悪魔が住む館として有名な紅魔館の地下、広大な面積を誇る図書館に一人の少女が呪文を唱えながら魔方陣を展開している。
藤色の長い髪に、どこか眠そうな瞳。寝巻きにも似た真っ白なローブに身を包んだ彼女の名は、パチュリー・ノーレッジといった。
紅魔館のブレイン。百年を生きた魔女。動かない大図書館。
その言葉が表すとおり、彼女はこの館の実質的な頭脳および参謀であり、百年を生きた魔法使い。図書館にこもっては本を読みふける本の虫。
とすれば、彼女が今現在行っている作業が何なのか、ある程度想像ができるのではないだろうか?
すなわち、新しい魔法の実験である。
今まさに、彼女が最後の一節を唱えようとしたその時―――
「パチュリー!! 遊びましょう!!」
すぱぁんっと、そりゃもう勢いよく扉が開け放たれた。
金紗のような髪を揺らし、満面の笑顔で訪れた少女の背には、枯れ枝に七色のダイヤという歪な羽。
彼女はフランドール・スカーレット。正真正銘、この館の主人であるレミリア・スカーレットの妹だ。
天真爛漫、純真無垢、しかし気が短く情緒不安定。ともすれば気が触れているとさえ言われる彼女の登場は、パチュリーにとってはまさに予想外のことだった。
一瞬の意識の乱れ。集中が途切れ、組み立てた術式があちこちでたらめな方向に走り回り、その余波がパチュリーの目前でスパークという形で発現する。
「しまっ―――」
上げようとした言葉はしかし、直後に巻き起こった爆発で掻き消えた。
轟音と熱風。それらが図書館に入ったばかりのフランドールにも襲い掛かり、彼女はたまらず目を瞑ってそれをやり過ごす。
しかし、いつまでもそのままというわけにも行かなかった。
何しろ彼女の目の前で、親しい人間が爆発の中心部で被害にあったのだから。
「パチュリー!!?」
「パチュリー様!!?」
先ほどの爆発音を聞きつけてやってきたのか、本棚の影から一人の少女が慌てた様子で現れた。
ワインレッドの長い髪に、背には蝙蝠の羽を生やした彼女は、小悪魔と呼ばれているパチュリーの使い魔。
もくもくと煙が上がる中心部付近に集まった二人は、未だ晴れない煙の中を凝らすように視線を向ける。
埒が明かないと悟ったのか、小悪魔が小さく指を鳴らして風を巻き起こして煙を晴らすとそこには。
「……もやし? 紫の?」
フランの言葉通り、紫のもやしがポツーンと落ちていたのであった。
その光景のシュールさに疑問をこぼしたフランは悪くあるまい。前後の関係性が見つけられないのだから当然だ。
しかし、小悪魔の反応は違った。顔を真っ青に青ざめさせ、よろよろと本棚を背にして頭を抑える。
「あぁ、なんということでしょう。パチュリー様が、パチュリー様が―――赤ん坊になっちゃいました!!」
「何でだよぉぉ!!?」
この上ないツッコミだった。そりゃもう、窓ガラスがあったならあっさりパリーンと破裂すんじゃねーかってぐらいに凄まじい絶叫である。
「何するんですか妹様!? 耳が痛くなっちゃったじゃないですか!!」
「やかましいよっ! パチュリーが赤ん坊ってこれどう見ても紫なだけのもやしじゃんか!!?」
「いいえパチュリー様です!! 思い出してください妹様、パチュリー様が皆さんからなんと呼ばれていたのかを!! そう、紫もやしです!!」
「だからって何でこのもやしがパチュリーの赤ん坊時代ってことになるのさ!!? もはや人型ですらないよ!! もはやただの線だよ!! ていうか哺乳類ですらないし!!?」
凄まじくアレな発言をしまくる小悪魔に、フランの全うな常識のツッコミ。
一進一退とはこのことか、彼女らの口論はしばらく続き、お互い無呼吸だったせいかぜーはーと荒い息を繰り返しながらその論議も中断となる。
はぁっと小さくため息をついたフランは、つまむようにしてパチュリー(仮)を持ち上げた。
