一
枯れ葉まじりの木枯らしが吹きすさんでいた。季節感の薄い冥界とは違い、松の内の人里はいくぶん冷えこむようである。
足元の孫が歩きながら、白い息を小さな指先に吐きかけ、束の間の暖をとっている。
む、と妖忌は老いてなお目じりの垂れぬ切れ長の瞳を足元に向けた。
「妖夢よ、剣士の道とは忍耐の道だ。剣の先を制するは往々にして、より多くのことを、より長く耐えた者なのだ。死地にあって勝敗を分けるは耐えがたき緊張に耐え、己を滅し、肉体の全てを刀身に込める気概に他ならぬ。四書にいう、『小事を忍ばざれば大謀を乱す』。剣の道もまた然りじゃ、寒き折、熱き折こそ超然としておらねばならぬ」
「はいっ。すべてわかりました、おししょうさま」
剣の道を志す彼らの日常は、これすべて修行であった。
弟子でもある孫の、元気の良い答えに満足しつつ、鷹揚に頷いてから、妖忌は里の大通りを行く。
どいたどいたー、と威勢の良い蕎麦屋の岡持ちが駆ける。地面になにやら絵を描いて遊ぶ子どもらもいた。
されど罠は、あくびが出るほど何の変哲もない日常に潜むからこそ罠たりえる。気は、常に四方へ張り巡らされていなければならない。
が、数歩行ったところで、妖夢の足が止まっていることに気づき、妖忌は振り返った。
「……」
妖夢は、なにやら親指をくわえて右手の屋台を眺めている。
きらきらと輝く熱のこもった大きな瞳――ガン見であった。
たいやき。
とは暖簾の、躍るような文字である。餡子の香りが舌の根を刺激するが、あらゆる欲を断つ術を心得た達人である妖忌にしてみればそよ風も同然。
だが、幼い女子、それも甘いものだぁい好き、な妖夢にはそうもいかないようだった。
(未熟者が)
剣の道は忍耐、と教えたばかりではないか。食欲を満たす暇を許してくれる敵がどこにあろう。
妖忌が憮然として腕を組んでいると、恰幅の良い禿げ頭の店主が、熱烈な視線に気づいた。
「お嬢ちゃん、お一つどうだい? と~っても甘いよ!」
びく、と震える肩。
「うっ、う……。だめ、だめなのです。剣の道はがまんの道なのです……!」
「お嬢ちゃんカワイイから、このちっちゃいのを一個おまけしてあげるよ」
「……!」
助けを請うような瞳が妖忌を見上げる。
浅はかな口車にこうも易々と乗せられてしまうとは、万が一にでも毒を盛られたら何とする。
我が教えは何一つ、この未熟な弟子には伝わっていなかったと見えるな。
妖忌は憤慨しつつ、「親父、とびきりでかいのを二つだ」と財布の紐を高速で解いた。
二
「お、おししょうさまの手、あったかいです」
「そうかそうか」
何事か、と道行く人が振り返るほど、頬が垂れ下がったえびす顔の妖忌だった。
あまり感情を表に出さぬよう常日頃から心がけているのだが、繋いだおててのぷにッぷに感にはさすがの彼も耐えかねた。
(いかんな、こんなことでは)
妖忌は邪念を振り払うかのように、たいやきに頭からかぶりついた。
それを見た妖夢が、真似をするようにたいやきにかぶりつく。
「うまいか」
「はいっ」
冬に咲いた蒲公英のような笑顔に、餡子がくっついていた。
「汚れておる」
と指摘してやると、妖夢はあわてて口の端を指で拭い、指の先についた餡子を舐めとり、「えへへぇ……」と照れ隠しに眉を下げた。
(ギガントかわゆす)
抱きしめて頬擦りしたくなる衝動を妖忌は必死で抑えつけた。
剣の道は忍耐、と自分で言ったばかりではないか。おのれ、格好つけて余計なことを言わねば……!
