「霊夢さんって、お茶飲む以外に趣味とかないんですか?」
開口一番これである。外の巫女は礼儀というものを知らないらしい。
ぽつりぽつりと雨が降る春の曇り空。だからといって室内でじとーっと壁をみつめながらぽけーっとするよりは健全だろうという瀟洒な思いつきから、外でぽけーっとすることにしたのだが、まさかそれすら不健全だと言われるとは思わなかった。生産性が極端に薄い生活の中で、せめて精神面だけでも豊かになろうとなるべく外でぽけーっとしているのに、これを否定されたら私はどんな高尚なことをすればよいのだろう。
「……黙ってるってことはないんですね。ゲームでもない漫画でもない手芸でもない、かといってコレクターというわけでもなく、家の中は煤けた生活用品ばかり。暇があればほげーっと縁側で茶を飲んで一日が終わるなんて……ああ、無駄すぎます!」
「ほげー、じゃなくてぽけー」
「そんなことはどうでもいいんです! いいですか、時間って言うのは戻ってこないんですよ? 霊夢さんが神格を得て莫大な寿命を得たとしても、今この一瞬は戻ってこないんです! ええ、女子高生という肩書きを捨てた私は痛いくらいわかっていますとも。霊夢さんはそんなほげーっとしているよりも少しくらいは何か実のあることをするべきだと早く気づくべきなんです!」
だからほげー、じゃなくてぽけー、だって。
私がもう一度言うと、頬を膨らませけろけろと喚く。
断片的に入ってくるどうでもいい情報から察するに、どうやらこの最近越してきた巫女は、私の生活を本気で心配しているらしい。趣味がない人はボケるのが速いだとか、マズローとか言う人の階層的なんちゃらによると、とかよくわからないことを呪文のように喋り散らしている。よくもまあ舌を噛まないものだ。
そもそも、趣味をもつということはそんなに大事なことなのだろうか? 今日だって私は午前中のうちに境内の掃除を終わらせ、結界の様子も見て炊事洗濯と人並みには働いたつもりだ。余った時間はこうやってぽけーっと過ごしていくことに何の抵抗もないし、修行しようと思うこともない。というか必要がないからである。
向上心が無いといわれればそれまでだが、実質私は無くてもよいのだから仕方ない。スペルカードルールが定着して以降気を張る必要性がかなり薄くなったこともあるが、そもそも夢想天生を修得した私は、勝てないことはあっても負けることはない。紫あたりが博麗の力を遥かに凌ぐほど成長するとか、月の住民が何か妙なものを出してくれば話は別だけれど、今のところ修行する必要などない。
というか、実に面倒くさいのである。
宙に浮く程度の能力というものが、私にそうさせているのかもしれない。何者にも束縛されず縁側でぽけーっとしていることこそが、私の在り方だと運命づけられているのだろう。やんわりと早苗にそう伝えると、案の定「馬鹿らしい」と一蹴される。
「NEETは自分を正当化するのが上手いといいますが、本当ですね」
「にーと?」
「ああ、気にしないでください。NEETが幻想郷入りすることはありませんから。いや、そもそも霊夢さんはNEETじゃありませんから関係ありませんよ、一応」
そうなの、と呟き、会話が終わったようなのでまた――
「だからほげーっとしないでください! 現代では趣味はステータスなんですよ? 履歴書においても、趣味の欄に何を書くかは非常に重要なことですからね。縁側でほげーっとすることなんて書いたら就職は絶望的です。合コンにおいても、趣味は料理というだけで男女問わず一気に会話が盛り上がることもしばしば。いいですか、霊夢さん。私が言いたいことはつまり、『趣味は力なり』ということです」
早苗が大げさに膨らんだ胸を張って、えっへんと威張る。どうやらうまいことを言ったらしい。湯飲みを置いて何も考えずに拍手を送ってやると、ますます調子にのっていく。
桜が咲き乱れる境内で、どうしようもないくらい私は春を感じていた。
「それで早苗。あなたは私にどんな趣味をもって欲しいの?」
話が終わりそうにないので、核心を突いてみる。するとなぜだろう。以外にもこの緑白は答えを用意していなかったのか「へ?」と呆けたきりうんうん悩みこんでしまった。しまったな、という表情で口元に手をあて、私をちらちらと見ながらまた考え込む。その姿がお菓子を前に悩んでいる幼児みたいで、妙に愛らしい。
しかしまあ、どうやらこの緑白は何も考えていなかったようだ。割と居るタイプなのだが、偉そうに講釈を人に垂れるのが好きで、中身がまったく伴ってない無鉄砲さをもつ人だったらしい。まともに聞いてなかったが先ほどの趣味云々も、外の世界でちょっとだけ聞きかじった知識をひけらかしただけなのだろう。生半可な力は身を滅ぼす。趣味は力なりとは、今の早苗を表すのにちょうどいいんじゃないかと思えた。弱っちい力だけに。
私はまた湯飲みと一緒にぽけーっと空を見上げる。いつのまにか夕暮れに差し掛かった曇り空は、紅い日差しが所々漏れ出し幻想郷へと降り注いでいる。桜の花びらが湯飲みに。雲の切れ目からは赤い月。そして目の前の緑白。景色に混じって石畳をぴょこぴょこと歩いてくる小さな妖怪が切り取られた写真のように様になっていて――妖怪?
