衣玖はたぶん、ものすごい馬鹿なんだと思う。
いきなり何を言ってるのかって思われるかもしれないけど、私、比那名居天子から言わせると衣玖は多分馬鹿なんだって思う。
だってすげー馬鹿なんだもん。カバの格好しながら歩いてたから何してんのって聞いたら、カバですとだけ答えてどっか行った。
でも衣玖は凄いと思う。四畳半で生活してて、そこに一回連れてってもらったこともあるんだけど、凄いちっちゃかった。
布団も敷きっぱなしだった。襲われかけたけど、本気じゃなかったんだと思う。朝だったってのも、あるんだと思う。
お茶出してくれたけど、淹れ方も全然なってなかった。頬ぽりぽりしながら、珈琲のほうが好きですからねってだけ言い訳してた。
猥褻図書館から本引っ張り出して読んでたけど、衣玖はこういうのが好きなの? って聞いたら、そうでもないですっていつも通りの澄ました顔だった。
私は表情から感情を読み取るのって結構、苦手なほうだけど、衣玖はたぶん猥褻図書館にある本をあまり読まないんだと思う。
だって裏表紙にマジックで、『八雲紫』って書かれていたし、これは衣玖の本じゃなかったんだってわかった。
「カステラ食べます?」
「うん」
衣玖がカステラ持ってきたから、むしゃむしゃした。
甘くて美味しかったけど、ちょっと日にち経ってたのか知らないけど、少しだけ固かった。
指を舐めてたら衣玖が舐めても良いですか? って言ってきたから、指だと思ってどうぞって返したら頬を舐められた。
くすぐったかったけど、あんまし悪い気分でもなかったから放っといた。
「天人は」
「うん」
「汗をかかないので、いつも桃みたいな味がしますね」
「そうなんだ」
「うん、そうです」
衣玖はやっぱり澄まし顔で立ち上がったと思ったら、窓から手を出して木に生ってた桃をむしってた。
齧ったら果汁がぶわって出て、頬についちゃってたから、私も舐めてもいい? って聞いたんだ。
そしたら衣玖はさっきの私みたいにどうぞって言ったから、頬を舐めた。ぺろぺろ舐めた。キャンディみたいにして舐めた。
衣玖の頬からは桃の味がしたけど、飽きた桃の味とはちょっと違った。
私は気になったから衣玖に聞く。
「もしかして」
「はい」
「私の肌の味と桃の味を比べたの?」
「はい」
衣玖はそういうと、また桃を齧った。桃が悲鳴をあげたら面白いなって思うけど、桃は悲鳴をあげたりなんかしなかった。
退屈になった私は、また猥褻図書館から本を引っ張りだして読んでたけど、あんまり面白いとは思えなかった。
「衣玖はさ」
「なんですか?」
「こういう本面白いって思うの?」
「助平だとは思いますね」
「助平な気持ちには?」
「なりませんね」
「そうなんだ」
「そうです」
ぺらりとページをめくったら、獣耳の男が裸の女にのしかかってた。あまり面白そうでもなかったので、私は猥褻図書館にそれを返しておいた。
衣玖んちには、結構読んだことがあってボロボロになってる本とかがあるのに、猥褻図書館の本は新品みたいな本ばっかりだった。
けどそれは一様に、埃を被ってたりしたんだ。読まないなら返しちゃえばいいのにねって私が呟いたら、衣玖は捨てるのも捨てれなくてと言った。
変な衣玖。私は八雲紫に返しちゃえばいいって言ったのに、衣玖は捨てるって言う。私の伝えたい気持ちと、衣玖から発信された発言には大きなズレがあるって感じた。
でもそんなズレはちっちゃくて、いちいちその辺を気にするほど私は神経質でもなかったから、衣玖の部屋の隅にあったパンツを窓から投げてみた。
衣玖はそれを見てたけど、やっぱりあまり気にしてなかったみたいだから、もう一枚投げた。
「総領娘さま」
「何?」
もう一枚をびろんと伸ばしていたら、衣玖はやっぱり澄ました顔で、パンツが無くなると、それはちょっと困りますって言ってた。
私はパンツを床に放り投げて、そのあとでブラジャーを服の上から着けてみたらスカスカで、そのままストンと落ちてしまった。
