私の祖父――――魂魄妖忌は素晴らしい方だった。
圧倒的なまでに強かった。
『斬れぬ物など全く無い』と彼が謳うように、その剣は物の概念までをも斬り落とした。
数え切れぬほどの妖達と幾度無く戦い……少なくとも、私は彼が負けた姿を一度も見た事がない。
主を守る従者として、これ程までに心強い者が他にいたであろうか。
厳格さ故に、家族として接するのは少し苦手ではあったが……
それでも、私もいずれはこの人のように……そう憧れずにはいられない存在であった。
そんな祖父が姿を消してから、どれくらいの時が経ったであろうか。
私は未だ半人前。
祖父の足元にも遠く及ばない、未熟者である。
あの日、瞼の裏に焼きついた師の剣捌きが今も頭から離れない。
嗚呼、師よ。
貴方は今頃、この世界で何をしておられるのですか。
もう一度、この未熟者にその剣を見せては下さらぬのですか。
未だに貴方にすがる私を、叱ってはくれないのですか。
どれだけ剣を振るおうとも、断ち切れない弱さ。
自身の情けなさを、戒めなければと頭では理解していながら。
それでも、会いたかった。
ただ純粋に会いたかったのだ。
それほどまでに、憧れ続けた師匠。
そんな彼は、今――――――
「妖怪の鍛えた楼観高枝切りバサミに斬れぬ枝など全く無い!」
―――――紅魔館でガーデニングをしていた。
―――――楼観高枝切バサミ―――――
「……何してんねん」
麦わら帽子が似合うナイスガイに、思わずツッコミを入れる。
生き別れの祖父と感動の再会なんていう淡い期待を全てを吹き飛ばすような日曜日のお父んがそこには居た。
唖然とする私の声に対して――――私の気配などとっくの昔に気付いていたのだろう――――師は驚いた様子も、動揺した気配も見せずに、一刀の下に庭に跋扈する雑草達を斬り捨てる。
……高枝切りバサミで。
いや、高枝切れよ。
居合のようにハサミをカバーにしまう姿が、何とも哀愁を誘う。
「久しいな、妖夢」
「久しいな、じゃありませんよ! こんな所で何をしているんですか!」
「ガーデニングに決まっているだろう。庭師だし」
「そうじゃなくて! 突然姿をくらましたと思ったら、何でこんな所に!?」
「――――そこに庭があるからさ」
全く答えになっていない。
異様に爽やかな表情でグッと親指を立てる祖父は、あの厳格だった彼とはまるで別人のようだ。
……いや、別人であって欲しい。
あれ? 別なんじゃないか?
うん、別人に違いない。
「いや、普通に妖忌だから」
「心読まないでくださいよ! 師匠似の麦わらガーデニスト!」
「ええい、自分の祖父を否定するな。5年前のお前のおねしょトークするぞ」
「ごめんなさい」
瞬間的にジャンピング土下座。
脆弱な脳内フィルターなど、私の全てを知り尽くしているこの御方に通用する筈が無かったのだ。
封印された黒歴史を掘り起こされるのでは、と言う恐怖から私はビクビク震える事しか出来ない。
しかし、我が師はそのような事はしなかった。
地面に頭を擦りつけながら許しを乞う情けない孫を、師はその大きな手で立ち上がらせる。
顔をあげた私の視線の先にあった彼の顔は、久方ぶりに見る実に真剣な物であった。
「魂魄家の者が簡単に地に頭を付けるな」
「師匠……」
「それをしていいのは、土いじりの時だけだ」
どれだけガーデニング好きやねん。
「しかしまぁ、お前の言いたい事はわかる。白玉の犬とまで称された儂が何故、こんな所でガーデニングをしているのか、であろう?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。と言うか白玉の犬なんて初めて聞いたんですが」
かなりパチモン臭い名前に思わずツッコミをいれる私だが、師は無視して話を続ける。
