Coolier - 新生・東方創想話

フランダースの狗

2009/11/22 02:48:37
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※時期は春雪異変から永夜異変までの間です




「はぁ~」

 強力な妖怪たちにたった一人の人間、そして数多くの妖精メイドを抱える紅魔館。見た目より遥かに広大な内部を持つその館の、膨大な蔵書数を誇る大図書館。その一角の本棚の上に、溜め息の主――フランドール・スカーレットは座り込んでいた。
 普段この図書館を我が物顔で占領する居候魔女――パチュリー・ノーレッジとその使い魔も今はいない。二日前から魔法の共同実験の為にアリス邸に招待され、小悪魔もそれに付いて行った。明日まではまだ帰ってこないだろう。

〈退屈だな~〉

 フランドールは本当は美鈴と遊びたかったのだが、つい先日付き合ってもらったばかりなので遠慮していた。
 ちなみに当の本人はシエスタ中である。時刻は現在昼過ぎ、先ほど昼食を取ったばかりであった。


〈……そうだ! パチュリーの机漁っちゃおっと〉

 フランドールは図書館の中央に置いてある、パチュリーが本を読む際に最も長く居座る机を漁ることにした。期待としては、“小悪魔に見つかると困るような物”でもあれば脅しに使える。

「ちっ、やっぱり」

 しかし机にはまず近づけないよう魔法で結界が張ってあった。それを壊し机に触れると、さらに電撃が走った。引き出しには全て厳重にロックが掛かっており、下手に開ければさらに凶悪なトラップが待っていることだろう。

「訳わかんないもんばっかり」

 が、フランドールは全て強行突破した。普通の人間ならおそらく数十回は死んでいただろう。それでもケロッとしているのは流石吸血鬼といったところか。

「あれ?」

 と、そこでフランドールは一番下の引き出しだけ、他の箇所とは比べ物にならない程強力な結界が成されていることに気付いた。そして迷わずそこをこじ開ける。と、中には紫の液体が入った小瓶が、一つだけポツンと収められていた。

「こんなもんの為にこんなに厳重にする? もしかしてダミー?」

 改めて机を探ってみるが、他に気になる所は無い。

「なんの薬だろ」

 蓋を開けて匂いを嗅いでみたりするが、フランドールの知識ではその薬が何なのか予想もつかなかった。一応、フランドールは長い引き篭もり生活の中でかなりの量の本を読んでおり、博識ではある筈なのだが。
 そしていくら知識があろうが子供は子供である。

「ま、何でもいいや。飲んじゃお」

 得体の知れない薬を一気飲みするフランドール。本人としては、外に出ようとする度に雨を降らされる事への仕返しの意味も込めた、軽い嫌がらせのつもりである。この度胸は妖怪だとか吸血鬼だとかは関係なく、フランドール自身の思い切りの良さだ。無謀とも言う。

「……」

 しばらく待ってみたが何も起こらなかった。飛び跳ねたり走り回ったり魔力を放出してみたり、色々やっても何も変化は無かったのだ。思わず落胆する。

 そこへ、

「あら妹様、ご機嫌いかがです?」
「咲夜か、ご機嫌良くないよ」

 現れたのはメイド長こと十六夜咲夜である。
 軽い挨拶を交わす二人であったが、咲夜とフランドールが初めて顔を合わせたのはつい最近だ。レミリアが、咲夜とフランドールが会わないようにずっと運命を弄っていたのである。
 紅霧異変後、フランドールが霊夢や魔理沙と遭遇しても殺したりしなかったので、レミリアは警戒を緩め、咲夜が館に訪れて以来禁止されていた“部屋から出ること”も許されるようになった。

「で、ご用件は?」
「ちょっと料理についての本を探してまして」
「じゃあ私が手伝ってあげるよ」
「よろしいのですか?」
「いいのいいの、どうせ私も暇してたから」
「ではお言葉に甘えて」

 フランドールの提案に、咲夜は少々戸惑いながらも素直にお願いする。
 この図書館は無駄に広いため、同じようなジャンルの本棚が離れた場所にあったりする。そこでフランドールと咲夜は二手に分かれて別の区画を探すことにした。


「えーと、アイスクリームってお菓子に入るのかな?」

 なかなか良さそうな本が見つからない。焦れたフランドールは名案を思いつく。

「そうだ、分身したらいいじゃん!?」

 むしろもっと早く思いつくようなことである。

「そうと決まったら早速……“フォーオブアカインド”!」





「やっぱり多いわね」

 本の海を漂うように料理関連の本を探していく咲夜。

〈魔理沙なんかが多少持ってったぐらいじゃ、どれだけ減ったのかもわからないわね〉

 小悪魔がいるのでそこはちゃんと把握しているだろう。さらに目的の本も一発で探し出せるので、あまり困りはしないのだろう。が、それにしても多過ぎだ。と、

「!?」

 突然の背後からの殺気に、咲夜は考えるよりも早く反射で時を止めた。

「これはっ」

 そして目にしたのは、いつの間に迫っていたのか、咲夜に向かってレーヴァテインを振り下ろそうとする四人のフランドールと、咲夜とフランドールの間に立ち塞がり、同じくレーヴァテインでそれを受け止める七人のフランドールの姿だった。

「どうなって……っ?」

 呆気に取られた咲夜はうっかり時間停止を解除してしまう。

「逃げて、咲夜!」
「一先ずあいつの所へ!」
「あいつなら咲夜を護ってくれるから、早く!」

 受け手のフランドールが叫ぶが、まだ呆けて動こうとしない咲夜に焦れた一人が飛び出し、咲夜を抱えて図書館から脱出した。





 フランドールは咲夜を抱えたまま廊下を滑空していた。

「い、妹様、今のは一体?」
「ごめん、私にもよくわからない。本を探す為に分身したら、何故か十二人になっちゃって……そのうちの何人かは咲夜を襲おうとするし」
「どうしてそんな事に」
「思い当たることと言えば、さっきパチュリーの机に隠してあった変な薬飲んだ」
「間違いなくそれですね」
「だよね」

 溜め息を吐く二人。

「それで、あなたが妹様の本体なんですか?」
「それもわからない。ただわかってることは、今の私はいつもの私と違ってて、私自身にも他の私の考えてることはわからない、ってことね。さぁ、着いたよ」