ああ、なんだ。今日の三匹目か。
「こんばんは霊夢。ちょっと首貸してもらえる?」
小さな吸血鬼が、日傘の下で怪しげに微笑んでいる。桜色の日傘に守られた少女は、挨拶代わりに私を吸血鬼へ変えようとする。「縁側に出られなくなるから嫌」なんて言って断ると寂しそうに「そう」と呟いて私の隣に腰掛けるのだ。吸血鬼、神様、それともこのまま巫女としてやっていくかはまだわからないけれど、どれを選択しても誰かが迷惑するんだろうなとわかっているから、何も決められない。
ああ、束縛されないってことは、何も選べないことなのかな。
「まずは、ちゃんと血を吸えるようになることね――うん、私は嫌だけど、そこの緑白なら練習台に吸ってもいいわよ?」
顎を動かしていつまでも考え込む早苗を差す。いつの間にか頬を染めてにまにまと小憎たらしい笑みを垂れ流しているのだから、また素敵な妄想世界へと旅立っているのだろう。何を考えているのかは知らないが、そのたくましさにおいては勝てる気がしない。それが早苗の趣味なら、私は是非とも遠慮したいものだ。
「あんな雑念だらけの現代っ子なんてお腹壊すから嫌よ」
「あら。初対面でわかるなんて、大したものね」
「酷い運命が滲み出ているもの。幻想郷に来なかったら、こんなものじゃなかったようね。えっと確か、最近山に入ってきた巫女だっけ? 天狗の新聞に載っていたわ」
「紅魔館も新聞取ってるんだ……ってあれ、今日は偉そうに喋らないの? 初めて会った時みたい」
「今日はほら、咲夜も居ないし」
「ああ、そういう使い分けをしていたんだ。キャラ付けに迷っていただけかと思っていたのに」
「キャラ付けなんてのは、観測者によって変わるのだからそれぞれが自覚していれば十分よ。昔の黒白に言ってあげると喜ぶんじゃない?」
「泣いて喜んで家から出て来なくなるわ」
レミリア・スカーレット――自称ブラド・ツェペシュの末裔は、アリスとの待ち合わせでここに来たらしい。待ち合わせの理由を聞いても、後でわかるわ、と言って答えてくれない。背中の羽を小さく折りたたんで私の横に座ると、早苗が使っていた湯飲みをもってゆっくりとお茶をすする。レミリアがそうすると何故か気品があるように感じられて、そういえばお嬢様なんだよな、とぼんやり思い出す。ふと私は会話の流れからこの吸血鬼が一人では何をしているのか気になり、それとなく聞いてみると、
「漫画」
「漫画? そりゃまた俗物的ね。上品にチェスとかやらないの?」
「相手が居ないもの。パチェはいつもしてくれるわけじゃないし、咲夜もそんなに暇じゃないわ。フランに至っては論外。結局、俗物的だろうと一人でゆっくり漫画を読んでいるのが幻想郷での私に一番近いかしら」
「あんたって、一応社交場とか行ってたなら、そういう貴族の遊びみたいなのやっていたと思ったんだけど」
「別に楽しんでやっていたわけじゃないし、必要だからやっていただけ。カードもチェスも教養のための読書も、幻想郷では必要がないもの。ここが無くなったら、そういう付き合いも増やさないといけないんでしょうけど」
「来ないわよ、そんな日」
「視てみようか? 可能性なら教えられるけど」
「――やめなさい。可能性を知ったら確率が増すわ。あと早苗、そろそろ魔理沙が帰ってくるから、いい加減馬鹿なこと考えていないで夕飯の準備するわよ。レミリア、あんたも暇なら食べていきなさい。アリスは元々ここで食べていく予定だったから。ああ、どうでもいいけど早苗。その湯呑み使うのはいいけど、あんた吸血鬼と間接キスだから――って汚いわね。吐かないでよもう――」
□□
「で、こうなると」
いつのまにか私は、酔っ払いを抱えて薄暗い廊下を一歩ずつ踏みしめていた。他者と関わることが多くなってから、誰かの世話をすることが一気に増えてしまったことに気づいて、思わずため息が出る。いつから私は世話好きになってしまったのか。以前の私なら倒れても気にせずに隅っこで酒を楽しんでいたはずなのに。
「そもそも、飲めない奴に無理矢理飲ませるなっての」
当初は酒を飲む予定などなかったのだ。魔理沙が頼んでもいない酒を買ってきて早苗が断るのも構わずに無理矢理一升瓶を咥えさせたのである。共に鍋を囲んでいたアリスとレミリアは早苗の下戸などしるはずもなく陽気に囃し立てて、倒れてからあたふたしているのだから立つ瀬がない。結局全員共犯ということになり、早苗は床につかせ、神社に泊まることを連絡するため上海を守矢神社へと送る事態となった。
足を一歩出すと、豊満な胸部と艶っぽい息が存在を主張し、くすぐったくも腹立たしくもなる。一枚しかない布団を早苗に使わせるのは心苦しいけれど、さっさと食卓へ戻ろう。そう思って布団を被せたとき、早苗が小さく声を出した。
「皆、おかしい」
何よ、と酔いがまわって紅潮した頬に返事をする。私の言葉に反応する様子もなく、ただ一人ごちるように早苗は小さくぼやき続ける。
「遅すぎて、うざい」
うざい、ねえ。
声に力はなくとも、気兼ねのない荒っぽさと子供っぽさが私の中に染み込んでくる。ああ、これが外の世界で過ごしてきた子供なのだな、と私は妙に納得した。そして、これが早苗の素なのだということも。
「携帯も、パソコンも、テレビも――情報が何もない。信仰が集まって奇跡が使えたって、ここの人たちは生きる速度が違いすぎて、腹が立つ。ほげーっとする暇があるなら、もうちょっと努力してよ。何もかも捨ててここに来て、努力しても博麗に勝てない私が馬鹿みたい」
「後悔してるの?」
私が呟いた直後、不自然に空間が揺れる。奇妙な風が早苗を中心に渦巻き、ちっぽけな敵意を誰に浴びせるでもなく霧散させている。言葉はない。ただ布団を握り締めるか細い手が、力を入れすぎて震えていた。
「してないならぶつぶつ言わない。私は立ち止まっているんだから、追いつきたいならさっさと追いついてくること」
それにね、と立ち上がって廊下へと戻りながら、私は言葉を紡ぎ続ける。
「幻想郷は、受け入れるだけじゃなくて、受け入れさせるところでもあるのよ。あなたの意思はともかく、ここはいい場所だと思う日が来るわ」
出来ないなら、私がそう思わせてあげる。
呟いて、そっとふすまを閉めた。ふすまの向こうから僅かに嗚咽が漏れてくる。明日は布団を干さないといけないな、雨が降ったらどうしよう、ああ、その前に早苗が使ったんだから早苗にやらせればいいか。
