Coolier - 新生・東方創想話

ブラッディー・赤蛮奇ー・ビキニ

2020/01/12 17:44:38
最終更新
サイズ
63KB
ページ数
1
閲覧数
2932
評価数
13/22
POINT
1710
Rate
15.09

分類タグ

 『血塗られた便器』──赤蛮奇
 
 鯢呑亭で飲んでると、マジで自分が幻想郷で一番マシな奴なんじゃないかって思えてくる。この店がいつから出来たか忘れたけど、みんなが認知し始めた頃には、人里の至る所に新鮮なゲロがばら撒かれていて、それでも、みんな幸せそうにしてたっけな。

 笑えねー。
 我が竹馬の友の今泉影狼くんを待つ間に、趣味でもなんでもない人間観察を済ましておく。ほら、わたしって、一応は人里に住んでる妖怪なわけだからさ。こんなところで酒を飲んでヘマをやらかすような真似はしないけど、一応ね。
 つっても、こんな風に 神経質になってるのには、訳がある。昨日の朝、新聞を開いてみたら、人里に紛れてた妖怪が退治されちゃったんだって。そりゃ、わたし以外にも住んでいる奴はいるけど、そういう奴って、みんなわたしみたいに賢い奴だと思ってた。

 そいつが人里に住んでてなにか被害があった訳じゃない。もちろん、表に出てないだけで、なにかやらかしてた可能性はある。でも、誰もそこは気にしない。だって、幻想郷じゃあ年間何人もの人間が病気や事故で死んでるんだから。でも、それらが妖怪の仕業じゃないとは言い切れないでしょ?
 不審な死はみんなわたし達のせいで、その恐怖がわたし達を潤わせる。よく出来てると思うよ、誰が考えたか知らないけどさ。
 
 でも、こんな時間まで飲んでるここの奴らの無神経ぶりと来たら、マジでいっぺん死なないと治らないと思う。つい最近に妖怪が人里に住んでるって話題に上がったのに、こいつら、それが例外中の例外だと思い込んでる。
 笑っちゃうぜ。賭けてもいいけど、この店の看板娘も十中八九、妖怪の類だぞ。名前は忘れたけど、あの看板娘はお尻をふりふり歩き回りながら、おっさん達の羨望の眼差しを受けてる。みんなが自分を強く見せようとしてる。どんなに頑張っても、妖怪には敵わないっての。

 それにしても、今泉の奴が遅いから、だいぶ酒が回って来た。あいつと里で待ち合わせする時には場所を伝えるのが面倒だから、わたしの匂いの染み付いた「なにか」を貸してやってるんだけど……匂いを辿って来いってことね。犬扱いするとキレるんだけど、面倒だからって、そこのところは容認してくれてる。妖怪のアイデンティティみたいなもんが、どんどん希薄になってってる気がするよ。

 わたしは便所に行った。鯢呑亭の素晴らしいところとして、便所が完全に男女で分かれてる。まあ、この店の客の男女比的にそうする必要なんか無さそうだけど。
 一つだけ空いてる個室の扉を開く。そして、刮目する。
 
 便器が真っ赤に染まってるじゃないか!
 
 アルコールで鈍った鼻でも、ようやく感じ取れるようなほどに薄い血の匂い。まるで呪いでもかけられたのかってくらいに真っ赤っかな便器から、確実に漂ってくる。しばし途方に暮れて、自分がなんのためなここに立っているのかを思い出す。
 血に染まっているから、なんだ?それだけで便器が自分を見失うとでも?
 出すもんも出してから、再び便器を睨み付ける。
 便器はこびり付いた血液以外の全てを流してくれていた。
 
 それでこそ便器と言うものだ。

 ※

 もしかしたらこの店で酒を飲んでる連中はみんなわたしの味方なんじゃないかと思い始めるくらいに酔った頃、ようやく今泉がやってきた。頭を頭巾で絞って、獣の部分が露出しないようにしてる。野郎の美貌に、店の雰囲気が少しだけ色めき出す。
 「ごめーん、遅れちゃって」
 「気にすんな」
 今泉はわたしの対面に座ると、せっせこ働く看板娘に酒と料理を注文した。
 「いやね、この辺、飲み屋ばっかりでさ、酒の匂いで鼻が鈍っちゃったのよ。マジで、全然あんたの居場所がわからなかった」
 「でも、よく来れたね」
 「おしっこした?」
 「……」
 「酒の匂いに紛れて、急にあんたのが香ってきたのよ。それで、この店だ!ってなったの」
 今泉のノーテンキぶりと来たら、この店の誰にも負けてない。

 看板娘が注文した通りのを持って来て、今泉と遅めの乾杯をする。今までなにをしてたのか知らないけど、グラスの中が一瞬で空になって、背中を向けたばかりの看板娘に同じのを注文する。
 「いやー、疲れちゃった」今泉は小さくゲップした。「肉体的にじゃないの、精神的にね」
 「なにかあった?」
 今泉が馬鹿を見るような目でわたしを睨んだ。で、店の中を睥睨してから、テーブルに身を乗り出してくる。
 「やんのか、コラ!」思わず身構える。
 「やらないわよ。ていうかさ、あんた、なんとも思ってないの?」今泉は声を低くした。
 「なにが?」
 「里に住んでた妖怪が退治されちゃった話よ」
 わけもなく周りを見てしまった。わたし達の話に聞き耳を立てている奴がいるわけではないけど、可愛い女の子の二人組がこの店にいるってだけで、結構、異質だからさ。
 今泉に視線を戻すと、なにげにしおらしくしてるから、ちょっとだけキュンとしてしまう。
 「怖くないの?あんた、里に住んでるんじゃん。退治されちゃうかもしれないよ」
 「別に。だって──」
 
 妖怪が里に住んでるわけないだろ!

 「──ほらね」
 店に漂う一致団結のムード。どこかのおっさんグループのリーダー的存在が高らかにそう宣言すると、他の奴らが同調するようなことを言ったり、頷いたりする。曰く、退治された妖怪はたまたま人里に紛れ込んでいただけ。曰く、妖怪なんぞ人間が束になればどうということも無い。曰く、巫女が……

 この薄ら寒い人間どもめ!でもね、ここでなにかアクションを起こしちゃうと、生活がパーになる。だから、わたしと今泉は、おっさんグループの会話に耳を澄ませてる。
 生活がパー、か。家畜が野生で生きられないように、人間なんかと暮らしてる妖怪に、他の居場所なんてない。わたしが人間を敵対視していたとしても、変わらない。他の妖怪達のコミュニティに馴染めなくなってしまう。仲間外れにされるってことじゃない。ただ、身近なところでズレを感じる。人間の物差しで物事を考えてしまう時がある。

 おっさん達の武勇伝は苛烈さを増していく。妖怪を五匹退治したことがあると言う奴が現れれば、俺は十匹倒したと言う奴が現れる。十匹が二十匹になって、四十匹になる。
 今泉が忌々しそうに舌打ちをする。
 「怖いわー、妖怪の恐ろしさを知らない人間、ほんと怖いわー。ああいうの見ると、襲いたくなっちゃう」
 「イキんな」酷く冷静に制してしまった。「世の中にはわたし達より強い人間もいるんだぞ」
 「そうね。だからこそよ、赤蛮奇?」
 「ん?」
 「いい加減、草の根に入らない?」
 またその話か、的な顔をしてみせる。こいつと会うといつもこれだ。二言目には(今日はちょっと多かったけど)、草の根妖怪ネットワークに入らない?
 ぶっちゃけ、ありがたい。誘われるのは本当に嬉しい。わたしを飲みとか遊びに誘ってくれるのって、今泉くらいのものなんでね。
 「今日だってさ、あんたが心配で誘ってあげたんだからね」酒が良い感じに入ってる今泉。
 「はいはい」
 「心細いよー、怖いよー、って泣いてないかなって」
 「お前だろ、それ」
 「とにかく、草の根に入ったら今より情報のやり取りも楽になるよ。お互いのためなんだって、ねえ、赤蛮奇」
 お互いのため、か。思わせぶりな笑って見せる。今泉の顔が少しだけ綻ぶ。そこで言ってやる。
 「ダメだ。お互いのためなら、余計にダメなんだよ」
 「……」
 
 露骨に残念そうにする今泉を見るにつけても、抱きしめてやりたくなる。でも、今泉はわたしの答えがわかっていたようで。
 「はいはい。あんたってば、本当に寂しい人ね」
 「人じゃねーし」
 「じゃあ、どうして里なんかに住んでるのよ?」
 酒に逃げる。今泉は、やれやれ、と言った感じに肩をすくめて、便所に行こうとする。
 「おい、便所はやめとけ」慌てて止める。
 「どうしてよ?」
 「血がこびり付いてた」
 「じゃあ、外でしてきて良い?」
 「良いわけないだろ!」
 「大丈夫よ、ちょっとだけなら、血の匂いなんかでトばないから」
 「……本当に?」
 「心配してるの?」
 「自分のな。さっさと行けよ」

 見やると、おっさんのグループが店を出ようとしているところだった。おっさん達はまだ妖怪について話していた。無聊に任せて聞いてみることにした。

 わかるんだよね、俺。
 なになに?
 さっき便所に入ってったあのマブい姉ちゃん、妖怪だぜ。
 マジすか⁉︎
 冗談だよ、冗談。

 今泉が便所から戻って来る。
 「はあー、結構飲んだかも……なんで笑ってるの?」
 「いや、ね」グラスに残った酒を一気に飲み干す。「例の退治された妖怪って、どうして妖怪だってバレたのかなって」

 ※

 しこたま飲んでから、わたし達は夜の里を歩く。夜と言うだけあって人も疎らで、わたし達は自分達が妖怪であると隠すこともせずに話し込む。どこにいたって、こんな風に大胆に生きられたら良いのにと思う。
 「赤蛮奇さぁ、人間の一膳飯屋で働いてるんでしょ?」
 今泉の口ぶりから勝手に悪意を感じ取ってしまう。人間のために働いてるんでしょ、妖怪の癖に?
 でも、それがただの被害妄想だってわかっているから、わたしはただ頷く。
 「どう?」
 「どうって、なにが?」
 「なんかこう……人間め!ってなること、ないの?」
 しばらく夜風に当たりながら、考える。考えるまでもない。
 「なんかさ、今日のあんた……」今泉の方を睨みつける。「やけに人間に厳しくない?」
 自分でもそんなつもりが無かったらしくて、今泉がちょっと狼狽る。このノーテンキ野郎が。
 「例の里に住んでたって妖怪の話を聞いてさ……」
 「わかるよ」
 「あんたが人間にムカついて、襲ったりなんかしたら……」
 そんなことはあり得ないとしても、妖怪にも衝動ってもんがある。
 「この人間め!ってなることはないけどよ、こいつめ!ってなることはあるよ。人妖問わずね」
 「そうなの?」
 「誰でも良いからぶちのめしたくなる時もある。でも、それって……」
 「うん。あんただけじゃない」
 「そうだ」
 「人間も人間を殺すし、人間が妖怪を殺すこともある。もしかしたら、今回はたまたま殺された方が妖怪だったってだけだったのかもしれない。そんな風に思うよ」
 
