不機嫌だと、自覚する。
自覚したからといって、なにがどう変わるわけでもない。
ただ必要なことではあった。魔法を修練する者にとって、自身を客観的に捕らえる事は、必要最低限の心得ではある。
魔理沙は気分を変えるつもりで、コーヒーの入ったコップを掴んだ。
「うわ、まずっ」
が、すぐさま口を離す。酷く冷めている。
舌打ちでもしたい心地で、彼女は開いていた本を勢い良く閉じた。とてもではないが、読み込んだ内容が頭に入るモチベーションではない。
古臭く、年季の入りようを窺わせる椅子の背もたれに、どっと体重を預ける。
「くそ、なんだかな……なんだっていうんだ」
ぶつくさとつぶやく。それもまた益体のないことだと、判ってはいたが。
不機嫌との自覚はあっても、彼女には何故自分がその感情に囚われているのか、理解できていなかった。
きつくまぶたを瞑り、胸中で口にする。
(そうだよ。わたしは霊夢に勝ったんだ。勝ったんじゃないか。これでイーブンだ。負け越していたけど、また並んだじゃないか。喜ぶべきだろう?)
言い聞かせるように、自らに問いかける。
先日に起こった、異変とも言えぬ小さな事件。寺子屋のチョークがごっそり消えたとか、里の守護者の角がきゅうりになっていたとか、その程度の事件だ。
そこで魔理沙は霊夢と出くわした。どちらが先に事件を解決するかで弾幕勝負だと、魔理沙がちょっかいをかけた。結果彼女が勝利を収め、見事に事件を解決したのだ。
ずっと追いかけて来た、博麗の巫女の背中。次に勝利を収めれば、はじめて追い越すことが出来る。
あののんきな巫女に、自分の背中を見せ付けてやることが出来るのだ。きっと驚くに違いない。
(そうだよ、そうじゃないか。何を不機嫌になる必要がある。ここはもっと意気込むべきだろう? 気合を入れて、踏み込むべきだろう? 負けるかー!って叫ばないと駄目だろう?)
幾度となく自問を重ねても、やはり心は晴れない。
もしかしてと、思う。
自分は、諦めているのではないか?
これまで巫女との弾幕勝負で、勝敗がイーブンになったことが一度として無かった訳ではない。何度も並び、その度に追い越されてきた。
どうせまた負けるからと、弱気になっているのではないだろうか?
(それだ、きっとそれだ。違いない。負け癖がついてしまってるんだ。それを自覚して、だからこんなにも不機嫌になってるんだ)
納得したようにうなずくが。
それでも、やはり無理やり言い聞かせているように思えて、魔理沙は嘆息した。
「くそ、なんだっていうんだよ、もう……」
がしがしと髪を乱して、かぶりを振るう。
寝てしまおう。今日のモチベーションは最悪だ。明日になればきっと、いつものように活力が沸いて出てくるに違いないのだ。
彼女は椅子から腰を上げ、ベッドへと沈み込んだ。
夢の中で、魔理沙は負けていた。
「霊夢のバカー!」
と、涙混じりに怒鳴る自分は、子供だった。
いや、今でも子供なのかもしれない。反論はしたくとも現実問題どうかといわれれば、口篭らざるを得ない。ただ夢の中の自分は、現在よりも小さかった。それだけの話だ。
一方の巫女は、すまし顔を見せている。
「この世は弱肉強食よ。強いものがせんべいを制し、弱いものは粉になったせんべいを食べるさだめなの。はい、あげる」
「わーん」
夢の中の霊夢は、自分と同じく小さかったが、やはり霊夢だった。
場所は博麗神社の縁側だろう。若干見知った雰囲気とは異なるが、間違えようも無い。
(これは、昔の博麗神社だ)
異変によって倒壊し、建て替えられる前の神社。
昔の光景を見ているのだと、魔理沙は悟った。そして確か、この頃の自分は魔法使いでもなんでもなかったはずだ。
でも霊夢は、この頃から巫女の衣装を纏っていた。思えば、魔理沙の知っている霊夢は、いつだって博麗の巫女だった。