「……ま、頑張りなさいよ」
言葉とは裏腹に、私の中を何か違うものが駆け巡っている。早苗の力は二柱から得られる奇跡の一端であり、彼女自身の力ではない。二柱の力そのものを顕現させるのでもない限り、早苗が私と勝負になることはないのだ。私から出てくる言葉は中身を伴わないものばかり。最後の呟きにしてもそう。私がそう思わせてあげる? 馬鹿も大概にして欲しい。私は早苗に何をしてあげようとも考えていないし、これからもきっと変わらないだろう。じゃあ私は、どんな意味を込めたのか。生命の行動は何かしら意味があるはずで、直感から取った行動だとしても何かを感じ取った結果の行動なのだから、何か意図が――「霊夢―」
「遅かったから見に来たんだけど……あの子大丈夫? 尋常じゃない倒れ方をしていたから、気になって。ああ、上海はもう送っておいたわ。一時間くらいで帰ってくると思う」
「……ありがとうアリス。早苗は意識戻っているし大丈夫だから、鍋を続けましょう」
人間上がりの魔法使いは「そう」と呟いて安心したように息をつく。アリスは私よりも遥かにおせっかいだ。魔理沙の世話役みたいな感じだし、宴会の片づけだってたまには手伝ってくれる。面倒くさそうにしながらも頼まれたことは何でも引き受けてくれるのだ。他人との付き合い方がとてもうまいんだけれど、誰かを傷つけることを極端に嫌うタイプ。
「ああ、そうだ」
だから――こんなことを言ったら怒るのも当然だと、言い終わってから気がついた。
「報われない努力ってどう思う?」
ふすまを開けようとしたアリスの手が止まる。表情から穏やかさが薄くなり、眼光は鋭さを増し、私は張り付けにされているような気分になる。めったに怒りを表に出さないアリスが、私に対して僅かだとしても確かな怒りを向けていることが、心を揺さぶった。
「――どういう意味」
「いや、そのまんまだけど」
努めて冷静を振舞う私の姿はこっけいだろうか。目が据わったアリスから感じ取れる怒気に、私は何気ない体を装って立ち向かう。少しの間そうしていると、呆れたように彼女がため息をつく。
「あなた天然で言っているからタチが悪いのよねえ。それ、魔理沙の前で言っちゃ駄目よ。三秒後にはマスパに包まれてるから」
私が天然でなく言ってしまったことは気取られなかったらしい。背中に入り込んできた悪寒が温かさを取り戻す。私がそうやって息を整えて佇んでいる間に、彼女は「そういうこともある、それだけよ」と言って居間へ入っていった。魔法使いという長い時間の概念を持つ生き物だからだろうか、実に淡白な回答のまま終わってしまった。
居間に入ると、魔理沙が潰れていた。アリスという歯止め役が居なくなったので、レミリアが調子に乗って呑ませすぎたらしい。何も反省していない。レミリアはともかく、魔理沙が大口を開けて酔いつぶれることに関してはいつものことなので、布団だけかけてそのまま眠ってもらうことにした。
河童から貰ったガスコンロの火をぽけーっとしながら眺めていると、さっきの早苗の言葉がぐるぐると頭の中を回り続ける。趣味が云々って話も私を追い越そうと思って騙そうとしたのかな、なんて。そんなわけないのに、誰かの新しい面を見てしまうと、他にも何かあるんじゃないかと疑ってしまう。そうやって頭の中がぐるぐるしているうちに、視界が曖昧になって、そのまま身を任せることにした。
夢の中で、誰かが傍に居た。ぐにゃぐにゃと形を変えて、どれが本当だったかわからなかったけれど、それは間違いなく誰かだった。
朝になって目を覚ましたときは、綺麗な銀髪の瀟洒なメイドが朝食を作っていた。
「おはよう」
「自然すぎるわよ、咲夜」
「メイドが朝食を作っているだけじゃない」
私のほうを見もせずに、味噌汁の味を確かめている。酒が残っているのかあまり食欲は湧かないが、とりあえず皆を起こそう。
「まあ、もう終わりそうだし任せるわ。私は奥の早苗を見てくるから」
「霊夢」
ん、と小さく返事をしても、それから何も言ってこない。はて、何か咲夜に頼まれていたことがあったっけ。今話したことだって大したことじゃ――ああ、なるほど。
「おはよう、咲夜」
「うん、おはよう」
ああ、誰かが近くに居るってこういうことかな、なんて思った。
朝食が終わると魔理沙はふらふらしながら帰っていったが、昨日の午前中に買い物を頼んだのに何もお礼していないなと気づいたけど、すでに遅かった。早苗も迎えに来た諏訪子に支えられて帰っていった。私達は諏訪子にじっとりと睨まれたが、居心地悪く笑ってごまかすとそれ以上は何もなかった。レミリアは暗くなってから帰るようで、私の布団を占領して奥で眠っている。アリスは咲夜に紙袋を渡すと、さっさと神社を出た。ちらりと覗いてみると、中には精巧に作られた銀髪の人形が小さく収められている。微笑んでいるわけでもなく悲しんでいるわけでもない無表情の人形は、まるで代用品のようだった。咲夜にそのことを指摘した時、彼女は考え込むように小さな自分を見つめていた。
「私とお嬢様では、生きる時間が違うからね。こんな形として残しておきたいと思うのも、自然なことよ」
「あんたはそれでいいの?」
「本物が本物であるうちは、私のほうを見てくれるわ。私が死んだら、この子が本物になってくれる」
「そんな単純じゃないんだから、自分のために生きなさいよ。えっと、趣味とかもってさ」
「趣味なんて枠組みだと案外、何かに一生懸命になっている時わからないものよ。――夕方にまた来るから、それまでお嬢様をよろしくね」
そういうものかと私が納得している間に彼女は屋敷へと戻っていった。
□□
「それで、霊夢さんは、お茶以外に何か趣味が出来ましたか?」
山の巫女は開口一番そう言った。外の巫女は工夫というものを知らないらしい。
縁側に座ってしばらく話しこんでいるうちに、まだ外の常識を捨て切れていない山の巫女は、この間酒に酔った時の記憶を全てもっているのだとわかった。久しぶりに真剣な話をしたものだから、恥ずかしいので忘れていてほしかったのに、どことなく雰囲気でわかってしまう。時間の流れはゆったりとしていても、心までゆったりとしていることはないようだ。
「今日は、霊夢さんと勝負をしにきたんですよ!」
どうして?