 静かに暮らしてれば喧嘩沙汰も起こらないし、それがわたしには出来てる。里の中には秩序がある。無論、里の外にもそれらしいものはある。でも、命の取り扱いに関して言えば、里の中の方がずっと慎重で、安全。わたしはそんな所に惹かれて、ここに住んでいるのかもしれない。
 一歩外に出たら、血の気の多い奴らもいるわけだから。喧嘩を楽しむ奴や、それを見て楽しむ奴。
 そんなの、怖いもんな。

 わたし達は家を目指して、とぼとぼ歩く。
 途中、兎のカッコをした女の子の二人組が、わたし達に道を訪ねて来る。すいません、鯢呑亭って、どこにあるんですか?
 こいつらは里じゃ結構有名な団子屋だ。兎の耳の被り物をしたキュートな店員……なんて広まってるけど、一目見ただけでわかる。こいつらも妖怪の類だ。
 だから、親切にしてやることにした。わたし達は鯢呑亭への道のりを丁寧に教えてやった上に、もうすぐ閉店時間であることまで伝えてやった。
 そしたら、二人組の片割れがキレた。取っ組み合いの殴り合いまで始める始末だった。
 殴り合う二人組に、鯢呑亭ほどでは無いけど、ここらで人気の居酒屋を教えてやった。キレた方は鯢呑亭の煮物が食いたいとぶつくさ文句を垂れていたけど、もう片方が別れを仄めかす言葉を漏らすと、観念して俯いた。

 二人が去るのを見守ってから、わたし達は再び歩き始める。
 「ああ言うのもいるのね」今泉がボソりと言った。
 「ああ言うのって?」
 「まるで自分達が妖怪だってことがバレても良い、みたいな二人だった」
 要は気の持ちようなんだ、と今泉に教えてやる。自分達がなにをやっているのかをちゃんとわかっていれば、どこに住んでたって、なにも変わりゃしない。
 「じゃあ、なんの心配もいらないのね」
 「姫にも言っとけよ。わたしゃ大丈夫だって」
 「今度は三人で……あ、小傘ちゃんも入れて飲もうね」
 家に着く。
 今泉は姿が見えなくなるまで腕をブンブン振り続けた。途中でこっちが家に入ろうものなら、不機嫌になるからな。最後まであんたのために腕を振り続けてたんだよ、という印象をわたしに擦り付けたいみたいだ。
 どいつもこいつも、精神がひ弱だな!よくそれで妖怪がやって行けるぜ。わたしほど精神がタフに出来てると、やっぱ、里で妖怪が死のうがどうとも思わなくなる。屈強な精神がもたらす恩恵として、安全な生活、安心できる食事、美味い酒、飯。

 万年床の上に寝っ転がって、布団の端に置いてあった紙切れに目を通す。今月の家賃の請求書だ。
 ……里に住むことのデメリットとして、金がかかる。働かなくてはならない。里では里で、タフな精神がすり減る。

 
 『そんなに孤独じゃない』──今泉影狼

 わかさぎ姫のところには夕方までに着けば良いから、午前中から昼にかけて、たっぷりと二日酔いの療病に費やすことができた。赤蛮奇も今頃苦しんでるかな。
 悪いことしちゃったかも。だって、あいつはいつも働いてるから。
 草の根に誘っても来てくれないのって、そういう理由なんじゃないかなって、わかさぎ姫と話したことがある。友達の関係よりも、仕事の方が大事なんじゃないかって。
 
 姫って、結構ドライなところがあるから(魚の癖に!って言ったら、怒っちゃうんだ)、平気でそういうことが言えちゃうんだ。でも、逆に言うと知らない相手にはそんなこと言えないから、これは姫の友情の裏返しってこと。現に、最近、赤蛮奇が連れてくる小傘って子にも、最初は人見知り気味だったもんね。

 溺れるくらい水を飲んで、ようやく頭痛から解放される。里に住んでないことのメリットとして、どこで寝ていても、縄張りを侵してさえなければ文句を言われない。草の上で寝ててもね。二日酔いには綺麗な外の空気が一番なの。

 ふらふら立ち上がって、空を見上げる。姫と会うまで、まだ余裕があるから、霖之助さんのお店に行くことにした。ここのところ、毎日ってほどでも無いけど、それなりの頻度で通ってる。霖之助さんのところには人も来る。女子高生とか、巫女とか。だから、あまり二人で話すことはできない。
 寂しいよね。

 お店に入ると、霖之助さんがいつものスタイルで座ってた。机の上に頬杖を付いて、まるで接客のことなんか意識してないような、良く言えば親しみやすくて、悪く言ったら馴れ馴れしい感じ。
 「いらっしゃい……ああ、君か」
 「こんにちは」
 そんな店の雰囲気が好きで、入り浸ったりするんだけどね。
 霖之助さんはいつもと同じスタイルだったんだけど、頬杖を付いてない方の手で、なにかを撫でてた。この人はいつも道具を撫でたりしてるけど……。
 「なんですか、それ」
 しまった、と思った。霖之助さんにこうやって尋ねると、計算機みたいに早口で捲し立てて来るんだ。
 覚悟を決めてたけど、霖之助さんは大人しかった。
 「こいつはね、ライカと言うんだ」
 ライカ、と言う言葉に反応するかのように、机の上の物体が四つの足で立ち上がる。どういうわけだか、この『ライカ』と仲間意識を感じてしまう。
 「これ、犬なんですか?」霖之助さんの『解説したがりスイッチ』を入れないように、慎重に言葉を選ぶ。
 「そうだね」
 霖之助さんはそれ以上はなにも言わずに、ライカを撫でるだけ。最初に見た時はまた新しい道具かと思ったけど、どうも違うみたい。
 霖之助さんは色んな道具に異常とも言える愛着を持ってるけど、それともなんだか違うっぽい。わたしにはなんだか、わからなかったけれど、霖之助さんとライカ、そしてわたしとの間に、踏み入れないように壁が出来ているみたいに感じた。

 「あれ、もう帰るのかい」
 「うん。友達が待ってるから……」
 「友達にお土産はどうだい?これなんか、ほら、暗闇の中で発光するパン……」
 
 わたしは店を出た。
 出る直前に見た、霖之助さんの商品を説明する時のあの顔。
 やっぱり、いつもの霖之助さんだね。

 ※

 「赤蛮奇ちゃん、元気だった?」
 わたしが頷くと、姫は安堵の笑みを浮かべた。昨日からずっと、心配してたんだって。健気だよね、ほんと。里で妖怪が退治されたって話したのはわたしなんだけど、こんなことなら話さない方が良かったかな。
 でも、勝手に姫を置いて赤蛮奇と会うと、不機嫌になる。姫にはそういうところがある。
 かわいいよね。

 「草の根には誘ってみた?」
 と、姫。わたしの答えにはあまり期待していないみたい。
 わたしは首を横に振ると、やっぱりね、と姫はため息を吐いた。
 「もう誘うのもやめようかなって思ってる」
 なにげに口をついて出た言葉に、姫が拒否反応みたいなのを示した。
 「どうして?」悲しげな声音に、思わず狼狽えてしまう。
 「いや、その……あいつにはあいつの生活があるし。なんか、会う度に誘うの、こっちが怪しげな宗教に勧誘しているみたいな気分になって来るし」
 わたしの言葉が、冗談にかこつけた本気だと言うことが伝われば良いけど。
 「……それもそうね」
 わたしはホッと一安心する。
 「赤蛮奇は草の根に入ってくれないけど、わたし達と会ってくれるじゃん」
 「うん」
 「草の根ってさ、所属してるのわたし達だけじゃないでしょ?他にも色んな妖怪がいるからさ、新しい関係が出来るのが面倒なんだと思うよ、あいつ」
 「そこが良いのになあ」

 姫はずっと、この大して広くもない湖で暮らしてる。この湖での生活に対してどう思ってるか聞くのは、個人的にタブーだと思ってる。
 だって、わたしだったら絶対に退屈で死んじゃうから。
 たまにわたしが運んでどこかに連れて行ってあげたりするけど、それでも、自分の足でどこにも行けないなんて、考えられない。だから、姫は草の根に拘る。
 色んな新しい関係が生まれることに、拘るんだ。もしかしたら、自分をこの湖から解放してくれるような人が現れるのを待っているのかもしれない。

 一度、姫の歌を隠れて聴いていたことがある。姫の歌はとても綺麗で、男の人だったら彼女のために水の中で生活することも厭わない、ってくらいに魅了されちゃうんじゃないかってくらい。姫に隠れて聴いてたのは単なる悪戯心だったけど、聴いてるうちに感動しちゃって。
 自前の歌詞はとても残念だったけどね。それでも、わかさぎ姫が自分の気持ちを歌ったのだと思うと、今でも忘れることができない。
 
 地面を自由に 歩きたいな はいっ!⌘£§∞%〜!

