Coolier - 新生・東方創想話

天窓

2009/07/14 18:15:16
最終更新
サイズ
35.52KB
ページ数
1
閲覧数
1151
評価数
16/63
POINT
3610
Rate
11.36

分類タグ


 
 
 
 人間の体の中には三尸という虫が居る。
 
 この虫は、人体の中枢である丹田に住み、色々な悪さをして、宿主である人間を苦しめるという。
 例えば、上丹田(頭頂部)に住む上尸は青古と呼ばれ、聾唖(ろうあ)、鼻詰まり、禿頭などを引き起こす。他の部位に宿る三尸も同様で、中丹田に住む中尸の白姑や下丹田に住む下尸の血尸なども、それぞれの宿った場所に応じた災いをもたらすのである。
 
 最も、この三尸の悪事はそれだけにとどまらない。
 
 この人の身体に寄生する虫たちは、六十日に一度やってくる庚申の日に宿主の身体を抜け出して、北極星に住む天帝様に「我々が寄生している人間は、コレコレこう言う悪事を働きましたぞ」と、ちくりに行ってしまうのである。
 寿命を司るのが天帝の役目、こんな事を報告されると「ふむふむ、悪い奴もいるものだな」と天帝様は三尸の言葉を真に受けて、三尸の宿主の寿命を縮めてしまう。まことに三尸とは厄介な虫なのだ。
 なので、昔の人は考えた、この厄介なちくり虫をどうにかできないかと。
 ここで仙人などという特別な人種は『だったら、三尸を殺してしまえば良い』と、五穀を断ち自分の身体の中の三尸を餓死させたのだが(三尸は穀霊の一種であり、穀物によって生じ、宿主が穀物を食べなくなると死んでしまう)、ただの人間がそうそう出来る事ではない。

 みんなご飯は恋しいものだ。
 
 そこで、人々は発想を逆転させた。
 三尸が宿主の身体から出ていって、天帝様の住む北極紫微宮にご報告に行けるのは、宿主が寝ている庚申の夜だけだ。
 だから、庚申の夜に寝なければ、三尸に報告されて寿命が減ることもない。
 かくして人々は、庚申の夜を徹夜して過ごすようになった。
 
 これがいわゆる庚申講、あるいは庚申待という行事の誕生である。
 
 庚申待の日に人々は集い、夜通し話をし、酒を飲み、宴を設け、あるいは慎ましやかに過ごし、はたまたムフフな夜を過ごす。最もムフフは、あまり歓迎されず、同性同士が談笑して過ごすことが是とされ『庚申の日に出来た子は泥棒になる』などと、庚申の日のムフフを戒める俗信があったのだが、それは逆説的に庚申待という日にムフフな事が多かった事の証明だろう。
 ともあれ、時代や地域によって、庚申待のあり方は変わるが、それでも共通することは『今夜は夜明かし』というところだ。
 外の世界では、多くの地域で庚申待は廃れてしまったが、ここ幻想郷では当たり前のように庚申待は続いている。
 それは幻想郷の人々が、神と隣り合う生活をしている所為で信心深いという事もあるが、それに加えて、とある妖怪が跋扈している事も要因だろう。
 この幻想郷には庚申の夜に跳梁跋扈する妖怪が存在し、かの妖怪が居る所為で、ここでは庚申待が絶える事は無かったのである。
 
 かくして庚申の夜に、一匹の妖怪が空を飛んでいた。

 一族の中でもまだ若く、わずかに幼さすら見える件の妖怪の娘は、ぴょんぴょんと人間の里の屋根を飛びまわりながら、人の集まる家を探している。
 天窓から明かりが漏れる家を見つけたその妖怪は、ぴょこんとその家の屋根に乗って、カチャカチャと瓦を鳴らしながら、明かりの洩れている天窓にたどり着くと、顔をぐぃっと近づけた。
 中では人間達が、酒杯を交わし合いながらガヤガヤとお喋りに興じている光景が見える。妖怪は、じぃっと天窓を覗きこみ、人間の様子をうかがっていた。
「さて、不心得者はいるのかな…………おお、居た居た」
 それを見つけると、その妖怪はニヤリと笑い、服のポケットから小石を一つ取り出して、天窓をそっと開けると、宴の席の隅っこでうつらうつらと夢心地な男の頭に投げつけた。
 
「あいた!」
 
 小石をぶつけられた男は、声を上げて飛び起きて、回りの人間もなんだなんだと声を上げる。
 その様子を見て、天窓から覗く妖怪は、声を隠さずにけらけら笑った。
 
「あ、くそ。お前、しょうけらか! 卑怯だぞ、降りて来い!」
 
 下で人間が声を上げるが、妖怪は知ったこっちゃない。
「むしろ、感謝してほしいくらいだね。三尸が出て行っても知らないよ!」
 下で右往左往している人間に叫ぶと、その妖怪は次なるターゲットを求めて闇夜に消えた。
 
 それは『しょうけら』という妖怪だ。
 庚申待の夜に天窓に張り付いては、中を覗くという妖怪である。
 最も、外のしょうけらと幻想郷のしょうけらには、少しばかりの違いがあった。幻想郷のしょうけらは、庚申待に寝ている人間を見たら、起こすのだ。
 しょうけら曰く『いや、寿命が縮まないように親切でやってるんだよ』という事だが、どう考えても、慌てて起きる人間の姿が楽しくて、やっているようにしか思えない。
 元々は、庚申の日に寝ている者に災いを起こすという、割と物騒な妖怪だったのだが、それが悪戯して起こすだけに変わったのは、それだけ幻想郷が平和であるということなのだろう。
 こうして今日の庚申の夜もしょうけらは、けらけらと笑いながら寝入ってしまった人間を見つけては、様々な悪戯をして叩き起こしていたのであった。
「うーん、大体回ったけど……」
 人間の里を大体回ったが、目ぼしいところはもう終わってしまった。しょうけらが少し困っていると里のずっと向こうに明かりが見える。

 たまには里の外も良いだろう。

 そう思ったしょうけらは、更なる犠牲者を求めて飛び立った。
 














 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ※ ※ ※
 
 人間の里から離れた幻想郷の隅っこに博麗神社という神社がある。
 人里から離れている所為で、私は全く来たことがないので良く分からないが、幻想郷にとってたいそう重要な神社であるという。
 そんな神社の屋根に降りて、私は適当に明かりの洩れている場所を探す。
 神社を覗くのは初めてであるが、人間の住む場所であれば、どこかしら天井に穴があいているし、無ければ天井の梁にでも潜めばいい。
 そう思って屋根の上を歩き回っていると、良い感じの天窓があったので、覗いてみる。
 そこから見えるのは紅白の、巫女らしき人影だった。
 確か、名は博麗霊夢だっただろうか。妖怪仲間の間でも恐れられている幻想郷の結界を守る博麗神社の巫女のはずだ。
 