「妖夢、儂らは庭師だ。庭の為に命を賭けていると言っても過言では無い」
「は、はぁ……」
その瞳は真剣そのもの。
そもそも私は主の為ならばいざ知らず、庭の為に命を賭けた事などないのだが、相手は仮にも私の師匠である。
彼の真剣な表情から語られる言葉を否定する事など、無力な私には出来る筈も無かった。
「儂は悟ったのだ。白玉楼だけではない、この世界中の庭に彩りを与える事こそが我が使命であると」
「まさか、そのために……」
「そう、白玉の犬は一度死んで……野良になったのさ」
そしてこの笑顔である。
昔の彼とは似ても似つかない師の表情を見て、ようやく私は理解した。
彼は言っているのだ。
白玉楼の庭師、魂魄妖忌はもういない。
今、目の前に居るのはフリーの庭師、魂魄妖忌であると。
己の信念の為に全てを捨て、庭の為だけに生きる男がそこには居た。
「それに白玉楼と違ってちゃんと給金もらえるからな」
「うわー、完全に蛇足でした。それ」
ホクホク顔のガーデニストに、私は呆れたように溜息を吐く。
確かに白玉楼の給金は安い。
私など、先日まで一銭たりとももらっていなかった程だ。
幽々子様の食費や、幽々子様の食費。さらには幽々子様の食費などの『必要経費』のためには私達の給金をいくらカットしても足りないのである。
とは言え、最近は多少羽振りがいいらしく、私も給金がもらえるようになった訳だが。
一月働けばキャンディー十個くらいは買えるようになり、こんなにたくさんの給金がもらえる私はきっと特別な存在なのだろうと思えるようになった程である。
などと最近の自分のブルジョワっぷりにしみじみと頷いていると、不意に館の方向から声が聞こえて来た。
「これは凄いわね」
「咲夜さん」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこに居たのは白玉の犬などというパチモンではなく、本当に紅魔の犬と呼ばれる十六夜咲夜さん。
この館の主、『レミリア・スカーレット』の懐刀で在り、メイド長を務める御方である。
完全で瀟洒な彼女は、我が師によって大きく変わった庭をぐるりと見まわし、感嘆の声を上げる。
「庭の植物たちが輝いて見えるわ。流石はガーデンマスターと名高い魂魄妖忌さんね」
「ガーデンマスターって具体的に何かしたんですか?」
「西行妖は儂が咲かせた」
「らめぇええええ!」
本気なのか冗談なのかわからない口調で、得意げにキラリと白い歯を光らせる我が師匠。
その後も自分が今まで手をかけて来た庭についての講釈が続くが、『パッ○ンフラワー』だの『ウツボ○ト』だのを庭に咲かせるのは問題は無いのだろうか。
私の隣で話を大人しく聞いていた咲夜さんも苦笑を浮かべている。
否、むしろ若干引いている。
このままで彼のトークを続けさせては魂魄家の威信に関わる。
そう判断した私は、何とか話を逸らそうと師匠にむかって口を開いた。
「あ、あの師匠。お話してくれるのは嬉しいんですが、作業を進めた方がいいのでは? 先程から手が止まっていますが……」
「問題ない。足でずっとやっている」
「凄いけどキモッ!」
上半身は微動だにせず私達と会話を続けながら、下半身では土いじりに水やりに種植え。
ほとんどの作業をこなす足は最早人間どころか、妖怪の限界をも超えたような動きをしている。
神業には違いなかったが、会得したいとはこれっぽちも思えないスキルだった。
……だから「学ぶな、盗め」みたいな目でこっちを見ないでください師匠。
こうも珍妙な動きからこうも見事な庭が出来上がっていく。
そんな事実に対する私達の複雑な気分をよそに、ガーデニングマスターによって紅魔館の庭は着々と生まれ変わって行った。
湖の奥の山へと日も沈みかけた夕刻。