「ほらほら、さっさとスペルカードをだしてください。時間は限りあるものなんです。どんな身分であれいつかは無くなっていくものなんですから、限りある今を大事にするべきです。
というわけで勝負しましょう」
思わず笑ってしまった。なんだろう、この不思議な感じ。私の前には間違いなく『幻想郷の巫女』が居る。人にはあれこれと文句を言うし自分勝手なくせに、意識せず人を楽しませる。そんな人間を私は幻想郷の中で何人も知っている。早苗はレミリアの言う『雑念だらけの現代っ子』ではなく、ちゃんとした『幻想郷の巫女』だったのだ。
まっすぐな視線が私を貫く。こういうことがあるから縁側に座るのはやめられない。
「そうね、今日は気分がいいから、スペルカードなんてものはやめましょうか。別に揉め事というわけじゃないから、大丈夫。――あんたもその方がいいでしょう?」
結果は私の圧勝。早苗は私に勝つまで何度でも挑戦してやると豪語して帰って行った。魔理沙みたいな奴が増えてしまったことはちょっと面倒だが、今までの友人が新しい友人になったような気がして、悪い気はしなかった。
その後、私はまた湯飲みと一緒にぽけーっと空を見上げていた。いつのまにか夕暮れに差し掛かった曇り空は、紅い日差しが所々漏れ出し幻想境へと降り注いでいる。桜の花びらが湯飲みに。雲の切れ目からは赤い月。そしてここから立ち去って行った緑白。
異変も、出会いも、宴会も。一つ一つ色あせることなく、私の中にさらりと染み込んでいる。洗おうなどと欠片も思わず、塗りつぶそうとも思わない。縁側に居る間はぼんやりと反芻し、思い出にふけり、時には騒がしくやってくる友人の相手をする。それは箒に乗った自由人かもしれないし、誇張が大好きな天狗記者や、結論をなかなか言わず胡散臭い覗き趣味の妖怪かもしれない。はたまた人形を連れているのに自分が人形みたいな魔法使いかもしれないし、漫画ばかり読んで威厳の砂さえ見当たらない吸血鬼かもしれない。妖精、妖怪、巫女、宇宙人、果ては神様まで、待っていれば誰かが訪ねてきてくれて、孤独など感じるはずがなく縁側でお茶を飲んでいる。早苗が努力の成果を見せに来るなら相手をしてやるし、魔理沙が来たら買い物の埋め合わせも兼ねて、おいしい和菓子でも出してやろう。
趣味と言えるなら、これほど素晴らしい趣味があるだろうか。
早苗が言うように、何か一つ趣味をもつことが私の生活に多大なる潤いを与えてくれるのかもしれない。今現在私がやっていることは間違いなく履歴書とやらには書けないだろうし、他人任せであるこの状況は誰かに誇れるものじゃないだろう。だけど、誰かに自慢できなくても、私はこれが好きなのだ。魔理沙あたりは呆れてしまうかもしれないが、自堕落だとなんだと言われようと、私はこうやって縁側に座っていて、誰かが石畳を歩いてくるところが、たまらなく好きで、他のことを見つけようと思っても見つけられない。恥ずかしいから誰にも言えないけれど。
「明日は、誰が来てくれるのかな」
博麗神社。私は今日も縁側で、ぽけーっとしながら誰かを待っている――。
開口一番これである。外の巫女は礼儀というものを知らないらしい。
ぽつりぽつりと雨が降る春の曇り空。だからといって室内でじとーっと壁をみつめながらぽけーっとするよりは健全だろうという瀟洒な思いつきから、外でぽけーっとすることにしたのだが、まさかそれすら不健全だと言われるとは思わなかった。生産性が極端に薄い生活の中で、せめて精神面だけでも豊かになろうとなるべく外でぽけーっとしているのに、これを否定されたら私はどんな高尚なことをすればよいのだろう。
「……黙ってるってことはないんですね。ゲームでもない漫画でもない手芸でもない、かといってコレクターというわけでもなく、家の中は煤けた生活用品ばかり。暇があればほげーっと縁側で茶を飲んで一日が終わるなんて……ああ、無駄すぎます!」
「ほげー、じゃなくてぽけー」
