季めぐり草子(A Little Four Play)
春
ぱたぱたと羽を動かす妖精がいます。しかし別に羽で飛んでいるわけではありません。当然でしょう。いかにわらべくらいの大きさでも薄ばねで舞えるはずがないではありませんか。リリーホワイトは羽ではなくって、なんだかよく分からない霊的なる力で飛んでいます。それでも羽があります。なぜでしょう。無駄でしょうか。おそらく、かわいらしさです。
「春ですよ。みんなの好きな春ですよ。寒い冬は去りました。雪女はもう調子に乗りません」
「言ってくれるね」
春告精らしくあらたな季節のおとずれを告げて、人里や山野を飛びまわっているときに見かけたのは、まだつぼみが芽ぶきはじめたばかりの、ある桜の木の下で、どろどろに溶けかかっているレティ・ホワイトロックでした。
「みっともないですね!」 リリーはにこにことののしりました。
リリーは頭のよい妖精でありますけれども、ほかの妖精と同じでしっかりといたずらが好きでした。なのできらいなやつにはいたずらをします。彼女は冬がきらいでした。なので寒いのもきらいでした。なので雪もきらいでした。なのでレティもきらいなのです。
「チルノは春でも元気なのに、どうしてレティは駄目々々なんでしょう、くすくす。軟弱なんでしょう、けらけら」
「よし、動かないでね。すぐにかちかちにしてやるんだから」
レティはふうっとこごえる息を吐きかけようとしました。砂漠もいてつく死の風です。しかしいくら吐きだしてもリリーはすこしぶるりと身ぶるいするばかりでした。
もう冬は春の底へ埋まりはじめているのですから、レティの力はしぼんでしまっているのです。反対にリリーは新春のあけぼのでむらむらと力にたぎっていました。
リリーは透けたブラインドの羽を、にやりと笑ってから広げました。すると羽にぶっつかった日の光は拡散せずに、羽を突きぬけたあとは虫めがねで集められた陽光のようになって、レティに焦点を向けるのです。
「溶けちゃう!」
「溶けちゃえ」
そうしてレティは溶けました。しかし冬になったら生きかえるので大丈夫なのです。リリーも相手はえらんでいたずらをします。彼女が溶けて生きかえらなかったら、半分くらい溶かすだけで我慢したはずなのです。
「もう現れないでくださいね」
はずなのです。
「桜が咲きましたよ。これこそ春ですよ。でも梅もきれいですね。つばきも、たんぽぽも、菜の花も。ああ、春って最高!」
初春でなくってもリリーはまだ春を告げます。浮かれすぎているのです。それはなんだかこわれた蓄音機が何度も同じ音を吐きだしているようでした。春の彼女はこわれた蓄音機なのです。
リリーは春を告げつづけます。しかしそんなことは言われなくってもみんな知っています。なので初春のころ彼女を見かけて 「春だなあ」 と思っていたみんなもそのうち 「うっとうしいなあ」 と思うようになるのでした。そうして今年も春の中ごろにはみんな彼女を無視するのでした。
みんなが春告を無視するのでリリーは桜の木の下で落ちこみました。目がしらが熱くなりました。そうしていると彼女に話しかける者がおりました。
「どうしました妖精さん。悲しいことがあったのかしら。袖で涙を拭きましょう」
リリーはその者を神さまのように思いました。涙を拭いてもらうと柔和でやさしい顔がよく見えました。
「ありがとうございます。妖精さんじゃありません。リリー・ホワイトです」
「私は霍青娥と言います」
リリーは青娥を知っていました。みんなが彼女のわるくちを言うのを聞いたことがあるのです。みんなは 「悪党だよ、かすやろうだよ」 と言っていました。
それを聞いてからリリーは知りもしない青娥をかすやろうだと思うようになりました。しかしこうして話してみると彼女はそんなにかすやろうっぽくはありません。むしろ親切なのでした。
「聞いてください。みんな私が春を告げるといやがるの。しあわせなことなのになぜでしょう。みんな感性が死んでいるのでしょうか。かすやろうしかいないのでしょうか」
「まあ、そうでしたの。それはね、みんなの情緒がリリーさんの才能に追いついていないのです。あるいはその才能に嫉妬して素直によろこべないのですよ」
「そうだったのか……じつは以前から思っていましたよ。私って天才かも!」
リリーはきゃいきゃいとよろこびました。そのとき青娥がにやりとほほえんだことに彼女は気がつかないのです。
「リリーさんがみんなから無視されないためにとてもよい方法があるのですよ」
「本当ですか」
「私は産まれてから一度も嘘など言ったことがありません。よいですか。ただ春を告げるのではなくって、春を売りますよと言いなさい。みんながリリーさんに視線を向けることでしょう」
「春は買ったり、売ったりできませんよ」
「売ると言うのは隠語なのです。いや、ちがった。詩的表現なのです。なんでも一流になると直接の表現を避けるって聞きますからね。まあ、だまされたと思ってそうしてごらんなさい」
「あなたは私の神さまだ!」
「ホホホホ……」
リリーは神さま的に親切な助言を受けて、やる気がほわほわと湧きあがってきました。桜の木の下から飛びだして、彼女は人里にはいりこむと、こんなことを言いふらします。
「売りますよ、春。みんなの好きな春、売りますよ。今ならたったの八文です。奥さん、まだ終わりません。なんとセットで桜の木のかんざしをつけて、それでも安く八文なのです。ほら、売りますよ。売りますよ、春」
しかし反応はあまりよくありませんでした。みんなむっつりと、まるでリリーが不審者だとでも言いたげに、黙ってつめたい目をするのです。彼女は 「やっぱり馬鹿しかいないのかな」 とほとんど絶望してしまいます。
ところが神さま的に親切なひとは正しかったのです。リリーが路地うらでしょぼくれていると人が来ました。男の人も、女の人もいました。みんなして 「春、買います」 と言う。彼女は大変うれしかったけれども、すこし困りました。なぜならその人たちの様子が、なんとなく挙動不審だったからでした。
息はあらいし、汗ばんでいて、言ってしまえばきもちわるいので、リリーも内心 「うわ、きもちわるいなあ」 と叫びました。
その子の春を買うのは、おれだよ……いや、あたいだよ……てやんでい、おまえは女じゃないか……女だから、なんだってんだ。おまえたち男がこの子から春を買うより、よほど犯罪くさくないよ……バババン、バババン!
