Coolier - 新生・東方創想話

紅と銀が交わる時

2026/08/17 19:15:01
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 私の時間を、貴方の為に。
 かつては殺意さえ交えた敵であったが、今となっては些細な事だ。

 ......

 果てしなく大きな湖に、白濁とした霧が垂れ込めている。
 日は射さず、純白のヴェールで包み込まれた光景は、得も言われぬ不気味さと神秘的な秘匿に満ち満ちていた。
 
 湖と、幾重にも連なる濃霧の果てに_紅き悪魔とその眷属たちが住まう館がある。
 そして今宵、数奇な運命を辿る眷属が、また一人_____
 
 
 .......

 「見事なナイフ捌きだったわ。だけれど、人間が銀と十字架だけで悪魔を倒すなんて与太話、幻想に過ぎないの。今しがた理解して頂けたかしら」
 
 運命を手繰る紅き月こと、館の当主_レミリア・スカーレットが、眼前の少女に勝利を告げる。
 うら若き少女の綺麗な銀髪や碧眼は彼女自身の血で穢れ、我が身を守る黒褐色の外套は、無慈悲にも引き裂かれていた。
 
 一方の悪魔はというと、傷一つないドレスに身を包み、優雅に茶を啜るばかり。
 悪魔を倒して賞金を稼ごうとする不埒な輩など、レミリアにすれば余暇を彩る良き友に過ぎず。

 「...殺すなら、せめて、楽に、して」

 今にも事切れそうに、少女が仰向けになって声を震わせる。
 生気のない目で虚空を見つめる様子からは、彼女の人生の幕切れを想起させる。

 「負けたから殺す、か。芸が無くていけ好かないわ。代わりに、こういうのはいかが?」

 「...えっ...?」
 
 塵となってかき消えそうな命乞いが、幼き当主の興味を惹いたようだ。少女の顔を覗き込んで、血の如き瞳でじっくりと品定めしている。
 ややあって、嗜虐心か、好奇心か。それらを容赦なく差し向けて、レミリアは少女の手にそっと指を絡めた。

「白磁を思わせる銀の髪に、サファイアにも見紛う瞳...。貴女、まるで特上のお人形さんみたいじゃない。とっても素敵よ」

 恍惚とした面持ちで、レミリアが艶めかしく目を細める。少女にとってそれはさながら紅い三日月であった。

 _ああ、美しい。
 敵ながらそう思えたのは、冥府に逝く前の錯覚か。完膚なきまでに叩き伏せられて尚、このどこか夢見ごこちな感覚は、
 きっと、こんなにも月が紅いから_

 「このまま放っておいたら、近いうちに鬼籍に入ってしまうわね?ふふ、嘆かわしい。ねぇ、鬼より気高き吸血鬼の眷属になるのも、また一興じゃなくて...?」
 
 今度は甘美な言葉と吐息を細い首筋に当てられて、少女の肩がぴくりと震える。
 死はおろか、飼い殺しという文字が脳裏を過ぎる。どのみち死ぬか、でなければ"死ぬほど可愛がられる"か、だ。あるいは、それもいっそ_。

 「さあ、貴女には新たな生を与えるわ_だから一緒に_踊りましょう?」

 それだけ言って、悪魔は少女の小さな手のひらにそっと口づけをして。
 紅と銀が交わる時_人の子と上位種族の、支配と隷属の契約が一夜にして結ばれてゆく。
 もっとも悪魔とは、そういった呪術に長ける種族であった。

 _十六夜 咲夜(いざよい さくや)。
 行く宛もない少女に与えられた、第二の生であった。
 
 _しかし、かように気まぐれな当主様が、果たして獲物でしかない少女の面倒など見るのだろうか?
 答えは火を見るよりも明らかであった。

 ...

