Coolier - 新生・東方創想話

She smiles with...

2009/09/07 09:26:49
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 長く続き過ぎた冬。分厚い鈍色の雲を抜け、少女はそこに辿り着いた。
大仰にそびえる門と結界。それを前に紅白の少女は身を素早く翻らせ、迫り来る虹色の弾丸を潜り抜ける。

「確かに、ルールに則ってはいるけど…。人数制限くらい設けておくんだったわ」

 紅白の巫女、博麗霊夢は対峙する三人の騒霊を前に一つ溜め息をついた。
三人がかりのスペルカード。なるほど確かに華麗ではある。
しかしスペルカードの凶悪さを見る限りでは、三人で漸く並の妖怪一匹分から三割増といったところだろう。
 これならば、こちらのスペルカードを使用するまでも無く乗り切れる。
そう確信し、霊夢は次の弾を避け、一糸乱れぬ円運動を繰り返す少女らを見据えたうえで、左手に持てるだけの符を携えた。
 幻想郷の端に存在する博麗神社の、霊験あらたかなありがたい符だ。
これで倒せぬ妖怪や亡霊など、あんまり居ない。

「お花見権、いただき!」
「どけどけどけえッ!」

 符を携えた左手を振りかぶり、相手目掛けて投擲する…はずだった。
しかしその横を、見慣れた二色の影が猛スピードで駆け抜ける。
遅れて吹き抜ける強烈な風が霊夢を襲った。駆け抜けた白黒は既に点だ。
それは無謀とも言える速さで虹色の弾を掻い潜り、円運動の中心へ迷い無く突っ込む。

「恋符ッ!」

 敵中ド真ん中へ高速を維持し突貫する少女は、箒に手放しで跨りながら、右手に持ったミニ八卦炉を正面へ突き出す。
同時に左手で取り出した一枚のスペルカードを正面に投擲。
投擲されたカードは三つに分裂し、彼女の周りを三次元的な動きで回り始めた。

「ノンディレクショナルレーザー!」

 騒霊の織り成す円運動の中心へ強引に割り込んだ少女、霧雨魔理沙が、お約束だと言わんばかりに雄叫びを上げる。
彼女の周りを回るスペルカードが次第に高速化し、ミニ八卦炉からエネルギーを供給されたそれらは、高速回転そのままに莫大な量の光を照射した。
 円運動を続けるプリズムリバー三姉妹も、その動きの中心から放射されるレーザーを回避する事はできず、か細い悲鳴を上げながら直撃を貰う。
 霊夢はと言えば、闖入者の射程圏外から呆然とその光景を望むばかり。

「三丁あがりだぜ。」

 そこまで無慈悲な攻撃をする相手でも無かっただろうに、と霊夢は空しく落下していく騒霊を目で追いながら哀れに思う。
 やっぱり、人数制限を設けるべきだわ。霊夢は符をしまい、腕を組んでうんうんと唸った。
今のように乱入する与太郎が居ては、成り立つものも成り立たない。
仮に二人以上のチームで臨むとしても、一人が出ている間はもう一人が大人しくしているべきだ。
うむ、次からはそうしよう。

「…いつもながら、無茶苦茶やってくれるわね」
「この方が楽だし速いと思ったからな。そうやって人間は前に進むんだぜ」
「そうやって堕落していく訳ね」
「どこかの巫女みたいにな」
「うぐ」

 魔理沙はにやりと笑みを浮かべる。腹立たしいが、どこか憎めない笑みだ。

「…それにしても、相変わらず他人の物を盗るのが好きね」

 ここぞとばかりに話題を転換する。
 先程魔理沙が使用したスペルカードは、恐らく以前図書館で対峙した魔法使いのものを、彼女なりにアレンジして出来たものだろう。
苦し紛れでなく、実際魔理沙のスペルカードに既視感を覚えた為の話題転換であった。

「人聞きの悪い。私は警鐘を鳴らしているんだ」

 そんな大仰な理由か。
いけしゃあしゃあと話す魔理沙に対して呆れながらも、霊夢は黙って聞いてやる。

「生半可な攻撃してると、あっさり上位互換品を作られるぞ、ってな」

 なるほど、頷けなくもない。
いくら異変を起こしやすい、解決しやすいルールだとはいえ、互いを練磨できぬものならばその力はいずれ衰え、弾幕ごっこが本当の意味でごっこ遊びとなってしまう。
相手を超えるという意味で生み出す複製ならば、これ以上このルールに嵌る理由も無いのだが。

「つまるところ、複製よね」
「劣化してないだけ親切だろう」
「複製じゃない」
「愛情が違う。元の使用者が本望だって言ってたくらいだからな」
「いつ」
「近い将来」

 霊夢は呆れた様子で頭を抱え、魔理沙はきしし、と歯を見せ笑う。
 嫌いな笑顔ではない。
魔理沙とは長い付き合いになるからかもしれないが、どこか安心感を覚える笑みだ。
気付けばこちらも笑顔―苦笑とも言えるが―になってしまう、他者を巻き込む笑み。
この冬さえ終わらせてしまいそうな、底抜けに明るく、暖かい笑み。

「霊夢もサボりすぎてると、足をすくわれるぜ」
「余計なお世話よ」

 再び二人は笑い合う。

「おっと、忘れてた。さっさと異変を解決して花見と洒落込むんだった」

 本来の目的を思い出した魔理沙に、霊夢は深く同意した。
間延びし過ぎた冬に耐えた桜は、さぞかし見事な花を咲かせるに違いない。
その下で酌み交わす酒は、不味いはずが無いのだ。

「雪景色に不似合いなメイド服も居たな。さっさとしないと先を越されるぜ」
「貴女も十分不似合いだけどね」
「お前もな」

 再度笑い合うその表情は、何者にも屈せぬという決意に満ちた、不敵な笑みだった。





(…へえ。星空みたいに綺麗じゃないか)

 霧雨魔理沙は地を背に空を仰ぐ。
 状況が状況ならば一杯やれそうな程に見事だった枯山水が、落下の衝撃で滅茶苦茶だ。
強かに打ちつけた背が、やたら痛い。

 大きくそびえる、この世の物とは思えぬ八分咲きの桜。
 無数に羽ばたく色とりどりの蝶。
 その向かう先に見知った二色。
 蝶をすり抜け敵へと向かう、五色の光弾。
 その後一気に散る桜は、見事としか言いようが無かった。

 目の前が滲んでしまうまでは。

「くそっ…」

 一度、二度、三度。何度もその言葉を反芻し、長袖で両目を覆う。
そして彼女は再び、自分が敗北した事を悟った。

「私じゃ、駄目なのか」

 震える声で、消え入る声で呟く。
こんなはずでは無かった。吐き捨て、歯を食い縛る。
どれだけその言葉を繰り返そうと、救われはしない。
哀れで、惨めで、情けない。
悔しさの余り一握りの砂利を投げ捨てたが、ただ空しい音を鳴らすのみ。
ひらひらと舞う桜の花が、再び涙を誘った。

 狂い咲き散るこの桜は長い冬の終わりを告げ、遅い春の始まりを知らせるだろう。
 やがて咲き散る桜の下で、私は酩酊するのだろう。
 だが私は、桜を見る度に思い出すのだ。
 この日を、この時を、この瞬間を。

「これまた酷い有様ねえ」

 やがて降り立った紅白の巫女が、黒いとんがり帽子を拾い上げ飄々と言い放つ。
帽子の埃を掃いながら、ざっ、ざっ、と砂利を掻き分ける小気味良い音と共に歩み寄る少女は、呼吸も着衣も乱してはいなかった。
その分、敵の攻撃で切れたのであろう瞼が紅く色付き、右目を塞いでいる様子が非常に目立つ。

