――柿喰えども危機掻き消えず。柿喰えども――
呂律を回して、滑らかに言いきりたいものだが……どうも上手くいかない。
「きゃききゅえどみょ、ききかききうぇず……きゃきゃきゅえどむ……」
どうやら、体の隅々まで酔いが回ってしまったらしい。だのに、舌は回らないときた。
バツが悪いもんだ……。
全く、鬼の名折れだね。酒天童子が聞いたら呆れるだろうか。羽目を外し過ぎちまったかい。
地底に呼ばれて来てみれば、懐かしい同胞どもが酒盛りに精を出して、乱痴気騒ぎに興じていた。
何でも、『花見をしようにも華がないもんだから』ってんで、態々勇儀を迎えに寄こしたもんだから、俄然加わらないわけにはいかない。二つ返事で快諾し、真っ直ぐに地底に向かった。
宴会が好きな私だけども、何より行く気になったのは『華』と言われて得意になっちまったからだ。
その席では勿論、大いに喰い散らし、大いに馬鹿笑いし、そしてたらふく酒を呑み干した。
恐らくもてなしの殆どは、私の小さい体へ溶けちまっただろう。酌をさせた奴には悪いことしたな。
そんなこんなで宴も酣って頃になって、久方振りに呑み交わしたもんだから……、あまり呑みまくり過ぎたのかな、勇儀が本気の呑み比べを挑んできた。
いつもの彼奴なら、解散が近くなる頃には控え始めて、方々でおっぱじまる揉め事を抑え――大概はその喧嘩に加わって、両方とも胴突き倒すだけなんだけど――に行くはずだったのだが、そこは私もおかしいと気付くべきだった。
結局、挑まれるまま悪乗りしてしまい、どちらもノックダウンしちまうまで呑み続けた。
最早どっちが勝ったかすら憶えていない。
最後まで席に残って、介抱までしてくれた取巻き達が言うには、
『喉の動きが先に止まったのは勇儀の姐さん、目から生気が失せたのは、翠香の姐さんが先だった』らしい。
傍から眺めてても、勝負の結果は白黒付け難かったそうだ。
「あとににョこるのは、モヨモヨしてきもツわるいもンだけか……」
隣を歩く勇儀も同様、まだ体の動きが覚束ない。
ハハア、にしてもにょこるってなんだい、それはアンタにゃ「絵面からして似合わない……」と思う。
「ンア?にゃんか言ったかイ?」
おっとと、知らずの内に口にしちまってたみたいだ。
まあどうせまともに喋れてないんだし、彼奴には聞こえてないだろう。
説明するのも面倒だし、「あんたにゃにわやないざまってエ」と言いなおした。
――あんたには似合わないザマさ。鬼の頭さんを張ってるような奴にゃね。
そんなニュアンスにして誤魔化した。なあに、嘘は言っちゃいない。私らは嘘が嫌いだからね。
そんな訳で私は今、旧地獄街道を勇儀に付き添って貰いながら、家路へと急いでいる。
嗚呼、早く我が家の床へと飛び込みたい。
「とイかく急ぐのはわかるがア、こまんまじゃいチまでかかウかわからんよ」
千鳥足でゆらゆら歩く勇儀が言う。勿論のこと伴う私もゆらゆらしているが。
どうやら急ぐのは分かるが、この調子じゃ帰るには時間がかかると言いたいようだ。
「そうヤね、どっかでヨイさまさにゃア」
確かにこんな牛歩じゃ、博麗神社に帰り着く前に眠り込んじまいそうだ。
実際、二人とも目蓋は閉じてるか開いてるかの瀬戸際な状態だ。
「ンじゃあ、あスこ。あンのめしやはわたしのスりあいだ」
勇儀が指差した長屋の少し先に、軒先に灯を提げた飯屋が在った。
渡りに船たあ、このことさね。いや、今うっすら見えてる川を渡っちゃ不味いか。
とにかく安心して屋根の下で寝れると思ったが、その矢先、おもむろに勇儀が長屋の前で倒れ込んでしまった。
おいおい、其処は間違ってるよ……。
倒れるとほぼ同時に、辺りへ鼻におっかない猛獣を飼っているかのような豪快な鼾が響く。
近くで聞くには地も揺れんばかりの轟音とも思えるが、近辺に住む者には慣れたものらしい。
流石、地底に移り住んだ連中は順応が早い。
「あらア……」
どうやら、もう起きてくる気配もないようだ。
顔利きのコイツがいなけりゃ、目の前の知り合いさんの店には入り辛いし。
私も力がまともに入らない今、引き摺っていってやることも出来ない。
どうしたものかと暫く考えあぐねたていたが、考えるほどに頭から力が抜けていく。
不快極まりない寝息は、逆に私を夢の中へと引き摺っていってしまうようだ。
遂に思考は真っ白な無意識の中に沈んでしまい、私は勇儀に倣って、その隣に倒れ込んだ。
みっともないだろうが、こんなのも良い。気にすることはないさ。
――気楽ってのは、いいもんだ。
そんなことに気づいた日も、こいつは隣に居た。
それはもう何千と季節を遡る昔、まだ四天王と呼ばれる者はいなかった頃だ。
鬼の雑多な野郎共は手前勝手に幅を利かせ、皆が銘々の考え方で生活していた。
ある者は気の合う連れと寄り合った。
ある者は飽きもせず打ち負かし合って派閥を作った。
またある者――と言うより私はと言えば――は一匹狼に拘った。
いつでも私は顰め面を忘れなかった。
おチビちゃんと馬鹿にしようものなら、そいつの口は二度とその言葉が捻り出せないよう、唸る拳骨を捻じ込む。
餓鬼と呼ばれれば脳天を大地に埋めるまで踏み潰した。
睨み一つで相手を屈伏させるまでに、殺気の発散は常に周囲を抑圧していた。
日がな一日を歯軋り鳴らしながら過ごし、すれ違い様に相手が何か呟こうものなら、内容が何だろうがすかさず拳を見舞う。
そんなプライドの塊のように過ごした理由は『弩』が付く程単純。
それは其処らの凡骨野郎共ですら知り合わせてること。
――鬼に生まれたからだ。
幾ら有り余る力を持てど、それを見せつける相手が居なければ、振り抜く拳も空しく空を切るだけだ。
だから、誰ともそりが合わない奴でも、顔馴染みの一人位は持っている。
気の置けない友人か、常に憎らしい好敵手などだ。
だが私は例に漏れ、そんな存在すらも認めなかった。
群れる事そのものが煩わしかったし、何より仲良しこよしの中で鬼に生まれたアイデンティティを有耶無耶にしたくなかったから。
他の奴等は私を奇特と思っていたらしいが、私にして言えば嬉々として瓦に伍す奴等の方がよっぽど変に思えた。
その日は、遍く照らす陽の光も曇天に阻まれ、凡そ快活なイメージを想わせるものからは一切断ち切られたような、そんな閉塞した調子の天道だった。
その上雨あがりの地面は泥濘で埋められており、陰気な様に殊更に機嫌は悪かった。
そんな由で、苛立ちを静めてくれる腰の瓢箪だけを提げ歩いていた。足下の小枝を踏み潰し、五月蝿い蝉時雨にうんざりしながら彷徨う。
いつもと癇癪の度合いが違う以外、いつも通りの道中だ。
いく宛も無い道をただずっと歩き続ける。何処かに行き着くまで止めない、孤独の道中。
岩肌を剥き出しにした山岳の麓。此処に行きつくまでは、そうだった。
とうに日中を過ぎても、西から差し込む紅色は依然として雲海に滲んだままで、遠くから見つけたその集落は吹き溜まりのような暗い印象だった。
ここ最近まで、随分長い道を歩いていた。
正直言って立ち寄る気にはなれなかったが、此処を後にすれば暫くまともな宿は無いだろうと思ったので、この地で久し振りに投宿することにした。
最低でも、酒を出す処ぐらいはあるはずだろうし、其処らの近くで宿屋のひとつはやっているだろうから。
が、今日一日の終わり方に具体的な見通しがついて、一息吐いた矢先に憂鬱な事態が舞い込んで来た。
近くの茂みの陰に二つと、更に遠巻きに見つめる一人。
ぎりぎりとした殺気を孕んでいて、場数の少ない坊主でも簡単に気付けるような、安っぽい覇気。
感じ慣れているものだから、怯えてやる振りすらしてやれそうにない。
もうすぐ聞き飽きた常套句が飛んでくるであろうと予想し、溜息を吐いた。
「何者だ、手前」と響く声。
案の定、その手合いだった。
悉くを叩きのめして歩く鬼の噂は、奴等のように警戒に余念の無い者を増やしていた。
「流れの者だ。見て判るだろうが」
そして私は言い飽きたあしらいの台詞を返す。
「どう見ても只者には見えねえ」
勿論、こんなにべもしゃしゃりも無い返事で相手が納得したことは無い。
口での弁明は通らないとなれば、双方のやる事は皆まで言う必要は無いだろう。
「俺等の縄張りには近づかせねえ!」
隠れていた者が同時に飛び出して、こちらへと迫ってくる。
最初に私の前に躍り出た身の丈の大きい鬼は、声を張り上げ大きく腰を捻り、脳天目掛けて握った拳を振り下ろてきた。無駄の多い動きをする奴の大体は、その実力も無駄なんだ。
私は小さく地面を蹴ると、向かってくる拳を横目に見送り、威勢よく開かれたままの顎に頭突きを叩き込む。
寸時の内に意識を吹き飛ばされ、もたれかかる図体を蹴倒し、そのまま宙空に飛び上がった。
次の奴はまともに手入れをされていない得物を構えていた。
赤錆色の粗末なそれを頭の上に振りかぶり、前の奴より酒焼けの酷い声で唸り私へと飛びかかる。
全く心得も無く刃物を振り回すのは愚の骨頂だ。
下手に素手で殴りかかるより隙が多い。刀が私の腕に当たる前に、額と頬骨と鼻っ面に一発ずつ拳を打ち込んでやった。
無視した鈍刀は案の定腕に当たったものの、傷ひとつ付ける事なく無残に砕けた。
私が着地すると同時に相手も顔面から綺麗に着地する。
この間に木々は一度ざわめいたのみだ。
「面子もしらねえのか!?素手喧嘩(ステゴロ)もびびって出来ねえのか!」
あまり情けないものだから、白目の相手に言い放った。
疾うに相手は伸びて、私の声など聞こえないというのに。
いや、もう一人距離を取りながら見ている奴が居たはずだ。
そいつを吊るし上げてやろう。みっともないものを見せつけられるのは私の最も許し難いことだ。
「出て来い!その性根叩き潰してやる!」
私は遠くの奴に向かって叫んだ。聞こえない距離ではないはずだ。
暫く間を置いたのち、相手は意を決したか、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来た。
その殿は歩き方こそゆっくりとしていたものの、竦んでいる様子ではなかった。
寧ろ風情を眺めながら、散歩でも楽しんでいるようだった。
獣道から現れて、街道を私の方へと歩いてくると、更に類稀な覇気が感じられた。
先程の二人とは質が全く違う、間違い無く強者の放つ気だ。まだ遠くに居ると言うのに、
一歩一歩の足音がいやにはっきりと聞こえる。
段々と距離は近くなり、額の特徴的な一本角が見えた。
背は他の荒くれに比べてそれ程大きくは無いが、奴の纏うもののせいか錯覚を起こしてしまう。
はっと気を持ち直したときに、やっと気づいた。
くぐもった下駄の音が妙に耳へと響く。
その音を意識する度、体に痺れるような感覚が走る!
