レミリア・スカーレットはカツカツと大袈裟に靴音を響かせ、腰に手をやっている。
「――相変わらずカビくさいわね」
ここは彼女の住処である紅魔館の図書館だ――単に図書館といってもここは異常に広い、今彼女がしてるように大仰に靴を鳴らせば「カツーン」と心地よい反響音が返ってくる。
この反響音が鳴らすと元から偉い自分が更に偉くなった気分になる。
そんなわけで図書館を歩き回る時はすっかり癖になっていた。
歩いてる傍の本棚から適当に本を物色してみるが「相変わらずよくわからないわ」と読む仕草も無しに本を戻す。
彼女が図書館で本を読むという習慣は無い。
彼女がここに来る理由はただ一つ――彼女の親友にちょっかいを出すためだ。
しばらくしてレミリアは自分の何十倍も高い本棚の列をぬけて書斎のような一角に出た。
そしてテーブルに座っている自分の親友に言葉を投げる。
「パチェ、まーた本を読んでいるの?」
「悪い?」
親友のパチェ――パチュリー・ノーレッジは本から瞬間も目を離さずにレミリアに応答する。
「暇なのよねー、遊び相手が欲しいのよ」
レミリアはごそごそとカードを取り出すとパチュリーに見せ付けた。
つまり弾幕勝負をしようということだ。
パチュリーは一瞬だけ、ほんの一瞬だけレミリアを見たが――プイとすぐ本に視線を戻した。
「今、いいところだからダメ」
基本的に自分の願望が通らない事には許せない性格のレミリアはバッサリと断られた事に対してわなわなと全身を震わせる。
「ちょっと、即答!? 少し悩むとかないわけ?」
「レミィに隙を見せると面倒くさいから」
取り付かせる島など無いとパチュリーはレミリアの方を頑なに見ようとしない。
「ケチー! 根暗ー!」
「はいはい」
「ひきこもりー、運動不足で太るわよ」
「私は本が読めれば問題ないわ」
腹いせに女の子が反応しそうな悪口を吐いてみるが、パチュリーは動かない。
それはパチュリーが気にしていないというわけではなくて、何度も同じ言葉を言われていてパチュリーが慣れてしまっているから。
「うー! うー! ひまひまひまひまー!」
もう投げる言葉が無くなって遂にレミリアは駄々をこね出す。
どたどたどたーっと手足をばたつかせる彼女を見て「はあ」と嘆息してパチュリーは読み途中の本を閉じた。
幼稚な行動だが彼女は吸血鬼だ、やり続けると下手をすれば幻想郷に地響きぐらい起こしかねない。
「――じゃあ魔法でも覚えてみる?」
「えー?」
レミリアはスッとおとなしくなった、まるで魔法をかけられたように。
「魔法は意志の力に左右される――使い手を選ぶという事はないわ」
いつものジト目で言うパチュリーだったが、流石にレミリアも首をかしげる。
「私を静めようとした虚言――じゃなくて?」
嘘ついたらパチェでもただじゃおかないよ、とレミリアは鋭く彼女を視線で射る。
それでもパチュリーは余裕だ――それは何よりも彼女の言葉が真実だと言う事を証明している。
「随分懐疑的ね……吸血鬼にできないことは無いっていつか言ってなかったかしら?」
パチュリーは口元を軽く上げて問うた。
レミリアはカツンと一歩前に出た――ここで引くという行為は彼女の頭には無い。
「やってやろうじゃない」
「じゃあ少し待ってなさい」
あなたに相応しい魔導書持ってきてあげるわ――とパチュリーはふわふわと図書館の本棚の中へと消えていった。
そして少しして、大事そうに一冊の本を抱えてきた。
「この魔導書開いてみなさい」
「ん」
分厚い本がレミリアの目の前に置かれる。
カバーの鍵の窪みが特徴的なその本はとてつもなく重厚だ。
レミリアが少しだけ緊張して本を開け――すぐに拍子抜けする。
「この本真っ白なんだけど」
馬鹿にされた、とレミリアは直ぐにパチュリーを睨んだが「人の話を最後まで聞きなさい」とペシと頭を軽く叩かれた。
「魔導書はただの本ではないわ……マジックアイテムなの」
「ふぅん? それで?」
パチュリーがわざとらしく指を立てる。
「魔導書というのはおいそれと他人が読まれてはいけない……だから「秘密の鍵」を施すのが一般的なの――勿論私もそうしているのよ」
「秘密の鍵ね……わかったわ!見てなさいよ!」
「あ……ちょっと、レミィ!」
レミリアは本を抱えると翼をはためかせて一目散に図書室を出て行ってしまった。
「人の話は最後まで聞きなさいって数秒前に言ったばかりよ……」
パチュリーはむーと口を尖らせるが「まあ、いいか」と中断していた読書を再開した。
「どのみち、また来るしね」
―――――
レミリアは図書館を出てリビングに行くと、咲夜を呼びつける事にした。
お茶出しなんかはそこらへんで暇そうにしてる妖精メイドに頼むこともあるのだが、彼女が指示しようとしている事は紅魔館自慢のメイドにしか到底出来ない事である。
「咲夜はいるかしら?」
自分以外に誰もいないリビングの虚空に声を投げる――。
「はい、ここに」
するとレミリアの後ろに膝をついた十六夜咲夜が居た。
「今日も来てくれたわね」
「私は紅魔館のメイドである前にお嬢様のメイドですから、お嬢様のお声を逃すわけにはいきません」
時を操るという事は空間を操るという事――咲夜はいつどこで何をしていようとも彼女の傍に居るという事だった。
「さて、紅魔館中の鍵を全部集めてきてくれないかしら」
腰に手をやり、ひざまずく咲夜の方へカリスマたっぷりに振り向く。
はい、とはっきりとした声で応えた後、咲夜は不思議そうに顔を上げた。
「しかし、鍵……ですか?」
「そう、鍵よ。私はこの本に合う鍵を探しているの」
テーブルの上に置いてある魔導書をぽんぽんと叩く。
咲夜は一礼してから本を手に取った。
「これはパチュリー様の魔導書ですね……鍵の窪みがある表紙ですか」
「できるかしら?」
レミリアの問いに、咲夜は口元を上げた。
「可、不可――メイドにはそんなこと関係ありませんわ」
そんな言葉を残して消えた咲夜は十数分で紅魔館の鍵という鍵全てを持ってきたのであった。
―――――
「うー! 表紙の鍵穴にはまる鍵一つもないじゃない!」
数十分間かけて一つずつ鍵をはめ込む作業――最後の鍵がはまらないとわかったとき、ぼりぼりと自慢の水色の髪をかきむしってレミリアは不満を爆発させた。