 そこはこの館の主――レミリア・スカーレットの部屋だった。
 床に降ろされ、主の部屋をノックする咲夜。

「お嬢様、咲夜です。妹様もご一緒です」
「……入れ」

 少しの間を置いた返事に促され、二人は中に入った。


「どうしたのフラン? 用件を言いなさい」
「用が無いと来ちゃいけないの?」
「用が無いと来ないでしょ」
「そうね」

 咲夜がレミリアの隣に移動するのを待って、フランドールは本題を切り出す。

「私が十二人になっちゃったの」
「はぁ?」

 レミリアは「何を言い出すんだこいつは」という顔をした。

「一人でも厄介なお前が十二人も? それはまた面倒なことになったわね。まぁ面白くないこともないけど」

 大した事では無いと言いたげなレミリアだったが、分身したうちの四人が咲夜を襲おうとしたことを聞くと、

「何だと!?」

 途端に雰囲気が一変した。声を荒げるレミリアの顔には、いつもの余裕が一切見られない。

「私にも他のフランドールが何をするかわからない。だからこの件が片付くまで、咲夜はお姉様が護っててちょうだい」

 フランドールは無言で睨み付けてくるレミリアから視線を外さずに、

「用件はそれだけだから。じゃあね、咲夜。ついでにお姉様も」

 と言って部屋を出て行った。





 一人は咲夜と図書館を出て行き、一人は初めから全く動こうとせず、一人は何処かへ飛んで行ってしまった。そして図書館では残る九人のフランドールが円を描くように並んで向かい合っていた。

「見た目は全く同じ」
「能力も使える」
「力も変わらない」
「記憶もそのまま」
「でも“フォーオブアカインド”は使えない」
「さらに思考も若干違う」
「性格も誤差がある」
「“私”が何考えてるかわかんない」
「でも本質は変わらない?」
「これは……」
「もしかして」
「私たちはそれぞれ……」
「……心が違う?」

 同一人物が会議を繰り広げる様は傍目には異様なものであるが、状況を整理するにはこうするしかない。と、そこへ突然乱入者が現れた。

「フランドール様の気がいっぱい増えたんですけど、いったい何事ですか!?」

 紅魔館の門番、紅美鈴である。

『美鈴!』
「来てくれたんだ」
「じゃあ遊ぼう!」
「ふ、フランドール様!? ほ、本当にいっぱいいる」

 仰天する美鈴を他所にフランドールたちは顔を見合わせ、アイコンタクトを取ると一斉に解散した。

「かくれんぼ」
「鬼ごっこ!」
「私は吸血鬼」
「でも美鈴が鬼」
『待ってるからね!』

 口々にそう言うと、フランドールたちは皆図書館から出て行ってしまった。


 頭が整理し切れないまま呆然としていた美鈴であったが、何故か目の前に一人だけ残って床に座り込んでいた。

「あなたは逃げないんですか?」

 とりあえず声を掛けてみる美鈴だったが、そのフランドールから感じる気配が普段とあまりに違っていた為、ぎょっとした。
 美鈴はその能力から、相手の気質を感じることが出来る。今目の前のフランドールから感じるのは、どうしようもない無気力感であった。振り返ったフランドールの表情も、どこかやつれたようなものだった。視線も一旦目が合った後すぐに下に向けられた。

「私はいいの」
「ど、どうしてですか?」
「しんどいから。どうせ逃げても捕まえられる。外に出ようとしても止められる。やっても駄目なら初めからやらない方がマシ」

 美鈴は驚いた。

〈こんなフランドール様は知らない〉

 美鈴のよく知る“フランドール・スカーレット”とは、天真爛漫で元気いっぱい。時には不敵な面も見せるが、基本的には良い子であった。こんな堕落した性質ではなかった筈だ。

「あなたは本当にフランドール様なんですか?」
「あれ、信じられない? なら教えてあげる。私はいっつも美鈴の前では無理してたんだよ。こんな考えの自分じゃ美鈴に好かれない、だから精一杯明るく振舞ってた。でもそれも疲れちゃったの。だからこれが本当の私」
「そんな……っ!?」

 突然の告白に少なからず衝撃を受ける美鈴。それに構わずフランドールは話し続ける


「現状維持、これが何よりも幸せなんだよ? そう思えたからこそ、ずっと外に出られなくても私は自分を壊さずにいられたの。だから諦めることが最良の選択」
「いいえ、それは違いますよ」

 目の前でこんな事を言われてはいつまでも呆けてはいられない。美鈴は気を引き締めた。

「何が違うの?」
「フランドール様は諦めてなんていませんでした。外に出られなくてもたくさん本をお読みになられ、メイドたちとお話しして、私と弾幕ごっこの練習もして、一生懸命でした」
「それももう限界、私は疲れたわ。どれだけ頑張っても私なんていないも同然なんだから」
「そんなことはありません! もしフランドール様がいなくなったら、私はとても悲しいです」

 その言葉に、フランドールはまた美鈴と視線を合わせた。

「フランドール様が頑張るなら、私も一緒に頑張りますから!」
「今のうちに何とでも言ってよ。他の私に会ったらそんな言葉も後悔するから」
「? どういうことかはわかりませんが、とにかく後悔なんてしません、絶対に」
「いつまでそう言ってられるかな? ……いいよ、教えてあげる。さっきの私は分裂した私の心の化身。今まで内に抑えてた――私みたいな心も表に出てしまったの」
「……」

 このフランドールは会話にこそ参加しなかったが、先ほどのフランドールたちの会話は全て聞いていた。

「他の私に会うってことは、今まで美鈴の知らなかった私を知るってこと。本当の私を知って、最後までそんな事が言えるの?」

 半ば睨むように目を細められたが、美鈴は怯まなかった。

「大丈夫です。フランドール様には、私の前で隠し事なんて必要ないということを教えて差し上げます」

 そう言って美鈴は、フランドールを抱き寄せた。

「……もう、少しは揺らいでよ。期待しちゃうじゃない」
「っ、フランドール様!?」

 美鈴の腕の中にいたフランドールは、そのまま黒い影となって霧散した。

「なっ」
「大丈夫だよ、還っただけだから」

 突然後ろからかかった声に美鈴が振り返ると、いつからか別のフランドールが立っていた。別の、というのはその気質がとても穏やかで乱れが無く、本当に別人のようであったからだ。

「そこにいた私が言ったことは、確かに本当のこともある。けど全部がそうじゃない。今消えた私が本物のフランドールだというのは本当。というより分身した私は皆本物らしいね。それぞれが私の心の一部。怠惰な私は、美鈴には隠していた一つの私。ちなみに私は……何だろ、理性かな?」
「大変じゃないですか! 元に戻すにはどうしたら」
「慌てないで。実はそれは私にもわからなかったの。でも今ので何となくわかった。私は満たされたがってる」
「満たされる?」
「私の心はほとんど渇いてたけど、潤ってる部分も確かにあった。でも分裂したせいで渇きが埋められなくなった。だから心が満たされれば、多分」

 まるで他人事のようにすらすら話すフランドールに、美鈴はまた少しの違和感を覚えてしまった。が、今はそれどころではない。

「どうすれば満たされるんです?」
「望みが叶えば良いんじゃない? だから頑張ってね、美鈴」
「私……ですか?」
「そう、私の願いはお高いの。美鈴じゃないと叶えるのは厳しいね」
「私はそんな大それた者では」
「あるよ。少なくともこの私には、ね。……好きだから」
「へ? は、はぁ、ありがとうございます」
「くすっ、このド天然」
「はいぃ!? な、何でですか!?」