 曰く、前を飛ぶと問答無用で落とされる。
 曰く、執拗で冷酷で無慈悲な紅白。
 曰く、ピチュったって恩給だって出やしない。
 
 なんだかよく分からないが、とにかく怖いらしい。
 最も私は面と向かったことはないので分からないのだけど、あまり多くない知り合いの一人が、たまたま襲われた事があるらしく、そんな事を教えてくれた。
 そんな巫女の周りには酒瓶が何本も放置されている。どうやら巫女は、庚申待を酒でも飲みながら乗り切るつもりらしい。
「しかし、魔理沙も庚申待の度にうちに来る必要はないんじゃない?」
「なんだよ、その言い草は。人がせっかく一人寂しい思いをしているだろうなぁ、と思って来てやったのに」
「別に寂しくはないけどね」
 巫女は、魔理沙と呼ばれた黒い服の女と一緒に酒を飲んでいた。見た目は魔女のようなトンガリ帽子をかぶっていて、傍らに箒を置いているところを見ると、きっと彼女は魔法使いか魔女か、あるいは熱烈な魔女愛好家のどれかなのだろう。
 巫女と魔女、どうにもウマが合うようには思えないのだが、それでも二人は、一夜を過ごすくらいに仲が良いらしい。
 コップでカパカパと豪快に飲んでいる巫女に対して、魔理沙は用意されたつまみを食べながら、チビチビと呑んでいる。これを見ていると、オトコノコっぽい口調に反して、巫女よりも魔理沙の方が女らしいのかも知れない。
「しっかし、夜明けまで結構あるわけだけど、どうする?」
「どうするって、何が?」
「いや、このまま酒を飲んでるだけってのも、つまらないじゃないか」
 そう言ってにやりと魔理沙は笑うと、傍らに置いてあった風呂敷包みを広げ始めた。
 中から出てきたのは、独楽やら紐に貝合わせの貝殻、それに福笑いなどのいわゆる室内遊具の数々。どうやらそれで遊ぼうと、魔理沙は言いたいらしい。
「何なの。これは」
「ふふん、こいつはお座敷遊びに使う道具の数々よ! わざわざ香霖に聞いて揃えてきたんだぜ!」
「へぇ、そう言えば霖之助さんは?」
「ああ、里の会合に出るってさ。まあ、オヤジのところの若い連中と呑んでるんだろ」
 そんな事を言いながら魔理沙は、風呂敷から何か紐のようなものを手に取った。

 というか、ようなものじゃなくて紐だ。

 色々な物を取り出して、さんざん人に期待を持たせて、実際に使うのは、ただの紐とは少し頂けない。
 ほら見ろ、巫女だって呆れているじゃないか。
「……それで?」
「ああ、こいつをこうやって……輪っかにするだろ? んで、首に引っ掛けて、と……ほら、霊夢も首にかけるんだよ」
「こう?」
 巫女と魔理沙が、輪っかとなった紐に首を入れた。
「んで、この紐を互いに、首の力だけで引っ張り合う。これが古来より伝わるお座敷遊びのひとつ『首引き』だ!」

「楽しいの、これ?」

 巫女の冷静な突っ込みで、魔理沙の動きが完全に停止した。
 それを確認すると巫女は、首にかかっていた紐を外し、再び酒を呑み始める。
 知り合いに対しても容赦がない。なんというか絶対に近づきたくない部類の人間だな、と思った。
 
 魔理沙は固まったままで、巫女は気にせず酒を呑んでいる。
 これは、二人とも眠りこけたりはしないだろうし、仮に寝たところを悪戯したら酷い目に合いそうだ。
 軽い気持ちで来てみたが、これはあまり宜しくない。
 
 里に帰るか。
 
 そう思って、天窓から離れようとした時、神社を包む空気が変わった。 
 張り詰めたような緊迫感のある空気が辺りを包み込む。
 
 私は、息をひそめて姿勢を低くした。
 下では変わらずに巫女が酒を呑み、魔理沙が固まっているが妖怪である私には分かる。この異様な空気は、暢気な人間が酒盛りする神社に、何か恐ろしいものが顕現しようとしている前触れに違いない。
 
 天窓から見える部屋の真ん中に強烈な妖気が凝縮する。
 あまりに妖気が強すぎて、それがどういう分類の存在なのかはよく分からないが、私のような力の弱い妖怪など、吹けば飛ぶような大妖である事だけは確かだ。
 
「随分と出来上がっているようだな」
 
 それはついに現れた。
 金色に輝く九本の尻尾、他を圧倒するような妖気に思わず、毛穴が逆立つ。
 獣の特性を備えているという事は、きっとそいつは妖獣なんだろう。しかし何とも凄い威圧感、突然現れたそいつが並みの妖獣ではない事は明らかだ。
「あら、藍じゃないの」
「おお狐か、久しぶりだな」
 そんなおそろしいものを前にして、人間二人は全く態度を変えずに、気安く話しかけている。怖くないのか、それほどこいつらも強いのか、それともただのバカなのか。
「これより紫様がいらっしゃる。お二方とも粗相のないように」
 そう言って、藍と呼ばれたおそろしい妖獣は二人の人間に注意を促すと、何もない空間に跪く。
 
 すると、その空間はぐにゃりと歪んで縦に裂け、そこから何とも薄気味悪い紫の空間が垣間見える。
 そこから現れたのは、紫の衣を身に纏い、何とも形容しがたい不可思議な笑顔を浮かべる一人の妖怪だった。その笑顔を見た瞬間、私の背筋に怖気が走る。
 
