5月の風は好きだった。
新緑のにおいを運んでくる爽やかな風は、いつものお茶会をほんの少し有意義にしてくれる。
場所はいつもの縁側。
いささか代わり映えのしない場所ではあったが、場所はさほど問題ではない。
彼女が側にいてくれさえすれば。
あの頃の私はそう思っていた。
たぶん、純粋だったのだろう。
深い意味はない。
その頃は、彼女が側にいるのが当然だと思っていたし、こんな日々が、ずっと続くと信じて疑わなかったのだ。
湿った風に優しくゆれる、セミロングのブロンドを見るまでは。
「私ね。魔界に帰ることになったの」
その時。
5月の風が、嫌いになった。
◆◆◆
好きか嫌いか。
それはきっと、とても主観的な事実であり、他者の介入を許さぬ神聖なもの。
そう私は思っている。
そしてそれは、明確に定義できる問題ではない。
好きな物に関係した物は、みんな綺麗に見えるだろう。
嫌いな物に関係した物は、みんな汚く見えてしまうものなのだ。
そこには理由などないし、ついでに言えば、結果がついてくるような事でもない。
私が何を言いたいのかといえば、今も食器棚に鎮座ましましている、彼女の湯のみを如何にせんかという事だ。
(……変な色)
湯のみを手に取って、しげしげと眺めてみる。
七色の魔法使いが使うにはいささか地味な、緑がかった茶色の湯のみ。
彼女が持ってきたときは、とても可愛い湯のみだと思ったのに。
あの頃の私は、神社に彼女の物が増えるのを喜んでいた。
物が増えれば増えるほど、彼女が神社に来やすくなるから。
「残念ね」
呟いた。
だってもう、彼女は二度とここに来ない。
彼女が帰省を打ち明けたときも、私は同じ言葉を呟いた気がする。
何せ、もう2週間も前の事だ。
昔過ぎて、よく覚えていない。
「貴女がいないから、一日がこんなに長くなっちゃったじゃない」
不意に、手を緩めた。
なんとなく、そうしたかったから。
地面にぶつかり、景気のいい音を立てて湯のみが割れる。
割れた破片が足に当たり、足袋とその中の足を傷つけた。
真っ白い足袋に血が滲んで、朱に染まった。
痛い。
きっと、これは罰だ。
博麗の巫女たる自分が、他者との関わりを望み過ぎた罰。
彼女に近づきすぎた痛み。
「……」
割れた湯飲みを見ても、特に感慨は湧かなかった。
もしかしたら私は、大声を上げて泣きたかったのかもしれない。
湯のみだったものの破片を集めているときに、そう思った。
◆◆◆
「霊夢。お土産を持ってきたわ。」
彼女が初めて神社に来たときを思い出せない。
春騒動が終わった直後だったかも知れないし、それよりもっと後だったかも知れない。
覚えているのは、あいつの『お土産』は最初から碌でもないものだったという事だけだった。
「……何よこれ?」
「なじみの店で少しだけ分けてもらったの。おいしいお茶なんだって」
わずかに頬を赤く染め、一息に言う彼女は、多少緊張しているようだった。
「それで、餅は餅屋ってわけなのね」
多少興味を抱いた私は、お湯を沸す為に縁側から立ち上がる。
彼女は私の座っていた場所に座り、はにかんだような笑顔を見せて、言った。
「ふふっ。あなたは餅屋じゃないでしょう?」
「そう思うなら、私のところに来ないで頂戴」
そう言って私は、彼女から茶筒をひったくった。
渋めのお茶が好みの私は、いつも沸騰ぎりぎりのお湯を使う。
割とよく来る客には、私の好みに合わせたお茶を出すのだが、その日は違った。
何せ『上等な茶葉』なのである。
下手に渋みを強くすれば、風味が損なわれかねない。
お湯が熱すぎれば、香りも飛んでしまう。
水を張ったやかんを火に掛け、ふたを開けて温度計を差し込んだ。
「珍しいわね。お茶マイスターの霊夢さんが、そんなものに頼るなんて」
「安心して。あんたには飛び切り渋いのを淹れてあげるから」
54……55……。
赤い目盛りがぐんぐんと上がっていく。
「私、渋い人も案外好きよ」
「へぇへぇ。都会派の方はお盛んなこって」
61……62……。
そろそろ火を弱める頃合か。
「そうね。強いて言えば、……みたいな?」
「ん? 聞こえないわ。何か言った?」
69……70度。
温度計を抜き取り、軽く拭いた。