 良い事を言われたと思ったら直後に貶され、困惑した。

「私も手伝ってあげる。って言っても、元々私のせいだけどね」
「いえ、フランドール様に手伝って頂けるのは心強いです!」
「相手も私だけど?」
「あぁっ!? そうでしたっ」
「面白いね~、美鈴は」

 素直な反応を返してくれる美鈴の様子に、フランドールは笑みを浮かべる。





 一先ず報告の為にレミリアの部屋を訪れた美鈴とフランドール。ノックをし、返事を待ってから入室する。

「失礼します」
「お邪魔しまーす」

 中に入って二人の目に映ったのは、困惑顔の咲夜を横に控えさせた、不機嫌丸出しのレミリアだった。

「ご、ご機嫌いか……」
「悪いわ!」
「たはは、ですよねぇ」

 美鈴に一喝し、今度はフランドールの方を睨むレミリア。

「お前はさっきのフランなのか?」
「さっきのフランよ、お姉様」
「はて、何の話ですか?」
「美鈴が来る前に、図書館で咲夜が他の私に襲われちゃって、とりあえず私がここに避難させたの」
「その節はどうも」

 ぺこりと頭を下げる咲夜にレミリアの機嫌がさらに悪くなる。

「礼なぞ言うな! 元々こいつのせいだろう」
「そうね、本当にごめんなさい」

 怒りを露わにするレミリアに、どこまでも落ち着いたフランドール。これではどちらが年上かわからない。

「落ち着いて下さいお嬢様。カリスマ負けしますよ?」
「やかましいわっ。とにかくまずは状況の整理よ。美鈴、今わかってることを説明なさい」
「はい」

 フランドールに言葉を添えられながら、美鈴は何とか状況を整理した。
 まず、原因はパチュリーが持っていた薬をフランドールが飲んでしまい、それにより心の分裂が起こった。分身した数は十二で、それぞれが心の一部を担っており、気質も異なる。――と、説明を受けたレミリアはげんなりしていた。

「解決の見込みは?」
「それぞれのフランドール様の望みが叶うか、心が満たされることで、元に戻れるかもしれません」
「ほう」

 するとレミリアは少し考えた後、

「だったら今回の件、全てあなたに任せるわ、美鈴」

 と言い放った。

「えぇ!?」
「流石お姉様、わかってるじゃない。ついでに私からもちょっと」
「……何よ」
「“私”が何しでかすかわかんないから、落ち着くまで咲夜は掃除とかも止めといた方がいいよ」

 その言葉にはレミリアも大きく頷く。

「そう、そうよ咲夜。あなたは勝手なことするんじゃないわよ? 時を止めても駄目、しばらく私から離れるのは禁止、仕事もするな」
「そ、そんなっ」
「返事は?」
「……はい、お嬢様」
「よろしい」

 いきなり全責任を押し付けられて戸惑う美鈴と、仕事禁止令を出されて落ち込む咲夜。そんな事はお構いなしで、レミリアはその場を切り上げた。





 レミリアの部屋をあとにした美鈴は、“理性のフランドール”と共にフランドールの部屋を訪ねた。

「フランドール様、いらっしゃいますか?」

 部屋の中には二つの人影があった。どちらもフランドールのものである。
 片や部屋の隅で蹲って泣いているようである。怯えと寂しさの気が伝わってくる。
 片やベッドの上で何か作業をしている。こちらはとても温かい気だ。

「いらっしゃい、待ってたよ」

 ベッドの方、“慈愛のフランドール”が声を掛けてきた。それに反応して蹲った――“悲哀のフランドール”も顔を上げる。
 美鈴たちが近付いても、二人とも逃げる様子は無い。

「あらら、そこの私は美鈴に加勢?」
「まあね」
「良いポジションをゲットしたね」
「……」

 美鈴には二人が何のことを言っているのかわからなかったので、まずは素朴な疑問を口に出した。

「何をなさってるんです?」
「ワッペンを作ってるの。私と美鈴、それにお姉様に咲夜、パチュリーと小悪魔の分もね」
「それは素晴らしいですね」
「うん。普段の私じゃ、他の心に邪魔されてこんな事なかなか出来ないから、分離してる今のうちに作っておきたくて。だからもし私たちを元に戻す方法がわかってるなら、これが出来上がるまで待ってくれない?」

 とても嘘を吐くようには見えないフランドールの言葉に、美鈴はあっさりそれを承諾した。

「わかりました」
「簡単に信じるんだね」
「フランドール様ですから」
「……うん、美鈴はそうなんだよね」

 慈愛のフランドールは、穏やかな笑みを浮かべたまま作業に戻った。

 次に美鈴は部屋の隅に向かい、しゃがみ込んだ。蹲るフランドールと目線を合わせる為だ。
 悲哀のフランドールはさっきからずっと涙を零していた。

「何を泣いていらっしゃるんですか?」
「わたじはっ、ぐす、おねえさまにきらわれててっ、だからずっとぞとにだしてもらえなくてっ」
「そんなことはありませんよ」
「あるよ。おねえざまはわだじのこと、さけてるっ。でもきらわれるだけならまだいいの」
「……怖いんですね?」
「こわい?……ぞう、こわいのっ、いらないっていわれるのが。おまえなんかきえてしまえってっ、いわれるのがっ、ごわくてこわくてっ、すっごくごわいのぉ!」

 何度も息を詰まらせながら、それでも必死に伝えきったフランドールの頭を、美鈴は優しく撫でた。後ろに立っている理性のフランドールもその様子を見守っている。

「よくぞ言ってくれました。フランドール様は偉いです。こんなに立派な方をいらないだなんて、誰が言えますか。もしそんなことを言うやつがいたら、たとえお嬢様であってもこの私が成敗してやります!」
「ぐすっ……ずずっ」
「だからもう泣かなくてもいいんですよ」
「ぅぐっ……へ、えへへ、めーりんはやっぱり、やさしい、ね」

 徐々に泣き止んでいった悲哀のフランドールは、最後に少しだけ笑顔を見せ、先ほどの“怠惰のフランドール”と同じように消えた。

「なるほど、“満たされること”ね」
「そうだよ」

 慈愛のフランドールが呟いた言葉に、理性のフランドールが答える。そして、

「ありがとう美鈴。また一つ、私の心が救われたよ」

 と礼を言った。しかし美鈴はその言葉には答えられない。返事も出来ない程泣きじゃくっていたからだ。





 やっと泣き止んだ美鈴は、理性のフランドールと一緒に食堂に向かっていた。慈愛のフランドールはあのまま部屋で作業を続けている。

「すみません、ちょっとお腹空いてきちゃいまして」
「いいよ、そういうところも美鈴らしくて可愛いから」
「うぅ、お恥ずかしい」

 食堂の前まで来た時、屋敷内に突如爆音が響いた。顔を見合わせた二人は体を反転させ、すぐさま音が聞こえた方――玄関ホールへと駆け出す。そこへ向かう途中も音は数回聞こえ、美鈴たちは逃げ惑う妖精メイドたちの流れに逆らいながら進む破目になった。

