その日はあまりにも平和だった。日差しも暖かくて、日向で昼寝でもしたらまず間違いなく良い夢がみれるだろうと思うぐらいの、平和な日。
それなのに。
「椛。もーみーじー。ちょっとこっちに来なさい」
彼女――犬走 椛の上司が少し不機嫌そうな声で呼んでいる。
一体何だというのだろう。今日は平和で何も起こりそうにないから、滝の裏で河童のにとりと将棋でも打とうと思ったのに。
椛はそんなことを思いながら、上司の下へと急ぐ。
「文様、お呼びですか?」
「えぇ、緊急事態発生よ」
「き、緊急事態、ですか……?」
こんな平和な日に?
「何があったのでしょうか?」
「……ネタがないのよ」
「はい?」
「記事になるようなネタがないのよ、平和過ぎて。このままじゃ文々。新聞が発行できないわ。まさにピンチってやつね」
「はぁ……」
椛の上司――射命丸 文は新聞記者である。彼女は日々新聞のネタを激写するべく、幻想郷中を文字通り飛び回っている。
「でしたら前にもあったような……妖精が大ガマに食べられそうになった……というのと同じようなネタを記事にすればよいのでは?」
「ううん、ダメ。本当に嫌になるくらい何も起きてないのよ」
はぁ……と、射命丸にしては珍しくため息なんてついている。
別に事件がないのは平和の証なのだし、それはそれでいいのではないかと椛は思うのだが、射命丸は上司なので何も言わないでおく。
「そこで椛」
「はい」
「ネタを探してきなさい」
「はい!?」
「あなた、千里先まで見える目を持ってるんでしょ? だったら幻想郷中のどんなに小さなネタも見逃さないでしょ? 適任じゃない」
「むむむ無理ですよ! 私どんなものがネタになるのかもよく分からないですし」
「そんなの、派手だったりすればなんでもいいのよ。ネタになればなんでもオッケー」
「で、でも……」
「『でも』は禁止。これは上司としての命令よ。さ、行ってきなさい」
「……行ってまいります……」
――こうして強引にネタ集めの仕事を押しつけられ、椛は嫌々ながらも射命丸の命令に従ったのだった。
◇ ◆ ◇
『哨戒の仕事もあるから、とりあえず妖怪の山でネタ探しをしなさい』
射命丸がそう言っていたので、椛は妖怪の山の上空を飛んでいた。
椛が普段仕事をしている滝から山の頂上付近まで。自慢の目を凝らしても、特に何も起こっている様子は見られない。
「本当に今日は何もないんだなぁ……」
そもそも幻想郷最速にして生粋の新聞記者である射命丸が隅々までネタを探しても見つからなかったのだ。ネタ探しに慣れていない――どころかやったことのない椛が探しても見つかる道理がない。
それでも一時間ほど粘って探し続けたのだが、やはり何も見つからない。
「……戻ろうかな」
一度戻って、射命丸に説明して、哨戒の仕事に戻してもらおう。何か言われるかもしれないが、射命丸本人も見つけられなかったのだから「まぁそんなところよね」ぐらいで済むだろう。多分。
そう思って後ろを振り返ると、「あれ?」山に見慣れない姿があった。
「ん~?」
よく目を凝らして見ると、それはネズミの妖怪のようだった。手には長いロッドのようなものを持ち、キョロキョロとそこかしこを見渡している。
「侵入者……ですよね、一応」
妖怪の山とは言え、妖怪が好き勝手に出入りしている訳ではない。外の者が山に入ることは基本的に禁止されているし、中の者はほとんど外へ出ようとしない。誰が決めたわけでもないが、暗黙の了解でそうなっていた。
そしてそのことを知らずに山に入り込んだ者をいち早く見つけ、対処するのが下っ端哨戒天狗である椛の仕事であった。
侵入者に気づかれないように、すーっと背後から近づく。
少しずつ近づいていくと、その侵入者がなにやら独り言を呟いているのが聞こえてきた。
「んー、山にならば何か贈り物に相応しいものがあると思ったのだが……見つからないな。大体聖様が何を貰えば喜ぶのか全く想像出来ん。ご主人も人が悪い。私の能力は探し物が定まっていないと探し当てることが出来ないというのに『ナズーリン。聖様の復活祝いに贈り物をしたいからなにか適当なものを探し当てて頂戴』だと? そんなもの、自分で探せばよいものを……」
ぶつぶつと、誰かに宛てた悪態をついているようだ。
独り言の内容から推測するに、山に入ってきた理由は探し物なのだろう。それならば好都合だ。話せば分かってもらえる可能性が高い。
そう思って、椛は声をかけるためにさらに侵入者に近づいた。
「そこの妖怪ネズミ、止まりなさい」
「……私のことか?」
侵入者が振り返る。二つの灰色の瞳が、椛の姿を映した。
「私はこの山の見回りの天狗です。名を名乗りなさい」
「私はナズーリンだ」
「ナズーリンさん、この山は立ち入り禁止なのです。すぐにこの山から退去してください」
