Coolier - 新生・東方創想話

グレイテスト・トレジャー!

2010/01/05 01:09:58
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どんどん、と扉を叩く音で、霧雨魔理沙は眼を醒ました。

――ああもう、またか。
むっくりと椅子から起き上がって眼を遣れば、長年に渡って集めた本とがらくたの山の
背後に除く窓からは陽光が遠慮がちに差し込んでいる。
少し前に夜になったばかりじゃなかったか――ひとりきりの書斎で憚る事無くあくびを
浮かべて、魔理沙は呆けた事を考えた。
「ああ――そりゃ朝か。またあいつが来てるんだもんな」
玄関の薄い扉を今もどんどんと叩き続ける人物を思って、今度は溜息を吐いた。
「七時半……悪魔の癖に、朝も早くから元気なもんだ。ああくそ、いたた」
変な姿勢で意識が飛んだせいで、全身が痛くてだるい。不摂生もほどほどにしようと、
この辛さを味わう度に思う。思うだけだが。
――どんどん、コンコン。
「うるさいなぁ」
いつもは耳を澄まさなければ聴こえない程控えめなノックなのに、今日はやけに自己
主張が強い。
やれやれ、随分と張り切ってるじゃないか、小悪魔の奴。
皮肉に呟いて、膝下まで積み上げられた本やがらくたの山をぬるぬると避けながら
薄暗い廊下へ出ると、途端に襲う冷え込みがもう真冬なのだと実感させる。
――どんどん、コンコン、どん、コンコン。
「解った解った」
外まで届くように声を張り上げ、廊下にまで溢れたがらくたの海を泳いで玄関へ向かった。

小悪魔が本の回収に霧雨邸を訪れ始めたのは、大体一週間ほど前からの事だった
ように思う。ねちねち嫌味は言われても図書館の魔女が直接本を奪い返しに来た事など
一度も無かったので多少面食らったが、聞けば彼女の研究に必要な書籍の一冊が
どうやらここに眠っているのだそうだ。
別に一冊ぐらい返してしまっても良いのだが、困った事に使いの小悪魔から告げられた
書名には全く憶えが無く、魔理沙自身の研究も今がいい所なので毎回適当な言い訳を
つけては追い払っていた。大事な研究を放り出して、家中の本とがらくた――と書いて
宝の山と読む――を引っくり返すなんて冗談じゃない。パチュリーには悪いが、この
研究が終わるまでは無視を決め込むつもりでいる。
「いいだろう、そっちにゃいくらだって時間があるんだ」
信楽焼の狸の頭をぺちぺちと叩きながら呟いた。「少しぐらい多めに見て貰いたいもんだ、
なあ?」
勿論狸は返事をしない。
――どん、どどん、コンコンコン。どどコンどんどんコンコココン。
「ああああああもう! 解ったって言ってるだろ!」
生意気にリズムなんか刻みやがって――悪態を吐きながら飛びつくように玄関に躍り
出ると、魔理沙は勢い良く扉を開けた。
「小悪魔! 朝っぱらからいい加減――に……?」
そこには誰も居なかった。
そして。
先ほどまで確かに扉を叩いていたはずの誰かの代わりに、地面には古びた小箱が一つ、
ぽつんと置かれていた。



* * * * *

「……ふむ」
陽光に透かしたそれを机に戻して溜息を吐いた。
どう解釈していいものか――魔理沙は判じかねている。
地図である。
これ見よがしに置かれていた箱に入っていたものは、古びた和紙に描かれた――
宝の地図。

椅子に深く身体を預け、天井を仰ぎながら魔理沙は「何だってんだ」と呟いた。
箱を開けた瞬間に室内に広がった古紙独特の臭気に顔をしかめつつ、もう一度地図に
視線を落とす。
力を入れれば簡単に破れてしまいそうな年代物の和紙に、相当昔に書かれた事を
うかがわせる、同じく褪せてかすれたインクで記されているのは、解りづらいがどうも
この幻想郷の地図のようだった。
ぐねぐねと蛇行した筆致で描かれた湖や山を芸術的と見るかただの手抜きと見るかは
評価の分かれそうな所だが、目下の問題はそこではない。魔理沙の眼を釘付けにして
いるものは、霧の湖と思しき地点にぼやけた朱で記された×印である。
「随分と古典的だが……」
経年劣化でぼろぼろに痛んだ和紙はどうやら本当に何の仕掛けも無いらしく、透かそうが
あぶろうが何一つ変化を見せない。
これ以上突付き回した所で意味は無かろう。うっかり破りでもしてしまえば事だ。
元のように畳んだ地図を小箱に仕舞い、それを机の上に積み重なった本の頂上に載せて
から魔理沙はううんと唸った。

一体誰が、どのような目的でこれを置き去りにしたのか。この地図の正体がなんであるに
せよ、結局の所、問題はそこなのだ。
偶然、という可能性は排除していいはずだ。素直に考えれば小悪魔だろうが、それに
しても一体何故、という疑問は残る。自分にちょっかいを仕掛けて来るような連中には
山ほど心当たりがあるが、こんなプレゼントを貰う理由に思い当たる節は無い。
暫くの間書斎でううむ、と唸っていると、微かな音がふと耳に届いた。
「……この音」
コン、コンと規則的に響くのは、今度こそここ数日耳慣れたノックの音。魔理沙は安楽椅子
から跳ね起きるとクッションやぬいぐるみを次々に踏み付けながら廊下に飛び出し、本の
山が崩れるのも無視して玄関に飛び込み一気に扉を開けた。
「わっ! お、おはようございます魔理沙さん。こんなに早く開けて頂けるなんて珍し――」
「すまん小悪魔、今日は忙しい。またな」
「えっ、ちょっと待」
バタン。
「……うむ」
扉の向こうには確かに小悪魔が居た。すると箱を置き去りにしたのは小悪魔では無いの
だろうか。いや、そう思わせる事を狙って敢えて戻って来たと考える事も出来るが、そう
すると今度は結局その理由が謎になる。
「うーん……一体何なんだ?」
「魔理沙さーん」「開けて下さいようう」「魔理沙さああん」と扉の向こうで騒ぐ小悪魔の声が
聞こえなくなるまで考えていたが、結局出たのは「考えるだけ無駄」という身も蓋も無い
結論だった。
だがまあ、確かにその通りなのだろう。推測だけならいくらでも出来る。それに、と魔理沙は
思う。こうしてうだうだ考えるよりも、出たとこ勝負の特攻の方が自分らしい。兎も角、地図の
示す所に何があるのか――或いは何も無いのか、それを確かめるぐらいなら大した手間
にはなるまい。
「ま、丁度気分転換したいと思ってた所だしな」
そうと決まれば話は早い。使い慣れたいかがわしい道具の数々を手に、魔理沙は早速
家を飛び出した。



* * * * *

霧の湖に到着して数分。魔理沙は早速途方に暮れていた。
何せ目印が無いのである。×印は霧の湖霧の湖と思しき地点の東側に投げやりな筆致で
描き込まれているだけで、その他位置を特定出来るような情報は一切記されていないのだ。
このだだっ広い湖でただ東側と言われても一体どこをどう探せば良いものやら皆目見当が
つかない。
「やっぱり誰かに手伝わせりゃあ良かったか……?」
考えなかった訳では無い。手っ取り早く同じ森に住むアリスに協力を頼んでみようかとは
思ったのだが、簡単に承諾して貰える気がしなくてやめたのだ。大体、何をしているのやら
知らないが近頃は自宅に篭り切りで、たまに冷やかしに行ってみても玄関すら開けてくれない
のである。
「……ま、別にいいけどな」
仮にアリスがいた所で、何かにつけて対立するのは解り切っている。わざわざ自分から
要らぬ気苦労を背負い込む事も無いだろう。後は、ぱっと思い浮かぶ人物といえば霊夢
だが――煎餅をばりばり割りながら、「嫌よ」の一言で容赦無く一蹴する彼女の姿が容易に
想像出来る。
かといって、その他の連中に助力を請いに行くのも面倒臭いし、人選によってはロクな
事にならないだろう。あまり妖怪達に借りを作りたくないという事もある。結局一人で行く
事を選択して、結果魔理沙はここで棒立ちするハメになったという訳である。
「妖精達を焚き付けてローラー作戦と行くか? ……いや、後の面倒が増えるだけだな。
ま、時間はかかるが仕方無い。地道な努力は慣れてる所だ」
「何の話だい?」
「うわっ!」
突然声を掛けられて魔理沙は思わずびくりと身体を震わせた。はずみで地図が手から
離れる。ひらひら漂うそれをあっと思う間も無くキャッチし、「これはこれは」と声を上げた
のは、いつぞやの鼠妖怪だった。
「宝探しかい? 君はええと――霧雨魔理沙、だったっけ」
「おお、ネズーリンか。奇遇だな――あ、そうだ。丁度良い」
「……ナズーリンだ。何だい」
「お前、宝探しのプロだよな。それ、本物だと思うか?」
「ふむ。――本物だね」
ナズーリンはあっさりと答えた。
「ほ、本当か?」
「ああ。この地図の示す先には、確かに何か貴重な物がある気配を感じるよ」
地図を魔理沙に返しながら、間違い無いね、とナズーリンは言った。それが本当ならば
――いや、探し物のプロが言うのだ、これは本当に正真正銘宝の地図なのだろう。
「ふぅむ……」
少し考えて魔理沙は言った。
「なあナズーリン。私に協力してくれないか」



* * * * *

「……なるほどね」
一通りの説明を終えた後、ナズーリンは口元に片手を添えて言った。
「しかし、そんな怪しいものを良く信じる気になったね、君も」
「半信半疑だよ。真贋を実地で確かめに来ただけだ。その必要も無くなったみたいだが」
「ああ、こいつは本物さ。それは私が保証するよ」
ナズーリンが力強く首を振るのを見て、魔理沙は地図に眼を落とした。
わざとらしい程出鱈目に描かれた地図は何度つぶさに見ようとも全体図を正確に
測らせはしない。
「これじゃ一体どれ程の時間が掛かるか知れたもんじゃ無い。その点お前がいれば
ぐんと楽になるはずだ。報酬はどーんとでっかく山分けでいいぜ。ただし印の地点を
見つけて終わりじゃない、宝が見つかるまではしっかり手伝ってもらうけどな。どうだ?」
正直な所、魔理沙は宝自体にはそれほど執着していない。この地図の先に何がある
のか、そしてこれを自分に与えた何者かの思惑は何なのか――魔理沙が知りたいのは
そこなのだ。
「ふむ……」
ナズーリンは少し考える素振りを見せてから、「悪くないね」と言った。
「よっしゃ、決まりだ! さあ、それじゃ早速頼むぜ。湖の東側だから、この近辺にあるのは
間違い無いはずなんだ」
魔理沙が言うと、「せっかちだな君も」と笑いながらナズーリンは先端が奇妙に曲がった
二本のロッドを取り出して歩き始めた。
「おや……結構近いな、これは」
その言葉の通り、歩き始めて十数メートルの距離で、それはあまりに呆気無く見つかった。