「これは相当ご立腹ですね」
「もしくは最高にご機嫌ね」

 そして到着した二人が見たのは、玄関付近で立ち尽くす三人のフランドールだった。しかも三人とも全身ずぶ濡れで体から湯気が上がっていた。

「ちっくしょお! あの腐れ魔女っ!」
「うぅぐぐぐぐっ、熱い、熱いよぉ」
「つまんないつまんないつまんなーい!」

 玄関扉は破壊されており、ぽっかりと開いた穴から外の様子が窺えた。
 雨、それはもう半端なく土砂降りである。間違いなく魔法によるものだ。
 実はパチュリーは出掛ける前に紅魔館の周囲に結界を張っており、それがフランドールの魔力を感知すると自動的に雨を降らすようにしていたのだ。本人がこの場にいれば間違いなく「こんなこともあろうかと、やっておいたわ」と言っていたことだろう。

「こんなこったろうとは思ってたさ。でも実際やられるとやっぱムカつく!」

 美鈴で無くともその気質は一目でわかる、怒りの形相で外を睨みつける“憤怒のフランドール”。

「いつまで私を閉じ込めるつもりよ」

 放つ気から苦しみがひしひしと伝わってくる“苦悩のフランドール”。その気に美鈴は僅かに顔を歪ませた。

「やっぱりパチュリーも壊しちゃおっかな」

 そして邪気とも無邪気とも取れる、言うなれば“幼稚のフランドール”。その三人が不意に振り返る。

「来たね、美鈴」
「“私”もいるんだね」
「あっそぼー!あっそぼー!」
「気付かれてましたか。二対三、それもフランドール様が相手とは」
「大丈夫だよ。どんな性格でも私である以上、美鈴を殺したりするようなことは無いから。……多分」
「多分!?」

 逃げ出したい気分に駆られる美鈴だったが、そこに救世主が現れる。

「ちょっと待ってー!」

 館の奥からまた別のフランドールが現れた。

「でっかい音が聞こえたから、もしかして他にも来てるんじゃないかって思って来てみて……正解だったよ、やっぱりいた! ねぇねぇ私も混ぜてよ~」

 何がそんなに楽しいのか、とにかく明るい気を撒き散らす“喜楽のフランドール”。

「これで三対三だね」

 理性のフランドールがにやりと笑う。

「それじゃあやろうか」
「やるのはもちろん」
「弾幕ごっこだ!」

 相手の三人からの提案に、美鈴側のフランドールも答える。

「スペルカードは一人三枚までね」
「よーしっ、チームサバイバル、張り切っちゃうよ!」
「……私以外皆フランドール様」

 その光景に今さらながらに眩暈を覚える美鈴であった。

〈私、生き残れるかなぁ〉





 結局、弾幕ごっこは一時間以上も続き、結果は美鈴側の勝利で終わった。が、“レーヴァテイン”同士がぶつかり合うような弾幕合戦の中、最後まで残った美鈴は納得がいかなかった。

〈あ、明らかに私への弾幕だけ緩かったよね〉

 勝負中、玄関ホールはまさに地獄そのものであった。にも関わらず、美鈴がいるところだけが半安置――まるで台風の目――という状態であった。

「やったね美鈴」
「ぅわーい! 私たちの勝ちだよ!」
「あぁん、もうっ」
「悔しいぃ」
「あー、楽しかった!」
「い、いいんでしょうか? こんな勝ち方で」
『え?』

 フランドールたちは全く気にした様子は無い、というかまず何のことだかわかっていない。

「私にだけ手加減されてましたよね?」

 美鈴がそう尋ねたことでやっとフランドールたちは「あー」という顔をした。

「そんなのいいんだよ」

 代表してか、理性のフランドールが答える。

「別に私たちは美鈴が弱いと思ってやったんじゃないよ。ただ、『出来るだけ長く美鈴と遊びたかった』、それだけだよ」
「そう、なんですか?」

 美鈴の問いかけに他のフランドールたちも頷く。その中から幼稚のフランドールが進み出た。

「それに最後――美鈴が私と一対一になった時は、私全力だったよ」

 その言葉は本当で、後半になるにつれて美鈴に向かってくる弾幕の密度はどんどん濃くなっていた。

「だからこの勝負は間違いなく美鈴の勝ち」
「そう、ですか」

 そう言われて、美鈴はやっと勝利の実感が湧いてきた。

「……ん、楽しかったですね!」
『うん!』

 フランドールたちは気質こそ違っても、やはり本質的なものは変わらないのだろう。その声は揃って肯定のものだった。

「それじゃあ美鈴、また遊んでね?」
「あっ……はい、喜んで」

 その中で幼稚のフランドールは消えていった。彼女はただ思いっきり遊びたかっただけだったようだ。

〈そういえば、最近はあまり体を動かす遊びはしてませんでしたからね〉

 自分はもっとフランドールのことを考えてあげるべきだった、と反省する美鈴。

 しかしろくに息つく暇も無く、また別の異変に気付いた。

「!? この気はっ」

 不意に感じた悪寒。フランドールたちも険しい顔をしている。
 弾幕に熱中していてそれまで気付かなかったが、館内の爆音は未だに鳴り止んではいなかった。まだどこかで誰かが暴れているのだ。

「他の私が暴れてる」
「しかも音がするのは……」
「お姉様の部屋の方だ!」

 美鈴とフランドールたちは急いでレミリアの部屋へ向かう。





「いつからあなたはそんなに偉くなったのかしら?」

 レミリアは部屋の隅に追い込まれ、庇うように咲夜を背後に隠して二人のフランドールと対峙していた。逃げ道は完全に塞がれている。

「実の姉に牙を向くとは良い度胸ね。八つ裂きじゃ済まないわよ」
「状況はちゃんと把握してから物を言ってね」
「あんたと咲夜は特に邪魔なのさ」

 フランドールからは躊躇いなど全く感じられない。内心レミリアは焦っていた。

〈お嬢様、ここはやはり私が時を止めて〉
〈だから余計なことをするなと言っているだろう! こいつらもお前が能力を使うことは予想している。もし時間停止を解除した隙を狙われたら対処できん。とにかく今はチャンスを窺いなさいっ〉

「ふん、確か分身したフランはそれぞれが心の一部の化身だそうだな。大方お前たちは高慢と嫉妬と言ったところか」
「流石は“私”のお姉様、その通りよ」
「……美鈴に近付く全てが憎い」
「わかりやすいな。単純、安直、何の捻りも無い」
『っ!』

