「ふう」
店の入り口を開け、空を見上げる。雲ひとつないいい天気だ。
「やっと静かになったな……」
正月の三が日はそれはもう騒がしかった。
霊夢と魔理沙が大量の食べ物と飲み物を持ってきて僕の店で宴会を始めたのだ。
正月だからと受け入れたのが失敗だった。
酒が入ると霊夢は毎年参拝客が来ない事を愚痴りだし、新年なんだからばーっと景気よくしなさいよとひたすら繰り返していた。
魔理沙は霊夢が何を言っても大笑いしていた。そしてやたらと僕に絡んできた。
二人だけならともかく紅魔館の人々やら何やらやってきて騒ぎ出す始末。
いくらなんでもやりすぎだと全員を追い出したのが昨日だ。
今は博麗神社で宴会の続きをやっているらしい。
そんな事をやってるから参拝客が来ない、あるいは来ても気付かないんじゃないかと僕は思う。
「とにかく今日は静かに過ごせるという事だ」
店を開けていても客は誰も来そうにないという事も含めて。
「新年早々景気の悪い話だなぁ」
霊夢じゃないけど年の最初くらい景気よくあって欲しいものだ。
「よし」
せめて僕だけでも景気よくしようか。
そう思い、台所へ向かって奥に隠しておいた酒を取り出した。
秘蔵の高級酒である。何かいい事があった時に飲もうと思っていてずっとそのままになっていた。
あの霊夢や魔理沙に気付かれないように隠してあったんだからそういう意味でも価値が高い。
「ん……」
芳醇な香り。喉を潤すしっかりとしたなめらかな味わい。
「こりゃあ一人で飲むには贅沢だ」
だが贅沢をするために空けたのである。一人で飲みきってしまおう。
ゆっくりと杯に注ぎ、飲む。
こうやって一人で酒の味を楽しむのはどれくらい久々だろうか。
「そういえば昨日の残りのつまみがあったな」
それを探そうと立ち上がった時、僕は異変に気付いた。
「これは……」
周囲が白く染まっていた。
煙とは違う。もやのような何かが台所全体に広がっている。
「霧……か?」
しかし家の中に霧など出来るものなんだろうか。
僕が戸惑っていると、その霧はまるで意思があるかのように動き出した。
濃い部分と薄い部分があり、その濃い部分が僕の空けた酒にまとわりついているのだ。
間近だというのに酒に近い僕の手は霧に包まれて何も見えなくなってしまっていた。
「……」
酒瓶を持ち上げる。
すると霧がそちらへ動く。
やはり目的はこの酒のようだ。この霧は意思を持って動いている。
「と、するとこれは……」
僕は以前に霊夢から聞いた話を思い出していた。
それはある異変の話だった。
「どうやらその犯人らしい」
僕はゴミ箱まで歩いていき蓋を開ける。
昨日のゴミを漁り、あるものを引っ張り出した。
それを取り出しただけで霧の動きが鈍る。
僕は思いっきりそれで霧を引っ掻き回してやった。
「わ、ちょ、や、止めっ!」
霧が喋った。
正確には霧がまとまってひとつになりつつあるものが喋った。
「ふわー、鰯の頭で混ぜるとか酷い事するなぁ」
僕に向かってしっしと追い払う仕草をする。
僕は鰯の頭をゴミの中に戻し、臭いのしないように蓋を閉じた。
「疑惑半分でやったんだけど、本当に嫌なんだね」
彼女の頭に生えた左右の大きな角が彼女が何者であるかを示していた。
「あの臭いが嫌いでねぇ」
鬼。幻想郷の中でも最高峰の力を持つ種族である。
そして鬼の苦手とするものは鰯の頭と柊の葉だ。
「それは申し訳ない事をした。けれど、君が勝手に人の家に入ってきて酒を取ろうとするからだろう」
「いやー、宴会の半端なところで霊夢に追い出されてさ。そこにいい酒の香りを感じてついふらふらっと」
言いながら手に持った瓢箪を口につけ、ぐびりと中の液体を飲む。
「ぷはー!」
匂いからして中身は酒のようだ。
「伊吹萃香……だったかな」
霊夢から鬼の知り合いがいる、と聞いたときは本当なのかと疑ったものだが目の前にこう存在されると信じるしかない。
「お。知ってるの?」
「霊夢からちょっと聞いたくらいだけどね」