 それは、そうだ。
 
 あのような恐ろしい妖獣にかしずかれる存在が、真っ当である理由など無い。
 なんて、恐ろしいんだろうか、この紫という妖怪は。まるで底が見えない薄気味の悪い笑みに、息をするだけでもやっとなほどの圧倒的な妖力、まるで動けなくなった私は、あたかも神にかしずく虫ケラのように、紫という妖怪のプレッシャーを受けて、天窓にしがみつき、這いつくばっていた。
「あら、二人ともこんな時間に夜更かしかしら?」
「庚申待よ、庚申待。今日は庚申の日でしょうが」
「そうそう。合法的に夜明かし、夜遊びができる日だぜ! そんな訳で首引きやらないか?」
「だからお前ら、粗相のないようにと言ったじゃないか!」
「庚申待……ああ、そういえば今日でしたね」
 わいのわいのと人が増えたせいか一気に賑々しくなった。
 何なんだろう、凄いフレンドリーなんだけどあの妖怪。もしかしたら、凄い妖怪だけど気さくなんだろうか。
「首引きとは懐かしい。良いわよ、たまにはこういう遊びも良いでしょう」
「よっしゃー!」
 さっきから首に縄を引っ掛けたままだった魔理沙は、両手を上げてガッツポーズをした。正直、そこまでこだわることじゃないと思うのだけど、魔理沙にとってはきっと重要な事なんだろう。
 
 うーむ。
 
 下の連中が首引きに夢中になっている内に逃げたいのだけど、あの藍という妖獣が周囲に気を配っているみたいだから、動くに動けないし、そもそも腰も抜けてしまって、飛ぶに飛べない。
 
 どうしたもんか。
 
「よし、霊夢。号令を頼むぜ!」
「はいはい、それじゃ……はじめ」
 気のない巫女の号令で、魔理沙と紫の首引きが始まった。
 凄い顔をして首を後ろに反らす魔理沙に対して、紫は涼しげな顔をしている。
 紐は完全に拮抗して全く動く気配はなく、それを見て魔理沙はさらに顔を赤くして首で紐を引っ張る。
「あらあら、魔理沙。そんなにそんなに思いっきり引っ張るのは、粋じゃあないわ」
 そんな事を言うと、紫はどこからともなく長い煙管を取り出してプカリとふかし、その様子を見て魔理沙もハッとした顔をした。
「確かにそうだ、粋じゃないってのはいけないよな!」
 そう言って魔理沙が首の力を抜くと、紫の目が妖しく輝く。
「そぉい!」
「うひゃあ!」
 魔理沙が力を抜いた瞬間を見計らって、紫が全力で引っ張ったみたいだ。紫に引っ張られた魔理沙は、ゴロゴロと転がって紫の膝の上に倒れ込み「きゅう」と可愛らしい声を上げる。
 なんたる外道、しかし当の紫は、楽しそうに笑うと自分の膝に倒れ込んできた魔理沙をかいぐりまわしている。
「ちくしょー、卑怯だぞー」
「駄目よ魔理沙。首引きってのはやせ我慢のゲームなんだから。外面は『全然、屁でもねぇや』って装いながら、しっかりと首は力を込めて全力で引っ張る。そんな見栄の遊びなのよ……最も、お座敷遊びなんて、みんなそんなものなんだけどね」
「分かった! 分かったから髪をヘンに弄るなぁ!」
「それは聞けないわねぇ、敗者は勝者に屈するのが、神の定めた運命なのだから」
 なぜか紫は魔理沙の髪を指に巻き付けて、クルクルと巻き髪にしている。道具を使わずにそんな事が出来るのかと、びっくりしてしまうが、大妖怪に不可能はないんだろう。
「似合ってるわよ、魔理沙。仏蘭西人形みたいだわ」
 巫女がニヤニヤ笑いを浮かべながら、魔理沙を揶揄すると縦ロールになった彼女はムキーとか言って、紫を振りほどこうとする。
 しかし、紫は暴れる子猫を抑えるかのように魔理沙を膝の上から離さない。
「良いなぁ……」
 それを端で見ていた藍が、指を咥えて、
「……魔理沙が仏蘭西人形になったと聞いて」
 突然、ガラリと戸が開き、人形のように愛らしい容姿の少女が入って来た。
「なんで、アリスが出てくるんだよ!」
 魔理沙が声を上げるが、アリスと呼ばれた少女は構わずに髪をカールさせられた魔理沙のもとに向かう。
「ふむ……意外と可愛いじゃないの。コレクションルームの陳列棚に並べても良いわね」
「お、おい! 鼻血を垂らしながら冷静に呟くんじゃない! こら、紫に霊夢、お前ら笑ってないで助けろ!」
「はいはい。ねえアリス、悪いのだけれど、この魔理沙は、この場限りの限定品。お持ち帰りはできないのよ」
「……それは、残念ね。だったら、この場で目一杯楽しませて貰うわ」
 そう言うとアリスは鼻血をボタボタ垂らしながら、魔理沙を紫から抱き寄せた。
 
「さて、次はどんな遊びをしましょうか?」
 神社に魔理沙の悲鳴がこだまする中、紫は霊夢に向って、そう笑った。
 
 
 ※ ※ ※
 
 
 既に草木を眠る丑三つ時。
 しかし、神社はさらに賑やかさを増していた。
「六番、河城にとり! 隠し芸やります!」
 先ほど、味噌と胡瓜を手土産に現れたにとりという河童が、唐突に宣言する。
「いよっ! この千両河童!」
 そんなにとりに合いの手を入れるのは、お燐と言う名前の最近里に現れたという火車だ。その隣では、お空と呼ばれた何とも異様な圧迫感をまき散らす妖怪が、無心に味噌を付けた胡瓜を食べながら、河童の芸を注視している。
「まずは……虎の敷き皮!」
 にとりはゴロンとうつ伏せになり、手足を広げて厳つい顔をして見せると、大声で宣言した。