みんなはわれさきにと、リリーへ八文を押しつけようとします。そうして逆の手で彼女の髪とか、頬とか、目とかを撫でようとしています。
リリーは悲鳴をあげました。そうしてきもちわるい人たちの手からビョーキをうつされるまえに、いそいで飛んで逃げてしまうのでした。
幻想郷は桜の名所にことかきません。博麗神社とか、妖怪の山とか、ほかには霧の湖のほとりとか。そんな名所のうち、神社を除いて毎年はひとつ、誰も寄りつかない場所があります。それは風見幽香のいる場所でした。彼女は毎年この満開の時期がくると、それら名所でも特に咲きかげんのよいところを選んで、散るまでそこを独占するのでした。
別に悪意がそうさせているのではありません。幽香は恐れられていました。なので誰も近づきませんでした。なのでそこは独占されてしまうのです。
「それで私は、春を買おうとするきもちわるい人から、逃げたわけですなあ。どうしてきもちわるい人しか集まらなかったのでしょうか。別にきれいな人が来たって、おかしくないじゃありませんか。ねえ? 幽香さん」
そんな幽香へリリーは遠慮なく話しかけます。彼女はまったくこわくありませんでした。
幽香がそう思われているように、本当に恐ろしい者なのかそうでないのか、リリーは知りませんでした。しかし彼女は自分と同じで春が好きなようでした。なので信用して気やすく話しかけられるのです。
「そんなことを言ったらヘンなのが集まるに決まってるじゃん。あんたその言葉の意味を分かって?」
「知りません」
幽香が耳うちして本当のところを教えると、リリーは顔を青くしました。
「騙された! あいつ、実際みんなが言うようにかすやろうだったのだ……」
「あいつはかすやろうじゃないよ」
「ならなんです」
「もっと程度が低い。そう、あいつは……××××だ」
「こわいよう……」
そんなふうに世間ばなしをしていると、リリーは不意に、あたりの桜が満開でなくなっていることに気がつきました。満開であるかそうでないかは、すこし散ったところで普通は分かりません。しかし春告精の彼女は満開に、自分の判断ではなくって、みどりの規則するところと、同じ基準で判定できるのでした。そうしてみどりの規則は、どうやらこのあたりの桜はもう満開を終えたと決めたようでした。
「春も終わりですね」
「何を言ってるの、春はまだひらいたばかりじゃない」
「そうでしょうか? 春と言えば桜で、みんなそれが散りかけただけで、春が終わるような顔をすす。そしてじつは、私もそれで正しいと謂う気がする。まるで桜しか春にはないように。桜だって、咲くときばかりじろじろと見られて気の毒です。ほかの季節には見もしないのに」
「それでいいの。桜は短いから美しいの。一年中でも咲いていたら、みんな飽きるし、余計に見られなくなるわ」
「私は一年中でも見たいなあ!」
リリーはばっと両手を広げて、満開を表現しました。そうして上下に両手を振ったりしています。それは一年中でも咲いている桜のポーズらしいのです。
「咲け、つねに咲け。ほら、満開!」
「あんた本当にかわいいねえ」
「そうですね。じつは私もつねづねそう確信していたところです」
幽香は春が好きでした。なので春の花も好きでした。なので桜も好きでした。なので桜を大切にしているリリーのこともそれなりに好きでした。なので彼女が近づいてきても、うるさいのにあしらったりはしないのです。
夏
幽香は別に夏の妖怪ではありません。花の妖怪です。しかし彼女を夏の妖怪と思っている者たちがいます。なぜでしょう。深緑を匂わせる髪の色からでしょうか。おそらく、ひまわりの影像です。実際に彼女は花でもひまわりが特に好きでした。なのでひまわりのある場所によく出没しました。そうしてひまわりの連想から、彼女は夏の妖怪だと信じられていたのです。
あまり知られていない幽香の住み処には、彼女の育てた花が咲いています。彼女は花の妖怪なので、花を育てることも好きなのです。
夏の花。
やまゆり。やまゆりに 露を降らすは 天狗かな
まつよいぐさ。雨ほしき まつよいぐさの 香のほのか
ひまわり。ひまわりに 天よりも地の 夕やけくる
幽香は自分で育てた花々をうっとりと眺めたりします。どれも完璧に手を加えられていました。彼女は花つかいとして、まさに一流だったのです。
ところで幽香の花は、当然ながら彼女の住み処にしかないはずなので、彼女としたしくなければその美しい花々を拝めないと、みんなは考えていることでしょう。しかしじつは、それは人里のさまざまな場所で飾られているのです。
あるとき人間が独り、幽香の住み処へやってきました。それは人里の花屋の娘でした。あるいはその様子を誰かがひそかに見ているとするならば 「逃げるんだ、やつざきにされてしまうよ」 と助けられもせず遠まきにぶるぶるとしながら、考えるかもしれません。だからこそ、なぜかしたしげに話しているふたりを、みんなが知ったらふしぎがるにちがいないのです。
幽香は育てた花を、つねづねみんなに見てもらいたいと思っていましたけれども、彼女はこわがられているので、ほとんど誰もそれを拝むことは叶いません。そこで彼女はこっそりと花屋の娘に花を渡して、人里で売らせて(けっして“売ってもらって”と謂うふうでは認められない性格なのです)いるのでした。
幽香は花が好きでした。なので花屋も好きでした。そうして花を大切にしない花屋など、どこにいるでしょう。同じ職務を分かつ娘になら、彼女は安心して育てた花の茎を払うことができるのでした。
おそらく今日にも幽香の花が花屋に並ぶのでしょう。それはいつか買いとられて、壷や瓶に飾られるのです。そうしてそれの育ての親は誰も知らずにいるでしょう。みんなが知るのは、ただそれが店さきに並んでいるうちで、最も輝いていたと謂う事実だけでした。
やがてひまわりがしおれて涼しさを感じるころに、田に黄金の風が吹きはじめました。そのころから、秋静葉と秋穣子を見かけるようになってきます。二柱はほかの季節、すっかり消えうせてしまうわけではありません。それでもみんな、二柱をほかの季節に認めません。なぜでしょう。かくれんぼでしょうか。おそらく、青い果実や枯れ葉の底に沈んでいるのです。
「ひさびさに幽香の顔を見たね」 穣子は言いました。
「ひさびさって、まえの秋に会ったじゃない」
「私たち、秋じゃないと曖昧なんだから。一年の貴重さがちがうの。私たちって一年じゃなくって、四ヶ月くらいなの」
「はい……?」
「気にしないでね。この子ったら覚めたばかりだから、頭がヘンなの」 静葉は呆れた様子でした。