わしのバカバカ! と頭をぶんぶん振り回していると、いつの間に平らげてしまったのか、手持ち無沙汰に親指をくわえた妖夢がこちらを見上げているのに気づいた。
「む、わしのも食うか」
「……いいのですか?」
「わしも歳だ。甘いものはそうそう食えぬ」
「わぁい!」
「(か、間接接吻……!)」
跳ね上がった妖忌の血圧が、鼻の太い血管を破いた。
ドン引きの通行人が、道の端へ端へと避けて行く。
が、人里を出て、あぜ道をしばらく歩いたところで、妖忌の血はぴたりと止まった。
(まだ来ぬか)
来るなら人里を出たところだろう、と断じつつも妖忌は、路地裏や人気のない通りを選び、誘いをかけていたのだが、なんとも「敵」は慎重であるようだった。
身を隠す物のない今も、五十歩ばかりの距離をとり、妖忌らのあとをつけている。それなりに遣えるのだろう、ととれる足音は……三つ。
妖忌は妖夢の手を引き寄せ、ささやいた。
「よいか、決して振り返るでないぞ」
「?」
「そして、ほ、ほれ、もそっと近う寄れ。お鼻が赤いではないか」
「はぁい」
襲撃にそなえて孫の身を気遣う気持ちと、イチャイチャしたい気持ちが、だいたい半々ぐらいである。
三
近ごろ、人里に悪漢の類が出没するというのだ。
二人組、あるいは三人組で、幼子が一人でいるところを狙い、かどわかしていると聞く。
しかし犯人は親元に強請りをかけるわけでもなく、小一時間ほどどこぞの納屋へ手篭めにして、菓子と小遣いを与えて解放する。
手篭めにされた子どもらに訊いても、「よくわかんなかった」と一様に危害を加えられた形跡はなく、と。
どうにも理解に苦しむ悪事を働いているらしい。
大した実害があるわけでもなく、年始の忙しさゆえか、里の管理者たちは傍観を決めこんでいたのだが、
(さりとて、悪事は悪事であろう)
この事態を主の友人である八雲紫から伝え聞いた妖忌は、良い機会だ、と思った。
己が血縁を、それも幼子を餌にするような行いに自責の念がないわけではなかったが、これも修行、という一念と、わずかばかりの正義感が背中を押したのである。
妖忌たちは、あたりをすすき野原に囲まれた廃屋に身をひそめている。獣に噛み砕かれたように荒れ果てたあばら屋だった。
板壁ごしに伝わる殺気は一向に離れる様子がない。まるで蛇のような敵だな、と妖忌は思った。
「妖夢よ、この剣をおぬしに授ける」
妖忌は腰の物を鞘ごと抜き、妖夢の眼前へ突きつけるようにかかげた。ただならぬ視線に妖夢の背筋が伸びる。
「わしの意が……、わかるな?」
「はいっ、あけましておめでとうございます! ありがとうございます!」
「お年玉ならたっぷりあげたじゃないの」
孫の天然ボケにまたもや頬が緩んだが、和んでいる場合ではなかった。
「修行の成果を見せるときが来たのだ」
「……!」
修行とは、主にお馬さんごっこや忠臣蔵ごっこのことを指す。
よく食べて、よく遊ぶ。それが健やかな心身を育てるのだ、と信じてやまない妖忌は今や立派な牡馬であり吉良上野介だった。
他にも、よいではないかよいではないか(悪代官)ごっこなる修行を考案したあげくに幽々子のブレンバスターで畳に沈められたエピソードなどもあるのだが話の筋とは何の関係もないので省く。
「ここに身を潜めておれ。外で何があっても決して物音をたてるでないぞ。だが、誰かがここへ入ってきたら一刀のもとに斬り捨てよ。誰であろうと、だ。迷いある剣で人は斬れぬ。これよりおぬしの身を護るものはおぬし自身、そしてこの白楼剣のみと心得よ」