 世の中には、自分がこのために生まれてきた!って思い込んでる人がたくさんいる。妖怪なんていうのは、その極地だよね。人を恐れさせるためにしても、みんなが自分の特技みたいなものを持ってて、それが生業になってる。赤蛮奇は首を伸ばしたり飛ばしたりする飛頭蛮、わたしは狼女、それを誇りに思ってたりする。昨日、赤蛮奇が言ってた、自分がなにをやっているかちゃんとわかっていれば、どこに住んでたって変わりはない。
 
 でも、わかさぎ姫は?人魚に生まれて、ここに住んでるのに、彼女は自分が人形であることを苦痛に思ってるみたいじゃない。

 姫は自分を解放してくれるなにかを待ってる。片や、赤蛮奇は里って言う場所に縛られたがってる。なんてデコボコな奴らなんだろう。
 「ねえ、影狼ちゃん」
 「なに?」
 「今度さ、わたしも赤蛮奇ちゃんの住んでる里に連れてって欲しいな」
 思わず、わかさぎ姫の下半身を想起してしまう。あの魚の部分は、どう隠したって『うっかり』が起こり得るぞ。
 どう答えたもんかと戸惑ってると、姫は悪戯っぽく笑った。
 「冗談よ」
 本当に?という言葉が喉元まで出かかったけど、言わなかった。本気にさせたら困っちゃうし、悲しくなっちゃうからね。
 「でも、行けたら便利よねー。そしたら、赤蛮奇ちゃんにも、わざわざここまで来て貰うことも無いのに」
 「姫……」
 なんとかしてあげるよ、と言いたかった。
 「今度、赤蛮奇が来てくれるって」
 「そっか」
 姫は嬉しそうに微笑んだ。
 
 ※

 「足が生える薬?そんなものは無いよ」霖之助さんはにべもなく言った。「そもそも、薬ならぼくの所じゃなくて、永遠亭に行けばいいだろう。どうしてわざわざぼくの所なんだ、え?」
 追求されればされるほどに、泣きそうになってしまう。しょうがないじゃないですか、とキレたくなる。永遠亭の人達、兎も含めてなんだか怖いんですもの。
 
 そりゃまあ、最初は永遠亭を訪ねてみようと思った。でも、足の生える薬なんか、現実的に考えている存在するはずがない。仮にあったとして、それを手に入れるための代償を考えると、やっぱり自分の身の方が可愛くなってしまう。
 そんなわけで、霖之助さんのお店に来たわけだけど……現実はそう甘くないよね。

 「だいたい、どういう用途でそんなものが必要なんだ?君には足がもう二つ付いてるじゃないか」
 「友達のために……」
 「友達?」
 霖之助さんのライカを撫でる手が止まる。
 「友達、か。そりゃ、ぼくも手伝ってやれたら良いが、それでもやっぱりここじゃどうにもならないよ。薬以外の手段なら、どうにかなるかもしれないが……」

 霖之助さんの厚意に礼を言って、わたしは店を出た。
 友達のため、なんて言ったけど、本当に姫のためになるかはわからないんだ。だって、そもそも、姫が足を欲しがってるなんて、わからないし。本人に聞くのも、なんだか恩着せがましい気がするし……。
 途方に暮れながら歩いていると、わたしの動物的勘が、敏感に背後から近づいて来る気配を感じとる。自分でもわからないうちに、妙に緊張しているみたいだ。
 振り返ると、小傘が大慌てで走って来るのが見えた。なんだか、会う度に大慌てしているような気がする。

 「影狼ちゃん、大変だよ!」
 小傘はひっきりなしになにかが大変だってことを伝えようとするけど、慌てまくってるのと息を切らしてるのとで、まったく伝わって来ない。
 「ごめ……ずっと走って来たから」
 「ゆっくりで良いよ」
 小傘の背中をさすっている間に、何処からともなく歌が聞こえてくる。森中の生き物達を癒してくれるような、優しくて、儚くて、綺麗な声。わたしの親友の歌声。歌詞は念仏でも聞いてた方がマシなくらいセンス無いけど、率直に気持ちを伝えてくれる。
 でも、遠すぎて、意味は聴き取れなかった。
 
 小傘は息を整えて、ゆっくりと深呼吸を始めた。
 「影狼ちゃん、大変なの!」
 「わかったから。なにがあったの?」
 「バンキちゃんが、バンキちゃんが人間を襲って──」
 面倒な奴らばっか、ほんと。


『わちきがわちきであるために』──多々良小傘

 気が滅入るニュースが続いて、嫌になっちゃうよ。人里に住んでる妖怪が退治されちゃったって言うニュースから始まって、今度はバンキちゃんが人間を襲った、なんて……。少しは他の妖怪のことも考えて欲しいけど、バンキちゃんに限って、そう悪くも言えない。

 知ってる?バンキちゃんて、とても頭が良いんだ。頭が良いって、知識をたくさん持ってるとか、計算が速いとか、そういうのじゃないよ。なんていうか、人里で暮らす上での、わたしの知らない処世を知ってたりするんだ。
 要するに、他の妖怪達より常識があるってこと。妖怪なのに、人間の常識もたくさん知ってて、その節はお世話になったんだ。だから、バンキちゃんには感謝こそすれど、人間を襲ったからって、失望することなんか、絶対にない。
 なにか事情があったに違いなくて、それを影狼ちゃんに尋ねに行ったんだけど、あの子、とても冷たかったな。
「赤蛮奇には赤蛮奇の生活があるから」
 なんて……。

 思えば、バンキちゃんは影狼ちゃんと同じ草の根妖怪ネットワークには入ってないし、もともとそんなに仲が良いわけじゃ無かったのかも。
 もちろん、わかさぎちゃんにも話を聞こうと思ったんだけど、影狼ちゃんに止められちゃった。「姫に余計な心配をかけさせないで」やっぱり、影狼ちゃんはわかさぎちゃんの方が大事なのかな?

 お寺の裏にある墓石の上に座り込んで考えていたら、いつの間にか芳香が隣に立っていた。
 「あ、こんにちは」挨拶をしてみるけど、芳香は猫みたいにどこでもないどこかを見つめてる。
 友達に、別の友達の相談はあんまりしたくない。なんでかって言うと……なんとなくわかるよね?特に、芳香は頭が腐ってるらしいから、意志の疎通がまず難しいの。
 でも、愚痴るくらいなら、別に良いよね。
 「ねえ、芳香。友達が面倒ごとに巻き込まれちゃったの。なのに、みんな冷たいんだ。友達なのに、他人事だと思ってる」
 芳香はなにも答えてくれない。誰かになにかを愚痴りたい時には、逆にこれがありがたい。
 「わたしって、商売とか、付喪神っていう種族の関係で、結構色んな人と付き合うんだ。でも、それって友達って言うより、ただの知り合いって感じ」
 「わたしは?」
 「あ、喋った」ちょっとだけ驚いちゃった。こういう方法もあるんだね。「芳香はね、いつも言ってるけど、永遠のライバルだよ」
 「そうか」芳香は疲れたように項垂れた。でも、腕は真っ直ぐに前に伸ばしたまんま。「わたしもそう思う。……今日は、頭が、いつもより回ってる……」
 「ああ、だから大人しかったんだ。お札が取れかけてるよ、くっ付けたげる」
 芳香の額にひっついてるお札は、芳香が芳香らしくいられるために重要なものらしい。前に青娥って人が言ってたんだ。取れかかったりしていたら、くっ付けてあげてね、でないと、ダメになっちゃうのよ、この子。
 
 青娥とかいう人の言う通りに、取れかけているお札をしっかりと貼り直してあげると、芳香の頭から煙が吹き出した。文字通りに回転していた脳味噌が急停止して、摩擦で熱でも起きているみたいだった。
 「おおー!そう言えば、青娥にお使いを頼まれていたんだった!」
 芳香は芳香らしくと言うよりかはキョンシーらしくなって、墓地をピョンピョン跳ねて、わたしのもとから去った。

 時刻は、だいたい夕方。
 仕事の時間が迫っていた。

 ※

 みんな、それほど深くは繋がってないってことなのかもしれないね。わたしはともかくとして、バンキちゃんと影狼ちゃんなんかは、いつも会っているような気がしないでもないし。この前だって、わたしは仕事があるから断ったんだけど、二人で飲みに行ったらしいし。なのに、バンキちゃんが面倒を起こしたら、好きにさせとけ、みたいなあの態度。
 こう言っちゃなんだけど、頭、おかしいよ。せっかく出来た繋がりを無下にしているようなものじゃん。バンキちゃんが困ってたら、なんとかしてあげようとするのが友達なんじゃないのかな。
 
 でも、これらは全部、本音なんだけど、そう思ってるなら影狼ちゃんにそう言えば良かったし、バンキちゃんのためにもなにかしてあげれば良いのに、わたしはなにもしてないんだけどね。

 お客さんとの商売をやっているわけだから(それだけじゃないかも)、わたしは人一倍に誰かとの繋がりを断ちたくないと思っている。もし、影狼ちゃんに「なんとかしてあげようよ」なんて迫ったら、彼女との関係が危うくなるかもしれない。「こいつは自分の意見を押し通そうとしてくる自己中野郎だ」なんて思われて。もちろん、わかさぎちゃんにまわたしの印象が伝わってしまう。
 片や、わたし一人でバンキちゃんのために出来ることなんか、なにもない。バンキちゃんと言う妖怪が人間を襲って、仮に人間の方に過失があったとしても、妖怪ってだけで全部が全部、バンキちゃんが悪いことになっちゃうから。
 わたしが彼女を擁護したら、わたしまで退治されそうだし、それは怖い。
 
 影狼ちゃんと今まで通りに付き合って行くか、バンキちゃんのために出来ることをするかで、迷ってる。そんなだから、ベビーシッターの仕事でチョンボを連発しちゃった。赤ちゃんが泣き出したかと思えばお腹が空いたのだとミルクを飲ませて、猛烈に拒否られて部屋中にミルクを撒き散らしてしまった。また泣き出したのでおしめを取り替えようとしたら、赤ちゃんが汚れたおしめを蹴っ飛ばして、部屋中をウンチまみれにしちゃった。帰って来たお母さんには怒られるし、散々だよ。

 バンキちゃん、今どこで、なにをしてるのかなあ。あの時、逃げずにちゃんと向き合ってれば良かった。バンキちゃんが人間を殴り付けているのを目撃した時、あんまりにもどうしたら良いかわからないから、そのまま影狼ちゃんのところに行ったんだ。わたしってば、バンキちゃんのためなんて言ってるけど、なにも出来てないじゃないか。

 孤独の真っ只中にいるかもしれないバンキちゃんを想うと、胸が締め付けられた。だから、怒り心頭のお母さんの話なんかまったく聞いてなくて、余計に怒りを買ってしまった。
 自業自得なのはわかってるけど、それでも虚しさがこみ上げてくる。人間、それも力も持たない人間に怒られると言うこと。別にそれで襲おうなんて思ったりはしないけど、それでも、傘だった時のことを思い出しちゃう。誰にも使われないから、自分から使われようとしたのに、このザマ。友達のために出来ることもなければ、自分のためにやってることさえ、満足に遂行できない。

 気分の問題かな。やっぱり、悩み事があると、なんにも上手くいかないよ。それに、悩むのはわたしの本分じゃない。バンキちゃんのことを忘れるわけじゃないけど、今日くらいはお酒でも飲んで、パーッとはしゃいじゃおう。
 てなわけで、最近流行ってる鯢呑亭なる居酒屋に向かった。煮物が美味しいらしいんだよね。
 店の前に着くと、今まさに人影が暖簾を潜ってくるところだった。人影はバンキちゃんだった。
 「入って良いよ」バンキちゃんは暖簾をたくし上げて、わたしが店に入るのを待った。
 「あ、どうも……」
 店に入って戸を閉めて、可愛らしい店員さんに挨拶をされて、我に帰った。
 今の、バンキちゃんじゃん!

