ある晴れた日のこと、博麗神社の上空を一人の妖怪が退屈そうに飛んでいた。
彼女の名前は古明地こいし。地底の覚妖怪である。
彼女は特殊な能力を持っていて、無意識をかくかくしかじかという素敵な能力だ。
この力を使えば、例え火のなか水のなか……は少し厳しいとしても、他人のプライバシーを悉く踏み躙る事が出来るのだ。
そんなこいしは今退屈。となれば、する事は一つしかない。
そう――
「野球、したいなぁ」
野球しようよ! SeasonⅠ
所変わって、こちらは白玉楼。今日も庭は綺麗である。
それもその筈、熱心な庭師が、鋭い太刀筋で余計な枝を片っ端から斬り潰しているのだから。
そんな優秀な庭師、魂魄妖夢は今、ご主人様、西行寺幽々子の肩揉みに精を出している。
庭師とはいうものの、実際の所は体のいいパシ……いや、立派な従者。ご主人様の命令は絶対――まるで上様に仕えるお侍さんである。
「ふにゃあぁぁー……」
「幽々子様、変な声出さないでください。あっ、涎垂れそうですよ……」
「じゅるり!」
「うぁ!? 汚っ!」
「汚いですって!? 無礼者!」
「な、何で突然キレるんですか!」
「キレてないもん。怒ってるんだもん」
「はいはい……私が悪かったですよ、もう……」
「もうは余計よ」
「す、すみません……(何で私がこんなに怒られてるんだろう)」
本日の天気よろしく、非常にあたたかい情景である。
と、そこへふらりとやってきたのは現代のぬらりひょんこと、古明地こいし。
二人の目と鼻の先に降り立つが、しかし二人は全く気が付かない。
そう、これが彼女の真の力。素晴らしいの一言に尽きる。
「……!」
「――? どうしました? 凄く珍しく神妙な顔なんかして」
「………」
「???」
悪戯っ子のこいしは、幽々子の豊潤な胸部を指先でつついて遊んでいる。これは流石にいけない。
さしものだらけ面の幽々子もこれにはビクンと反応し、ぴしっと背筋を伸ばして辺りを伺う。
「いる……」
「ILL? 病気ですか?」
「違うわよ馬鹿っ面。奴がいるのよ」
「(ば、馬鹿っ面……?)奴、ですか……?」
「そう、淫霊よ! 私のおっぱいをぷにぷ「何ィ!? ゆ、許せん! 出て来い不届き者!」
妖夢の羅刹の如き形相に、流石のこいしも少し怯み気味。悪戯のつもりが大火事に――よくある事である。
しかしそこは現代のぬらりひょん、図太さはメジャー級だ。能力を解いて、ちょっとだけ申し訳なさそうに二人の前に姿を現した。
「あのー、ごめんなさい。私です」
「あら? 貴女は確「このうつけがァァァァァァァァァァァァ!!?」
「わっ!?」
比較的気にしていなさそうな幽々子だったが、上様に淫らな行為を働かれたお侍さんは怒髪天衝の様子。
鋭い二本の太刀を構えてこいしに飛び掛かろうとするが、寸でのところでこれを幽々子が制した。
「ぐふっ……む、無念なり……!」
「……!?」
「さ、これでもう大丈夫よ。それで、どんな御用かしら?」
「……!」
愛の鞭、いや、愛のみぞおちによって、憐れお侍さんは縁側に崩れ落ちてしまった。
その凄惨な光景を目の当たりにしたこいし。いくら度胸満点の彼女でも、その場に固まることしか出来ない。
「あら、どうしたの? 何を恐がっているのかしら?」
「い、いえ……何でもないんです……」
「ならいいでしょう? もう一度聞くわ。どんな御用かしら?」
底の抜けたような笑顔、逆にそれが更に恐怖心を煽る。
先程の妖夢が羅刹ならば、今の幽々子は帝釈天とでも言った所だろうか。
蛇に睨まれた蛙のように、こいしは身動き一つ出来ずにただ震えるばかり。
そしてそれに業を煮やしたのか、幽々子は重い腰を上げてこいしに歩み寄った。
「もう……しょうがないわねえ」
「ひっ……」
「――よしよし。いい子いい子」
なでなで。もはや説明は必要なかろう。
「あ、ありがとう……ございます」
「うふふ、畏まらなくていいわ。それより何かお話があったんでしょう? どうせだからお屋敷の中で話して頂戴。妖夢ー」
「は、お呼びで」
「……!」
「お客様よ。お茶をお出ししなさい」
「畏まりィ!」
骸と化していた妖夢だったが、ご主人様の呼び掛けにより何事も無かったかのような復活を遂げた。
その海より深い忠誠心、是非見習いたいものであるが、最後の返事は見習わないようにしたいところだ。
移動中……