 
「...で、私が呼ばれた訳ですね。仕事が増える...あぁ、お掃除が進まない...」
 
 茜色の髪をしなやかな指でくるくると梳かしながら_紅魔のメイド長こと、紅美鈴がぼやいている。
 この館を表立って切り盛りしている美鈴に対し、急きょ新人教育という名の責務が課せられた。

「この子をお願いね、美鈴。貴女以上の適任は考えられないもの」

「あの、えっと、お、お嬢様_?」

 美鈴の訴えに応じるはずもなく、当主は足早に去っていった。
 まだ、この少女の名前さえ知らないというのに。
 
 「あの...」

 少女が不安そうに、上目遣いでこちらを見ている。といっても、かつての傷と汚泥にまみれた姿ではなく、美鈴と同じ服装をした上で、だ。
 青色の素地に白いレースがたっぷりとあしらわれたメイド服。見るも洒脱なデザインは、新米が着こなすにはいくらか時間が要るだろう。

 美鈴が屈んで視線を合わせると、少女は少しだけ顔を綻ばせた。

「わ、わたし、十六夜、咲夜っていいます」

「ふーん、じゃあ呼び方は咲夜でいいよね。私、めーりん。紅美鈴(ホン メイリン)のめーりんね」

 ひ弱な小娘にさして興味など無い様子の美鈴であった。
 曰く、十六夜咲夜の名はレミリアお嬢様から賜ったというが、特筆には値しない。まして名の由来など、どうでもいい。
 
 「素敵な名前ね、お嬢ちゃん。いや、咲夜ちゃん、か」
 
 思ってもいない事を何気なく口にする。すると咲夜がまた少しだけ顔を綻ばせる。
 が、咲夜の位置取りは慎重で、安易にこちらへ近づこうとはしない。かつて当主に刃を向けた手前、罪悪感から滅入っているのは想像に容易い。

 なるほどこちらから手ほどきしてやらねばと、美鈴はため息をついた。
 
 ...
 
「お...おかえりなさいませ...ご、しゅじんさま... こうですか?めいりんさん...」

「声が小さい」

「お...おかえりなさいませ...」

「声が小さい。あと、お辞儀をするところから全てやり直せ」

 美鈴は手始めに、咲夜に対して従者の作法から指導した。いかなる理由があれど、殺害未遂の小娘が初日から厨房に入る資格はない。
 ましてこの子はまだ、紅魔の一員として馴染めていないという美鈴の判断からである。

 美鈴が辺りを見渡すと、自身の部下である妖精メイド達がたむろしてこちらを見ていた。
 辞儀の角度もままならない新人をせせら嘲う声と、恥辱ですすり泣く声が館の廊下で交差している。

 嫌な光景だ。
 お嬢様の突飛さや寛大さとはかけ離れた、陰湿で醜悪な空気が漂っている。けれども美鈴は、咲夜の涙を拭きはしなかった。
 殺害者の十字架を背負った新人が晒し者になろうと、どうでも良いからである。
 
 一週間ほど経過して、今度は少しずつ家事の指導を始めることにした。
 基本的な掃除洗濯に、時には簡単な炊事の手伝い。始めの一週間より明らかに要領を得始めているのは、最初の指導が活きているのか。

 _いや、違う。学は無くとも最低限生活する術は、最初から心得ているのだ。
 齢15に満たないであろう女の子にしては、少し殊勝だ。

 「めいりんさん、こうですか?」
 
 覚束ない手つきで野菜を切る咲夜をまじまじと見つめる。雪の白さを彷彿とさせる、華奢で細い指であった。
 それがため、手のひらや指先に刻まれた傷が一層痛々しく映る。咲夜の前職たる"悪魔狩り"時代の奮戦ぶりが、美鈴の記憶にしかと焼き付いた。

 美鈴がぼうっとしていると、咲夜が不安そうにこちらを見つめている。
 何も言わないのが堪えたのか、気づけば彼女の青い瞳が潤んでいる。けれども美鈴は、咲夜の涙を拭きはしなかった。
 不出来な部下に情を掛けると、いつかお互いに苦しむと思ったからである。 
 
 ...
 