沸かしたお湯を急須と湯のみに張り、軽く暖めてから捨てる。
茶葉を急須に入れて、すぐにふた。
軽く蒸してからお湯を注いで、きっかり60秒待つ。
湯のみにお茶を廻し入れたら、出来上がり。
「お茶請けはいるかしら?」
「お気遣いなく~」
お盆にお茶と適当なお煎餅を乗せて再び縁側に出て腰掛け、二人の中間にお盆を置く。
「ふふっ、待ってました!」
「待ってただけね」
はじけるような笑顔で、湯のみを取る。
本当に待ってただけか。
「おいしい……!」
憎まれ口など、何処吹く風。
お茶を一口した彼女が輝くような笑顔で、私に向き直る。
「……ね?」
「……」
彼女の笑顔にプレッシャーを感じつつ、とりあえず一口。
どこをどう味わっても、普通のお茶だった。
過剰に期待しすぎたのがいけなかったのだろうか。
それとも、舌が肥えたのか。
上茶と言って客に渡すにしては、若干微妙ではなかろうか。
もしかしたら、うまいうまいとお茶を飲んでいる彼女とは、味覚が違うのかも知れない。
よく分からなくなったので、お煎餅を一かじり。
もう一度煽ってみる。
やっぱり普通だ。
「まぁまぁかしらね」
確かにお茶は、普通だ。
だが、なぜだか良く分からないけれど、私は満足していた。
「ねぇ! これからちょくちょくお茶をあがりに来ていいかしら?」
その時は、良く分かっていなかったのだが。
「……好きになさい。」
『彼女の笑顔が見れたからではないか』と、彼女が帰ってから思った。
それから彼女は、本当にちょくちょく神社を訪れた。
具体的に言えば、二日に一度。
長くても、三日は開かなかった。
そして彼女は、神社を訪れるたびに何かを土産に置いて行った。
ある時は、私のためのマフラーだったり。
ある時は、自分のためのクッキーだったり。
またある時は、二人のためのカードゲームだったりした。
そうして二人だけの時を過ごす度。
私は、彼女と近くなっていると思った。
彼女は私の無二の親友であり。
私は彼女の無二の親友になれている。
そう、思っていた。
◆◆◆
そう思っていたのに。
彼女は、引き止める私を振り切って魔界に帰ってしまった。
いつかはこういう日が来るかも知れないと。
そう思っていたのも確かだ。
だが、私にとっての『こういう日』は、もっともっと先の話のはずだった。
彼女が神社に来るようになってから、僅か半年で起こっていい事態ではない。
少なくとも、私の中では。
救急箱を持ち出して、足の怪我に当て布をする。
その上から包帯をくるくると巻きつけた。
白く染まっていく足の甲。
その様子がまるで、自分の心に蓋をしていくようで。
「……なんでよ」
右手で持っていた包帯を、大きく振りかぶり。
「なんであんたは、今日もウチに来ないのよ!」
縁側に向かって、投げた。
バシッという柔らかな音がほんの少しだけ響き、包帯がコロコロと縁側に転がっていく。
転がった包帯は、縁側に届く前に伸びきった。
ジグザクと出鱈目な曲線で、畳の上に白い線を描いている。
「なんでなのよ……」
高く掲げていた手が、ゆっくりと落ちる。
我慢していた涙が、畳の縁を濡らした。
「……会いたい」
あんたに。
零れる涙と一緒に、その言葉を飲み込む。
しょっぱい。
でも、彼女の勝手に負けたくなかった。
そうでもしなければ、きっと私は平衡を失ってしまうだろう。
こぶしを握り締めて畳の縁を見つめ、涙のしみを数える。
悲しみが去る瞬間を、全力で待ち続けた。
ひとしきり泣いた頃。
表ではすっかり、日が傾いていた。
(仕事しないと……)
そう思って立ち上がったその時だった。
「霊夢泣いてるの?」
「……っ!」
唐突に声をかけられた。
はじかれるように、声のした庭の方へ振り返る。
そこにいたのは、顔見知りの青い妖精だった。
「……チルノ」
「霊夢、どこか痛いの?」
不思議そうな、心配したような顔で。
チルノは私に問いかける。
「そうね……。痛いのかもしれない」
「あっ! 霊夢怪我したの……?」
いつの間にかチルノは、縁側に身を乗り出してこちらを覗き込んでいた。
彼女はいたずらっこではあるが、その分素直で優しい子だ。
私の足を見て、心配してくれる。
「あぁ……足の怪我はたいした事ないわ。放っておけば治るし」