いわゆる御伽噺にでてくる筋肉隆々の鬼とは違い彼女は丸っきり小さな少女そのものだが、気配が人間やそのへんの妖怪とは全然違う。
吸血鬼、つまり鬼の亜種であるレミリアに近いがそれよりもさらに濃いものだ。
それが彼女が本物である事を示していた。
「それで、追い出されたってどういうことなんだい?」
「あ、ちなみに追い出されたのは私だけじゃなくて全員ね」
鬼は無類の酒好きである。
一瞬彼女が飲みすぎて追い出されたのかと考えたがそうでもないようだ。
「どこぞのバカが向こうの神社は参拝客が一杯だったとかいうからさぁ」
「ああ……」
それは霊夢にとっては一瞬で酔いの覚める言葉だったろう。
博麗神社で宴会をしていた連中は気は合うだろうし騒ぐのは楽しかったろうが、神社に参拝などをする人ではない。
毎年の事とはいえ参拝客が全然いませんでした、では巫女として立場がないだろう。
「霊夢ったら鬼の私がいうのもなんだけど鬼みたいな顔になっちゃってさ。みんな追い出されたの」
「なるほど」
今は参拝客を待っているというところか。
「あの顔じゃますます誰も来ないと思うんだけどなー」
昨日の霊夢の愚痴りっぷりと今の姿を想像して少し気の毒になってしまった。
「まあそれはそれとして。そのお酒私にくれない?」
「僕が君にお酒をあげる理由は特に見当たらないんだが」
しかしまあ、彼女に限った事ではないが幻想郷の人々は実に遠慮がないと思う。
それは良い事でもあるとは思うのだけれど。
「くれないと店内で暴れるけど?」
「酷い話だ」
「なんたって鬼だからねぇ」
彼女が酔っ払っているせいか、ちっとも本気を感じられないのだが本当に暴れられても困る。
「じゃあ勝負をしようよ。私が勝ったらこれを頂戴」
「勝負……」
鬼は無類の勝負好きでもあるのだ。
鬼と勝負をしただなんて少しは自慢話になりそうである。
「受けても構わないが、僕になんの益もない。君が負けたらどうするんだい?」
「んー? 負けるなんて有り得ないけど。負けたら何でもいう事を聞いてあげるよ」
彼女は相当の自信があるようだ。
まあ実際、彼女と弾幕ごっこをしようが腕相撲だろうが酒飲みだろうが僕に勝てる要素はないだろう。
「何でも、ね。何が出来るんだい?」
「私に出来るのはねー」
別に酒を飲ませても構わなかったのだが、彼女の能力を聞いてひとつ叶えて貰いたい事が思い浮かんだ。
そして彼女に勝つ方法も。
「よしわかった。勝負の方法を説明しよう。僕は君の目の前でこの酒を飲む。それを見て君が最後まで我慢できたら君の勝ちだ」
「そんな簡単でいいの? ちょっと我慢するくらい楽勝だけど」
「異論はないようだね」
僕は彼女が気付く前にさっさと始めてしまう事にした。
「じゃあ始めようか、まずは一杯……」
杯に注ぎ、彼女の前で揺らしてみせる。
「おおおお」
萃香の口からじゅるりと涎を飲む音が聞こえる。
「おっといけないいけない」
まだ気付いていないようだ。
「うん。これは実に美味い」
僕は大仰にそれを飲み、感想を述べた。
「じゃあ次を飲もうかな。すぐ飲みきってしまいそうだ」
わざとらしく言葉を続ける。
「そんな誘惑に……ううん?」
首を傾げる彼女。どうやら気付いたようだ。
「ちょっと待ってちょっと待って」
「どうしたんだい?」
僕の顔を見て萃香はなんともいえない顔をした。
「これ、あんたが最後まで飲みきったら私の飲む分無いんじゃない?」
「正解。でも君はもう勝負を受けてしまっただろう?」
受けてしまった時点で彼女が勝って酒を飲めるという結果は無かったのだ。
その後僕がどうなるかはわかったものじゃないけど。
「あー、うー」
「これくらいしか勝てる方法が思いつかなかったんだ」
ただ別に僕は彼女に酒を飲ませないつもりもないし、わざわざ意地の悪い事を言うつもりもなかった。
「残りは君にあげよう。勝負も別に無かった事にして構わない」
「あれ? いいの?」
目をぱちくりしている。
