――カランカラン。
博麗霊夢が扉を開くと、凛とした鈴の音が響いた。扉の向こうは、霊夢にはがらくたにしか見えない「外」の世界の物が溢れかえった乱雑な光景。十五歩も奥行が無い店内にこうも物を置かれると、文字通り足の踏み場も無い。香霖堂という店はいつもこうだ。これで本当に商売になるのかと霊夢は思ってしまう。
さて店主、森近霖之助と言えば、霊夢という客がせっかく来たというのに挨拶の一つも無く、手に持った本に視線を落としていた。
「閑古鳥が鳴きすぎじゃない? 霖之助さん」
「巣食っている閑古鳥は随分とここを気に入ってしまったようでね、霊夢」
ずず、と霖之助はカウンターの上に置かれた湯飲みを手に取り、お茶をすする。どうやら霊夢は完全に客扱いされていないらしい。とはいえ霊夢も何かを買う目的で香霖堂を訪れた事はほぼ皆無だ。今日もさしたる目的があった訳でも無い。ただ何となく、時間があったから来ただけである。
「魔理沙が少しはツケを払ってくれれば良いのにね」
「それを君が言うかい」
霊夢は転がされていた木箱に腰掛けながら言う。霖之助はその霊夢にジトリとした非難を込めた目を向けた。ツケを貯めこんでいるのは魔理沙だけでもない。この霊夢もまた随分とここで得た茶葉の代金支払いを先延ばしにしている。
「そんな目で見なくてもいいじゃない。私がツケてる分なんて、魔理沙の半分も行かないでしょ」
「さてね。でももし君がツケを払ってくれたなら、閑古鳥を追い出すどころか、この魔法の森より広い店を構える事ができるだろうな」
「へぇ、そんなに被害が大きかったなんては知らなかったわ」
「知ってくれたならいいよ」
そう言い切ると、霖之助は視線を膝の上の本へと戻す。ちらと霊夢もそれを見やれば、ちょうど挿絵の入ったページが開かれていた。
「今日読んでるのは何の本?」
「あぁ、昔の童話さ」
「霖之助さんが童話を読むなんて、意外ね」
「そうでもないよ。童話は道徳的な教訓を子供にも理解しやすいように書かれている。分かりやすく伝えるために紆余曲折しながら筆者が物語を綴る様子が目に浮かぶようだ。技法のひとつに登場人物を動物することがあるんだが、これをアレゴリーと言って……」
「説明してるのはありがたいけど、まだ読んでる途中でしょ? 読み終わってからでいいわ」
霖之助の悪癖である蘊蓄語りが始まりかけたため、霊夢は今までの経験からそれを止めた。出来る限り「自分は聞きたいのだけれど邪魔をしては悪い」というニュアンスを含ませるのがポイントである。霖之助は幾分か残念そうな表情を浮かべたが、お茶を一すすりすると再度読書に没頭し始めた。
会話が止まったので、霊夢も本来の目的である暇つぶしのためにきょろきょろと辺りを見回した。そして霊夢の視線が止まった先は本棚。霖之助の読む本と似た装飾が施された本が一冊おさめられていた。霊夢がそれを手に取りページをめくると、予想通り中身は子供向けの童話である。暇つぶしには良かろうと、霊夢は読み進めた。
◇◆◇◆◇
むかしむかしあるところに、ひとりのおひめさまがいました。
かのじょはおひめさまなのに、びっくりするほどにつよく、じぶんをさらいにきたわるいドラゴンを、ひとりでかえりうちにしてしまうほどでした。
そんなかのじょにひかれたものはおおく、まいにちのようにけっこんをもとめるものがしろにやってきます。
かのじょは、そんなおとこたちをやはりかえりうちにしてしまうのでした。
おとこたちがきらいだったわけではありません。かといってもすきでもありません。
だれにもしばられない、だれよりもとうめいなこころをもっていました。
あるひ、おひめさまはかじやのおとことであいます。
ドラゴンをたおしたときにおれてしまったけんを、かれはおかねをもらわずにうちなおしてくれるというのです。
うちなおしにひつようなおかねにあたまをなやませていたかのじょにとって、これはとてもありがたいことでした。かのじょはよろこんでそのしごとをかれにまかせました。
かきん、かきん。けんをうつつちのおとがひびきます。