「さっさと帰って、花見と洒落込みましょう」

 丁寧に埃を掃った帽子を、両腕で顔を覆う魔理沙の顔へ乱暴に乗せ、霊夢は告げた。
 異変は解決した。またしても彼女、博麗霊夢の手によって。

「…酒は、あるんだろうな」

 顔を覆っていた腕をどけ、代わりに帽子で顔を隠しながら、魔理沙は強がる。

「いいお酒を用意してあるわ」
「あの神社のどこにそんな物が」
「今から手に入れるのよ。このだだっ広い屋敷から」
「それじゃあ泥棒だぜ」
「警鐘よ」

 共に肩を揺らして笑い、やがて霊夢は右目を拭って晴れ始めた空へ飛び上がる。

「さ、帰りましょう」
「酒を手に入れてからな」

 そして一つの決意を胸に、魔理沙も立ち上がって箒を拾い上げた。

(私も、なりたい。絶対になってやる)





「なあ霊夢、あの、あれ貸してくれよ」

 幻想郷を覆っていた分厚い雲が晴れ、漸く訪れた春も終わりを告げたある日、魔理沙は博霊神社を訪れるや否やぶっきらぼうに巫女へ尋ねた。

「あれって何よ。生憎貴女にあげる物なんてうちには無いわ」

 境内の掃除をする霊夢もまた、ぶっきらぼうに返した。
 しかし、桜の後はどうしてこうも毛虫が多いのか。ぶつくさ文句を垂れながら、霊夢は休む事なく箒を動かす。

「くれなんて言ってないだろう。貸してくれと言ったんだ」

 凡人、凡妖怪程度であればそこで引き下がってしまう程、今の霊夢の機嫌は悪い。
 しかし魔理沙は動じない。内心いつ攻撃的になるか不安ではあるが、この程度ならばまだ軽い方だ。
いきなり妖怪退治用の針を投げられた事もある。その時に比べれば何て事はない。
できればその時の再現はお断り願いたいが。

「言ってるじゃない」

 霊夢の言葉の意味を二秒ほど考え、魔理沙は「あっ、いけね」と拍手を打つ。

「貸してください」
「わざとでしょう」
「くれ」
「余計悪いわ!」

 けらけらと、魔理沙は後頭部を掻きながら満面の笑みを見せる。
それにつられて、霊夢もまた苦笑しながら「全く」と呆れて見せた。

「それで?何を借りたいの」

 機嫌を直したのか、はたまた呆れて折れたのか、霊夢は魔理沙に尋ねる。

「いや、私はくれと言ったんだが」

 霊夢が笑顔のままスペルカードを取り出したので、魔理沙は全力で撤回した。





「陰陽玉を?一体何に使うのよ」

 立ち話も難だからと、魔理沙を居間へ上げて適当に茶を出す。
何も言わずに茶が出るなんて珍しいなどと抜かすので、帽子を脱いだ頭を一発ひっぱたいてやった。

「いたた…。まあ、何だ、いろいろと」
「ああ、そういう訳ね」
「何だよ」

 ふふん、と上から目線で霊夢が言う。
一瞬ムッとしたが、下手に出ざるを得ない状況である事は理解している為、言及しない。

「貴女が物を借りるのに許可を求めて来るから、妙だとは思ったのよ」
「何だよ、人をいつも許可を得ないで持って行く泥棒みたいに」
「実際そうだから言ってるんじゃない。それとも、それも警鐘かしら?」

 再びふふん、と笑って見せた霊夢に魔理沙は口をつぐむが、数秒もしないうちにまた得意気な顔で話を始めた。

「そうだぜ。第一管理がなってない所が多いんだ。どこぞの道具屋とかな。だから私は身を以て教授してやってるんだ」

 貴女の家も大概よ、と思ったのは内緒だ。
それほどまでに、彼女の家は散らかり放題なのである。
本人がどこに何があるかを理解しているあたり、整理された散らかりようなのだが。

「なるほど。だから私の力で封印されている陰陽玉が持って行けず、許可を取ったと」

 うぐ、と再び口をつぐむ魔理沙。うぐの音は出るがぐうの音は出ない。
 少しは他人様の事を考えるようになったかと期待した霊夢だが、さすがに呆れた。
相変わらずの魔理沙にもだが、一瞬でもそうなったのではと期待した自分に。

「第一、陰陽玉はただでさえ何も無い博麗神社の…」
「自分で言うな。こっちが悲しくなる」

 言った霊夢自身少し落ち込んでいるようで、こほん、と一つ間を置いた。
 魔理沙も出された茶をすすりながら、様子を見る。
 渋い。何と渋い茶だ。

「とにかく、代々受け継がれてきた秘宝なのよ。そんな物、易々と貸し出せる訳がないじゃない」
「そこを何とか!頼むよ霊夢!この通り!」

 どうしてもと、魔理沙は額の前で手を合わせて頭を下げ、目を瞑りながら時折片方の目を開け霊夢の様子を伺う。
ややわざとらしくはあるが、魔理沙がここまで熱心に頼み事をするなど初めての事かもしれない。
それを無下にしてしまっては、どこか居た堪れない気がしてならなかった。

「…仕方ないわねえ。少しだけよ?」

 はあ、と一つ溜め息をつき、霊夢は折れた。
魔理沙は同時に喜びの声を上げ、勢い余って霊夢に跳び着く。
 なるほど。魔理沙に物を貸し与えてしまう気持ちが理解できた気がした。
純朴とも取れる真っ直ぐな感情。それを真っ直ぐぶつける素直さ。
それが熱意であるならば、通らぬ訳が無い。

「ま、魔理沙、苦しい…」
「おおっ!?…悪い悪い」

 余りに一方的である事が、玉に瑕ではあるが。





 霊夢は条件付きで陰陽玉の借用を許可した。
何という事は無い。ただ陰陽玉を使わせて欲しいとの事だったので、霊夢の見ている所でのみ使用するという条件を提示しただけだ。
それくらいの条件ならば、魔理沙に断る理由は無い。
ただ陰陽玉使用の練習風景を常に見られているのは気恥ずかしかったが。

「はあっ…、はあっ…」

 思いのほか、魔理沙は陰陽玉の操作に苦戦しているようだった。
うだるような暑さではないにしろ、南中した陽はおしなべて幻想郷へ降り注いでいる。
先程まであっという間に使いこなしてみせるぜと息巻いていた魔理沙も、額に汗を浮かべ余裕を失った表情で長袖を捲り、肩を上下させていた。

「くそっ、ウンともスンとも言わないぞこいつ!」
(ああ、湿気っちゃってるわ。まあいいか。これくらいの方が美味しい)

 無理もない、と霊夢は縁側に腰掛け煎餅をかじりながら、庭先で苦戦する魔理沙を興味無さげに見守る。
確か博麗の血を引く者にしか扱えないとか、そんな話を聞いた事があるような、無いような。
曖昧な記憶を辿りながらうんうんと唸り、茶をすすった後再び庭先の魔理沙に視線を戻した。

 そもそも魔理沙の扱う八卦炉とは系統こそ近い陰陽玉ではあるが、使用する魔法には向かないのではないかと霊夢は思う。
しかし額に汗する魔理沙の努力に水を差したくはなかった為、余計な事は言わずにいた。
いつも飄々とし、底抜けに明るく振舞う魔理沙のそういった表情を見るのも悪くはない。
後で話の種にするのも良いだろう。
馴染みの深いどこぞの道具屋にでも聞かせれば、魔理沙は顔を紅くして否定するだろうか。
その様子を思い浮かべただけで笑みがこぼれる。

「あっ!今だらしねえなと思っただろ!」

 膝に片手をつきながら、魔理沙は苦しそうに霊夢を指差す。
霊夢は少し焦って否定するが、魔理沙の目には図星を突かれたように映った。

「…人の気も知らないで…」
「えっ?何?」
「あーもう!コツとか教えろ!何かあるだろ、何か!」

 魔理沙が何かゴニョゴニョと呟いたようだったが、霊夢の耳には入らない。
大方面と向かって言えぬ文句か何かだろうと見逃した。
 しかし、コツと言われても霊夢には思い当たる節が何も無い。
気が付けば使えていた。空気を吸うように、無意識に扱えたのだ。
 そこまで考えて、いかんいかんと首を振る。これをこのまま伝えては、魔理沙が怒るに決まっている。
教えを請う立場の魔理沙が憤るのは些か理不尽ではあるが、その様子が容易に思い浮かんでならない。
威勢だけは良いのだ。負けを負けと認めぬ彼女の長所であり、短所でもある。
 霊夢はううむ、と唸る振りをして、少しでもましな言葉を選んでいた。

