緑の中を駆けていくこどもが振り返る。白い肌にうっすら色づいた頬がにっこり笑う。汗で大人しくなった青の前髪を払って。
「郵便やさーん!」
チルノはちいさな背丈には不似合いな渋茶色のカバンを持っていた。手紙を届けないといけない、という郵便やのものだった。郵便やは年寄りの男で、道中あまりの疲労により配達を断念した。チルノは代理郵便やになった。道案内をしていただけだったが、疲れた郵便やに手紙を届けるようにとお願いされた。本当は、チルノ自身が付きまとって届けたい! と騒ぎ立てたのは内緒だ。
手紙だけ渡そうとした男にチルノは全部! と手を出した。手は小さく、腕を広げていたので抱っこ! と言った方が似合っていた。男はカバンに一通だけを入れて渡した。チルノはカバンを地面に引きずりながら喜ぶ。男の周りには大量の手紙が散らばった。では、郵便やさん、これを届けてくれるかな。
チルノは鼻息を荒くして笑った。
郵便やさん
はがきが百まい落ちました
拾ってあげましょ
いちまい
にいまい
…………
チルノは鼻歌を歌いながら、歩いた。チルノを歩いたあとには猛獣が獲物を引きずったようなあとができる。
届け主は香霖堂だった。人里からだと近くもないが遠くもない。いつも近くを通ると真っ暗で、じめじめした妖精には人気のスポットだった。チルノはそんな妖精を軽蔑した。だって、暗いもん。
外から様子を伺うと、中は明かりもついていないようだった。びっくり箱の中身が飛び出したみたいな場所だ、香霖堂は。入る気にもならず、チルノは店先に置いてあったタヌキの置物とにらめっこした。
「にいらめっこしましょっ、笑うと負けよ! あっぷっぷ~~!!」
全力の変顔だった。「ぷぷぷっ!」誰かが笑った。
「誰だ笑ったのは!」
「ぷぷぷっ」タヌキが笑った。
チルノは目をぱちくりして、タヌキを見つめた。おそるおそる近づき、タヌキの頬をこねくりまわす。くつくつと笑う声が、次第に「あっはっはっ!!」と大きくなっていった。タヌキは大声で笑った。
チルノは額に汗をにじませ、目を伏せた。真っ白なまぶたがつるりとして不規則な呼吸がカエルを思わせる。チルノはふっと吹いて、落ちてくる前髪に風を送った。
「……あたいの勝ち?」
タヌキは沈黙した。それから「はい」と一言。「あなたの勝ち」
チルノはずるずるとおしりから滑り落ちて、タヌキに寄りかかった。
「あのね、タヌキ。あたい郵便やさんから手紙を預かって、届けないといけないんだけど」
「……誰に?」
「香霖堂」
「すぐそこです」
「うん、知ってる。中、開いてるかなあ」
「開いてると思いますけど。ずうっとこんな調子でここにいるので、私にはなんでもお見通しです」
「明日の天気は?」
「うーん、雨ですかね」
チルノがタヌキとごくごく自然な形で話しているとき、突然それは姿を見せた。彼女はタヌキに寄りかかった体が重力に負け、地面に寝転がった。その瞬間、タヌキの陰に隠れていた小さな少女の姿が現れた。いや、見えるようになったのだ。
少女はチルノを見るとさっと蒼白になってぶるぶる震えた。チルノは驚きはしたが、特に何も言わずじっと少女を見つめる。
「……あんた、じめじめ妖精?」
「ちがい、ます」
「嘘だあ」
次の瞬間、チルノと少女の上に小さく天気雨が降った。「ほら! 雨が降った!」じめじめ妖精はしくしく泣いた。チルノは濡れつつ、寝転がったまま動かなかった。
「どうして中へ入らないんです」じめじめ妖精は泣いた。
「じめじめしてるから」チルノは目を閉じて言った。
「濡れてしまいますよ。そのお手紙も」じめじめ妖精はカバンを指差した。
「そうだった!」
チルノはがばっと起き上がった。タヌキの奥で、じめじめ妖精が不安そうな顔をしていた。雨は干からびて、ただ二人だけが濡れている。チルノはカバンから手紙を取り出して、かろうじてびしょびしょではないことを確かめた。
扉に手をかけて、チルノは後ろを振り返った。
「あんたも、来る?」
じめじめ妖精はぴんと羽を立て、反応した。そっと立ち上がり、チルノの後ろに立った。「……」チルノは引きずっていたカバンを持ち上げ、重い扉を開ける。
「郵便やさんで~す。お手紙、持ってきた」
「おや、珍しいお客だ」
チルノは入り口で立ち止まった。中はいろんなものがあって、外とそう変わらない。埃っぽいにおいが鼻をくすぐった。青い瞳がじいと部屋を見回す。
