それは雪の降る冬の夜のこと。
その日、紅魔館では多くの人妖を招いたパーティが行われていた。
なんでも、前々から計画を進めていた月に攻め入る為のロケットの完成式典だとかなんとか。
目一杯の可愛いお洒落をしたお嬢様による、あのダルマ落としみたいな形をしたロケット自慢を、果たして本当に聞きたいのか甚だ疑問だが、とにかく多くの人妖が集まったのだ。
そのパーティにおける私、紅 美鈴の役割は参加者の受付と門番業務。
館に来た客がちゃんと招待状を持っているか確認し門を通す、それが終われば周辺の警備と。ま、大体普段と変わらない。
竹林のウサギ達が総出で来たのには少しびっくりしたけどね。しかも全員ちゃんと招待状持ってたし。咲夜さん、もうちょっと考えて配ってくださいよ。
「あぁ、寒いなぁ。早くパーティ終わってくれないかなぁー……」
呟きが白い息になって暗闇に溶けていく。
いくら私が強い肉体を持つ妖怪だといっても、寒空の下で立ち続けるのはやはり辛い。
早く部屋に戻って、パーティで余った酒と料理でお腹を満たしてのんびりしたいものだ。
と、まだ見ぬ今日の夕飯に想いを馳せていた、その時。
「めーりーん!」
背にした塀の向こうから突如、私を呼ぶ声が響いた。
その直後、私の前にふわりと一人の少女が降り立つ。
「こんばんはー。退屈そうだね、えへへ」
「い、妹様!? 何やってるんです、こんな所で!」
現れたのは、絹のような金髪と鮮やかに輝く虹色の羽が特徴の少女。妹様ことフランドール様。
慌てる私なんかまるで気にしてないように、にこにこと無邪気な笑みを浮かべている。
「ダメじゃないですか! 今夜のパーティは部屋で大人しくしてるように、ってお嬢様から言われてたでしょ!」
「えー、だって一人でいたってつまんないんだもの。ねー、めーりん一緒に遊ぼうよー」
「ダメです! 妹様がここに居ることがお嬢様や咲夜さんの耳に入ったら、私が怒られてるんですよ! この前だって、罰としてこのクソ寒い外で一日中立たされてたんですから!」
「普段と何が違うの、それ……?」
妹様は、その狂気と破壊の能力のせいで勝手な外出や催し物への参加を許されてない。
まあ、本人もそこまで出る気は無いのだが、たまに退屈になるとこうやって門前までやってきて私をからかうのだ。
つまりは、ここが妹様の生活範囲の一番外側。紅魔館の敷地内とは言え昼は日差しが当たるここも、お嬢様からしたらあまり行って欲しくない場所のようだが。
「心配しなくても平気よ。もし後で何か言われても、めーりんは私に気づかずハナチョーチン膨らませて『もう食べられないブヒィ…』と呟きながら寝てたって言うから」
「なお悪いですって! なんでデブキャラみたいな寝言なんですか! ほら、誰かに気づかれない内に屋敷に戻らないと!」
「もー、めーりんったら慌てすぎー、おもしろーい!」
私を指差して妹様はケラケラと笑う。屋敷に戻る気は全く無さそう。
妹様も、決して悪意があってやっている訳ではないのは分かっている。ただ、退屈に耐えかねてここに来ただけなのだ。
暇になったら私と遊ぶ、という選択肢が妹様の中にあるのは悪い気はしないのだが。
……仕方ない、妹様の気が済むまで相手をするしかないか。誰かに見付かってお嬢様の耳に入らなければいいけど。
「だいじょーぶよ。ちゃんと見つからないように隠れて来たし、お姉さまもロケットの説明に一杯一杯で、私が抜け出したことなんて気づいてやいないわ」
「はぁ、ならいいんですが。……ところで、お嬢様はちゃんとお客様にプレゼンできてましたか?」
「出川みたいだったわ」
噛み噛みだったんですね。
「大体さ、今日のパーティもそうだけど、毎回毎回お姉さまはズルいのよ! いっつも私を除け者にして自分達だけで楽しんで! なーんか楽しそうなことがあっても、決まって私には内緒なんだもん! 咲夜もそう、パチェもそう、私が知るのはいつも終わった後! 酷いと思わない!?」
お嬢様達が関わった異変のことを言ってるのだろう。妹様は頬を膨らませて私に不満をぶちまける。
「月旅行だってそうよ! 知らない内に話が進んで、いつの間にかもう行くメンバーが決まっちゃってるんだもの!」
「旅行っていうか、戦争仕掛けにいくみたいですがね」
「どっちだっていいわよ。どうせ出してもらえないし、今更外の世界になんて興味ないわ。でも、私だけ無視されるってのが気に食わないの! お姉様も計画ぐらいは教えてくれてもいいのに!」
外の世界に興味はない。その言葉を聞き少し胸が痛む。
妹様の能力が危険極まりないのは分かる。屋敷に閉じ込めるという判断も間違ってはいないだろう。
だが、それによりこうも外の世界への興味を失ってしまうとは。
「ねえ、めーりんはなんとも思わないの?」
「?」
「めーりんだって、パーティがあっても毎回参加させて貰えないじゃない。今日みたいにずーっと門の前に立ちっぱでさ」
「はは……、私はこれが仕事ですから」
「寂しくないの? 参加したいとは思わないの?」
「うーん、確かに寂しくないと言えば嘘になりますけど……」
「あはは、じゃあめーりんも私と一緒だ! 除け者の寂しいもの同士!」
「そ、そんな売れ残りの独身女性みたいな呼び方しなくても……」
妹様と同じ、か。本当にそうなのだろうか。
でも妹様が私なんかに仲間意識を持ってくれてるって点は、少し嬉しいかな、なんて。
「……ねえ、めーりん」
乱暴な口調から一転、妹様はどこか憂いのある声で呟く。
「私、最近よく思うの。お姉さまもパチュリーも咲夜も、今回の月旅行みたく、知らない内にどんどん私を置いてどこかに行っちゃうんじゃないかって」
「妹様……」
「……いつの間にか、私だけ一人ぼっちになっちゃうんじゃないかって」
妹様は寂しそうに顔を伏せた。
どうやら、妹様はここ最近の紅魔館の様子に、不安を覚えているらしい。
紅霧異変と呼ばれるあの日以来、紅魔館は積極的に外部と関わるようになり、多くの来客が紅魔館に訪れた。
幻想郷で異変が起これば、咲夜さんだけでなく、お嬢様やパチュリー様まで積極的に解決に出向くようになった。
『自分だけ取り残される』と感じるのも無理はない。それまで五百年近くも変わらない日々を過ごしてきた妹様には、最近の急激な環境の変化を受け入れることができないのだろう。……悲しいことだが。
「……めーりんは、ずっと私と一緒にいてくれる?」
不安そうな表情を浮かべて妹様が私に尋ねる。
「私を置いてどこかに行っちゃったりしないよね?」
私はそれに、笑って答える。
「勿論ですよ、私はずっと妹様と一緒です」
「めーりん……!」
哀しそうだった顔が、パッと明るくなる。
「妹様、さっき言いましたよね。私と妹様は同じだって」
「……うん」
「二人とも、パーティからも月旅行からも置いてけぼりにされた者同士じゃないですか。だから、私はいつまでも妹様と同じ速さで歩いていきますよ」
「ほんと!? ほんとにずっと一緒にいてくれるの!?」
殆ど不死に近いヴァンパイアである妹様と共に生きていくのは難しいこと。ほぼ確実に、私の方が先に寿命が来る。
だが、私は決して口からでまかせを言ったわけではない。お嬢様と妹様を全力で守り抜く。それがスカーレット家に仕える私の使命。
だから、私はずっとお二人の傍にいる。お二人が心に寂しさを感じているなら尚更のことだ。
「……ありがとう、めーりんのおかげで元気が出たわ。そうね、私にはめーりんが付いてるもんね!」
「これからも何かあれば、遠慮なく相談してくださいね。ただし、勝手に抜け出してきたりしちゃいけませんよ!」
「うん! 約束だよ! めーりんはずっと私と一緒だから!」
「ええ、約束です」
よかった、妹様に笑顔が戻ったみたいだ。
やっぱり妹様は哀しい顔よりも、笑っていた方がずっと似合ってますよ。
妹様の不安も消えて、これで一安心。そう思ったその時。
「緊急事態、緊急事態! 地下室より妹様が脱走した! メイド隊は勤務、休憩中問わず全員捜索作業に当たれ! 急げ、事は一刻を争うッ!!!」
突然、それまでの静かな夜を一気に引き裂くように、辺りに響き渡る時計台の鐘の音。
その激しい金属音の中でもはっきりと聞こえる咲夜さんの怒号。
「やば、バレちゃった!」
「ま、まずいですよ妹様!」
どうやら、妹様が部屋にいないのがバレてしまったらしい。
屋敷のあちこちから妖精メイド達のドタバタとした足音が聞こえてくる。
そしてそれは私達のいる門のすぐ後ろ、私の管理する花壇にまで迫ってきた。
「メイド長! あそこの植え込みから金髪が見えています!」
「よし、全員かかれっ! 相手は妹様、全力でいかないとこっちがやられるわよ!」
「それっ、一斉攻撃~!!!」
「え? な、何? ひ、ひぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ああっ! アリスが突然弾幕の渦の中にっ!」
「しまった! これは妹様ではなく、こっそりパーティを抜け出して黒白とイチャついていた人形遣い!」
「ええい、こんな時に紛らわしい奴! コイツめ、もう一発撃ってやれ!」
「ひぎっ!」
「皆、そんなのに構ってる暇は無いわ、今度はあっちを捜索するわよ! それ、回れ右!」
「ま、魔理沙……貴女は、私の……」
「アリス、しっかりしろ! 目を開けてくれ、アリスぅーっ!!!」
咲夜さん率いるメイドの一団の足音が遠ざかっていく。危機一髪、すんでの所で見つかってしまうところだった。
ホント可哀想だよ。ロクにパーティにも参加させて貰えず、ちょっと部屋から消えただけでここまで騒がれるんだもんな。
「……見つからないうちに部屋に戻るね。めーりん、お仕事頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
周辺からメイドが居なくなるのを見計らって、妹様は羽を広げて門の上まで飛び上がる。
そして、塀に立った状態で私の方に振り向く。
「……めーりん」
「なんでしょう?」
「ずっと一緒だからね。約束だよ」
「はい、約束です」
私の返事を聞くと、妹様は満足げに微笑んで塀の向こうへ消えていった。
妹様が、私みたいなただの門番を心の支えにしてくれる。
光栄なことだ。そのことが、私の中になんともいえない充実感をもたらしてくれる。
「よぉーし! パーティが終わるまであと少し、頑張るかぁ!」
降り続ける雪はますます勢いを増し、幻想郷を真っ白に染めていく。
だが、そんな雪の寒さも感じない程、私はとても温かい気持ちに包まれていた。
◇◆◇
「……まったく、本当にこの門番は」
そうだ、私は常にお嬢様達と共にある。
もし、紅魔館に危険が訪れれば、私は真っ先に命を投げ出し戦うつもりだ。
「今日も相変わらずですねー、美鈴さんは」
「コイツ、マジでなんでここに居るのかしら? こういうデザインの置物なの?」
お嬢様と妹様の命を狙う妖怪ハンター、スカーレット家を傘下に収めようとする別勢力の悪魔。
そして幻想郷全土を恐怖に陥れる伝説の凶星、太歳星君。
いかなる敵が現れようとも、紅魔の誇る最強の盾・紅 美鈴が全て撃退してみせる。
それが、スカーレット家への忠義。そして私を必要としてくれた妹様に対する応えなのだ!
「もう代わりにチワワでも番犬にした方が役に立つんじゃない?」
「あ、いいですねえ、飼いましょうよ。ブームも過ぎましたし、きっとそんなに高くないですよ」
たとえ戦いの中で命を落とそうとも、私の魂は常にお二人を見守り続けるだろう。
そして、お二人は私の死を乗り越え人間的、いや悪魔的に成長を遂げる。
数年の後、幻想郷一のカリスマ姉妹へと成長したお二人は、毎晩のように夜空を見上げては想う。
今の私達があるのは美鈴、貴女のおかげよ、と。
「なんかニヤニヤしだしたわね。あーこのツラ、本気でムカついてきたわ」
「そんじゃ、そろそろやっちゃいますか。何使います? 百科事典とか重たくていいんじゃないですか?」
「んー……、じゃあこれにしとくわ」
……ていうか、さっきから声が聞こえるんだけど何?
