服屋の娘が死んだ。
くだらない事故で、あっけなく死んだ。
あまりにも突然で、あまりにも早すぎる死だった。
斎場に斎主として博麗霊夢が現れたとき、参列していた人々は目を疑った。
彼女は私服だった。いつもの巫女服だったという意味ではない。
洋服だった。
黒いフレアスカートと、首元に赤いリボンのついたブラウスを着ていた。きっと前もって言われなければ、博麗霊夢とすらわかるまい。
「ご無礼をお許しください。彼女が私に贈ってくれた服なのです」
霊夢の言葉に、誰も何も言えなくなった。そこには、博麗の巫女からそんな言葉を聞いたことで度肝を抜かれたという側面も多分に含まれているだろう。
事実、霊夢自身も改まった言葉が口をついて出たことに驚いていた。
「……きっと喜ぶでしょう」
服屋の店主がそう言って、そうして霊夢はこの場に容認された。最も、容認されるされないの心配は霊夢自身としてはまったくしていない。この格好で来たほうがいいような気がしたから、そうした。
きっと、それが正解なのだろう。
実際、喪服でない参列者もちらほらと見受けられた。
服を仕立てるのが大好きな娘だった。
たわいもない話をしながら、その人に似合う服はどんなだろうかと思案するのが何よりも大好きな娘であった。
*
「こ、こんにちはです、巫女様っ!」
霊夢が彼女と知り合ったのは、二年ほど前。人里に食料の買出しに出かけた折のこと。
そんな畏れと緊張がいっぱいの声で、その少女は声をかけてきた。肩の辺りまで伸ばした黒髪が印象的で、服のことは気に留めなかった。
中華と洋服を折衷したようなその服は見た目には印象的だった。後に改めて意識したとき、それは雰囲気が溶け混ざるかのように、まったく違和感なく彼女に『似合っていた』のだと知った。
「……何?」
霊夢は首をかしげて立ち止まった。博麗の巫女たる自分に挨拶してくる人間は数多い。
だが、この少女は何かそれに続く言葉を持っているように思えた。
それを待っていると、少女が意を決したように話し出す。
「え、ええと……巫女様は、いつもその巫女服なのでしょうか!?」
「……は?」
質問の意図が図りかねた。
だが、質問の意味はわかる。とりあえず答えるという行動をとることは不可能なことではなかった。
「いや、さすがに寝るときは着替えるわよ?」
「お……おおう……」
霊夢を驚かせる質問をした少女も、また霊夢から帰ってきた返答を聞いて驚いていた。
さもありなん。それだけに少女二人の価値観が違い、少女二人の住む世界が違っていたということ。
「……ちなみに、巫女服は何着お持ちなのでしょうか?」
「二十七着」
少女の戦慄が見て取れた。
「ふ、服をっ……」
「え?」
苦悶の表情をたたえて、搾り出すように吐き出されんとされる言葉。霊夢はそれに耳を傾けた。
「服を受け取っていただけませんかっ……!?」
突然の申し出だった。
穏やかな顔立ちに浮かぶ鬼気迫る表情に、博麗霊夢はいささか気圧される。
さもありなん。常日頃妖怪たちと本気のお遊びたる弾幕ごっこを繰り広げ、また神威を借りるべくのんべんだらりと修行に明け暮れる博麗の巫女にとって、『人間の本気』を向けられる機会などそうそうないのだ。
霊夢には霊夢の世界があり、少女には少女の世界がある。少女にとってその世界の存亡を賭けていると言っても差し支えないくらいの、それは本気の一言だった。
「私、そこの服屋の娘なんです! 巫女様が通りかかるたびに、巫女様に似合う服を夢想しておりました!」
有り体に言えば、その娘は変人であった。
故に意志が強く、故に世界も強い。
「こ、こら、何をやっているんだ!」
服屋から、慌てて店主――父親と思しき人物が走り出てくる。
「申し訳ありません! うちの娘が失礼を!」
「失礼を承知で申し上げておりますっ!」
霊夢はただ驚いていた。目をぱちくりとさせるほどには驚いていた。
だが、そこは博麗霊夢。すぐに自分を持ち直し、事態を動かす言葉を紡ぐ。
