」
といっても、こんな時間に開いている茶屋はさすがにない。開いているとすれば飲み屋くらいなものだろう。
食器も下げない、だらしのない魔女と鬼。アリスはというと、そんな二人と少し離れた場所に座り、静かに空を眺めていた。
「少し酔ったわ」
言われてみれば、アリスの顔の血色がなかなか良くなっている。
「横になった方が良いんじゃない?」
「そうする」
言うが早いか、崩れるようにアリスは倒れてしまった。
「もしかして、そんなにお酒強くない?」
「あなたたちが強すぎるのよ」
苦笑いを浮かべた後、アリスは体をゴソゴソと動かして姿勢を整える。眠るつもりのようである。
「泊まっていくの?」
「いいの?」
「構わないけど」
「ありがとう。それと、悪いんだけど起きたらお風呂も貸してもらえるかしら?」
「どうぞ」
「ありがとう」
そう返事をしたと思うと、アリスは小さく寝息を立て始めてしまった。
霊夢はアリスが眠ってから、三枚の毛布を部屋まで運び、アリスに一枚掛けたる。そして、予想通り静かになっていた魔理沙にも一枚掛けた。
「あれ? 萃香は眠らないの?」
「あー、うん。少しだけ眠いけど、ちょっと霊夢と話をしようと思って」
その言葉に、萃香が話そうとしている内容を知る。
霊夢は縁側に萃香を連れて行くと、並んで腰を下ろした。酒で上気した頬に、ひんやりとした夜風は心地好い。
しばらく萃香は黙っていたが、ゆっくりと口を開き始める。
「私はね、結構前からだけど、薄々気付いてた。自分がなんか違うこと。そして、紫が何か嘘を吐いていること」
「嘘?」
「私の違和感を、なんでもない、気にしなくていいって言ってた。そんな嘘。本当はなんでもなくないし、本当は気にしちゃいけないものだった」
その横顔は、酷く寂しげで、拗ねている様にも見えた。
「以前から、なんだか自分の存在が希薄に思えるから、一人になっちゃいけないって思ってた。だから、誰にも気付かれなくても、誰かの傍に居続けた。大勢の中に紛れていれば、自分もその一員になった気がして安心できたから」
「あの宴会騒動も、その一種?」
「そう。でもやっぱり気付いて欲しくて、苛々しちゃったけど」
いつまで経っても終わらず、三日置きに延々と繰り返した宴会。それが、かつて萃香の起こした異変である。
霊夢たちはとても楽しかったが、そこには事件を引き起こした萃香はいなかった。その宴会があまりに楽しそうで、萃香は見ているだけに堪えられなくなり、姿を現し、そして霊夢に敗れた。それは、そんな思い出である。
「昨日、紫から結界とかの話を聞いて、そんなにショックは受けなかったよ。ただ、それを一人で背負ってた紫が何も相談してくれなかったことの方が、ずっとずっと痛かった」
そこまで言うと、萃香の頬を涙が伝った。それに気付いて霊夢はハッとしたが、何も言わずに萃香の話に耳を傾けることにした。
「ごめんね、霊夢。私、紫を止められなかったよ」
それだけを口にすると、萃香は霊夢の膝に顔を埋め、静かに泣き出した。
「仕方なかったのよ、萃香。誰にも、紫の意志を曲げられるほど、紫の幻想郷への思いを曲げられるほどの力はなかった。悔やんでも、それは変わらないわ」
『何も一人で背負い込むことないじゃん。私や霊夢や、みんなきっと手伝ってくれる!』
『私にはこれくらいしかできない。でもね、萃香。私にしかこれはできないのよ』
『それで死ぬことになって、構わないって言うの!』
『死ぬことよりも、失うことの方が恐いから』
『でも!』
『ねぇ、萃香。私の守りたかった幻想郷で、あなたは精一杯生きなさい。あなたは幻なんかじゃない。幻想郷に棲まう鬼、伊吹萃香だから』
それは、紫が萃香との会話の最後に残した言葉。それを聞いて、萃香は止められなくなってしまった。
「霊夢は強いね。泣かないんだ」
「んー、なんでだろう。結構本気で泣きたいくせに、涙が一滴も出てきやしないのよ」
「巫女だからかな」
「だったら嫌な商売だわ」
「商売してないくせに」
「それもそうね」
少しだけ泣くと、鬼は目を少し腫らせながら、それでも何事もなかったような顔をする。そして立ち上がり、真剣な目で霊夢を見た。
「これから、また誰かを失うかも知れない。それは、きっと辛いよ、霊夢」