奥に座っていた店主は、チルノのたちを見て一瞬何か反応したが、口には出さなかった。一言「郵便やさん?」とだけ言った。二人の前まで歩いてきて、腰を屈めた。チルノの腕をじめじめ妖精が掴む。
「……はい、ちょっと湿ってるけど。香霖堂」
湿った手紙を受け取った店主は今度は明らかに不快そうにした。その場で開封し、すらすらと読む。店主は視線をずらすと、チルノとじめじめ妖精を見た。二人はまんじりとも動かず黙っていた。
「仲良しだね。君たち」
チルノはじめじめ妖精を見て頬を膨らませた。
「郵便やさん」
木の陰でうとうととしていた郵便やは、かわいらしい声で目を覚ました。小さな青い少女がこちらを見つめている。そういえば、と辺りを見回すと、手紙がそこら中に散らばっていた。
「おやおや、もう行ってきましたか」
「うん、よゆーだったね! もっといっぱい届けてやってもいいよ!」
「いや、遠慮するよ。私の仕事が無くなるからね」
「無職になっちゃうから」
「そう、無職になるからね」
郵便やはゆっくりと起き上がり、ちょうど少女の後ろに隠れていたもう一人の少女を見つけた。青い少女とはあまり似ていない、おとなしそうなこどもだ。覗き込んで微笑みかけると、少女は青い少女の後ろにさっと隠れてしまった。
「あのね、カバン濡らしちゃったんだ。こいつが」
後ろの少女を指差しながら、青い少女は渋茶色のカバンを差し出した。確かに、すこし湿っていた。後ろに隠れていた少女は、顔をおそるおそる出し「ごめんなさい」と小さく言った。
「いやいや、構わないよ。二人とも、届けてくれてありがとう」
青い少女の鼻が微かにほのかに膨らむ。
「あたいじゃなくて、二人なの?」
「二人だろう?」
「うっ」
後ろの少女が頬を染めてにっこりと微笑んだ。「じめじめ妖精、あんたはついてきただけだからね」じめじめ妖精と呼ばれた少女は、こくこくと嬉しそうに笑う。「郵便やさん」
「ん? なにかな?」
「お手紙が落ちてます。拾ってあげますよ」
「はは、ありがとう」
「あー! ずるい、あたいもやってあげるよ!」
競うように数えながら手紙を拾うこどもたちに、郵便やは笑った。
「ありがとさん」
「郵便やさーん!」
チルノはちいさな背丈には不似合いな渋茶色のカバンを持っていた。手紙を届けないといけない、という郵便やのものだった。郵便やは年寄りの男で、道中あまりの疲労により配達を断念した。チルノは代理郵便やになった。道案内をしていただけだったが、疲れた郵便やに手紙を届けるようにとお願いされた。本当は、チルノ自身が付きまとって届けたい! と騒ぎ立てたのは内緒だ。
手紙だけ渡そうとした男にチルノは全部! と手を出した。手は小さく、腕を広げていたので抱っこ! と言った方が似合っていた。男はカバンに一通だけを入れて渡した。チルノはカバンを地面に引きずりながら喜ぶ。男の周りには大量の手紙が散らばった。では、郵便やさん、これを届けてくれるかな。
チルノは鼻息を荒くして笑った。
郵便やさん
はがきが百まい落ちました
拾ってあげましょ
いちまい
にいまい
…………
チルノは鼻歌を歌いながら、歩いた。チルノを歩いたあとには猛獣が獲物を引きずったようなあとができる。
届け主は香霖堂だった。人里からだと近くもないが遠くもない。いつも近くを通ると真っ暗で、じめじめした妖精には人気のスポットだった。チルノはそんな妖精を軽蔑した。だって、暗いもん。
外から様子を伺うと、中は明かりもついていないようだった。びっくり箱の中身が飛び出したみたいな場所だ、香霖堂は。入る気にもならず、チルノは店先に置いてあったタヌキの置物とにらめっこした。
「にいらめっこしましょっ、笑うと負けよ! あっぷっぷ~~!!」
全力の変顔だった。「ぷぷぷっ!」誰かが笑った。
「誰だ笑ったのは!」
「ぷぷぷっ」タヌキが笑った。
チルノは目をぱちくりして、タヌキを見つめた。おそるおそる近づき、タヌキの頬をこねくりまわす。くつくつと笑う声が、次第に「あっはっはっ!!」と大きくなっていった。タヌキは大声で笑った。
チルノは額に汗をにじませ、目を伏せた。真っ白なまぶたがつるりとして不規則な呼吸がカエルを思わせる。チルノはふっと吹いて、落ちてくる前髪に風を送った。
「……あたいの勝ち?」
タヌキは沈黙した。それから「はい」と一言。「あなたの勝ち」