「アあ…なんだ、その、面目ない」
面と向かいあい相手と目を合わせる前から、私は本気の臨戦態勢に入っていた。
微動も感じたなら迷わず拳を打ち込むつもりだったが、
「ウチの若い連中は、相手をよく見られないもんだから……」
金髪の頭を掻きながら、にやけ笑いを寄越してきたものだから、すっかりと毒気を抜かれてしまった。
「イんやあ!すまんねエ!すまんねエ!」
つい数刻ほど前に私を気圧していた一本角は、どうしたことか集落の闖入者である私と、今肩を並べて芋酒を呷っている。
ここは彼女の馴染みの飲み屋らしく、つまみを運んで来る厨房の親父はお得意さんの来店に上機嫌になっており、訪れる客はしきりに店を揺らさんばかりに馬鹿笑いを撒き散らす。
……詫びを言うにはこれ以上無いほど不適な場所だ。
「折角立ち寄ってくれたってのに味な出迎え方しちゃってねエ!まア、あんたにはわけ無い奴等だったろオがねエ!」
気まずいこちらの心境と茶化さず見せるべき誠意をそっちのけにして、彼女は一人で話しては大笑いを繰り返す。
店の開いた時間から今に至るまで、もう大分経つと云うのに、この勢いは全く衰える気配を見せない。
「当人達は本気だったんだよ。『俺等が守る』なんて息巻いてんのは良いんだが、まさかあんたみたいな子に飛び込んでいくほど分別がつかないとはね、思ってなかったよ、ホント」
少し湿った感じを含んで言うものの、言葉以外はあっけらかんな態度を崩さない。子、と呼ばれたことは気になったが、私の力量は見抜いているらしい。
間抜けた顔で酒を呷っているが、矢張り此奴は手練れている。
そして、酒の席での野暮は嫌っているらしい。
私を認めている上で、この場を白けさせるような雰囲気は作ろうとしない様子から窺える。
「ンにしても――」
「何故」
同じ弁明はもう三度目になる。話題がひとつしか無いのだから、当然の事だが。
だが、流石に一晩中耳を貸すのは堪える。私は此処に羽を休める為に寄ったのだ。
しかし何より分からない事がある。
「まア――」
「だから」
これは此奴の主義に反するだろうが、遮ってでも訊きたい。
「何故、お前は戦わなかった」
あの時、私の実力を眺めるだけで判断し、無闇に出てこようとしなかった。
近づく足音に、位置以外の情報を込められるような奴が。
「分からないんだよ。あんたなら、本気でかかってくれば追っぱらえるはずだろ?」
単刀直入に言ってやった。
正直な処、他の全てはもうどうでもよくなっている。
血気にはやる者より、得物に頼るはんちく者より、目の前に居る腑抜けた鬼の不面目。
こればかりはぐらかされたくない。
一本角は少しの間を置いて、困ったような顔になって答えた。
「……お前さんが納得するように答えるなら、只の喧嘩じゃ済まなくなるからってところかな。
本気で闘(や)っちまえば、間違い無く二日は立てなくなるだろうから。
でも、それより大事だったのは――」
漸く眼に力を滾らせて、
「此処は始まったばかりだからだ」
酒呑み半分、話し半分で自分の言った言葉すら覚えていなさそうだった奴は、この理由を話す時だけは意味深長な様子を見せた。
「永く続いた同族同士の小競り合いも、最早無為だってことを、皆気付き始めた。
殴り合うだけが付き合いじゃない、酒の付き合いだってあるじゃないか。
現にこんな風に、どんな奴とでも笑いながら呑める。
なら、協力して生きていく方がいいじゃないかって考え方さ」
手を酒から離し、拳骨を作って、
「握り締めるだけが」
ゆっくりと開き、
「――ゲンコの使い方じゃないからな」
物思うように見つめたあと、また芋酒を持ち直した。くいとそれを喉へ流し込み、調子を戻す。
「そういう訳で、同じ考えに至った鬼達が集まり、この集落が出来た。
捻くれた殺気は振り払い、純粋な付き合いをやっていこうってね。
だから、筆頭の私は怪力乱神さまっぷりを皆に見せるわけにはいかなかったのさ」
そう言って、静かに杯を置いて、酒瓶から残りの芋酒を注いだ。
「さあ、分かってくれたならアンタも顰め面止めて、すっきり呑もうや」
今度はさっきまでの馬鹿笑いのそれとは違う、快活な笑顔を向けて、杯を差し出した。
「どうだい?ん……?」
呆気にとられる。持って生まれたこの力の練磨にのみ、執心してきた私には考えられないことだ。
それをこの一本角の大将は、少しも疑わずに、進むべき道と選び取った。
自らの覇道を捨てて、邪道を歩こうとしている。
そう思うと、この一切の翳りを含まない表情にすらも苛立ちを覚えた。
「遠慮する……」
今すぐにでも拳をその顔にねじ込みたかったが、そうすると店ごと巻き込みかねない。旅中の久し振りの安息が惜しく、穏便に夜を明かしたかった。
「明日早くに発つよ。賛同は出来ないが、宜しくやることだ」
杯を突き返して、椅子を降り足早に宿へ戻った。
「あ……」と一本角の声が尾を引いたが、振り返りはしなかった。
本来なら、迷わず一発打ち込んでいるはずだった。いつもなら後がどうなろうと、当座の憤りを呑みこんだりしない。
今日は、疲れているようだ。
翌日の未明、断わった通りに集落を出て、山路を歩き出した。
仰ぐ曇天は相変わらずで、東の方が僅かに韓紅色を映している。
晴れやらぬ気持ちのまま進んで行き、ふと崖の下を見やると、足下の遥か下に、奴等の集落が小さく見えた。
「……どっちが『子』、なんだろうな」
誰に聞かすともなく呟いた。縦しんば聞いていたとしても、聞き咎められることもあるまい。
力を振るい、道を抉じ開け我を通す。前へ前へと歩いて、繰り返す。くたばるまで。それでいい。
そう言い聞かせ、また道中に戻ろうと前を向いた先、確かに見憶えのある影が遠くに立っていた。
――曇りを晴らす元凶が。
「待ってたよ……いや、待っていたかい?」
立ち塞がる鬼は、飲み屋での彼奴が何者かに乗っとられたような顔を見せていた。
「どうした?」
眼孔には溢れんばかりの気を滾らせ、首筋から下駄を履く素足の先まで青筋が立ち、抑えていた力の強大さを物語っている。
握り拳からはぎりぎりと、固まった肉と肉とが立てる音が響く。
『怪力乱神』は、彼奴の誇張じゃなかった。寧ろその顕現が居るかのようだ。
「私と本気の喧嘩をお望みだったろう?」
垂涎のお膳立てを、神様に感謝したい。憤りはぶり返し、私にも気が漲ってきた。
僥倖な事に、神様は今目の前に居る!
「これほど離れた場所なら、他の皆には迷惑もかからない。さあ、心ゆくまで死合おうかイ!」
相手の誘いに機嫌を良くし、空気を裂くような速さで懐へ飛び込む。
返答が煩わしいので、胸板に右の拳を叩きつけることで応えた。
ぐ……と嬉しそうに呻き声を漏らし、怪力乱神は間髪入れずに肘鉄を私の背中に打ち込む。
予想以上の威力が身体を突き抜けて、地面が瞬時に近づく。何とか意識にしがみつけた。
私は奴の足元を殴って、威力を相殺した。副産物の岩が突き出て、相手は宙へと飛び上がる。
逃がすまいと体勢を整えてから、宙の相手を捜すしたが、視界の何処にも居ない。
驚いた瞬間、虎も怯え竦む声を上げ、背後から奴は強靱な足で私の頭蓋をを岩肌に打ち込んだ。
轟音が山中に響いて、山肌の一部は色を大きく変える。
麓からは大規模な土砂崩れに見えないこともないだろうが、こんな大胆なことは、他の連中の目を気にする奴がやることじゃない。
相手はもう周りを気にしなくなるほど楽しんでいるようだ。
土の棺桶から飛び出した私は、砂埃に紛れ相手の真上を位置取る。
息を切らして未だ岩を凝視し続ける乱神様は、間抜けらしいったらありやしない。
「もらった!」
振り返るのは顔面を狙えと言っているようなもの。
吃驚した顔を見せた時にはもう、全霊の乗った一発が顔全体を歪ませていた。
顔という鞠に身体をくっ付け、地面を転がっていく乱神を見送る。
気を抜いていたのかまともに踏ん張れず、そのままの勢いで麓の方へ跳ね飛んでいった。
最早、与力の残滓も残っていない。立つ力も失せた私は、穴だらけの地面に倒れこんだ。
「勝てないか……奴だろうと」
私の旅を終わらせる者は居るのだろうか。
恐らくはこんな風に道途に倒れ込んで、がらんどうの目で鉛色の空を眺めながら終わる日々を。
終えることが出来たなら、きっとそれに勝る喜びは無いだろうな。
そう考えながら茫然と空を眺めていると、視界が揺れた。
急き立てる声が遠くから響き、徐々に近づいてくる――
―――――さん?
――――姐さん?
―――香姐さん!
――ちる!
騒々しい声が頭の中をかき回す。
首を起こして声の主を捜そうとした刹那、目の前に飛び上がる乱神が現われて、
アッと目を見開く内に、私に拳骨を振り下ろした。
――落ちるって!萃香姐さん!