「総領娘様は」
「天子って呼んで」
「暇ですね」
「衣玖も暇?」
「暇です。でもこれから釣りに行こうと思います」
「ついていっていい?」
「鬼も来ますが」
「じゃあいいや」
私は天界の隅でくっちゃ寝しながら桃を食っては酒を飲んでる鬼が、ちょっとだけ苦手だった。
いつも酔っ払ってるし、それでいて戦ったりするとものすっごい強いし、でも桃はあんまし食べないみたい。
お酒のつまみに桃を齧ってるのを見たことはあるけど、それよりもひょうたんを傾けてることのほうが多かった。
話しかけたことはあんましなかったけど、鬼も私に特別興味があるようでもなかった。
桃のほうが私のことよりも好きかもしれない。だって鬼は桃を食べるけど、鬼は私の事を食べないし。
私としては、鬼のことにちょっとだけ、ほんのちょっとだけ興味を持ったりもしたけど、仲良くはなれないかなって思ってた。
でも寝てるときに、悪戯をしたことは何回もある。桃を胸元に詰め込んで巨乳にして、起きたら驚くだろうなって思ったからずっと眺めてたけど。
鬼は起きなかったから、パンツの中にも桃を詰めといた。もっこりしてたけど、ぐがぁごがぁってイビキかいてたからどうでもよさそうだった。
それから私は、鬼のことがちょっと苦手だった。一方的に悪戯をしといて苦手になったっていうと変だけど、言葉にしにくい部分で、苦手だった。
例えばあのとき、鬼が起きてきて、おわぁ! ってびっくりしてたら、衣玖の釣りに一緒についてったかもしれないけど。
衣玖はいつもの普段着に、釣竿を構えてた。竹に糸を巻いただけの、見るからに釣れそうにない竿だった。
「ねぇ」
「なんです」
「それで釣れるの?」
「わからないですけど、釣れるんじゃないでしょうかね」
そう言うと衣玖は、びくを腰に巻いて外に出て行ってしまった。
パンツは部屋に散らかったままだった、あとブラジャーも。だけど鍵も閉めていなかった。
私はブラジャーを一枚、桃の入ってるポケットに入れて、外に出た。どうしようもないぐらいに晴れていて、ぴっかぴかだった。
それと、なんか八雲紫が普通に歩いてたから話しかけてみた。衣玖はどっかに行ったみたい。
「こんにちは」
「あらこんにちは」
八雲紫は私のこと嫌いだって言ってたから、プレゼントをあげることにした。衣玖のブラジャーだ。
「ありがと、優しいのね」
「うん」
でもそれ以降、会話を考えるのが億劫だったから、じゃあねって意味を込めて手を振った。
手を振り返してくれたから、実はあんまり私のことを嫌いじゃないのかなって思ったけど、早合点はどうかなって思ったから、そのままバイバイすることにした。
八雲紫もばいばいって言ってて、どこに行くのかなって気になったけど。寒かったからポケットに手を入れたらどうでもよくなった。
もしかしたらカバを探しに行くのかもしれないと思った。どうしてそう思ったかは、どうかなぁ、よくわからない。
衣玖はこないだ、カバの格好をしていたし、八雲紫もそれを聞きつけて見に来たのかもしれないって思うと、不思議に納得できた。
だからきっと、八雲紫はカバの姿の衣玖を探しにいったんだろうけど、衣玖は今日は釣りをしてるからカバじゃない。
それを教えてあげようかな? って思ったけど、そこまで教えてあげる義理もなさそうだし。
だけど私は、ブラジャーを受け取って笑顔を返してくれた意味を考えてもわからなかったから、追いかけてみることにした。
退屈だったんだ。
追いかけても八雲紫は見つからなかったけど、ブラジャーは衣玖の家のドアノブに結ばれていた。
良かったけど、プレゼントを勝手にどっかにやるのはどうかなとも思った。もしかしたら八雲紫は私のことが嫌いなのかもしれない。
私は人に嫌われてるっぽい、不良天人って言われてるし、でもあまり話してないのに嫌いって言われたらちょっとびっくりする。
でも神社を壊しちゃったときに怒られたから、博麗の巫女と仲良しなのかなって思ったら納得がいった気もした。