おひめさまはかれにききました。どうしておかねをとらないのか、と。おひめさまのじぶんからなら、とろうとおもえば、いっしょうあそんでくらせるおかねをとることもできるでしょう、と。
かじやはこたえます。じぶんはかじやであり、けんをうつことがいちばんのよろこびだ、と。これだけのけんをうてるだけで、じゅうぶんです、と。
おひめさまはそのことばにすこしだけほほえみをうかべました。じぶんのけんをほめられて、いやなきもちになるひとはいません。そしてどうじにすこしだけむっとしました。けんさえうてれば、おひめさまのことなどどうでもいい、といういみにもおもえたからです。
じぶんをみてほしい。とうめいだったおひめさまのこころに、ちいさくちいさく、そのきもちがめばえました。
いくらかのときがすぎ、けんもずいぶんなおりました。あしたできっと、かんぜんにかたちをとりもどすことでしょう。
しかし、おひめさまはうれしいきもちになることはできませんでした。けんがなおってしまえば、かじやにあうりゆうがなくなってしまいます。それがかのじょには、たまらなくさびしいものにおもえたのです。
ですが、どうしてでしょう? そんなふうなきもちになったことなど、これまでただのいちどもなかったというのに。かんがえてもかんがえても、わかりません。
そのひのよる、おひめさまはこうぼうにしのびこみました。くらいこうぼうのなかに、はためにはすっかりもとにもどったけんがおかれています。
かのじょはつちをてにとり、おおきくふりかぶりました。
このけんがこわれれば、またかじやはけんをなおしてくれる。かのじょはそうかんがえたのです。
かのじょのちからをもってすれば、ひとたたきでけんはくだけちることでしょう。おおきくおおきくふりかぶったつちを、ふりおろします。
……しかし、うちつけられるそのちょくぜん、おひめさまはつちをとめました。
こわすことができなかったのです。けんへのあいちゃくはもちろんあります。けれど、かじやがあれほどがんばってなおしてくれたけんを、じぶんのつごうだけでこわすことなど、かのじょにはできなかったのです。
とつぜん、そこにだれかいるのかと、こえがしました。かのじょがふりかえったさきには、かじやのおとこがおどろいたかおでたっています。
おひめさまはなにをしようとしていたのかをかれにうちあけました。いまさっき、わがままなりゆうで、このけんをたたきおろうとしたことを。かじやとはなれることがさびしかったということを。
かじやはなにもいいません。せめることもせずに、いっぽ、こうぼうのなかにはいりました。
つぎのしゅんかん、こうぼうのなかにかぜがまきおこります。おもわずめをふせたおひめさまでしたが、すぐにめをひらきます。
そこにたっていたのはかじやではなく、かいぶつでした。けんをかまえることもわすれ、ぼうぜんとおひめさまは、かじやだったかいぶつをみあげます。
かれはいいました。じぶんはにんげんではないことを。おひめさまにしたわれるにあたいしない、ばけものであることを。
おひめさまはそれにはんろんします。わたしがしたったのはあなたじしんであると。けんをなおしてくれたあなたのやさしさであると。
しかし、かれはかなしげにくびをふります。どうして、といいかけたおひめさまに、つづけます。
わたしとあなたでは、いかんともしがたい、いのちのながさのちがいがある。わたしにはたまらなく、それがおそろしいのです。
おひめさまは。
おひめさまは――
◇◆◇◆◇
ふ、と。
霊夢は目を開けた。いつのまにか壁によりかかって眠りこんでいてしまったらしい。窓からは西日がさしこみ、店内をオレンジ色に染め上げている。
目をこすりながら立ちあがれば、ばさりと本が滑り落ちる。霊夢は慌ててそれを拾い上げ、もとあった本棚に戻した。
霖之助の方に視線をやると、彼もまた、こっくりこっくりと船をこいでいた。意外とかわいらしいところもあるんだな、と霊夢は苦笑し、いったん部屋の奥に上がった。勝手知ったる他人の家、霊夢は押し入れから毛布を取り出してくると、霖之助にかけてやる。まったく風邪をひいてしまって困っても――
――そこで霊夢は、自分が思ったよりも霖之助の近距離にいることに気付いた。
香霖堂の中には無音。しんしんとした静寂が支配する。