本当にあったのか――というのが、今更ながらの感想だった。
繁茂する雑草の陰に隠れるように埋まっていたのは、幾何学的な模様の彫り込まれた
石板だった。表面はあちらこちらが欠け、或いはひび割れており、この茂みの奥に永く
隠れ潜んでいた事を伺わせている。
「こいつは――転移用の魔法陣、か?」
魔理沙の呟きに、ナズーリンが「ほう」と応答した。
「解るのかい。門外漢の私にはさっぱりだが」
「多分な」
魔理沙は石板に片手を押し当てて言った。「これでいいと思う」
推測が正しければ、規定量の魔力を注ぎ込む事で石板に彫り込まれた魔法陣が
作動するはずだ。掌から魔力を放出すると、石板は乾いた布が水を吸うように、
貪欲に魔力を飲み始めた――どうやら当たりのようだ。
「スペルカードみたいなものかな」
「まあ、大体そんなもんだ。よし、そろそろ作動するぜ。ナズーリン、私の手を握って
くれ。離すなよ」
「了解」
指示に従いナズーリンが魔理沙の手を取った瞬間、石板に描かれた魔法陣が光を
発し――直後、二人の足元に同じ魔法陣が出現したかと思うや否や、白い光がそこ
から溢れ出した。
さて、一体どこに連れて行かれるやら――「うわっ」と声を上げたナズーリンの横で、
魔法には慣れっこの魔理沙は落ち着き払って呟いた。それに答えるように光は徐々に
強くなり、遂には二人の姿を飲み込んだ。



* * * * *

白い光が消えた時、まるで光が何もかもを一緒に持ち去ってしまったように、二人の
頭上からは空も太陽も消えていた。見慣れた景色はどこにも無い。尤も、四方も八方も
石壁に囲まれていては、そんなものはどこを探そうが見つかる訳は無いのだが。
「……遺跡、か? 何やら不思議な雰囲気の場所だが」
ナズーリンが呟く。
見覚えの無い場所だ。しかし魔理沙の魔法使いとしての勘は、この場の異質な空気を
敏感に嗅ぎ取っていた。
「――創られた空間だ」
「え?」
どこか無機質な、生命の匂いを感じさせない冷たい空間。何かしら魔法的な力で創り上げ
られた場所だという確信が魔理沙にはあった。上手く説明出来ないが、そういう風に感じる
のだ。
「ふぅん」
ナズーリンは周囲を見回して言った。「私にはさっぱりだ」
「かもな」
「とにかく、魔法で創り出した空間って事か。君のような魔法使いが?」
「さて。素性はともかく、生半な技術で出来る事じゃ無いのは確かだな。少なくとも、私
みたいな普通の魔法使いに易々と出来る芸当じゃないぜ。――まあ、考えたって仕方が
無い。先へ進もうぜ。お前の出番だ」
「どうやらそうらしいね」
軽く首をすくめて、ナズーリンは先程のロッドを取り出した。
石壁造りの、丸い部屋である。天井も床も、四方八方を石壁に囲まれている。その丸く
カーブした壁に沿って、同じ造りの扉が六つ、等間隔に並んでいる。

「適当に扉を開けちまえば何が起こるか解らんからな。正解の扉は一つだけってのが
こういう場合のお約束だ」
「まあ、突付かなくていい藪には手を出さないのが賢明だろうね。さて、それじゃ少し
静かにしていてくれ」
魔理沙が頷くと、ナズーリンは両手にロッドを構えて扉を一つ一つ検分し始めた。検分と
言っても彼女はロッドを持ったまま扉の前でじっと立ち尽くすだけで、それで一体何が
解るのか魔理沙には見当も付かなかったが、プロのやる事に間違いは無かろうと
黙ってナズーリンが全ての扉を調べるのを見守った。
終始そんな調子のまま、やがてナズーリンは調査を終えた。つかつかと一つの扉に歩み
寄ると、彼女はその迷い無い足取りと同じくきっぱりとした声で、一言「ここだ」と言った。
「おう」
「恐らくは君の推測通りだね、魔理沙。他の扉の先は、何やら空間が歪んでいるようで
探知不能だった。開けてしまえば最後、別の場所に飛ばされるか――最悪、そのまま
消滅なんて事にもなりかねない」
私が居て良かったじゃないか――笑うナズーリンに、魔理沙は「うへぇ」と首をすくめた。



* * * * *

扉を潜ると、その先は石壁によってジグザグに仕切られた長い回廊だった。天井に
描かれた魔術文字が青白い光を発し、全体を薄暗く照らしている。何の意図がある
ものか、廊下は数メートル毎にグネグネと不規則に折れ曲がり、先の見通しが全く
立たない。十度目の角を曲がる頃には、二人共入り口からどれ程離れたものか
さっぱり判らなくなっていた。
「まあ、迷路になっていないだけマシか」
かつんかつんと足音を反響させながらぼやく。
「この先も一本道が続くとは限らないけどね」
ナズーリンが応じる。現れた角をひょいと曲がる二人に、足音は遅れる事無く着いて
来る。
「ところで魔理沙」
「うん?」
「君、ちょっと足音を立てすぎじゃないか? 悪いが私の耳には少々堪えるんだ、少し
静かに歩いてくれないか」
「おいおい、うるさいのはお前のほうだろ? さっきからガツンガツンと、ソールに金属
でも仕込んでるのかよ?」
「何を言ってるんだ、私は何も――」
言い合いながら二人が足を止めた瞬間の事だった。
――ガツン。
魔理沙は背中に氷柱を挿し入れられたような底知れぬ寒気に襲われた。反射的に
ナズーリンを見れば、恐らく自分と全く同じであろう、青い顔をした彼女と眼が合った。
二人が止まれば、当然二人の足音も止まる。ならば――。
「だ――誰の足音だよ、これッ!」
止まる事無く響き続けるこの金属質な足音は、一体誰のものか。
「う、後ろから誰かが着いて来ているのか!?」
第三の足音は、二人の遥か後方、角の向こうの暗がりから響いて来る。徐々に
明確に、はっきりと聞こえて来るそれは、何者かがこちらへ近づいて来る事を確信
させるに十分だった。そして――ガツンガツンと響いていた音は、ある時を境にガシャ
ガシャというせわしない音へと変わった。そのまま、音はどんどんこちらへ近付いて来る。
「お……おい、走ってるんじゃないのか、これッ!」
「お、落ち着くんだ!友好的な人物かも知れないだろう」
「ああそう願いたいねッ!」
吐き捨てるように言いながら魔理沙は片手に八卦炉を握り締めた。それを合図に
したように、向かいの角から影が飛び出した。

「うおああぁぁぁぁぁっ!?」
魔理沙の口からは意図せず絶叫が漏れていた。青白い闇から現れたのは――
鎧兜に髑髏の鉄仮面を着けた、黒い武者。その手に握られているものは、抜き身の
大太刀。
「なっ、ななな何だあいつ――っておいこら! 何後ろに隠れてるんだよお前は!」
「あ、荒事は君の領分だろう! 刀を構えて走って来るような輩と和平的な交渉が
したいと言うなら別だがね!」
「わーったよ畜生! お、おいあんた! そこで止まれ! さもなきゃ撃つぜ!」
八卦炉を構えて魔理沙が声を張り上げた。しかし聞いているのかいないのか、黒い
武者は刀を水平に構えたまま、微塵も速度を落とす事無くこちらへ突っ込んで来る。
彼、或いは彼女に見掛け通りの剣の腕があるのなら、魔理沙の胴は数秒を待たず
二等分される事になるだろう。
「あーもうっ! どうなっても知らないぜ!」
恐怖の中に残った理性で、八卦炉をナズーリンに押し付ける。こんな所でマスター
スパークを放てば良くて生き埋めだ。代わりに魔法の森のキノコから生成した媒体を
詰めた薬包を懐から掴み出し、魔力を注いで三つ四つと投げ付けた。薬包は空中で
発光し、一条の光線と化して黒い武者に襲い掛かる。
肩、膝、脇腹、額――レーザーは次々に武者の鎧に当たり、星を撒き散らしては
爆発する。鉄塊に覆われた身体がぐらりと揺れたが、そこで手を止める魔理沙では
無かった。動きが鈍った隙に魔理沙は更に薬包を取り出し、黒い武者が完全に
爆煙に呑まれるまでひたすらにレーザーを撃ち続けた。
「ど……どうだ!」
「……いくら何でもやりすぎじゃないか」
「う、うるさいな。見た目は派手だが大した威力じゃないんだ。麻痺効果のある
キノコを混ぜてるから、無力化はしたはずだが、な――……」
「な」の形にあんぐりと口を開けたまま、魔理沙はゴルゴンに睨まれたように
硬直した。
周囲を満たす白煙が晴れてゆく。そこには――武者だった者の四肢が、無残に、
無造作に転がっていた。

「ギャ、ギャワーーーーーッ!」
魔理沙は自分でも理解出来ない奇天烈な叫び声を上げた。致命傷などというレベルでは
無い。四肢が完全に爆散し、頭などは向こうの端まで転がっている。誰がどう見ても――
即死である。
魔理沙の脳裏を、鉛色の未来図が走馬灯のように駆け巡った。発覚、通報、逮捕。
冷たい眼で自分を見る友人、わらわらと自分を取り囲む天狗達、怒涛のように浴びせ
掛けられるフラッシュの嵐、そしてばら撒かれる号外の一面に躍る「普通の魔法使い、
旅の武芸者を爆殺」の文字――。
「ま、魔理沙。これは――」
「お、終わりか!? 私終わりか!? 私の冒険はここで終わってしまったのか!?
い、いや待て落ち着け魔理沙! 諦めるのはまだ早い! そうだ、誰か! この中に
誰かお医者様はいらっしゃいませんかァァー!!」
「いらっしゃるかァァ!」
背後からすぱんと頭をはたかれて、魔理沙の頭からトレードマークの帽子が落ちた。
「落ち着いてよく見たまえ。こいつは人じゃない。いや――生き物ですら無いようだ」
「な……何ぃ!?」
反射的に拾った帽子のつばで顔を覆い、魔理沙は恐る恐るバラバラ死体を覗き込んだ。
確かに妙だ。身体がこれだけ派手に飛び散っているというのに、血の一滴も流れては
いない。いや、それ以前に――。
漸く魔理沙の陰から離れたナズーリンは、一番近くに転がっている片足にすたすたと
近づいて、豪胆にもひょいとそれを持ち上げて見せた。一見強固な脚甲の内は、本来
有るべき中身の無い文字通りの空洞であった。
「……そういう事か……!」
魔理沙は己の情けなさに頭を抱えた。少し考えれば解る事だ。こんなダンジョンを
こしらえてまで守るような宝の在り処に、防犯装置が仕掛けられていない訳が無い。
詳しく調べる気は無いが、恐らくは侵入者に反応して作動するガーディアンなのだろう。
このくらいのものはあって当然――むしろ無い方がおかしいのだ。だというのに――。
「まあまあ」
ナズーリンは馴れ馴れしく肩を叩いて言った。「過ぎた事は良いじゃないか」
幽霊の正体見たりという奴だな、とけらけら笑う。
随分とイキの良い枯れ尾花もあったものだ。
「ふん、驚かせやがって」
こんな人形に怯えていたと思うと恥ずかしくなる。奥の暗がりまで頭を蹴っ飛ばして、
魔理沙は少し溜飲を下げた。
「バカスカ撃って損したぜ。こんな木偶なら、十体でも二十体でもまとめて相手してやるよ」
調子に乗ってそんな事を嘯いた瞬間。
――ドズン、という足音が響いた。