 ややあって、咲夜の背丈がレミリアと並ぶようになった頃。
 より正確に述べるなら、咲夜がレミリアへ銀のナイフに代わって紅茶を振る舞うようになったぐらいの頃だった。
 
 
 穏やかな日差しが眠気を誘う、心地よい昼下がりのこと。
 紅魔館のテラスには、普段と変わりなく幻想郷を一望しているレミリアが居る。
 
 「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 「あら、丁度一杯頂きたいと思ってたの」咲夜の姿を認めると、レミリアは優雅に微笑んだ。「ようやく分かってきたのね、主人のこと」 
 
 「あはは...」

 咲夜にとってレミリアは、些か動向の読めない気紛れな当主であった。
 とはいえ、当主の所作はいつだって威厳と品格に溢れていて、ただ紅茶を口にするだけでも画になる御仁だ。
 
 日差しが強まったのを見るや、咲夜が慌てて日傘を差し出す。
 闇夜に生きる悪魔にとって、聖なる陽光は身を灼がす猛毒に他ならないからだ。が_
 
 「お構いなく」レミリアは日傘を受け取ると、そのまま咲夜の手に返した。「素敵な傘ね。私より貴女の方が似合うわ」

 「...ええと、その、お身体に障るのでは?」

 恐る恐る訊ねる無粋な従者に、主人は鼻を鳴らして、「お節介な医者を雇った覚えは無いのだけれど」 
 
 「それに、日を浴びると灰になるって俗説は、飽くまで一般的な悪魔に限った話でしてね。あ、"あくま"だけにね」
 
 「いえ、その、私には...お嬢様の羽から煙が出ているように見えるのですが...」

 「御覧なさい、咲夜。テラスから見える太陽のなんと壮麗なこと。これは文字通り天からの贈り物なのよ。それを無下にする方が、よっぽど悪魔的だわ」
 
 ウィットに富んだ悪魔にとって、身を焦がす代償など些事であるらしい。
 柔軟も過ぎれば奇を衒っているように思えるが、元より彼女は人を超越した存在である。やはり人間の価値基準で測ることなど能わない存在か、などと考えていると_

「ところで」

 鋭い声が咲夜の耳を突き刺した。

「紅茶じゃないわね、これ。誰がしかにどんな入れ知恵をされたのか知らないのだけれど、まさか待雪草でも入れたの?」
 
「え」

 瞬間、咲夜の背筋がぞっと冷たくなった。
 
 待雪草。白くて小ぶりで可愛らしいその容姿は、紅魔館の中庭に清楚で可憐な白をもたらしている。
 だがひとたび口にすれば、命を落とすほどの毒性があると...美鈴から教えてもらった。
 イギリスでは「お前の死を望む」という花言葉さえ存在する代物だ。間違っても主人に差し出すはずがない。では一体、何故、どうして____
 
「ええと、その、私が入れたのは...えっと...」

「待雪草の花言葉。貴女なら、ご存知だと思うのだけれど」

 半ば涙目になって取り乱す咲夜を、レミリアがじっと見据えている。
 疑惑の目か、諦念か、あるいは殺意か_自分に向いた感情がどれなのか、考えようが無かったが_


 

 
 
「気に入ったわ」
 
「......は?」
 
 従者の戸惑いなど露知らず、赤き当主はいたくご機嫌な様子で飲み干した。
 待雪草の毒など無意味だと誇示するが如く、勢いよく。
 
「今になって主人を手に掛けようとするなんて、ね。初対面以来のサプライズだもの、喜んで頂くわ。それに悪魔じみた従者だなんて。悪魔に仕える者としてこの上ない名誉じゃなくて?」

「???」

 自分の預かり知らぬ所で、何故か自分が評価されている。
 麗らかな日差しさえ吹き飛ばす薄ら寒さに、咲夜は頭が重たくなって、やがて理解を諦めた。
 
 一方で、このお方の度量はどこまでも深く、同時に度し難いものであると。
 私がこのお方に従っている事は、あながち間違いでは無かったのかもしれない。少しだけ、そう思えた。


 

 これら一連の出来事を、館の物陰から眺めている人物がいる。
 紅い髪のメイド長と、破壊をもたらす悪魔の妹_フランドール・スカーレットだ。

 咲夜は目に涙を浮かべつつ、魂を抜かれたが如く呆然としていた。
 けれども美鈴は、咲夜の涙を拭こうとはしなかった。自分たちの悪戯に振り回される部下を目にして、笑い転げていたからである。
 
 事件の数後日、"二人の実行犯"に対して紅き当主の鉄槌が下されたという。
 奇妙な逸話はやがて文々。新聞の見出しとなって、今では人里での語り草となっている。

 
 
 ...

