新緑の葉がすっかりと色あせて落ち葉へと成り果て、山の景観は彩りを変えて紅葉へと染まる。流れていく雲と同様に季節もまた流転していき秋となった。
とはいえまだ日差しは暖かい。境内の落ち葉掃きを終えた博麗の巫女は縁側に腰をかけて一息つくのであった。
「おーい、霊夢ー!」
このまま日光浴をするだけでなく一服入れようかと腰を浮かしたとき、背後のふすまが勢い良くパーンと開いた。今日はまだ誰も来客のない博麗神社でこんな事をするのは一人しか居ない。
「何よ萃香、騒々しいわね」
振り向いた先で仁王立ちをするのは小さな鬼、伊吹萃香だった。
「宴会だよ、宴会行こうぜ!」
―――宴会。
その一言に心揺れた霊夢であったが、か細い手をひらひらと揺らしてあしらうのである。
「ご生憎、来客待ちなのよ。一人で行って来なさい」
「えー、タダ酒だよ?」
「鬼の宴会についていける人間が居るわけないでしょ」
「つまんないなー」
酒樽何杯飲んでも底が見えない鬼の宴会。
そんなのに付き合わされてはとんでもないと霊夢は断れば、萃香はさぞかし残念そうに両手を後頭部に当てていた。まるで、この場面だけ見れば鬼といえど小さな子供にしか見えないだろう。
霊夢相手に交渉をしても無駄だと悟った萃香はその場を去る。
秋の一陣の風と共に嵐が通りすぎて、再び境内は静まった。
「はぁ……」
さも退屈そうに頬杖をついてため息を一つ。
手元の冷めたお茶を入れ直すために立ち上がり、お湯を沸かすために新しくお茶を煎れ直すと、縁側に置いていた煎餅が一つ無くなっていると同時に見慣れた姿があった。
「よっ、先に頂いてるぜ」
「来てるなら声ぐらいかけなさい、この泥棒」
「いやぁ、そんなことよりいいタイミングで来たなー。淹れたてのお茶と煎餅ほど相性のいいものはないぜ」
白黒の魔法使いこと霧雨魔理沙である。
わざとらしく頭を覆う魔法使いの帽子を持ち上げて会釈してみせる姿は、本当に白々しいといえるだろう。お茶うけの持ち主であった霊夢も、彼女のこの手癖の悪さには参ったとばかりにまた大きく息を吐いた。
「まあ、幸運なのは正解ね」
「ほら、案外やってみるもんだ」
「何をよ」
「つまみ食い」
まったく悪気はないと笑う魔理沙。
それでこその彼女なのだから仕方ないとばかりに霊夢の立つ瀬がない。
お茶を二人分淹れて肩を並べるように縁側に腰をかける。
「はぁー……今年は秋が短いな」
「豊穣の神の信仰が足りないわね。仕事してるのかしら」
「そりゃ可哀想だろう。霊夢に言われちゃ立場が無いぜ」
信仰がないのはどちらも同じだと言わんばかりの言い草に、霊夢は怒ってみせたがこれもまた笑顔でかき消されるのだ。魔理沙という女は、これがあるから少々の悪癖も許せてしまうと思うのはズルイのではないかと思う。
それから、二人はいつもながらの談笑をしつつ空を眺めてたり、先程の宴会の話を切り出しては「断って賢明だ」なんて言ってみせたりと、ダラダラとした雑談の時間が過ぎていく。
その間、霊夢はほんのりとした表情で手のひらを温めつつ、彼女の言う言葉に耳を傾けてみせるのだ。それは、非情に無防備な姿だった。ピンと張り詰めた緊張感もない博麗の巫女の姿は、この場にいる者しか見えないぐらいに緩んでいるのは明白であり、それは心許せる者が側にいるからという安心感があるからだった。
「ねえ、お婆さんになっても一緒にお茶飲んでくれる?」
「なんだよ、プロポーズのつもりか?」
「―――そうかもしれないわね」
「……意外だな、霊夢が特定の人物に興味を持つとは思わなかったぜ」
「魔理沙とは長い付き合いだからかしらね」
本当に意外な事だった。
博麗の巫女は何者にも公平であり、不公平である。
そんな姿しか見せなかったというのに、今では特定の一人を追いかけるように風が消してしまいそうな呟きをみせるのだ。