 挑発的な言葉だが、この方が噛み付き易い。何とか時間を稼ごうとするレミリア。だが、

「……お姉様はさっき、『いつからそんなに偉くなったのか』って訊いたよね」

 二人のフランドールが、それぞれ右腕を伸ばし、手を上に向けて開いた。その腕の延長線上には、レミリアではなく咲夜の顔がある。

〈!? 不味いっ〉

「初めからだよ」

 レミリアは“自尊のフランドール”に向かって飛び掛かり、右腕を爪で切り落とした。が、もう一人の方には間に合わない。

「美鈴に愛されていいのは私だけ」

 “嫉妬のフランドール”の瞳には、己の手中に納まる咲夜の“目”が映っていた。迷わずその目をグッと握り締める――直前に右腕が消滅した。

『!?』

 部屋の中にいた全員が一瞬の硬直の後、扉の方を振り返る。

「ご無事ですか!? お嬢様、咲夜さん、フランドール様!」

 ようやく到着した美鈴の前には、激しい争いの跡を残すレミリアの部屋があった。

「遅い! まだ解決していなかったのか美……鈴……」

 仕事の遅い美鈴に怒りをぶつけようとしたレミリアだったが、その背後から四人のフランドールが睨んでいた為、気勢を削がれてしまった。

「……その増援は一体どっちのだ?」
「えっ、あぁ、えーと……ど、どっちのなんでしょうね?」

 たはは、と笑う美鈴に脱力するレミリア。

「私たちはお姉様の見方……」
「と、いうわけじゃないけれど」
「そこの私がやろうとしていることは見過ごせない」
「だ、そうですよ」
「……まぁ、良しとしよう」

 しかし当然その状況に納得のいかない自尊のフランドール。

「どうして? どうして“私”が私の邪魔をするの!? “私”ならわかるでしょう? こんなやつより、私の方が力は上だし、吸血鬼としても格上だし、紅魔館だっていつでも乗っ取れる! たった数年早く生まれたってだけで、一生見下され続けてもいいって言うの!? 本当に夜の王を名乗るべきは私なのにっ」
「待って、落ち着いて下さい!」
「美鈴、あなたまで私を裏切るの? 血縁にも、美鈴にも、私自身にまで裏切られたら私はっ、私……」
「フランドール様!?」

 力が抜けるようにその場にくず折れる自尊のフランドールに、美鈴は慌てて駆け寄った。

「美鈴、私はそんなに駄目? 私なんかじゃお姉様には及ばないの?」

 美鈴に体を預け、涙を流すフランドール。

「いいえ、そんな事はありません。フランドール様にも、夜の王たる資格は十分にありますよ」
「じゃあどうしてっ」
「……上に立つというのは、良い事ばかりではありませんよ?」
「そうね」

 それまで黙っていた咲夜も話に加わる。

「責任は全て押し付けられるし、弱音を吐いてはいけないし、他の勢力への牽制も怠ってはいけない。さらに好き嫌いもしてはいけませんし、我が儘ばかり言ってはいけませんし、勝手に従者を置いてふらふら出掛けるのも駄目です」
「ちょ、ちょっと咲夜?」

 途中から咲夜からレミリアへの当て付けになっていた。

「は、ははは、ま、まぁとにかく、そういう訳でお嬢様も大変なんです。偉そうにしてたって、寂しさ余って泣いちゃうことだってあるんですから」
「本当? お姉様が?」
「はい」
「め、美鈴、なんてことをっ」
「いいじゃないですかお嬢様、何も恥ずかしいことじゃありませんよ」
「そうですよ。私と二人だけの時なんて割とネガティブ思考なことも……」
「お黙りなさい!」
「お姉様可愛いー」
「一人でおねんね出来まちゅかー?」
「寂しかったら私が慰めてあげまちゅよー」
「貴様らぶっ殺すぞ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶレミリア。その様子に、レミリア以外の皆が声を上げて笑った。

「意外っ、お姉様ってこんな面もあったんだ」
「そうですよ。今回、フランドール様が私の知らない面をこんなにいっぱい持っていたように、お嬢様もフランドール様が知らない顔をたくさん持っているんです」
「ふふっ、なーんか気が抜けちゃったなぁ……ありがとう、美鈴。ごめんね、お姉様、咲夜」

 自尊のフランドールは影となって消えていった。

「なるほど、こうなるのね」
「……お姉様」
「ん?」

 憤怒のフランドールがレミリアに近付き、振り返った瞬間、

「ぐぉ!?」

 その顔面を思いっきり殴り飛ばし、壁に叩き付けた。

「はぁ、やっとスッキリした。どーよ、これが約五百年の私の怒りパンチの重みよ。軽かったでしょう? 当然よね、まだほんの一部だもの。これからは毎日ちょっとずつ晴らさせて貰うから、せいぜいコンティニューしてね」

 レミリアは頭が壁に減り込んでた為に返事は出来なかったが、それでも怒りのフランドールは満足したようで、またもや影となって消えていった。

「咲夜」
「は、はいっ」

 今度は先ほど右腕を消滅させられた嫉妬のフランドールが咲夜に話し掛けた。一瞬、自分も殴られるのかと身構えたが、そういう雰囲気ではない。

「私はね、美鈴が好きなの」
「? はい」
「わかってないね? 私の“好き”は、恋愛感情だよ」
『えぇっ!?』

 咲夜だけでなく美鈴まで驚いた。その様子にフランドールたちは苦笑する。

「まぁ、そういう訳で。だからね、独占欲の強い私は、あまり私以外のやつに美鈴と親しくして欲しくないの」
「そ、それで私やお嬢様を」
「そう。でもやり方を変えるよ」

 今度は美鈴の方を向く。当の美鈴はまだ若干混乱中だが、

「私自身の魅力で美鈴の思考を独占してやるんだから、覚悟しててね!」

 ビシッと指を突きつけて宣言し、不敵な笑みを残して消える嫉妬のフランドール。

「……咲夜、私からも言わせて」

 またも咲夜に声をかけるのは“苦悩のフランドール”。

「私はさっき、図書館であなたを襲おうとしたの。でも本気じゃなかった。いや、殺したいって思ってたのは本当だけどね」

 フランドールの物騒な発言に、咲夜も美鈴もぎょっとする。

「な、何故でしょうか?」
「あぁ、別に咲夜が悪いんじゃないの。ただ、あなたを殺せばあいつには最高の苦痛になるの」
「?」

 そう言ってフランドールは壁から頭を抜こうともがくレミリアを親指で指した。しかしいまいち意味が理解出来なかった咲夜はきょとんとした。

「……まぁ良くも悪くも、咲夜は何故か美鈴と似てるとこ多いからね。とにかく、あいつへのダメージになることは魅力なの。でもそれ以上に、あなたを殺したら私は美鈴に嫌われる。それは私にとって一番苦しいことだから」