「――どうぞ。粗茶ですが」
「何ですって!? 今すぐ最高級品と入れ替えてきなさい!」
「何で幽々子様がキレるんですか……。言われずとも最高級品です。畏まっただけです」
「ならば良し。さ、どうぞこいしちゃん」
「あ、どうも……」
屋敷に案内されたこいしだったが、普段は勝手に入っている事もあり、こうも丁寧にされると逆に落ち着かない。
しかし、もてなしてもらっている立場上まさか文句を垂れるわけにもいかず、流されるままにお茶を啜るしかなかった。
その後も話を切り出させてもらえないまま、二十分程白玉楼主従のコントもどきを見せられるこいし。
ただ一言「野球しませんか?」と言いに来たのに……最初の悪戯を心から後悔するのだった。
そして更に二十分後――
「さてと、じゃあ改めて、どんな御用かしら?」
漸くの本題である。
白玉楼に来てから約一時間、これで断られたらどうしよう、などと不安に思いつつ、こいしは口を開いた。
「野球……しませんか?」
「「………」」
嫌な沈黙が客間を包む。
ああ、やっぱり駄目か……半ば諦めつつ、こいしはもう一度聞いてみることにした。
「あのー、野球――「妖夢! 今すぐ私のカッブ式とリプケンモデルを持ってきなさい!」
「畏まりィー!!」
「!?」
幽々子の声が飛ぶや否や、目にも止まらぬ速さでいなくなる妖夢。話の流れが理解しきれないこいしは狼狽えるしかない。
「うふふ……まさかあの子達を再び使える日が来るとはね……! 手入れを怠らなかった事は、どうやら間違っていなかったようだわ!」
そんなこいしを殆ど無視する形で、普段のだらけ面からは想像できない程の眼光で幽々子は嗤っている。
暫くして興奮が限界を超えたのか、着物の帯を解いてそれを手に巻きシャドウピッチングを始める始末。
着物がはだけてもどこ吹く風で、こいしはもう何が何だかわからない。
「たったたー、たたたたゆ・ゆ・こ!!」
「ピッチャーこいやァ!」
更にそこへバットとグローブを持って戻ってきた妖夢が応援の真似事なんかするから、もう止まらない。
「さぁー魂魄投手、ノーワインドアップから第一球を……投げました!」
「!」
「ボール! 外一杯のいいコースでした! 魂魄投手、強打の幽々子選手に慎重な入り方です!」
「………」
その後二十分、こいしはまたしても二人のコントもどきを見る羽目になるのだった。
コント中……
「……見苦しい所を見せてしまったわ」
「お客人、申し訳ありませんでした……」
「ああ、お気になさらず……」
漸く興奮から醒めた二人に頭を下げられ、内心「ホントだよ」などと思いつつもこいしは二人を許す。
というより、許さないと言った所でどうなるものか、という感じだから、まあ仕方がないだろう。
「あ、それで……」
「ああ、返答が済んでいなかったわね。じゃあ改めて、我ら白玉楼主従、喜んで参加させてもらうわ」
「宜しくお願いします、お客人」
「――! 二人とも、ありがとう!」
やっと聞けたその言葉に、初めてこいしは明るい笑顔を見せた。
その向日葵のような笑顔、実に可憐である。
「それで、会場は何処? 面子はもう集まってるの?」
「あ……ううん、ここに来たのが最初だから、まだ何にも決まってないの」
「そうだったの。でも大丈夫、私には頼れる友達がいるから。というわけで妖夢、ちょっと迷い家まで――」
「私をお探しかしら?」
「――わっ!?」
何もない空間から突如現れる謎の女性。
いつもは似たような事をしているこいしも自分がやられると弱いのか、思わず声を上げて驚く。
「あら、来てたの? ……何時から?」
「たったたー、たたたたゆ・ゆ・こ! 辺りからよ」
「へえ……そうなの」
「ええ……そうよ」
「……?」
不穏な空気が辺りを包む。
そう、これは死の空気。死の女王が憤った時の空気である。
対する謎の女性も負けてはいない。
こちらは超越者の空気、とでも言えばいいのか、とにかく途徹もない空気をビシバシ放っている。
「お、お二方、止めてください! お客人の前ですよ!?」
「「………」」
と、そこへ果敢にも割って入るお侍さん、彼女の名は魂魄妖夢。二本の太刀をぶん回す白玉楼の庭師である。
「……それもそうね。悪かったわ、妖夢、そしてこいしちゃん」
その妖夢の意気に感心したのか、謎の女性の途徹もない空気が消えていく。