短刀ながら幼子の身には重さがこたえるのか、うやうやしく受け取った妖夢は大きくよろめいた。
なまくらとはいえ真剣を妖夢に持たせるのは、思えばこれが初めてだった。
心得のない者が持つ剣は己が身を害するばかり。
などと、もっともらしい信念は建て前のことで、『妖夢がケガしちゃったらどうすんの?』という過保護な親心によるものだったのだが……。
妖夢は、幼いなりにただならぬ事態を察したようである。
「おししょうさま……」
礼を重んじる妖忌は、修行の折はそう呼ぶこと、と教えていた。
「お、おじい、ちゃん」
しかし年端もゆかぬ幼子のことだ、情があふれかえってしまえば分別など軽く吹き飛ぶ。
「離さぬか、おぬしとて剣を持ったのだ。ならば、おぬしも剣士であろう」
「でも、でもっ!」
妖忌の袖を掴む不安げな妖夢の瞳が、行かないで、と雄弁に語っていた。しかしそれを口に出すのは許されない、と彼女は知っていたのだろう。だから代わりに、
「すぐ、戻ってきてくれる……?」
「――――」
ズギューン、と心臓を打ち抜かれてしまった妖忌だったが必死で平静を装った。
「この程度で取り乱しおって。だから半人前だというのだ」
「うっ、うぅ……」
「(いかんっ!)」
孫が泣いてしまう……! 妖忌はあわてて妖夢の頭をナデナデしてフォローした。
「案ずるでない。ことが無事に運んだ暁には白玉楼で汁粉でも飲もうぞ」
「うぅ……、でもぉ……」
「だからもう、泣くでない。泣くで……」
妖忌の痩せた五体を憐憫と憤怒が支配した。
孫を泣かせる悪党ども、許せぬ、生かしてはおけぬ。その首わが手で斬り取って三条河原に晒してくれようぞ。
妖忌は刀の鯉口をきって駆けだした。
四
廃屋の、朽ちた戸を蹴飛ばして飛び出た刹那、数えて三つの白刃が妖忌を取り囲んだ。
「名乗れい、卑怯者ども!」
楼観剣の鞘を払うやいなや、妖忌は凄まじい気合を発した。呼応するように枯れススキの穂が揺れる。
並みの者であればその肺腑を鷲づかみにするような剣気に腰を抜かしていたのだろうが、首領らしき黒装束は平然と答えた。
「卑怯者とは……これはしたり」
「一刻あまりも他人の背をつけまわす正直者があろうや」
「つけまわすとな? それは貴公の思い違いにござろう」
鷹揚に笑う敵は衆を頼んでか、いくばくかの余裕を見せていた。
「だが訊かれたからには答えるのが礼儀というもの。――我らは刺客三兄弟! それがしは甲!」
「乙!」
「丙! 生まれついての死亡フラグとは我らのことよ!」
ババァ~ン! という効果音と決めポーズが妙に切ない。
必殺の間合いを外しつつ、妖忌は一歩踏み込んだ。
「それで、わしに何の用だ」
「貴公に用はござらん」
「なんと」
「我らの目的は妖夢ちゃん、ただ一人にてござ候」
「幼子ばかりを狙っておるという話は真であったか」
なんたる卑劣漢、それも我が最愛の孫を狙うとは。妖忌は奥歯を噛み、剣先を揺らして威嚇する。
「して、何用だ。言うておくが妖夢のほっぺたはわしのもの、たとえ万金を積まれようが余人には決して触れさせぬぞ」
「お戯れを、我らとてそこまで無粋ではござらん。孫娘のほっぺたはグランドパパ上様のもの、と相場が決まっておりますゆえ」
「ならば」
「ご照覧あれ」
ばば、と目にもとまらぬ動きで刺客が懐から何かを投げた。
(暗器)
すわ、影の者であったか。妖忌は身構えたが、どういうわけだか刺客に殺気はなかった。
楼観剣を正眼に構えたまま、目線を足元へやる。落ちたそれらはフレームを桃色で縁取られた写真であった。