幼い魔理沙は巫女をびしっと指差して、声を荒げた。
「霊夢は卑怯者だ! 勝てるわけないじゃないか! 針とかお札とか棒っきれとか出して!」
「博麗の巫女はあらゆる物を使って勝利をおさめるの。これは伝統なの。だから卑怯じゃないもん」
「ずーるーいー!」
縁側に座り、ばりばりと煎餅を頬張る霊夢に、魔理沙は地団太を踏んでいる。
(そういや、私はこの頃から、霊夢に勝ったためしがなかったな……)
その姿を苦笑混じりに眺めながら、彼女は思った。
それもそうだろう。妖怪を退治する巫女に比べ、自分はなんの力もレッテルもない、ただの里の人間だった。
だと言うのに、霊夢はまるで容赦がなかった。あらゆる妖怪退治の道具を用い、お菓子を巡る争いの勝利者となった。魔理沙は指をくわえて見ているしかなったのだ。
ふと、小さい自分の姿が消えた。
やがて、とととと戻ってきた自分は、その両手に竹箒を握り締めていた。霊夢をキっと見据え、挑むように口にする。
「霊夢が道具を使うなら、私はこれを使う! もう一度勝負だ霊夢!」
「わ、ちょっと。危ないってば、魔理沙!」
ぐるんぐるん竹箒を振り回す魔理沙は、明らかに身体をとられていたが。
しかし慌てる霊夢を認めて、これは使えると調子に乗りはじめた。
無軌道な弧をかく箒は霊夢の勘を潜り抜け、運良くその頭にスコーンと命中する。
「ううー。痛い」
涙目でしゃがみ込む巫女に、魔理沙は得意げな顔をして言った。
「ざまーみろ! 霊夢、残りの煎餅は私のものだからな。泣いたほうが負け、そうだよな!」
「ぐうう、魔理沙めー……」
そういえばと、思い出す。
これは、始めての勝利だった。記念すべき日だ。戦勝記念日である。何処かにカレンダーないかと彼女は探したが、何処にも見つからない。残念だなと胸中で零す。
今度は小さい自分がばりばりと煎餅を食べていると、霊夢がととととやって来て、びしっとポーズを決めた。
「魔理沙! こと竹箒で負けるなんて、わたしのきょーじが許さないわ! どちらが竹箒を上手く扱えるか、勝負よ!」
妙な対抗心を燃やしているのか、その手には竹箒があった。蔵から持ってきたのだろう。
魔理沙はにやりと笑みを浮かべ、霊夢を指差した。
「負け霊夢が何か言ってるー! もうさっきのこと忘れたのか? 私のほうが上手く使えるに決まってるじゃないか!」
「わ、わたしのほうが上手だもん。毎日掃除する振りして、チャンバラごっこだってしてるんだもん!」
「じゃあかかって来いよ、霊夢! 白黒つけてやる!」
「くたばれー!」
なんとも口汚い言葉を吐きながら、襲い掛かってくる霊夢。
まあ結果から言って、魔理沙は負けた。経験の差だろう。毎日境内を掃除する霊夢は、竹箒を握りなれていた。それだけの話だ。
(そっか。この日から私は、竹箒に執着し始めたんだ)
なにせ、はじめて霊夢に勝利したときの功労者である。
両親に竹箒が欲しいと強請り、買ってもらった。まさかこのとき、両親も彼女がその竹箒に跨って家出することになるとは、思ってもいなかっただろう。それは魔理沙自身もだが。
ともあれ、その日から魔理沙と霊夢の勝負は箒でのチャンバラごっこになった。最初は負け続きだった魔理沙だが、自前の竹箒を博麗神社に持ち込むぐらいの身の入れように、それも変わってきた。相性が良かったというのもあるだろう。
最終的な勝敗は、引き分けだったはずだ。
(でも、スペルカードルールが制定されて、それも終わった)
時が経ち、彼女達が持つのは竹箒ではなく、スペルカードになった。
霊夢はスペルカードルールに従い妖怪退治をするようになり、そして魔理沙は血の滲む努力を重ね、魔女へと姿を変えていた。