しかし、消えたのはその一方のみで、幽々子の放つ死の空気は未だこの場に色濃く残っている。
「ゆ、幽々子様っ!」
「水に流してもいいけど、一つ条件があるわ」
「……何かしら?」
冷たい表情の幽々子は、じっと謎の女性を見据える。また、謎の女性もそれを真っ向から受けとめている。
再び張り詰める不穏な空気。今度こそやばいんじゃ……とこいしが思った次の瞬間、幽々子は花が咲いたような笑顔でこう言った。
「キングドーム用意して!」
「ええ、いいわよ」
こいしは思った。こいつらクレイジーだ! と。
◆
謎の女性、八雲紫の能力により開かれたいかがわしい隙間に案内されたこいしは、その余りのいかがわしさに思わず舌を巻く。
所々に垣間見える空間の歪み、こちらを覗き込んでくるかのような妖しい目、罪と書かれた紙袋を被った人のような物体、そこはもはや異世界と言っても差し支えない場所である。
幽々子の「初見なら一人で行くといいわ」という台詞に流されてしまった事を早くも後悔し始めるこいしだったが、やがて空間の先に巨大な建造物が姿を見せると、その後悔は即座に感動へと変わった。
「あれって……キングドーム……!? すごい、本物だ!」
「ふふ、どうかしら?」
「すごい、すごいよ!」
丸で夢のよう……そう、写真でしか見たことのないキングドームである。
2000年3月26日に爆破解体されてその役目を終えるまで、数々の名場面を生み出してきたそのキングドームが、今こいしの目の前にあるのだ。
初めて遊園地を訪れた子供のように、こいしは諸手を上げて喜びを顕にする。
「中、入ってみてもいい?」
「いいわよー。まだお客さんはいないけどね」
「うんっ!」
ゲートを駆け抜け、ダグアウトを越えた先――そこは別の意味での異世界だった。
正面にそびえる巨大な電光掲示板、さんさんと輝く照明、幾層にも連なる数万の客席、そして、神聖さを醸し出すフィールド――
「わぁ……!」
数多のベースボールプレイヤー達が鎬を削った聖域に、いまこいしは立っているのである。
自然と震えてくる足、全身を包み込む戦慄、まさしくここはスタジアムという名の闘技場なのであった。
「――しっかし、いつ見ても見事なものねえ……これはもはや芸術だわ。こいしちゃんもそう思わない?」
「うん! 私もそう思う!」
「でしょう? さ、そろそろ下見はお終い。一旦戻りましょう」
「え……もう?」
「ふふっ、そんな残念そうな顔しないの。準備が全部出来たら、今度はここで闘うのよ? その時まで楽しみは取っておきなさい」
「……うん!」
絶対に素敵なラインナップを連れてここに戻ってくる――こいしはそんな気持ちを胸に秘め、キングドームを後にするのだった。
移動中……
白玉楼に戻ったこいしと紫。素振りをしていた幽々子のバットが紫の延髄を直撃する珍事があったが、お互い気にしていない様子で、円滑に今後の話となった。
主題は勿論メンバー集め。いくら素敵な舞台があっても、役者が揃わなければ台無しである。
「さて、まずは何より最低九人の集団を二つ作らなければならない訳だけど、この辺りはこいしちゃんにお願いしたい所ね」
「え、私が主導で決めちゃっていいの?」
「勿論よ。言い出しっぺはこいしちゃんだもの。異論のある人は?」
「賛成だわ」
「異議なし!」
「みんな、ありがとう!」
実に和やかなムードなのだが、全身ピンク調のユニフォームに身を包んだ白玉楼主従が物凄く変な感じである。
幽々子曰く、古来より伝わる伝説の闘衣、らしいのだが、野球の歴史を考えると明らかにパチモノだ。
ただ、当事者を含め誰もその事に気付いていない。
「私達はこいしちゃんのチームだから、まずは敵チームのキャプテンからかしらね。こいしちゃん、思い当たる人はいる?」
「うん。やらせたいな、って思う子はいる。だけど……」
「「「だけど?」」」
「あの子のお姉ちゃんが許すかどうか……」
「「「……!」」」
名前こそまだ出なくとも、三人はどうやら心当たりがある様子。
ただ、心なしか三人とも神妙な顔つきである。
「お姉ちゃん……」
「許す……」
「こいしちゃん、それってまさか……」
こいしが敵チームのキャプテンをやらせたい人物、それは――
「うん、フランちゃん。紅魔館の、フランドール・スカーレット」
◆
「あーあ、退屈だなあ……」
ここは紅魔館。