 「お疲れ様、咲夜。はいこれ今日の分」

 「たまにはサンドイッチ以外がいいんだけど。いや、美鈴さんのお手製だったら何だって美味しいけど」

 「お手隙の際にどうぞって感じで。食べやすいからいいでしょ」

 麗らかな昼下がりを彩るのは、メイド長手作りのお弁当だ。小ぶりなバスケットに溢れんばかりのサンドイッチがこんもり盛られている。
 咲夜が美鈴に対し「ありがとう」よりも「いただきます」が先に出るようになったのは、一体いつからだっただろうか。
 あの待雪草の件以来、咲夜は館内であれこれ弄られるようになった。ある意味ではこの場所に溶け込んだのか、近頃は時の流れが早く感じられる。
 
 幾度となく身につけたからだろう。
 瀟洒なメイド服もすっかり馴染んで、着ている時の方が心地良い。
 
 「そういえばさ」美鈴の口ぶりは至って軽やかである。「咲夜もよく辞めないでここまで来たよね」
 
 「まぁ、他に働き手も見つかりそうにないし。ご飯にありつけられれば、別にいいかなって」咲夜は何だか気恥ずかしくて、言葉がまごついた。「私、前職が訳アリだから、さ」

 咲夜が俯いて、美鈴をちらりと見遣る。この職場では未だ、自身の身の上話は誰にもしていない。
 それが出来たら少しは楽になれるだろうか。否定された時を考えると、難しい。
 
 
 「よっぽどお金に困ってたんでしょ?」美鈴がすかさず訊ねる。彼女のトーンから察するに、悪意や無遠慮さから来る質問というよりは、"同情"に近しい。

 生来より、十六夜咲夜には特異な力_時間を止める程度の能力があった。
 己の意思一つで己以外の全てを凍てつかせ、あらゆる時間と自由を奪う。

 人々から恐れられ、忌み嫌われた異能が示した未来は_敵を屠り、糧にすること。
 それだけだった。時と場所を問わず応用の効く能力であるが_専ら咲夜の人生においては、誰かを殺める時にこそ輝く、血塗られた力であった。

 銀髪の少女は、この力ありきの人生を歩み続けたと言っても過言ではない。でなければ、どうして悪魔を仕留めて身銭を稼ぐ事が出来ようか。
 けれどここ紅魔館では、能力に縋らずとも受け入れてくれる場所がある。認めてくれる人が居る。
 ならば私はここで、"十六夜咲夜"として生きていたいから_

 美鈴から心配そうに顔を覗き込まれ、少女はようやく思考の海から帰還を果たす。
 美鈴の面持ちは至って物憂げで、見るに堪えない。見ていたくない。
 ...

 「私も訳アリ。100年くらい前にさぁ、修行の一環でお嬢様に単身で突っ込んだの。勝てると思ったんだけどなぁ」

 聞いて、咲夜は思わず目を丸くした。
 _私と同じ穴の狢だったのか、と。

 「...どうして?」

 「咲夜と同じだよ。お金も居場所も、仲間も居なかったから。お嬢様を倒して名声を得る以外、生きる術なんて」
 
 普段の温和で聡明な美鈴からは想像に難い愚行だが、何しろ数百年という歳月を優に生きている彼女だ。
 これも"若気の至り"なのだろうかと、若き少女は思索に耽る。人と人ならざる者の隔たりは、寿命とそこから成る価値観だけに留まらない。
 
 寿命が違えば生き方が違う。
 生き方が違えば価値観が違う。
 価値観が違えば世界の見え方がまるで違う。私の敬愛するメイド長と当主様は、この世界をどのように見つめているのだろうか。
 
