ある春の夕方。
幻想郷でも最も人間が多く住む場所―人間の里―の山吹色に染まっていく道を、一人の女性が静かに歩いていた。
頂点にリボンがちょこんと載った、角張った帽子。奇妙な裾の青いワンピース。
それは里守たる半獣、上白沢慧音の姿であった。
寺子屋で教師をしている彼女は現在、同じく人間の里にある彼女の自宅へ……ではなく、竹林に住む彼女の無二の親友の家に向かっていた。
「慧音先生、さようならー」
「ああ、また明日。」
今日も私は、そんなやりとりを何回かこの帰路の途中で行った。
山吹色に染まり行く人里の道を、私は歩く。
夕日のあたたかさと眩しさに、目を細めつつ。
いつもと変わらない里の風景。
「慧音先生、今日はほうれん草が安いですよ!どうです、今晩のおかずに?」
「ああ、ありがとう。それと、人参と……南瓜も頂けますか?」
「はい、只今!お買い上げありがとうございまーす!」
「あとは……と」
南瓜の煮付けと味噌汁と……何にしようか。
「安いよ安いよー!今日のお勧めは、この虹鱒だー!」
――あれにしよう。
そう思い、私はしきりに声を張り上げる店主に、声を掛けた。
「すみません、その虹鱒、2尾ください!」
「おお先生!いつもお世話になってます!はいよ、虹鱒!」
店主は、虹鱒は塩焼きが旨いよ、と言いながら虹鱒を包み、渡してくれる。
いつもと変わらない道。
……教え子との挨拶を済ませ、夕食の食材を買い、竹林へ向かう。
そしていつも通りに竹林を歩き、妹紅を探す。
今日も竹林は、目の前で静かにざわめいている。
流石に、この広い竹林で彼女の家を探すのは私には難しい。竹の生長は非常に速く、風景がすぐに変わってしまうからである。
なにより、竹の林はどの風景も一様に似通っていて、判別がつきにくいのだ。
――きっと妹紅は、今頃お腹を空かせているだろうな。
そう思うと、またいつも通りに足が速くなる。
……そんなふうにいつもと何も変わらない(実際には変わっている)はずの道も、時として異質なものが紛れ込んでいることがある。
前方に見慣れない物体が落ちていたのだ。
どこぞの妖怪の罠かと思い、私はしばらくその物体をしばらく眺め、辺りを見回して手を伸ばし……結局拾っていくことにした。
その未知の物体に、並々ならぬ興味をそそられてのことである。
「外の世界にいた妹紅なら、何か分かるかもしれないな……」
そんなふうに独り言を零しながら。
日が西に傾きかけているのを見ると、私はそろそろこの弾幕ごっこを切り上げようと思い、仇敵に声を掛けた。
「ちょっと輝夜、そろそろ帰んなさいよ!」
「何よ、自分から呼びつけといて!」
「いいから帰れ!!」
「うるさい!!」
――もうすぐ慧音が来るころだっていうのに!