紅い悪魔と呼ばれる吸血鬼、レミリア・スカーレットとその愉快痛快な仲間たちが住むドリームランドである。
この紅魔館の地下にある部屋で、レミリアの妹のフランドールは暮らしている。
彼女の持つ力は、全てを破壊する力。
このバイオレンティックな力のせいで、制御が出来るにも関わらず彼女は館の外に出してもらえない。
と言っても彼女自身その事には納得していて、まあ仕方ないと割り切ってはいるのだが、いかんせん行動範囲が狭いので基本的に退屈している。
今日も特にする事もなく、こうしてベッドに寝そべって紅魔館隠し芸大会の為のルービックキューブ早解きの練習をしているのだった。
「……よし完成! タイムは――4秒33か。まあまあね」
「いやいや、十分とんでもないわよ……!」
「「「うんうん」」」
「……誰?」
流石は吸血鬼である。突然何もない空間から四人もの人が出てきたというに、大して驚く素振りを見せない。
寧ろ余りの反応の薄さに、驚かせてやろうと密かに企んでいた紫がショックを隠しきれない様子だ。
「フラン、久しぶり!」
「え、こいし? こいしじゃない! 久しぶりだねっ!」
何とも微笑ましい、友人同士のハグである。
あまりの微笑ましさに幽々子が釣られて妖夢を抱き締め、孤立した紫は隙間を開いて『藍ちゃん型抱き枕』を抱き締めている。
「今日はお友達も連れてきてくれたんだね。……ふふふ、分身達との連戦で鍛えに鍛えた私の雀力をついに発揮する時が……」
「麻雀もいいけどさ、今日はもっと楽しいことがあるの!」
「麻雀より楽しい事?」
「うん! 何だか分かる?」
「えーと……チンチロリン?」
「んーん」
「じゃあ、花札?」
「違う違う! 広いところで、みんなでやる物!」
「人間将棋!」
「「「「渋っ!」」」」
流石は吸血鬼。その思考回路は凡夫の何光年か先を行っているようだ。
何とか正解を言わせたいこいしだったが、人間将棋という予想遥か斜め上のフレーズにより断念。ヒントとしてバットとグローブを取り出し、フランドールに見せた。
「ほら、これこれ!」
「あ、それって……!」
「そうそう! もう何をやるかわかったでしょ?」
「カチコミね!」
「「「「どこへ!?」」」」
最早無駄と悟ったこいしは、仕方なく経緯やら何やらをフランドールに説明した。
因みに、実は知っていたけど久し振りに人が沢山来たからちょっと遊んでみた、とのことだった。
説明中……
「――……というわけよ。どう? 楽しそうでしょ!」
「うん、すごい楽しそう! あ、それポン」
「あらフランちゃんまた染め手?」
「そういう紫こそ。でもさ、私がキャプテンって事は、色々メンバー集めなきゃいけないわけでしょ? 私、知り合いなんて指で数えれるくらいしかいないよ。こいしも含めて」
「だからさ、この機会に色んな人達と知り合えばいいのよ! それで一緒に試合すれば、絶対仲良くなれるって!」
「ここだ……ここでツモれれば……! くッ!」
「んん、素敵な話だけど、お姉様が何ていうか……」
「ツモ。みんな悪いわねえ、高め引いちゃったわ」
「あちゃー。いかほど?」
「ピンヅモジュンチャン三色ドラドラの倍満よ。逆転トップね」
「と、とんだ……」
「妖夢、貴女にこの域の麻雀は早すぎたようね」
「仕方ないわよ幽々子。それにしてもフランちゃん、貴女かなり打てるわねえ。はい賽」
「ありがと。でも、二人こそ凄いよ。今度はパチュリー交えて打ちたいね」
熱心にフランドールを誘うこいしだが、やはり姉のレミリアとの掛け合いもあってか、今一つ決着には至らない。
それに引き換え卓上では、妖夢の箱下で軽々と決着が付いてしまっているから面白い。
因みにこいしは能力を使い、必要以外の音や動きは全て意識の外。改めて、実に素晴らしい能力である。
「大丈夫、私が何とか説得する! 断られても、私諦めないから!」
「こいし……」
「だから、ね? 一緒に野球しようよ!」
こいしの熱意に、フランドールの心が大きく動かされる。
こんなにも自分を思ってくれる友達がいる……それだけで、私は――
彼女の心の箍が、音を立てて崩れた瞬間だった。
「うん! 野球しよう! ツモ、天和大四喜四暗刻字一色! 五倍役満80000オール!」
「「「つ、積み込みやがった!?」」」
◆