 美鈴と咲夜。
 種族も価値観も、生きられる時間も違えども、共に通じるものはある。かつては孤独を背負った少女で、今は共に暮らす仲間がいて。

 紅美鈴。私はただ、あなたの笑顔を見ていたいだけだから__
  
 
 思えば近頃は、テラスでお嬢様の姿を見ていない。
 何でも「優れた当主には時間が惜しいのだ」などと館内に引きこもり、ご友人のパチュリー様や身内であるフラン様と、熱烈な議論を交わしているとか。
 大げさに茶化すならば取締役会であろうか。彼女らの議題など想像に付かず、咲夜は少しだけわくわくした。
 
 弾幕ごっこで使う、新しいスペルカードの名前だろうか。あるいは素敵な魔術の発明か。
 何であれ、私の想像など遥かに飛び越えてゆくのだろう。お嬢様とは、そういうお方だ。
 
 
 ...紅魔の重役が一堂に会する。
 一介の従者に過ぎない咲夜には、計画の全貌など知る由もない。
 
 
  

 さてある日のこと、咲夜は紅魔館の正門にて番をしていた。番というより急な来客対応である。
 暇だから来たと宣う些か迷惑な客人は、鮮やかな紅をまとった素敵な巫女_博麗霊夢であった。

 「あれ、門番なんてやってたの、あんた。文字通り悪魔の番犬になったのね」

 ふてぶてしい巫女はあっけらかんと言ってのける。
 仮にも幻想郷の調停者たる御仁が、わざわざ油と喧嘩を売りに来たのか。全くもってご苦労な事だ。
 
 この暇な巫女は、相変わらずお茶でもたかりに来たのだろうか。久しぶりに、腰を据えての世間話も悪くない。
 さて今日はどんな茶葉で遊んでやろうか。咲夜は少しニヤリとして、
 
 「あなたの好きな茶葉なら丁度切らしててね。ご足労の所悪いけど、お生憎様」

 咲夜の軽い嫌味に対し、霊夢はぽかんと首を傾げた。

 「あんたのご主人様となら何だって美味しいけど」

 「ふん」
 
 友人のキザな言い回しに、咲夜は思わず顔をしかめる。
 なるほどお嬢様も気に入る訳だと、しぶしぶ館の中に案内した。

 レミリアと霊夢と咲夜の茶会が開かれて、しばし経った頃だった。
 紅茶を啜ったのち、深い溜め息が一つ。

 「もうじき雪解けが美しい季節が来るわね、咲夜。前々から話してた例のアレは、手に入りそうかしら」

 「春告精(リリーホワイト)、ですか...申し訳ありません。手がかりは、今のところ何も」

 「人の時間も季節の流れも、待てと願えども移ろうもの。果報は寝て待てと無為に待ち続けるのは、優れた従者には似合わないわ」
 
 彼女の算段は以下の通りだ。春の季語とも称される麗しき妖精_リリーホワイトを捕らえて紅魔館にて披露する。
 命芽生える季節を彩る、思いつきにも等しい計画の概要。咲夜にも既知の話ではあるが、目当ての妖精が現れる兆しはまるでない。さながら幻のようだ。
 
 「春を迎える盛大な祝宴に春の象徴が居ないなんて。多忙の中お越し頂く観客(オーディエンス)にどう説明するつもり?」
 
 今日の当主は珍しく不機嫌な様子であった。眉間に皺が寄っているばかりか、目元も険しい。隣で紅茶を啜る霊夢もいつになく静かである。
 家主の逆鱗に触れまいとする様は、さしもの霊夢も沈黙に勝る雄弁は無いと知っての事か。

 「地を這ってでも見つけて参ります!」

 半ば追い出されるように職場を後にした咲夜だった。

 
 ...その様子を、レミリアと霊夢が一瞥した。
 やがて場の空気が、水を打ったように静まり返る。
 
 咲夜の与り知らぬ所で、紅魔館では静かに、しかし確実に。
 世界の命運を左右する議論が、幾度も開かれていた。
 
 「さて_退屈なお茶会はそろそろお開きにしましょうか。ここ数週間で固まったであろう、貴女がたの結論を_お聞かせ願いたいものだわ」
 
 レミリアの言をもって、剣呑な議会が開かれる。先手を打った上で、重々しいほどに慎重に言葉を紡いでゆく。
 一方の霊夢は伏し目がちになって、口を詰まらせている様子だ。