ったく、うるさいなあ、今私の格好いい未来を夢想してるんだから、邪魔しないで欲し……。
「いい加減に起きろっ、この支那竹!」
「んぎゃっ!?」
突如、脳天に響く強烈な衝撃。
頭ん中に火花が飛び散るような痛みを受け私は跳ね起きた。
「まあ一発で起きたわ。流石は遥霞月、これだけ重いと威力があるわね」
「鈍器として使用可能な数少ない同人誌ですからね。人も殺せる400ページは伊達じゃないです」
「怒られないかしら? 今更だけど」
「大丈夫でしょ。根拠は何一つありませんが」
気がつくと私の前にはパチュリー様、それに図書館の司書・こぁちゃんが立っていた。
パチュリー様の右手には、私の頭に振り下ろしたと思われる分厚い謎の本が握られている。
「おはようございます美鈴さん。気分はどうですか?」
「なんで朝イチで見に来たらもう寝てんのよ。ここまでやる気がないと逆に賞賛に値するわね。怒るどころか、むしろ金一封を贈呈したくなるわ。いる? 中身はメタルファティーグだけど」
状況が理解できない私は、ぽかんと口を開けたまま周囲を見回す。
今まで降りつもっていた雪は跡形もなく消え、それどころか夜闇だった筈の空には太陽が昇り、幻想郷を明るく照らしていた。
「あ、あれ? なんで、どうして? パーティは?」
「今日のは前面にアゲハ蝶の刺繍が付いた黒のTですが」
「い、いや、パンティじゃなくて……。つーか、こぁちゃん凄ぇの履いてるのね」
「パーティ? まだ寝ぼけてんの? ロケット完成式典のことなら、一週間程前に終わったじゃない」
パチュリー様に大きな溜息をつかれる。
ぼやける頭を無理矢理回転させて今の状況を把握しようと試みる。
えっと……。寝ぼけてるってことは、私は今の今まで寝てたってことかな?
それに、パーティは一週間前の話だって? え? じゃあ、さっきまでのは全部夢だったってこと?
妹様と私とが交わしたあの約束も全部? いや勘弁してよ、いきなり夢オチ? どんだけ投げっぱなのよ。
「覚えてないの? 大変だったじゃない。フランが部屋からいなくなって、パーティ中だってのにメイド総出で捜索に当たって」
「あのクソ忙しい中で何故かアリスさんが重症を負って運ばれきやがるし、本当にてんやわんやでしたね」
むむ、それは夢の内容と同じ。ということは、私は実際にあったことをそのまま夢で見ていたってことか。
よかった、妹様との約束は幻じゃなかったんだ。
「……なにニヤけてんのよ」
ふと我に返る。いけないいけない、顔が緩んでいた。
「いつまでもそんな所でボサッとしてないで、早く朝食を作りなさい。みんな待ってるのよ」
「え、私が作るんですか?」
「咲夜が作り置きしておいた料理は昨日で尽きたわ。今日から厨房担当は貴女の仕事よ」
「いや、私、門番の仕事があるんですが……」
「今の今まで眠りこけといて、よくそんなこと言えるわね。いい? 咲夜がレミィと一緒に月に行っちゃってるんだから、メイド長代理の貴女が作るのは当然じゃない。事前に言っておいたでしょう?」
メイド長代理? あー……そういや、そんなこと言われてた気がする。
そっかぁ、お嬢様と咲夜さんはパーティが終わった数日後に、ロケットに乗って月に行っちゃったもんなぁ。代わりは必要だよね。
あーあ、二人がいないから存分に楽ができると思ってたのに。
「てか、料理ぐらいパチュリー様の魔法で簡単に作れないんですか?」
「あら、貴女は自分の主人の友人にして、現紅魔館当主代理にそんな仕事をやらせるつもりなのかしら?」
「……わかりましたよ。作ればいいんでしょう、作れば」
「早くしないとメイド達の不満が溜まって、みんな館から出て行っちゃうわよ。もしそうなったら私は当主代理の責任として、原因である貴女を磔の火炙りに処して遺憾の意を表明しなきゃならないのよ」
「完全なトカゲの尻尾切りじゃないですか。微塵も責任取る気ありませんね」
大きく伸びをして体から眠気を飛ばす。
うーん朝ごはんか、メイド達全員の分を作らなきゃいけないのは大変だな。
メイド長代理とか肩書きは立派だけど、要は仕事が増えただけっていうね。中間管理職かっての。
しっかし、時止めが使えない私に、咲夜さんの代理なんて務まるのか甚だ疑問だわ。
「……じゃあ作ってきますよ。醤油、塩、豚骨、どれがいいですか?」
「え? 朝からラーメンを食べさせる気なのこの子!?」
「あ、私大豚ダブル野菜マシマシで」
「豚の餌ですね。了解しました」
二人からオーダーを取り厨房へ向かう。
お嬢様達が帰ってくるまで忙しくなりそうだなぁ。咲夜さん、早く帰ってきてくれないかな。
あ、門番が誰もいなくなるけど別にいいよね? 黒白魔法使いは月に行っちゃってるし、まさか誰も来ないと思うけど。
これで館内に不審者が入っても私のせいじゃないよ? 当主代理さんの采配ミスってことでヨロシク。
◇◆◇
使い慣れた中華包丁を振るい、大量の野菜を流れ作業で切り刻んでいく。
お手軽に作れる料理とはいえ、メイド達全員に食べさせるとなるとやはり準備するのも大変だ。
まな板にきざんだキャベツの山が出来たところで、私は一旦手を止めた。
「ふぅ、そろそろみんなを呼んできた方がいいかな?」
後は麺を茹でるだけ。
メイド達は呼んでもすぐには来ないし、麺が伸びることを考えたら全員集まってから茹でたほうがいい。
どうせなら美味しいものを食べさせたいしね。
パチュリー様謹製の魔法スピーカーで館内放送を流そうとした、その時。
「めっいりーん! おっはよー!!」
底抜けに明るい声と共に、私の背中に何者かが飛び乗ってきた。
「うわっ? 妹様!?」
「あー、めーりんが朝ごはん作ってるー。ねえ献立はなーに? ケーキ?」
「妹様は中華包丁でケーキを作る様を見たことがおありで?」
現れたのは妹様。おんぶの格好のまま両腕で私の首をぎゅうぎゅう締め付ける。
無邪気な妹様のやることとはいえ、チョークスリーパーで首をねじ切られるのは勘弁願いたい。
落ち着いて一旦妹様を背中から下ろし、食堂の椅子の一つに座らせる。
「どうしたんです、こんな朝から。まだ寝てなくちゃダメじゃないですか」
「だって夜はみんな寝てるじゃない。起きてたってつまんないわ」
昼ふかしか。吸血鬼なんだから、昼は寝ていたほうがいいと思うんだけど。あんまり不摂生な生活してると出なくなりますよ、何がたぁ言いませんが。
まあ起きてしまったものは仕方ない。この際、妹様の分のラーメンも作ったほうがいいだろう。
ニンニクは当然抜くべきだな。チャーシューラーメンニンニク抜き。ネタが古い? 知るか。
「それに、夜じゃめーりんとも会えないし」
「はは、嬉しいこと言ってくれますね」
「だって、私達はずっと一緒なんでしょ? 約束したよね?」
一週間前に門前で交わした約束。覚えていてくれたんだ。嬉しいなぁ。
自然と顔が綻んでくる。よおし、妹様の分には特別にチャーハンも付けちゃおうかな!
「……ねえ、めーりん」
妹様が呟くように言う。
「はい、なんですか?」
「大事な話があるの」
先程までと比べると、やや深刻な面持ちの妹様。
大事な話? なんだろ、またお嬢様のオモチャを壊しちゃったのかな?
「あのさ、めーりん……」
冷蔵庫からインスタントのスープを出しつつ、妹様の言葉に耳を傾ける。ふむ、どうやら少し言い辛いことらしい。
……もしや。
「血が出るのは病気じゃないですから、心配しなくてもいいですよ」
「え? い、いや、どこも怪我はしてないわ」
おや、違ったのか。じゃあ何だろう。
「えっと、あのね、その、めーりん……私と……」
仕方ない、自分から言ってくれるまで待つか。
小腹が空いたのでチャーシューを一切れ口に放り込む。
うん、流石咲夜さんが用意しただけはある。味がしっかりと染み込んでいて美味い。
「……結婚しよ?」
「ぶふっ!!」
食べたばかりのチャーシューが口から飛び出す。
「な、な、な! 何言ってるんですか!!」
「あれ、聞こえなかった? じゃ、もう一度言うね」
「え、ちょっと……」
「めーりん、私と結婚しましょう!」
な、何を言ってるんだ妹様は。け、血痕? 血の跡? やっぱアレの話?
いやまさかとは思うが、妹様の言うケッコンとはマリッジ。つまり結婚のことなのか!?
え、なんで妹様が私と? 脈絡が無さ過ぎじゃない!?
「あのさ、一週間前のパーティで、私と話したことは覚えてるよね?」
「え、ええ、よく覚えていますが……」
「その時、約束したよね。ずっと私と一緒だって。あれってさ、つまりはプロポーズだよね?」
「え、ちょっと待って! いくらなんでもその理屈は無理がありますよ!」
とんでもない論理の飛躍だ。私は慌てて否定しようとするも、残ったチャーシューが喉に引っかかってうまく喋れない。
慌てる私の様子を楽しむように、妹様はゆっくりと近付き首に手を回してくる。
その顔に浮かぶ笑みは、幼い少女とは思えない程の妖しい魅力が溢れていた。
「んもう、照れなくたっていいのにぃ。『ずっと私と同じ速さで歩いていく』なんて、愛の告白以外なにものでもないじゃない」
「私はそんなつもりで言ったんじゃ……! い、いいですか妹様、そもそも結婚とは、好きな人同士でするものであって……」
「……めーりんは、私のこと嫌い?」
「そ、そんなことはありませんが……」
「じゃ良いじゃない! 結婚しようよ!」
そんな、「磯野、野球やろうぜ!」みたいなノリで結婚を迫られても。
あまりの急展開に頭の理解が付いていかない。
えっと、つまり妹様は、あの時の約束をプロポーズだと解釈したってこと? ええ、私そんなつもりで言ったわけじゃないのに!
これは大変な誤解だ。忠義の士として一生お仕えする気ではいたつもりが、まさかそんな捉えられ方をするとは。
落ち着け、幼い妹様のことだ。きっと結婚のなんたるかも知らずに言っているに違いない。ちゃんと間違いを説明すれば、きっと分かってくれる筈。
「いいですか妹様、よく聞いてください。私達は主従の関係……いや、そもそも女性同士。一般的に考えて、そのような関係では結婚をするべきではないのです」
「そんなことないわ。咲夜なんか暇さえあれば「お嬢様と結婚してぇ……チュッチュしてぇ……」って呟いてるじゃない」
「すいません、あの人は一般のカテゴリから大きくかけ離れた存在なんで、例に出さないでもらえますか。……えっと、とにかく、結婚というのは神聖な契りの儀式であり、そう気軽に行うものでは……」
「……ふーん。めーりんってば、私をあのパーティだけの一夜限りのオンナにする気なんだ……」
何処で覚えたんスか、んな言葉。
大体は想像つくけどさ。パチュリー様、教育に悪い本は出来るだけ目の届きにくい場所に置いてもらえますかね。
「ですからね妹様、結婚とはもっと慎重に考えるべき問題でして……例えば、相手の顔はイケメンかとか、年収は一千万以上かとか、日本国籍は持ってるかとか……」
私は混乱しつつも必死になって妹様の説得を続ける。
だが、妹様はそんな私の必死の努力をまるで聞いてない様子で、ニコニコと笑みを浮かべる。
そして、私の言葉を強引に遮る形で妹様が言葉を発する。
「ねえめーりん。これがなんだか分かる?」
そう言って、妹様は上着の下から一枚の紙を取り出し私に手渡した。
どうやら古ぼけた羊皮紙であるらしいそれには、表に赤のクレヨンで何かが書かれていた。
「な、なんですかこれは?」
「読んでみてよ」
妹様が書いたのだろうか。羊皮紙の上には真夏のアスファルト上でのた打ち回るミミズのような線が幾つも踊っていた。
「……なんて書いてあるか分からないんですが」
「嘘ぉ? 文字も読めないなんて、めーりんったら一体どんな教育を受けてきたの?」
「ひんたぼ語には精通してないもんで……」
「これ日本語! めーりんに分かりやすいように頑張って書いたのに!」
私に気を使うのなら、できれば中国語で書いてほしいな。
妹様は私の手から羊皮紙を奪い取り、声を張り上げる。
「これはね、契約書なの」
「契約書、ですか?」
「そう、私とめーりんの間で交わされた、あの約束について記した大事な大事な一枚よ。この意味が分かるかしら?」
……嫌な予感がする。あの時の約束をわざわざ一枚の紙に纏める。それにどんな意味があるのだろうか。
妹様は口元を歪めてニヤリと笑う。まさに悪魔的な笑みといった表情に、私の背筋に寒気が走った。
「……悪魔?」
頭の中に浮かんだ単語が、自然と口から漏れる。
そうだ、悪魔だ。ゾンビに近い下級ヴァンパイアと違い、妹様やお嬢様はロード級の上位ヴァンパイア。分類上は悪魔にあたる。
その悪魔と契約を結んだ、ということは……?