ここは紅魔館。紅い悪魔と呼ばれる吸血鬼、レミリア・スカーレットとその愉快痛快な仲間たちが住むドリームランドである。
この紅魔館の最上階に位置するのが当主の間。レミリア嬢の私室だ。
そして今、この当主の間にて、四人対一人の交渉タイムが繰り広げられようとしていた。
因みに妖夢は麻雀のショックの為か、白玉楼に戻って一人お留守番をしていたりする。
「……門番の朝食をどんぐり5個にしたほうがよさそうね」
「あら、門は通ってないわ。直接お邪魔しましたから」
「ふん。咲夜不在とはいえ、こんなに簡単に侵入を許してしまうとは……情けない」
「地下室という特殊な環境だったからよ。ここの地下室は特にね」
「何が言いたいの? 八雲紫」
「別に、特殊だと言っただけですわ」
早くも険悪なムードだが、それも仕方のない事だ。
招待したわけでもない、それ以前に入館の許可すら与えていない連中にずけずけと私室に上がられたら、例え仏様でもちゃぶ台をリバースするに違いない。
そういう意味では、レミリアはよく我慢していると言えるだろう。
「あの、レミリアさん……!」
そんな空気を何とかするべく、こいしが勇気を出して切り込む。
「私達、野球がしたいの!」
「四番サード」
「それで……え? 今何て……」
「四番サード。それ以外の守備位置と打順なら御免こうむるわ」
「あ、ああ、いいよ……ね?」
「私は生涯ショートストップだから構わないわ。妖夢もセンターだから問題ないし」
「私のファースト以外ならどこでもいいわよ」
「じゃ決まりね。宜しく、こいし」
フランドールの外出及びキャプテン指名の許可より先に、なんとレミリアのこいしチーム入りが決まってしまった。
グングニルで素振りを始めるその姿からは、絶対的なやる気と自信がまざまざと伝わってくる。
「じゃあそれは置いといて、ここからが本題なんだけど」
「……丸で私がおまけかのような物言いね。まあ、一応聞いて――」
「――待って。ここから先は私が言う」
当主の間に入ってから殆ど喋らなかったフランドールだったが、この最も重要な局面で名乗りを上げ、姉であるレミリアと相対する。
妹の真っすぐな視線、それを真っ向から受けようという意志か、レミリアも至極真剣な面持ちである。
「何かしら、フラン」
「ねえお姉様。私が外に出たいって言ったら、多分お姉様は止めるわよね」
「……ええ。止めるわね」
「そっか、そうだよね」
「何が言いたいの?」
半ば諦めたかのようなフランドールの話し口だが、彼女はどこか不敵に笑っている。
レミリアをはじめ、当主の間にいる全員が彼女の真意を掴めないという状況の中、フランドールはバッと腕を前に突き出して、言った。
「お姉様、私と勝負よ!」
「「「「……!」」」」
「……フラン、本気で言ってるの?」
「ええ、本気も本気。でも、やるのは弾幕でも麻雀でもチンチロでも花札でも人間将棋でもなくて……」
人間将棋、本当にやったのか? などと考えているこいし達を尻目に、フランドールはポケットから一球の硬式球を取り出した。
それは、彼女が以前こいしに貰ったボールだ。
「これで、ね!」
「……成る程、うまい事考えたわね。つまりは球場で決着を付ける、と言いたいんだろうけど――」
「違うよ。本当に今この場での勝負、一打席のね。三振を奪ったら私の勝ち、逆に前に飛ばしたらお姉様の勝ち。どう? シンプルでしょ?」
「………」
「お姉様が勝ったら、諦める。でも私が勝ったら、今回の間だけでいい。私が外に出ることを認めて」
尚も不敵に笑うフランドール。しかし、先程のレミリアのスイングを見ているこいしは不安だった。
あの物干し竿のような長さのグングニルをいとも簡単に振り回す姿、とても並大抵の球では抑えられないと思ったのである。
「……仕方ないわね。いいわ、受けてあげる」
「そうこなくっちゃ!」
「支度をするから、遊戯室に行って待ってなさい」
「はーい」
当主の間から出た四人は、フランドールに案内されて紅魔館の廊下を歩く。
ただの交渉の筈が、まさかの勝負――その展開にこいしは困惑していた。
しかし、そんなこいしとは裏腹にフランドールは何だか嬉しそうで、こいしに貰ったボールを指で弾き上げて遊んでいる。
「ねえフランちゃん、勝算はあるの? 私の見た限りだと、レミリア結構やりそうよ」
「勝算は分かんないけど、それなりに自信はあるよ」