「咲夜ほんとにこれで全部なんでしょうね!?」
直立不動でレミリアの傍にいた咲夜は残念そうに口を開く。
「申し上げにくいことですが、紅魔館の鍵という鍵は全て持ってきました」
「うー……確かに咲夜の大事そうな何かが入ってる箪笥の鍵もあるしなあ……」
じゃら、とその鍵を握るレミリア。
その音に反応して咲夜の直立不動の姿勢が崩れた、いつもの笑顔も心なしか少し曇りがある。
「お嬢様……失礼ですがどうしてそれをご存知なので?」
「……!?」
レミリアはほんのわずかだけ動揺をみせる。
「……」
咲夜が困った顔をしてレミリアに視線をやっている。
それはどういうことなのかと問いただしたい個人的な気持ちと「目上の人にそんなこと言えるものか」と言うメイドのプライドが衝突した顔。
「――」
「――」
「――まあ、いいわ。咲夜ご苦労だったわ、鍵戻してきて」
レミリアは睨めっこのあげく、権力に物を言わせることにした。
「――――はい、畏まりました」
咲夜は少しばかりの沈黙を守った後、レミリアの命に深々と頭を下げる。
そして何事も無かったかのように彼女が手に持った鍵も含めて鍵を回収した。
「あー、どうするのかしら……ここじゃないどこかにあるっていうことなの?」
レミリアは顎に手をやって思案する。
「もしかしたら――根本的な何かが違うのかもしれません」
「……? 何が違うの?」
「いえ、私は魔女ではありませんので……」
「……もう一度パチェに聞けってこと?」
こくり、咲夜は静かに肯定した。
「うーん……そうね」
レミリアは仕方ないと、再び図書館へと足を運ぶことにした。
――――
「なんですって、秘密の鍵は鍵じゃないの!?」
図書館に戻ったレミリアはパチュリーの口から驚愕の事実を叩きつけられていた。
「そうよ」
「じゃあなによ、この本の表紙は鍵のくぼみはパチュリーのミスリードって事かしら?」
いらついた顔でレミリアは鍵のくぼみを指差す。
パチュリーはレミリアの怒りにもどこ拭く風――視線は手に持った本へ落としたまま答える。
「違うわ、単にそういう柄の本を使ってみたかっただけよ」
「紛らわしい!」
怒りが有頂天に近いレミリアに、パチュリーは嘆息して本を閉じて彼女に向き直る。
パチュリーが親友を見る目は呆れの色が混じっていた。
「言おうと思ったのに……人の話を最後まで聞かないからよ、レミィ」
面と向かって言われて、そういえば去り際に何か声をかけられていたことを思い出した。
内心少しだけバツが悪くなる。
が、勿論パチュリーにはそんな事は言わない。
「――秘密の鍵ってなんなのよ」
パチュリーまたも嘆息。
「それを教えてしまっては私の魔法使いとしての立場もなければ、あなたの暇つぶしにもならない、ないないづくし」
「……」
正論を叩きつけられてレミリアは黙り込んだ。
「――秘密の鍵は記されているものなの、私から言えるのはこれだけね」
「うー、もう少しヒント」
「これでも大ヒントよ、わかったら行きなさい」
相手にしてられないとばかりにまた本に没頭しはじめる七曜の魔女。
実際、それ以上の事は彼女の口から何一つ出てくることはなかった。
――――
「うーん……だめだ、さっぱりわからない」
レミリアは机に頭を突っ伏していた。
いつもしきりなしに羽ばたかせている黒い翼もしなだれていて、完全にノックアウト状態だった。
「暇は潰せるけど、脳も潰れそう……」
ぐでーっと手もぶらつかせて「いっそこのまま不貞寝にしゃれ込もうか」と独りごちた。
「お姉さま?」
そんな時である。
彼女の妹、フランドール・スカーレットが声をかけてきたのは。
「フラン? んー……」
姉がフランドールへ見向きもせずに適当な返事を返すと「もう」と不満そうにフランドールは姉が顔を向けている方へと回った。
そして姉の顔を覗いた所で、フランドールはきょとんとした表情になっていた。
「この世の終わりを見てるような顔をしながら何してるの?」
そんな顔をしてるのか、とレミリアは慌ててに顔を引き締める。
妹とはいえ、腑抜けた顔は見せられない――もっともかなり今更感がするのだが。
「コホン……パチェの魔導書を解読してるところよ」
「わー、楽しそう!」
さっきあれだけ顔を酷評しておきながら何を言い出すのか、とレミリアは内心毒づく。
「……それがそうでもないのよ。秘密の鍵が記されている所を見つけなくちゃいけないんだけど……さっぱりなのよねー」
そこまで言って顔を引き締めているのも限界を超えたのか、バタッと顔をテーブルに埋めた。
というかテーブルにダイブした。
フランドールは「じゃあ私が!」と意気揚揚に魔導書を手にとる。
「…………うーん、真っ白で何もわかんないや」
「でしょ、お手上げよ」
「お姉さまがギブアップなんて珍しいね」
「……うるさいわねえ」
返す言葉も張りが無く、フランドールは「ほんとに疲れてるんだ」と苦笑した。
そしてそのまましばらくの時がすぎると、フランドールから違う笑みがこぼれた。
どうやら何か閃いたらしい。
「お姉さま、それなら私が秘密の鍵こわしてあげようか……?」
「……!」
その言葉にレミリアは体を震わせた。
フランドールはもうすでにやる気十分と、恍惚とした表情で手のひらに自身の力をこめている。
「ほらもう手のひらに浮かび上がった――これを握るだけで……ねえ、どうする?」
ウフフと妖艶に笑う彼女の言葉は正真正銘、悪魔のささやきであった。
レミリアが一つ肯定すれば今までの苦労等など水泡の如くはじけ飛ぶ。
「――」
だが彼女は首を縦に振りはしなかった。
レミリアはイスから立ち上がるとそっとフランドールの手に触れる。
「ダメよ、フラン『目』を戻しなさい」
彼女の手を握り能力を解かせ、腕をおろさせた。
フランドールは姉の言うことを素直に聞いたが、目は「どうして?」と見開いてる。
「吸血鬼であるこの私がそんなセコイ手を使うわけにもいかないでしょ」
達成感もないし、とレミリアは今の体でできる精一杯の笑顔を見せてみた。
不満そうだったフランドールもその笑顔で観念したのだろう、コクリと頷いた。
「しょうがないなあ、読めたら私にも読ましてね、絶対だよ?」
「任せておきなさい、こんなの少し本気を出せばすぐよ」
レミリアは胸の前に拳骨をやって威張ってみせた。