 これは酷い。
 
 長年、しょうけらとして庚申の日に、多くの宴会芸を天窓から眺めてきた私だが、これほど捻りのない芸は初めて見た。
 宴会芸としての練度も修練も見えない完全なる一発ギャグ。だが、神社に巻き起こるのはかつてない大爆笑だった。
 どうやら、ここに居る妖怪や人間は、笑いの沸点が相当低いらしい。
「あっはっは! 流石は河童の宴会芸! このくだらなさは癖になるねぇ!」
 鬼の伊吹萃香が河童の芸を手放しで褒める。
 幻想郷から消えて久しいという鬼が、人間の庚申待に現れるなんて信じられないが、この圧倒的な妖気を前にしては納得するしかない。まったくもってこの神社はどうなっているんだろう。
「続きまして、スルメの焼かれるところ!」
 にとりは、今度は仰向けになって口で『パチパチパチ』などと言いながら、手足を曲げる。どうやら、焼かれるスルメを表現したいらしい。
 私は全然面白くないと思うのだが、下では凄い爆笑が巻き起こり、大妖怪も人間も一緒くたになって、にとりコールを繰り返していた。
「楽しそうじゃない!」
 ガラリと戸が開く音がする。
 あいも変わらず、凄まじい妖気と圧迫感が伝わってくるが、なんかもうさすがに慣れてきた。現れたのは、蝙蝠の羽を生やした小さな女の子と、それにつき従うメイドと、更にズラズラと何人か続くかなりの大所帯。
「あら、レミリアじゃないの」
 巫女が酒を呑みながら、蝙蝠の羽を生やした女の子に手を上げる。
 どうやら、蝙蝠の羽を生やした少女はレミリアという名前らしい。そういえば霧の湖にある屋敷の主人の吸血鬼がそんな名前だった気がする。
「夜明かしと聞いてやって来たわ! ところで赤いのと白いの、どっちのワインが良いかしら?」
 そう呟くレミリアの手には赤と白と二本のワインが握られている。
「他にもビーフシチューもありますよ」「ついでにアツアツの肉まんも!」「チーズはチューダーしか無かったわね」「あ、ついでにロゼも追加です」「そして最後は大吟醸!」
 メイドに中国っぽい妖怪、本を持ったのに蝙蝠の羽を頭から生やしたの、それにレミリアによく似た顔立ちのキラキラ光る翼を生やした女の子が次々にお酒や食べ物を掲げる。
「おっしゃ! 皆の者、援軍が来たぞー! これで博麗神社はあと十年戦える!」
 仏蘭西の貴婦人かと見紛う姿になった魔理沙が、差し入れを見るや否や気勢を上げ、他の妖怪を率いて、食べ物を持ってきたレミリア達に襲いかかる。
「ちょっと! そんないきなり!」
 魔理沙率いる人妖連合軍は、まるで地獄の餓鬼の如き勢いで、レミリア以下、六名を瞬く間に飲み込んだ。
「ヒャッハー! この大吟醸は極上だぜ!」「夏に肉まんですかー 良いですねぇ」「赤と白どっちが良いかって? そんなの両方に決まってるじゃないか!」「なかなか良いチーズじゃない」「ロゼは頂きました!」「ほら、シチューは取り皿がないと食べられないだろ!」
 あるいは蜘蛛の糸に殺到する罪人という表現もぴったりくるかもしれない。とりあえず言える事は、まるで地獄のようなありさま……いや、鬼もそれに加わっているから、地獄よりもひどい有様だった。
「諸行無常というところかしら」
 巫女が団子になっている辺りを、涼しげな顔で見ていた。
 見れば、集まった人間や妖怪の半分ぐらいは差し入れ争奪戦に参加しているが、もう半分は笑って見ている。
 笑えるというよりも、戦慄するような場面だというのに、凄い楽しそうに笑っていた。そして、それは差し入れ争奪戦に参加している人たちも、そして差し入れを持っていかれているレミリア達も、同じように笑っているのだ。
 

「六番、風見幽香! 明智光秀をやるわ!」
 さっき、本を持った人からチューダーチーズをぶん取った風見幽香という妖怪が、チーズを配り終えると、いきなり手を上げた。結局、差し入れをぶん取った妖怪や人間達は、それらを出来るだけ均等になるようにみんなに配っている。
 そんな事をするなら、差し入れに殺到する理由はないと思うのだけど、ここに集まる連中は気にしてないみたいだ。
「いよっ、大統領!」
 突然の幽香の起立に誰もがやんやと喝采を送るが、また六番なのは、誰も気が付いていないらしい。

 宴会芸の宣言をした幽香は、唐突に部屋の外に出た。
「……ん、どうしたんだ?」「宴会芸が恥ずかしくなったとか?」「ちょっと呼んできたら?」「いや、私は嫌ですよ?」
 部屋の外に消えた幽香に、人々はざわめき始める。そんなざわめきがピークに達しようとした、その時、風見幽香は戸を開けてこちらを覗く。
 
 ざわめきはピタリと止んだ。
 
 じっと見つめる風見幽香の視線に、神社は息が詰まりそうなほどの緊迫感に包まれる。
 そうして、どれほど経ったのだろうか。
 幽香は再び戸を閉めて、集まった者たちは『ほっ』と息を吐く。
 
「はい、開けて、見て、閉め……アケチミツヒデでした!」

「ブラボー!」「いやったぁぁぁぁっ!」「凄いぜ大統領!!」「イヤッホゥゥ!」「インターナショナルだ!」
 口々に寄せられる称賛の声に、部屋に再び戻ってきた幽香ははにかんだような笑みを返す。
「よっしゃ、胴上げだぁぁ!」
 なぜか酔っ払い達は集まって、幽香を胴上げし始めた。
 
 ワッショイ、ワッショイという掛け声が、部屋の中にこだまする。
 
 さっきまで揉みくちゃにされていたレミリアら吸血鬼御一行も胴上げに参加しようとしているが、レミリアとキラキラした羽が生えた女の子は小さい所為か、手を伸ばしても幽香の背中に触れる程度だ。
「失礼しますわ、お嬢様」
「はい、妹様も失礼しますねー」
 そんなレミリアをメイドが後ろから抱きあげて、キラキラ羽の女の子を中国っぽいのが抱きかかえた。そうやって、胴上げに参加させようという事だろうか。
「ふふ、なんか可愛いですね」
 緑の髪の人間が、幽香を胴上げしながら、そんなレミリア達を見て楽しそうに笑う。
「咲夜」
「ハイ、なんでしょう」
「あれも胴上げするぞ」
「わかりました」
 咲夜と呼ばれたメイドが、レミリアと一緒になって緑の髪の子を担ぎあげると、胴上げをしている中に放り投げた。
「いやー!」
 ワッショイワッショイと風見幽香が胴上げされているところに、なぜか緑の子も胴上げされている。しかも、胴上げをしている連中は、まるで気にする様子は無かった。適当すぎる。
「さなえーっ!」
 目玉の付いた帽子をかぶった子が、緑の髪の子をさなえと呼んだ。
 さなえは幽香と一緒になって、みんなから胴上げをされている。最初こそ悲鳴を上げていたが、くすぐったいのか、それともよほど楽しいのか、途中から声を上げて笑い始めた。
 天窓から見ている私には、何が楽しいのかいまいち理解できないのだけど、酒が回り過ぎて立てない連中を除けば、誰もが喜び勇んで幽香やさなえの胴上げに参加している。
 