「もし必要なら、手助け出来ない事もないけど――」
「それは駄目!」
紫の提案に、少し強い口調でフランドールは返した。
「こいしが熱心に誘ってくれて、私凄く嬉しかった。だから私は是が非でもみんなと一緒に野球がしたい。でもね、これは一対一の勝負なの。私が乗り越えなきゃいけない、お姉様との勝負。だから、やらせて! 大丈夫、見事に三振奪って、みんなとハイタッチするところをお姉様に見せ付けてやるんだから!」
爽やかな笑顔。まさに球児達の鑑と言えよう。
流石の紫もこれには苦笑いするしかなく、頑張ってね、と言ってフランドールの拳と自分の拳をこつんとぶつけ合う。
「……?」
その光景に癒されていたこいしは、ふとある発見をした。
それは、フランドールにあげたボール。真っさらの新品だったボールが、いつの間にやら武骨な感じのボールに変わっていたのである。
「――こいしちゃん、不安?」
幽々子のその言葉に、こいしはにこりと笑って首を横に振るのだった。
◆
紅魔館地下ホール、通称「遊戯室」。
弾幕ごっこなどに使われるこの部屋で、今まさに血湧き肉踊る姉妹対決が始まろうとしていた。
集まったギャラリーは図書館防衛隊に妖精メイド多数。こうなった大きな原因は、話を聞き付けた(盗聴していた)図書館の主、パチュリー・ノーレッジが館内全域にその内容を放送したためだ。
妖精メイド達などは通常業務を完全放棄してまでの観戦で、とある門番長曰く「この対戦カードを前に、のんのんと仕事なんざやってられるかァ!」とのこと。
メイド長不在のため、みんなやりたい放題である。
「ねえ、どっちが勝つと思う!?」
「そりゃレミリア様でしょ! 噂だと、この紅魔館の時計台もぎ取って素振りしてたらしいわよ!」
「ポップコーンいかがっすか~。Lサイズは1・5倍増で価格はたったの1・48倍とかなりお得んなってますよ~。いかがっすか~」
「でもさ、知ってる? フラン様ってよくここで壁当てしてたんだってさ」
「あ、聞いたことある! なんでも魔球『KOUMA』を完成させたとか何とか……」
「これはひょっとしたらひょっとするかもね……!」
「アッサムロイヤルいかがっすか~」
「随分賑やかですねえ。ここのメイドはもっと慎ましいイメージだったんですが」
「あの子がいないからでしょ? 銀髪のメイド長」
「咲夜さんですね」
「そうそう。それに、妖精はもともと騒ぐのが好きだから。あ、ポップコーン下さいな。L七つ」
「な、七つって……はいはい買いますよ……。でも、咲夜さん大変そうだなあ。私は一人でも悪戦苦闘の日々だというのに」
「あら妖夢、何か言った?」
「I don't know Ms.Yuyuko」
世紀の対決が始まるという事で、お留守番から無事戻った妖夢。麻雀でのショックはとっくに抜けている様子だ。
「やっぱりレミリアはかなりの実力者のようね。それにしても横断幕とは仰々しい」
「紅い大砲……なんか凄そう。フラン、大丈夫かなあ」
「果たして誇張か順当か……来たようね」
遊戯室の巨大な扉がゆっくりと開いていき、それに呼応するかのようにメイド達の大歓声が鳴り響く。
全員の注目がその一点に集まる中、姿を現したのは――
メイド一同「メイド長ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」
「……貴女達、中々いい度胸してるじゃない」
ご存知鬼のメイド長、お使いから戻った十六夜咲夜その人であった。
それまで楽しそうに騒いでいたメイド達の表情が急転直下、チーターと遭遇したトムソンガゼルよろしく絶望感漂うものへと変わっていく。
「全員、覚悟は出来ているようね……」
メイド一同「……!」
「……貴女達全員、夕食抜き! 私も含めてね」
メイド一同「……?」
「ま、確かに私もこれは見逃せないわ。だから仕事をサボる罰として、私も含めて全員夕食抜き。わかった?」
メイド一同「り、了解ッッ!!」
流石はメイド長。沈みかかった会場のムードを、たった一言で前以上に盛り上げてしまった。
後方の憂いがなくなった妖精メイド達。いよいよ騒音に近い歓声を遊戯室に響き渡らせている。
「時には娯楽も必要、か。ふふ、なかなか見事な統率ね。妖夢も少しは見習いなさい」
「いや、その前に私部下とかいませんよ……」
「いないなら作りなさい。妖夢軍団だぞー、とかなんとかいって」