「でも痛いんでしょう?」
上目遣いにこちらを見る彼女の瞳が、私の視線にぶつかる。
「痛いけど、大丈夫だって。そもそも、この怪我は私の不注意が……」
「そうじゃなくて!」
チルノが、急に声を荒げた。
その剣幕に押されて面食らった私は、そのせいで、続く彼女の言葉に不意を打たれてしまったのだった。
「霊夢、さっき会いたいって言ってた」
「……!」
チルノはいつから、私を見ていたのだろうか。
詳しくは分からないが、少なくとも私が泣きはじめたところは見ていたのだろう。
もしかしたら、情けないところを見られてしまったのかもしれない。
そんな私の心配は、一瞬にして吹っ飛んでしまう。
「あたい知ってるよ。そういう時って、心が痛いんでしょう?」
「えっ……!」
「普段の霊夢なら、会いたい人のために泣いたりしないもん」
言われなくても、分かっていた。
普段の私なら、会いたい奴には会いに行く。
他人の都合に合わせるなんて真っ平ゴメンだし、私の知り合いにそんな事を気にする奴はいないだろうから。
でも今回に限っては、それだけは出来ない。
おいそれと魔界の門をくぐる事は出来ないし、何より私には彼女に会う資格などない。
だって私は、こんなにも焦がれている。
恋かどうかは分からない。
ただ、彼女の影を焦がれていた。
自分の事さえ良く分かっていないくせに。
こんな事では、彼女にあわせる顔が……。
「でも、あたいこれも知ってるよ! そういう時、どうやって励ましたらいいか」
「……」
打ちひしがれる私を尻目に。
チルノは、やおら腕を腰をあてて胸をそらした。
「それがどうした! ……ってね!」
響き渡る、怒号にも似た大きな声。
しかしその声は、怒りでなく優しさで満たされていて。
それでいて飾らない、その言葉は。
ふにゃふにゃになっていた私の心に、深く突き刺さって。
なんだか、少しおかしかった。
こんな風にチルノが私を元気付けてくれているのが。
そんな事に気づくような奴じゃないと思っていたのだけれど。
「それ、あんたが考えたの?」
「うぅん! 人里の漫画に載ってた!」
「ふふ……。だろうと思った」
思わず零れた笑みに、今度はチルノが面食らう。
しかし次の瞬間には、満足そうに笑っていた。
「へへへ……。あたい、頭いいでしょ!」
「そうね。ありがと。あんたのおかげで決心がついたわ」
チルノの頭を軽く撫で、縁側から庭に降り立つ。
目線の先には、地平線を埋め尽くす山並み。
目指すは……。
「とりあえず、ぶん殴りに行って来るわ」
「えっ!? 会いたいんじゃなかったの?!」
「会いたいわよ。私を置いて行った報いを受けてもらわなきゃだし」
「……」
困ったような、後悔しているような顔のチルノ。
少し意地悪が過ぎたかしら。
「じゃあ、ちょっくら魔界まで行って来る」
「その人、魔界にいるんだ」
「うん。多分、あんたも良く知ってる人よ」
だって、何度も見た事あるはず。
私と彼女が、一緒に縁側で笑いあっているところを。
「……待ってなさいよ。絶対、連れ帰ってやるんだから」
「えと、痛いのはダメだよ? かわいそうだし……」
私の様子に、チルノがあわてて言葉を加えた。
連れ帰るのが無理でも、気持ちぐらいは伝えてみせる。
んでもって、盛大に困らせてやる。
痛い事では……まぁ、ないだろう。
夕焼け空に風を感じて、ゆっくりと身を委ねた。
すっと浮かび上がる私の体。
「首を洗って待ってなさい! アリス・マーガトロイドぉ!」
紅い地平へと消える私の足取りは。
多分、鳥の羽よりも、軽かった。
おわり
新緑のにおいを運んでくる爽やかな風は、いつものお茶会をほんの少し有意義にしてくれる。
場所はいつもの縁側。
いささか代わり映えのしない場所ではあったが、場所はさほど問題ではない。
彼女が側にいてくれさえすれば。
あの頃の私はそう思っていた。
たぶん、純粋だったのだろう。
深い意味はない。
その頃は、彼女が側にいるのが当然だと思っていたし、こんな日々が、ずっと続くと信じて疑わなかったのだ。
湿った風に優しくゆれる、セミロングのブロンドを見るまでは。
「私ね。魔界に帰ることになったの」
その時。