「理解できたみたいね、めーりん」
私の心を見透かしたかのように、妹様が嬉しそうに言う。
「悪魔は契約に逆らうことはできない。そして、契約者もまた悪魔からは逃げられない。めーりんと私との悪魔の契約、ここに成立したわ」
……私は耳を疑った。
そんなまさか、何かの間違いだろう。噂に聞くあの恐ろしい契約が自分の身に降りかかったなんて、とてもじゃないが信じたくない。
「どーゆーのかは、めーりんも知ってるよね? 仮にも悪魔に仕えてるんだものもの」
妹様が嬉しそうに私に笑いかける。
悪魔の契約。対価を差し出す代わりに、悪魔の力を得る黒魔術の一つ。
その用途は様々、パチュリー様のように弱い悪魔を部下として扱う者も居れば、強大な悪魔から人知を越えた魔力を授かる者もいる。
一見、汎用性に優れた魔法に思えるが、一部の高位魔術師を除けば殆どそれに手を出すものはいない。
そう、悪魔契約には並の人妖では背負いきれない程の大きなリスクを伴うのだ。
「い、妹様、悪い冗談は止めてくださいよ。そんな、悪魔の契約だなんて……」
平常心を装って妹様に語りかけるが、どうしても声が上擦ってしまう。
「冗談なんかじゃないわ。もう契約書も書いちゃったもん」
「じゃ、じゃあ、契約を取り消してください! ナシ、契約はナシです!」
「だ~め。知ってるでしょ? 悪魔は約束に絶対逆らうことはできない。めーりんと結婚するまで、私自身も自分を止められないわ。これは本当に恐ろしいわよ。お姉様もうっかり咲夜と約束を結んじゃったおかげで、毎日毛の生えた固い棒をお口に出し入れして、泡立った白い液体を垂らすのを強要されてるのよ!」
「ひぃぃっ! そういえば最近、お嬢様が毎日ちゃんとハミガキをしてると思ったら、そんな理由が!」
「勿論、分かってるわよね? もし約束を破ったら、私はめーりんをどうしちゃうか分からないわよ」
悪魔の契約の特徴。それは、絶対に破ることができない契約だということ。
まず、悪魔側は必ず約束を守る。たとえ、悪魔自身にとって不利な契約であっても、一度成立した以上はそれに従わなければならない。それが、悪魔の悪魔たる所以らしい。
次に契約者側。こちらは悪魔ではないので、やろうと思えば約束に反することもできる。だが、悪魔は契約違反を許さない。違反者にはそれ相応の罰が与えられる。どんな罰なのかは……そこまでは知らない。
下手に不利な契約すれば己の身が危ないこの超高リスクの術。魔法に縁のない私には関係ないことだと思っていたが……。
「約束したじゃない。私が屋敷に戻る時にも、もう一度確認したじゃない。今更しらばっくれても遅いわよ」
「た、確かに約束はしましたが、でもまさか、悪魔の契約を結ぶとは……」
「悪魔の契約じゃなかったら破ってたの? どのような形式だろうと、約束はちゃんと守るべきだと思わない?」
「い、いや、確かにそうなんですが、その、なんと言いますか……」
「ふーん……。ま、別にいいけどね。契約を結んだ以上、破ることなんてできない筈だし」
妹様の言葉一つ一つが、恐怖に震える私の心を突いていく。
なんたること! よりによって私は、幻想郷で最も恐ろしい悪魔である妹様と契約してしまったのだ!
既に契約が成立してしまったのなら、拒否すればどんな目に合わされるか分からない。
だが、私にはとても妹様と結婚するなどできない。どうすればいい? 私はどうすればいい?
「そんなに怖がらなくても、悪いようにはしないわ」
「しかし……」
「私はめーりんが好き、めーりんも私が好き。何も問題はないわ。愛し合う二人はいつも一緒、そいつがなによりよ。さ、お返事を頂戴。まあ、めーりんにはYES以外の選択肢なんてないんだけどサ」
「リンダ!?」
返答によっては、私の今後の人生が大きく変わる。
YESと答えれば、私は契約に従い妹様と結婚。NOと答えれば……ダメだ。想像したくない。
まさかのルート分岐イベント発生。くそ、事前にセーブしておけばよかった!
「ふふ、美鈴・スカーレットもいいけど、紅 フランドールも捨てがたいわね。なんかモンブランみたいな響きだけど」
既に妹様は結婚した後のことを考えてるようだ。
悪魔の契約がある以上、断られるなんて万が一つにも想定してないのだろう。
確かに、断った後の惨劇を考えれば、結婚を受け入れる以外道は無いように思える。
ハイ、ともイイエ、とも言えないこの状況。私の選んだ選択肢は……。
「あっ! お嬢様と咲夜さんのヒゲダンス!!!」
「え、嘘ぉ!? どこどこっ!? ……って、お姉様達は月に行ってるでしょ! ……あれ? めーりんがいない、どこに行ったの? めーりぃーん!」
一瞬の隙を見て、私は厨房から逃げ出した。契約内容に肯定も否定もしない。今はこれが最良の選択だ。
私は、この状況をどうにかしてくれそうな唯一の人物の下へ全速力で駆けた。
◇◆◇
「フランと契約を結んだぁ? 何言ってんのよ貴女は?」
肺が破れそうになりながら地下図書館に転がりこみ事の顛末を説明した私に、パチュリー様は馬鹿にしたような口調で応えた。
「で、ですから……、一週間前の、パーティで……はぁっ、はぁっ……」
「落ち着いてください美鈴さん。ほら、このふかし芋でも食べて」
「あ、ありがとう、こぁちゃん……でも、できれば喉を潤せるものが欲しいな」
こぁちゃんが淹れた紅茶を一気に飲み干し呼吸を整える。
私が落ち着くまで待っていたのか、空になったティーカップを置いた所でパチュリー様が話しかけてくる。
「で、フランと結婚するって話だけど?」
「そ、そうなんですよ大変なんですよ! ほら、あのパーティのあった夜、話の流れの中で私、妹様と『ずっと一緒にいる』って約束をしちゃいまして……」
「自分は従者として言ったつもりが、フランにはプロポーズの言葉として捕らえられた。しかも、それが悪魔の契約として成立してしまった。これで正しかったかしら?」
流石はパチュリー様。一度の説明だけで状況を完璧に理解してくれる。
頭の回転が速い知識人はこういう時に助かる。面倒な説明文も最低限で済むしね。
「そりゃまた随分と簡単にしたもんですねぇ、契約ってそんなお手軽にするもんじゃないと思いますけど」
「だ、だって、まさかあの時は悪魔の契約だなんて思ってもなくて……」
「契約云々はともかく、深く考えもせずに安易に約束を交わす姿勢はどうかと思うけど」
「そういや美鈴さんの祖国は、約束という言葉も概念も日本が伝えるまで存在しなかったんでしたっけ?」
それウチの国じゃないですよ。
「んで、貴女は私達にどうして欲しいの? 仲人なら面倒だからやらないわよ」
「いや、いいですよそんなの!」
「んじゃ祝儀が欲しいの? 仕方ないわね、はい二円」
「最低だ! アンタ最低の女だ! いやお金じゃなくってですね……」
「金じゃないならどうして欲しいのよ。結論を先に述べなさい」
「言おうとしてたのに……。えっと、そりゃ勿論パチュリー様に契約を解除して欲しいんですよ! 私、妹様と結婚なんてする気ないですよ!」
「そう言われてもねえ……」
必死になって懇願するも、パチュリー様の反応は薄い。
読書の姿勢を崩さぬまま普段と同じむきゅ顔を浮かべている。
表情の変化が乏しい人だとは分かっているが、懸命に訴えてるのにこの反応ではこちらも不安になってくる。
「もう諦めて結婚しちゃえば?」
「んなっ!? なんて無責任な!!」
「そうですねー。妹様と結婚すれば、美鈴さんもスカーレット家の一族になるし、いくら仕事サボって寝てても誰も何も言わなりますよ」
「昨日も貴女がサボって寝てる間に、永遠亭の薬師とブレザー兎が図書館に侵入してきたしね。門番なんかより、情緒不安定なフランを支えてる方が合ってるんじゃない?」
「あれは自演ス……いやシエスタですよぉ。サボってたのと違いますって」
「一緒よ」
パチュリー様、あの薬師に矢で背中思いっきり刺されたって言ってたっけ。
脅しのつもりでやったんだろうけど、不死の連中は加減を知らないから困るよ。
「あーでも、貴女が周りから様付けで呼ばれるのは不快ね」
「ひどいっ! いや、勝手に結婚するってことで話を進めないでくださいよ! そもそも、私と妹様は女同士じゃないですか、なんで同性で結婚てことを疑問に思わないんですか!?」
「別に、幻想郷じゃ同性愛者は珍しくないし。むしろ、貴女の方がマイノリティよ」
「え!? 美鈴さんってノンケだったんですか!? マジで? 呼ぶ? 高和呼ぶ?」
「呼びません。んもう、勘弁してくださいよ、コメ欄で百合厨氏ねとか書かれたらどうするんです」
「は? 女の子同士の穢れなき美しい愛の営みの素晴らしさが分からない貴方達こそ氏になさいよ」
「読み手に喧嘩を売らんでくださいって」
あれだね、幻想郷に長く住んでると普通、生物はオスとメスで増えるって事実を忘れそうになるね。
ここの人達って共通の先祖にカタツムリとかミミズでもいるんじゃなかろうか。
「それじゃあ美鈴さんは、妹様と結婚するのは嫌なんですか?」
「だ、だって、私にそのケは無いし……」
「いざ結婚してみれば、意外とその気になるんじゃない?」
「うーん、ならないと思いますけど。私、ずぅーっと昔からスカーレット家に仕えてまして、お嬢様と妹様は生まれた時から知ってるんです。ですから、忠義の心はあっても恋愛感情なんてとても……」
「一度聞きたかったんだけど、貴女歳は幾つなのよ」
そういや勤続何百年だっけ。特別ボーナスとか無いのかな?
「それに、妹様はきっと結婚をそこまで重要な問題だと考えてないと思うんです」
「と、言うと?」
「ほら、幼い子供って親や兄弟と結婚するって言い出すことあるじゃないですか。妹様も、多分そんなノリなんじゃないかと……」
「確かにねぇ」
「従者として、私は妹様には幸せになって欲しいです。だからこそ、私となんか結婚しちゃいけないと思うんです」
一日の殆どを地下室で過ごす妹様の知る世界は狭い。
破壊の能力があるからそれは仕方のないこと。だが、私はいつの日か妹様を外の世界に連れ出したいと思っている。
そこで多くの人妖と触れ合い沢山のことを学び、スカーレット家の名に相応しい悪魔に成長をしてくれるのが、従者としての私の望みだ。
だから、身内の私となんかと結婚して人生を屋敷の中だけで完結して欲しくないのだ。
「はぁー……」
「ふーん、貴女って結構フランの事を考えてるのね。意外だわ」
私の考えを聞いた二人が、興味無さげに答える。
「ちょっと! こっちは真剣なんですよ! このままじゃ私は勿論、妹様の人生も閉ざされてしまうかもしれないんですよ!」
「だって……ねえ、パチュリー様?」
だが、ここまで訴えてもパチュリー様の表情は変わらない。こぁちゃんに至ってはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる始末。
悪魔だけに他人の不幸は大好物、といった感じなのだろうか。必死に笑いを堪えているように口元が歪んでいる。
この野郎。借りた本に醤油垂らして返してやる。
「お願いしますよパチュリー様ぁ……」
「……」
「聞いてるんですか、パチュリー様?」
「パチュリー様、美鈴さんが話しかけてますよぉー」
「……それより、朝ごはんはどうしたの?」
それよりって……。今の状況より朝ごはんの方が大事なんですかい……。
「……作ってる途中で妹様が現れたので、まだ野菜を切っただけです」
「そう。じゃあ小悪魔、適当になんか作ってメイド達に食べさせなさい」
「はーい。ではこぁちゃん特製、悪魔風ミラノ野菜炒めを皆さんに振舞ってあげましょう!」
命じられて、こぁちゃんは嬉しそうな返事をしてこの場から飛び去っていった。
おいおい、この大変な状況なのに人員減らしちゃったよ。本当に私のことなんか興味がないのか?
「あ、あの……パチュリー様?」
「何よさっきから、うっさいわね」
「いやあの、ですから、妹様との契約をなんとかして欲しくて……」
「それならさっき聞いたわよ。少し黙ってなさい、今対策を考えてるんだから」
怒られた。聞いてたなら最初から返事するとかそれっぽいリアクションしてくださいよ!
……って、対策を考えてる? 今そう言った?
え、それじゃあ、妹様の契約をどうにかしてくれるってこと!?