 「...何度でも言うわ。レミリアの力、いや__吸血鬼異変の騒動を、もう一度だけ起こして欲しいの」  

 レミリアはふと、自分が幻想郷に居着いたばかりの過去を懐古した。
 自分と家族_フランとパチュリーが迫害されない居場所を作りたくて、二人を守りたくて。
 吸血鬼の手下を大勢連れての縄張り争いは、幻想郷中に凄惨な歴史をもたらした。
 
 吸血鬼異変。
 その首謀者_もとい、殺戮者たるレミリアが現にこの世界に居られるのは、ひとえに武力よりも和解を求めた者たちの尽力に依る所が大きい。
 
 「幻想郷は全てを受け入れる。故に我々も、お前たちも_共に生きる権利がある」との言は、八雲紫の厚意によるものだ。
 八雲紫は比喩など抜きに幻想郷の母であった。殺すか殺されるかの選択に、新たな光を示してくれた。

 けれど_

「断る」

 断固として、毅然として、レミリアはNoを突き付ける。
 その事実は、幻想の調停者たる霊夢と、大本の大賢者たる_八雲紫への裏切りであった。
 
 人間は恐れ、片や妖怪は畏れられ。
 そして恐れられた妖怪が、勇ましい人間に退治され。
 両者はそうした儚い均衡の上に共存を成立させ、この世界で生きている。
 
 が_近ごろでは、正しい知識と新たな文明を得た人間達の隆盛が著しい。
 人間の恐怖こそが根源であった妖怪たちは、破滅的なまでの弱体化と存在意義の消失を余儀なくされていた。
 元より力のある吸血鬼_レミリアには関係の無い話であるものの。

 人と妖のバランスが崩壊した時、幻想郷は形を失ってしまう。
 最悪の未来を避けるために、有力な妖怪に騒動を起こしてもらい、人間たちに妖怪の根源的な恐怖を広め...両者のバランスを是正する_というのが紫と霊夢の狙いであった。
 
 「...そりゃあ、そうよね。今さら世界の敵になってくれなんて、虫のいい話よね」

 霊夢の表情に影が落ちて、震えた声は今にも泣き出しそうだった。
 レミリアは思わず顔を背けた。さりとて情に絆されて、霊夢の話を承諾すれば_

 「当時と違って、今の私には大勢の部下がいる。あいつらを、あの愛おしい役立たずどもを_また殺戮者の部下にする訳には、いかないものね」

 人間を襲わずとも生きていられるから、妖怪本来の責務を放棄して、
 今の紅茶を飲む毎日の方が楽しくて、一体何が悪いのか。 

 「ごめんなさい。私って、自分で思っていたよりずっと、弱かったのね。背負う物が増えすぎて、潰れそうになるなんて_」
 
 レミリアは目元を緩ませて、せめてもの微笑みを浮かべてみせた。
 別の形で償えるなら、何度だって悪魔の身体で銀の十字架を背負って見せる。けれど私の家族は、家族だけは_

 「あの、レミリア。この事は、咲夜にはまだ?」

 「ええ。だって、この世界の理は_あの子が知るには残酷すぎるもの」

 「そう、ね...私も、そう思うくらいだわ」

 
 短くも息の詰まる議会に、結論が下された。
 覆し難い決裂。その見出しはやがて文々。新聞の見出しとなって、世界を震撼させるだろう。




 
 ....