それなのに、目の前の仇敵は弾幕ごっこを止めるそぶりさえない。
仕方なしにこちらも次のスペルカードを用意する。
……しばらく後。
切り上げよう、と思ったときから随分掛かって、その日の弾幕ごっこはお開きとなった。
いつもと変わらないこと。
「ふん、今日はこのくらいで勘弁してあげるわ」
「粋がるんじゃないわよ。私のほうが1勝多いわ」
「あら、蓬莱人でも頭はバカになるのね妹紅。今日は私のほうが1勝多かったわよ」
「何を!」
「何よ、やろうっての!?」
『上等よ!!』
そして今日もまた、もう一戦始まってしまった。
……またしばらく後。
本当に弾幕ごっこがお開きになったのは、日もとっぷりと暮れ、もう少しで完全に地平線に夕日が隠れてしまう、という頃。
「……はぁ、帰ればいいんでしょ」
「……ふぅ、分かればいいのよ」
仇敵が去ってから少しの間、私は葉が折り重なった冷たい地面に腰をおろしていた。
そして俄かに立ち上がり、ため息を大きく1つ吐くと、薄暗く冷たい空気へと飛び立った。
――きっと慧音が、私のことを待ってる。
思うと、飛ぶ速度も自然と速くなった。
「早く慧音を迎えに行こうっと。」
そんなふうに独り言を零しながら。
二人は思いの外早く合流した。
竹林の中の十字路めいたところで、ばったり出くわしたのだった。
いつもと変わらずボロボロな無二の親友の姿に、里守は呆れたように、くすりと笑みを零すのだった。
「泥だらけですね、妹紅。」
私が言うと、妹紅ははにかんだように、えへへ、と笑った。
「輝夜がまた今日もしつこくて。ごめんね慧音、探したでしょ?」
相変わらず仲が良いのか悪いのか分からないな、と思いつつ、私は、
「ええ。罰として、今日は夕食の下ごしらえを手伝ってくださいね?」
と冗談めかして答える。
えぇーっ、とおどけたように口を窄める妹紅。
そんなふうに軽口を叩きながら歩いていると、いつの間にか妹紅の住む苫屋に到着している。
全く不思議なことだが、いつもこうなのだ。
――まったくどうやって、妹紅は自分の家を探し当てているのだろう。
苫屋の中は殺風景で、必要最小限の家具や食器以外は何も無い。
妹紅曰く、もともと放浪生活をしていたせいか、荷物が何も無いほうがむしろ落ち着くのだという。
「お腹空いちゃった、早く準備しましょ」
行灯に火を灯しながら、妹紅が明るい声を発する。
「あぁ、そうですね。」
妹紅と一緒だと、炎には困らない。
従って、料理も楽に進めることができるのだ。
……下ごしらえは、妹紅の手伝いもあって予定より速く終了した。
ちょうど同じ頃米も炊き上がり、その日の献立を見ると妹紅は、もはや待ちきれない、とお腹の音で主張した。
私たちはその余りの音の大きさに、お互いに顔を見合わせて、くすりと笑うのだった。
南瓜の煮付けと味噌汁と虹鱒の塩焼きを平らげると、私は手を合わせ、
「ご馳走様!」と大きな声で慧音に告げた。
お粗末さま、と呟く慧音。
「やっぱり慧音の作るご飯は美味しいね」
そう言うと、慧音はしっとりと微笑み、ありがとう、と答えた。
すると、俄かに慧音は何かを思い出したかのように手をぱんっ、と打った。
「そうだ、妹紅に聞きたいことがあったんです」
そう言って、持ってきていた手提げから、二つ折りになった白い板のような物を取り出した慧音。
「ねぇ、これ何?」
未知の物体に、興味津々の私。
「あぁ、妹紅も知らないですか……」
目に見えて落胆する慧音を見て、私は、へっ?と素っ頓狂な声を挙げてしまう。
「じゃあ、慧音もこれが何か分からないの?」
「ええ、そうなんです。外の世界を見たことがある妹紅ならあるいは……と思ったのですが」
二つ折りになった白い板のような物を手渡してもらい、私はそれをじっくりと眺める。
全く見覚えがないや、と思いながら、
あちこち弄繰り回してみるけれど、何の道具なのか皆目見当もつかない。