5月の風が、嫌いになった。
◆◆◆
好きか嫌いか。
それはきっと、とても主観的な事実であり、他者の介入を許さぬ神聖なもの。
そう私は思っている。
そしてそれは、明確に定義できる問題ではない。
好きな物に関係した物は、みんな綺麗に見えるだろう。
嫌いな物に関係した物は、みんな汚く見えてしまうものなのだ。
そこには理由などないし、ついでに言えば、結果がついてくるような事でもない。
私が何を言いたいのかといえば、今も食器棚に鎮座ましましている、彼女の湯のみを如何にせんかという事だ。
(……変な色)
湯のみを手に取って、しげしげと眺めてみる。
七色の魔法使いが使うにはいささか地味な、緑がかった茶色の湯のみ。
彼女が持ってきたときは、とても可愛い湯のみだと思ったのに。
あの頃の私は、神社に彼女の物が増えるのを喜んでいた。
物が増えれば増えるほど、彼女が神社に来やすくなるから。
「残念ね」
呟いた。
だってもう、彼女は二度とここに来ない。
彼女が帰省を打ち明けたときも、私は同じ言葉を呟いた気がする。
何せ、もう2週間も前の事だ。
昔過ぎて、よく覚えていない。
「貴女がいないから、一日がこんなに長くなっちゃったじゃない」
不意に、手を緩めた。
なんとなく、そうしたかったから。
地面にぶつかり、景気のいい音を立てて湯のみが割れる。
割れた破片が足に当たり、足袋とその中の足を傷つけた。
真っ白い足袋に血が滲んで、朱に染まった。
痛い。
きっと、これは罰だ。
博麗の巫女たる自分が、他者との関わりを望み過ぎた罰。
彼女に近づきすぎた痛み。
「……」
割れた湯飲みを見ても、特に感慨は湧かなかった。
もしかしたら私は、大声を上げて泣きたかったのかもしれない。
湯のみだったものの破片を集めているときに、そう思った。
◆◆◆
「霊夢。お土産を持ってきたわ。」
彼女が初めて神社に来たときを思い出せない。
春騒動が終わった直後だったかも知れないし、それよりもっと後だったかも知れない。
覚えているのは、あいつの『お土産』は最初から碌でもないものだったという事だけだった。
「……何よこれ?」
「なじみの店で少しだけ分けてもらったの。おいしいお茶なんだって」
わずかに頬を赤く染め、一息に言う彼女は、多少緊張しているようだった。
「それで、餅は餅屋ってわけなのね」
多少興味を抱いた私は、お湯を沸す為に縁側から立ち上がる。
彼女は私の座っていた場所に座り、はにかんだような笑顔を見せて、言った。
「ふふっ。あなたは餅屋じゃないでしょう?」
「そう思うなら、私のところに来ないで頂戴」
そう言って私は、彼女から茶筒をひったくった。
渋めのお茶が好みの私は、いつも沸騰ぎりぎりのお湯を使う。
割とよく来る客には、私の好みに合わせたお茶を出すのだが、その日は違った。
何せ『上等な茶葉』なのである。
下手に渋みを強くすれば、風味が損なわれかねない。
お湯が熱すぎれば、香りも飛んでしまう。
水を張ったやかんを火に掛け、ふたを開けて温度計を差し込んだ。
「珍しいわね。お茶マイスターの霊夢さんが、そんなものに頼るなんて」
「安心して。あんたには飛び切り渋いのを淹れてあげるから」
54……55……。
赤い目盛りがぐんぐんと上がっていく。
「私、渋い人も案外好きよ」
「へぇへぇ。都会派の方はお盛んなこって」
61……62……。
そろそろ火を弱める頃合か。
「そうね。強いて言えば、……みたいな?」
「ん? 聞こえないわ。何か言った?」
69……70度。
温度計を抜き取り、軽く拭いた。
沸かしたお湯を急須と湯のみに張り、軽く暖めてから捨てる。
茶葉を急須に入れて、すぐにふた。
軽く蒸してからお湯を注いで、きっかり60秒待つ。
湯のみにお茶を廻し入れたら、出来上がり。
「お茶請けはいるかしら?」
「お気遣いなく~」
お盆にお茶と適当なお煎餅を乗せて再び縁側に出て腰掛け、二人の中間にお盆を置く。
「ふふっ、待ってました!」
「待ってただけね」
はじけるような笑顔で、湯のみを取る。
本当に待ってただけか。
「おいしい……!」
憎まれ口など、何処吹く風。
お茶を一口した彼女が輝くような笑顔で、私に向き直る。
「……ね?」