――――
「……あー」
自室の机で開いた魔導書を枕にレミリアは怠惰な時間をすごしていた。
妹のフランドールの前でおおみえを張り、威勢よく数日部屋にこもってみたものの―魔導書は依然として真っ白なままだ。
「うー――どうすればいいのかしら」
そんな時、ノックの音が聞こえた。
コンコン、という軽くて優しい音。
こんなドアを労わるような音を出すのは紅魔館で一人しかいない。
「咲夜?」
「お嬢様失礼します――お茶をお持ちしました」
咲夜はメイド長らしくドアの前でお辞儀するのだが、端からとらえたレミリアの姿を見て咲夜は行儀もへったくれもなく駆け寄った。
「お嬢様大丈夫ですか!? 顔色が悪いですよ?」
「あー――そんなことはないわ」
と、のそりと体を起こしたレミリアの顔は疲労9割で構築されていた。
ちなみに残りの1割は意地。
「今日はお休みになられたほうがよろしいかと――もう日も出るころです」
咲夜の気遣う言葉にレミリアは反発する。
「大丈夫、大丈夫だから」
「ですが――しかし」
「うるさい! 私は大丈夫だといっているだろう!」
咲夜が声をかけながら差し伸べようとしていた手を払い、レミリアは声を張り上げた。
部屋の雰囲気が一瞬、凍りかかった。
しかし咲夜はすぐさま頭を下げてみせる。
「申し訳ありませんでした」
「あ……ッ!」
レミリアの中に自分の過ちが浸透していき、後悔という毒がまわった。
そして咲夜の「申し訳ありません」という言葉がレミリアの心に刺さる。
レミリアは咲夜を直視できずに瞳を揺らす――意地という壁が溶けていくのが自分でもわかった。
「咲夜――ごめんね」
「いえ、私が出過ぎた真似を――失礼いたしました」
もう一度、咲夜は頭を下げた。
どこまでも自分を慈しんでくれる咲夜を見れなくなって、レミリアはついにそっぽを向いてしまった。
「私やっぱり寝る――咲夜、ベッドメイクお願い」
「はい、少々お待ちください」
返事をして頭をあげた咲夜の声色は少しだけ弾んでいた。
(メイド長ベッドメイク中)
瀟洒なベッドメイクが終わると、レミリアと咲夜はベッドに腰掛けていた。
レミリアがずっと胡坐をかいて何か言いたげにしているのをちょこんと足を揃えて咲夜が待つという図式。
それは拗ねている子供の傍にいてあげる母親のようだ。
数分してレミリアが口を開く。
「ねえ、咲夜――」
「……どうしました?」
「魔法ってどうやったら覚えられるのかなー」
「どうでしょう、私は魔法は扱えないので……」
咲夜の「時間を操る能力」は魔法のようだが、魔法ではないまた別のものだ。
魔女でもない人間に、生粋の魔法など当然わかるはずがない。
そうよね、とレミリアは足を伸ばしてベッドに倒れこんだ。
「ここ数日真面目にやってるつもりなんだけどねー」
「――」
咲夜は頭の中でここ数日の行動を思い巡らせていた――。
魔導書を床に叩きつけてみたり、スペカで串刺しにしようとしたり、果てには愚痴を吐いたり。
咲夜は少しだけ苦んだ笑いを浮かべた。
「私って魔法の才能ないのかなあ、もういっそフランに――」
「お嬢様、肩をお揉みいたしましょう」
と、咲夜は突如提案した。
自分の発言を咲夜に遮られる事があまりにも意外で、不平を口にするのも忘れて咲夜の方を向いてしまった。
「え? え? どうしたのいきなり」
「いいですから、背中をお向けになってください」
「う、うん」
レミリアが背中を向けると、咲夜は優しく肩周りを手で揉み始めた。
レミリアの肩はダイヤモンドの様に硬まっていた。
「お嬢様、少しどころではないぐらい肩が凝っておりますよ」
「ん……そうなの? 気づかなかったわ」
「肩の凝りというのは目の不調から来るものです。こんなに凝っていては――たとえお嬢様といえども本来の力を発揮されるのは難しい事でしょう」
「……」
レミリアは何も言葉を返さなかった。
肩もみがよほど気持ちよくて声を上げられなかったのか、それともあえて返さなかったのか――。
代わりにレミリアは自分の体をそっと咲夜に預けた、咲夜はしっかりと受け止めながら丹念に肩もみを続けていくのであった。
――――
「あまり無理をなさらないでくださいね、吸血鬼も体が資本です」
そういって咲夜は最後のひともみに少しだけ力をこめた。
レミリアはふぅーと息を吐くとグルグルと腕をまわして翼をはためかせる――体は軽快だった。
「ありがとう、咲夜」
レミリアの柔らかい笑顔に咲夜も頷いた。
「それとお嬢様――恐れながらではありますが、助言させていただきますと」
「ん?」
「魔導書は読むもので、言葉をぶつけたり、床に叩きつけたりするものではないですよ」
レミリアは「えー」と不服を唱えた。
「真っ白なページ眺めていてもつまんないんだもん」
「それはそうですが、秘密の鍵は記されているものですよね?」
「ページの中から何かするものでは?」という問いかけにレミリアは唸ってしまった。
「あと大事に扱ったほうが後々パチュリー様にも怒られないかと……」
「む――」
パチュリーの世話も咲夜の仕事になっている。
自分が魔導書をぞんざいに扱った事をパチュリーが咲夜に愚痴るのは有り得る、かなり高い確率で。
こうして尽くしてくれるメイドに仕事を増やすのもどうかなと、レミリアは思い直した。
「そうね……そうすることにするわ、私もう少し頑張ってみる」
「お嬢様なら必ずできます」
頷いたレミリアの顔は力強かった。
咲夜は微笑むと「それでは、解読のお邪魔になるので失礼します」とドアへと向かう。
レミリアは背中に声をかけた。
「ありがとう咲夜」
「勿体無いお言葉です」
咲夜は顔だけ振り向いてそういうのであった。
――――
その日もパチュリー・ノーレッジは紅魔館の図書館にいた。
使い魔である小悪魔に本の整理を任せ、自分は咲夜に淹れてもらった紅茶をすすりながら、魔導書に没頭する静かな時間。
ドタドタドタ――
ティーカップの中の紅茶が赤い波を立てた、パチュリーはテーブルにカップを置いた。
「――」
廊下を誰かがものすごい勢いで走っているようだ、この揺れでは掃除の行き届いてない奥の本棚で作業している小悪魔は埃に降られているだろう。
「図書館の近くでは走るな、といつも言ってるのにね……」
ドタドタドタドタドタ――バーン!