チルノはずるずるとおしりから滑り落ちて、タヌキに寄りかかった。
「あのね、タヌキ。あたい郵便やさんから手紙を預かって、届けないといけないんだけど」
「……誰に?」
「香霖堂」
「すぐそこです」
「うん、知ってる。中、開いてるかなあ」
「開いてると思いますけど。ずうっとこんな調子でここにいるので、私にはなんでもお見通しです」
「明日の天気は?」
「うーん、雨ですかね」
チルノがタヌキとごくごく自然な形で話しているとき、突然それは姿を見せた。彼女はタヌキに寄りかかった体が重力に負け、地面に寝転がった。その瞬間、タヌキの陰に隠れていた小さな少女の姿が現れた。いや、見えるようになったのだ。
少女はチルノを見るとさっと蒼白になってぶるぶる震えた。チルノは驚きはしたが、特に何も言わずじっと少女を見つめる。
「……あんた、じめじめ妖精?」
「ちがい、ます」
「嘘だあ」
次の瞬間、チルノと少女の上に小さく天気雨が降った。「ほら! 雨が降った!」じめじめ妖精はしくしく泣いた。チルノは濡れつつ、寝転がったまま動かなかった。
「どうして中へ入らないんです」じめじめ妖精は泣いた。
「じめじめしてるから」チルノは目を閉じて言った。
「濡れてしまいますよ。そのお手紙も」じめじめ妖精はカバンを指差した。
「そうだった!」
チルノはがばっと起き上がった。タヌキの奥で、じめじめ妖精が不安そうな顔をしていた。雨は干からびて、ただ二人だけが濡れている。チルノはカバンから手紙を取り出して、かろうじてびしょびしょではないことを確かめた。
扉に手をかけて、チルノは後ろを振り返った。
「あんたも、来る?」
じめじめ妖精はぴんと羽を立て、反応した。そっと立ち上がり、チルノの後ろに立った。「……」チルノは引きずっていたカバンを持ち上げ、重い扉を開ける。
「郵便やさんで~す。お手紙、持ってきた」
「おや、珍しいお客だ」
チルノは入り口で立ち止まった。中はいろんなものがあって、外とそう変わらない。埃っぽいにおいが鼻をくすぐった。青い瞳がじいと部屋を見回す。
奥に座っていた店主は、チルノのたちを見て一瞬何か反応したが、口には出さなかった。一言「郵便やさん?」とだけ言った。二人の前まで歩いてきて、腰を屈めた。チルノの腕をじめじめ妖精が掴む。
「……はい、ちょっと湿ってるけど。香霖堂」
湿った手紙を受け取った店主は今度は明らかに不快そうにした。その場で開封し、すらすらと読む。店主は視線をずらすと、チルノとじめじめ妖精を見た。二人はまんじりとも動かず黙っていた。
「仲良しだね。君たち」
チルノはじめじめ妖精を見て頬を膨らませた。
「郵便やさん」
木の陰でうとうととしていた郵便やは、かわいらしい声で目を覚ました。小さな青い少女がこちらを見つめている。そういえば、と辺りを見回すと、手紙がそこら中に散らばっていた。
「おやおや、もう行ってきましたか」
「うん、よゆーだったね! もっといっぱい届けてやってもいいよ!」
「いや、遠慮するよ。私の仕事が無くなるからね」
「無職になっちゃうから」
「そう、無職になるからね」
郵便やはゆっくりと起き上がり、ちょうど少女の後ろに隠れていたもう一人の少女を見つけた。青い少女とはあまり似ていない、おとなしそうなこどもだ。覗き込んで微笑みかけると、少女は青い少女の後ろにさっと隠れてしまった。
「あのね、カバン濡らしちゃったんだ。こいつが」
後ろの少女を指差しながら、青い少女は渋茶色のカバンを差し出した。確かに、すこし湿っていた。後ろに隠れていた少女は、顔をおそるおそる出し「ごめんなさい」と小さく言った。
「いやいや、構わないよ。二人とも、届けてくれてありがとう」
青い少女の鼻が微かにほのかに膨らむ。
「あたいじゃなくて、二人なの?」
「二人だろう?」
「うっ」
後ろの少女が頬を染めてにっこりと微笑んだ。「じめじめ妖精、あんたはついてきただけだからね」じめじめ妖精と呼ばれた少女は、こくこくと嬉しそうに笑う。「郵便やさん」
「ん? なにかな?」
「お手紙が落ちてます。拾ってあげますよ」
「はは、ありがとう」
「あー! ずるい、あたいもやってあげるよ!」
競うように数えながら手紙を拾うこどもたちに、郵便やは笑った。
「ありがとさん」
幼さと無邪気さが心温まる、とてもおもしろかったです。
子供らしい2人が微笑ましくてよかったです