「こう、気をね、ハァーッ!と、込めるのよ。その、念じながら、ね」
「ほう?」
「ええと、何て言えばいいのかしら。弾を撃つ時に、こう、念じたりするじゃない?行けーっ、て」
「ふむふむ」
「あー」

 言葉を選びながら急ごしらえのポーズまでとってみたのはいいが、どれもこれも抽象的で理解しにくい。
次の言葉を頭の中の引き出しから探すものの、なかなか適した言葉が見つからない。
自分でもよくわからない、と正直に言いたい気持ちはある。
しかし目を輝かせながら次のアドバイスを待つ魔理沙を裏切ってよいものかと、霊夢の良心は揺らいだ。

「で!?」
「う…」
「こう、念じて、どうすればいい!?」

 霊夢が曖昧に教えた姿勢のまま、魔理沙は期待の眼差しで霊夢を見つめる。
純粋に輝く瞳は、霊夢には非常に痛く感じた。

「うー…」
「霊夢!」
「あーもう!」

 突如立ち上がった霊夢に、魔理沙はぎょっとして半歩退いた。

「知らないわよそんなの!気が付いたら使えてたし、空気を吸うくらい当たり前に使えるんだもの、表現しようがないわ!自分でも自在に出せないゲップの仕方を赤ん坊に一生懸命言葉で教えるようなものよ!」

 言い切って、霊夢ははっとした。
他人に物を教えるなど面倒臭くて投げ出してしまいたい、と思っていた気持ちが遂に爆発してしまったのだ。
それに、例えが的を外しているような気がしてならない。

 しいん、と空気が静まり返る。
その辺の鳥が鳴いてでもくれれば、少なからずこの空気も瓦解するだろうに。
毎朝餌を寄越せとピーピーうるさい連中は、この時ばかりは静観らしい。

「あー…、その、何。ごめん。私にもよくわからないのよ」

 少しでも剣呑な空気を和らげようと、霊夢は落ち着いた口調で申し訳なさそうに言いながら、ゆっくりと腰を下ろす。
本当に申し訳ないと思っているのか、なかなか魔理沙を直視する事ができない様子でぽりぽりと左頬を掻きながら。

「お、おう…」

 対する魔理沙は、硬直したままゆっくりと返事をする。
まるで妖怪を問答無用で懲らしめるような剣幕に圧され、得意の軽口もきけずにいた。

「第一、今更どうして陰陽玉を?立派な八卦炉があるじゃない」

 この際だからと霊夢は尋ねる。
新しい魔法を習得したいと言うのなら理解できる。だが何故わざわざ陰陽玉なのか。
そこまで考えて、相手は魔理沙なのだという事を思い出す。
彼女の場合、理屈ではない。使いたいから使うのだ。
質問せずとも理解できた事ではないか。

「いや、その、何だ」

 霊夢の予想に反して、魔理沙は右頬を掻きながら恥ずかしそうに顔を逸らした。
何か特別な理由があるのだろうかと霊夢は首を傾げる。

「い、いいじゃないか、細かい事は。な、うん」
「下手なはぐらかし方ね。余程口に出し難い理由なのかしら」

 じろりと訝しげに一瞥する霊夢に、魔理沙は事のほか動揺した。
魔理沙も本来の目的を悟られぬよう振舞ったつもりだったが、お見通しらしい。
霊夢の勘はやたらと鋭い。異変の察知から箪笥の裏のお金まで見つけてしまう高性能。
尤も今の魔理沙を見る限り、何か意図がある事は火を見るより明らかなのだが。

「ひょっとして、博麗神社に帰依する気にでもなった?」

 想像して、笑った。
金髪で白黒の巫女か。まあ悪くはないだろう。
ただ、場所が場所だけにものすごく縁起が悪い色ではある。

「じょっ、冗談飛ばすな!」
「…あれ、貴女ってそんな風に喋るんだったかしら」

 目に見えて頬を染め、激しく首を振りながら、目の前で掌を何度も交差させる魔理沙。
図星だったか、それとも本気で嫌がったか。
魔理沙に限って前者という事はないだろう。かといって後者というのも気分が悪い。
しかしよく考えてみれば、後者だとしてこれほど狼狽するだろうか。
せいぜい「それもいいかもな。それはそうと…」と軽く流されるのが関の山だろう。

 …だとしたら?

「きょ、今日のところはこれくらいで勘弁してやる!また来るから覚悟しとけよ!」
「あらそこは『やんごとなき事情を思い出した』でしょうに」

 壮大な捨て台詞を残して箒に跨り一目散に飛び去る魔理沙を、霊夢はこれ以上無いくらいの深い溜め息で見送った。
 悪い事をしてしまっただろうかと、霊夢は少し後悔する。
魔理沙の我侭があったとはいえ、自分の魔理沙に対する扱いはどうだっただろう。
反省すべき点ばかり思い浮かぶ。

 真っ直ぐな魔理沙に対して真っ直ぐぶつかってはどちらかが、若しくはどちらも怪我をしてしまう。
ふらふらと周りを飛びながら、時折方向を修正してやるくらいが丁度いい。
 彼女は、言った通りまた来るだろうか。
次に来た時まだ陰陽玉を使いたいと言うのなら、今度は親身になってやろう。
そう思いながら見上げた空は、清々しい快晴でありながらどこか物悲しかった。

「…夕飯くらいまで粘ればいいのに。全く」

 吐き捨てるように呟き、右手を正面にかざす。
地面に落ちた陰陽玉がふわりと浮かび、霊夢の右手に吸い込まれた。
やはり、言葉で説明できるような印象は浮かばない。
はあ、とまた一つ溜め息をつき、霊夢は縁側に置きっ放しの生温い茶をすすった。

「…渋い。こんなに渋かったっけ」





「動くと撃つ!」

 気が狂いそうなほど近くに感じる歪な月の下を、彼女らは飛んでいた。
笹の葉ざわめく竹林で、紅白と白黒は相見える。
つらつらと互いの主張を述べ、意見の相違を確認し、周囲の空気が張り詰める。
良い空気を作り出すものだ、と口元を扇で覆う妖怪は静かに、密かに微笑んだ。

「紫」

 紫(ゆかり)と呼ばれたその妖怪は、やれやれといった様子で扇を畳み、自分を真剣な、凛然とした眼差しで見据える霊夢に微笑みかける。
やがて一つ頷く霊夢に、自分も一つ頷いて見せた。

「仕様がないわね。あっちのお人形さんは任せなさい」

 霊夢が言わずとも理解した様子で彼女は言い放ち、魔理沙の三歩ほど後ろに控える金髪の人形使いを一瞥し、言う。
高いとも低いとも言えぬ、優しいとも厳しいとも聞き分けられぬその声は、ざわめく竹林に不思議な響き方で広がった。



「アリス」
「な、何よ」

 魔理沙に声をかけられた人形使いは、やや落ち着き無く返事をする。
博麗霊夢の右手に控える妖怪に見据えられてから、震えが止まらない。

「ご指名だぜ。あっちは頼んだ」
「じょっ、冗談でしょう!?あんな反則の塊みたいな妖怪を相手にするなんて御免よ!」

 魔理沙の言い分に、彼女アリス・マーガトロイドは素っ頓狂な声を上げ狼狽した。
霊夢の横に居る妖怪は、話に聞く八雲紫。境界を操り、生と死の境を無くす事ができるとも言われる大妖怪。
そんな相手と弾幕ごっこなど、考えるだけで被弾してしまいそうだ。