 店員さんに用事を思い出したと嘘を付いて、回れ右をして店を出た。
 「ちょ、ちょっと、バンキちゃん!」
 ふらふら歩いていたバンキちゃんが振り返った。
 「あれ、もう出たの?」
 その顔を見て、驚いちゃった。バンキちゃん、顔中傷だらけで、階段ですっ転んだみたいになってるんだもん。
 「バ、バンキちゃん……」
 「もしかして、わたしのために店を出て来たの?」
 「そりゃそうだよ。だって、バンキちゃん、人間を……」
 言い終わる前に、バンキちゃんがわたしの肩を抱いた。酒臭い息が顔にかかった。だいぶ寄ってるのはわかったけど、こんなに馴れ馴れしくなるほどにまで飲んでるのは、初めてで、びっくり。
 「じゃあさ、わたしンちで飲まない?」
 「……バンキちゃん?」
 「酒ならしこたま買ってあるからさ」
 バンキちゃんの笑顔が、青タンをこさえているのも拍車をかけているのかもしれないけど、とても悲しげに見えた。
 でも、やっぱりわたしの気分のせいかもしれない。

 バンキちゃんの家に着くと、早速酒盛りが始まった。もしかしたらアホなのかもしれないけど、一人暮らしなのに酒を樽で買ってた。朝まで飲んでも無くならない量の酒を、わたし達は浴びるように飲んだ。
 「でさあ、赤ちゃんのウンチがそこら中に吹っ飛んじゃって、残業。本当にくたびれちゃったよ。おまけにお母さんには怒られるし、サイアク。自分の存在意義に疑問を感じちゃったもんね」
 わたしの愚痴なんか一切耳に入ってる様子のないバンキちゃんは、アルコールのせいで頭がぐらついてる。長々と愚痴っている間に、バンキちゃんは何度か両手で頭を支えてた。

 疑問を抱かずにはいられなかった。バンキちゃんの頭と首の間は、里において彼女を人間たらしめる境界線のようなもので、ついうっかり首から頭を外しちゃったりしたら、妖怪だってことがバレちゃう。バンキちゃんは例え家でも首を外して寝るようなことはしないと言っていたのに、この体たらく。自分が妖怪だと周りにバレても良い、みたいな、そんな空気感があった。どれだけ酒を飲んでても、そこは徹底していたのに。

 「なにかあったの、バンキちゃん」
 愚痴を語るだけ語り尽くして、バンキちゃんに手番を譲る。バンキちゃんは畳に転がり落ちた自分の頭を手の上で転がしながら、首から下だけで悲しみを表現しているかのように項垂れた。
 「顔のこと?」
 バンキちゃんはわたしに頭を手渡してくれた。傷だらけの顔を、わたしはじっくり眺めた。
 「てゆーか、バンキちゃん、人間を襲ってたよね?」
 手の中のバンキちゃんの顔が、びっくりしたように真顔になる。わたしはちょっとだけ満たされる。
 「おそっ……え?」
 「この顔も、人間からの報復で……」
 手の中のバンキちゃんは、視線をぐるぐる回して、自分の顔についている傷を確かめようとする。
 「違うよ。いや、人間に付けられた傷って言うのは間違い無いけど……」
 「やっぱり!」
 「でも、対等だったんだ」
 「タイトー?」
 「会社じゃないよ。ただの喧嘩でさ、殴り合いしただけ」
 「それだけ?」
 「それだけ」

 手の中からバンキちゃんが落ちる。「いてっ」対等と言う言葉を、頭の中で反芻させる。人間と妖怪の間で、対等と言う言葉が使われる現実が、どうにも結びつかない。
 でも、わかることはある。バンキちゃんは別に誰の助けも必要としていなかったということ。ましてや、わたしの助けなんて。
 影狼ちゃんには、そのことがわかっていたのかな。だから、あんな態度を取っていたのかな。
 孤独と戦っていたのは、誰かとの関係を終わらせたくないって言うだけで、躍起になろうとしていたわたしなのかもしれない。
 
 「どうして喧嘩なんかしたの?」
 「ん?まあ、ちょっとね……」
 「大したことのない理由なの?」
 「まあ、そうかもね」
 「後腐れは無いんだね?」
 「そうだね。まあ、うん。ないかな」
 「良かった……」
 心から声が漏れ出した。バンキちゃんが無事で、本当に良かった。
 でも、心配事は尽きない。バンキちゃんがこの調子で誰かとの喧嘩を続けたら、その時こそ妖怪だってバレちゃうかもしれない。頭が首から落っこちちゃうなんて、わたしからしたら垂涎ものの能力だけど、人間から見たら本当に恐ろしそうだし、バレたらまずいことになるのは目に見えてる。
 でも、影狼ちゃんの言っていたことが、今はわたしなりに少しだけ理解できたような気がする。
 バンキちゃんにはバンキちゃんの生活がある。どこで誰と喧嘩して、どのような結果に至っても、今回みたいに、わたしに出来ることなんかなんにもない。
 きっと、バンキちゃんがやりたいようにやれれば、それが一番なんだろうな。誰よりも人里に長く住んでるわけだし、バンキちゃんは世渡りも上手だし、簡単にヘマを起こしたりしなさそうだもんね。
 
 「ところで、今日のバンキちゃん、酔ってるとはいえ、頭が不安定過ぎない?」
 ともすれば落っこちちゃいそうな頭を支えながら、バンキちゃんは恥ずかしそうに笑った。
 「これねえ、殴られた時に首が変な風に曲がっちゃってさあ、病院行こうかなって思ってる」
 「酒なんか飲んでる場合かいっ!」
 バンキちゃんがアハアハ笑った。
 ……やっぱり、どこか抜けてるかも。


『永遠の姉ちゃん』──赤蛮奇

 満月の浮かぶ竹林の中に生えてる草は、どれも刺々しくて、膝に突き刺さるようだ。かれこれ二十分くらいお空の下で正座させられてるけど、今泉の憤りは収まるところを知らない。
 今泉は満月になると毛深くなるって言うから、その日だけはなにがあっても会わないようにしてるんだけど、今日は別で、今泉から呼び出しを喰らった。で、会うや否や顔面をグーで殴られたんだけど(つーか、平手だと爪が長過ぎて逆に危険)、不思議とキレる気は起きなかった。今泉の奴、自分にはわたしを殴る正当な権利があるって顔をしてたもんな。

 で、大人しく殴られてやったんだけど、そこから怒涛の精神攻撃。わたしの人格を否定するような言葉が、よくもスラスラと出て来るもんだ。でも、黙って聞いてやった。自分にはわたしの精神を破壊する正当な権利があるって顔してたもんな。正座だって、実はわたしが自発的にやったことだ。反省してるってわからせるためにね。少しでも早くお説教が終わりますよーに。ついでに月にでも願っとく。
 それで、二十分が経過した。足の感覚が無くなってきて、露骨に苦しいのが表情に出てきたんだけど、察してくれたのかな、今泉はため息を吐くと、呆れたように見下ろして来る。
 「反省してる?」
 この慎ましい態度を見ろと言わんばかりに深く頷いて見せる。
 そもそも、どうしてわたしが喧嘩したことがバレたんだ?
 「殴ってごめんね」
 今泉がしゃがんで、わたしと目線を合わせて来る。ガキにでもなった気分で、こっ恥ずかしくなって視線を逸らす。
 「でも、本当に心配したんだからね」
 ただの喧嘩だよ、とわたしは言ってみせる。今泉の顔が曇る。また殴られるかと思ったけど、そんなことはなかった。
 「赤蛮奇……」
 なに?
 「本当に気を付けてね」
 わかってるよ。
 「ねえ」
 なんだよ?
 
 「どうしてずっと黙ってるの?」
 「……え?」
 わたしはわたしの声を聞く。酷く震えていた。
 「赤蛮奇?」
 「あ、いや……」草に擽られている足をボリボリ掻く。意識はハッキリとしている。「疲れてたのかも、頭ん中ではずっと会話してた」
 「大丈夫?」
 返事が出来たか曖昧。気が付けば家に居たけど、どうやって帰って来たかはさっぱり覚えてない。今泉が止めなかったってことは、ちゃんと帰って来れたってことだよな?なにもバレちゃいないんだよな?
 キョーレツな不安に駆られて、重たい身体を起こして、奥の部屋に置いておいた酒樽の蓋をどけて、中を覗き込む。初めてぶち込んだ時と変わらず、死んだ人間がそこにあった。誰にも弄られてない。ずっと同じ大勢のまま動いてないのを確認して、ホッと一安心する。この男に身寄りが無くて、死んでも誰も悲しまない存在であったことに、妖怪のくせに神に感謝せずにはいられない。
 
 樽の蓋を閉じて、奥の部屋に仕舞い込んで、また別の樽をそれを覆うように置く。それだけでまたいつもの日々が始まるはずだけど、どうしても不安が拭えない。
 
 人間を殺してしまったのは、しょーがない。不可抗力だった。
 あの日からだ。今泉と鯢呑亭で飲んだ日、便器が血塗れになっていたあの日、あそこで血の匂いを嗅いでしまったのがいけなかった。いけない薬に手を出すような、ちょっとした冒険心だったんだけど、嗅いでからしばらく興奮してた。時間が解決してくれると思ったけど、そうは問屋が下さなかった。ウケるのは、わたしが殺しちまったのがマジで問屋だったってこと。誰も相手にしないような、売れない問屋だったんだけど。
 原因なんか覚えちゃいないけど、とんでもなく些細なことで口論になった。相手がイチャモンをつけて来たとか、わたしがイライラしてたとか、ぶん殴ってスカッとしたら終わりの筈だったんだけど、顔はやめとくべきだった。問屋の鼻が折れて、そこから血がドバッと溢れて来て。

 それを見たら、いてもたってもいられなくなった。ポケットを叩いたらビスケットが二つ……みたいな。もっと叩いたらそれだけ増えてって……。

 だから、ほら、ただの喧嘩だろ?運が悪かっただけなんだよな。わたしも相手も。でも、不幸中の幸いと言うか、問屋には死んだって悲しむ相手がいなくて、だから騒ぎになってなくて、わたしはそのおかげで命拾いしてるって言う。
 