静かに繰り返される呼吸。ゆっくりと、その胸がそれに合わせ上下する。
動悸が増す。
そっと、気付かれぬように。右手を重ねる。
「霖之助、さん」
霊夢は。
霊夢は――
「こぉぉぉりぃぃぃぃーーーんっ!!」
突然響き渡ったその声に、霊夢はらしくもなく心臓がとまりかけた。ほぼ同時にすさまじく派手な音を立てて香霖堂の入り口の戸が開かれる。乱雑に置かれた品物の間を抜け、現れたのは白と黒のエプロンドレスを身に纏い、トレードマークの魔法帽を被った少女。霧雨魔理沙だ。
「んお? 霊夢じゃないか。どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞よ。随分と派手なご来店ね」
「……霊夢の言うとおりだね」
霊夢が呆れを隠さずに言ったその言葉に賛同する霖之助。今の騒がしさで目を覚まさないほど、彼も鈍くはない。とはいえそんな皮肉など意にも介さないのが魔理沙という少女である。来店は派手さだぜ、そう言ってけらけらと二人を一笑に付した。
「さて香霖。新しい弾幕作ったからちょっと見てくれ」
「店に来た用件がそれだけかい」
「そうだぜ」
「……やれやれ……」
霖之助はあからさまなため息をついたが、どっこらせと椅子から立ち上がった。ばさりとかけられた毛布が滑り落ち、その時になって初めて毛布の存在に気付いたようである。
「霊夢がかけてくれたのかい」
「……えぇ。霖之助さんたら、ぐうすか眠りこけてるんだもの」
「これは恥ずかしいところ見せてしまったな。ありがとう、霊夢」
「ツケの帳消しでちょうどいいわよ」
霊夢と霖之助は互いに笑いあった。早く来いよー、といつのまにか外に出ていた魔理沙が急かしの声をあげている。
霖之助がその声に急かされて入口へと向かうが、霊夢は動かなかった。その様子に気づき、霖之助がそれを問う前に霊夢が答える。
「私は遠慮しておくわ」
「どうしてだい」
「どうせ私相手のスペルよ。私が見たら、意味がないわ。弾幕ごっこの時に初見でちょうどいいハンデね」
「実に霊夢らしい意見だね。お茶は飲んでいていいよ」
「それじゃあお言葉に甘えているわね」
そう言って霖之助は、魔理沙が待つ外へと出て行った。カラカラン、鈴の音を響かせて戸が開き、そして閉じる。
香霖堂の中に、静寂が再び訪れた。けれどそれは、先ほどにあったそれよりも、ずっと無機質で冷たいものである。
霊夢の表情はそれまでの暖かさから一変し、今の香霖堂を満たす静寂と同じ、無機的で何も持たぬそれにへと変貌した。
「――いやいや、人間とは面白いわ」
「……うるさい出歯亀妖怪」
霊夢は苛立ちを隠そうともせず、視覚が捉えきれぬ死角からの声に罵声を持って返答した。メリメリと空間に切れ込みが入る独特な音が部屋の角から霊夢の聴覚へと届くが、霊夢はそちらへと視線を向けようともしない。
「欲するものを敢て欲せず。手に入れる方法があるのに、敢て手を伸ばさず。その気持ちを大切に大切に、宝箱の中の仕舞い込んでおくなんて。妖怪の私にはとても真似出来そうにない」
「殺すわよ」
純粋な殺意と怒りを持って霊夢はその言葉を放った。
「妖怪と私を、一緒にしないで」
霊夢の主張の根源は、その一言に集約されている。
妖怪と人間は、所詮根底から違う全く異質の存在である。
だから分かりあえることもなく、理解できることもない。
並の人間や妖怪が聞けば、その言葉に込められた意味に凍りつくことは必至であろう。しかし、境界の向こう側からは薄笑いが帰ってきた。
「――でもねぇ、霊夢。一つ覚えておきなさい」
――妖怪は、その宝箱をこじ開けて、宝物を奪いに来るのよ。
「……紫?」
意味がわからず、霊夢は振り返った。しかしそこには誰もおらず、いつも通りの埃舞う薄暗い香霖堂があるばかりであった。
◇◆◇◆◇
かじやのおとこをあいしていたのは、おひめさまだけではありませんでした。
おひめさまをあいしていたかいぶつもまた、かじやだけではありませんでした。
《了》