「ねぇ慧音、」
「何か分かりましたか?」
「慧音の周りで、誰か詳しいやつとかいないの?こういう道具に」
私の問いに、少しの間考え込む慧音。
やがて、あっ、と慧音が声を挙げる。
「1人だけ、思い当たる節が。森近という男なのですが……」
「じゃあそいつに聞いてみようよ」
「いえ、その……」
何故か口ごもる慧音。何か問題があるのだろうか。
「その、彼とは、面識が全く無くて……」
「何だ、そんなこと?それなら、この機会に会ってみればいいじゃない」
「えっ?」
「里守でしょ?女は度胸!何でもやってみるのよ」
慧音は、戸惑ったようにしばらく思案して、
「……そうですね。じゃあ、明日会ってみます。」
と言った。
「いや、私も行くわよ?私もそいつに用ができたからね」
「えっ、それって……」
「そう。私も用途が分からない物を持ってるの」
そう言って、私は土間まで歩いていき、丸い壷を抱えて戻った。
そして壷を引っ繰り返し、中にあった物を慧音に見せる。
「最近集め始めてね。一緒に私も鑑定してもらうよ」
そう言って私は、にっと笑った。
幸いにも明日は寺子屋は休み。
だから、ゆっくり慧音と出かけられる。
翌日。
里守は無二の親友の家で一夜を過ごした。
二人は朝食を食べ、前日の用途不明の品々を風呂敷に包み、ゆったりと準備をする。
彼女たちが苫屋を出たのは、卯の刻(午前6時頃)。
竹林から人間の里へ、人間の里から魔法の森の入り口にある森近霖之助の店、香霖堂へ。
徒歩で到着する頃には、時刻は辰の刻の半ば(午前8時半頃)になっていた。
「それにしても、慧音でも人見知りなんてするのね」
歩いていると、妹紅がそう意外そうに話しかけてきた。
「えっ……というと?」
「ほら、昨日のことよ。私が『じゃあそいつに聞いてみようよ』って言ったら、慧音ったら『面識が無いから』って言って、抵抗があるように見えたから」
私は昨日のことを思い返してみる。
そしてそのときのことを思い出してなんとなく恥ずかしくなり、明後日の方向を向いて何とか話題を替えようと試みる。
「そっそういえば、昨日寺子屋の女の子が……」
「誤魔化さないでよ~」
……そんなことを言い合っているうち、香霖堂へ到着した。
奇妙な建物で、そこはかとなく浮世離れした印象を受ける。
そして建物の周りには用途不明の品々が乱暴に置かれていて、あまり歓迎的態度は伺えず、外観を見ただけでは、開いているのか閉まっているのか判別できない。
意を決してノブを捻り、重たげな木製のドアを押し開く。
すると薄暗い店の奥から、「いらっしゃい」と無愛想な男性の声が聞こえてきた。
声の響きからして、歓迎はされていないようだ。
だいたい店内のこの暗さと雑さでは、営業をする気があるのかどうかすら疑わしい。
――もしかすると、まだ開店前なのでは?
私のそんな考えをよそに、ずかずかと店内に足を踏み入れる妹紅。
「あなたがこのお店の店主の…あー、森近さん?」
「ああ……そうだけど……何か用かい?」
馴れ馴れしく話しかける妹紅と、店主の癖に客に対して冷ややかな森近。
二人の温度差があまりに激しい。
そんな様子と入りにくさから、私は入り口で立ち止まってしまう。
「どうしたの慧音、早く入っておいでよ」
いつまでも玄関に立っている私のほうに向き直って、妹紅は言う。
件の風呂敷包みを持っているのは私なので、妹紅にとっては私がいないと困る。
正直に言うとあまり入りたい空間ではなかったが、入らなければ私の目的も果たせない。
私はついに、埃っぽい店内に入っていくという決心――決心というと大袈裟なように聞こえるかもしれないが、私は埃っぽい場所が大嫌いなのだ――をした。
店内に入ってみると、見慣れない物のあまりの多さに目移りがしてしまうが、どうやらそういった「外の世界の道具」だけ扱っているわけではないようだ。