図書館の巨大なドアが大きな音を立てて開いた。
「パチュリー・ノーレッジ!!」
「――何かしら? レミリア・スカーレット」
レミリアがパチュリーをパチェと呼ばないときは真面目な時、もしくは――。
怒っているときである。
ドン、ドン、ドンと地鳴りのような足音を響かせてレミリアはパチュリーの元に向かう。
そしてテーブルの上に魔導書をバンと叩きつけた。
「今朝、解読したわ」
「おめでとう」
パチュリーの言葉にレミリアは更にヒートアップする。
「あんた、これっ……! 私が使えないって知ってて渡したわね!」
レミリアが解読した魔導書には『ロイヤルフレア』の術式が載っていた。
小さな太陽を作り出し強烈な光と熱で周囲を焼き払う――数多の精霊魔法の中でも最高位に位置する魔法だ。
「――詠唱しかけて死ぬところだったわ!」
そう「太陽」を作り出すので日の光が弱点のレミリアは唱えられないのだ、唱えた瞬間灰となってこの世からさようなら。
このジレンマから来るレミリアの怒りはまさに太陽のように燃えている。
「それは危ない所だったわね」
「あんた八つ裂きにされたいわけ!?」
レミリアの怒髪天をパチュリーは「まあ、落ち着きなさい」と柳のように受け流した。
「私はあくまで「魔法を覚えてみない?」と言っただけよ、使えるようにするとは言ってない」
「どうしてそういうイジワルするー!?」
何百年も一緒にいる私になんて酷い仕打ち、とレミリアはうなだれた。
「使える魔法覚えさせたらロクな事が起りそうもないから」
何百年も一緒にいるから、とパチュリーは涼しい顔。
あなた迷惑かけずに魔法を使う事が出来る?と、パチュリーは怒れるレミリアを鋭い視線で射抜いた。
「できるわよ!」
「この前みたいに霧の出し方のコツを教えただけでああなっちゃうあなたが……ほんとかしら?」
「うっ」
猜疑の目を真っ直ぐに向けられて、レミリアはそれに真っ直ぐ向くことが出来なかった。
「どうせサイレントセレナなんか覚えさせようものなら『月の光だから~』とか言って面白がって永遠亭にでもぶちこむつもりだったんでしょ」
「うっ――」
図星すぎて、ついにはレミリアは怒りを保てなくなった。
はぁ、とパチュリーは嘆息、そしてジト目。
「また前みたいに調子に乗られたら私も困るんだからね、わかるでしょ?」
「――うー」
レミリアは目じりに涙を溜めてボロを出した事を悔やんだ。
――――
「まあ、暇つぶしにはなったでしょう?」
「……秘密の鍵を解くまでがストレスだった」
その後、少し時間をおいて落ち着いたレミリアとパチュリーは魔導書について言葉をかわしていた。
「魔導書はおいそれと他人に読ませるわけにはいかないって言ったでしょう――読む者は魔導書と向き合うという強い意思を持たねばいけないの」
今の言葉にレミリアは「ふーん、やっぱりね」と己がはじき出していた答えに確信をもったようだ。
「真面目に解こうとする意思が秘密の鍵だったわけね」
パチュリーは口元を上げた。
「ご名答、もう少し悩んでくれるかと思ったけど――」
なかなか早かったわね、とパチュリーは素直にレミリアを賞賛した。
「わかったらちょろいもんよ、この私にできない運命など無いのさ」
パチュリーは一部始終をメイド長から聞いていたのだが「そうね、レミィだもんね」と笑っておいた。
「というわけで」
と、レミリアはパチュリーに向けて手のひらを差し出した。
「ん、なにかしら?」
「だから、次よ、次。次の魔導書を頂戴」
「あら、懲りないのね」
「暇つぶしとしては悪くない、今回は結果が最悪だったけど」
「次も結果は悪いわよ」
パチュリーの言葉に嘘偽りは勿論ない――しかしレミリアは不敵に笑った。
「結果が良くなるまで、パチェの魔法覚え続けてやるわ」
「あのねえ」
「いいから」
「――しかたないわね」
こうなったら長年の親友のパチュリーをもってしても彼女を止めるのは不可能であった。
――――
「あんなに持っていってどうするのかしら……」
両手いっぱいに抱えたばかりに図書館のドアを開けられずに苦心するレミリアを見て、パチュリーはため息をつく。
しょうがないので小さな風を起こしてドアを開けてやるとレミリアに睨まれた。
余計な世話を――ということだろう。
それを見て、更にためいきを重ねた。
「でも、パチュリー様。とても楽しそうなお目をしておられます」
そこへ、本の整理を終えて主人の所へもどってきた小悪魔が開口一番そういった。
彼女の赤い髪はやっぱり埃まみれだった。
「そうかしら?」
「よかったではありませんか」
問いに答えず、小悪魔は図書館を出て行くレミリアの背中を見た。
パチュリーは苦笑し、幼き魔法使いの卵の背中を見た。
「そうね――ちょっと、図書館が賑わうかもしれないわね」
おわり
「――相変わらずカビくさいわね」
ここは彼女の住処である紅魔館の図書館だ――単に図書館といってもここは異常に広い、今彼女がしてるように大仰に靴を鳴らせば「カツーン」と心地よい反響音が返ってくる。
この反響音が鳴らすと元から偉い自分が更に偉くなった気分になる。
そんなわけで図書館を歩き回る時はすっかり癖になっていた。
歩いてる傍の本棚から適当に本を物色してみるが「相変わらずよくわからないわ」と読む仕草も無しに本を戻す。
彼女が図書館で本を読むという習慣は無い。
彼女がここに来る理由はただ一つ――彼女の親友にちょっかいを出すためだ。
しばらくしてレミリアは自分の何十倍も高い本棚の列をぬけて書斎のような一角に出た。
そしてテーブルに座っている自分の親友に言葉を投げる。
「パチェ、まーた本を読んでいるの?」
「悪い?」
親友のパチェ――パチュリー・ノーレッジは本から瞬間も目を離さずにレミリアに応答する。
「暇なのよねー、遊び相手が欲しいのよ」
レミリアはごそごそとカードを取り出すとパチュリーに見せ付けた。
