Coolier - 新生・東方創想話

垂線

2011/02/03 13:29:13
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 箸よりもはやく柄の握りかたを覚えました。二の腕はさよならと横にふるのではなく、敵を斬るために縦に落としました。
 それがわたしの幼い日常でした。手にマメがない日はなかった。仮にも女子ですから、見るたび嫌な気になりました。
 しかし剣道は魂魄家の宿命であるのです。そのなかに産まれたわたしに剣を捨てる選択肢など与えられるはずがありません。
 きょうはこれこれこういう理由で、きょうはこんなことがあって……サボタージュの嘘を、祖父はかんたんに見破ります。
 泣き言をもらすと、すぐさま祖父の張り手が飛んできました。祖父の手は堤防めいてゴツゴツしていて堅かったです。
 ですからわたしの頬はいつも腫れていました。腰から上の部位はどこにも傷がある状況でした。もちろん下半身には疲労感。
 そういうわけですので、人生このかた云年、ずっと剣を嫌いでした。最近は誇らしげに構えたり振るったりしていますが。
 いまでも剣を持ちつづける理由ですか。正確なところは自分にもわかりません。けれども、こんなできごとならありました。



 わたしの祖父についてはご存知ですか。とつぜん失踪したという情報は持っているとおっしゃる。なるほど、充分です。
 あなたの知識どおり、妖忌はある平々凡々な朝、まるで蒸気のように消えてしまいました。行方についてはサッパリです。
 とつぜんとか蒸気のようにとか表現するのですから、前触れはなかったわけで、失踪の前日もおかしな気配がなかった。
 その日も、明朝からわたしを叩き起こして外に連れだし、さあきょうも修行をつづけようと声を張りあげていたのですね。

 祖父の声は重低音でした。右耳から左耳へなめらかに抜けていく代わりに、頭のなかにはさなぎのようにへばりつく。
 産まれたばかりのわたしをあやす役目も祖父が担っていたと聞きます。あの声に包まれていたのが当時のわたしだったのです。

 さて件の前日の話です。あの日のわたしは、まったく集中力を欠いていました。勢いある祖父の低音がちっとも耳に入らない。
 天気のせいかもしれない。なんとなくそう考えたことを覚えています。年が明けてから初めての降雪の日だったのです。
 白玉楼の広い庭、そこの地面に、どこまでもどこまでも白いものが薄く敷かれていました。景観用の岩や木の上もそうでした。
 わたしたちが刀の構えに足を動かす。と、雪が水泡になって跳ね、くるぶしの高さまで飛び、散りました。霞さながらの足元。
 わたしはそこばかり見ていました。祖父の足が、雪煙に紛れて一瞬消える。そしてすぐよみがえる。それが楽しかった。
 ……いつのまにか祖父が目の前に来ていました。怒られる、と思いました。反射的に顔面に力をこめました。

「構えろ」

 祖父はひと言のこし、ふたたび距離をとりました。叩かれなかったことが意外でした。とまどっていると、

「構えろ!」

 一喝してきたのです。あわてて全身を緊張させました。なにが行われるのか。どきどきしながら先の展開を待ちました。

「いまから斬りかかる。受けろ」
「待ってください。わたしには実戦の経験がありません」
「だからこそ、これまで基本をやってきたのだろう」
「それは、そうです」

 祖父の切っ先から圧迫感を覚えました。むけられたとたん、強い威圧を感じました。これが実践訓練なのだと思いました。
 残雪の光が祖父の刀をきらめかせていました。トリックでした。気がつくのがやや遅れた。祖父の両足が消えました。
 祖父は、反射光がわたしの目に入るよう、刀身をかたむけていたのです。で、わたしの顔が一瞬ゆがむ。それを狙っていた。
 だがこちらもダテに鍛えられていない。ふたりの距離と刀の長さ、さらには祖父の身長までをとっさに判断し、構えます。
 はたして受けることに成功しました。成功したのですが、わたしには腕力がなかった。刀を不様に落としてしまいました。
 衝撃で尻餅をついたわたしに、祖父がまた指示しました。声はありません。あごと視線でうながしてくる――立て!

 祖父が背後に回ってきました。そして、これまでだしたことがないであろう色合いの質で言いました。

「どうして刀を弾かれたか、わかるか」

 いろいろ思い浮かびましたが、どれも言い逃れに過ぎない。口にするのは恥だと思われました。うつむいて黙りました。
 空気がしばらく静まった。この場面を待っていたみたいにして雪もやむ。沈黙だけで時間が流れました。風もふかない。
 祖父の手が伸びてきて、わたしの手をつかみました。そのとき、このひとの手の甲が見えました。わたしは胸だけでえずいた。
 彼の甲に無数に刻まれたシワが、そうさせたのです。煉瓦色の肌をズバリ切りこむ垂線がおそろしかったのです。

「握りがあまいからだ」

 祖父はわたしに刀を握らせました。もっと強く握れと言いながら、柄を持つわたしの手を覆い隠し、握力をこめてきました。

「刀は武人の魂……魂を離してどうする。しっかりつかんでいなければならない。魂を落としたら、死と同じではないか」


 深夜になり、祖父の部屋にいきました。きょうはずっと意識がおろそかだった、申しわけなかった。それを伝えるためでした。
 ……時系列をちょっと省いたので補足しておきますと、あやまる決心をするまでに、わたしは長い時間を要していました。
 なぜって、明朝の修行中にあった説教のとき、わたしはなにも言わなかった。口を開けば、すべて嘘になる気がしていた。
 にもかかわらず、短針がいくたびもかたむいてから、どうこう言う。態度としていかがなものだろうかと考えていたのでした。