「仮にこれがパチュリーだったとしてさぁ、どうやって戻すのよコレ」
「妹様って鬼畜ですね。まさか首根っこ引っつかむなんて」
「わかったよ! 手のひらに乗せればいいんでしょ!!? 左手は添えるだけなんでしょ!!? 丁寧に扱うわよチクショウ!!」
なんか泣きたくなってきた。そんな感想を胸に抱きながらも優しくいつくしむように手のひらにのせる。
傍目から見ればもやし。もしこの光景を誰かに見られたとしたならば、それが原因でまた気が触れてるなんていう噂が立つのだろうなぁと思って憂鬱になった。
涙目のフランだったが、彼女はめげない挫けない。とにもかくにも彼女を元に戻すことが先決だった。
「それでさ、どうやって元に戻すの?」
「そりゃやっぱり、ディスペルするしかないんじゃないか?」
問いかけた言葉に答えたのは別の声。しかし、その声には聞き覚えがあって思わず頬を綻ばせる。
後ろを振り向き、そこにいたのは典型的な魔女スタイルの金髪の少女、霧雨魔理沙であった。
「魔理沙!!?」
「よっ! 相変わらずだなフラン。それはそうとして面白いことになってるじゃないか。それパチュリーなのか?」
「そうですよ魔理沙さん。その紫のもやしは赤ん坊のパチュリー様です」
『いや、それはない』
二人そろって全力否定。息ぴったりに首と手を振る動作も見事なシンクロを見せる魔理沙とフランだった。
「ところでさ、魔理沙は何しに来たの? いつもの窃盗?」
「はっはっは、人聞きの悪いこと言うもんじゃないぜフラン。そんなわけないじゃないか」
「どの口がそれを言うかな。現在進行形で袋に本詰め込んでるくせに」
ジト目のフランにも何のその。鬼の居ぬ間に何とやらとはよく言ったもんで、魔理沙はあせくせと本を持ち出すために袋に放り投げている。
小悪魔が「やめてくださいよー」と懇願するが効果なし。ここの部屋の主が悲惨な状態だからといってやりたい放題である。
「こら、そこの黒白。本日の貸し出し時間はとっくに終了しています」
しかし、そこに現れる救世主。小悪魔嬉しさのあまり万歳三唱し、対して魔理沙は作業をやめて振り返る。
肩口で切りそろえられた銀髪を揺らしながら、紅魔館のメイド長を勤める十六夜咲夜が無駄のないしゃんとした足取りでこちらに歩いてきた。
「堅いこというなよ、どうせ外の連中で他に利用者もいないだろ?」
「残念、人形遣いが利用なさいますわ。彼女はしっかり返却していただいてますが、あなたからは一向に返してもらっていないので」
「死んだら返すぜ」
「そんなのは一般的に借りるとは言いません。ねぇパチュ……あらら、パチュリー様?」
ようやく部屋の主がいないことに気がついたか、ナイフを取り出そうとしていた咲夜がきょろきょろと辺りを見回した。
すると、フランが申し訳なさそうにそーっと彼女の目の前にアレを差し出した。
それを見た途端、見る見るうちに顔を青ざめさせて一歩後退する咲夜。彼女がここまで狼狽するのも珍しい。
「そ、そんな!? そ、それはまさか……赤ん坊のパチュリー様!!?」
『そんなわけあるかぁぁ!!?』
まさかの真顔で小悪魔とおんなじことをほざかれて堪らずフランと魔理沙が全力でつっこむ。
するとどうだろう。先ほどまで狼狽していた咲夜は、ケロリといつもの笑みを浮かべた。
「冗談ですわ」
へなへな崩れ落ちるフランと魔理沙。あれ、この人ってこんな茶目っ気のある人だったっけ? などと自問して見たが、途中でむなしくなってやめた。
一方、咲夜はというとパチュリー(仮)をフランから受け取り、まじまじと見つめて頬に手を当てる。
「でも困りました。水に漬して置けば戻るかしら?」
「そんな植物じゃないんだから……あ、今は植物か」
「野菜炒めとかおいしそうですね。色は毒々しいですが」
「やめてよ!? 本当にやめてよ!!? フランとの約束だよっ!!?」