「はあ、生きるのが簡単そうでいいね。今年はこの時期にしては気温が低くない。おおかた暖冬になるんじゃないかしら」
「へえ、レティに会う日が減っていいね」 稔子は皮肉っぽく笑いました。
「ところで私たちが幽香のところに来たのは、別に世間ばなしのためじゃないの」
「はい、はい。染料のためでしょう」
「かまわない?」
幽香は気軽に 「いいよ」 と了承しました。
ばさっ、ばさっ。急に静葉はスカートの裾を持ちあげて、振りみだしました。ばさっ、ばさっ。別に頭がヘンになったとか、はげしい神楽とかではありません。
静葉はスカートの端からぽろぽろと、霊的なる力を帯びた、もみじもどきやイチョウもどきの葉(それは本物の葉とちがって、神秘の物質でありますけれども)を落としているのです。そうして振りみだすほどに際限もなく落ちるので、スカートはちぢれて尽きないのです。やがて手を止めるころには、枯れたひまわり畑は赤色と黄色が散らばる葉の絨毯になっていました。
「さあ、ひまわりと葉と土を混ぜましょう」
二柱とひとりは、おのおの力を使って、それを配合していきました。土が波うち、ひまわりが養分になり、葉はどろどろの液状へ軟化しました。
幻想郷の秋の木々は、ただ寒さのなすままに色を変えるのではなくって、すべて静葉が染めています。そのための染料は、どこからともなく創られたりはしていません。神さまの世界にも無限はなく、自然科学の夜の側面に従って、一から創造しなければならないのです。
「今年はどんな色になるのかな」 幽香が聞きました。
「新しい時代を象徴するような色にする。知ってる? 神在月の出張で聞いたの。新しい御子が椅子に座るから、偉い神々が契約更新の準備をしてるんだってさ。まあ、外のことだからあまり関係ないんだけど。それでも倣って、終わりから新しい方角を示すような、そんな色を模索するのもわるくない」
「期待してるわ」
「今日の礼は、作物にして返すからね」
静葉の染める木々は美しく、それだけで幽香にとっては、この作業を手つだうにあたいしました。
土はやがてうねりを止め、そこには溶岩のように粘度の高い絵の具が創られている。
秋
「うん、ちがうなあ」
静葉はぶつぶつと何かつぶやきました。
「ちがうなあ」
まだつぶやいています。なぜでしょう。おそらく、思ったように楓の木の葉が塗れないからです。
「かあっ、ちがうなあ」
「姉さん、もう塗っちゃってよ……」
もう何日も色さだめの手つだいをしているので、穣子はつかれはてていました。
もう葉が淡く色めく時期なのに、どの木々もほとんど変化していませんでした。静葉が色さだめで悩んでいるからです。それはスランプに陥った芸術家の衝動でした。終わりから新しい方角を示す色と謂うのは、よくよく抽象的でありましょう。いつもならテーマに沿って、てきぱきと塗りたくるところでしょうけれども、今年はそう一筋縄にいかないようでした。
「駄目よ。今年はね、決めたんだから。姉さんは芸術のきわみに到達するの」
「そんなにがんばっても、どいつもこいつも葉の色なんて気にしてないじゃん。みんな食べることに夢中だもん」
二柱は湖あたりの楓を練習に、葉をこまごまと塗っていました。未発表の芸術は、できるだけこっそりと創らなければならないのです。
「黄色はしっくりしているの。問題は赤。燃えるような色では直情的だし、だからって薄く塗りすぎても弱すぎるの」
「面倒くさいなあ」
穣子はそのうち飽きてしまって、休憩がてら近くの草場で横になってしまいました。その様子を見ていると、静葉のめらめらと輝いている芸術心も萎えてきます。そうして彼女もついに、草場でだらしなく横になってしまうのでした。
解決のないままだらけていると、やがて夕日が降ってきました。今日のそれは特に赤く、湖をきらめかせて、一直線で太陽へ向かう、銀色の橋を架けています。
「惜しい」 静葉は言いました 「近いけど、ちがうんだなあ。夕日の色に、何かひとつ……」
「夕日の色はすぐに変わったりしないよ」
そんなときでした。湖のほうから誰か泳いでこちらに来ます。ゆらゆらと動くヒレが見えました。それは岸辺でだらけている二柱を捉えて、気まぐれに顔を見に来たわかさぎ姫でした。
わかさぎ姫は、岸までくると上半身を乗りだして、ぶるりと身ぶるいして水をはねっとばしてから 「いい夕日ね、知らない神さま。こんなところで何をしているのでしょう?」 と話しかけました。
「人魚じゃん」 静葉が言いました。
「魚人じゃない?」
「魚人だと上半身が魚かな。それ、かなりきもちわるいね」
「食べたらおいしいのかな」
「好きに言ってくれますね。何をそんなにふてくされているの」
「赤なの……」
「旗ですか?」
「赤! バババン、バババン!」
と謂うふうにふてくされながらも、せっかく来てくれたので、静葉はわかさぎ姫に愚痴っぽく、ここ数日の芸術活動を打ちあけてみました。
「それならひとつ、よい赤を知っていますよ。夕日です。ただ夕日を見るんじゃないですよ。水の中から夕日を見るの」
「中から見ると何がちがうの」
「赤が水面でゆらゆらとしているんです。赤は光の反射の波とひとつになって輝きます。でも水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあるんです。それはぬくもりの火のようなんですね」
静葉にはわかさぎ姫の言っていることがよく分かりませんでした。おそらく、水に住まう者だけが知っている世界なのです。ただ理解はできなかったけれども、彼女の熱心な言いかたに興味をそそられはしたので 「なら人魚さん、私を下に引きこんで、それを見せなさい」 と立ちあがって命令しました。
「もちろんです。服が濡れてしまいますが……」
「気にしないよ」
「では、神さまの言うとおりに」
「姉さん、本気なの? 水の中には、冬の魔物が住んでいるって聞いたことがあるよ。危ないから已めようよ」
穣子は心配して止めようとしました。しかし静葉はわかさぎ姫の手をにぎると、すぐに下の世界へ言ってしまうのでした。
水の中でもわかさぎ姫の手はぬるぬるとしていました。彼女は 「底に行きましょう。そのほうが、水鏡の裏の夕日は美しいのです」 と静葉に話しかけます。水の中でも声が出るのです。
それなりの深さを潜ると底に辿りつきました。そこから水面のほうを見ると、たしかに夕日を照りうけて、水鏡の裏が赤く染まっています。そうして底のほうは青いので、下へ赤い光が降るほどに、水位でも特に中間のあたりが、なめらかなグラデーションになっているのでした。