おお、やっぱり知識人はいざと言うとき頼りになる。さっすがパチェ様、話がわかるー。
「ま、やるだけやってみるわよ。フランが貴女なんかと結婚したら、レミィも怒るだろうし」
「おお、ありがとうございます!」
「あまり期待はしないでね」
こうなってくると、無気力なパチュリー様の顔もなんだか頼もしく思えてくる。
オトナの魅力溢れるクールな顔つき。その眠そうな瞳からは真理を見通す光が、への字口からは溢れる知性が見えるような気がしないでもない。
とにかく、これで私も安心だ! さあパチュリー様、その英知で私を窮地から救ってくだ……。
「めっいりーん! どこに行ったのー!?」
突然、図書館全体に響くような大声に、私の思考は中断された。聞き覚えのある無邪気で幼いあの声。あれは……。
「うへえ、妹様!? もうここを嗅ぎ付けられた!?」
「あら、意外と早かったわね」
「ぱ、パチュリー様! どっか隠れる所は?」
「無理。貴女を隠すより、フランが貴女を見つける方が早いわ。ほら、もうそこに」
パチュリー様が私の背後を指差す。恐る恐る振り返ってみると、そこには……。
「んもう、探したわよ! めーりんったら急に居なくなっちゃうんだもん、酷いよ!」
「げ、げえっ! 妹様!」
思わず祖国伝統の作法で驚く。
予想通り、そこには頬を膨らませて不満げな顔をした妹様が立っていた。
「ちょっ、ちょっと! さっき遠くから声が聞こえたばかりなのに、もう背後にいるとか、いくらなんでも早すぎじゃないですか!?」
「吸血鬼は超音波を出してその反射を利用して標的を探すから、目で探すより広範囲かつ正確に探索ができるのよ。知ってた?」
「さっきの大声の時点で、私達の居場所は特定されてたってことね。 吸血鬼ってすごーい。他にはどんな能力があるの、フランお姉さん?」
教育テレビごっこはいいですから。
「それよりもめーりん! なんで私から逃げたの!?」
「え? いや、それはですね……」
「約束を破る気!? 契約に反するとどうなるかわかってるの!?」
妹様から見て分かるほどの怒りのオーラが立ちのぼる。
そりゃそうだ。いくら強引な契約によるものとはいえ、結婚を迫った相手が返答を渋り逃走したのだ。
これが自分でなけりゃ、ヘタレの最低クズ野郎と罵倒できたのだろうが……。
「まさか……結婚が嫌でパチュリーに助けを求めたんじゃないでしょうね?」
うっ、鋭い……。
「どうなのパチュリー!? 私とめーりんはもう結婚の契約を結んでるんだから、邪魔したら許さないわよ!」
喚きたてながらパチュリー様に詰め寄る妹様。
対するパチュリー様は、それに全く動じずに無表情のまま平然と妹様の瞳を見つめ返す。
怒り狂う妹様が怖くないのだろうか? 凄い精神力だ。
「……知らないわ。私は無関係よ」
「えっ!? ちょっと、ぱ、パチュリー様!」
その平然とした顔であっさりと私を売ってくれるパチュリー様。
協力を申し出てくれた直後の裏切り! なんという急展開! 俺は正気に戻った? どこが!?
「ホント? パチュリーは関係ないのね?」
「ないわ。読書の邪魔だから、痴話喧嘩は別の場所でやって頂戴」
「そ、そんなぁ……」
パチュリー様を無関係だと判断したのか、妹様はパチュリー様を問い詰めるのを止め、ゆっくりと私の方に振り向いた。
狂気に満ちた妹様の瞳。血のように紅い二つの目が私を捉えた。
それはまるで獲物を狙う飢えた肉食獣。今にも襲い掛かられて喉元を食いちぎられそうだ。あまりの気迫に自然と体がすくみ上がる。
「もーう逃がさないからね! 大人しく私と結婚しなさい!」
言うが早いか、妹様は私を捕まえようと飛び掛ってきた。
「ひいぃ!」
私はそれをバックステップで寸での所で回避する。
そして、私を捉え損ねた妹様が姿勢を崩した隙を見て、図書館の出口を目指して全力で駆け出した。
「あっ! また逃げる気ね! いい加減観念しなさいよっ!!」
妹様はそれを追うため、翼を大きく開き宙に舞う。
私の止める為に放った弾幕が床や本棚で爆発を起こし、図書館の中に轟音を響かせる。
私達が図書館から脱出した後には、本は焼かれ床は抉られ、あちこちで黒煙が上がる悲惨な光景が広がっていた。
「……はぁ、図書館が滅茶苦茶じゃないの」
図書館に静寂が戻った後、パチュリー様が残念そうに呟く。
「いやぁ、本当凄いパワーですね。あやうく殺されるかと思いましたよ」
周囲の安全を確認し、私はパチュリー様の机の下からのそのそと這い出した。
「っ!? 貴女、さっきフランに追われて図書館から出て行ったはずじゃ……!?」
机の下から現れた私の姿を見て、パチュリー様が驚愕の声をあげる。
おお、この人のこんな表情珍しいな。カメラ持っておけばよかった。
「ああ、あれは私の髪の毛から作った分身です。こんなこともあろうかと、摩り替わっておきました」
「あ、貴女、そんなことできたのね……」
「私も妖術や仙術の類なら、ある程度使えるんですよ。ま、西洋魔術はド素人ですがね」
「へえ……ただの脳筋だと思ってた貴女に、その手の心得があったなんて意外だわ」
「はは、これでも昔は斉天大聖・紅 美鈴を名乗って、大陸で暴れまわったもんです」
「だから、貴女は一体何歳なのよ」
いい女にはミステリアスな過去があるものです。
とりあえず当面の危機は去った。
分身にはとにかく逃げ続けるように命じてある。分身は質量のないただの幻だから、疲れることなく常に全力で走り続けることができる。いくら妹様といえど、そう簡単には捕まえられないはずだ。
ふう、一時はどうなることかと思ったけど、必死にもがけば道は開けるもんだね。
「というかパチュリー様、なんで速攻で私を裏切ったんです!? なんとかしてくれるって言った直後じゃないですか!」
声を荒立て、パチュリー様に詰め寄る。
協力を約束した僅か数分後の裏切り。死んだハマグリのように自分の世界に篭りきりのパチュリー様の辞書に、信用なんて言葉が存在しないのはハナっから分かっているが、いくらなんでもこれは非道いのではないか。
「……だって、仕方がないじゃない。あそこで貴女を擁護したら、私は殺されてたのかもしれないわよ」
「え?」
「分からないの? フランが貴女と結婚する、という契約に従っている以上、それを邪魔する者には容赦なく襲い掛かってくるわ」
「そ、そうなんですか?」
「そうなのよ。知っているでしょう? 悪魔は交わした約束に逆らえない。それは信念や常識といったものとは違う、いわば本能のようなもの。契約を成就させる為にはどんなことでもするわよ。悪魔ってのは」
むむむ、まさか契約の効果が自分以外の者にも及ぶとは……。想像以上に恐ろしいぞ。
「私だって命は惜しいしね」
「じゃ、じゃあ、もし私があの後妹様に捕まってたら、どうするつもりだったんですか?」
「どうもしないわよ。そもそも貴女自身が招いた事態なんだから。ま、もう一度フランを振り切ってここまで戻って来れたら、その時は協力してあげてもよかったけど」
「うぐ……」
言葉に詰まる私を気にもせず、パチュリー様は読んでいた本を閉じ、落ち着いた口調で喋りだした。
「さて、それじゃあその契約とやらをなんとかしてあげましょうか。貴女の分身だかもそう長くは持たないでしょうし、急ぐわよ」
◇◆◇
「うーん……旧地獄巡りもいいけど、魔界ツアーも捨てがたいなぁ」
妹様が、色とりどりのパンフレットを見比べながら呟く。
私はそんな妹様の一挙一動を彼女の対面、先程までパチュリー様が座っていた席で見つめていた。
「ねえ、めーりんはどう思う?」
「……」
「……めーりん、聞いてるのっ!?」
妹様に怒鳴られ、はっと我に返る。
しまった、動きを見るのに夢中で、話を全然聞いてなかった。
「!! は、はい、勿論聞いておりますですよ!? やっぱコロチャーより前の肉塊のほうが良かったですよね!」
「そんな話してない! 私もアレのほうが好きだけど」
「す、すいません! で、何の話でしたっけ?」
「ハネムーンの話よ! もう、しっかりしてよ! こういうのはちゃんと結婚前に決めとかないと、後で困るわよ!」
「え、あ、はい、仰るとおりです」
「全く、めーりんが私から逃げたのを謝って、私とお話したいっていうから、私はめーりんを許してこうやって婚後のプランを立ててるのに! そんなやる気のない態度ばっか取ってると、キュッとしてひでぶしちゃうよ?」
「も、申し訳ありません。ハネムーンですよね! どこか候補はあるんですか?」
「……まあ、いいわ。 うん、幾つかは絞ってあるんだけどね」
ふう、なんとか妹様の機嫌を損ねないで済んだか。
良かった。変に妹様に警戒されては、私のやるべきことが果たせなくなる所だった。
「地底と魔界、どっちにしようか迷ってるの。めーりんはどっちがいいと思う?」
「どれどれ、ちょっと見せてもらえますか?」
妹様から二枚のパンフレットを受け取る。
「まず一つはエソテリア。人口53,594人、特産物なし。目立つものは偶にゾンビが湧くショッピングモールのみっていう、魔界の法界地区にある地方都市よ」
「……なんか、地味な街ですね」
「でも、近々大きな街興しを企画してるそうよ。なんでも、街の外れに封印された魔法使いのお婆ちゃんをマスコットキャラに起用して、全国の大きなお友達を対象にお祭りをしたり限定グッズを発売するんだって。天気が良ければ、結界の中からお婆ちゃんが手を振ってくれるらしいよ」
新婚早々、何故にわざわざ魔界くんだりまでババア見に行かにゃならんのだ。田舎者の考える企画は訳が分からんわ。
「んでね、もう一つは地底の旧地獄巡りツアー。これ、大人気らしいのよ。表向き地上の妖怪は地底に入れないことになってるから、お値段は高めだけどね」
「ふむ、『灼熱地獄温泉』、『星熊勇儀監修、巨大歓楽街』、『古明地さんのワクワク動物王国』。おお、ハネムーンで行くような所なのかは微妙ですが面白そうですね」
「でしょ! ほら、ツアーのラスト、『Utsuho-tec社の放射能汚染体験』なんて、すっごく楽しそうじゃない!?」
「うおおっ!? それはマジで洒落になりませんて!!」
360度どの角度から見ても単なる人体実験なのにも関わらず、体験という言葉のオブラートに包んでツアー内容に盛り込むその腐りきった根性。流石は地底の妖共、そら忌み嫌われるわ。
確かに、ガイガーカウンターをガリガリ鳴らしながら、遺伝子異常で体の色んな部位から手足を生やすのも妖怪らしくて宜しいかと思うが、生憎私はこのヒューマノイド型のボディが気に入っている。冒涜的で退廃的な狂気じみた名伏しがたきコズミックホラーな存在になるのは、まだまだ遠慮したい。いあいあ。
「その二つは止めときましょうよ、どっちに言っても心と体に深い傷を残すだけですって」
「えー、じゃあめーりんは何処がいいのよー。少しはめーりんも考えてよー」
頬を膨らませながら、再びパンフレットを読み始める妹様。
「夢幻館ホテル、可能性空間移動船の幻想郷一周、どれもいいなぁ……。あ、全部潰れてるや」
……よし、今の所は良好な関係を保てている。このままいけば、計画を実行に移せるのも時間の問題だろう。
何故、私がこうして仲睦まじく妹様とハネムーンについて語り合っているのか。
決して、悪魔の契約に屈して結婚を承諾してしまったわけではない。これは私を契約の呪縛から解き放つための、パチュリー様の作戦なのだ。
……話は三十分ほど前に遡る。
「いきなりで悪いけど、悪魔の契約を解除するのは不可能よ」
本当にいきなりだった。
なんとかしてあげましょう、の台詞の後にコレだ。流石に言葉を失わざるをえなかった。
「悪魔は約束に従う、というのは悪魔の存在意義であり世界の理。ただの魔女ごときが介入できるものじゃないわ」
ぽかんとする私を無視して、どんどん話を進めようとするパチュリー様。
私は慌てて、マシンガントークのパチュリー様に口を挟む。
「ま、待ってください、解除できないとはどういうことですか! さっきと言ってることが違うじゃないですか!」
「なんとかする、とは言ったけど解除する、なんて一言も言ってないし」
政治家みたいなことを言いなさる。
なんじゃそりゃ。そんな無茶苦茶な理由で納得できるか! この魔女め、私が苦しむのを見るのがそんなに楽しいか!