これから何が起こるのか、霊夢も萃香も知らない。けれど、紫が命を掛け、その上でまだ救いきれない事態。大変でないわけがない。
「そんな時を、生きる覚悟があるか?」
それは鬼としての問い。紫の友としての問い。そして、幻想郷を守ろうとする伊吹萃香としての問い。
聞いて、霊夢は悩む。自分の中の、覚悟が見つからなかったのだ。けれど、霊夢は真っ直ぐに萃香の目を見て答える。
「……覚悟っていうのはよく判らないけど、まだ生きていたい。こんな所で死にたくない。それが、覚悟の代わりになるかしら?」
その回答に、鬼は満足そうに笑う。
「違うよ霊夢。それが覚悟だ」
そう言うと、萃香は霊夢に飛び掛かって抱擁をした。そして、流し切れていなかった涙を少しだけこぼした。
やがてゆっくりと離れると、最初に戻るように横に腰を下ろす。既に顔も雰囲気も、いつも通りの萃香に戻っていた。
ふぅと、霊夢は小さく溜め息を吐いた。
「まったく、今日はこの神社が厄の集まる場所なのかしら」
「なんで?」
「藍とあんたが、ここで泣いた」
そして僅かに笑うと、萃香もそれに続くように破顔する。
「そりゃいけない、神社は酒と祭りの場所だ。それは相応しくない」
「それ、早苗が聞いたらなんて言うかしら」
あの宗教娘なら、説教するだろうなぁ。そんなことを巫女と鬼はぼんやりと想像して、また少しだけおかして笑った。
「これから眠れば、目覚めと共に夜は明ける。泣いてばかりの日はもう終わるよ」
「上等じゃない。明日から張り切って、藍と慧音の二人と一緒に、解決方法を考えていかないとね」
決意を込めて、霊夢は星空を見つめた。
「……あれ、私は?」
まさか呼ばれないと思ってなかった萃香が、酷く真剣な顔で霊夢を見る。
「……え、参加するの?」
対して、こちらも酷く真剣な驚き顔。
「いじめかぁ!? 私はそんなに頭悪くないんだぞ!」
「いやねぇ、冗談よ、冗談」
「いや、本気だった! 今絶対に本気だった!」
「そんなわけないじゃない」
「嘘だ、絶対に嘘だ!」
そんなことで二人はギャーギャーと騒ぎ合い、その声で眠っていた二人が起き出してきた。
「おぉ、なんだ? 腹ごなしに弾幕ごっこか? だったら付き合うぜ!」
「あなたたち元気ねぇ」
まだ少し寝惚けているアリスはあくびをしているが、既に目が覚めた魔理沙は飛び出してくる。鍋の下敷きになっている、ミニ八卦炉を持たずに。
同時刻、慧音宅。
「はぁ」
寺小屋の生徒に教える為の教材を、慧音は整理をしていた。
幻想郷を覆う結界が消えるとして、自分はどうなるのか。それが不安であった。けれど、それ以上にここに住んでいる人々がどうなるのか。それが自分以上に不安でならなかった。
「いや、起こって嫌な事態は考えるな。あって欲しいだけを願わないと」
紫の消失を見て、もしも満月だったら、紫の消失をなかったことにできたのだろうか。ふと、そんなことを考えた。けれど、恐らくそんなことはなかったのだろうと、自分の力の限界を思う。
消せる歴史と、消せない歴史。恐らく、幻想郷が一度滅びてしまえば、同じようなものが生まれたとしても、二度と幻想郷は甦らない。大妖怪の紫が愛したように、慧音も、思いの形は違えど幻想郷を愛していた。だから、なくしたくない。純粋にそう思えた。
そしてそんな思いを、子供たちの書いた用紙をまとめていて慧音はより強いものにした。子供たちに書かせた、やってみたいことという題の作文。子供たちは、明日がくるものと思っている。眠ればいつも通り翌日が迎えられると信じている。それに無邪気な信頼には応えねばらない。
慧音は一人、願う。どうか、何も失わずに幻想郷を守れますように、と。
それを願うと、慧音は再び教材の整理へと戻っていった。
「やはり明日からしばらくの授業は、稗田阿求殿に頼む他ない、か」
幻想郷が危ないというのに、授業などをやってはいられない。とはいえ、そんなことを里の人に言うわけにもいかず、またそれ以後も生きていく子供たちにはしっかりと授業をさせたい。守れることが前提で行動をする以上、守れた後のことも考えておかねばならない。となれば、勉強を疎かにはできない。
その思いがあるのだから、休むよりは誰かに代わってもらうことにしたく思う。そして教師の代役といえば、稗田阿求ほどの適材を慧音は他に知らない。
「うぅ、気が重い」
