語ろう。
一冊の本と、私たちの物語を――。
◇ ◇ ◇
今日は起きた瞬間から喘息の具合が良かった。それもそのはずだ。今日は月に一度、人里の外れにある古道具屋から外の世界の本が大量に入荷する日なのだから。本来は売り物であるはずの本を香霖堂の店主は易々と手放した。そうしないと店が本で埋まってしまい、古道具屋としての面目を保てなくなるから、らしい。売り物の本を一時保管するという名目で私の図書館に蔵書を収めているのだ。
門番兼力仕事担当の紅美鈴がそろそろ戻ってくる。興奮してどうにかなってしまいそうだ。気がつけば注いだ紅茶がダバダバと音を立ててカップから溢れていた。服は当然紅茶でびっしょり、うふふ、これじゃ私もスカーレットね。
予備の服に袖を通していると重々しい音を響かせて図書館の扉が開かれた。美鈴が両手いっぱいに抱えた箱と共に戻ってきたのだ。その様子に私は興奮を抑え切れなかった。美鈴が抱えた箱をテーブルの上におろすと、私と小悪魔は同時に飛び上がった。全部で500冊以上はあるであろう本の山、山。まさにブックハーレム。外の世界から流れ着いてきたレアな本たちが私に蹂躙されることを今か今かと待ちあぐねていた。
「さ、さぁ、めーりん。後はいいからっ。咲夜にお茶でも出してもらって休憩してなさい!」
「あっ、はい。ありがとうございます」
勿論咲夜に話なんて通していない。本を運ぶという崇高な使命を遂行していた間、門はガラガラだった。咲夜が気がついていないわけがない。邪魔者に功労賞を出したふりをしてさっさと退場させると、私と小悪魔は2人でにんまりと笑う。
「さぁ、はじめましょうか。日が暮れる前にこの本たちをふさわしい場所へ案内してあげないとね」
「はいっ!」
腕まくりをして本を仕分ける作業に没頭する私たちだった。
日焼け具合はどうか。背表紙のかすれ具合は。内容について。本の意匠。祝福や呪いの有無。さまざまな角度から本を分析し、一冊一冊丁寧に収まるべき場所を指示する。本と共にある私たちを再確認できる瞬間だ。意外と重労働なのだけれど、楽しくもある。日光は本の大敵、過剰な湿気も本の大敵。弱点だらけの書物はどこかの吸血鬼に良く似ている。親友との意外な共通点を見つけ、少しだけ嬉しくなる。
楽しい時間はあっという間に流れさる。光陰矢のごとしなんてよく言ったもの。咲夜のように時を止める能力を持っていない私たちは僅かな明り取りの窓から覗く夕焼け色の光を見て、夕暮れを知るのだった。
「パチュリー様。これはなんでしょうね?」
最後の箱から本を取り出していた小悪魔が何かに気がつき、私に問いかける。箱から姿を現したのは一冊の奇妙な本。台形を真っ二つにしたような変な形、木製で縁に金属で補強がしてある。表紙もタイトルもなく、この箱の中に入っていなければただの木片だと勘違いして捨ててしまいそうな外見だった。
「石版の亜種? にしては文字も見当たらないけど。魔力を動力に知識を読み込むタイプ? ……いや、魔術的な構成要素は見当たらない」
「本……なんでしょうか?」
「だと思うわ。何の考えもなしにただの木片を寄越さないでしょう、あの店主は」
確か手紙には私向けのモノを取り揃えた、と書いてあった。魔理沙から私のことを聞いているはずだ。私向け、というのは誇張でもなんでもなく、そのままの意味と捉えて問題ないだろう。知識の魔女向けな本、とするならばきっとこの木片は凄い魔導書に違いない。込められている知識は一体どんな様相で私をときめかせてくれるのだろうか。
私は思わずじゅる、と生唾を飲み込む。
文字は万華鏡、さながらシュレディンガーの猫。開くまで何がでてくるか分からない。
文節は魔法、さながらパンドラの箱。夢も希望も絶望も、綯い交ぜにしたクリームシチュー。
「全ての本を本棚にしまったらこの魔導書の解読に入るわよ」
素敵な味がすると良いけれど。
◇ ◇ ◇
解読作業は難攻を極めた。解読に必要なありとあらゆる知識を総動員した。魔力が篭っていないというのがそもそもフェイクの可能性もある。私はありったけの魔力を本に注いだが、本に変化は見られなかった。開錠するのにはあらかじめ設定された文字列、パスワードが必要なのかもしれないと推察し、蔵書からキーワードになりそうな語句を抜き出し、本に向かって囁いてみる。古から現在に至るまで、共通して開錠の呪文として利用されてきた言葉。