 アレを笑えるようになれば、私はあの輪に入れるのだろうか。
 天窓から覗きながら、そんな事を思ったりした。
 
 
 ※ ※ ※
 
 
 
 既に時刻は草木がいびきをかく丑四つ時。
 庚申待の宴はさらに騒がしさを増し、賑やかを通り越して五月蠅いくらいだ。
 最初こそ、あの藍という妖獣に怯えて、すぐに逃げるのは危険だととどまっていたが、ここまでくれば私みたいな小物妖怪の一人や二人が屋根から消えようが誰も気にしないだろう。
 誰も眠る気配など無いのだから、とっとと里の方にでも戻ればいいのだろうけど、なぜか私は、この天窓から動けないでいる。
 
「炊き出しができたわよー」
 そんな風に悩んでいると、天窓から霊夢が、大きな鍋を抱えて戻ってくるのが見えた。
「ほら、食べたい人はお椀を持って並んで! こら、そこ! 割り込まない!」
 さっきまで魔理沙に腰にしがみついていたアリスは、今は霊夢の手伝いで給仕役を買って出ている。配っているものはどうやらこんにゃくがたくさん入った豚汁のようだ。
「うわっ、アチャチャチャ!」
「チ、チルノちゃん大丈夫?」
 チルノは、熱そうな豚汁に悲鳴を上げて、それを心配そうに大妖精が声をかける。
「あっ、考えたら、肉まんと豚汁って、豚がダブってますね」
「そうね。でも、そんな事を気にする人なんていないんじゃない?」
 美鈴が声を上げ、それを咲夜が返す。
「何とも芋煮会っぽくなってきたわね」
「芋煮会……秋に芋煮会を企画するのは楽しいかもしれないわね」
「紅葉狩りも忘れないでよ?」
「分かってますって」
 秋姉妹は、二人で仲良くお喋りしながら豚汁を食べていた。
「ほら、パルスィ。こんにゃくがこんなに入ってるぞ」
「わ、分かったから……ッ なんでそんなに大盛りで零れそうな豚汁を渡すのよ!」
「いやー、わざわざお代りに行くの、面倒だろ?」
 勇儀はパルスィにてんこ盛りの豚汁を渡し、それを受け取ったパルスィはアタフタしている。
 他でも、みんなが楽しそうに思い思いに輪になって豚汁を食べていた。
 誰一人として、隅っこで一人になっているものなんていない。ただ一つの例外は、こうして窓から見ている私だけだ。
 
 あそこに入れたら、きっと楽しいのだろうな。
 
 今まで、庚申待で天窓に張り付いてても、こんな気持ちになったことなど無い。人と妖怪が楽しそうに庚申待をしている風景など、今の今まで覗いたことが無かったからだ。
 それまでは、天窓から覗く楽しそうな風景など、所詮は人間達のものに過ぎず、妖怪である自分にとっては、寝ている人間を起こして、ちょっかいを出す程度のものでしかない。
 しかし、目下の妖怪達は、楽しそうに人間と庚申待をしている。
 私も、入れるのだろうか。
 
 仲間に入れて。
 
 
 そう、言ってあの中へ入れるのか。
 
 
 
 私は、しょうけらとして、庚申待の夜に騒ぐ人々をずっと見ていた。
 その半生でしてきたことは、見ているだけで、あとは寝入った人間を悪戯して起こすくらいだ。

 そんな私が、仲間に入れてくれなどと、言えない。
 人とも交わらず、妖怪とも距離を置き、そうして生きてきて……今更過ぎる。
 そもそも、どうすれば仲良くできるのかなんて、分からない。
 それに、私みたいなのが『入れて』と言ったって、きっと下の人間や妖怪に迷惑をかけるだけだ。
 
 
 
 私は、帰るべきなのだ。
 
 これ以上、あんなに楽しそうな光景を見ていても、手に届かないモノを天窓から見つめていても、虚しい。
 なによりも、自分が惨めになる。








 でも、本当に、楽しそうだな。
 
 
 
 
 入れなくても、もっと見ていたい。
 この温かい光景を天窓越しでも良いから感じていたい。
 
 
 
 そう思うと、私は動けなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 軽い腹ごなしも終わり、博麗神社に集った人間妖怪妖精獣人妖獣神天人仏は、さらなる盛り上がりを見せていた。
「四番、伊吹萃香! 黒田節を謡います! さぁけは、のめぇのめぇ、ひのもといちのぉ……」

 黒田節。
 それは、日本三大名槍の一つにして、槍でありながら朝廷から『三位』の位を授けられ、時の権力者である豊臣秀吉に日本一の槍と称えられた『日本号』を母里友信が福島正則から呑み取った時の逸話を謡ったものだ。
 黒田武士の心意気を謳ったこの歌を、鬼である伊吹萃香は、酒飲みの心意気を謳った唄として解釈しているのだろうか。とても伸び伸びと可愛らしい声で謡っている。
 気が付けば、同じ鬼である勇儀が萃香の肩を組み、同じように謡いだした。
「ちょ、何で私まで!」
 ついでにと連れてこられたパルスィが声を上げる。
「良いじゃない、楽しんだし」
 更に乱入したヤマメが橋姫の背中に抱きついた。
 鬼に土蜘蛛に橋姫と鬼の眷属による黒田節、神社に響く歌声に庚申待に集うモノ達は大喝采を送る。
「……鬼が黒田節の合唱とはね」
 霊夢は、鬼たちの黒田節を聞き、苦笑いを浮かべる。
 すでに時刻は、寅一つ。もうしばらくすると空が白んで来るだろう。
 もう少しで庚申待もお開き、つまりはこのバカ騒ぎももうすぐ終わる。
 