「冥界の道具」「人間の道具」「妖怪の道具」……そう棚に札が貼ってあり、本当に何でも取り扱っていると分かる。
ここは、私がいつもいる「日常」とは、少し離れた場所にあるのだ――今日持って来たこの品々のように。
そうして店内を進み、店主――森近霖之助――が座っている机の前まで辿り着くと、私はお辞儀をし、挨拶をすることにした。
「お初にお目に掛かります。私は――」
「上白沢慧音さん、だね?」
途中で話を遮られ私は少しムッとするが、森近はそんな事はお構いなしに話を続ける。
「いやぁ、里守のあなたにまさか来ていただけるとはね。歓迎するよ。どれでも選んでいくといい、安くしておくよ」
いきなりこれである。
私は些か戸惑いを覚えながらも、続けることにした。
「は、はぁ……まあ、あとで選ばせていただきます。その、今日参ったのは、この外の世界のものと思しき用途不明の品々を鑑定していただきたいからなのですが……引き受けていただけますか?」
そう言って、私は風呂敷包みを差し出す。
「ああ、もちろんだよ。そういった品々のために、この店を開いたわけだからね、僕は」
そう言って森近は笑ったが、私は彼のことを好きになるのは難しそうだと感じた。
何はともあれ店主、森近の快諾を得ることに成功した私は、その風呂敷包みを解き、中身をむき出しにした。
――ついに鑑定が始まる。私の拾った物はどういう物なんだろう。慧音の役に立つ物だといいな。
そう思うと、私はなんだかワクワクして、その気持ちが顔に滲み出てしまっているのが自分でも分かった。
今広げられた風呂敷の上に乗っているもの――持ってきた物――は、以下の物。
虹色に輝く鏡。
柔らかい瓶。
小さな金属の筒。
穴の開いた硬貨のような物。
そして、慧音が拾ってきた二つ折りになった白い板のような物。
どれも、私には何なのか見当もつかない。
とりあえずこれらが何か鑑定されるまで、私は店内を物色することにした。
しばらく店内を物色していようと思い、私はゆっくりと「外の世界の道具」と書かれた札が貼ってある棚に向かって歩き出す。
「ああ、これは『CD』だね」
予想外に早く後ろから森近さんの声がしたので、思わず私は振り向いてしまう。
「もう鑑定できたの?!」
「もう鑑定できたんですか?!」
私と慧音の声が重なって、店内に響く。
その様子に森近さんも少し驚いたようだったけど、すぐに話を続けた。
「ど、どうやら音楽がこの中に詰まっているみたいだ。どうやって音楽を取り出すのかまでは分からないけどね」
私はため息を1つ吐いて、憮然と呟いた。
「じゃあ、現状ただのがらくたなのね?」
「そもそも形が無い音を、どうやって詰め込むのです?」
「さあ?それが分かれば苦労しないよ」
見た目は悪くないしインテリアにでもするといい、と森近さんは小さく呟き、次の品、柔らかい瓶に目を移す。
「ああ、これは『ペットボトル』だ。最近はよく落ちているよ」
またもやすぐに鑑定してしまった。
私の次の興味はその『ぺっとぼとる』という物に向いた。
「まあ、幻想郷に普及している瓶と用途は変わらないよ。ただ、こちらのほうが軽い。材質上の問題で、強度は劣るだろうけどね」
森近さんは、少し汚れているだけだし洗えば使用には堪えると思うよ、と言うと、『ぺっとぼとる』に興味を無くしたように小さな金属の筒に目を移した。
私が、またどうせすぐに鑑定してしまうだろう、などと考えていると案の定、森近さんから声が挙がった。
「ああ、これは『電池』だね。そとの世界の燃料の一種だよ。ただ――」
「エネルギーの取り出し方が分からないのですか?」
慧音が途中で口を挟む。
「ああ、そうなんだよ。まあそちらのお嬢さんの言った、『現状ただのがらくた』さ。」
結局役に立たない物だと分かると、「きっとあとの物も『現状ただのがらくた』だろう」という気がして、急に気持ちが冷めてしまった。