「オープンセサーミィ!!」
声はむなしく図書館に木霊する。これも全く効果が見られなかった。一つ一つ可能性をつぶしていく。儀式が必要なのではと小悪魔の助言を受け、私はレミィから教わった踊りを試してみた。民族的な音楽をバックに両手を合わせ、首を八の字に振る。小悪魔を相手にワルツ、タンゴ、ジルバ、サンバ、マンボ。ヒップホップ、レゲエ、ブレイクダンスにベリーダンス。盆踊りにソーラン節。喘息の具合が良いと腰のキレも心なしか良くなっている。普段は踊りきれないであろうダンスを易々とこなすことができた。
「はぁ……はぁ……踊り損じゃないの」
「開きませんねぇ……」
3セットこなしたところでどうやら効果がないらしいことに気がついた。踊りもハズレ。
「生贄……が必要なのかもしれないわ」
「ひ、い、いけにえですかっ!」
儀式と生贄は切っても切れない関係にある。とはいえ、生贄に捧げるような生命など、この場には……。
「勝手に使っちゃえば良いか」
私は考えることを止めて床に魔方陣を描く。魔神召喚の儀。床に描かれた紋様が私の魔力を導いてゆく。やがて術式が完成すると静かに言葉を紡ぐ。
「故に呼び声に応え給え。我は望む、彼の書に秘められし知識を。我、血と肉とを捧ぐ。その名は紅魔の主――」
レミリア・スカーレット。きっと今頃は目覚めたばかり。フリフリのネグリジェを咲夜に着替えさせてもらっていることだろう。私とレミィの仲だ。少しばかり命を無断借用したところで怒られるわけがない。
魔方陣が妖しい光を放ち生命の息吹を虚空に吸い込む。遠くでぴぇぇという声が聞こえたような気がした。
「これもダメ、か……」
捧げ損だった。一瞬、本当にただの木片なのではないかという嫌な予感が過ぎった。ぶんぶんと首をふり、身体を包み込む陰鬱な感情を吹き飛ばす。
「……いえ。私は魔女よ。この程度で諦めるなんてどうかしてるわ、パチュリー・ノーレッジ。私は本の傍にある者。本の守護者」
レミィのライフポイントまで無断借用したのだ。このまま終わるだなんて私のプライドが許さない。もう一度常識に囚われない思考でこの本の解読を試みる必要があった。逆立ち、水上置換、滝行、煮沸消毒、絶食、遠心分離、即身仏、あぶり出し、植樹、パイ投げ、赤外線、通打、逆立ち、コーンスターチ、声紋照合、被ったり、挟んだり、つまんだりなどなど。ここに来てから培ったパチュリー式読書術の全てを駆使してこの本に戦いを挑んだ。
結果は言わずもがな。知識の扉は開かれない。
「ぐすっ……」
不意に涙がこみ上げてくる。私はこんなにも本を愛していると言うのに、本は私を愛してはくれないのだ。泣いてはいけない。泣いてはいけないパチュリー・ノーレッジ。こんなことなんて何度もあったじゃないか。
本と共にあるものが私なのだ。
私が本と共にあると決めたのだ。
だから、泣いちゃ、いけないのに。
「ダメですよっ! 今は取り込み中ですっ!」
「私だって取り込み中なんだ、通るぜ」
「よぉパチュリー。また本を借りに来たぜ……ん?」
声の主は邪魔者、厄介者、霧雨魔理沙。腰にしがみつき制止させようとする小悪魔をずるずると引き摺って現れた。一番見られたくないときに、一番見られたくないヤツがやってきた。同じ魔に通ずるものとして、弱いところを見られるわけにはいかなかったんだけど。
「何泣いてるんだ、お前」
ああもう。なんでこの馬鹿はいつもいつも一発で私のことを見抜いてくるのだろう。
「泣いてないわよっ!」
「涙の跡がついてるぜ」
「っ……! 分かってて言ったのね」
「ほら、やっぱり泣いてた。跡なんかついちゃいない」
「……もうっ!」
コイツのせいでペースが乱される。
「アンタなんか鬼に生まれればよかったのよ」
「そうすりゃ嘘はつけないのにってか。残念だなパチュリー」
魔理沙はハハハと笑う。私の悩みなんかまるで知らないくせに。
「私は一度も私の心に嘘をついたことがないんだぜ」
嘘。魔理沙の天邪鬼。……ああ、天邪鬼も鬼だった。
「それで……涙のわけはその手にもってる本か」