つまり弾幕勝負をしようということだ。
パチュリーは一瞬だけ、ほんの一瞬だけレミリアを見たが――プイとすぐ本に視線を戻した。
「今、いいところだからダメ」
基本的に自分の願望が通らない事には許せない性格のレミリアはバッサリと断られた事に対してわなわなと全身を震わせる。
「ちょっと、即答!? 少し悩むとかないわけ?」
「レミィに隙を見せると面倒くさいから」
取り付かせる島など無いとパチュリーはレミリアの方を頑なに見ようとしない。
「ケチー! 根暗ー!」
「はいはい」
「ひきこもりー、運動不足で太るわよ」
「私は本が読めれば問題ないわ」
腹いせに女の子が反応しそうな悪口を吐いてみるが、パチュリーは動かない。
それはパチュリーが気にしていないというわけではなくて、何度も同じ言葉を言われていてパチュリーが慣れてしまっているから。
「うー! うー! ひまひまひまひまー!」
もう投げる言葉が無くなって遂にレミリアは駄々をこね出す。
どたどたどたーっと手足をばたつかせる彼女を見て「はあ」と嘆息してパチュリーは読み途中の本を閉じた。
幼稚な行動だが彼女は吸血鬼だ、やり続けると下手をすれば幻想郷に地響きぐらい起こしかねない。
「――じゃあ魔法でも覚えてみる?」
「えー?」
レミリアはスッとおとなしくなった、まるで魔法をかけられたように。
「魔法は意志の力に左右される――使い手を選ぶという事はないわ」
いつものジト目で言うパチュリーだったが、流石にレミリアも首をかしげる。
「私を静めようとした虚言――じゃなくて?」
嘘ついたらパチェでもただじゃおかないよ、とレミリアは鋭く彼女を視線で射る。
それでもパチュリーは余裕だ――それは何よりも彼女の言葉が真実だと言う事を証明している。
「随分懐疑的ね……吸血鬼にできないことは無いっていつか言ってなかったかしら?」
パチュリーは口元を軽く上げて問うた。
レミリアはカツンと一歩前に出た――ここで引くという行為は彼女の頭には無い。
「やってやろうじゃない」
「じゃあ少し待ってなさい」
あなたに相応しい魔導書持ってきてあげるわ――とパチュリーはふわふわと図書館の本棚の中へと消えていった。
そして少しして、大事そうに一冊の本を抱えてきた。
「この魔導書開いてみなさい」
「ん」
分厚い本がレミリアの目の前に置かれる。
カバーの鍵の窪みが特徴的なその本はとてつもなく重厚だ。
レミリアが少しだけ緊張して本を開け――すぐに拍子抜けする。
「この本真っ白なんだけど」
馬鹿にされた、とレミリアは直ぐにパチュリーを睨んだが「人の話を最後まで聞きなさい」とペシと頭を軽く叩かれた。
「魔導書はただの本ではないわ……マジックアイテムなの」
「ふぅん? それで?」
パチュリーがわざとらしく指を立てる。
「魔導書というのはおいそれと他人が読まれてはいけない……だから「秘密の鍵」を施すのが一般的なの――勿論私もそうしているのよ」
「秘密の鍵ね……わかったわ!見てなさいよ!」
「あ……ちょっと、レミィ!」
レミリアは本を抱えると翼をはためかせて一目散に図書室を出て行ってしまった。
「人の話は最後まで聞きなさいって数秒前に言ったばかりよ……」
パチュリーはむーと口を尖らせるが「まあ、いいか」と中断していた読書を再開した。
「どのみち、また来るしね」
―――――
レミリアは図書館を出てリビングに行くと、咲夜を呼びつける事にした。
お茶出しなんかはそこらへんで暇そうにしてる妖精メイドに頼むこともあるのだが、彼女が指示しようとしている事は紅魔館自慢のメイドにしか到底出来ない事である。
「咲夜はいるかしら?」
自分以外に誰もいないリビングの虚空に声を投げる――。
「はい、ここに」
するとレミリアの後ろに膝をついた十六夜咲夜が居た。
「今日も来てくれたわね」
「私は紅魔館のメイドである前にお嬢様のメイドですから、お嬢様のお声を逃すわけにはいきません」
時を操るという事は空間を操るという事――咲夜はいつどこで何をしていようとも彼女の傍に居るという事だった。
「さて、紅魔館中の鍵を全部集めてきてくれないかしら」
腰に手をやり、ひざまずく咲夜の方へカリスマたっぷりに振り向く。
はい、とはっきりとした声で応えた後、咲夜は不思議そうに顔を上げた。
「しかし、鍵……ですか?」
「そう、鍵よ。私はこの本に合う鍵を探しているの」
テーブルの上に置いてある魔導書をぽんぽんと叩く。
咲夜は一礼してから本を手に取った。
「これはパチュリー様の魔導書ですね……鍵の窪みがある表紙ですか」
「できるかしら?」
レミリアの問いに、咲夜は口元を上げた。
「可、不可――メイドにはそんなこと関係ありませんわ」
そんな言葉を残して消えた咲夜は十数分で紅魔館の鍵という鍵全てを持ってきたのであった。
―――――
「うー! 表紙の鍵穴にはまる鍵一つもないじゃない!」
数十分間かけて一つずつ鍵をはめ込む作業――最後の鍵がはまらないとわかったとき、ぼりぼりと自慢の水色の髪をかきむしってレミリアは不満を爆発させた。
「咲夜ほんとにこれで全部なんでしょうね!?」
直立不動でレミリアの傍にいた咲夜は残念そうに口を開く。
「申し上げにくいことですが、紅魔館の鍵という鍵は全て持ってきました」
「うー……確かに咲夜の大事そうな何かが入ってる箪笥の鍵もあるしなあ……」
じゃら、とその鍵を握るレミリア。
その音に反応して咲夜の直立不動の姿勢が崩れた、いつもの笑顔も心なしか少し曇りがある。
「お嬢様……失礼ですがどうしてそれをご存知なので?」
「……!?」
レミリアはほんのわずかだけ動揺をみせる。
「……」
咲夜が困った顔をしてレミリアに視線をやっている。
それはどういうことなのかと問いただしたい個人的な気持ちと「目上の人にそんなこと言えるものか」と言うメイドのプライドが衝突した顔。
「――」