それが顔にめり込む寸前で、頭の霧は完全に晴れちまった。
繋がった像がわだかまり、ぐにゃりと曲がってまた新しい像を結ぶ。
瞬時に直前までの出来事は夢の彼方に帰結したと分かった。
「萃香姐さん、起きてえ!」
安堵に顔が綻ぶも、目の前の事態が全く変わっていないことに思わず、
「へエ?」 と情けない声を洩らしてしまった。
現へ飛びたした拳骨は、予定調和のように私を圧し潰した。
その日、地底に住まう者たちは驚愕の光景を目撃した。
『岩が、崩れ落ちた。』
天蓋を地盤に塞がれたこの場所では、頭上を注意する習慣は無かった。
時々大きめの礫が落ちてくるくらいで、頑強な彼らにはさしたることではなかった。
でも、その日歓楽街のとある飯屋に落ちてきたそれは、笑って見過ごせるような大きさではなかった。
天からその地盤の一部がまるまるおっこちてきて、街の一角と鬼の一角を簡単にぶっつぶした。
そんな規模のような冗談では、誰も笑える筈がない。
宙に私は居て、どこにも私は居ない。
漂う処に居るけども、私を見つける奴は居ない。
『萃と密を操る程度の能力』は、放蕩者の私にいやと言うほど似合ったものだ。
人を無理矢理呼んで宴会をおっぱじめることが出来るし、大気中に霧散して人知れずぶらつくことも出来る。
金棒を持ったわけではないが、今の私らしさを強く示せるのはこの能力のお陰だ。
殊更に、万事休すの状況を霧に溶けることで脱せられた今では、ここらにおわす神様方みんなに感謝しても足りないくらいだ。
あの『拳骨』が私に深刻なダメージを与えたことは確かだったが、そのまま地中深くに埋められるのは何とか免れおおせた。
残念というか、自業自得というか、勇儀の方は酔夢から帰らぬまま未だ土の中に取り残されているらしい。
未曾有の事態に鬼の連中が慌てふためいているままなのが、その証拠だ。
いつもならとっくに彼らをまとめている筈の彼女が居ないのだから、無理もない。
ならば私はと言えば、そんな狂態をのんびり見ていたわけではない。
勿論一刻も早く彼奴を助け出してやりたいと焦っていた。
焦ってはいたが、今すぐ行動に移れる状態では無かった。
――「『私』は、何処へ行った?」
そう。伊吹萃香という存在は、遠くに散り過ぎてしまい、殆どが喪われてしまっていた。
「あわわわわ…」
突きつけられた現状は、この先とても酒の肴にはしたくない話だ。
居る筈の私という存在はあまりに朧げになっていて、恐らく萃めたとしても以前のような姿には戻れなくなっているだろう。
長年つるんだ親友は地に沈んだまま、自力で戻ってこれそうもない。
どうすればいいのだろうか。茫然と漂ったまま惨状を眺めていると、また自分を呼ぶ声が聞こえる。
「萃香の姐さん、何処に居ますかい!」
どうやら私の姿も見当たらないためか、必死で捜し回っているらしい。
何人もが一斉に叫ぶ中に、つい先ほどに私を夢から呼び戻した声があった。
全くもって不満足な身体だけども、心配させたままにしておけないし、兎に角彼らに無事を伝えようと思った。
「ね、姐さん……」
何とか実体には戻れたものの、元々小柄な身体は更に小さくならざるを得なかった。
膝の高さほどしかないくらいの私を見て、彼らは口をあんぐり開いた。
「寝起きにゃ少々キツい一撃だったよ。出すもん出し過ぎちまったらしい……。やっぱ呑みに無茶はいけないかな」
緊迫した状況では、多少の洒落は意味を成さず、かえって裏目に出てしまった。
深刻な状態であると悟ったらしい彼らは、何とも言えない表情を見せた。
気まずい沈黙を破って口を開いたのは、あの声の主だった。
「まあ、助かってただけでも良かったですなあ。中々起きないまんま、でしたから。待ちきれず先に逃げ出して、大丈夫かとヒヤヒヤしとりましたよ」
あの声は、勇儀の知り合いの飯屋の親父だったらしい。責任を感じてるらしいが、起こしてくれなきゃ『拳骨』をまともに喰らうのは必至だった。
ぎりぎりまで残ってくれたお陰で助かったのは事実だし、逃げ出したことは気にしていないと返すと、親父はまだ謝り足りないようだったが、それ以上の言葉は引っ込めた。
「兎も角、勇儀はあのデカブツの真下だ。何とかして助け出さないと。私はこんな状態だし、皆であれをどかさにゃ」
彼奴の居ない今、私が代わりを務めるしかない。この状況で考えられる最善の判断を促しているつもりだ。
「あ、いや……」
当の彼らはよろしく思わないらしく、見るからに怪訝な顔を見せる。
「だったら、外側から掘り返せば――」
「んや……そいつも、無理かと」
親父はまた申し訳なさそうに返す。
そろそろくどいよ、と思ったが、
「『アレ』はまだ、沈んでるんでさ。姐さん」
と新事実を聞かされると、今度はこっちが申し訳なくなった。
成る程、無理なわけだ。
その途端、頭蓋の奥まで響く音がした。立ってはいられないほどの大きな揺れ。
見上げる『アレ』は確かに動きを止めていなかった。
暫くの間を置いて、周期的に沈降は進んでいるらしい。
「これって、放っておくと……?」
大体の予感はしているが、取り敢えず聞いてみる。
地下の地下まで荒らされ、このままでは八咫烏の管理する常温核融合炉にも影響が出かねない。地底の住人は住処を追われることになる、と矢張り思った通りの答えが返ってきた。
つまり、叩き割ってでも止めなくてはならないということだ。
「じゃ、誰が『アレ』壊すのさ?」
名乗り出る者はいなかった。つくづく不甲斐ない連中だと思う。
私にやれって言うのかい……。
幻滅したが、流石に口にするのは憚られた。
どいつもこいつも、上っ面だけで信用ならない。
久し振りに、孤高を目指したあの頃に戻りたくなるよ。
勇儀が駄目になってる以上、あの『拳骨』を砕ける可能性は私しか居ない。
一刻も早く救出したいのだけれど、今の半端な私ではどだい無理な話だ。
思えば、あの一撃を間一髪で逃れるためには、手痛い代償だった。
全てを免れおおせることは出来ず、私の殆どは『伊吹萃香』であることを忘れて大気の中を漂っている。
何らかのきっかけさえあるならば、再び目覚める筈だけど……生憎、その手段に当てが無い。
萃められないのは、肉体へのショックのせいか。
それとも、酔夢に見た、彼奴の姿のせいだったのか。
『拳骨』の被害は大きいものの、幸い沈降のスピードは遅かった。
ひとまず私は当座の対応として、彼らに周辺の住民の避難を頼んだ。
私はこの身体を元に戻す手段を求めて、一旦地上へ帰って来ていた。
頼る奴と言えば、まず山の河童ぐらいしか思いつかなかった。
「随分小っさくなったもんで……」
藁を掴む思いで訪ねた工房で、河白がした反応は、手を止めてチラとこちらを見、ぽつりと呟いた一言だけだった。
散々急の用だと言っているのに、目の前の河童は気の抜けた反応しかしない。
「だから、かったい石コロを割れるような発明はないのかい!」
「鬼さんの力で無理ならねえ……」
ウチの技術は世界一とのたまう河白の奴も、まともにとりあうつもりすらないらしい。
手元の変なのを分解することより、知れた話か。
「いつも『発明品』を作っちゃ、そこらで煙を上げるあんたなら、相手を簡単に煙にできる発明くらい疾うの昔にやってんじゃないのかい? あの石コロになら何発ぶちこんでも構わないからさ」
「そんな恐ろしいもの作ったら、山から追い出されるよ……」
冷静に返されるのが癪に障る。
嗚呼、もう一発ぐらい、打ちこんでいいよな? と思ったが、生憎顔まで拳が届きそうにない。
代わりにグサリと突き刺す一言でも投げてやるか。
「いやア、情けないねエ、世界一の技術はそんな程度もビビっちまうか?」
「なんですって」
話半分、作業半分で聞き流していた河白がようやっと工具を置いて振り向いた。
「あんまり見下げたようには言ってくれるなよ。確かに何でも作ってみせる気概はあるけどね、なるだけ破壊兵器は作りたくないんだ」
「どうしてだい。機械弄りくらいしか出来ないお前さんらが、私らみたいなのと対等の力を持つなら活かさない手は無いだろう?」
「すぐ叩く、なんて考えがまず根本から間違ってるのさ。
殴りあって、事が済むのは一時の間だけだ。また大きな力で返されて、そしてその繰り返し」
「だから、完膚なきまで叩き潰すんだろうが」
「そうすれば、次はそいつの仲間だ。
キリが無いんだよ。そんで収まりがつかなくなった頃には屍の山」
「そんなところまでは行かないだろうよ」
「簡単に、そ、お、な、る、ん、だ、よ!これが」
この臆病河童が私に説教垂れるとは、驚きだった。
はいはいごもっともと雷同するのが常のこいつがこんなに食い下がる。
いつもは見せない剣幕に、気負けしてしまった。
「……へいへい。技術はあくまで盟友のため、ってことかい」
ばつが悪くて、目を見て言えなかった。
「……力はどこまでも無限さ。
でも扱う私達には限界がある。そこへたどり着いた先にまつのは破滅だけだよ」
そう言って、河白は再び作業台に向き合った。
再び工房内に響くのははカリカリと螺子を回す音だけになった。
今更、ならどうすればいいかとも訊けなくなり、次を当たろうと踵を返した。
「待って」
興味も気分も損ない、黙って見送るものと思ったけど、まだ言い足りないことが有るんだろうか。
「話は終わってるはずだろう?」
「余談は残ってる。こいつを見てくれ」
河白は、話す間ずっと手元に置いていたそれを私に手渡した。というより、押しつけた。
背丈ほどに大きい武器をいきなり渡すなよ。
「実を言うと、あんな話をしておきながら、弄っていたのは武器だったのさ」
渡された『武器』の木製の持ち手部分には、時代を思わせる意匠があしらわれ、二門の筒から火薬の匂いが微かに香る。
相当に使い回されているようで、あちこちに傷や錆が見られた。