* * * * *

「――はぁっ、はぁっ」
「ゼェゼェ……ちくしょう、とんだアトラクションだったぜ」
長い回廊を抜け、飛び込んだ扉の先で二人は荒い息を吐いた。
「何なんだよさっきのは……倒せば倒すほどデカくなりやがって」
「最後のアロサウルス、まさか壁を壊しながら追い掛けて来るとはね」
「あれの後じゃ一つ前のミノタウロスも可愛く見えるぜ……」
「全く、猫に追われるより肝が冷えたよ。君が変なフラグを立てるからだぞ」
「私のせいかよ! ……うげっ、スカートの端が破れてら」
「ああ、六体目のケルベロスに食い付かれてたな。気付いてなかったのかい」
「逃げる事で頭が一杯だったんだよ。くっそー、一張羅が台無しだぜ」
やれやれと頭を振って、魔理沙は勢い良く立ち上がった。
「ま、終わった事はいいや。どうせ頭を悩ますなら、先の事を考えるほうがいくらか
マシってもんだ」
そう――文字通り、先の事を。魔理沙の言葉に、地面に座り込んだままのナズーリンが
つ、と視線を前へ滑らせた。
二人の僅か数メートル先に広がっているものは、底知れぬ闇。覗き込んだだけで
魂まで呑まれてしまいそうな果て無き奈落が、そこに口を開けていた。その向こう側に、
青白い光に照らされた扉が見える。彼岸と此岸の如くに分かたれた両岸を繋ぐのは、
その幅一メートルにも満たない細い梁のような足場。手前には暗い赤銅色のアーチが
鳥居のように構えている。

「この橋を渡る者、一切の望みを棄てよ」
アーチの上部に彫られた文字を読み上げて、魔理沙はにやりと笑った。
「手垢のついた警句だな。大体、この板ッ切れが橋のつもりか? 箸の間違いだろ、
これじゃあ」
「君の下らない洒落はともかく」
ナズーリンは呆れたように首をすくめた。「聞くまでも無い事ではあるんだけど、魔理沙。
この先――飛べないんだろう?」
「ああ」
今度は魔理沙が首をすくめる番だった。
「見たとこ、丁度この穴に重なる形で魔力を阻害する結界が張られてるみたいだな。
天国への道は這い蹲って進めって事らしい」
で、どうする――魔理沙が問うと、ナズーリンは即答した。
「考えるまでも無いさ。ウェルギリウスは居ないんだ、真っ暗闇でも愚直に進むしかない。
君が前で私が後ろでいいだろう。肉体労働は専門外だが、それでも私は妖怪だ。君の
フォローに回れる程度の身体能力はある」
そうかいそうかい、そいつは重畳――唄うように呟きながら、魔理沙は勇ましく橋へと
飛び乗った。ナズーリンが続くのを確認して、そのまま歩き出す。
「……うん、やっぱり飛べないみたいだな。魔力自体を抑え込まれてるらしい。仕方無い、
後ろは任せたぜ相棒」
「相棒ね。ま、了解だ。普通に考えればまた何かしらの罠があるだろう、気を抜かないで
くれ」
「抜きたくたって抜けないぜ。こんなに見晴らしが良くちゃあな。やれやれ、魔法が使えない
魔法使いなんざ笑い話にもならないな」
軽口を叩いてみるが、意に反して魔理沙の足取りは一歩毎に重くなってゆく。ゴール
までの距離は目測でおおよそ二十メートル。大した距離では無い――しかし、それは
普通の道であればの話だ。
足元にはマットもネットも有りはしない。闇の向こうが見えない以上落ちれば死ぬと決まった
訳では無いが、楽観視など無論出来ようはずも無い。
一メートル足らずとはいえ、木製の「橋」は歩いて渡るには十分過ぎる幅がある。
常ならば駆け抜けるだけの余裕すらあるだろう。しかし否が応にも注視せざるを得ない
足元の、その下にある漆黒がどうしても動きを鈍らせる。踏み外した先の事を想像するなと
言う方が無茶というものだ。早く渡ってしまいたいと思えば思う程、足は鉛のように重くなる。
「魔理沙、急ごうとしなくていい。橋自体に罠がある可能性もある、一歩一歩確実に進むんだ」
「……そうだな」
確かに、ここで焦ってしまえばそれこそ思う壺だ。大人しく忠告を聞いて魔理沙は
少し肩の力を抜き、そろそろと足を前に運び始めた。

魔理沙の感覚が何かを捉えたのは、橋の中程を過ぎたあたりの事だった。近くに
魔力の生じる感覚があった――素早く四方に眼を配ると、丁度魔理沙とナズーリンを
中心にするようにして、二人から十メートル程の距離に白く光る魔法陣が四つ現れた。
「逃げ場の無い所まで進ませてから料理しようって訳か……!」
魔法陣は底知れぬ暗がりの中に不気味に浮かび、唸りのような呻きのような音を
吐き出し始めた。同時にそこから、まるで穴から這い上がるようにして真っ白な手が、
頭が、身体が、足が現れる。
――骸骨。
襤褸切れ一枚纏わぬ白骨が四体、四つの魔法陣の上でゆらりと身体を揺らした。
本物――では無いのだろう。先刻の武者達と同じく、侵入者に反応して起動する警備
人形。しかしそうと解っていても、逃げ場の無い暗闇で骸骨の群れが迫って来る光景は
魔理沙の心臓を締め上げる。この骸骨達がこれからどういう行動を取るか解り切って
いる上に――こちらには一切の対抗手段が無いのだから。
「魔理沙、焦るなよ」
ナズーリンが先手を打った。
「解ってるよ。こいつらに熱い抱擁を頂戴する前に渡り切りゃいいだけの話だぜ。
簡単だ、簡単……」
軽く言ってみるが、全身を走る緊張を解く助けにはならない。たった十メートルの距離が、
途端に無限にも等しく感じられた。
四体の骸骨がこちらへ向けて一斉に足を踏み出す――そのまま落ちていってしまえと
魔理沙は思ったが、そんな願いが聞き届けられる訳も無く、虚空に出現した小さな
魔法陣が足場代わりに骸骨の足を受け止めていた。
その歩みから考えて、無事に渡り切れるかどうかはギリギリのラインだと思われた。
はやる身体を抑えて、魔理沙は「落ち着け私」と呪文のように繰り返しながら一歩また
一歩と足を進める。残りは八メートル、七メートル、六メートル――。

ゴールが近づくにつれて、四方から迫る骸骨達の四肢が発する不気味な音も徐々に
こちらへ近づいて来る。魔理沙は決して橋から視線を外さないが、視界の端にちらつく
白は益々その存在感を増してゆく。こんなセキュリティを作った野郎はとんでもない
サディストだと魔理沙は思ったが、そんな思考は口に出す前に「落ち着け私」の波に
流されて消えた。
向こう岸はもう眼の前にある。
後三メートル、後二メートル、後一メートル――、
(行ける……!)
魔理沙は心の中で快哉を叫んだ。

終わり良ければ全て良し、という言葉がある。しかしその逆に――例え九十九パーセントが
上手く行っていても、ただ一つのミスが全てを無駄にしてしまう事もある。魔理沙にとって
――それは今だった。

一瞬だった。
ほんの一瞬、希望という名の誘蛾灯に眼を奪われた。その一瞬がリズムを崩し――
魔理沙の身体は足をもつれさせて大きく揺らいだ。
「えっ――うおぁっ!」
「魔理沙!」
冷たい手で心臓を鷲掴みにされたようだった。凍り付くような悪寒の中で、魔理沙の反射
神経は必死にバランスを取ろうともがく。左に揺れ、右によろめき――、
「くっ……!」
前に倒れ込むようにして、どうにか橋にしがみついた。
「はぁッ、はぁッ……!」
全身ががくがくと震え、胸は狂ったように早鐘を打ち鳴らす。まるで自分の身体では無い
かのようだ。九死に一生という言葉の意味をこれほど実感した事は無い。
深く息を吐き、助かった――と呟いた瞬間。
「――え」
魔理沙の身体は強い力で引っ張られ、呆気無く虚空へ投げ出された。

ナズーリンにはその光景がよく見えた。
一体の骸骨に抱きつかれ、何が起こったのかも解らぬまま魔理沙は重力の作用する
ままに橋から滑落した。
魔理沙の腕を寸前で掴めたのは、奇跡と言っていいだろう。魔理沙と骸骨、二人分の
体重を尻尾を橋に巻き付ける事でナズーリンは辛うじて受け止めた。
「くぁッ……!」
「ナ、ナズーリン……!」
「魔理沙、蹴れッ!」
脳が反応するよりも早く、魔理沙の足は骸骨の頭部を強かに蹴り付けていた。その
衝撃でどこか哀れみを誘う空っぽな眼窩がこちらを向いたが、生きるか死ぬかの
瀬戸際にそんな事に構っていられる程魔理沙は悟った人間では無い。
くそッ、離せ、このッ――悪態と共に見舞った何度目かの蹴りが、遂に頭蓋骨を奈落へ
叩き落とした。その瞬間、首を失って更にぞっとしない姿になった骸骨の全身からは
弛緩するように力が抜け、まるで別れた頭の後を追うようにして首から下もまた暗闇へ
と呑み込まれていった。
頭脳労働派でも矢張り妖怪らしい人間離れした膂力で、魔理沙はあっと言う間に橋の
上へと引き上げられた。今度は助かったとは言わない。一度地獄を見た魔理沙の
心から最早恐怖は吹き飛んでいた。だらりと腕を伸ばして倒れ掛かって来た骸骨を
跳ね起きざまに突き飛ばし、ナズーリンが「走れ」と叫ぶ前に向こう岸へと飛び込んだ。

硬い床をごろごろと転がり、扉に背中をぶち当てて魔理沙は漸く動きを止めた。
「っててて……」
普通の魔法使いの身に余る大立ち回りに、身体のあちこちが悲鳴を上げている。
無茶苦茶だ、畜生――魔理沙は誰にともなく悪態を吐いてから、埃を払って立ち
上がった。
「助かったぜ、ナズーリ……」
――息を呑む。
ゴールまで後数メートルという所で、ナズーリンは三体の骸骨に全身を掴まれていた。
「くッ……!」
まるで意志を持っているかのようなコンビネーションで、三体はそれぞれナズーリンの
肩に、腰に、足に抱きついては彼女を道連れに奈落へ身を投げようとしている。
ただでさえ不安定な足場の上で、ナズーリンは両手と尻尾で骸骨を引き剥がそうと
もがくが、一体を剥がせば一体が飛び付く悪循環で、疲れ知らずな骸骨達の鉄壁の
布陣の中、ナズーリンの体力だけがじりじりと消耗されてゆく。
「くそっ……離れろ、このがらくたっ! こ、こらっ、変な所を触るな、気色悪いっ!」
それでもしぶとく耐えているのは流石妖怪という所だが、遠からず限界が来る事は
もはや眼に見えている。
「ナズーリン!」
魔理沙は叫んで駆け出したが、ナズーリンの存外に強い「来るな!」という声に
押されて足を止めた。
「く、来るなって……! どうするってんだよ! そいつらをぶっ飛ばす秘策でも
あるってのか!?」
「そんなものある訳ないだろう」
「だったら――!」
「だからこそだ」
吼える魔理沙と対照的に、額に汗を垂らしながらもナズーリンは冷静に答える。
「はっきり言うが、君が来た所で何の役にも立たないさ。私一人落ちればいい所を、
無意味に心中されたって嬉しくも何とも無いね。あっと言う間に返り討ちに遭うか、
さもなきゃ足を滑らせて自滅するのがオチだろう。それより、私が折角身体を張って
助けた事を無駄にされる方がよっぽど腹が立つ」
そう言われてしまえば魔理沙は返す言葉もないが、しかしだからといってそうですかと
黙って見過ごせる程大人でもない。
「待てよ! 何かあるはずだ、まだ方法が――」
「無いよ。丁度私の体力も限界だ……何、案じる事は無いさ。言ってなかったが、
実は私の探査能力の応用でね、この穴の下には転移の魔法陣が仕掛けられてると
解ってるんだ」
「お、おい、何を言って……」
「それじゃ、私はここで脱落だ。せいぜい、幸運を、祈ってるよ――……」
最後に無理矢理笑顔を作ると、ナズーリンは魔理沙が止める間も無く、三体の
骸骨と共にあまりにも呆気無く闇の底へと落ちていった。