「こ、これは……」
「天才ちみっこメガネ教師けーねちゃん、口癖は『ばかにすんなー! せんせいだぞぉ!』でござる」
「……」
「その隣はスイーツ系魔法少女れみぃちゃん、シュークリームを食べると変身する彼女は愛と魔法の力で子犬さん同士のケンカを仲裁いたしまする。その甘美なるお裁きはまさに今大岡」
「……」
「極めつけはゆかりの上ちゃんでござる。極ミニの十二単は平安文化と幻想郷の融合が産んだ太ももの芸術……芸術にしては扇情的に過ぎるのではないか、と? ごもっともでござる。されど今一度ご注視召されい。扇子で口元を隠し、頬をほんのり赤く染めるこの在りよう、けしからん格好と奥ゆかしさが織り成す至高の美よ……」
とうとうと語っていた刺客が、妖忌のチラ見に気づいた。
「なに、それは焼き増しでござる、遠慮はご無用」
「む、む、刺客の分際で味な真似を……」
唸りながら妖忌は懐に写真をおさめた。
ここまでで敵の目的にはあらかたの見当がついた。愛らしい娘をとっ捕まえて、自分たち好みの衣装を着せ、ちょっとしたセットの上で写真撮影に及ぶ……と。
「ようするにおぬしら、ただのカメラ小僧ではないか」
「身も蓋もない言い方をすれば左様と答えるほかございませぬが、ここはアーティストと呼んで頂きたいものですな。いや、ゆかりの上ちゃんの写真が焼きあがった折には我ら兄弟、これ以上の作品は作り出せぬであろうと引退を決意したほどでござる。されど人の執念というものは、げに恐ろしきものでありましてなァ……」
「欲の虫が疼いたか」
「然り」
「それで我が弟子に目をつけたと」
つまり、妖忌の思う壺にまんまと嵌った、ということである。
「あの生まれついての尽くしちゃうオーラ、誘い受けフェイス……、妖夢ちゃんを最大限に引き立てるレシピは一つしかございますまい」
「レシピとな」
にやり、と黒布の隙間の口が、不敵に歪んだ。
「我らが目的は猫耳ウェイトレス姿の妖夢ちゃんに他なりませぬ、それもドジっ子属性の――」
「破廉恥なッ」
妖忌の首筋が朱に染まったがべつに怒ったわけではなく、想像したら激しく興奮してしまっただけのことである。
「不埒千万、不届至極。このわしが黙過しておると思うてか」
「なんと、先ほどまでの振る舞いをお見受けいたすに、貴公もまた同好の士であろうと心得ておりました」
「妖夢のかわゆらしさはわしだけのものよ、どこの馬の骨ともわからぬ貴様らの妄想の餌食にされてたまるか。孫を愛でたければわしを斬ってからにいたせ」
「これは貴公も業が深い……」
すすき野原に吹くつむじ風が殺気を帯び始めた。
妖忌は足場を確かめるように一度、土を踏み鳴らした。
「貴様らの穢き欲望を知った以上、もはや捨て置けぬ。そこへ直れ、このわし自ら成敗してくれる」
「我らは見ての通り三人衆でござる。ご老体には荷が重うございましょう」
「烏合の衆が何を抜かすか。要らぬ心配をする暇があるならかかって参れ」
「もはや是非もないようですな」
目の前の黒装束が目配せをすると、音もなく、裂帛の気合いが背後に迫った。
瞬間、獣を思わせる動きで妖忌は身をひるがえし、敵の逆胴をしたたかに打った。勢いを殺さぬままその横を滑りぬける。
斬られた刺客は、空をきって地に突き刺さった小太刀を握ったまま動きを止めている――倒れない。確かに斬ったはずだが肉を斬った手ごたえがなかった。
浅かったか? 否――
はらりはらりとおめめの大きな女の子のイラストが描かれた紙きれが舞っている。