「ただもし君が善意で僕のいう事を聞いてくれるならば聞いてもらいたい」
「ふーむ」
僕と酒を交互に見つめる彼女。
一瞬悩んだ様子だったがすぐに酒瓶を手にとって僕に告げた。
「まあ内容次第かな」
僕は勝負を無かったことにすると言ったが、鬼の性格はそれを許さないだろう。
彼女は僕の願いをきっと叶えてくれる。
「君に萃めて欲しいものがあるんだ」
*
「やあ、すごい混雑だ」
「お賽銭はこちらへどうぞー! おみくじはあちらでーす!」
霊夢がそれはもうすごいいい笑顔であちらこちらに駆け回っていた。
「こんなに参拝客が来るだなんて! 神様って本当にいるのね! 神様ありがとう!」
その言葉は巫女として色々と問題がある気がするが、まあ気持ちはわからないでもない。
「夢でも見てるみたいだぜ」
霊夢に言いくるめられでもしたのか、巫女服で霊夢を手伝う魔理沙の姿もあった。
今や博麗神社の敷地内は参拝客でごった返しである。
「え? あ、絵馬? 絵馬はこっちよー!」
霊夢はとても忙しそうだった。
「しかし本当に凄いな」
僕も博麗神社に人がこんなにいるのを見るのは始めてである。
「なかなかいい事するじゃない」
「ん」
声に振り返ると相変わらずひょうたん片手の萃香がいた。
「でも今回だけだよ?」
「ああ。感謝するよ」
僕が彼女に願ったのは、博麗神社に人を萃めて欲しいということであった。
「自分の店に人を集めて欲しいって願えばよかったんじゃない?」
「店に人が集まったって結局何かを買って貰わなければしょうがないからね」
それならば、博麗神社に人を集めて貰った方がいいと考えたのだ。
「人々も神社に来てしまえばせっかくだからって気持ちになるだろうと思ったんだ」
正月だし賽銭も弾むというわけだ。
「後はまあ、霊夢の頑張りどころだろう」
萃香も二度は同じ手に引っかかりはしないだろうし。
「それに、これは僕にも益のある事なんだよ」
「へえ、そりゃどうして?」
「あ、霖之助さーん! お札もうすぐ切れちゃいそうなんだけどー」
霊夢が僕の姿を見つけて近づいてきた。
「あら、あんたもいたの。参拝客の邪魔だけはしないでよね」
「はいはい」
萃香はにやにや笑っていた。
「すぐ用意するよ。でも出来れば料金は先払いで欲しいな」
「お金? はい! なんなら今までのツケも払っちゃうわよ!」
霊夢は気前よく僕に代金を支払ってくれた。
それどころか今までのツケも……まあ全部ではないが返ってくるほどである。
「ね」
だから僕にとっても大いに意味のあることだったのだ。
「なるほどねぇ」
さて、急いで帰って用意をしなくては。
「あー! 忙しくて死にそう! 正月万歳! 毎年ずっとこんな正月だったらいいのに!」
駆け回りながら叫ぶ霊夢の言葉を聞いて僕はそっと萃香に尋ねた。
「だってさ。次回も期待されそうだよ? どうするんだい?」
「どうするったって、それを聞いちゃったら、ねえ?」
来年の話を聞いて、鬼が笑った。
読みやすくて良かったです。ごちそうさまでした。
本当に良かったね、霊夢
思わずそう言いたくなるくらい素敵なオチでした
読み易くて、面白いSSでした。
霊夢は後先考えないでお金あればあるだけ使っちゃうタイプですねwww
良い話だなー。
霊夢さんは節制できる人ですよねー。浪費家なんてイメージ皆無。そもそも何に使うんだ。派手な趣味も持って無さそうなのに。
スッと読めて読後感も非常に良かった
さくっとよめて面白い
霖之助の頭脳プレーも、さすが。
とくに最後の一文が効いてますね。
これは上手い。
素敵なお話でした.
お札を始め、巫女服や大幣などの霊夢の身の回りの物は、霖之助が作成(場合によっては修理)して支給しているものでしたね、そういえば。
いいお話でした。
あとがきもなおよし。
素晴らしい作品をありがとうございます。
こういうのいいね。
お見事!
こらw
話もテンポ良くて面白かったです
霖之助の策士ぶりと優しいお兄さんぶりが良かったです。
あと霊夢が幸せそうでいい