「いえ、ありがたく受け取るわ」
その言葉に、父親が驚き、少女はぱっと華やいだ笑顔を見せた。
「ありがとうございます! 少々お待ちを巫女様! すぐに用意して参りますから!」
言ってすぐにターンして走り出そうとする少女に、霊夢は首肯する。
「うん。それと、別に霊夢って呼んでくれていいわよ。そんな畏まられるの好きじゃないし」
その言葉に、今度は少女が目をぱちくりとさせた。
まるでその意味をまぶたで咀嚼しようとするかのごとく。
そしてその意味を完全に嚥下し終えたときに、少女は実に色々な表情を浮かべた。花々がやたらと無駄に咲き乱れているかのようだった。
要するに、舞い上がっていた。
「わ、わかりました霊夢さん! すぐ取ってまいります!」
土煙すら巻き上げそうな勢いで、少女は店へと引っ込んでいく。物静かなように見えて騒がしい娘だった。
「すみません、娘のわがままを聞いていただいて」
店主が、すまなさそうに頭をかく。霊夢は鷹揚に手を振った。
「そっちこそいいの? なんかお金払わなくていい雰囲気だけど」
博麗霊夢の全然心配そうでない心配に、店主は
「まぁ、娘へのこづかいのようなものですな。普段よく働いてくれてはいますし」
と言って苦笑していた。
「ふぅん」
博麗霊夢が少女の申し出を了承したのは、タダで物が手に入るから……というのも多分にはあるが。
芯の部分は、いわゆる『賛辞』であった。
拙いながらも自分の世界を背負って本気の言葉をかけてきたことに対する賛辞。霊夢もそういう態度は嫌いではなかった。
いつも回りくどい妖怪の言葉ばかり聞いているから、なおさらである。
そうして、ほどなく娘が戻って来、霊夢は袋入りの一着の服を手に入れた。
「お気に召したら、どうぞ次に里に来るときにお召しになってきてくださいね」
念を押すように繰り返す少女に、霊夢は「だから普通でいーってば」と呆れたように言うのだった。
服を変えるなどということは、普段あまり意識に上らないことであった。
服とはその機能を遂行するべきカタチ。つまりはその場に適した服装をしていればよいというのが霊夢の考えだった。
自分は常に博麗の巫女である。
だから、お風呂に入るときと寝るとき以外は巫女服であるのが当然だった。
博麗霊夢は服屋の少女より贈られた、その服を、壁にかけてしげしげと眺めていた。
黒いフレアスカートと、首元に赤いリボンのついたブラウス。
それは誰がどう見ても押しも押されもせぬ『洋服』であった。
『霊夢さんになら洋服が似合うはずなのです! 今の巫女服も洋服の意匠が取り入れられていますし。そしてデザインはシンプルな方が、地味といえるくらいシンプルな方がちょうど良いと思います。通り過ぎてからフッと振り向くような存在感、これですよ!』
熱っぽく語っていた少女の言葉が脳裏に蘇る。あまりにも熱かったので話半分に聞き流していたつもりだが、あまりにも熱かったのでどうにも焼きついているらしい。
霊夢はかぶりを振った。
厄介なものをつかまされたな、という意識もあった。が、この服をわくわくとして見つめている自分もまた、感じる。
博麗霊夢も女であった。
「ま、着ていきましょう。今度人里に行くときに、ね」
わざわざ理由付けをする気も起こらなかった。せっかくだからで事足りる。
当たり前だ。彼女を縛るものは特には何もない。自分の外には何もない。何にも縛られず自由に空を飛ぶ素敵な巫女。
それが博麗霊夢だった。
そのはずであった。
いつもと違う服装をまとって里にやってくる。それだけなのに意識するとなんだかわくわくするように感じられる。
当たり前のことではあった。そう、想像だけで言ってしまえる程度の感覚。
だが、地に足をつけて歩いた途端に、異様なまでの実感が、霊夢の体に吹き付けた。
馴染む。
馴染むのだ。
服が、ではない。
自分が服を介して、その空間に馴染んでいくのがわかる。