私は再度、ゆっくりと「外の世界の道具」と書かれた札が貼ってある棚に向かって、歩き出した。
背の高い棚には、さまざまな道具――恐らくは『現状ただのがらくた』の道具――が乱雑に並べられていた。
大きくて重たげな、蛙と思われる色褪せた像……臙脂色と乳白色のツートンカラーの、お弁当箱みたいな物……
口のついた、巨大な箱……開閉するようになっている円盤状の薄い箱……鼠みたいな物体……。
私がいる「日常」では、見ることは絶対に無い物ばかりで、どれもこれも、用途なんか見当もつかない。
けれど、見ていて全然飽きない。
――あとで慧音を誘って、この辺りを物色しよう。
そう思うと、先ほどのワクワクがまた波みたいにぶり返してきた。
慧音は頭がいいから、きっと一日いても話が尽きないだろう。
そんなふうにあれこれ思いを馳せる私の耳に、二人の会話がそこはかとなく聞こえてくる。
「これは『50円玉』。外の世界の貨幣だよ……ああ、こっちは『携帯電話』だね」
森近さんの口から出た『けいたいでんわ』という語句になんとなく興味を惹かれ、自然と「外の世界の道具」と書かれた札が貼ってある棚から、森近さんが座っている机の前の方向に足が向いた。
そんな私にはお構い無しに、森近さんは話を続ける。
「これは離れた場所にいる、同じ物を持った相手と会話ができるという道具だよ。まあ、ご想像の通り『現状ただのがらくた』なんだが……おや?電源がまだ入るな」
森近さんが理解不能なことを呟くと同時に、ただの板だったはずの物から、ヴ~ンという極めて異質な音――いわば「非日常」の音――が零れた。
黒一色だったはずの表面には、どういう細工か万華鏡のような、美しい色の動く模様が浮かび上がった。
その様子を見てその場に居合わせた私たち全員が、目を丸くした。
「森近殿……これはいったい?……森近殿?」
「……ついに使えるのか?携帯電話が?」
言葉が届いてない様子で、何やらブツブツ呟いている森近さん。
「森近さーん?」
「森近殿?」
二人して呼びかけていると、森近さんは俄かに立ち上がって、支離滅裂に早口で叫んだ。
「済まないがこれの調査をしたい、出てってくれないか、今日は閉店だっ!」
「ちょっと待ちなさいよ、その道具を返してよ!」
そんな私の声も今の森近さんには届いていないのか、『けいたいでんわ』と風呂敷包みを持って足早に裏に引っ込んでいってしまう。
扉の閉まるバタン、という音と同時に慧音は、「ちょっと待っていて下さい」と早口で呟き、森近さんを追いかけて、裏に引っ込んでいく。
かくして、1人ぽつねんと取り残された私。
その後、扉の奥から慧音と森近さんが言い争う声が聞こえてくる。
――あの温厚な慧音が、何を言い争っているんだろう?
恐る恐る中を覗くと、普段からは想像もつかない慧音の姿があった。
その細い腕のどこにそんな力があったのか、慧音は森近さんの胸座を掴んで高々と持ち上げていたのだ。
そのまま慧音は、かなり激しく森近さんに詰め寄っている。
「あなたがやったのは言わば盗人と同じ行為だ、分かってるのか?!」
「分かった、分かったから、上白沢さん、落ち着いて!」
「よりにもよって妹紅の物を盗るだなんて!!」
「~~~~~~~~!!」
「~~~~~~!!」
「~~~~~~~~!!」
「~~~~~~~~~~!!」
「……」
あまりの光景に、私は尻餅を搗いてしまう。
ドン、という少し大きな音が店内に響き、慧音と森近さんがこちらに気付いて、こちらを向く。
我に返ったらしい慧音は、森近さんを急いで降ろすと胸座から手を離した。
そんな光景の一部始終を、私は目を白黒させながら見ているだけだった。
その後、里守と店主はお互いに頭を下げあい、平謝りに謝った。
「興奮で思わず頭に血が上り、あんな行動に出てしまった」と。
その後調査の為に預からせてほしい、と改めて店主から要請され、里守は快く了承した。