 そう考えると、少し寂しいものだ。
 
「ねぇ、紫は……」
 隣に居る紫に、今まで庚申待で披露されてきた隠し芸について聞こうと振り向くと、
「……ん、ん?」
 普段の様子からは、信じられないほど腑抜けた顔の八雲紫がそこに居た。
 瞳は果てしなく虚ろで、口は半開きとなり、頭をぐらぐらと揺らしているスキマ妖怪は、睡魔と必死に戦っているように見える。
「……眠いの?」
 少し呆れながら、霊夢が尋ねた。
「…………う、んん? ……寝てない! 寝てないわよ!」
 すると、飛び起きて凄い勢いで否定した。
 人間というものは面白いもので、なぜか『寝ている?』と聞かれると必死で否定してしまう生き物だ。そして、その『寝ていると思われるのを心外に働く心理』というものは、なぜか八雲紫のような妖怪にも共通するらしい。
「紫様。そろそろお帰りになられた方が……お仕事もあるわけですし」
 紫の様子をうかがっていた藍が、いかにも仕事でござるという風な厳めしい顔で紫に進言する。
「そうね。仕事があるのだから仕方が無いわね。決して、眠いから帰るわけではないのよ!」
 目をゴシゴシ擦りながら、ジト目で見ている霊夢に念を押す大妖怪。その有様を見て、式である藍は、あからさまな弱みを見せる主人を見ていられないのか、顔を覆っていた。
「なるほど、おうちに帰っておねむってわけだ……意外と紫も可愛いところがあるな」
 聞き捨てならない言葉に紫が振り返ると、そこには魔理沙が仁王立ちで笑っていた。
 その表情には、明らかに庚申待から逃げようとする紫を嘲る色がにじみ出ている。どうやら、最初の首引きの恨みをのし付けて返そうという魂胆らしい。
「どういう意味かしら?」
「いやぁー、簡単な話だぜ。つまり紫は、夜になるとすぐに寝ちゃうカワイイ奴って事だな~ ははは、なんだったら魔理沙お姉さんが珈琲を淹れてやろうか? きっと興奮して眠れなくなるぞぉ? いや、しかしお子様な紫には少し刺激が強いかもなぁ」
 そして魔理沙は、紫の頭をナデナデすると『おー、カワイカワイ~』とあやす仕草をしてみせる。
「……ず、随分とふざけたことを言ってくれるじゃないの! この八雲紫、徹夜の一つや二つ程度、どうとでもなるわよ!」
「ゆ、紫様!」
「藍は黙ってなさい! いいでしょう、私が眠くないことを証明するために庚申待がお開きとなるまで、しっかりと起きて、ここに居ようじゃないの!」
 八雲紫と霧雨魔理沙の対峙に、集った者たちは歓声を上げる。
「いや、眠いなら帰ればいいじゃない」
 そんな中で、博麗霊夢だけは冷静だった。
 
 
 決められたルールは単純明快。
 日が出るまでに紫が寝れば、魔理沙の勝ちで、寝なければ紫の勝ちである。
 また、紫が寝そうになっても誰かが起こしてはならない。
 そして、寝入ったかどうかの判定は、魔理沙が紫の肩を軽く三回叩いて、反応がなければ寝たとするという単純なものだ。
 
 こうして始まった紫と魔理沙の一騎打ち、始まって早々、紫はこっくりこっくりと舟を漕ぎはじめていた。
 
 式神である藍は見てられないと顔を覆い、そのまた式神である橙も見てられないと主人と同じように顔を覆っている。
「眠気の境界とかをいじれば、どうにでもなるんじゃいの?」
 誰が持ってきたか分からない緑色の怪しげな酒のようなものを傾けながら、霊夢は藍に尋ねる。
 八雲紫は、境界を操る妖怪だ。その力は空前絶後にして前人未到、それこそ奇跡のような行いも平然と行える存在で、己の眠気を消す程度は造作もないように思える。
「それは……出来ないんです」
 だが、主人の無様な姿を見ないようにと、片手で目を覆いながら藍は返す。
 そうして目を覆っている式神の主人は、座布団の上で、全周囲に頭をグルングルン動かしている。ここで、並みの人間であれば、ガクッと体勢を崩して夢うつつから醒めるのだろうが、八雲紫は一味違い完全なバランスを保って、船を漕いでいた。
「どういうことなの?」
 回転力を失い、紫はゆっくりと床に寝そべってしまう。
 その回転からの移行はあまりにスムーズであったため、やはり紫が目を覚ます様子はない。
「紫様は…… 紫様は……ッ」
 悲痛な声を上げる藍を見て、霊夢は少しだけ居住まいを正す。
 確かに、いくらなんでも紫は寝過ぎとしか思えなかった。
 毎日あれだけ寝て、さらには冬眠までするとは尋常なものではない。紫には、何か寝ていなければならない事情がある……その可能性に思い至らなかったのは、少しばかりの紫に対する思いやりが足りなかったのかも知れない。
「紫は……どうして、あれほど眠るの?」
 すでに目を完全に閉じて、寝そべりながら、何か悪いものに憑つかれたような動きをしているスキマ妖怪を見て、霊夢は尋ねる。
「寝るのが大好きなんです。その所為でご自身の睡眠欲求はセーブできないようでして……」
「……そうなんだぁ」
 
 霊夢は、真剣に心配していたのが馬鹿馬鹿しくなった。
 
 すでに完全な熟睡モードに突入した紫に忍び寄る霧雨魔理沙、これで三度のタップに気が付かなければ、八雲紫の敗北は決定してしまう。
 特に負けたからどうという事はないのだが、気分が悪いことは間違いない。どうせ勝負事をするなら勝つ方が楽しいに決まっている。
 そんな中、霧雨魔理沙の手が紫の肩にかかり、八雲紫の敗北が決定的となった。
 その時、
 
「寝るなぁーッ!」
 という誰とも分からない声と共に八雲紫の頭がスパコーンと叩かれた。
 
「な、なんだ!?」
 魔理沙が声を上げて見ると、そこにはハリセンを持った見慣れない妖怪が、肩で息をしながら立っている。
「……えーと、その」
 紫を叩いた妖怪は、ハリセンを持ったまま頭を掻いた。
 庚申待に集まった者たちの視線を一身に集め、顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら、ハリセンの妖怪は居心地悪そうに周囲を見回す。
「……あの子は、しょうけらですね」
「知っているのか、射命丸!」
 事情通の射命丸文がぼそりと呟き、それを聞いて神奈子が声を上げる。
 その一言によって、水が染みわたるように、しょうけらという情報が周囲に広まり、更に集まる視線にハリセンを持った妖怪はびくりと震えて、汗をダラダラ垂らしていた。
 どうやら、大勢の視線をまともに受けて、極度の緊張状態に置かれているようだ。
「ふうむ……」
 一切の状況は分からないし、紫との勝負の決着が不透明になってしまったが、このまま遠巻きに見ていても解決しないだろう。
 そう思った魔理沙は、突然現れて、寝入る寸前だった紫をハリセンで張り飛ばしてしまった『しょうけら』と思しき妖怪に声をかけようと近づく。