「下、遊びいこっと」
天界の端っこに立つと、下は分厚い雲で覆われてて下が見えない。
私はそこから体を投げ出して、落ちてく瞬間が好きだから、一人で居るときに結構してる。
地面に叩きつけられたりしたらものすごく痛いから、適当なところで減速するようにしてるけど、ばひゅーんって体が落ちてくときは気持ちいい。
雲を突き抜けてくと体は水浸しになるけど、落ちてくときに結構渇いてく。
飛んでる鳥をびっくりさせてしまったりもするけど、いちいちそういうところを気にしてられない。
「あうわわああああああああああああああああああああああ」
叫んでみたら内臓がぶっ飛びそうなぐらい空気が入ってきて胸が弾けそうになった。
ちょっと苦しかったから体を丸めたら、そのままぐるぐる回ってしまって気持ちが悪くなった。
そのうちに私は、減速することも忘れちゃってて、そのまま森に突っ込んでしまった。
バキバキバキバキバキ、ドサッ。
木をへし折りまくったおかげで減速になって、それで少し引っ掻きはしたけど、そこまで痛くなくて良かった。
「あいてて」
それでもまぁ、痛いことは痛くて、でも痛みじゃないところで急に泣きたくなってきたから、代わりに叫んでみた。
「いたいぞおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「朝からうるせぇよおおおおおおおおおおばかやろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
怒鳴られたと思ったら、私に向かって一直線に光線が吹っ飛んできた。綺麗だなぁ、星空が迫ってるみたいだとか思っているうちに吹き飛ばされていた。
めしゃめしゃめきゃぁとかいう間抜けな音を立ててるのを、ああ折れてるなぁって聞いてた。
それが自分の骨なのか木なのかは吹き飛んでいる最中はわからなかったけれど、めしゃめしゃめきゃぁという音自体は好きだったから。
森から飛び出して、野原みたいなところでごろごろ転がって行って、大きな岩にぶつかってようやく私は止まった。
全身が痛かったけれど、手も足も動くし、ズキズキと痛むような箇所もなかったから、めしゃめしゃめきゃぁと言っていたのは木のほうだった。
今日はやたらと体がぶつかったけど、丈夫な身体に感謝したいと思う。
でももしかすると私がものすごいスピードで飛んだり跳ねたり落ちたりしてたら、ぶつかった人がぐちゃぐちゃの血袋になるんじゃなかろうか。
そう思ってポケットに入っていた桃を取り出そうとすると、ぬちゃぁという嫌な感触がした。
お尻の辺りがお漏らししたみたいになってるけど、きっと乾いたらベタベタするんだろうなぁって。
どうしよう、洗濯ができてなおかつ近くて服を貸してくれそうなところ。天界まで戻っていたら時間がかかってかかって。
でも私には、地上でマトモに応対してくれる友達なんて一人も思い浮かばなかった。
というか天界でも、衣玖はよくわからないけど私の相手をしてくれていて、でも友達? って言ったらそれはハッキリしないし。
どちらかというと私のほうが立場が上で、っていうかそれはお父様がそれなりに偉い天人で、衣玖は竜宮の使いだから。
だから私たちの関係自体は、知り合いのお偉いさんの娘だから相手してあげようってものかもしれないし。
そこらへんは本人に問い詰めてみたいとハッキリしない部分なんだと思うけど、あえて問い詰めてみようとも思わなかった。
衣玖と一緒に居るのはそれなりに楽しいし、そこらへんの境界をハッキリ引いちゃって、もしかして私のこと嫌いですなんてなったら。
それは怖いから。衣玖にとって私はめっちゃくちゃ親しい、殴り合って土手でやるなお前、とかいってお前もなって返す関係じゃないのは明らかだけど。
それでも、憎しみあってこの世から消しあうぐらいに憎みあってる関係でもないのも明らかだから。
だからきっとこれでいいんだと思う。