 フランドールは一瞬痛々しい笑顔を浮かべ、それに咲夜と美鈴も心配するが、

「でももう大丈夫。美鈴は私のものだって、もう運命で決まってるからね」

 レミリアに近付いていき、

「そうでしょ? お姉さ、まっ!」

 お尻を蹴り飛ばした。唖然とする美鈴と咲夜を他所に、

「まだまだ私の味わった苦しみはこんなもんじゃないよ?」

 苦悩のフランドールはまるでゴミを見るような目でレミリアを一瞥して消えていった。ちなみにレミリアは腰まで壁に減り込んでしまい、今はピクリとも動かない。

「凄いね! 今まで空っぽだった私が――私の心が満たされていくんだ! もちろん私も!」

 そう言うと喜楽のフランドールは、おもむろに右手で自らの腹を抉った。

『!?』
「慌てないで。……ねぇ、これ凄く痛いの。吸血鬼にも弱点はあるし、こんな風に血も流すし、痛みも感じる」

 二人を制し、話を続ける。その間も腹から血は流れ、目の端には涙が滲んでいる。しかしその表情は本当に嬉しそうだ。

「それは皆一緒なんだよ? 私も、お姉様も、美鈴も咲夜もパチュリーも小悪魔も、霊夢や魔理沙だって皆……皆それは一緒なんだよ。私だけがおかしい訳じゃないの。それって、なんか凄く嬉しいんだ!」
「そう、ですね」
「全く、その通りです、妹様」

 二人からそう言われて恥ずかしそうに頬を染め、そして笑いながら爆発的な喜びの気は消えていった。


「一気に五人も消えちゃったね」

 その様子を見ていて尚、どこまでも平静な口調の理性のフランドール。しかしその瞳は僅かに揺れていた。

「これで残りのフランドール様は四人ですね」
「そう。まだ満たされていない私の心が五つもある。でも美鈴なら、全部満たしてくれるんでしょう?」

 フランドールのその問い掛けに美鈴は、

「もっちろんです!」

 はっきりと答えてみせた。





 レミリアのことは咲夜に任せ、美鈴とフランドールは一旦食堂で食事を取った。そして残りのフランドールを探そうとした時、調理場の方が騒がしかったので何事かと覗いてみた。すると、

「ケーキもっと持ってこーい! ジュースも足りんぞー!」

 何とも間の抜けたフランドールがおやつを食い荒らしていた。そのせいで辺りの妖精メイドはてんやわんやである。

「ふ、フランドール様……」
「ん、私ながら天晴れな食いっぷり」
「!? あ、やばっ。“クランベリートラップ”!」

 美鈴に気付いたフランドールは慌てて弾幕を展開して逃げていった。

「あわわわ、早く追いかけないとっ」

 そして追いかけようとしたその時、

「きゃ!?」

 背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、妖精メイドたちが怯えた表情で震えていた。
 美鈴は何が起こったか見てはいなかったが、何となく予想はついた。さっきまでそこにあった妖精メイドの気が一つ、突然破裂したのを感じたからだ。

「今のはもしや」
「うん、私の能力だよ。使ったのは“私”じゃないけどね」
「フランドール様、ご案内願えますか?」
「もちろん」


 フランドールは妖精メイドたちから離れる“目”を追っていた。それを頼りに美鈴も付いていく。
 そして辿り着いたのは再び戻ってきた大図書館。その入ってすぐの所に目的の人物はいた。

「ふっふふ~んふ~ん、つ~ぎ~はだ~れ~にし~よぉっかな~」

 入り口からは背を向けて立っていたフランドールは、一見すると無邪気なようだが、感じる気は理性のフランドールよりも揺らぎがない――最も安定しているようで、その実どこか違和感を覚えさせるようなものだった。

「させないよ」

 と、突然理性のフランドールが右手を伸ばした。その表情には珍しく若干の焦りが見える。
 美鈴は不思議がっていたが、理性のフランドールには見えていたのだ。その不気味なフランドールの方に引き寄せられていく美鈴の“目”が。

「いいじゃない、もう何もかも壊しちゃおうよ。形あるものはいつか壊れる。どうせ壊れるなら、私の手で壊してあげる。美鈴も、私も含めてね!」
「あなたは“私”だけど冷静じゃない。冷静な私はそんなことをしたら間違いなく後悔するよ。だからさせない」
「違うよ。私は他のどの“私”よりも客観的に自分を見てるよ。今までは他の心に邪魔されて抑えられてたけど、今の私は独立した存在。だから今こそ“私”の意志を実現するの」
「あなた、他の私が消えるのを待ってたね? でも残念、まだ私は残ってるよ」

 睨み合うフランドール。しかし不意に一方が口端を釣り上げて笑った。

「そう。でも理性じゃ達観した私は止められないよ!」

 美鈴の目は徐々に“達観のフランドール”の方に引き寄せられていく。

「美鈴、早くあいつを止めて! 美鈴の“目”が引き寄せられてる!」
「えぇっ!?」
「それこそさせないよ」

 狂気のフランドールは衝撃派を放った。全方位に波のように押し寄せる乱雑な魔力の壁に、美鈴は近付くことすら困難になった。

〈不味い、このままじゃ本当に美鈴がっ〉

 基本は平静な筈の理性のフランドール、しかしそれでも焦りを感じずにはいられなかった。今も引き合いに負け、少しずつ遠ざかっていく美鈴の目を見据えている。しかし、

「何してくれちゃってんのさ」

 その目の動きがピタリと止まり、今度は達観のフランドールから離れていく。
 現れたのは先ほど調理場にいたフランドール。

「おちおち本も読めないわ」
「むぅ、まだ残ってたの? これじゃ勝てないじゃない」

 二対一になった。そう認識した瞬間、お互いに能力を解除した。

「助かっ……」
「てない」
『こともない』
「た!?」
「ちっ」

 ホッとした美鈴が僅かに気を抜いた、その隙を狙って直接攻撃に出た達観のフランドールを、二人のフランドールが盾になって防いだ。

「油断しないで」
「この私は本当に美鈴も壊す気だから」
「危ないから逃げて」
「私の部屋かお姉様のところへ!」

 美鈴にそう叫んで、二人のフランドールは達観のフランドールと戦闘を始めた。

「そ、そんな……」

 しかし美鈴は動けなかった。それ程ショックだったのだ。曲がりなりにもフランドールが自分を本気で殺そうとしたこともそうだったが、それよりも、

「フランドール様がフランドール様と殺し合いだなんて」

 玄関ホールでの弾幕ごっこは遊びであった。先のレミリアの部屋での騒動も、戦闘と呼べるまでには至らなかった。
 しかし今美鈴の目の前で起こっているのは、館全体を揺らすような衝撃をぶつけ合い、激しい血飛沫を撒き散らしながら腕をもぎ、腹を裂き、頭をかち割るようなまさに“殺し合い”である。

 そんな殺し合いも、同じ人物で二対一では、純粋に戦力差が出る。然程時間をかけずに勝負は終わりを迎えようとしていた。
 仰向けに倒れた達観のフランドールに、二人のフランドールが止めを刺そうと飛び掛った。が、