「ふふ、ふふふふふ……」

 しかし、その試みが成功することはなかった。
 妖怪によって張り飛ばされた八雲紫が、気味の悪い笑い声を上げたからだ。

 八雲紫が立ち上がり、露わになったその顔を見て誰しもが声を失った。
 溢れだす圧倒的妖気、明らかに正気を失った瞳、口の端には恐ろしい笑みを浮かべ、八雲紫の手は蟷螂拳の如き手形に握られている。 
 その姿は、まさに脅威そのもの。
 
 極限まで眠気を我慢し、限界を迎えて眠ろうとした瞬間に邪魔をされた紫は、理性というものを完全に失っていたのだった。
「す……すいません! どうしても寝ている人を見ると起しちゃ……」
 しょうけらが謝罪の言葉を口にするが、言えたのはそこまでだ。
 
 恐ろしい速度で八雲紫は近接し、まるで対応できていないしょうけらに向かって、腕を突き出す。
 八雲紫は、境界を操る妖怪である。
 境界を操るとは、物の概念や物質を操るだけではない。たとえば、池に映る月の境界を操れば、それは実在の月に繋がるし、生と死の境界を弄れば、生者は死んで、死者は生き返るし、二次元と三次元の境界を消せば、二次元のものは三次元に姿を現し、人々は二次元に旅立つだろう。
 まさに神、いやその力はある意味、神以上かも知れない。
 
 八雲紫は、その能力を本能の赴くままに、呆然としているしょうけらに使ったようで、ツンと一回、手形でしょうけらの眉間を叩く。
 そして、大きく欠伸をすると、ふらふらと眠たげな目をこすりながら、霊夢のところに歩いて行き、巫女の膝に倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、紫!」
「…………くー、くー」
 霊夢の膝を枕にして丸まると、紫は完全に熟睡に入ってしまい、気持ち良さそうに寝息を立てる。
 流石に大妖怪の身体には三尸などは入っていないので、身体から出ていくことはないが、それを理解していても、しょうけらの本能は、変わらない。庚申待の日に寝ている者を見ると目覚めさせようと、紫を再度しばき倒す為に身体が勝手に動こうとする。
 
「あう!」

 だが、しょうけらの反射的行動は、未然に防がれることになった。
 眠りに落ちた八雲紫を起こそうと、ハリセンを持って走ろうとした矢先、しょうけらの腰に霧雨魔理沙がしがみついたからだ。
「……え、あ、あの」
 自分の反射行動に気が付いたしょうけらが、詫びの言葉を口にしようとするが、そこで思いとどまる。
 自分の腰にしがみついた魔理沙の様子が、明らかにおかしい。
「畜生……なんて可愛いんだよ」
 顔を真っ赤に紅潮させ、息も荒く、魔理沙はしょうけらを組み伏せようとする。
「ちょ……ちょっと、待って下さいよ!」
「そうよ魔理沙! 今日会ったばかりの子を押し倒すなんて、節操が……」
 魔理沙をしょうけらから引き剥がそうとするが、近づくにつれて、アリスの目付きが怪しくなっていった。というか、明らかに危ない。
「……せ、節操がなくなるのも仕方ないわね! こんなに可愛いんですもの!」

「いいい…やぁ! あぁ…っ! ああっ」

 しょうけらは妙に色っぽい悲鳴を上げた。
 ミイラ取りがミイラになるという言葉が、これほど似合う状況もそうは無いだろう。しょうけらの救助に進み出た者は、次から次へとしょうけらを襲うケダモノと化し、博麗神社に阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される。
 そんな中で、ただ一人、
「アリスー ほら、離れようよー」
 メディスン・メランコリーだけは正気を保ったまま、アリスを引きはがそうとしていた。
「おそらく、フェロモンね」
「ふぇろもん?」
 紫を膝枕する破目になり、動く事が出来なくなった霊夢の元に、ロゼの入ったグラスを片手に八意永琳が現れた。
「ええ、恐らくそこで丸くなっているスキマさんは、突然現れたあの妖怪の『汗とフェロモンの境界』を弄ったんでしょう。まあ、そうでなくともメディスンに影響が出ていない所を見ると、化学物質の範疇だとは思いますが」
「なるほどねぇ」
 いまいち良くは分からないが、とりあえず霊夢は頷く。

「ところで止められないの?」
「盛り上がっていますし、互いに邪魔をし合って最後まで行くこともないでしょうし、私が困る事はありませんから」
 永琳の言葉に、霊夢はそれもそうねと頷いた。









 庚申待という名の宴も、終わりを迎えようとしていた。
「それじゃあ、私たちはそろそろ帰るわね」
 紅魔館の吸血鬼、レミリアが霊夢達に別れを告げる。
「おーう、それじゃあなー」
「寄り道せず、日が昇るまでには帰りなさいよ」
 霊夢と魔理沙が手を振って送る。他の者たちも似たように吸血鬼達に別れを言った。
 そうした『さよなら』の連呼を聞きながら、私は宴の席のど真ん中で大の字になって寝ている。
 本当であれば、さっさと帰ればいいのだろうが、10人近くの人数にもみくちゃにされた所為で、疲れて指一つ動かす気力もないのだ。
 ついさっき、私の争奪戦に参加していた者達は正気に返り、ようやく私は解放された。
 魔理沙は私に「犬にでも噛まれたと思ってくよくよするな」と言ってくれたが、別に私はもみくちゃにされただけで、貞操がどうとかいう話は無いし、そもそも、今はくよくよする体力もない。
 
 人々や妖怪が、まるで波が引くように帰って行く。
 
 中には私に「じゃあね、しょうけらさん」などと別れの挨拶をしてくれるモノもいた。有難い反面、そういった人達の一人が残した「なかなか笑わせてもらったわ」という一言を思い出すと、わずかに顔が引きつるのが自分でもわかる。
「さ、紫様。そろそろ帰りましょう」
「むぅ…… ねぇ、藍、抱っこしてぇ」
「ね、寝ボケないでくださいっ」
 結局、藍は紫をおぶって帰るようだ。
 私が寝転がっている横を、藍と紫が通り過ぎる時、
「……他人の温もり、どうだった?」
 と声がした。
 
 ……まさか、計算づくだったのか?