「なんだ、そうなのかい? 立ち入り禁止の札なんて見えなかったんだけど」
「……まぁ確かに札は出していません。しかしここは神々の住む山。気軽に立ち入ってよい場所ではないのです。さぁ」
「おいおい、この山はそこまで排他主義なのかい? 別にいいじゃないか、少しくらい。私は今探し物をしているんだ。聖様に……正確にはご主人に渡すことになるのだが、とにかく適当な贈り物を探さないといけないんだ。邪魔はされたくないな」
「そうですか……」
言葉による説得は失敗。なら次は……。
「でしたら強引にでも退去していただきます」
攻撃による強制退去。それが次の手段だった。
「ふーん。天狗って意外に喧嘩っ早いんだね。知らなかったよ」
対するナズーリンもロッドを構え、臨戦態勢に入る。
「ネズミを甘く見てると、死ぬよ。負け犬」
「私は犬ではなく狼ですっ」
「負け犬はいいのか……」
ナズーリンは少し呆れた顔をする。しかしすぐにその顔も引き締まった表情へと戻る。
そして。
一陣の風が。
吹いた。
「捜符『レアメタル・ディテクター』!」
ナズーリンは自分が得意とするスペルカードで椛を攻撃する。
対する椛は――
「……! あ! 私、スペルカード持ってませんでしたぁー!?」
◇ ◆ ◇
「要するに、君は上司からどう考えても無理な仕事を押しつけられてイライラしていたところに私を発見し、ある意味憂さ晴らしとばかりに勝負を仕掛けた、と」
「はい、そうです。本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「いや、別にいいんだけどさ」
ナズーリンが呆れ顔でため息をつく。それはそうだろう。椛の方から勝負を挑んだくせにものの数秒で瞬殺されたのだ。ナズーリンじゃなくても呆れるに違いない。
「それで? その仕事って言うのは?」
「あ、はい。私の上司は射命丸 文というのですが、新聞記者をしておりまして、その新聞のネタ探しの手伝いです」
「ふーん、別に無理な仕事とは思えないんだけどね、私には」
「……今日は本当に平和で、何の事件も起きていないんです」
「あぁ、なるほど」
それだけ呟くと、ナズーリンはあごに手を当てて黙ってしまった。
「あの……お気になさらないでください。私もいい加減に切り上げて帰ろうとしていたところですし。山に入ったことも黙認しますのでご自由にどうぞ」
「ん? あぁ、いや、そういうことじゃないんだ。ちょっと提案があってね」
「提案……ですか?」
椛は怪訝に思い、ナズーリンの方を向く。ナズーリンは笑っていた。ネズミらしい、ずる賢さを感じさせるような笑みで。
「君が私の探し物を手伝ってくれたら、私が君に何かしらのネタを教えるっていうのは、どうだい?」
「探し物……ですか? それは一体、どのような?」
「贈り物だね、プレゼントさ。と言っても私が渡すわけではないのだが――君と似たようなものだ。私もご主人に命令されて探している」
「はぁ……そうなんですか。やはり部下と上司の関係はどこも同じなのですね……。分かりました。そう言うことならばお手伝いしましょう」
「助かるよ。えっと――」
「あ、申し遅れました。私は下っ端哨戒天狗の犬走 椛と申します」
「椛。よろしく頼む」
「えぇ、こちらこそ」
手を組んだ二人は、まずナズーリンの探し物についてどのようなものが相応しいのかを考えることにした。
「贈り物と言うことでしたら綺麗なもの、貴重なもののがいいでしょうね」
「そうだね。だとすると……宝石、とかかな。この山には鉱脈とかあるのかい?」
「私は存じませんが、恐らくは」
「よし。なら私の能力の出番だな」
そう言うとナズーリンは首にかけていた首飾りを手にとってぶらりと垂らすと、目をつぶってしまった。時折丸い耳がピクンと跳ねるように動く以外はまるで微動だにしない。
「あの、何をして」
「ちょっと黙っててくれるかな。集中しているんだ」
「…………」
椛は何かしら言いたいことがあるようだったが、ナズーリンが本気で集中しているのが分かったからか、口を閉じた。
そのまま数分が過ぎた。
「……うん、あっち側だ」
「何をしたんですか?」
「私の能力は『探し物を探し当てる程度の能力』。それでこの山にある宝石を探したのさ」
「……私が手伝う意味はあるのでしょうか」
確かにナズーリンの能力だけですべて解決してしまいそうではある。
「あるよ。私の能力も万能じゃない。おおまかな位置特定はできても、詳細な場所までは分からないんだ」
要するに、とナズーリンは言う。
「私がおおよその場所まで案内するから、そこから先、宝石を見つけるのは椛がやってくれ」
「私が、ですか?」
「もちろん私も探す。でも椛はこの山に住んでいるんだから私よりも地理感覚は上のはずだ。――それに天狗なら目も良いはずだしね」