今までにない彼女の一面を垣間見て魔理沙は冗談だろうと受け流し、本人もまた、えぇそうね、なんて言って出すぎた真似をした自分を反省しているように見えた。
さて、秋の空は陽が短い。
先程までの陽の高さも、既に妖怪の山へと沈んでおり辺りはうっすらとした闇に包まれていた。
「……よっと、そろそろお暇しとこうかな」
周囲の闇に溶けてしまいそうな魔法使いは帰宅の言葉を告げる。
まるでうたた寝をしていたのかと霊夢はあまりの時間の流れの速さに驚いていた。もうそんな時間なの? と。
「……もう一杯ぐらい付き合いなさいよ」
霊夢の俯かせた表情から名残惜しそうな手招きが出た。
そいつは意外だとおどけて見せる魔理沙は、もう腹が水分でいっぱいだと告げるが
霊夢はその断るように振る両手を掴んで体術のように縁側へと押し倒す。
「お、おい。何するんだ! 止めろよ!」
止めろと言われても霊夢の動きは止まらなかった。
意を決したように魔理沙の首筋に唇を押し当てると、そこに赤い点のような腫れを一つ作るのだ。所謂、キスマークというものを。
「また、お茶を飲みに来てくれる?」
訳がわからずに暴れていた魔理沙もとっさの事に呆然としていたが、いきなりの事に怒鳴りだそうとする間もなく霊夢の切ない声がした。
「明日でもいいの、明後日でもいいの……」
彼女は強いはずだ。
霊力的なものでなく、身体的なものでもなく、ただ博麗大結界の守りべとしての心の強さを持っているというのに、今の姿はあまりにも脆く見えてしまった。ガラスのような心が透けて見えてしまった。
「そのキスマークが消えるまでに、また来てね」
一方的な会話を言い終えたのか、拘束していた両手首を解放するが、魔理沙は呆然としたまま宙を見上げて言葉を考えあぐねているのだろうか。二人の間は沈黙が支配した。
まだ温かい感触の残る首に手を当てて、今の出来事が夢ではないことを確認したのか、魔理沙はバネ仕掛けの人形のように起き上がり、自身の箒にまたがって飛ぼうとしていた。
「わ、悪ぃ! お茶美味かったぜ!」
それが、彼女にとっての精一杯の返答だったのだろう。
またね、とも、また来るぜ、とも言わなかった。
それも当たり前か、と博麗の巫女はうなだれて影の中に表情を隠した。
「うぉーい、霊夢ー帰ったよー。もぅみんなノリが悪くてさー」
そんな中で、小さな百鬼夜行が今回の宴会は失敗だったと愚痴りつつ、神社の境内に入り込んで縁側へと回りこむ。そこで初めて萃香は泣き顔を堪えていて、今にも破裂しそうな感情でいっぱいの霊夢の姿を見て理解したというのだ。
「な、萃香……! 何見てるのよ、何でも無いんだからッ!」
萃香は珍しい表情を見たのも一瞬で辺りに目を動かす。
乱雑に倒れたままのお茶碗とお茶うけが何があったのかを物語る。
一揉めあったのだろう。それが喧嘩別れでもあったのだろう、と。
「……霊夢は人間なのに嘘がつけないなんて悲しいね」
だが、その詳しい事情だけは知られたくなかった。
だから隠し通そうと懸命に言い訳を立てるほど、霊夢は自分自身を追い込んで言っていた。故に、萃香はこの場で起こったことを知ってしまっていたのだ。
「人間は孤独なのが嫌なんだな」
霊夢にとって、先ほどの一件は意地汚い独占欲で魔理沙を独占しようとしている自分が憎らしくて泣いていたのだ。そう、孤独なのが嫌だから、と。
小さな鬼が言う的を得た表現にむせび泣く巫女。
秋の夜は深く長くと、響く泣き声を包んでいくのだった。
―――
あの日から幾日経っただろう。
掃いても掃いてもキリのない落ち葉を掃除しつつも霊夢の心は空洞であった。
珍妙な来客は数知れずとも目当ての人は来ないのだ。
もう、復縁の機会もないのだろうか……そう落ち込む巫女の姿を見かねた影が、ふわりと霊夢の背後に降り立って照れくさそうにこう云うのだ。
「へへっ……跡、消えそうだからさ」
終