 笑えねー。人が死んだのは取り立てて騒ぐことじゃないけど、じゃあ、わたしが抱えてる不安ってなに?って話。人間にバレるってのは『あり得ない』から論外として……
 小傘や影狼やわかさぎ姫にバレること?それこそあり得ないだろ?小傘はともかく、影狼や姫はそう簡単に人里には来ないし、そもそも、バレたってなんだ?妖怪が人間の命を奪うのは、普通なことだろ?よくよく考えてみなよ、人間ってのは妖怪のエサだ。人間の里は、じゃあ、妖怪にとってエサの溜まり場みたいなところで、じゃあじゃあ、そこに隠れ住んでる妖怪がそこで人を殺して食うのは、むしろ理に適ってることじゃないか。あいつらだって納得してくれるよ。

 突然に玄関の戸が叩かれて、すわ驚いてひっくり返る。慌てて戸を開くと、隣人が仏頂面で立っていた。わたしの部屋から、なにかを打擲するような音がずっとして、眠れないのだと言う。まったく心当たりが無くて、首を傾げてしまう。隣人がまた怒る。わたしには心当たりが無い。それでちょっとした口論になりそうで、ハッと口を噤む。
 「ごめんなさい、気を付けます」
 それだけ言って、わたしは戸を閉じた。隣人が住む方の壁を見ると、真新しいヒビ  の入った箇所が見つかった。それと呼応するように、拳がズキンと痛む。そこから流れ出る血を見て、発狂しそうになる。

 認めちまおう。とんでもないことをしてしまった。かなり参ってる。わたしはもう、純然たる妖怪なんかじゃなくて、完全に人間どもの価値観に絆されちまってる。人間の生活に馴染むための試練を、思い出の中で美化しちまってる。一膳飯屋で住み込みで働いていたこと。客におっぱいやお尻を揉まれて、ついつい手や足が出てしまったこと。でも、そのおかげで家を買えたこと。

 くそっ、泣いてなんかないぞ!
 「くそっ、泣いてなんかないんだからな……」
 自分で自分の頭を撫でてみると、幾分か心が落ち着いて来る。誰にも見せられない処世、わたしだけができる世渡り術。
 小傘が言ってくれたことを思い出す。バンキちゃんは人との付き合い方が上手だね!
 「上手なもんかよおおおおお!」
 小傘に言われた時は、自分でもそう思ってた。人里に住む妖怪のベテラン、老舗一膳飯屋の看板娘のお赤ちゃんとはわたしのことだぜ。
 
 でも、結局は中途半端だった。人里に住むにあたって、わたしは人間の生活を真似ようと必死だった。でも、自分だけは見失わないようにしてた。妖怪の赤蛮奇と、人里のお赤ちゃん。妖怪の側面は里じゃ絶対に見せないようなしてた。でも、人間の価値観を理解こそすれど、絶対に染まらないようにしてた。
 わたしは人間を襲った時の多幸感と、人間を殺めた時の罪悪感を同時に感じている。身体の中で感情が攪拌されて、内側から引き裂かれそうになって、どったんばったん暴れる。玄関の戸が開かれ、わたしのあられも無い姿を見た隣人が固まる。
 
 言い訳を考えつつ、樽の中に二人目をぶち込みたい衝動と戦う。

 ※

 風邪で仕事を休むと職場の親方に言ったら、実の子供が病気を患ったような心配をされてしまった。しばらく来なくても良いと言われたので、甘んじてご加護を受けることにする。で、一日中寝てみたりするけど、精神的な苦痛の伴う体調の変化に回復の兆しは見られない。小傘に絡んだり、今泉やわかさぎ姫と会ったり、またはその四人で飲んだりもしたけど、どうにもぎこちない。みんなのわたしを見る目が犯罪者に向けられるそれと同じに見えて、味方がどこにもいないのではという錯覚に陥る。で、ビビりまくってると、みんな優しくしてくれて、それが余計に辛くなって、洗いざらい打ち明けたくなってしまう。

 これはもう、あれだ。病院に行くしかない。今泉が住んでる竹林にある永遠亭とか言う病院を訪ねることにする。精神的な病も扱ってるという話は聞かないけど、自分でやれることなら、もうなんでも試したのだ。

 永遠亭への道のりはさっぱりだったけど、たまたま白髪の姉ちゃんが入り口の近くにいたので、声をかけてみる。永遠亭へ行きたいのだと言うと、ついさっきも別の奴をそこまで送り届けたとのこと。なんの展望も無かった未来に、少しだけツキが回って来たような気分になる。
 ちょっとだけハイになったから、無口の姉ちゃんに向けてつい饒舌になる。前を歩く姉ちゃんの背中に、今泉のことや、姫のことや、小傘のことをひっきりなしにまくしたてる。
 「おい」
 だんまりを決め込んでいた姉ちゃんが唐突に口を開いたもんだから、思わず身構えてしまう。
 「な、なに?」
 「嫌なことでもあったか?」
 「え?」
 「そうじゃないんなら」姉ちゃんはため息を吐いた。「うるさいぞ」
 人間は優しさに満ち溢れた生き物だ。
 だから、わたしは臆せずに話しまくる。
 人間を殺したこととか、そう言うところは触れずに話しまくる。最近の話題以外で、自分がこんなに話せる奴だと思わなかった、そんな発見をするくらい話した。姉ちゃんは黙って聞いてくれていた。なんの意味もない話を。笑えないジョークや、くだらない下ネタを。便器が血に染まっていたことや、酒を樽で三個も買ってしまったことを。

 話しているうちに、悲しくなった。悲しみの赴くままに、泣いた。それを悟られたくなくて小出しにした。絶頂を寸止めされてるみたいで全然気持ち良くなかった。涙のせいで、言葉が詰まった。涙じゃ言葉の代わりにならない。
 「昔な、わたしも人を殺したことがあったんだ」
 姉ちゃんが、わたしの言葉を代弁するかのように語り始める。いや、ちょっと待て……?
 わたし『も』?
 涙が引っ込んで、可及的速やかに姉ちゃんの口を封じる方法を模索してしまう。
 「その時にな、誰かにそのことを話したくて仕方がなかった」
 ゼェゼェ喘ぎながら、姉ちゃんの話を聞く。
 「でも、わたしの周りには誰もいなかった。だからな、今のお前みたいに、物言わぬ壁や泥団子に聞かせてたんだ。人を殺した話をね。殺すに至った経緯から、その人の死に様まで事細かに。忘れられないんだよな」
 「それって……」
 「昔の話だよ。こんな話、永遠に自分の中にしまっとこうと思ってたんだけどな、お前があまりにも昔のわたしと似てたから、つい話しちまったよ」
 「わたしは……」
 「そんなこともあるもんだな」
 息を整えながら、なんとかついていく。
 「永遠に続くと思ってた隠し事も、苦しみも、楽しいことも、いつかどこかで永遠っていうしがらみから解放される。それは死という形であったり、別の記憶での上書きだったり。絶対だ。わたしが言うんだから、間違いない」
 自信に満ちた物言いに、割り込む余地を見つけられない。
 「お前も今、苦しんでるんだろ。でもな、生きてりゃ良いことあるよ。一度のヘマで全てが決まるわけじゃないからな」
 
 わかる人にはわかるんだろう。人殺しからは人殺しの臭いでもするのかもしれない。この姉ちゃんも過去に人を殺したらしいけど、そんな臭いを、この人からは全然嗅ぎとれなかった。ずっと昔に苦しみ抜いたか、或いは今でも苦しみ続けているのか。
 なにはともあれ、貴重な先輩のお言葉を胸に刻まずにはいられない。「いずれ解放される」という言葉には、魔法のようなズルさがある。でも、もし本当にこの人が過去に人を殺して苦しんだと言うのなら、「解放される」って言葉には信憑性がある。今のわたしには、これから先、どれほど長く生きても解放されるなんてことが、あり得ないことのように思えてるけど、この人はなんだか達観してる。

 「永遠に続くものなんか、この世に三つくらいしかないからな」
 姉ちゃんは語る。
 わたし達は竹林を抜けた。その先に建物があった。永遠亭だ。姉ちゃんはそこを指差した。
 「わたしの命と、あそこに住んでるクソッタレ二人組の命くらいのもんさ」
 よくわからない話だった。ジョークなのかもしれないけど、ピクリとも口角が上がらなかった。また別の日に聞けば笑えたのかもしれないけど、それにしたって、最低のジョークであることには変わらない。

 でも、まあ、どうせ同じジョークならさ、中途半端なもんより、突き抜けて最低な方が良いかもな。

 ※

 それはともかく、やっぱりさっきの姉ちゃん、頭がおかしいんじゃねえかな。だってさ、例え相手が自分と同じ人殺しだってわかってたとしても、自分がやったことバラす?ふつー。わたしだって、話したいと思ってたんだけどさ、それにしてもだよ。

 でも、一人で抱えるよりはマシなのかもな。誰かに話して楽になれるなら、それもありなのかも。わたしとあの姉ちゃんは立場も違うわけだし、今泉の奴に話してみたら、案外、どつかれるくらいで済むかも。

 姉ちゃんと別れて、永遠亭に入る。受付の兎に名前だけ教えて、待合室に座らされる。先客は無し。あの姉ちゃんは、わたし以外の誰かを案内したとか言ってたけど、その人はトイレにでもいるのかな?
 こういう施設を利用するのは初めてで、結構心細い。誰かに手でも握らせていたい気分だ。そこら中で兎が跳ね回ってるけど、ここ、動物病院じゃないよな?