「安心しろ。その為のスペルカードルールだぜ」

 魔理沙の飄々とした物言いに、アリスは魂が抜けきってしまうような溜め息を見せた。

「なら人対妖っていう図式を完成させた方がいいと思うんだけど」

 息を吐ききって落ち着いたのか、アリスは魔理沙に正論らしい意見を投げかける。
正論だとも正論が通る相手だとも思っていないが、言うだけ言わないと損をするからだ。

「それとこれとは話が別だ。これにはきっちり理由がある」
「どんな理由よ」
「私は紫とやりたくない」
「ただの自分勝手じゃない!」

 魔理沙はにひひ、と微笑み、頭を抱え再び深く溜め息をついたアリスも何故か微笑む。
張り詰めた空気とは対照的に、緊張感の無い笑みだ。
だがこれで、不安は残れど恐怖は掃われる。

 戦える。

「もう一つあった」

 自分ではなく敵方を見据え、アリスに背を向ける形で魔理沙は続ける。

「…もう何を言われても驚かないわ」
「何が何でも、霊夢を超えたい」

 魔理沙の真剣な一言に、アリスは言葉を失った。
表情こそ確認できないものの、いつもの飄々とした物言いとは違う、明らかな決意を秘めた一言。

「頼む」

 これ程までに真っ直ぐな彼女の熱意を突っ撥ねる事ができるだろうか。

「…仕方ないわね。あっちのスキマ妖怪は任せなさい」

 できるはずが無い。
ふっ、と不敵に笑って見せ、返事をする。
魔理沙には今の笑みが見えていないだろうが、彼女は小さく笑い声を上げてくれた。

「行くぜ!」

 魔理沙はミニ八卦炉を構え、高速で空を裂いた。
 その姿はさながら、空を翔ける一筋の流れ星。

「行くわよ。皆」

 アリスもまた周囲に人形をばら撒き、魔法の糸にてそれらに命を吹き込む。
 だらりと垂れた人形達の体が、アリスの声に合わせて一斉に背筋を伸ばした。





 流星の尾を引きながら、一筋の光を夜空に描き出すのは霧雨魔理沙。
結局思い通りにならなかった小憎たらしい陰陽玉を携え、自然体のまま動かずこちらの様子を伺う霊夢の周囲を、こちらもまた様子を伺うように一定距離を置き二週する。

「本気で行くぜ!霊夢!」

 その動きが攻撃である事は霊夢も理解していた。
魔理沙による飛行の軌跡に残る色鮮やかな星屑が、一斉に別々の軌跡を描き霊夢へ向かう。
ある物は真っ直ぐ、ある物は緩やかな放物線を描き、ある物は霊夢が避けるであろう方向へ、速度さえ違えて。

 しかし霊夢は動かない。このまま勝負が決まってしまうのではと疑う程に。

「神技」

 迫り来る弾丸の中何かをぶつぶつと言祝いでいた霊夢が、真上へ右手を掲げながら正面に符を投擲する。
胸の前でくるくると回転するそれは、彼女自身のスペルカード。

「八方鬼縛」

 掲げた右手でスペルカードを逆袈裟に切る。
手刀で弾かれたそれは八つに裂け、霊夢を囲う直方体の頂点となり静止。

「陣ッ!」

 半眼から一気に目を見開き、宣言が完了する。
それを合図に各頂点の符が輝き、霊夢を囲う直方体の結界となった。

 ほぼ同時に、張られた結界へ流星が次々と着弾する。
その威力を物語るように絶え間無く舞い上がる弾着の煙、煙、煙。
やがて霊夢の周辺を、結界すら覆い隠す程に広がって行く。

 ここで手を休める魔理沙ではない。
移動は度外視し、撃てるだけの弾を全力で煙の中心目掛け放ち続ける。
素早く相手へ向かう物、次第に加速度を増しながら爆ぜる物、射線上の物体を問答無用で貫く物。
攻撃に使用するはずのスペルカードを防御に転用された事には面食らったが、そうそう長く保つような使用法ではあるまい。
ならばその効果が切れる瞬間まで攻撃を続け、よしんばこのまま決着とする。
でなければ、この煙からいぶり出した所を火力重視のスペルカードで叩き落とすまで。

 そんな魔理沙の思惑通りに、黒煙の右下方から飛び出る影。
後は自分の代名詞となるまでに昇華したスペルカードでそれを狙い撃てば良い。

「恋符ッ!」

 右手でミニ八卦炉を正面に構え、左手で正面へスペルカードを投擲。
その勢いのまま体を右に捻れば予備動作は完成する。

「マスター…」

 振りかぶったミニ八卦炉が魔理沙の意思に呼応し、光り輝く。
最後に、目の前を浮遊するスペルカードをミニ八卦炉で押し出すようにしてエネルギーをぶち込めば、渾身の極太レーザーが発射される…はずだった。

「…おいおい、冗談はその見た目だけにしておけよ…」

 魔理沙は自らの血の気が引く音を聞いた気がした。
 煙から飛び出した陰は、自分が散々努力しようと扱えなかった陰陽玉。
それが今、自分を嘲笑うかのように浮遊している。

 迂闊、軽率、向こう見ず。煙が晴れるのを移動しながら待っていれば。
そんな自分の行動を省みる間も無く魔理沙の体は反応する。

「うおっと!?」

 帽子の落下を防ぎつつ、落下するスペルカードを素早く回収し、箒を支点に体を半回転。
先程まで体があった場所を、無数の針が高速で通過する。
天地逆さまの景色の中、煙の中心からそれが発射された事を確認。
それは紛れもなく、博麗霊夢が健在である事の証明であった。

 さすがに肝を冷やしたが、煙の中から陰陽玉と逆方向へ飛び出した無傷の霊夢を見た瞬間は、不思議と安堵していた。
月を真下に望みながら箒の頭を上げ、再び霊夢の放った針を地面へ一気に降下しつつ回避し、魔理沙はにいっと笑う。

 あの程度で落ちて貰っては。

「そいつを目標にしてきた私が、ただの道化だからな!」

 地面すれすれまで急降下し、あわや激突という瞬間に箒を起こす。
地に足が着いてしまいそうな位置を、極力頭を低くして、箒に抱き着くように、あくまで高速を維持しながら霊夢を見据え、茂る竹を掻い潜る。
 針は笹を貫通する。竹に突き刺さる。地を穿つ。
障害物が多く、なおも高速で移動し続ける魔理沙を、霊夢は捉えきれていない。

 だからといって反撃の機会を与えるほど霊夢は愚かでは無い。
速度、威力こそ針に劣るものの、追尾性能は折り紙つきである符に武器を替え、放つ。
魔理沙がいかに素早いといえど竹林の障害物は多く、直進は不可能に近い。
出せるスピードは百パーセントでは無いのだ。

「そう来るだろうと…思ったぜ!」

 予想通りと魔理沙は笑い、上空を移動する霊夢を目で追いながら竹林を翔ける。
自らが通った軌跡を寸分の狂い無く追尾する符。それに対しても魔理沙は慌てない。
自らが通った軌跡を追うだけならば、叩き落せぬ道理は無いのだ。
彼女の通った軌跡には、色鮮やかな星屑が舞うのだから。

 次々と炸裂し爆ぜる符と星。やがて追う符が無いと確信し、魔理沙は上空へ飛び出る。
霊夢と高さを合わせれば、今後の攻撃に対しても対処しやすくなる。
そう考えての事だったのだが。

「うお…っ!?」

 思わず息を呑んだ。
驚いて発した声の尻が、ひゅっという喉の音で掻き消えてしまう。
今だと勢い良く飛び出した空。そこにあった物。
それは冗談のような見た目をした、陰陽玉。

 回転しながら符を撒き散らし始める陰陽玉。霊夢の本命はこちらだった。
慌てず急いで方向を変え、星屑をばら撒きながらその場を離れる。
だがその先には、霊夢が居る。

(そんな怖い顔しなくたっていいのに…)

 霊夢の顔は、月明かりを背に不気味なほどはっきり見えた。
あくまでこちらをただの敵と認識した、慈悲の無い表情。
しかしその表情は、どこか悲しく、寂しそうにも見えた。