静葉は興奮して、がぼがぼと何か言おうとしました。そのあとわかさぎ姫のヒレを叩くと、浮上するように催促しました。
やがて水面から顔をだして、水を吐きだすと、静葉は叫びます。
「これだ、これだ! すばらしい紅葉が、幻想郷を覆うだろう!」
岸辺までわかさぎ姫にはこんでもらうと、すぐに穣子が不安そうに話しかけました。
「どうだったの、姉さん」
「どうって、人魚さんは正しかったわ。赤が水面でゆらゆらとしていて、赤は光の反射の波とひとつになって輝いて、でも水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあって、それはぬくもりの火のようだった」
「頭がおかしいの?」
「姉さん、すぐに葉を塗りはじめるから」
「そう、まあ納得したならよかったよ。私はもう帰るからね」
「手つだいなさい」
「来た、来ましたよ。そう言われると思ったんだなあ……」
それからすこし経って、完全なる紅葉の時期になると、幻想郷が赤が水面でゆらゆらとしていて、赤は光の反射の波とひとつになって輝いて、しかし水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあって、それはぬくもりの火のような色につつまれました。今でもその見事さを、みんなが不意に思いだして口にします。そうして特に、湖のあたりの紅葉などは、あの世の桜に並ぶほどに美しかったようでした。
木々の葉が落ちて、枝が露わになりました。地面を満たす赤色と黄色の絨毯が茶色になるころに、北からつめたい風が吹きつけて、山や谷を撫でていました。
「姉さん、雪が降ってきた」
そう言われると、静葉が空を見あげました。秋も眠りにつくころに、ついに最初の雪が白い季節を告げに来たのです。
「げえっ、いやだなあ。ついにこの日が来てしまったのね」 穣子は文句を言いました。
「今年の秋は長いほうだったし、そうふてくされないの。私たちもみどりがそうするように、隠れる準備をしよう」
そのときでした。北からつめたい風が吹きつけています。その中にさらなるつめたい風がまとわりついていました。その風はいやな気配と一緒に、二柱の傍で制止しました。
「ふたりとも元気がないねえ」
「出た、出ましたよ。呼んでもないのに出てくるやつってのは、まさにあんたのことね」 穣子はしかめつらをしています。
「呼んでもない? それはまちがいね。つめたい風が私を眠りからいざなった。雪が地面に足を伸ばすとき、冬が私を呼んでいる!」
風と一緒に現れたのはレティです。彼女は秋が終わりを向かえるころにふたたびかたちを成すのでした。そうして秋を挑発するために、二柱の傍へ遊びに来ているのでした。
レティが大声で言ったとき、ありあまる力が彼女から漏れだしました。あたりの草木が凍りついて、二柱もすこし力を失い、指さきが黒くなりました。
「かあっ、もう辛抱できない。何もかも凍りつかせてやりたい気分になってきた……ふたりとも……眠りたくない?」
「別に」 静葉が遠慮しました。
「そうおっしゃらずに!」
レティがこごえる息を吐くと、二柱めがけて地面がぱきぱきと凍りつきます。彼女たちはあわてて逃げだしました。長いあいだ追いかけっこが続けられると、あたりの景色はかちかちに凍った氷樹ばかりになってしまいます。その光景を遠くから見てみんなは 「ああ、雪女が目ざめたのか。もう秋が終わってしまうのだ」 と実感するのです。
冬
レティはあまり好かれる妖怪ではありません。妖怪なんて好かれたりはしませんけれども、彼女はその中でもきらわれているほうでした。なぜでしょう。雪女(あるいはその親戚)だからでしょうか。おそらく、みんな寒さがきらいなのです。そうして寒さとはある意味で、妖怪よりもよほど恐ろしい死の友達でした。
人里の大人たちは暖かい季節に保存した食物と一緒に、家へ引きこもってしまいます。このころ家の中ではつねに囲炉裏の火がいぶっているので、とても煙くさくなります。その匂いは冬の風物詩のひとつでした。
そんな大人たちとちがって、子供たちは寒さなど気にもしません。むしろよろこんでいるくらいで、雪が積もってしまうと遊びたがりの子供たちは、もう寺子屋の勉強などまじめに学んでいられません。そわそわとして、歴史のことなど耳にはいらないし、そろばんの玉はあらぬ答えを導きだしてしまうのです。
その様子を気の毒に思って、上白沢慧音は 「しかたがないから、みんなで雪合戦でもしようか」 と子供たちにうながしました。子供たちはよろこんで、外に飛びだしました。そこに彼女も加わると、さあ雪玉が投げはじめられます。
そうなると外にいた、まだ寺子屋に行かない小さな子供たちまで集まって、いよいよ人里の広場はあまたの雪玉が行きかう古戦場と化してしまうのでした。そんなとき、誰かがこんな提案をします。
「みなのもの。ついにわれわれは、やかましい慧音せんせに報復するときだ。ここはひとつ、せんせに雪玉を集中させるのだ」
誰かが合図にピイと口笛を吹くと、急に慧音へやわらかい矛さきが集中しました。彼女は最初こそあわてていましたが、そのうち 「そうか、そっちがその気ならこうだぞ!」 と怒って、弾幕を撃ちました。こうなると子供たちの中でもすこし力のある者まで、弾幕を撃ちはじめるので、みんな興奮して本気になってしまうのです。そうして本気でたのしんでいるのです。
せんせ、弾幕はずるいや……ずるくない。おまえも撃っていいんだぞ……せんせ、分かって言ってるだろ。おれは撃てないんだよ……そうか、なら私の勝ちだなあ……言ったな。みんな、雪玉もいっぱい投げてやるんだ!
やがてさんざん弾幕と雪玉をぶっつけたり、ぶっつけられたりしていると、子供たちも慧音もつかれきって、雪の上に倒れてしまいました。ぜえぜえと、荒い息を吐きだします。
ところで誰も知らなかったのですけれども、子供たちを焚きつけて慧音に雪玉を集中させた子供は影もかたちもなく、じつはどこかに消えていました。子供たちは寺子屋に戻ったあと、雪合戦に火を灯した子供のことを思いだしてこう語ります。
そいつは、髪が青っぽかった気がするよ……白っぽくもあったわ……こんなに寒いのに、薄着だった……目は青かった……雪女じゃないの……なんで雪女が、おれたちと遊ぶってんだい? ……雪女はきらわれているから、さびしいんだって巫女さまが言っていたよ。だから子供にまぎれて遊んだりするんだって。だってわたしたち、つめたいのなんて、こわくないもん!