「神社行ったら相手してもらえるかな」
地上の知り合いってことを改めて考えてみると、やっぱり要石を打ち込んだあの巫女の神社に行くのが一番なんじゃないかなって。
そしたらこのお尻の違和感も解消されるかもしれない。されないかもしれないけど、そのときは天界に帰ればいいと思う。
草を払って立ち上がって、一度背伸びをしてから空を飛んでみると、博麗神社っぽい場所は案外、近そうだった。
博麗神社は幻想郷の端っこにあって、行き辛いことこの上ない場所にあるけど、行くたびに人間とか妖怪がいるから不思議だった。
今日も、お尻が完全に乾いちゃう前にって急いで行ったら、巫女は縁側でお茶を飲んでいて、隣ではチェックの服を着た緑髪の妖怪がお茶を飲んでた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「珍しいわね、あんたがくるなんて」
私が挨拶したら、微笑みながらこんにちはって返してくれたから、この妖怪はきっと心が穏やかな妖怪なんだなって。
博麗の巫女のほうは私にそれほど興味もなさそうだったけど、食べる? っていって煎餅を私の手の上に乗せてくれた。
それを立ったままバリボリ食べてたら、一度奥に引っ込んでた巫女が座りなさいよって言いながら湯のみを置いてくれた。
私は、服のお尻の部分が汚れちゃったって言ったら、巫女は背中のほうに回って、こりゃ酷いわって呟いてた。
脱ぎなさい、って言われたから言われるがままに居間に上がって服を脱いだら、これしかないからって巫女服を着せられた。
腋のところが開いてるって文句を言ったら、我慢しなさいって言われたので私はこれ以上文句を言わないことにした。
「にしても」
「うん」
「どうしたの? あれ」
「桃が」
「桃が?」
「ポケットに入れてたのを忘れて、天界から落ちてから魔法? で吹き飛ばされたら潰れちゃった」
「ああ」
「でもいいの? あなたに悪いかなって」
「いまから洗濯して干せば大丈夫。お昼もまだだし。お昼も食べてく? 幽香も食べてくと思うし」
「食べていってもいいの? だったら、食べたい」
「はい」
そのまま霊夢は汚れた服を持って奥に引っ込んでしまったから、巫女服のままで縁側に出た。私も巫女だから、ちゃんと、霊夢って呼ぶことにした。
そしたら幽香って呼ばれていた緑髪の妖怪は、やっぱりお茶を飲んでいて、横に置いている日傘は真っ白だった。
隣に座ってもいい? って聞いたら、頷いたから私はちょこんって座った。ちょこんと座ったのは、借り物の服だったから。
借り物の服だと、もぞもぞって胸の奥が疼く感じがして、落ち着かなくなるって知った。
「巫女」
「はい」
「青髪の巫女は、こんなのは好きかしら」
幽香がパチンと指を鳴らすと、境内にニョキニョキって背の高い植物が生えた。あいにくと私は花の名前を余り知らなかったけど。
「向日葵よ」
「向日葵」
「そ、向日葵。素敵でしょ? 力強くて、天真爛漫。孤高で、誰にもなびかないの」
「格好いい」
私が素直に感想を呟くと、幽香は満足そうに笑っていたから、きっと良かったんだと思う。
「花が好きなの?」
「好きよ」
「そっか」
私は巫女服のまま足をぶらぶらさせて、幽香はやっぱりお茶を飲んでた。時々煎餅も食べてたから、私も食べた。
奥のほうからは、巫女の鼻歌が聞こえてくる。境内では向日葵が、のんびり風に揺れてた。綺麗だなって思ったけど、食べたいとは思わなかった。
どうして食べたいかって思ったかというと、鳥がチュンチュンって飛んできたと思ったら、向日葵の種をむしゃむしゃついばみ出したから。
「ねぇ」
「なにかしら」
「食べてるよ」
「向日葵の種は食べられるのよ。美味しいわよ」
「食べてもいいの? 鳥が食べてるけど」
「鳥は種を運んでくれるの。どこかで向日葵が咲くようになるわ。素敵よね」
「うん」
よくわからなかったけれど、鳥は種を食べててもいいんだって。そう言ってるみたいだった。