ニブチンなのに、こういうときだけ鋭いのだ。霧雨魔理沙という魔法使いの、天賦の才。
「香霖が言ってたヤツだよなぁ」
「知ってるの!?」
「ん、ああ。詳しくは聞いてないけど、お前と、私向けなんだとさ。ってことは古代魔法でも載ってるのか。ちょっと見せてくれよ」
「……読めればね」
もしかしたら、魔理沙なら答えを示してくれるかもしれない。私の知らない情報を彼女は店主から聞いているのだ。私は魔理沙に本を手渡した。
「珍しいな、お前が人に簡単に本を渡すなんて。……うん、なんだこりゃ?」
結論を言えば、あの店主にも分からないということらしい。彼の力は物の名前と使い方を知るものであってその内容にまでは及ばないそうだ。お手上げだった。魔理沙から得た僅かな手がかりは、パチュリー・ノーレッジと霧雨魔理沙のためにある本だということだけ。それだけでも大きな収穫なんだけど。
「ダメだなこりゃ。私のほうでも調べてみるぜ。何が書いてあるか気になるしな」
そういいながら研究資料と称して本をごっそり持っていく魔理沙。いつもはきつく諌めるのだが、このときばかりは霧雨魔理沙という魔法使いを見なおした。ウヘヘヘという笑い声もどこかたのもしく見えてくるものだ。
ならば知識の魔女、パチュリー・ノーレッジも霧雨魔理沙に釣り合う成果を出さないといけない。最早体裁に拘っている場合ではなかった。
私は意を決して、レミィの元へ歩き出した。
◇ ◇ ◇
「ハンッ」
「は……?」
鼻で笑った。鼻で笑いやがったコイツ。
「パチェ。ウクク、パチェ」
「な、なによ」
「私はさ、お前を許すよ、パチュリー・ノーレッジ。こんなお前が見られるなんて私の命の一つや二つ、安いものだ」
レミィはパチパチと拍手をして笑い転げる。あまりにも私が無様だったのだろうか。吸血鬼の笑いを誘うほどに私は滑稽なのだろう。咲夜まで口元を隠している。目が笑っているわよ。目が。
「お嬢様のライフポイントはぐっすりお休みになれば回復しますものね」
「で、だ。単刀直入にお前の運命を導こうじゃないか。書を持って街に出たらどう? パチェ」
「人里に?」
「居るじゃないか、お前に負けず劣らず頭の固いヤツが」
「……ああ、あの知識人」
こと歴史に関しては私をすら凌ぐ彼女。上白沢慧音。人間たちを教育していることからも推して図るべき。彼女ならば……溢れる知恵袋的な知識ならば、この本を開錠する術も持ち合わせているかもしれない。何よりも運命を操る吸血鬼がそう言うのだ。悪意のない限りレミィの思召しは正しい。問題はレミリア・スカーレットという吸血鬼が悪意の塊であるということだけだが。
「パチェ、お前は感激に涙を溢れさせ、私、レミリア・スカーレットに心から感謝するだろうよ」
「この本が読めるならね、感謝してあげるけど」
「だったら」
レミィはにんまりと笑い。私と、本とを見つめた。
「さっさと行きなさい。夜が暮れると私が眠ってしまうから」
◇ ◇ ◇
上白沢慧音の家は人里から少し外れた場所にある。闇夜に静まり返る人里と、闇夜に浮き足立つ妖怪たちの領域との境界線を護るように。今もまだ煌々と明かりが灯っていた。
「こんな夜更けに……お前等からすれば夜明けか。まあいい、入りなさい。今は妹紅も居ないしな」
畳というものはどうも苦手だ。それでも慧音に合わせて靴を脱いで部屋にあがる。頼み込むのはこちら側なのだから。慧音が差し出してくれたお茶で喉を潤しながら、この本について説明した。私の持つ知識では太刀打ちできないということ、恥を忍んで外に助けを求めたこと。
「ふむ。……ちょっと見せてくれないか?」
私は慧音に本を手渡す。慧音は軽く本を調べた後、落ち着き払い、私に言った。
「元々、書物というのには長い歴史があってな」
「知ってるわ」
「ほぅ。貴女の図書館にあるのはほとんどが紙製だと聞いているが。古くは粘土板から発した文字という文化、書かれる材料にも変遷があるんだよ。土、の次は草、石、骨、金、竹、布、そしてまた石、皮、木、麻、紙。外の世界では紙の次の文化なんていうもの生まれつつあると聞いているがね」
「割と近代だということ?」
「金属の補強がいつの年代のものかは分からないが、そうだな……ざっと3千年ばかり前の書物、ということになるだろうか」