「ナズーリン……」
何分とも何時間とも知れぬ時間を、魔理沙はそこに立ち尽くしていた。
転移の魔法陣――そんなものが本当にあるのだろうか。命がけで橋を渡りながら、
そんな事を探査している余裕が本当にあったのだろうか。
真実は最早、文字通り闇の中だ。
「……行くか……」
その言葉をけじめにして、魔理沙は奈落に背を向けた。
ナズーリンは大丈夫だ。あのふてぶてしいネズミが、こんな事でどうにかなるものか。
進むしかない。それ以外の選択肢など、魔理沙には無いのだから。



* * * * *

拍子抜けする程軽く開いた木製の扉の先には、まるで錯覚では無いかと思うくらいに
長い一本道が緩やかに下りながら続いていた。照明は相変わらず頼りなく光る天井の
魔術文字だけで、その病人のような青白い光ではこの通路の先に何が待ち構えて
いるかを見通す事など到底出来はしない。
凹凸一つ無い一本道というのがまた不気味だなと魔理沙は思った。今までのパターン
から言って、この先には必ず何かが仕掛けられているはずだからだ。
進んでみなければ解らないというのが、ナズーリンのいない道行きと併せて尚更魔理沙の
不安を煽る。
「……しかし」
鬱した心を誤魔化すように魔理沙は軽く呟いた。
「一体どこの誰が、どうやってこんな場所を創り上げたってんだ? 進めば進む程解らなく
なってくるぜ」
これだけ巨大な建造物を生成するだけでも、魔理沙の理解を軽く超えているのだ。それに
加えて、あの大量のセキュリティを破綻無く精密に組み込んでいる――果たしてどれ程の
魔力と技術があればこんな事が可能になるものか、普通の魔法使い風情には想像も
つかない。こんな芸当はパチュリーにだって不可能だろう。よしんば彼女の魔力が二倍、
三倍になったとしても成し得るとは思えない。
ひょっとして、自分は何かとんでもない所へ足を踏み入れてしまったのではなかろうか。
今更ながら、魔理沙は軽い気持ちでここへ来た事を後悔し始めていた。
――ドズン、という大音が魔理沙のすぐ後ろから響いたのはその時だった。
回廊での光景がフラッシュバックし、魔理沙の身体に一瞬で緊張が走る。薬方を取り出し
ながら後方を振り返り、
「――は?」
魔理沙はぽかんと口を開けた。そこに居たのは武者でも恐竜でも無い、もっとずっと
シンプルなもの。天井を擦る程に大きな黒い身体に、所々飾りのように魔理沙には
読めない魔術文字と魔法陣が描き記されている。ルーミアの纏う球形の闇そっくりな
その形は、何というか、どこからどう見ても――。
「……鉄球?」
Yesと答える代わりに、鉄球はこちらへ向かって緩やかに坂道を転がり始めた。

「え、ちょ、うぉああぁぁぁぁっ!?」
一拍遅れて状況の不味さに気付き、魔理沙は反転するや否や脱兎の如く駆け出した。
「てッ……鉄球と追いかけっこなんざ冗談じゃないぜ、おいっ!!」
片手で帽子を押さえながら、誰にともなく喚く。
反射的な全力疾走が奏功して、鉄球に速度が乗らない内に数十メートル程度は
引き離す事に成功したが、それも束の間、ガロガロと地面を抉るような音を立てて
鉄球はあれよという間にその差を縮めてくる。ひたすら下り続ける坂道を大股で
すっ飛ばしながら魔理沙はどうにか身体を縮めて遣り過ごせないかとしきりに後ろを
振り返るが、天地も左右も通路はまるでこの鉄球を基準にしたかのように隙間無く
作られており、人間どころか妖精一匹通り抜ける余地も無い。
「冗談じゃない、冗談じゃないぞ本当にッ!」
人生の幕引きがこんな穴ぐらの古典的なトラップでは死んでも死に切れない。とは
言え、このままでは数十秒と経たない内に押し花のように潰されてしまうだろう。
「ああああ、くそっ!」
魔理沙は四度叫んだ。
全力を出しすぎた。ただでさえ勢いのつく坂道を全速力で下ればどうなるか――
選択の余地など無かったとはいえ、結果としてそれは魔理沙を更に窮地へと追い
込んだ。
足が勝手に前へ出る。身体がその勢いにつんのめらないように、もう片方の足が
更に勝手に前へと動く。そのままこけてしまわぬ内に、更に逆の足が前に出る。
こけないように更に片足を前へ――ひと度転がり始めた雪玉のように、彼女の
コンパスはもはや己の意志に関係無く、狂ったように回転を続ける。少しでも
リズムを乱してしまえばそれで仕舞い――惨めにすっ転んだ次の瞬間には
キャンセル不可の冥界ツアーへご招待だ。追いつかれれば死、リズムを崩しても
死で、このまま現状維持の先にあるのも勿論死だ。
落ち着け――などと言ってみた所でどうしようも無い。こんな極限状況で冷静な
判断など出来るものか。どうする、どうすればいい――魔理沙は必死に脳を回転
させる。
どうすればいい、何をすればいい。何か手段が、どこかに突破口があるはずだ。
考えろ霧雨魔理沙、そして動け、追い付かれたら最後だ。とにかく走れ、足を
緩めるな。ああくそ、余計なものを持ってるせいで走りづらいな。箒なんて置いて
来れば良かった――箒?

「阿呆か私はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

五度目の咆哮と共に、魔理沙は箒に飛び乗り火花を吹かせた。


加速出来るだけ急加速した時の、後ろに激しく引っ張られる感覚が魔理沙は好きだ。
それに耐えれば、後は全てのものがあっと言う間に後ろへ流れ去る独りきりの時間が
自分を待っている。
「ははッ! どぉだよ、このトラップは失敗だったみたいだな!」
魔理沙はざまァみろと言わんばかりに笑った。どれほど加速を重ねてもまだ出口が
見えない事に些かの不安はあるものの、少なくとも鉄球から逃れる事には成功した
――。
「……あ?」
左手で押さえた帽子の下から肩越しに背後を覗いて、魔理沙は信じられないものを
見た。
引き離したはずの鉄球が――どんどん速度を上げて、魔理沙の背後に迫っている。
「何ィィィ!?」
そんな馬鹿な――魔理沙は竹箒を握り直し、何も異常の無い事を確認した。速度は
いつも通りに出ている。全力では無いが、足の遅い人妖ならとうに置き去りにして
いる程のスピードだ。おむすびも転がらない程度の緩やかな下り道である。ただ
ゴロゴロと転がるだけで、この速度に着いて来れる訳が無い。
「あれか……!」
右と左、鉄球の両面が薄く発光している事に魔理沙は気付いた。あの位置には
何やら魔術文字が描かれていたはずだ。それが発動して、鉄球の回転にブーストを
かけているのだろう。
「だったら、これでどうだ!」
ごそごそと懐をまさぐり、取り出した薬包を二つ、鉄球に向かって投げ付けた。
魔力で点火する炸薬だ。二つの薬包は魔理沙と鉄球の中間で光を放ち、ただちに
小規模な爆発を起こす。しかし鉄球に刻まれた魔術は一種類では無かった。今度は
中央に刻まれたものが光を発し、爆発の衝撃を完全に遮断した。
「……たかが鉄の塊の癖に、何とも高性能な事だな」
魔理沙が一つ悪態を吐く間にも、鉄球は更に加速を重ねてゆく。魔理沙は止むを得ず
箒を握り、今度は容赦無しのフルパワーで、一気に鉄球をちぎりにかかった。

「どッ……こまで着いて来るんだよ、こいつはっ!」
魔力全開で飛ばし始めてから一分――魔理沙は未だに鉄球を振り切れずにいた。
まるで意志があるかのように、こちらが速度を上げた分だけ、向こうもきっちりと加速
して着いて来る。
「くッ……」
これほどの加速を生み出す魔力が一体何処から供給されているのだろうか。それにも
限度はあるだろうが、それは魔理沙とて同じ事だ。走る事と同様に、全速力というものは
そう長くは続かない。既に、己の意志とは関係無く徐々に速度が落ちて来ている事に
魔理沙も気が付いていた。
「ヤバいな……このままじゃ――」
その時、ただひたすら続く変哲の無い風景の中に一瞬違和感が混じった。
あれは――魔理沙は呟く。違和感の正体は直ぐに解った。通路の遥か先に、落とし穴が
一つ、ぽっかりと口を開けていたのだ。そしてそれを超えた先に、遂に出口と思しき扉が
姿を見せた。
「そういう事か……!」
再び焦り始めていた魔理沙だったが、それの意味する所は直ぐに理解した。
遠目では正確な大きさは掴みづらいが、穴の大きさは大体鉄球と同程度。つまり、
あそこを越えさえすれば鉄球は勝手に穴の中に落ちてしまうはずだ。
「いいね、根競べか。シンプルなのは大好きだぜ」
にやりと笑うが早いか、魔理沙は箒を掴み直して再加速の姿勢に入った。一瞬の後、
魔理沙の箒は放たれた矢の如く三度鉄球を大きく引き離した。
少ししんどいが、いける。塵も空気も巻き込まんばかりの勢いで、ゴールへ向けて
爆進する。勿論鉄球も黙ってはいない。まるで紐でも結んであるかのように恐ろしい
速度で魔理沙を追い、肝の冷えるような音で転がりながら魔理沙の背中に喰らい
付こうとするが、魔力を絞り切る覚悟の魔理沙との距離は開きこそせぬまでも縮む事も
無い。
安全な距離を維持したまま、魔理沙は遂に穴を飛び越えた。
「いよっしゃあああ!! ……あ?」
喝采を叫んだ瞬間、魔理沙は先程とはまた違う違和感を覚えた。
今の穴は――少し小さくはなかったか。
背筋を駆け上る悪寒を振り払って、肩越しに背後を振り返った。鉄球は地面を削り
ながら、己が行く手を塞ぐものなど何も無いと確信しているかのように猪突猛進に
進み続けている。そうして――大口を開けて待ち構えている穴の上を、いとも容易く
飛び越えた。