相変わらず本気なのか冗談なのかわからない咲夜の言葉に、フランがツッコミを入れて疲れたようにため息をついた。
とにもかくにも、このままパチュリーを放っておくわけにもいかない。このまま彼女を放置すると紅魔館の頭脳レベルがゲシュタルト崩壊を起こしてしまう。
「小悪魔、解呪の魔道書とかないの?」
「ありますよ。ちょっとお待ちになってください」
一応だめもとで聞いてみたフランだったが、どうやらちゃんと存在しているらしい。
小悪魔がパタパタと飛んで行く様を見送りながら、フランはほっと安堵の息をこぼした。
そんな彼女の様子を見て、魔理沙がくつくつと笑みをこぼす。
「よかったじゃないか、戻せるめどが立ってさ」
「うん、まったくだよ。ところで魔理沙、盗むのやめようか」
「はっはっは、だから借りてるだけだって」
「後で小悪魔の秘蔵の本上げる」
「盗みは良くないよな、うん!」
そそくさと袋の中の本を本棚に戻す魔理沙。悪魔の秘蔵の魔道書ともなればやはり興味が引かれるのか、その行動は実に迅速である。
「とにかく、テーブルで待とうよ。立ったままじゃ疲れちゃうわ」
「お、それもそうだな」
「それなら、私は紅茶を用意いたしますわ」
咲夜からパチュリー(仮)を受け取ったフランを確認し、彼女は一礼するとパッと消えてしまう。
時間を止めて紅茶を用意しに行ったのだろうと当たりをつけ、二人はゆったりとした足取りでテーブルに座り、ゆっくりとパチュリー(仮)をおろす。
テーブルの真ん中にぽつーんと存在する紫色のもやし。それを見つめる吸血鬼と魔法使い。果てしなくシュールな光景であった。
「……ねぇ、今の私達ってなんかものすごく間抜けじゃない?」
「言うなフラン。気にしたら負けだ」
やっぱりそれとなくお互い現状は認識していたらしく、情けない背中を晒しながら鬱にはいる約二名。
どよどよと漂う負のオーラ。目に見えないはずのそれは質量を持って彼女たちの周りに停滞し続けている。うーんミステリー。
そんな調子で待ち続けること数十分。咲夜から紅茶をを受け取った二人がそろそろ退屈し始めたころあいだろうか。
小悪魔が複数の本を抱えて図書館の奥から走ってくる姿が見て取れた。
「お待たせしました~!」
「おー、待ちくたびれたぜ」
「小悪魔、早くパチュリーを戻してあげようよ」
「ハイッ!!」
とてとてと走るペースを上げる小悪魔。コレでようやくパチュリーを元に戻せると一安心。
フランは安堵のため息をつき、魔理沙もやれやれと肩をすくめていたが何処か安心したような表情だった。
「ほわっ!!?」
ところがどっこいそうは問屋がおろさねぇ、小悪魔が盛大にずっこけて抱えていた書物が宙を舞う。
その事実に気付いてギョッとしたフランと魔理沙だったが、ときすでに遅し。
ぷちっ。
『パチュリィィィィィィィィィ!!?』
パチュリー(仮)に分厚い本が狙い済ましたように落下したのであった。
慌てて本をどかすが、そこには見るも無残な光景が広がっていた。
潰れて水分を垂れ流したそれはまっ平らになってしまい、よほどの衝撃だったのかテーブルに張り付いている始末。
まさか、まさかこんなアホな事で、紅魔館最大の頭脳を失ってしまうなんて。
絶望に打ちひしがれ、背もたれに背を預けてうなだれるフラン。魔理沙も同じように背を預け、その大きな帽子で目元を覆い隠した。
「ごめん……ごめんね、パチュリー。私があの時、ノックもせずに入ったから……」
「馬鹿、なんでお前が私より先に逝くんだよ。これじゃ、一生返せないじゃないか……」
悲しみが後から後から溢れて泊まらない。
悲しみを抑えようとするけれどうまくいかず、それは涙という形になって溢れてくる。
コレが、誰かを失うということ。コレが悲しいという思い。