だから私も頷いて、しばらくそれを眺めていた。なんだかおなかが空いてきた。
「お味噌汁の匂いがしてきたわね」
幽香が言うから、私はうん、って頷いた。
私はお味噌汁が好き。お味噌汁には具材がたくさん入っていて、お豆腐とか入っているのがとくに好き。
みょうがとかも好きなんだけど、食べ過ぎると頭が馬鹿になるんだって言われてから怖くて量が食べられなくなった。
「霊夢って、料理作るの結構上手いのよ。美味しいの」
「そうなんだ」
私は博麗神社でご飯を食べたことが、宴会のときしかなかったから。
それに宴会のときのご飯は、八雲紫の式神だとか、紅魔館のメイドが作っているから、霊夢が作っているのは食べたことがなかった。
でも、私が馴れ馴れしく霊夢とか、幽香とか思っちゃうのは失礼かなって思う。だって、友達かどうかはわからないわけだし。
これがあの小鬼だったら、私は友達じゃないんだと思う。胸に桃を詰めたし、パンツにも桃を詰めちゃったりしたから。
それでもしも、おわぁ! なんて言ってくれたら、私たちは友達になれたのかなって思ったら、胸がちょっとチクッてした。
「あなたのお名前は?」
「え?」
「名前よ、名前」
「比那名居天子」
「風見幽香よ、風を見て、幽かに香る」
「素敵な名前」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
私も漢字を教えたほうがいいかな、って思ったけど、天の子なんて言ったらヒンシュクを買うかもしれないって思ってしまった。
普段だったら言うんだろうけど、なんせ今の私は巫女の格好をしているから、普段の調子が出ないんだ。
だから私は、漢字を答える代わりに煎餅を齧った。バリッという音が間抜けだった。トンタタトン、って包丁の音が聞こえる。
鳥たちはさっさと向日葵を食い荒らすと、そのままピーチクパーチク言いながら飛び去っていって、幽香はそれを眺めながら機嫌よさそうにしていた。
見たら、急須のお茶はもう空っぽだったし、湯のみの中も、もう空っぽだった。
「お茶飲む?」
私の分の湯のみを差し出したら、ニッコリ笑ってくれた。
「霊夢」
「なぁに、幽香」
「お茶をいただけないかしら」
「急須持ってきて、沸かすから」
私はいらないんだと思ってお茶を飲んだ。ちょっと悲しくなったのは、私のお茶はいらないのかなって思って。
でも幽香は機嫌よさそうにして、私に話題を振ってきた。
「天子ちゃん。お花何が好き?」
「お花はあんまりわからないけど、向日葵は好き」
さっき初めて間近で見たけど、と付け加えたら、今度太陽の畑というところに連れて行ってくれるって。
そこは向日葵がたくさん、一面に咲き乱れていて、妖精だとかがたくさん飛び跳ねてて騒がしくて、夜になるとコンサートもあったりするんだって。
私は素直に、そういうところには一度も行ったことがなくて、そもそもコンサートって人が集まるところでしょ? なんだか怖い。
そう言ったら幽香は、あなたって人見知りするのね、でも素直なのは可愛いところよ、って言ってくれた。
今までそういう風に言われたことはなくて、どちらかといえば目を逸らされたり怒られたりケンカになったりということばかりだったから。
今日はいつもとちょっと、違うかなぁなんて思いながら、足をぶらぶらさせた。
向日葵はさっきと同じように直立していたけど、種のところがむしられてて不恰好だった。
ぶぅーんって、羽音は聞こえないけど蜂が飛んできたけど、私のほうには興味なんてないみたいだった。
幽香も蜂を目線で追いかけて、でもやっぱりこっちには飛んできやしなかったから、急須を持って奥へ行ってしまった。
霊夢と一緒に話してる声がこっちまで聞こえてくる。
私の知らない話。でも、混ぜてだなんて言うつもりもなかったのであって。
というのも、霊夢は食事の支度をしているし、幽香だってすぐに帰ってくるだろうから。
食事の支度を邪魔したら、おなかが空いた空いたよと五月蝿い私の空きっ腹がもっと五月蝿くなるだろうから。