スペルカードを使った勝負は、楽しい。芸術性を追い求める奴も居れば、自分のように単純に力だけを追い求めるものを居る。枠が広いのだ。各々が好むものを、弾幕に反映させることが出来る。
その自由さは魔理沙を魅了した。魔法と弾幕の研究に没頭する日々が続き、異変の解決にだって出向いた。スペルカードルールは、人間と妖怪との溝を埋めるきっかけとなった。魔理沙は妖怪と弾幕を交わし、言葉も交わした。それが弾幕の研究に拍車をかけた。
気がつけば、あの霊夢相手にだって負けないぐらいに強くなっていた。
弾幕ごっこならば、博麗の巫女にだって引けをとらない。
そうだ。もしかしたら追い越すことだって、十分にありえるのだ。ならば弱気になる必要は無い。自分はこのまま、突き進めば良い――
そこで、目が覚めた。
「……」
むっくりと身体を起こす。
朝だ。カーテンから零れるやわらかい光を見て、悟る。
夢なんてものは目が覚めた途端、記憶から抜け落ちてしまうものだが、はっきりと鮮明に覚えていた。
散々頭を箒で叩かれた痛みさえ、再現できそうだった。
(霊夢のやろう……)
怒りを、感じた。
ゆるせねぇ、と胸中で毒づく。
まだ幼い自分。魔法使いでもなんでもなかった、いたいけな少女に、あの巫女はなんてことをしたんだ。
だって考えてみろ。普通、ただの里の娘に対して妖怪退治のお札を取り出すか? ぶっとい針を突きつけてくるか? 少し分別があるのなら、判るだろう。それは痛い。とても危ないから、やっちゃ駄目だと。
だというのに、あの巫女は……
ふつふつと煮えたぎる感情が、遠い記憶から這い上がってくる。
魔理沙は居ても立ってもいられなくなって、ベッドから抜け出した。
(こうしちゃおれん。今度こそあのおめでたい巫女をぎゃふんといわせてやるんだ)
結果的に、昨晩の自分の考えは間違っていなかったのだろう。
今の魔理沙には活力があった。それがあれば、何処へでも行けるんだと錯覚するほどバイタリティに溢れていた。
彼女の眼に、もう雑念は無かった。
(もっと考察を練ろう。新しいスペルカードはいらない。必要なのは既存のものの底上げだ。弾幕はパワー。そうだろう?)
モチベーションは最高だ。
この裡に燻る熱いものを正しい形で昇華できれば、もっと高みへと登ることが出来る。それは疑いようも無い。
そう遠くない日に訪れるだろう勝利を確信し、魔理沙は強く意気込んだ。
弾幕の研究も、魔法の研究も終わりは無い。
追い求めようと足掻けば足掻くほど、到達点は遥か遠くへ逃げてゆく。自らの不甲斐なさに奥歯を噛み締め、怨嗟さえ籠めて目標を睨み付ける。そこで待っていろ、絶対に追いついてやると。それでも、やがて思うのだ。頂は遥か遠く、人のか細い足で辿り着くことは到底不可能ではないのかと。
絶望したとき、人間は自然の理から外れ、真の魔法使いになるのだろう。
実際は違うかもしれないが、魔法使いとはそういう種族だろうと魔理沙は思っていた。そして自分が人の道から外れるときは、絶望したときだろうとも。
ともあれ、今の彼女は微塵も絶望など感じていなかった。研究に区切りをつけ、博麗神社に来たのは、満足のいくものを見い出したからに過ぎない。
「珍しいわねぇ。あんたがきのこ以外のものを持ってくるだなんて」
「なんだ、きのこのほうがよかったのか?」
機嫌の良い巫女に、訊き返す。
霊夢と魔理沙はちゃぶ台を囲んでいた。その上には急須と湯のみ、そして魔理沙が購入してきたお茶請けがあった。
そのお茶請けの包装を、鼻歌でも唄いそうな様子で開けながら、巫女は口を開いてきた。
「わたしはきのこでもいいけどね。貰えるものは貰うわよ。ただ、あんたがお金を出して買ったものを家に持ってくることって、今までに数えるほどしかなかったじゃない。あんた守銭奴だしね」