それじゃあ行こう、と言ってナズーリンは椛を待たずに、ふわりと宙に浮く。
「ほら、何をしているんだい? いくら幻想郷が狭いと言っても時間は有限なんだ。何も行動しないと一日なんてあっという間に終わっちゃうぞ」
「……そうですね、行きましょう」
そう言うと椛もふわりと飛び上がる。椛はもう何も言わなかったが、その唇は「これもネタ集めのため、これもネタ集めのため……」と呟くように動いていた。
◇ ◆ ◇
探し物はすぐに見つかった。
というか探してすらいない。
ナズーリンの言う「おおよその場所」へ降り立ち、少し周囲を見回したらすぐに見つかったのだ。
「あれでいいんでしょうか……?」
「あれであってるよ。私のペンデュラムも反応してる」
二人は今、山にいくつかある池のほとりにいた。その池の中心部、そこに突き出ている岩の上に宝石はあった。
「でもあれ、誰かの所有物じゃないですか?」
椛がそう言うのも無理はない。なぜならその宝石は、ひどく朽ちてはいたが木でできた台座のようなものに乗せられていたし、何よりその宝石は磨かれており、宝石と言うよりも宝玉と表現した方がよい状態になっていたからだ。
「そうかなぁ。私だったらあの宝石を乗せるんだったらもっといい台座にすると思うけど」
「そうでしょうか……」
「それにここいらには誰の気配も感じられないし、大丈夫じゃないかな」
「……それもそうですね。じゃあ取ってきます」
「うん、一応気をつけて」
ナズーリンに見送られながら椛は岩までジャンプする。これくらいの距離なら空を飛ばなくても余裕で届く。――なぜ自分がナズーリンの代わりに宝石を取りに行っているのかという疑問が浮かんだが、これもネタ集めのためと思うことで自分をごまかした。
すたっと岩に着地する。改めて宝石を見てみると、確かに台座は原型が分からないくらいに朽ちていて、誰かが管理しているようには見えなかった。
これなら大丈夫だろう。
「それじゃあ、頂いていきますね」
椛は誰に言うでもなく呟き、宝石に手を伸ばす。
瞬間。
椛の視界が、闇に包まれた。
「!?」
意識が失われた訳ではない。多少混乱はしているが。
そして肌に触れるこの感触。
……生温かい。
生温かくて――ぬるぬるしている。
それで椛は理解した。
自分は今まさに、食べられようとしていると。
「じょ、冗談ではありません……!」
慌てて暴れようとしてみるものの、柔らかい肉がすべての衝撃を吸収してしまっているようで、何の意味もなかった。
それどころか椛を閉じこめている口の中が動き出し、椛を少しずつ奥へ奥へと押し込んでいく。
飲み込まれたらおしまいだ。
そう思い、椛は必死に抵抗する。それでもやはり意味はない。少しずつ、でも着実に飲み込まれていく。
ここで死ぬ?
「い、いやぁぁぁぁあ!」
――「捜符『ゴールド・ディテクター』!」
そんな声が微かに聞こえ、ドスンという衝撃が椛を覆っているモノに走ったのが分かった。
次の瞬間には、椛は池のほとりに仰向けで倒れていた。
「大丈夫かい?」
上からナズーリンが覗き込む。
「えぇ、なんとか……。今のはなんだったんですか?」
椛は池の方を振り返るが、もう何もいなかった。
「大ガマさ。いきなり水面から飛び出して君をパクッと食べてしまった。助けるのが少し遅れて悪かったね」
「いえ、こちらこそ助けていただいて……。でもこれを取ったら大ガマが出てきたってことは、これは大ガマのものなのでしょうか」
これ、というのはもちろん宝石のこと。大ガマに食べられても椛は手放さなかったらしい。
「いいんじゃないかな。大ガマにしたって頭の上をハエが飛んでいたから食べた、くらいの気持ちだろうし」
「そんなものですかね」
「そんなものさ。ん、じゃあその宝石、渡してくれるかい?」
「えぇ、どうぞ」
椛はナズーリンに宝石を手渡す。ナズーリンはその透明な球体をしげしげと眺めた。
「うん、純度も高いし、ほぼ完全な球体だ。こう言うのを完璧っていうのかな。これならご主人も満足してくれるだろう。ありがとう、椛」
「どういたしまして。――では、ナズーリンさんが知っているネタ……教えていただけますか?」
「え? あぁ、そうだったね。じゃあちょっと耳を貸してくれるかい?」
「はい」
椛は特に何の疑問も持たずに、ナズーリンの顔の近くに耳を寄せる。
「君の後ろに――」
「え?」
「カメラを持った天狗が、いるよ」
「え!?」
椛は慌てて振り返る。カメラを持った天狗だなんて、射命丸しか考えられない。
しかし振り返った視線の先には――誰もいなかった。
「? 誰もいませんが……」
視線を元に戻す。
ナズーリンがいなくなっていた。
「あれ?」
周りを見渡してもまるで気配がしない。
「え? ナズーリンさん? どこですか?」
そして椛は一つの結論に至る。
「もしかして私……騙された?」
いいように利用されて?