 泣きながら、叫びながら、闇夜と嵐の中を幾度も転んで、血と泥濘に身を委ねながら。
 全身に擦り傷を作った十六夜咲夜は、何が起きているかも分からぬまま、紅魔館へと急いでいた。
 
 血の如き紅い月が空を照らし、蝙蝠の群れがけたたましく喚いている。
 館の大聖堂からは鐘が鳴り、開戦を告げる鐘の音が幻想郷中に木霊した。
 
 妖精たちの屍が山となり、屍の血が河となり、辺りは阿鼻叫喚の様相を呈している。
 周囲に弾幕ごっこの牧歌的な響きはなく、壮麗なスペルカードの鍔迫り合いもなく。
 
 ただ、地獄だけがあった。
 屍山血河の禍中に放り込まれて、もう何もかもが手遅れだと理解した今、咲夜はようやく事態を呑み込んだ。
 _私が蚊帳の外に居る時、水面下で冷戦が起きていたのだ。

 針と御札と陰陽玉に、時おり八卦炉から放たれる、七色の電撃が交差して。
 肌に焼け付く熱気に加え、燃え盛る血肉や臓腑から放たれる、鼻腔を突き刺す饐えた臭い。
 残骸の跡からは、それらが焔や黒煙と共に立ち昇っていた。

  
 賢者と巫女と白黒の魔法使い_否、軍勢が束となって、我々に牙を剥いている。
 無理やりにでも焚き付けての実力行使とは芸が無くていけ好かない_などと、あのお嬢様なら仰るのだろうか。
 
 会いたい。
 家族に、会いたい。
 美鈴に、お嬢様に。フラン様に、パチュリー様に。
 
 孤独に苛まれながら、必死に地面を蹴り続ける。
 何も考えるなと考えてはいけない。館の正門はすぐそこだと、思考を閉ざしてひたすらに走る。
 凄惨な道の先、所々に点在する七色の輝きが行く先々を照らしている。光を頼りに無心で走り続ける。
 
 あるいは、ただ一つの道標に縋るように。
 目を奪われるほどの美しいこの七色に、咲夜は見覚えがあった。そして正体を知っている。
 だからそれ以外に、生きる道は無いように思われた。あの人が残してくれた痕跡を、懸命に辿る。 

 
 「生きて、いたのね。よかった」
 
 煉瓦の瓦礫が山となり、その傍らで美鈴がもたれ掛かっている。腕や腹など、身体の至る所に封魔針が深々と食い込んで、だらりと血を流している。
 "奴"の仕業なのか。絶対に許せない。泥と汗でぐしゃぐしゃになりながら、咲夜が駆け寄る。掛ける言葉も分からないまま、美鈴に身を寄り添わせて。

 人とは比較にならないほど頑健な美鈴が満身創痍で息を荒げ、生に縋るように呼吸している。
 それでも美鈴は、ハンカチをそっと差し出して、今度こそ咲夜の涙を拭いてみせた。
 
 「お前にそんな顔は、似合わないから」

 美鈴の震える手が咲夜の顔に触れる。
 
 「めいりん、私は、どうすればいいの」

 美鈴は微笑んで、自身の後ろを指差した。そこに向かえと言っているのだ。
 だが、彼女を置いていくことなど出来ない。出来るはずがない。

 貴女は、私に初めて、生きてていいんだと思わせてくれた人だから___
 

 「嫌だ」

 銀髪のメイドは生まれて初めて、メイド長の指示を無視した。
 だって貴女は私にとって、かけがえのない_

 「独りに、しないでよ」
 
 自身の服を千切って包帯代わりにして、やっとの思いで止血して。
 美鈴の呼吸は幾らか整ってきて、早くも体調に回復の兆しが見える。人ならざる者ゆえの生命力も、この時ばかりは有難い。

 「あの向こう側に、お嬢様と妹様と、パチュリー様がいる。そこまで行けば、きっと何とかなるはずだから」

 美鈴が指を差して、咲夜に目指すべき道を明示した。
 元より夜とは吸血鬼の時間である。彼女らが最後の砦だ。咲夜は両手を合わせて十字を切った。

 人命、あるいは資源を無闇に浪費し続ける、果てしない総力戦。
 先行きの見えないこの戦いに、終わりはあるのだろうか。

  
 ...その時だった。
 轟音と共に、"何か"が空から舞い降りる。

 耳を劈く轟きに、二人の会話は一瞬にして掻き消された。
 地が割れたが如き大地の振動に、視界を遮るほどの深く重たい煙幕。
 それらが辺り一面に広がり、肉塊を踏み潰す湿った音が、骨や鉄が砕ける音の後に続いていた。
 