雪の降る日、死の友達と遊んだ子供たちの、昼さがり。
レティはざくざくと雪を踏みながら、山の中を歩いていました。それは散歩でなくって、整然とした目的のある動きでした。
何やら暖かい匂いのする杉の大木を見つけると。レティはにやりとほほえみました。そうして次の刹那に手を大木の根のくぼみに突きいれて、ずるずると引っぱりだしたのは、眠っていたリリーでした。彼女はおどろいて、目をぱちくりとさせています。
「見つけたあ!」
「レティ、おひさしぶりです。どうして分かったのでしょう」
「冬の中にわずかな春を感じる場所があるんだから、それより分かりやすいことはないね」
「そうですか、すごくどうでもいいことを教えてくれて助かりました。もうよろしいでしょうか。私の右腕が凍っているので、早く放してください。それからうしろを向いて、夏のいるところに行って、二度と現れないでくださいね」
「口が減らないねえ。春のあのときのこと、許す気がなくなってしまったわ」
「嘘でしょう」
「うん、まあ嘘ね」
「この××××め。次は生きかえらないくらい、どろどろにしてやるんだから」
リリーの体が見る々るうちに凍ってしまいます。もう首までかちかちになってしまいました。
「凍りついちゃう!」
「凍りついちゃえ」
そうしてリリーは凍りつきました。しかし春になったら生きかえるので大丈夫なのです。レティも相手はえらんでいたずらをします。彼女が凍りついて生きかえらなかったら、半分くらい凍りつかせるだけで我慢したはずなのです。
「もう現れないでよ」
はずなのです。
春夏秋冬
おだやかな眠りに告げられて
季節は分裂の夢を知る。よっつに分かれる夢を見る
よっつは宇宙に従い、地の回転軸にさからわぬまま完璧なまでに、球体の周囲を巡っている
季めぐり草子(A Little Four Play) 終わり
春
ぱたぱたと羽を動かす妖精がいます。しかし別に羽で飛んでいるわけではありません。当然でしょう。いかにわらべくらいの大きさでも薄ばねで舞えるはずがないではありませんか。リリーホワイトは羽ではなくって、なんだかよく分からない霊的なる力で飛んでいます。それでも羽があります。なぜでしょう。無駄でしょうか。おそらく、かわいらしさです。
「春ですよ。みんなの好きな春ですよ。寒い冬は去りました。雪女はもう調子に乗りません」
「言ってくれるね」
春告精らしくあらたな季節のおとずれを告げて、人里や山野を飛びまわっているときに見かけたのは、まだつぼみが芽ぶきはじめたばかりの、ある桜の木の下で、どろどろに溶けかかっているレティ・ホワイトロックでした。
「みっともないですね!」 リリーはにこにことののしりました。
リリーは頭のよい妖精でありますけれども、ほかの妖精と同じでしっかりといたずらが好きでした。なのできらいなやつにはいたずらをします。彼女は冬がきらいでした。なので寒いのもきらいでした。なので雪もきらいでした。なのでレティもきらいなのです。
「チルノは春でも元気なのに、どうしてレティは駄目々々なんでしょう、くすくす。軟弱なんでしょう、けらけら」
「よし、動かないでね。すぐにかちかちにしてやるんだから」
レティはふうっとこごえる息を吐きかけようとしました。砂漠もいてつく死の風です。しかしいくら吐きだしてもリリーはすこしぶるりと身ぶるいするばかりでした。
もう冬は春の底へ埋まりはじめているのですから、レティの力はしぼんでしまっているのです。反対にリリーは新春のあけぼのでむらむらと力にたぎっていました。
リリーは透けたブラインドの羽を、にやりと笑ってから広げました。すると羽にぶっつかった日の光は拡散せずに、羽を突きぬけたあとは虫めがねで集められた陽光のようになって、レティに焦点を向けるのです。
「溶けちゃう!」
「溶けちゃえ」
そうしてレティは溶けました。しかし冬になったら生きかえるので大丈夫なのです。リリーも相手はえらんでいたずらをします。彼女が溶けて生きかえらなかったら、半分くらい溶かすだけで我慢したはずなのです。
「もう現れないでくださいね」
はずなのです。
「桜が咲きましたよ。これこそ春ですよ。でも梅もきれいですね。つばきも、たんぽぽも、菜の花も。ああ、春って最高!」
初春でなくってもリリーはまだ春を告げます。浮かれすぎているのです。それはなんだかこわれた蓄音機が何度も同じ音を吐きだしているようでした。春の彼女はこわれた蓄音機なのです。
リリーは春を告げつづけます。しかしそんなことは言われなくってもみんな知っています。なので初春のころ彼女を見かけて 「春だなあ」 と思っていたみんなもそのうち 「うっとうしいなあ」 と思うようになるのでした。そうして今年も春の中ごろにはみんな彼女を無視するのでした。
みんなが春告を無視するのでリリーは桜の木の下で落ちこみました。目がしらが熱くなりました。そうしていると彼女に話しかける者がおりました。
「どうしました妖精さん。悲しいことがあったのかしら。袖で涙を拭きましょう」
リリーはその者を神さまのように思いました。涙を拭いてもらうと柔和でやさしい顔がよく見えました。
「ありがとうございます。妖精さんじゃありません。リリー・ホワイトです」
「私は霍青娥と言います」
リリーは青娥を知っていました。みんなが彼女のわるくちを言うのを聞いたことがあるのです。みんなは 「悪党だよ、かすやろうだよ」 と言っていました。
それを聞いてからリリーは知りもしない青娥をかすやろうだと思うようになりました。しかしこうして話してみると彼女はそんなにかすやろうっぽくはありません。むしろ親切なのでした。
「聞いてください。みんな私が春を告げるといやがるの。しあわせなことなのになぜでしょう。みんな感性が死んでいるのでしょうか。かすやろうしかいないのでしょうか」
「まあ、そうでしたの。それはね、みんなの情緒がリリーさんの才能に追いついていないのです。あるいはその才能に嫉妬して素直によろこべないのですよ」
「そうだったのか……じつは以前から思っていましたよ。私って天才かも!」
リリーはきゃいきゃいとよろこびました。そのとき青娥がにやりとほほえんだことに彼女は気がつかないのです。
「リリーさんがみんなから無視されないためにとてもよい方法があるのですよ」
「本当ですか」
「私は産まれてから一度も嘘など言ったことがありません。よいですか。ただ春を告げるのではなくって、春を売りますよと言いなさい。みんながリリーさんに視線を向けることでしょう」
「春は買ったり、売ったりできませんよ」
「売ると言うのは隠語なのです。いや、ちがった。詩的表現なのです。なんでも一流になると直接の表現を避けるって聞きますからね。まあ、だまされたと思ってそうしてごらんなさい」
「あなたは私の神さまだ!」
「ホホホホ……」
リリーは神さま的に親切な助言を受けて、やる気がほわほわと湧きあがってきました。桜の木の下から飛びだして、彼女は人里にはいりこむと、こんなことを言いふらします。
「売りますよ、春。みんなの好きな春、売りますよ。今ならたったの八文です。奥さん、まだ終わりません。なんとセットで桜の木のかんざしをつけて、それでも安く八文なのです。ほら、売りますよ。売りますよ、春」
しかし反応はあまりよくありませんでした。みんなむっつりと、まるでリリーが不審者だとでも言いたげに、黙ってつめたい目をするのです。彼女は 「やっぱり馬鹿しかいないのかな」 とほとんど絶望してしまいます。
ところが神さま的に親切なひとは正しかったのです。リリーが路地うらでしょぼくれていると人が来ました。男の人も、女の人もいました。みんなして 「春、買います」 と言う。彼女は大変うれしかったけれども、すこし困りました。なぜならその人たちの様子が、なんとなく挙動不審だったからでした。
息はあらいし、汗ばんでいて、言ってしまえばきもちわるいので、リリーも内心 「うわ、きもちわるいなあ」 と叫びました。
その子の春を買うのは、おれだよ……いや、あたいだよ……てやんでい、おまえは女じゃないか……女だから、なんだってんだ。おまえたち男がこの子から春を買うより、よほど犯罪くさくないよ……バババン、バババン!