博麗霊夢が扉を開くと、凛とした鈴の音が響いた。扉の向こうは、霊夢にはがらくたにしか見えない「外」の世界の物が溢れかえった乱雑な光景。十五歩も奥行が無い店内にこうも物を置かれると、文字通り足の踏み場も無い。香霖堂という店はいつもこうだ。これで本当に商売になるのかと霊夢は思ってしまう。
さて店主、森近霖之助と言えば、霊夢という客がせっかく来たというのに挨拶の一つも無く、手に持った本に視線を落としていた。
「閑古鳥が鳴きすぎじゃない? 霖之助さん」
「巣食っている閑古鳥は随分とここを気に入ってしまったようでね、霊夢」
ずず、と霖之助はカウンターの上に置かれた湯飲みを手に取り、お茶をすする。どうやら霊夢は完全に客扱いされていないらしい。とはいえ霊夢も何かを買う目的で香霖堂を訪れた事はほぼ皆無だ。今日もさしたる目的があった訳でも無い。ただ何となく、時間があったから来ただけである。
「魔理沙が少しはツケを払ってくれれば良いのにね」
「それを君が言うかい」
霊夢は転がされていた木箱に腰掛けながら言う。霖之助はその霊夢にジトリとした非難を込めた目を向けた。ツケを貯めこんでいるのは魔理沙だけでもない。この霊夢もまた随分とここで得た茶葉の代金支払いを先延ばしにしている。
「そんな目で見なくてもいいじゃない。私がツケてる分なんて、魔理沙の半分も行かないでしょ」
「さてね。でももし君がツケを払ってくれたなら、閑古鳥を追い出すどころか、この魔法の森より広い店を構える事ができるだろうな」
「へぇ、そんなに被害が大きかったなんては知らなかったわ」
「知ってくれたならいいよ」
そう言い切ると、霖之助は視線を膝の上の本へと戻す。ちらと霊夢もそれを見やれば、ちょうど挿絵の入ったページが開かれていた。
「今日読んでるのは何の本?」
「あぁ、昔の童話さ」
「霖之助さんが童話を読むなんて、意外ね」
「そうでもないよ。童話は道徳的な教訓を子供にも理解しやすいように書かれている。分かりやすく伝えるために紆余曲折しながら筆者が物語を綴る様子が目に浮かぶようだ。技法のひとつに登場人物を動物することがあるんだが、これをアレゴリーと言って……」
「説明してるのはありがたいけど、まだ読んでる途中でしょ? 読み終わってからでいいわ」
霖之助の悪癖である蘊蓄語りが始まりかけたため、霊夢は今までの経験からそれを止めた。出来る限り「自分は聞きたいのだけれど邪魔をしては悪い」というニュアンスを含ませるのがポイントである。霖之助は幾分か残念そうな表情を浮かべたが、お茶を一すすりすると再度読書に没頭し始めた。
会話が止まったので、霊夢も本来の目的である暇つぶしのためにきょろきょろと辺りを見回した。そして霊夢の視線が止まった先は本棚。霖之助の読む本と似た装飾が施された本が一冊おさめられていた。霊夢がそれを手に取りページをめくると、予想通り中身は子供向けの童話である。暇つぶしには良かろうと、霊夢は読み進めた。
◇◆◇◆◇
むかしむかしあるところに、ひとりのおひめさまがいました。
かのじょはおひめさまなのに、びっくりするほどにつよく、じぶんをさらいにきたわるいドラゴンを、ひとりでかえりうちにしてしまうほどでした。
そんなかのじょにひかれたものはおおく、まいにちのようにけっこんをもとめるものがしろにやってきます。
かのじょは、そんなおとこたちをやはりかえりうちにしてしまうのでした。
おとこたちがきらいだったわけではありません。かといってもすきでもありません。
だれにもしばられない、だれよりもとうめいなこころをもっていました。
あるひ、おひめさまはかじやのおとことであいます。
ドラゴンをたおしたときにおれてしまったけんを、かれはおかねをもらわずにうちなおしてくれるというのです。
うちなおしにひつようなおかねにあたまをなやませていたかのじょにとって、これはとてもありがたいことでした。かのじょはよろこんでそのしごとをかれにまかせました。
かきん、かきん。けんをうつつちのおとがひびきます。
おひめさまはかれにききました。どうしておかねをとらないのか、と。おひめさまのじぶんからなら、とろうとおもえば、いっしょうあそんでくらせるおかねをとることもできるでしょう、と。