 
 陰陽玉だ。
 月かと見紛うまでに大きいそれは、大地に触れた瞬間、周囲に容赦なく電撃と衝撃とを走らせて。
 咲夜と美鈴は言葉を失って、無力に見つめるしかないというのに。
 不吉な白煙のヴェールが剥がれて霧散した頃に、"奴"が目の前に現れる。
 
   
 
 妖魔を祓う聖なる棒に、邪悪を滅する緋緋色金の退魔針。
 凶悪なまでに鋭利な得物を携えて、楽園の巫女が降臨した。
 
 「...ハハ、背水の陣、か...」
  
 望みを絶たれた美鈴が、誰に話すでもなく独りごちる。
 祈りなど届くべくもなく、静かに闇へと吸い込まれていく。
 
 「あんたら二人で、陣なのね」

 霊夢が不敵な笑みを浮かべている。
 殺意と愛憎と、哀しみを無理やり一つにしたような後ろめたい眼差しを、こちらに向けながら。

 
 「逃げて」
 
 咲夜は半ば無意識で、美鈴を庇うように右腕を伸ばす。
 目の前の敵が_友人であるがゆえに理解してしまう。どう足掻いても敵わないと。
 
 独りにしないでと言われた手前、部下に対して酷く困惑する美鈴であったが、咲夜は強引に彼女を制止した。

「私なら、大丈夫」

 辺りに重い沈黙が流れている。
 咲夜は微動だにせず美鈴を見据えて、己の意思を訴えた。勝ち目は無いから逃げてほしいと。
 けれど私とて、巫女にも一矢報いる切り札くらいはあるのだと。
 
 やがて美鈴は諦めたように踵を返した。
 名残惜しそうに駆け足で戦場を後にする彼女を、咲夜と霊夢が見守っている。
 
 「私独りでも、陣くらいにはなれるから」

 言いながら咲夜は自嘲した。幾度も異変を下してきた霊夢にすれば、私など取るに足らない雑魚だろう。
 だが、私には_
  
 
 咲夜が懐中時計を空に掲げると、それを起点に大気が震え、一筋の魔力が唸りを上げた。
 足元から、大地から、金属質な色の光が放たれて、やがて咲夜の足元に魔法の陣円が描かれる。

 「あんた、まさか____」

 霊夢は驚きを隠せないのか、瞳孔を開いてこちらを見ている。

 己の時間を操作したのち、咲夜が夜空に跳ね上がる。
 霊夢にも捉えがたい速さと輝きを以て、巫女の神眼を掻い潜る。人の目で捉える事など敵わない。

  
 私の時間を、貴女の為に。
 血塗られたこの能力で、誰よりも愛しい貴女を守るために。

 躊躇いを、心の迷いを、もとい十六夜を切り捨てて_最期の夜に手向けの花を咲かせて見せる。
 私は揺るぎない私の意思で、"十六夜咲夜"として生きていたいから_
 

 やがて霊夢と咲夜の鍔迫り合いが始まった。
 両者は互いに死に物狂いで傷付けあって、命を賭した戦いも、いつしか_
 
 
 ふたたび、紅と銀が交わる時。
 咲夜は不思議と昂揚していた。

 _ああ、美しい生涯だった。
 我ながらそう思えたのは、冥府に逝く前の錯覚か。あと一歩届かず叩き伏せられて尚、このどこか夢見ごこちな感覚は、
 きっと、こんなにも月が紅いから_



 
 紅魔館の大聖堂から鐘が鳴った。
 終戦を告げる鐘の音が、幻想郷中に木霊したとき、
 そこに眠る誰しもが、幻想的な夢を視ていた。

 ___Fin.
 
2作目になります。
3作目については鋭意制作中につき、お待ち頂ければ幸いです。
ご連絡がある方は@evolve_3years(ツイッター)まで。
もう赤アーマー作れそうなエイムだね
https://x.com/evolve_3years
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コメント



0.50簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
最後に再びタイトルに帰結する展開が良かったです。