「……」
彼女の笑顔にプレッシャーを感じつつ、とりあえず一口。
どこをどう味わっても、普通のお茶だった。
過剰に期待しすぎたのがいけなかったのだろうか。
それとも、舌が肥えたのか。
上茶と言って客に渡すにしては、若干微妙ではなかろうか。
もしかしたら、うまいうまいとお茶を飲んでいる彼女とは、味覚が違うのかも知れない。
よく分からなくなったので、お煎餅を一かじり。
もう一度煽ってみる。
やっぱり普通だ。
「まぁまぁかしらね」
確かにお茶は、普通だ。
だが、なぜだか良く分からないけれど、私は満足していた。
「ねぇ! これからちょくちょくお茶をあがりに来ていいかしら?」
その時は、良く分かっていなかったのだが。
「……好きになさい。」
『彼女の笑顔が見れたからではないか』と、彼女が帰ってから思った。
それから彼女は、本当にちょくちょく神社を訪れた。
具体的に言えば、二日に一度。
長くても、三日は開かなかった。
そして彼女は、神社を訪れるたびに何かを土産に置いて行った。
ある時は、私のためのマフラーだったり。
ある時は、自分のためのクッキーだったり。
またある時は、二人のためのカードゲームだったりした。
そうして二人だけの時を過ごす度。
私は、彼女と近くなっていると思った。
彼女は私の無二の親友であり。
私は彼女の無二の親友になれている。
そう、思っていた。
◆◆◆
そう思っていたのに。
彼女は、引き止める私を振り切って魔界に帰ってしまった。
いつかはこういう日が来るかも知れないと。
そう思っていたのも確かだ。
だが、私にとっての『こういう日』は、もっともっと先の話のはずだった。
彼女が神社に来るようになってから、僅か半年で起こっていい事態ではない。
少なくとも、私の中では。
救急箱を持ち出して、足の怪我に当て布をする。
その上から包帯をくるくると巻きつけた。
白く染まっていく足の甲。
その様子がまるで、自分の心に蓋をしていくようで。
「……なんでよ」
右手で持っていた包帯を、大きく振りかぶり。
「なんであんたは、今日もウチに来ないのよ!」
縁側に向かって、投げた。
バシッという柔らかな音がほんの少しだけ響き、包帯がコロコロと縁側に転がっていく。
転がった包帯は、縁側に届く前に伸びきった。
ジグザクと出鱈目な曲線で、畳の上に白い線を描いている。
「なんでなのよ……」
高く掲げていた手が、ゆっくりと落ちる。
我慢していた涙が、畳の縁を濡らした。
「……会いたい」
あんたに。
零れる涙と一緒に、その言葉を飲み込む。
しょっぱい。
でも、彼女の勝手に負けたくなかった。
そうでもしなければ、きっと私は平衡を失ってしまうだろう。
こぶしを握り締めて畳の縁を見つめ、涙のしみを数える。
悲しみが去る瞬間を、全力で待ち続けた。
ひとしきり泣いた頃。
表ではすっかり、日が傾いていた。
(仕事しないと……)
そう思って立ち上がったその時だった。
「霊夢泣いてるの?」
「……っ!」
唐突に声をかけられた。
はじかれるように、声のした庭の方へ振り返る。
そこにいたのは、顔見知りの青い妖精だった。
「……チルノ」
「霊夢、どこか痛いの?」
不思議そうな、心配したような顔で。
チルノは私に問いかける。
「そうね……。痛いのかもしれない」
「あっ! 霊夢怪我したの……?」
いつの間にかチルノは、縁側に身を乗り出してこちらを覗き込んでいた。
彼女はいたずらっこではあるが、その分素直で優しい子だ。
私の足を見て、心配してくれる。
「あぁ……足の怪我はたいした事ないわ。放っておけば治るし」
「でも痛いんでしょう?」
上目遣いにこちらを見る彼女の瞳が、私の視線にぶつかる。
「痛いけど、大丈夫だって。そもそも、この怪我は私の不注意が……」
「そうじゃなくて!」
チルノが、急に声を荒げた。
その剣幕に押されて面食らった私は、そのせいで、続く彼女の言葉に不意を打たれてしまったのだった。
「霊夢、さっき会いたいって言ってた」
「……!」
チルノはいつから、私を見ていたのだろうか。
詳しくは分からないが、少なくとも私が泣きはじめたところは見ていたのだろう。
もしかしたら、情けないところを見られてしまったのかもしれない。