かじやはこたえます。じぶんはかじやであり、けんをうつことがいちばんのよろこびだ、と。これだけのけんをうてるだけで、じゅうぶんです、と。
おひめさまはそのことばにすこしだけほほえみをうかべました。じぶんのけんをほめられて、いやなきもちになるひとはいません。そしてどうじにすこしだけむっとしました。けんさえうてれば、おひめさまのことなどどうでもいい、といういみにもおもえたからです。
じぶんをみてほしい。とうめいだったおひめさまのこころに、ちいさくちいさく、そのきもちがめばえました。
いくらかのときがすぎ、けんもずいぶんなおりました。あしたできっと、かんぜんにかたちをとりもどすことでしょう。
しかし、おひめさまはうれしいきもちになることはできませんでした。けんがなおってしまえば、かじやにあうりゆうがなくなってしまいます。それがかのじょには、たまらなくさびしいものにおもえたのです。
ですが、どうしてでしょう? そんなふうなきもちになったことなど、これまでただのいちどもなかったというのに。かんがえてもかんがえても、わかりません。
そのひのよる、おひめさまはこうぼうにしのびこみました。くらいこうぼうのなかに、はためにはすっかりもとにもどったけんがおかれています。
かのじょはつちをてにとり、おおきくふりかぶりました。
このけんがこわれれば、またかじやはけんをなおしてくれる。かのじょはそうかんがえたのです。
かのじょのちからをもってすれば、ひとたたきでけんはくだけちることでしょう。おおきくおおきくふりかぶったつちを、ふりおろします。
……しかし、うちつけられるそのちょくぜん、おひめさまはつちをとめました。
こわすことができなかったのです。けんへのあいちゃくはもちろんあります。けれど、かじやがあれほどがんばってなおしてくれたけんを、じぶんのつごうだけでこわすことなど、かのじょにはできなかったのです。
とつぜん、そこにだれかいるのかと、こえがしました。かのじょがふりかえったさきには、かじやのおとこがおどろいたかおでたっています。
おひめさまはなにをしようとしていたのかをかれにうちあけました。いまさっき、わがままなりゆうで、このけんをたたきおろうとしたことを。かじやとはなれることがさびしかったということを。
かじやはなにもいいません。せめることもせずに、いっぽ、こうぼうのなかにはいりました。
つぎのしゅんかん、こうぼうのなかにかぜがまきおこります。おもわずめをふせたおひめさまでしたが、すぐにめをひらきます。
そこにたっていたのはかじやではなく、かいぶつでした。けんをかまえることもわすれ、ぼうぜんとおひめさまは、かじやだったかいぶつをみあげます。
かれはいいました。じぶんはにんげんではないことを。おひめさまにしたわれるにあたいしない、ばけものであることを。
おひめさまはそれにはんろんします。わたしがしたったのはあなたじしんであると。けんをなおしてくれたあなたのやさしさであると。
しかし、かれはかなしげにくびをふります。どうして、といいかけたおひめさまに、つづけます。
わたしとあなたでは、いかんともしがたい、いのちのながさのちがいがある。わたしにはたまらなく、それがおそろしいのです。
おひめさまは。
おひめさまは――
◇◆◇◆◇
ふ、と。
霊夢は目を開けた。いつのまにか壁によりかかって眠りこんでいてしまったらしい。窓からは西日がさしこみ、店内をオレンジ色に染め上げている。
目をこすりながら立ちあがれば、ばさりと本が滑り落ちる。霊夢は慌ててそれを拾い上げ、もとあった本棚に戻した。
霖之助の方に視線をやると、彼もまた、こっくりこっくりと船をこいでいた。意外とかわいらしいところもあるんだな、と霊夢は苦笑し、いったん部屋の奥に上がった。勝手知ったる他人の家、霊夢は押し入れから毛布を取り出してくると、霖之助にかけてやる。まったく風邪をひいてしまって困っても――
――そこで霊夢は、自分が思ったよりも霖之助の近距離にいることに気付いた。
香霖堂の中には無音。しんしんとした静寂が支配する。
静かに繰り返される呼吸。ゆっくりと、その胸がそれに合わせ上下する。
動悸が増す。
そっと、気付かれぬように。右手を重ねる。