だから私は足をぶらぶらさせてた。暇を紛らわせつつ、ぶぅーんって飛んでる蜂がどこへ行くんだろうって考えつつ。
ほどなくして、幽香が戻ってきた。何も言わなくても、急須から私の湯のみにも注いでくれて、そこからは湯気が立ってた。茶柱は立ってなかった。
「あ」
幽香が呟いたから、何かなって顔を見たら、嬉しそうに湯のみを持ち上げて。
「茶柱」
だってさ。
私の湯のみでは立たなかったくせに、幽香のところじゃ立っちゃう茶柱ってのに、少しばかし腹が立った。
でもいまは巫女の格好だから、わがままも言えない気がした。トンタタトン。
巫女服はスースーしていてて、腋の間から風が抜けていった。ちょっとだけ寒いけど、年中これで外に居る霊夢は案外凄いのかもしれない。
でも動きやすい気はするから、だから霊夢は強いのかもね。
「手伝って」
霊夢が呼んだから、私と幽香は机にお皿を並べて、お箸を並べて、座布団も敷いた。
障子戸を閉めても、太陽の光は中まで差し込んでくるから明るかった。
お櫃からご飯を盛って、三人前。お味噌汁と、漬物と、川魚の煮付けだった。
お昼から食べるにはちょっと豪勢かなって思ったら、霊夢がお魚は昨日の余り物なんだって言ってた。
だったらいいかなって思って箸をつけたら美味しかった。お味噌汁は豆腐で、みょうがは入ってなかったけど。
「天子」
霊夢に呼ばれたから、私は目線で答えた。口の中にはご飯と漬物が入っていて、もごもごしながら喋ると下品だったから。
「美味しい?」
美味しかったから、私は頷いた。幽香も頷いてた。
「天人は桃ばっかり食べてるから、口に合わないかと思った」
たしかに桃ばっかり食べてるけど、桃が大好きってわけでもない。
というか桃はとっくに飽きてるし、お味噌汁はしっかりおダシが取られてて、豆腐も入ってたから美味しかった。
お代わりしようと思ってお椀を持って立ち上がろうとしたら、霊夢が何も言わずに手を出してくれた。
お手かな? って思って手を乗せたら、お椀をよこせって。
「取ってきてあげる」
豆腐一杯入れてくれるかな? って思ってわくわくしながら待ってたら、幽香さんが私の漬物を見てた。
食べる? って言ったら、食べるって言って一枚持っていって、パリポリって音を立てて食べてた。
美味しそうな音だったから、私は霊夢のところから漬物を一枚貰って、パリポリって音立てて食べた。
きゅうりの漬物とか、蕪の漬物とか、たくわんとか白菜とか。
それ一枚でがーって白米をかっこむのが幻想郷の食事なんだってさ。
でも今日は、お魚があった。三人に、一匹ずつ出されてて、醤油と味醂と砂糖とで味付けがされてて、霊夢って料理上手なんだなって思った。
私は料理なんてしたことなかったし、食べ物なんて出されたものか、桃を取って齧るぐらいしかしたことなかった。
衣玖は料理するのかな? でもこないだ家に行ったときは、台所は片付いていて、調味料なんかも全然見当たらなかった。
じゃあ衣玖はたぶん、料理をしないんじゃないかな? って結論になるけど、私もできないからそれは一緒だった。
私が料理をできるようになったら、衣玖は目を丸くして、すげぇや、って言ってくれるかもしれない。
でも私は当分、料理をできるようにはなりそうになかった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、その後はみんなでお昼寝しようってなった。障子を開けて、太陽が差してるところで寝っ転がるの。
食器の片付けは? って聞いたら、あとでするんだって。だから私も、霊夢も、幽香も寝そべった。
おなか一杯になったせいか、朝から動き回ったせいかすぐに眠くなって、眠気に抗う必要もなかったからそのまま寝た。
夢を見た。
カバになった衣玖が、雲を悠々と泳いでいて、雲の中に生えてる桃の木から桃を取って食べて、鬼の胸に詰めてた。