しかしそんな中、里守の無二の親友は蚊帳の外であった。
彼女が膨れ面をしている間にも、会話は進んでいくのであった。
「本当に申し訳ありません、森近殿……」
「いやいや、こちらこそ……興奮していたとは言え……」
私は森近殿に掴みかかったことを詫び、森近殿は私たちの道具を持ち去ったことを詫びる。
「いやいや、そんな」
「そんなそんな、こちらこそ」
もう何度、このやり取りをしたろう。
「どうしてどうして」
「いやいや……」
私たちをそのやり取りの繰り返しから引き離したのは、妹紅が両手を叩く、ぱぁんという乾いた音だった。
「もういいでしょ!もういいから!」
長い長い私たちのやり取りにに辟易していたのか、眉間に皺を寄せている。
それが、何とも可愛く見える。
妹紅の言葉を聞いて森近殿は少しの間妹紅を見て放心していたが、何がおかしいのか急にくすりと笑った。
そしてコホンと1つ咳払いをすると、早口で話し始めた。
「あー、上白沢さん?お詫びといっては何だけど、品物を安くさせてもらうよ。どれでも三割引だ。自由に持ってきてくれ給え。」
「そうだよ慧音、何か選ばせてもらおう!」
「そうですか……ではお言葉に甘えて」
とわたしが言うが早いか、急に妹紅の手に引っ張られ、私は転びそうになる。
「ちょ、ちょっと妹紅…?」
帰ってきたのはむっつりした沈黙だった。
何故か不機嫌な横顔の妹紅。
「ど、どうしたんですか?」
「……いや、別に」
そのまま私は妹紅の手に引かれて「外の世界の道具」の棚に向かって歩き、品物を物色することにした。
「どれでも三割引」に釣られたわけではないが、この時私は、森近殿はあながち悪い人間――いや半妖怪ではないと考えていた。
店内は暗い上に棚じゅうが興味深いもので埋め尽くされていて、その奥までは目を凝らさないと良く見えない。
……ふと。
「ん?」
棚の奥に更に興味深いものを見つけた。
気分がイライラしてる。
理由は判ってる。慧音と森近さんが、ずっと私のことを蚊帳の外にしてたからだ。
そうじゃないって分かってるのに。
そうじゃないって分かってるのに、慧音のことを取られたような気がして。
ついつい、ムキになってしまった。
私は気を取り直して、私は慧音と一緒に品物を物色する。
……ふと。
「ん?」
後ろから、何かを見つけたような慧音の声。
「どうしたの、慧音?」
「これ、見てください!」
そう言われて、私は慧音の手の中を覗きこむ。
それは、穴のたくさん開いた、陶器製の不思議な形の物体だった。
「……これは何?」
余りにも不思議な形をしているので、思わず慧音に聞いてしまった。
――何て表現したらいいのかしら?ふっくらした流線型から、これまたふっくらと出っ張って……とにかくとても奇妙な形をしてる。
「『オカリナ』という、外の世界の楽器です。前から興味があったんですよ」
嬉しそうにそう話す慧音。
楽器にも興味があったんだ、なんて思っていると、慧音はさっさと森近さんのところへ持っていってしまった。
お金を払って、袋に包んでもらい、慧音はこちらに帰ってくる。
とってもご機嫌そうだ。
そんなを慧音の顔を見て、不機嫌な気持ちも見る見るうちに夏の氷みたいに無くなってしまった。
欲しかった物も買えたし、鑑定もしてもらえたし。
「じゃあ、そろそろ帰る?」
「そうですね」
そういうことになった。
「またのお越しを」
後ろから淡白な森近さんの声。
「また来ます」
これまた淡白に答えたのは、慧音だった。
店を出た里守と無二の親友は、人間の里にある里守の家に帰るために歩き出す。
鑑定と買い物が終わり、歩き出したのは辰の刻半(午前9時頃)。
おおよそ四半刻(約30分)店にいたということになる。
2人にとってこの四半刻がかなり濃い物であったことは言うまでもないだろう。
人間の里にある里守の家に着くと、無二の親友は慣れた様子で玄関で靴を脱ぎ、それに家主のはずの里守が続いた。