流石は歴史屋、上白沢慧音。この本の年代を簡単に推察してしまった。3千年前のものなら、表面に書かれていた文字が霞んで散逸してしまっていても不思議ではない。
「だが……数千年を経た木片にしては妙に新しい気もする」
「それは、同感ね」
金属での補強も含めて後年になって補修された、ということで結論がついた。しかし問題は外見や歴史的背景ではなく、この本の中身。
「う……むむぅ。この形は確かに珍しいのだが」
当時の資料を漁っても、いずれも該当するものは無かった。歴史の隙間に散逸してしまった類の本なのだろう。それが今頃幻想郷に入ってくるだなんて、偶然と出会いが折り重なった上に風祝が仁王立ちするようなものだ。私の想像上の風祝は中指を突き立ててサモンしている。
「貴女でも分からない、と言うことなのよね」
「……ぐ」
教師にも分からないことがある。上白沢慧音とて万能ではないのだ。英語苦手だし。本は未だ見ぬ知識を内に秘めたままである。レミィは何を思って私と慧音とを引き合わせたのだろうか、2人で頭を抱えて悩む様を笑うため? 意地の悪いレミィのことだ、充分に考えられる。
沈黙が支配する部屋。私たちは思考を巡らせる。時を刻む時計がカチコチカチコチ、妙に煩く感じた。気がつけば慧音が涙ぐんでいた。私もそうだけど彼女もまた、負けず嫌いなのだ。
未知は人を恐怖させ、魔女を屈服させ、半獣を泣かせる。
分からないことが怖いからこそ、我々は知ろうとする。
知ろうとすればするほど、より深く、より高みへと貪欲に知識を追い求めてしまうのだ。
彼女が悔しいのは分かる。悔し泣きする気持ちも理解できる。だからといって目の前で泣かないで欲しい。泣きたくなってしまうじゃないか。
「ふぇぇぇ……」
とうとう声をあげて泣き出してしまった。こうなってしまっては私の涙腺も時間の問題だった。
神様仏様。道に迷いし哀れな私たち子羊に、どうか光明を……。
柄じゃない祈りに、中指を突き立てていた風祝の姿がフラッシュバックする。
「かみさま……!? そうよ! 奇跡を起こす現人神がいるじゃない!」
「ぐすっ……そうだったな、行こう。東風谷早苗の元へ」
お互いに涙を拭い、約束の地へ――。
◇ ◇ ◇
雀が鳴き始めている。夜明けも近いうす暗がりの中、私たちは風祝の居る神社へ降り立った。大丈夫。まだ朝日は昇っていない。レミィとの約束も果たせそうだった。決意を込めて扉を叩く。
「ぶっぶー。ダメです」
風祝は眠たそうな瞼を擦り擦り言う。私たちの最後の希望は粉々に砕け散ってしまった。慧音は膝をつき、泣いているところを悟られまいと頭を深く下げている。が、地面にボタボタと涙が落ちているのでバレバレだった。
「誰が言ったか知りませんが、奇跡っていうのはですね。起こらないからこそ奇跡なんです。……ちょっと語弊があるかもしれませんが、おいそれと顕現してもらっては困るのですよ。陳腐でチープな奇跡なんて、冗談じゃないです。神格を貶めるだけで何の意味もありません。そんなの願い下げです。そんなくだらないことに神奈子さまのお力を使うわけにもいきませんしね。……ところでノーレッジさん」
現人神といえども神の一柱。不浄を祓うことに関しては一級品だった。魔女と半獣は、彼女にしてみれば不浄の塊なのだろう。絶望に打ちひしがれる私たちに東風谷早苗は容赦ない真実を突きつける。
私たちの努力を否定し、プライドを土足で踏みにじり、悪魔も裸足で逃げ出すような、おぞましき言葉を。
「その……手に持っている代本板はなんですか?」
「だ、代本板……?」
「私が小学生の頃よく使ってました。借りた本の代わりにコレを置いておくんですよ。そうすれば、ああ、ここにあるはずの本は借りられているんだなって分かるんです。懐かしいなぁ。って、あれ? ノーレッジさん、何を呟いているんです?」
この日、妖怪の山から太陽が昇った。
-終-
代本板ww懐かしいwww
なんなの?
代本板なんて懐かしすぎます
なっつかしいなぁ……最後に見たのは何年前やら
代本版とか、その発想はなかった…
あと慧音を抱きしめていい子いい子してあげたいお
なんと、代本板!
昨今の現世からはもう消えてしまったのか