こんなはずじゃなかった。こんな結末なんて望んでいないのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
考えてもわからない。後悔と自責の念が、彼女たちを苦しめている。
「……何してるのあなた達」
「何って、放っておいてよパチュリーが……」
……ぴたっと、振り向いたフランが硬直する。魔理沙にいたっては幽霊でも見たかのように目を見開き、呆然とその人物に視線を向けていた。
他の誰でもない、動かない大図書館のパチュリー・ノーレッジに。
果たして、その沈黙はどれほど長いものだっただろうか。呆れたようにため息をついたパチュリーはいつものようにゆったりとした足取りで定位置に座る。
「えっと、パチュリーさん。今までどちらに?」
「魔理沙の家。あの魔法の失敗で飛ばされてね、戻ってくるのに時間がかかったのよ」
「あれ、じゃあこのもやしは?」
「……それが何で私になるのよ」
馬鹿馬鹿しいとフランの問いを一蹴して、魔女は本を開いて自分の世界に引きこもる。
呆然とするフランと魔理沙をよそに、クスクスと笑い声が本棚の裏から聞こえてきた。
他でもない、パチュリーの使い魔の小悪魔のものである。
「プッククククク! アレがパチュリー様なわけないじゃないですか。も、もう駄目、お腹が、お腹がぁ!! アハハハハハハハハハハハハハ!!!」
終いには盛大に大笑いし始める小悪魔。
ようするに、すべては彼女の悪戯。小悪魔ならパチュリーが何の実験をしていたか知っていたはずだし、あの失敗の際にとっさにこの悪戯を思いついたのだろう。
小悪魔は楽しそうに笑い転げているが、当然、この二人にとってはちっとも面白くないわけで。
魔理沙は無言で八卦路を取り出し、それをフランと一緒に握った。
「アハハハハハハハ……ハッ!!?」
そのことに小悪魔が気がついたときにはもう遅い。
フランの魔理沙の手に握られた八卦路の中心部に、禍々しい深紅の魔力が渦を巻き。
『禁恋、マスタァァァァァァァァスパァァァァァァァァァァクッ!!』
「エイドリアァァァァン!!!?」
二人で放つが故にか、魔理沙の放つマスタースパークの十倍はありそうな極光が、奇妙な悲鳴を上げる小悪魔ごとすべてを飲み込む。
その日、悪戯好きな小悪魔もろとも紅魔館は塵と消えた。
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霧雨魔理沙の自宅の一室、そこで家主である霧雨魔理沙は絶望に打ちひしがれていた。
彼女は生きる気力を無くしたかのようにピクリとも動かない。その机の上には、一冊の書物が開かれている。
「……」
無言のまま席を立ち、もそもそと布団の中にもぐりこんだ。
机の上にあるのは小悪魔秘蔵の書物。その書物には男同士のアレな漫画が延々とかかれていたのであった。
わかる人はわかるだろう、それが一体どういった代物なのか。
そしてそれがわからない心の綺麗なあなた、ぜひともその綺麗な心のまま世の中を生きてほしい。
今まさにその書物を読んで絶望に打ちひしがれる魔理沙さんとの約束である。
何となくスポンジから大量に生えている姿を想像したけれど(髪型的に)
読み返すと一本だけだったのか
さてこの魔理沙は今後どういった男性観を持つようになるのでありませうか。
良かった…。魔理沙が正常な反応をしてくれて、本当によかった………!!
一次元に萌えることができるようになりました。ちょっと明日もやしを大量購入してきます。
いいぞ、もっとやれ!!
ヤマジュンがドつぼに入ったwwwwwwww
ツッコミがおいついかねえwwwwwwwwwwwwwwwwwww
魔理沙が正常でよかった
さすが小悪魔期待を裏切らないwww
しかしこのあとパチュリーそっちのけで、徐々に仲良くなっていった小悪魔と魔理沙の姿があったという……
なんか、ここで萌えた