 絶望的な角度で、霊夢は無数の針を投擲する。
それを前に魔理沙は前方へスペルカードを投擲した。

「恋風ッ!」

 魔理沙に呼応し、カードが三つに分裂した。
やがて彼女の周りを三次元的な動きで回り始める。
それらが次第に高速化し、構えたミニ八卦炉から膨大なエネルギーを受け取り…。

「スターライトタイフーン!」

 目の前に霊夢の針が迫った瞬間、莫大な量の光、そして星屑を照射した。





 これで終わらせる。
そう思って放った攻撃は、いともあっさり蒸発した。
そして今は、自分の攻撃を蒸発させた莫大なエネルギーから必死に逃げている。
攻守が容易く逆転する。スペルカードルールの醍醐味とも言えるが、霊夢もこれには歯噛みした。

 できればこちらのスペルカードを温存し、次へ進みたかった。
 しかし魔理沙の猛攻は、スペルカードを使用せざるを得ない程のものだった。

 できれば最低限のダメージで魔理沙を仕留めたかった。
 しかしそれを狙った攻撃も、彼女のスペルカードで掻き消されてしまった。

 そして彼女のスペルカードは、思いのほか強力だった。
 甘い事を言っていられる相手ではない。

「にしても…、相変わらず無茶苦茶してくれるわ!」

 図書館の魔法使いから拝借した魔法、その上位互換だというスペルカードを以前見た。
今回はその更に上位互換であろうスペルカードである。
何とかそれを切り抜け、反撃にと陰陽玉を傍へ寄せ、同時に符をばら撒く。
それを避けようと、魔理沙は再び竹林へ身を隠した。
恐らく星屑で相殺されてしまうだろうが、牽制にはなる。

 ふと、遠雷のような炸裂音が聞こえる。紫とアリスだろう。
紫は上手くやっているだろうか、と一瞬だけそちらに気を向けた。
たった一瞬だけ。

「しまっ…!」

 ほぼ真下から、ガサッと笹を鳴らしつつ猛スピードで襲い来る影。魔理沙に違いない。
彼女はそのままこちらへ突っ込み、確実な距離から弾を撃ち、決めるつもりだ。
霊夢はほぼ脊髄反射で襲い来る影を見据え、符を構える。
 しかし。

「な…っ!?」

 たった一瞬気を逸らした。
 たった一瞬判断を急いだ。
 そして目の前を通過する箒を何もせず見送り、次に起こる事を想像し、戦慄した。
甘い事を言っていられる相手ではないと、つい先程思ったばかりなのに。

「恋符ッ!」

 箒は無人。

「マスター…」

 声は下方。

「スパアアアアアアク!!」





 このまま永遠に撃ち続けられるのではと錯覚する程、長時間ぶっ放した気がした。
全身全霊を込めた、全力全開、必殺のマスタースパーク。
完全に霊夢の影を捉えていた。陰陽玉さえそこにあった。
これで終わらないのであれば、もう魔理沙に勝機は無いかもしれない。

 霊夢の戦法を、戦闘の最中模倣する事に成功した。
そしてそれは見事に霊夢の裏をかいた。
上位互換とまではいかないにしろ、同じ位のレベルにはなっていたはずだ。
そう確信した後無人の箒が手元に戻り、再びそれに跨って上空へ移動する。

 頼む、もう終わってくれ。
そう切に願い続け、霊夢が居たであろう場所から一定距離を置きながら、周囲を旋回する。
弾着の煙が予想以上に濃い。それが晴れるのを、ただひたすら固唾を飲んで見守った。

「…おいおい、冗談は陰陽玉だけにしておけよ…」

 薄くなってきた煙の中に見えた影は、膝に手をつきながらも倒れる気配が無かった。
次第に明らかになっていく表情は、決して負けを認めるものでは無かった。
そして鋭く光る眼光は、決死の覚悟に満ちていた。





 間に合うかどうかは一か八かの賭けでしかなかった。
目の前へ投擲し静止した符の、上を右手、下を左手で摘み、そのまま両手を横へ広げる。
符は二つに分裂し、それぞれの手に収まり輝く。
そしてその両手を重ね、襲い来る極彩色の砲撃へ向け、宣言していた。

「恋符ッ!マスター…」
「夢符!」
「スパアアアアアアク!!」
「二重結界ッ!」





 魔理沙は震える。
 怯えているからでは無い。竦んでいる訳でも無い。
ましてや、自分の持てる能力を発揮しきれなかったという訳でも無い。

 ただただ目指してきた。
 ひたすら努力してきた。
 目標とする人物のようになる為に。
 そしてその人物が、自分の予想を遥かに超えた力を持っていた。

「…ははっ」

 武者震いし、笑うしか無い。

 残る力を振り絞り、魔理沙は高速で翔ける。
軌跡に残る星屑が、やがて不規則な動きで霊夢へ向かう。
 残る手札―スペルカード―は、奥の手―ラストスペル―。
迂闊に使う訳にはいかない。
ここぞという、絶対的な瞬間が訪れるのを待ってからだ。
いや、呼び込む。





 警鐘。彼女は言った。
 上位互換。彼女は語った。
 そして何より、彼女は宣言したはずだ。
 本気だと。

 魔理沙はいつだって真っ直ぐだ。
先程のスペルカードは二つとも、複製とはいえ彼女が必死に努力し会得した物のはず。
こんなにも本気で、こんなにも真剣で、真摯で。
そんな彼女に対し、自分はふらふらと周りを飛びながら、時折方向を修正してやるくらいが丁度いい?

 何様だ。冗談では無い。

「大怪我上等ッ!」

 こちらが本気で、真剣で、真摯でなくて良いはずが無い!

「霊符!」

 迫り来る色とりどりの星屑を前に、霊夢はスペルカードを正面へ投擲する。

「夢想封印ッ!」

 霊夢の手が届く位置で静止したそれは、霊夢の声に呼応し五つの符となる。
それらが一つを中心に、上下左右へ展開された。

「一つ!二つッ!」

 上部の符を右手で弾き、その勢いのまま一回転。姿勢を低くし下部の符を弾いた。
弾き出されたそれらは星屑を掻き消し、目標へ向かう光弾となる。
そして一つ目の光弾は魔理沙の行く手を遮り、二つ目は魔理沙の退路を塞ぐ。
 さしもの魔理沙も攻撃の手を止め、避ける事に専念せざるを得ない。
マスタースパークが魔理沙の代名詞ならば、夢想封印は霊夢の代名詞とも言えるスペルカードなのだ。

「三つ!四つッ!」

 神楽でも舞うように、次は右、左の符を弾く。
それらは魔理沙の上下左右を舞い、時折魔理沙を直接狙い、次第に追い詰める。

「五つッ!」

 そして中央の五つ目は、馬鹿正直に魔理沙へ向かう。





「くそっ!」

 五色の符が放たれた。
マスタースパークが反撃をものともしない広範囲攻撃であるのなら、夢想封印は反撃する暇が無い程厄介な追尾攻撃であると言える。
星屑をばら撒こうが、スペルカードの威力には完全に負けてしまう。
今の自分にできる事は、ただ被弾せぬよう移動し続け、符に込められた力が無くなるのを待つ事だけ。

 今まで何度もこのスペルカードを見て来た。特徴も効果時間も大体は知っている。
ならば自分を信じ、避け続ければ勝機は見える。

『私は警鐘を鳴らしているんだ』

 ふと、過去に自分の言った台詞が脳裏を過った。

『生半可な攻撃してると、あっさり上位互換品を作られるぞ』

 ここまで思い出し、血の気が引く。
自分が知っている夢想封印のバリエーションはどれだけあった?
霊夢も馬鹿ではない。得意とするスペルカードを強化しないはずが無いではないか。

「散ッ!」

 霊夢の声に、魔理沙はびくりと体を揺らした。
自分を追い続けていた光弾が、一気にその場を離れて行く。
そしてそれぞれが細かく分裂し、再び魔理沙へ驟雨の如く降り注ぐ。