「お前に言われたくないな。それに、金を出したとは一言も言ってないぜ」
ずず、とお茶を啜りながら告げる。
霊夢の動きが止まった。包装を紐解く作業を中断して、こちらに半眼を突きつけて来る。
「ちょっと、まさかあんた。これ、盗品じゃないでしょうね。腹におさまったものを返せとか言われても、無理だからね」
盗品だとしても、この巫女は食すつもりなのか。
気にはなったが、魔理沙は軽く手を振って否定した。
「冗談だ。きちんと買ってきたものだぜ。わざわざ人里まで赴いてな。賞味期限が切れているなんてこともない」
「怪しいわね。魔理沙らしからぬ行動よ」
胡乱な眼差しを向けてくるも、その手は再び包装を解く作業を再開している。
もちろん、この行動は意図あってのことだが。魔理沙は肩を竦めて、その視線を受け流した。
「人間、たまには普段と違う行動をしてみるもんだぜ。それは日常に対する良い刺激になる」
「……いいけどね。わたしが損しないなら。って、これはっ」
お茶請けの中身を見て、巫女は歓喜と驚愕との入り混じった声をあげた。
魔理沙は密かに唇を歪めていた。それもそうだろう。彼女が持ってきたものは、すべて霊夢が好む茶菓子のはずだ。付き合いの長い魔理沙だからこそのセレクト。
そしてだからこそ、意味をなすものなのだ。
「魔理沙、あんた……」
「なんだよ、食べろよ。その為に買ってきたんだぜ。まあもちろん私も頂くがな」
霊夢の言葉を遮って、促す。
巫女は茶菓子に手を伸ばして、それを食べる。
「おいしいっ。素晴らしいわ魔理沙。あんたお星さまのように輝いてるわよ。お賽銭箱に入れても問題ないくらいきらきらしてるわ」
「あんなさびしい場所は勘弁だぜ」
満面の笑みで頬張る巫女を眺めつつ、彼女は機を見計らっていた。
しっかりと味を噛み締めたのだろう、長い時間をかけて一つを食べ終えた霊夢は、もうひとつと茶菓子に手を伸ばした。
が、魔理沙は茶菓子をその箱ごと取り上げた。霊夢の手が空を切る。
「霊夢、そこまでだ」
「え? どうしてよ」
告げれば、不思議そうに問うてくる。
彼女は努めて意地の悪い笑みを浮かべ、かぶりを振った。
「言っただろう。私も頂くと。お前にやるのはさっきの一つだけだ。後は全部私のもんだ」
「ちょ、ちょっと魔理沙?」
「なんだ、文句でもあるのか? おいしかっただろう?」
「お、おいしかったけどさ……」
戸惑う巫女を無視して、魔理沙は箱を抱え込んだ。
栗の入ったどらやきを手に取り、そして見せ付けるように頬張る。
もぐもぐと口を動かして、舌鼓をうつ。
「ひゅー美味いな! 流石私が特別選んだだけはあるぜ!」
その言葉は嘘ではない。
霊夢の舌はそれなりに良いものを好むということなのだろう。魔理沙はもしゃもしゃ食った。
巫女がじと目で見やってくる。
「……」
「あー? なんだ? 何見てるんだよ、霊夢。お前にはもうやっただろう?」
「あんたねぇ……」
呆れたような、怒っているような。そんな面持ちで、霊夢。
判りやす過ぎただろうか? それでも構わない。ようはきっかけさえあれば、なんだっていいのだ。
「この最中は最上だな。高いだけはある。値段相応の味はするぜ。おい霊夢、お茶。皮が引っかかった」
「あんた何しに来たのよ」
「お前に見せ付けに来たんだよ。私の様をな」
「最中の皮を引っ掛けた様を? いいからそれを置いて帰りなさい。皮引っ掛けたまま帰りなさい」
「なんて残酷な巫女だ」
おどけるように言い、しかし実際口の中が違和感に包まれていたため、彼女は霊夢の湯飲みを強奪した。
ごくごくと飲み干して、口元を拭う。
魔理沙は抱えていた箱をちゃぶ台の上に戻してから、ねめつける様な視線を霊夢に這わせた。
「欲しいのか、霊夢? この私の選んだ上生達を」