「筒に火薬と鉛を詰めて、ノックハンマーの衝撃で撃ち出すものらしい。鉛は無数の欠片になって、対象の全身を穴だらけに出来るって代物だ」
「これが『アレ』を破壊できるのかい?」
「いや、全く役に立たないだろうし、専用の規格で作ってやらなくちゃいけないから、手間もかかる」
「へえ」
「ひょっこり川に流れ着いてきたのも、無理無いね。
こんな面倒と威力の釣り合わない発明なら、外でも忘れられるさ」
「確かに。鉄砲なのか、大砲なのかのどっちつかずじゃ、印象はあやふやになるね」
「そう、分かってくれるならそれで良い」
河白はにやりと不遜そうな顔を見せる。
「持っていくといい。アンタの力にはならないだろうが、元の姿に戻る助けにはなる」
矯めつ眇めつ眺めてみても、これが頼りになるようなイメージは湧かなかった。
傷んだ部品がせつなげに軋む音を立てるだけで、五感を愉しませるような要素は無かった。
鉛の霰より鬼の腕の方が段違いに強いだろうに。
「はあ。これがきっかけになるもんかね」
「きっかけと引き金は同義さ。一発分の弾だけ、込めっぱなしにしてある。何処かで撃ってごらんよ」
そう言って、河白は工房の奥に引っ込んでいった。
一瞬、微笑ましいものを見るような目を見せたのが癪に触った。
やっぱりこいつは、一度懲らしめてやりたい。
「似たもの同士さ、そいつとお前」
その後知り合いの伝手を幾つか頼ってみたが、問題の好転は臨むべくも無かった。
酒呑み仲間が頼もしいのは、呑みっぷりと話の種だけだった。
最後の知り合いに断られた頃には、断続的な地響きが地上の幻想郷でも大きく感じられるようになってきた。
大惨事はすぐそこに迫っている。
これ以上地上にいても埒が明かないので、兎に角地底へ戻ることにした。
身の丈に合わないはんちく武器一つを背負って。
地底が近くなるにつれ、深刻な周囲の変容が感じられた。
粉塵が辺りを包み、煌びやかだった街道は、暗澹に染まっている。
喧騒の一切が消え去って、小さな礫が落ちる音が嫌に目立つ。
例の『拳骨』は、動きを休めているらしかったが、暫く見ない内に大分地面を抉ったようだ。
今やその被害を受けている地域は、当初の倍以上になっている。
視界の端に、明かりの集まっているのを見つけた。
恐らく避難した住人達はそこに居るだろう。まずは現状を聞き出すため、そちらに向かうことにした。
出迎えた鬼達に依ると、既に住人の殆どは安否がはっきりしており、脱出の準備も整いつつあるようだ。
地底の全滅は免れると聞いて、一先ずほっと安堵した。
「姐さんの方は……」
未だ元の状態に戻れぬ私を見て、一人が心配そうに訊いた。
「……見ての通りだ」
「やっぱり、どうにもならないんスか?」
「いや、なるらしい。背中のデカブツがどうにかしてくれるってさ」
「そのヘンテコ砲塔みたいなやつが、スか……」
釈然としないようで、彼らは素直に喜べないようだ。無理もない。
「私にも分からないし、正直成功するか自信は無い。お前達は引き続き準備を頼む」
「姐さんはどうするんで?」
「私は潰れることは無い。それだけは確かだ」
思えば、失意のまま闘いに行くのはいつ振りだっただろう。
殴りかかる相手に不敵な笑み以外は見せた憶えが無かった。
ならば、今回が始めてだろうか。
負けに行くんだ。
そう考えると、引き返したくなる気持ちすら頭を擡げてきた。
でも、このまま向かっていかなければならない理由も有る。
勇儀がまだあの落石の下で眠っているのだから。
私を孤高の道から引っ張りだした張本人――恩人が残っているのだから。
始めて喧嘩に負けた日から暫くは、あの集落の宿で彼奴が最後に見せた顔に苛まれた。
身も心も打ち負かされた、と認めた時だった。
しかし、あの日対峙したのは全くの別人だったかのように、本人はまたいつもの砕けた態度で見舞いに来た。
「イんやあ!すまんねエ!すまんねエ!」
昼間っから酒臭い息を荒げ、絶えず笑い声を響かせるのには驚いたが。
もう少しお前は反省の仕方を見直すべきだ、と言った。
でも、不思議とそれ以上の野暮を言う気にはなれなかった。
それが『星熊勇儀』の一貫した流儀だと分かったから。
誰が言ったか、『強者はいつも笑っている』という格言は本当のことだった。
日がな一日中を仏頂面で過ごす私では敵うはずが無い。
傷の癒えた頃に、仲間に入れて欲しいと頼んだ。
その時から私と勇儀は暫く行動を共にするようになり、次第に友人として呑み合うようになった。
地底の隔離のため会わない時期もあったが、今でも彼奴と呑むときは格別に旨い。
――次は私の番だ。
彼らと別れてすぐに、地響きがまた地底を揺らし始めた。
もう『拳骨』から遠く離れた地域にまで地割れが走っている。
原子炉から死の光が撒き散らされるまで、時間は幾許も無いようだ。
「でか……」
近くで見た『拳骨』は、心なしかそう見えた。
自分が縮んでいるためか。縮み上がっているためか。
気に病む必要は無い。私がやるべきはあくまで彼奴の救出だ。
記憶が確かならば、私と勇儀はこの岩のど真ん中に潰された。
真っ直ぐにこれが地底の底に沈もうとしているなら、彼奴はまだその直下で眠っているに違いない。
「はいなっ!」
勢いよく拳を地面に叩きつけて、後方に土煙を散らした。
『拳骨』自体を砕くことはできないが、既に一度掘り返され、柔らかくなった土を掘り進むなら問題は無いだろう。
「はいっ!はいっ!」
隣を営々と抉っている奴より早く真下に辿りつかなくてはならないので、手は休められない。
何とかあちらより下へ辿り着けるものと思っていたが、案に相違して数百回叩けども追いつける気配がしない。
「はっ!はっ!はっ――」
次第に力が腕から失せて、あっと言う間にヤツに追い抜かれてしまった。
「は、は、は、は……」
無駄な足掻きだった。徒らに拳を痛めただけで、勇儀救出には遠く及ばなかった。
他に手段はないものかと思案していると、肩に提げたはんちく武器のことを思い出した。
疲弊しきった今となっては、対抗する手段はこいつしか無いのだろうか。
この二門に一発ずつだけ込められた弾が、私を助けると河白は言っていた。
「使って……みるか」
砲塔上部のレバーを引いてノックハンマーを外し、二発の弾を確認する。
じめじめする地底まで携行してきたが、火薬は湿気っていないようだ。
手動でセットをしなおして、思い切り上へ振り上げる。
遠心力によって再びノックハンマーは小さな砲塔に固定された。
砲門を前に向け、両腕で押さえた。これでいつでも撃てる。
自分の掘った穴を飛び出して、足下まで沈んだ『拳骨』に狙いをつける。
「らあっ!」
掛け声とともに二つの引き金を同時に引くと、耳を貫くような鋭い轟音がして、粉砕された鉛が無数に飛び出した。
鉛の欠片が凄まじい弾速で突き刺さり、土煙がうっすらと上がる。
――そして次はどうなるだろうか、と待っていたが、何も起きなかった。
「へ……?」
お終い。チャンチャン。あまりに呆気なかった。
「へえ……?」
全く役に立たない。
依然『アレ』は核融合炉を目指し進行中だし、私も小っこいままだ。
やっぱりこのはんちく武器じゃ現状をひっくり返せないじゃないか。
――こんなんじゃ、泥が撥ね上がってるようなもんだ。
そう思って、ようやっと河白の言わんとしていたことが解った。
私が霧散したまま元に戻れないのは、ひとつどころに拘れなかったからだ。
あれやこれや心を動かすから、根っこの自分を見失った。
矢鱈滅法力を圧しつけるから、つまらない結果にしかならない。
一発の弾を、真っ直ぐ全霊で撃ち抜けばいい。
驚くほど単純な話、複雑に考えるなってことだ。
つまり、私の感情をひとつに定めれば元に戻れるんだ。
「よし……」
私はここだと『私』に報せる。見まごうことなく私と分からせて、『私』をここに萃める!
――さんざ、仲間には頼りない奴と思われた!
――地上にでれば、説教喰らって笑われ追い返された!
――弱った体で馬鹿やった!
――――昔のトラウマに、今更怯えさせられた!
――――許さない!
もう一度、自分になるため、孤高に立ち返る。
心を――――
――――――『鬼』にする!
刹那、地底の揺れは更に強まり、私の制空圏のものが砕けた。
力めば力むだけ力は萃まる。気のうねりは思い通りに高まっていく。懐かしい力が帰って来た。
目を開くと、視線の位置は高くなっていた。
私は、『伊吹萃香』に戻った。
今なら、石コロの一つや二つは簡単に砕ける。
『拳骨』はどうやら私に慄いたらしく、地響きは止まっている。
へえ、分相応わきまえたかい、そろそろケリつけてやろうか。
「でいっ」
左手を『拳骨』の後ろに刺し込んで、しっかりと手に固定する。
次に宙へ飛び上がり、容易く穴から引っ張り出した。
思い切りそれを振り上げ、やはり『拳骨』の頭にめり込んでいた勇儀を振り落とした。
脳天から地面に落ちる形になるが、多分問題にはならないだろう。
見上げた視界をすっぽり埋め尽くすほどの大きさは、私をビビらせるにはまだまだ足りない。
掲げた『それ』を上へと突き出し、次いで右腕を振りかぶった。
ゆっくりと息を吸って、ゆっくり吐き出す。
暫く間を置いて、胸からドクンと音が聞こえると同時に、一気に辺りの空気を吸い込む。
右肩から指の先まで力を注いで、奥歯を強く噛み締める。
あらん限りの全霊を乗せきった直後、突き出した左腕を引き寄せた。
喜んでいいぞ。今からお前を撃ち抜くのは、私の――
「――最高潮の、怒りだあああ!」
肩を抑えていた理性を取っ払うと、行き場を求めるように、拳は『拳骨』の真芯を突き抜けた。
一瞬の静寂ののち、思い出したかのように、土くれは粉々になり、地底に砂の雨を降らせた。
不思議と込み上げる怒りは心地良かった。寧ろ、抑えているのが嫌なくらいだ。
――あだ。
――あだだだ。
――あだだだだだだだだ!