 だがこのパターンは知っていた。
襲い来る光弾をものともせず、避けて一安心する。

「集ッ!」

 再び響いた声には、さすがに驚きはしない。
このパターンも知っている。再び光弾が自分の周囲を囲い、何度か全てが交差する。
その瞬間さえ避ければ、後はよく知る夢想封印だ。
そしてそれを避けるのは、難しい事ではない。

「神霊!」

 何だそれは。
 聞いた事が無い。見た事が無い。避け方など知っているはずが無い。

 霊夢の声に合わせ、今まで自分の行く手に現れていた光弾の一つが、再び目の前を塞ぐ。
これは自分から衝突しないよう気をつければ良いだけだ。
ただの夢想封印ならば。

「夢想封印、瞬、一つ!」

 しかし目の前の光弾が、自分の進路を完全に塞ぐ程の衝撃波を生み、爆ぜる。

「が…っ!?」

 直撃は免れた。しかし衝撃波は容赦なく魔理沙自慢のスピードを殺す。

「二つ!」

 減速し仰け反った魔理沙を後方から追う光弾が、直撃の寸前で爆ぜる。
その衝撃は慈悲も無く背を強かに打ち付け、彼女を前のめりの姿勢にまで押し戻した。

「三つ!四つ!」

 右から襲い来る衝撃に押され、体が左に傾く。
そしてそこへ、間髪入れず左からの衝撃波が襲う。
脳が揺れ、臓腑が揺れ、平衡感覚さえ失う。
それでも彼女の意地と執念は、まだ大丈夫、まだ飛べると魔理沙自身を後押しする。

「五つッ!」

 魔理沙は静かに天を見上げた。
 随分長い、永い夜だ。
 見事な、見事過ぎる月夜。
 その月が、まるで自分へ降って来るかのようで。

「…ちくしょう」

 魔理沙の体を丸ごと攫うように、五つ目の光弾は彼女を真上から撃ち落とし爆ぜた。





 笹を散らし、竹を砕き、地を揺るがして、霊夢の符は白黒の魔法使いを落とした。
土煙が背の高い竹をも覆い隠すほど舞い上がり、やがて収束していく。

「はっ…、はっ…」

 多少息が切れたか。柄にも無く本気を出した。
しかし後悔はしていない。全力で向かって来た相手を、同じく全力で受け止めただけだ。

 …本当に?

「っ…、魔理沙!」

 そこまで考えて、霊夢は叫び、土煙の中心へ翔ける。
自らの行く手を遮った敵。自らを窮地に追いやった強敵である。
だがそれ以前に、やはり彼女は友なのだ。
今の攻撃を後悔していないと言ってしまえば、それは嘘でしかない。

「魔理沙!返事を…」

 土煙の中に、彼女は居た。
薄くなってきた煙の中に見えた影は、片膝をついてはいたものの既に起き上がっていた。
次第に明らかになっていく表情は、決して負けを認めるものでは無かった。
そして鋭く光る眼光は、決死の覚悟に満ちていた。

「魔理沙…」
「まだだ!まだ終わってない!」

 安堵し、魔理沙に手を差し伸べようと近付いた霊夢だったが、彼女の叫びに一歩退く。
冬さえ終わらせてしまいそうな、安心感を覚える、他者を巻き込む笑顔は、そこには無い。
ぎりりと歯を食いしばるその顔は、霊夢を敵以外の何者とも認識していないように見えた。

(そんな怖い顔しなくたっていいじゃない…)

 ぎゅっと歯を食い縛り、ぐっと拳を握り締めた。
負けを認めぬ彼女に苛立ったからでは無い。
全力で向かって来る彼女を、全力で受け止めたつもりだった。
ははっ、さすがに負けたよと、あの笑顔で軽く言って欲しかった。
 しかし今、自分を見据える魔理沙はどうだ。
親の仇でも見るような、悔しさ、怒りに満ちた形相。
純朴とも取れる真っ直ぐな感情を、真っ直ぐぶつける素直さが彼女にはある。
それが憤怒や憎悪の類ならば、これほど痛い事は無い。

 双方共に、大怪我だ。

「魔砲ッ!!」
「なっ!?魔理沙!」

 気付けば魔理沙の目の前、自分の正面に一枚のスペルカードが浮いていた。
両手で、スペルカードを正面に捉えて構えられたミニ八卦炉は、既に眩く輝いている。

「ファイナル…」

 手持ちのスペルカードは残り少ない。
それにこの距離、このタイミング。避ける事も符を取り出す事もできない。
 詰みだ。

「マスター…」

 これを受けて倒れれば、魔理沙は再び微笑んでくれるだろうか。
その後魔理沙が異変を解決し、酒でも持って神社へ自慢に来るだろうか。
…ならばそれも悪くない。

「くあっ!?」
「何!?」

 魔理沙のスペルカードに、どこからか飛来した一枚のカードが突き刺さった。
突き刺さったカードは一瞬の閃光と僅かな衝撃を生み、魔理沙のカードごと消え去る。
衝撃は一瞬怯む程度のものだったが、疲弊した魔理沙を地に倒すには充分だった。

 切り札、奥の手、最終手段。
最後のあがきは、不発に終わる。

「往生際が悪いにも程があるわ」

 高いとも低いとも、優しいとも厳しいとも言えぬ声が竹林に響く。
その声の主であるディゾルブスペル投擲者は、小柄な人形遣いを左脇に抱えて突如姿を現した。

「紫…」

 八雲紫は気を失ったアリス・マーガトロイドを適当な竹に寄り掛からせ、霊夢を見据えてにいっと微笑むと、そのまま霊夢に歩み寄った。

「…そう、勝ったのね」
「貴女と違ってね」
「っ…」

 言葉が出ず、霊夢は紫から目を逸らす。
魔理沙との弾幕勝負は間違い無く霊夢に軍配が上がったというのに、全く勝った気がしない。それを紫は見抜いていた。

「さ、行くわよ。二人のお陰で目的地に着いたようだから。本当、貴女って幸運ねぇ」

 紫の扇が差す方向には、確かに見慣れぬ屋敷が一軒。
心なしか歪んでいるその風景が、ここに異変がありますよと自ら主張しているように見える。

「貴女も負けたのだから、帰って寝ていなさい。きっと起きたら朝になっているわ」

 そして紫は仰向けに倒れたままの魔理沙に、吐き捨てるように言って歩き出す。

「でも、紫…」
「何」

 不安げに紫を止めようとする霊夢に、紫は振り返らず立ち止まり、尋ねる。
その声は、誰が聞いても冷ややかなものだった。

「…ううん、何でもない」

 後ろ髪を引かれる思いだが、今は何より異変解決が優先である。
戦闘開始時にはそう思っていたではないかと、霊夢は両手で自らの頬をパシンと一度叩き、気を引き締めた。
この先には今の魔理沙よりも強大な力を持つ相手が居る可能性だってあるのだ。

「そう」

 その毅然とした、迷い無い答えを聞いて八雲紫は振り返り、誰が聞いても嬉しそうだとわかる声で言って微笑む。
今の霊夢は、魔理沙と戦う直前の表情と同じく凛然としていた。

「ほら、モタモタしていると朝になってしまうわ」
「…それ、わかってて言ってる?」





 霧雨魔理沙は地を背に空を仰ぐ。
状況が状況ならば一杯やれそうな程に見事な、いや見事過ぎる月が、静かに幻想郷中を照らしていた。
体中が、上体を起こす事すら億劫な程に痛い。

「くそっ…」

 一度、二度、三度。何度もその言葉を反芻し、左腕で両目を覆う。
そして彼女は再び、自分が敗北した事を悟った。

 私もあいつみたいになりたい。絶対になってやる。
なるならば、超える。それが目的で、その為の手段が模倣で。
使えそうな物を模倣して、強化して、ものにして。
それでは駄目で、直接本人を模倣しようとして、できなくて、今の私が居る。

 宣言通り、全力で立ち向かった。
霊夢はそれを全力で受け止めてくれた。
だのに自分はその誠意とも言える行為に対し、唾を吐き掛けるような真似をした。
何よりもそれが哀れで、惨めで、情けない。