みんなはわれさきにと、リリーへ八文を押しつけようとします。そうして逆の手で彼女の髪とか、頬とか、目とかを撫でようとしています。
リリーは悲鳴をあげました。そうしてきもちわるい人たちの手からビョーキをうつされるまえに、いそいで飛んで逃げてしまうのでした。
幻想郷は桜の名所にことかきません。博麗神社とか、妖怪の山とか、ほかには霧の湖のほとりとか。そんな名所のうち、神社を除いて毎年はひとつ、誰も寄りつかない場所があります。それは風見幽香のいる場所でした。彼女は毎年この満開の時期がくると、それら名所でも特に咲きかげんのよいところを選んで、散るまでそこを独占するのでした。
別に悪意がそうさせているのではありません。幽香は恐れられていました。なので誰も近づきませんでした。なのでそこは独占されてしまうのです。
「それで私は、春を買おうとするきもちわるい人から、逃げたわけですなあ。どうしてきもちわるい人しか集まらなかったのでしょうか。別にきれいな人が来たって、おかしくないじゃありませんか。ねえ? 幽香さん」
そんな幽香へリリーは遠慮なく話しかけます。彼女はまったくこわくありませんでした。
幽香がそう思われているように、本当に恐ろしい者なのかそうでないのか、リリーは知りませんでした。しかし彼女は自分と同じで春が好きなようでした。なので信用して気やすく話しかけられるのです。
「そんなことを言ったらヘンなのが集まるに決まってるじゃん。あんたその言葉の意味を分かって?」
「知りません」
幽香が耳うちして本当のところを教えると、リリーは顔を青くしました。
「騙された! あいつ、実際みんなが言うようにかすやろうだったのだ……」
「あいつはかすやろうじゃないよ」
「ならなんです」
「もっと程度が低い。そう、あいつは……××××だ」
「こわいよう……」
そんなふうに世間ばなしをしていると、リリーは不意に、あたりの桜が満開でなくなっていることに気がつきました。満開であるかそうでないかは、すこし散ったところで普通は分かりません。しかし春告精の彼女は満開に、自分の判断ではなくって、みどりの規則するところと、同じ基準で判定できるのでした。そうしてみどりの規則は、どうやらこのあたりの桜はもう満開を終えたと決めたようでした。
「春も終わりですね」
「何を言ってるの、春はまだひらいたばかりじゃない」
「そうでしょうか? 春と言えば桜で、みんなそれが散りかけただけで、春が終わるような顔をすす。そしてじつは、私もそれで正しいと謂う気がする。まるで桜しか春にはないように。桜だって、咲くときばかりじろじろと見られて気の毒です。ほかの季節には見もしないのに」
「それでいいの。桜は短いから美しいの。一年中でも咲いていたら、みんな飽きるし、余計に見られなくなるわ」
「私は一年中でも見たいなあ!」
リリーはばっと両手を広げて、満開を表現しました。そうして上下に両手を振ったりしています。それは一年中でも咲いている桜のポーズらしいのです。
「咲け、つねに咲け。ほら、満開!」
「あんた本当にかわいいねえ」
「そうですね。じつは私もつねづねそう確信していたところです」
幽香は春が好きでした。なので春の花も好きでした。なので桜も好きでした。なので桜を大切にしているリリーのこともそれなりに好きでした。なので彼女が近づいてきても、うるさいのにあしらったりはしないのです。
夏
幽香は別に夏の妖怪ではありません。花の妖怪です。しかし彼女を夏の妖怪と思っている者たちがいます。なぜでしょう。深緑を匂わせる髪の色からでしょうか。おそらく、ひまわりの影像です。実際に彼女は花でもひまわりが特に好きでした。なのでひまわりのある場所によく出没しました。そうしてひまわりの連想から、彼女は夏の妖怪だと信じられていたのです。
あまり知られていない幽香の住み処には、彼女の育てた花が咲いています。彼女は花の妖怪なので、花を育てることも好きなのです。
夏の花。
やまゆり。やまゆりに 露を降らすは 天狗かな
まつよいぐさ。雨ほしき まつよいぐさの 香のほのか
ひまわり。ひまわりに 天よりも地の 夕やけくる
幽香は自分で育てた花々をうっとりと眺めたりします。どれも完璧に手を加えられていました。彼女は花つかいとして、まさに一流だったのです。
ところで幽香の花は、当然ながら彼女の住み処にしかないはずなので、彼女としたしくなければその美しい花々を拝めないと、みんなは考えていることでしょう。しかしじつは、それは人里のさまざまな場所で飾られているのです。
あるとき人間が独り、幽香の住み処へやってきました。それは人里の花屋の娘でした。あるいはその様子を誰かがひそかに見ているとするならば 「逃げるんだ、やつざきにされてしまうよ」 と助けられもせず遠まきにぶるぶるとしながら、考えるかもしれません。だからこそ、なぜかしたしげに話しているふたりを、みんなが知ったらふしぎがるにちがいないのです。
幽香は育てた花を、つねづねみんなに見てもらいたいと思っていましたけれども、彼女はこわがられているので、ほとんど誰もそれを拝むことは叶いません。そこで彼女はこっそりと花屋の娘に花を渡して、人里で売らせて(けっして“売ってもらって”と謂うふうでは認められない性格なのです)いるのでした。
幽香は花が好きでした。なので花屋も好きでした。そうして花を大切にしない花屋など、どこにいるでしょう。同じ職務を分かつ娘になら、彼女は安心して育てた花の茎を払うことができるのでした。
おそらく今日にも幽香の花が花屋に並ぶのでしょう。それはいつか買いとられて、壷や瓶に飾られるのです。そうしてそれの育ての親は誰も知らずにいるでしょう。みんなが知るのは、ただそれが店さきに並んでいるうちで、最も輝いていたと謂う事実だけでした。
やがてひまわりがしおれて涼しさを感じるころに、田に黄金の風が吹きはじめました。そのころから、秋静葉と秋穣子を見かけるようになってきます。二柱はほかの季節、すっかり消えうせてしまうわけではありません。それでもみんな、二柱をほかの季節に認めません。なぜでしょう。かくれんぼでしょうか。おそらく、青い果実や枯れ葉の底に沈んでいるのです。
「ひさびさに幽香の顔を見たね」 穣子は言いました。
「ひさびさって、まえの秋に会ったじゃない」
「私たち、秋じゃないと曖昧なんだから。一年の貴重さがちがうの。私たちって一年じゃなくって、四ヶ月くらいなの」
「はい……?」
「気にしないでね。この子ったら覚めたばかりだから、頭がヘンなの」 静葉は呆れた様子でした。
「はあ、生きるのが簡単そうでいいね。今年はこの時期にしては気温が低くない。おおかた暖冬になるんじゃないかしら」
「へえ、レティに会う日が減っていいね」 稔子は皮肉っぽく笑いました。
「ところで私たちが幽香のところに来たのは、別に世間ばなしのためじゃないの」
「はい、はい。染料のためでしょう」
「かまわない?」
幽香は気軽に 「いいよ」 と了承しました。
ばさっ、ばさっ。急に静葉はスカートの裾を持ちあげて、振りみだしました。ばさっ、ばさっ。別に頭がヘンになったとか、はげしい神楽とかではありません。