 だんだん緊張が大きくなってきて、おしっこをしたくなってくる。わたしだけかもしれないけど、悩んでる時におしっこをしたくなるじゃん?その時ってさ、一時的に尿意が悩みを上回って、気持ち的に楽になるんだよね。そこでおしっこをしちゃうと、また悩みがぶり返してくるんだ。
 まあ、一生我慢するわけにもいかないし、行くけど、便所。

 便所は一つしか無くて、やっぱり先客の誰かが入ってた。わたしは便所の前で待つことにした。
 と、受付の方から声がする。
 「今泉さーん、今泉さん、いらっしゃいますかー」
 便所の扉が勢いよく開かれる。見知ったヤローが現れる。
 「……赤蛮奇?」
 目と目が合う。わたしは尿意も忘れて、思わず回れ右をする。肩に激痛が走って、その場に崩れ折る。
 「いだだだだ!食い込んでる、お前の爪が肩の肉抉ってる!」
 「逃げないでよ!」
 「逃げない、逃げないから……」
 「今泉さーん!」受付から声。「今泉さん、いらっしゃいますかー!」
 「あ、今行きまーす!」今泉がわたしの肩から爪を抜く。
 「うげっ!」と、同時に血も抜けてく。
 「逃げるなよ!」
 今泉がわたしに釘を刺しながら、受付まで小走りしてく。
 床が湿って、アンモニア臭が充満する。
 診察室に向かうであろう受付の兎と今泉がわたしを見て、ドン引きする。
 「なにしてんの?」
 こんな奴に少しでも相談しようなんて思った、自分がアホだった。


 今泉が案内されたあと、数分してわたしも診察室に通された。わたしの担当医は、赤と青の入り混じった奇抜な服を着た医者だった。左右を素早く交互に見たら、発作を起こしそうな服だなと思った。名前は永琳。
 「今日は肩の治療で来られたんですか?」
 「違います。あ、でも、それも頼んで良いですか?ついでに代えの下着とか売ってます?」
 「鈴仙の……あ、わたしの助手ので良ければ、無料で差し上げますけど」
 「あざっす」
 可愛らしいニンジン柄のパンツを渡されて、カーテンの影で履き替える。濡れた下着を履き続けるのは、真面目な話、肩から血を吹き続けるより堪え難い。
 履き替えって戻ると、今度は今泉に抉られた肩の傷を治療して貰った。永琳医師の治療は、素人のわたしでもわかるくらいの神技だった。痛みを感じる間もなく傷が塞がれ、気が付いたら輸血までされてる始末だ。
 「しばらくは安静にしてくださいね。それじゃ、お大事に」
 「いやだから、それだけじゃないんだって」
 「他になにか?」
 
 慎重に言葉を選びつつ、自分が今、精神的に参っていることを端的に伝える。流石に医者と言うだけあって、踏み込んだ質問はしてこないが、どのような苦しいかなどの説明はキチンとしなくてはならなかった。そこから、わたしの罪がバレやしないかとハラハラしたけど、永琳医師は冷淡に頷くばかりで、わたしの悩み自体はどうでも良い、みたいな態度を取り続けた。

 「なるほど、わかりました」本当かよ、と彼女の治療の手腕こそ信頼しつつ、他人事みたいな態度には疑問を抱く。「要するに、嫌なことがあって、忘れたいということですね?」
 「はあ、まあ……」
 永琳医師の結論は、その辺にいる胡散臭い占い師並に曖昧だった。メンタルケアなら、ここまで案内してくれたあの姉ちゃんの方がよっぽどって感じだ。
 それでも、真剣に何事かを考えている永琳医師の様子には、ちょっと期待してしまう。
 「あなた、妖怪よね」
 「え?」
 永琳医師の質問の意図を考えてしまう。
 「いやね、妖怪が精神を弱らせて、うちを訪ねてくるなんて、滅多に無いことだから」
 「はあ……」
 「それも、巫女から攻撃を食らったとか、そういうわけじゃないんでしょう?」
 頷く。
 「妖怪が精神にダメージを負うっていうのは、人間で言うなら身体に怪我を負ったっていうのと同じことなの。こう言う言い方が正しいかわからないけれど、攻撃を受けたわけでもないのに、自分から悩んで精神にダメージを負うって……」
 「リスカみたいなもんすかね」
 「そう、まるで自傷行為みたいだなって、思ってた」
 
 今泉のクソボケに付けられた傷を撫でる。身体の傷を、妖怪はそんなに重視しない。生死に関わるのはどちらかと言うと精神的なダメージ。でも落ち込んだりするのはダメージのうちには入らない。そんなのは人間で言うところの、転んで擦り剥いた程度のものだと言う。どれだけ悩んでいたとしても、身体に影響が出ると言うのは相当なレアケースだと永琳医師は言った。
 
 「凄く人間味のある妖怪なのね、あなたって」
 「人間……」
 「気を悪くしたら、ごめんなさい」
 永琳医師はファイルに閉じられた書類をあーでもないこーでもない、と捲ってく。
 「妖怪でも、風邪をひいたりするのはいるんですか?」
 「ん?ああ、いるわよ。夏バテするようなのもいるし……あなたが言いたいのって、人間に近い感性を持った妖怪が他にいるか、ってことでしょ?」
 なにもかも見透かされているようで、恥ずかしくなってくる。ここに来るまでも、来てからも。
 「そういう妖怪もいるわよ。逆も然り。妖怪みたいな人間もいる。ここへは誰に案内してもらったの?」
 「髪の長い、白い感じの」
 「妹紅か。あれもね、どちらかと言えばあなた寄りよ。話してて馬が合ったんじゃないかしら」
 永琳医師から思わず視線を逸らす。馬が合ったどころじゃない、同じ罪を抱えている。
 「まあ、色々な人や妖怪がいて、それぞれが色々な過去を持ってるわけだから、個性が浮き出て来るのは当然よ。あなたみたいな妖怪がいるのも、珍しいと言えば珍しいけれど、それを言ったら、地上の住民は全員『珍しい』って類になるわよね」
 「なんか周りくどいけど、個性ってことですよね」
 永琳医師は目を丸くした。
 「それ、うちの人にも言われるわ。いちいち言い方が周りくどいって。歳かしらね」
 「あなた、歳幾つ?」
 「お薬出しときます?抗うつ剤。薬でのメンタルケアはあんまりお勧めしないけど……」

 わたしはちょっと考えてみる。昨日まではわたしは狂ってるんだとずっと思ってたけど、ここに来るまでに妹紅って人と話して、今、永琳医師と話して、たぶん、診察を終えたら今泉が待ってて、また話すことになるんだろう。今日ここに来たのは、自分でやれそうなことを全部やって、もう医者に頼るしかないと思ったからだ。でも、医者や薬の力を借りる前に、まだできることはあるような気がする。
 「抗うつ剤はいらないです。でも……」一応、訊いてみる。「人を生き返らせる薬って、置いてないですか?」

 ※

 そんなものは無いと一蹴されたわたしは、肩の治療代の請求書だけ渡されて診察室を出された。べらぼうに高い値段だったら今泉に押しつけてやろうと思ったけど、存外に安かったんで、自分で払うことにした。

 建物を出たら、案の定、今泉が待ってた。最近も会ってるのに、なんだか久々に会ったような気分だ。わたし達は横並びになって、言葉も交わさずに竹林の中に入ってく。
 マジで言葉がない。なにも話すべきことがない。周囲を見渡しても竹しかないし、竹への知見なんか持ち合わせちゃいないから、途方に暮れる。今泉の方もなんだかしんみりしちゃってる。

 言葉がない、だあ?パチこきやがって。わたしの中のわたしが吠える。実際は言葉がないんじゃない。色々言いたいことがあって、そのせいで詰まってるだけだ。言葉の渋滞って奴。
 でも、今泉の方はそうでもないだろ?それとも、罵詈雑言が喉の奥で詰まっちゃってる感じ?
 「ねえ」
 ようやく我らが今泉ちゃんが声を発したけど、寿命の何年かと引き換えにやっとのことでそうしてるみたいだった。
 「な、なに?」どうしてか、わたしの声も震えてる。「言いたいことがあるならさっさと言えよ。そんなに暇じゃないんだよ、こっちは」
 「……」
 「ごめん」
 「どうして永遠亭にいたの?」
 
 まただ。わたしは目を逸らす。またこの、見透かされてるような感覚。たぶん、ずっと違和感を持ってたんだろう。ここのところのわたし、自分でもテンションがトチ狂ってたと思っちゃうからな。
 「当ててみ」
 今泉の考えを知りたかったのと、誤魔化せたら良いなという期待を込めて言った。
 「望まぬ子を孕んだとか?」
 噴いた。
 「なんてね、赤蛮奇からは赤蛮奇の匂いしかしないし……」その物言いに鳥肌が立ちまくる。「わからないや」
 「知らなくていいぞ、そのまま死んでくれや」
 「酷いわー……でも、本当にどうして?」
 「今泉こそ、どうして?」
 今泉が目を伏せる。人に言えないような事情をこいつが隠し持ってるとは言い難いが……
 「足」と、今泉に言われて、思わず自分の足を見る。「足の生える薬が無いかって……」
 「はあ?」
 「あのね、わかさぎ姫のためなんだよ。姫ったら、赤蛮奇やわたしや小傘にいつも湖まで来て貰って悪いなー、って思ってるんだ。特にあんたと小傘は家も遠いし、この前の妖怪が退治されたのもあるでしょ?あんたを心配してるのよ、姫は」
 「それで、姫に足を生やすための薬が欲しいって?どうだった?」
 今泉がボソリと言う。
 「え、なに?なんだって?」
 「そんなものは無いって……」
 
 わたしはその場で笑い死にする。そりゃそーだろ!
 「なによ!みんなのためを思ってるのに……」
 呼吸を整えながら、今泉の頭を撫でてやる。ありがとな、久々に笑えたよ。
 「赤蛮奇?」
 愉快な奴だよな、お前は。
 「なに見てんのよ、こら」
 髪の毛をクシャクシャにしてやると、このボケ、色っぽく頬を紅くしやがる。気持ち悪くなってきたんでやめる。
 「なんなのよ……赤蛮奇、あんた最近、本当に変よ」
 「はあ……」
 わたしはわたしの声を聞く。言葉で詰まっていた喉奥が、今はやけにスッキリしている。話そうと思っていた一切合切を飲み込んだか吐き出したかしたみたいだ。

 今泉はいつも誰かのために働いてるな。誰かって言っても、わたしの知る限り、姫とかわたしとか、そんくらいだけど。足の生える薬とか、思い付いたとしても、よく医者を訪ねようと思ったもんだ。
 それに、姫も。姫もみんなのことを考えてくれてる。わたしが心配だって?もう何年の付き合いだと思ってるんだよ。
 小傘。あいつとはそんなに長くないけど……最近はよく酒に付き合わせて悪いなと思ってた。本当だよ、本人には言わないだろうけど。
 たぶん、本当のことなんか誰にも言わないと思う。人間を叩き殺してしまったことも。こいつらが余計にわたしを心配するから、わたしもこいつらを余計に心配させるようなことは言わないようにする。そういうのは、一人でやる。本意に関わらずね。
 要するに、わたしが草の根に入らないのは、そういうわけなんだ。人里に住んでる以上、人間相手に問題を起こすようなことは必ずあるし、それでこいつらに心配をかけさせたくない。

 大丈夫。上手くやれるさ。
 人間味があるってのは、サイコーの褒め言葉さ。一人で悩めば悩むほど、人里で暮らす権利ってものがこの手にあると実感できるようになる。そう思える時が、いつか来る。

 「ところで……」今泉が周囲を見渡す。わたしもそれに倣う。どっちを向いても竹だらけ。「帰り道、知ってるの?」
 「知らないけど。お前、ここに住んでるんだろ?なんで永遠亭に行くのにも案内が必要だったんだ?」
 「滅多に行かないし」
 「もしかして適当に歩いてんの?」
 今泉が頷く。
 こいつ!
 「臭いを辿ったりとかでなんとかならないの⁉︎」今泉の肩を掴んで揺らす。
 「家に臭いのするものとか、あんまり置いてないから……」
 「なんで⁉︎」
 「臭いって言われたら傷つくじゃん!」
 「ざけんなよ!」
 その場で取っ組み合って、殴り合う。塞がりかけてた肩の傷がまた開いたけど、知ったことか!
 