まさか――魔理沙は自分の推理が致命的に間違っていた事を知った。あの穴に入る
べきは――鉄球では無く、自分だったのだ。
おそらくあの穴が、鉄球をやり過ごす為の唯一の避難地帯だったのだろう。それを
超えてしまった今、魔理沙にはもう一切の逃げ場は無い。
「しまった……!」
遥か向こうに見えていた扉は徐々に近づいてくる。目を皿のようにして周囲を探るも、
もうこの先に穴どころか凹凸一つ有りはしない。漸くはっきり見えてきた扉の形状は
どうやら観音開き、それも手前に開く形式のようだ。扉の前に着地する為にはもう
減速を始めなければならないが、無論そんな事をした瞬間に鉄球に轢き殺されて
しまうだろう。開く事の出来ない扉など壁と同じである。鉄板張りの重厚な外見と
あいまって、それは正に文字通りの鉄壁に見えた。前には壁、後ろには鉄球。
魔理沙はさながら、袋小路に追い詰められたネズミも同然だった。
「チェックメイトって奴か……」
絶体絶命とはこの事だろう。
ならば。
最早――やれる事はただ一つ。
「――だったら!」
懐に片手を突っ込み、一枚のカードを抜き放つ。
「だったら、盤ごと叩き割ってやるだけだ」
カードに不可思議な色の火が灯る。
――スペルカード。
封じられていた魔力が溢れ出し、蒼白の衣と化して魔理沙を包む。黒く変色して抜け殻と
なったカードを投げ捨てて、両手で箒を握り締める。
どこにも出口が無いというのなら――自分の力で作るより他に無い。
「――彗星」
満を持して、魔理沙は吼えた。
「ブレイジングスターッ!!」

瞬間。
一切の景色が――消える。
青き光に満たされた世界の中で、魔理沙は一条の雷光と化して飛んだ。全身を貝の
ように固め、魔力の弾丸となって空を裂く自分をイメージする。撃ち抜くのは、終着点に
控える鉄扉。
ブチ破る――そう思った瞬間に、二枚の鉄の壁は飴のようにひしゃげて弾け飛んだ。


吹き飛ばした扉の先には、幸い勢いを殺すに十分なスペースがあった。石畳をガリガリと
削りながら逆噴射を掛け、十数メートルを進んでから魔理沙の箒は漸く動きを停止した。
それとほぼ同時に、ゴォンと梵鐘が落ちるような激しい音が扉の方から響く。埃を払って
振り返ると、忌々しい鉄球が出口にめり込んで白煙を上げていた。



* * * * *

「――鉄球なんかに使っちまう事になるとはな……」
ブレイジングスターはある意味マスタースパーク以上の奥の手だ。出来る事なら
最後の最後まで温存しておきたかったしそのつもりだったものを、まさかこんな
古典的なトラップに使ってしまう事になるとは思いもよらなかった。
とはいえ、この判断が間違っていたとは思わない。あの絶体絶命の局面で取り得る
最善の方法だったし、何よりこの鉄球には奥の手を使わせるだけの実力があった。
もはや物言わぬ鉄塊と化した好敵手に、何やら奇妙な友情を感じる魔理沙である。

ともあれ。漸く動きを停止した鉄球から眼を離し、魔理沙は改めて周囲を見渡した。
そこは最初の部屋をぐんと拡げたような円形の広間だった。
民家が一軒すっぽりと入る程の空間に柱の類は存在せず、一切の障害物を排した
そこはさながらコロシアムのようで、この後に待ち構える展開を否が応にも連想させる。
壁も床も相変わらず無愛想な石造りで、聖堂のように高い天井からはこれまた変わらず
薄ら寒く輝く灯りが辺りを青白く染めている。
その、いい加減に見慣れた景色の中に――異質なものが一つ。
広間の三分の一程を我が物顔に占拠しているそれを見上げて、魔理沙は「ふん」
と鼻を鳴らした。
「図書館で見た事あるな、こういうの……」

天を衝くような――という形容が正に相応しい、それは巨像だった。
肩幅だけで優に二メートルはあろうかといった巨大な人の似姿。片手に長槍を持ち、
腰には洋剣を下げ、「彼」は片脚を投げ出して石敷きの床にどっかと座っている。
肩から腰までを覆う豪奢な洋風の鎧と、同じく下脚部を守る脚甲の他には殆ど何も
身に付けていないにも関わらず――いやそれ故にこそか、像は歴戦の勇者の如き
存在感でもってこの場の空気を支配していた。
美しい――と、魔理沙ならずともそう思った事だろう。石像だか石膏像だか、この
あやふやな光の下ではろくに判別も付かないが、病人のように青白く照らされて尚、
隆々たる剥き出しの筋肉は鋼のような頑健さを誇示している。
これがただの彫像であれば、という願いの叶わぬ事は、誰より魔理沙自身がよく
知っていた。
その巨躯がめりめりと音を立てて動き始めるのを半ば諦めの境地で眺めながら、
魔理沙は溜息を吐いて帽子を被り直した。
「……あんたがラスボスだと思っていいんだろうな、大きなお兄さん。このくそったれな
アトラクションも漸く終点かと思えばやる気もひとしおってなもんだ」
ただでさえ巨大な像は、立ち上がると最早見上げるのも億劫になる程だ。その銀色の
脚甲に包まれた両足の後ろに、荘厳な装飾を施された大きな扉が見える。
こんな巨人とじゃれ合うよりもとっとと中へ駆け込んでしまいたい所だが、これ見よがしに
扉の前に浮かぶ魔法陣が、残念ながらここは施錠済みだとご丁寧に教えてくれている。
古代の戦士はいよいよ身体を起こし切り、まるで人間のようになめらかな動きで槍を
振り回す。それが開戦の合図となった。

ごう、と空気を割り裂く音と共に、長槍が地面に叩き付けられる。端から容赦の無い
一撃だったが、魔理沙はひらりと箒に飛び乗ると危なげなく回避した。これだけ空間が
広ければ、遠慮なく飛び回れる。
「バラバラに粉砕して香霖堂に叩き売ってやるぜ」
言うが早いか懐からスペルカードを引き抜き、そのまま空を切って投げ捨てる。
「黒魔――『イベントホライズン』ッ」
魔理沙の細い指から離れたカードは不可思議な色の炎で放物線を描き、地面に触れる
前に灰と化して崩れ去った。途端、四方に出現した魔法陣から無数の星弾が現れ、瞬く
間に像の周囲を覆い尽くした。
油断はしない。容赦もしない。こんな陰気な所はとっとと脱出して、さっさとお宝を拝んで、
暖かいベッドでぐっすりと眠りたいのだ。最初の回廊では肉体を酷使し、次の橋で精神を
すり減らし、鉄球との追いかけっこでは大量の魔力まで消費してしまった。本来ならば
こんなサディズム溢れるテーマパークの設計者には顔面に蹴りの二、三発もくれて
やらねば気の済まない所だが、今やそんな事はどうでもいい。立っているだけなら
ともかくも、魔力を放出する度にまるで魂が抜けてゆくような疲労感が全身を襲うのだ。
堅実に戦っている余裕など、況してや状況を楽しむ余裕などカケラもありはしない。
魔理沙が指を弾くと、広間を埋める星弾の結界は戦士像へ向けて一気に収束を始めた。
これで沈黙してくれるなら万々歳だが、相手もただ突っ立つだけの木偶の坊ではない。
星弾のモザイクの向こうで長槍が乱暴に振るわれるのが見えたかと思うと、次の瞬間には
その軌道に浮かぶ星弾の群れがまるでろうそくの火を吹き散らすかのように掻き消されて
いた。
が、その程度で動じる霧雨魔理沙ではない。知能のない木偶とは言えど、それなりの回避
行動が設定されている程度の事は当然想定していた。このスペルはあくまで足止め。
本命は――、
「星符!」
何かを投げるような、或いは殴り付けるような格好で思い切り引いた魔理沙の右拳に、
莫大な魔力が集まってゆく。まるで弓を引き絞るかのように限界まで魔力を蓄積し、
未だ体勢を立て直せていない巨人へ向けて力の限りに突き出した。
「ドラゴンッ……メテオォォ!」
キュボッ、という重い炸裂音を置き去りに、超高濃度の魔力弾が虚空を駆ける。それに
気付いて巨像が漸く動きを見せたが――既に遅い。虹色の竜は眼にも止まらぬ速度で
肩口に喰らい付き、そこで爆音と共に大輪の花火を咲かせた。
離れていても全身を揺るがす程の衝撃には、歴戦の勇者も耐え切る事は出来なかった。
槍を持ったままの片腕が胴体から吹き飛ばされてずしんと地面に落ち、そこでもう一度、
今度は粉々に砕け散った。

「ふふん」
魔理沙は人差し指で帽子のつばを持ち上げて笑った。「いくらデカかろうが、所詮は
ただの置物だな」
どれほど優れた力や装備を持とうと、それを御する知能が無ければ木偶は矢張り
木偶に過ぎない。なるほどそういう意味ならば、弾幕はブレインというのも、まあ理解
出来ない事もない。
像は片腕が吹き飛んだ事などどうという事も無いかのように――実際痛覚も無いの
だから当然だろうが――ゆらりと立ち上がり、残った片手を腰に下げた剣にかけた
かと思うと、一気に引き抜いて投げ放った。が、それも縦横無尽に宙を舞う魔理沙を
射抜く事は叶わず、轟音を上げて何も無い石壁に虚しく突き刺さる。お返しとばかりに
魔理沙は懐から小瓶を取り出すと巨像目掛けて投げつけた。着弾と同時に小規模な
爆発が生じ、像の脇腹に鋭い亀裂を走らせる。像は上体をぐらりとよろめかせながら
も踏み留まり、魔理沙に一撃を加えるべく不屈の前進を再開した。魔理沙はそれに
逆らわず、近づき過ぎず遠ざけ過ぎず一定の距離を保って後退しながらある瞬間を
待ち構えていた。魔理沙の思惑など知る由も無く、隻腕の戦士はただ愚直に地面を
揺らす。一歩。二歩。――三歩。
巨像の足元から白い閃光が吹き上がったのは、その時だった。
片足の下で爆ぜた光は脚甲を貫き、膝を破壊し、大腿を砕いて中空に消えた。足を
一本失って、戦士は至極当然に、実に呆気無く地面に倒れ伏した。
光符「アースライトレイ」。ただ動くだけの人形が相手ならば、罠を張るのは実に容易い。
こんなものか――と気を抜きそうになる心を、魔理沙は首を振って戒めた。遊びという
縛りを捨て、ただ敏速に敵を撃滅する為だけに力を振るう――その結果がこれだと
いうだけの事だ。一切の虚飾を捨てた、剥き出しの、粗暴な、偽らざる闘争の姿。
しかしそれにしても――魔理沙はただの数分で変わり果てた像の姿に、何やら妙な
寂寥感を覚えずにはいられなかった。歴戦の勇者は今や、息も絶え絶えの傷痍兵だ。
それでも彼は、魔理沙の複雑な心境など理解するはずもなく、尚も戦闘を継続しようと
もがく。
「やれやれ」と呟きながら魔理沙は帽子を被り直した。
扉の封印を解除する方法は、恐らくこの像を完全に沈黙させる事だろう。まだ動く、と
いう事は動力源が未だ無事であるという事だ。
「ゴーレムだったら話が早かったんだが……いや、大して変わりは無いか」
如何なる原理で動いているにせよ、粉々に砕いてしまえばそれで仕舞いだ。
「トドメといこう」
スペルカードを一枚取り出し、軽く弾いた。「星符。メテオニック――」
油断はすまいと思っていても、所詮人はいつまでも緊張を持続出来る生き物では無い。
半ば以上に勝利の確定した状況にあっては尚更だ。油断していた――魔理沙がそう
気付いたのは、既に取り返しのつかぬ状況に陥った後の事だった。