「うっそぉ……」
ショックのあまり、椛はその場でへたり込んでしまう。
ネタ集めのためだと思って協力したのに、利用されるだけされて何も得られなかった。
「……帰ろう」
なんかもう色々とあって疲れてしまった。
全部忘れてぐっすり眠ってしまおう。
そう思って椛は立ち上がった。
次の瞬間。
椛の上空を巨大な船が通過していった。
◇ ◆ ◇
「これでいいの?」
「うん、ありがとう。ムラサ」
「ナズーリンが頼み事なんて珍しいこともあるのね」
「ふふ、まぁ約束だったからね」
「約束?」
「なんでもない。それよりムラサ、ご主人はどこにいる?」
「寅丸様なら私室でお休みになってるんじゃないかしら?」
「またあの人は……」
◇ ◆ ◇
「文様文様! 特ダネ見つけましたよ!」
ばぁん、と椛はノックもせずに射命丸の部屋のドアを開ける。
椛の言う特ダネとは、もちろんあの空飛ぶ船のことだ。
「おかえり、椛。残念だけど私の方でもネタを見つけてしまってね、もう記事にしちゃったのよ」
「え、……そうですか」
「我ながら良く書けたと思うんだけど、やっぱり第三者の感想も必要だからね。これ、試し刷りなんだけど読んでみてくれる?」
射命丸が新聞を差し出してくる。
椛は渋々それを受け取り読み始める。
最初は「せっかく特ダネ見つけたのに……」と言うような拗ねた表情をしていた椛だったが、新聞を読み進めていくにつれて驚きの表情へと変えていく。
「ちょっと、文様これって――」
そこに書いてあったのは――。
――――下っ端哨戒天狗、大ガマに食べられる
○月○日十四時頃、山の見回りをしていた天狗が大ガマに食べられるという事件が発生した――――
ご丁寧に記事の左隅には椛が大ガマに吐き出された瞬間の写真が載せられていた。
「いいいいいいいつ撮ったんですかぁ!?」
「いやー、さすが椛ね。まっさか私のネタのために自ら身体を張ってくれるとはねー」
「やめてください誤解です! 記事を差し替えてください! 代わりのネタならありますから! 見つけてきましたから!」
「あらあら、なら三回その場で回って『わん』と言いなさい」
「私は犬ではなく狼ですっ!」
「さて、そろそろ印刷を始めようかしら……」
「!…………わ、わん」
「声が小さいわ。もっと大きく」
「わん!」
「次は『わおーん』」
「わおーん!」
この後も椛はしばらく遊ばれ続け、記事が差し替えられたのは日がすっかり暮れてしまってからであった。
◇ ◆ ◇
その日も良く晴れていた。
「ふわぁ……」
見張り台の上で椛は大きくあくびをする。
暇である。
見張り役、なんて言っても、妖怪の山では普通大した事件など起こらないので、基本的に椛は一日中暇なのであった。
にとりと将棋でも打とう。
そう思って立ち上がると、見覚えのある姿が目に入った。
丸い耳。首にかけたペンデュラム。そして賢そうな、灰色の目。
「ナズーリンさん……」
「やぁ、元気そうだね」
三日ぶりに会ったナズーリンはそう言って椛に近づいてきた。
「騙されたのかと思ってました」
「ふふ、いい特ダネになったようだね」
そう言ってナズーリンが取り出したのは「空を飛ぶ怪奇船現る」という小見出しの入った新聞だった。
「やっぱりナズーリンさんが?」
「さぁどうだろうね。私かもしれないし、私じゃないかもしれないね」
その返答は、椛の問いをほとんど肯定しているようなものだったが、それはナズーリンも分かっているだろう。椛は何も言わずにクスリと微笑んだ。
「私、これから友人のところに将棋を打ちにいくんですが、良かったらナズーリンさんもどうですか?」
「将棋。いいね。頭を使うゲームは大好きさ」
「大将棋ですけどね」
「なんでそんな面倒なことをやってるんだ……?」
そして二人は歩き出す。
白い尻尾と灰色の尻尾が揃ってゆらゆら揺れていた。
虎ならいけるかなw