「いらないわよ」
真正面から否定してくる。
が、台詞とは裏腹にすっと伸びてきた巫女の手を、ぱちんと叩き落す。
魔理沙は続けた。
「欲しいのか、霊夢ちゃんよ。ん、どうなんだ?」
「いらないって言ってるでしょ。馬鹿」
ぶっきらぼうに言いつつ、じりじりと忍び寄ってきた手を、再びはたく。
しかしそれは囮だとばかりに伸びてきた手を、魔理沙は見逃してはいなかった。
その手首をがっちりと掴む。霊夢が意外に片眉を上げた。まさか見切られているとは思わなかったのだろう。
魔理沙はその手首を掴んだまま、霊夢ににじり寄った。
「いやらしい手だな、霊夢。これは手癖の悪い盗人の手だ」
「それはあんたの手でしょ。わたしのじゃないわ」
顔を背け、淡々と嘘を並べる巫女。
魔理沙は霊夢に顔を寄せた。言い寄るように、口を開く。
「もっと素直になれよ。お前が本心を口にすれば、私だって鬼じゃないんだ。条件次第で考えてやってもいいんだぜ」
「これ欲しい。全部ちょうだい」
きっぱりと言葉を覆してくる。
見事な切り替えの早さに、魔理沙は感心すべきなのか呆れるべきなのか迷ったが。
どちらでもいいと、霊夢の眼を受け止め、告げた。
「なら、私に勝て。弾幕勝負でお前が勝ったなら、全部くれてやる。もしお前が負けたときは、これは私のもんだ。お前の目の前でむしゃむしゃ食ってやる」
思っていたより、言葉に力が篭っていたのかもしれない。
霊夢は魔理沙の手を振り払って、半眼を向けてくる。
「最初からそれが目的でしょ。判りやすい奴ね。回りくどいことしないで、弾幕勝負しようって言えばいいじゃないの」
「なら、私が手ぶらで来てその台詞を言ったとして、お前は応じるのか?」
言い返す。
めんどくさがりな巫女は、めったなことで腰をあげようとしない。それこそ、異変でも起きない限りは。
霊夢は視線を遠くに投げて、考えているようだったが。
「そりゃあ……応じるわけ無いじゃないでしょ」
魔理沙はじと目で、無言の非難を霊夢に突きつけた。
しばしの沈黙の後、巫女は納得したように、うんうんとうなずきを表した。
「なるほどねぇ。それは有効な手よ、魔理沙。だってわたしが好きなお菓子ばかりだもの。それがただで手に入るなら、弾幕ごっこぐらい付き合ってあげるわ」
「ただじゃないぜ。言っただろう。弾幕勝負で、お前が私に勝ったらの話だ」
「それって、ただってことでしょ?」
さも当然とばかりに、言ってくる。
その言葉の意味を理解し、魔理沙は口元に笑みを浮かべていた。このやろうと、拳を握る。だが、博麗霊夢はそうでなくてはならない。だからこそ、やりがいが生まれてくるのだから。
霊夢はすっと腰をあげて、促してくる。
「表に出なさい。ぱぱっと終わらせて、お菓子の時間にしましょ。あんたの前でもしゃもしゃ食ってあげるわ」
くるりと背中を向けてくる。まるで境内でも掃除してくると言わんばかりの対応だ。
魔理沙はその背に問いかけた。
「霊夢、知ってるか?」
「なによ」
振り返ってくる巫女に、魔理沙は続けた。
「これで私が勝ったら、どうなるか」
「お菓子没収でしょ。在り得ないけどね」
「違う。そうじゃない。もし私が勝てば――」
「あんたのほうが、勝ち数が多くなる。違う?」
魔理沙の言葉を遮る形で、霊夢はそう言った。
ぽかんと、口を開ける。帽子がずれた。まさか、何事にも関心の薄い霊夢が、その事実を知っているとは思ってもいなかった。
だから確認の意味を込めて、その言葉を投げたのだが。
霊夢は呆れ顔になった。
「なんで知ってるのかって顔ね。でもね、前回あんだけ引き分けになったって騒いでりゃ、わたしだって覚えてるわよ」
「あ、そうか。そういうことか」
帽子の位置を戻しつつも、納得する。
霊夢が続けてくる。