「いやはや、これは肝が冷えた。腹に仕込んだこのコミック百合姫創刊号がなければ今頃はハラワタをぶちまけていたところであった」
「我らが聖書に救われるとはな、兄者よ」
間の抜けた言葉とは裏腹に、刺客たちは緊張を強めていた。
どうやら今の一撃は探りであったようだ。といっても、並みの剣士であれば背骨までやられていたであろう鋭さを具えていたのだが……。
これは久々の強敵だぞ、と妖忌は己が剣筋をさらしてしまったことを悔やんだ。
「ご老体と見て侮っていたようだ。これは我らの全霊を持ってお相手いたさねばなりますまい」
刺客たちは一斉に小太刀を放り投げ、新たな得物を手にした。
「ぬうっ、それは名刀ビームサーベル」
「左様。それもメッセサンオー初回購入特典でござる」
「その、妙にチャチな作りの剣はもしや」
「冬コミの名残りにて候」
「そこなる貴様は匕首を使うか」
「カバンにつめるものといったらナイフとランプでござろう」
得物の格が立ち合いの優劣を決するわけではないが、剣が使い手を高めるというのもまた真実である。
体力に自信がないわけではなかったが、敵には数と、おそらくは若さの利があった。
(長引けば不利)
経験からくる勘がその算段をはじき出した。
じりじりと刺客らが間合いを詰め始めた。各々あと半歩、それが彼らの間合いなのだろう、と察しがつく。
致し方あるまい、と妖忌は息を吐いた。
「おぬしら、運が良いぞ。まこと、運が良い」
「……」
「生者を相手にこの極意を披瀝するは今日が初めてだ」
「口数が増えましたな。今ならまだ命乞いを聞く余裕もございますが、いかがですかな? 妖夢ちゃんの泣き顔は見たいようで見たくない……」
「それはこちらの台詞よ」
八双へ構えを移した妖忌はきつく目を閉じる。
呼吸を整え、刀の峰を返し、気合と共に目を開いた。
「秘剣――妖夢フォーリン☆LOVE」
夕日に赤く染まる楼観剣の切っ先が、虚空に、ゆらりゆらりとハートマークを描いた。
五
妖忌は、地に伏した刺客たちに背を向けたまま、懐紙で剣の油を拭った。
「ふっ、含み針とは卑劣なり……!」
「あまつさえ装甲戦車など持ち出しおって……! 貴公は武士ではなかったのか!」
「謀ったな……! 看護婦コスのフランちゃんなど影も形もないではないか……!」
「勝てば良かろうなのだ」
キン、と鞘を噛んだ鍔が鳴る。
暗器に頼るわ、オーバーテクノロジーを持ち出すわ、「あっ、UFO!」的な策を使うわ、妖忌の戦いぶりは逐一描写するのがはばかられるほどの外道っぷりだった。
愛孫のためなら士道などゴミクズ同然、その辺に放り投げて唾でも吐きかけてやるがいい。
魂魄家刀術、否、彼一流の極意であった。
「命までは取らぬ、幼子を愛でる気持ちに罪はないからの。だがこれに懲りたら悪事は慎むことだな。次は容赦なく首を刎ねるぞ」
「こんな卑怯者にテンプレ的な勝ち台詞を吐かれるのが悔しいっ……!」
「「悔しい……っ!」」
芋虫のように悶絶する刺客たちに、かぁー、ペッ! と唾を吐き捨ててその場を去る妖忌は紛れもない悪党であった。だがそれもすべて孫を思うがゆえ。
「ようむ~、おじいちゃん勝ったよ~、三対一なのに圧勝しちゃったよ~、わしマジすげぇ~褒めて褒めて~」
るんたった、とスキップで、妖夢を残してきた廃屋へ飛びこむ。
が、しかし、妖夢の姿が見当たらない。激戦で火照った妖忌の背筋に冷たいものが走った。
(もしや……)
妖忌が倒した三人が、彼をおびき出すための囮に過ぎなかったとしたら?
