これは、夢だ。
***
明晰夢という言葉を聞いたのは誰からだったろうか。まあおそらくは居候の魔女からだろう。あの人はこういった無駄な知識だけは豊富なのだ。
今私は何故か立派なベッドの上で寝ていて、可愛いラグジュアリーを着て、付き添いのメイドに「お早うございます」と言われてしまった。外には満月が浮かんでいるというのに意味が分からない。
……いや、まぁとにかくそういうことなのだろう。普段なら私がお着替えを手伝うのだが今この場では私はお着替えをさせられている。ふわふわのドレスだ。正直動きにくいことこの上ない。しかし普段お嬢様が着ていらっしゃることを想像すると興奮しておっと鼻血が。あ、済みません拭いてもらって。
着替えを済ましぐぐっと体を伸ばす。目線が低く何だか新鮮だ。そう感じたものの現実感が薄いのでにんともかんとも、頭がぼんやりしてしょうがない。
「お嬢様?」
「ん?ああ、何だ」
「お食事の用意ができました」
「分かった今行く」
食事ねえ……生憎私には血液を嗜む趣味は無い。というか夢と言うのは記憶の欠片で構成されているはず。ならば記憶に無い未知の体験は夢ではどう表現されるのか?……すぐに考えるのを止めた。夢の中の出来事など思案したところでどうしようもない。それが例え鉄の味がしようがババロアの苺ソースの味がしようが私にはどうでもいいことだ。
とりあえず食堂まで飛んで行こうとする。が、体が上手く動かせない。まるで泥の中にいるように全身が重い。夢にありがちなことだが明晰夢でやられると一層ぎこちない。こんなことだと疲れがとれずに明日に残ってしまう。それは勘弁してほしいし避けられるなら避けたい。さっさと終わって意識を閉じさせてもらいたいものだ。
ふと見上げると食堂の大きな扉が今回はさらに大きく見えた。圧迫感さえ感じてしまうほどだ。派手な音を立てて扉が開く。そこの中央を通っていくというのは何とも不思議な感覚だ。一斉にメイド達からあいさつをされる。悪い気分ではない、がやはり落ち着かないのは私の器が小さいということなのだろうか。正直従えるよりは従った方が楽である。
席に着くとすぐさま料理が運ばれてくる。白身魚のソテーだがそこにかかってるのは十中八九ブラッドソースだろう。私も同じメニューを結構な頻度で作っている。作ってはいるが正直美味そうと思ったことはない。血だし。
夢の中なのだから無理にらしく対応する必要はないのだろうけど、体験したことない情報を夢はどう処理するかにも多少興味はある。さてどうしたものかと思ったがその思考は勢いよく開かれた扉の音でかき消された。
「何事?」
「し、侵入者です!すでに門を破りこの建物に入ってきているそうです!」
あんの門番め。夢の中でも役に立たないってどういうことだ。というかたかだか夢の中でこんなイベントが起きるとは思いもしなかった。なかなか粋なことをするじゃないか私の夢。途端に辺りが騒がしくなる。弾幕が放たれる音が遠くに聞こえてきた。
「現在メイド隊が交戦中です!お嬢様は一刻も早く避難を!」
「いや、私が直接相手しよう」
「で、ですが……」
所詮夢の中だ。何をしたって影響はあるまいしここまで来たらのれるとこまでのってやることにする。食堂を出ると騒ぎが更に大きく聞こえてきた。どうやら賊は近いらしい。
「お嬢様!お戻り下さい!」
慌てて妖精メイドの一人が立ちふさがる。勤務熱心なのはいいことだが少々この館の主を過小評価しすぎではないだろうか。いや中身は別だけど。
するとなおも進路を防ごうとするメイドが急に押し黙った。何事かと目線を上げると────首からナイフを生やした彼女と真紅の雨が私の視界を遮った。
ゆっくりと私の方に彼女の体が倒れてくる。降り注ぐ血液が純白のドレスを染め上げ、鉄の匂いが立ち込める。私は目を見開き驚愕の表情を浮かべようとしたのだが何故か頬が引き攣った。それはまるで笑みのように。
彼女の体が視界から消え、廊下の先まで見えるようになる。彼女の首にナイフを立てた張本人であろう人影がぼんやりと浮かび上がってくる。瞬時に私は迎撃の態勢を整える。が、その“瞬時”の間にそいつは距離を詰めて──
──最後に見えたのは、煌びやかな銀色の髪。
***
「うわあ!」
あー、びっくりした。まさか自分の叫び声で起きるとは思わなかった。つーかすんごい怖い夢を見た気がするなあ。鳥肌立ってるし。体の震え止まんないし。どんな夢見たんだろ。思い出したくはないけど。
「ふあ……」
中途半端な目覚めをしてしまった分眠くて仕方がない。どうしよう、二度寝をするべきかしら。でもそろそろ咲夜さんが様子を見に来るころだし……。
いやでもこういう時間はきっちり取るべきだ。エルマタドーラ先輩だって言ってたじゃないか。
「シエスタシエスタ……ってね」
「何を言ってるんだお主は」
「あ、あなたは──大ナマズさん!!」
出、出たああああー!幻想郷随一の雄!雷撃の貴公子!自身の妖力により我が紅魔館の電力を一身に背負うナイスガイ!それ以上に注目すべきなのはお嬢様にも匹敵するスペルカードのネーミングセンス!