静葉はスカートの端からぽろぽろと、霊的なる力を帯びた、もみじもどきやイチョウもどきの葉(それは本物の葉とちがって、神秘の物質でありますけれども)を落としているのです。そうして振りみだすほどに際限もなく落ちるので、スカートはちぢれて尽きないのです。やがて手を止めるころには、枯れたひまわり畑は赤色と黄色が散らばる葉の絨毯になっていました。
「さあ、ひまわりと葉と土を混ぜましょう」
二柱とひとりは、おのおの力を使って、それを配合していきました。土が波うち、ひまわりが養分になり、葉はどろどろの液状へ軟化しました。
幻想郷の秋の木々は、ただ寒さのなすままに色を変えるのではなくって、すべて静葉が染めています。そのための染料は、どこからともなく創られたりはしていません。神さまの世界にも無限はなく、自然科学の夜の側面に従って、一から創造しなければならないのです。
「今年はどんな色になるのかな」 幽香が聞きました。
「新しい時代を象徴するような色にする。知ってる? 神在月の出張で聞いたの。新しい御子が椅子に座るから、偉い神々が契約更新の準備をしてるんだってさ。まあ、外のことだからあまり関係ないんだけど。それでも倣って、終わりから新しい方角を示すような、そんな色を模索するのもわるくない」
「期待してるわ」
「今日の礼は、作物にして返すからね」
静葉の染める木々は美しく、それだけで幽香にとっては、この作業を手つだうにあたいしました。
土はやがてうねりを止め、そこには溶岩のように粘度の高い絵の具が創られている。
秋
「うん、ちがうなあ」
静葉はぶつぶつと何かつぶやきました。
「ちがうなあ」
まだつぶやいています。なぜでしょう。おそらく、思ったように楓の木の葉が塗れないからです。
「かあっ、ちがうなあ」
「姉さん、もう塗っちゃってよ……」
もう何日も色さだめの手つだいをしているので、穣子はつかれはてていました。
もう葉が淡く色めく時期なのに、どの木々もほとんど変化していませんでした。静葉が色さだめで悩んでいるからです。それはスランプに陥った芸術家の衝動でした。終わりから新しい方角を示す色と謂うのは、よくよく抽象的でありましょう。いつもならテーマに沿って、てきぱきと塗りたくるところでしょうけれども、今年はそう一筋縄にいかないようでした。
「駄目よ。今年はね、決めたんだから。姉さんは芸術のきわみに到達するの」
「そんなにがんばっても、どいつもこいつも葉の色なんて気にしてないじゃん。みんな食べることに夢中だもん」
二柱は湖あたりの楓を練習に、葉をこまごまと塗っていました。未発表の芸術は、できるだけこっそりと創らなければならないのです。
「黄色はしっくりしているの。問題は赤。燃えるような色では直情的だし、だからって薄く塗りすぎても弱すぎるの」
「面倒くさいなあ」
穣子はそのうち飽きてしまって、休憩がてら近くの草場で横になってしまいました。その様子を見ていると、静葉のめらめらと輝いている芸術心も萎えてきます。そうして彼女もついに、草場でだらしなく横になってしまうのでした。
解決のないままだらけていると、やがて夕日が降ってきました。今日のそれは特に赤く、湖をきらめかせて、一直線で太陽へ向かう、銀色の橋を架けています。
「惜しい」 静葉は言いました 「近いけど、ちがうんだなあ。夕日の色に、何かひとつ……」
「夕日の色はすぐに変わったりしないよ」
そんなときでした。湖のほうから誰か泳いでこちらに来ます。ゆらゆらと動くヒレが見えました。それは岸辺でだらけている二柱を捉えて、気まぐれに顔を見に来たわかさぎ姫でした。
わかさぎ姫は、岸までくると上半身を乗りだして、ぶるりと身ぶるいして水をはねっとばしてから 「いい夕日ね、知らない神さま。こんなところで何をしているのでしょう?」 と話しかけました。
「人魚じゃん」 静葉が言いました。
「魚人じゃない?」
「魚人だと上半身が魚かな。それ、かなりきもちわるいね」
「食べたらおいしいのかな」
「好きに言ってくれますね。何をそんなにふてくされているの」
「赤なの……」
「旗ですか?」
「赤! バババン、バババン!」
と謂うふうにふてくされながらも、せっかく来てくれたので、静葉はわかさぎ姫に愚痴っぽく、ここ数日の芸術活動を打ちあけてみました。
「それならひとつ、よい赤を知っていますよ。夕日です。ただ夕日を見るんじゃないですよ。水の中から夕日を見るの」
「中から見ると何がちがうの」
「赤が水面でゆらゆらとしているんです。赤は光の反射の波とひとつになって輝きます。でも水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあるんです。それはぬくもりの火のようなんですね」
静葉にはわかさぎ姫の言っていることがよく分かりませんでした。おそらく、水に住まう者だけが知っている世界なのです。ただ理解はできなかったけれども、彼女の熱心な言いかたに興味をそそられはしたので 「なら人魚さん、私を下に引きこんで、それを見せなさい」 と立ちあがって命令しました。
「もちろんです。服が濡れてしまいますが……」
「気にしないよ」
「では、神さまの言うとおりに」
「姉さん、本気なの? 水の中には、冬の魔物が住んでいるって聞いたことがあるよ。危ないから已めようよ」
穣子は心配して止めようとしました。しかし静葉はわかさぎ姫の手をにぎると、すぐに下の世界へ言ってしまうのでした。
水の中でもわかさぎ姫の手はぬるぬるとしていました。彼女は 「底に行きましょう。そのほうが、水鏡の裏の夕日は美しいのです」 と静葉に話しかけます。水の中でも声が出るのです。
それなりの深さを潜ると底に辿りつきました。そこから水面のほうを見ると、たしかに夕日を照りうけて、水鏡の裏が赤く染まっています。そうして底のほうは青いので、下へ赤い光が降るほどに、水位でも特に中間のあたりが、なめらかなグラデーションになっているのでした。
静葉は興奮して、がぼがぼと何か言おうとしました。そのあとわかさぎ姫のヒレを叩くと、浮上するように催促しました。
やがて水面から顔をだして、水を吐きだすと、静葉は叫びます。
「これだ、これだ! すばらしい紅葉が、幻想郷を覆うだろう!」
岸辺までわかさぎ姫にはこんでもらうと、すぐに穣子が不安そうに話しかけました。
「どうだったの、姉さん」
「どうって、人魚さんは正しかったわ。赤が水面でゆらゆらとしていて、赤は光の反射の波とひとつになって輝いて、でも水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあって、それはぬくもりの火のようだった」
「頭がおかしいの?」
「姉さん、すぐに葉を塗りはじめるから」
「そう、まあ納得したならよかったよ。私はもう帰るからね」
「手つだいなさい」
「来た、来ましたよ。そう言われると思ったんだなあ……」
それからすこし経って、完全なる紅葉の時期になると、幻想郷が赤が水面でゆらゆらとしていて、赤は光の反射の波とひとつになって輝いて、しかし水の中だから赤なのに暗くもあって、やさしくもあって、それはぬくもりの火のような色につつまれました。今でもその見事さを、みんなが不意に思いだして口にします。そうして特に、湖のあたりの紅葉などは、あの世の桜に並ぶほどに美しかったようでした。