いまごろ妖夢は猫耳ウィトレス姿で慣れないお酌をさせられているのだろう……。
ドジっ子な彼女はお盆をひっくり返してしまいミルクを頭から被ってべとべとと、ぬるぬると……、おやおや妖夢ちゃん、お着替えしないとねウフフ……。
(馬鹿なっ!)
爆裂する妄想が妖忌の喉を振るわせた。
「妖夢ッ!」
叫んだ。もう一度、叫ぶ。
「妖夢――――ッ!」
「おじいちゃーん!」
「おおっ、そこにいたか!」
たっ、と跳躍して胸に飛び込んでくる孫を抱きとめようとして妖忌は両腕を広げた。
よっぽど寂しかったのだろう、と想像するに難くない泣きはらした顔はヒナゲシの花を思わせた。
それにしても久々のハグだな……! と妖忌は舌を出してハァハァする。
同時に、はて、この感動的な場面に似つかわしくないあの物騒な光はなんだろう、と不思議に思った。
――ぎらりっ。
見慣れた刃紋、己が分身とでもいうべき親しみ深い剣が袈裟懸けに迫る。
その美々しさが一瞬、妖忌を木偶に変えた。
「スキありッ!(ズバシュ)」
「ひぎい!」
妖忌は秋風に舞う枯れ葉のように崩れ落ちながら自身の言葉を思い出していた。
――誰かがここへ入ってきたら一刀のもとに斬り捨てよ。誰であろうと、だ。迷いある剣で人は斬れぬ。
実直な妖夢のことだ、妖忌もまた例外ではなかったのである……。
たしかに迷いのない見事な一撃であったわ……、と褒め称えてやろうとしたのだが床板に落ちた身体が一向に動かせない。
(こ、これは、何としたことか)
白楼剣はなまくらである、それに加えて幼子の膂力では妖忌の薄皮一枚斬れるはずもない。
だから斬られたのは肉体ではなかった、迷いだ。
そう、彼は未だに迷っていたのである。その迷いを、孫の手によって断ち斬られたのだ。
妖忌の脳裏に、若き日のおもひでが渦巻き始めた。
キーンコーンカーンコーン。
懐かしい、チャイムの音が聞こえる……。
『おい魂魄、お前だけだぞ。進路希望の紙、提出してないの。……え、なに? 歌手になりたい? お前、冗談は老け顔だけにしとけよ。その歳で学ランがコスプレにしか見えない歌手とか流行るわけないだろ。……だからそうやって眉間にシワ寄せるのやめろって……、校長先生に説教してるみたいで具合悪いんだよ……』
恩師の言葉が。
『魂魄君ひさしぶり~。今なにしてんの? え、夢追い人? あはは、魂魄君ってそういう冗談言う人じゃかったのに。……。……え……マジなの? ……え、ああ、ニートなんだ。いいよねニートって、自由だし』
学友の言葉が。
『妖忌よう、お前も良い歳じゃ、そろそろ家業を継いでくれんかのう。――拙者はそんな小さいところにおさまる男じゃない? そんなこと言うても父さん、近ごろ腰が痛くってよ……。いいかげん身の程ってもんを弁えてくれんか』
パパ上様の言葉がよみがえる。
迫り来る現実によって押しつぶされた夢が、剣術に打ち込むことで目を背けていた夢が、妖忌の迷いとなっていたのだ。
(夢を、もう一度……!)