とはいえまだ日差しは暖かい。境内の落ち葉掃きを終えた博麗の巫女は縁側に腰をかけて一息つくのであった。
「おーい、霊夢ー!」
このまま日光浴をするだけでなく一服入れようかと腰を浮かしたとき、背後のふすまが勢い良くパーンと開いた。今日はまだ誰も来客のない博麗神社でこんな事をするのは一人しか居ない。
「何よ萃香、騒々しいわね」
振り向いた先で仁王立ちをするのは小さな鬼、伊吹萃香だった。
「宴会だよ、宴会行こうぜ!」
―――宴会。
その一言に心揺れた霊夢であったが、か細い手をひらひらと揺らしてあしらうのである。
「ご生憎、来客待ちなのよ。一人で行って来なさい」
「えー、タダ酒だよ?」
「鬼の宴会についていける人間が居るわけないでしょ」
「つまんないなー」
酒樽何杯飲んでも底が見えない鬼の宴会。
そんなのに付き合わされてはとんでもないと霊夢は断れば、萃香はさぞかし残念そうに両手を後頭部に当てていた。まるで、この場面だけ見れば鬼といえど小さな子供にしか見えないだろう。
霊夢相手に交渉をしても無駄だと悟った萃香はその場を去る。
秋の一陣の風と共に嵐が通りすぎて、再び境内は静まった。
「はぁ……」
さも退屈そうに頬杖をついてため息を一つ。
手元の冷めたお茶を入れ直すために立ち上がり、お湯を沸かすために新しくお茶を煎れ直すと、縁側に置いていた煎餅が一つ無くなっていると同時に見慣れた姿があった。
「よっ、先に頂いてるぜ」
「来てるなら声ぐらいかけなさい、この泥棒」
「いやぁ、そんなことよりいいタイミングで来たなー。淹れたてのお茶と煎餅ほど相性のいいものはないぜ」
白黒の魔法使いこと霧雨魔理沙である。
わざとらしく頭を覆う魔法使いの帽子を持ち上げて会釈してみせる姿は、本当に白々しいといえるだろう。お茶うけの持ち主であった霊夢も、彼女のこの手癖の悪さには参ったとばかりにまた大きく息を吐いた。
「まあ、幸運なのは正解ね」
「ほら、案外やってみるもんだ」
「何をよ」
「つまみ食い」
まったく悪気はないと笑う魔理沙。
それでこその彼女なのだから仕方ないとばかりに霊夢の立つ瀬がない。
お茶を二人分淹れて肩を並べるように縁側に腰をかける。
「はぁー……今年は秋が短いな」
「豊穣の神の信仰が足りないわね。仕事してるのかしら」
「そりゃ可哀想だろう。霊夢に言われちゃ立場が無いぜ」
信仰がないのはどちらも同じだと言わんばかりの言い草に、霊夢は怒ってみせたがこれもまた笑顔でかき消されるのだ。魔理沙という女は、これがあるから少々の悪癖も許せてしまうと思うのはズルイのではないかと思う。
それから、二人はいつもながらの談笑をしつつ空を眺めてたり、先程の宴会の話を切り出しては「断って賢明だ」なんて言ってみせたりと、ダラダラとした雑談の時間が過ぎていく。
その間、霊夢はほんのりとした表情で手のひらを温めつつ、彼女の言う言葉に耳を傾けてみせるのだ。それは、非情に無防備な姿だった。ピンと張り詰めた緊張感もない博麗の巫女の姿は、この場にいる者しか見えないぐらいに緩んでいるのは明白であり、それは心許せる者が側にいるからという安心感があるからだった。
「ねえ、お婆さんになっても一緒にお茶飲んでくれる?」
「なんだよ、プロポーズのつもりか?」
「―――そうかもしれないわね」
「……意外だな、霊夢が特定の人物に興味を持つとは思わなかったぜ」
「魔理沙とは長い付き合いだからかしらね」
本当に意外な事だった。
博麗の巫女は何者にも公平であり、不公平である。
そんな姿しか見せなかったというのに、今では特定の一人を追いかけるように風が消してしまいそうな呟きをみせるのだ。
今までにない彼女の一面を垣間見て魔理沙は冗談だろうと受け流し、本人もまた、えぇそうね、なんて言って出すぎた真似をした自分を反省しているように見えた。
さて、秋の空は陽が短い。