「霖之助、さん」
霊夢は。
霊夢は――
「こぉぉぉりぃぃぃぃーーーんっ!!」
突然響き渡ったその声に、霊夢はらしくもなく心臓がとまりかけた。ほぼ同時にすさまじく派手な音を立てて香霖堂の入り口の戸が開かれる。乱雑に置かれた品物の間を抜け、現れたのは白と黒のエプロンドレスを身に纏い、トレードマークの魔法帽を被った少女。霧雨魔理沙だ。
「んお? 霊夢じゃないか。どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞よ。随分と派手なご来店ね」
「……霊夢の言うとおりだね」
霊夢が呆れを隠さずに言ったその言葉に賛同する霖之助。今の騒がしさで目を覚まさないほど、彼も鈍くはない。とはいえそんな皮肉など意にも介さないのが魔理沙という少女である。来店は派手さだぜ、そう言ってけらけらと二人を一笑に付した。
「さて香霖。新しい弾幕作ったからちょっと見てくれ」
「店に来た用件がそれだけかい」
「そうだぜ」
「……やれやれ……」
霖之助はあからさまなため息をついたが、どっこらせと椅子から立ち上がった。ばさりとかけられた毛布が滑り落ち、その時になって初めて毛布の存在に気付いたようである。
「霊夢がかけてくれたのかい」
「……えぇ。霖之助さんたら、ぐうすか眠りこけてるんだもの」
「これは恥ずかしいところ見せてしまったな。ありがとう、霊夢」
「ツケの帳消しでちょうどいいわよ」
霊夢と霖之助は互いに笑いあった。早く来いよー、といつのまにか外に出ていた魔理沙が急かしの声をあげている。
霖之助がその声に急かされて入口へと向かうが、霊夢は動かなかった。その様子に気づき、霖之助がそれを問う前に霊夢が答える。
「私は遠慮しておくわ」
「どうしてだい」
「どうせ私相手のスペルよ。私が見たら、意味がないわ。弾幕ごっこの時に初見でちょうどいいハンデね」
「実に霊夢らしい意見だね。お茶は飲んでいていいよ」
「それじゃあお言葉に甘えているわね」
そう言って霖之助は、魔理沙が待つ外へと出て行った。カラカラン、鈴の音を響かせて戸が開き、そして閉じる。
香霖堂の中に、静寂が再び訪れた。けれどそれは、先ほどにあったそれよりも、ずっと無機質で冷たいものである。
霊夢の表情はそれまでの暖かさから一変し、今の香霖堂を満たす静寂と同じ、無機的で何も持たぬそれにへと変貌した。
「――いやいや、人間とは面白いわ」
「……うるさい出歯亀妖怪」
霊夢は苛立ちを隠そうともせず、視覚が捉えきれぬ死角からの声に罵声を持って返答した。メリメリと空間に切れ込みが入る独特な音が部屋の角から霊夢の聴覚へと届くが、霊夢はそちらへと視線を向けようともしない。
「欲するものを敢て欲せず。手に入れる方法があるのに、敢て手を伸ばさず。その気持ちを大切に大切に、宝箱の中の仕舞い込んでおくなんて。妖怪の私にはとても真似出来そうにない」
「殺すわよ」
純粋な殺意と怒りを持って霊夢はその言葉を放った。
「妖怪と私を、一緒にしないで」
霊夢の主張の根源は、その一言に集約されている。
妖怪と人間は、所詮根底から違う全く異質の存在である。
だから分かりあえることもなく、理解できることもない。
並の人間や妖怪が聞けば、その言葉に込められた意味に凍りつくことは必至であろう。しかし、境界の向こう側からは薄笑いが帰ってきた。
「――でもねぇ、霊夢。一つ覚えておきなさい」
――妖怪は、その宝箱をこじ開けて、宝物を奪いに来るのよ。
「……紫?」
意味がわからず、霊夢は振り返った。しかしそこには誰もおらず、いつも通りの埃舞う薄暗い香霖堂があるばかりであった。
◇◆◇◆◇
かじやのおとこをあいしていたのは、おひめさまだけではありませんでした。
おひめさまをあいしていたかいぶつもまた、かじやだけではありませんでした。
《了》
身近な人間関係と見せかけて、この奥深さは凄い。
霊夢だって博麗の巫女である前に女の子だもんね。
汚されたくない大切なものだってあらーな…
それにしても、霊夢さんかわいいな
こんなのつまらないわけないじゃないの
絵本が弱点のわたしにはジャストミートな作品でした