この広い紅魔館の庭は、一人の庭師によって大きく姿を変えていた。
何と言う事でしょう。
そこにあったのは鮮やかで……けれども過度の主張はせずに館の紅色を映えさせる、私がこれまで見た中でも最も美しいと言っても過言の無い庭であった。
それは彼の庭に対する情熱を表現した一つの芸術作品にも思える。
その芸術作品をたった一人で作り上げた彼の手際も実に見事で、その動きたるや私も咲夜さんも思わず時間を忘れて見入ってしまっていた程である。
……手で行っている時に限り。
そんな芸術も間もなく終わりを告げようとしていた。
高枝どころかまさに『斬れぬ物など全く無い』楼観高枝切バサミを、例の如く居合のようにカバーにしまい、我が師匠は私達の方へと向き直った。
「これにて、了……と」
言葉を失っている私の背後から、ぱちぱちという拍手が聞こえてくる。
その音を鳴らした本人である咲夜さんは、一歩前に出ると作業を終えて汗を拭いている師を、いつの間にか持ってきていた冷たい麦茶で労った。
「見事な御手並みでした。どうです? せっかくですし、紅魔館専属の庭師になっては?」
「執事長なら考えてもいいな」
「ハッキリ言ってキモイです」
孫の本音に、祖父はカッカッカと笑う。
その笑顔は夕焼け色に染まる世界も相まって、どんな物よりも輝いているように見えた。
「冗談だ。今の儂は根無し草の方が性に合っている」
「そういうと思っていました」
庭師でありながら、何処の庭に根付く事もやめてしまった師匠。
そんな彼の本当に活き活きした表情に釣られて私達まで笑ってしまう。
気の迷いなどではなく。
詭弁などでもなく。
剣を捨ててでも自分の本当に進むべき道を、彼は自分自身で見つけ出したのであろう。
今、彼が浮かべている笑顔を見れば、若輩者の私でも理解する事ができた。
どんなに変わってしまおうとも、やはりこの目の前の御仁は私の誇りの師匠であった。
「今日は本当にありがとうございました。こちらが報酬となります」
「今後とも御贔屓に」
頂いた報酬を懐にしまうと、師は咲夜さんに丁寧に礼をした後、我々に背を向けて門へと向かう。
それはあの頃と変わらず、大きくて、眩しい――――頼むから視界に入るな、麦わら帽子――――私の追い続けた背中そのもの。
しかし、彼が見ている先と、私が見ている先は最早違う道である。
私が見なければいけない物は、師の背中ではなく、自分の目の前に続く道なのだ。
――――送り出して差し上げよう。
私をここまで育て、ずっと指針となって下さった師の背中を。
これからも私とは違う道を歩み続けていくであろうその背中を。
決別と激励の意を込めて、送り出して差し上げよう。
それこそが出来の悪い弟子であった私の、最後に出来る師匠孝行なのだから。
「あ……」
そう、送り出して差し上げなければいけない筈なのに。
私の情けない声が、中空をさまようその手が、弟子としての私の意志とは裏腹に我が師を引き止める。
「行って、しまうのですか……?」
下を俯いたまま、自分でも惨めなほどに弱々しく言葉を紡ぐ。
今更になって気が付いた。
私が彼と会いたかったのは、彼が憧れの師匠だったからではない。
例え剣など無くとも、師弟でなくとも……大切な、祖父だったからだ。
師匠の弟子ではなく、魂魄妖忌の孫として……私は祖父と共に居たかったのだ。
ザッ。
未熟な私の想いを断ち切るかのように、師の足音が私の耳を貫く。
さして大きくも無い筈のその音が、まるで師の剣のように静寂を切り裂き、私の目の前で止まる。
怒られる。
迫る気配に私はビクリと身体を硬直させ、歯を食いしばり目を瞑った。
ぽん、と。
次の瞬間、頭上に感じる微かな重み。
恐る恐る私が目を開けると、師の大きな手が私の頭の上に乗せられていた。