先程までの陽の高さも、既に妖怪の山へと沈んでおり辺りはうっすらとした闇に包まれていた。
「……よっと、そろそろお暇しとこうかな」
周囲の闇に溶けてしまいそうな魔法使いは帰宅の言葉を告げる。
まるでうたた寝をしていたのかと霊夢はあまりの時間の流れの速さに驚いていた。もうそんな時間なの? と。
「……もう一杯ぐらい付き合いなさいよ」
霊夢の俯かせた表情から名残惜しそうな手招きが出た。
そいつは意外だとおどけて見せる魔理沙は、もう腹が水分でいっぱいだと告げるが
霊夢はその断るように振る両手を掴んで体術のように縁側へと押し倒す。
「お、おい。何するんだ! 止めろよ!」
止めろと言われても霊夢の動きは止まらなかった。
意を決したように魔理沙の首筋に唇を押し当てると、そこに赤い点のような腫れを一つ作るのだ。所謂、キスマークというものを。
「また、お茶を飲みに来てくれる?」
訳がわからずに暴れていた魔理沙もとっさの事に呆然としていたが、いきなりの事に怒鳴りだそうとする間もなく霊夢の切ない声がした。
「明日でもいいの、明後日でもいいの……」
彼女は強いはずだ。
霊力的なものでなく、身体的なものでもなく、ただ博麗大結界の守りべとしての心の強さを持っているというのに、今の姿はあまりにも脆く見えてしまった。ガラスのような心が透けて見えてしまった。
「そのキスマークが消えるまでに、また来てね」
一方的な会話を言い終えたのか、拘束していた両手首を解放するが、魔理沙は呆然としたまま宙を見上げて言葉を考えあぐねているのだろうか。二人の間は沈黙が支配した。
まだ温かい感触の残る首に手を当てて、今の出来事が夢ではないことを確認したのか、魔理沙はバネ仕掛けの人形のように起き上がり、自身の箒にまたがって飛ぼうとしていた。
「わ、悪ぃ! お茶美味かったぜ!」
それが、彼女にとっての精一杯の返答だったのだろう。
またね、とも、また来るぜ、とも言わなかった。
それも当たり前か、と博麗の巫女はうなだれて影の中に表情を隠した。
「うぉーい、霊夢ー帰ったよー。もぅみんなノリが悪くてさー」
そんな中で、小さな百鬼夜行が今回の宴会は失敗だったと愚痴りつつ、神社の境内に入り込んで縁側へと回りこむ。そこで初めて萃香は泣き顔を堪えていて、今にも破裂しそうな感情でいっぱいの霊夢の姿を見て理解したというのだ。
「な、萃香……! 何見てるのよ、何でも無いんだからッ!」
萃香は珍しい表情を見たのも一瞬で辺りに目を動かす。
乱雑に倒れたままのお茶碗とお茶うけが何があったのかを物語る。
一揉めあったのだろう。それが喧嘩別れでもあったのだろう、と。
「……霊夢は人間なのに嘘がつけないなんて悲しいね」
だが、その詳しい事情だけは知られたくなかった。
だから隠し通そうと懸命に言い訳を立てるほど、霊夢は自分自身を追い込んで言っていた。故に、萃香はこの場で起こったことを知ってしまっていたのだ。
「人間は孤独なのが嫌なんだな」
霊夢にとって、先ほどの一件は意地汚い独占欲で魔理沙を独占しようとしている自分が憎らしくて泣いていたのだ。そう、孤独なのが嫌だから、と。
小さな鬼が言う的を得た表現にむせび泣く巫女。
秋の夜は深く長くと、響く泣き声を包んでいくのだった。
―――
あの日から幾日経っただろう。
掃いても掃いてもキリのない落ち葉を掃除しつつも霊夢の心は空洞であった。
珍妙な来客は数知れずとも目当ての人は来ないのだ。
もう、復縁の機会もないのだろうか……そう落ち込む巫女の姿を見かねた影が、ふわりと霊夢の背後に降り立って照れくさそうにこう云うのだ。
「へへっ……跡、消えそうだからさ」
終
読みながら悶えて体がクネクネしてしまいました。
最後の魔理沙の台詞。この数日の間の魔理沙の葛藤を思うとたまりませんな。
魔理沙も首筋の跡を見る度に悶えてたんでしょうね。