「なッ……!」
ひねりも何も無い驚愕が喉からまろび出る。尤も、魔理沙で無くともそれは当然の反応
だっただろう――突然背中に何かが降って来るなどという事態に際しては。
少し前に体感したばかりの感覚。死神に抱擁されているような不快感。背中を見ずとも
解った。こいつは――。
「一度ならず二度までも……ってか」
魔理沙の声に応えるように、どさどさどさどさ、と四方に開いた魔法陣から次々と何かが
降って来る。青白い四肢、空っぽな眼窩――それは橋の間で魔理沙を散々に苦しめた、
あの骸骨達だった。
不意を打たれて身動きを封じられた魔理沙に、骸骨達はわらわらと覆い被さってゆく。
スペルカードを取り落としたまま寄ってたかって両手両足を拘束され、勝利を約束
されていたはずの魔理沙はあっという間に形勢を逆転されて地に伏した。
「く、そ……」
見通しが甘かった――否、甘すぎた。このまますんなり突破出来ると何の疑いも無く
信じ込んでしまった時点で、魔理沙の負けは決定していたのかも知れない。
「ぐっ――!」
突然伸びてきた巨大な手に、魔理沙は骸骨諸共むんずと全身を掴まれた。巨像は
そのまま何をする気か、自らのひび割れた顔の前へと魔理沙を引き寄せる。
思えば、この像がまるで置物のように呆気無く壊れてゆく事自体にまずに不審を抱く
べきではなかったか。大ボスとして設置されているであろうガーディアンが、侵入者が
当然使ってくるはずの魔法攻撃に関して全くの無防備である事がそもそもおかしかった
のだ。これ程のダンジョンと仕掛けを同時に生成、作動させるような化け物が、魔力
障壁の一つや二つ備え付ける事の出来ぬ訳が無い。実際、先の鉄球には装備されて
いたではないか。
敵の目的は、恐らく最終的に魔理沙を捕らえ、このような形に持ってくる事だったのだろう。
油断せずに倒す――そればかりで意識を満たしてしまったせいで、魔理沙は結局様々な
疑問をどれもこれも馬鹿のように看過して逆に油断を重ね、まんまと敵の目論見に嵌って
しまったのだ。

がぱりと巨像の口が開く。そのドス黒い巨大な口腔の中に――魔法陣が一つ浮かんでいる。
私の負けだ――魔理沙は搾り出すように言った。
「やれよ。覚悟は出来てるぜ」
魔法陣はゆっくりと、応えるように回転しながら明滅を始めた。魔法の力が徐々に魔法陣
へと集まってゆくのが解る。諦めたように振舞いながら、魔理沙は脳をフル回転させて
血路を見出そうとしていた。両腕は動かない。魔法も撃てなければスペルカードに触れる
事も出来ない。つまるところ――何かの拍子に拘束が緩みでもしない限り、魔理沙に
状況を打破する手段は無い。
「くッ……」
集まる魔力はいよいよ強大になってゆく。魔理沙に出来る唯一にして最善の方策は、
悲しいかな、決して諦めるなと己に言い聞かせる事のみだった。
そして――チャンスは遂に訪れぬまま、とうとう魔力の充填が完了したようだった。
「くそ……!」
魔理沙は今度こそ形振り構わずもがいたが、人の力で巨像の掌をこじ開けられるはずも
無い。集まりきった魔力は、魔理沙の行動など一切お構い無く、無慈悲に開放を始めた。
「うぉぉぉおっ!」
白い光が魔理沙を包み込む。何もかもが白く染まる。前後も天地も解らなくなる――。
その瞬間。

「捜符『ゴールドディテクター』!!」

ひどく懐かしい声と共に、大地が鳴動するのを感じた。


気付けば、魔理沙を掴んでいた腕は根元から粉々に破砕されていた。その破片の上に
立って、一人の少女が魔理沙をゆっくりと抱き起こす。
「大丈夫か魔理沙。手荒な真似をしてすまないね」
魔理沙は金魚のように口をぱくぱくさせた。
お前は――。
「ナ……ナズーリン……!」
やけに懐かしい笑みがそこにあった。
一体どうして――いや、そんな事よりも。
「無事――だったんだな……」
「何とかね。立てるかい」
「ああ……っててて」
片手で魔理沙の腰を支えながら、ナズーリンはスペルカードを中空へと投げつけた。
「守符――『ペンデュラムガード』」
スペル名を唱えた刹那、巨大な水晶のような物体が五つ、二人を取り囲んで出現した。
それらは回転しながら無数の弾を吐き出し、次々と骸骨達を吹き飛ばしてゆく。
「聞きたい事もあると思うが――」
「解ってるさ。話は後だ。まずはここを突破しないとな……ん?」
何かが爆ぜるような音が、唐突に二人の耳に届いた。最初は小さく。断続的に、それは
徐々に大きく、激しく――直感的な危険の色彩を増してゆく。一瞬顔を見合わせてから、
まるで操られるように二人同じ方向へ眼を向けた。そこに転がっていたのは、もはや
見る影も無く破壊された戦士像。それが全身の亀裂から光と火花を散らしている。
徐々に大きく、徐々に派手に。
おいおい、何か不味いんじゃないのか――とナズーリンが言った。
「良く解らないんだが、何やら凄く危ない事が起きそうな気がするぞ」
「……多分正解だぜ」
恐らくは、像を操っていた魔力が暴走しているのだ。そりゃそうか、と魔理沙はぼやく。
これだけやりたい放題に破壊してしまえば、こうならない方がおかしいだろう。
「……にしても、ここまで来て爆発オチとはなぁ」
「爆……何!? お、おい魔理――うぁっ!?」
最後まで聞く前に、魔理沙はナズーリンを胸に抱き寄せた。それと同時に、五感を
つんざく大爆発が起こり――魔理沙もナズーリンも、そして骸骨達も巨像自身も、
全てが白い炎に飲み込まれた。



* * * * *

「……げほッ」
瓦礫と埃の散乱する広間の真ん中で、魔理沙は咳き込みながら煤を払った。
「……一体何をやったんだ?」
ナズーリンが問う。
「霊撃だよ。タイミングは完璧だったぜ」
「なるほどね……伊達に長くヒーローをやっている訳じゃないって事か」
「ふふん」
鼻を鳴らす魔理沙の足元を中心に、霊撃が描いた幾何学的な模様が広がっている。
正直に言えば肝が冷えたが、見事成功したのだから誇っておこう。
「さあ、行こうぜナズーリン……お? どうした、何か顔が赤いぞ」
ナズーリンの頬は薄く茹でたような赤に染まっている。魔理沙の言葉に、ナズーリンは
更に顔を赤くして怒鳴った。
「き、君がいきなり私を抱き締めたりするからだろうがっ! 心中する気かと思ったぞ、
馬鹿者!」
「そ、そうか……何だ、すまん」
そう言われると、急に恥ずかしくなってくる。ナズーリンの顔を見ないようにして、魔理沙は
足早に出口へと向かった。

矢張りというべきか、扉の封印は解除されていた。像が爆発した瞬間に解けたのだろう、
荘厳を誇っていた扉は爆風によってそこかしこが変色し変形していた。
観音開きの扉に両手を掛けて、魔理沙は肩越しに問い掛けた。
「一応確認しとくが、ここが最後なんだよな」
「間違い無いよ。宝の反応はすぐ眼の前にある」
ロッドをかざしながらナズーリンが答える。それに頷いて、魔理沙は両腕に静かに力を
込める。ぎしぎしと立てながら、宝の扉はゆっくりと開いていった。
そこにあったものは――。



* * * * *

――何がなんだか解らない。
扉の先の光景を眼にした魔理沙の、それは偽らざる感想だった。
実世界へ戻って来たのだろう、周囲には見渡す限りに鬱蒼たる木々が生い茂り、真冬だと
いうのに針葉樹も広葉樹も全てが毒々しい緑を咲かせていた。しかし魔理沙を驚かせたのは
そんなものではない。
最初は小さな違和感だった。それはしかし、周囲の様子を把握する毎にどんどん大きく膨らんで
ゆく。濃密に漂う瘴気、木の根の隙間から顔を出す妖しい色のキノコ、異常な程に静まり返った
空気――そして。
真正面に構える小さな洋館が、まるでピンで留められた蝶のように、魔理沙の眼を釘付けに
していた。
違和感は疑惑に、疑惑は確信に、確信は混乱に変わる。
好き放題にツタの生い茂った白い壁。
雨ざらしのまま積まれている無秩序ながらくたの山。
傍に打ち捨てられたように転がる粗雑な造りの看板には、同じくぞんざいな筆跡でこう記されて
いた。

――霧雨魔法店。


「何で……」
何故――私の家がある。

助けを求めて振り返ると、ナズーリンが扉を潜って出て来る所だった。彼女の両足が
地面に着くと同時に、扉は薄く霞んで消え去った。魔理沙が何かを口にする前に
ナズーリンは地面に倒れた看板を目聡く見つけ、それで状況を理解したようだった。
「……道は間違ってはいないよ」
ナズーリンは首をすくめて先回りした。「宝の反応はこの家からだ。とにかく――入って
みるしかないんじゃないか」
「……あ、ああ……」
ナズーリンの冷静な言葉で、魔理沙は少し落ち着きを取り戻した。
その通りだ、無駄に頭を混乱させるぐらいならとっとと先へ進んでしまうべきだろう。
いつものように少し入りの悪い鍵を開け、いつものようにドアを引くと、いつものように
少し軋んだ音がした。全てが不安になるほどにいつも通りだった。
ナズーリンと二人玄関に入れば、嗅ぎ慣れた空気が魔理沙を包んだ。信楽焼の狸が
いつもと変わらぬ間抜けた視線で出迎える。そしてその奥に伸びる薄暗い廊下には、
愛すべき無数の蒐集品達が――。
「……あ?」
「何だ、もっと汚いかと思ったが、綺麗に片付いているじゃないか。……魔理沙?」
ナズーリンの声は魔理沙の耳には入らなかった。魔理沙の身体は、意識は、眼前の
有り得べからざる光景に完全に硬直していた。
長い――ひたすらに長い沈黙の後に、魔理沙は漸く、魂ごと吐き出したような声で
呟いた。
「どうして私の蒐集品が無くなってるのは何故だぜ?」
「……まずは落ち着いて日本語を話してくれ」