「また、いずれ会おう」
「師匠……」
「もう、師ではないさ。お前の望むように呼べばいい」
優しく、けれども力強く。
師としてではない、魂魄妖夢の祖父としての笑みを目の前の御方は浮かべていた。
嗚呼、そうか。
もうこの御方と私は、師弟ではないのだ。
ならば、私は。
弟子としてではない、魂魄妖忌の孫として―――――
「おじい、ちゃん……」
共に暮らしていた頃には決して許されなかったその呼び名。
私の口から出て来てきてくれた言葉は、それだけであった。
言いたかった事がたくさんあった筈なのに、上手く言葉にできない。
泣いてしまいたかった。
感情のままに涙を流して、祖父に抱きついてしまいたかった。
けれでも、それはせっかく自分の道を見つけた祖父を迷わせる行為で――――これから一人で幽々子様を守る者としては許されざる行為で。
何とか唇を噛み締めながら、祖父に情けない笑顔を向けるのが、私の精一杯だった。
果たして祖父は、そんな孫の様子に何を思ったのだろう。
私の目を覗きこむその瞳が、ふと何処か嬉しそうに笑ったような気がした。
「あの方の事、頼んだぞ。お前ならば出来ると思ったからこそ、儂は白玉楼を出たんだ」
「はい……!」
その返事に満足したかのように。
祖父は私に背中を向けると、今度こそその場を去っていった。
決して振り返ることは無く、ただ己の進むべき道の先を見据えて――――
一つだけ……もし、一つだけ願いが叶うのならば、
私が今よりずっと強くなって、一人前になれたという自負を持てるようになった時。
その時は稽古などではなく、一人の剣客として本気で剣を交えて欲しい……そう思った。
だが、それはきっと叶わぬ願いであろう。
何故ならあの方はもう剣を捨てたのだから。
剣の道など、もはやあの方は何も――――
「大丈夫よ」
「咲夜さん……」
完全で瀟洒な彼女は、心も読むことができるのだろうか。
隣に佇んでいた咲夜さんからの、その一言に私は目を丸くして振り返る。
彼女は薄く笑みながら、私の祖父の後ろ姿を眺めていた。
「あの人は剣の道を忘れてなんていないわ。ほら、見てみなさい」
「あ、あれは……!」
目を見開いた。
庭の為に全てを賭けるといった我が師、魂魄妖忌。
だが、その身体には自身の極めた剣の道が深々と刻まれていた。
もしかしたら、何も知らない者から見れば祖父は奇人に思えるのかもしれない。
しかし、見る者が見ればわかる。
夕日に向かって去っていく、祖父の足取り―――――
―――――それは、摺り足だった。
シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ
他人のフリをしたい。
本気でそう思った。
本文もあとがきも劣らぬ酷さだったw
konoyarou!
「5年前のお前のおねしょトーク」
何……!妖忌が去る直前までおねしょをしていたとな……!
しかしそれが最後になったとは断言することはできない。つまり……もしや今でも……
タイトルの時点で、『あぁまともな剣術の話じゃないだろうな』とは思っていましたが、最後の最後で摺り足とは。
矢張り長年続けてきた習慣はそうそう簡単に抜けないものなのですね。
あと妖夢、辛かったら我慢せずうちに来ていいんだぞ;;
あと足より半身(半霊)使えよ!
夢に見そうだ・・・
しょうがないので、妖夢と咲夜さんの下半身をおや、誰か来
一月働いて飴玉十個ってwwwwww
いやもう妖忌さんマジパネェっすwwwwww
これが才能か……っ!
と思ったら未だにゆゆ様に貢いでるのかー
オチにおもっくそ笑いましたwwwwww
なんかルフィの祖父さんみたいだ
白楼高枝切りバサミはどこで買えますか?
修行なんだろうけどさ