「そんな魔理沙に残念なお知らせよ。実はわたし、前回は乗り気じゃなかったから手を抜いていたの」
「安い挑発だな、霊夢。それとも、それは負けたときに言う保険の言葉なのか? だとしたら、もう少しマシな言葉を選んだほうがいいぜ」
「保険かどうかは、今から判ることよ。あんたのお菓子はわたしが食べてあげる。魔法使いでは越えられない、巫女の壁があることを知りなさい」
「ただより高い物は無い。昔の人はいいことを言ったな。欲に目が眩んだお前は、私に勝ち星を奪われることになる」
鮮やかに放たれる弾幕。
その合間を触れるか否か、神経の届く限界の範囲で通り抜ける。
二重三重と張り巡らされる弾幕は、逃げ場が無いように見えるが、それは錯覚に過ぎない。
必ず綻びはある。もしそれが見えなかったのなら、事前に通った道を誤ったという事だ。この勝負は、刹那に迫る弾幕だけを見ていては勝つ事は出来ない。大局を見る広い視野が必要になる。
(勝てる)
くるりと身体を回転させ、迫ってきた弾をかわしながら、魔理沙は冷静だった。
神経が、身体の隅々にまで通っている。知覚できる範囲がどんどん広がっていく。
通るべき道が、魔理沙には見えていた。弾幕は生ものだ。本人の気分次第で、姿形を変える。だというのに、彼女はまるで予め決められた道を歩くかのように、弾をかわせていた。まるで出来レースに加担している気分だった。
(勝てるぞ)
だが油断は禁物。
霊夢のスペルカードはまだ残っている。博麗の巫女のことだ、どんなどんでんがえしがあるのか、判ったものではない。
しかし、例えそれがどんなに不意をつくようなものでも、魔理沙には確信があった。
今の自分ならば、かわし続けることができると。
そして実際、その確信は現実へと変わりつつあった。
「やるじゃない、魔理沙。今日はどうしちゃったの、まるで別人ね」
息も絶え絶えに、肩で呼吸を繰り返す霊夢。
「それはこっちの台詞だぜ。お前は本当に博麗の巫女なのか?」
「ふん、言ってなさい。博麗の巫女を侮ると、痛い目を見るわよ。普通の魔法使い」
霊夢は懐からスペルカードを取り出した。
このタイミングで切るカードならば、それは文字通り切り札に近いものなのだろう。
そして高らかに宣言をしてくる。
途端、弧を描いて迫り来る弾幕。魔理沙は高速で弾と弾の隙間を縫ってゆく。しかし待ってましたと言わんばかりに、合間に弾が差し込まれる。その隙間は囮だったのだろう。道を誤ったかと、魔理沙は冷静な目で状況を見回したが。
(いや、行けるな)
普段なら諦めるか、もしくはスペルカードを使っていただろう。
しかし魔理沙には見えていた。通れるか否かの境界。僅かな誤差で被弾するだろうが、今の自分なら可能なはずだ。
事実、彼女はその危機を切り抜けた。
だが喜びは無かった。魔理沙の胸の裡には、ただ言い様の無い苛立ちが在った。
(……なんで私は機嫌が悪い)
怪訝に眉を顰める。
身に覚えのある苛立ち。先日味わったものだ。
だが理由が判らない。博麗の巫女に勝てる、揺るぎようの無い確信が在った。
もし今、スペルカードを宣言すれば、博麗の巫女を落とすことが出来る。その事実を、魔理沙は疑っていない。
ならば早く宣言すればいい。止めを刺してやればいい。いつまでも弾を避けてやる必要は無い。一思いにやってしまえ。
自らにそう念じ、魔理沙はスペルカードを取り出そうとした。だが、手が動こうとしない。
(どうして戸惑う……)
奥歯を噛み締める。
いつも見ていた背中を追い越し、自分の背中を見せ付けてやることが出来る。
それは長年の目標だったはずだ。
(霊夢に勝ちたくないのか?)
弾を避けながら、自問する。
勝ちたい。すぐさま魔理沙はそう思った。
(だったら、どうして……!)