 とまあ、キレてみせたりはしたけど、ぶっちゃけどうでも良い。だって、『永遠に続く苦しみなんかない』だろ?歩いてりゃ、そのうち帰れるって。

 んで、家に帰ったら、先ずはあの死体をどうにかしないとな。
 
 ※

 樽の中に入れておいた死体がどこにもない。


 
 『緑色のプルプル』──多々良小傘

 人間の死体って、それほど珍しいものじゃないんだよ。少なくとも、里の外ではね。妖怪が食い散らかした跡とか、自殺したまま残されてるのとか、なんなら芳香だって死体でしょ?そういうのを見た時に、少しだけ悲しくなったり、切なくなったりするけど、いちいち驚いたりはしなくなったなぁ。仏さんはそっとしておくに限るよ。
 でも、バンキちゃんの家でそれを見つけてしまった時は、そんな思考に至らなかった。驚きすぎて心臓が飛び出そうになった。自分の驚きでお腹を満たせそうだったもん。

 ここのところ、バンキちゃんによく飲みに誘われてたんだ。だいたい家で飲んでたんだけどね。あの酒樽。あんなに大きいのを三つも買うなんて、よっぽどお酒が好きなんだって思って。
 で、今日も誘われるんだろうなって思ったから、こっちから家を訪ねたんだ。でも、バンキちゃん、家にいなくて。

 それって、わたし的には驚かせる大チャンスでしょ?家のどこかに隠れて、バンキちゃんが帰って来たら「ばあ!」って驚かそうと思ったんだ。その上で、樽なんかあったら、もうそこに隠れるに決まってるじゃん。
 絶句したよ。
 蓋を開けてみたら、緑色のプルプルしたものが入ってたんだ。なんだろうと思って手で掬ってみたらさ、どうして今まで気付かなかったんだろうってほどの腐敗臭がして、それが人間の死体の溶け出したものだってわかったんだ。
 
 反射的にそれを手から取りこぼしたんだけど、同時に「ああ、やっぱり」って思っちゃったんだ。だって、最近のバンキちゃん、本当に変だったんだもん。絶対になにか隠し事をしてると思った。そんなに面白くないところで笑ったり、次の日に仕事があるのに遅くまで飲んだり、普段のバンキちゃんなら絶対にやらないようなことを、やってたんだ。

 そういうのが全部、SOSだったんじゃないかって思うと、途端に辛くなって来て。わたしもやっぱり、どうかしてる。殺されたのは人間の方なのに、助けなきゃって思った相手は、バンキちゃんなんだもん。

 わたしには孤独の辛さがわかる。誰からも使われなかった時、誰からも手を差し伸べて貰えなかった時、怖いんだよ。バンキちゃんはいつでも一人になれる。でも、それって一人でいて平気って意味じゃないんだ。

 挫けそうになる現実の光景から目を背けずに、わたしはバンキちゃんの部屋に、大きな袋か、それに近いものがないかを探した。樽の中は殆どグズグズになってるから、運び出すなら手提げ袋が良いと思ったんだけど、見当たらなかった。仕方が無いから、壁にかけてあった、バンキちゃんの替えのマントで代用した。ごめんね。

 マントを畳の上に広げて、その上に樽から掬った内容物を重ねてく。重労働ってほど骨の折れる作業じゃないけど、心が痛む。
 でも、バンキちゃんはもっと辛かったんだ。バンキちゃんのために、この仏さんは、わたしがどこかに隠す。バンキちゃんにできないことは、わたしがやってあげる。

 それが道具の使命……の筈。
 
 死体をちゃんと包んで、結び目を持つ。大丈夫、ガッチリと結べてる。
 玄関戸を頭が出るくらいだけ開けて、そこから外の様子を伺う。通行人はいるけど、それほどってわけじゃない。わたしは戸を開けて、怪しまれないように、だけど、足早に歩く。みんながわたしを見ているような錯覚に陥るけど、錯覚なんかじゃないかもしれない。バンキちゃんのマントから、濁った汁が滲み出ている。
 通りすがりに犬に吠えられる。
 よく遊ぶ子供から声をかけられる。
 幸せそうな家族とすれ違う。
 遠くでカラスが鳴く。
 全てが色褪せて見えてくる。バンキちゃんもそうだったんだ。

 とにかく歩く。どこへ行けば良いかなんて決めてなかったけど、とにかくあっちの方向へ行けば、全てが解決する。そう信じて、わたしは歩き続ける。

 ※

 墓地へ着いた時には、すっかり日も暮れちゃったし、ヘトヘトだった。それでなくても、ため息が出まくった。まるで、それ以外の呼吸法を忘れちゃったみたい。
 お寺の裏の墓地。個人的に落ち着くんだよね。静かでさ。色々考えたりするなら、ここが一番だよ。

 ここに来た理由として、一瞬、脳裏に芳香に死体を食べさせるという案が浮かぶ。でも、流石に良くないよね。芳香だって元は人間なんだもん。だから、別の方法を考えた。

 芳香は元は人間で、じゃあ、キョンシーにしたのは誰って言う話。何度か会ったことがあるんだけど、青娥って言う人が、芳香をキョンシーにして生き返らさせたんだ。芳香は青娥さんをとても信頼してる。芳香が死体のまんまとは言え生きていられるのも、青娥さんのおかげなんだって。
 この死体も、青娥さんに渡せば、どうにかなるかもしれない。生き返らせてくれるかもしれない。そうしたら、バンキちゃんも幸せだし、殺されちゃったこの人も幸せだ。

 そう信じて、わたしは芳香を呼ぶ。
 「いるなら返事して、芳香!」
 芳香は現れない。いつもなら呼んだらひょっこり……でもないね。いる時といない時で結構バラける。基本的に外で用事が無い時は寝てるらしいんだ。
 「芳香、朝だよー!」
 その時だった。
 墓石から人影が見えて、わたしは安堵した。わたしはそっちへ向かった。

 「芳香、芳香!」
 わかってる。
 そう都合良く人が生き返ったりなんかしないって。断たれた関係が、なにかの拍子で簡単に直ったりなんかしないって。でも、今がどうしようもなくて、未来にすら自信が持てない時には、そのあり得ない出来事に縋るしかないんだ。

 わたしは人影に近付いた。人影はバンキちゃんだった。
 「よっ、昨日ぶり」バンキちゃんが手を振る。
 「あ、どうも……」
わたしはその横を素通りする。それにしても芳香はいったいどこに……いや待てよ……

 今の、バンキちゃんじゃん!
 
 振り返ると、バンキちゃんはまだそこにいて、墓石の上にひらりと座った。優しげな微笑を浮かべて、手をひらひらと振っている。
 「お前の友達の、ヨシカちゃん?」バンキちゃんはわたしの立っているは場所の隣にある墓石を指差した。「さっき、倒しといた。かなりタフだったけど、大事な話の邪魔になったら困るんでね」
 見やると、たしかに芳香が倒れていた。腕を真っ直ぐに伸ばしながら。わたしには今の芳香が死んでいるようにも眠っているようにも見える。

 「バンキちゃん」
 「わかってる。お前のその包みの中に……って、それわたしのマントじゃない?もしかして」
 「ごめん……」
 「……」

 だいぶ臭くなってるマントを、わたしは地面の上に置いた。バンキちゃんは墓石から降りて、マントの包みを挟んで、わたし達は対峙した。
 「……どうして」
 わたし達の声が重なった。わたしはバンキちゃんの言葉を待った。
 「どうして、勝手に家に入ったりした?知ってたのか?」
 「知らなかったよ。本当に。でも、変だなって思ってた」自分でも驚くほどに、言葉がスラスラと出てくる。「驚かせようと思ったんだ。わたしが家にいたら、驚くかなって」
 「そうかな……」
 バンキちゃんが地面の小包みを開ける。そこに入っていたのは、やっぱり、どうにも現実味がない。この死体を作ったのがバンキちゃんだっていう現実を、認めたくない。
 「それ……」わたしは指差す。バンキちゃんのマントの上の、プルプルのものを。「バンキちゃんが……」
 「わたしがやった」

 魂が抜けていくようだった。バンキちゃんが人間を襲って、殺して、死体をずっと隠してた。まだ疑いの範疇にあった出来事を、バンキちゃんが認めてしまった。
 「どうして?」今度はわたしの番。「なんで、そんなことしたの?」
 「教えたら納得してくれる?」
 断固として頷く。
 「人間の血の匂いを嗅いで、カッとなって殺したんだ。それだけだよ」
 「……それだけ?」
 「あ、いや、厳密にはもっと……相手が絡んで来たからつい殴っちゃって……その人と会う前に便所で血の匂いを嗅いじゃったり……」
 「そういうところをちゃんと話してよ!」
 声を張り上げると、バンキちゃん、黙っちゃった。
 こんな時にだけど、ごめん。
 ちょっとだけ、お腹が満たされました。

 「バンキちゃんが理由もなく人を殺すなんて、そんなことしないって、わかってたよ、わちき!」
 「わ、わちき?」
 「いつもそうなんだ、バンキちゃんは!悩んでても、困ってても、一人で抱え込んでて、どうして話してくれないの!」
 「小傘さん?」
 「『人』と言う字は人と人が支え合ってぇ……」
 「もういいよ!」
 「よくないよ、怒ってるんだよ、わちきは!」

 溢れ出て来る言葉と、涙。バンキちゃんは気付いたら正座して、わたしのお説教、と言うよりかはただの罵詈雑言に、神妙に相槌を打つ。自分でもこんなに酷いことが言えるんだという驚きがあった。バンキちゃんも時々「え、そんなこと言っちゃうの?」みたいな顔をした。その度に、お腹が満たされてく。『さでずむ』の素質があるのかもしれない。
 