言葉と同じように重そうに腰を上げると、慧音は一人、静かな夜道を歩いていった。
同時刻、八雲家。
橙を寝かしつけた後、藍は紫の遺した書を読んでいた。しかしその途中『ここから先は霊夢たちと見るように』という注意書きがあったので、それを見てしばらくしてから静かに書を閉じた。
「ふぅ。さて、どうしたものか」
読むものがなくなると、途端心細くなってくる。自分にできることは何だろう、何かないか。そういう焦りが生まれてきていた。
そんな時、見慣れない手紙が自分の机の上に置いてあることに気付いた。途端、ハッとしてその手紙を開く。すると、やはりそれは八雲紫からの手紙であった。
藍は震える手で封を切り、中身を取り出した。中身は、藍以外が読んでも読み方さえ判らない暗号の文。恐らく、これを普通に読むことができるのは、幻想郷に藍を除いて他にいないだろう。
『藍。本当はこんなものを書き残すつもりはなかったのだけど、気がついたら書いていたので、本意ではないのだけどこれを残すわ。これだけはあなた一人で読みなさい。』
そこに書かれている内容は、八雲の主としての仕事。修行の仕方に、屋敷の細かな情報など、多岐に渡って丁寧に記されていた。そしてそのほとんどは、藍の知らない情報ばかりであった。また、その内容の他にも、いくつかの藍が驚くことも記されていた。その度、藍は言葉を失った。しかしその情報以上に、藍の頭を支配したのは次の文章である。
『私のことについて、橙にはしっかりと死んだものと伝えなさい。』
「なっ!」
その文章に、藍の思考は一時的に止まってしまった。
今現在、橙には紫は用があり今日は戻らないという嘘を告げていた。そしてこれからも、橙が生長するまで嘘を突き通すつもりであったのだ。
『藍。あなたは演技も嘘も、それほど上手ではないわ。そして橙は勘の良い子。いつか気付き、一人で苦しむ時が来る。そうならない為に、しっかりと告げなさい。あなたも橙も、二人で傷を負い、二人で乗り越えなさい。』
理解はできる。けれど、それを自分がしなければならないと思うと、目眩さえ覚えた。
「それは……随分と、酷な命令ですよ」
けれど、紫の言い分は正しいように感じられるので、反論が浮かばない。それに、そもそもこれは命令なのだ。逆らえるはずがない。
しばらく、藍はギュッと目を瞑り、この命令をようやく嚥下した。
明日の朝、橙にそう告げよう。
そう決める。けれど、決めたばかりだというのに、心はまだ揺れようとしていた。そんな心を抑え、手紙に目を戻す。その手紙も、あと二行で終わる。
『そして、これが私からの最後の命令。』
それは何気なく、普段紫がメモをするような気軽な字で。
『悔いなく生きなさい。』
藍は、手紙を取り落とした。
「は、はは……馬鹿げてます。これが最後の命令ですか……こんなの、命令じゃないですよ。あまりに、くだらない……」
書くつもりもなく、けれど書き残してしまった手紙。その最後に書かれいていたことが、そんなこと。それが、八雲紫が八雲藍に伝えたかったこと。
幻想郷を守れとか、博麗霊夢を守れとか、そういうものだと思っていた。何か、自分の役割を示してくれるものだと思っていた。それだというのに、紫の手紙はなんの指示もしない。それはもっと単純な、深い優しさだった。
歯を食い縛っている藍の頬を、流し切ったと思っていた涙が撫でる。そんな涙を袖で拭うと、藍は無理矢理笑った。
「ははは……泣いている場合じゃない。私には、やらなければならないことが多いんだ。もう一度泣くのは、全てが済んでからだ!」
決意を込める。自分の全身全霊を掛けて、幻想郷を守ろうという覚悟。それを、藍は胸の内に刻み込んだ。
「紫様! あなたの命令、必ず果たしてみせます!」
八雲を継ぐ者は、自らの理想とする者にそれを誓い、今日という日を乗り越えた。
幻想郷が危ういという兆しはまだない。だが、ただ呆けていれば崩壊してしまう。そしてそのことを知る者は、たったの四人。
あと数時間で、幻想郷にまた日が上ろうとしていた。
短編のほうも期待しているので頑張ってください。
23:45:13さん。
あなたの何気ない一言で、我慢できずに短編を書いてしまったではないですか!
いや~……もう心底ありがとうございます。なんと言えばよいのか。つい嬉しくて、という感じで書いてしまいましたとも。