そんな私の心配は、一瞬にして吹っ飛んでしまう。
「あたい知ってるよ。そういう時って、心が痛いんでしょう?」
「えっ……!」
「普段の霊夢なら、会いたい人のために泣いたりしないもん」
言われなくても、分かっていた。
普段の私なら、会いたい奴には会いに行く。
他人の都合に合わせるなんて真っ平ゴメンだし、私の知り合いにそんな事を気にする奴はいないだろうから。
でも今回に限っては、それだけは出来ない。
おいそれと魔界の門をくぐる事は出来ないし、何より私には彼女に会う資格などない。
だって私は、こんなにも焦がれている。
恋かどうかは分からない。
ただ、彼女の影を焦がれていた。
自分の事さえ良く分かっていないくせに。
こんな事では、彼女にあわせる顔が……。
「でも、あたいこれも知ってるよ! そういう時、どうやって励ましたらいいか」
「……」
打ちひしがれる私を尻目に。
チルノは、やおら腕を腰をあてて胸をそらした。
「それがどうした! ……ってね!」
響き渡る、怒号にも似た大きな声。
しかしその声は、怒りでなく優しさで満たされていて。
それでいて飾らない、その言葉は。
ふにゃふにゃになっていた私の心に、深く突き刺さって。
なんだか、少しおかしかった。
こんな風にチルノが私を元気付けてくれているのが。
そんな事に気づくような奴じゃないと思っていたのだけれど。
「それ、あんたが考えたの?」
「うぅん! 人里の漫画に載ってた!」
「ふふ……。だろうと思った」
思わず零れた笑みに、今度はチルノが面食らう。
しかし次の瞬間には、満足そうに笑っていた。
「へへへ……。あたい、頭いいでしょ!」
「そうね。ありがと。あんたのおかげで決心がついたわ」
チルノの頭を軽く撫で、縁側から庭に降り立つ。
目線の先には、地平線を埋め尽くす山並み。
目指すは……。
「とりあえず、ぶん殴りに行って来るわ」
「えっ!? 会いたいんじゃなかったの?!」
「会いたいわよ。私を置いて行った報いを受けてもらわなきゃだし」
「……」
困ったような、後悔しているような顔のチルノ。
少し意地悪が過ぎたかしら。
「じゃあ、ちょっくら魔界まで行って来る」
「その人、魔界にいるんだ」
「うん。多分、あんたも良く知ってる人よ」
だって、何度も見た事あるはず。
私と彼女が、一緒に縁側で笑いあっているところを。
「……待ってなさいよ。絶対、連れ帰ってやるんだから」
「えと、痛いのはダメだよ? かわいそうだし……」
私の様子に、チルノがあわてて言葉を加えた。
連れ帰るのが無理でも、気持ちぐらいは伝えてみせる。
んでもって、盛大に困らせてやる。
痛い事では……まぁ、ないだろう。
夕焼け空に風を感じて、ゆっくりと身を委ねた。
すっと浮かび上がる私の体。
「首を洗って待ってなさい! アリス・マーガトロイドぉ!」
紅い地平へと消える私の足取りは。
多分、鳥の羽よりも、軽かった。
おわり
意図的にやるならタグも工夫した方がいいかな、とは思いましたが、アクセントにするくらいならこれでいいのではないかと。
アリスに対する霊夢の対応が、如何にも「らしい」感じでした。
アリス視点が気になるところです。
二週間を昔と言い切る所とか、湯のみのくだりは中々考えさせられました。
全体としてあっさりと纏まっていて良いと思います。
長編でこのレイアリ読みたいなぁ。とこっそり呟いてみる。拙文失礼しました。
自分もアリス視点で見てみたいな。
あと、魔界に乗り込んだあとも。
アリス視点も読みたいけど無粋になるかもだし
気づかなかった。むしろ最後にフルネームで叫んでどうしたの
霊夢さんって思ってしまったw
全体的にもっと描写が欲しかった。アリスさんが魔界に行くって
言ったときや霊夢が悶々と悩むシーンなど、じっくり読みたかったかなぁと。
皆さんのコメント、とても嬉しいです!
問題はタグでしたか……。
盲点でした。
こういったギミックは、もっと練らないといけないですね。
少し考えましたが、ネタが浮かびそうなので続編を行ってみようかと思います。
何とか、皆さんのご期待に沿えるよう努力しますので、今暫くお待ちを……。
あとチルノかっこいい