「……そんな怖い顔して見ないでよ。解除はできないけど、他に方法はあるわよ」
え? あんの? それを早く行ってくださいよもぅ。
パチュリー様ったら、焦らすのがお好きなんだからぁん、んもうっ!
「……今度は妙にキモい顔になったわね。まあいいわ。じゃあ説明してあげるから、耳糞かっぽじってよく聞きなさい」
小指を耳に入れてみる。うむ、昨日掃除したから綺麗。
「悪魔の契約、なんてご大層な名前を付けてても、所詮、契約は契約。その弱点は変わらないわ」
「弱点、と言いますと?」
「契約における最大の弱点。それは契約内容の不備。これが一つあるだけで、どんな大きな契約も水虫の足の皮の如く、ボロボロと崩れ去っていくわ」
もっと綺麗な喩えは無かったんですか。
「例えば……そうね。今回の貴女の契約。もし、契約内容に『何時までに結婚をしなければならない』、という期限を定めた一文が欠けていたらどうする?」
「……?」
そう言われ、手をアゴに当て考えてみる。
期限が定めた文が無い? それって、契約を果たすのはいつでもいいってことだよね。ってことはつまり?
「やろうと思えば、私が死ぬまで結婚を先延ばしにできるってことですか?」
「そういうこと。分かりやすく言えば、『結婚はする……! 結婚はするが、今回まだその時の指定はしていない。つまり……我々がその気になれば結婚の時期は10年後、20年後ということも可能だろう……ということ……!』みたいな」
「ざわ… ざわ… 」
「まあ、『死ぬまで』じゃ悪魔相手だと死後、魂を奪われるかもしれないけど。一億年後とか無茶な期限にして、契約者とは別の存在に生まれ変わっちゃえば、実質契約はナシになるわね」
「なるほど、そんな感じに、契約の不備を指摘してやれば……!」
「解除はできなくても、無効化はできるってことよ」
これは良いことを聞いた! それなら、悪魔側は契約を続行できるし、契約者側も約束を果たさずに済む!
悪魔の契約のルールには接触してない! 悪魔側からしたら堪ったもんじゃないだろうが。
「それなら、今すぐ契約の不備を見つけましょう! さあ早く!」
善は急げ。私は声を荒げパチュリー様に発破をかける。
「落ち着きなさい。それはまだできないわ」
ところが、パチュリー様は私の熱意に水をかけるようなことを言いなさる。
「できないって……なんでですか?」
「だって、不備を指摘しようにも、契約の内容が分からないもの」
「……? どういう意味ですか? 内容なら、さっき説明したじゃないですか」
「『フランと結婚する』って部分だけはね。じゃあ、それの期限は? 対価は? 反したした場合の罰は? そこはちゃんと分かってるのかしら?」
パチュリー様による質問責め。それに私は言葉を詰まらせてしまう。
期限は……いつだろう? 妹様は私に結婚を急かしてるから、今日まで、もしくは明日までとか?
対価? 私が差し出すもの? なんだそりゃ、全然わからないぞ。あえて言うなら、私の体と人生ってとこか?
罰……。なんだろう? 約束を破ると碌な目に会わないのは知ってるから、安全な解決方法を求めてパチュリー様の所に来たのだけれど、そういやどうなるのか知らないぞ。やっぱ殺されるのかな?
「これらの項目は、悪魔契約には必ず必要になるものよ。どう? どれもハッキリと答えられないんじゃない?」
「はい……。で、でも、妹様と契約した時は、そんな細かいことまでは決めませんでしたし……」
「そう、それよ!」
パチュリー様のカイワレ大根のような細い指がビシッと私を指さす。
「本来、悪魔契約というのは正式な手順で儀式を行ない悪魔を呼び出し、自分が損をしないよう契約内容を確認しあって結ぶものなの。それを貴女は口約束だけで済ませてしまった」
「はぁ……」
「そのせいで私は勿論、契約者である貴女ですら正確に契約内容を把握してない始末。酷いわね。口頭で悪魔契約なんて、ありえない話なのよ。分かってる?」
「すいません、以後気を付けます……」
私が悪いのかなあ。あんな一方的に契約を結ばれちゃどうしようもないと思うんだけど。
「だから契約にケチを付ける前にまず、私達は契約内容を正確に知る必要があるわ」
「で、ですが、どうやって?」
「その為に、少し働いてもらうことになるんだけど、構わないわよね。貴女が持ち込んだ問題なんだし」
正直悪い予感しかしないが、やるしかない。
結婚を避けられるのならなんだってやってやるさ。
「悪魔のソレに限らず、契約には必ず契約書が必要になる。貴女にはそれを手に入れてきて欲しいの」
「契約書、ですか?」
「当然のことだけど、契約書には契約内容が全て詳細に書かれているの。それがあれば、内容の粗を見つけ出すこともできるわ」
「うーん、契約書かぁ……」
物探しか。良かった、なんか思っていたより簡単そうなだ。
パチュリー様の仕事って言うもんだから、魔法の実験台になれとか、魔理沙の格好をして愛を囁けとか、そんな無茶を言われるのかと思った。
契約書か。どこにあるんだろう。なあに、すぐに見つかるだろう。嗅覚は鋭い方だし。
……契約書?
そういやどっかで見たような……。
「って! 契約書って今、妹様が持ってるじゃないですかぁーっ!!!」
間違いない。図書館に来る前に、妹様が上着の中から出したあの紙っ切れ。
良く言えば前衛芸術みたいな文字で飾られたあれこそ悪魔の契約書。妹様がどこかに保管してない限り、あれは未だ彼女の服の中だ。
無理だ。妹様は私を狙っている。その狙われてる私が、妹様に接近して所持品をパクって来いって、どんだけインポッシブルなミッションだよ!
「そうね、確かさっき貴女から、契約書はフランの上着に入ってるって聞いたわ。ある場所が分かっていれば、持ってくるのは簡単でしょ? やりぃ!」
「やりぃ! じゃないですよ! あの妹様から物を盗むだなんて、命が幾つあっても足りませんよ!」
「そうかしら?」
「そうですよ! いくら私がかつて馬中に赤兎あり、人中に美鈴ありと賞された武人でも、妹様相手じゃ話になりませんて!」
「……もう突っ込まないわよ」
普通に戦っても勝率はゼロに近いのだ。盗んで逃げるなんてテクニカルな真似、できる筈がない。
「別に戦うことはないんじゃない?」
「え?」
怯える私に、パチュリー様は平然とした口調で話す。
「フランだって会話が通じない獣ってわけじゃないんだし、上手く接触を試みればなんとかなるわよ」
「接触って、どうすれば……?」
「簡単よ。結婚を承諾した素振りで近付けば、フランも手出しはしないでしょ」
「いっ!?」
「後は、一緒にお茶でも飲みながらフランの心を開き、油断して隙を見せた所で契約書を奪う! どう?」
どう? ……っていわれても。
「契約書を奪取したあとは、私の所までダッシュする訳ね」
「いや、駄洒落はいいんですが……。その際、妹様はどうなるんです?」
「当然、烈火の如く怒るわね。結婚してくれると思ったのに、裏切られたんだから」
「や、やっぱりぃ……?」
「乙女の純情を踏みにじる行為なのだから、そのぐらいの罰は当然ね」
「うう……」
本気で怒った妹様。
今までそこまで激怒したのを見たことがないので想像もつかないが、恐らく紅魔館を跡形も無く消し飛ばすぐらい簡単にやってしまうだろう。
おい、逃げる以前の問題じゃないかそれ。
「だから、貴女はフランとの会話で絶対に結婚を否定するようなことを言ってはダメよ。『結婚したくない』なんて言ったら、契約破棄と見なされて大変なことになるわよ」
「じゃ、じゃあ、結婚を肯定すればいんですか?」
「あんまラブラブし過ぎても、その反動で契約書を奪った時のフランの怒りが増大するわ。やや肯定気味の、どっちつかずの姿勢がベストね。怒らすのは契約書を奪う最後だけにしておきなさい」
結局怒らすのか。私、今日が命日なのかな。
「ま、今のままじゃ多分貴女が死ぬだけだろうし、私も少し手伝ってあげるわ」
「おお、パチュリー様、貴女が神か!」
「魔女よ。神は嫌い、後光が目に眩しいから。美鈴、ちょっとテーブルの下を見て御覧なさい」
パチュリー様に言われるがまま、体を屈めてテーブルの下に目を向ける。
すると、向かいに座ったパチュリー様の席の近く、テーブルの裏にボタンがあるのを見つけた。
「これを押すと私の向かいの席、つまり貴女の所に毒矢が飛んでくる仕組みになってるわ」
「うおっ! なんてものを設置してるんですか! 押さないで下さいよ! 絶対押さないでくださいよ!」
「上島?」
「違います!」
私の席に、まさかそんな暗殺トラップが向けられていたとは。
パチュリー様に散々暴言吐いてきたのに、矢が私に放たれてないのは奇跡か、それともパチュリー様の懐が異次元級に広いのか。
ともあれ、今度から発言に気を付けよう。
「元々は対魔理沙用に作ったんだけどね、あまりに非人道的過ぎるってことで咲夜から使用禁止を言い渡されたのよ」
「確かに、人間相手にコレはギャグとしてもちょっとやり過ぎですよね……」
「他にもあるのよ。こっちのボタンを押すと丸太が飛んできて、そこのタイルは大型地雷、その隣はデロデロの湯が出てきておにぎりが腐るわ」
「すいません、今後図書館に来る時の為にワナ師の腕輪を支給して貰えますか」
そのうち入るたびに内部構造が変わるようになりゃせんだろうな。
「これらのトラップを特別に貴女に貸してあげるわ。上手く使って切り抜けなさい」
「あ、ありがとうございます。しかし、妹様に通用しますかね、コレ?」
「逃げるときの足止め程度に考えておきなさい。目的は契約書の奪取であってフランを倒すことじゃないのだから。強大な一個人に対して小賢しいトラップが意味を成さないのは、海のリハクが証明済みだしね」
そうだろうなあ。矢が飛んできた所で、妹様に到達する前に燃え尽きそうなイメージあるもん。
足止め程度かぁ。無いよりはマシだけど、なんだか頼りないなぁ。
「一応、フランにも通用しそうな罠はあるけど……知りたい?」
「是非教えてください、これだけじゃ流石に厳しいと思います……」
私のお願いに応え、パチュリー様がふよふよと浮遊しながら移動し、私もそれに付いて行く。
着いたのは、私達の座っていたテーブルからはやや離れてた、図書館の天井を支える大きな柱のうちの一本。
柱に付けられた『被災時用 非常照明ランプ』と書かれたレバーの下に、なにやら大きな赤いスイッチがあった。
黒と黄色の枠に囲まれたスイッチの面には、いかにも「危険ですよ」、とでも言いたげな凶悪なツラをしたドクロが描かれていた。
「……パチュリー様、まさかこれは」
ここまで分かりやすく設計してあれば、説明はなくともなんとなく予想はできる。
そして、パチュリー様の返答も、私の予想通りの内容であった。
「紅魔館の自爆スイッチだけど、何か?」
「……やっぱり」
まあそりゃそうか。ドクロの絵柄が描かれたスイッチなんて、他に使い道無さそうだもんなあ。押して爆発しなかったら逆に驚くわ。
「悪の居城には自爆装置必須! ってレミィから頼まれて作ったものよ。押せばドカンと綺麗な花火が上がるわ」
「非常用ランプのすぐ下じゃないですか、普通自爆スイッチってもっと見つかりにくい場所に設置するもんでしょう」
「罠を作りすぎて、そこしか空いてるスペースが無かったのよ」
「大体、自爆ってそれ負け前提の設計ですよね。勝ちに行きましょうよ、悪なら」
「私に言われても困るわ。ともかく、これならフランにもある程度効く筈よ。追い詰められてもうダメだー、ってなった時に使いなさい」
「それって、妹様どころか私も吹っ飛ぶ思うんですが、何か意味はあるんですか?」
「現実逃避」
「……ですよね」
「悪夢からいつでも覚めれるスイッチ、と考えれば少しは心強く感じるんじゃないかしら?」
目覚めたときには死神さんと船の旅じゃねーか。
ダメだダメだ、こりゃ使えんわ。こんなん、絶対ロクでもない結果になるに決まってるっての。
「以上で、悪魔の契約の対処方法の説明を終えるわ。何か質問は?」
短時間で喋りすぎたせいか、若干顔が青いパチュリー様が私に問う。私はそれに、手を挙げて応えた。
「あの、パチュリー様は契約の不備を指摘して無効化するんですよね?」
「そうよ? 言ったでしょ」
「その、もし……契約内容が完璧で全く付け入る隙が無かったら、どうするんですか?」
私の質問に対し、パチュリー様は肩をすくめて答えた。
「お手上げよ。どうしようもないわ」
「そ、そんなっ!」
あまりに無慈悲な答え。
それじゃあ、命からがら契約書を持ち帰っても、内容に不備が無ければ全部無駄ってことになるじゃないか!