もっともそれは、いつも巫女服で闊歩していた霊夢だからこそ感じた強烈な思いではあった。
少女の思惑は見事なまでに的中し、誰も霊夢を巫女だと認識しない。全ての流れが違う。
たまに振り向いていく人がいても、その視線は博麗の巫女に対するそれではない。彼女が巫女だと気づいたわけでもなく、純粋に振り返っただけなのである。
その感覚が面白く、霊夢はいたずらをしている子供のように笑っていた。
巫女服という色眼鏡をはずした里の姿。
何もかもが素直に通り過ぎていく、彼女にとって非日常であるこの感覚は、まさに秘密の場所を発見したかのような心持ちだった。
「あ! 霊夢さん!」
ふと、聞き覚えのある声に呼び止められる。やや熱を含んだその声色、聞き間違いようもなかった。
「あら、こんにちは」
上機嫌で霊夢は挨拶する。自分が今纏っている服の元・ご主人様に。
「着てきてくださったんですね! 感激です!」
相変わらず丁寧でありながら威勢のいい娘だった。
その変わらなさに霊夢は幾ばくかの安心を覚える。
「うん、なかなかいいわね、この服」
素直に褒めると、少女は頬を染めてはにかんだ。
「えへへ~、そうでしょう? 絶対似合うって思ったんですもん」
そこに見える確かな自信。
強いなぁ、と霊夢は少し感心した。彼女は自分の世界を持っているし、それを背負うことも、実現させる事だってできる。立派な人間だと思った。
「あー、ええーーっと……」
だが不意に、少女は言葉を濁し始める。また何か言いたいことがあるものだと思い、霊夢が続きを促したところ、飛んできたのは以下のような台詞であった。
「霊夢さん、お時間ありますか? よろしければ一緒にお茶でもしませんか? おいしい甘味屋さんがあるんですよー」
「へ?」
いきなりのお誘いに霊夢は面食らった。
だが、それは今日、霊夢がこの服を着てきたのと同じこと。
別に彼女は服に人生の全てを捧げきっているわけでもなく、やはり一人の女の子であるということだった。
そうして少女と過ごした時間は、霊夢にとって気分の悪いものではなかった。
そういう店に誰かと行くのも珍しかったし、そういう服で行くのももちろん初めてであった。
だが、何より少女と話すのが存外に楽しかった。
それから、霊夢が里に行くと、決まって少女が現れた。
甘味処に行くこともあったし、少女の家で服を見せてもらうこともあった。
毎度毎度買ったわけではないが、霊夢の部屋に少しずつ衣服が増えていった。服を変えるというだけで、新鮮な気持ちになることができるのが楽しかった。
新鮮な気持ちといえば、少女との会話もそうだった。
霊夢が少女にする話も、少女が霊夢にする話も、お互いにとってそれぞれ新鮮なことだった。
少女がするのは服の話ばかりではなかった。
口喧嘩をしたという話もあれば、友達が出来たという話もあり、惚れた腫れたの話もあった。
全力で、青春を生きていた。
霊夢は別段そのことをうらやましく思うことはなかった。霊夢には霊夢の確固とした世界がある。誰にも侵略されることのない素敵な世界が。
ただ、その話は新鮮だった。
彼女の話に自分を重ね合わせて、もしもの自分を想像することは楽しかった。彼女を慰めたり励ましたりからかったり、時には意見を戦わせるのも楽しかった。
服を見ることも好きになった。
彼女の薀蓄を聞きながら、色々な服を眺めるのは心が躍った。
少女の服作りを見学したり、時には自分の意見を取り入れてもらったこともあった。
そうして二人で作った新しい服で、里を一緒に歩くのは格別だった。
少女は、魔理沙らとは違う分野でのとても良い友人だった。
いや、友人のように振舞うときもあれば妹のように慕ってき、時には姉のように教え導こうとがんばるような、そんな少女であった。
霊夢は、少女を通して青春を見た。
少女は、霊夢の青春そのものだった。
服屋の娘が死んだ。
その知らせが届いたとき、霊夢は驚いた。
少なくともお気に入りの茶碗を落として割ってしまうくらいには、驚いた。