暫く気を失っていたらしい。右腕を襲う激痛が、私を眠りの世界から引き戻した。
全霊を掛けた一撃は、束の間の五体満足をまた台無しにしてしまったようだ。
暫くは養生せにゃ。
「……生きてるかい?」
頭の上から、聞き慣れた声が落ちてきた。いや、本人には落としてるつもりは無いだろう。
「心配は要らないよ。それより――」
まだ鈍い痛みがあって、動くのは億劫だが、私が先に立ち上がらなくてはなるまい。
「――アンタにゃ、似合わないザマだねエ」
酔夢から目覚めたばかりの此奴では、気づいてもどうにも出来ないだろうから。
「へ?」
立派な一本角を地面に突き立て、逆さまに向いたまま胡座をかいている奇態は、実に滑稽だった。
「いやア、すまんねエ」
その日から二週間が過ぎて、私と勇儀はまた呑み屋街に戻ってきた。
常温核融合炉には被害が及ばなかったらしく、地底はまた嫌われ者や荒くれ者で賑わい始めた。
鬼の突貫工事は、この地域を除く全てを復旧させ、既に地底は機能を回復させている。
だけども、この馬鹿でかい穴を塞ぐ作業だけは、まだまだ時間がかかるようだ。
こんな状態のここに来たのは、酒を呑むためじゃない。復旧工事の監督と、作業の手伝いのためだ。
「高い処じゃ気を付けろよ!角を地面にぶっ刺すぞ!」
勇儀は見兼ねると、他の鬼どもにこう言い聞かせていた。
自分が言えた義理か、と思ったが、彼奴の尊厳のために黙っておいた。
今回の事件は終結に向かっていた。
だがひとつだけ、尾を引いていることがある。
――そもそもあの『拳骨』は、どうして落ちてきたのだろうか。
地底の街道では、またあれのようなものが落ちてくるのではないかと噂されている。
地盤が緩んだからだとか、地上の奴らの悪戯だとか、諸説がまことしやかに囁かれている。
でもそれらは全部真っ赤な嘘さ。私だけは、その真相を知っているもの。
――私の能力が酔ったまま暴走して、夢の中の彼奴が放った最後の『拳骨』を再現してしまった。
これが、その全て。
黙っておくのは良くないと思う。だが、こんなこと言い出してしまば、地底中が私に怒るのは当然だ。
右腕の痛みはまだまだ抜けきっていない。当分怒りは御免被りたかった。
「それにしてもなア」
「何だイ」
「あたしを圧し潰した岩は、何であんなに強かったんだろうな?」
「さあ、イシの礫だったからじゃないのか?」
「ヘエ、天然自然にゃ敵わないことも有るってことか」
勇儀がだし抜けにそう訊いたときも、私は全く動じず答えた。
なあに、嘘は吐いちゃいないさ。私らは嘘が嫌いだからね。
――あれは、『意思の礫』なんだから。
【了】
呂律を回して、滑らかに言いきりたいものだが……どうも上手くいかない。
「きゃききゅえどみょ、ききかききうぇず……きゃきゃきゅえどむ……」
どうやら、体の隅々まで酔いが回ってしまったらしい。だのに、舌は回らないときた。
バツが悪いもんだ……。
全く、鬼の名折れだね。酒天童子が聞いたら呆れるだろうか。羽目を外し過ぎちまったかい。
地底に呼ばれて来てみれば、懐かしい同胞どもが酒盛りに精を出して、乱痴気騒ぎに興じていた。
何でも、『花見をしようにも華がないもんだから』ってんで、態々勇儀を迎えに寄こしたもんだから、俄然加わらないわけにはいかない。二つ返事で快諾し、真っ直ぐに地底に向かった。
宴会が好きな私だけども、何より行く気になったのは『華』と言われて得意になっちまったからだ。
その席では勿論、大いに喰い散らし、大いに馬鹿笑いし、そしてたらふく酒を呑み干した。
恐らくもてなしの殆どは、私の小さい体へ溶けちまっただろう。酌をさせた奴には悪いことしたな。
そんなこんなで宴も酣って頃になって、久方振りに呑み交わしたもんだから……、あまり呑みまくり過ぎたのかな、勇儀が本気の呑み比べを挑んできた。
いつもの彼奴なら、解散が近くなる頃には控え始めて、方々でおっぱじまる揉め事を抑え――大概はその喧嘩に加わって、両方とも胴突き倒すだけなんだけど――に行くはずだったのだが、そこは私もおかしいと気付くべきだった。
結局、挑まれるまま悪乗りしてしまい、どちらもノックダウンしちまうまで呑み続けた。
最早どっちが勝ったかすら憶えていない。
最後まで席に残って、介抱までしてくれた取巻き達が言うには、
『喉の動きが先に止まったのは勇儀の姐さん、目から生気が失せたのは、翠香の姐さんが先だった』らしい。
傍から眺めてても、勝負の結果は白黒付け難かったそうだ。
「あとににョこるのは、モヨモヨしてきもツわるいもンだけか……」
隣を歩く勇儀も同様、まだ体の動きが覚束ない。
ハハア、にしてもにょこるってなんだい、それはアンタにゃ「絵面からして似合わない……」と思う。
「ンア?にゃんか言ったかイ?」
おっとと、知らずの内に口にしちまってたみたいだ。
まあどうせまともに喋れてないんだし、彼奴には聞こえてないだろう。
説明するのも面倒だし、「あんたにゃにわやないざまってエ」と言いなおした。
――あんたには似合わないザマさ。鬼の頭さんを張ってるような奴にゃね。
そんなニュアンスにして誤魔化した。なあに、嘘は言っちゃいない。私らは嘘が嫌いだからね。
そんな訳で私は今、旧地獄街道を勇儀に付き添って貰いながら、家路へと急いでいる。
嗚呼、早く我が家の床へと飛び込みたい。
「とイかく急ぐのはわかるがア、こまんまじゃいチまでかかウかわからんよ」
千鳥足でゆらゆら歩く勇儀が言う。勿論のこと伴う私もゆらゆらしているが。
どうやら急ぐのは分かるが、この調子じゃ帰るには時間がかかると言いたいようだ。
「そうヤね、どっかでヨイさまさにゃア」
確かにこんな牛歩じゃ、博麗神社に帰り着く前に眠り込んじまいそうだ。
実際、二人とも目蓋は閉じてるか開いてるかの瀬戸際な状態だ。
「ンじゃあ、あスこ。あンのめしやはわたしのスりあいだ」
勇儀が指差した長屋の少し先に、軒先に灯を提げた飯屋が在った。
渡りに船たあ、このことさね。いや、今うっすら見えてる川を渡っちゃ不味いか。
とにかく安心して屋根の下で寝れると思ったが、その矢先、おもむろに勇儀が長屋の前で倒れ込んでしまった。
おいおい、其処は間違ってるよ……。
倒れるとほぼ同時に、辺りへ鼻におっかない猛獣を飼っているかのような豪快な鼾が響く。
近くで聞くには地も揺れんばかりの轟音とも思えるが、近辺に住む者には慣れたものらしい。
流石、地底に移り住んだ連中は順応が早い。
「あらア……」
どうやら、もう起きてくる気配もないようだ。
顔利きのコイツがいなけりゃ、目の前の知り合いさんの店には入り辛いし。
私も力がまともに入らない今、引き摺っていってやることも出来ない。
どうしたものかと暫く考えあぐねたていたが、考えるほどに頭から力が抜けていく。
不快極まりない寝息は、逆に私を夢の中へと引き摺っていってしまうようだ。
遂に思考は真っ白な無意識の中に沈んでしまい、私は勇儀に倣って、その隣に倒れ込んだ。
みっともないだろうが、こんなのも良い。気にすることはないさ。
――気楽ってのは、いいもんだ。
そんなことに気づいた日も、こいつは隣に居た。
それはもう何千と季節を遡る昔、まだ四天王と呼ばれる者はいなかった頃だ。
鬼の雑多な野郎共は手前勝手に幅を利かせ、皆が銘々の考え方で生活していた。
ある者は気の合う連れと寄り合った。
ある者は飽きもせず打ち負かし合って派閥を作った。
またある者――と言うより私はと言えば――は一匹狼に拘った。
いつでも私は顰め面を忘れなかった。
おチビちゃんと馬鹿にしようものなら、そいつの口は二度とその言葉が捻り出せないよう、唸る拳骨を捻じ込む。
餓鬼と呼ばれれば脳天を大地に埋めるまで踏み潰した。
睨み一つで相手を屈伏させるまでに、殺気の発散は常に周囲を抑圧していた。
日がな一日を歯軋り鳴らしながら過ごし、すれ違い様に相手が何か呟こうものなら、内容が何だろうがすかさず拳を見舞う。
そんなプライドの塊のように過ごした理由は『弩』が付く程単純。
それは其処らの凡骨野郎共ですら知り合わせてること。
――鬼に生まれたからだ。
幾ら有り余る力を持てど、それを見せつける相手が居なければ、振り抜く拳も空しく空を切るだけだ。
だから、誰ともそりが合わない奴でも、顔馴染みの一人位は持っている。
気の置けない友人か、常に憎らしい好敵手などだ。
だが私は例に漏れ、そんな存在すらも認めなかった。
群れる事そのものが煩わしかったし、何より仲良しこよしの中で鬼に生まれたアイデンティティを有耶無耶にしたくなかったから。
他の奴等は私を奇特と思っていたらしいが、私にして言えば嬉々として瓦に伍す奴等の方がよっぽど変に思えた。
その日は、遍く照らす陽の光も曇天に阻まれ、凡そ快活なイメージを想わせるものからは一切断ち切られたような、そんな閉塞した調子の天道だった。
その上雨あがりの地面は泥濘で埋められており、陰気な様に殊更に機嫌は悪かった。
そんな由で、苛立ちを静めてくれる腰の瓢箪だけを提げ歩いていた。足下の小枝を踏み潰し、五月蝿い蝉時雨にうんざりしながら彷徨う。
いつもと癇癪の度合いが違う以外、いつも通りの道中だ。
いく宛も無い道をただずっと歩き続ける。何処かに行き着くまで止めない、孤独の道中。
岩肌を剥き出しにした山岳の麓。此処に行きつくまでは、そうだった。
とうに日中を過ぎても、西から差し込む紅色は依然として雲海に滲んだままで、遠くから見つけたその集落は吹き溜まりのような暗い印象だった。
ここ最近まで、随分長い道を歩いていた。
正直言って立ち寄る気にはなれなかったが、此処を後にすれば暫くまともな宿は無いだろうと思ったので、この地で久し振りに投宿することにした。
最低でも、酒を出す処ぐらいはあるはずだろうし、其処らの近くで宿屋のひとつはやっているだろうから。
が、今日一日の終わり方に具体的な見通しがついて、一息吐いた矢先に憂鬱な事態が舞い込んで来た。
近くの茂みの陰に二つと、更に遠巻きに見つめる一人。
ぎりぎりとした殺気を孕んでいて、場数の少ない坊主でも簡単に気付けるような、安っぽい覇気。
感じ慣れているものだから、怯えてやる振りすらしてやれそうにない。
もうすぐ聞き飽きた常套句が飛んでくるであろうと予想し、溜息を吐いた。
「何者だ、手前」と響く声。
案の定、その手合いだった。
悉くを叩きのめして歩く鬼の噂は、奴等のように警戒に余念の無い者を増やしていた。
「流れの者だ。見て判るだろうが」
そして私は言い飽きたあしらいの台詞を返す。
「どう見ても只者には見えねえ」
勿論、こんなにべもしゃしゃりも無い返事で相手が納得したことは無い。
口での弁明は通らないとなれば、双方のやる事は皆まで言う必要は無いだろう。
「俺等の縄張りには近づかせねえ!」
隠れていた者が同時に飛び出して、こちらへと迫ってくる。
最初に私の前に躍り出た身の丈の大きい鬼は、声を張り上げ大きく腰を捻り、脳天目掛けて握った拳を振り下ろてきた。無駄の多い動きをする奴の大体は、その実力も無駄なんだ。
私は小さく地面を蹴ると、向かってくる拳を横目に見送り、威勢よく開かれたままの顎に頭突きを叩き込む。
寸時の内に意識を吹き飛ばされ、もたれかかる図体を蹴倒し、そのまま宙空に飛び上がった。
次の奴はまともに手入れをされていない得物を構えていた。
赤錆色の粗末なそれを頭の上に振りかぶり、前の奴より酒焼けの酷い声で唸り私へと飛びかかる。
全く心得も無く刃物を振り回すのは愚の骨頂だ。
下手に素手で殴りかかるより隙が多い。刀が私の腕に当たる前に、額と頬骨と鼻っ面に一発ずつ拳を打ち込んでやった。
無視した鈍刀は案の定腕に当たったものの、傷ひとつ付ける事なく無残に砕けた。
私が着地すると同時に相手も顔面から綺麗に着地する。
この間に木々は一度ざわめいたのみだ。
「面子もしらねえのか!?素手喧嘩(ステゴロ)もびびって出来ねえのか!」
あまり情けないものだから、白目の相手に言い放った。
疾うに相手は伸びて、私の声など聞こえないというのに。
いや、もう一人距離を取りながら見ている奴が居たはずだ。
そいつを吊るし上げてやろう。みっともないものを見せつけられるのは私の最も許し難いことだ。
「出て来い!その性根叩き潰してやる!」
私は遠くの奴に向かって叫んだ。聞こえない距離ではないはずだ。
暫く間を置いたのち、相手は意を決したか、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来た。
その殿は歩き方こそゆっくりとしていたものの、竦んでいる様子ではなかった。
寧ろ風情を眺めながら、散歩でも楽しんでいるようだった。
獣道から現れて、街道を私の方へと歩いてくると、更に類稀な覇気が感じられた。
先程の二人とは質が全く違う、間違い無く強者の放つ気だ。まだ遠くに居ると言うのに、
一歩一歩の足音がいやにはっきりと聞こえる。
段々と距離は近くなり、額の特徴的な一本角が見えた。
背は他の荒くれに比べてそれ程大きくは無いが、奴の纏うもののせいか錯覚を起こしてしまう。
はっと気を持ち直したときに、やっと気づいた。
くぐもった下駄の音が妙に耳へと響く。
その音を意識する度、体に痺れるような感覚が走る!