鬼は寝てたけど、衣玖は黙々と詰めてた。口にも詰めてた。もごもごって言ってたけど、衣玖はじっとそれを眺めてた。
その後で衣玖は、桃を自分の服の中にたくさん詰めてた。
私はそれはどうかなって思ったけど、衣玖はカバだったから私の渋い顔なんて気にしてないみたいだった。
そもそも、私が見てるってことにも気づいてないみたいで、針の先に桃を引っ掛けて釣竿を垂らしはじめた。
雲の中には竜とか、とてつもなく大きな鮫だとかがうようよ泳いでいて、単なるカバの衣玖は大変そうだった。
釣竿が凄い勢いでしなったときも、数十分ぐらい格闘したあとで糸が切れた。
衣玖は悲しそうな顔をして、いつのまにか起きてきた鬼はそんな様子を見てゲラゲラ笑ったんだ。
それを見て、私も悲しい気持ちになった。
鬼はやっぱり意地悪だし、私が悪戯したときも、寝たふりをしていてあとでゲラゲラ笑ってたんじゃないかって思うと涙が出そうだった。
「天子」
涙が出てきた。やっぱり私はカバの衣玖には相手にされなくて、鬼にはゲラゲラ笑われるんだ。
「涙出てるから拭いてあげる」
何かがそっと、私の頬に触れた。柔らかくて暖かくて、桃じゃなくてお花畑の匂いがした。
目が覚めると、しばらく頭がぐらぐらして落ち着かなかったけど、目のあたりが乾いててバリバリしてた。
泣いてたよ、って幽香がニヤニヤしてたけど、馬鹿にされてる風でもなかったから嫌な気持ちにはならなかった。
霊夢はうつ伏せに寝そべってて、むにゃむにゃって何か呟いてる。太陽の光は、ちょっとだけオレンジ色に変わってた。
「悲しいことでもあった?」
幽香が私に聞いてきたから、肩をすくめた。夢の中にカバの衣玖が出てきて、鬼に笑われたから悲しくなって泣いた。
なんて言えなかったから、夢で悲しいことがあったけど、覚えていないって誤魔化すことにした。
霊夢はむにゃむにゃって何か呟きながら、寝返りを打った。
幽香はそれを見てニヤニヤしてたけど、私は二人を順々に眺めてちょっとだけニヤニヤした。
口元からよだれが垂れてたけど、拭おうかな? って思ったときには幽香がハンケチで拭ってあげてた。
「んぅ」
「まぁ」
寝返り打って仰向けになった霊夢は、自分の指を咥えてた。赤ちゃんみたい。
ぶぅんって蜂が飛んできたから、ちいさく絞った弾で落とした。万が一、刺したりしたら大変だから。
幽香はそれを見て少し悲しそうな顔をしていたけど、蜂を摘んで外へと捨ててしまった。
霊夢は相変わらず指をちゅぱちゅぱしていて、何事かむにゃむにゃ呟いてる。
それを見ているのは面白かったけど、唐突にお茶が飲みたくなった。
でも霊夢を起こすのは憚られるし、かといって私はお茶を淹れたことが一度もなかった。
自分のために淹れるのであれば、できる気もするけど、お茶を淹れたらやっぱり、幽香の分も淹れるのが筋かなって思う。
だったら私はお茶を飲むことを我慢して、霊夢の頬をぷにぷにやってる幽香を眺めているのが一番なのかなぁって。
そう思ってるうちに、霊夢が目を覚ました。幽香は構わずに頬をぷにぷにしてたけど、それを気だるそうに払うと、軽く伸びをして台所のほうへと行ってしまった。
しばらく二人で無言で居ると、霊夢が急須にお盆を持って帰ってきた。
「お茶飲む」
それだけ言って、自分の湯のみにお茶を入れて飲んでたから、私もそれに習って自分の分のお茶を飲んだ。
緑茶だった。
天人は汗をかいたりしないけど、というかかいたらそれは老化してるってことで、死んじゃうんだけど。
霊夢はうっすら汗ばんでるみたいだった。ちょっと舐めてみたいかな? って思ったけど、変態かなとも思う。
でも衣玖は、私の頬をぺろってしたりするし、それで衣玖と私は特別親しいわけでもないから、霊夢の頬を舐めてもいいのかもしれない。
幽香のほうをちらってみたら、やっぱしお茶を飲んでた。よくお茶を飲んでるから、お茶が好きな妖怪なのかもしれない。
案外、お茶の葉の化身とか。そんなのかもしれないけど、聞いてみたら怒られそうな気がした。