「そんなことはどうでもいいんです! いいですか、時間って言うのは戻ってこないんですよ? 霊夢さんが神格を得て莫大な寿命を得たとしても、今この一瞬は戻ってこないんです! ええ、女子高生という肩書きを捨てた私は痛いくらいわかっていますとも。霊夢さんはそんなほげーっとしているよりも少しくらいは何か実のあることをするべきだと早く気づくべきなんです!」
だからほげー、じゃなくてぽけー、だって。
私がもう一度言うと、頬を膨らませけろけろと喚く。
断片的に入ってくるどうでもいい情報から察するに、どうやらこの最近越してきた巫女は、私の生活を本気で心配しているらしい。趣味がない人はボケるのが速いだとか、マズローとか言う人の階層的なんちゃらによると、とかよくわからないことを呪文のように喋り散らしている。よくもまあ舌を噛まないものだ。
そもそも、趣味をもつということはそんなに大事なことなのだろうか? 今日だって私は午前中のうちに境内の掃除を終わらせ、結界の様子も見て炊事洗濯と人並みには働いたつもりだ。余った時間はこうやってぽけーっと過ごしていくことに何の抵抗もないし、修行しようと思うこともない。というか必要がないからである。
向上心が無いといわれればそれまでだが、実質私は無くてもよいのだから仕方ない。スペルカードルールが定着して以降気を張る必要性がかなり薄くなったこともあるが、そもそも夢想天生を修得した私は、勝てないことはあっても負けることはない。紫あたりが博麗の力を遥かに凌ぐほど成長するとか、月の住民が何か妙なものを出してくれば話は別だけれど、今のところ修行する必要などない。
というか、実に面倒くさいのである。
宙に浮く程度の能力というものが、私にそうさせているのかもしれない。何者にも束縛されず縁側でぽけーっとしていることこそが、私の在り方だと運命づけられているのだろう。やんわりと早苗にそう伝えると、案の定「馬鹿らしい」と一蹴される。
「NEETは自分を正当化するのが上手いといいますが、本当ですね」
「にーと?」
「ああ、気にしないでください。NEETが幻想郷入りすることはありませんから。いや、そもそも霊夢さんはNEETじゃありませんから関係ありませんよ、一応」
そうなの、と呟き、会話が終わったようなのでまた――
「だからほげーっとしないでください! 現代では趣味はステータスなんですよ? 履歴書においても、趣味の欄に何を書くかは非常に重要なことですからね。縁側でほげーっとすることなんて書いたら就職は絶望的です。合コンにおいても、趣味は料理というだけで男女問わず一気に会話が盛り上がることもしばしば。いいですか、霊夢さん。私が言いたいことはつまり、『趣味は力なり』ということです」
早苗が大げさに膨らんだ胸を張って、えっへんと威張る。どうやらうまいことを言ったらしい。湯飲みを置いて何も考えずに拍手を送ってやると、ますます調子にのっていく。
桜が咲き乱れる境内で、どうしようもないくらい私は春を感じていた。
「それで早苗。あなたは私にどんな趣味をもって欲しいの?」
話が終わりそうにないので、核心を突いてみる。するとなぜだろう。以外にもこの緑白は答えを用意していなかったのか「へ?」と呆けたきりうんうん悩みこんでしまった。しまったな、という表情で口元に手をあて、私をちらちらと見ながらまた考え込む。その姿がお菓子を前に悩んでいる幼児みたいで、妙に愛らしい。
しかしまあ、どうやらこの緑白は何も考えていなかったようだ。割と居るタイプなのだが、偉そうに講釈を人に垂れるのが好きで、中身がまったく伴ってない無鉄砲さをもつ人だったらしい。まともに聞いてなかったが先ほどの趣味云々も、外の世界でちょっとだけ聞きかじった知識をひけらかしただけなのだろう。生半可な力は身を滅ぼす。趣味は力なりとは、今の早苗を表すのにちょうどいいんじゃないかと思えた。弱っちい力だけに。
私はまた湯飲みと一緒にぽけーっと空を見上げる。いつのまにか夕暮れに差し掛かった曇り空は、紅い日差しが所々漏れ出し幻想郷へと降り注いでいる。桜の花びらが湯飲みに。雲の切れ目からは赤い月。そして目の前の緑白。景色に混じって石畳をぴょこぴょこと歩いてくる小さな妖怪が切り取られた写真のように様になっていて――妖怪?