「アあ…なんだ、その、面目ない」
面と向かいあい相手と目を合わせる前から、私は本気の臨戦態勢に入っていた。
微動も感じたなら迷わず拳を打ち込むつもりだったが、
「ウチの若い連中は、相手をよく見られないもんだから……」
金髪の頭を掻きながら、にやけ笑いを寄越してきたものだから、すっかりと毒気を抜かれてしまった。
「イんやあ!すまんねエ!すまんねエ!」
つい数刻ほど前に私を気圧していた一本角は、どうしたことか集落の闖入者である私と、今肩を並べて芋酒を呷っている。
ここは彼女の馴染みの飲み屋らしく、つまみを運んで来る厨房の親父はお得意さんの来店に上機嫌になっており、訪れる客はしきりに店を揺らさんばかりに馬鹿笑いを撒き散らす。
……詫びを言うにはこれ以上無いほど不適な場所だ。
「折角立ち寄ってくれたってのに味な出迎え方しちゃってねエ!まア、あんたにはわけ無い奴等だったろオがねエ!」
気まずいこちらの心境と茶化さず見せるべき誠意をそっちのけにして、彼女は一人で話しては大笑いを繰り返す。
店の開いた時間から今に至るまで、もう大分経つと云うのに、この勢いは全く衰える気配を見せない。
「当人達は本気だったんだよ。『俺等が守る』なんて息巻いてんのは良いんだが、まさかあんたみたいな子に飛び込んでいくほど分別がつかないとはね、思ってなかったよ、ホント」
少し湿った感じを含んで言うものの、言葉以外はあっけらかんな態度を崩さない。子、と呼ばれたことは気になったが、私の力量は見抜いているらしい。
間抜けた顔で酒を呷っているが、矢張り此奴は手練れている。
そして、酒の席での野暮は嫌っているらしい。
私を認めている上で、この場を白けさせるような雰囲気は作ろうとしない様子から窺える。
「ンにしても――」
「何故」
同じ弁明はもう三度目になる。話題がひとつしか無いのだから、当然の事だが。
だが、流石に一晩中耳を貸すのは堪える。私は此処に羽を休める為に寄ったのだ。
しかし何より分からない事がある。
「まア――」
「だから」
これは此奴の主義に反するだろうが、遮ってでも訊きたい。
「何故、お前は戦わなかった」
あの時、私の実力を眺めるだけで判断し、無闇に出てこようとしなかった。
近づく足音に、位置以外の情報を込められるような奴が。
「分からないんだよ。あんたなら、本気でかかってくれば追っぱらえるはずだろ?」
単刀直入に言ってやった。
正直な処、他の全てはもうどうでもよくなっている。
血気にはやる者より、得物に頼るはんちく者より、目の前に居る腑抜けた鬼の不面目。
こればかりはぐらかされたくない。
一本角は少しの間を置いて、困ったような顔になって答えた。
「……お前さんが納得するように答えるなら、只の喧嘩じゃ済まなくなるからってところかな。
本気で闘(や)っちまえば、間違い無く二日は立てなくなるだろうから。
でも、それより大事だったのは――」
漸く眼に力を滾らせて、
「此処は始まったばかりだからだ」
酒呑み半分、話し半分で自分の言った言葉すら覚えていなさそうだった奴は、この理由を話す時だけは意味深長な様子を見せた。
「永く続いた同族同士の小競り合いも、最早無為だってことを、皆気付き始めた。
殴り合うだけが付き合いじゃない、酒の付き合いだってあるじゃないか。
現にこんな風に、どんな奴とでも笑いながら呑める。
なら、協力して生きていく方がいいじゃないかって考え方さ」
手を酒から離し、拳骨を作って、
「握り締めるだけが」
ゆっくりと開き、
「――ゲンコの使い方じゃないからな」
物思うように見つめたあと、また芋酒を持ち直した。くいとそれを喉へ流し込み、調子を戻す。
「そういう訳で、同じ考えに至った鬼達が集まり、この集落が出来た。
捻くれた殺気は振り払い、純粋な付き合いをやっていこうってね。
だから、筆頭の私は怪力乱神さまっぷりを皆に見せるわけにはいかなかったのさ」
そう言って、静かに杯を置いて、酒瓶から残りの芋酒を注いだ。
「さあ、分かってくれたならアンタも顰め面止めて、すっきり呑もうや」
今度はさっきまでの馬鹿笑いのそれとは違う、快活な笑顔を向けて、杯を差し出した。
「どうだい?ん……?」
呆気にとられる。持って生まれたこの力の練磨にのみ、執心してきた私には考えられないことだ。
それをこの一本角の大将は、少しも疑わずに、進むべき道と選び取った。
自らの覇道を捨てて、邪道を歩こうとしている。
そう思うと、この一切の翳りを含まない表情にすらも苛立ちを覚えた。
「遠慮する……」
今すぐにでも拳をその顔にねじ込みたかったが、そうすると店ごと巻き込みかねない。旅中の久し振りの安息が惜しく、穏便に夜を明かしたかった。
「明日早くに発つよ。賛同は出来ないが、宜しくやることだ」
杯を突き返して、椅子を降り足早に宿へ戻った。
「あ……」と一本角の声が尾を引いたが、振り返りはしなかった。
本来なら、迷わず一発打ち込んでいるはずだった。いつもなら後がどうなろうと、当座の憤りを呑みこんだりしない。
今日は、疲れているようだ。
翌日の未明、断わった通りに集落を出て、山路を歩き出した。
仰ぐ曇天は相変わらずで、東の方が僅かに韓紅色を映している。
晴れやらぬ気持ちのまま進んで行き、ふと崖の下を見やると、足下の遥か下に、奴等の集落が小さく見えた。
「……どっちが『子』、なんだろうな」
誰に聞かすともなく呟いた。縦しんば聞いていたとしても、聞き咎められることもあるまい。
力を振るい、道を抉じ開け我を通す。前へ前へと歩いて、繰り返す。くたばるまで。それでいい。
そう言い聞かせ、また道中に戻ろうと前を向いた先、確かに見憶えのある影が遠くに立っていた。
――曇りを晴らす元凶が。
「待ってたよ……いや、待っていたかい?」
立ち塞がる鬼は、飲み屋での彼奴が何者かに乗っとられたような顔を見せていた。
「どうした?」
眼孔には溢れんばかりの気を滾らせ、首筋から下駄を履く素足の先まで青筋が立ち、抑えていた力の強大さを物語っている。
握り拳からはぎりぎりと、固まった肉と肉とが立てる音が響く。
『怪力乱神』は、彼奴の誇張じゃなかった。寧ろその顕現が居るかのようだ。
「私と本気の喧嘩をお望みだったろう?」
垂涎のお膳立てを、神様に感謝したい。憤りはぶり返し、私にも気が漲ってきた。
僥倖な事に、神様は今目の前に居る!
「これほど離れた場所なら、他の皆には迷惑もかからない。さあ、心ゆくまで死合おうかイ!」
相手の誘いに機嫌を良くし、空気を裂くような速さで懐へ飛び込む。
返答が煩わしいので、胸板に右の拳を叩きつけることで応えた。
ぐ……と嬉しそうに呻き声を漏らし、怪力乱神は間髪入れずに肘鉄を私の背中に打ち込む。
予想以上の威力が身体を突き抜けて、地面が瞬時に近づく。何とか意識にしがみつけた。
私は奴の足元を殴って、威力を相殺した。副産物の岩が突き出て、相手は宙へと飛び上がる。
逃がすまいと体勢を整えてから、宙の相手を捜すしたが、視界の何処にも居ない。
驚いた瞬間、虎も怯え竦む声を上げ、背後から奴は強靱な足で私の頭蓋をを岩肌に打ち込んだ。
轟音が山中に響いて、山肌の一部は色を大きく変える。
麓からは大規模な土砂崩れに見えないこともないだろうが、こんな大胆なことは、他の連中の目を気にする奴がやることじゃない。
相手はもう周りを気にしなくなるほど楽しんでいるようだ。
土の棺桶から飛び出した私は、砂埃に紛れ相手の真上を位置取る。
息を切らして未だ岩を凝視し続ける乱神様は、間抜けらしいったらありやしない。
「もらった!」
振り返るのは顔面を狙えと言っているようなもの。
吃驚した顔を見せた時にはもう、全霊の乗った一発が顔全体を歪ませていた。
顔という鞠に身体をくっ付け、地面を転がっていく乱神を見送る。
気を抜いていたのかまともに踏ん張れず、そのままの勢いで麓の方へ跳ね飛んでいった。
最早、与力の残滓も残っていない。立つ力も失せた私は、穴だらけの地面に倒れこんだ。
「勝てないか……奴だろうと」
私の旅を終わらせる者は居るのだろうか。
恐らくはこんな風に道途に倒れ込んで、がらんどうの目で鉛色の空を眺めながら終わる日々を。
終えることが出来たなら、きっとそれに勝る喜びは無いだろうな。
そう考えながら茫然と空を眺めていると、視界が揺れた。
急き立てる声が遠くから響き、徐々に近づいてくる――
―――――さん?
――――姐さん?
―――香姐さん!
――ちる!
騒々しい声が頭の中をかき回す。
首を起こして声の主を捜そうとした刹那、目の前に飛び上がる乱神が現われて、
アッと目を見開く内に、私に拳骨を振り下ろした。
――落ちるって!萃香姐さん!