『!?』

 達観のフランドールを覆い被さる様にして庇った美鈴が、二人の攻撃をその背で受け止めた。

「美鈴、どうしてっ」
「大丈夫!?」

 美鈴は血反吐を口から漏らし、達観のフランドールの上に倒れ込んだ。その息は荒い。

「どうして、って……このフランドール様を殺してしまったら、それは心が欠けてしまうということじゃないんですか?」
「……うん」
「そ、そうかもしれないけど、この私は美鈴まで壊そうとするような……」
「じゃあ、駄目です」

 そう言ってにこりと笑う美鈴。しかしその顔は汗だくである。

「ねぇ美鈴、私が怖くないの? 私に壊されるかもしれないんだよ?」

 小さな声で呟く達観のフランドール。美鈴はそれに優しい声で答えた。

「大丈夫ですよ、私は壊れませんから。フランドール様も壊させません」
「もしそれでも壊れちゃったら?」
「絶対に壊れません。万が一壊れても、必ず直します」
「……美鈴は丈夫なんだね」
「はい、それはもうダイヤモンドより硬いですよ」
「あははっ、ダイヤなんかと比べちゃ駄目だよ。でも、そうだね、美鈴は壊れないね。だったら私が元に戻った時、美鈴がいないなんてことは無いんだよね?」
「もちろんですよ。何たって急いで館の修復をしなければなりませんから。じゃないと、お嬢様や……パチュリー様に……どやされます、から……」

 徐々に声は小さくなっていき、遂には途切れ、美鈴の体から力が抜けた。その様子に二人のフランドールは息を呑むが、下敷きになっているフランドールは落ち着いていた。

「そう、そうだね。……ねぇ、私」
「……何」
「美鈴は自分で『硬い』って言ってたよね?」
「そうよ! 美鈴はすっごく頑丈なんだから、だからこんなことでっ」
「でもね……」

 達観のフランドールはすっと目を閉じて、言った。

「美鈴の胸、すっごく“柔らかい”」
『は?』

 そして消えていった。その最後の捨て台詞にポカンとしていたフランドールたちは、美鈴から寝息が聞こえることにようやく気付いた。

「っ、ありえない!」
「でも美鈴らしいね」

 そんな二人の呆れた溜め息は、おそらく美鈴には届いていないのだろう。





「……およ?」

 気がつくと、そこは暗い部屋だった。体を起こした美鈴は、そこがフランドールのベッドの上であり、自身に手当てが施された形跡があることに気付いた。

「おはよう美鈴」
「あ、おはようございます、フランドール様」
「『あ、おはようございます』じゃないよ!」

 近くには三人のフランドールが立っていた。

「半日眠ってたんだよ? 心配したんだからね!」
「す、すみません、どうしても眠たかったんですっ」
「でもおかげで傷も治ったみたいだね」
「あ、はい、もう全快ですよ!」

 美鈴の体には諸所に包帯が巻かれており、パッと見かなり痛々しかったが、傷は全て完治しており、疲労もすっかり取れていた。

「はぁ~、まぁでも美鈴も起きてくれたことだし、これでやっと私も元に戻れるよ」
「へ?」
「気分的にはもう満足なんだけど、どうしても美鈴に伝えたいことがあってね。元に戻ってからじゃ、もう言えないかもしれないし」
「という訳でまず私から」

 先の戦闘で加勢に来たフランドールが軽く咳払いをし、話し出す。

「美鈴、あなたは私のものなの」
「? は、はい、私は命懸けでフランドール様をお護りする覚悟も……」
「それじゃ駄目!」
「はいぃっ」

 大声を上げるフランドールの迫力に美鈴は怯んだ。

「だから言ってるでしょ!? 美鈴は私のものだ、って! 私の所有物である以上、勝手に死ぬなんて許さない。あなたを殺していいのは私だけ。そして私はあなたを殺さない。だから美鈴はずっと生きるの、この私がいる限り! 美鈴はっ、一生っ、この私だけのっ、狗なの!!」

 そう一息に捲くし立て、最後に大声で「肝に銘じろ!」と叫んで、“貪欲のフランドール”は消えていった。美鈴は耳鳴りを起こしていたが、それでも心が温かくなるのを感じた。

「美鈴、これあげる」
「あ、これは」

 次に話しかけてきた愛情のフランドールは、美鈴の手に何かを乗せた。それは黄色い星型のワッペンであった。

「出来たんですね」
「うん、ちょっと時間かかっちゃったけどね。他の皆の分は咲夜に纏めて渡したんだけど、美鈴には直接渡したかったから」
「ありがとうございます。とっても嬉しいです」
「くすっ、どういたしまして」

 愛情のフランドールは、終始笑顔のまま消えていった。
 部屋に残されたのは、最後の一人となったフランドールと、ベッドに半身を起こして虚空を見つめる美鈴だけだった。

「さ、美鈴、最後は私からだよ」

 そのフランドールの言葉に美鈴はハッとして、全神経を集中して耳を傾ける。が、

「実は私、今回の事件が起こったこと――私が起こしたんだけど、凄くラッキーだったと思ってるんだ。おかげでお姉様にちょっと仕返し出来たし、不満もぶつけれた。美鈴に本当の私も知って貰えたし、それでも変わらない美鈴の優しさが嬉しかった」
「フランドール様、もしかしてずっと私に付いててくれたのは、私の本心を確かめる為に?」
「……そう、だね。確かにそれもあるよ。だけどそんなのは建て前」
「え?」
「理性的な私は、他の“私”よりも一番良い位置につける方法がわかったからね。おかげで、ずっと美鈴と一緒にいられてお得だったよ」

 それは美鈴には予想外な台詞で、しかしフランドールの表情は至って真面目なものだったので、流石に美鈴も赤面した。

「お、良い顔見れちゃった。これからはもっとこういうところを前面に押し出していこ~、っと」
「か、勘弁して下さいよぉ」
「あはは!」

 美鈴はガックリと項垂れた。直後に、

「じゃあね、美鈴」
「へ?」

 美鈴が顔を上げると、そこにはもうフランドールの姿は無かった。





 忙しなく扉を叩き、返事も待たずにレミリアの部屋に押し入る美鈴。

「お嬢様っ!」
「ばっ!? ちょっ、ぶ、無礼者ぉ!」
「美鈴! 気がついたのね、良かった」

 部屋の中にはベッドの上で咲夜にアイスを食べさせて貰っているレミリアの姿があった。が、そんな状況には全く目もくれずに美鈴は泣きついた。
 慌てて咲夜から離れて居住いを正したレミリアは、恥ずかしさに若干赤くなった頬を誤魔化すように何事か尋ねた。

「フランドール様が、フランドール様がどこにもいないんですっ!」

 ぼろぼろと涙を零しながら訴える美鈴。咲夜が慌ててハンカチでその顔を拭うが、涙は止まらない。

「という事はこの件は解決したのね?」
「その筈だったんです。なのに、なのにっ」
「落ち着きなさい。本当にちゃんと探したの?」
「はい! 外は豪雨で出られませんから、館の中全部探したんです。けどっ」