ああ、なんだ。今日の三匹目か。
「こんばんは霊夢。ちょっと首貸してもらえる?」
小さな吸血鬼が、日傘の下で怪しげに微笑んでいる。桜色の日傘に守られた少女は、挨拶代わりに私を吸血鬼へ変えようとする。「縁側に出られなくなるから嫌」なんて言って断ると寂しそうに「そう」と呟いて私の隣に腰掛けるのだ。吸血鬼、神様、それともこのまま巫女としてやっていくかはまだわからないけれど、どれを選択しても誰かが迷惑するんだろうなとわかっているから、何も決められない。
ああ、束縛されないってことは、何も選べないことなのかな。
「まずは、ちゃんと血を吸えるようになることね――うん、私は嫌だけど、そこの緑白なら練習台に吸ってもいいわよ?」
顎を動かしていつまでも考え込む早苗を差す。いつの間にか頬を染めてにまにまと小憎たらしい笑みを垂れ流しているのだから、また素敵な妄想世界へと旅立っているのだろう。何を考えているのかは知らないが、そのたくましさにおいては勝てる気がしない。それが早苗の趣味なら、私は是非とも遠慮したいものだ。
「あんな雑念だらけの現代っ子なんてお腹壊すから嫌よ」
「あら。初対面でわかるなんて、大したものね」
「酷い運命が滲み出ているもの。幻想郷に来なかったら、こんなものじゃなかったようね。えっと確か、最近山に入ってきた巫女だっけ? 天狗の新聞に載っていたわ」
「紅魔館も新聞取ってるんだ……ってあれ、今日は偉そうに喋らないの? 初めて会った時みたい」
「今日はほら、咲夜も居ないし」
「ああ、そういう使い分けをしていたんだ。キャラ付けに迷っていただけかと思っていたのに」
「キャラ付けなんてのは、観測者によって変わるのだからそれぞれが自覚していれば十分よ。昔の黒白に言ってあげると喜ぶんじゃない?」
「泣いて喜んで家から出て来なくなるわ」
レミリア・スカーレット――自称ブラド・ツェペシュの末裔は、アリスとの待ち合わせでここに来たらしい。待ち合わせの理由を聞いても、後でわかるわ、と言って答えてくれない。背中の羽を小さく折りたたんで私の横に座ると、早苗が使っていた湯飲みをもってゆっくりとお茶をすする。レミリアがそうすると何故か気品があるように感じられて、そういえばお嬢様なんだよな、とぼんやり思い出す。ふと私は会話の流れからこの吸血鬼が一人では何をしているのか気になり、それとなく聞いてみると、
「漫画」
「漫画? そりゃまた俗物的ね。上品にチェスとかやらないの?」
「相手が居ないもの。パチェはいつもしてくれるわけじゃないし、咲夜もそんなに暇じゃないわ。フランに至っては論外。結局、俗物的だろうと一人でゆっくり漫画を読んでいるのが幻想郷での私に一番近いかしら」
「あんたって、一応社交場とか行ってたなら、そういう貴族の遊びみたいなのやっていたと思ったんだけど」
「別に楽しんでやっていたわけじゃないし、必要だからやっていただけ。カードもチェスも教養のための読書も、幻想郷では必要がないもの。ここが無くなったら、そういう付き合いも増やさないといけないんでしょうけど」
「来ないわよ、そんな日」
「視てみようか? 可能性なら教えられるけど」
「――やめなさい。可能性を知ったら確率が増すわ。あと早苗、そろそろ魔理沙が帰ってくるから、いい加減馬鹿なこと考えていないで夕飯の準備するわよ。レミリア、あんたも暇なら食べていきなさい。アリスは元々ここで食べていく予定だったから。ああ、どうでもいいけど早苗。その湯呑み使うのはいいけど、あんた吸血鬼と間接キスだから――って汚いわね。吐かないでよもう――」
□□
「で、こうなると」
いつのまにか私は、酔っ払いを抱えて薄暗い廊下を一歩ずつ踏みしめていた。他者と関わることが多くなってから、誰かの世話をすることが一気に増えてしまったことに気づいて、思わずため息が出る。いつから私は世話好きになってしまったのか。以前の私なら倒れても気にせずに隅っこで酒を楽しんでいたはずなのに。
「そもそも、飲めない奴に無理矢理飲ませるなっての」
当初は酒を飲む予定などなかったのだ。魔理沙が頼んでもいない酒を買ってきて早苗が断るのも構わずに無理矢理一升瓶を咥えさせたのである。共に鍋を囲んでいたアリスとレミリアは早苗の下戸などしるはずもなく陽気に囃し立てて、倒れてからあたふたしているのだから立つ瀬がない。結局全員共犯ということになり、早苗は床につかせ、神社に泊まることを連絡するため上海を守矢神社へと送る事態となった。
足を一歩出すと、豊満な胸部と艶っぽい息が存在を主張し、くすぐったくも腹立たしくもなる。一枚しかない布団を早苗に使わせるのは心苦しいけれど、さっさと食卓へ戻ろう。そう思って布団を被せたとき、早苗が小さく声を出した。
「皆、おかしい」
何よ、と酔いがまわって紅潮した頬に返事をする。私の言葉に反応する様子もなく、ただ一人ごちるように早苗は小さくぼやき続ける。
「遅すぎて、うざい」
うざい、ねえ。
声に力はなくとも、気兼ねのない荒っぽさと子供っぽさが私の中に染み込んでくる。ああ、これが外の世界で過ごしてきた子供なのだな、と私は妙に納得した。そして、これが早苗の素なのだということも。
「携帯も、パソコンも、テレビも――情報が何もない。信仰が集まって奇跡が使えたって、ここの人たちは生きる速度が違いすぎて、腹が立つ。ほげーっとする暇があるなら、もうちょっと努力してよ。何もかも捨ててここに来て、努力しても博麗に勝てない私が馬鹿みたい」
「後悔してるの?」
私が呟いた直後、不自然に空間が揺れる。奇妙な風が早苗を中心に渦巻き、ちっぽけな敵意を誰に浴びせるでもなく霧散させている。言葉はない。ただ布団を握り締めるか細い手が、力を入れすぎて震えていた。
「してないならぶつぶつ言わない。私は立ち止まっているんだから、追いつきたいならさっさと追いついてくること」
それにね、と立ち上がって廊下へと戻りながら、私は言葉を紡ぎ続ける。
「幻想郷は、受け入れるだけじゃなくて、受け入れさせるところでもあるのよ。あなたの意思はともかく、ここはいい場所だと思う日が来るわ」
出来ないなら、私がそう思わせてあげる。
呟いて、そっとふすまを閉めた。ふすまの向こうから僅かに嗚咽が漏れてくる。明日は布団を干さないといけないな、雨が降ったらどうしよう、ああ、その前に早苗が使ったんだから早苗にやらせればいいか。