妖忌は肉に爪が食いこむほど両拳を握りしめて紅涙を流した。
「おおっ、我が道が、いま! 開けた!」
おじいちゃん、どうしちゃったんだろ。そんな憂慮の色を眉の間に浮かべた妖夢が、妖忌を見上げた。
(弟子に気づかされるとはな……)
妖忌はどこか晴れやかな顔で、妖夢の柔らかな髪を撫でた。
「おししょうさま……?」
「妖夢よ、わしはこれより旅に出る」
「わぁい!」
この笑顔を歪めさせねばならないことが、つらかった。
「連れては、行けぬ。わしが行くのは修羅の道じゃ。おぬしのような未熟者がついてこれる道ではない」
「えっ!?」
途端、暗い色に染まる妖夢の瞳から、妖忌は顔を背けたかった。しかしこの程度でたわむような決意に何の価値があろう、と己を奮い立たせ、妖夢の肩をがっしりと掴む。
「しかれども腐るでないぞ、おぬしを捨てるわけではないのだ。これも修行、と思うてくれ」
「え、え? じゃあ、いつ、帰ってくるの……?」
「わからぬ、五十年、あるいは百年か……」
「……! そんなのやだよ!」
「わかってくれ、妖夢や……」
口下手な妖忌はそれ以上の言葉を持たなかった。否、言葉に何の価値があろう、と膝をつき、妖夢の身体を抱きしめた。
華奢な身体だ。これから先、この身にどれほどの苦難が待ち受けているのだろう、と思うと決意が揺らいだ。
己の揺らぐ心を支えてくれていたのは、いつだって、この剣だった。
「この剣をおぬしに授ける。先祖代々の英魂が必ずやおぬしの身を護ってくれようぞ」
「そんなのいりません……! いりませんから、わたしも連れていってください……!」
心からの懇願は胸に迫ったが妖忌は黙殺した。言い聞かすかわりに、指を一つ一つ折り曲げるようにして、妖夢の手に楼観剣を握らせた。
「覚えておけ妖夢よ、剣は、人の道を曲げぬのだ」
「……」
「返事はどうした」
「……はい」
丸腰になった妖忌は軽やかに立ち上がった。呆然と剣を抱く妖夢に一瞥をくれて、廃屋を出る。
がちゃ、と剣を投げ捨てる音。
背中にすがりつく気配。
ここで優しい言葉の一つなどかけてしまえば、互いに決意が弱まるだろう。妖忌は背筋を伸ばして大喝した。
「ならぬっ!」
「――ッ!」
しかし非情に徹しきれぬのが肉親の情というものか。
わしもまだまだ未熟に過ぎる、と妖忌は最後に一度だけ振り向き、微笑んだ。
「さらばだ、わしは、いつ、どこにあっても、おぬしのことを思うておる」
刻むように言葉をつむぎ、妖忌は、昔日に置き忘れてきた青春に向かって全力で走り出した。
しかめ面であぜ道を駆ける彼の筋張った頬から、一筋の涙が流れた……。
取り残された妖夢は、楽しいお散歩の日に突如おとずれた別れの意味を飲みこめずにいた。
妖忌の名残を求めるように、遺された剣をかき抱く。そうやってしばらくは途方にくれていることしかできなかった。
きゅう、と腹が鳴る。こんなときでもお腹は空くんだ、と不思議に思うと、ふいに、妖忌と食べたあのたいやきの味が思い出された。
(もう、おじいちゃんに会えないのかもしれない)
そんな予感が胸を支配したとき、妖夢は全身の悲しさを吐き出すように泣いた。
泣きながら何度も何度も妖忌を呼んだ。
そうしていればお師匠様は、おじいちゃんは、いつだって助けに来てくれたのだ。
きっと、今日だって戻ってきてくれるはず……。
そう一心に信じて、妖夢は祖父の帰りを待ち続けた。
しかし、目が痛くなるほど涙を流しても、喉が枯れるほど叫んでも、妖忌は戻ってこない。
おじいちゃん、どうしちゃったの?
お汁粉、一緒に食べようって約束したのに……。
ここは寒いよ……、白玉楼に帰って、お風呂に入って、いっしょのお布団でお寝んねしようよ……。
いつもみたいに……。
ねえ……?