それが顔にめり込む寸前で、頭の霧は完全に晴れちまった。
繋がった像がわだかまり、ぐにゃりと曲がってまた新しい像を結ぶ。
瞬時に直前までの出来事は夢の彼方に帰結したと分かった。
「萃香姐さん、起きてえ!」
安堵に顔が綻ぶも、目の前の事態が全く変わっていないことに思わず、
「へエ?」 と情けない声を洩らしてしまった。
現へ飛びたした拳骨は、予定調和のように私を圧し潰した。
その日、地底に住まう者たちは驚愕の光景を目撃した。
『岩が、崩れ落ちた。』
天蓋を地盤に塞がれたこの場所では、頭上を注意する習慣は無かった。
時々大きめの礫が落ちてくるくらいで、頑強な彼らにはさしたることではなかった。
でも、その日歓楽街のとある飯屋に落ちてきたそれは、笑って見過ごせるような大きさではなかった。
天からその地盤の一部がまるまるおっこちてきて、街の一角と鬼の一角を簡単にぶっつぶした。
そんな規模のような冗談では、誰も笑える筈がない。
宙に私は居て、どこにも私は居ない。
漂う処に居るけども、私を見つける奴は居ない。
『萃と密を操る程度の能力』は、放蕩者の私にいやと言うほど似合ったものだ。
人を無理矢理呼んで宴会をおっぱじめることが出来るし、大気中に霧散して人知れずぶらつくことも出来る。
金棒を持ったわけではないが、今の私らしさを強く示せるのはこの能力のお陰だ。
殊更に、万事休すの状況を霧に溶けることで脱せられた今では、ここらにおわす神様方みんなに感謝しても足りないくらいだ。
あの『拳骨』が私に深刻なダメージを与えたことは確かだったが、そのまま地中深くに埋められるのは何とか免れおおせた。
残念というか、自業自得というか、勇儀の方は酔夢から帰らぬまま未だ土の中に取り残されているらしい。
未曾有の事態に鬼の連中が慌てふためいているままなのが、その証拠だ。
いつもならとっくに彼らをまとめている筈の彼女が居ないのだから、無理もない。
ならば私はと言えば、そんな狂態をのんびり見ていたわけではない。
勿論一刻も早く彼奴を助け出してやりたいと焦っていた。
焦ってはいたが、今すぐ行動に移れる状態では無かった。
――「『私』は、何処へ行った?」
そう。伊吹萃香という存在は、遠くに散り過ぎてしまい、殆どが喪われてしまっていた。
「あわわわわ…」
突きつけられた現状は、この先とても酒の肴にはしたくない話だ。
居る筈の私という存在はあまりに朧げになっていて、恐らく萃めたとしても以前のような姿には戻れなくなっているだろう。
長年つるんだ親友は地に沈んだまま、自力で戻ってこれそうもない。
どうすればいいのだろうか。茫然と漂ったまま惨状を眺めていると、また自分を呼ぶ声が聞こえる。
「萃香の姐さん、何処に居ますかい!」
どうやら私の姿も見当たらないためか、必死で捜し回っているらしい。
何人もが一斉に叫ぶ中に、つい先ほどに私を夢から呼び戻した声があった。
全くもって不満足な身体だけども、心配させたままにしておけないし、兎に角彼らに無事を伝えようと思った。
「ね、姐さん……」
何とか実体には戻れたものの、元々小柄な身体は更に小さくならざるを得なかった。
膝の高さほどしかないくらいの私を見て、彼らは口をあんぐり開いた。
「寝起きにゃ少々キツい一撃だったよ。出すもん出し過ぎちまったらしい……。やっぱ呑みに無茶はいけないかな」
緊迫した状況では、多少の洒落は意味を成さず、かえって裏目に出てしまった。
深刻な状態であると悟ったらしい彼らは、何とも言えない表情を見せた。
気まずい沈黙を破って口を開いたのは、あの声の主だった。
「まあ、助かってただけでも良かったですなあ。中々起きないまんま、でしたから。待ちきれず先に逃げ出して、大丈夫かとヒヤヒヤしとりましたよ」
あの声は、勇儀の知り合いの飯屋の親父だったらしい。責任を感じてるらしいが、起こしてくれなきゃ『拳骨』をまともに喰らうのは必至だった。
ぎりぎりまで残ってくれたお陰で助かったのは事実だし、逃げ出したことは気にしていないと返すと、親父はまだ謝り足りないようだったが、それ以上の言葉は引っ込めた。
「兎も角、勇儀はあのデカブツの真下だ。何とかして助け出さないと。私はこんな状態だし、皆であれをどかさにゃ」
彼奴の居ない今、私が代わりを務めるしかない。この状況で考えられる最善の判断を促しているつもりだ。
「あ、いや……」
当の彼らはよろしく思わないらしく、見るからに怪訝な顔を見せる。
「だったら、外側から掘り返せば――」
「んや……そいつも、無理かと」
親父はまた申し訳なさそうに返す。
そろそろくどいよ、と思ったが、
「『アレ』はまだ、沈んでるんでさ。姐さん」
と新事実を聞かされると、今度はこっちが申し訳なくなった。
成る程、無理なわけだ。
その途端、頭蓋の奥まで響く音がした。立ってはいられないほどの大きな揺れ。
見上げる『アレ』は確かに動きを止めていなかった。
暫くの間を置いて、周期的に沈降は進んでいるらしい。
「これって、放っておくと……?」
大体の予感はしているが、取り敢えず聞いてみる。
地下の地下まで荒らされ、このままでは八咫烏の管理する常温核融合炉にも影響が出かねない。地底の住人は住処を追われることになる、と矢張り思った通りの答えが返ってきた。
つまり、叩き割ってでも止めなくてはならないということだ。
「じゃ、誰が『アレ』壊すのさ?」
名乗り出る者はいなかった。つくづく不甲斐ない連中だと思う。
私にやれって言うのかい……。
幻滅したが、流石に口にするのは憚られた。
どいつもこいつも、上っ面だけで信用ならない。
久し振りに、孤高を目指したあの頃に戻りたくなるよ。
勇儀が駄目になってる以上、あの『拳骨』を砕ける可能性は私しか居ない。
一刻も早く救出したいのだけれど、今の半端な私ではどだい無理な話だ。
思えば、あの一撃を間一髪で逃れるためには、手痛い代償だった。
全てを免れおおせることは出来ず、私の殆どは『伊吹萃香』であることを忘れて大気の中を漂っている。
何らかのきっかけさえあるならば、再び目覚める筈だけど……生憎、その手段に当てが無い。
萃められないのは、肉体へのショックのせいか。
それとも、酔夢に見た、彼奴の姿のせいだったのか。
『拳骨』の被害は大きいものの、幸い沈降のスピードは遅かった。
ひとまず私は当座の対応として、彼らに周辺の住民の避難を頼んだ。
私はこの身体を元に戻す手段を求めて、一旦地上へ帰って来ていた。
頼る奴と言えば、まず山の河童ぐらいしか思いつかなかった。
「随分小っさくなったもんで……」
藁を掴む思いで訪ねた工房で、河白がした反応は、手を止めてチラとこちらを見、ぽつりと呟いた一言だけだった。
散々急の用だと言っているのに、目の前の河童は気の抜けた反応しかしない。
「だから、かったい石コロを割れるような発明はないのかい!」
「鬼さんの力で無理ならねえ……」
ウチの技術は世界一とのたまう河白の奴も、まともにとりあうつもりすらないらしい。
手元の変なのを分解することより、知れた話か。
「いつも『発明品』を作っちゃ、そこらで煙を上げるあんたなら、相手を簡単に煙にできる発明くらい疾うの昔にやってんじゃないのかい? あの石コロになら何発ぶちこんでも構わないからさ」
「そんな恐ろしいもの作ったら、山から追い出されるよ……」
冷静に返されるのが癪に障る。
嗚呼、もう一発ぐらい、打ちこんでいいよな? と思ったが、生憎顔まで拳が届きそうにない。
代わりにグサリと突き刺す一言でも投げてやるか。
「いやア、情けないねエ、世界一の技術はそんな程度もビビっちまうか?」
「なんですって」
話半分、作業半分で聞き流していた河白がようやっと工具を置いて振り向いた。
「あんまり見下げたようには言ってくれるなよ。確かに何でも作ってみせる気概はあるけどね、なるだけ破壊兵器は作りたくないんだ」
「どうしてだい。機械弄りくらいしか出来ないお前さんらが、私らみたいなのと対等の力を持つなら活かさない手は無いだろう?」
「すぐ叩く、なんて考えがまず根本から間違ってるのさ。
殴りあって、事が済むのは一時の間だけだ。また大きな力で返されて、そしてその繰り返し」
「だから、完膚なきまで叩き潰すんだろうが」
「そうすれば、次はそいつの仲間だ。
キリが無いんだよ。そんで収まりがつかなくなった頃には屍の山」
「そんなところまでは行かないだろうよ」
「簡単に、そ、お、な、る、ん、だ、よ!これが」
この臆病河童が私に説教垂れるとは、驚きだった。
はいはいごもっともと雷同するのが常のこいつがこんなに食い下がる。
いつもは見せない剣幕に、気負けしてしまった。
「……へいへい。技術はあくまで盟友のため、ってことかい」
ばつが悪くて、目を見て言えなかった。
「……力はどこまでも無限さ。
でも扱う私達には限界がある。そこへたどり着いた先にまつのは破滅だけだよ」
そう言って、河白は再び作業台に向き合った。
再び工房内に響くのははカリカリと螺子を回す音だけになった。
今更、ならどうすればいいかとも訊けなくなり、次を当たろうと踵を返した。
「待って」
興味も気分も損ない、黙って見送るものと思ったけど、まだ言い足りないことが有るんだろうか。
「話は終わってるはずだろう?」
「余談は残ってる。こいつを見てくれ」
河白は、話す間ずっと手元に置いていたそれを私に手渡した。というより、押しつけた。
背丈ほどに大きい武器をいきなり渡すなよ。
「実を言うと、あんな話をしておきながら、弄っていたのは武器だったのさ」
渡された『武器』の木製の持ち手部分には、時代を思わせる意匠があしらわれ、二門の筒から火薬の匂いが微かに香る。
相当に使い回されているようで、あちこちに傷や錆が見られた。
「筒に火薬と鉛を詰めて、ノックハンマーの衝撃で撃ち出すものらしい。鉛は無数の欠片になって、対象の全身を穴だらけに出来るって代物だ」
「これが『アレ』を破壊できるのかい?」
「いや、全く役に立たないだろうし、専用の規格で作ってやらなくちゃいけないから、手間もかかる」
「へえ」
「ひょっこり川に流れ着いてきたのも、無理無いね。
こんな面倒と威力の釣り合わない発明なら、外でも忘れられるさ」
「確かに。鉄砲なのか、大砲なのかのどっちつかずじゃ、印象はあやふやになるね」
「そう、分かってくれるならそれで良い」
河白はにやりと不遜そうな顔を見せる。
「持っていくといい。アンタの力にはならないだろうが、元の姿に戻る助けにはなる」
矯めつ眇めつ眺めてみても、これが頼りになるようなイメージは湧かなかった。
傷んだ部品がせつなげに軋む音を立てるだけで、五感を愉しませるような要素は無かった。
鉛の霰より鬼の腕の方が段違いに強いだろうに。
「はあ。これがきっかけになるもんかね」
「きっかけと引き金は同義さ。一発分の弾だけ、込めっぱなしにしてある。何処かで撃ってごらんよ」
そう言って、河白は工房の奥に引っ込んでいった。
一瞬、微笑ましいものを見るような目を見せたのが癪に触った。
やっぱりこいつは、一度懲らしめてやりたい。
「似たもの同士さ、そいつとお前」
その後知り合いの伝手を幾つか頼ってみたが、問題の好転は臨むべくも無かった。