苛立ちに、胸中で怒鳴るが。
ふと、魔理沙は夢を思い出した。過去の記憶が、鮮明に脳裏に描かれる。
それはスペルカードルールが制定される前の話。弾幕ごっこなんて単語が、口から出ることの無い時代の話だ。
ぶんぶんと竹箒を振り回す霊夢は、まるで容赦が無かった。魔理沙はいっつも負けていた。それはまだ自分がなんの力も持たない、ただの里の娘だったからだろう。
博麗の巫女に、里の娘が敵うはずがない。
(――違う)
反射的に、魔理沙は否定していた。
途端、眼前に迫ってきた弾に気がつき、紙一重でかわす。
(そうだ。違う!)
あの時の箒を振り回す霊夢は、お札も封魔針も持たない、ただの少女だったはずだ。
それでも魔理沙は負けていた。竹箒でべしべしと何度も頭を叩かれた。その痛みは、今でも覚えている。
せんべいをばりぼりと、得意げな顔をして頬張る霊夢。それを指を咥えて眺めている自分。
悔しかった。許せなかった。もうちょっと手加減してくれよと、そう思ってしまう自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
だから毎日自前の竹箒を振り回して、打倒博麗霊夢を心の中で掲げた。やがてそれは功を成し、最終的な勝敗は引き分けにまで持ち込んだはずだった。
あと一勝。そうして霧雨魔理沙は、はじめて博麗霊夢を追い越すことが出来る。
しかしスペルカードルールが制定され、その行方は未だ判らぬまま……
そこで魔理沙は、ようやく理解した。
(そうだ。私は博麗の巫女に勝ちたいんじゃない。霊夢に勝ちたいんだ……!)
ぴちゅーん。
自らの不注意に被弾し、魔理沙は境内へと落ちた。
「ふー。ようやく一回落としてやったわ」
そう言って額を拭う霊夢が、境内に降りてくる。
魔理沙は仰向けに倒れていた。空は晴れ晴れと広がっている。彼女の心には、もう苛立ちは無かった。
むっくりと身体を起こせば、霊夢は腰に手を当てて告げてくる。
「これからが本番よ、魔理沙。今からわたしの逆転劇がはじまるわ。覚悟しなさい」
「……そうだな」
と、魔理沙は零した。霊夢の言うとおりだ。これから本番だ。
立ち上がって、ぽんぽんとお尻をはたく。
巫女を険しい眼差しで見据え、確認を籠めた口調で言う。
「霊夢。私はお前に勝ちたい」
「んなこと知ってるわ。毎回毎回ちょっかいかけてくりゃ判るわよ」
何を今更と、手を振るう霊夢。
これから自分がやることは、ただの感傷に過ぎないのだろう。だが魔理沙には、自分を止める術を持たなかった。
ふつふつと煮えたぎる激情が、彼女を突き動かす。魔理沙は言葉をなぞるように、口を開いた。
「私は、お前に勝ちたいんだ」
「だから、知ってるっつの」
投げやりな口調で、霊夢。
いいや判ってないと、魔理沙はぎゅっと力強く竹箒を握り締めた。
目を瞑り、あとを続けた。
「霧雨魔理沙は、博麗霊夢に勝ちたい。魔法使いとして、博麗の巫女に勝ちたいんじゃない。いや……それで勝ちたいって思いはある。でも、今は違うんだ。ようやく判った……」
魔理沙の様子が、普段と異なることに気がついたのだろう。
霊夢が片眉をあげた。
「魔理沙……?」
「私は友達として、お前に勝ちたい。博麗の巫女でもなんでもない、ただの博麗霊夢に勝ちたいんだっ!」
叫ぶ。
霊夢が目をまんまるにして驚きを露にするが、構わなかった。
魔理沙は懐から、帽子の中から、ドロワーズから……あらゆる場所をまさぐって、そこに潜めていたスペルカードをすべて取り出した。
「ちょっ、魔理沙っ」
何をするつもりだと、霊夢はぎょっとしていたが。
魔理沙はそのスペルカードを、べちんっ! と勢い良く石畳に叩きつけた。こんなものは要らない。八卦炉も必要ない。そして自らのトレードマークでもある黒い三角帽子も投げ捨てる。
ここにいるのは、普通の魔法使いではない。ただの人間、霧雨魔理沙だ。