 部屋の戸をソロソロと開けました。暗かった。祖父はもう布団に入っているらしい。いびきも歯ぎしりもなく眠っています。
 わたしは彼の脇のあたりに正座しました。こうやって近くにくると、かすかな寝息が鳴っていることがわかりました。
 せっかくしゃべりに来たものの、意識のないひとへそうするのは失礼だと思いました。だから、立ちあがろうとしたのです。

「……お師匠様」

 暗所に慣れてきた視界が、祖父の額をとらえると、しぜん声が漏れでていました。体の芯が氷で縫いつけられました。
 どうしてこんなに苦しそうに寝ているのでしょうか。眠りは疲れをとるための行為であるはずなのに、いけないではないか。
 祖父の手にあった垂線が、額にまであらわれていたのです。わたしは愕然としました。バカみたいな表情だったでしょう。

 朝に祖父がわたしにむかってやったように、今度はわたしが祖父の手を持ちました――なんて重量のある手なんだろう!
 体格とわかれて、手も単体で成長するのだ。このとき、それを知りました。成長して重くなり、重さは垂線に比例するのです。
 これは祖父の傷なのだ、わたしがつけた傷なのだと、渦巻のいきおいで悟りました。得も言われぬ不安に口元が引き締まった。
 わたしは手を離すことができませんでした。汗がてのひらににじみはじめたら、すべらないようにより力をこめました。
 そうして長い時間が経ち、ハッと覚めたのです。いつしか眠っていたらしい。布団にいた祖父は、もう消えていました。



 これらふたつのできごとが、いまでも時折ふぅっと思いだされるのです。とりわけ立ちのぼってくる画面はあの垂線です。
 祖父の言葉にしたがってわたしが剣を振るう。そのひと振りごとに、祖父の肉体には垂線が刻まれるのではないか。
 いちいち反撥するわたしにむかって平手をみまう。その一発ごとにも、垂線が一本また一本と増殖していくのではなかろうか。
 サボタージュの嘘を見破らせるたびに、泣き言をもらすたびに、視線を祖父から雪へとはずすたびにも、同様ではなかったか。
 わたしがマメをいやがったのと同じくらい、祖父だってあの傷を憂鬱な気分で見ていたにちがいありません。だというのに!
 知っていますか。「マメ」は漢字で「肉刺」と書きます。その理屈で言うなら、祖父の垂線の表記は「皮斬」でありそうです。

 わたしの人生は祖父に対しての皮斬にすぎないのだという感情が、現在に至ってもいっかな消えないのです。

 しかし、皮斬と連結してでてくる言葉がありました。祖父が言ったこと――魂を離してどうする。しっかりつかんでおけ。
 わたしの剣も精神も未熟なうちに祖父は去っていってしまいましたが、ただひとつ、彼は魂を与えてくれたのだと思います。
 まだわたしが歩行すらままならなかった時分から、ふとい地声をわたしの脳に焼きつけてきたのはただそのためだったのです。
 頭蓋に置かれたさなぎは、まだ孵化していません。目をつぶるとそれがわかるのです。さなぎはあのころと変わっていない。

 わたしはさなぎのために剣を離さずにいるのかもしれません。剣を離せば、刀身をかたむけられず、雪の光を浴びせられない。
 彼にかがやきを注ぎながら、雪煙に足を紛れさせ、重くなった腕を掲げることが、祖父に垂線を刻んだ代償だと思うのです。

 嫌いだった剣をいまでも離さない理由は、そういうことではないでしょうか。



                                              ○


 というのを霊夢から聞いたのよ、と幽々子様がおっしゃる。昨日の宴会中、酔った流れで、わたし自身から話したらしい。
 一笑にふしながらこたえた――酒を飲むとノスタルジックになるひとがいるでしょう、あれと同じことですよ。
 それじゃあ全部ウソなの、と重ねて訊いてくる。わたしは白米を持ったまま箸を止めて、秒間だけ考えて言った。

「魂魄家はあなたをお守りすること、それがすべてですよ」

 幽々子様はちょっとのあいだポカンとしていたが、やがて口の端をほんのわずか吊り上げてわらった。
 その目が祖父と似ていて、わたしは、このひともかんたんにウソを見破る能力を持っているな、と疑った。




 
 お読みいただき、ありがとうございました。
センテンス
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
これはカッコいいみょん。
10.100奇声を発する程度の能力削除
カッコよくて素敵
11.100名前が無い程度の能力削除
これはなかなか古風な妖夢。
いつしか剣豪と呼ばれる日は来るのでしょうか。
12.50名前が無い程度の能力削除
かっこよかった
15.100url削除
最後の台詞がかっこいい!
18.90名前が無い程度の能力削除
酔うと色々喋っちゃうんだろうな妖夢。
19.100名前が無い程度の能力削除
これは良い魂魄家。妖忌の師匠ぶりに惚れました。