「――」
「――まあ、いいわ。咲夜ご苦労だったわ、鍵戻してきて」
レミリアは睨めっこのあげく、権力に物を言わせることにした。
「――――はい、畏まりました」
咲夜は少しばかりの沈黙を守った後、レミリアの命に深々と頭を下げる。
そして何事も無かったかのように彼女が手に持った鍵も含めて鍵を回収した。
「あー、どうするのかしら……ここじゃないどこかにあるっていうことなの?」
レミリアは顎に手をやって思案する。
「もしかしたら――根本的な何かが違うのかもしれません」
「……? 何が違うの?」
「いえ、私は魔女ではありませんので……」
「……もう一度パチェに聞けってこと?」
こくり、咲夜は静かに肯定した。
「うーん……そうね」
レミリアは仕方ないと、再び図書館へと足を運ぶことにした。
――――
「なんですって、秘密の鍵は鍵じゃないの!?」
図書館に戻ったレミリアはパチュリーの口から驚愕の事実を叩きつけられていた。
「そうよ」
「じゃあなによ、この本の表紙は鍵のくぼみはパチュリーのミスリードって事かしら?」
いらついた顔でレミリアは鍵のくぼみを指差す。
パチュリーはレミリアの怒りにもどこ拭く風――視線は手に持った本へ落としたまま答える。
「違うわ、単にそういう柄の本を使ってみたかっただけよ」
「紛らわしい!」
怒りが有頂天に近いレミリアに、パチュリーは嘆息して本を閉じて彼女に向き直る。
パチュリーが親友を見る目は呆れの色が混じっていた。
「言おうと思ったのに……人の話を最後まで聞かないからよ、レミィ」
面と向かって言われて、そういえば去り際に何か声をかけられていたことを思い出した。
内心少しだけバツが悪くなる。
が、勿論パチュリーにはそんな事は言わない。
「――秘密の鍵ってなんなのよ」
パチュリーまたも嘆息。
「それを教えてしまっては私の魔法使いとしての立場もなければ、あなたの暇つぶしにもならない、ないないづくし」
「……」
正論を叩きつけられてレミリアは黙り込んだ。
「――秘密の鍵は記されているものなの、私から言えるのはこれだけね」
「うー、もう少しヒント」
「これでも大ヒントよ、わかったら行きなさい」
相手にしてられないとばかりにまた本に没頭しはじめる七曜の魔女。
実際、それ以上の事は彼女の口から何一つ出てくることはなかった。
――――
「うーん……だめだ、さっぱりわからない」
レミリアは机に頭を突っ伏していた。
いつもしきりなしに羽ばたかせている黒い翼もしなだれていて、完全にノックアウト状態だった。
「暇は潰せるけど、脳も潰れそう……」
ぐでーっと手もぶらつかせて「いっそこのまま不貞寝にしゃれ込もうか」と独りごちた。
「お姉さま?」
そんな時である。
彼女の妹、フランドール・スカーレットが声をかけてきたのは。
「フラン? んー……」
姉がフランドールへ見向きもせずに適当な返事を返すと「もう」と不満そうにフランドールは姉が顔を向けている方へと回った。
そして姉の顔を覗いた所で、フランドールはきょとんとした表情になっていた。
「この世の終わりを見てるような顔をしながら何してるの?」
そんな顔をしてるのか、とレミリアは慌ててに顔を引き締める。
妹とはいえ、腑抜けた顔は見せられない――もっともかなり今更感がするのだが。
「コホン……パチェの魔導書を解読してるところよ」
「わー、楽しそう!」
さっきあれだけ顔を酷評しておきながら何を言い出すのか、とレミリアは内心毒づく。
「……それがそうでもないのよ。秘密の鍵が記されている所を見つけなくちゃいけないんだけど……さっぱりなのよねー」
そこまで言って顔を引き締めているのも限界を超えたのか、バタッと顔をテーブルに埋めた。
というかテーブルにダイブした。
フランドールは「じゃあ私が!」と意気揚揚に魔導書を手にとる。
「…………うーん、真っ白で何もわかんないや」
「でしょ、お手上げよ」
「お姉さまがギブアップなんて珍しいね」
「……うるさいわねえ」
返す言葉も張りが無く、フランドールは「ほんとに疲れてるんだ」と苦笑した。
そしてそのまましばらくの時がすぎると、フランドールから違う笑みがこぼれた。
どうやら何か閃いたらしい。
「お姉さま、それなら私が秘密の鍵こわしてあげようか……?」
「……!」
その言葉にレミリアは体を震わせた。
フランドールはもうすでにやる気十分と、恍惚とした表情で手のひらに自身の力をこめている。
「ほらもう手のひらに浮かび上がった――これを握るだけで……ねえ、どうする?」
ウフフと妖艶に笑う彼女の言葉は正真正銘、悪魔のささやきであった。
レミリアが一つ肯定すれば今までの苦労等など水泡の如くはじけ飛ぶ。
「――」
だが彼女は首を縦に振りはしなかった。
レミリアはイスから立ち上がるとそっとフランドールの手に触れる。
「ダメよ、フラン『目』を戻しなさい」
彼女の手を握り能力を解かせ、腕をおろさせた。
フランドールは姉の言うことを素直に聞いたが、目は「どうして?」と見開いてる。
「吸血鬼であるこの私がそんなセコイ手を使うわけにもいかないでしょ」
達成感もないし、とレミリアは今の体でできる精一杯の笑顔を見せてみた。
不満そうだったフランドールもその笑顔で観念したのだろう、コクリと頷いた。
「しょうがないなあ、読めたら私にも読ましてね、絶対だよ?」
「任せておきなさい、こんなの少し本気を出せばすぐよ」
レミリアは胸の前に拳骨をやって威張ってみせた。
――――
「……あー」
自室の机で開いた魔導書を枕にレミリアは怠惰な時間をすごしていた。
妹のフランドールの前でおおみえを張り、威勢よく数日部屋にこもってみたものの―魔導書は依然として真っ白なままだ。
「うー――どうすればいいのかしら」
そんな時、ノックの音が聞こえた。
コンコン、という軽くて優しい音。