「無い!!」
魔理沙は悲鳴に近い声を上げた。
「無い! 無いぞ! 私の蒐集品がどこにも無いっ!!」
ナズーリンの言葉通り、あれほど物で埋め尽くされていた廊下は綺麗さっぱり
片付いていた。より正確に言うならば――いずこかへと持ち去られていた。
「そうだ、書斎っ!!」
叫ぶや否や、魔理沙は廊下をすっ飛んで奥の扉をぶち開けた。
そこには。
「無い……!!」
本棚から溢れ、机はおろか床にまでうず高く積まれていた本の山が、忽然と姿を消して
いた。
「わ……私のソロモンの大きな鍵が無い! 小さな鍵も、金烏玉兎集も無い! キノコ
大図鑑も無い! 金枝篇もだ、研究中のエメラルドタブレットまで! サルでもわかる
ツチノコの飼い方が無い、ヴォイニッチ手稿が無い! ナコト写本が無い、無名祭祀書が
無い、ああああ、キタブ・アル=アジフまで!!」
「なんてものを持ってるんだ君は……」
「本物なのか、それ」というナズーリンの呟きなど聞こえているはずも無い。
魔理沙は最早発狂寸前である。抽斗を引き抜き、本棚を倒し、絨毯の裏まで探しても
何一つ見つかりはしない。
古事記が無い。
日本霊異記が無い、竹内文書が無い。
純粋理性批判が無い、プリンキピア・マテマティカが無い、学問のすゝめが無い、大学
入試センター試験実戦問題集が無い、面接必勝マニュアルが無い、菊と刀が無い、
パンセが無い、いまからはじめる陶芸入門が無い、アタルヴァ・ヴェーダが無い、葉隠が
無い、赤の書が無い、黒の書が無い、3×3 EYESが無い、さんすうドリル一年生が無い、
日本変形菌類図鑑が無い、古エッダが無い、全異端反駁が無い、ねないこだれだが
無い、曙光が無い、ツァラトゥストラはかく語りきが無い、墓場鬼太郎が無い、トンパ
文字が無い、ボイラ整備士試験問題解答集が無い、大技林が無い、宇治拾遺物語が
無い、おいしいきのこ料理が無い、恋空が――これは無くてもいい、メンズナックルが
無い、十六夜咲夜秘蔵自作ポエム集が無い、ドグラ・マグラが無い、黒死館殺人事件が
無い、虚無への供物が無い――。
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
愛読書も、これから読むはずだった本も、特に興味は無いが何となく拝借して来た本も
――まるで初めから存在していなかったように、全て無情に消失している。

魔理沙はがっくりとくずおれた。
己の半身を失ったような――途方もない喪失感だった。
その時、まるでそれを見計らうようにして、どこから現れたものやら、一枚のカードが
ひらひらと魔理沙をからかうように揺れながら落ちて来た。
「あ……?」
のろくたとした動作でそれを拾うと――そこには几帳面な字でこう書かれていた。

「君の宝は頂いた。
怪盗タミールより」

「……や……」
「や?」
「やられたあああああああああっ!!」
魔理沙の絶叫は魔法の森中に遍くこだました。



* * * * *

「パチュリィィーーーーーッ!!」
後ろに呆れ顔のナズーリンを乗せて、魔理沙は箒に跨ったまま図書館の扉をぶち破った。
あの人を舐め切ったカードを見るに至って、魔理沙は漸く全てを悟った。
こんなふざけた真似をするような奴は決まっている。パチュリー・ノーレッジ――いや。
「お前らの仕業かぁっ!!」

静謐な図書館に、魔理沙の怒声がわんわんと響いた。広い敷地の中央に設えられた
大テーブルで優雅に紅茶を傾けているのは、この大図書館の主のみでは無かった。
テーブルを囲んで座る面々を端から睨み付けて、魔理沙は最後にパチュリーを見た。
「相も変わらず無粋な事ね。貴方を茶会に招待した覚えは無いわ」
そう言うパチュリーの顔には、いつもの如く笑みも怒りも見えない。竹箒の頭で床をどんと
叩いて、魔理沙は発端となった古地図をパチュリーの鼻先に突き出し、机の向こうにまで
届く声で言った。
「まんまと騙されたぜ。手の込んだ事しやがって……こいつを本物だと信じ込んじまった
のがそもそもの間違いだったよ。時間を遡って地図を書くなんて事は不可能だからな。
ところが、お前ならこいつを作れる。そうだろ?」
魔理沙は珍しくテーブルに着いている十六夜咲夜に向けてそう言った。咲夜は無言の
まま、困ったようにわざとらしく肩をすくめてみせた。
「簡単な話だ。適当な紙で地図を作って、後はそいつの時を加速させてやればいい。
お前お得意の即席ヴィンテージ・ワインみたいにな」
テーブルの上に地図を投げ捨て、魔理沙は次に紅い悪魔に眼を向けた。
「で……次はお前だ、レミリア。ここにいるって事は、お前も一枚噛んでるんだろ?
大方、私が余計な疑問を抱かずに、確実に宝探しに出掛けるように運命を操作でも
したんだ。こいつは証明しようが無いけどな」
レミリア・スカーレットもまた、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま黙って紅茶に口をつける。
先を続けろという意味だと解釈して、魔理沙はパチュリーとその両隣に居並ぶ二人に
視線を戻した。
「一番不思議だったのはあのくそったれなダンジョンだ。一体誰があれを創り上げたのか
――あんな化け物じみた芸当が出来る奴なんて、私には思い当たる節が無かったからな。
しかしそれも何の事は無い。あれを創ったのは『一人の魔法使いじゃなかった』ってだけの
話だ」
そこで言葉を切って、魔理沙は一度呼吸を整えた。
「……パチュリーと組んでダンジョンを作ったのはあんただろう――聖白蓮。で、そいつに
素敵なガーディアン共を仕込んだのがお前だ、アリス」
しん、と辺りが静まり返った。
ややあって――散発的な拍手の音と共に、レミリアのくつくつという笑い声がそれに取って
変わった。

「すごいすごい。中々鋭いじゃない、白黒魔法使い――ああ、白黒はもう一人いるか」
大体正解だと悪びれもなく言って、レミリアは再び楽しそうに笑った。
「けっ、あんなふざけたカードがあれば誰だって解るぜ。何が怪盗タミールだちくしょう、
馬鹿にしやがって」
「それを考えたのは小悪魔よ。私を睨まないで頂戴」
パチュリーの言に小悪魔を見る。相変わらず人畜無害に見える笑顔で、小悪魔はにこ
にことこちらの視線に応じた。腹黒め。
「そもそも、発端は貴女の行いなのでしょう? 因果応報というものです」
言って白蓮は地図を手に取り、興味深げに眺め回した。「なるほど、これなら騙される
のも解るわ」
「私達が今回の作戦に出た理由――言わずとも解っているでしょうね」
「……ふん。例の研究に必要な書籍とやらだろ。私のコレクションまで根こそぎ持って
行きやがって、たった一冊の為にここまでやるかね」
「一度物を奪われる側に立ってみろって事よ」
アリス・マーガトロイドは澄ました顔で紅茶を飲んだ。
「まあ、私としては空間生成なんて凄い魔法を近場で観察出来たし、新型人形の実験も
出来たし、随分と勉強になって良かったわ」
「……最近家に閉じ篭って私を中に入れなかったのはあの悪趣味な人形共を作ってた
からだったんだな。『邪魔だから帰って』なんてそ知らぬ顔で言いやがって、その裏で
あんなもんをこしらえてたとはな」
「面白かったでしょう、『ゴライアス人形』。想定以上の脆さだったけどね。美鈴には随分と
世話になったわ」
アリスの向かいに座る紅美鈴が、はにかんだ笑みを浮かべて口を開いた。
「いえいえ、私も楽しかったですよ。アリスさんの手作りクッキーも凄く美味しかったです。
また遊びに行っていいですか?」
「いつでもどうぞ。美鈴なら歓迎するわ」
魔理沙を横目にみながら、「なら」の部分にわざとらしくアクセントをつけてアリスが返す。
どうやらあの巨大像――ゴライアス人形というらしい――の外装部分を手がけたのは
美鈴らしい。魔理沙がアリスに締め出されていた時、アリス邸の中では美鈴が彫刻の
真っ最中だったという訳だ。ちくしょう、妙な所で仲良しイベントを立てやがって。
「……そうすると」
美鈴の隣に座る、残る一人に眼を向けて魔理沙は言った。
「お前も何かに協力したんだな」
「ええ。大した事じゃないけどね」
答えて、フランドール・スカーレットは野いちごの乗ったタルトを美味しそうに頬張った。
フランドールがタルトを咀嚼する間、魔理沙は彼女を見つめながら頭をひねらせた。
フランドールが居なくても、役割は足りているはずだ。彼女の能力は破壊専門で、
今回の仕掛けに応用出来るとも思えない。何か自分の知らない所で、彼女の力を
必要とする部分があったのだろうか。
「ええとね」
美鈴に母親のように口元の汚れを拭われながら彼女は解答を披露した。
「トラップの構成と配置?」
「あれを考えたのお前かぁぁぁっ!!」

さて――不健康な声でパチュリーが言った。
「答え合わせは大体こんな所よ。ご満足して頂けたかしら」
全員の視線が魔理沙に集まる。ややあって、魔理沙は静かに口を開いた。
「……いいや。まだ一つ残ってるぜ」
その言葉に、無表情な知識人を除く全員が意外そうな顔を見せた。魔理沙は肩越しに
後ろを見る。ナズーリンは何とも判読し難い表情で魔理沙を見つめ返した。
「最後の協力者は――お前だ」

ナズーリンはふっと笑ってお手上げのポーズを取った。
「おいおい、苦楽を共にした相棒を共犯呼ばわりかい?」
茶化した口調でそう言うが、魔理沙は笑わなかった。
「タイミングが良過ぎるんだよ。最初っからな」
そう。ナズーリンの存在は――あまりにも都合が良過ぎるのだ。あの時の魔理沙は
これも天の配剤かと疑う事もしなかったが、改めて考えてみればいくらなんでも
出来すぎている。
「なるほどね。しかし私がいなくても、君は元々手当たり次第に地図の場所を探す
つもりだったんだろう? そこにたまたま私が現れたというだけで、私が居なくとも
展開に変化は無かったと思うが」
「そうでもないさ。あの時点では私は地図の真贋を確かめに来ただけだったんだ。
お前がいなけりゃ私は面倒臭くなって探索をやめちまうかも知れないし、あの石板を
見つけられない可能性もある。或いは何か他の理由で家に帰ってしまうかも知れない。
私に長時間家を空けさせなけりゃ本を奪うも何も無いからな。地図の信憑性にプロの
お墨付きを与えて、私を確実にダンジョンに放り込む為には、お前の存在は不可欠だ。
違うか?」
それにな――魔理沙はナズーリンが何か言葉を返す前に続けて口を開く。
「お前が本当に何も知らなかったのなら、この場に白蓮がいる事にどうして何も反応
しなかったんだ?」
魔理沙は黙って紅茶を飲んでいる白蓮に指を突きつけた。
「……」
ナズーリンは言葉を失ったようだった。魔理沙は身内の悪行を暴くような、えも
言われぬ罪悪感と寂寥感を覚えながらも言葉を続ける。
「確かに白蓮は魔法使いだし妖怪の味方だ、ここにいる事は別に不思議じゃない。
しかし、それにしたって挨拶の一つぐらいは交わすものじゃないのか? なのに
お前らはまるで示し合わせたようにだんまりだ。これでお前らがグルじゃないって
言うなら、私はそっちの方が驚くぜ」
一息に言い切ってナズーリンに向き直ると、彼女は遂に大きく息を吐いて言った。
「……オーケー、私の負けだ。その通りだよ魔理沙、大正解だ」



* * * * *

「白黒が研究に必要な本を返してくれなくて困る」と、パチュリーが茶の席で洩らした
事が全ての発端だった。面白がって仕掛けを発案したのはレミリア。それに魔女と
その下僕が肉を付け、たまたま同席していた白蓮が「そういう事なら」と協力を承諾。
白蓮から直々に助勢を依頼され、ナズーリンが動く運びとなった――という事である
らしい。