 やはり私は、霊夢のようにはなれないのか。



「う…」

 割と近くから聞こえた声に、魔理沙は焦って両目を覆う。
アリスが目を覚ましたのだ。こんな姿を見られては馬鹿にされるに決まっている。
腫れぼったい目など指摘されれば立ち直れないかもしれない。

「お目覚めか」

 先手は取らせない。そんな意気込みで魔理沙は尋ね、アリスは小さく肯定した。

「あの妖怪…、本当無茶苦茶だわ」

 トラウマを想起するように沈んだ声でこめかみを押さえながら、首を横に何度も振りつつアリスは言い放つ。
それに魔理沙は小さく笑いながら、違いない、と一言吐き捨てた。

「…霊夢、強かった?」

 帽子で顔の上半分を覆って地面に大の字の魔理沙を見て、アリスは尋ねる。
周囲の状況や彼女の衣服の乱れを見る限り、魔理沙が敗北したという事は明白。
せめて自分が八雲紫の足止めくらいは、と思ってはいたが、それも叶っていない。
つまりは、完敗である。

 悔しいだろう、とアリスは魔理沙の胸中を推し量る。
戦闘前の彼女の決意。あれだけ本気で、真剣で、真摯な言葉。
それだけに自信もあったのだろう。その自信を見事に打ち砕かれてしまったのだ。
今の彼女の声に震えや落胆の色は無いものの、帽子で隠した目元がどうなっているかは想像に難くない。

 ならばせめて、負け惜しみや愚痴の一つ二つ聞いてやるのも悪くないだろう。

「あいつ…、本当無茶苦茶だぜ!」

 話すとしても体勢はそのまま、帽子もそのままで淡々と話すのだろうなと思っていたアリスは、魔理沙の語り口に面食らった。
突如上体を起こし、帽子を被り直し、随分と興奮した様子で話し始めたのだ。

「実はトドメが例によってあの夢想封印だったんだが」
「…え、ええ、あれ結構痛いのよね」

 目元こそ多少腫れ上がっているようには見えたが、その表情は喜色そのもの。

「とんでもないぜ、一回で四種類!四種類の夢想封印をだな…」

 その笑顔はどこか安心感を覚える笑みだった。
気付けばこちらも笑顔になってしまう、他者を巻き込む笑み。
この永い夜さえ明けてしまいそうな、底抜けに明るく、暖かい笑み。

「でだ、最後の奴がとにかく凶悪でな?目の前を塞がれるのはいつも通りなんだが…」

 悔しくないのかと問えば、悔しくなど無いと答えそうなくらいに澄んだ笑顔。
まるで霊夢の弾幕を自慢するように、嬉々として話し続けている。

「…ってな具合でコテンパンにされてしまったわけだ」

 思ったより、精神的なダメージは無いのかもしれない。
今の彼女を見て話を聞く限り、清々しいくらいの負けっぷりだったのだろう。

「ねえ」
「うん?」
「聞いてもいいかしら」

 アリスは少し気まずそうに顔を逸らしながら尋ねる。
勝った暁に聞こうと思っていた事。結局負けてしまったが、今なら聞ける気がした。

「…霊夢を超えたいと思った理由」

 変わらぬ笑顔で「応」と短く頷いた魔理沙に、アリスは変わらず恐る恐る問い掛ける。

「あー」

 その問い掛けに魔理沙は徐々に目を泳がせながら、やがて俯き右頬を掻く。
やはり答え難い問いだったろうか。
恐らく個人的な想いがあって言ったのであろう台詞だ。無理もない。
問うた事を少し後悔しながらも、アリスは魔理沙の答えを待つ。

「いや、その、何だ。あいつみたいになりたい、なってやる、って…ずっと…」

 アリスを見ず、しかしいともあっさり答えた魔理沙に、アリスは納得した。
先の霊夢を自慢するような語り口は、霊夢に憧れ、それを目指している事の表れだったか。
となると、羨ましいと同時に少し妬ける。こうあっさり言ってしまわれては、尚更だ。
 だが同時に、どう対応して良いものか戸惑った。
照れながらの回答に、聞く側も照れてしまう内容。その切り返しにアリスはまごつく。
その様子が魔理沙には、呆れて言葉も無いといった反応に見えてしまった。

「あっ!今恥ずかしい奴だなと思っただろ!」
「おっ、思ってないわよそんな事!」

 顔を真っ赤に染め上げながら、魔理沙は苦し紛れにアリスを指差す。
アリスは焦って否定するが、魔理沙の目には図星を突かれたようにしか映らなかった。

「大体お前には目標なんて無いからわからんだろうがな!」
「あ、あるわよ目標の一つや二つ!」

 小さな勘違いが発端で話がややこしくなり、こじれ、やがて二人共ムキになる。
よせばいいと理解しながらも、互いを挑発し、それに乗り、ぶつかる。
喧嘩するほど仲が良いとは言うが、この場合それが当てはまるかは怪しい。

「何だよ、教えて貰おうじゃないか」
「か…!」
「か?」

 危うく乗ろうとしてしまった挑発を振り切り、アリスは頭を横に振る。
そこで一旦落ち着けばよいものを、彼女はつい熱いまま、思った事を口にする。
 悪循環だ。

「別にいいじゃない!それより貴女、師匠が居たでしょう!何?そんなものはとっくに追い越したとでも?それとも最初から眼中に無かったのかしら?」

 挑発的な笑みで言い放ったアリスだが、すぐさまハッとして口元を覆い深く反省する。
しかし時は既に遅い。
これではミニ八卦炉を取り出され、スペルカードを行使されたとしても文句は言えない。

「ばっ…!」

 だが魔理沙もこのまま挑発に乗るのは何の意味も無いと理解したようで、懐から取り出そうとしていたミニ八卦炉から手を離し、静かに、ばつが悪そうに俯いた。

「別に…、今関係無いだろ…」

 帽子を深々と被り直しながら、魔理沙は小さく呟く。

「…そうね…。関係無かったわね…」

 アリスもまた申し訳なさそうに顔を逸らし、呟いた。
そんな二人を知ってか知らずか、風は二人の間を抜けて竹を揺らし、笹を鳴らす。
気まずい沈黙にざわざわと騒ぎ始める笹の音は二人を嘲り、遊んでいるかのようだった。

「あー!」

 突如として声を上げ地面に大の字で寝転んだ魔理沙に、アリスはびくりと体を揺らす。
その声は先の鬱憤を晴らすようで、先の発言を悔いるようで、鬱陶しい笹のざわめきを止めんとするような、複雑な声だった。

「寝るぞ、私は」
「は?」
「私は眠いが、紫の言う通りにするのは癪に障る。だから私はここで寝る」
「意味がわからない!」

 アリスもまた鬱憤を晴らすように、先の発言を悔いるように、未だ止まらぬ笹のざわめきを止めるように声を上げた。

「アリスも一緒に寝るか?意外とひんやりして気持ちいいぞ」
「か…!」
「か?」
「…勝手にしてなさい。私は帰って寝るわ…」

 呆れて声を張り上げる気さえ失せたアリスはゆっくりと立ち上がり、額に手を当て再び頭を横に振る。
そんなアリスを魔理沙は小さく笑い、次いであっそ、と興味無さげに言い捨てた。

「その辺の虫やら鳥に食べられても知らないから」
「心配するな。あんな奴ら眠っていても倒せる」

 自信たっぷりに口元を綻ばせながら言い放つ魔理沙に、アリスは再び呆れた様子で溜め息を漏らす。

「…別に心配したわけじゃ…」
「何か言ったか?」
「何も。おやすみ」
「アリス、永遠の一回休みだ。じゃあな」

 それ以上語る事も振り返る事もなく、今度はこめかみ辺りを押さえながら頭を何度か振ったアリスは、いつの間にか静まり返った竹林から飛び去った。

「…いかんいかん。霊夢にどう謝ろうか相談しようと思ったら、いつの間にかアリスにどう謝るかも考えなければいけなくなった」

 魔理沙はやがて帽子を腹に抱き、歪な月を見つめながら呟く。
話し手は魔理沙で、聞き手も魔理沙。まるで自分を諭すように。

「…何を言っているかわからん。寝よう」

 そして目を閉じた魔理沙は、加えて小さく心の中で呟いた。
独り言なら言い放題の、事実今の今まで独り言をしていた、誰の気配も無い竹林で。

(我侭に付き合わせて悪かったな。おやすみ)