妖怪は自分の出自とか、隠したりするのも結構いるから。ルーツが知られてしまうと弱点もわかってしまうし、それは力関係で不利になるから。
幽香も、あんまし汗ばんではいなかった。たぶんだけど、頬を舐めたら花の香りがするんじゃないかなって思った。
舐めさせてくれない? って言おうと思ったけど、いまの私は巫女服だからそういう気持ちにストップがかかる。
「あー」
霊夢が障子を開けると、お日様は結構、傾いて妖怪の山のほうへ沈みそうになっていた。
「いい日だったぁ」
霊夢はそういうと、境内から外に出ていってしまった。何をするのかな? と思っていたら箒を持ってきて、境内の掃除みたい。
「私、そろそろ帰るから、ばいばい」
幽香はそういうと、縁側から靴を履いてふよふよと飛んでいった。向日葵は相変わらず、風に揺れてた。
私はその背中に、バイバイって手を振ったけど、幽香は振り返らなかった。
霊夢も手を振っていた。
私もどうしようかな? 帰ろうかな? と思っていたら、キラッ、キラッって何かが光ってた。
なんだろうと思ってじぃっと見ていたら、それは針みたいだった。
それが風に揺れてふわふわしてるってことは、糸もあるんじゃないかな。
衣玖と小鬼が釣りするって言ってたから、たぶんそれなんじゃないかなってなんとなく思った。
その様子をしばらく目で追っていたら、針は霊夢の帯の辺りに引っかかった。
「おおう?」
霊夢は不思議そうな声を出してそのまま宙に浮いて、その様子をぼーっと眺めていたら、天高く飛んでいってしまった。
それを見送りながらお茶を飲んでいたけど、太陽が沈んでも霊夢は帰ってこなかった。
天界に帰ろうと思ったけど、私の服はまだ乾いてなかったから、客用のお布団を敷いてお茶を飲んで、巫女服のまま寝た。
夕飯は食べなかった。
その日の夜も、衣玖がカバになってる夢を見たけど、違ったのは鬼と八雲紫と一緒に霊夢に追いかけられてたことだった。
くちゅん。
腋がスースーして、くしゃみが出た。
精神的距離に比して物理的距離があるからかな。天子可愛いよ天子。
文章の運びは、一文一文選んだ感があるけれど、故に苦しさを感じるところも。
こちらも息を詰めて読んでしまうというか。あくまで私見。
ただ、幽香が登場した辺りからは非常に空気が柔らかく自然な感じになったように思います。
バイオリズムの合致か、はたまた幽香というキャラクターがこの文体に合う性質を持っているのか。
非常にいい雰囲気が出ていたのではないかと思います。まったりしました。
貴殿の、近日からの様々な挑戦は見ていて楽しい所です。
作品90点、今後の期待に10点。次作を楽しみにしています!
ほのぼのテイストな感じ。
天子の心情が面白かったけど、理解できそうにない部分もあったw
天子いいよ、天子。
この一文がどうしようもなく好きです。
嫌われるのがこわいオトシゴロォォオオオオ!!
癒された
天子が泣いてるからとかじゃなくて、単に飯食ってるところでうるっと来た
何なんだ一体。
淡々としてるのに変態してて、でも構ってちゃんなんだなあって分かる、ほかほかな文書でした
だけど幸せだ
幽香がすごくいい味を出していました
でも、そんなこと考えないでぼぅっと読むのが、個人的には好きですw
ダイレクトで感覚的で曖昧な表現の積み重ねはやっぱ心地良い。
顕微鏡の倍率をあげていくように、大局が見えなくなって個に沈み込んでいく、没入感。
そこに鏡映しされるのは天子にとっての天子にとってだけの現実だ。
個人と世界の対比を描くことについて、小学生っぽい作文というのはとっても面白いよな。と思った。
ぎこちないけれど純粋な文章がすっと胸の奥に落ち着く感覚。
天子というキャラの内面の描写の仕方としてすごい逸脱だと思う。
あと正直、今回のあとがきはちょっと余計だったかな、と。
見てたら八十点くらいだったかも。
天子ちゃんかわいい。
なんにしても好きな雰囲気でした。