巫女を見据え、高らかに叫んだ。
「霊夢、覚えているか! 私達の勝負は、こんなんじゃなかったはずだ! 妖怪退治の弾幕ごっこなんかじゃなかった!」
告げて、魔理沙は巫女に見せ付けるように、竹箒を天高く掲げた。
そしてぐるんぐるんぐるんっ、とまるで棒術のように、頭上で力強く振り回す。足を踏み込み、ビシィッ! っとポーズを決める。
唖然とする霊夢に、くいくいと、挑発するように手をこまねいた。
「来いよ霊夢、スペルカードなんか捨ててかかって来いっ! あの時の決着を、今ここでつけようじゃないか!」
魔理沙は僅かな期待を籠め、叫んだ。
「お前がすこしでも私を友達だと思っているのなら……判るだろう! 博麗の巫女ではなく、私の友として、答えてみろっ!」
霊夢は、箒を構える魔理沙をじっと見据え、しばらく佇んでいたが。
風が、巫女の黒い髪を揺らす。
やがて、霊夢はふっと笑みを浮かべていた。囁くような口調で、言ってくる。
「……そうね。スペルカードは、妖怪と人間が手を取り合うために生まれたもの。わたし達の間には、必要ないわね」
からんからんと音を立てて、封魔針が石畳に跳ねた。
博麗の巫女は懐からスペルカードを取り出した。ぱっと手を放せば、風がスペルカードを攫っていく。
そして亜空穴の応用だろう、どこからともなく竹箒を取り出した。
博麗の巫女――いや、博麗霊夢は穏やかな口調で、言ってくる。
「魔理沙。あんたはわたしの友達よ。今も昔も。きっとこれからも。とても大切なね。でも、だからこそ言わせて貰うわ。やめておきなさい。あんたでは、わたしには敵わない」
「なんだって……?」
その言葉の意味を脳が理解し、感情に伝わる前に。
霊夢は竹箒を握り、掲げて見せた。
ひゅんひゅんひゅんっ、と鋭く風を切る音。まるで身体の延長のように自在に振るわれる竹箒には、一切の淀みが無い。圧倒される。すさまじい竹箒捌きだ。
霊夢は力強く足を踏み込み、ダンッ! とポーズを決めた。土煙が、波紋のように舞い上がる。
強い意志を称えた眼差しを、突きつけてくる。
「あんたと友達になった日から、今日のこの時まで。わたしは一日として、チャンバラごっこを欠かしたことがないわ」
愕然とする。
だが――魔理沙は不敵な笑みを浮かべていた。
流石私のライバルだ。博麗霊夢は、こうでなくてはならない。
彼女は堪えきれぬ歓喜を口元に称え、告げた。
「それは私とて同じことだ。むしろ総合的に見れば、私のほうが竹箒に触れる時間は長いはずだぜ」
「そう。なら不要な心配だったわね」
「まったくだ」
視線と視線を通わせる。
魔理沙は重心を前方に傾けた。確認を籠めて告げる。
「判っているな、霊夢」
霊夢は脇を締め、腰を落とした。答えてくる。
「ええ。先に泣いたほうが負け、でしょ」
そうして魔理沙も霊夢も、口を噤んだ。
お互いに理解していた。もう言葉は必要ない。竹箒があれば、判り合えるものだと。
一陣の風が吹いた。
しばらくして、博麗神社に気迫と竹箒の交じり合う音が響き合う。
今日も幻想郷は平和だ。
知りたい!いやでもこの終わり方の方が好き、、、
やっぱり二人は友達だね。
心地よいお話でした。
面白かったです
ただの友情ガチンコファイトだ
二人の掛け合いが格好良すぎる。
作者GJ
大人に成っても本気で遊び合えるそんな二人でいて欲しい。
本気で"遊ぶ"というのは存外大切なことであると思います。その辺りがこちらと幻想郷の違いでもあるのかも知れません。
怒らないから正直に言うのです。
いや、なんだこの爽やかさは
いや、これはいい。最強のライバルにして最高の友。
なんて素晴らしい関係性なんだ。
これは素晴らしく素敵ですね。
強敵(とも)ですね
だがそれがいい
素敵なお話をありがとう。
これ以外に表す言葉が見つからない。
上質エンターテイメント。
「だったら泣けばいいだろ!」