「結局、全部私の一人相撲だったって事かよ」
魔理沙はがくりと肩を落とした。ナズーリンが橋から落ちた時、本気で安否を心配した
自分がまるで馬鹿のようだ。
「何が『幸運を祈る』だよ、はなッから無事だと解ってたんじゃないか。私がどんなに
――ああ、いや、それはともかくだな」
「まあまあ。誓って言うが、ダンジョン内部の事は何も知らなかったんだよ私は。君を
上手く中に誘い込めと言われただけで、そこから先の事は何も指示されて無いんだ。
穴に落ちた後も、彼女らが面白がって作ったんだろうが、外に出る魔法陣の他に別の
ルートが用意されていたんだ。そこを進んだらあの部屋に出た。最後に君を助けたのは
本当に偶然だったんだよ」
魔理沙をサポートした事だけは自分の意志だったとナズーリンは言った。その口調は
少しだけ許しを求めているようで、背の高い方では無い魔理沙より更に背の低い文字
通り小動物のような彼女にそんな事を言われると、何だか水に流してやってもいいかと
いう気になってくる。
「……ふん」
どうにも、お互い変な情が芽生えてしまったようだ。

中々面白い余興だったわ――とレミリアは言った。頭脳・魔法労働班は霧雨邸へは
行かず、魔理沙が右往左往する様をここでずっと鑑賞していたらしい。悪趣味な事だと
魔理沙は毒づいた。
「それにしても――くっくっく、お前にも素直に人を心配する可愛げがあったんだねぇ」
レミリアが言うと、周囲の生温かい視線が一斉に魔理沙に突き刺さった。
「いいじゃないですか、年頃の……ぷっ、女の子らしくて」
「その可愛げを少しはうちの蔵書に向けて貰えないものかしらね。女の子らしく」
「期待するだけ無駄よ。ま、そこの鼠が落ちた先を見つめて呆然としてた時は確かに
可愛かったけどね。女の子らしくて……くっくくく」
「お、お前らなぁっ!!」
誰も彼も、パチュリーまでもがにやにやと紫のような笑みを浮かべている。そうして
寄ってたかって魔理沙を散々にからかってから、パチュリーは思い出したように言った。
「それで――貴女はどうするつもり?」
「ど、どうするって」
「私達に勝てたら、返してあげてもいいわよ」
ただし、とパチュリーは続ける。「今日は紅魔館オールスターよ。ついでにビッグゲストも
二名ね。ちょっと数が多いけど、そっちはタッグだし問題ないでしょう?」

パチュリーは――いや、妖怪共は今度こそ悪魔的な笑みを浮かべた。この体力で勝てる
はずが無いと解って言っているのだ、この魔女は。
魔理沙は暫くぶるぶると拳を震わせていたが、やがて手近な椅子を乱暴に引いてそこに
どっかと腰を下ろした。
「……客にお茶も出さないのかよ、ここのメイドは。ほら、ナズーリン、お前も座れよ」
「これは失礼しましたわ。うちによく入る泥棒と格好が似ていたもので」
咲夜がそう言うと、次の瞬間には二人の前に熱い紅茶が出現していた。
冷えた身体に紅茶をじんわりと染み渡らせながら、魔理沙はぽつりと呟いた。
「……負けたよ。完敗だ」
その言葉に、パチュリーはあくまで素っ気無く口を開いた。
「ふん、これに懲りたら少しはその手癖を改める事ね」
「ちぇっ。まあいいさ」
悔し紛れが半分、本音半分で魔理沙は言った。「ちょっとだけ楽しかったし、な」
「……君って奴は」
ナズーリンが隣で呆れたように天を仰ぐ。
二人を除く全員が示し合わせたようにぽかんとした表情を浮かべた。
彼女らの笑い声が図書館中に響いたのは、それからすぐの事だった。



■ ■ ■

――それから。
毘沙門天の使いだとかいうあの賢しらな鼠娘は、暇になると私の家に研究の邪魔を
しに来るようになった。特に何かを手伝う訳でも無く、今も研究に打ち込む私の後ろで
優雅に紅茶なんぞを啜りながら本を読んでいる。パチュリー達との平身低頭の交渉の
結果、何とか返して貰った数少ない本の内の一冊だ。
お前なあ、と私はぼやいた。
「何か私に出来る事はありませんか、ぐらいの殊勝な言葉が吐けんもんかね。人の
紅茶を勝手に淹れやがって、それはあれか、嫌がらせか」
「心の狭い奴だな君は。君の分も淹れてあげてるんだから良いだろう? それに
手伝いなら十二分にしてるじゃないか。私がこうしてくつろぐ事でこの今にも殺人
事件の現場になりそうな陰鬱な書斎に癒しと安らぎを与え、ひいてはそれが君の
研究効率の飛躍的な上昇に繋がるという訳だ。むしろ報酬を貰いたいぐらいだね」
「そこまで開き直られると逆に清々しいわ。……ったく、話し相手が欲しいなら神社に
でも行けよ」
「は? 何で妖怪が神社に行かなきゃいけないんだ」
「ああ、うん……そうだよな、普通は」
「?」
不思議そうに首を傾げるナズーリンから眼を離して、私は目下格闘中の書物に
向き直った。しかし、矢張り後ろに誰かが居ては研究にも身が入らない。それに、
何やらちらちらとこちらを伺うような視線を頻繁に感じるのだ――まあ、これは私が
些か自意識過剰なだけかも知れないが。

「……ああ、そうそう」
静寂が部屋中に染み渡った頃に、ナズーリンはおもむろに口を開いた。
「何だよ」
「返して貰えたんだな、ドアノブ」
顔をしかめた私を見て、ナズーリンは楽しそうに笑った。
小悪魔率いる実動班による略奪は、ぺんぺん草一本残らない程に徹底的だった。
紅魔館から帰った後で気付いたのだが、奴らの仕事は本や蒐集品だけに留まら
なかった。家中のドアというドアのノブから、蛇口の水栓ハンドル、目覚まし時計の
ベルまで、ありとあらゆるものが奪い去られていたのだ。勿論、どう考えてもただの
嫌がらせである。そのくせパチュリーは面白がって中々返してくれなかったので、
一週間ほど随分と不便な生活を強いられてしまった。その惨状を見て爆笑して
くれたナズーリンにはいつか復讐してやるつもりだ。

三度書斎に静寂が満ちる。
相変わらず背中に視線を感じながら、私は手を休めず研究を続ける。私の右手が
ノートにペンを走らせる音と、二人がそれぞれにページをめくる乾いた音だけが
書斎を満たす。
いまいち集中し切れないまま、それでも何十分かは経っただろうか。
「……なあ、魔理沙」
ナズーリンがどこか控えめな声で私を呼んだ。
「今度は何だよ」
「……いや、何でもない」
「……何だそりゃ」
自分が呼んだくせに、ナズーリンは一方的に話を止めて黙り込んだ。振り返ると、
二人掛けのソファの上で横になって、本を胸に抱いたまま眼を閉じていた。
ナズーリンが何を言いたかったのか――実の所、私には解るような気がした。
「――はぁ」
私は溜息をついて立ち上がると、ペンの頭で狸寝入りをするナズーリンの額を
小突いた。
「痛っ! 何するんだ――」
「飯。作るから」
お前も手伝えよ――とだけ言って、私は返事を聞かずに書斎を出た。ややあって、
ナズーリンがソファから跳ね起きる音と、ぱたぱたとこちらへ駆けて来る足音が
聞こえた。
今日はここまでだ。全く、こんな調子じゃ研究なんてはかどりやしない。
その内また図書館に忍び込んで、取られたものを根こそぎ奪い返すつもりだ。
毎日のように私の邪魔をしてくれるツケは、その時きっちりと払ってもらう事にしよう。
「……覚悟しとけよ、相棒」



ここまで読んで頂いた方に感謝を。

五作目になります。
ナズーリンはあくまでサポート役のつもりだったんですが、いつの間にやら
もう一人の主役のような感じになってしまいました。うむ、結果オーライ。
Azi
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コメント



0.3700簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
面白かった
4.100名前が無い程度の能力削除
やっべ、ナズーリン超かわいい。
16.100煉獄削除
フランがトラップを考えたこととか、それに魔理沙が突っ込んだりとか
ダンジョンでの話など面白かったです。
17.100名前が無い程度の能力削除
これは気に入りました

フランえげつない
26.100名前が無い程度の能力削除
やっと時代がナズ魔理に追い付いた!

とても面白かったです。特に本www
30.100ぺ・四潤削除
結構長かったですが、続きが気になってスルスル読んでしまいました。
ナズーリンがクールでカッコいい!
「十六夜咲夜秘蔵自作ポエム集」凄まじいお宝だ! 
実は魔理沙の愛読書なんじゃないのかwww
33.90名前が無い程度の能力削除
相棒という関係は素晴らしいですね。
37.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
40.90名前が無い程度の能力削除
イイ! わくわくさせられた。
42.90喉飴削除
くぁ、ただただ純粋に面白かったです。
魔理沙とナズーリン、良いコンビですね。なんと新しい組み合わせ。二人のやりとりに違和感が無いですし、まさに新境地!
次作も期待しています。
44.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
魔理沙のコレクションおかしいだろwww
49.90名前が無い程度の能力削除
これは面白かった
50.100名前が無い程度の能力削除
これはアリ
61.100名前が無い程度の能力削除
二人ともくーるで熱くてかっちょいい。
66.100名前が無い程度の能力削除
なんだろうこのワクワク感はw
すごく楽しめました!
67.100名前が無い程度の能力削除
迷宮探索ってのはなんともワクワクさせられますね。
最後まで楽しんで読めました。
68.100名前が無い程度の能力削除
インディ・ジョーンズを彷彿とさせる大活劇。
ダンジョンの雰囲気もお見事。
ワクワクとした気持ちで読み進めていくことができましたw
オチもなかなか。
70.100ずわいがに削除
はっはっはっ、まんまと引っかかったなジョーンズくん
君の冒険もこれでおしまいだ 遺跡とともに眠るがいい!
はーっはっは……ん? な、なんだこの光は、ぁ、うぁーっ!

みたいな展開を想像してたけど実際はそれより遥かに面白い展開でした。グゥレイト
73.80名前が無い程度の能力削除
気づきましたか? あなたがすでに相棒という、掛け替えのない宝を手に入れていたことに。

いや面白かった。
本のラインナップがカオスwwさんすうドリルに負ける恋空の価値って一体……。
81.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!上の人も言ってるけど、まるでインディ・ジョーンズのようでした。
魔理沙のキャラやストーリーも魅力的で、最後までわくわくしながら読めました。
久々に何度も読み返したくなる作品に出会えて嬉しいです。
良い物語をありがとう!
82.100名前が無い程度の能力削除
描写も内容も構成も文句なく100点入れさせていただきます。ほんと面白かった!
魔理沙の蒐集スキルが神がかっててワロタ。
どう考えても魔法使いよりトレジャーハンターのが天職だろ。
公式でも草薙の剣とか拾ってくるぐらいだしなぁ

シーフ魔理沙とソナーのナズーリン、この二人の冒険ものをもっと読みたいなあ
85.100名前が無い程度の能力削除
こんなに心踊る話を読んだのは久しぶりです
100.100名前が無い程度の能力削除
すごくよかったよ