「……ま、頑張りなさいよ」
言葉とは裏腹に、私の中を何か違うものが駆け巡っている。早苗の力は二柱から得られる奇跡の一端であり、彼女自身の力ではない。二柱の力そのものを顕現させるのでもない限り、早苗が私と勝負になることはないのだ。私から出てくる言葉は中身を伴わないものばかり。最後の呟きにしてもそう。私がそう思わせてあげる? 馬鹿も大概にして欲しい。私は早苗に何をしてあげようとも考えていないし、これからもきっと変わらないだろう。じゃあ私は、どんな意味を込めたのか。生命の行動は何かしら意味があるはずで、直感から取った行動だとしても何かを感じ取った結果の行動なのだから、何か意図が――「霊夢―」
「遅かったから見に来たんだけど……あの子大丈夫? 尋常じゃない倒れ方をしていたから、気になって。ああ、上海はもう送っておいたわ。一時間くらいで帰ってくると思う」
「……ありがとうアリス。早苗は意識戻っているし大丈夫だから、鍋を続けましょう」
人間上がりの魔法使いは「そう」と呟いて安心したように息をつく。アリスは私よりも遥かにおせっかいだ。魔理沙の世話役みたいな感じだし、宴会の片づけだってたまには手伝ってくれる。面倒くさそうにしながらも頼まれたことは何でも引き受けてくれるのだ。他人との付き合い方がとてもうまいんだけれど、誰かを傷つけることを極端に嫌うタイプ。
「ああ、そうだ」
だから――こんなことを言ったら怒るのも当然だと、言い終わってから気がついた。
「報われない努力ってどう思う?」
ふすまを開けようとしたアリスの手が止まる。表情から穏やかさが薄くなり、眼光は鋭さを増し、私は張り付けにされているような気分になる。めったに怒りを表に出さないアリスが、私に対して僅かだとしても確かな怒りを向けていることが、心を揺さぶった。
「――どういう意味」
「いや、そのまんまだけど」
努めて冷静を振舞う私の姿はこっけいだろうか。目が据わったアリスから感じ取れる怒気に、私は何気ない体を装って立ち向かう。少しの間そうしていると、呆れたように彼女がため息をつく。
「あなた天然で言っているからタチが悪いのよねえ。それ、魔理沙の前で言っちゃ駄目よ。三秒後にはマスパに包まれてるから」
私が天然でなく言ってしまったことは気取られなかったらしい。背中に入り込んできた悪寒が温かさを取り戻す。私がそうやって息を整えて佇んでいる間に、彼女は「そういうこともある、それだけよ」と言って居間へ入っていった。魔法使いという長い時間の概念を持つ生き物だからだろうか、実に淡白な回答のまま終わってしまった。
居間に入ると、魔理沙が潰れていた。アリスという歯止め役が居なくなったので、レミリアが調子に乗って呑ませすぎたらしい。何も反省していない。レミリアはともかく、魔理沙が大口を開けて酔いつぶれることに関してはいつものことなので、布団だけかけてそのまま眠ってもらうことにした。
河童から貰ったガスコンロの火をぽけーっとしながら眺めていると、さっきの早苗の言葉がぐるぐると頭の中を回り続ける。趣味が云々って話も私を追い越そうと思って騙そうとしたのかな、なんて。そんなわけないのに、誰かの新しい面を見てしまうと、他にも何かあるんじゃないかと疑ってしまう。そうやって頭の中がぐるぐるしているうちに、視界が曖昧になって、そのまま身を任せることにした。
夢の中で、誰かが傍に居た。ぐにゃぐにゃと形を変えて、どれが本当だったかわからなかったけれど、それは間違いなく誰かだった。
朝になって目を覚ましたときは、綺麗な銀髪の瀟洒なメイドが朝食を作っていた。
「おはよう」
「自然すぎるわよ、咲夜」
「メイドが朝食を作っているだけじゃない」
私のほうを見もせずに、味噌汁の味を確かめている。酒が残っているのかあまり食欲は湧かないが、とりあえず皆を起こそう。
「まあ、もう終わりそうだし任せるわ。私は奥の早苗を見てくるから」
「霊夢」
ん、と小さく返事をしても、それから何も言ってこない。はて、何か咲夜に頼まれていたことがあったっけ。今話したことだって大したことじゃ――ああ、なるほど。
「おはよう、咲夜」
「うん、おはよう」
ああ、誰かが近くに居るってこういうことかな、なんて思った。
朝食が終わると魔理沙はふらふらしながら帰っていったが、昨日の午前中に買い物を頼んだのに何もお礼していないなと気づいたけど、すでに遅かった。早苗も迎えに来た諏訪子に支えられて帰っていった。私達は諏訪子にじっとりと睨まれたが、居心地悪く笑ってごまかすとそれ以上は何もなかった。レミリアは暗くなってから帰るようで、私の布団を占領して奥で眠っている。アリスは咲夜に紙袋を渡すと、さっさと神社を出た。ちらりと覗いてみると、中には精巧に作られた銀髪の人形が小さく収められている。微笑んでいるわけでもなく悲しんでいるわけでもない無表情の人形は、まるで代用品のようだった。咲夜にそのことを指摘した時、彼女は考え込むように小さな自分を見つめていた。
「私とお嬢様では、生きる時間が違うからね。こんな形として残しておきたいと思うのも、自然なことよ」
「あんたはそれでいいの?」
「本物が本物であるうちは、私のほうを見てくれるわ。私が死んだら、この子が本物になってくれる」
「そんな単純じゃないんだから、自分のために生きなさいよ。えっと、趣味とかもってさ」
「趣味なんて枠組みだと案外、何かに一生懸命になっている時わからないものよ。――夕方にまた来るから、それまでお嬢様をよろしくね」
そういうものかと私が納得している間に彼女は屋敷へと戻っていった。
□□
「それで、霊夢さんは、お茶以外に何か趣味が出来ましたか?」
山の巫女は開口一番そう言った。外の巫女は工夫というものを知らないらしい。
縁側に座ってしばらく話しこんでいるうちに、まだ外の常識を捨て切れていない山の巫女は、この間酒に酔った時の記憶を全てもっているのだとわかった。久しぶりに真剣な話をしたものだから、恥ずかしいので忘れていてほしかったのに、どことなく雰囲気でわかってしまう。時間の流れはゆったりとしていても、心までゆったりとしていることはないようだ。
「今日は、霊夢さんと勝負をしにきたんですよ!」
どうして?