 仲が良いかは怪しいが、嫌っているかどうかは、否らしい。





「…これまた酷い有様ねえ…」

 眼前に横たわる白黒の塊に、紅白の少女が吐き捨てる。
こんな場所で眠ろうと思った彼女の神経に、呆れを通り越して感心すら覚えた。
 そして何がどう変形してこうなったのか、平仮名の「す」が目の前にある。
いや、落ちた帽子が絶妙な位置にあり、「す」に半濁音がついた、最早何と読むか理解し難い文字が転がっていた。

「んあ?」
「お目覚めかしら」

 口元を拭うと同時に目元を擦る白黒は、目もろくに開けないまま上体を起こした。
そして目の前にある紅白が何であるか、呆けた顔で必死に確認しようとしている。
それが滑稽で滑稽で、博麗霊夢は口元に手を当て小さく微笑んだ。

「…んあ?」
「…おやすみなさい」
「あー待て待て。話せばわかる」
「眠っている相手に何を話しても無駄だわ」
「心配するな。私は夢遊病だ」
「それはまた、重大な食らいボム発言ねえ…」
「違った。予知夢を見ているんだな、私は」

 呆れた様子で苦笑いし、肩を上下させ溜め息をつく霊夢だが、寝惚けた友の与太話を聞いてやるのも一興と、黙って耳を傾ける。

「つまり目覚めればこれと同じ事が起きるはずだ。そうしたら私は目を覚ました時の第一声を今とは違う物に変えよう。要するに、未来は変わる」
「どうしたいのよ」
「あれだ、今から目を覚ますから、やり直してくれ」
「…どこから」
「お目覚め~のくだりから」

 言うだけ言って再び読み方のわからない「す」に形を変えた魔理沙に、霊夢はそれでも彼女に付き合ってやろうと少し距離を置いた。
そんな自分に呆れ、溜め息をつきながらも霊夢は魔理沙に向き直り、先の行動を反復する。

「お目覚め…」
「んあ?」
「じゃないみたいね。帰るわ」
「あー待て待て!話せばわかる!」
「…変わってないじゃない」

 くだらないなあ、と思いながらも霊夢は笑い声を上げ、そんなに笑う事ないじゃないかと拗ねる魔理沙に手を差し伸べた。
拗ねながらもその手を取って立ち上がった魔理沙は背に付着したであろう土を掃い、帽子を拾い上げ同じく土を掃う。
半濁点を回収した魔理沙を見た霊夢が更に笑った。当然魔理沙には意味などわからない。

「全く…何だっていう…おお!?」
「えっ?」
「朝だ!」
「…はいはい、そうね。朝ね」

 周囲の状況を確認して真剣に驚いた魔理沙に、霊夢は変わらず呆れながら、そして笑いながら吐き捨てた。
 つまり異変は解決した。またしても彼女、博麗霊夢の手によって。

「さっさと帰って、お日見と洒落込みましょう」
「…朝日を見て飲む日が来るとは…おっと、酒はあるんだろうな?」

 言われて霊夢は左手をぐいと前に出す。その手には既に酒瓶が握られていた。

「いいお酒をくすねて来たわ」
「おいおい、くすねたんじゃないだろう」
「あらいけない」
「警鐘だぜ」「警鐘よ」





 話など、聞いてくれないのではないか。
 もしかしたら、会ってすらくれないのではないか。

 そう思いながら、同じ場所へ向かった。
 そう思いながら、同じ場所で待った。

 いつもの彼女がそこで待っていた。
 いつもの彼女がそこに来てくれた。

 それだけで、伝わった。
 それだけで、充分だった。





「にしても、足りるか?それっぽっちで」

 霧雨魔理沙は箒を拾い上げながら、今まで出る事ができなかった鬱憤を晴らすべく燦々と輝く朝日に目を細め、尋ねた。

「足りるわよ。多分一杯飲んだら寝るから。私」

 博麗霊夢もまた鬱陶しいくらいに半身を露出、強調するお天道様に目を細めながら、至極当然のように答えた。

「足りないな。何故なら私は充分寝たからだ」
「あー、嫌な予感がするよー、もりもりと」

 魔理沙の一言に霊夢は顔を歪ませ頭を抱えた。
妙に自信満々の物言いが、他の連中を彷彿とさせたのである。

「…おいおい、お前の勘はよく当たるんだから、滅多な事を言うんじゃないぞ」
「既に始めてそうな気がするのよ。妖怪とか亡霊とか吸血鬼とかがー」
「…確認するまでもなく、当たったな」

 これまでにない程大きな溜め息をつく霊夢。
それを見て魔理沙は、お気の毒にと思いながらも意地悪な苦笑いを浮かべた。
 嫌な笑顔ではあるが、嫌いではない。
つられてこちらも苦笑いしてしまいそうな、他者を巻き込む苦笑。
この眠気さえ忘れてしまいそうな、どこか陰険な、生暖かい笑み。

「…まあ、とりあえず帰るか」
「帰るのは私よ。貴女は行くんでしょ」
「いや、それは違うぞ霊夢」
「何が」
「邪魔しに行くんだ。私は」
「帰れ」
「だから、そうするって言ってるだろう。わからん奴だな」

 これ以上付き合ってられん。
 口には出していないが、誰が見てもそう言ったと錯覚するような呆れた表情で、霊夢はふわりと飛び上がった。

「あー待て待て!話せばわかる!」

 魔理沙もまた慌てて箒に跨ると、ご自慢のスピードで霊夢を追った。





 霧雨魔理沙は竹林を眼下に友を見る。
 今ならば言えるかもしれない。
最低な行いを省みる事ができた、二人きりの今ならば。

 あの冬を終わらせたのは霊夢。
あの夜を終わらせたのも霊夢。
それを思うと、今ではどこか誇らしい。
悔しくないと言えば嘘になるが、今ならば自分の事のように喜ぶ事ができる。

 やはり私は、霊夢のようになりたい。

「霊夢」
「うん?」
「いや、その、何だ。…悪かった。いろいろと」

 右頬を掻きながら魔理沙は言った。

「…何よ、それ。あの歪な月にあてられでもした?」
「…そうかもしれん」

 眩しく輝く朝日の中を、二人は小さく笑い合った。

「あー…、霊夢」
「今度は何」



「      」

 ただ、笑った。
結局、彼女は眠い目を擦りながら。
やはり、彼女は笑いながら。
互いに杯を交わすのだと思います。

二人の距離感は近過ぎず、遠過ぎず。
だがしかし限りなく「近過ぎ」に近く、「遠過ぎ」に近い。
ぶれ幅の大きい関係なのではないでしょうか。



初投稿となります。拙い部分、勉強不足な部分等あると思いますが、
楽しんで頂けたなら嬉しく思います。

長々と失礼しました。
ハムの人
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コメント



0.1210簡易評価
1.100煉獄削除
霊夢と魔理沙のこういう関係って良いですね。
弾幕戦の迫力や視点を変えてのそれぞれの心情もとても見応えがあり楽しかったです。
異変が終わったらまた軽口を言って笑いあう二人の姿など、面白いお話でした。
4.90名前が無い程度の能力削除
はじめの騒霊戦での人数制限が、永夜へと続く複線になっていたとは。
読んでいて、永夜の4ステージを思い出しました……怖い怖いw
なんか原作に近い魔理沙っぽくてよかったです。
9.100名前が無い程度の能力削除
所々ゲームの台詞やら小ネタが挟んであってニヤニヤしながら読ませてもらいました。
最高潮部分から最後までが少し間延びしている気がしますが、最高潮が良かったんでこの点数。
いや、まさか、でももしかしたら…と思って最後反転させたのは私だけではあるまいw