 レミリアは少し考える仕草をしたが、すぐに何かを思いついたようで、

「あなたの部屋は?」
「あ、まだ」
「そこよ」

 断言するレミリア。あまりにキッパリと即答され、美鈴の涙も止まってしまった。

「え、あ、でも……」
「さっさと行け!」
「失礼しましたーっ!」

 レミリアが右手にグングニルを出現させて怒鳴った為、美鈴は慌てて退散した。


〈私の部屋なんかより他にもっといそうな場所も探したんだけどなぁ〉

 なんとか自分の部屋に辿り着き、「もしここにもいなかったら」という不安を抑え、ゆっくりと扉を開いた。

「ふ、フランドール様! いらっしゃいますかーっ?」

 部屋の中には入らず、入り口から声を掛ける。が、気配は無い。一応明かりも点けてみたが、それは無人の部屋をはっきり認識させただけだった。

〈やっぱりいない〉

 落ち込んだ美鈴は扉を閉めようとした。その時、

「そして誰もいなくなるか?」

 中から求めていた声が聞こえた。慌てて扉を開け放つ美鈴。
 そこには腕を組み、尊大な態度で仁王立ちする金髪の吸血鬼がいた。

「遅い! 主人を待たせる狗めっ、もっと自覚しなよ? “フランドール・スカーレットにとって、紅美鈴がどれだけ大切か”をね」
 夜こそ賑わう紅魔館。たとえ館が半壊状態でも、パーティは盛大に行われる。
 食堂に館の全員が集まり、わいわい騒いでいる。その中心にいるのは、レミリアと咲夜、フランドールと美鈴、そして放心状態のパチュリーとそれを気遣う小悪魔であった。
 六人とも胸にワッペンをつけており、それぞれデザインが違っていた。レミリアのは赤い満月、咲夜のは黄色い満月、フランドールのは赤い星、美鈴のは黄色い星、パチュリーのは赤い三日月、小悪魔のは黄色い三日月――をモチーフにしていた。
 フランドールのすぐ近くに座っているレミリアは少し気まずそうであったが、フランドールの方は全く気にした様子は無い。すこぶる機嫌が良さそうだ。

「それでね、ボロボロの図書館見て『どういうことなのっ……!?』ってひっくり返るパチュリーなんか、めちゃめちゃ面白かったよ!」
「ちょ、フランドール様、しーっ!」

 慌ててフランドールを止める美鈴だったが、その注意は遅かった。

「……鬼、悪魔、吸血鬼めっ」
「そのまんまですパチュリー様」

 三日間アリス邸に泊まり、魔理沙・アリス・パチュリー・小悪魔――四人で有意義な実験や魔法談義をし、実に充実した気分で帰って来てみれば……。
 図書館どころか紅魔館全体がボロボロ。大事に閉まっていた“心理滅裂の秘薬”も勝手に飲まれていた。

〈小悪魔に使おうと思ってずっと機会を窺ってたのに!〉

 ちなみにあの薬は本来、“食欲・睡眠欲・性欲の心を分裂させて化身を生み出す”というもので、それは性欲だけを残された小悪魔の心が自分を求めてくることを期待したパチュリーが、数年かけてやっと完成させた代物であった。
 フランドールはその効果が出る前に自ら分身しようとしてしまった為に、今回のような思わぬ効果を生んだのだろう。
 この事態は研究対象としてはかなり興味深い例の筈なのだが、ただでさえパチュリーは現場に居合わせていなかった上に、楽しい時間の後の悪夢はリバウンドでさらにショックがでかかったようだ。

〈小悪魔とべっろべろのにっちゃにちゃのねっとねとのにゃんにゃんする筈だったのにぃっ〉

 小悪魔のことで頭がいっぱいな魔女は、ただただ血の涙を流すだけであった。

 紅魔館は概ね平和である。





『理性・怠惰・慈愛・悲哀・憤怒・苦悩・幼稚・喜楽・自尊・嫉妬・貪欲・達観』の十二人のフランドールでお送りしました
ずわいがに
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コメント



0.3820簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
達観のフランドールが言ってることがどこぞのパラッツォさんみたいな
21.100名前が無い程度の能力削除
すごいよかったです
23.100名前が無い程度の能力削除
フラめい……はっ
25.100名前が無い程度の能力削除
引っかかり無くするする入ってくる素直な文章で、とても読みやすかったです。
何よりいきいきと血のかよった描写が素晴らしい。
フランちゃん12人もいるというのにその美点がなおさら際立っていると感じます。
27.100名前が無い程度の能力削除
狂気のフランドールが出てくるかと思ったけれど別にそんなことはなかったぜ!
まあ狂気って心理は単体で存在できなさそうだけれど。
35.無評価ずわいがに削除
≫8様
俺の知らないキャラですね。「とにかく全部リセット」って感じの思想って怖いです。

≫21様
ありがとうございます。励みになります。

≫23様
美鈴は受けですよ

≫25様
そう思って頂けたなら、頑張った甲斐がありました。

≫27様
初めは“狂気”でしたw その次の案は“破壊衝動”で、最終的に“達観”ということになりました。
37.100名前が無い程度の能力削除
これはおもしろい
38.100名前が無い程度の能力削除
ふらめいこそが我らの希望
40.80名前が無い程度の能力削除
うみねこかな?と。
おもしろかったです。
47.100アリサ削除
やっぱり美鈴は優しいなあ。フラン達もそれぞれ個性的で面白かったです。……それにしてもパチュリーw
49.100名前が無い程度の能力削除
フラメイこそ我が至高
54.無評価ずわいがに削除
≫37様
どうもです!

≫38様
紅魔館に希望の虹を見た!

≫40様
『うみねこの鳴く頃に』のこと……で、いいんですかね?; 俺はうみねこは全然知らないんですが、ひぐらしはアニメだけ見てました。あれは怖かったです。

≫アリサ様
美鈴は気さくなお母さんオーラを纏ってますからね。 ぱっちぇさんはもう駄目ですww

≫49様
フランドールが大人になれば、さぞや美しい主従カップルになるだろう――と妄想しっぱなしですw
64.90名前が無い程度の能力削除
うほっいいフラメイ
66.100名前が無い程度の能力削除
少しずつフランが心に溜めていたものが出て行くのがいいですね。

多分、これからのフランはもっと自分に素直になってるんじゃないかなぁって。
90.100名前が無い程度の能力削除
12人ってネタでシスプリ想起したけど大分違ってた
思ったよりカオスじゃなく真剣なフラン達に2828したw
題名は美鈴の事だったのかw
91.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
パチェは……お気の毒さまw
93.100名前が無い程度の能力削除
いいフラメイ
95.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいフラメイだった。
しかしパチュリー・・・