「ガキ大将ですか……。ん?」
「ハイどうもー! 本日の実況を努めさせて頂きます、楽園の素敵な司書こと、小悪魔と申します!」
突然鳴り響く爆音のアナウンス。声の主はパチュリーの使い魔、図書館の司書をしている小悪魔である。
「さあ皆さん! 何だかいい感じにハイになっちゃってるみたいですねぇ! でも、まだ足りませんよ! もっともっとハイになっちゃってください! 最強の姉妹対決……見たいかー!!」
メイド一同「オー!!」
「見たいかー!!」
メイド一同「オー!!」
こういう役割に慣れているのか、そのアナウンスは実に快活。
寧ろそういう仕事で稼げるんじゃないか? と思わせる程のものだ。
「見たいかー!!」
メイド一同「オー!!」
「ならば見よ! 選手入場ッ!!」
再び遊戯室の巨大な扉が開かれる。それと同時にこれまた爆音の音楽(ツィゴイネルワイゼン)が流れ始め、更に遊戯室の各場所から七色の火柱が燃え上がった。
「わあ、綺麗……」
「す、すごいですねえ……」
「相変わらず派手ねえ、紅魔館は」
「ええ。……ようやく真打ちの登場よ」
扉の先に見える二つの影――深紅のユニフォームに『Scarlets』の白文字、これまた深紅の帽子に蝙蝠を型取ったロゴ、雌雄を決するべく集った姉妹、レミリアとフランドールである。
会場の盛り上がりは最高潮。そんな喧騒の中を、落ち着き払った顔で、けれども同じ方の手と足を一緒に動かしながら、二人揃って歩いていく。
「フラン、緊張してるっぽいなあ……」
「そうね。でもレミリアも同じみたいよ」
やがて姉妹はある地点で歩くのをやめ、即席で作られたピッチャープレートとバッターボックスに向かって、それぞれ背を向けた。
「「………」」
その瞬間にこいし達が感じていた二人の緊張した雰囲気は消え、その代わりに全身を穿つような威圧感が辺りを包んでいく。
それは丸でスイッチがオフからオンに切り替わったかのよう。姉妹から、敵に――そんな印象をこいしは覚えていた。
「では選手の紹介に移ります! まずは――」
「「小悪魔!!」」
「――!」
レミリアとフランドール両名の怒号に、小悪魔のみならず騒ついていた遊戯室が一瞬にして沈黙する。
「悪いけど……」
「邪魔しないで」
静かな、けれどもよく通る声である。
そこから感じて取れるのは二人の覚悟。例え一打席の勝負でも全霊にて闘うという、烈帛の覚悟である。
「は、はい……すみま千円……」
そんな覚悟を前にしては、いくら楽園の素敵な司書といえども引き下がる他はない。
お祭りムードが一転して、辺りを静寂が包む。
「……息苦しいわね」
「ええ。真剣勝負といっても、これは野球。二人とも少しその辺りを取り違えているわ」
「でも、とても口出し出来る感じじゃないですね」
「そうね。取り違えていると言っても、これはれっきとした勝負。口出しすれば、それはそのまま侮辱になる」
「私達は見守るしかない、そういうことよ」
「フラン……」
そして、姉妹は互いを睨む。
レミリアの手には紅いバット、フランドールの手には武骨なボール。
言うなれば、これらは相手を倒す武器である。
やがてレミリアがオープンスタンスにバットを構え、それに応えるかのようにフランドールがピッチャープレートに足を掛ける。
その光景を誰もが固唾を飲んで見守るそんな最中――
ギィィ……
遊戯室の扉がゆっくりと開いた。
「お邪魔させてもらうわよ」
「……パチェ?」
「その格好は……」
姉妹と同じく、紅をベースカラーにしたレガースとプロテクター、そして紫色のキャッチャーミット――それらを携えて登場したのは、図書館の主にして七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジである。
パチュリーはゆったりとしたペースで二人の方に歩み寄り、キャッチャーマスクを取ってぺこりと頭を下げた。
「申し訳ない事をしたわ。貴女達の覚悟、私はそれを見誤っていた」
「「………」」
「だから、これはせめてものお詫びよ。一打席といえども真剣勝負、キャッチャーなし審判なしじゃ少し寂しいでしょう?」
「……確かにそうね、お願いするわ。フラン、あなたは?」
「うん、いいよ!」
「決まりね」
その後、少しだけパチュリーとフランドールはサイン交換を行い、それぞれの所定の位置に付く。