「平気よ。きっと、フランの契約書は不備だらけ穴だらけよ」
「な、なんで言い切れるんですか!」
「分かるのよ、私ぐらいになるとね」
「……!?」
「余計なことは考えないで、今は契約書の奪取に意識を集中させなさい。作戦第一段階のそれが成功しないと、不備の指摘どころじゃないわよ」
パチュリー様はそういい残すと、図書館の奥に消えていった。なんでも、自分の気配があると妹様が不審に思うとかなんとか。
なんだか納得がいかないが、パチュリー様が平気だと言ったのだから、今はそれを信じるしかない。
……そろそろ、私の分身の効力が切れる頃。追っていたのが分身だと分かれば、妹様はすぐにここに戻ってくるはずだ。
ここからは私一人の戦い。頼れるのは自分と、レンタルしたトラップだけ。
私と、妹様の未来の為、なんとしても契約書を手に入れなければ。
来たるべき妹様との戦いに備え、私は図書館の入り口を見つめ大きく深呼吸をした。
「……回想終わり」
「? めーりん、何を言ってるの?」
「なんでもありません、気にしないで下さい」
妹様は少し不思議そうな顔をしたが、すぐに旅行のパンフレットに視線を戻し熱心に読み始めた。
私に対して警戒が薄れている証拠だろう。必死に笑顔を作って、妹様のご機嫌を取ったかいがあったというもの。
あと一押しだ、あと一押しで、契約書を盗む隙が生まれる筈だ。焦ってはいけない。失敗したら後は無いのだから。
「そうだ、結婚式の招待状も出さなきゃね! いっぱい来てくれるといいなぁ~」
「ふむ、妹様は誰を呼ぶつもりですか?」
「まず魔理沙! それに霊夢! あとはよく分からないから、適当に幻想郷中に出しちゃうわ! 人数は多いほうが楽しいもの!」
「霊夢か……。あいつ、催し事に呼ぶと必ず会場の料理をタッパーで持ち帰ろうとするからなぁ」
実際に見たわけじゃないが、メイド達からそのような人物がいると何度も報告を受けている。
彼女の生活を考えると仕方ないかもしれないが、もう少し会場の空気を読んで欲しいものだ。
以前、そのことをなんとなしに本人に聞いたら「持ち帰るタッパーがない」と言って容疑を否認したっけ。
嘘付け、そんな真似する奴お前しかいるわけないだろが。
「そういや私、こないだのパーティで料理をこそこそとタッパーに詰めてる人見たよ」
ああ、やっぱこないだもやってたんだあの巫女。
まあ会場の料理だけじゃ飽き足らず、厨房まで侵入してくる亡霊嬢と比べたらまだマシだけどさ。
「……でも、その人霊夢じゃなかったよ?」
「え? ホントですか?」
「嘘じゃないよ。髪も片方だけ伸ばした緑色だったし、変な肩パット付きの服着てたし」
誰だろう? そういや、来客者の中にそんな人がいたような気がしないでもないが。
まさか、霊夢以外にそんな恥も外聞もない行為をする奴がいたというのか。
ううむ、誰だか知らんが今度その人が来たらそれとなく注意をしてみるかな。 へ? 地獄行き? なんでさ。
「一生に一度の大イベントだもの! 来た人みんなが楽しめる、すっごく豪華な結婚式にしないとね! 私達の写真の付いた珍妙な絵皿を配る、なんて持っての他よ!」
「あー、確かにあれ貰っても困りますよね。でも射撃の的にすると楽しいですよ」
「料理は咲夜に頼んで産地直送の一級品を作ってもらって、ワインも秘蔵の495年もののヴィンテージを振舞って……」
目をキラキラと輝かせながら、妹様は結婚式の計画を語る。
ハネムーン先まで考えている所を見ると、もう妹様の頭の中は結婚で一杯なのだろう。もしかしたら、新居の購入なんかも考えてるのかもしれない。
そんな妹様の姿を見ていると、私は少し胸が痛んだ。
私はこれから、妹様の夢想する未来を奪うのだ。
妹様が遠足前夜の子供のように楽しみにしている結婚式も、ハネムーンも、新婚生活も、全てはこの手で潰してしまわなければならない。
妹様の為とはいえ、それは決して褒められた行為ではない。
「バックミュージックにはサイコパスアーティストのプリズムリバー楽団を呼んで。えっと、他には……」
……ふと思う。
もしかしたら、このまま結婚をした方が妹様にとって幸せではないのかと。
「えへへ……」
妹様は両手で頬杖を付き、笑顔を浮かべて私を見つめる。
「……妹様、嬉しそうですね」
「ふふ、だってこうやってめーりんと話すのも久しぶりなんだもん」
「あー、そういや昔は、暇さえあれば妹様と一緒でしたねー」
「それが今じゃ、ご飯の時ぐらいしか会えないんだもの。つまんないわ」
「仕方ないじゃないですかー、昔と違って今は外勤なんですから」
思い出すなぁ。人一倍体が頑丈なせいで、よく妹様のお守りを命じられてたっけ。
「でも、これからはめーりんとずっと一緒だもんね。それを考えると、嬉しくなっちゃうわ」
「……」
「もう私は寂しくないわ。暗い地下室で震えることもないの。だってお姉さまや咲夜が居なくなっても、私の傍にはずっとめーりんがいてくれるんだもの」
「妹様……」
吸血鬼であることを忘れてしまいそうな、まるで太陽のような笑み。
私が、契約を無効化させようとしてると知ったら、どんな顔になるだろうか。
悲しみに襲われるか、怒りに我を忘れるか。いずれにせよ、見たいものではない。
「ずっとずっとめーりんと一緒。嬉しいな。毎日どんなことして遊ぼうかな?」
「はは、流石に毎日は体が持ちませんよ……。週一で咲夜さんと交代してくれませんか?」
「ダメよ! だって私達は夫婦になるのよ! 結婚相手以外と遊んだら浮気じゃない!」
「それはまた一途なことで……」
「私はね、めーりんが居てくれればそれでいいの。他には何もいらないわ」
「……お気持ちは嬉しいです」
「私の寂しさを埋めてくれるのはめーりんだけ。だから、お姉さまも咲夜もパチェも必要ないの。たとえ幻想郷が無くなっちゃっても、めーりんが居れば私は幸せよ」
「……」
……やはり、妹様は外の世界には興味がないのか。
たとえ狭い世界で生きることになったとしても、本人が幸せなら。そういう考え方もある。それは分かっているのだが……。
「あ、そーいえばさー!」
突然、妹様が大声をあげる。
「私達さ、もうすぐ結婚して夫婦になっちゃうじゃん!」
「……ええ」
「てことは、恋人にはもう戻れないってことだよね。それって勿体無くない?」
契約で結ばれた今の私達を、恋人関係と呼ぶのかどうかは微妙だが。
「思えば全然恋人らしいことしてないよね、私達」
「んー、まあ結婚の契約を知ったの今日ですし……」
「だから、今からでもしようよ! 恋人らしいこと!!」
「恋人らしいこと、ですか?」
いきなり何を言い出すのやら。
首を傾げる私を気にもせず、妹様は机の上に身を乗り出し私の近くに顔を近づける。そして、そっ呟くような声で言った。
「恋人同士のキス……しよ?」
時が、止まった。
「……はい?」
「だから、キスしようって言ってるの! もう、何度も言わせないでよ恥ずかしい! めーりんの鈍感! ヘタレ! ED!」
そこまでボロクソに言わんでも。
「き、キスってそんな……」
「あれ、もしかしてめーりんってばキスしたことないの?」
「鱚は好きですが」
「んもう、誤魔化さないのっ!」
怒られてしまった。
キス。つまり、妹様は私と接吻しようとしているのか!?
「私は……その、初めてだから……めーりんからして欲しいな……」
「う、うわっ、妹様っ!?」
妹様は更に身を乗り出し、うろたえる私の鼻と妹様の鼻がくっ付きそうになるまで顔を寄せ、静かに目を閉じる。
は、はしたないですよ妹様! 誇りあるスカーレットの一族ともあろう者が、そんなビッチ臭い!
「恋人同士のキスはね、夫婦のそれと違って甘酸っぱいレモンの味がするんだって」
「な、なんですかそのウン十年前の少女漫画から仕入れてきたみたいな知識は! レモン味とか、そんな酸性の唾液なんて分泌してませんよ!」
「結婚する前にめーりんと一度、恋人のキスがしてみたいの。 ねえ……しよ?」
「ううっ……!」
薄いピンクの可愛い唇を突き出す妹様。頬をほのかに紅く染めたその顔は、積極性の中にも恥じらいを見せる。
僅かに甘い香りが漂ってくる。脳が蕩けそうになるミルクのような香り。紛れも無く妹様から発せられる少女特有の匂いだ、乳臭いにも程がある。
ノーマルの私ですらドキリとするその可憐さ。これはヴァンパイアのチャーム能力か、それとも妹様本来の持つ魅力か。
「んーっ」
私が口付けをしてくれるのを今か今かと待っているのだろう。妹様の顔は私のすぐ近くの距離を維持している。
ええい、私はどうすればいい! 妹様を信頼させるなら、ここでキスをするのが得策。だが、そんなこと私には……。
「めーりん、まだー?」
……ここでふと私はあることに気付いた。
これこそ、私が待ちわびていた千載一遇のチャンスではないか?
目を閉じ、机に身を乗り出した妹様は完全に隙だらけだ。少し手を伸ばせば契約書があるであろう服まで手が届く。
つまりは、今この瞬間こそ契約書を奪うチャンスなのだ。これ以上の好条件が揃うことはもうあるまい。やるなら今しかない。
「妹様……」
目を瞑った妹様に感づかれないように、音を立てないよう静かに手を伸ばす。
契約書はもう目と鼻の先。上着の布一枚を挟んだ向こうにある。その気になればすぐにでも奪取できる。
「……」
だが、私はここまで来て迷っていた。
果たして、ここで契約書を奪うのが本当に妹様の為になるのか?
もっと外の世界を知って欲しい。だが、妹様が今後外に出れるという保障がどこにある?
外どころかパーティにすら出させてもらえない、月旅行は計画すら教えてもらえない破壊と狂気の権化を、お嬢様がそう簡単に解放するだろうか?
このままずっと、地下室で生涯を送る可能性だって否定できないのだ。
幸い、今の妹様は外の世界にさほど興味を持っていない。屋敷の中だけが自分の世界だと認識している。
ならば、たとえその狭い檻の中でも、彼女が幸せに過ごせるように勤めるのが従者の役目ではないのか。
妹様は私を求めている。ならば、私が体を差し出せば、彼女はずっと寂しい思いをせずに済むのだ。
未来を信じるか、それとも現状の幸福を求めるか。私は決断を迫られていた。
「めーりんったら、焦らさないでよぉ……」
いつまで経ってもキスをしない私に苛立ちを感じているのか、妹様の口調が強くなる。早くしなければ、折角のチャンスが台無しになってしまう。
「妹様……」
もう時間がない。私の下した決断は……。
「申し訳ありませんっ!!」
言うと同時に、私は羊皮紙の感覚を頼りに妹様の上着に手を入れ、契約書を奪い取る。
そして椅子を蹴り、その場から全速力で駆け出した。
やはり、私は結婚をするわけにはいかない。
お嬢様風に言えば、妹様の前には無数の運命が広がっているのだ。それを閉ざすべきではない。
結果がどうなるかは分からない。だが。この決断は間違ってはいない筈。
後は、この契約書をパチュリー様の所に持っていけば全てが解決する。
私は少しでも妹様との距離を稼ぐ為、足を早めた。
その時。
「……めーりん。どこ行くの?」
ぼそりと呟くように、しかしはっきりと聞こえた妹様の声。
それと同時に、私の前方の空間が爆音をあげて破裂し、床板や本棚が勢いよく吹き飛ぶ。
「うわっ!?」
突然のことに、私は足を止めてしまう。
周囲に爆風で飛ばされたホコリや木片がパラパラと舞い落ちる。
「……ダメだよめーりん。夫婦はずっと一緒にいなきゃいけないんだから」
振り返ると、妹様は元の位置から一歩も動かず体だけをこちらに向けていた。
今の爆発、あれは妹様の破壊の能力だ。
そんなまさか、完全な隙を狙った筈なのにこうも早く妹様から攻撃を受けるとは。私の動きが読まれていたのか?