 驚きと共に、私は寝たまま紫を見上げてみるが、彼女は藍におんぶされたまま「すかー」と、寝息を立てていた。
 寝言か寝たふりかそれとも空耳か、全く分からないけど私は、
「……温もりってレベルじゃなかったです」
 と、苦笑しながらぼやいてみせる。
 なんとも壮絶過ぎる他人の温もり、今回のこれで蜂球で熱死させられるスズメバチの気持ちが良く分かった。
 ともあれ、意図的か偶然かは分からないけど、この人が寝なければ私が、こうして宴の真ん中で寝っ転がることも、こんな形とはいえ他人と話すことも無かっただろう。きっと人見知りの強い私は、何だかんだと言い訳をして、一人では他人と交わることなんて出来なかったに違いない。
 寝ながらで恐縮だけど、私は八雲紫に感謝を捧げる。
 
 
 
 おおよそ半数が帰った頃に、私はようやく動けるようになっていた。
 見れば、霊夢達は片づけを始めている。
「手伝いますよ」
「あら、悪いわね」
 自然と霊夢に手伝いを申し出て、それは簡単に承諾される。
 
 なんというか、簡単なことじゃないか。
 
 ただ、気軽に入れてと言えば良かったんだ。
 妙に考え込む必要なんて、一つもなかったのに、どうにも難しく考えていたんだな、私は。
「最近、本当に暑くなってきたわね」
「まったくだぜ、こんなに暑いとキノコが枯れちまう」
「そう言えば、里で氷屋が姿を見せるようになりましたよ」
「へぇ、氷屋のおっちゃんが山から下りてきたかー あのおっちゃんのアイスキャンディー、絶品だからな」
「私は、普通にかき氷の宇治金時が好きだけど」
「ブルーハワイも、結構おいしいですよ」
「……ところで、ブルーは分かるけど、ハワイって、いったい何なんだろうな?」
 片づけをしながら、どうでも良い会話を交わす。

 それが、凄く楽しい。
 
 人と交わることがこんなにも楽しかったなんて、思いもしなかった。
 どうやら、私は凄い損をして生きていたようだ。
 これからは、その損を全力で取り返してやろう。



「そういや、お前の名前はなんだ? しょうけらって言ったってキチンとした名前があるんだろ」
 魔理沙が私に聞いてくる。
 霊夢も興味深そうに私を見ていた。
 私は、一つ深呼吸をして落ち着けると、口を開く。
 
 
「私の名前は―――
庚申様は、申(さる)ということで猿田彦神や青面金剛、あるいは帝釈天とされることがあります。
この辺が、民間信仰らしくアバウトで良いですよね。

庚申待を三年間十八回続けると、人々はそこに庚申塚を立てたそうです。
ちなみに、うちの近所にある庚申塚の庚申様は、猿田彦神でした。

7/15
ぐはぁ、と誤字の多さに泣いてます。
三尸に関しては、調べた本では『三尸』だったので、そのままで。
ご指摘ありがとうございました。

7/15
追加で修正。
御指摘、ありがとうございます。

7/16
更に追加で修正を。
御指摘ありがとうございました。
しかし、初っ端ですね……ぬぅ。
七々原白夜
http://derumonndo.blog50.fc2.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2110簡易評価
6.80煉獄削除
しょうけらというのも新鮮で良かったですねぇ。
天井から霊夢たちの宴会を眺めて自分もその輪の中に入りたいと思ったことや
紫様が寝ようとしたときにハリセンで叩き起こしたり、皆にもみくちゃにされたり
その後の会話など面白かったですよ。

誤字・脱字があったので報告です。
>人間の体の中には三尸いう虫が居る。
『三尺という』ではないでしょうか。
>ところで赤いのとと白いの、
『と』が一つ余計ですよ。
>「ほら、食べたい人はお椀を持ってん並んで!
『ん』は必要ないです。
>意外と紫も可愛いと事があるな」
『可愛いとこ・可愛いところがあるな』だと思います。
以上、報告でした。(礼)
10.100名前が無い程度の能力削除
しょうけらとは知らない妖怪だw
三尺はぬーべーで読んでずいぶん怖かったですね

ゆかりんかわいいよ! オリキャラもいい立ち位置で非常に読んでて心地よかったです

最後に誤字報告
>「そういや、お前の名前はなんだ? しょうけらったってキチンとした名前があるんだろ」
「しょうけらって言ったって」かな?
12.90名前が無い程度の能力削除
第三者の目で霊夢達の宴会を見るのが面白かったです。
こんな風に気の合う仲間と一夜を過ごせたら楽しいでしょうね。
13.100名前が無い程度の能力削除
本当にみんな楽しそうないい宴会話でした。オリキャラもいい味でてるし、面白かったです。

仏蘭西人形魔理沙可愛いよ。
18.100名前が無い程度の能力削除
ゆかりん歪みねえな
21.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字報告
>幽香を一緒になって
幽香と一緒になって
25.80名前が無い程度の能力削除
しょうけらかわいいよしょうけら
26.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
27.100名前が無い程度の能力削除
途中の酔っ払い共のグダグダ感がなんともいえないです。
それでいて作品としてはちゃんと締りが効いていました。

「尸」で大丈夫です。「尺」や「戸」の場合があるのは似た字で誤魔化してるからです。
28.無評価煉獄削除
後書きなどを含めて読み返していて気付きましたが、誤字や脱字を報告した私自身が
『三尸』を『三尺』にミス変換しちゃってましたね……。
七々原白夜さん、申し訳ありません。(礼)
それと脱字ですが、改めて報告しますね。 『三尸いう』ではなく『三尸という』かと思います。
30.90名前が無い程度の能力削除
すごいいい話だった。しょうけらの違和感の無さが素敵。
38.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気がよかった
39.100名前が無い程度の能力削除
人妖のくだらなくも楽しげな宴会の賑々しさがいいですねー。
淋しん坊のしょうけらも和に入れてえがったのう。
42.100名前が無い程度の能力削除
俺もこの騒ぎに加わりたくなった
44.80名前が無い程度の能力削除
紫が境界を操れば、二次元と三次元が曖昧になるだと……?
50.80名前が無い程度の能力削除
しょうけら視点の宴会はなかなか新鮮でした。
あと、しょうけらの寝た人を起こす──という設定も
伏線としてちゃんといかされていてとてもよかったです。
55.100名前が無い程度の能力削除
鳥山石燕が描いたしょうけらが若干トラウマだったり。上から覗かれるの怖い

でもここのしょうけらは可愛かったです。
神主がもしもしょうけらを描いたら……また幻想郷に美少女が増えますな。
62.100名前が無い程度の能力削除
宴会をこっそり覗くしょうけらの視点が読んでいる自分自身の視点とオーバーラップするような。
なんというか凄い感情移入?あるいは没入感?バーチャルな感じ?
読んでいて凄く幸せになれる作品でした。ありがとうございました。