えーん、えーん。
いつ已むとも知れぬ泣き声だけが、茜さす廃屋にこだましていた……。
六
時は、流れた。
大晦日、白玉楼の茶の間である。
《苦節数十年、この方は諸国を旅するうちに演歌とヒップホップの融合、という新たなスタイルを生み出しました。満を持して世に送り出されたのがデビューシングル『孫~リトルラバー~』。お孫さんに向ける率直な思いをエイトビートにのせたこの曲がいきなりのミリオンヒット! 今年は幻想郷中のメディアを賑わせました……時の人、魂魄YO忌さんのご登場です!》
<ちゃら~ら~、すっちゃかちゃ~、ズンズンチャッ
~なにゆえ これほどまでにプリティなのじゃろう
~孫といふ名の 宝物
ぽろり、と幽々子の口から煎餅が落ちた。
「妖忌が紅白出てる」
「やだなあ幽々子様、他人の空似ですよ」
~おぬしの眉はわしにクリソツ わしは中卒
~HEY! リッスン ボーイゼンガール
~わしはYO忌でその孫YO夢
~刻むライムはコンパクト 我ら魂魄 まこと裂帛
「でも、魂魄とか、妖忌とか、歌ってるんだけど」
「まったくの偶然ですよ、偶然に決まってます。お師匠様はダボダボのパーカーなんか着ません」
「でも下は袴なのよね……」
~おじいちゃん
~おぬしはいつもそうやってわしの背に、わし、わしの……(感極まって泣いている)
~…………
~ちぇぇぇんあああっけぇええいるううぁぁあ(コブシのきいたチェケラである)
~オーマイエンジェル 未熟者……
「これに拍手喝采って……。どえらいことになってるわね、幻想郷のミュージックシーン……」
「そんなことより幽々子様、年越し蕎麦ができましたよ。見てくださいこの麺、太く短く切っておきました。……細く長く長生きしたところでロクなことがありませんからね」
「妖夢、あなた泣いてるの?」
「いえ、お塩が足りなかったかな、と思っただけです」
《YO忌さん、どうもありがとうございました。初の紅白出場ということでしたがご感想は――》
《イエーイ、妖夢ー、見てるー?》
「やっぱりこれってどう見ても妖忌……ってあれ、妖夢? ようむー、どこ行くのー?」
白玉楼を裸足で飛びだした妖夢は、剥き身の二刀をぶんぶん振り回しながら夜の空を征く。
欠けた月を背負い、咆哮した。
「そっ首洗って待っていろ! おじい――ジジイッ!」
引きつった笑みの理由は再会の歓喜か、それとも殺戮の狂気か。
妖夢にはまるで見当がつかなかった。
<了>
なんかいろんな意味でひどいww
とりあえずれみぃちゃんの写真を貰うために、私も高速で財布を開きたいところ。
たとえ魔法少女が似合うと思おうが、猫耳ウエイトレス姿が似合うと思おうが、それは脳内で補完しなければならない。決して手を出してはならないのだ。それが真の幼女を愛する者と言うものなのだ。
わかったか! 甲(Ninja)!!
あなたの作品からは度胸と読教のかほりがする。
萌え死ねるよな…これ。
俺は死んだ。
ただの曲解とも言う。
確かに妖夢にとってはたまった物ではないかもしれんが、
孫が出来てから一度は諦めた子供の頃の夢を叶えてみせたのは
あるいは途方もなく素晴らしいことではないだろうか。
幼女かわいいよ幼女。
オリキャラにこんなに同情出来たのは初めてではなかろうかw
今年もよろしく。
ただ斬られて終わらないところが素晴らしい。
あとけーねせんせーについて詳しく
色々とすさまじい流れだ・・・
ちび妖夢に剣術指導したい。
まさか前作のアレが伏線だったとはw
なんという紳士と紳士のぶつかりあい。
ジジイ自重しろww
まさかそれが本名の3人衆がいたとは……
お美事に御座いまする。
これはひどい
よくも俺を殺したな……ッ
しかし、ちみっこけーねちゃんとは……音速の速さで財布をオープンゲットせざるを得ない
こんなにテンポよく読めたのは初めてかもしれませんw
~オーマイエンジェル 未熟者・・・
で死んだwww未熟者で締めるのかwww