こんなドアを労わるような音を出すのは紅魔館で一人しかいない。
「咲夜?」
「お嬢様失礼します――お茶をお持ちしました」
咲夜はメイド長らしくドアの前でお辞儀するのだが、端からとらえたレミリアの姿を見て咲夜は行儀もへったくれもなく駆け寄った。
「お嬢様大丈夫ですか!? 顔色が悪いですよ?」
「あー――そんなことはないわ」
と、のそりと体を起こしたレミリアの顔は疲労9割で構築されていた。
ちなみに残りの1割は意地。
「今日はお休みになられたほうがよろしいかと――もう日も出るころです」
咲夜の気遣う言葉にレミリアは反発する。
「大丈夫、大丈夫だから」
「ですが――しかし」
「うるさい! 私は大丈夫だといっているだろう!」
咲夜が声をかけながら差し伸べようとしていた手を払い、レミリアは声を張り上げた。
部屋の雰囲気が一瞬、凍りかかった。
しかし咲夜はすぐさま頭を下げてみせる。
「申し訳ありませんでした」
「あ……ッ!」
レミリアの中に自分の過ちが浸透していき、後悔という毒がまわった。
そして咲夜の「申し訳ありません」という言葉がレミリアの心に刺さる。
レミリアは咲夜を直視できずに瞳を揺らす――意地という壁が溶けていくのが自分でもわかった。
「咲夜――ごめんね」
「いえ、私が出過ぎた真似を――失礼いたしました」
もう一度、咲夜は頭を下げた。
どこまでも自分を慈しんでくれる咲夜を見れなくなって、レミリアはついにそっぽを向いてしまった。
「私やっぱり寝る――咲夜、ベッドメイクお願い」
「はい、少々お待ちください」
返事をして頭をあげた咲夜の声色は少しだけ弾んでいた。
(メイド長ベッドメイク中)
瀟洒なベッドメイクが終わると、レミリアと咲夜はベッドに腰掛けていた。
レミリアがずっと胡坐をかいて何か言いたげにしているのをちょこんと足を揃えて咲夜が待つという図式。
それは拗ねている子供の傍にいてあげる母親のようだ。
数分してレミリアが口を開く。
「ねえ、咲夜――」
「……どうしました?」
「魔法ってどうやったら覚えられるのかなー」
「どうでしょう、私は魔法は扱えないので……」
咲夜の「時間を操る能力」は魔法のようだが、魔法ではないまた別のものだ。
魔女でもない人間に、生粋の魔法など当然わかるはずがない。
そうよね、とレミリアは足を伸ばしてベッドに倒れこんだ。
「ここ数日真面目にやってるつもりなんだけどねー」
「――」
咲夜は頭の中でここ数日の行動を思い巡らせていた――。
魔導書を床に叩きつけてみたり、スペカで串刺しにしようとしたり、果てには愚痴を吐いたり。
咲夜は少しだけ苦んだ笑いを浮かべた。
「私って魔法の才能ないのかなあ、もういっそフランに――」
「お嬢様、肩をお揉みいたしましょう」
と、咲夜は突如提案した。
自分の発言を咲夜に遮られる事があまりにも意外で、不平を口にするのも忘れて咲夜の方を向いてしまった。
「え? え? どうしたのいきなり」
「いいですから、背中をお向けになってください」
「う、うん」
レミリアが背中を向けると、咲夜は優しく肩周りを手で揉み始めた。
レミリアの肩はダイヤモンドの様に硬まっていた。
「お嬢様、少しどころではないぐらい肩が凝っておりますよ」
「ん……そうなの? 気づかなかったわ」
「肩の凝りというのは目の不調から来るものです。こんなに凝っていては――たとえお嬢様といえども本来の力を発揮されるのは難しい事でしょう」
「……」
レミリアは何も言葉を返さなかった。
肩もみがよほど気持ちよくて声を上げられなかったのか、それともあえて返さなかったのか――。
代わりにレミリアは自分の体をそっと咲夜に預けた、咲夜はしっかりと受け止めながら丹念に肩もみを続けていくのであった。
――――
「あまり無理をなさらないでくださいね、吸血鬼も体が資本です」
そういって咲夜は最後のひともみに少しだけ力をこめた。
レミリアはふぅーと息を吐くとグルグルと腕をまわして翼をはためかせる――体は軽快だった。
「ありがとう、咲夜」
レミリアの柔らかい笑顔に咲夜も頷いた。
「それとお嬢様――恐れながらではありますが、助言させていただきますと」
「ん?」
「魔導書は読むもので、言葉をぶつけたり、床に叩きつけたりするものではないですよ」
レミリアは「えー」と不服を唱えた。
「真っ白なページ眺めていてもつまんないんだもん」
「それはそうですが、秘密の鍵は記されているものですよね?」
「ページの中から何かするものでは?」という問いかけにレミリアは唸ってしまった。
「あと大事に扱ったほうが後々パチュリー様にも怒られないかと……」
「む――」
パチュリーの世話も咲夜の仕事になっている。
自分が魔導書をぞんざいに扱った事をパチュリーが咲夜に愚痴るのは有り得る、かなり高い確率で。
こうして尽くしてくれるメイドに仕事を増やすのもどうかなと、レミリアは思い直した。
「そうね……そうすることにするわ、私もう少し頑張ってみる」
「お嬢様なら必ずできます」
頷いたレミリアの顔は力強かった。
咲夜は微笑むと「それでは、解読のお邪魔になるので失礼します」とドアへと向かう。
レミリアは背中に声をかけた。
「ありがとう咲夜」
「勿体無いお言葉です」
咲夜は顔だけ振り向いてそういうのであった。
――――
その日もパチュリー・ノーレッジは紅魔館の図書館にいた。
使い魔である小悪魔に本の整理を任せ、自分は咲夜に淹れてもらった紅茶をすすりながら、魔導書に没頭する静かな時間。
ドタドタドタ――
ティーカップの中の紅茶が赤い波を立てた、パチュリーはテーブルにカップを置いた。
「――」
廊下を誰かがものすごい勢いで走っているようだ、この揺れでは掃除の行き届いてない奥の本棚で作業している小悪魔は埃に降られているだろう。
「図書館の近くでは走るな、といつも言ってるのにね……」
ドタドタドタドタドタ――バーン!