木々の葉が落ちて、枝が露わになりました。地面を満たす赤色と黄色の絨毯が茶色になるころに、北からつめたい風が吹きつけて、山や谷を撫でていました。
「姉さん、雪が降ってきた」
そう言われると、静葉が空を見あげました。秋も眠りにつくころに、ついに最初の雪が白い季節を告げに来たのです。
「げえっ、いやだなあ。ついにこの日が来てしまったのね」 穣子は文句を言いました。
「今年の秋は長いほうだったし、そうふてくされないの。私たちもみどりがそうするように、隠れる準備をしよう」
そのときでした。北からつめたい風が吹きつけています。その中にさらなるつめたい風がまとわりついていました。その風はいやな気配と一緒に、二柱の傍で制止しました。
「ふたりとも元気がないねえ」
「出た、出ましたよ。呼んでもないのに出てくるやつってのは、まさにあんたのことね」 穣子はしかめつらをしています。
「呼んでもない? それはまちがいね。つめたい風が私を眠りからいざなった。雪が地面に足を伸ばすとき、冬が私を呼んでいる!」
風と一緒に現れたのはレティです。彼女は秋が終わりを向かえるころにふたたびかたちを成すのでした。そうして秋を挑発するために、二柱の傍へ遊びに来ているのでした。
レティが大声で言ったとき、ありあまる力が彼女から漏れだしました。あたりの草木が凍りついて、二柱もすこし力を失い、指さきが黒くなりました。
「かあっ、もう辛抱できない。何もかも凍りつかせてやりたい気分になってきた……ふたりとも……眠りたくない?」
「別に」 静葉が遠慮しました。
「そうおっしゃらずに!」
レティがこごえる息を吐くと、二柱めがけて地面がぱきぱきと凍りつきます。彼女たちはあわてて逃げだしました。長いあいだ追いかけっこが続けられると、あたりの景色はかちかちに凍った氷樹ばかりになってしまいます。その光景を遠くから見てみんなは 「ああ、雪女が目ざめたのか。もう秋が終わってしまうのだ」 と実感するのです。
冬
レティはあまり好かれる妖怪ではありません。妖怪なんて好かれたりはしませんけれども、彼女はその中でもきらわれているほうでした。なぜでしょう。雪女(あるいはその親戚)だからでしょうか。おそらく、みんな寒さがきらいなのです。そうして寒さとはある意味で、妖怪よりもよほど恐ろしい死の友達でした。
人里の大人たちは暖かい季節に保存した食物と一緒に、家へ引きこもってしまいます。このころ家の中ではつねに囲炉裏の火がいぶっているので、とても煙くさくなります。その匂いは冬の風物詩のひとつでした。
そんな大人たちとちがって、子供たちは寒さなど気にもしません。むしろよろこんでいるくらいで、雪が積もってしまうと遊びたがりの子供たちは、もう寺子屋の勉強などまじめに学んでいられません。そわそわとして、歴史のことなど耳にはいらないし、そろばんの玉はあらぬ答えを導きだしてしまうのです。
その様子を気の毒に思って、上白沢慧音は 「しかたがないから、みんなで雪合戦でもしようか」 と子供たちにうながしました。子供たちはよろこんで、外に飛びだしました。そこに彼女も加わると、さあ雪玉が投げはじめられます。
そうなると外にいた、まだ寺子屋に行かない小さな子供たちまで集まって、いよいよ人里の広場はあまたの雪玉が行きかう古戦場と化してしまうのでした。そんなとき、誰かがこんな提案をします。
「みなのもの。ついにわれわれは、やかましい慧音せんせに報復するときだ。ここはひとつ、せんせに雪玉を集中させるのだ」
誰かが合図にピイと口笛を吹くと、急に慧音へやわらかい矛さきが集中しました。彼女は最初こそあわてていましたが、そのうち 「そうか、そっちがその気ならこうだぞ!」 と怒って、弾幕を撃ちました。こうなると子供たちの中でもすこし力のある者まで、弾幕を撃ちはじめるので、みんな興奮して本気になってしまうのです。そうして本気でたのしんでいるのです。
せんせ、弾幕はずるいや……ずるくない。おまえも撃っていいんだぞ……せんせ、分かって言ってるだろ。おれは撃てないんだよ……そうか、なら私の勝ちだなあ……言ったな。みんな、雪玉もいっぱい投げてやるんだ!
やがてさんざん弾幕と雪玉をぶっつけたり、ぶっつけられたりしていると、子供たちも慧音もつかれきって、雪の上に倒れてしまいました。ぜえぜえと、荒い息を吐きだします。
ところで誰も知らなかったのですけれども、子供たちを焚きつけて慧音に雪玉を集中させた子供は影もかたちもなく、じつはどこかに消えていました。子供たちは寺子屋に戻ったあと、雪合戦に火を灯した子供のことを思いだしてこう語ります。
そいつは、髪が青っぽかった気がするよ……白っぽくもあったわ……こんなに寒いのに、薄着だった……目は青かった……雪女じゃないの……なんで雪女が、おれたちと遊ぶってんだい? ……雪女はきらわれているから、さびしいんだって巫女さまが言っていたよ。だから子供にまぎれて遊んだりするんだって。だってわたしたち、つめたいのなんて、こわくないもん!
雪の降る日、死の友達と遊んだ子供たちの、昼さがり。
レティはざくざくと雪を踏みながら、山の中を歩いていました。それは散歩でなくって、整然とした目的のある動きでした。
何やら暖かい匂いのする杉の大木を見つけると。レティはにやりとほほえみました。そうして次の刹那に手を大木の根のくぼみに突きいれて、ずるずると引っぱりだしたのは、眠っていたリリーでした。彼女はおどろいて、目をぱちくりとさせています。
「見つけたあ!」
「レティ、おひさしぶりです。どうして分かったのでしょう」
「冬の中にわずかな春を感じる場所があるんだから、それより分かりやすいことはないね」
「そうですか、すごくどうでもいいことを教えてくれて助かりました。もうよろしいでしょうか。私の右腕が凍っているので、早く放してください。それからうしろを向いて、夏のいるところに行って、二度と現れないでくださいね」
「口が減らないねえ。春のあのときのこと、許す気がなくなってしまったわ」
「嘘でしょう」
「うん、まあ嘘ね」
「この××××め。次は生きかえらないくらい、どろどろにしてやるんだから」
リリーの体が見る々るうちに凍ってしまいます。もう首までかちかちになってしまいました。
「凍りついちゃう!」
「凍りついちゃえ」
そうしてリリーは凍りつきました。しかし春になったら生きかえるので大丈夫なのです。レティも相手はえらんでいたずらをします。彼女が凍りついて生きかえらなかったら、半分くらい凍りつかせるだけで我慢したはずなのです。
「もう現れないでよ」
はずなのです。
春夏秋冬
おだやかな眠りに告げられて
季節は分裂の夢を知る。よっつに分かれる夢を見る
よっつは宇宙に従い、地の回転軸にさからわぬまま完璧なまでに、球体の周囲を巡っている
季めぐり草子(A Little Four Play) 終わり
春秋冬のちゃちな啀み合いが楽しくて好き。
最後の文、好きです
とても良かったです!
映像で見たら綺麗そうです
青娥の登場が完璧でした
登場人物も個性的でそれぞれが輝いていて、季節の巡っていく様を感じられました