顔を伏せているため、妹様の表情を窺い知ることはできない。
感情を押し殺したような声と相まって、妹様から底知れぬ恐怖のようなものを感じる。
「あ、あの……急にお腹が痛くなったので、その、トイレに行こうかと……」
「ふーん、じゃあその手に持った契約書は何なのかしら? まさか、それで拭くわけないわよねえ?」
「!!」
指摘され、反射的に契約書を持った手を後ろに回す。
「それで何をする気か知らないけど、契約書は私にとって凄く大切なものなの。返して頂戴」
「いやぁ……別に、何も……」
「しらばっくれちゃって。どうせパチェに入れ知恵されたんでしょう? 逃げようったってそうはいかない、三回目はもう騙されないわ」
ああそうか、妹様は始めから私を疑ってたのか。
確かに、過去に二回も逃げられていれば警戒するのも当然のこと。妹様を甘く見すぎていた。
私と妹様の距離は約10m。駆け出してすぐに攻撃されたせいで殆ど距離を稼げていない。
完全に相手の射程範囲内。これではいくら全力で走ってもパチュリー様の所まで行くのは無理だ。
それならばと、私は気づかれないよう服の袖に隠したあるものを取り出す。
パチュリー様から借りたトラップの発動スイッチ。これで少しでも妹様の気を逸らせれば……。
「妹様、御覚悟を!」
スイッチを押すと同時に、周囲に仕掛けられたトラップが動き出す。
柱からは無数の矢が、床からは鋭い槍が、天井からは巨大な鉄球が、妹様に向けて放たれる。
これで少しでも時間を稼げれば。祈るような気持ちで事の顛末を見守る。ところが……。
「……邪魔」
トラップが妹様に直撃するまさにその瞬間。妹様が右手を一振りするだけで、全ての罠は灰と化した。
妹様の右手には、地獄から噴出してきたかのような一直線の業火が燃え盛る
炎の魔剣、レーヴァテイン。その圧倒的な火力の前ではあの程度の罠、足止めどころか気を逸らすことすらできなかったのであった。
「……これは、なんのつもり?」
むしろ、神経を逆撫でしてしまったようだ。相変わらず表情は見えないが、僅かに声が震えている。
「私を……殺そうとしたの?」
「え? い、いえ、そんな!」
そんなつもりはない。だが、妹様には私の行為が殺意を持ったものだと解釈されてしまったようだ。
あの程度では死なないとはいえ、弾幕でない矢や槍を放たれたのだ。そう思うの当然か。
「私を殺して、契約をナシにしようとしたのね……!」
「ち、違います! そんなつもりじゃ!」
「なんで!? めーりんは私が嫌いなの!? 私は、めーりんのことが大好きなのにっ!」
「お、落ち着いてください!」
「約束したじゃないっ! ずっと一緒にいてくれるってっ! 嘘つき! めーりんの嘘つきっ!!」
「わっ!」
叫ぶと共に、妹様から膨大な魔力が解き放たれる。
それは爆風となり、妹様を中心にテーブルや本棚が倒れる。
その衝撃で柱に取り付けられたランプが次々に割れ、辺りは闇に包まれた。
闇の中でレーヴァテインだけが不気味に輝き妹様の姿を照らし出す。
「めーりんだけだったのに……私にはもう、めーりんしかいなかったのに……」
炎に照らされた妹様の頬に、一筋の光が流れ落ちた。
「……めーりんは約束を破った。だから私は、今からめーりんを壊す」
「え?」
「分かってた筈なのに、拒絶しためーりんが悪いのよ! 今更謝ったって、もう遅いんだからっ!」
「ま、待って! 話を……」
「五月蝿いっ! 私のものにならないなら、めーりんなんていらないっ!!!」
妹様がようやく顔を上げ私を睨みつける。
涙に潤んだその瞳は、怒りに震えているようであり、悲しみに暮れているようでもあり、また諦めているようにも見えた。
だが、妹様の思惑がどうであれ契約破棄を理由に私を殺そうとしているのには違いない。
恐怖に足が竦んで逃げることができない。最も、逃げきれるとも思えないが。
私は死ぬのだ。妹様の手にかかって。
こんなものか、私の人生は。未練は多々あるが、最後に妹様に私の想いを知って欲しかった。
「壊れろ、壊れろ! めーりんもパチェも咲夜もお姉様も、みーんな壊れちゃえぇーっ!!!」
レーヴァテインを振り上げた妹様が私に襲い掛かる。私は両目を固く閉じ、そのまま最期の時を待った。
「土水符「ノエキアンデリュージュ」!」
ところが、私を待っていたのは全く予想していない展開だった。
妹様の狂気の叫びの代わりに、聞き覚えのある澄んだ声が響き。
全てを焼き尽くす炎の剣の代わりに、冷たい水飛沫が私の顔に降りかかる。
……どうやら、私はまだ死んでないらしい。
恐る恐る目を開けてみる。するとそこには……。
「ようやく尻尾を出したわね、フラン」
「う、ううっ……」
全身が水浸しになり床に倒れる妹様と、ランプ片手にそれを見下ろすパチュリー様の姿があった。
「全く、本当に手間かけさせて……」
状況から判断するに、パチュリー様のスペルで吸血鬼が苦手とする流水を妹様にぶつけたようだ。
……えっとつまり、それって私を助けてくれたってこと?
「パ、パチュリー様? どうしてここに? 自室で私を待ってる筈じゃ……?」
そんなバカな。妹様に勘付かれない為、パチュリー様は自室で契約書の到着を待っている筈。それがこんな都合よく現れるなんて。
それに、確か契約の邪魔をする者は容赦なく攻撃されるって話だったけど、流水なんか当てて大丈夫なのか?
「来ない方が良かった? 私が来なきゃ貴女死んでたわよ」
「い、いや、そういうことじゃなくて……」
混乱する私を見て、パチュリー様は満足げな表情を浮かべ口を開く。
「色々と聞きたいことがあるって顔をしてるわね。いいわ、全部説明してあげる。種明かしタイムといきましょう」
◇◆◇
「う、うう……」
体から水滴を垂らしながら、妹様が苦しそうに立ち上がる。
太陽光程ではないにしろ、弱点の流水を全身に浴びたとあっては、まともに体を動かすことができないのだろう。
「ぱ、ぱちぇ……」
「ごきげんようフラン。気分はどうかしら?」
それを分かってるのか、パチュリー様は妹様を完全に見下した口調だ。
「なんのつもり……?」
「何か?」
「悪魔の契約は、邪魔をするものに容赦はしない。それを知らないの……?」
そうだ。私もパチュリー様本人からそれは聞いた。それを理由に前は助けてくれなかったのに、これはどういうことか。
「当然、知ってるわよ。 伊達に悪魔を司書に使ってないわ」
「だったら何で! 悪魔の契約は絶対に逆らえないルール、世界の理なのよ! 私に殺されたいのっ!?」
「殺されるのは嫌ねえ。これでも数百年先までの人生設計は立ててあるのに」
「じゃあ、どうして私の邪魔をしたの!?」
凄まじい剣幕で問い詰める妹様。
だが、そんな妹様を前にしてもパチュリー様は余裕の表情だ。いや普段とあんま変わらないんだけど。
「悪魔の契約は絶対的。世界の理。ええ、全くもってその通りね」
「……何が言いたいのよ」
「じゃあフラン。その、絶対に逆らえない理を捏造するのはいいのかしら?」
「……っ!!」
妹様の顔に明らかな動揺の色が浮かぶ。
血管が浮き上がる程に激昂していたのに、みるみるうちに血の気が引いていく。
「ね、捏造? どういうことですか?」
「……結論から言うわ。最初から貴女とフランの間に契約なんか交わされていなかったのよ」
「えっ!?」
「全てはフランの嘘ってことよ。何考えてんだかね」
あまりに衝撃的な発言に私は耳を疑った。
契約なんて無かった? え!? それってどういうこと?
今まで契約をなんとかしたくて、死ぬ思いをしてまで頑張ってきたのに……。
最初から存在しなかった物に私は振り回されていたの!? それじゃ、まんま阿呆じゃん私!
「よく考えてもみなさい。私が小悪魔みたいな力の弱い悪魔と司書契約をするだけでも、ちゃんと形式に基づいた儀式が必要なのよ。なのに、フランみたいなロード級ヴァンパイア相手に、貴女みたいな非マジックユーザーが口頭だけで契約を交わせるわけないじゃない」
「そ、そんなの聞いてませんよ!」
「言ったわよ。『悪魔契約というのは正式な手順で儀式を行ない結ぶもの』、『口頭で悪魔契約なんて、ありえない』。覚えてない?」
げ、あれ伏線かよ! そんな誰もが読み飛ばすような所に仕込まれても!
「も、もしかして、最初から気づいてたんですか? 私が図書館に来て事情を説明した時から!?」
「勿論。小悪魔なんて、私が影で尻を抓ってなけりゃ我慢できずに吹き出してたわ」
ああ、だからあの時こぁちゃん妙にニヤニヤしてたのか!
畜生、バカにしやがって! すっごく恥ずかしいんだぞ、こういうの!
「だったら、最初から教えてくれればいいじゃないですか! 私、何度も怖い目に合ったんですよ!」
「口頭で契約を交わした、というのは貴女の口から聞いただけ。伝聞だけの情報を鵜呑みにするのは愚者のすること。契約不成立の証拠は自分の目で確かめる必要があったのよ。万が一、本当に契約が成立してたら、下手に手を出すと私の身が危ないしね」
「証拠?」
「フランが貴女を殺そうとした。それが何よりの証拠よ」
「?」
そうなのか? 約束を破った私を殺そうとしたのは、むしろ契約に忠実に従ってるように思えるのだが。
「貴女がフランから逃げたのは、契約書を使って内容を変更しようとしたからでしょ? 変更なんだから、約束を破ることにはならないわ」
「え、ええ、それはさっき聞きました」
「なのに、フランは約束に反したと判断した。おかしいわよね、本来なら契約は継続中なのに」
……確かに結婚の契約なのに、それが成就されないうちに契約者を殺そうとするなんて悪魔的にありえない話だ。
なるほど。パチュリー様が契約の無効化を教えたのは、私に契約破棄ではないという意識を与える為。
結婚を否定するな、と言っていたのは、妹様に私を殺す理由を与えない為だったのか。
「ま、昨日仕事をサボって侵入者を許した貴女への罰、という意味もあるけどね」
「うおぉっ、まだ根に持ってたんですか!」
「背中、凄く痛かったわ」
怖いよこの当主代理! お嬢様、早く戻ってきて! 紅魔館に平和を!
「え、それじゃあ契約書を持って来いって言ったのは、わざと妹様を怒らすように仕向ける為だったんですか?」
「概ねそんな感じね。効果を成さないトラップもその一環。まあ、仮に貴女が上手く逃げ切れたら、予定通り契約書の不備を指摘してやるつもりだったけど。ほら、見せてみなさい」
パチュリー様は私から契約書を受け取り、その内容に目をやる。
「口約束だけで契約を成立させた気になってる、悪魔契約ド素人のフランが書いた内容なんて、どうせ間違いだらけに決まって……」
契約書を見たパチュリー様の言葉が詰まる。
「……ヴォイニッチ手稿?」
「日本語だそうですよ」
つまりは、結婚の契約なんて全て妹様のでっち上げということだったのか。
目の前でタネを明かされてしまった妹様は、さっきまでの勢いが嘘のように大人しくなった。しかし何故だ。何故、妹様はこんな真似を?
それを私が問うより先に、パチュリー様がランプを妹様に向け口を開く。
「さて……説明して貰おうかしら、フラン? なんでこんなことをしたのか」
「……」
妹様は答えない。歯を食いしばり顔を俯かせている。
「水浴びの後だから、次は日光浴でもさせてあげましょうか?」
「!!」
「ちょ、ちょっとパチュリー様! いくらなんでも酷すぎますよ!」
「契約の捏造は悪魔の世界では重罪よ。これでもまだ足りないぐらい。さ、苦しみたくなかったら早いとこ白状なさい」
パチュリー様は手の上に魔力を溜めながら、本気かどうか分からない脅しをかける
そんな姿に恐れをなしたのか、妹様は声を震わせながらゆっくりと話し始めた。
「……私はただ……みんなと一緒にいたかっただけなの……」
「……?」
「なのに、みんなが私を除け者にして、パーティ開いたり、月旅行に行ったりしちゃうから、私、寂しくて……」
……この話、聞き覚えがある。
そうだ。一週間前のパーティで私に話してくれた内容そのままじゃないか。
今にも消えてしまいそうな声で、妹様の告白は続く。
「だから、あの時めーりんが、ずっと一緒にいてくれるって約束してくれたのが、本当に嬉しくて……」
とうとう耐え切れなくなったのか、妹様の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「で、でも……私は悪魔で、めーりんは妖怪だから、ホントはずっとに居られないこと分かってたから……」
「約束を悪魔の契約にして、美鈴と結婚することを思いついた、と? 一週間近くも考えた割には詰めが甘いわね」
「結婚すれば……どっちかが死んじゃっても、心はずっと一緒だから……ぐすっ」
鼻声混じりの妹様の告白を聞き、パチュリー様は大きな溜息をついた。
「フラン……あんたって本当に馬鹿ね」
「パ、パチュリー様、そんな直球な!」
「うるさい、外野は黙ってなさい」
当事者っすよ!?