図書館の巨大なドアが大きな音を立てて開いた。
「パチュリー・ノーレッジ!!」
「――何かしら? レミリア・スカーレット」
レミリアがパチュリーをパチェと呼ばないときは真面目な時、もしくは――。
怒っているときである。
ドン、ドン、ドンと地鳴りのような足音を響かせてレミリアはパチュリーの元に向かう。
そしてテーブルの上に魔導書をバンと叩きつけた。
「今朝、解読したわ」
「おめでとう」
パチュリーの言葉にレミリアは更にヒートアップする。
「あんた、これっ……! 私が使えないって知ってて渡したわね!」
レミリアが解読した魔導書には『ロイヤルフレア』の術式が載っていた。
小さな太陽を作り出し強烈な光と熱で周囲を焼き払う――数多の精霊魔法の中でも最高位に位置する魔法だ。
「――詠唱しかけて死ぬところだったわ!」
そう「太陽」を作り出すので日の光が弱点のレミリアは唱えられないのだ、唱えた瞬間灰となってこの世からさようなら。
このジレンマから来るレミリアの怒りはまさに太陽のように燃えている。
「それは危ない所だったわね」
「あんた八つ裂きにされたいわけ!?」
レミリアの怒髪天をパチュリーは「まあ、落ち着きなさい」と柳のように受け流した。
「私はあくまで「魔法を覚えてみない?」と言っただけよ、使えるようにするとは言ってない」
「どうしてそういうイジワルするー!?」
何百年も一緒にいる私になんて酷い仕打ち、とレミリアはうなだれた。
「使える魔法覚えさせたらロクな事が起りそうもないから」
何百年も一緒にいるから、とパチュリーは涼しい顔。
あなた迷惑かけずに魔法を使う事が出来る?と、パチュリーは怒れるレミリアを鋭い視線で射抜いた。
「できるわよ!」
「この前みたいに霧の出し方のコツを教えただけでああなっちゃうあなたが……ほんとかしら?」
「うっ」
猜疑の目を真っ直ぐに向けられて、レミリアはそれに真っ直ぐ向くことが出来なかった。
「どうせサイレントセレナなんか覚えさせようものなら『月の光だから~』とか言って面白がって永遠亭にでもぶちこむつもりだったんでしょ」
「うっ――」
図星すぎて、ついにはレミリアは怒りを保てなくなった。
はぁ、とパチュリーは嘆息、そしてジト目。
「また前みたいに調子に乗られたら私も困るんだからね、わかるでしょ?」
「――うー」
レミリアは目じりに涙を溜めてボロを出した事を悔やんだ。
――――
「まあ、暇つぶしにはなったでしょう?」
「……秘密の鍵を解くまでがストレスだった」
その後、少し時間をおいて落ち着いたレミリアとパチュリーは魔導書について言葉をかわしていた。
「魔導書はおいそれと他人に読ませるわけにはいかないって言ったでしょう――読む者は魔導書と向き合うという強い意思を持たねばいけないの」
今の言葉にレミリアは「ふーん、やっぱりね」と己がはじき出していた答えに確信をもったようだ。
「真面目に解こうとする意思が秘密の鍵だったわけね」
パチュリーは口元を上げた。
「ご名答、もう少し悩んでくれるかと思ったけど――」
なかなか早かったわね、とパチュリーは素直にレミリアを賞賛した。
「わかったらちょろいもんよ、この私にできない運命など無いのさ」
パチュリーは一部始終をメイド長から聞いていたのだが「そうね、レミィだもんね」と笑っておいた。
「というわけで」
と、レミリアはパチュリーに向けて手のひらを差し出した。
「ん、なにかしら?」
「だから、次よ、次。次の魔導書を頂戴」
「あら、懲りないのね」
「暇つぶしとしては悪くない、今回は結果が最悪だったけど」
「次も結果は悪いわよ」
パチュリーの言葉に嘘偽りは勿論ない――しかしレミリアは不敵に笑った。
「結果が良くなるまで、パチェの魔法覚え続けてやるわ」
「あのねえ」
「いいから」
「――しかたないわね」
こうなったら長年の親友のパチュリーをもってしても彼女を止めるのは不可能であった。
――――
「あんなに持っていってどうするのかしら……」
両手いっぱいに抱えたばかりに図書館のドアを開けられずに苦心するレミリアを見て、パチュリーはため息をつく。
しょうがないので小さな風を起こしてドアを開けてやるとレミリアに睨まれた。
余計な世話を――ということだろう。
それを見て、更にためいきを重ねた。
「でも、パチュリー様。とても楽しそうなお目をしておられます」
そこへ、本の整理を終えて主人の所へもどってきた小悪魔が開口一番そういった。
彼女の赤い髪はやっぱり埃まみれだった。
「そうかしら?」
「よかったではありませんか」
問いに答えず、小悪魔は図書館を出て行くレミリアの背中を見た。
パチュリーは苦笑し、幼き魔法使いの卵の背中を見た。
「そうね――ちょっと、図書館が賑わうかもしれないわね」
おわり
彼女たちの空間が話のテンポのなかではずんでいるようでした。
ありがとうございました。
それぞれのキャラらしさが上手く描かれていたと思います
文章も読みやすかったです
咲夜の言葉や気遣いなど面白いお話でした。
レミパチュの時代が今、始まる
>何百年も一緒にいる私に~
パッチェさんの年齢は100歳前後だと考えると、この表現は不自然かも?と思いました
至らないところをなおして、普通のほのぼのとしたものを書いていければと思います。
>>41さん
単純に設定の確認のし忘れでしたw
求聞史紀では100年以上ということで確かにそこらへんかもしれません。ご指摘ありがとうございました。
ひきりなしかな?
レミリアは灰化ではなく気化
良い紅魔館コメディでした