そして軽い食事を済ませると、はたして二人は先ほどの「外の世界の道具」について会話を始めた。
「ところで慧音」
最初に口を開いたのは、私の向かいに座っている妹紅だった。
「ん?なんですか?」
口を拭きながら私が答えると、妹紅は風呂敷包みを私のほうへ差し出して言った。
「これ、どうするの?」
「ああ、それは妹紅が拾った物ですから、自由にして結構ですよ」
正直に言うと、どれも珍しいし、見た目が良いので欲しくはある。
けれど、もう子供では無いので我が儘を言うわけにもいかないだろう。
「じゃあ、慧音の家に置いておこうよ」
家に来たお客に見せてあげるのもいいんじゃない、と気前良く妹紅は言う。
「えっ……本当ですか?」
思わぬ事態に、ついつい声が上ずってしまう。
まさかこんなに興味深いものが手に入るとは思ってもみなかったのだ。
「うん、いいよ。それにしても……」
「どうしました?」
まだ声が少し上ずっている。
「あの『けいたいでんわ』とかいう道具だけど、もし私たちが持っていたら、どんな生活になるかしらね?」
そう妹紅に言われて、私ははたと森近の言葉を思い出す。
――これは離れた場所にいる、同じ物を持った相手と会話ができるという道具だよ。
私は想像する。
もし……
もしあの『けいたいでんわ』があったなら。
寺子屋の生徒だけではない、この幻想郷中の人々――否、妖怪などとも、いつでも連絡をとることが可能になる。
何より、妹紅ともいつでも話すことができる。
何と喜ばしいことだろう。
しかしふと、私の脳裏にある考えが浮かんだ。
もし話しかけたときが、相手に都合が悪いときだったら?
例えば、弾幕ごっこをしているときだったら?
異変の真っ只中だったら?
妖怪に襲われているときだったら?
話している暇など無いはずだ。
それに、あんな物が無くても、この幻想郷はそこまで広くはないから、会話しようと思っても、そこまで難しくはないのだ。
その結果、私は、『けいたいでんわ』は私には必要ない、という結論に達した。
私は想像する。
もし……
もしあの『けいたいでんわ』があったなら。
いつでも慧音と会話することができる。
あの仇敵を呼びつけて、弾幕ごっこを吹っかけることもできる。
しかも、場所を限定されることもない。
これはすごいことなんじゃないだろうか。
そこまで考えて、はたと気づいた。
私は今までいろいろいろな所を旅してきた。
その広さに比べたら、この幻想郷の広さなんて大したことはない。
慧音と会話を楽しみたくても、仇敵に弾幕ごっこを吹っかけたくても、飛んでいけば時間はそう掛からないはず。
それに、そうして移動しながら今日は何を話すかを考えるのも、会話の楽しみの一つなのだ。
それに……
顔を直接合わせない会話なんて、邪道だ。
そう考えると『けいたいでんわ』も、私にとっては二つ折りになった白い板でしかない。
その結果、私は、『けいたいでんわ』は私には必要ない、という結論に達した。
「……別に必要ないか。」
「……そうですね。」
「そうだ、今度オカリナ聴かせてね?」
「ええ、下手くそだって言われないように練習しておきますよ」
そう言って、私たちは笑いあった。
ああ、私たちが今ここにいる。
顔を合わせて会話している。
それでいいのだ。
いつも、どこでも繋がっている必要は無い。
さまざまに思いを馳せた2人だったが、結局は同じ考えに到達した。
――狭い幻想郷では、携帯電話は不要。
外の世界で必要とされなくなった道具は、この幻想郷でも必要とされることは無かった。
悲しいことではあるが、「彼らはついに休むことができた」と見ることもできる。
まだまだ気候は安定することはないが、これから気候も安定し、過ごしやすくなるだろう。
桜が咲く季節が、すぐそこまで迫っている。
妹紅も儚では永夜抄と口調が違ってて少し戸惑いますよね。