「自分が除け者? 阿呆抜かしてんじゃないわよ。貴女ぐらい、気色悪い程愛されてる奴を他に知らないわよ」
「え?」
「信じられないって顔ね。ほら美鈴、これを読んでやりなさい」
空間転移の魔法でも使ったのか、いつの間にかパチュリー様の右手には数枚の紙が握られていた。
受け取ってみてみると、その紙には色とりどりの写真とデカいフォントのキャッチコピーが踊っていた。
それは、妹様と一緒に見た観光地のパンフレットによく似ていた。
「……なんですかこれ?」
「貴女とフランは知らないでしょう。これはあのパーティの参加者に配られた、レミィの考えた月侵略計画書よ。いいから読んでみなさい」
そう言われ、手にした紙に目を移す。
そこには、咲夜さんが描いたと思われるファンシーな動物のイラストと共に、今回の月旅行における目的と手段がびっしりと書かれていた。
お嬢様が月世界の征服を成就させた暁には、力で持ってして月の民を支配し、玉兎は今までと同じ労働者階級、貴族はRPGのレベル上げ要因にまで落とすらしい。
都の建物は全て破壊し、新たに吸血鬼の吸血鬼による吸血鬼のためのイカした宮殿を造り、そこを中心に新たなる楽園を築く、とのことだった。
「夜にしか現れない月なら、太陽に怯えることのない吸血鬼の世界が創れると考えたんでしょうね。浅はかというか……レミィらしいわ」
「こ、これをパーティで配ったんですか……」
「私は止めたわよ。でも、言い出したら聞かなくって。大勢の客の前で堂々と胸張ってこの皮算用プロジェクトを発表した時の、皆の可哀想な子を見る視線は忘れられないわ」
うわ、私その場にいなくて良かった。想像するだけで嫌な汗が出てくるんだけど。
「んじゃ、続き読みなさい」
「はい、えっと……月世界の体制と法は全て改正し、新たなる統治者にフランドール・スカーレットを迎える……って、ええっ!?」
どういうことだ、てっきりお嬢様自らが月を支配するつもりだと思ったのに。
てか、気まぐれなお嬢様による統治ですら、並の独裁国家では比較にならない恐怖政治が敷かれるだろうに、情緒不安定の妹様がトップとかどんな地獄だよ。ムカベが神に見えるわ。
「今回の月への侵略。これは全て、貴女の為に立てられた計画なのよ、フラン」
「お姉様が? 私の為に……?」
「そう、貴女が何者にも妨げられずに自由に生きられる世界。それを得るためにレミィは月に行ったのよ」
「私の、世界……」
日の光も他人の作ったルールもない世界なら、妹様も自由に生きられる。実にお嬢様らしい、単純かつ自己中心的な考え方だ。
「レミィだって、フランのことを何も考えてなかった訳じゃないわ。永い間、貴女を閉じ込めていたのを悩んでいたのよ。そこに、降って湧いたかのように飛び込んできた月侵略の話。レミィとしては、乗る以外の選択肢は無かったんでしょうね」
「お姉さまが月に行ったのは、私の為……」
「レミィだけじゃない。今回の計画は紅魔館全体の意思でもあるわ。咲夜は計画初期から必要な物は全て揃えてくれて、月の民をデストロイする気マンマンでロケットに乗り込んだし、メイド達も買出しお茶くみにマッサージと、それなりに役立ってくれたわ。そして勿論私はロケット開発の責任者。分かる? みんな貴女の為に頑張ったのよ?」
「嘘……だって、そんな話一言も聞いてない!」
「そりゃ言わないわよ。普通、こういう話は主役には隠しておくもんでしょ。正直、途中でバレちゃうかと思ったけど、共通の秘密を持つのがメイド達も面白かったみたいでね、緘口令は上手くいったわ」
「そんな……じゃあ私は……」
本当は皆が妹様のことを想っていた。今回の騒動は、ただそれが伝わらなかっただけの話だ。
良かった、私の決断は間違っていなかった。誰も妹様を置き去りになんてしないんだ。
「……ていうかパチュリー様。その話、私も聞いてないんですが」
「だって貴女、別に計画に必要なかったし。フランと美鈴だけね、これを話してないのは」
おおいっ! マジで除け者の寂しいもの同士じゃねーか!
いや、妹様は故意に計画を隠されていただけだから、本物の除け者は私オンリーか。くそ、死にたくなってきた。
「ま、どうせレミィは負けて帰ってくると思うけどね」
「みんなが、私の為に……」
「さてフラン。これだけ迷惑をかけたのだから、美鈴に何か言うことがあるでしょ?」
「……うん」
パチュリー様に促され、妹様がこちらに体を向ける。そして、深々と頭を下げ言った。
「めーりん、ごめんなさい」
「うわっ、ちょっと頭を上げてくださいよ!」
「私、悪いことしちゃったもの。謝るのは当然でしょ。ごめんね、急に結婚なんて言って迷惑だったでしょ?」
主の妹に頭を下げられるとは畏れ多い! 私は慌てて妹様の肩を掴み、元の姿勢に戻す。
「その、迷惑というか……そりゃ結婚なんて言われて驚きましたが」
「本当にごめんなさい。めーりん、私のことキライになっちゃったよね……」
罪悪感に苛まれた妹様の表情が暗くなる。いかん、妹様にそんな顔をさせては!
「……顔を上げてください。そんな顔、妹様には似合いませんよ」
「めーりん……」
「確かに、最初は驚きました。怖い思いもしました。だけど、その程度で私は嫌いになんてなりません」
「……」
「妹様、いい機会だからよく聞いてください。結婚というのは、寂しさを埋める為にするものではないのです」
「うん……」
「結婚とは、愛し合う二人が共に助け合って生きていく、その誓いです。いつの日か、妹様にもそんな相手が現れるかもしれません」
「めーりんは、その相手じゃないの?」
「それを決めるのは、まだ早すぎます。もっと世界を知って、本当に一生添い遂げられる相手を自分自身で見つけてください。その日が来るまで、私はずっと貴女と共にありましょう」
「……約束してくれる?」
「約束します。契約はできませんけどね」
そう言って私は妹様を優しく抱きしめる。妹様もまた、私を抱きしめ返してくれた。
これで全ては元通り。私に、パチュリー様に、妹様に、そして紅魔館に平和が戻ってきたのだ。
いや実に大変な一日だった。妹様から殺されそうになった時はどうなるかと思ったが、喉下過ぎればなんとやら。終わってみれば、今日の出来事も後に笑って語れる思い出の一つだ。
今日という日で妹様は少し、だが確実に成長してくれたことだろう。これをきっかけにお嬢様と一度話し合い、妹様が外に出られる日が一日でも近付けば万々歳。
そしてそれは、そう遠い日ではあるまい。そうとも、皆の愛した妹様、そして紅魔館には間違いなく素晴らしい未来が広がっているのだ……。
「……なーに爽やかな笑顔でエピローグに入ろうとしてんのよ」
と、折角キレイに終わろうとしていたところで、パチュリー様の水を差す一言。
え? まだなんかあんの? 朝から何も食べてないし、そろそろ私ご飯食べに行きたいんだけど。
「あんた達二人にはハッピーエンドかもしれないけど、図書館を滅茶苦茶にされた私はどうなるのよ」
「あー……」
そういえば忘れていたが、妹様が暴れた時の衝撃で地下図書館は壊滅状態だ。
照明も全て破壊され、私達はパチュリー様の持つ小さなランプだけを光源に会話をしていたのだった。
「食事に行くなら、図書館を綺麗に片付けてからにしなさい」
「えー、お腹が空いて力が出ませんよー」
「当主代理に逆らう気? 漫画の奴隷がよくやってる、変なハンドルを回す部署に異動させるわよ」
「あれ、ウチにもあったんですか……分かりましたよ、やりますよ」
とは言ってもなあ。こんな真っ暗な中じゃマトモに作業なんてできないぞ。
下手に貴重な本とか踏んで怒られるのも嫌だしなあ。
「被災時用の非常照明があるでしょ。あれ使いなさいよ」
「ああ、……ってそれ、どこにありましたっけ?」
「向こうよ向こう、あっちの柱に付いてるわ」
パチュリー様が指を差すが、暗すぎてその先に柱があるかどうかすら分からない。
うーむ、手探りで行くしかないか。怖いなあ、足元に気をつけなきゃ。
「じゃあさ、私が行くよ! 私なら暗闇でも目が利くもの!」
妹様が両手をあげて名乗り出る。
そっか、吸血鬼は夜行性だし、この暗さでも普通に活動できるのか。
妹様にそんな雑務をさせるのは気が引けるが、安全第一を考えれば仕方がない話。
「じゃあ、お願いできますか。向こうの柱にあるそうですから」
「うん! まっかせといて!」
そう言うと、妹様は闇の中に飛び去って行った。
やれやれ、今日中に図書館の掃除が終わるかな。
どれぐらいの範囲で破壊されてるんだろうか。ご飯を食べる暇があればいいけど。
「あー! あった、これねー」
遠くから妹様の声が響く。どうやら無事に見つけてくれたようだ。
「このスイッチね! じゃあ押すよー!」
これでやっと図書館に光が戻る。さあ、肉体労働タイムの開始だ。
「……スイッチ?」
ふと、妹様の言葉に違和感を覚える。
被災時用の非常照明。確かさっき、トラップの説明の時パチュリー様に見せてもらったが。
……スイッチだったか? 私の記憶が正しければ、非常照明はレバーだったような気がするのだが。
じゃあ、妹様が言ってるスイッチってのは何だ? あの近くにスイッチなんて……。
「……!!! あああああぁぁぁぁぁぁっ!!! い、妹様、そのスイッチは……!!」
言い終わる前に、私の叫びは耳を劈くような爆音にかき消され、直後、私の視界は真っ白に染まった。
瓦礫の海を掻き分け、ようやく顔だけを外に出す。
見ると、パチュリー様も同じように首だけを外に出して「むきゅー」といういつもの鳴き声をあげていた。
「……なんでこんなことになったんですかねえ」
口から黒煙を吐きながら呟く。
「あのまま終わってれば正真正銘のハッピーエンドだったのにね」
パチュリー様もアフロになった頭を揺らしながら言う。
お嬢様の要望に応えたパチュリー様謹製の自爆スイッチの威力は凄まじく、一瞬にして紅魔館をただの荒れ地へと変えてしまった。
ふと周りを見渡せば、瓦礫に埋もれた妖精メイド達の手やら足やら、蝶のTバックを履いたケツやらが寂しそうに生えている。
「……でも、正直私こうなるのを予想してました。自爆スイッチって単語が出た時点で」
「そりゃね、そんなアイテム出たら最終的には押さざるをえないわよね。ぶっちゃけ私もフランが押すだろうなって予感はしてたわ」
「それってつまり……」
「ええ、そういうことよ……」
私とパチュリー様は顔を見合わせ微妙なツラで笑いあう。
そして呼吸を合わせ、双方が思っていることを同時に口に出した。
「悪魔は『お約束』には逆らえない」
とりま美鈴、You結婚しChinaよ!!
爆破オチは読めたのに、さらにオチがあるとは感服です。
結構な長さだったけど、さくさく読めました。
パチュリーかっこえー
相変わらずの愉快作品をくれた貴方には、魔界のショッピングモールでゾンビ相手に小型チェーンソーを振り回す権利をあげよう。
馬の被り物つきで。
所々に挟まれる要素がたまらない
おもしろかったです
いあいあはすたー。
相変わらず要所要所の小ネタが面白いw
爆発オチは読めてましたが、さらにもう一段オチがあるとは……。まさにだれうまw
次回作も楽しみに待ってます!できればまた虹川姉妹ものを読んでみたいなぁ…。
相変わらず面白かったです
本当に焦らしプレイが好きなお方だ
待ちわびたころにドンと来る。たまらん
いつもよりブラックジョークが少なめなのが残念でしたが、このダダ甘さに乾杯。
あと、魔界地方都市で白蓮さんに手を振ってもらうツアーの参加方法はどこですか。
ここで止めを刺されたw
文章も読みやすく最後まで一気に読めました。
ら氏の作品初ではないでしょうか
こんなにまともな人達メインで構成されたSSは…
いつも通り楽しませてもらいました
>『Utsuho-tec社』
RAD吹いた
アリスはまた病院送りかよ!
とりあえず、美鈴とフランちゃんは結婚すべき
>「お嬢様と結婚してぇ……チュッチュしてぇ……」
一言だけでこの存在感www
めーりんは変な方向に気を遣うなw
>このふかし芋でも食べて
息切らしてるやつにむせるようなもの与えるなw
二人が旅行に行くのはいつですかうわ
腹筋が痛いです。裂けそうです。
いあ!
なんという素晴らしいオチ、グッジョブでした!
あとメイフラわっしょい!