「これ、そんなに褒められても困るわい」
「おっとすいません。煽り文句の最後に(笑)つけるの忘れてました」
「それただの煽りじゃね?」
出、出たああああー!幻想郷随一の雄(笑)「言い直さんでいい」
「そうですか?」
何が不満だったんだろう。結構気に入ってるんだけどな、さっきの煽り文句。
「いいからさっさと仕事に戻らんかい。またメイド長にどやされるぞ」
「そっちだって持ち場を抜け出してるじゃあないですか」
「わしは休憩時間じゃ。主といっしょにするでない」
なんと不条理な。ただの魚に休息の時間が充てられ何故私には無いんだ。24時間営業とか私はコンビニか。
「それとほれ、夕暮れ用の絵の具を持ってきてやったぞ」
「あ、どうも。ありがとうございます」
「礼には及ばん。じゃ、頑張れよ」
そう言うと大ナマズさんはのっしのっしと歩いて(?)行った。さっきから思ってたけどあの魚ずっと漏電しっぱなしだったような。アースを付けるよう言うべきかな。にしてももう夕方か……時間が過ぎるのは早い。さっさと空を赤く染めなければ夜担当のルーミアに迷惑がかかる。書き割りの空はきっちり朝→昼→夕→夜の順番を守らなくてはいけないのだ。そうしないとバイト代出ないし。ここのまかないだけじゃ食っていけないし。なんなんだろうこの虚無感。働けど働けど我が暮らし楽にならざり。
じっと手を見ると涙が出てきた。さっさと終わらせてお嬢様から借りた本でも読もう……そんな気分になった。
***
闇。
闇闇闇時々紅。
吸血鬼は夢を見ない。
電気信号なんてちゃちなもので動いてないから。人間と違って。
まぁ私が言いたいのはだな。
あまり調子に乗ってるとその意識ごと潰すぞ、雑魚が。さっさと出てけ。
闇闇闇時々紅。
闇。
夢。
無。
────────────
紅魔館地下に存在する巨大図書館。膨大な蔵書量を誇り訪れた者を圧倒する。その中央、少し開けた空間に彼女は居た。目の前には直径2メートル程の魔方陣。規模は中位で綴られた呪文も多少魔道書をかじった者なら誰でも読める程度のことから比較的簡素な作りということが分かる。
しかし肝心の召喚されるべき何かは全く現れず淡白く光る魔方陣がそこにあるだけだった。その様子を見て彼女は僅かに顔をしかめた。そこへふわふわと飛びながら両手で抱えるには少々多すぎる書物を運んでいた使い魔が主の隣に降り立った。
「いかがなされました?パチュリー様」
「……どうやら座標がずれたようね」
「ありゃ。失敗とは珍しい」
多少失礼な小悪魔のセリフには反応せずパチュリーは手に持った本を閉じた。手を魔方陣に向け二言三言呟くと、さぁっと瞬く間に魔方陣は消えてしまった。
「何を召喚しようと思ったんですか?見たところ悪魔……それも低級っぽいですけど」
「蔵書の管理をね、任せようと思ったんだけど」
「え゛?それって私が力不足ってことですかー!?リストラってことですかー!?」
思わず小悪魔が問い詰める。召喚者から解雇されるということはすなわち顕界には居られないということだ。なんだかんだで彼女はこの仕事を気にいっているのだ。
「何を勘違いしているの……管理といってもあなたが今やってるような物理的なものじゃなくてもっと概念的なものよ」
「と、言いますと?」
「データ、と言ったほうが分かりやすいかしら?全ての書物を情報として管理してくれる人材が欲しかったのよ」
「へぇ~……で、結局何を呼びたかったんで?」
「電気信号の塊、虚数上の存在、壱と零の間に住まう者──」
「げ、それってもしかして」
「──夢魔よ」
うえ~、と小悪魔は露骨に嫌悪感を示した。
「あいつら得体が知れなくて嫌いなんですよね~陰湿だし」
「どんなものであろうと召喚されたのなら主の命は絶対よ……行方不明だけど」
「どこ行っちゃったんでしょうね?」
「さぁ?大方誰かの夢の中でしょうよ」
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あかいあかいおへや くまさんのぬいぐるみとはじけたぴんくのぼーるとわたし
わたし?どうしてわたしがいるの?わたしはここにいるのに
あなたはだあれ?わたしのぶんしん?おともだちならいっしょにあそんでくれたらうれしいな
おにごっこしてあそぼ おままごとしてあそぼ だんまくごっこしてあそぼ
ねぇ なにかいってよ
ねぇったら
ねぇ
……………
……
…
こわれちゃった
***
夢は、覚める。
幻の世界にて、夢ってどういう存在なんでしょうね。
無限に広がる夢幻の世界の果てに境界は有るのでしょうか?
この作品から、得体の知れない幻想郷の魔物の一片を想像させられました。
と、これだけ見たらファンシー感じですが、何故か殺伐とした気分なのは何故だろう。
やはりお嬢様にはカリスマだな。闇闇闇時々紅。