そしてその辺りから、遊戯室に蔓延していた重苦しさがなくなっている事にこいしは気が付いた。
「フラン、何だか楽しそう……!」
事実、フランドールは『お姉様に勝つ』という事よりも、今自分がこの場にいるという嬉しさがそれを上回っていた。
バッターがいて、キャッチャーがいて、ギャラリーがいて、自分に期待してくれる友達がいる――それらの事が、全て初めての経験なのだ。
「行くよッ!」
「来なさいッ!」
大きく息を吸い込み、再びピッチャープレートに足を掛けたフランドール。
体に巻き付いていた重さはもうない、なら、ただただ思いっきり投げるだけ――ノーワインドアップから大きなモーションで左足を踏み出した彼女は、嬉しそうに笑っていた。
「お邪魔してもいいかしら?」
「もう入ってるだろうが。……で、妹に負けた情けない姉に何か用?」
「負けた……か。私にはとても全力の貴女だとは思えなかったけどね」
「私が手を抜いたとでも? 冗談はやめなさい。例え妹が相手でも、勝負事で手を抜くのは侮辱に等しいことよ」
「そう。それは失礼したわ」
「ただ……強いて敗因を挙げるとしたら、私の心の弱さかしらね」
「心の弱さ?」
「あの子のあんなに楽しそうな顔、凄く久しぶりに見たわ。その瞬間、私の勝利に対する渇望がきれいさっぱり消えてしまった。その後は知っての通り、情けないスイングの連続よ。ホント……紅い大砲が聞いて呆れるわ」
「成る程ねえ。でも、あの子の球の速さには流石に驚かされたわ。しかもあの投げ方……」
「速いだけじゃない、重さも相当なものだったわ。あの子がどんな面子を連れてくるのかは知らないけど、私達もそう楽観してはいられなさそうよ。やるからには勝つ、足を引っ張ったら承知しないわよ?」
「肝に命じておきますわ。さてと、じゃあ私はそろそろ……」
「……あ! ち、ちょっと待ちなさい!」
「ん? 何?」
「いや、その……今あの子が何してるのかだけ……」
「ふふ、仰せのままに。ほら――」
――ねえパチュリー! 今のはどう!?
――いい感じだわ あとは低めの制球だけね
――オッケー! じゃあ次はカーブ行くよ!
――わかったわ
――それっ! ……あ
――痛ぁー!?
――あちゃー…… ごめんねこあちゃん
――ぜ 全然平気ですっ!
「――ふふっ、ホント、うかうかしていられないわね」
「みたいね。……じゃあ改めて、よろしく。ファースト」
「ええ。よろしく。サード」
――よーし、もう一球っ! ……あ
――痛ぁー!?
■暫定メンバー
《こいしチーム》
投手:古明地こいし(左投左打)
捕手:
一塁手:八雲 紫(右投両打)
二塁手:
三塁手:レミリア・スカーレット(右投右打)
遊撃手:西行寺 幽々子(右投右打)
右翼手:
中堅手:魂魄 妖夢(左投左打)
左翼手:
《フランドールチーム》
投手:フランドール・スカーレット(右投右打)
捕手:パチュリー・ノーレッジ(右投右打)
一塁手:
二塁手:
三塁手:
遊撃手:
右翼手:
中堅手:
左翼手:
続く
パチュリーがキャッチャー、つまり強打者ポジション……
これは「知識と日影のワグワイヤ」(ポジション違うけど)の再来か!?
気付いたら読み終えてましたわ。
続き期待してます!
続き、楽しみにしています。
とはいえ、なぜいきなり野球なんだ……?www
暴投…もとい冒頭の暴走幽霊コンビに始まり、その他皆さん…非常に楽しそうでとてもうらやまけしからん。まったく。
パチェもいることだし、とりあえず魔理沙は確定かな?
双方、如何なるメンバーが集まるのやら……。続きを楽しみにしてますので、頑張ってくだされ。
>大段幕とは仰々しい
もしかして横断幕?
これはひどいイカサマwww
続き期待してます!
皆さんと同じく、続きを楽しみに待ってます。
次回作は二月の下旬までにはアップ出来ると思うので、どうぞご期待下さい。
>>26さん
ご指摘ありがとうございます。早速修正させて頂きました。
なにげに冒頭の幽々子と妖夢の会話がツボでした。
あと紫とレミリアがよい感じ。
そして…期待せざるをえない!
作者には悪いけど「なんだパクリか」って思いながら読んでましたが、
全然関係なかった(当たり前ですが)ですし、普通に面白いです。
誤字
>丸で私が・・・
なぜか漢字になってますよ。