「ほらほら、さっさとスペルカードをだしてください。時間は限りあるものなんです。どんな身分であれいつかは無くなっていくものなんですから、限りある今を大事にするべきです。
というわけで勝負しましょう」
思わず笑ってしまった。なんだろう、この不思議な感じ。私の前には間違いなく『幻想郷の巫女』が居る。人にはあれこれと文句を言うし自分勝手なくせに、意識せず人を楽しませる。そんな人間を私は幻想郷の中で何人も知っている。早苗はレミリアの言う『雑念だらけの現代っ子』ではなく、ちゃんとした『幻想郷の巫女』だったのだ。
まっすぐな視線が私を貫く。こういうことがあるから縁側に座るのはやめられない。
「そうね、今日は気分がいいから、スペルカードなんてものはやめましょうか。別に揉め事というわけじゃないから、大丈夫。――あんたもその方がいいでしょう?」
結果は私の圧勝。早苗は私に勝つまで何度でも挑戦してやると豪語して帰って行った。魔理沙みたいな奴が増えてしまったことはちょっと面倒だが、今までの友人が新しい友人になったような気がして、悪い気はしなかった。
その後、私はまた湯飲みと一緒にぽけーっと空を見上げていた。いつのまにか夕暮れに差し掛かった曇り空は、紅い日差しが所々漏れ出し幻想境へと降り注いでいる。桜の花びらが湯飲みに。雲の切れ目からは赤い月。そしてここから立ち去って行った緑白。
異変も、出会いも、宴会も。一つ一つ色あせることなく、私の中にさらりと染み込んでいる。洗おうなどと欠片も思わず、塗りつぶそうとも思わない。縁側に居る間はぼんやりと反芻し、思い出にふけり、時には騒がしくやってくる友人の相手をする。それは箒に乗った自由人かもしれないし、誇張が大好きな天狗記者や、結論をなかなか言わず胡散臭い覗き趣味の妖怪かもしれない。はたまた人形を連れているのに自分が人形みたいな魔法使いかもしれないし、漫画ばかり読んで威厳の砂さえ見当たらない吸血鬼かもしれない。妖精、妖怪、巫女、宇宙人、果ては神様まで、待っていれば誰かが訪ねてきてくれて、孤独など感じるはずがなく縁側でお茶を飲んでいる。早苗が努力の成果を見せに来るなら相手をしてやるし、魔理沙が来たら買い物の埋め合わせも兼ねて、おいしい和菓子でも出してやろう。
趣味と言えるなら、これほど素晴らしい趣味があるだろうか。
早苗が言うように、何か一つ趣味をもつことが私の生活に多大なる潤いを与えてくれるのかもしれない。今現在私がやっていることは間違いなく履歴書とやらには書けないだろうし、他人任せであるこの状況は誰かに誇れるものじゃないだろう。だけど、誰かに自慢できなくても、私はこれが好きなのだ。魔理沙あたりは呆れてしまうかもしれないが、自堕落だとなんだと言われようと、私はこうやって縁側に座っていて、誰かが石畳を歩いてくるところが、たまらなく好きで、他のことを見つけようと思っても見つけられない。恥ずかしいから誰にも言えないけれど。
「明日は、誰が来てくれるのかな」
博麗神社。私は今日も縁側で、ぽけーっとしながら誰かを待っている――。
自己紹介はマジで話すこと無いね
ただ『幻想郷』が『幻想境』という最大の誤字表記がいくつかありました
萎えますよ……(´・ω・`)
登場人物達の考えてる事や行動がすきっと分かりやすい訳じゃないけど、
なんか良いように感じました。
この話好きかもしれません。
とにかく心情や会話、あらゆる描写に惚れました。
キャラ描写にも不自然が無く、ふよふよとした霊夢の雰囲気やちょっと無鉄砲な早苗を自然に引き出していたと思います。
あ、でも「幻想境」では無く「幻想郷」なので、そこは次からお気をつけくださいませ。
何はともあれ、創想話へようこそ……っていっても自分もつい最近の新人ですが(笑)
共により良い作品を作り上げていけますよう、頑張っていきましょう。作者様の次の作品に期待しています。
幻想郷
まったりした感じが素敵でした
咲夜さんとの朝のやり取りとか好きですね。
ただ、早苗さんが緑白なら霊夢は黒白になってしまうと思うんだ…。
報われない努力を予感しつつも必死になって前へ進もうとする魔理沙や早苗と
いずれ別れる時がくることを承知しながらも、それぞれ予防線を張ることで運命に納得している咲夜さんやレミリアと
淡白に外からそれらを見つめつつも、均衡を保つために自分ができることをしようとする(介入する)アリスと。
それぞれの立ち位置がよく表れていたと思います
みんな素敵ですね
前半ののんびりと後半のシリアスがちょうどいいバランスだったと思います
次回作にも期待してますね!
今後にも期待しております
次回作にも期待。
次回作も楽しみにします。
とてもいい。
そう思わせてくれる作品でした
あと早苗さんとお嬢様がイイ味を出してて良かった
この作品からは霊夢の澄んだ心を感じ取りました!
応援してます。
初めてでこれって凄いなあ
魔理沙にとって、もはや「帰る場所」なんですね
>一枚しかない布団を早苗に使わせるのは心苦しいけれど…
>魔理沙が大口を開けて酔いつぶれることに関してはいつものことなので、布団だけかけてそのまま眠ってもらうことにした
博麗神社に布団が一組しかないことは知っていたけど、早苗&魔理沙とはッッッ