「……そう」
出てきた言葉は、存外に素っ気無いものではあった。
それが彼女にとれる、精一杯のバランスだったのかもしれない。
*
故人の略歴を読み上げる祭詞の奏上を終えて、霊夢は懐かしい世界から帰ってきた。
目の前には現実がある。昨晩に納棺を行ったときのことを思い出す。
なんでもないような顔をしていた。
亡霊にでもなって白玉楼あたりで幽々子に服を勧めてるんじゃあるまいかと思うくらい、なんでもないような顔だった。
そんなことを思いながら、霊夢は斎主としては不可思議なその格好で、粛々と葬式を進めていった。
参列者が玉串をささげる段になり、霊夢は参列者に見知った顔を見つけた。
「……早苗?」
「どうも、霊夢さん……」
山の上にある守矢神社の巫女、東風谷早苗。見れば、彼女もいつもの服ではなく、洋服を着ていた。
臙脂のシャツに花の意匠が施されたジャンパースカート。決して主張しすぎぬように静かに可愛らしさを主張するフリルやリボンは、実にあの娘らしいと思える代物だった。
「なんだ、あんたも客だったのね」
意外そうに言う霊夢に、早苗は苦笑するような力のない笑みを返す。
「はい、まだ二、三度しか行ったことなかったんですけどね。私が外で欲しかった服の話をしたら、なんと作ってくださいまして……」
「あの子らしい」
早苗の話を聞いて、外の服の話に目を輝かせる少女をありありと思い浮かべ、霊夢は笑った。
そんな素朴な笑いを、早苗は初めて見た気がした。
つつがなく葬儀が終わり、棺桶が運び出されていく。
霊夢は早苗と並んで、それを見送っていた。
「よかったんですか?」
早苗が訊く。何が、とはいわない。巫女として言ってはならないということは重々承知していたが、何か聞かずにいられなかった。
博麗の巫女の胸中は窺い知れないから。
「ん、友人なら、なおさらしっかりと送ってあげないとね。ちゃんと船には乗れるかしら。サボリの死神に当たらなければよいのだけれど」
いつになく多弁だった。
霊夢は、決して少女に執着しているわけではない。博麗の巫女は何にも縛られない。
だが、博麗の巫女という縛りからもある種自分を解き放ったあの少女は、やはりちょっとだけ特別だった。
「やっぱり、寂しいですか」
「……うん」
素直に、心から素直に頷く。
かつてこの服が、この服を通して彼女が教えてくれたように、素直に。
教えてくれたことは、それだけではない。
本当に色々なことを教えてくれたあの少女に、一緒に青春を駆けたあの少女に、ありったけの惜別の念を込めて――
「……もう少し生きてくれてたって、よかったのにね」
博麗霊夢は、拗ねたように呟いた。
それは、彼女が出来る精一杯の甘えだった。
幻想服屋が死んだ。
『博麗の巫女』という存在をちょっとだけ打ち負かした、ただ一人の人間だった。
ただ、娘さんが死ぬ意義がちょっと見出せませんでした。
べつに死ななくてもこのお話しのテーマは表現できたんじゃないかなー、とか個人的には思いました。
お話、とても良かったです。ありがとうございました。
最後霊夢のセリフにちょっと萌えた
普通の少女と同じように出会いがあり、別れがある。
このお話を読んで初めて、そんな当たり前のことに気づきました。
ありがとうございました。
ああ、これが霊夢の素の姿なんだろうな、って。
早苗との会話で呟いた言葉や最後の文章なども良いものでした。
悲しさだけではない寂しさが伝わってくるよいお話、ありがとうございました
個人的にこの話にはこの言葉が一番合う気がした。
私の想う幻想郷にかなり近かったです。
短くとも精一杯生きた人生だったのでしょう。奇をてらったわけでもない、幻想郷住民の一面が垣間見れてよかったです。
霊夢も一人の人間だということがよく分かりました。
満足感はありましたが、展開に目立った部分がなく、良くも悪くもタイトル通りの展開だと感じました。美しい小箱のような、端的な作品だと思います。