酒呑み仲間が頼もしいのは、呑みっぷりと話の種だけだった。
最後の知り合いに断られた頃には、断続的な地響きが地上の幻想郷でも大きく感じられるようになってきた。
大惨事はすぐそこに迫っている。
これ以上地上にいても埒が明かないので、兎に角地底へ戻ることにした。
身の丈に合わないはんちく武器一つを背負って。
地底が近くなるにつれ、深刻な周囲の変容が感じられた。
粉塵が辺りを包み、煌びやかだった街道は、暗澹に染まっている。
喧騒の一切が消え去って、小さな礫が落ちる音が嫌に目立つ。
例の『拳骨』は、動きを休めているらしかったが、暫く見ない内に大分地面を抉ったようだ。
今やその被害を受けている地域は、当初の倍以上になっている。
視界の端に、明かりの集まっているのを見つけた。
恐らく避難した住人達はそこに居るだろう。まずは現状を聞き出すため、そちらに向かうことにした。
出迎えた鬼達に依ると、既に住人の殆どは安否がはっきりしており、脱出の準備も整いつつあるようだ。
地底の全滅は免れると聞いて、一先ずほっと安堵した。
「姐さんの方は……」
未だ元の状態に戻れぬ私を見て、一人が心配そうに訊いた。
「……見ての通りだ」
「やっぱり、どうにもならないんスか?」
「いや、なるらしい。背中のデカブツがどうにかしてくれるってさ」
「そのヘンテコ砲塔みたいなやつが、スか……」
釈然としないようで、彼らは素直に喜べないようだ。無理もない。
「私にも分からないし、正直成功するか自信は無い。お前達は引き続き準備を頼む」
「姐さんはどうするんで?」
「私は潰れることは無い。それだけは確かだ」
思えば、失意のまま闘いに行くのはいつ振りだっただろう。
殴りかかる相手に不敵な笑み以外は見せた憶えが無かった。
ならば、今回が始めてだろうか。
負けに行くんだ。
そう考えると、引き返したくなる気持ちすら頭を擡げてきた。
でも、このまま向かっていかなければならない理由も有る。
勇儀がまだあの落石の下で眠っているのだから。
私を孤高の道から引っ張りだした張本人――恩人が残っているのだから。
始めて喧嘩に負けた日から暫くは、あの集落の宿で彼奴が最後に見せた顔に苛まれた。
身も心も打ち負かされた、と認めた時だった。
しかし、あの日対峙したのは全くの別人だったかのように、本人はまたいつもの砕けた態度で見舞いに来た。
「イんやあ!すまんねエ!すまんねエ!」
昼間っから酒臭い息を荒げ、絶えず笑い声を響かせるのには驚いたが。
もう少しお前は反省の仕方を見直すべきだ、と言った。
でも、不思議とそれ以上の野暮を言う気にはなれなかった。
それが『星熊勇儀』の一貫した流儀だと分かったから。
誰が言ったか、『強者はいつも笑っている』という格言は本当のことだった。
日がな一日中を仏頂面で過ごす私では敵うはずが無い。
傷の癒えた頃に、仲間に入れて欲しいと頼んだ。
その時から私と勇儀は暫く行動を共にするようになり、次第に友人として呑み合うようになった。
地底の隔離のため会わない時期もあったが、今でも彼奴と呑むときは格別に旨い。
――次は私の番だ。
彼らと別れてすぐに、地響きがまた地底を揺らし始めた。
もう『拳骨』から遠く離れた地域にまで地割れが走っている。
原子炉から死の光が撒き散らされるまで、時間は幾許も無いようだ。
「でか……」
近くで見た『拳骨』は、心なしかそう見えた。
自分が縮んでいるためか。縮み上がっているためか。
気に病む必要は無い。私がやるべきはあくまで彼奴の救出だ。
記憶が確かならば、私と勇儀はこの岩のど真ん中に潰された。
真っ直ぐにこれが地底の底に沈もうとしているなら、彼奴はまだその直下で眠っているに違いない。
「はいなっ!」
勢いよく拳を地面に叩きつけて、後方に土煙を散らした。
『拳骨』自体を砕くことはできないが、既に一度掘り返され、柔らかくなった土を掘り進むなら問題は無いだろう。
「はいっ!はいっ!」
隣を営々と抉っている奴より早く真下に辿りつかなくてはならないので、手は休められない。
何とかあちらより下へ辿り着けるものと思っていたが、案に相違して数百回叩けども追いつける気配がしない。
「はっ!はっ!はっ――」
次第に力が腕から失せて、あっと言う間にヤツに追い抜かれてしまった。
「は、は、は、は……」
無駄な足掻きだった。徒らに拳を痛めただけで、勇儀救出には遠く及ばなかった。
他に手段はないものかと思案していると、肩に提げたはんちく武器のことを思い出した。
疲弊しきった今となっては、対抗する手段はこいつしか無いのだろうか。
この二門に一発ずつだけ込められた弾が、私を助けると河白は言っていた。
「使って……みるか」
砲塔上部のレバーを引いてノックハンマーを外し、二発の弾を確認する。
じめじめする地底まで携行してきたが、火薬は湿気っていないようだ。
手動でセットをしなおして、思い切り上へ振り上げる。
遠心力によって再びノックハンマーは小さな砲塔に固定された。
砲門を前に向け、両腕で押さえた。これでいつでも撃てる。
自分の掘った穴を飛び出して、足下まで沈んだ『拳骨』に狙いをつける。
「らあっ!」
掛け声とともに二つの引き金を同時に引くと、耳を貫くような鋭い轟音がして、粉砕された鉛が無数に飛び出した。
鉛の欠片が凄まじい弾速で突き刺さり、土煙がうっすらと上がる。
――そして次はどうなるだろうか、と待っていたが、何も起きなかった。
「へ……?」
お終い。チャンチャン。あまりに呆気なかった。
「へえ……?」
全く役に立たない。
依然『アレ』は核融合炉を目指し進行中だし、私も小っこいままだ。
やっぱりこのはんちく武器じゃ現状をひっくり返せないじゃないか。
――こんなんじゃ、泥が撥ね上がってるようなもんだ。
そう思って、ようやっと河白の言わんとしていたことが解った。
私が霧散したまま元に戻れないのは、ひとつどころに拘れなかったからだ。
あれやこれや心を動かすから、根っこの自分を見失った。
矢鱈滅法力を圧しつけるから、つまらない結果にしかならない。
一発の弾を、真っ直ぐ全霊で撃ち抜けばいい。
驚くほど単純な話、複雑に考えるなってことだ。
つまり、私の感情をひとつに定めれば元に戻れるんだ。
「よし……」
私はここだと『私』に報せる。見まごうことなく私と分からせて、『私』をここに萃める!
――さんざ、仲間には頼りない奴と思われた!
――地上にでれば、説教喰らって笑われ追い返された!
――弱った体で馬鹿やった!
――――昔のトラウマに、今更怯えさせられた!
――――許さない!
もう一度、自分になるため、孤高に立ち返る。
心を――――
――――――『鬼』にする!
刹那、地底の揺れは更に強まり、私の制空圏のものが砕けた。
力めば力むだけ力は萃まる。気のうねりは思い通りに高まっていく。懐かしい力が帰って来た。
目を開くと、視線の位置は高くなっていた。
私は、『伊吹萃香』に戻った。
今なら、石コロの一つや二つは簡単に砕ける。
『拳骨』はどうやら私に慄いたらしく、地響きは止まっている。
へえ、分相応わきまえたかい、そろそろケリつけてやろうか。
「でいっ」
左手を『拳骨』の後ろに刺し込んで、しっかりと手に固定する。
次に宙へ飛び上がり、容易く穴から引っ張り出した。
思い切りそれを振り上げ、やはり『拳骨』の頭にめり込んでいた勇儀を振り落とした。
脳天から地面に落ちる形になるが、多分問題にはならないだろう。
見上げた視界をすっぽり埋め尽くすほどの大きさは、私をビビらせるにはまだまだ足りない。
掲げた『それ』を上へと突き出し、次いで右腕を振りかぶった。
ゆっくりと息を吸って、ゆっくり吐き出す。
暫く間を置いて、胸からドクンと音が聞こえると同時に、一気に辺りの空気を吸い込む。
右肩から指の先まで力を注いで、奥歯を強く噛み締める。
あらん限りの全霊を乗せきった直後、突き出した左腕を引き寄せた。
喜んでいいぞ。今からお前を撃ち抜くのは、私の――
「――最高潮の、怒りだあああ!」
肩を抑えていた理性を取っ払うと、行き場を求めるように、拳は『拳骨』の真芯を突き抜けた。
一瞬の静寂ののち、思い出したかのように、土くれは粉々になり、地底に砂の雨を降らせた。
不思議と込み上げる怒りは心地良かった。寧ろ、抑えているのが嫌なくらいだ。
――あだ。
――あだだだ。
――あだだだだだだだだ!
暫く気を失っていたらしい。右腕を襲う激痛が、私を眠りの世界から引き戻した。
全霊を掛けた一撃は、束の間の五体満足をまた台無しにしてしまったようだ。
暫くは養生せにゃ。
「……生きてるかい?」
頭の上から、聞き慣れた声が落ちてきた。いや、本人には落としてるつもりは無いだろう。
「心配は要らないよ。それより――」
まだ鈍い痛みがあって、動くのは億劫だが、私が先に立ち上がらなくてはなるまい。
「――アンタにゃ、似合わないザマだねエ」
酔夢から目覚めたばかりの此奴では、気づいてもどうにも出来ないだろうから。
「へ?」
立派な一本角を地面に突き立て、逆さまに向いたまま胡座をかいている奇態は、実に滑稽だった。
「いやア、すまんねエ」
その日から二週間が過ぎて、私と勇儀はまた呑み屋街に戻ってきた。
常温核融合炉には被害が及ばなかったらしく、地底はまた嫌われ者や荒くれ者で賑わい始めた。
鬼の突貫工事は、この地域を除く全てを復旧させ、既に地底は機能を回復させている。
だけども、この馬鹿でかい穴を塞ぐ作業だけは、まだまだ時間がかかるようだ。
こんな状態のここに来たのは、酒を呑むためじゃない。復旧工事の監督と、作業の手伝いのためだ。
「高い処じゃ気を付けろよ!角を地面にぶっ刺すぞ!」
勇儀は見兼ねると、他の鬼どもにこう言い聞かせていた。
自分が言えた義理か、と思ったが、彼奴の尊厳のために黙っておいた。
今回の事件は終結に向かっていた。
だがひとつだけ、尾を引いていることがある。
――そもそもあの『拳骨』は、どうして落ちてきたのだろうか。
地底の街道では、またあれのようなものが落ちてくるのではないかと噂されている。
地盤が緩んだからだとか、地上の奴らの悪戯だとか、諸説がまことしやかに囁かれている。
でもそれらは全部真っ赤な嘘さ。私だけは、その真相を知っているもの。
――私の能力が酔ったまま暴走して、夢の中の彼奴が放った最後の『拳骨』を再現してしまった。
これが、その全て。
黙っておくのは良くないと思う。だが、こんなこと言い出してしまば、地底中が私に怒るのは当然だ。
右腕の痛みはまだまだ抜けきっていない。当分怒りは御免被りたかった。
「それにしてもなア」
「何だイ」
「あたしを圧し潰した岩は、何であんなに強かったんだろうな?」
「さあ、イシの礫だったからじゃないのか?」
「ヘエ、天然自然にゃ敵わないことも有るってことか」
勇儀がだし抜けにそう訊いたときも、私は全く動じず答えた。
なあに、嘘は吐いちゃいないさ。私らは嘘が嫌いだからね。
――あれは、『意思の礫』なんだから。
【了】
それが若干上滑りしている感が惜しいかな。
発想のいくつかは、実際面白い。
名前の誤字も勿体無いですね。