 「──バンキちゃん!わかったの⁉︎」
 「うん」
 「よし!」
 
 バンキちゃんはゆっくりと立ち上がると、墓石を背もたれにした。足が痺れているみたい。
 「ごめんね、酷いこと言っちゃった」
 バンキちゃんは一息付いて、俯いた。その視線は、人間の死体に向けられている。
 「それだけのことをしたんだよ、わたしは」
 「……」
 「もしかしたら、人間を殺すことなんか、妖怪の間じゃあそれほどのことじゃないかもしれない。でも、わたしは凄く苦しんだ。そんで、これからも苦しみ続けると思う。それが人間らしさって奴。真似事じゃなくて、本当の意味で、人間に近付いた気がした。でも、人間の生活がこんなに辛いものなら、妖怪の気の向くままに生きていくのも悪くないかもしれない」バンキちゃんは屈んで、死体を再び包み込んだ。「でも、わたしは妖怪でも、人間の生活を手放したくない。それだけ愛着も湧いてる」
 「バンキちゃんはバンキちゃんだよ」
 「簡単に言うね……」
 「自分のやってることに自信を持てば、どこで暮らしてても自分は自分だって思えるよ!」

 わたしは忘れられた傘だった。でも、傘として使われたことは稀だった。
 それでも、傘になれた。から傘おばけの妖怪になれたんだ。もちろん、それからも傘として使われたことなんかない。まあ、この身体でどう使えば良いんだって言う話なんだけどね……。

 わたしはから傘おばけだけど、ベビーシッターや鍛冶屋をやってる。わけわかんないと思われるかもしれないけど。傘の癖にって。鍛冶屋はともかくとしてね。でも、なにをやってても、わたしは自分の存在を疑問視したことなんてない。わたしは多々良小傘。多々良小傘であることに、誇りを持ってるんだ。
 
 「いつか、同じようなことを今泉にも言ったっけな」バンキちゃんが呟く。「自分達がなにをやっているか、ちゃんとわかっていれば、どこに住んでたって変わりはない……」
 
 本当はみんなわかっている筈なのに。
 でもまあ、妖怪の寿命って、長いもんね。
 まだまだ悩める時間はある。

 「ところでさ」バンキちゃんが包みを持ち上げる。「これ、どうする?」
 「あっ」
 芳香はまだ起きない。青娥さんも現れる様子がない。
 悩める時間は、まだまだ尽きないのだ。

 
 
 『マーメイド・スキン・ディーバ』──今泉影狼

 「だいぶ怪我治ってきたじゃん」
 赤蛮奇は自分の顔に付いてる傷を指で撫でた。
 「そうかな」
 「うん。だいぶ良くなったよ。……てかさ、怪我してない頭、使えば良いじゃん」
 「わたしのサブ頭って、本体の状況を常に反映しちゃうんだよね」
 「え、そうなの⁉︎」
 左を歩いてた小傘が小さくゲップをした。こいつ、自分が驚かさなくても満たされるのか……。

 全身に大怪我を負った赤蛮奇と小傘が竹林の前で倒れてたのを、妹紅さんが見つけて、わたしに教えてくれたのが一週間くらい前のこと。なんでも、墓地に住むキョンシーや邪仙に熾烈極まる弾幕ごっこを挑んだらしくて、なんとか勝ちに持ち込んだんだとか。弾幕ごっこで大怪我するって……よっぽどのっぴきならない事情があったんだろうけど、それにしてもアホすぎ。

 すぐに永遠亭に連れて行くことにした。わたしは小傘を、赤蛮奇を妹紅さんが運んだんだけど、赤蛮奇の奴、ボロボロのくせして妹紅さんに話しかけてた。なにを話したかは教えてくれないんだけど、妹紅さん、妙に嬉しそうに微笑んでたっけ。
 あんな妹紅さん、初めて見たなあ。

 とにかく、二人は入院した。しばらくは絶対安静。まあ、妖怪だし、身体の傷の治りは早いんだけど、それでも入院するようなことはそうそう無い。

 で、今日で退院なんだけど、そのお祝いをわかさぎ姫のところでやるってわけ。姫ったら、二人が入院したって知った時、溺れるくらい心配しちゃって。今頃怒ってるんだろうなあ。そんな話をしたら、赤蛮奇と小傘、かなりビビっちゃった。
 「ところでさ」逃げるように話題をすり替える赤蛮奇。「お前、まだ、香霖堂だっけ?あそこ通ってんの?」
 ドキッ。
 「べ、別にいいでしょ?」
 「なになに?」小傘が赤蛮奇に加勢する。「なんの話?」
 「つーか、その両手に持ってる荷物。香霖堂で買ったものだな?」
 「今日の退院のお祝いパーティのために、色々と買って来ただけよ」
 「マ・ジ・で?」小傘のキメ顔がクソムカつく。わたしと赤蛮奇の会話で、なんか察せられてるのもマジムカつく。
 「本当に霖之助さんとはなにもないから」
 「んなこたあわかってんだよ。でも、その霖之助さん?のことをどう思ってんの?」
 わたしは黙る。反撃の手を模索する。
 「あんただって、最近様子が変だったじゃん。永遠亭に一人で来てたり、なに?恋煩いでも診てもらおうと思ったの?」
 赤蛮奇の目が見開かれて、口角がガッと上がる。
 「今、恋って言ったな?つまり、お前のそれもやっぱり恋なんだな?」
 「あ……」
 小傘に肩を掴まれる。
 「隠し事は無しだよ、影狼ちゃん!」
 両手の荷物を地面に落とす。爪がシャキンと光って、二人の血を吸え、血を吸えとわたしに呼びかける。
 「お前らだって、隠し事してるでしょーが!」
 「ひー!」

 二人を八つ裂きにして、今度こそ帰らぬ者にしてやろうと思ったところで、やめる。
 湖の方角から音が聞こえて来る。意味ありげな音が。
 「い、今泉?」
 「シー!」
 「ご、ごめんなさい」
 地面に情けなく尻餅をつく赤蛮奇と小傘を放って置き、音に耳を傾ける。
 わかさぎ姫だ。姫が歌ってる。
 二人も気が付いたみたいで、耳をそばだてる。
 
 バン、バン、バン、とって〜もだ〜いすき、バンキ〜ちゃん〜……

 「なにこの歌」困惑する赤蛮奇。「わかさぎ姫?」
 「え?わちきは?」歌詞に自分が入ってないことを嘆く小傘。「わちきは大好きじゃないの?」

 わかさぎ姫は歌い続ける。わたし達を待ってる、みたいな意味の歌詞を。相変わらずのセンスだけど、わかさぎ姫らしい歌詞を。

 小傘が好きだと〜……耳元で言ったぁ……

 「え?なにこの失恋ソングみたいな曲調……」泣きそうになる小傘。
 「お前はまだ、姫とそんなに付き合いが無いからな」慰める赤蛮奇。「これからだよ、これから」
 「そ、そうだよね!」
 二人にしかわからない暗号で会話されてるみたいで、なんだか嫉妬してしまいそうだけど、わかさぎ姫の純粋な気持ちを聴いてたら、どうでも良くなってきて。

 足なんかなーいさ、足なんかいらな〜いさ……ただ、みんながそこにいれば、わたし、それで良いの……

 赤蛮奇に脇腹を小突かれる。
 「足なんかいらないってさ」
 「……うっさい」
 「言っただろ。自分がやってることがわかってりゃ、どこに住んでたって変わらない。こう言うことだよ」
 「本当にわかってんの?」
 「これからだよ、これから」
 今度はわたし達にしかわからない暗号で、小傘だけが取り残される。だから、わたし達はさっさと姫のところへ向かうことにした。

 「そうそう」でも、伝わるべきところは伝わっているらしくて、小傘がはしゃぐ。「飛頭蛮、から傘おばけに狼男、人魚だなんて種族は関係ないもんね!恋もだよ、影狼ちゃん!」
 「あのね……」伸びた爪先を、小傘の方へ向ける。「わたしは狼男じゃなくて、狼女です!」
 「ひー!」

 わたしや、赤蛮奇や、湖でわかさぎ姫が笑った。

精進します。
いびでろ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.450簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白くて良かったです
3.100サク_ウマ削除
天才か。いや天才だったわ。
普段のロックでアウトローさが全開な作品とは趣の違う、アウトローになりかけた一般人とその友人たちの群像劇。主人公たちの危なっかしさとその立ち直っていく様子が克明に描かれていて、とても泥臭くて綺麗というか貴いというか、そんな風に思います。
お見事でした。素晴らしかったです。
5.100名前が無い程度の能力削除
アナーキーっぽい作風好きです
6.90名前が無い程度の能力削除
ちょっと肩透かしだったけど良かった
8.100モブ削除
世界観のバランスがいいなあと。羨ましいぐらいのセンスです。ご馳走様でした。面白かったです。
10.100電柱.削除
行間から硝煙のような香りがするほどの熱量でした。とても面白かったです。
赤蛮奇の仄暗い部分と作者様のオリジナリティ溢れる表現力が絶妙に組み合わさり、唯一無二の作風になっていてとても読み応えがありました。
11.100名前が無い程度の能力削除
各々の思惑が入り乱れて、二転三転する展開にドキドキしました。
12.100ヘンプ削除
蛮奇の始まりから他のキャラの思いや最後に仲良くしていたのが良かったです。
面白かったです。
13.100名前が無い程度の能力削除
凄い好きです
登場人物が生きてました。心の動きをこんなにも荒々しく書けるのは驚きです。この嵐のような文章と東方キャラのかわいさが化学反応を起こしてそれが物語になっていて……
ワンシーンワンシーンの書き方がたまりません
15.80名前が無い程度の能力削除
三人の気持ちが交錯する展開がとてもよかったです
赤蛮奇の里に住んでいるという設定から、ここまでのストーリーを作れるのもすごいなぁと思いました
17.100名前が無い程度の能力削除
綺麗事じゃないのに綺麗。表現に困ったけど、そんな感想を覚える素敵な作品でした。
18.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
19.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
20.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
21.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
22.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
23.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
24.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
25.無評価名前が無い程度の能力削除
ミッシェル聴きたくなってきたなぁ…
26.100終身削除
誰も彼も少し不器用だけどちゃんと心があって生きてるってこういう事だよなぁとなんだか無性に思えました 皆んなそれぞれに違う居場所があってその場所からこれからどうしたいのかも居場所を守るためにどれだけ必死にならないといけないかも違うから衝突したりすれ違いもあるんだろうけど、それでもお互いに向き合って、向かい合って笑い合うことが出来ていたようでそれがとても心に残りました
28.100名前が無い程度の能力削除
めっちゃ面白いですね